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2001年01月01日(月) 旧暦 [n年日記]

日本の芸能とエンターテイメント

 相も変わらずつまらない日本の正月番組見てたりするのである。
 何故つまらないかというと、やはり身内誉めと白々しいリアクションといった見てるもの置いてけぼりな構成に尽きるのではないのだろうか? つまり誰の為の番組か、見ててわからないのである。これでも視聴率が稼げるというのなら、それを視聴者が望んでるという事だろうが、しかしもっとエンターテイメントに徹した番組があればそちらに流れるのではないだろうか。
 見てる側に気を使わせて笑わせるのは、エンターテイメントではない。こう考えると、実は日本にエンターテイメントってのはそもそも根付いてないのではないかという思いに刈られる。本当にそうだろうか? 日本にエンターテイメントな作品がなかったわけではないと思うし、また今だってないわけではない。スタージョンの法則によれば九割は屑なのだから、つまらないものがあるのは仕方ないという考え方もあろう。しかし、例えばハリウッド作品のつまらないと国内作品のつまらないとは明らかに違う。向いてる方向がそもそも違うのだ。日本人もエンターテイメントに関心がないわけではない。だからこそハリウッド産の受けたエンターテイメントが日本でも受ける。
 多分、日本人はエンターテイメントに餓えているのだ。もっと日本人はエンターテイメントを重要視してもいいのではないだろうか? 少なくとも芸能人だけが楽しむための番組作りはやめてくれ。


2001年01月02日(火) 旧暦 [n年日記]

「面白い」と言える事。

 前もって言っておきますが、これは知人と話した時にその知人が言った事が含まれており、従ってその影響も大きい、という事を述べておきます。
 ネットに素人批評と言うのは多い。非常に多い。そしてその大半は批評と呼ぶに値しないものです。さらにその中でも、悪口を書いているものが、「ここがダメ」と書き連ねているものが多い。いや、こういうこと書くとまんま自分に跳ね帰って来るから怖いんだけど。そういうのは大抵は批評のレベルでなく、ただの感想である。それが書いた人にとって面白いかつまらないか、ということを書いたのみのもの、と私はみなしています。ただ、性質が悪いのは書いた人が楽しんで見たようであるのに、悪口が書かれている、というのがあります。面白いなら面白いと(悪口書いちゃいかんとは思わないけど)、素直に書けばいいのに、誉めると自分の負け、というように意地になって悪口を書く人もいます。
 なぜそういう人は誉めないのか。単純に名の知れたものを貶めて自分を偉く見せよう、偉くなった気になろう、という心理もありますが、「面白いものが何故面白いか」というのを書くのは実は難しいことなのです。もしそれを的確に分析でき、リストアップできたとしても、その書かれている事=面白いと言う事ではありません。面白いものというものは要素でなく、実体を持たねば「面白いもの」にはなりえないからです。この意味では非常に的確な批評家であっても、三流エンターテイナーにすら敵いません。実際にものを作る人間と、ただ見るだけの人間の立場の差です。
 だから批評をするな、とは私は思いません。感想レベルであれば、感想として言えばいいのであるし(金を払って見た以上、面白いかつまらないかを堂々と述べる権利がある)、的確な批評はそれを読む/聞いた人に何かを残すと思うからです。ただ、「面白い」ということは形にする事が案外と難しい、ということを忘れず、面白いと言う事にもう少し敬意を払ってもいいのではないか、と思います。
 誉め殺しは問題外だけど、面白いものを面白いと素直に言える人間の方が私は信用できます。


2001年01月03日(水) 旧暦 [n年日記]

イヤよイヤよも松の内

 「だからどうした」って言われそうな題名ですが、意味はありません。まあいつものことか。
 最近検索エンジンで意味不明な単語の組み合わせ(「黒人」と「ソープ」とか。一体何を探したかったんだ???)で辿って来たりする人がいて、そういう人に大変申し訳無いので なまず でも設置して検索出来るようにしようと思ったのだが、何故かインストールできず。ふむむ。実はこないだ メディアワークス から「電撃大王」という単語で検索してきたのがあったので、それが直接的な動機なのだが。いや、ここに「GPMの漫画化はさなづらさんでなく広江さん希望」とか書いといて検索に引っかかったら、編集の人の目にかかるかもしれないしねえ。
 まあそんなことばかりしてる暇もないのだけど、そんなことする暇がまるっきりないわけでもないので。


2001年01月04日(木) 旧暦 [n年日記]

年賀です

  こんなかんじ で…
 いえ、あの〜、スネーク・ブリスケンと言いましてね。詳しくはジョン・カーペンター監督の「ニューヨーク1997」か「エスケープ・フロム・LA」でも見てください。見ろってんだよコンチクショウ!<逆切れ
 いえ、すいませんすいません。多分普通の人には死ぬほど退屈な映画なんですけど。アホっぽさを笑って見れる人向けの映画。


2001年01月05日(金) 旧暦 [n年日記]

こないなものやってます。

  こないなもの ね。
 無意味な続編大作の独占を許すな!(おー!)
 ドラクエがなんだー!(おー!)
 FF9なんてポイだポイ!(おー!)
 コナミの横暴を阻止しろー!(おー…お?)
 なんか最後のは若干違う気がするけど、でもみんなが同じものばっかに入れたらつまらんでしょ。


2001年01月07日() 旧暦 [n年日記]

メモメモ

 Oさんに600円の借り。姐さん方面(姉さん方面ではない)にクウガビデオ。
 名古屋の知人で新年会。いや、結果的に新年会になっただけだけど。
 面子はH氏にT姐さんにOさん。
 メシ食って深+へ。マスターに帰り際檄入れられる。うう、そんなにダウだったか。
 風邪もずるずる引っ張ってるし。頑張らないと…
 それとは何の関係も無いが、今年も 星雲賞非公式ノミネート やります。もうちっとページ整理してから、あちこちに宣伝始めましょうかね。


2001年01月08日(月) 旧暦 [n年日記]

今日は静養

 いや、そんなに余裕無いのだけど。
 でも風邪がいい加減長引いてたのでこの機会に一気に治す。最低限の栄養を摂って暖かくして寝る。これに限る。まだちょいと喉に残ってる感じがするので油断できないのだけど。
 ああ、でもナマモノの世話と大沢在昌の「心では重過ぎる」を買ってこないと。深+のマスターから直々に「買ってあげてください」なんて言われたのでは買わないわけにはいかんだろうし…まあ1回映画にいけなくなるくらいか。


2001年01月09日(火) 旧暦 [n年日記]

言葉では軽すぎる…

 昨日「心では重すぎる」を買ってきて、冒頭の十数ページだけぱらぱらっと見たのですよ。
 お、重い。確かに冒頭からしてこれは重い。
 最初薬物中毒者のセーフハウスの話からはじまるのですが、なぜそういう施設が中毒者に必要なのか、心が弱い、というのは本当なのか、ということを「薬物中毒者の社会」から説明してるんですわ。他人からさげすまれる立場、そこへ落ちて行くことにある暗い喜びに何時の間にか足をとられてしまった者たち、そういうどん底の者どうしだからこそある、脱却への足の引っ張り合い。それを数ページ足らずでさらっと書かれてしまう。う〜む。こいつはまいりました。2000円(税抜き)を払って読む価値ありそうですわ。

「予告編」について

 いやいやいや、実は アヴァロン の予告編を見たのだけど、これがマジで見てみたくなる出来なんですわ。押井守ファンの友達から「途中で寝そうになった」と感想を聞いていてなお、そう思うんですから凄い事ではないですか。
 実際予告編でいいとこ出しすぎて、本編を見たら予告以上のものはなくてがっかりとか、予告で全然別の話を作ってて「なんじゃこりゃー!」みたいなこともあったりすると言うかそういう事の方が多いのでなかなか考え物なのだけどそれはそれ。でも予告編は劇場へ足を運ばせることが目的である以上、「面白いと思わせる」というのは予告編の意味としてはこの上なく正しい。劇場で見たらつまらなかったら、まあ予告編の作りがそもそも方向性が違うと言う事もあるのかもしれないけど、でも大体はそれは本編の力不足が悪いのである。
 だから期待させない予告編はだめなんだって。

マトリックスってなんだ?

 え〜、ウィリアム・ギブスンの小説を読んでください。いじょ。<こらこら
 っつーか要約すると、危険思想のテロリストが「世界の解放」を訴えながら、無垢な一般人を片っ端から殺しまくる話です。<おいおい
 いや、だって本当じゃん。そんな頭悩ます話じゃありませんって。


2001年01月10日(水) 旧暦 [n年日記]

泥沼の様な

 え〜、昨日、一昨日と「心では重すぎる」の話をしたわけですが、ちょいと一晩読み進んでみた訳です。進まねえ。
 いや、文章はいわゆるいかにもな「名文」ではないものの、読ませる文章なんですよ。確かに厚い本だってのはあります。ハードカバーで一段組で原稿用紙1300枚分だっつーんだからあなた、ホントに人を殴って殺せますよ。しかしいつもめんどくさい文章は斜め読みですっとばすオイラが、数時間かけてようやく400ページ弱とは…
 内容が難解とか、読む気がしないというならわかります。だがそうではないです。続きが読みたくてたまらない。しかしなかなか進ませてくれない。一文、一文に世界、物語の背景、人物の背景、感情、そういったものが練り込まれている。一文も落として読めない。ちょっと眠いと、何かを頭の中から取りこぼすのが恐くて続きが読めないくらいに。
 正直まるで目の前に岸があるのに、泥沼の中で重い足を引きずって岸へ辿りつこうとしてる気分。それでも岸に向かわずにはいられない。

甘くてスイート

 実家に帰ってた時の話。お節に入ってた人参が京人参だったのですよ。こんなに美味い人参は初めて食った、って気になりました。注意しときますが、これはうちの母親の料理の腕が上手いってことじゃありません。むしろ下手の部類です。最近は父親の教育の成果か、上手くなってきたみたいですが。
 人参そのものが違うってことなんです。甘くない。それでいて噛むと味が出る。人参ていうと子供の嫌いな野菜No.1みたいなものですが、何故かというと苦いから。で、最近の人参ってのは甘さを上げた品種が主なわけです。子供は甘いもの=おいしいという単純な味覚になりがちですから。でも、何故かその甘い品種ばかりが出まわるようになってしまった。理由は知りません。ただ、消費者の選択の巾は狭くなり、味覚と価格以外のもので市場が支配されてしまった。もし、自分が食べてるものがどう変わったのかちゃんと観察してれば、ここまで一方的にはならなかったかもしれません。娯楽でも同じ。子供の食べやすいように噛み下したような、そして甘く味付けされたものが大量に出まわってる。流行とかは世代やグループで通じる共通価値の確認の為の貨幣の様な部分があるので、奥深くないとか精神性が無いとかいうのは間違いという事もります。しかし、みんながみんな子供の味覚になった結果、本当に「美味しい」ということがどういうことかわからなくなってしまった。あるいは、噛み下されたものしか受けつけなくなった大衆は、それに飽きた時何処へ向かうのか。
 昔の主婦とかは生活とか家事に追われてたと思われてるし、事実そういう側面もあると思います。でも、その中には美味しいものが何処へ行けば手に入るのかとか、そういうコトを考える事も含まれていたでしょう。今では本当に忙しい共働きとかもいるだろうので、別に家事に頭を使わないことを責めるとか、そういう意図はありません。でも消費者である以上、性別とか年令に関わらず、一体自分が何を欲し、何を消費しているか、というのをちょっと考えてみるってのも必要ではないでしょうか?
 噛み下した甘いお菓子しか受けつけない大人の社会なんて、なんか気持ち悪い。


2001年01月11日(木) 旧暦 [n年日記]

ふと気付いた

 あ、 日本ゲーム大賞 の話題で気付いたんだけど、今度の星雲賞、 ガンパレードマーチ も受賞資格あるんじゃん。(メディア部門)
 それと色々痛いミス発見。まあケセラセラ。


2001年01月12日(金) 旧暦 [n年日記]

「心では重すぎる」

 読了。セーブしよう、セーブしようとしながらも、終盤はもう引きずり込まれるように…
 この本のキーワードは二つ。「現代」と「関係」である。主人公の公は40代の私立探偵。とある事情で探偵業から身を退いており、民間の薬物中毒者の構成施設『セイル・オフ』で働いていたのだが、再び探偵業を再開する事になった。依頼主はかつて漫画家志望であったが、とある新人の持ち込み原稿を見た事により自分の身の程を知り、漫画で身を立てるという夢を諦めた過去を持つ。依頼はその新人、後に一世を風靡し、そして消えてしまった漫画家を探す事だった。自分が諦めた夢、そしてその原因となった天才が何故消えてしまったのか、それを知りたいのだという。公は他人の人生を覗き見、それにより干渉するという行為に倫理的な罪悪感を抱きながらも、消えた漫画家、まのままるを探す。しかし、彼の目の前に立ちふさがるのは彼とは全く異なる価値基準を持つ今の世代の若者たち、そしてセイル・オフに入っている少年と関わる謎の少女だった。消えたまのままるの背後にやくざの影がちらつきはじめ、そしてまったく無関係に見えたまの、少女、薬物の滓かな繋がりが見え始めた時、公は退き返すには遅過ぎる領域まで足を踏み入れてしまっていた。
 読み進めて、ひたすら話は重い。ストーリーがではなく、一文一文の背後にある思索の重さだ。「何故彼らはこんなに違うのだろう」「何故薬物に走るのか」「何故」「何故」「何故」。どの文章にも何故であるかという疑問とその答え、そしてその答えから再び生じる 終りのない疑問が繰り返されている。無論あらがまるっきり見えないわけではない。 何故錦織令がそこまで強力な憎悪を周囲に発散できるのかという疑問には満足の行く答えは出てないし、終盤になって死者の存在が絡む事によって、その死者に繰り込み不能の部分を押し付けてしまってる感もあることだ。 しかし、それらはこの圧倒的な文章の圧力の前では些細である。1冊の本を書くのに、しかも娯楽であるのに、これだけの思索を重ねるのか。「面白い」という事も勿論できる。しかしその前に浮かぶ感想はやはり「凄い」である。

ガンパレ星雲賞計画<おい

 林氏から指摘があって、「ロボットはノンフィクション部門だからガンパレじゃ対抗馬にならんだろう」と言われる。そういえばそうでった。でも別にロボットの受賞を防ぐ為だけにガンパレを押してるるわけでもないんすよ。無論「ガンパレでなきゃおかしい!」とまでいうつもりもないっすけど、でもガンパレが受賞してもおかしくはない、と思う。少なくともそのくらいには「SF」だ。(「人狼」も面白かったけど、あれをSFか、と言いわれるともうひとつ首を捻らざるを得ない。)
 あともう一つ。ガンパレにとらせてみたいというのは、これまで星雲賞の受賞にゲームが入っていないからである。映像媒体じゃいけないってことは勿論ない。しかしこれだけサブカルチャーあるいはサブでないカルチャーとして広がったゲームが認められていないようで、何かSFファンダムの懐の狭さを感じるような居心地を悪さを感じるのである。
 そんなワケで私はガンパレをおしてみたい。


2001年01月13日() 旧暦 [n年日記]

天国の扉を叩いて

 映画版 カウボーイビバップ のタイトル、「天国の扉」なんてボブ・デュランみたいやな〜、思ったらまんま“Knockin' on heaven's door”だった。ギャフン。
 それではガンに犯された2人組が死ぬ前に海を見る為にマフィアや警察を巻き込んでドタバタ大逃走を起こすのか?
 というのはドイツ映画「 ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア 」の話。末期の腫瘍と診断された男2人組が、病院で酒を飲んで酔っ払った挙句に「天国じゃ海を見たことがない奴は馬鹿にされる」とマフィアの金を積んだ車をそれとは知らずに奪って逃走。という映画なのだけど、主人公二人は不治の病という重い背景を持ちながらも展開はあくまで軽快。しかし最後、 海に辿りついた二人が浜辺で海を見つつ、ただ座るシーンは数ある映画の中で最も美しいものだと思う。より症状の進んだタフガイの身体が、崩れ落ちるように海を見ながら倒れる。しかし相棒の優男は振り帰らない。ただまっすぐ海を見つづけている。バックに流れるKnockin' on heaven's door …同じタイトルだと、イヤでも比較してしまうのだがはてさて。


2001年01月14日() 旧暦 [n年日記]

Mozilla0.7

 何時の間にか Mozilla の新バージョンが出ていたのでインストール。こないだの新年会の時にOさんにナニソレ? といわれたけど、T姐御が説明した様にNetscapeの元もとの名で、ソース公開して独自に改良しようというプロジェクトのもとて開発されたものが今現在Mozillaと呼ばれるものだ。
 ちゃんとNetscapeでアクセスした後のログを見るが良い。"Mozilla/5.0 (Windows; U; Win98; ja-JP; 0.6) Gecko/20001205"とか"Mozilla/4.73 [ja] (Win98; U)"とかちゃんと出ているはずだ。もっとも全く違うエンジン使ったIEも"Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows NT 5.0)"とか出るのだけど。何故かっていうと、昔IEが「ダメだこんなもん、つかえねー、くるなくるな」とかいって毛嫌いされていた時にIEではアクセス制限されたりとか色々あって、それをごまかすためにこんなんなったとか。と私は聞いているが事実かどうかは知らない。
 Netscapeも不安定だったりStyle Sheetをまともに解釈しなかったり、一番良い時期にIEのOSとの抱き合わせ販売で水をあけられたりで、MSの極悪非道の活躍によってシェアのかなりを誇っていたのが衰退してしまったのだが、IEだと色々アレな部分も多い。
 まずは付属のメーラーのOutlookExpress。別に付属のメーラー使わなきゃいいじゃんと思うだろうが、しかし抱き合わせってのはそこまで抱き合わせなんよ。これが決定的にダメなメーラーである。使い勝手とかそういう問題ではない。ワームと呼ばれる自己複製・繁殖型のウィルスが存在しうるのは、OEという根本的にセキュリティをユーザーの自由に出来ないメーラーが存在したからだと言って間違いない。だって安全性を吟味せず勝手に実行ファイルやマクロを実行するなんて、ユーザーをバカにしてない? もひとつ、IEは根本的にOEと同じくセキュリティというものにとことん甘い部分があるということである。たとえば、ねーちゃんのbookmarkがねーちゃんのPCのどのドライブのどのディレクトリにあるのかってのも丸わかりなわけなのよ。見てる、ねーちゃん?
 でも、今回新しいMozilla入れてちと参ったことが。インストールしてから立ち上げようとして立ちあがらないのよ。あれやこれやといろいろいじってみたら、どうやら前バージョンで「表示」→「言語とWebコンテンツ」でデフォルトのEnglish以外を選んだ状態で、例えば日本語を選んだ状態で新しいバージョンを入れると、どうやら日本語のlanguageパックを探しに行ったまま逝ってしまうらしい。だから新規インストール前にEnglishに選びなおさないといけないっぽい。
 万事がフリーでオープンであるMozillaの場合、 こういうところ から日本語パックを自分で落とさねばならない。逆にいうと、開発する気さえあればどんなlanguageパックも用意できる。
 ちなみに日本語パックの開発ページは こちら 。ご苦労様です。
 実際あまり素人向けとは言い難いが、しかしちょっとなれたPC使いならかなり便利ということが触ればわかると思う。ちと不安定な部分はあるが、まあシステムごと落ちるわけで無いし。ただ日本語入力の弱さはあるけど。


2001年01月16日(火) 旧暦 [n年日記]

ばなー

 なんか上の方に変なバナーが増えてますが、まあそゆことです。ってえか、言葉のイキオイでやらざるをえなくなったのだけど。そんな暇があるのかといわれればないのだけど、ないのにやってしまう辺りがさがか。
 月曜はバイトで何時もの如くがたごとと電車に揺られてバイト先まで行ったわけですよ。途中で乗って来た高校生の話題というと、ドラクエ7なわけです。彼らがガンパレを知ってるかどうか知らないし、知らないのならもったいないとも思うのだけど、逆に知っていてやっても面白いと思うかも知らないし、また新し味がなくとも、コミュニケーションツールとしての意味合いが大きくとも、ドラクエやポケモンを楽しんでるのは確かだ。(高校生で今時ポケモンがはやってるのかと疑ったが、やっているらしいのだ。いや、別に悪い事はないが) それを考えると、裾野、絶対的なユーザー量が楽しんでるか、という意味ではそちらが昨年を代表するゲームに相応しい、といわれれば、納得はしないまでも、一面認めねばならない。
 大作の続編ゲームはある意味、当たる事を宿命付けられている。開発費・宣伝費の予算は前作を上回り、規模も上回らねばならない。ユーザーも、手持ちの予算は限られてる。当たりか否か一種の懸けである完全新作よりは、前作を基準に出来る続編を買ったほうがリスクはあきらかに少ない。それだけではない。そのゲームをやってるかやってないかというのは、所属する集団での優劣にも関わる。
 学校というのは特殊な空間である。教師以外の大人は、基本的に存在を許されない。一つの建物の中で朝は九時前から午後は少なくとも二時、三時まで、部活などがあれば八時くらいまで固定したメンバーで過ごす。外界との接触は、集団としてすら必然性はほとんどない。学校が教育施設であるのは間違いないが、別の意味を持つなといってもこれではいう方が無理である。その中で、ゲームの情報、達成状況というのはグループにおけるプライオリティになりうる。厳密にはそういうグループも多い、ということだけど。逆にそういうグループでは情報を知らない、達成してないというのはランクが下がる、場合によっては仲間外れになる可能性すら持つ。それは持っていない、ということも含めてである。子供の集団であろうが、集団というのは容易に移る事が出来ない。そして一日の大変を過ごす空間で、全く所属する集団がないというのも苦痛である。だからときどき大作ゲームの行列のインタビューで「みんなが買うから」と答える子供がいるが、あれば偽らざる姿でもある。面白いかどうかとはまた別に、情報としての価値も子供達には付加される。大人にとっても対人関係でのみ通用する情報の価値というのはあるが、子供にとってはほぼそれが対人関係の全てといってもそれほど間違っていない。
 それがゲームとして面白い、ということとごっちゃに評価されても良いのか、とも思う。ではゲームとして面白いってのは何か、といわれても一言ではいえない。簡単かつ正解なのは、自分が面白いと思えるものに投票する事だ。しかし、面白いというのはどういうことか。あの子達にはまだ早いのかなぁ。
 しかし女子高生が十人くらいの集団で「バトロどうよ?」っていうのはどうよ?


2001年01月17日(水) 旧暦 [n年日記]

FROM THE EARTH

 NHKでアポロ計画の内幕をドラマ化したFROM THE EARTHやってる〜。
 噂では、ちと訳が良くないという話だけど。先に別の訳でビデオで出てたそうなので、そっちも見てみたいなぁ。
 GPM日本ゲーム大賞企画関連で、 2ch で話題を振られてた。友人には「自作自演じゃない?(つまり、自分で話題振ったんじゃないの、ということ)」とヌレギヌを着せられた。ワシは2チャンで発言したことは一度も無いわい。
 しかしそこでの反応が、板によって反応が違うので面白い。女性向け板のところでは好意的で、家庭用ゲームの板では斜に構えたような意見が散見される。斜に構えた意見で主なのは、GPMはゲーム大賞にふさわしくない、というのではなく、「どうせマスコミが偏見で大作にやる賞だし」とか、「ドラクエ7で決まっちゃってるよ」とかの諦めムードである。つまり、ゲーム大賞がGPMではまずい、というわけではないのだ。
 では何故水をさすのか。いや、別にそれなら積極的に動けってんじゃないっすよ。そこまで労力をかける気はない、というのならそれは正論だし、異論を挟むものではない。しかし水をさす、というのは何故か。心理的には「すっぱい葡萄」と同じだろう。大賞、もしくは活動を低く見る事で諦めた自分の心理を安定させたい、ということだろう。別に非難してるんじゃないんすよ。世の中こういう些細な問題に対し、少しずつ欺瞞を行う事で日常を送っている。全ての問題に対しまっとうに解決しようと向き合ってたら、肉体も精神ももつわけがない。ネガティブでも話題に取り上げられるということは知名度が上がると言う事だから、それでもありがたい。でも、少しだけ労力を裂いてもいいと思うのなら、ちょっとだけリンクを貼るとかしてくれると私も嬉しい。


2001年01月18日(木) 旧暦 [n年日記]

見覚えが…

  アニメ版頭文字DのCG監督のコメント なのですが、スタッフが見たというBBSのくだり、どこかで見た覚えがあるのだけど、どこでだったのか…ハテ?
 いや別にそれはどうでもいいことなのだけど。
 「心では重すぎる」なのだけど、これに出てくる「消えた漫画家」まのままる、って、鳥山明をかなり意識してるよなぁ、と。連載作の「ホワイトボーイ」の内容といい、作風といい、「宗教にはまって印税を全て寄付した」という噂がたったことといい(但し、これは噂に過ぎず実際はそんな事実はなかった。「消えた漫画家 アッパー系」参照)、歴代の担当が頭を下げまくり、しまいには編集長まで頭を下げまくって連載の継続をお願いしたとかその辺の逸話とか、意識は相当してるのだろう。しかし、あくまでモデルではないので(鳥山明と食い違う部分も多い)のでその辺誤解しないように。
 今日も色々ありましたが、今日の教訓。メモはこまめにとりましょう。それと昔の自分をもっと信用しましょう。
 あ、それとリンクしてくださった皆様本当にありがとうございます。感謝の言葉もございません。


2001年01月19日(金) 旧暦 [n年日記]

ヤクザが店にやってきた、ヤァ!ヤァ!ヤァ!

 別にヤクザがウチにやってきたわけではない。「 ヤクザが店にやってきた 」(朝日文庫)が面白そうなんでちょっと買ってきた。ま、ボチボチよみましょか。しかし「HARD DAY'S NIGHT」がどうやって「ビートルズがやってきた、ヤァ!ヤァ!ヤァ!」になるのだろう?
 さて、枕とはまるっきり(そしてタイトルともまったく)関係無い話だが、昔研究室で同級生と先輩が口論になった。いや、ホントは口論なんて大した物ではない。同級生のK村君が、K澤さんに、「いっつも映画とか本とか見る時にそうやって理屈っぽい感想を考えるんですか?」というようなことを聞いたのだ。別にイヤミとかでなく、単に好奇心での話だが、K村君にはK澤さんや私の様な人種は理解できなかったに違いない。K澤さんはかなり特殊な部類なのでまあついていく人の方が稀だが(研究室でK澤さんがそういう話をしだすとまともについていけるのは私くらいだった。その私でもようようついていったといった感じだが)、私程度の理屈っぽさでもK村君は理解しがたかったのである。K村君は、面白いなら面白い、つまらないならつまらないでいいじゃないか。変な理屈立ててもつまらないものが面白くなったり、面白いものがつまらなくなったりするわけじゃない。そんなことに意味はない。大事なのは感性だ。感性はむしろ理屈っぽくなるとにぶる。というようなことをいいたかったのだろうし、事実そんなことをいった。それに対してのK澤さんの答えは「むしろ、感性を腐らせたくないから考えるんだけどね」というものだった。
 この議論は結局平行線のままものわかれに終ったが、K村君のいいたい事もわかる。オタクとかそういう連中は、やたら理屈ばかりこねて面白いものを素直に面白いといわなかったり、変なものを面白いといったりと変だ。そういう連中は理屈をこねすぎて感性がおかしくなってるんだろう。まあそんな事を考えたのだろう。それは一部あってて一部間違ってる。理屈をこね過ぎ、普通に面白いものを見切ってしまったような錯覚を覚え、普通に面白いものに興味がなくなってしまったり、あるいは興味の焦点が変な方向に行ってしまって妙な面白がり方をするということはある。しかし、同時にとても面白い映画や小説、漫画を見てみるといい。感性だけのものもあるが、そうでないものもある。つまり、何が読者を面白がらせるか考えに考え抜いて作られたものだ。K村君のいう通り、感性というのは大事なものだ。しかし、感性だけにまかせていては、実は大事なものを取りこぼすかもしれない。あるいは、単に刺激に慣れ、更なる刺激を求めるだけの大量消費者になるかもしれない。そうしないために考えるのだ。そうならないために考えるのだ。
 自分もその域になりたいものだ。

いまさらリヴァイアスのここがダメ

 と、いうことを踏まえてリヴァイアスのどこがダメだったかを考えて見よう。リヴァイアスは1999-2000にかけて半年放映されたTVアニメで、基準が厳しいといわれるTV東京のコードチェックに限界まで挑戦したといわれる意欲作だ。挑戦の方向性が間違ってるという気もするが。
 とにかく、高校生達だけが乗り漂流する宇宙船の中で、反乱あり、圧制あり、暴行ありと、だんだんおかしくなってくというストーリーが話題を呼んだ。私は正直そういった描写が安易だと思うが(つまり、背景と伝えたいことが希薄なのだ)、しかしやってはいけないということでもないとは思う。だがラストでこの話は完全に駄作に帰した。とってつけたようなハッピーエンド。無責任な希望の垂れ流し。もし製作者がうわべの綺麗事を徹底的に追求し、それに対する本当の解決策を提示するのならそういう表現も構わない。しかし、最後はうわべの綺麗事で解決させてしまった。
 理想は大事である。しかし理想なんてのはある意味お題目に過ぎず、それはお祈りとなんら変わらない。お祈りだけでは何も起こらない。何かをしたことにもならない。それは目的を達成する為の適切な行動が伴い、なおかつその行動が何らかの形で目的を遂げた時にだけ意味を持つ。特に意図的な終りを持つ、物語の中ではそうだ。現実の場合はどこが結論とするかが難しいので決定的に語るのは難しいのだが。
 もし、不適切な行動、もしくは理想の連呼だけで物事が奇跡のように解決するのなら、それは結論でも奇跡でもない。ご都合主義というのだ。そして、そのご都合主義の軽さは途中のもの全てを無意味にする。だから結局リヴァイアスはだめだったのだ。思い出したら何故あのラストが気に食わなかったかわかったので、思い出したように書いてみた。

忘れてた

 バナーの縮小、構いません。どんどんやっちゃってください。


2001年01月20日() 旧暦 [n年日記]

富士の高嶺に降る雪も…

 雪に代わりはあるじゃなし、解けて流れりゃ皆同じ…
 なんかすごい雪なんですけど。研究室まで歩いて二時間以上かかりました。あちこち車がすべりまくってます。ヒールのあるパンプスはいて滑ると騒いでる阿呆もおりました。 冬の風物詩です。
 名古屋は比較的雪は降らない方なんですけどね。でもまあこういうこともあるでしょう。子供たちはおおはしゃぎです。 雪国の人から見たら雪ではしゃぐなんて、ということもありましょうが、こちらではめずらしいんだから、たまにはしゃぐのは良いかと。

昨日の補足

  昨日の日記 ですが、数箇所から突き上げくらってます。(^^;
 ちょいと言い方悪くって足りない部分もあると思うので、補足を。
 前回はK村君の言い方になぞらえて「理屈」といいましたが、「思索」「考察」でもなんでもいいです。K村君から見て、理屈っぽく見えたという話です。
 もって生まれた感性というのは、裸眼の視力と同じようなものだと思います。良い人もいれば、悪い人もいる。 しかし視力というのは、眼鏡やコンタクトレンズで矯正できます。矯正しても、その人の視力が本当に良くなるわけではありません。 でも、でもそれで今まで見えなかったものに気付くかもしれません。
 無論、度が合ってないようなおかしな眼鏡をかければものは却って見えなくなります。矯正視力にここではなぞらえましたが、実際には度の合った眼鏡を作るよりそれはとてつもなく難しい事でしょう。
 天然で矯正視力なんてものはいらないなんて人は、間違いなく「天才」です。感性というのはセンスです。 センスは理屈でカバーできるものではないし、またできては天性のセンスではないでしょう。 しかし、なら凡才は裸眼のまま、ぼんやりとした視覚の世界であまんじていなさい、ということにはならないと思います。
 まず最初に感性(センス)ありき、それは間違いないと思います。感性の介在しない娯楽が人の心を動かすことは難しい、と私も思います。そして人各々に割り振られたセンスというのはかなりばらつきがある。それをどう補うか、凡才には凡才なりにあがく権利があると思います。
 先日感想を書いた「心では重すぎる」では、主人公佐久間公に依頼をしてきた男、押野は本物の才能に会って自分は所詮まがいもののガラスの才能に過ぎず、本当のダイヤモンドを目の当たりにしてしまったからには砕けるべきだ、と志を諦めます。それに対し、編集者の岡野は「そいつは馬鹿だ。多かれ少なかれ、人の持つ才能なんてのは所詮限りがある。それを一気に使うか、みみっちく使うかはそいつ次第だ」と言い切ります。
 どっちも正しいと思います。しかし敢えて言えば、岡田の台詞に共感します。私が書きたかったのはその「どうつかうか」という部分の話です。無い物を作り出すという話ではないです。

あ、それとウィルス

 ここ半月、ウチに何故かウィルス(ワーム)メールが届いてます。 Hybris と呼ばれるタイプの奴です。webブラウザで閲覧したページに書いてあるメールアドレスに自己複製してメールを送るウィルス。
 別にそんな阿呆なウィルスにこっちもひっかかりはしないけど、送られた添付ファイルを自動実行するような阿呆な設定にしてなおかつウィルスチェッカーも何も入れてないという人は格好の的になりやすいので注意。
 「最近webを閲覧してて、なんか妙に転送とかしたりして重いなぁ」など心当たりがある人は一度チェックしてみてください。


2001年01月21日() 旧暦 [n年日記]

雪中行軍、市の彷徨

 うう、雪の中自転車引きずって10kmばかり歩いたら足がいたくなった……
 買い置きの酒がなくなったので途中でディスカウントの「三祐」に酔って物色。ここ、結構品揃えも値段も良いのだけど、アイリッシュがまるっきりないのが弱点。安売りで、「GRAND ARMOR」というお酒が出てたので試しに買ってみる。はずれ。う〜ん、やっぱお値段分の味でした。400円上乗せすればまともなジェムソンが買えるのに…
 それとここ、サントリーの販売でないジャックダニエルが売ってたので、次の時には買ってみよう。こないだ深+に行った時平行輸入品のジャックダニエルを舐めさせてもらったのだが、サントリーの品とは格段に違う。サントリーのは口に入れた時の刺激が強いだけだが、平行輸入品は最初の刺激はそんなに強くなく、香りがちゃんと口の中に残る。一体サントリーは何やってるんだ、この酒に???
 それと友人からいろいろと前評判を(良い意味でなく)聞いていた AVALON を見てくる。なんだ。それなりに面白いじゃん。押井守ファンがいかにもな押井作品を期待すると期待外れなのかもしれないけど。まあ犬の話じゃないって事もあるし。
 感想は後日にでも。


2001年01月22日(月) 旧暦 [n年日記]

ドンピシャ

 今日もバイト。正直話しベタの私にとっては大変なバイトではあるけど、ある意味ネタの宝庫で楽しくもありますな。
 まあ、あまり教師らしくない姿格好なので、生徒も多少珍しいらしく、授業中「どこの高校の出身?」とかまあ少しは聞かれるわけなのですよ。諸々の理由で基本的に自分の細かい事は話したくはないので、適当に嘘にならない程度に流すわけです。でもまあ出身地くらいはいいか、と思い、今回も「静岡の西の方。君らは多分知らない高校だよ」と、軽い気持ちで答えました。そしたら「××市?」と生徒の一人がドンピシャの答え。なんで三重の生徒が一流高でもない地方の一進学校を知ってるの? とか思ったのですが、答えは蓋を開けると簡単なことで、私の出身の高校は某マンガの舞台のモデルにされてて、校名もほぼそのままで出てるわけです。で、その子の知ってる静岡の高校の名前ってのがそれくらいだったというワケ。無論そのマンガの事は知ってはいたのですが、あまり日頃深く考えずにいるんですっかり忘れていました。
 でもその後、「××部強いんでしょ?」とか、マンガが実際と勘違いした答えに苦笑。「本当は弱いよ」と実際の所を教えておきました。なんてことはないのですが、へんなところでマスメディアの影響の大きさを実感。


2001年01月23日(火) 旧暦 [n年日記]

ボレボレ

 ちととある事情でショック。といっても原因は対人的精神的なことでなく極めて実利的かつ即物的なことなので誤解なきよう。まあこれはこれでおもしろいか、と思ってる自分もいたり。
 なんかいろいろ変なニュースがあったりして、 オープンソースまつり とか PS2のゲームをベーシックで組める とか、 セガがついにPS2にゲームを提供するのか? とか……やくたいもないニュースばっかだな。
 時事ネタというとKSD汚職の話だけど、あまり細かい事実関係がわかってなかったり。だからネタにできないっす。
 他には いがらしみきおがマンガをネットで無料配信  とか。良く考えるとこれは何も初めてな試みではなく、以前にネットで連載、単行本刊行というパターンは井上三太の「隣人13号」とか、井上雄彦の「BUZZER BEATER」とか、前例がある。前者はカルト的な知名度はあったものの、一般受けするとはいいがたい作者が諸々の事情で中断してた連載を、後者はメディアミックスな展開もあり爆発的な人気が出た「SLAM DUNK」の連載終了後、作者がリハビリ的に行ったネット連載である。
 つまり、あまり発行部数的に大きく捌けないと思えるが、根強い支持はあるもの、あるいは作者が意図的に大メディアを避けて行ったものである。ちなみにどちらも印刷媒体で単行本はちゃんと出ている。
 と、なると今回のは、テストケース的な試みというよりはむしろ「ネットで無料連載→単行本販売」というこの形態が一つのコミック販売形態として成立するか、その途上のステップ的な意味を持つのだろう。
 マニア向けコミック誌の市場が既に飽和している感のある昨今、マイナーコミック好きとしては、定着してくれるとうれしくはある。しかし上記の作品は「BUZZER BEATER」を除いてサイコサスペンス的な色が強く、もしこの形態が定着したとしてもコミックのジャンル全般に広がるかが結構心配ではある。

アクセスログ解析

 それと(ちと居住まいを正して) ガンパレ投票企画 ですが、アクセスログをみてみると一部予想通りなものの、中々興味深い結果が出ています。今回の企画はひと月未満という時間制限があるうえ、突発的だったため十分な準備期間がとれず、有志の行為にひたすら期待するという作戦しかとれませんでした。
 が、何事につけノウハウの蓄積が大事であり、もし似たようなことを次にやる時などの為にもログをちまちまと眺めて解析するのも意味があるかと思われます。
 一月末までの企画なのでまだ猶予はありますが、折り返しの中間発表という事でログから読み取れる事実を挙げると、
  1. アクセス数はリンク元の通行量に(ほぼ)比例する
  2. 掲示板からのリンクの継続力はやはり日を追うに従い低下する
  3. リンクは知人・友人からのものが多い
  4. web日記の伝播の影響が案外とある
 1は当然予想できることです。2も予想はしてましたが、但し1週間もすれば殆どおとずれなくなる、ということもなく、減衰は思ったよりはゆるやかでした。これはリンク元の掲示板の性質(企画への興味、ログの流れる早さ、過去ログはどのくらいまで残るか)が影響してると思われます。3は、当然だろうと思われるかもしれませんが、逆にいうと全くこちらに対して知名がない方々からのリンクが思いのほか少ない、ということです。反対にこちらを知ってる方からは、思ってもいなかった方にリンクを貼っていただいたりということが結構ありました。つまり、いきなりポンとページが現れても、そのページを企画している人間がどういう人間かわからないと不信感が強く出てしまう、ということだと思います。こちらを知っている人間だと「この人だから意図はだいたいこんなものだろう」ということで同調しやすい、あるいは安心する、という一面があるのだと思います。
 確かに最初まずGPM関連のサイトをやっている方とまずコネクションを作ってから、ということは考えましたが、今回はちと時間の制約上できず、結果としてその考えは正しかったということが証明されたわけです。
 4も意外だったことの一つで、日記もログが流れてしまうものなのですが、「1)日記は更新が頻繁な為、閲覧者が案外といる」「2)日記同志の横の繋がりによる伝播(ある人の日記で話題にされていたことを、別の人が日記に話題に出す、ということ)」ということがあり、長期的にはリピーターが多いため延びは期待できないのですが、情報の伝播と言う側面においては結構面白い意味を持つということがわかりました。
 つまり継続的な伝播力を維持するには2,4の強化、話題性とその持続というのが有効で、スタートダッシュ的な伝播は1,3、つまり交通量の多い場所へのリンクのお願い、それと関連サイトの運営者となんらかの対人関係を築いておく、ということになります。
 あくまで途中経過的な話しであり、これから残り一週間の結果で新しいことがわかるかもしれません。
 こういう興味本位的な書き方はしていますが、善意で、あるいはこのゲームが好きだからリンクしてくださった方々への感謝は当然言葉に尽くせぬ物があります。ありがとうございます。あと1週間宜しくお願いします。


2001年01月24日(水) 旧暦 [n年日記]

セガも大変なようで…

 昨日、セガが他社プラットフォームにゲームを供給というニュースがあったら、今日、早速 ハードウェア生産からの完全撤退宣言の報道 が。と、思ったら 「んなこと『まだ』いっとらんわい」との公式コメント が。先走りなのか、それとも勘違いか。まあ先走りというのがありそうだけど、昨年秋から何度か発言が揺れてる所を見ると、セガ自身もまだ迷ってるところなんだろうなぁ。難儀なこっちゃ。
 更にアレなのが、PS2プラットフォームにゲーム供給というニュースと今回のハードウェア部門撤退のニュースでセガ株が高騰した事。なんつーか、あからさまな反応だのう…
 まあ機密経費で五億も着服した外交官というのもかなり問題なニュースだと思うが。(っつーかそっちの方が問題だな、普通は)
 あ、それと明智抄のウェブコミックの話は、知らなかったので触れようが無かっただけです。げしょげしょ。


2001年01月25日(木) 旧暦 [n年日記]

銃と少年

  警官が発砲、少年が重体 だそうで。しかしこの見出しをみるとさも性格異常者の警官が何もしてない少年を撃ったように読めるが、撃たれた少年は職務質問した当の警官に二人で暴行を加え、警官の方もあばらが折れるなどの大怪我を負っているのである。「自業自得」というと銃に撃たれて死んでも構わないというふうに受け取られないか心配だが、だがてっぽに撃たれて重体になるのが正当かどうかはさておいて、抵抗を受けても仕方ないことは少なくともやってるのである。
 日本はアレルギーが多い。黒船、原爆、銃器……それがいかんというわけではない。しかし、記事の内容だけでは警官は本当に撃たなければならないような状況だったかどうか、というのは判断し難い。だが見出しを見る限り、「警官が悪い」と暗に言っているともとれる。反権力を気取る朝日の記事だから、ってのもあるかもしれないけど。
 銃は恐い。子供の力だって簡単に大の大人を殺せるかもしれないものだ。場合によってはその気が無くてもそういうことが起こる。だからこの警官が本当に銃を使わなければならない状況だったか、というのは吟味されるべきである。しかしそれは我々がやることではない。記事によると襲った少年(撃たれた少年と一方的な被害者っぽくは心情的に書きたくない)は銃弾を三発受けたとある。日本の警官の標準的な拳銃はニューナンブ。マニアからは悪評紛々だが、実際自分が使うわけでも使ったわけでもないのでよくはわかならい。ともかくこのニューナンブは装弾数は五発、そのうち最初の一発は決まりで空砲である。だから少なくとも四発は撃った事になる。(間違い訂正。以前は凶悪犯罪の少ない地域で初弾を抜いて携行する警官もいたが、最近では全弾装填することを指示する署もあるそうである。ただし、一発目は上に向けて威嚇射撃をせねばならない(1/26)) そこまで危険を感じてたのか、それとも襲われて錯乱したのか、そこまではわからない。だから厳密な審査は必要だ。
 銃は怖い物だから、安易に使ったのだったら当然責められるべきである。しかし、使うな、というのもおかしい。道具であり、飾りで無い以上、何らかの用途は意図されている。重要なのは適切な規則の下、適切な判断で適切な使い方をすること。銃を使うという事は悲劇的な状況だが、使う事でさらに悲劇的な状況を避けうるかもしれない。
 銃が正義とは思わないが、感情的に糾弾もしたくはない。


2001年01月26日(金) 旧暦 [n年日記]

ふにゃららほにゃほにゃ

 王立国教騎士団に法王庁13課…いやいいんですけど。
 なんか映画専門誌HI−HOによるとガイ・リッチーの新作「スナッチ」は前作「ロック、ストック・アンド・トゥー・スモーキング・バレルズ」ほとんどそのままだそうで。 「惚けて前作のこと忘れたか?」とかひどい書かれようしてたけど。HI−HOは斜に構えた映画誌なので、面白いかどうかこういう場合判断しにくいのだよなぁ。 そいでもってブラッド・ピットが懸けボクサーで「ふにゃららほにゃほにゃ」とか奇声をあげるのだそうな。さっぱりわけわからん。
 続編で(って「スナッチ」は「ロック、ストック」の続編というわけではないけど)賭けボクシングというと「スティング2」がどうしても脳裏をよぎるのだよなぁ。 「箸にも棒にもひっかからん」というほどでもないが、箸くらいにはひっかかるかもしれんが棒にはひっかからない映画だったな。 前作の「スティング」が名作だっただけに余計に比較してしまうのだが。
 え〜っと、困った。この日記落ちないぞ。(オチつけてどうする)


2001年01月28日() 旧暦 [n年日記]

骨折り損

 なんか半日かけてPCの修理。とてもむなしい。原因はある程度の推測はついたけど、本当にそれが原因かは不明。経験則的にHDDではないし、メモリーもチェック。あとは限られてるのだよなァ…きゅう。
 え〜っと、そういえばAVALONの感想書いてなかった。でも今日は眠いのでまた後日。


2001年01月29日(月) 旧暦 [n年日記]

“アヴァロン”の新しいトコ、新しくないトコ

 え〜、一週間以上振りに公言通り アヴァロン の感想を書きます。感想は「面白かった。映像的には非常に興奮する。ただし物語的に特に新しい所はない」です。
 「アヴァロン」の主人公アッシュは非合法の仮装現実ゲームフィールド“アヴァロン”の中でソロで名を馳せる戦士。ゲームと自宅を往復する毎日。そんな彼女の前に彼女に挑戦するかのように一人の“祭司”が現れる。それと時を同じくして、かつてのチームメイトのマーフィーが仮想現実世界から精神が戻って来れなくなる症状“ロスト”に陥り廃人になっていることを知る。話によるとプレイヤーたちの間で囁かれているレベルSA(スペシャルエー)のフィールドに挑んだためだという。しかしフィールドはレベルAまでしかないはず。SAは存在するのか? 調べるアッシュの前に現れるキーワード「九姉妹」そして例の祭司……マーフィーたちとのチームを解散する原因になった過去をひきずりつつ、SAの鍵である少女の幽霊に挑むアッシュ。はたしてアヴァロンの謎とは? SAとは?
 以下ネタバレ。この映画は多重構造型である。現実と仮装現実ゲーム世界、と見せかけ、さらにその奥にあるもう一つの仮装現実空間、そして現実がはたして現実であるのか。ただ、これ自身にはさして新味が無い。私は多重構造的な映画世界と言うのは、キアロスタミの「クローズ・アップ」からジグザグ道三部作を至って「桜桃の味」で完全にとどめを刺されたと思っている。キアロスタミは嘘の世界としての映画の物語と、実際の現実であるこっちがわ、という究極の対比を行ってしまっている。言い方を変えれば「身も蓋もない」というやつだが、こういう対比が行われてしまっている以上、映画の中で仮装現実、現実、メタ現実、メタメタ現実…というような玉葱状の構造を無限に作り出したところでその意味は増加することはない。
 しかしこの映画で特筆する部分は、映像表現である。すなわち、映像によって多重構造世界の構築を行っている。新しい表現、古い表現、アニメ的表現技法…アヴァロンに意味があるとすればむしろこちらの方であると思う。この意味で非常にエキサイティングな映画でした。


2001年01月30日(火) 旧暦 [n年日記]

きつねうどん

 きつねうどんは“Fried TOFU Noodle”だそうです。あつあげとあぶらあげはどうやって区別するんだ?
 ってなワケで昨日は帰りに「DEAD OR ALIVE2 逃亡者」を見てくる。「DEAD OR ALIVE」ったってテクモのあざとい3D格ゲーではない。三池崇史監督のトンデモ映画第二弾。前回はロケットランチャーと元気玉でサードインパクトおこして地球を破滅させたところで終ってしまったけど、今回は「この物語はその5年前…」ではなく、まったく関係ない話。
 離島の孤児院出身の殺し屋ミズキ(哀川翔)は、ヤクザの組長を狙撃しようとした瞬間、スコープごしに組の幹部が組長と他の幹部を射殺し逃亡するのを目撃する。しかしミズキにはその幹部に見覚えがあった。情報屋からその幹部の名前がミズキということを聞き、確信を深める。そして生まれ故郷の孤児院のある離島へ。そこでみつけた組長殺しの幹部は、ミズキの幼馴染で孤児院出身のシュー(竹内力)だった。再会を懐かしむと共に、お互いの数奇な境遇を語り合う二人。二人は同じ孤児院出身の昔馴染みを訪れたりし、童心に返ったように帰郷を楽しむ。しかしそれも長くは続かなかった。所詮は世の中のはみ出し者、ここに長くいるべきではないと知っている二人は来た時と同じようにふらりと島を立ち去る。見送る彼らの仲間たちは、シューの組長殺しを知っていたが何も言わなかった。ミズキの「ロクデナシを一人殺して300万。それで10万人のワクチンが買える」という言葉に乗って、シューは彼と組んで大阪で仕事を再開する。しかし、それは自らの余命が少ないことを知っていたシューがミズキの友情に報いる為の行為だった。
 相変わらず諦観と悪趣味なギャグと悲哀とそれ以外の何かが詰まった作風。前作の無茶苦茶で無理矢理で一部の人間のみ盛り上がったラストから一転、今回は余韻を残すラスト。相変わらず無茶苦茶なんだけど。自己欺瞞のように、稼いだ金を全て寄付に注込むミズキが裏者の哀しさを感じさせる。ただ、この監督の癖なんだけど、ちと冗長なところがないでもなし。もっとテンポ良くなったら最強だと思うのだけど。1.5点。


2001年01月31日(水) 旧暦 [n年日記]

どうも気にくいませんなぁ

 え〜、ここ最近ごく一部で こういうサイト が話題になっております。
 これは何かっていうと、いわゆるデスクトップマスコットの一部ですな。
 で、それがちょいとしたごたごたで、公開停止に追い込まれています。(一時的か恒久的かは不明)
 そもそもこのソフトウェアは ペルソナウェア とそのデフォルトのキャラクター「春菜」をもじったソフトとして公開されていたわけっす。元の名前が「偽ペルソナウェア」だったり「偽春菜」だったりとそれはかなりあからさまだったりするわけです。が、似てるのはデスクトップマスコットということと、キャラクターを借用したようなところであって、その本質は大分違います。本家が配信したスクリプトの再生専用であるのに対し、偽は一応人工知能、会話生成ルーチンを備えてます。つまり、同じマスコットというコンセプトに対し別のアプローチで作成されたもの、といえます。
 で、そこに対して「本家」が「商標法、不当競争防止法、著作権法違反」ということで公開停止を要求しました。先方が主張する権利侵害は「ペルソナウェア」「春菜」という名称の不正使用、著作物の二次利用の違反、それによる「本家」との混同およびイメージダウンということになります。確かに「偽」として公開を開始したものですのでこれらは実際当たってる部分もあります。しかし、既に「偽」の方は(ほとんど警告以前に)「ペルソナウェア」及び「春菜」の名称を変更しており、登録商標および名称の問題は無く、キャラクターの二次利用に関してのみ、それが成り立つか否かは議論が残ります。が、「本家」の要求は完全な「公開停止」であり、このことに違和感を覚えざるをえません。
 そもそも内容証明郵便でなく、メールで正式文章のように書いて送りつけるという行為自体が脅迫めいていると思うのですが…
 「本家」の主張する権利侵害の背景となる条項は著作権法第23条2項、第28条、不正競争防止法第二条1項、商標法13条ですが、もはや本家の商標出願中である「ペルソナウェア」という名称を用いておらず、また春菜という名前も用いてない以上、「名称」に関しては既に問題はクリアしています。(少なくとも既に商標権侵害はない) 著作権法23条2項は著作物の配信の権利に関する項目であり、28条の二次的著作物利用に関する規定が成立するかによります。不正競走防止法はつまり、バチモノ・偽者商品はダメ、という話になりますが、これに関しても成立するかは微妙だと思います。(外見的類似はツインテールの女の子の絵というくらい) それでも「疑わしい部分」はありますが、要はキャラクターの二次利用に関しての問題であり、問題にするのであればその部分ですが、本家は「キャラクターの配信停止」ではなく、プログラム全体の配信停止を求めています。(キャラクターの変更がない場合、それを含むプログラムも配信停止する、という流れならわかりますが)
 なんかこれってやり方が気に食わないなぁ。状況によっては逆に恐喝・脅迫が成立しかねないと思うけど。なんか「本家」ボイコットが起こるかも。
追加:どうも本家側の態度は 軟化 している模様。でもやっぱすっきりしないなぁ。

セガの落日

 セガってえと家庭用コンピューターゲーム機黎明の時代から頑張ってきたメーカーなわけっすよ。そこがついに最後のハードウェア ドリームキャスとの生産停止を決定 したようです。噂は前々から流れて他の抱けど、はっきりと発表されたのははじめて。そいで ゲームボーイアドバンスドとPS2でゲームを発表らしいです。 そいでソニーとネットゲームで組むという噂も流れてます。ゲームであっても世の中どんどん変わってくなぁ。