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2004年11月01日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] ナベチャンタラギッチョンチョンデフライノフライノフライ

 フッ素加工のフライパンが剥げてきて焦げ付きが多くなって来たので、チャットで「買い換えた方がいいのかなぁ?」と相談したら「買い換えたら?」と言われたので、15分後に「買って来た」と言ったら呆れられました。(笑)
 しかし新品のフライパンはあおりやすくっていいですな。炒飯も焦げ付かず、こんなにパラパラに。とか言ったら「あんまり煽るなよ〜」と……い、いや、ネットじゃ煽ってませんって。あんまり……ゴニョゴニョ。
  香田さん追悼、若者ら官邸前で集会 自衛隊撤退求め朝日 )。う〜ん、故人を悼むのはいいと思うんですけどね。この中の何人くらいが生前の本人と接触があったのだろうと思うと……別に見も知らない人の死を悼んでもいいんですよ。でも彼がこういう状況で不幸な目に合わなければこのように大々的にイベント化されたとは思えないし、見も知らないという意味では最初に香田氏と間違えられた見知らぬアラブ系の男性だって悼まれるべきだろうし、その他顔も知らない多くの死者が、悼まれるべきじゃないのか? だから、悼むにしても心の中でそっと手をあわせるくらいが本当ってものじゃないのかな? なんか変なことのシンボルに祭り上げられつつある気がする。もうひとつ、ここで何故自衛隊撤退を訴えるのだろう? 私も自衛隊員の無事を祈っている一方で必ずしも派遣に賛成と言い切れないが(ただし、行くからには(もちろん無事でという大前提で)イラクの復興の助けとなって欲しいし、また最大限の効果を発揮して欲しい)、香田氏が死んだから撤退、という(中間や周辺をすっ飛ばした)理屈は感傷的過ぎて、人の死を盾にとったプロパガンダにすぎない気もするのだけど……
  ザルカウィ組織幹部4人を殺害=武装勢力167人逮捕−イラクY!hl )。無論誤報の可能性もあるし、一部では今回の邦人誘拐事件はザルカウィ派本体の仕業ではない、という見方もあるみたいだけども、ううむ。無論、こういった連中には武力による鎮圧は必須なわけですが、武力を実際振るわざるを得ない現実と言うのには、ちょっと滅入りますな。
  地震で車中泊の17人中6人に血栓 新潟大の医師ら検査朝日 )。う〜ん、車内泊、と聞いた時に、こういうこともあるだろうとは思ってましたが……ひとまずテントなどの十分な数の寝起きの場の確保が必要なのだろうけど、当地の事情というものがあろうしな……何が必要かわからず右往左往してとりあえず募金でお茶を濁す自分にとっては、現地で働く人、特にきちんとなにを求められているか、どう行動したらいいかを経験・思考を問わず弁えてる方に最大限の敬意を払います。
 昨日、西部警察のスペシャル版があったらしいのだけど、番宣見て華麗にスルー。基本的にああいうバカ番組はそれなりの勢いっちゅーものが必要だと思うのだけど……
 そういや、こないだ深+に行った時、「鈴木、お前西部警察とか好きだろ?」といわれて、「いや、でも特捜最前線の方が好きなんすよ」と答えたら意外な顔をされた。
「あの地味で渋い奴か?」
「YES」
「普段の言動と一致してないぞ」
 お言葉ご尤も。あれ? そういえばそうだな。なんでだろ?


2004年11月02日(火) 旧暦 [n年日記]

[ケルト音楽] アイリッシュダンス・カンパニー「トリニティ」

 名古屋を皮切りに全国16都市で行われる アイリッシュダンス・カンパニー「トリニティ」 の公演を見てきますた。
 いや、去年に見に行った「リヴァー・ダンス」が実にすばらしかったからなのだけど、後から色々情報を調べると、ストーリー仕立てのリヴァー・ダンスに対してトリニティはアートとしてのダンス。妙に前衛ぶってると嫌だなぁと思ったのだけども、見に行ったら全然そんなことはなく安心。っつーか人間ってこんなに足が動くようになるものかとびっくりですよ。伝統的なアイリッシュダンスというと上半身はほとんど動かさず、飛び跳ねるような動きで華麗なステップと足技を見せるというもので、それを基調として上半身の動きなども取り入れ、ショーとして成立させたのがトリニティらしい。しかもアイリッシュダンスであるのに、アメリカのシカゴが本拠地だというのも珍しい。無論、アメリカにはアイルランド系移民がたくさんいるのでそのせいなのだけど。
 色々他のダンスの要素を取り入れたりと意欲的だったのだけど、やはり、もはや超人的と言っていい跳躍力と足の動き、踏み鳴らして刻まれるリズムが目を引く。他のも悪くはなかったのだけど、ただ、インド舞踊っぽいのだけは、どっちつかずで中途半端っぽくなってしまった印象も。やはり身体の各パーツの動きを極限まで抽象化したインド舞踊とは、あまり相性が良くないのかも。
 あともう一つ、これは公演者の力量とは関係ない話だけど、会場、ちとノリが悪い。去年「リヴァー・ダンス」を見たのが大阪でノリノリだったせいか、それに対し名古屋はよく言えばシャイでお上品、悪く言えばノるべきところでノらないように見える。アップテンポでハイテンションなダンスの時にお通夜みたいに神妙な顔をして見ていても、踊るほうだって踊りにくいだろうに。リヴァー・ダンスの方がエンタテイメント性がわかりやすかったということもあるのかもしれないけど。あと、去年の大阪のリヴァーダンスに比べて年配の方がメインだったように思えるので、そのせいかもしれない。
 しかし、公演が終わってホールに出たら、出演者が見送りに出てきてくれてたのがびっくりしつつもうれしかった。ステージ上だとあまりわからないけど、本当にでかい子はむちゃくちゃでかい。見に来てたおじちゃんおばちゃんたちもびっくり。でも遠目にも脚の筋肉のすごさはわかった(笑)。チュン・リーのような体型というのは実在するのだなぁ。あと、個人的には要所要所で盛り上げていた演奏の三人のお兄ちゃんたちが愛嬌があって良かったです。

[その他] つれづれ

  山古志村の牛、ヘリで輸送朝日 )。そんなことするなら他にすることあるだろう、って人もいるだろうけど、金銭的に大きな財産というだけでなく、「文化」という無形の財産でもあるので、その損失は本当に深いダメージになるかもしれない。最近、生活スタイル、生活での活動というのは人間にとって非常に重要なものじゃないかと思い始めている。だからこそ業者も採算に合わないとわかっていてもやったのだろうし。
  感謝の映像は? 被災地視察報道に自民が不満産経 )。まあ、なんと言うか、普通、無闇な反体制でカッコつけられるのはせいぜい二十歳までと思うんですけどね……無論体制べったりになれってことではなく、いい歳したおっちゃんたちが編集してるんだから、それなりの知見というものを見せろと。まあ、現政権にも幼稚なところは多分に見られますが、それにしてもこれはなぁ……そういえば「日本の報道の自由度」が42位だったとかってニュースがありましたけど、これって政府による報道の迫害じゃなくって、マスコミ自体による報道の自由の制限ってことじゃなかろうな?( こちら によれば、この評価には記者クラブの存在が大きいらしいですが)
 でも、いくらなんでも このネーミングセンスってどうよ?
 で、これはほとんど蛇足もいいところだけど。おそらくできるだけそっとしておくのがいいのでしょう。だから、これだけリンク。 「事件を政治活動に利用したり、募金活動などを行わないでほしい」香田証生さんの家族Y!hl )。


2004年11月03日(水) 旧暦 [n年日記]

[必殺] あんたこの神隠しどう思う

 必殺仕業人第十三話 DVD上巻
 牢に入れられた夜鷹が病の中、中村主水に「せんかいを殺してくれ」と頼んで来る。しかし金は受け取ったものの、主水にはその当の「せんかい」がどこの誰かさっぱりわからない。
 一方、やいとや又右衛門は近頃さっぱり客足の途絶えたなじみの長屋を回るも、長屋の連中から総スカンを食らう。なんでも「し(死)のう教」という新興宗教の教祖、幻拓という修行者にそののかされ、やいと(灸)などその場限りの効き目と、皆宗教に入れ上げてしまったらしい。
 昔住んでいて、家族同然と思っていた長屋の連中につれなくされ、やいとやはショックで剣之介のねぐらに押しかけて飲んだくれる。
 その長屋で、そこに住む老婆・お六の元に、ヤクザ者と駆け落ちしてしまった娘・おとよが子供を抱えて帰ってくる。亭主と死に別れ、最後に残った身内である母に、追い返されるのを覚悟で孫を会わせに来たのだ。娘をなじりながらも、結局許してやるお六。それがきっかけで長屋の連中も皆やる気を出し、しのう教から離れて、またやいとやも繁盛しだす。
 しかし今度閑古鳥が鳴いて困ったのは幻拓。これまで貧乏長屋の住人から喜捨を巻き上げていたのが出来なくなり、なにかいい儲け口はないかとぼやいていたところへ愛人のお眉からおとよが百両を隠し持っていることを聞き、その金を狙う。

 今回は内偵・連絡係の捨三がお休み。そのため捨三の洗濯小屋がドラマ的に使えず、珍しくプライベートで関わりあう仕業人が見られる。
 中でも慕われてると思った長屋の連中にそっぽを向かれてぐでんぐでんに酔っ払って剣之介に絡んだり、幻拓に食ってかかって逆にこっぴどく返り討ちに遭ってやっぱりのんだくれたりする、やいとやが笑える。クールなふりをして妙に間が抜けていたり、色には強くても腕っ節はさっぱりのところが、やいとやの魅力。
 そんなこんなもあって、今回はあまり仕業人らしい殺伐さには欠けている。けど、影の主役は長屋の連中。やいとやから新興宗教に鞍替えして、またあっさりとやいとやの方に戻ってきたり、わりとあざとく孫を見せて母親の許しを請うおとよに、おそらく、そんなあざとさも全部飲み込んで憎まれ口を叩きながらも娘を許すお六、そしてふてぶてしくもたくましく、身を寄せ合って生きる長屋の他の面々。最後、身寄りのなくなった子供への行動はちょっとほろっと来る。(まあ、そうなるよう仕組んだのは主水なのだけど)
 やいとやも、神隠しに遭った子供のことを悪し様に言う幻拓に対し、珍しく逆上して殴りかかるが、あっさり返り討ち。その雪辱を晴らそうと(実は「せんかい」だった)幻拓を仕置しようとするが、やっぱりあやうく返り討ちに遭いそうになる。やいと修行をする前から殺しはしてたはずなんだけど、一体この腕っ節の弱さでどうやって相手を仕留めてたんだろう? どのくらい弱いかというと、酔っ払ってたとは言え女のお歌にさえ、びんた一発でのされるくらい弱い。(笑)
 逆に、今回珍しく金回りがいいのは剣之介夫婦。お歌の昔の知り合いだったお眉から、子供を預かった例に一両を貰いホクホク顔。この喜び方が貧乏臭い。
 今回、わりと筋立てがしっかりした話だったのだけど、一点、不審な点が。悪党二人は子供を誘拐するも、身代金を要求するでもなく、お六とおとよの二人を殺し、家捜しして百両を盗む。けどそれって逆に手間じゃないのか? そのまま身代金要求する方が楽じゃないか? それともおとよが百両持っていたこと自体が明らかになることを恐れて、子供が消えて二人が世を儚んで死んだ、という筋書きにしたかったのだろうか? う〜ん。
 この悪役の新興宗教の教祖とその愛人、演じるのは山田吾一と荒砂(あれさ)ゆき。山田吾一は仕置人、仕事屋稼業では一見善人風の悪人を演じていたが、今回は見た目に悪人。しかし悪人の癖に妙な愛嬌があるところは山田吾一ゆえか。荒砂ゆきは仕置屋等でも悪女役で出ている。でも、ウルトラマンではダダの犠牲者役だったんですぜ。
 しかし、この頃の必殺は悪役も濃いし、脇役のドラマもちゃんと見られるなぁ。

[その他] 可笑しくて、やがて悲しき……

 米大統領選のことで、うっかり オハイオでブッシュ優勢産経 )という話題を振ってしまい、それに関連してブッシュVSケリーでどっちがマシに、という話題に。一応ブッシュの方が日本にとって当面マシ、という立場なのでVSアンチブッシュの立場になってしまったのだけど、色々説明するのも面倒なので、その場しのぎ+ウケ狙いで「だって、ケリーだって所詮アホと言われてるブッシュとタメ張ってる」と言って、その後自分で言っておいてあまりに説得力があったので一人で受けてたのだけど、逆に説得力がありすぎて落ち込んだり。全世界に確実に影響のある米大統領候補が、二人が二人してそんなんですぜ? 嫌んなるなって方が無理ですぜ。


2004年11月04日(木) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 最後(?)の必殺(その1)−一番強いの、誰?

 こないだ知人友人連に(無理矢理)仕置人を見せたときに「こいつら個人戦闘能力高すぎ。多分必殺中最強」と言ったのだけども、この辺、実際には色々異論が出そうではある。必殺シリーズはコンセプト上一対多というシーンは少なく、普通はせいぜいが主水が二三人を相手にするとか。仕置人で鉄が(かなり八つ当たり気味に)ダンビラを持ったヤクザ数十人を相手に骨をはずしまくるというシーンは必殺ファンの間では有名だが、逆に鉄の一対多はこのくらい。雲右衛門や鬼岩といった強敵に苦戦することもあった。一対多のシーンがあるということとなると、映画やスペシャル版が数多作られた仕事人がやはり多く、そうなると仕事人のいずれかが最強か、ということにもなる。
 が、ここですっかり忘れていたが、映画でもスペシャルでもなく、多人数相手に毎回立ち回りを見せている必殺シリーズがあった。いや、あまりに荒唐無稽で(必殺シリーズ自体が荒唐無稽なのだけど)、同じ俎上に並べるという発想自体が抜け落ちてたのだけど。
 なにかと言うと、シリーズ30作目、シリーズの有終の美(を飾るはずだった)「必殺剣劇人」。これ、特に放映当時は賛否両論だった。まず、主人公は元義賊、かるたの綾太郎、早縄の清次、すたすたの松坊主の三人。三人は義賊としての最後の大仕事で大金を手にしている。つまり、金のために殺しをする理由はない。その彼らが殺しをする理由は、彼らが愛した女性の忘れ形見で、三人のうちの誰かが父親でもあるお七のため(この辺、「スリーメン・アンド・ベイビー」をそのままパクっている)。正義感が強く鉄砲玉な彼女を危ない目に遭わせないため、また、彼女の夢をかなえるために世直しとして行う。とは言え必殺ではあるので、申し訳程度に三途の川の渡し賃として四文銭だけを受け取る。これだけでも必殺シリーズとしては「なんじゃそりゃ」なのだけど、もっと必殺シリーズ離れしてるのが殺陣のシーン。彼らは義賊時代の衣装に身を包み、なんと真正面から敵に乗り込んでいく。それも「よらば斬るぞ!」「おととい来やがれ!」「むふふ、バカめ!」などとキメ台詞付で歌舞伎ばりに見得まで切る。もちろん敵の手下とかもいるわけでその中に切り込んでいって、ばったばったと峰打ちでなぎ倒し、標的だけを殺し、最後は大蝦蟇に乗って消え去るという、人をバカにしたと言えばこれほどバカにした展開もない。事実、最終回にゲストとして出てきた主水は「裏の稼業をなんだと思っていやがるんだ」とボヤく。
 が、こんな荒唐無稽な必殺が出てきた当時の背景を見なければならない。以下、続く。

[その他] サムライ・ハラキリ

 職場の休憩部屋で中国人のDさんとLさんがT助教授と雑談をしていて、日中の昔の服装や習慣、文物のことを話していた。そのとき「昔の日本人は頭の天辺を剃っていたのは何故か」という話になり(「月代(さかやき)」という言葉くらいは出て欲しかったのだが……)、T助教授も知らないようだったので、つい私がいつもの要らんことしぃで「あれは戦国時代、頭の天辺を剃っていた方が兜の座りが良かったのでそうしていたのが、そのまま習慣として定着した」と説明。いや、中国の二人はともかく、日本のT助教授まで感心してないでくださいって。「へえ」ボタンも要りませんって。(別に押してないけど)
 しかし、最近の人はわりとそういう時代劇の初歩知識というか薀蓄も知らんものなのだなぁ、って、あちらの方が私より大分年上だけど。
 まあ、こういう薀蓄とか雑学なんて、所詮こういう時にしか役に立ちませんけどね。国際交流と思っておこう。

  菅直人氏「間違いを認めない軍事超大国アメリカとの付き合いは難しい」 。菅氏の日記、ネタの宝庫だなぁ。「中国や半島とは付き合えないってことですね?」と突込みが殺到すること受け合い。不謹慎なことさえ言わなければ、この人のこういうしょうもなさはむしろ愛嬌なんだが。
 ネットでちょっと、いや、かなりむかつく文章を見た。具体的には書かないが、日本語の読解能力か人として当然の気遣いのいずれか、あるいはその両方が欠けた行動を取っていた。普通はつけいる隙があると煽って遊んだりするのだけど、この件に関してはあまりにも心底嫌悪を感じたので、煽る気にもならない。
P.S.以前からネタにしようと思って忘れていた、 某澤さん向け携帯電話 。ボタンは普通の電話機と同じだけ。液晶なし、ネット閲覧機能・メール機能はおろか、電話帳すらない男らしさ! これでもう心配要りませんね?

[その他] ネガティブ「良かった探し」

 どうも米大統領選はブッシュ氏勝利で決まりだとか。アメリカの大統領選のシステムはどうもわかりにくくていかん。
 知人友人にはケリーを応援していた人も結構いて、だからというわけじゃないけど、どちらにせよ前途が心配と言う意味ではあんまり嬉しくもない。
 それでもどこかほっとしているわけで、何故だろうと考えたら、もうひとつ、ケリー候補が大統領になったら確実に困ったことがあった。別にケリー候補自身の政策とかのことではない。それは、民主党(日本)が勢いづくこと。
 あたしゃ別に小泉支持者でもないし、民主党(日)が政権獲ってもいいんですよ、別に。民主党にまともな政権担当能力があるなら、ですが。ケリー氏の政策どうこうより、こちらの方がよほど日本にとっては不幸の原因になるかもしれない。ケリー氏やケリー氏を応援していた諸氏には悪いが、その意味で私は今回の米大統領選の推移に安心している。まだ気が早いけど、いやはや、本当に良かった。


2004年11月05日(金) 旧暦 [n年日記]

[その他] ヒーロー←→ドラマ

 話が突然というのはわかっているが、「ヒーロー」とはなんであるのか? これについては自分なりに一応の答えが出ている。ヒーローとは、物語における問題解決装置である。「装置ってアンタ」と思われるかもしれないが、働きとしては結局そうとしか言えない。普通、物語ではなにか問題が発生し、多くの場合はそれを解決しなければならない(しないものもあるけどね)。テレビ番組などの時間制限のあるものの場合、特にこれを時間内に解決し、あるいは盛り上げるために「ヒーロー」が存在する。実は機能としては問題を解決することだから、正義である必要はない。もしくは、解決しさえすればいいので「円満解決」である必要すらない。
 と、ここで舞台装置であるヒーローから舞台である物語に視点を移すとあることに気付く。解決すべき問題があることが、舞台の前提になっている。ヒーローもの以外ではどうか。問題、というと定義が限定されすぎるが、なんらかの居心地の悪さ、というか、なにかが(視聴者の感じる)あるべき状態、安定した状態にない「ねじれ」が存在する。そうなると、「『ねじれ』こそがドラマの核である」という仮説を立てられはすまいか。
 たとえば、「阿修羅のごとく」の場合、そのねじれとは「男女関係」にある。ごく普通の、ほのぼのホームドラマに出てきそうな家族が、老父の愛人が発覚したのをきっかけに、それぞれ夫婦関係・男女関係にねじれを内包していたことが発覚していく。あまりに平均的で理想的とすら言える家族に実はまったく理想的ではない「ねじれ」があることが発覚してから、ドラマが進んでいく。あるねじれは復元しようとし、あるねじれはさらにねじれ、別のねじれはねじれのまま残る。しかし基本は登場人物それぞれがねじれと直面し、どう反応するかである。
 「ロック、ストック、アンド、トゥースモーキング・バレルズ」の場合、ギャング相手の賭けポーカーで一儲けしようとする四人組が結局(イカサマをされて)逆に大負けして多額の負債を背負わされる。期限内に返さないと殺される。これが「ねじれ」。
 「必殺仕置人」第一話の場合。それは田舎から出てきた娘おさきの父親が盗賊の身代わりに処刑されたことが「ねじれ」となる。悪党がのさばり、それを取り締まるはずの奉行所がその悪事に加担する。
 特撮ヒーローものの場合。怪人(怪獣)が現れ、事件を起こす。あるべき日常を乱す。これが「ねじれ」になる。
 後者二つは「問題解決舞台装置」としての存在がいるから「ヒーローもの」と言って良い。前者二つは違う。しかし余談になるが、アギト以降の平成仮面ライダーシリーズって、お約束的に怪人は出てくるがそれは別に「ねじれ」の中心にはならないので、ヒーローものとしてはかなり歪んだ構造なのだなぁ。面白ければなんでもいいけど。
 閑話休題。大分大雑把な分析だが、これって結構正しい気がする。例えば「スピード」でイマイチラストが締まらないのは、「時速40マイル以下になると爆発するバス」という環境下が「ねじれ」だったのに、ラストは逆上した爆弾魔との直接対決になってしまっているからかもしれない。最大のねじれは途中で正されてしまい、後付的に別のねじれを新たに提示されているので、中途半端なのだ。
 ねじれをどう提示するか、最初からあるものなのか、ねじれをつくるところから見せるのか、等々はあるが、「ドラマとはねじれだ」というのはかなり有効な考え方のようだ。ここしばらく考えていたことに答えが出たので、無駄な思弁もたまには役に立つ。当たり前のことしか言ってない気もしないでもないけど。


2004年11月07日() 旧暦 [n年日記]

[その他][特撮] 録画ミス

 っつーか、時間変更確認ミス。いえ、 NHK歌壇 なんですけどね。木曜早朝の再放送を録画するか……
  学園アリス の方は無事録画。アップテンポというわけでもなく、ハイセンスというわけでもなく、キャラ同士の妙な間を楽しむのが吉か。
  デカレンジャー は、意識したわけじゃないけど先日触れた「スピード」のパロディ。(前後状況の説明はすっ飛ばすが)時速20km以下になると爆発するよう細工された自転車に、バンと保護を求めてきた子豚のような宇宙人が乗せられる。このシチュエーションだけを取るとただの「スピード」のパロディなのだけど、「ねじれ」理論で考えると、ちょっと変わってくる。
 まず、その子豚の宇宙人ヤーコにはどんな鍵も自在に開けられる特殊能力があって、それを孤児である彼女を育ててくれた宇宙人ジャンギャバに利用されている。これ以上悪事に加担するのが嫌でデカベースに保護を求めてくるけども、ジャンギャバを憎んでいるわけではなく、却って慕っており、むしろデカレンジャーたちを簡単に信用しようとしない。つまり、ヤーコは悪事をやめたがっているが同時に悪事をさせてる育ての親は彼女がこの世で唯一信用する相手という矛盾。これが最初に提示されるねじれ。
 ヤーコは彼女の管理するジャンギャバの隠し金庫のパスワードを保護の代償として提示するが、デカレンジャーを信用せず、金庫まで付いてこようとする。その際、ヤーコが極端に車酔いに弱いので自転車を調達するのだけど、それがジャンギャバによって細工された自転車。爆弾を解除して欲しければ彼も知らないパスワードを教えろと迫る。ジャンギャバが自分を危険に陥れると信じられないヤーコはパスワードを教えるが、約束はやぶられ、さらにヤーコの両親を殺したのは実はジャンギャバだと告白される。この時点でヤーコは信用していた唯一のものに裏切られる。(バンは変身すれば自分だけは助かるのに、そうせずに必死なのだが) これもねじれだが、別のねじれではなく最初のねじれが変化したもの。
 最終的にバンの献身的な必死さに人を信用することを知ったヤーコは幼生態から成長態に変化(この辺はご都合主義とかいろいろあるけど、置いておく)、バンと一緒に爆発から脱出。ねじれの発生原因だったジャンギャバをジャッジメント→許可→デリートで、めでたしめでたし。これでねじれは(この番組内では)解消される。
 「スピード」と異なり、最初にヤーコの「ジャンギャバを信用しているが、悪事を手伝うのも嫌」というねじれがあり、危機的状況はこのねじれを変質させるためのシチュエーションとして置かれている。だから、爆発から助かってそれでめでたしめでたし、にはならないところがミソ。
 「ねじれ」に注目しドラマとしての構造を見ると、実は元ネタの「スピード」よりドラマとしては上だという結果で、無論、それだからどっちがより面白いかってことではないが、物語構造解析としてはディティールや構造主義とかとはちょっと別の見方が出来、こりゃちょっと面白い。
 他に細かいところでは隠し金庫のパスワードが「現金(げんなま)に体を張れ!」で、悪役宇宙人の名前はおそらくジャン・ギャバンのもじり(金庫破りだから「地下室のメロディ」なのかな?)。演出的にはジャッジメントの際、やはり犯罪者宇宙人に両親を殺された境遇のテツに「ヤーコの両親を殺し……」と言わせたところは多分スタッフも確信的。それで終わりにせず、最後に怪重機を乗り捨てたジャンギャバとバンの一騎打ち(ヤーコも手伝い、ジャンギャバとの決別を明確にする)で締めるところは、スタッフはどうするのが一番カタルシスが得られるのか、非常に良くわかってるとしか言えない。
 こんなことをずっと考えていたのはちょっと理由があるのだけど、いずれ機会があれば。

[必殺] あんたこの勝負をどう思う

 必殺仕業人第十四話 DVD上巻
 将棋狂いの職人竹次郎は念願叶い、将棋名人・荻田道安に挑むことになる。千両がかかったこの勝負に勝てば、将棋で身を立てることができる。竹次郎の妻おかなは夫に日の目を見させようと夫に無断で道安と会い、身体を許す代わりに夫に勝ちを譲ってくれと頼む。
 この一世一代の大勝負を制したのは竹次郎だった。しかし道安はおかなとの密約を明かし、おかなを呼び出しご贔屓衆に抱かせた上、勝負の向こうを言い立てる。
 男の真剣勝負を汚されたと感じた竹次郎は、おかなをなじった挙句、離縁を叩きつける。自分よりも勝負にのめり込む竹次郎に絶望し、おかなは大川に身を投げて自害する。それを聞いてこれは仕事になる、と竹次郎の身辺を探り始める捨三だが、竹次郎は女房の死を悼むどころか道安に再勝負を挑む。
 しかしそれはただの勝負ではなかった。負けた方が命を捨てる、文字通り命がけの勝負だった。だが無残にも結果は竹次郎の負け。竹次郎はその場で殺され、竹次郎の老母がやいとや又右衛門に竹次郎とおかなの恨みを晴らしてくれと頼む。

 あれ? これちょっとだけ見覚えがあるような。実は仕業人、見たことがあった?
 賭け将棋にからめた話は必殺では何本かあるけども、勝負の非情さ、というか、ここまで勝負が価値観の中心になってしまった棋士が出るのは仕業人くらい。竹次郎はおかなの不貞より、勝負を汚されたことをなじり、そしてその死にも動じることなく(と見える)道安に命をかけた再勝負を挑む。しかし、なぜここでお互いの命を賭けろ、と言い出したのか。もう「あれは八百長だった」という言い訳ができないようになのか、それとも、彼なりのおかなの敵討ちのつもりだったのか……
 その勝負への姿勢に理解を示すのは剣之介。将来がかかっていようと命がかかっていようとそれは双方納得ずくのこと。その真剣の勝負に横から水を注すような真似をしたおかなこそが、彼にとっては「不純」であり、そのうえで死のうが「死に損」と切って捨てる。命がけで女を愛し、侍の身分を捨て、人を殺した彼にとって命がけは当たり前のことなのかもしれない。しかしお歌は違う。幸せを追う女の気持ちもわかる。
 そういう姿勢もあって剣之介は依頼に消極的だったが、道安が卑劣にも「落とし」というイカサマで竹次郎をはめたことを知り、仕置を承諾する。勝負を汚した相手ならば遠慮する必要はない、ということ。この、自分の規範を最も重要視しようと言う姿勢は、剣之介の捨てたはずの武士道そのものなのだが……
 しかし、いかに勝負にのめりこんでる最中とは言え、あんな簡単なイカサマに楽にはまってしまうものなのかな? 動揺したところを疑問を持つ前に殺してしまったのかもしれないが。
 今回はその他のメンバーは控えめかな? 主水はのめり込みはじめたばかりのヘボ将棋で首を突っ込んで、最後は出戻りの銀次に一本取られ、やいとやは他の長屋連中が一様に竹次郎の肩を持つ一方で、竹次郎の母親の治療をしていてその窮状を知ってるので「あれじゃここ一番の勝負には勝てねえ」と、道安の勝ちに賭けたりとあくまで冷静。そこらへんも仕業人か。

[その他] それは、あくまでプライベート

  町山さんのはてなダイアリー 見たら、大分色々と香ばしいことになっているようで。 ARTIFACTさん などははてなスタッフ側の対応に疑問を呈しているけど、個人的には、知らされなかったら知らん振りもできただろうけど、知らされたら、そりゃ知らん振りはできないわなぁ、というのが感想。
 「公序良俗」の範囲は明確な規定は難しいけども、死体の画像は、そりゃ普通にグロ画像として認識されるでしょう。また、晒される遺族の気持ちはどうなるの、と思う(そりゃ、遺族が反戦活動のため敢えて晒してくれ、って言う可能性もないではないけど)。
 他には、イラク戦争の酷さを訴えるために画像を貼り付けたって言うけど、それじゃあ逆の立場の人がフセイン政権下の犠牲者の死体画像と称して貼り付けることもできるし、それとは全く関係なく、交通事故、銃殺事件、中央アフリカなど紛争地域の残酷画像を問題意識と共に貼り付けてもいいですか、ということになる。別に、自分のところでサーバー立ててやるなら自己責任でいいですが、他人にまでそういった問題意識を無理矢理に押し付けるやり方ってのはちょっと、と思う。問題意識ってのは、当たっていようと当たっていまいと、グローバルだろうがローカルだろうが、結局は個人のものに過ぎない。そこら辺を忘れて他人に押し付けようとすると、ちょっとなんだかなぁという感じになってしまう。
 映画「ゼイリブ」で、主人公がエイリアンを見分けるサングラスを相手に無理矢理かけさせようと中盤、延々殴り合いを繰り広げる。焦燥感としてはわかるけども、もしそのサングラスをかけて相手にエイリアンが見えなかったら? その「サングラスをかけさせる」という行為が、実はプロパガンダによる誘導的行為に過ぎなかったら? だから、(フィクションとしてはあれでいいけど)現実としてはサングラスを無理矢理かけさせる真似はすべきではない、あるいは、するにしてもずっと慎重にやるべきだと、私は思う。
 結局、問題意識なんてのは所詮どんなに規模が大きくてもつまるところはプライベートなものに過ぎず、それを他人に訴えるなら論理的にやるのがcool、というのが私の意見。
 P.S.町山さんのところのコメント欄で見覚えのあるアカウントの人が暴れてるけど、ちょっと苦笑。町山さんもわざわざ相手と同じ土俵に降りなくてもいいのに。


2004年11月08日(月) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 一筆啓上崩壊が見えた

 必殺仕置屋稼業最終回。 DVD 下巻
 市松はある依頼で、卯之吉という悪逆非道の男を仕置で殺す。しかし、その卯之吉は殺し屋の元締めである睦美屋佐兵衛の息子。実は生粋の殺し屋である市松は仕置屋として以外にも佐兵衛からも殺しを請け負ったことがあり、市松の手口を知る佐兵衛には市松の卯之吉殺しがばれてしまっていた。
 仕置屋の元締めである主水は、印玄に市松の身辺警護と、万が一裏切ったときの市松の始末を命じる。それに対し、「市松はそんな男じゃねえ!」と反発する印玄。
 しかし、佐兵衛一味に迫られた市松はしばらく時間をくれ、と気を持たせた返事をする。
 その一方、依頼人の口から仲介役のおこうの名が漏れる。それを知った主水は盗みの疑いと番屋にしょっ引くことでかばうが、結局町奉行所に鼻薬をかがせた佐兵衛におこうを連れ去られてしまう。
 市松同様、口を割る前に始末するのか、それとも助けるのか……主水が迷う中、市松の姿が消える。印玄がおこうを助けるべく飛び出すが、実は市松は佐兵衛におこうを解放する代わりに自分を拘束しろと迫っていた。隙を突いて印玄はおこうを助け出すが、印玄は追っ手と共に屋根から飛び降りて死亡、市松によって連れ出されたおこうも、逃げ出す際に負った凶弾が元で、主水の腕の中で息を引き取る。「中村はん、この稼業、やめたらあきまへんで……」との言葉と共に。
 印玄とおこうを失い、佐兵衛への復讐に猛る市松と捨三を諌める主水。「迂闊に動くんじゃねえ。面が割れてねえのは俺だけだ」。しかし市松は反駁する。「じゃあ、死んだ印玄もおこうはどうなるんだ! みんなてめえの面晒して死んでいったんだ!」
 しかし、結局主水の非番の日に、佐兵衛の密告によって市松が番屋にしょっ引かれる。主水は首あらために現れた佐兵衛を仕留めるが、市松の小伝馬町送りはひっくり返らない。どうしようもない、と告げる主水に、「なんだかんだ言いながら、けっきょくてめえを一番大事にしてるのはてめえなんだ!」となじる市松。それになにも答えられない主水。
 市松護送の前の晩、市松の武器の竹串を市松に渡す主水。これは口を割る前に死ねって意味か、と聞く市松に、何も答えない主水。
 そして護送の朝、市松は主水の作った隙を突いて町方の手を逃れる。主水は手向けにと、市松に握り飯を持たせる。結局、市松を取り逃がした責を問われ、主水は牢廻り同心に格下げになってしまう。
 そして逃亡先、市松は主水の持たせた握り飯を口にするが、硬い感触を覚える。主水の握り飯の中には、一両の小判が忍ばせてあったのだ。
 しかし、主水は市松を逃した代償に、奉行職の中で最低の牢屋見回りとなってしまったことを、焼き捨てる辞令と共に噛み締める……

 本当は、 「必殺仕業人」のDVD−BOX上巻 を見終わったら21話以降の感想を書こうと思っていたのだけど、「必殺仕置屋稼業+最終回」で検索して来た方がいたので。
 これがですね、「確かこんな話だったよな」と思って見ると、大筋では間違ってないのだけど、脇の部分での要所要所のやり取りが濃い。粗筋では主水と市松の関係に絞っているのだけど、それ以外にも密度の濃いやり取りがある。まあ、「そんな身元がばれる相手の仕置を最初からさせるなよ」と思わず突っ込んではしまいますが……
 まず、おこうと主水。仕置屋の危機に、おこうはどこだと急を知らせようとする主水だが、おこうの行った先は実は中村家。勝手に家庭サービスとせんとりつの髪を出張で結うおこうだが、あまりにないがしろにされている主水に対する仕打ちに思わず反論。なんで勝手に家に行ったのか問い詰める主水にも逆に「あんな家出てったらええがな。わてが面倒見てあげます」と、意外な告白を。髪結いの亭主もまんざらでもないか、と言う主水。しかし、大人二人のほのかなやりとりは、佐兵衛がおこうを捕らえ、拷問にかけ、挙句死なせてしまうことで終わってしまう。「この稼業、やめたらあきまへんえ……」との言葉と共に。
 印玄は、もし市松が裏切ったら始末しろ、という主水に「市松はそんな男じゃねえ!」と反発。これも、最初の頃の印玄の、生粋の殺し屋である市松への反発との違いを考えると、涙が出てくる。結局、印玄は率先して捕らえられたおこうを救出に向かい、命を落とす。変な奴だが明るく気のいい印玄らしい最期だったとも言える。
 そして市松。元締めと仲間のことを言えば命は助けてやる、という言葉に、言を左右にしながらおこうを助けに向かい、そして主水を責めながらも主水のことを結局ばらさない。
 主水も、「てめえを一番大事にしてるんだ!」という市松の叱責に、(捨三以外では)最後の生き残りである市松を、懲罰覚悟で逃す。仲間を取るか、自分の身を取るか……主水の究極の問いの答えが、ここでは示される。結果、主水は牢廻り同心に格下げ。 仕業人第一話 におけるいきなりの困窮はこのためである。
 必殺仕業人の第一話は、設定的には仕置屋の直後ではなく、その一年後。反駁しながらも最後はお互い認め合い、心を通わせた仲間たちと違い、ただ金のためにつながったうらさぶい関係。一年の困窮が主水に落とす影は、濃く深い。


2004年11月09日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] たぶん、好きになれない

 職場の愚痴、と言えば愚痴になるのかな?
 職場のA君(仮名)がオタクについて、まあ、本人は悪口のつもりはないのだろうけど、偏見たっぷりの言説を披露していた。オタクのわりと多くに当てはまりはするだろうけど、でもそれは「オタクだから」ということではないし、オタクでもそうではない人はたくさんいる。別にそれっくらいはどうでもいいのだけど、それを思い切り見下した口調で断定的に語っているので、まあ、なんだかなぁ、と感じてしまう。
 よくよく考えるとこのA君、オタクに限らず、他人の失敗や欠点を口にするときはわりと万事そんな感じ。まあ、毒舌も一つの個性ではあるのだけど、それでは自分の失敗や欠点は、となると、とたんに舌がにぶる。人に責任を転嫁するわけではないけど、少なくとも他人に対する批評と同じ目は向けてない。他人の失敗や欠点を道化にしても自分の失敗や欠点を道化にはしない。
 断っておくが、別にA君のことは嫌いではない。後輩の面倒見もいいし、仕事もそれなりに有能だし、彼は彼なりにいい奴だ。しかし、多分彼のことは好きにはなれないだろう。ただそれだけのこと。
 考えてみると、私が好感を持つ人は大抵自分を道化に出来るセンスを持った人だ。それ以外はまるでばらばらで、中にはどう考えても人格破綻者もいる。ユーモアのセンスと頭の回転の良さ、謙虚さと他人に対する寛容、あるいは最低限、他人に向けるのと同じ視線を自分に向ける客観性と想像力をもっていること。自分を道化に出来る、という一事でこれらのことが読み取れる。
 だから、決して嫌いでも厭うてるわけでもないが、私はA君が好きになれない。彼が自分の欠点を道化に出来るようになったら、好きになれるかもしれない。

[その他][アニメ] かぶれる

 数日前から右手に虫刺されのようなかぶれが出来、放っておいたのだけど、日が経つごとに段々酷くなる。水ぶくれが出来、指が腫れ、皮膚がぶよぶよと……痒いのもたまらんし、流石に危機感を感じて薬を買ってくる。塗ると痒みと皮膚のただれはわりと治まってきた。しかしちょっとした傷口とかから膿が一斉に出て、ちとびびった。そういうものか。
  ゴーゴー夕張もお気に入りの舞-HiME(と、ローゼンメイデン) 。いや、わりと趣味がオタクっぽいってのはインタビューとか見て知ってましたが、あの鉄球をぶんぶん振り回すゴーゴー夕張とのイメージのギャップが……まあ、役柄はともかく、本人はまだ二十歳そこそこの女の子ですからね。そりゃ、タランティーノも気に入ろうってものでさ<偏見
 で、その 舞-HiMEゲーム版製作会社のトップページ に「全年齢版」って書いてあるので、「?」と思ったら、 サーカス ですか……なんつーか、 絵柄が大分違う 。まあ、(わりとどうでも)いいんですが。
 「ドラマとはねじれだ」だけども、 まあ、そんな感じ で。メンタルだけでなく、いろんなものに適用できるいい加減さがミソ。何故こんなこと考えてたかと言うと、例えば人にものを勧めるときとかで作品を評価する際、「自分が好きなもの」と「良い作品」は別の評価軸なのだけど、では、「良い作品」って何をもって良いと判断しているか、というのがきっかけ。深+とかでマスターにもそういう話題をふっかけられ、うんうんと悩んでいたのだけど、ドラマに注目すると、結局なんらかの不安定状態(ねじれ)が中心に置かれるというのがドラマ作りで必須ではないかと。「ねじれ」が普遍的なものなのか、特殊なものなのか、それに対しキャラクターをどう動かしているか、でドラマの普遍性・特殊性、高尚・通俗、巧拙が語れるのではないかと思った次第。まあ、結局、感覚を 定義して自分の理解とする試みってことなのだけど、昔の人はこんなこと考えなくてもナチュラルに判断できたのだろうなぁ。パロディというかフィクションの再生産品に溢れ返った中で育った我々の世代、もしくはそれより下の世代では、きちんと言葉を作らないと、多分判断は難しくなってきてしまっている。

[必殺] 最後(?)の必殺(その2)−仕掛けて殺して日が暮れて

  こないだ の続き。
 80年代になにがあったのか。ひとつには、時代劇自体の没落があった。大前提として80年代半ばごろからテレビ番組全体のバラエティ化の波があり、高視聴率を取る番組がどんどんなくなっていったこともこれに拍車をかけた。そんな中で必殺は主水をシリーズの顔とし、バラエティ化を推し進めることで生き残りを図る。これはある程度までは成功したが、結局限界があった。
 視聴者は手軽さを求められており、他の定番時代劇も加速度的につまらなくなっていったのはこの時期。本来アンチ時代劇だったはずの必殺が「時代劇は必殺です」とまで宣伝するようになったスタッフの心中はどのようなものだったのだろうか?
 また、「殺しを金で請け負う殺し屋が主人公」というコンセプトの濃さが時代に合わなくなってきたことと、アンチ時代劇であるはずがその時代劇そのものが消えていっているという両方の事情が、必殺の立脚点を見失わせ、迷走を招いた。こないだちょっと話題になった「主水、ワープロをうつ」だのと言った珍タイトルが出たのもこの迷走の結果。「仕事人V激闘編」などで原点回帰を試みたこともあるが、もはやそれでは視聴率を掴むことは難しくなっていた。とは言え、人気番組の視聴率低下は必殺に限ったことではなく、むしろシリーズの中断を決定付けたのは中村主水役の藤田まことのモチベーションの低下だと言われている。まあ、ワープロだのハウスマヌカンだのバースだのではなぁ。
 そのシリーズ中断のくくりとして作られたのが「必殺剣劇人」である。「必殺仕事人」のときもそうだが、このスタッフ、「これで最後」となるととんでもないものを作り出すみたいである。これまでの必殺を否定するかのように金は目的でなく、大勢相手にチャンバラをし、見栄まで切って、最後は偽善者っぽく悪の首魁だけ斬って去っていく。当然、これのどこが必殺だ、となる。
 だが、ちょっと待て。これって、一体剣劇人直前の必殺シリーズとどれほど違うのだ? 子供の小遣い銭程度で仕事を引き受け、殺しのシーンはひたすら華麗に、決まりきった殺陣で見栄え良く、殺し屋というのが名前ばかりのキャラもいた。
 これらはバラエティ化の一環で見栄えのするケレンのシーンを増やし、秀、勇次の成功を受け、女性受けの良いキャラを投入するという戦略に出た弊害。どうしてそういう流れになったのかという話は、また今度。


2004年11月10日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] 電車男の言うことにゃ

 GOD SAVE THE QUEEEN♪
 出版物として刊行されたのをきっかけに、なんだか最近、巡回先で「電車男」「電車男」と見かけるので数点。
 電車男のスレッドは、話が終わってからちょっとして、夏ごろに友人から聞いた。友人は面白いと読みふけっていたが、個人的にはさほど。だってこういうのって祭りじゃん? リアルタイムで参加しないと全然面白くないっしょ?
 二点目。「電車男」が「ヤラセ」だった場合。ちと本を読んでないので本人を特定できたのか知らないけど、嘘八百の愉快犯だった場合には? 「真実の物語!」とか言いながら、検証の意思もなく感動しまくってるってのはどうなのかなぁ。「どこか一言に感じ入った」とか「シチュエーションが泣ける」ならともかく、「事実かどうかわからないのに事実を前提としての感情移入」ってのは、ちと無防備すぎると思う。
 三点目。これが一番の懸念だけど、もし本当だったとして、この刊行により本人の受ける影響は? ひょっとしたらおせっかいな誰かが穿り返して押しかけて、折角のハッピーエンドがハッピーエンドじゃなくなるかもしれない。ネット上で無責任に騒いでいる限り(それも実名特定されない限りだけど。本当はそれもどうかだが)は、まあ自己責任で騒いでいればいいが、観察者も観察対象に影響しないではいられない、ってことは知っておきべき。
 もし本人と接触し、承諾を得たなら別だが、刊行した奴は自分の責任に対する無神経さを恥じるべきだし、やたら騒いでる奴も、もうちょっと色々考えた方がいいのでは? 以上。

[その他] モハメド医師

  愛・蔵太さんのblog(11/10) を見て、 シバレイさんのblog へ。え〜っと、8月まで名大病院にいたってことは、今年の邦人三人拉致時に名大で犯行グループ(とくらいは言っていいだろうなぁ)に対し、人質解放の呼びかけビデオを公開撮影したモハメド医師か。その時間、たまたま身体が空いたので見に行きましたが、その時の主張(日本人はとばっちりを受ける危険性があるので(自衛隊を含めて)イラクからは撤退して欲しい、イラクがどうなるかは悲観的な予測しか立たないが、イラクのことはイラク人に任せて欲しい、など)を考えると、確かにそれと言説が一致しているように思えます。
 無論、現地の実感は日本にいる自分には計り知れないし、モハメド医師の善意は疑うものではないですが、同時に、モハメド医師の置かれる状況、思想等の背景等も気になったことは確かです。バグダッドなので、危機意識が(まだ比較的安全な)南部よりも強い、と考えるのが妥当なのかもしれませんが。


2004年11月11日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] 沈黙しない戦艦

 タイトルは、本当は「沈黙の艦隊」をパロった方がいいのでしょうが、アタクシは属性的にはバカアクションですんで。
  国籍不明潜水艦(でも多分中国)の件産経 )なんですけど。旧式で騒々しいのが全速力で通ったそうで、「なんだそりゃ?」ってな感じに。既成事実化しようとしてるにしても、日本の側の即応能力を測っているにしても、防衛予算の削減とかで喧々囂々してる時に、なにやってるんかなぁ、中国(多分)、って感じですが。
 まあ、そんなことは俄か軍事評論家になって云々しても恥かくだけなんでいいんですが、今回珍しく隣席の中国人のDさんから話しかけれられる。いや、普段から話はするのだけど、あまり政治とかに絡みそうな話はしないので。
 日本のニュースサイトで記事を見て、「潜水艦」の日本語での発音を聞かれたのがきっかけ(字自体は向こうも同じなんですかね?)。で、その話をしていてそれを聞いた別の人が「北朝鮮とかのでは?」と言ったのだけど、私とDさんは声を揃えて「それはまずない」と即座に否定。一般的な日本人はそのくらいの認識なのかな? でも、「日本の自衛隊は強いの?」とか聞かれてもなあ……多分弱いとは思わないけど、一応憲法上防衛のための戦闘しかしちゃいけないことになってるし、ただでも飛車角香車落ちみたいなものだし、米軍との連携が前提だし、う〜ん。
 しかしDさんが意外に結構知っている。P3Cくらいは普通に知っていたし、「自衛隊には哨戒艇がxx隻あるって聞いてますけど……」ってゴメン。それ、こっちの方がわからない。(^^; 普通のことのように話してたから、中国のニュースとかではそういう情報を恒常的に流して日本の軍事力への危機感を煽ってるのかもしれない。その一方では今回の潜水艦みたいなことかぁ。今更ながら(少なくとも政府レベルにおいては)日本と中国ってそういう関係なんだなぁ、と身近なレベルでしみじみ。
 まあ、話自体はお互い「政府同士も仲良くして欲しいですよね」で締め。あ、これは実際本音ですんで。ここ見てる内の少なからぬ人が、私が中国大嫌いのバリバリのウヨクとか勘違いしてそうな気がする。別に天皇制に特に忠義心は持ってないし(第一江戸時代あたりなんか庶民も含めて普通は「天朝さん(天皇)って将軍様より偉いの?」 *1 ってくらいの意識だったんだし)。それに私程度じゃ軍事オタクにすら含まれないし。
*1: 11/13修正。

[必殺] 最後(?)の必殺(その3)−必殺前期シリーズ

 やっぱり こないだ の続き。
 長くなったので本当は三回くらいに切ろうと思ったのだけど、この辺を一気に紹介してる文章がなかったので、まあこういうのもいいかと。
 80年代の必殺の流れだけでは不足している部分があるので、必殺自体の流れをざっと解説する。
 必殺が生まれたのは1972年。第一作目は池波正太郎原作「必殺仕掛人」だった。主人公が藤枝梅安というのでわかるかもしれないが、小林桂樹や渡辺謙主演で製作された「仕掛人藤枝梅安」と同じ原作、ということになる。これらと違うのは、この時、実はまだ藤枝梅安シリーズが誕生していなかったこと。「仕掛人」という言葉は池波小説ではすでに誕生していて、仕掛人を主人公とした短編が幾つか発表されていた。梅安はまだその中の一人にすぎなかった。その為、「おんな殺し」や「殺しの掟」など、小説原作の話もあるが、多くはオリジナルで、登場人物なども後の藤枝梅安シリーズと違うところがある。
 何故この「必殺仕掛人」が生まれたか。それは、当時フジ系列で放送された「木枯らし紋次郎」がそれまでの時代劇の常識を打ち破るニヒリズム漂わせるドラマとリアルな殺陣で大人気を拍し、同時間帯の視聴率を掻っ攫っていってしまったからである。「木枯らし紋次郎」に負けない型破りな時代劇を、というコンセプトから、池波の仕掛人シリーズが原作に選ばれた。細かい経緯やエピソードは省くが、熾烈な視聴率争いの結果、視聴率争いは必殺仕掛人に軍配が上がり、続編の製作も決定した。
 そして作られたのが第二弾「必殺仕置人」。前作が閑静な江戸の暗闇に暗躍する、殺しのプロフェッショナルである仕掛人たちを主人公にしたのに対し、ここに描かれる江戸の貧乏長屋はエネルギッシュそのもの。主人公も「世のため人のためにならねえ人でないと殺さねえ」とある意味行儀の良かった仕掛人に対し、感情の爆発を優先させるような者たちになった。中村主水が初登場するのはこのシリーズが初めてだが、当初は複数の主人公のうちの一人であり、どちらかと言えば比重は念仏の鉄の方に置かれていた。
 この「仕置人」も前作と同じく大人気を拍すのだが、意外な落とし穴が待っている。放送当時、ある殺人事件が起こった。その殺人現場でたまたまついていたテレビのチャンネルが「仕置人」だったことから、番組に触発されて事件を起こしたのではないかと世間が騒いだ。裁判で加害者がはっきりとそれを否定したことなどもあり汚名は晴れるが、過激な仕置シーンを売りとしていたこともあり、番組は以後自粛ムードとなり、取りざたされた放送期間延長もなしとなった。
 この「仕置人殺人事件」の自粛ムードを受け製作されたのが第三弾「助け人走る」である。シリーズではあるが「必殺」の大看板をタイトルから外し、殺しよりも人助けがメイン、殺しはその過程に含まれるにすぎないという、前二作とはまた違った方向性を打ち出した。中山文十郎、辻平内といった飄々としたキャラクターや明るい作風は事件の影響を払拭したが、そうなると逆に前二作とは異なる作風が災いし、中盤で宮内洋演じる島帰りの龍の参入をきっかけに、ハード路線へと路線変更をする。シリーズで最初のメンバーの殉職が出たのもこのシリーズ。
 第四弾「暗闇仕留人」では相変わらず「必殺」を看板から外しているものの、意外な人気キャラとなった中村主水を再登用、原点の作風に戻しつつ、放送当時のオイルショックという世情を黒船襲来時の江戸に重ね合わせ、不安感漂う雰囲気の中で裏稼業への疑問が提示される。この際、病弱の妻の為に裏稼業をするが、インテリであるがゆえに裏稼業の無意味さに悩むキャラクターとして石坂浩二演じる糸井貢が登場させられる。まっすぐな感情で殺しを行い疑問を持たない石屋の大吉との対比で、主水がその間を揺れ動く、という格好になっている。
 第五弾「必殺必中仕事屋稼業」は、久々に「必殺」の看板を掲げ、二人の博打打が殺しの世界に足を踏み入れてしまい、依頼を遂行していくというもの。とは言え悲壮感はあまりなく、素人で腕っ節が強いわけでもない二人がどうやって依頼を遂行するかというスリリングさに加え、ドラマに力を入れた洒落た作風が当たり、過去最高の視聴率を得る。
 しかし好事魔多しと言うか、よくよくトラブルに恵まれていると言うか、ここでまたまったく関係ないところで大きな事件が起きる。必殺の製作局の朝日放送が、ネット局のねじれを直すためにTBS系列からNET(テレビ朝日)系列に移行、全国で放送するテレビ局が変わり、またその為放送時間帯も変更、視聴率が半減するという大打撃を受けた(代わりに毎日放送がNETからTBSに移った。仮面ライダーシリーズでの放送局変更もこれのため)。その一方で人気番組である必殺を失ったTBS系もその後を受ける形で同じ時間帯で「影同心」を製作、ライバル番組となるなど、類似作品も多く作られた。
 そのような打撃を受けながらも質を落とすことなく最後まで完走しきった仕事屋稼業だが、やはり「腸捻転事件」の影響は深刻で、シリーズ建て直しのための新たな戦略が立てられる。まず一つは、過去の人気キャラクターだった中村主水の三度目の起用。それも半年ではなく、一年を通してキャストし、完全に「必殺」の顔としようとのもの。
 そして、他にはファミリードラマで活躍していた新克利、美形キャラとしての沖雅也の二度目の登板、そして中村家のコントや人気の上がってきていたコメディアン小松政夫のレギュラー登板に代表されるバラエティ的な作りと、徹底的な視聴者再獲得の戦略の下、第六弾「必殺仕置屋稼業」が製作された。この作りは後により一層のバラエティー化がされた後のシリーズの原型を見ることが出来る。
 そして半年の放送期間終了後、またもや必殺は作風を一変させる。中村主水の登板は引き続きだが、閑職である牢見廻りに格下げされた彼に、超が付く個人主義のやいとや又右衛門、そして芸人である愛人のため国と身分を捨て、人まで殺したお尋ね者の赤井剣之介を仲間に加え、まるで前作を否定するかのようなすさんだ雰囲気のシリーズが作成される。第七弾「必殺仕業人」である。特に象徴的なのはかつてのライバル番組「木枯らし紋次郎」の主演、中村敦夫が赤井剣之介としてキャスティングされていることで、貪欲かつ意欲的なスタッフの姿勢がうかがえる。
 また、このシリーズ中で通算200回を迎え、記念として過去のシリーズのレギュラーの役者が大挙してゲスト出演するサービスも行われる。
 中村主水を必殺の看板として打ち立てる戦略が功を奏し立て直しに成功するが、中村主水の出ないシリーズでもそれに負けない顔を立てねばならない。そこで白羽の矢が立てられたのが「仕置屋稼業」でのゲスト出演で必殺スタッフを認めるに至った山田五十鈴だった。映画や舞台公演が活動の中心だった彼女をテレビシリーズに引っ張り出すことに成功する。その他も必殺シリーズ三度目の登場の緒方拳、芦屋雁之助、森田健作、ジュディ・オング、間寛平という豪華キャストをそろえる。また、脚本にも力が入れられ、当時高い評価を受けていた早坂暁をメインライターに据え、またもやこれまでともまったく違うシリーズが作られる。それがシリーズ第八弾「必殺からくり人」である。視聴率こそさほどふるわなかったが、ギャラクシー賞を受賞するなど非常に高い評価を受けた。
 その次はまたもや中村主水の登板……となるはずだったが、姑の中村せん役の菅井きんが、娘の縁談話が進んでいたことから鬼姑のイメージが流布して破談になることを恐れ、登板を断るというハプニングが起こる。中村家なしには中村主水はありえず、中村せんなしには中村家は成り立たない。交渉に当たる一方で、次回作までのつなぎのシリーズが急遽製作される。第九弾「必殺からくり人血風編」である。次回作の為にスケジュールを抑えてあった山崎努演じる薩長の密偵「土左ヱ門」をドラマの中心に、草笛光子演じる元締めのおりくたちからくり人が今まさに維新軍が江戸に攻め上るという不安定な世情の中に置かれている。急造のシリーズであり視聴率はやはり振るわなかったが、その質は決して低くない。
 そしてシリーズ第十弾。中村主水の五度目の登場のみならず、このシリーズではもう一人の人気キャラ「念仏の鉄」が復活する(山崎努のスケジュールが抑えられていたのはこの為)「新必殺仕置人」が製作される。「二度同じ役はやらない」を信条とする山崎氏を口説き落としただけあって力の入ったダイナミックかつケレンにあふれたシリーズとなり、これまでのシリーズ集大成であると共に、必殺シリーズ最高傑作と呼ぶ人もいる。特に主水らは過去のシリーズと違い江戸の殺し屋を統括する組織「寅の会」に参加し、逆オークションで殺しを請け負うという新機軸を出す。これにより他の仕置人グループとの確執が生まれたり、会の掟破りや裏切り者を始末する、元締め・虎直属の仕置人・死神の存在など、人気キャラクターも生まれた。
 新仕置人後、非主水シリーズでの顔とする意図だったのか、再び山田五十鈴が登板、第十一弾「新必殺からくり人」が作成される。からくり人製作体制の問題として脚本の早坂暁の遅筆があったのだが、脚本自体は第一話・第二話と最終回にとどめ、あとはシリーズ監修に徹することでこれをクリア。旅芸人一座に逃亡者である高野長英が紛れ込む、というところから話が始まり、安藤広重が依頼人となって、東海道五十三次に密かに描きこまれた悪人を始末していく、という機軸を打ち出す。「旅もの」と呼ばれるパターンを初めて採用したシリーズでもある。
 その後は中村主水六度目の登場となるが、さらにもう一人「仕事屋稼業」のおせいが登場し、元夫の新吉と共に主水・正八のグループとは別のもうひとつの殺し屋グループとして、時には反発し時には協力するという「江戸プロフェッショナル必殺商売人」がシリーズ第十二弾として製作される。このシリーズでは主水の妻のりつが懐妊、父親になる主水が改めて殺し屋である自分に迷うという立場に置かれていることも特徴。タイトルの「プロフェッショナル」の言葉どおり大人の玄人グループ同士の絡み合いが評価される今シリーズではあるが、もう一つの特徴として「安易な時事の取り入れ」がここから顕著化しだしたことを敢えて記しておきたい。これまでも時事の取り入れはもちろんあったが、TVドラマ「ルーツ」の人気を受け、興行師に買われた「金太」という黒人を登場させたり(キンタクンテのもじり)、「カラオケ」にひっかけて「空桶」とタイトルに出したり、あまりの安易さが目に付くようになる。とはいえ、シリーズ末期ほどの悪乗りは流石に見られない。
 シリーズ第十三弾としては、からくり人シリーズの新作「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」が製作される。パターンとしては「新からくり人」とほぼ同じで、今度の元締めは永寿堂、葛飾北斎の描く富嶽百景にヒントの隠された悪人を始末していくという形になっている。「新からくり人」の直接の続編だが、トーンダウンの感は否めず、からくり人シリーズはこれをもって最後となるが、「旅もの」のパターンは以後も踏襲される。
 トーンダウンが見えてきたように思えるシリーズに新しい活力を吹き込むため、これまでにない大胆なシリーズが第十四弾として作られる。「翔べ!必殺うらごろし」である。「オカルト」をテーマにした今作は中村敦夫を再び登板、謎の修行者「先生」とし、彼を中心に「若」「おばさん」「正十」「おねむ」と、本名も知れない、社会からあぶれた者たちが死者の恨みを晴らしていくのだが、これが結果からいうと 大惨敗 。一部、好事家的マニアからは支持を得ているが、乞食同然の主人公たちに陰惨な殺し、低予算と準備期間の短さゆえのチャチな特撮に、とってつけたような超常現象と、多くの視聴者には到底ついていけるものではなかった。更に、暗闇にまぎれて主人公たちが殺しを行うという必殺の特徴である「光と闇のコントラスト」を打ち捨て、白ちゃけた朝日の中で行われる殺しのシーンは、旧来のファンからも受け入れがたいものだった。(無論、それぞれに意図はあるのだけど。ちなみに私はこのシリーズ好き(笑))
 地方によっては3%という視聴率を記録したうらごろしによって必殺シリーズは打ち切りが決定。シリーズ第十五弾かつ最後の作品として「必殺仕事人」が作成される。この年、1979年。だが、これが意外な方向に向かってしまう。一般にはここまでが「必殺前期シリーズ」と呼ばれる(人によっては仕事人も含む)。以下続く。


2004年11月13日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 秘技激進おべっか返し

 誉め殺しに対抗するには謙遜で返すのではなく、より大きな誉め殺しで返すのが良い。(メモ的に)
 いや、中国の人と付き合いが出来ると、割と相手を誉め殺してくる人がいる。悪意とか利用してやろうとかじゃなく、天然ナチュラル(重複)に交渉術として「相手から低く見られていた方が有利」というのが身についているらしい。いや、中国の人全員がではないだろうけどね。前に「自分を道化に見せる方が云々」と書いたけども、場合によりけりだが実は相手に自分を偉く見せているよりも油断させ虚栄心をくすぐる人の方が全般的に巧み。ハッタリを効かせるのが効果的な場合もあるけど、メッキが剥げたときのダメージが大きいし、戦略のバリエーションが多い。長期的に付き合うなら、断然こっちの方がいい。何人かそのタイプの人を知っている。自分を偉く見せようとしてる人なんてある意味かわいらしいもので、こういう人の方が全般的に曲者である。でも私の場合、こういう人の方が人間的に面白いと思えてしまうので困ってしまうのだけど。
 これをやられて「いやいや、そんな……」などと謙遜したらもう相手の術中にはまったも同然。特に虚栄心が強い人でなくても、虚栄心よりはむしろ態度を一貫させようという本能を利用する余地が出てくる。この場合どうするか。やられたらやり返すのが良い。つまりおべっか返し。上手く行けばこちらが付け入る隙ができるし、まあそこまで出来なくても大抵ガードはできる。おまけに関係も良好。傍から見てるとうら寒い光景とも見えるかもしれないが、傍から見るよりかは本人同士も別にどうということはない。
 もっとも、こういう時に色々聞きかじった雑学が役に立つとは思わなかったが。口からでまかせのおべっかは逆効果なので、ある程度誉める対象について知ってないといかんのだよな。う〜む。

 ゆうべ、シネマデーだったので深+に顔を出す。こういう場では広く浅くがモットーなのが幸いして、大体の話題には食らいつけていける。話題の中心にはなりえないんだけどね。
 で、店を出て、家に帰る前に職場に寄ってちょっと用事を済ませる。それも終わっていよいよ帰ろうと自転車に乗ると「ガコンガコン」と衝撃が……げ、前輪がパンクしてやんの。で、トボトボと歩いて帰る。十キロを、二時間くらいかけて。帰り着いたときにはもうほとんど朝。トホホ。
 で、パンクついでに前輪のタイヤがつるつるになっていたので、タイヤごと交換してもらう。エッジが立っていてキレはあるのだけど、グリップが弱くてなんか変な感じ。ま、その内皮が一枚剥けて乗りやすくなるでしょう。

[アニメ][マンガ] HiMEだの巫女だのHiMEだの巫女だの

  神無月の巫女 はしばらく見ていてなんなんだかなぁ、と思っていたけど、六話を見て、これは世界を救うだとかロボットアニメだとか、そういうものでは全然なく、黒ロングヘアのレズねーちゃんのもだえっぷりを見るものだと気付く。他のキャラは問題を抱えて煩悶してはいても選択に迷いはしてないが(あるいはただおろおろしてるだけ)、千歌音だけが選択を迷ってる。そのためにはかなり大袈裟な舞台設定だと思うけども、まず巫女とロボありきで企画が立ったんだろうなぁ。まあ、話としては上に書いた通り黒ロングヘアが悶々とするだけのことなのだけど、髪留めの使い方が上手い。脚本見たら、 花田十輝 氏。ぷちぷりユーシィのシリーズ監修をやったそうで、ちょっと納得。
  舞-HiME も、実はそれぞれのキャラの個人的事情が主幹で、HiMEだのオーファンだのは状況や舞台装置にすぎなかったり。世間的な萌えアニメとはちょっとずれてるが、結構そこらへんとかやりとりとかをきっちりメインに据えている辺り、キャラクターものには違いない。大きなストーリーらしいストーリーはまだ見えないものの、そこらへんの巧みさと、「誰がHiMEかわからない」という辺りが結構引っ張る。
 で、週刊チャンピオン連載の コミック版 の方の話。新人さんということもあってか、シナリオのせいか、コマごとの描写はともかく(画力もとりあえずさて置いて)、急ぎ足過ぎてじっくり印象付けるところがすっとばされていてマンガとしてはちょっとなんだかなぁ。でも、各キャラクターをアニメで描かれたキャラクターで補完すると、それなりに読めるという……よくよく考えて見ると、これってアニパロみたいなものだよな? キャラは共通だけど設定とかストーリーはまったく別のコミック化だけに、こういうのもメディアミックスの一方向、でいい、のかな?
 しかしコミック版、刷数が少ないわりに書店の配本が偏っているらしく、ないところでは全然見かけないなぁ。まあ、流通の判断は間違ってないとは思うのだけど……
 あと、コミック版シナリオのキムラノボル氏って、コミック原作やアニメシナリオの経験はあるのかな、というのが気になったり。作画の佐藤健悦氏はどうも山本賢治氏のアシスタントをしてたり、今年の春くらいに先行性健忘症の殺し屋のコメディ風アクション「ローデッド・アクション」を描いてた人だってことはわかったのだけど。


2004年11月14日() 旧暦 [n年日記]

[その他] メモ:潜水艦覚書

 沖縄辺りに出た、国籍不明潜水艦について。
 まず最初の選択肢。出没の情報が本当か否か。まずなさそうだけど嘘の場合、誰が嘘をついたか。
 本当の場合。漢級潜水艦と言う情報は正確か。正確でない場合、恣意的な間違いと恣意的でない間違いの可能性がある。けど、旧式で国産の潜水艦だから、間違える可能性は低いように思える。
 次、実際に漢級潜水艦だった場合、目的は? 威嚇行動にしては、財務省の防衛予算案の見直しの動きにつながってしまうし、対応を調べるにしても、マニュアルがちゃんと出来てない日本の場合、逆にマニュアル作成の動きを進めるだけだろう。
 海底シーレーンの調査をしていたのがたまたま迷い込んでばれたとか、他にも色々考えられるけど、さっぱりわけがわからないのが本音なんで意見をあんま求めないでください。(^^;>Dさん
#そりゃ中国政府は抗議に対し知らぬ存ぜぬなのは予想がつきすぎるし。

[特撮][アニメ] 夢の中へ

 むー、金曜の徒歩での帰宅行が効いていて、サーカディアンリズムの調整との兼ね合いが大変な週末でしたことよ。
  デカレンジャー は夢の中に入り込んでくるアリエナイザーが相手。DEATH13? しかし、女の子メンバー二人の信頼関係がしっかり描かれていて好感。センちゃんの推理能力とか、ジャスミンの超能力とかの設定が死なないでちゃんとずっと生かされているところも良い。ところで来年は「魔法戦隊マジレンジャー」って本当ですか?
  ブレイド は、偽広瀬父=トライアルBに決着。すまん。こういう故人の意識が移植された人工意識ものって弱いんですわ。はっきり言えばゼロとマックス兄ちゃんなんですけどな。しかし、虎姐さんはまだ封印されないようで。実はまだ四体、ジョーカー以外のアンデッドが残ってるし、虎姐さんは次回諸星ダンと接近するみたいだし。
  プリキュア は、担任の先生が婚約者が海外に転勤になるのをきっかけに籍を入れることに。学校も辞めるのかと心配したけど、学校は辞めないということで安心。でも、それって旦那さんと離れ離れって事に……で、せめて結婚式を祝福しようと、クラス一同でキルトを作成してプレゼントしようとするけど式場にザケンナーが現れて、という、まあ、言って見ればどうということのない話。でも、小学校の時に担任の先生の結婚式にクラスで示し合わせて内緒でリコーダーの練習をして、不意打ちで乗り込んで(式場や司会者側には連絡した)リコーダーの演奏をしたことを思い出したのだよな。若くて熱血気味な先生だったこともあって、感涙までしてくれたのだけど、そのことを思い出した。
 あ、そうだ。連絡いただければいつでも 今回テレ東で未放映のからくり人#11の入ったDVDお貸ししますよ?

[必殺] 最後(?)の必殺(その4)−必殺後期シリーズの迷走

 「うらごろし」により打ち切りが決定し、最後の作品として企画された「必殺仕事人」だが、80年代必殺ブームの火付け役となり、「必殺」と言えば「仕事人」という認識まで得られるようになったのは多くがご存知の通り。
 しかし、元々仕事人は必殺シリーズの集大成として企図されており、シリーズの顔である中村主水を登板、元締め鹿蔵を中心とした「仕掛人」型の組織として設定される。人気キャラの「かんざしの秀」「何でも屋の加世」が初登場するのもこのシリーズ。最後のシリーズのはずが人気が急上昇しだし、放送回数も延長される。必殺の「お約束」はこれと続編の「新必殺仕事人」でほとんど完成されるが、かならずしもスムーズだったわけではない。元締め鹿蔵は演じている中村雁治郎の健康不調により早々に降板、その後山田五十鈴演じるおとわ、六蔵が元締めを歴任、終盤は元締め不在になってしまう。また、殺し技の設定にも紆余曲折が見られる。最初、秀の武器はかんざしではなく細工に使う「のみ」。これを相手に打ち下ろすという豪快なもので、性格も息の荒い若者だった。綴左門は浪人で前半は刀を使っていたが、後半、特にイベントもなく刀を捨て、相手の体を逆海老折し、背骨を折るという怪力技になる。それと同時に職業もおでん屋になり、頭を坊主にする。おそらく「町人+浪人」(+役人)という仕掛人型の布陣から、「侍+坊主+若者」という、仕置人型への無理矢理の変更だろう。雰囲気も前半と後半では異なっている。
 ともかく必殺人気は爆発し、最後の作品になるはずだった仕事人は起死回生の一発になり、全84回という最長のシリーズとなった。次番組の「仕舞人」への引継ぎもかねていたとは言え、初のスペシャル版も作られる。放映期間は79年5月から81年1月にかけて。
 その後、非主水シリーズとして第十六弾「必殺仕舞人」が作られる。これは新からくり人から始まる「旅もの」。その直前の(そして初の)TVスペシャル「恐怖の大仕事」で仕事人と競演するなど、仕事人の成功を最大限使い、「社会的弱者である女の恨みを晴らす」というコンセプトで、京マチ子なども登板した。流石に仕事人のようなブレイクはしなかったが、手堅く、続編も作られた。
 第十七弾は「新必殺仕事人」。主水と、前作の人気キャラだった秀の再登場に加え、もう一人の人気キャラクターになる三味線屋の勇次が初登場する。主水らのグループと、やや一線を引く勇次(と母親のおりく)という関係は「商売人」的だが、勇次が主水に対抗しうる大人キャラではなく、おりくも反発していたわけではなく主水を認めていたので、主水グループにこの二人が吸収される形になる。後期必殺シリーズの特徴はこのシリーズでほぼ固まることになる。
 この次に第十八弾「新必殺仕舞人」が作られるが、これは未見のためもあり省略。
 1982年になって第十九弾「必殺仕事人III」が作られるが、この辺りから必殺の迷走が顕著になる。「笑っていいとも」の開始がこの年。また、「おれたちひょうきん族」の放送開始は前81年、初代「ファミコン」の販売は翌83年。テレビゲーム世代とバラエティ全盛時代の幕開けの時期だった。
 必殺スタッフがまず乗ったのはこのバラエティ路線だった。まず、秀、勇次で美形路線に確信を得たのか、この二人の続投に加えてアイドルだったひかる一平を新たに仕事人にあこがれる受験生・西順之助として登場させる。また、新仕事人でもそうだったがこれまで以上に時事ネタを取り入れていく。前作で登場した上司・筆頭同心の田中もより明確にコメディリリーフとし、バラエティ的な作りが一層明確になっていく。美形キャラの充実にバラエティの強化、これらは少なくともこの時点では間違いではなく、事実、視聴率は好調だった。が、同時に後の迷走の特徴も見える。美形キャラやバラエティ的な作りで女性ファンを中心とする新たなファンは付いたが、硬派な作風を好む旧来のファンには失望した者も少なくない。また、表層的な時事の取り扱いが増えたのも粗製の印象を受ける。とは言え、このシリーズは視聴率的には全シリーズ中最高クラスなのは確かである。
 非主水シリーズでは第二十弾「必殺渡し人」第二十四弾「必殺橋掛人」など、決して評価の悪くないシリーズもあるのだが、以後の主水シリーズ、というか仕事人シリーズは、旧来のファンにはあまり高い評価を受けていない。過去の成功に固執したように見えたからかもしれない。はっきりと迷走の開始が見て取れるのは、個人的には第二十一弾「必殺仕事人IV」からであるように思える。サブタイトルを見ると、「大根めし」に「超能力山伏」「エリマキトカゲ」……まあ、この時期、何が流行だったのか、言わなくてもわかりますね? この珍タイトルが更に磨きがかかり、第二十七弾「必殺仕事人V旋風編」の「ハウスマヌカン」だの「ワープロ」だの「バース」だのが出てくる。ここまで来ると時事風俗をなにか取り違えてるとしか思えない。しかし、同時に通算600回を記念し、(仕掛人以外では)初の劇場版「必殺!」が製作されたのもこの頃。
 非主水シリーズにも迷走の跡は見られ、勇次を主水に代わるもう一つの軸に据えようとして失敗した第二十二弾「必殺仕切人」やスーパーマリオブラザーズのパロディになっている秀の主演作、第二十六弾「必殺まっしぐら!」がある。第二十五弾「必殺仕事人V激闘編」でハード路線の回帰を試みるも、もはや世相が違ったのか、スタッフの実力不足か、あるいは別の理由か、結局すぐにライト路線になってしまった。シリーズ第二十八弾「必殺仕事人V風雲竜虎編」ではさすがにこの迷走は収まるが、もはや時すでに遅し、第二十九弾「必殺剣劇人」で必殺十五年の幕を下ろすことになる。
 年は1987年。大河ドラマ「独眼竜政宗」放送、「朝まで生テレビ」開始、ファイナルファンタジーI(FC版)発売の年。


2004年11月16日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] ねむ〜

 職場に泊まりがけなのに加えて、皮膚の発疹に抗ヒスタミンの錠剤を飲んだら眠い眠い。色々尻に火がつきかけていたりもして。
 Firefox1.0正式版をノートPCでのみ導入していたのだけど、他のアプリケーションからのリンクを開く際の設定で「新しいウィンドウで開く」にしてもアクティブなウィンドウで開かれてしまう。試行錯誤したら、 Tabbrawser Extensions を使用していると設定が反映されないらしい。disableにすると設定が生きた。(と、言ってもuser.jsのbrowser.tabs.showSingleWindowModePrefsをtrueにしないと設定画面に設定が表示されないけど) とりあえずTabbrawser Extensionsを無効にしてるけど、それなりに便利なので残念。

[必殺] 最後(?)の必殺(その5)−誰が必殺を殺したか?

 最盛期は衰退期の始まり、とは言うが、必殺シリーズの場合にもそれが当てはまる。1984年から1987年まで、一年に一本の劇場版が作られ、美形路線で新たな視聴者を獲得し、視聴率もピークに達したはずが、わずか数年でシリーズの中断に追いやられた。
 「あれがつまらない」「これがつまらない」と言うのは簡単だが、「ではどうすれば視聴率を稼げたか」の代案が示せない以上、それは詮無いことのように思う。視聴者の嗜好の変化であるかもしれないが、それを正確に抜き出すのも難しい。
 ただ、必殺シリーズの流れを見ると、80年代半ばは明らかにそれまでと異なっていることは事実である。
 前期シリーズでは、必要に迫られた場合もあるが、一作ごとに顕著に作風が大きく変わっている。しかし後期になるとバラエティ路線・美形仕事人の投入というコンセプトに頼りすぎているのがわかる。
 これらの原因はなにか。一つには前期シリーズの終盤にも見られたが、感覚の衰え、というようなものが感じられる。時事の取り入れにそれが顕著だが、うらごろし辺りは(大好きだけど)どう考えても当たるとは考えにくい。これは後期シリーズのトンデモタイトルにつながっていく。一方で、スタッフ側も視聴者の求めるものが掴みかねていたのではないか。そのためひとまずバラエティ・美形路線を踏襲し、あるいは刺激的(とスタッフが思ってしまった時事)をより刺激的な形で取り込んだり、まっしぐらのようにゲームのパロディをやってみたり……
 二つ目には、これは推測だが、製作体制の変化があるのではないかと思う。バラエティ路線とワイドショー的な時事の取り上げを極端にまで進めた「仕事人V旋風編」は14回であわただしく終了している。 *1 当初原点回帰のハード路線を売りにしていた「仕事人V激闘編」も早々と路線変更を迫られている。フットワークが軽い、と言うこともできようが、どちらかと言えば「腰が据わっていない」という印象の方が強い。これは失敗したから、とは一概に言えない。なぜなら、あの視聴率シリーズ最低を記録した「うらごろし」でさえも路線をそのままで23回まで続けたのだから……これがシステム的なものか、心理的なものかはわからないが、ともかく80年代中盤以降とそれ以前の必殺は、製作スタンスが根本的に異なると考えられる。
 一方で、視聴者側にも原因がないわけではない。バラエティ的路線を好み、わかりにくさを嫌ったのは、ほかならぬ視聴者なのだから……しかし、それは原因であって、必ずしも責任ということでもない。現象的に見るなら、80年代中盤は何故かテレビの視聴時間自体は変わらないのに高視聴率番組が減少するという、不思議な現象が起きている。これはそのまま継続し、90年代に入るとさらに減少する。
 原因はともかく、それに対してテレビ側が提示したのがバラエティ路線だったが、わかりにくさを嫌う視聴者の為に、わかりにくさは徹底的に排除されていく。これは必殺に限ったことではない。水戸黄門の印籠が定番化したのも80年代に入ってしばらくしてからで、徹底的なシンボル化が行われる。
 一方、後期途中で見た目のケレンを増やすために殺し屋が増え、そのためにその他のドラマ部分に時間を割けなくなったせいもある。実はそれ以前から悪役が定番→陳腐化している傾向があるのだが、それもドラマがシンボル的な取り扱いになっていった一因ではあるだろう。結果、「どのようなやりとりで犠牲者が出、犠牲者と殺し屋、あるいは悪党はどのように絡むか」という部分はおざなりにされてしまう。仕事料ですらも、かなり儀礼的なやりとりになる。
 それが低迷の原因かはともかく、後期にはアグレッシブさを身上としていた必殺がそのアグレッシブさを失っていた。
 そして必殺シリーズの中断が決まり、第二十九弾「必殺剣劇人」が作成される。
*1: このとばっちりを食ったのが今シリーズで復活していた西順之助。最終回でまったく無意味に爆死と言う憂き目を見ている。


2004年11月17日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他][読書] 前向きに逃避

 ちょっと体調が悪いくらいの方が、切羽詰ったときには仕事に逃避しやすいのかもしれん。おまけに抗ヒスタミンの作用でちょっとだけふわふわ気分。
 ようやく文庫版の「 ローマ人の物語 VI パクス・ロマーナ」まで読み終わり。ローマ萌え〜、イタリア萌え〜な塩野女史だけに、歴史としてみるときには憧憬めいた部分は除かねばならないだろうが、やはり読み物としては抜群に面白い。前の「ユリウス・カエサル」は主人公であるカエサルが英雄的かつ非凡であるがゆえ、その勢いで読ませる形だったが、今度は(カエサルと比べれば)凡人のオクタヴィアヌス(アウグスティス)が如何にカエサルの理想を継いで実現していくかが描かれる。「まるで建築物を建てるように」と書かれていたが、本書自体もそんな感じ。帝政への決定的な移行時期なのに、「あれ? いつのまに帝政が確立しちゃったの?」って感じで、ある意味ドラマティックな演出は皆無だが、逆にそこが面白い。しかし、昔別の本でこの辺の歴史を読んだ時も思ったけど、軍事的才能は無かったもののあれだけ賢明なオクタヴィアヌスがどうしてここまで血統による帝位の継承に拘ったのかがよくわからない。これだけの人物がこれだけ執念を注いだなら、明確な動機が(合理的でなくても)あるはずだと思うのだけど。ちと歪んだ感じに思え、その歪み具合が面白くも恐ろしくある。


2004年11月18日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] メモ:さくらウェブサービス停止

  さくらインターネット のウェブサービスが停止し、その代理サービスとして レンタルサーバー を開始するとか。7月にアナウンスがあって今まで気付かんワシもワシだが、さて、どうしよう? ドメイン取っても現行より安くは上がるのだけど……今日明日は忙しいし、まだ猶予はあるから、後でゆっくり検討しよう。でも、いずれにしたって移転作業は必要なのだよなぁ……( さくらならファイルの移設は要らないから、その分楽か? これ、間違い。乗換えサービスはあるけどファイルの移設は自分でやらないといけない。ふむー)

[その他] 理屈じゃわかってるんだが……

 かなりの緊張状態に置かれてアドレナリンと脳内麻薬物質が放出された後、その緊張から解放されるとそれらの物質の影響で反動としてハイになる、って、理屈としては現象はわかるんですけどね。それがきちんとコントロール出来ないと「パニックに弱い」という結果になってしまう。いえ、他の誰でもない、私のことなんですけどね……


2004年11月19日(金) 旧暦 [n年日記]

[その他] 一山越え

 ひょっとしたら、来年度のおまんまのタネの目処がついてきたかも。その分頑張らんとなぁ。しかし、現ボスはなにかと曲者だ。もちろん誉めているんですが。そのお陰でワタクシなどもなんとか食えているんですし。
 とりあえず、 さくらインターネット のウェブサービス停止に伴う移行先は、面倒なのでそのまま さくらレンタルサーバー に乗換えすることに。一応celts.sakura.ne.jpのドメインは押さえましたが(押さえただけ。まだなにもありません)、独自ドメインもついでに取得するかも……
 コンテンツの移転時には各コンテンツ上で(多分)案内いたします。いや、何があったか自分でもちゃんと把握してないんで……少なくとも再来年春まではコンテンツは保管されてますので、ご安心を。基本的に全部移すつもりだし。
 あと、自宅のメインPCのブラウザも Firefox 1.0 に移行。旧バージョンのアンインストール以外も色々削らないとクリーンインストールできないのが難物でしたが、とりあえずどうにかなりました。しかし、日本語版は英語版と比べてどことなく野暮ったいと言うかダサいと言うか。まあ、それだったら英語版入れろって話なんですが。
 先日、例のお隣の席の中国人のDさんに、ロシアが北方四島のうち二島返還について言及していたのについて訊かれる。「あそこは元々日本の領土だったんだけど云々」と説明。まあ、間宮林蔵が択捉の調査をして云々、までは遡及しませんでしたが、訊かれればそこから説明しましたけどね。やはりその辺はまるっきり知らなかった模様。当たり前かもしれないけど、多分、向うの人の隣国の歴史認識なんて、そんなものなのだろうなぁ。私だって中国の歴史の常識を知ってるかと言われれば、自信は無いし。
  原潜領海侵犯:「日本は騒ぎすぎ」中国青年報毎日 )。なにが騒ぎすぎじゃ! 日本国内でやってる靖国参拝にゃさんざん他所から文句言うくせに、人んちに土足で踏み込んでおいて言い草はそれだけかい、ウボァー! ……と、言いたいところなんですが、まあ所詮中国の報道機関なんて中央の顔色うかがって批難しても安全なところに批難を集中してる、ある意味風見鶏ですからな。個別に文句言ったって仕方がないところ。もっと大きなところが変化しないと、この傾向は変わらないでしょう。でも、小泉政権との食い合わせが悪いのは確かとは言え、基本的には別に小泉政権のせいってわけでもないはずなんだよなぁ……
 で、対称的なのは台湾の反応。 事前に台湾から関連情報を日米に提供することができたのは光栄だY!hl )。旧世代などを中心に親日派が多く、中国ほど日本アレルギーがないとは言え、これもまた台湾の都合が反映されていると見るのが健全なんでしょうね。特に、中国からのちょっかいをどうにかしたいと思っているのなら……
  徴兵制の禁止規定に関して「むしろ志願制と書くべきだ」との異論Y!hl )。ここまで来ると「アホか!?」と言いたくなりますけどね……もはや重箱の隅つつきですらない。ま、所詮議員は有権者のレベルの反映ですから。
 イラクの現状の件に関しては保留。明るい見通しがあるわけではないが、現時点で出ている情報程度で何か決定的な言及をすることは多分不可能。
 一番最初の話題に関連して、「日本の宇宙開発は『道路族』、とかのように『宇宙開発族』と呼べる議員がいないのが決定的に弱い」という発言が出て、うちのところの人、私が首を縦に振っていた以外は、みんな「ほー」という顔をしていたのは……まあ、いいか。


2004年11月20日() 旧暦 [n年日記]

[その他] サーバー移転準備中

 ノートPCのバックアップを取りつつ、いろいろきちんと設定が出来るかのチェック。日記CGIの設定が結構面倒。案外と手間食ってしまった。最近はHNSは更新が滞ってるし、tDiaryが最初から用意されているんでいっそのこと移行しようかとも思ったけども、なんか気が進まなくってHNSをぐりぐりいじりまくる。甲斐あってなんとかなりそう。しかし日記はそのままURL移すにしても、他のコンテンツとかはどうしようかなぁ……独自ドメインの件もあるし。
 .htaccessの設定とかもしなければいけないから、 このへん をメモっておこう。しかし「まだなにもない」と書いてるにも関わらず、早速アクセスした人が数人……だからまだなにもないんだって。
 いつのまにかNHK-BS2でゴジラの一挙放映をやっていたらしく、それに気付かずに初期の作品を見逃してしまった……くやしいから「ゴジラ見逃した記念」に マリア様も見てない (怪獣擬人化+マリみてネタ)をリンクしておこう。しかし「核薔薇様」って、ごっつ身体に悪そうな薔薇だな。
 それはそれとして、ビデオデッキが死んだっぽい……ヘッドとかじゃなくって、テープがきちんと入らない、認識しないという状態。ううむ、安手のデッキを買うべきか、それともHDDレコーダーでも買ってしまうか……しかし、借り物のビデオを丁度入れた時に壊れたので焦った。デッキの蓋を外して、ビデオはちゃんと救出しましたが。
 あ、いつのまにか「わっきーの地名しりとり」終わってたんだ! 最後を見逃してしまった……残念。


2004年11月22日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] 奇妙なチャンネル

 ビデオが壊れたのは先日書いたとおり。まあ、HDDレコーダで手ごろなのがあったらそれにしておくか、と思い、大須に行くと ヤマダ電機テックランド名古屋栄店 が閉店セールをやっていて、そこを見ていたらまあ色々値引きしやすそうだったので 三菱のDVR-HE650 を購入。まあ、市場価格より若干お徳、くらいか。
 その後ちょっと飲みがあったので、それが終わってから家に帰って接続作業をしたのだけど、そこで四苦八苦。うちの環境は実はちょっとあまり電波状態が良くなくブースターをかませているのだけど、それでもちゃんとチャンネルが映らない。あれやこれややってどうにか映るようになったのだけど、奇妙なことに気がついた。VHF1〜3chでは問題はまったくないが、4〜だと何故かチャンネル番号が一つ繰り下がる。どういうことかと言うと、5chのCBCは4chに、11chのメ〜テレは10chに、という具合に。もっとおかしいのはUHF。どうおかしいかというと説明しづらいのだが、25chのテレビ愛知は11chに、35chの中京テレビは6chになってしまう。そのほかは意外にも画面の映りは良好で、「?」としかならない。本当にどうなってるんだ?
 しかしいろいろレコーダをいじってみた結果、機能的にはこれで十分そうだがいろいろと不満な点も発見。一番の不満は、録画予約時やテレビ欄の移動時におけるユーザー・インターフェイスの悪さ。テレビ画面の解像度だから文字の大きさとかは文句は言わないが、リモコンのボタンが多いわりにあまり意味がない。じゃあ、少ないボタンしか使わないから便利かと言うと、結構離れた場所にあるボタンを使ったりとその意味もあまりないように思える。迂遠な作業時に「ショートカットを作ってくれ!」と何度思ったか……リモコンのデザインとユーザー・インターフェイスの設計がきちんと同期して行われていない印象。「多機能をわかりやすく操作しやすく設計する」ってのは家電メーカー各社の悩みどころではあるだろうけど、だからこそちゃんとやって欲しい。それ以外のところは、まあ悪くないのだけど。
 で、その前の飲みはなにかというと、いつものH氏とO氏。O氏が新しいバイク(原付)を買ったので見せびらかしたいとの事。もっとも、バイクのことより「ハウルの動く城」への大突っ込み大会になってましたが。いえ、私は見てないんですけどね。色々立て込んでいたこともあって今回は店を調べておらず、以前行った 串家物語 へ。どっちかと言えば 嘉文 の方が良かったのだけど……って、他の二人が油ものの食いすぎで苦しんでて、なんで私だけが平気なんだろう? いや、量なら同じくらい食ったはずなんですが……
 その後深+に行ったんですが、まあ、バカ話を取りとめもなく。ただ、そのときに「女は宮司になれない」という話が出て、確か女性の宮司がいたような気がしたけども、調べて見る。 やっぱりいるみたいです


2004年11月23日(火) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 最後(?)の必殺(その6)−「あばよ!」

 剣劇人がどんな作品であったのか、もう一度ざっと説明する。主人公は三人の元義賊。彼らには三人のうちの誰かが父親である娘がいて、娘は彼らの正体は知らないものの(実は最終回で知ってたことを明かされるのだけど)、金よりもこの娘の願いを受けて殺しを行う。その際、申し訳程度に三途の川の渡し賃に四文を受けとるのみ。殺しというより、悪党退治と言う方がぴったり来る。殺しに行く際は義賊時代の派手な衣装に身を包み、大人数とチャンバラを繰り広げ、悪の首魁だけ倒して去っていく。その際には(作り物の)大蝦蟇の背中に乗って消えると言うケレン付き。
 こう説明すると、「どこが必殺だ」と思う人も多いだろうし、見ても実際そういう人も多い。しかし、要素だけを抜き出せば、これまでも依頼主から依頼料抜きで依頼を請け負った者たちはいたし、額の少なさで言えば末期の仕事人だって大概人のことは言えない。これまでの必殺になかったところと言えば、実は正面から乗り込んでいって大人数相手にチャンバラを繰り広げる、というところくらいである。しかしそれこそがこの作品の重要な部分であることは、OPナレーション時のチャンバラ活写のパロディの映像と、タイトルの「剣劇」を見ればわかる。
 そして私が声を大にして言いたいのは、このアグレッシブさは間違いなく必殺のそれである、ということである。
 剣劇人最終回「あばよ!」ではゲストで中村主水が登場。剣劇人たちに絡んでくる。この時、主水と剣劇人たちの間でスタッフの内部葛藤そのままではないかと思えるやりとりが行われる。

 主水「(元締めのお歌にぼやいて)田舎芝居じゃあるめえし、あれで裏の仕事のつもりかよォ? 大根役者が雁首そろえて、派手な見得切りやがって」

 綾太郎「(仕事料がないと聞いて文句を言う主水に)中村さん、金を貰って仕事をするあんたの時代、もう古い」

 主水「何言ってやがんでぇ。その金にはな、殺された者の恨みがこもってる、だから仕事が出来るんじゃねえか」

 松坊主「『晴らせぬ恨みを晴らしてやる』、耳から指突っ込んでガタガタいわせたろか! 立派な大義名分ですナァ」

 初期の必殺では、一回一回が脇役、つまり犠牲者と悪人のドラマである回が少なくない。キャストのスケジュールの都合上ということもあろうが、犠牲者と悪人のドラマを濃密に描くことで視聴者の共感を、怒りを掻き立てる。世の不条理、あるべきものがあるべき姿でない「ねじれ」を丁寧に作り出す。スタッフも脇役の出演者もその時代にはその力があったし、だからこそ殺しのシーンで何の解決にならずともねじれのほどけるカタルシスを得られた。しかし、末期必殺では濃密なドラマは作られず、淡白に、あくまで決まりごととして犠牲と依頼が流れていく。言ってしまえば「恨み」は「大義名分」でしかない。
 いわゆる「お約束」は、いわば条件反射であり、条件付けが行われれば特徴的な条件刺激だけでカタルシスを追体験できる。別にこれ自体を責めようとは思わない。それも立派な娯楽のシステムである。が、刺激は慣れるものであり、また条件付けを再学習しなければ条件反射は薄れていく。反復だけでは限界がある。
 上の松坊主のセリフは、ただのシンボルとして「条件刺激」化された「犠牲者の恨み」を掲げる主水への、仕事人への、必殺に対するアンチテーゼではなかったのか?
 犠牲者に対する共感ではなく、犠牲者を悲しみ、悪へのまっすぐな怒りを示すお七を視聴者の代弁者に据える。そのお七に世直しの夢を見せるため、三人の父親が置かれる。悪漢になりきれないとなると頼み料だなんだは邪魔なだけで、シンボルであることを明示し、最小限のものにとどめられる。派手な殺陣、チャンバラで視聴者の目を楽しませ、かつ、あくまでこれは「夢だ」ということを明示する。
 必殺が一回りして帰ってきた先が、結局再び「時代劇」「チャンバラ映画」だというのはちょっとした皮肉か。アンチ時代劇として出発した必殺シリーズ、15年最後の作品は、「必殺」への「アンチ必殺」だった。かと言って全否定しているわけではなく、最終回では火事でいつもの衣装を失った主役三人はそれぞれ勇次、(何故か)石屋の大吉、秀の衣装を着て、殺し方まで真似すると言うサービスを行っている。必殺を愛しつつも愛しているからこそ否定する、そんなスタッフの心意気のようにも思える。

 と、ここで終わっていれば綺麗な話だったのだが、さらに数年後、第三十弾「必殺仕事人・激突!」が作られる。最初の数話の評価は悪くないものの結局末期仕事人の特徴を再現しており、シリーズ再開の原動力とはならなかった。はからずも「あんたの時代、もう古い」との綾太郎のセリフを裏付けるかのようだった。

[必殺] インデックス代わりにまとめ

最後(?)の必殺


2004年11月24日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] やや鬱

 なんだか微妙な鬱状態に入ってきた。正確には鬱というより一種のパニック状態で、無意味になにごとも怖くなり、新しいことをやる意欲が失せていく。そんなことも言ってられないのだが、年末になるとこれだからかなわない。もっとも、まだ手首をじっと見つめるとか、線路見て飛び降りたくなるとかはならないので全然楽なのだけど。
  読売新聞11/23付編集手帳 。鋭いところを突いている、とまでは言わないが、まあそうだよなぁ、という感じの意見。靖国参拝とか言われたって、大幅な組織整理予算案とかが財務省から出ている国を、色々軍備を近代化したり国境付近や周辺部に火種がくすぶってる(一部は「くすぶってる」どころじゃないみたいだけど)国が「軍国主義だ!」と文句を言う構図ってのは、まあ政治としてはわかるけど、冷静に見るとお笑いでしかない。問題は、それがお笑いだって見える人間が(日本の側にしろ)どのくらいの割合いるか、ってことだろうなぁ……しかし、 抗日戦争館拡充Y!hl )とかいうニュースを見ると、胡錦濤政権も最初からどん詰まりなのかなぁ、などと考えてしまう。つまりは、基本的に日本との共存共栄なんて考えてない、ってことなのだから。

[映画] 写楽

 NHK-BS2で映画「写楽」をやっていたので見たのだけど、「東洲斎写楽」という人物を描けてはいないが(っつーか、写楽自体が正体が謎なのだけど)、時代のありようが変わる中で、今様を追い求める業者と、自分の信じる良いものを固執するものという対立構造がまずあり、その回りで時代に右往左往する者、その上で市政に携わり逡巡する者が描かれる。それが、写楽というサービス精神のかけらもない、人間を描くことを追求したものに周囲も、描いた本人も振り回される様が描かれる。人間を描くことにはほとんど誰も追従できない売れっ子歌麿も、異彩ながらも役者絵は写楽に敵わないと苦しみながら吐露する北斎も、各々創作という地獄にそれぞれの武器で抗う。単純には売れることと良いものとの対決、その上で各々の者を生み出す苦しみ。主役が蔦屋重三郎やらなんやらにぶれているし、娯楽作としては難があるが(舞台設定は面白いが、ドラマとしてはイマイチ)、少なくとも前半部分はなんだか今のエンタテイメント界隈を見てると感じるところの多い作品ではある。

[アニメ] 非道い話

  舞-HiME 第八話、事前に既に放送してた地域から情報が漏れてきてはいたけど、なるほど、こりゃ(非情という意味で)非道い設定だ。どのくらい非道いかというと、勝手に花京院の魂まで賭けた承太郎の五倍くらい(笑)。なるほど、これで「恋を賭けた」につながるのか。いきなり人死にってのは諸刃の剣だし、これが作品としての完成度につながるかはまだ先を見ないといけないけども。
 この話の大殊勲はなんと言っても岩男潤子。実に嫌な感じの悲鳴をあげている。しかしロボだのなんだのまで出して、設定的には収集はつくんだろうか……? 

[その他] マツケンサンバII、紅白出場決定

  日経 。うわ、マジっすか!? ってほどびっくりすることでもないのだよなぁ。近頃になってワイドショーなどで散々取り上げられたし、紅白もNHKの制作費横領の影響もあって大物歌手が続々出場を辞退するなどしている。もともとド派手なステージで紅白向きだし、マツケンサンバIIが出場する要因は意外と多かった。とは言え、驚かないのとめでたいのとは別の話。紅白、久々に録画しておくか。(そいでもってマツケンサンバIIのところだけ見る)


2004年11月25日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] もー、なに考えてるんだか

  朝目新聞 さんより 岐阜経済大学公式サイト 。SPライセンス吹いた! 近年ご当地ヒーローとして「××戦隊」とかがたくさん出てるけども、あれはなんで戦隊ばっかりなんだろう? ゴレンジャーとジャッカー電撃隊はスーパー戦隊に含まないって話もあるけども、いずれにしても戦隊ヒーローものとしては忍者部隊月光やガッチャマンが先行してるわけで、別にスーパー戦隊ものでなくてもいいと思うのだけど。 *1 やはりシリーズ数が多くって漠然としたイメージのあるスーパー戦隊の方がパロディをやりやすいんだろうか?
  自衛隊駐留支持が8割、4割に「不満」も 朝日新聞調査朝日 )。この報道は朝日の報道と言うことで身構えて見てしまうが、さすがに8割支持ではどういじりようもなかったのではないかとも思える。ただ、 11/24付けの毎日新聞のコラム もあり、単にそういう事実があるというだけではなく、そういう報道を行う動機が存在してるのではないかという気がしてしまうのだけど……でも朝日の記事の後半の「4割に「不満」も」という辺りが朝日らしくって笑える。こういう表現をしているときは大抵示威的な操作をしているので内訳を見ると、28%完全に不満、12%不満もある、で、完全に期待はずれとしているのは3割に満たない。また、逆に6割は不満はまったくないということで、現地での外国組織の活動としてはかなり良い支持率ではないだろうか? しかし不満の内容を見るとやはり自衛隊の活動に伴う雇用の発生に寄せる期待が高いようで、その辺はやはりある程度は埋まらない溝なのかなと思えてしまう。
  ブラックバスは網の外?外来種被害の法対策骨抜きか読売 )。「在来種」と言っても難しいところで、元々渡来種であるものは、動物にも植物にも少なくはない。が、絶滅を放っておいていいかはそれとは違う話。結局何を保護し、何を駆逐するかという人間の恣意的な自然の操作に違いはないのだが、個人的にはバスよりフナやタナゴが見られるならそれに越したことはない。無論、私のただのわがままですが。しかし、やっぱり「キャッチ・アンド・リリースで命の大切さを」ってのは違うだろ、と思うのだけど。「美味しんぼ」の戯言を真に受ける気もないが、魚釣りで命の大切さを覚えさせるなら、絞めて、さばいて、料理して、食べて、そういう生き物として当たり前の一連の手順を体験させる方が、生命とはなにかを体感させることになると思うのだけど。
  首相の靖国参拝は公的 千葉地裁、賠償請求は棄却産経 )。要約すると「参拝は公的なものだけど、憲法違反はしてないので賠償は却下」という判決内容。「政教分離」って誤解している人が多いけども、あれは「政治が宗教に一切関わってはいけない」ということじゃない。アメリカとかその他各国の大統領の就任式の時、何に片手を置いてるのか。無論どのくらい力を入れるかとかは違うけども、この手合いの宗教の関与は普通は問題にされない(する人もいるけど少数派)。問題は、それが特定宗教団体への肩入れという形になったとき。お参りするくらいなら問題ない、というのが今回の判決。「参拝するのが義務」は言いすぎだが、少なくとも国からの物質的な利益供与はないし、国民への信仰の強制もないし、原則的に「政教分離に反する」はおかしいと思うのだけど。
*1: ここではリーダーは置いても基本的に同列かつ個々の特徴のある集団ヒーローのみを意図し、一人の強力なヒーローが仲間を引っ張る「レインボー戦隊ロビン」等は除外する。けど、ジャッカーのビッグワンってのもいるしなぁ……


2004年11月26日(金) 旧暦 [n年日記]

[その他] かぶれの後には……

 一時はマジで洒落にならないことになっていた右手のかぶれも収まったものの、その後遺症で今度は表皮の角質化に苦しむことに……つか、ボロボロ崩れる。指の先の表皮が厚い部分はえらいことになっていて、生え変わるまでしばらくは苦しみそう。手先を使う仕事としては、ちょっと嫌な状態なんだけどなぁ。
 本日は職場の別の部署の成果の発表会。他の用事やらもあって遅れて行ったり途中で一時抜けたりとかもしたけど、なかなか面白い話が聞けました。
 で、その後は懇親会。ぼけーとしたり、メシ食ったり、酒飲んだり、話したり。あの会費でこの料理は普通はありえん、と思ったけど、やはり会費よりグレードの高い料理だったらしい。クスクスの料理やテリーヌが出てくる懇親会は初めて見た。一体どこから金が出たのだろう、って、まあ出るところは限られてますが。
 その移動の途中、先日HDDレコーダーを購入したヤマダ電機のビルが工事している。よく見ると、閉店といっても撤退ではなく、12/4に新装開店する工事のための一時閉店だったらしい。店じまいするのにポイントカード発行してどうなるんだとか思っていたけど、なるほど。結構ポイントがあるので、新装セールはちょっと覗いてみますか。
 HDDレコーダーは導入して約一週間、おもちゃ感覚でいじってるんで、ついでに録画の消化が進む進む。もちろんもっぱら他事しながらですが……導入した DVR-HE650 は普及モデルより少し上くらいのグレードの製品で、PCとの連携とかデジタルチューナーとかそんな大層なものはついていないのだけど、それでもまあ、VHSよりはそこそこ便利。小型のベアボーンを買って録画専用PCを組むという手もないではないけど、導入やメンテナンスのコストなどを拡張性や機能と比較して、まあ、そこそこのことができればいいや、ってことで。案外と便利なのは録画しながらの再生。録画途中で見始めたりとかしても、また頭から見直すなどの時間のロスが少なくて済む。テープ媒体のビデオとはかなり似て非なるものという感じ。
 明日の「雲の向こう、約束の場所……」のシルバー劇場での上映は、新海誠氏の挨拶があるとか。その時間帯に間に合うようだったら並びに行ってみよう。しかし、ハウルもまだ見てないなぁ。話に聞くところでは「どうなったのかはわかるけど、どうしてそうなったのか/そうなるのかがわからない結末」ということらしいが。


2004年11月27日() 旧暦 [n年日記]

[映画][アニメ] 雲の向こう、約束の場所

 名古屋は シルバー劇場 公開初日で、新海氏の舞台挨拶もあるということで行ったものの、ほとんど徹夜状態 *1 . なので周期的に眠気が襲ってきたり。
 幸か不幸か劇場に向かう途中で派手にすっころんで膝をしたたかに打ちまして、その痛みで眠気が醒めたはいいんですが、痛みと体力消尽で立ち見は辛い状態に……これなら二回目の上映で確実に座った方がマシ、ということで、二回目の上映にしてもらうことに。かなりの人出で、行列も結構なことになってたんですが、スタッフ側の対応はあまりなれてませんでした。まあ、どっちかと言えばマイナー系の劇場ですから。でも、前にも一回シルバー劇場で並んだことがあったのだけどなぁ……なんだっけ? まあ、それはともかく一回目の上映終了予定時刻の12:30に劇場に再び来たものの、まだ退場は行われず……予想外の人出に手際が追いつかず、終了予定時刻の12:30に挨拶、ということになった模様。まあ、こんな事態、年にそう何度もないだろうしなぁ。
 本来開始時刻のはずの12:50にようやく入場開始。って、劇場から出てくる客の中にH氏発見。日曜に会った時に「見に行く」って言ってたっけなぁ、そう言えば。でも人がごった返してる中なので、挨拶するのもナニなので生暖かく見送ってましたですよ、ええ。
 その後、ようやく入場。予定がずれ込むこと10分ちょい。まあ、そんなものだと思ってたのでこちらはどうともないですが。
 で、いよいよ本編の感想となるわけですが……ちと、厳し目の評価っぽいのは勘弁してください。
 2002年日本SF大会ゆ〜こんにて、新海氏とちょろっと会話する機会に恵まれまして、その時にストーリーを語ることにそれほど興味の焦点は無い、と言っていた氏が長編アニメ映画をどうまとめるか、というのをちと半ば意地悪い心持ちで見ていもしたのです。が、それに関しては、わりと上手くまとめていたと思います。が、むしろ別の視点での見方がされてしまいまして……

 まず、鑑賞料分の価値があるかないか、と言われれば、確実にある、と答えます。楽しんだか、と言われれば、楽しんだ、と答えます。しかし、傑作か、と聞かれれば、ちがう、と答えます。佳作か、と言われれば、迷います。見に行く価値はあるか、と言われれば、70%の確信を持って、ある、と答えます。
 失礼を承知で端的な感想を述べます。「感嘆はしたが、感動とまではいかなかった」
 幾つか気になった点というのはあるのですが、実は根本的に感動するまで感情移入できなかった理由は二つです。
 一つは、人物とそれ以外のリアルの寒暖差。たとえば、風景だとか無機物のアクションだとかはものすごく良いのですよ。自分には到底こう物を見ることはできないんじゃないか、ってくらい。私が見える光景はもうちょっとへこみや傷による質感、誇りによるぼやけとかがあるので基本的な違いってのはあるのだけど、それにしたってこの風景を捉える力はものすごい。が、これが人物、はっきりしたところでは動作になると、急にその感動から引き剥がされる。いや、動きの滑らかさはいいんです。ただ、動作がリアルなそれではなく、「アニメ的」なんです。最初、佐由理の動き、「ぶってる女なのかな」とマジで思ってしまいました。でも、世間一般的なアニメの基準で見れば、「普通」なんですよね。極端に言えば実写の背景にアニメのキャラクターがはめこまれている違和感。他のキャラについてもそれが言えて、その画面全体での統一感の欠如が、ことあるごとに現実に引き戻すわけです。
 二つ目は、決定的な間の悪さ。例えば、ネタバレになりますが 岡部に「なんでジェットエンジンなんだ?」と聞かれて、ヒロキとタクヤが「なんとなくかっこいいから」みたいな答えを次々返す場面。笑える場面のはずなんですが、劇場で笑い声が漏れませんでした。ためらいがちな、息のようなかすかな笑いは漏れましたが。実は、これはちょっと間の取り方を工夫すれば笑いが取れるはずで、「間で演技させる」ということが出来ていない、ということです。
 両方ともどうしてそうなってしまったかは、非常に簡単。新海氏はゲームのデモムービーや短編ムービーのみの作成に関わっており、テンポ良く流れることが必須な分野であり、あるいはテンポを崩し、止め、観客の反応をコントロールする分野に関わらなかったから。単に「そういうスキルがない」ということ。また、短いムービーだったため、「演技をさせてない」欠点が気が付きにくかったこと。
 以前、アニメージュの富野由悠季氏との対談で、富野氏が「ウチで鍛えればモノになる」みたいなことを言っていたのだけど、それを思い浮かべると新海氏の欠点を適切に見抜いていたのだと思える。こればかりはそれを意識して鍛えないと、鍛えられないものなのだ。一緒の職場で働きたいとは思わないが、流石に数多の作品に関わり数々のヒット作を生み出した富野氏ではある。
 が、だからダメダメかと言うとそうとも言えず、「デモムービー・イメージビデオの手法で90分観客を飽きさせない」という手腕には舌を巻くほかない。なんだかんだ言って、私も上映中時計を見たのは二回だけだった。
 その他にも伏線の貼り方だとか視聴者の感情をコロコロ動かす技術だとかについて、未熟を感じる部分が多かったが、もし今後、上手い具合にそれを吸収したら非常に恐るべきクリエーターになること、間違いない。
 観客がスクリーンを食い入るように見ていた反面、上映直後に観客のすすり泣きがまったく聞こえてこなかったということが、新海氏の長所と欠点、両方があることをはっきり示していると思います。
 テーマはかなり重いので人によっては非常に感じ入って泣く人もいるとは思います。が、全般的には「感嘆はするけど、感動にまではいたらなかった」というのが正直なところです。しかし、それが出来たときは恐ろしい存在に化けるでしょう。
*1: 計二時間くらいの仮眠を取ったのみ。


2004年11月29日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] 調子悪〜

 私の調子が、ではない。ウチのネットワークの調子の話。なんだか先週末からブチブチ切れまくっている。評判の悪いPLANEXのルータのせいかなぁとか疑ったけど、どうもそうではないらしい。ADSLモデムか? とも思ったけど、そうでもないみたいだし、ケーブルが切れたかとか、いろいろ考えていたが、もしや、と思って受話器を取って時報にかけてみる。すると、酷いノイズがバリバリと……なんじゃこりゃ? しかもこのノイズ、四六時中乗っているわけではないらしい。とりあえず明日、 NTT西日本に連絡してみるか 。しかし、この状況はなぁ……

[その他] 先週末

 知人のTS氏が日曜に出張で名古屋に出てくると言うので、昼過ぎにお出迎え。名古屋にはそこそこ来ているので、特にこれと言って目新しいところは案内できず。ってぇか、「山」だのなんだのという奇天烈なところは既に訪問済みなんですが。ただ、日曜は28日で毎月行われる大須の烏瑟沙摩(うすさま)明王の 明王殿 の縁日。不動明王と勘違いしていたけど、烏瑟沙摩明王ってどんな明王だっけ? と思ったら、不浄除けの守護神で、便所などに札が貼られているんだそうで。昔、その辺のこと一通り調べたはずなんだけどなぁ。
 もう一人、名古屋在住の共通の知人であるNM氏も都合がついたというので合流することに。携帯での連絡がつかずぶらついていたら、大須の町中でいきなり遭遇。お会いするのは何ヶ月ぶりだっけ? まあ、同じ名古屋在住なんだからもっと接触の機会があってよい気もするのだけど、なかなか会わないのだよなぁ。
 で、少しそこらを回った後、縁日は三時からなのでそれまでグッドウィル近くにあるBOYDSでお茶などをする。まー、相も変わらずろくでもない話ばっかりしてたりするんですが。
 縁日が始まって少しぶらついて、他にも所用を済ませた後、リニューアルした 月天 へ。NM氏はリニューアル後に既に一度来ているらしいが、私とTS氏はリニューアル後は初めて。基本的には以前と同じ。店内の内装が、以前よりはおとなしめになっているくらい。日曜なのでそんなに混み合ってるわけでなかったのが却って幸い。二時間制ということだったのだけど、時間を大幅に越えても追い出されることはありませんでした。土曜だったら、そうはいかないだろうなぁ。ただ、おしぼりを持ってくるのがオーダーが来てからだったり、「お神酒」 *1 が来なかったりと、手際の悪さもありましたが、まあ文句を言う筋合いではないでしょうか。なんせ、回転直後の五時ちょい過ぎから、十時過ぎまでず〜っと居座っていたのだから……
 その間に話していた話も、大概ろくでもない話だと考えておくんなまし。
 久々、と言っても先月会ったとか、長くても数ヶ月ぶりなのだけど、でもやっぱりいろいろ話せて大変楽しかったです。
*1: 「月天」ではまず最初にお絞りとお神酒(梅酒)を持って来て店のシステムを説明するようになっている。これは以前と同じらしい。

[その他][マンガ] あんたは俺か!?

  webサンデーの藤田数日郎氏インタビュー の好きな映画、本(小説)の一覧を見て一言。「あんたは俺か!?」
 いや、藤田氏の読書量は多分相当なものだというのはわかるんですが、マイナータイトル、ことごとくなにかしらワタクシのなにかに引っかかってるんですけど。つか、読んでるんですけどね。ジャック・ヒギンズとタニス・リーとロジャー・ゼラズニーがピンポイントなんて人間は、(それらをことごとく目を通してる人間も絶対量では多くないだろうけど)それほど割合的に多くないと思うんですが……
 あ、でも唯一「ジングル・オール・ザ・ウェイ」はどうかと。(家庭持ちだとまた感想が違うのかもしれないけど)


2004年11月30日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他][マンガ] 「BSマンガ夜話」を見て

 テレビのチャンネルをなく変えていたら、いきなりBSマンガ夜話をやっていたのでびっくりして途中から録画。そういえば今週だっけ。初日は安彦良和「虹色のトロツキー」。ところが見始めた直後、いきなりレギュラー出演者のいしかわじゅん氏が「古臭い」とか「マンガとして下手」とかこき下ろし出す。
 いや、この番組で期待されているいしかわ氏の役どころだとかはわかっているつもりだし、絶賛ばかりというのも偏っているのだけども、それにしたってなぁ……
 ひとつひとつの指摘は間違っていないのだけど(「この人物を出すことはストーリー進行上は意味がない」とか「マンガの手法としては古い」とか)、言ってしまえば「だからそれがどうした?」って話で、それでつまらなくなっているという指摘ならともかく、マンガとしては間違ってる、と延々繰り返すのはうんざり。「ニューウェーブ」って言葉を多用して「自分の方が新しい立場にある」という態度なのも権威主義的で……結局は「面白いか、面白くないか」「作品としては良いか、悪いか」で、主流の表現方法や作劇法を取ってなかったからってだからなんやねん? そう言うからにはご自分はもっとご立派な作品を描けるの? とか思われるのは、仕方ないよなぁ。
 いしかわ氏の発言の数々に、ゲスト出演者で安彦氏の友人でもある高千穂遥氏もちょっとむっとしていたように見えた。気のせいかもしれないけど。
 辛口の出演者も必要かもしれないけど、ここ最近のいしかわ氏のやり方はちといただけない。

[その他] 大須のあれこれ

 日曜に行った時に縁日をやっていた 明王殿 で、どうして烏瑟沙摩明王なんてあまりメジャーじゃない明王でかなり大々的に縁日をやるのだろう? と疑問を抱く。見てみると大須に遊女街があった時に遊女に人気が高かったということで、「なんで?」とさらに思ったが、烏瑟沙摩明王は下の病気の守護明王でもあるという記述を見、なるほど、と納得。多分、性病除け祈願なのだろう。
 さらにふと、寺のまん前に遊女屋があった、ということに気付く。そりゃ、寺ってのは人の集まるところの一つなわけではありますが……え〜っと、寺が関与してなかったってことは多分なさそうで、そうするとおそらく寺が許可・保護をする代わりに寺銭とかを取っていたわけで、まあ、なんつーか、坊主ってのは今も昔も……と思ってしまう。
 「メロンパン」って言うと、 大須の301ビル向いにあるメロンパン屋 がパン生地がやわらかく軽い触感で、大変おいしいです。ハイ。