不定期日誌


google検索

日記内検索  ウェブ全体から検索

hns - 日記自動生成システム - Version 2.19.9

先月 2001年10月 来月
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
HNS logo

2001年10月01日(月) 旧暦 [n年日記]

今日の検索ワード

 「温泉+論文+化学平衡」ああ、すいません。まともな学術的な話は殆どなくって。(^^;
 ギルス新形態についてもにわかに興味が高まっているようで、検索ワードに多いです。映画で演出とか見るとあのデザインで正解と思えるのだけど、デザインだけ見るとなんだこりゃと思ってしまうだろうなぁ……ちなみに情報が早いのは児童誌です。<おいおい
 昨日の アギト は、つおいぞ、バーニングフォーム、から始まり。アギトへの誤解もあっさり解けて、なんか変身後の後遺症もなくなってしまったらしい涼。「俺にしか出来ない事を」云々。いや、それはいいですけどね、全体的に弱体化してませんか? 感情の爆発云々と氷川クンに言われてたように、何か怒りとか悲しみとかそういう感情があってこそのギルスの活躍ってのはわかるんですがね、いきなり後遺症も消え失せたとはどういうことじゃ、クラァ! 不幸のズンドコでないギルスなんかギルスじゃないやい! ワシのギルスを返せ!<誰のだ
 初期設定では胸のモノリス(アギトの胸の真ん中にある奴ね)がない為力の制御が出来ず、アギトのモノリスを狙う刺客になるという話だったらしいのだが、どうもギルスが人気があって涼もどんどんナイスガイになっていってしまったので狭視野的にアギトを付けねらうとかがキャラ的に難しくなったからだとは思うのだけど……替わりに出てきたのが木野アギトことアナザーアギト。あかつき号リーダーの木野薫がアギトに変身するというのは事前情報で知ってはいたけど、まさかブラックジャックだったとは思ってもみませんでした。大笑い。おまけにアギトをギルスに近づけてちょっと怪人ナイズしたようなデザイン、背中から生えるマフラーもどきの羽根と通好み。でも翔一アギトやギルスは邪魔くさそう。そんな裏表の激しい彼も、次号予告で真魚に「あの人キライ」と言われてます。おじさんショック? ちなみに木野薫を演じる 菊地隆則さん は公式ページの掲示板見るとムチャクチャいい人っぽいです。アットホームな雰囲気なんで暖かく見守るだけにしてあげてね。演劇教室も主催していて、クウガのオダギリジョーも教え子、ギルス役の友井雄亮くんは同じ事務所の後輩という間柄らしいです。しかしシンビアンというと「禅銃」を思い出してしまうよなあ。
 なんか今回イマイチ蚊帳の外っぽかった翔一君、「なによ。それじゃまるで俺が能天気みたいじゃない」自覚は全くないようです。ハイ。
 テイマーズは、全国より一週間遅れでデジタルワールドへ。どんなにデジデジしてるかと思いきや、空には「リアルワールド球」が浮かんでてダストパケットがタンブル・ウィードよろしく転がって来る以外はなんか普通の荒野。でもやっぱり普通じゃない。デジモンたちはただ戦いにあけくれ相手のデータをロードしたりされたり。返り討ちにしてちょっと仲良くなったメラモンがあっと言う間にジャガモンの暴走に巻き込まれてやられてしまう。でもそれがそこのルールな非情な世界。能天気にポケモンバトルという世界とはちと違う。いや、ポケモンが悪いとは言わないが。
  PPG は、ウーマンリブな理屈を振りかざす悪者登場。口先で丸め込まれて「女の悪人だからといって苛めるのはおかしい!」と言い出すけど、むしろそれが男女平等じゃないと気付く話。何気に教育的だ。
 最終回のエンジェリックレイヤーは、はっきりしたのは何が奇跡のルーキーかと言うと、どうして勝つのか、何が強いのかさっぱりわからないけど勝つという辺りが多分奇跡なんだろうなぁということと、何が無敵のチャンピオンかと言うと軽量級を主張してるのにどう見ても重量級な戦い方をするところと、格闘戦で飛び道具使ってもお咎めなしなところが無敵なんだろうということか。話的には先週で終ってるので、まあ後はイメージ映像ということになるんだけど、弱点である格闘戦をクライマックスに持ってきてしまったのはやっぱ間違いでないかい? 盛り上がりに欠ける。
 今日は映画の日だったけど、研究室の用事やらなんやらで抜けられず。でも何も見ないのも悔しいので クイーン・コング を見てくる。配給がアルバトロスという辺りで知ってる人にはピンと来るでしょう。悪趣味映画です。(^^; 80年代に作られてあまりのつまらなさにお蔵入りになってたのを、アルバトロスの人が見つけ出して「これだ!」とばかりに権利を買ってきてしまったんだろうなあ。でもそれだけじゃさすがに見ててつらいので、広川太一郎、小原乃理子を使ってアドリブバシバシ吹き替え。でもイマイチ乗り切らないのか、寒さを倍増させているのだが、ああ、そうか、屑映画ってこんなんだったっけ、と思い出す役には立った。悪趣味映画マニア、不眠症の方以外には薦められません。こんなん定額で見る気にはならないものなぁ。本当は千円だって出し過ぎだが、そこは広川太一郎料ということで。0.1点。
 本当は今週末であっと言う間に終了する ファイナル・ファンタジー・ザ・ムービー も見に行きたかったのだが(これも定額出す気になれん)、ちと行ききれなかった。うーむ。


2001年10月02日(火) 旧暦 [n年日記]

大雑把に言って

 アギトスペシャルの京本政樹は、評判が芳しくないよう。京本政樹は良く知られた特撮ヒーローオタクなのだが、特撮マニアからの評判は概して良くない。色んな理由はあると思うけど、特撮ヒーロー物に出たがるけど、演技が大根でキャラクターイメージを変えないという辺りが致命的なんじゃないかと思う。まあビジュアルが最大の武器の人だし(別に馬鹿にしてるわけじゃない。あのスタイルを維持してるのだって大変なことだと思う)、仕方ないと言えば仕方ないのだけど。
 話題転換。
 どこまでが妥当でどこまでが妥当でないか、判断するのはとても難しいのだけど……NYおよびペンタゴンのテロってのは本当に衝撃だった。方法、規模、どれを取ってもテロ行為として行われたものとしては、過去類を見ないものだった。不安になるのはわかる。そのため海外旅行のキャンセルが相次ぎ、旅行会社のダメージが非常に大きいと言う。これは無理もない。あの光景が脳裏を過ぎれば不安になるのも当然だ。
 だが同時に、だから飛行機の使用を控えなければならないということにはならない。当然安全対策を万全にすべきではある。しかし同時に、現代では飛行機がなくては経済も流通も既に成立しない。また、テロの確率を考えれば、殆どありえないと割り切るのもありだと思う。この場合、飛行機を怖がる人と気にしない人、どっちが正しい間違っているということはない。う〜ん、何が言いたいのだろう? つまり、一つの意見を考える時、その対案を考察するのは重要だということかな。つまり、今回の米国の報復行動にしても、賛成意見と反対意見がある。どっちにも正しい点があり、間違ってる点がある。例えば今回のテロは米国のやったことのつけが回ってきたという意見がある。アフガンの原理主義者が犯人だとすれば、それはある側面ではそうだ。しかし、だからテロをしても構わないと言うことにはならない。このテロの影響により、 1000万人が貧困層に陥ると言う試算 が出ている。イメージ戦略の部分が感じられなくもないが、しかし景気が悪化すれば途上国にも影響があるのは自明で、また同時に貧困と言うのは死に結びついている。このテロが殺すのはテロに巻き込まれた人たちだけではないのだ。
 自分の視点を持って様々な要因を考える。たかが一般人一人に何が出来るわけじゃないけど、逆にだからこそ、言いたい放題、無責任に賛成・反対を標榜するようなことはしたくない。何も決めないことが正しいわけでもなくって、それは個人個人がどう判断するかにかかってくる。そして小さな意見は結局まとまれば「世論」になるのだ。
 あ、ちなみに私は基本的に今回の軍事行動には反対です。言っても詮無いけどね。
 昨日結局見にいけなかったファイナル・ファンタジーの映画なのだけど、 案の定惨敗、スクウエア映画事情から撤退 らしいです。まあ判り切っていたことですが。映画を作ることは夢、というのは心情的にわからないではないけども、夢で会社を傾けるのは経営者としては失格。会社の下には何人の従業員がいると思っているのか。ファイナルファンタジーが受けるのはネームバリューも勿論だが、各作品ごとのキャラクターと言うのも大きい。それを使えば、受けるものだって作れないことはなかったのだ。そのほかにもやりようはある。何かを作る、組み立てる際には重要なことだが、好きな事、詰め込みたい事を暴走させればいいわけではないという教訓。


2001年10月03日(水) 旧暦 [n年日記]

息苦しい

 そういえばここのところまともに本を読んでなかった、と気付いた。一旦気付くと、はじめて深海の底に深く沈んだ事に気付いたように息苦しくなる。何か読みたい。何でもいい。でもライトノベルみたいな歯ごたえのないのは嫌だ。とにかく活字を。活字を読んでると感じさせるものを。と、気が付くと手元には中東紛争関係の本が。まるでミーハーみたいだけど、まあいいや。
 しかしボストン・テラン「神は銃弾」(文春文庫)は見つからない。明日は余裕があれば名駅前にまで足を伸ばそう。
 ここんとこアギトづいてるワタクシですが、別にアギトソーセージやアギトカレーとかは買ってないですよ? エクシードギルスのためにガシャポンは思わずやろうかと血迷ったけど。
 で、仮面ライダーつながりの話題で、 マガジンZ という、別名オタクマガジンとも呼ばれていないこともない気がしないでもない雑誌に、「仮面ライダーSpirits」という連載があるのですよ。作画は村枝賢一氏で、旧ライダー一号から順に登場させている。ファンのツボを抑えつつも、きちんとエンターテインメントしてる辺りで旧ライダーファンには人気があるのだけど、実は私はあまり好きではない。
 つまんないのかというと、うーん、イマイチツボにはまらないのは事実だけど、十分水準はクリアしてると思う。ただ、結局この漫画で描かれてるのって、所詮は「心地よい過去」なのだ。
 例えば、出てきているライダーは基本的にアレンジを施されていない。今見ると結構ダサダサなデザイン(特にバイク)もあったりするのだが、それでもそれなりにかっこよく見えるのは村枝氏の筆力によるものと思う。コマによっては飾りのLEDとかスーツのしわまで再現してるのはご愛嬌。多分好き者にはたまらないのだろうけど。でも結局それって、過去の反芻にしか過ぎないのだ。古い物を古いというだけで否定する気はない。でも、そこにある普遍的な何かを楽しむのでなく、懐かしさを、過去のエンタテイメントを美化すると言うのは好きではない。はっきり言えば嫌いだ。村枝氏はプロだ。的確に狙った需要の層に訴えるものを作り出し、そして結果を出す。別にその事に文句をいうつもりも筋合いもない。むしろ賞賛したいくらいだ。だけど人間ってもっと貪欲でもいいんじゃない? もっと面白いものがあるかもしれない、もっと面白いものが出来るかもしれない、先へ、先へ、先へ。そういう拡張主義が大量消費を生み出したという指摘はあるかもしれないが、それとこれとは話は別。昔は良かったと思っているようでは、先なんか見えないのだ。昨今はやりのリバイバル漫画ブームが基本的に好きでないのはその為でもある。確かに今見ても十分面白いものは多いし、それを否定するつもりはないんだけど、楽しんでるのは作品そのものなのか、作品を通して万華鏡のようにほの覗く「過去」なのか。そこんところははっきりさせてもらいたい。今は昔の上に立っているのは事実だが、所詮過去は進む先じゃない。そういうことだ。


2001年10月04日(木) 旧暦 [n年日記]

実録 ザ・ヤクザ

 なんとなく国際情勢の歴史を見てるとそんな気が。いや、別に国家悪党論を唱えたいわけじゃないんだけど、なんだかんだと奇麗事を言っても、外交ってのは国家間の権益争いだからねえ、所詮基本は。
 もっともナニがどうすればいいのかなんて、簡単にわかるわけではないので難しいところ。だけど自国の利害のために人を便利使いするなや、ゴルァ、くらいは言わせて貰おう。
 朝日テレビのニュースステーション見てたら農水省のお偉いさんが喋ってたのだけど、その答弁がもうどうしようもないというか、あんた、業者の回し者? それとも国民の健康と安全を守る義務はないと思ってる? ってな感じでもうムカツクムカツク。一番大事なことはナニかを見失った人間は醜いなぁ。
 何故か今ごろ9月29日の新聞を見たのだけど、もてぎで開催されるアエロバティック大会の広告が載っていた。今年は11/2-4。だけど今年はちょっと難しいかも。また見に行きたいのだけどなあ。
 この広告にも写真の載っていたユルギス・カイリスと握手してもらったのだけど、掌、と云うか手の皮膚が無茶苦茶やわらかかった。それでいてすごい握力で、手がふわっと包まれたと思ったら一瞬のうちにぎゅっと締め付けられたという感じだった。手のひらの感覚が重要な仕事の人は、手がむちゃくちゃやわらかいらしい。勿論意図して手入れしているのだけど、プロの手品師などもその手の皮膚はすごくやわらかいそうだ。飛行機乗り、特にアエロバティックの選手は微妙な操縦桿捌きに生活のみならず命もかかっているのだから、それもさもありなん。
 火曜にやっていた ファイナルファンタジーアンリミテッド を見てみる。想像していたほど悪くはなかった。尤もこの場合の「想像していたほど」の基準はもはや誰も覚えていないだろう、ファイナルファンタジーのOVAなのだから、基準が悪すぎると言えば悪すぎるか。だから決して面白いと保障するものではありません。まあ映画よりは多分マシでしょう。
  ムリョウ は最早語る必要もないほど安定した良い出来。ラブでコメでアクションでオヤジ政治アニメ。そんな回。見せ所を良くわかったプロの仕事。
 プロの仕事って言うと、ゲーム批評最新号の特集がファイナルファンタジーXで、賛否両論を載せるという形なのだけど、プロが語るFFXということで出てきたのが否定派がファイナルファンタジーI・IIのシナリオを担当した寺田さん。肯定派がマンガ家の おがきちか さん。寺田さんはIV以降のシリーズはやってないし手に取る気にもならない、と前置きして、FFシリーズと袂をわかつことになった理由はスクウェアとの姿勢の違いと語り、ゲーム業界のシナリオ軽視の兆候、それはとりも直さず製作を統括・管理する者の「物語を読む力」の決定的な欠如だと指摘する。他にもスケジュール、自己管理の甘さなど、トータルに言及する。こう言っては失礼かもしれないけど、ちょっとおがきさんとは格が違うような……おがきさんはプロと言ってもプロの立場ではなく、あくまでファンの立場として、という感じだったし。
 私は寺田さんの発言に大いに賛同してるし、また刺激も受ける。だって良く考えて御覧なさい。FFIのラストダンジョンで明らかになる、ラスボスの正体と何故「最後のファンタジー」なのかという理由。演出もだけど、あれには鳥肌が立った。IIで、太古になされた帝国を倒す切り札究極魔法アルテマの封印を解くためにその身を呈した白魔道師ミンウの死。泣きませんでしたか? いや、ミンウの死のイベント自体じゃなくって、その後「ああ、ミンウ死んじゃった。せめて彼が残してくれたこのアルテマで頑張ろう」と戦闘で使った当の「究極魔法」が全然弱々だったことが発覚した瞬間。ダメージポイント数十台って、ファイアやブリザド、サンダーの最低レベル時のダメージと同じですよ? 後にゲーム雑誌で「技術の進歩で実はとっくに究極魔法の威力は他の魔法に追いつかれていたのだが、その威力は神話化されてしまってた」という設定があったのだと知りましたが、いや、そんなこと当時知ってても同じです。「返せ! アルテマ要らんからミンウを返せ! 奴の方がよっぽど役に立つ!」と叫んだのは私だけではないはず。
 あれ? なんかシナリオの話とずれてしまった。ともかく、一貫した、計算されたストーリーというのは重要なのですよ。わかってますか? 「ビッグヒット」のジロー・ニシ社長似の坂口さん! カンツォーネ謳いながら切腹してる場合じゃないですよ?


2001年10月05日(金) 旧暦 [n年日記]

熱くなる体・心、それにただ従う本能

 う〜ん、アギトスペシャルは大雑把に云って60点くらいですか。いや、京本政樹の演技とかそこらへんはまあどうでもいいんですが、京本息子がアギト化しかけた時の顔が翔一アギトのままってのが。せめてモーフィングでごまかして欲しかった。内容? いや、映画の方が11倍は面白いです。11倍って微妙な数字だな。要は、スペシャルはどん底にけなすほど酷くはなかったし、映画も大絶賛するほどまでには傑作というわけではないってことですか。でもエンタテインメントとしては大好きですが。
 スペシャルでの一番の収穫は、冒頭のナレーションで「美杉家に居候する青年、津上翔一はアギトに変身し、 本能に従い アンノウンを撃退する…」云々。そうか、やっぱあれは本能だったんか! いや、SF大会のときの怪獣酒場で、「だってアギトってなんでアンノウンと戦ってるかわからないじゃん」と云われ、「あれは、本能ですよ!」と答えたのは間違ってなかったということですな。最初の挿入歌「BELIEVE YOURSELF」でも「それにただ従う本能」とか云ってるし。新OPの意味ありげなシーンの連続もいいなぁ。映画版のエンディングなんですが。ちなみにあかつき号グループ唯一の生き残りの真島君はきっとアギト化しかけたところで木野に殺されるに3000ガバス。
 テレビでクリスチャン・スレーター主演の「フラッド」をやっていたので見る。途中までよくある、ありがちな特殊な閉鎖空間でのアクションものと思ってたのだけど、途中からちょっと趣が変わってくる。いやいや、モーガン・フリーマン演じる強盗団の黒人のボスが実にイカス! タフで強欲で知的でそれでいてなお守るべき仁義を持っている。実にスクリーン上の悪党の鑑。
 本当は今週末には生物物理学会が大阪であったのだが、発表申し込みもしてなかったし、ちと仕事が立て込んでいて行けないこと確実。いや、投稿論文の追加実験データの解析は仕方ないけど、中部生理学会なんぞよりはよっぽどこっちの方に行きたかったんだけどなあ。医者がたくさんあつまるところは苦手だ。ああ、データ解析まだ終わってねえ…しくしく。


2001年10月06日() 旧暦 [n年日記]

ジェンリャ兄の名前

 連杰(リンチェイ)と云うらしい。それじゃ得意技はワイヤーアクションであだ名はジェットか?
 未確認情報だが、月曜のアギトスペシャルは視聴率8%だったらしい。うーん、普段より下がってるぞ? 裏の本命、巨人VS阪神戦は39.5%とか。仕方ないとは云え、むかつくのー。0対5で巨人惨敗だったのがせめてもの慰めか。<巨人嫌い
 「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」は読んだはずだが覚えてない。っつーかこれに限らずゼラズニィの作品って読んでる時は最高に面白いけど、読み終わった後はさっぱり後が残らないってのが多いような。かろうじて覚えてるのは「伝道の書に捧げる薔薇」とか「光の王」くらいなものだし。好きな作家のはずなんだがなぁ。う〜む。
 友人に Grater Sound Station なるメディアプレイヤーを紹介してもらって使ってみる。フリーにしてはいいかもしれない。時々ぱたっと落ちるけど、OSを巻き込まないだけWindows Media Playerよりはマシか。
 あ、YOUNG KING キングダム最新号の大都社の広告によると、11/5発売予定の「ザブングル/伊藤明弘」は「BLUEGALE」に正式にタイトルが決定。発売日は11/13に。「表題作140Pと短編を収録」らしいけど、未収録で全年齢向けの短編って、何があったっけ? THE GOOD, THE BAD AND THE UGLYくらいしか思いつかないけど……それよかBLUEGALEはIとIIを合わせても100Pちょっとだったはずなのだけど。あとの40P弱はひょっとしてIII?
 ってなことをとりとめもなく。


2001年10月07日() 旧暦 [n年日記]

統計解析のお勉強

 だってやらなきゃいけないんだもん。しかたないじゃんかさ。
 っつーか高校のときから統計には何故かとんと縁がなくってさぼってたつけが回ってきたというか。
 色々検定の方法を模索していたのだが、結局理論値とのR^2を求めるのが一番早いというなんとはない結論に。これのために自転車こいで5km先の本屋にまで行きましたよ、ええ。
 コレまでにt-検定使えないかとかχ2乗検定使えないかとか、延々頭悩ましてたんですが。普段慣れない事しちゃダメですな。って慣れてろ!
 午前中からわりとずっとそんなことやってたんですが別にそれしかやってなかったってことではなくって日曜特売に買い物に行ったりテレビ見てたりとかはしてたわけで。
  PPG は相対性理論だウラシマ効果だとなんか小難しい話をしてると思ったらバック・トゥ・ザ・フューチャーねたでした。今回はそんなに面白くなかったかも。次回は悪党大集合らしい。しかし、ガールズたちが見てた番組「MECH-ANIMALS」ってビーストウォーズメタルス?…
 ガオレンジャーは、ギャグでないガオレンジャーがこれほど見ごたえがないとは。いや、それなりに面白くはあるのだけど。
  アギト は、こないだ「真島はきっとアギト化しかけたところを木野に殺されるに違いない」とか書いたら、既に今日殺されかけてました。おいおい、早いなぁ。出し惜しみなしかい。しかしあっさり木野に殺されるわけでなく、来週は木野アギトと涼の戦いになりそう。 来週の画像 見ると久々に涼が後遺症で苦しんでる。どうも後遺症が消え去ったのではなく、フルチャージ状態でなかなか後遺症が出なかっただけらしい。なんだ。安心。<非道い奴
 他にもSPつながりか、翔一に銃をつきつけ捕獲しようとする北條など、ホントに出し惜しみなし。
 SPで先行お目見えだった新OPも芋羊羹食ってる京本政樹の声もかぶらずに堪能。よし、涼が苦しんでる、死にかけてる! ディ・モールト、ディ・モールト、スバラシイ! 他にも階級章をつき返して小沢澄子に銃を突きつける氷川といい、むちゃくちゃ今後の展開が楽しみ。フェイクの可能性もあるけど。
 テイマーズはビデオ録画失敗しました。きゅう。でも今週でよかった。来週のベルゼブモン登場の回だったら泣くに泣けなかった。むう。


2001年10月08日(月) 旧暦 [n年日記]

ついにはじまった。

 先週の水曜日辺りに、同室の徳納先生に「少なくとも一週間以内、多分四日以内のうちにははじまるでしょうね」と言ったのがほぼ正解したわけだけども、できれば外れて欲しかった。と、言っても攻撃が起こるのは既にほぼ必然と言っても良いほど避けえないことではある。今回の戦争は一応米国を中心とした欧米諸国とタリバン政権アフガニスタンという構図なのだが、最大の目的の一つがラディン氏という個人の拿捕であるあたり、そのような性質の戦争は、少なくともこのような大規模なものは近代以降の戦争ではちょっと思いつかない。実際にはタリバン政権を打倒し、欧米諸国に都合の良い新秩序を立てることも目的の一つであるのは殆ど周知。(別にそれが悪いと言ってるわけじゃない。良くもないけど)
 しかしそれすらも、周辺諸国の反応を見る限り目論見通りに行くのか……
 各国首脳、権益まるだしの発言はするわけにはいかないのだが、しかし少なくとも「正義の戦争」なんて言葉は使って欲しくない。戦争はつまるところ壊し合い、殺し合いだ。たとえ目的と結果が現状よりましなものだとしても、武力を行使した戦争に「正義の戦争」なんてものはありえない。それを弁えずに武力を行使することが最も怖い。
 はい、話題転換。
  アギト 関係はネタの宝庫だったりするのだけど、先日公開した 撮影システムについての話 。クウガの時には「ハイビジョン」とかなんとかいう文字が出てたのに、そう云えばアギトになってからは出てなかったな、と思ったら、ハイビジョン撮影ではないらしい。正確にはクウガもハイビジョンではないらしいのだけど。いや、そんなことはわりとどうでもいい話で、問題は文面。一応クウガスタッフを立てた形ではあるのだけど、ところどころ「ひょっとして、敵意丸出し?」と読めないこともない部分が。「アギトは『名よりも実を取る』」ってひょっとして、クウガは実より名を取っている、っていうことの裏返し? と勘繰れなくもない。無論、プレゼンテーション、広報というのは非常に大事なので、「名」だって実際には「実」の内の一部なのだが…いや、 こういう前例 もあるし、ねえ。こういうのは別に下衆の勘繰りに過ぎないのだが、なんかあった方が面白そうだ、ってのはやっぱ下衆ということなのか。


2001年10月09日(火) 旧暦 [n年日記]

ジオシティ、お前もか。

  スラッシュドットジャパン ネタ。 ジオシティの新規約 について。要約すると「したっけ公開させてやるけん、貴様らの公開したコンテンツは、みんなワシらのもんじゃぁ!」(どこの言葉?)ということらしい。ネットワーク上のフリーサーバービジネスは確かに広告収入モデルというのがもはや立ち行かなくなってきているという現実からすると、別の収入源を求めねばならないのだから、或る意味わからないではない。が、少し強欲に過ぎるのではないだろうか。ネットワークのフリーの風潮というのは、その祖先の学術ネットにまで遡れる。日本でもまだインターネット、そしてWWW黎明の時代から、数多くのネットワーク及びサーバー管理者がその特権を濫用……もとい、労苦を惜しまずに作り上げてきた文化なのだが、実際問題、これだけ大規模化、かつ商業運用されると同じ流儀でやって行く事は不可能なのだ。しかし著作人格権まで寄越せ、というのは流石にやりすぎとしか思えない。私はジオにサーバースペース借りてないから関係ないけど。
 日曜に「反乱のボヤージュ」とかいうドラマをやってるのを見る。前日に前編をやっていたらしい。渡哲也が健さんとみまごうばかりの、元機動隊員の学生寮舎監を演じていた。物語自体は、学長側が古くなった寮の取り壊しをしようとする中で、浮動の世代である学生達が渡哲也演じる舎監を中心に人生の立ち位置を学んでいく、という内容。狙いすぎと思わなくもないが、結構良い出来で思わず見入ってしまった。こうやって見ると、渡哲也って確かに上手いわ。
 舞台となってる取り壊し寸前の学生寮ってのは、明らかに東大の駒場寮がモデル。数年前に駒場寮を訪れた事があるのだが、その時の記憶からすると、あんなに綺麗ではなかった、というのが正直な感想。(^^; 実際には学生運動のグループとかが云々、とかいうことも関係してたみたいなのだけど。
 あ、そう云えば Gratzer Sound Station なのだけど、安定してるって書いたけど、必ずしもそうでもなかったり。一回OSごと落ちたし、あと、ちょっと怪しいエンコードしてたりすると再生できないらしい。 DivX とも相性があまり良くなさそう。でもDecoode自体はcodecの問題なのだから、どっちかと云うとcodecとの相性なんだろうか? フリーでこれだけの性能なのだから、あまり文句は言えないけど。


2001年10月10日(水) 旧暦 [n年日記]

なんかノーベル化学賞らしいねえ。

 ウチの大学の 野依教授がノーベル化学賞受賞 らしいのだが、建物のある場所が全然違うので(理学部は東山、医学部は鶴舞)マッタク知りませんでした。友人にIRCで「新聞記者とかどうだった?」と聞かれた時には、「また誰か汚職で捕まったの?」と返してしまいましたよ。
 つってもここ数年、マスコミがノーベル賞の有力候補ということで発表直前には貼り付いていたので「ああ、獲ったのね」としか思わない。いや、凄いことには違いないんだけど、ご想像の通り、象牙の塔の内部もなかなか色々あるんである。
 昨日の ジオシティーズの新規約について の話題の続報。あらたに スラッシュドットジャパン でも 話題 が出ていますが、 新規約についてのFAQ が公開されてます。Otaさん、情報感謝。要は主にジオシティーズの広報に使うのが目的です、という説明がなされている。実際のところ、コンテンツの二次利用よりはトラブル発生時の対策としての面が本当は大きいのだとは思う。今のままだと例えばどこかから文句を捻じ込まれて任意のホームページを閉鎖したい時、あるいは違法性の高いコンテンツへの訴訟や捜査時の証拠の提出など、簡単にジオシティーズ側の一存で行うのは難しい。法的な問題もあるが、風当たりも強い。しかし、著作人格権の提出まではする必要があるかは疑問である。少なからぬスケベ心が見える気がするのだが。別に、ジオシティーズを一方的に責める気はない。これはユーザー側にも問題はあるのだ。良識あるコンテンツを、ということではない。広告の問題だ。ユーザー側は広告を忌避し、広告を表示させないツールを作ったり利用したりする事も多かった。酷い場合には、コンテンツを置いている管理者自体がそういうツールの使用を推奨してる場所もあった。よく考えてみんさい。貴方が見てるそのページ、貴方が使ってるそのサーバー、一体どうやって成立してると思いますか? 天から降ってきたわけじゃないんですよ? 広告収入を減らすということは、結局自分の首を締めてる事だというのに気付かない。金とモノの流れをリアルに感じられない想像力の貧困さが招いた事態だとも言えなくもない。
 企業側もそれならと、勝手にでかでかとした広告ウィンドウを開くようにしたり、あの手この手で対抗する。ユーザー嫌がる、と悪循環に陥っていた。
 雑誌や新聞では上手く行っている広告モデルが上手く循環しなかった理由の一つは、ホームページに広告が付随すると云う概念が結局普及しなかったことがあると思う。雑誌の場合は興味がなければ飛ばすことも出来るが、WWWの場合は通信速度の関係でどうして気になる、ありていには邪魔に感じてしまう。もう一つ、広告とユーザーの結びつきというものを想定して運用がしにくかったからだと思う。例えばパソコン誌にはPC関連の広告が載り、女性誌には装飾品、化粧品の広告が載る。場合によっては、広告目当てに雑誌を買う読者もいるくらいだ。しかし、サーバースペースのレンタルの場合、内容は借りた側任せということになる。ある程度ジオのようにジャンルをサーバーごとに区切ることは出来るが、基本的には内容はお任せになる。そうすると、見に来る相手に合わせた広告が出るかどうかはわからないのだ。
 ま、提供側も使う方もちゃんと色々考えましょうって事。


2001年10月11日(木) 旧暦 [n年日記]

問題:この世で最も統計学的な酒は?

 答え:それはギネス・ビール。t分布の発見者であるウィリアム・ゴセットは、ギネスに入社、ビールの品質を統計学的に管理しているうちに、t分布の導入を思いついたのだという。
 安酒のオールドクロウを飲みながら、ギネス飲みたいなぁと思う今日この頃。
 この夏に急逝したマンガ家、青柳裕介氏がビッグコミックに連載していた「まぐろ土佐船」が作家を変えて第二部を始めた。おそらく、氏のアシスタントの方なのだろう。絵柄は非常に似ている。しかし、はてさてどうなるのだろうか。
 こういう形での続きの掲載というのはそれほど珍しくない。たかもちげん氏の「警察署長」、石森章太郎の「HOTEL」など、アシスタントが後を引き継ぎ、掲載している。(HOTELは不定期だけど) 絵柄的には、ぱっと見そんなには違和感はない。マンガは個人作業というイメージが強いが、ある程度以上連載を抱えるようになると、当然一人ではきつくなる。そうなると作画など諸々を手伝うアシスタントの存在なしでは作業をこなすことが出来なくなる。更にそれが進むと、家内制手工業的な、作家の名前がその作家当人でなく、作家の抱えるチームを指すような状態になる。つまり、作家そっくりな絵を描くアシスタントが出てくるようになる。無論、その作家から様々なものを吸収するのだからアシスタントが師匠に絵柄が似てくるのは当然なのだが、こうなってしまうと「似てる」という段階ではない。聞いた話なのでなんなのだが、既に大御所と呼ばれる作家の少なからぬ数の最近の作品の幾つかは本人の手によるものではなく、場合によっては本人は目を入れるだけとか、あるいは全くペンをとらないとかいう話も都市伝説的に流布している。
 割と最近では、BSマンガ夜話において、最近は全部アシスタント任せと云われた永井豪が反論のビデオをNHKに送りつけたという事もあった。
 しかし、恐らくは実在するであろう「作家が自分の作品とされるものに全くタッチしてない」場合はまだしも、そうでない場合、作品を見て「違う」という感じがどうしてもしてしまう。コマのパースや構図のちょっとした違いとか、台詞回しとか、話の組み立てとか、場合によって様々なのだが、おそらくそれが「作家性」に直結する部分なのだと思う。
 青柳氏は、作家性の強い部類のマンガ家で、特に漁師の世界というものに強い理解と洞察と見地を持っていた。果たして上手く行くのかどうか、というのが心配ではある。


2001年10月12日(金) 旧暦 [n年日記]

虫の居所

 腹が立つのには幾つか理由がある。でもどれが決定的と云うことはない。一つ一つは些細なことなのだ。正直云って、本当の問題の前では問題ですらない。くすぐりにもならない有象無象なのだ。しかし蝿もたかれば鬱陶しくなる。
 別に些細なことなのだ。好きなアーティストグループがバカにされたとか、他所の掲示板でアホなことをやり続けてる奴がいただとか、別の某掲示板で「自然界に絶対悪なんてない」とかなんとか言って例のWTCテロの事を語ろうとしてる奴が、結局人間の尺度である「全・悪」を用いて物事を計っているという事に自分で気付かず醜い言説を繰り返していたり、別にそんなことはどうでもいいことなのだ。
 どうでもいいことなのだけど、どうでもよくない。ガキなのだなぁ。
 野依センセの獲ったノーベル賞受賞なのだけど、もう少し詳しく書いておく。無論、ノーベル賞ってのは実績と、それによる知名度がある人に与えられる。しかし、評価の方法は必ずしも世の中で一律ではないし、世間一般の評価と専門家内の評価が違ったりすることもある。選考基準が大変なのは、ここも同じなのだ。で、推薦の力が大きくなるわけだけども、そうなるとどれだけの推薦、支持を受けるかが問題になる。その内情までは詳しく知らないが、結局どれだけお偉い方々と仲良く出来るかと云うのは少なからぬ影響力がある、ってこと。大体は皆納得できるラインナップなのだが、極偶に、「え? 何故今年この人が?」と云うのもある。別にいい仕事をしてないとい云うわけではないのだが、ノーベル賞受賞と考えると「?」な人と云うことだ。いや、野依さんはそんなことはないですよ、多分。分野が全然違うからよく知らないけど。
  Z.O.E. 最終回。ちと洋画からの影響部分が鼻についたりした部分もあった番組だが、ラストは綺麗にまとめる。だいたいこんな感じになるだろう、と云う予想の通りだったのだが、不覚にも泣く。玄田哲章声のオヤジが鼻水たらしながら泣くのを見たらこちらだってもらい泣きせずにはいられませんよ、ええ。
 まああれやこれやで ナジカ電撃作戦 も見る。多分誰が見ても感想の第一声は同じだと思います。「パンツ?」。でも「ナジカ電撃作戦+銃器」をキーワードにしての検索でこの日記に来た人もいるのだよなぁ。一応パンツ以外も注目してる人はいるようです。しかしあれだけパンツ見せまくってるので脇に家弓家正(ナウシカのクロトワとか、コナンのレプカとか)とか石塚運昇とか、渋いおっさん声優がそろってるというのはつい見落としがちなのだよなぁ。
 どうやら東海地区で HELLSING 放映予定あり、との未確認情報キャッチ。まあ確実ではないけど、確率は高い情報って事で。


2001年10月13日() 旧暦 [n年日記]

ひとまず間違い訂正

 先日触れた、第二部が始まった青柳裕介氏の「まぐろ土佐船」なのだけど、描線も話も台詞回しも、見ていてあまりに違和感を感じない(違和感というのは、経験則に裏付けられたパターンの破れのセンサーなので、上手く使うと結構便利)のでおかしいと思ったら、作者名のところには青柳氏の名前しかない。よく見たら、青柳裕介氏自身が闘病の床につきながら「まぐろ土佐船」第二部全十話を書き上げたとのこと。つまり、青柳裕介氏の紛れもない遺稿なのだ。うっかりとはいえ、大変失礼な間違いをしてしまいました。関係者が見てるとは思いませんが、深く陳謝します。
  Mozilla の0.9.5が出たらしい。でもまだダウンロードしてません。結構細かいところが変わってるらしいけど。ふにゅう。
 録画失敗したZ.O.E最終話と一緒に友人から受け取ったデジモンテイマーズ26話、27話、そして HELLSING を見る。テイマーズ26話はまったりとした話。デジタルワールドのガイダンス的な意味が強いのか。27話は、インプモンがベルゼブモンに進化。デジモンの神の手先、デーヴァの一人チャツラモン(狛犬だったか。これで出てないのはアンティラモンだけ)に人間に未練があることを見透かされ、それに反発するように、ギルモンたちを倒す換わりに進化させてもらうという契約を結んでベルゼブモンに。多分こういう細かい機微ってのは子供には難しいかもしれないけど、手を抜いてないってのはいい。
 HELLSINGは、確かに良い出来。腰抜けなテレ東と違ってフジテレビは血だってちゃんと赤く描く。少し原作をアレンジして滑ってるなぁという部分もあるけど(術式云々と毎回言わせるところとか)十分すぎるくらい及第点でしょう。榊原良子のインテグラは予想以上にイイ! 清川元夢ウォルターと、野沢那智アンデルセンも楽しみだのう。予告? あれってホンマに予告なんか?


2001年10月15日(月) 旧暦 [n年日記]

CLANNAD

 私の好きなアーティスト・グループの一つに「CLANNAD(クラナド)」と云うグループがある。恐らくはグループ名を言うよりは、「エンヤ」の姉であるモイアが構成するバンド、と言った方が通りが良いと思う。
 このグループ名は、「家族」と云う意味があるとか、「家族」を意味する「clann」を元にした造語だとか、色々説が流布していた。確かリーフレットにはclannを元にした造語、と書いてあったのだが。また、少なくとも私の調べた限りでは、clannには家族・一族と云う意味があっても、clannadという言葉にはその意味が、いや、はっきり云って一般名詞として「claanad」と云う単語自体が見つからなかった。彼らの(そしてエンヤの)出身地のドニゴール地方の方言である可能性もあるし、あまり気にせずに忘れてしまっていた。
 が、ちと諸事情で心情的にどうしてもどうであったか調べずにはいられなくなり、検索をかけてしらべまくってみた。やはりfamilyと云う意味のclannadという単語は公開されてる辞書にも見つからなかった。引っかかるのはアーティストグループclannadに関してのコンテンツのみである。それでも、clannadという一般名詞が存在してないということにはならない。しかし、その一方で全く別の記述も見つかった。例えば こちら
With their twin uncles, Noel and Pa'draig (pronounced "Paric") Duggan, they initially called themselves "an clann as Dobhar," meaning "a family from the townland of Dore," but soon abbreviated the name to Clannad.
 訳すと、『双子の叔父、ノエルとパリック・ドゥガンと共に、最初は自分達を“an clann as Dobhar”、つまり“Doreの町から来た家族"と称していたが、それをすぐにClannadと省略した』。他にも同様の記述をしているページは複数あった。これが正確であるという保障はない。同一の間違ったソースを参照してるかもしれない。しかしclannadなる単語が、このアーティストグループを指すもの以外見つからなかったのも事実。断言は出来ないが、clannadは造語であり、clannadという単語はグループ名を指すもの以外ありえない可能性が非常に高い、と云える。ここからはわかる人にだけわかる話だが、人の褌で相撲を取るのを一概に否定はしないが、アイデンティティであるグループ名、それも固有のグループ名を勝手にアイデンティティ、顔として「盗用」するのは度し難い無神経だし、やはり許しがたいものがある。以上。


2001年10月16日(火) 旧暦 [n年日記]

ロケット+爆発+打ち上げ失敗+鳩

 数日前の検索ワード。友人に「こんなんで検索してきた人がいるよ」と言ったら「最後の鳩はナニ?」と言われてしまった。多分、ゴルゴ13だと思うんだけどね。(ゴルゴ13で中国が鳩を使って宇宙開発事業のライバルになりそうな国の打ち上げを妨害していたというネタがあるのだ)
 話題は変わるが、なんにせよタイミングが悪いってことはあるものである。歯科医用の加工素材で「デンタルワックス」というのがある。義歯や入れ歯を作る時に使うロウで、硬度や形状が色んな物があり、実験用のちょっとした工作にも大変便利。何がいいかって、元々医療用に使うものだけに変な不純物が入ってないのでナマモノを取り扱う生理学実験にはこれ以上ないくらい重宝する素材なのだ。で、ちょいと私はそんなデンタルワックスの中で常温で硬度が柔らかいもの、手でこねて加工できるくらいのものを捜してて、取り扱い業者に問い合わせていた。それがおよそ一月前。ま、火急の品ではなかったし、その間なんだかんだでやることもあって忘れてた時期もあるのだけど、十日ほど前に突然思い出したように問い合わせた業者の一件がカタログのコピーを持ってきてくれた。で、他の業者もサンプルを持ってきてくれたりしたのだけど、望んでいたものじゃなくって、あれこれと「こんな感じのもので…」と説明しながら折衝して、今日ようやく最初の業者が希望のものを見つけ出してくれた。で、それを注文した二時間後に、もう一件の業者がその注文した商品のサンプルを手にやってきた。
「こういう感じなんですけど、イメージと違いますかね?」
 いえ、イメージ通りなんですよ。たださっき注文した品と全く同じ商品だって事で困ってるだけで。
 ここんとこで「ごめんなさい。さっき別の業者さんに頼んじゃいました」とはっきり言ってしまえばことは簡単だったのだけど、ちとうたた寝していてうつらうつらした頭で「うーん、困ったなぁ」と、「困ったのはお前だ!」な八方美人回路全開。結局そのサンプルをちょっと試して使ってみるという話で置いていってもらった。ああ、ごめんなさい。
 一応どんな商品かメモっておくと、「ジーシー ユーティリティワックス(赤)」。医療用具なんで一般には手に入りにくいと思います。
 またもや話題は変わって、なんか今日は午前8時くらいから、昨日の日記ピンポイントでミョーに参照元不明のアクセスが多くなったんで、なんか変だと思ったら2chにURLが貼られていたらしい。誰じゃい貼ったのは! ってアクセスログ見れば大体誰かは想像がつくんですけどね。ねえ、8時ちょっと前に日記にアクセスした関西方面のM・Nさん?
 いや、別に貼られるのは構わないんですけどね、こういう場合はちゃんと情報源に近いところに溯るってのが本当だと思うんですが。予想通り概ね2ちゃんねらーには興味が薄い話だったみたいなんで、どうでもいいことなのですけど。
 まあついでなんであの後更に調べた結果を書いておくと、 ドニゴール地方(エンヤやクラナドの出身地)の案内サイトクラナドの紹介ページ でも、先日紹介したサイトと同様の趣旨の事が書かれてる。ここは見ればわかるけど、当のゲール語でも記述されてるサイトで、そのサイトで「CLANNAD」という単語そのものについては特に他には触れてない事から、一般名詞でCLANNADという単語はないのではないかと匂わせる。また、格変化という可能性もあるのだが、今の所CLANNの変化系でCLANNADという単語は見つかってない。複数形という可能性もあったが、 CLANNの複数形はCLANNA である。他には友人が更に古い語でCLANNDという単語を見つけてきたが、CLANNADという単語そのものは見つかってない。
 もう一つ、 クラナドのモイア・ブレナンのインタビュー が見つかって、その中で"That "Clannad" translates to "Family" is no accident."と述べている。no accident(偶然ではない、必然、故意)という言い回しをするところから見ると、やはりCLANNADという単語は「家族」と言う意味そのものではない気がする。
 友人からは「ちょと過剰反応過ぎでは?」とも言われたが、激昂をすぐにおちつかせることが出来るのなら、そんなものは激昂とは言わないのである。調べれば調べるほど腹が立つ。


2001年10月18日(木) 旧暦 [n年日記]

停滞宣言

 山篭りの為、土曜日まで日記はお休みです。更新されてたら山ごもりから逃げ出したと思ってください。


2001年10月20日() 旧暦 [n年日記]

ビート・オールズにあいたい?

 え〜、逃げてきたわけじゃありません、山ごもりが終わったんです。ホント、ホントよ〜。
 一週間たったけど、 PPG 、「ビート・オールズに会いたい?」。しょっぱなからゲラゲラ。モジョ・ジョジョ、カレ、プリンセス、ファジーの四人の悪党が「ビート・オールズ」を結成、手を組んだ悪党達にPPGは手も足も出ない。四人の連携を崩すことが必要だと悟ったPPGは、ユートニウム博士の提案である策略を…
  ここ にある通り、台詞の中がビートルズの曲名だったり歌詞だったり、構成自体もビートルズのドキュメント風。流石に絶対子供にゃわからん。
 久々に古巣の研究室で友達と会う。まあ色々話をしていたら、なんでもNagoya BSD UNIX Group、略して NBUG という団体の明日の例会でレイベンジ・ザ・NetBSD for PS2をやるらしい。面白そうなので明日見に行く。
 他にも、ちょいと前に小耳に挟んだ科学技術振興事業団で行われる、人工視力の計画に後輩と先輩のいる研究室が噛んでいるらしいという話を聞きつける。二人が絡んでるかどうかは知らないけど。これは視力がない人の眼球に人工網膜を埋め込んで云々、と云う事らしい。結構前の論文だが、一次視覚野に電極刺して画像を送ったり再構成したりってのはサルや猫では行われてるから、そっちの方が面白そうなのになぁ、とか云ったら不謹慎か? まあ日本では色々手続きがめんどくさそうだけど。まあいずれにしてもこれも熱い分野だよなぁ。
 ああ、そうそう。先日怒っていた件、順当に手順を踏んでいます。もし無視するなら、それも自由だが、その時は第二、第三の手で行くまでよ。


2001年10月21日() 旧暦 [n年日記]

指を削る

 いや、今日でなくって少し前の話なんですけどね。3週間くらい前?
 葱を刻んでたらちょいと左手の親指をざっくりやっちまいまして、痛いの痛くないのって痛くないわけはないんですが、前にも同じ事やったことあるんでまあ対応は落ち着いたものなんですが、最近になってようやく削れた肉も盛り上がってきたカンジ。曲げると痛いんで、ちょっとリハビリは必要ですけどね。
 昨日の日記のネタにした NBUG の集会ですが、疲れが出て結局いけず。ううむ、案外とたまってたんだなぁ。
 今日の アギト は、あっさり翔一が自分の正体を北條にバラス。おいおい、ええんかい? その後の逆行催眠で、やはり翔一はあかつき号に乗っていたことが明白に。その後小沢対北條。だけど当然北條の負け。おまけにみぞおちにまで蹴りを決められているし。(股間じゃないのよ)
 涼は心酔しかけていた木野に裏切られたショックでまた不幸モード。ギルスはこうでなくてはのお。来週は遂に氷川にも翔一がアギトということがバレるらしい。予告で素っ頓狂な声をあげてたけどそれなのかな?  東映のアギトサイト によると、木野以外のあかつき号グループ唯一の生き残り、真島くんが涼を救うために何らかの行動を起こすらしい。ひょっとすると、バーニング、シャイニングよりも主人公らしいパワーアップになるんじゃないのか、エクシードギルス。予想が当たってるとすると、真島は実に良い役どころになるなぁ。退場の匂いもぷんぷんしますが。
 昨日友人に聞いたところによると、野依さんのノーベル賞受賞の件だけど、受賞記念パーティーが行われえいたとのこと。おいおいおいおい、そう云う時には呼べ! 全く友達甲斐のない。やはり二日くらいは報道陣が結構いたらしく、野依研はマスコミの電話の対応でおおわらわだったらしい。今は流石にすっかり落ち着いていて、理学部の入り口のところに受賞おめでとうの横断幕がかかっているくらい。ま、理学部ってそういうところだよなぁ。


2001年10月22日(月) 旧暦 [n年日記]

今日も今日とて

  SF故人年表スレ が伸びてないのを見てちょっとほっとしたり。
 昨日うどんを茹(う)でて喰おうと思ったら、作り置きの汁が切れてしまっていた。困ったので、昔「美味しんぼ」に書いてあった簡単で旨いうどんの作り方を思い出してやってみる。茹でたうどんに醤油を回し掛け、かつぶし(ウチは混合節だが)をたっぷりと乗せた上から熱湯を注ぐ。こんなんで本当に旨いのかと思ったら本当に旨かった。洒落にならん。
  2ちゃん 特撮板 アギト板 は何時も通り「アギトつまらん。昔のライダーの方が面白かった」というレスが。平和平和。っつーか、こういう人たちって本気で言ってるのかしらん?
 最近、夏休みなどの休みに仮面ライダーの再放送をテレビでやってて、たまに目に入る。いや、別に見ようと思って待ち構えてるわけじゃなくって。それを見ると、何と云うか、非常にキツイのだ。もっと有体に云えばはっきり云って子供だまし。子供だましがレベルが低いとか、いかんとか云う話ではなくって、「子供が喜ぶように作ってはあるが、大人は鑑賞には堪えられない」と云うことなのだ。
 そもそも仮面ライダーは、石ノ森章太郎が影を持った、これまでのヒーローらしからぬヒーローと云うことで製作したキャラクターで、13話までの極初期のテレビシリーズもそれに従っていた。しかし、そう云ったヒーロー像は当時では受け入れられがたく視聴率は低迷。また本郷猛役の藤岡弘も撮影中の怪我で一次降板と云う事態になった(今ではスーツアクターと云うのは当たり前だが、当時は仮面ライダーの中身も藤岡弘が演じていた。もっとも怪我を機に中身は代役という体制が確立してくのだが)。これを機に方針を一大転換し、影を追った一号ライダー本郷から子供に親しみやすい二号ライダー一文字隼人の登場、またライダー少年隊などの子供だましもとい子供に馴染みやすい構成となり、悲哀を背負った改造人間と云う初期のコンセプトは殆ど消えうせた(家族の仇を討つことが主な動機なV3や、ラフな闘い方のアマゾンなど、完全になくなったわけではないのだが)。無論撮影技術が今より劣っていたからとか、予算的な制限なども決して理由として少ないわけではないのだが、「極めてわかりやすいテレビヒーロー」に結局なってしまったTV版ライダーは、その背後の設定に背負うべきドラマ性の放棄を余儀なくされたのである。
 それに比べると、今は「クウガ」から明確に大人の視聴層を意識した作りが成立するようになり、また技術・予算的にも当時と比べれば格段に恵まれている。そういったものだけで面白い作品が作られるわけではないが、作品を支えるのに必要なのもまた事実。子供向けとしては問題があるのではないかという意見はあるにせよ、大人が「昔のヒーローの方がドラマとして優れていた」と云うのは殆ど絶対に「嘘」だろう。思い出の否定をする気はないが、自分が楽しんでたものがその番組の何なのか、を考えてみることも、「今」の娯楽を楽しむために必要なことではないだろうか。だって今「世界征服を企む悪の組織」ったってなかなか子供だって騙せまい。それはまあ、後日にでも。


2001年10月23日(火) 旧暦 [n年日記]

正義の味方はあてにはならない

 昨日の続き。なんだけど、ちょっと日曜にやってた立川談志師匠がベネズェラだったかどっかに行って現地邦人の為に寄席をやったドキュメントの話を。
 談志師匠の経歴も交えての番組だったのだけど、「落語とは、人間の業の肯定である」とする師匠がその信念に揺らぎを覚えている、ということだった。理由は至極簡単で、落語で語られる社会とは、今の日本の社会が大きくかけ離れてしまったから。落語に限らないが、こういった感情に訴えるものというのは、聞く側見る側の体験の追体験を引き起こさせる。その元となる体験のない人間が増えてしまった。そうなってしまうと、一体落語には何の意味があるのか? むしろ、ベネズェラの密集住宅の中にいる師匠の方が生き生きしているように感じられた。社会様式の変化は仕方ない部分が大きいとは言え、確かにさみしいものはある。しかし、追体験を覚える事が出来ない者にそれを責めても何の意味もないし、詮無い事なのだ。
 もう一つ、子供にたまたま持っていた栞をあげた時に言った言葉。「昔は赤んぼ用の物は除いて、子供用のものなんてなかったんだ。自転車の三角乗りとかでもそうだけど、大人用の物を工夫して使ってたんだ。子供ってのはちっちゃい大人だからね」。その後はまあこんなに子供用のものを溢れさせるんだったら子供に毎月二十万は小遣いをやれ、でなきゃ子供なんか作るな、とか何時もの無茶な論法だったのだけど、前半部はなんとなく、わかる。また、子供用である事と云うのはそんなに重要なのだろうか、とも思わされる。子供はいずれ大人になる。背伸びして、大人の流儀を覚えていく。その過程ってのは商業主義が主流になり過ぎた現在、軽視され過ぎてないだろうか。子供向けがあってはいけないという事ではないが。
 そこから昨日の続きへ。子供にわかりやすく、どんな子供でも理解できるように、と云う意味での「子供向け」(言葉は悪いが「子供騙し」と云う事も出来る)であれば、例えば世界征服を企む悪の組織が出てきて、正義の味方が出てきてバーン、で十分だろう。それだって簡単な訳ではないが。しかし、もし子供が一旦外の社会に目を向けたらどうだろう? 世界征服後の社会構造なんて高度な疑問は持たなくても、単純な話、幼稚園のスクールバスをハイジャックするショッカーとニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機を突っ込ませるテロリストと、どちらがより恐ろしいか、と云う事だ。今日日、バスのハイジャックくらいはキレた17歳だってするご時勢だし、より物騒になってるとも、嫌な事だが虚構に現実が追いついてるとも云える。無論虚構と現実は違いはするのだが、しかし個人的にも後者の方により恐ろしさを感じて欲しい。アギトでアナザーアギト(木野薫)を演じてる菊地隆則氏が自身のサイトのBBSで「本当にヒーローになれるものなら、変身してビルにぶつかる前に飛行機を止めたい」と漏らしたように、現実の前では虚構の慰めは極めて無力とも言える。
 え〜っと、何を言いたいかと云うと、別にリアルならいいと云うことじゃないけど、現実への橋渡しを考えた際はあまりに現実のそれを無視して能天気一方なものばかりと云うのはどうだろう、って事なんだけど。別になくたって子供たちは勝手に大人になるだろうし、逆に現実の重苦しさを引きずったものばかりでも困るのだけど。
 アギトの前番組であるクウガでは、悪役は世界征服を企んだりする秘密結社ではなく、快楽殺人者的な集団である「グロンギ族」という設定だった。個人的にはメンタリティなどの諸々の設定において「意図的な悪」的なわざとらしさはどうしても感じて不満なところは多いのだけど、これはある意味旧態然としたヒーロー物の悪役が、実状と合わないのではないかと云う表われだと思う。アギトにおいても、敵は一定の彼らの規範においてある特定の人間を「刈り取って」いるのみで、基本的に人間全般に敵意を持ってるわけではない。いや、昔からレインボーマンの死ね死ね団(旧日本軍に虐待され、その復讐に日本を混乱させようとする東南アジア系秘密結社)とか、その手の問題提起はされてきてはいたのだけど。
 虚構にのめり込み過ぎて現実の怖さに目を向けないのもいけない。虚構としては、現実に負け過ぎてのめり込めないのも失格。アギト、クウガの敵役設定は、そう云う微妙なバランスのタイトロープ上でどうするかと云う問題設定をし、それぞれ導き出した答えだと思う。それは仮面ライダーが始まった時の企画意図を考えれば正当な後継だとも云える。能天気な悪役を決して否定はしないが、能天気な悪役でないからと云って否定するのも間違っている。糖衣に包んだ子供向けも、子供に現実の苦みを教える橋渡しをする子供向けも、どっちもあってもいいじゃないか。と、小学校低学年の時にワイルド7を読んでた身としては思うわけよ。


2001年10月24日(水) 旧暦 [n年日記]

え〜っと、なんつーか。

 私的になけなしの元気を根こそぎ奪われるような事があったので、不貞寝します。予想してなかった事態ではなかったし、投稿論文のチェックとかあるけど、とてもじゃないけど出来ん。脱力状態って、ホントに力が抜けてくんだなぁ。


2001年10月26日(金) 旧暦 [n年日記]

泣きたがり

 ま、ダメージが消え去ったわけじゃないんですが、イタイイタイとわめくくらいの元気は出てるので。いや、昨日は時間がなくて更新しなかっただけなのだけど。
 なんか、フルーツバスケットって見てるとビミョーにむかつきますワナ。いや、わざとらしい善意とかそういうところではなくって、むしろ妙に主要人物以外の人間の悪意がわざとらしくって。なんつーか、登場人物の意図はさておいといて、作品世界として作り上げられてるのは主人公コミュニティーの閉じられたパラダイスなのだよなぁ。そりゃまあ人間の行動範囲ってのは物理的行動範囲はさておき、実際に付き合える人間の範囲なんてのは多くてもたかが知れてる。それ以外のことはどうでもいいと云えば云い過ぎかもしれないが、当たらずとも遠からずだと思う。その際に、その他をどう受け取るか。大体は無関心に過ぎない。それを愚昧と受け取るか(実際そうかもしれないが)、悪意と受け取るか、それは自由なのだが、結局それは自分も誰かにとって悪意、愚昧と受け取られていると云う事の裏返しでもある。そういうものだ、と割り切るのならそれも構わないが、そうと気付かず周囲を悪意と受け取るのはそれこそ愚昧だと思う。コメディ部分は笑えるのだけどねえ。
 つか、そんなことはどうでもいいんですが(ぉぃぉぃ)、人間てのは多くが泣きたがりなんではないかと思う時がある。嬉し泣きとか感涙とかもあるけど、本来は泣くのは多くの場合、悲しい時とか辛い時とか、主にネガティブな感情が極まった時だ。なのに、上のフルーツバスケットとかもそういう作品だけど、わざわざ悲しいもの、嫌なもの、辛いものを、少なからぬ場合は泣く為に見る。他人の不幸を見て自分の立場を安心する、と云う意味もそりゃあるのだろうけど、それだけなら蔑むだけで、泣くと云う行為に出る、怒る、悲しむという感情の同調を(理解ではない)示すのは変だ。よくよく考えてみると、感極まった時、悲しい時、嬉しい時、辛い時、泣くだけのエネルギーが溜まっていれば発散が出来るのだが、それだけのエネルギーが溜まっていない時、一体どういう状態なのか自分でもわからない時、そう云う感情は未解決のまま意識の奥で鬱積してしまうのではないだろうか。それは致命的な問題は起きないが細かい不具合を抱えたままMS-Winを使うようなもので、抜本的な解決をする労働力を払うほどではない、しかしストレスは溜まる、そんな状態なのではないだろうか。溜まったストレスをどこかで発散しなければならない。だから閾値以下のストレスに上げ底をかけて外に発散してやる。そんな行為として作り事の「泣き」が求められてるのかもしれない。癒しだのなんだのと云うのも結局そう云うことかもしれない。まあ、一種の代償行為、と云えなくもないのか?
 あ、なんか巷でなんか云われてる「天使のしっぽ」見ました。多分もう二度と見ません。(^^;
 何時の間にか2chに大空のサムライ、坂井三郎氏(故人)の こんなスレッドが。
 坂井氏の言動を全肯定するわけではありませんし、ましてや戦争行為を決して肯定するわけでもありませんが、自分に欠けているもの、今の多くの日本人に欠けていものがそこに見出されるのは事実。それは決して時代錯誤なものではない。と、思う。


2001年10月27日() 旧暦 [n年日記]

最初の人間は白人で男

 え〜っと、ミトコンドリア・イブはアフリカにいたとかいうのはどうなったんだっけ? なんかわりと最近のネイチャーに書いてあった気がしたんだけど。
 昨日、最初の方でフルーツバスケットについて「閉鎖的なコミュニティー」云々と書いたのは、ちょっと積読になってたボストン・テラン「神は銃弾」を読んでて、なんとなくこれに出てくるカルト犯罪者集団に重なる部分を連想したから。まあ、カルトになぞらえるのはやりすぎだろうけど。
 小説の筋は、クリスマスの夜、カルト的カリスマ犯罪者サイラスによって元妻とそのつれあいを殺され、そして娘を誘拐された警官のボブが、娘を助けるために元サイラスのグループメンバーで今は麻薬中毒者リハビリセンターにいる女ケイスの手引きで、それまで彼が信じていた「良識」とは別の世界へと入り込んでいく話。要約するとなんだか味気ないが、白人中流階級・貧困層犯罪者のカルト、それら双方の信仰の奥深くまで抉り出し、その空っぽの心臓をとことんさらけ出す。しかし、例えば同じハードボイルドバイオレンスの「凶手」とは異なり、とことん追い求め、そこにあったものは結局人生の幻影のようなものだったというオチではない。残ったのはとても身近なもの、そして寂しい人間全てのものだろう。海外翻訳の文章に慣れてないと読みづらいかもしれないが、読み慣れてればぐいぐいと読める。
 引き続いて松井茂著「世界紛争地図」。まあ、ミーハーにもアフガンの例の情勢に触発されて入手したのだけど、日本近辺の極東情勢から、地域紛争と云えば連想する中東やアフリカへとだんだん西へと進んでいくと云う内容でわかりやすい。あまりこの分野のライターさんの評価と云うのは正直疎くてよくわからないのだけど、掲げる理念、宗教、民族と云った「記号」に拘らず、「実利」つまり、どんな利権(物理的なものが主だがそうとは限らない)を争っているかをしっかりと書いてくれているのでわかりやすい。3年前の本だから、当然情勢は移り変わってるわけだけど、歴史教科書なんぞよりは国際情勢の背景がわかるのではないかと思う。いや、私もまだ途中なんだけど。


2001年10月28日() 旧暦 [n年日記]

野沢那智の無駄遣い

  HELLSING の三話目を鑑賞。某作者が某所で「野沢那智の無駄遣い」と言ってた意味がようわかりますわ。前半のモーリス吸血鬼、全然意味ナシ。オマケに神父の魅力殺しまくり。アニメにおける作品の失敗というのは色んなレベルでの失敗がありえて、一概にどれと言うことが出来ないものも多いのだけど、これに関しては明らかに脚本レベルからの失敗。どうしたの、 小中 さん。
  アギト も悪くはないけど、展開的にはちと「オイオイ」だったりする。真島が自分の持つアギトの力を捨てて涼を助けるという話なんだから、もっとがーっと盛り上げられると思うけど。でも連続物であること、所詮は脇役であることを考えるとそこそこで抑えといた方がいいってのはあるのかもしれない。
 ただ、どっちも「だからこの脚本家ダメ」とか云う話ではない。あからさまにナニな脚本家ってのは確かにいるけど、それはさておき、こう云った脚本の仕事ってのは、どのくらいの仕事を抱えてるのか、というのを考えなくてはいけない。毎月毎週膨大な量の脚本を作っている。だからダメでも仕方ない、と云うことではない。ただ、根本的にその基盤となる部分が違う。例えば、個人作業に近い、個人作業でなくともかなり個人の占める比率の高い漫画作業は、言ってみればワン・オフの高級品を作り上げる作業に似てる。そうとも限らないけど、そういう作法も許されないことはない。しかし毎週のテレビシリーズはそれに比べて、日用品を作る作業に近くないだろうか。その意味する「良いもの」とは、ワン・オフの意味する「良いもの」とは微妙に異なる。大量にある程度以上の質のものを量産する。中にはひょっとしたらワンオフに匹敵する質のものも出来るかもしれない。しかし、まずは大量に作ることが前提にある。土台が違うのだ。
 でもHELLSINGの三話目は非道すぎだけどな。
  ヴァンドレッド セカンドステージ 。男と女が別々の星に住んで争ってる中で、女海賊の中に三人だけ男が紛れ込んだ、という設定のアニメ。「おなご出しぁ、汗臭いオタクどもは満足なんじゃろが!」とばかりに開き直った設定なのだけど、当然男だけの星、女だけの星で繁殖(基本的には遺伝し掛け合わせのクローン繁殖だけど)している設定なので、一話目で男同士で「任務が終わって帰還したら、俺と子供を作らないか」などという会話がなされる実にイヤな世界でもあったりする。こんなんで喜ぶのはボーイズラブ好きなオタクねーちゃんくらいなもんだろう。新シリーズになってからイマイチそういう「異世界感」が薄れてしまったのだけど、今回は銃器マニアという設定のバーネットが自慢のコレクション引っ張り出して大歓喜で撃ちまくりの回。確認できたのはCZ75、ステアーAUG、M16(A2だと思うけど)、M60、変なところではキャリコM950と云う、まあある意味キャッチーな品揃え。オイラみたいな低レベルマニアにはこのくらいがわかりやすくていいです。ハイ。間違いあったらご指摘希望。でもノワールと違って少なくともスライドストッパー跳ね上げてセーフティ解除なんて間抜けなことはしてませんでした。
  ナジカ電撃作戦 二話目の へカート みたいの出されても、ヲイラにゃわかりづらいっす。でもこのアニメもヨーロッパ系の装備が主みたい。何気にマニアだなぁ。


2001年10月29日(月) 旧暦 [n年日記]

Refererに御用心

 ここんとこ、yahoo! Japan経由の google での検索や、 www.google.co.jp を使ってのサーチで飛んでくる人が多いのだけど、hnsの現行正式バージョンでは、log解析cgiがこれらのブラウザに対応しておらず、検索ワードがすぐにはわからない。なんでちっとCGI改造してこれらの検索エンジンにも対応してみる。
 たって、
"google-jp" => { url_pat => 'http://www\.google\.co\.jp/search',
key_param => 'q' },
"google from yahoo-jp" => { url_pat => 'http://google\.yahoo\.co\.jp/bin/query',
key_param => 'p' },
をlog.cgiに追加しただけなんですけどね。Refererは、下手なブラウザ(具体的にはIEだ)使ってると、リンクで飛んできたのではなくても直前にどのページを見ていたか、例えば誰が直前までPonPonなゲームメーカーのページを見ていたかとか丸分かりになってしまうことがあるんですね〜。ご注意を。
 しかしなんとなく風邪ぎみっぽい。体が時々どうしようもなくだるいのー。
 あ、それと、 ナジカ の一話目でメイド軍団が使ってたSMGは STEYR TMP でいいのかな。全体的なシルエットとかの特徴が一致してるのだけど、なんかマズル回りが微妙に違う気がするんだよなぁ。


2001年10月31日(水) 旧暦 [n年日記]

ヨーヨーの猫つまみ

 って番組が昔あったなぁ。声は大塚明夫で渋かった。猫だけど。
 なんでいきなりこんな話かと云うと、ちと鳥皮を使ったつまみを作ってみたり。結構いける。カリカリに焼いたりとか、そう云う風にしてたけど、酒のつまみだったら断然こっちの方がいける。
 日記の検索ワードを調べてみると、 菊池隆則 さんだとか、「友井雄亮 ギルス」とか、「村枝賢一 仮面ライダー(仮面ライダースピリッツ)」だとか。でも一番多いのは「伊藤明弘 BLUEGALE」。OURsの最新号に広告が載ったからか、何件も検索があった。一応解説しておくと、BLUEGALEってのはバンダイのアンソロジー本に載ったラグを主人公としたザブングルの後日談。人によってはこれが伊藤氏の最高傑作と云う人も少なくない。
 まあ、なんだ。11月も色々ありそうだけど、新しい月も精神的に限りなく低空飛行で行きます。トホホ。