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2012年01月19日(木) 旧暦 [n年日記]

[映画] ロボジー

 社長の鶴の一声でいきなり三ヶ月でロボットを作るはめになった木村電器の落ちこぼれ社員三人組。なんとか数歩歩く程度のロボットは造り上げたものの、そのロボット「ニュー潮風」は作業中の事故で大破。社長命令で出展するロボット博はあと一週間。このままではクビ確定! と追いつめられた三人はでっち上げのオーディションを開催、着ぐるみショーのアルバイトと偽って中身のない「ニュー潮風」の中に入る人間を探そうとする。
 そんな馬鹿げたオーディションとは知らず応募した中に、定年退職して久しく妻とも死に別れ老後を持て余す独居老人、鈴木重光がいた。離れて暮らす孫たちからも相手にされず、親しい老人友だちもいない重光は本当に着ぐるみショーのつもりで「ニュー潮風」になるが、たった数歩歩いて挨拶するだけのはずが、ひねくれ者の性分で過剰なパフォーマンスをした上、会場で起きた事故から女子大生を救いだしてしまう。
 「人助けをしたロボット」ということでニュー潮風は一気に脚光を浴び、その愛嬌のある動きからもあっと言う間に人気者になってしまう。しかし慌てたのは木村電器の三人組。たった一度の嘘で済むはずが嘘をつき続けなければいかなくなり、重光に真実を打ち明けニュー潮風を演じ続けるようたのみこむ。
 重光は騙されて詐欺の片棒を担がされたことに怒り、事実を暴露すると息巻くが、誰にも信用されないどころかボケが始まったと疑われ相手にもされない。普段からひねくれたことばかりを言っていたばかりに近くに親しい人間もいない事実をかみしめていたところで、ニュー潮風の話題で盛り上がる子供たちの姿が……その姿が孫たちと重なった重光は、つい再びニュー潮風を演じることを引き受けてしまう。
 三人組は一時は喜んだものの弱みにつけ込んだ重光の要求に振り回されることに。そんなこととも知らない世間はこれまでにないロボット・ニュー潮風に熱狂するが、その中にロボット博の時に重光が助けたロボットオタクの女子大生、佐々木葉子もいた……
 ASIMOが発表された時には冗談で「あれ、絶対中に人が入ってるwww」などとよく言っていたけども、矢口監督の新作はその「ロボットの中の人」ネタ。しかも中身は老人でわがままなクソジジイ! 確かに重心を崩さないためにすり足で動くロボットが多かったので、その歩き方が老人っぽくあるといえばそうなんだけど……まさかそんな馬鹿な、のネタをホントに映画にしてしまったのが今作。
 別にロボット開発を馬鹿にしてるのではなく、そんなふざけたような偽ロボット・ニュー潮風=鈴木重光を中心としながらも、今真面目に行われているロボット開発とその界隈の熱を描いている。
 騒ぎの中心となりながらも一人そんなものとは無縁の重光はわがままなクソジジイぶりを発揮するのだけど、それは誰にも相手にされず、人との繋がりから孤立していた事の裏返し。三人組は振り回されるのだけど、重光はわがままをぶつけられる相手を見つけて過剰にはしゃいでいただけで、実際は彼らに親しみと仲間意識を持っていたことが最後にわかる。
 三人組も社長命令でロボット開発を命じられたもののそれが思ってもみない偽ロボット事件になってしまい、胃が痛い思いをするばかりか、しかも頼みの綱の重光のクソジジイぶりに振り回されてボロボロ。早く本当のロボットを作ってなんとかしないと、と、いうところから学生相手の講演で逆に学生たちから知識を吸収していくのだけど、段々本気でロボット作りにのめり込んでいく。
 でもそんな茶番劇がいつまでも続けられるわけがなく、段々ほころびを見せ始めるのだけど、そこに大きく関わるのが重光がニュー潮風として助けた女子大生、葉子。元々極度のロボットオタクだったのに助けられたことでさらにニュー潮風にぞっこん。しかしニュー潮風に過度に近づきすぎることを危険視した三人組が必死なあまり彼女に心ない言葉を投げつけ、そのことで逆にニュー潮風憎しの般若になってしまうという……恋情が裏返った女の恨みは恐ろしい。
 それがどんな結末を迎えるかは実際に見てもらうとして、嘘から始まった物語だけども最後は後味良いハッピーエンド。世間を騙してそれでいいのかとちょっとは思わなくはないけど、現実の二足歩行ロボット自体がアトムや鉄人28号やガンダムに憧れた開発者が創りだした「嘘から出た真」。嘘から始まっても花を咲かせればいいじゃない、ということに思えなくもなかったりなんだり。
 だからこそ各社自社のロボットを使って撮影協力したんだろうし。
 キーパーソンとなる鈴木重光を演じるのは五十嵐信次郎、と言った所でわからないだろうけど、これが実はロカビリー御三家の一人、ミッキー・カーチス。ハーフ顔の現役ミュージシャンのハズなんだけど、髭を剃り髪も刈り込み、どっからどう見ても日本伝統の愛すべきクソジジイを演じてる。
 テーマ曲も「五十嵐信次郎とシルバー人材センター」として Styxの「Mr.ROBOTO」をカバー している。この「Mr.ROBOTO」、元々物語仕立てのアルバムの中の曲だったらしく、独裁体制を敷いた政府に投獄された主人公が、刑務所内で働く日本製作業ロボットの外装を付けてロボットのふりをして逃げ出す、というものらしい。「Domo ari gato, Mr.ROBOTO, Mata au hima de」と日本語で始まる歌詞の内容は、しつらえたようにこの映画の設定にマッチしてる。
 あと、劇中で重光がニュー潮風の格好のままコスプレイベントに迷い込んでしまうというシーンがあるのだけど、そこで初音ミクを始めとするボーカロイドコスプレや「うみねこ」のベアトリーチェ、ハガレンなど、ちゃんと本物のコスプレ(ってのも変な表現か)なのも、矢口監督ならではのこだわり。これらの出典元は全部エンディングテロップでも示されています。


2011年01月19日(水) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 兄好#2

  お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!! #2「ツインテール、兄妹を襲撃」。修輔と血のつながった兄妹でないことを知った奈緒は心機一転、これまで通り兄の誘惑に精を出す。が、対称的に奈緒が自分と血のつながらないことを知ったと知らない修輔は、エロ本が見つかって没収されたことに意気消沈。学校のエロ仲間にエロ本を恵んでもらうことに……
 そんな中、奈緒のクラスに転校生がやってくる。その転校生は可愛い上にうっかりの多い奈緒にもやさしく、早速打ち解け仲良くなるが、忘れ物を届けに教室にやって来た修輔を見て、初対面のはずなのに意味ありげな表情を見せる。

 結局、「兄好」にするしかないのか、略称。まさか2ch風に「おち○こ」てわけにはいかないものなぁ。
 で、兄妹を引っかき回す修輔の「昔の女(?)」、土浦彩葉(いろは)登場。奈緒が見つけた修輔のアルバムに写っていた、ツインテールの少女がそれ。奈緒が引き取られる前に引っ越してしまったのだが、また両親の仕事の関係で戻って来た。当人はそのことを最初は秘密にし、修輔も気付かなかったのだけど、髪をツインテールにしたのを見て思い出す。のみならず、いきなりキスまで奪われてしまう。
 彩葉は小さい頃から修輔のことが好きで、お医者さんごっこをしようと言う彼に「恋人にしてくれたらいいよ」と約束をし、それを真に受けて再び修輔の前に現れたのだった。物好きだなぁ。
 修輔にとっては単に目先の色欲に釣られて深く考えずにしてしまった約束だが、奈緒につい向けてしまってるヨコシマなアレコレを指摘され、終始押されっぱなし。もちろん彩葉は奈緒が本当の妹でないことも知ってるし、それどころか、修輔のハッスルしてる夜の一人遊びのことまで……うわ、完全ストーカーやw
 けど、奈緒は修輔と彩葉の間が何かおかしいと感づきつつも、修輔の中学校時代のアルトリコーダーを見つけてホンホン。いや、「それじゃ変態だよう」以前に、もう既に完全に変態ですから。
 こんな可愛い子ならむしろご褒美ではと思えるのだけど、エロエロのくせに奈緒に対しては妙に純情な修輔は、意に染まぬファーストキスをしてしまったことにショックを受け、自分のエロさがこんな事態を招いてしまったと、エロ断ちを決意。仲間たちからもらったエロ本も捨てた上に、奈緒の挑発もこれまでと違いまったく無視。学校のエロ仲間からも抜けてしまう。
 今回は奈緒にエロ本の趣味を暴露されたり、彩葉に夜の一人遊びを詳細にレポートされたり、修輔、公開処刑状態ですな。これは死にたくなるわw
 そして来週は修輔が彩葉に脅されデートで、奈緒がそれを ストーキング 尾行するっぽい。
 あと、OPとEDに出てくる委員長がちょっとだけ顔見せ。エロ本を学校内でやりとりする修輔たちにあからさまに軽蔑の表情を見せるのだけど、OP見るとこの人もまともな人じゃなさそうだよなぁ。


2010年01月19日(火) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] キルミン#15

  キルミンずぅ #15「消えたグレースを探しだせ!?」。ママの許可も得て「神浜動物探偵団キルミンズ」を結成したリコたち。しかし当然依頼はまったくない。そんなとき、迷い猫の情報を求める張り紙を見つけ、この猫を探すことにする。ところが、張り紙の似顔絵の下手さから子供と思った依頼人は一人暮らしのおばあさん。気むずかしの彼女の機嫌を損ね、家を追い出されてしまうリコたちだがやる気は満々。家の周辺に残った匂いからナギサが犬に変身して後を追うのだが、何故か街中を一巡りしておばあさんの家に戻ってきてしまう。

 今期気付けば悠木碧の名前ばかり見るなぁ、と思い、誰だっけ? と検索したら、「紅」で紫の役やった子だったんですな。のみならず、「555」の子供時代の園田真理の役も……うわ、気付かんかった。(そりゃそーだろう)
 キルミンズ結成後初めての依頼は猫探し。でも行方不明の猫グレースの匂いを追っても家に戻ってきてしまう。サユリおばあちゃんの飼ってるもう一匹の子猫、ジミーは何か知ってるらしいのだけど、猫になっても言葉が通じるわけでなく、捜査は行き詰まってしまう。
 先週のお爺ちゃんの家がなくなって元気がなくなった老犬の話もそうだけど、安易に人間目線(精神的に克服する)ではなく、動物の目線で動物がどう思ってるか、どう感じてるか、という話であくまで進めるのは良い感じです。
 しかしケン、脱線しまくり……
 次回は一向にキルミンできないタマオが、ついにOPのあの姿になるみたいだけど……キルミンできてるわけではなさそう。

[その他] ミッキー安川、郷里大輔、柴野拓美……

 なんなんだろう、この数日の訃報の多さは。郷里大輔氏は自殺の疑いが濃厚ということでさらにショック。どのような悩みを抱えていたのか、もちろん赤の他人にはうかがい知ることなど出来ないのだけど……
 柴野さんは、ショックだけども、悲願であった日本でのワールドコンベンション開催はご存命の内に実現し、それはせめてもの手向けであったと思う。


2009年01月19日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] 前から疑問なんだけど

  今年の鳥人間コンテストがテレビ局の収益悪化を受けて中止(2010年は行われる予定) というニュースを見て改めて思ったのだけど、実際の収益ってどんな推移なの? と。
 いや、だって確かに人件費その他が上昇してるとかあっても、昔より相対的な収益が減少してるってあるのかなぁ、とか、まあ、デジタル化による設備負担とかもあるとは思うけども、それでも釈然としない。可能性としては
 1)本当にテレビ局の収益は過去より悪化傾向にあった。
 これは広告代理店最大手である 電通の過去十年の株式変動 を見ていると、2006年をピークに(2003年の落ち込みがあるが)停滞、そして下落傾向を見せている。なので、ここ二年くらいのレベルでは収益悪化というのはそうなのだろう。でも、二十年、三十年レベルではどうなの? というのはすぐにデータが出てこないのでわからない。
 2)収益構造の変化。
 これはありそう。収益安定のため経営の多角化は昔から行われている(××(テレビ局名)ハウジング、ってのは昔からあった)し、ここ十年くらいの傾向では特にそうだろうなぁ。キャラクターグッズ、映画業界など。これはテレビ局だけに限らずいろんなところがそうだろうし。本来リスク分散のはずのそれらが、世間の景気が一気に地盤沈下したことにより逆に本業であるテレビ番組製作まで圧迫してるという可能性はある。
 3)制作構造の変化。
 言うまでもなく番組製作のアウトソーシング化。アウトソーシングってのは概ね必要なときは調達し、必要のないときは簡単に切れる、という、収益のお手軽上昇には便利なシロモノ。それを全否定はしないけど、下請けだけじゃなく孫請けとかなると、中抜きの度合いが大きくなる。それに普通に考えて収益悪化で真っ先に下請けイジメがはじまるだろうし。つまり、最も重要なはずの「番組製作」が不況の煽りを真っ先に受けるという構造を促進させるのは想像に難くない。また、テレビ局自身の番組制作力が減退していくことにもなるから、外注を打ち切り中抜き分予算を浮かそうとしても、そう簡単には行かない。
 これらはほとんどデータを参照してない想像だけど、単なる「不況」とか、「テレビ離れによる収益悪化」とかじゃなく、テレビ局自体のいろんな構造的な問題だと思うのだけどなぁ。


2006年01月19日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他][マンガ] まーいまさら言うてもしゃーないですが

  NET EYE プロの視点:日本外交の失われた10年日経 )。のっけの見出しが「中国の台頭を無視し続けたチャイナスクール」と、産経と見まがいそうなコラムですが、日経です。っつーか、いまさらそんなこと言ってもな風味もありますが、言ってることは概ね正しいのかと。中国と外務省を絡めて仕事をした人が「どこの国の外務省だ!」と怒ったという話も聞きますしね……中国を敵対視するのではなくむやみな友好を口にするのでもなく「正しく評価する」ってのが必要。コラムの分析にもあるよう、今日対中強硬路線を打ち出さなければならないのも、この過去の過剰に中国に甘い路線が原因の一つでしょうね。まったく本末転倒ですが。

  「チワワCM中止を」=広告審査機構に申し立て−アイフル被害対策全国会議Y!hl )。これは、テレビ局に品位のかけらでもあるならそうすべきでしょうね。つまり、現状を見るにテレビ局の品位というのは、そういうことだということです。それに乗る方も悪い、というのは一見正論だが、人間はそもそもそんな頭のいい生き物じゃなくって統計学的振る舞いに従う程度単純な生き物だって事。性質の悪いのは、自分もそんな人間の一人だということを往々にして忘れがち。そしていいように食い物にされる。

  公明党の神崎武法代表は格差拡大を明確に指摘共同 )。え〜、 経済格差「確認できない」 内閣府、関係閣僚会議で共同 )ってニュースもあるんですが、内閣の示したデータに別のデータできちんと反論したのでしょうか? 単純に格差問題を選挙で展開したい公明党と、そうでない自民との意見の相違にすぎないように見えるんですが。まあ、具体的な論の展開がわからないと断定は出来ませんけどね。

 人に薦められてから購入まで半年ばかり、読み始めるまでこれまた半年ばかりと言う積読ぶりの 福野礼一郎の宇宙 甲 を読んでるのだけど、タバコの話が出てきてて、一度禁煙したときはタバコの臭いがきらいになったりして、常にイライラしていた、ってな感じのことが書かれてた。自分はタバコは吸わないけど、基本的に煙がもろにかからなければ気にしない。だが、元喫煙者とかの反応とか見てると、確かにそういうのはありそうだ。嫌なら嫌で「やめてくれ」ってのは至極まっとうなんだけど、禁煙禁煙言い出す前は、こんなにピリピリした世の中じゃなかったんじゃない? というのが個人的にはイヤってのはなくはない。第一、そんな副流煙を気にするまで長生きしたいか、とも個人的には思ってるし。

 「最強伝説黒沢」で、チーマーに狙われたホームレスに決起を促す黒沢が、戦争ものとか読んでるとすげえぞ、命がかかってるのにうかつなんだ、と力説してたが、確かに、とうなずいてしまった。確かにそんなものなんだよなぁ。相変わらずまったく無意味に才能を開花させてる主人公だ。ホームレスたちの打てど響かず笛吹けど踊らずぶりも相変わらず。(笑)

 「サイカチ」は、老け顔のチーマー虫使いタカアキがいかにカブトムシ使いとして更正したか、という前半と、ヘラクルスとコーカサスのバトルの後半。コーカサスって、あんな行動取るのか(ガトリングパンチはやりすぎにしても)。変にゲーム向けの必殺技作らなくても、十分虫の生態、面白いじゃん。


2005年01月19日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] 本気だ、本気だとは思っていたけど

 しばらく匿名のNHK幹部ごしに言った、言わないのやりとりがあるかと思っていたら、その「匿名幹部」が 実名を現してNHK側のコメントを肯定、朝日記事を否定しました産経 )。展開早っ! NHKの内紛からNHKと朝日の全面抗争になってきたぞ、わくわく。検索をかけてみると 現在NHK出版代表取締り役のようで 。よく考えたら複数の議員に予算説明のために会ってるんだから、「誰が会った幹部なのか」ってのは、実は匿名にしなきゃいけないほど秘匿性の高いことじゃないんだよな。この場合朝日新聞側が反論する方法はさして多くなく、一番効果的なのが取材時の録音などの確かな物証(存在するなら)を公開することですが(他には朝日が取材したのは別の幹部だとか、安倍氏と会ったのは松尾氏じゃないとか……)、どうなることやら。
 ところで「匿名幹部」って、「仮面校長」みたいでちょっとかっこいいかも。(んなこたぁない)

[その他][アニメ] 流石に↑だけってのはいい加減食傷してきた

 一応、 朝日のNHK会見への反論記事 を公平の為に、申し訳程度にのっけといて。(この反論では、朝日の圧倒的不利は変わらないんですが……)
  H2Aロケット、2月24日に打ち上げ再開決定朝日 )。うむ、長かった。打ち上げるのは運輸多目的衛星。私がなにができるってわけじゃないけど、せめて応援させていただく。
  頭に釘刺さるも気付かずTBS )。え〜っと、自動クギ打ち機って洋画なんかでたまに凶器に使われたりする アレ だよなぁ……ごっつ凶悪なんですけど。記事でも刺さった瞬間は「バットで殴られたみたいな衝撃だった」って書いてあるし。レントゲン写真がまた、なんと言うか……
  JR秋田駅の三箇所のゴミ箱から計28万円見つかる秋田魁新報 )。こんな名前の新聞があったのか。ってのはともかく、1000万円、いや、100万円だと「おお! どんな事件だ!?」とか思ってしまうけど、28万円ってのは結構微妙なモンですね……いや、そりゃ落ちてるなら欲しいけど。
  UG☆アルティメットガール #2今回はサブメインの二人が変身。でも変身シーンが……専用の音楽があるから、多分本来はあるはずなんだろうけど、無料放映・配信分じゃ流さないのか? UFOマンPという屈辱の名前からようやく「アルティメットガール」に呼称変更。なんでもDVD収録版は、「P」の部分が「子」になるんだそうで。そりゃイヤだ。
#でも、ウルトラマンコスモスってのもあったしな……
 


2004年01月19日(月) 旧暦 [n年日記]

というわけでSBR

 ジャンプ今号から荒木飛呂彦の新連載「スティール・ボール・ラン」開始。ジョジョ第七部という噂もあったけど、ジョジョではないらしい。後書きに「ジョジョのパラレルワールド」とある。しかし、序盤、メインキャラの一人と思われるインディアンの「砂男(サンドマン)」がスタンドらしき能力を持っていたり、「ディエゴ・ブランドー、通称ディオ」というジョッキーがSBRに参戦してたり、スポンサーに「スピードワゴン石油」の名があったり、主人公(?)のジャイロ・ツェッペリは波紋かスタンドかよくわからないけど何かの能力を持っていたり、あちこちに「ジョジョ」の断片は見える。組み上げられ方はちょっと違うんだけど。しかし、どいつもこいつも目的が明確に「金」もしくは「名声」ってのは、さすが荒木師匠と言うか。
  /.J から、 「悪徳商法?マニアックス」がgoogleの検索結果から外される 。ネットによる情報発信というのも諸刃の剣で、簡単に人を傷つけられもするし、逆に調べることを容易にすることで身を守るためにも使える。どちらを重く見るかはむずかしいのだけど、少なくとも、外される元になった企業の手順は必ずしもまっとうには思えない(関係会社と思われる同一IPのサイトから無関係を装った評判を流したことは事実なのだし、少なくとも根拠のある、なしもごっちゃにして意見封殺をしようとしてるようだし)。ってなわけで「一応」 悪徳商法?マニアックス を応援します。「一応」ってのは悪徳商法?マニアックス側もかなり感情的な文をネットに晒していて、完全にその立場に同意ということでもないからなのだけど。
 昨日のファイズ最終回を見返したら、冴子=ロブスターオルフェノクが完全体化するシーンでは、影の冴子の像がきちんと四散していた。やっぱ完全なオルフェノクになる=人間部分がなくなるってことだったんだろうなぁ。
  俺がハマーだ!コンプリートボックス 新俺がハマーだ!(以下同) 。国内未放映二話もちゃんと新録で吹替えを入れているらしい。流石。


2003年01月19日() 旧暦 [n年日記]

神戸行ってきますた

 でもってトンボ返り。神戸の街を楽しむ余裕がなかったのが残念だなぁ。
 移動途中で工事中の高架の支柱を見て、どこかで見覚えがあるなぁ、と思ったら、 キングゲイナー の「ヤーパンの天井」の都市ユニットに似てるんだ。あのT型がぞろぞろ並んでいる光景ってどこかで見覚えあると思ったが。
 そのキングゲイナーの17話は、ガランガランの避難民という異端分子を抱えることになってしまったヤーパンの天井に対し、シベリア鉄道は「内心の声」を筒抜けにさせてしまうオーバースキルでおのおのの不満を表面化させ、ガランガランとヤーパンの対立、内紛での自滅を目論む。攻撃も防御も事前に筒抜けにする能力相手にどう戦うのかという方法が、もう実にキンゲらしくバカバカしい(誉め言葉)。こんな展開、キンゲ以外ではないだろう、ってか、視聴者が受け付けないだろう。うーむ。
  仮面ライダー龍騎 の最終回。龍騎が去り、北岡は死を目前にして玲子とのデートより浅倉との対決を選ぶ。蓮は最後の仮面ライダーとして、オーディンとの戦いの場に向かう。神崎士郎が妹・優衣のためにすべてを仕組んだライダー同士の戦いのクライマックス。神崎の台詞で、映画版の位置付けもすべて明らかになる。 おそらく、神崎はオーディン以外のライダーが勝ち残った場合や、優衣が結果を拒否するたびに、最初からなんども戦いをやりなおしていたのだろう。映画版も、その一つのサイクルの結果なのだろう。 平成ライダーシリーズで、始めて着陸に無事成功した作品だと思う。ただ、やはり解釈の余地はあって、はたして真司がライダーであることにより、本当になにかが変わったのか、そのことに意味があるのか。意味を求める方が間違っているのかもしれないが。
 その直後に ギャラクシーエンジェル を見ると、良い具合に癒されるというかなんというか。前半の投げ続け具合が実に良い具合に脱力できる。
  ストラスト4 、相変わらず良い具合のようである。突っ込みの余地はもあるけど。しかし公式サイトの 岩崎和馬のキャラクター紹介 、「下宿の頃から」って何年前の話なんでしょうか? 十歳年下なんですが。十年前だとしても……ガタガタブルブル。
 あと、4人組のうち三人のデザインが ナジカ電撃作戦 の#4に出てたアイドルグループと同じだと、最近気付いた……
 「人間の屑」はしばらく封印決定。アレはマジで飲んでるとなにも手がつかなくなる。危険すぎ。


2002年01月19日() 旧暦 [n年日記]

いいわけ特集

 「いいわけするのは心にやましいことがある証拠だ」とは子供時代からよくいわれてることだけども、小心者にとっても「やましい」は、たぶん、ふつうに考える以上にたちが悪い。ワシのように小心で内攻的だとなおさらである。
 で、まずナニをいいわけしたいかというと、うちっとこの掲示板で先日行った「注意」の内容。注意の要点は三点である。第一点は、意見のあわない相手への、意見があわないという理由だけでの侮蔑。これは問題外である。面前で悪口をいわれればそれは腹がたつだろうが、腹がたつ理由は相手の無理解、無礼に対してであり、趣味嗜好に対してではないはずである。それを混同してしまうと、ある趣味嗜好のひとをひとくくりに全体を悪くいいかねない流れができてしまう。これは管理者としても避けるべきだし、また、個人的な倫理観からもどうかと思う。第二点は、比較の用い方。と、いっても、悪意のある比較でなかったのはわかってはいるし、比較としては事実をついていたのもたしかだった。問題点は、誤読の可能性だった。たとえば、SF者が「これはSFではない」ということばを聞いても、別に必ずしもその作品が悪い作品だといってるわけではないと、事前に了解してる。しかし、そのようないい方に慣れていない人にとっては否定の意に聞こえる。もう少しくわしくいえば、あくまで「技術論」の話が、作品そのものの評価と採られないように気をつけねばならない。ついうっかり「でもコレ、SFじゃないよね」といって、そういういい方に慣れてない相手が多少なりともショックや不快感をしめした経験は何度かある。最後の点は、こないだも少しふれたけど、感想のさいに分析・解析はおこなって不思議はない。ただ、実情を知らない人間がそれをやると、「釈迦に説法」になる可能性がある。私だって偉そうにいえた義理じゃない。しかし、その可能性を常に考えておくべきだとはおもう。でなければひとりよがりの分析に歯止めがかからなくなりがちだし、またはたから見て自分が非常にこっけいなことをしてるのに気づかないなんてことになりにくいかもしれない。
 で、その注意のおおもとになった話題はなにかっていえばジオブリのアクション描写(ちょっと語弊があるけどね)のとらえ方についてなのだけど、いちおう伊藤明弘研究家(ってことにしておこう)としてはひとつだけ一家言がある。(なぜ掲示板でいわないかといえば、自分で話題を止めるような真似をしておいていまさら自分がしゃしゃり出るのは非常にばつが悪いからである) それはなにかというと、ジオブリを読んでる時の読者の目の動きである。マンガは動かない。紙に書かれた絵なのだから当たり前である。その動かない絵を動いてるように見せることに関して、マンガ家はそりゃ昔から血のにじむような努力をして技術を開発してきたわけである。その結果、日本のマンガはアメコミなどにはない、キャラクターなどの動きのダイナミックを楽しむという要素が生まれた。しかし、本来は動いてないものを動いてるように見せるものだからどこかで無理が出てくる。動きを見せるだけでなく、コマごとにアングルや大きさを変えたりもするのだからなおさらである。下手なマンガ家だと、いったい誰がどんな動きをしたのか、すぐわからなくなる。下手なマンガ家でなくても、アクションの大きい、多いシーンではどのような動きをしたのか、わからなくなることがある。そうするとどうするか。前のコマを見直して、どういう動きだったかを考えねばならない。あんがいとこれは無意識でやってしまっている。ジオブリ、というより伊藤明弘作品ではこれが少ないのである。何故か。読みすすめていけば登場人物や動くものがどのように動いているかが、一コマ一コマでわかるようになってる。無論それだけではなく、常に丁度いい頃合でキャラクターの空間配置などが読者の無意識に提示するコマが挿入される。だから、伊藤明弘作品には「止め絵」、歌舞伎の見栄を切ってるようなシーンのコマの美しさというものには欠ける。この「止め絵の美しさ」は一種日本の様式美なので、その意味では損をしてるところはある。そのかわりに提示されてる「読者の読みやすいアクション」に内包されてる技術はおそらく私の想像如きを絶している。例えば、単行本7巻P56、二コマ目はまるまる雑誌掲載時から描きかえられている。雑誌掲載時のコマにも、絵的には何か落ち度があるとは思えない。何が違うか。単行本掲載時にはキャラクター(高見)の肩がコマの中に入っていない。このシーンは、キャラクター(高見)が主人公(田波)の呼び声にふりむき、たまたま狙われてた弾をかわす格好になり、何かがかすめたのに気付いてもう一度正面に向き直るという流れの、その向き直るというシーンである。単行本掲載時では、キャラクターの動きがどっちを向いているものか、田波の方を向いている最中か、それとも向き直っているシーンか、次のコマを見なければわからなかった。だから3コマ目を見て、「何時の間に向き直ったのか」と2コマ目を見直し、その時点で2コマ目がどんな意味を持っていたかがはじめてわかる。その修正である。読者にアクションの爽快さを感じさせるために読者の視線の動きすら制御する。すべてのマンガ家がやることではあるが、伊藤明弘作品はそれがかなり完成形に近いと思っている。意図して読ませる技術ではなく、意図させずに読ませる技術だから、何がすごいのか、気づかないで読んでしまうことも多いのだろう。
 無論それは「技術」の話ではあり、それだけで作品全体を語ることはできないことは当然であるのはいちおう述べておく。その技術により描かれるものに、なにを感じるかは、人それぞれなのだ。


2001年01月19日(金) 旧暦 [n年日記]

ヤクザが店にやってきた、ヤァ!ヤァ!ヤァ!

 別にヤクザがウチにやってきたわけではない。「 ヤクザが店にやってきた 」(朝日文庫)が面白そうなんでちょっと買ってきた。ま、ボチボチよみましょか。しかし「HARD DAY'S NIGHT」がどうやって「ビートルズがやってきた、ヤァ!ヤァ!ヤァ!」になるのだろう?
 さて、枕とはまるっきり(そしてタイトルともまったく)関係無い話だが、昔研究室で同級生と先輩が口論になった。いや、ホントは口論なんて大した物ではない。同級生のK村君が、K澤さんに、「いっつも映画とか本とか見る時にそうやって理屈っぽい感想を考えるんですか?」というようなことを聞いたのだ。別にイヤミとかでなく、単に好奇心での話だが、K村君にはK澤さんや私の様な人種は理解できなかったに違いない。K澤さんはかなり特殊な部類なのでまあついていく人の方が稀だが(研究室でK澤さんがそういう話をしだすとまともについていけるのは私くらいだった。その私でもようようついていったといった感じだが)、私程度の理屈っぽさでもK村君は理解しがたかったのである。K村君は、面白いなら面白い、つまらないならつまらないでいいじゃないか。変な理屈立ててもつまらないものが面白くなったり、面白いものがつまらなくなったりするわけじゃない。そんなことに意味はない。大事なのは感性だ。感性はむしろ理屈っぽくなるとにぶる。というようなことをいいたかったのだろうし、事実そんなことをいった。それに対してのK澤さんの答えは「むしろ、感性を腐らせたくないから考えるんだけどね」というものだった。
 この議論は結局平行線のままものわかれに終ったが、K村君のいいたい事もわかる。オタクとかそういう連中は、やたら理屈ばかりこねて面白いものを素直に面白いといわなかったり、変なものを面白いといったりと変だ。そういう連中は理屈をこねすぎて感性がおかしくなってるんだろう。まあそんな事を考えたのだろう。それは一部あってて一部間違ってる。理屈をこね過ぎ、普通に面白いものを見切ってしまったような錯覚を覚え、普通に面白いものに興味がなくなってしまったり、あるいは興味の焦点が変な方向に行ってしまって妙な面白がり方をするということはある。しかし、同時にとても面白い映画や小説、漫画を見てみるといい。感性だけのものもあるが、そうでないものもある。つまり、何が読者を面白がらせるか考えに考え抜いて作られたものだ。K村君のいう通り、感性というのは大事なものだ。しかし、感性だけにまかせていては、実は大事なものを取りこぼすかもしれない。あるいは、単に刺激に慣れ、更なる刺激を求めるだけの大量消費者になるかもしれない。そうしないために考えるのだ。そうならないために考えるのだ。
 自分もその域になりたいものだ。

いまさらリヴァイアスのここがダメ

 と、いうことを踏まえてリヴァイアスのどこがダメだったかを考えて見よう。リヴァイアスは1999-2000にかけて半年放映されたTVアニメで、基準が厳しいといわれるTV東京のコードチェックに限界まで挑戦したといわれる意欲作だ。挑戦の方向性が間違ってるという気もするが。
 とにかく、高校生達だけが乗り漂流する宇宙船の中で、反乱あり、圧制あり、暴行ありと、だんだんおかしくなってくというストーリーが話題を呼んだ。私は正直そういった描写が安易だと思うが(つまり、背景と伝えたいことが希薄なのだ)、しかしやってはいけないということでもないとは思う。だがラストでこの話は完全に駄作に帰した。とってつけたようなハッピーエンド。無責任な希望の垂れ流し。もし製作者がうわべの綺麗事を徹底的に追求し、それに対する本当の解決策を提示するのならそういう表現も構わない。しかし、最後はうわべの綺麗事で解決させてしまった。
 理想は大事である。しかし理想なんてのはある意味お題目に過ぎず、それはお祈りとなんら変わらない。お祈りだけでは何も起こらない。何かをしたことにもならない。それは目的を達成する為の適切な行動が伴い、なおかつその行動が何らかの形で目的を遂げた時にだけ意味を持つ。特に意図的な終りを持つ、物語の中ではそうだ。現実の場合はどこが結論とするかが難しいので決定的に語るのは難しいのだが。
 もし、不適切な行動、もしくは理想の連呼だけで物事が奇跡のように解決するのなら、それは結論でも奇跡でもない。ご都合主義というのだ。そして、そのご都合主義の軽さは途中のもの全てを無意味にする。だから結局リヴァイアスはだめだったのだ。思い出したら何故あのラストが気に食わなかったかわかったので、思い出したように書いてみた。

忘れてた

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