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2009年11月05日(木) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] DTB流ジェミ#4

  DTB流星の双子 #4「方舟は湖水に揺蕩う…」。ウラジオストックっから北海道札幌にやってきたヘイと蘇芳。ヘイはクライアントからの依頼だと言い、蘇芳にエージェントとしての訓練を施す。早く東京に行って紫苑を探したい蘇芳はそれをうとましく思いながらも、ヘイに逆らうことができない。
 蘇芳はヘイに与えられた課題としてストリートダンサーの一団に喧嘩をふっかけるのだが、その中の一人の少年が蘇芳を見初めてしまう……

 契約者になってしまった蘇芳は、感情が失われたかのようにこれまでの多彩な表情を失う。が、本当に機械のようになってしまったかというとそうではなく、狙撃の訓練で標的にされたタンチョウヅルをわざと狙いをはずしたっぽかったり、紫苑と再開するという思いは消えてなかったり。前作でも契約者は人間性を失ってると言うことではないと言われて、人間味のないかのような契約者がぎりぎりのところでそれを見せたりもしたけど、今度は主人公自らがそれを示すのか。
 そもそも蘇芳を鍛えるという行為が本当にクライアントの意向なのかも不明なのだけど、そのために一時的に寄った札幌で出会った人々。オカマバー「方舟」のママに、ストリートダンサーの少年、ノリオ。ヘイに言われたとおりに人の腕をへし折ることもためらわない彼女だが、ツルやノリオを撃つことをためらったり、初めて女になった自分の身体の変化に戸惑ったりもする。って、お赤飯の方ですが。
 方舟のママは予告では久良沢凱かと思ったけど、そうじゃなかったようで。
 そして進行しつつある事態のもう一人の語り部、三号機関に身を置くが、「一ノ瀬弥生」という偽名を使わされるという怪しい組織。ヘイの情報を得るために飛び込んだはずなのに詳細は知らせれずに、彼女は自ら情報を求める中で、「マダム・オレイユ」の存在が明らかになる。ところがそのマダム・オレイユから未咲に接触を……
 ヘイが一瞬昔の演技を見せたのは嬉しいけど、普段のヘイを見ると見るからに演技というのがちょっと泣けてくる。


2006年11月05日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 帰ってきた

 けど疲れたので更新は明日以降。


2004年11月05日(金) 旧暦 [n年日記]

[その他] ヒーロー←→ドラマ

 話が突然というのはわかっているが、「ヒーロー」とはなんであるのか? これについては自分なりに一応の答えが出ている。ヒーローとは、物語における問題解決装置である。「装置ってアンタ」と思われるかもしれないが、働きとしては結局そうとしか言えない。普通、物語ではなにか問題が発生し、多くの場合はそれを解決しなければならない(しないものもあるけどね)。テレビ番組などの時間制限のあるものの場合、特にこれを時間内に解決し、あるいは盛り上げるために「ヒーロー」が存在する。実は機能としては問題を解決することだから、正義である必要はない。もしくは、解決しさえすればいいので「円満解決」である必要すらない。
 と、ここで舞台装置であるヒーローから舞台である物語に視点を移すとあることに気付く。解決すべき問題があることが、舞台の前提になっている。ヒーローもの以外ではどうか。問題、というと定義が限定されすぎるが、なんらかの居心地の悪さ、というか、なにかが(視聴者の感じる)あるべき状態、安定した状態にない「ねじれ」が存在する。そうなると、「『ねじれ』こそがドラマの核である」という仮説を立てられはすまいか。
 たとえば、「阿修羅のごとく」の場合、そのねじれとは「男女関係」にある。ごく普通の、ほのぼのホームドラマに出てきそうな家族が、老父の愛人が発覚したのをきっかけに、それぞれ夫婦関係・男女関係にねじれを内包していたことが発覚していく。あまりに平均的で理想的とすら言える家族に実はまったく理想的ではない「ねじれ」があることが発覚してから、ドラマが進んでいく。あるねじれは復元しようとし、あるねじれはさらにねじれ、別のねじれはねじれのまま残る。しかし基本は登場人物それぞれがねじれと直面し、どう反応するかである。
 「ロック、ストック、アンド、トゥースモーキング・バレルズ」の場合、ギャング相手の賭けポーカーで一儲けしようとする四人組が結局(イカサマをされて)逆に大負けして多額の負債を背負わされる。期限内に返さないと殺される。これが「ねじれ」。
 「必殺仕置人」第一話の場合。それは田舎から出てきた娘おさきの父親が盗賊の身代わりに処刑されたことが「ねじれ」となる。悪党がのさばり、それを取り締まるはずの奉行所がその悪事に加担する。
 特撮ヒーローものの場合。怪人(怪獣)が現れ、事件を起こす。あるべき日常を乱す。これが「ねじれ」になる。
 後者二つは「問題解決舞台装置」としての存在がいるから「ヒーローもの」と言って良い。前者二つは違う。しかし余談になるが、アギト以降の平成仮面ライダーシリーズって、お約束的に怪人は出てくるがそれは別に「ねじれ」の中心にはならないので、ヒーローものとしてはかなり歪んだ構造なのだなぁ。面白ければなんでもいいけど。
 閑話休題。大分大雑把な分析だが、これって結構正しい気がする。例えば「スピード」でイマイチラストが締まらないのは、「時速40マイル以下になると爆発するバス」という環境下が「ねじれ」だったのに、ラストは逆上した爆弾魔との直接対決になってしまっているからかもしれない。最大のねじれは途中で正されてしまい、後付的に別のねじれを新たに提示されているので、中途半端なのだ。
 ねじれをどう提示するか、最初からあるものなのか、ねじれをつくるところから見せるのか、等々はあるが、「ドラマとはねじれだ」というのはかなり有効な考え方のようだ。ここしばらく考えていたことに答えが出たので、無駄な思弁もたまには役に立つ。当たり前のことしか言ってない気もしないでもないけど。


2003年11月05日(水) 旧暦 [n年日記]

鬱転

 なにかするたびに、挫折感だけが残る今日この頃。手に出来る満足はわずかで、それもすぐに溶けて消える。空しい。
 などと落ち込んでもいられない世の中。世知辛いのう。
  PSPのデザイン発表毎日 )。むー、なんか微妙。だけど具体的にものが見えるとわくわくはしてくるよなぁ。
  アニメサロンのブレイク工業スレ 。いや、一部じゃ話題になってたらしいけども、なんなんだろなぁ、と思ってみてたらこんなことに…… こんなん 作ってる人もいるし。まあ、いろいろあるでしょう。いろいろ。  
 バージェス頁岩で調べてたら、 こんなの がひっかかる。ああ、そういやそんなのもあったなぁ、と思ったら、 スタッフに見覚えのある名前が…… なんちゅーアホな企画だ、と思ってたけど、これだったらオパビニア(美少女)を頭から貪る(文字通り)アノマロカリス(美少女)とか、アノマロカリス(美少女)の口が分離してクラゲになるだとか、期待していいんでしょうか?(するな) ちなみに バージェス頁岩動物群ってこんなの 。(それにしても ジェムソン12年たぁ甘党ですな 。私も好きだけど)
 マトリックス・レボリューションズの世界同時公開には行かず。まあ、前売りは買ってあるんでボチボチ見に行きます。
 今週の マシンロボレスキュー は、AIが壊れて自分の存在に疑問を抱いて組織を逃げ出したガラゴロが、たまたま防災イベントで関西に来ていたMRR三人娘と出会って、という話。敵組織の逃亡者との交流という、ある意味定番なんだけど、いろいろ細かい点まで気配りが効いてて、久々にキター!って感じのいい話。これまでのガラゴロの描き方の蓄積があったとは言え、定番でも陳腐を感じさせないようにできるんだよなぁ。と思ったら、脚本が 吉岡たかを氏 の回でした。いや、作画はあまりよくなかったけど。(でも、シナリオでカバーしてるんだよなぁ)


2002年11月05日(火) 旧暦 [n年日記]

押井スト判定

 こないだ「 ミニパト 」をレンタルビデオで借りてきて、IRCでチャットしながら一話の「銃器談義」に受けていたら友人が「第三話が一番好きなんだけど、おかしいかなぁ」とぽつり。
 「いや? むしろ押井ファンだったら第三話が一番好きなんじゃない?」と、押井ファンの友人がチャットに入ってきたのを見計らって「ミニパトの中でどれが一番好き?」と質問。そしたら「オープニング」という返事が……いや、だからそういうこと聞いてるんじゃないってば。「三話のうちのどれかで答えろやゴルァ!」と逆切れすると、呆れ果てながら「二話目か三話目か迷うところだけど、話自体は三話かな?」と回答。思わずガッツポーズ。
 「なんでそんなこと聞くの?」と聞いてきたので、かくかく、しかじかと経緯を説明する。説明を聞いてその押井ファンの友人が「う〜ん、でもテレビの押井が好きなファンは、二話じゃないかなぁ」と。こちとら実際は押井ファンではないので、なんとも判別がつかない。仕方なく、筋金入りの押井ファンの林氏に、先週末会ったときに聞いてみた。「そんなのは第三話に決まってるだろう」と力一杯の返答。やっぱりそう来たか。ここでもかくかくしかじかと質問をするに至る敬意を話す。と、「(テレビ版が好きか映画版が好きかで違うというのは)う〜ん、そうかもしれない」と半ば納得顔。そうか、ワシの持つ押井ファンのイメージって林氏のイメージが強いから「押井ファン=三話」と連想したのだな。
 週末のビデオ、なんとか消化。BSマンガ夜話の「燃えよペン」の回から、昨日のビッグ・オーまで。マンガ夜話の島本和彦氏の回は、はっきり言ってマンガ夜話の中でも異様な盛り上がりだった。一度、名大に講演に来た時に見に行ったことがあるのだけど、作中のキャラクター同様に熱いのだけど、どこか一歩退いた視点で常にそういう自分を観察している(でも、観察はしても決して勢いで動くのは止めない)という感じの人物でした。島本氏と知己のある人物が多く、その性格にも言及が多かったのだけど、概ね私の抱いた印象どおりの人物みたいでした。いや、名大祭の特別記念講演に島本和彦を呼ぼうと言って、実際に呼んだ実行委員は偉いわ。
  ガンダムSEED は期待せずに見ていたら存外と結構面白かったです。何が面白かったかって言うと、性格最悪なヒロインが。性格が悪いだとか、悪女だとかなら別に今更驚きはしなかったが、なんとまあ妙に賢しい自己中心的なバカ女だというのが大変よろしい。ここまで容赦なくヒロインをバカ女にした番組って、多分そうはないだろうなぁ。まあ、ガンダムとかと関係なく好き勝手やりだしたようで、それはそれでよろし。
  キングゲイナー は話はともかく妙に演出的なテンポが間延びしていたような。御大マジックは働かなかったんだろうか? しかし、話自体は面白かった。っつーか、アデットのキャラクター強すぎ。列車強盗をしにキングゲイナーとパンサーと貨物型のシルエットエンジンが鼻歌歌いながら雪原を歩いていく図はなかなかツボにはまりました。
 体調がガタガタのせいか、どうも精神状態もガタガタである。う〜ん、よろしくないなあ。