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2010年10月27日(水) 旧暦 [n年日記]

[マンガ] sunny/今村陽子

 いや、なんで買ったの? と聞かれると「表紙買い」と答える他ないのだけど、なんで表紙買いしたのか、自分でもよくわからない。作者名にどっかで聞き覚えがある気もするのだが、既刊単行本を見てもタイトルに覚えがないので、読み切りで見たのか、覚え違いなのだろうとは思う。
 内容としては、人に勧めるかというとわからないのだけど、なんだか妙に気になる作品だった。
 主人公のハルは、しがないサラリーマンだが、数ヶ月前に亡くなった兄夫婦の娘(要は姪)アキラの保護者として同居することになる。しかし、アキラの家にはアキラの他、訳ありで同居してる二人の女子高生が……姪と暮らすはずが、何故か女子高生三人と同居することに……と書くと「嬉し恥ずかしハーレムもの」と思うだろうが、違う。同居人の一人、絹子は意中の同級生が他にいるし、もう一人の郁はあこがれてたアキラの父の面影のあるハルを直視するとつい赤面するが、別に恋愛感情とかにも発展せず、いがみ合ってばかりいる。
 姪のアキラのみは、ハルになにやら委細がありそうだが、自分からは事の詳細を明かそうとしない。(以下ネタバレ)
 実はアキラの母は高校時代家庭の不和から家を出て他人の家を転々としており、それを見かねたハルの兄アキが自分の家に住むようにさせ、ハルたち兄弟と同居生活を送っていた。それはアキが彼女のことを想っていたからであり、彼女もそれを受け入れるが、家族の愛に飢えていたアキラ母はハルと一緒にいることに、より安らぎを憶え、アキへの罪悪感を抱きつつもその想いを日記に書き綴っていた。
 が、アキと結婚しアキラが生まれてから数年、アキラがその日記を見つけてしまう。まだろくに文字も読めなかったアキラだったが、秘密の日記を見られて血相を変えた母に突き飛ばされ、母の影と母親ではない姿を垣間見、恐怖を抱く。そして何気なく父(アキ)の前で日記の話をしてしまい、それが原因で夫婦仲がギクシャクしてしまう。それは主に母のアキへの罪悪感からだったが、アキラは自分が日記を見、その話をしたせいで家庭が壊れてしまったと感じ、事故で両親が亡くなってしまったことでその罪悪感が定着してしまい、家族に対してあこがれと同時に強い拒絶感を持つようになっていた。ハルに保護者になるように強く働きかけたのも、母の愛した人に会いたかったのと、家庭を壊してしまった罪悪感を共有、あるいは押しつけてしまいたかったからだった。
 しかし四人での生活を続けるうち、失ったはずのぬくもりをそこに見出し、そして幼い頃見たきりだった日記を見ることで、アキラの「家族」は決して失われていなかったことを知る。
 なんか、すごい作品、というわけではないし、客観的に見てそこまで特筆するところがある作品、ってわけでもないんだけど、なんか妙にツボにはまってしまった部分がある。家族のぬくもりというのが、無条件の愛情で成り立つというものではなく、「他人」である家族同士が、家族になろうと歩みよることで生まれる、という、どこか寂しい、でも日だまりのような暖かさが見えたからかもしれない。


2009年10月27日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] どう考えても真っ黒です。

  匿名献金の大半、鳩山家から 偽装総額2億円朝日
  首相、献金問題「私がしたわけでない」日経
  パーティー券収入も水増し 鳩山首相資金管理団体朝日

 この件は朝日が良い具合に食らいついてるなぁ。政治面では相変わらずあの所信表明を「画期的」とベタ褒めだったけど。政治部と社会部の方針の違いによるねじれなんだろうなぁ。
 それはともかく、常識的に考えて第一秘書とは言え秘書が鳩山家の資産を勝手に動かすことができるわけがなく、それを鳩山氏が「知らない」と言い切るのは不自然に過ぎるんですが……
 それにもし本当に知らないにしても(だとしたら管理能力不足の露呈だけど)、以下のようなことを言ったのは他ならぬ鳩山氏本人。
私は政治家と秘書は同罪と考えます。
政治家は「あれは秘書のやったこと」と嘯いて、責任を逃れようとしますが、とんでもないことです。
政治家は基本的に金銭に関わる部分は秘書に任せており、秘書が犯した罪は〜 政治家が罰を受けるべきなのです。(抜粋)
 所信表明もそうだけど、この人は本当に口先ばかりだな。それでも実力が伴ってればまだいいのだけど、ヘボ指揮者っぷりが目立つばかりだものなぁ……

  故中川昭一氏に旭日大綬章 政府が閣議決定産経 )。それにふさわしい功績があったと思うけど、正直、生きてる間にちゃんと評価してやれよ、と思わずにはいられない。さらに今の政府はそういった評価をせずに酔っぱらい会見で激しく責め立てた民主党だけに、「どの面下げて」という感想も出ないことはないのだが、それを言ってはお終いなんだろうなぁ。やり方が低レベルとは言え、政争なんだし。


2008年10月27日(月) 旧暦 [n年日記]

[特撮] ゴーオンジャー#36とキバ#38

  ゴーオンジャー #36「走輔...トワニ」。走輔が斃され、自失呆然のゴーオンジャーたち。そんなときにヨゴシュタインがホロンデルタールのエネルギーを注入されたネジでパワーアップ、街を襲う。出撃したゴーオンジャーたちはヨゴシュタインのパワーと走輔がいないことの精神的ダメージで普段の戦いが全く出来ず、敗れた上にチェンジソウルを奪われ、変身ができなくなってしまう。
 走輔がいなくなった上に変身もできなくなり、もはや戦う気力も残っていないかと思われたゴーオンジャーたちだが、走輔の思い出を胸に再び立ち上がり、生身でヨゴシュタインに立ち向かう。

 顔出し戦闘は、最終回と決まっていたけどこのタイミングでとは。しかも、ヨゴシュタイン退場。ヨゴシュタイン退場であるからにはそれなりの苦戦を出さないといけない、ってことなのかなぁ。何かパワーアップがあるわけでもないのに、ちょっとその辺は不明。むしろ来週に新アイテムが出るみたいなのだけど……
 走輔がいないまま、その無鉄砲さを見習い、がむしゃらに立ち向かうゴーオンジャーたちはヨゴシュタインを追い詰め、生身のまま負荷も顧みず炎神たちに搭乗、エンジンオーG12で巨大化ヨゴシュタインを斃す。そしてそれにより金属のようになってた走輔も元に戻り、再起を誓うヨゴシュタインと一騎打ち、これにとどめを刺す。けど、ヨゴシュタイン斃せば元に戻るんだったらあそこまで悲観的になる必要がないような……
 しかし、三大臣で一番キャラが立ってたヨゴシュタインがいなくなり、三大臣も弱体化はまぬがれないような。最終回までの展開、どうするんだろう?


  キバ #38「魔王・母と子の再会」。お互いの正体を知った渡、大牙、深央。大牙はビショップにキバの正体を黙っていたことを責めるが、逆にビショップは元クイーンの真夜に会うことを勧められる。母である真夜に会った大牙は、そこでかつてキングを裏切り人間を愛した彼女が人間の子供を産んだのではないかと詰問する。
 一方、現実を受け入れられない渡は大牙と深央の正体を夢だと信じ込もうとするが、次狼が現れ現実を突きつける。どうしたらいいのか、わからないまま深央を呼び出した渡は、そこに現れた大牙にある人物に会うべく連れて行かれる。
 22年前、イクサに変身して無茶な戦闘を行ったゆりを見舞う音也だが、音也と真夜の間の割って入れないものを感じた彼女は逆に音也をたたき出してしまう。そしてビショップの密告により、キングから音也とのことを責められた真夜は、言いつくろいはするが、その疑念を完全に払拭させることはできなかった。そして音也たちを追い詰めるように次狼の前にキングが姿を現し、ダークキバへと変身。次狼を窮地に陥れる。

 過去編では現在の状況になる過程が着々と進んでいく。一方、現代では半ファンガイアである渡の出自が明らかにされる。
 と、まあそこんなことはともかく、名護さんの転落ぶりが面白すぎる。w 健吾の嫌な奴度が増していく一方で、どうにかコーチとして上から目線を保とうとするものの、まるで相手にされない。まあ、確かに名護さんってそういうキャラで、しかも全然懲りないんだけどさ。
 渡の正体を知った大牙は真夜と会い、渡を彼女に会わせることで二人が母子であり、大牙の異父兄弟であることを明らかにする。本来キングのものであったキバシステムを渡に渡したのは真夜のようだけど、ファンガイア陣営も一枚板じゃない、つか、それどころかてんでバラバラなのに加え、渡に一方的な恨みを抱くようになった健吾がそれを知ってどう出るのか。
 大牙は渡にファンガイアとして生きることを勧める上に、青空の会は渡を敵認定するらしい。嶋の考えがさっぱりわからないのだけど、まあ、井上脚本だから伏線じゃなく単なる狂言回しである可能性の方が高いだろうなぁ。
 あと、ダークキバは結構かっこいい。


2006年10月27日(金) 旧暦 [n年日記]

[その他] 何故か不調

 体調は悪くないけど、調子が良くない。頭が積極的に働かん。なんなんだろう。ちと昨日、感情の振れ幅が大きかったせいかな……
 ま、明日には多分復調してると思います。


2005年10月27日(木) 旧暦 [n年日記]

[マンガ] どっかで見た顔

  コミック乱12月号 掲載の「風雲児たち幕末編」にて、緒方洪庵の適塾門下生として、どっかで見たことのある人登場。名は手塚良仙。手塚治虫のご先祖様だ。手塚良仙は適塾門下生として入門、福沢諭吉の自伝にも「仲間の手塚」として出てきている。手塚と福沢の出会いは完全に創作だが、こういうあれこれを想像できるのがまた楽しい。
 週刊少年マガジンは、結構いいマンガも載ってるのだけど、雑誌全体としてはどんどんビミョーな方向に向かって行ってるような。マンガとしての面白さはともかく、「トト!」の位置にあるマンガを切りっ放しで持って来れない辺りで、バランス感覚の悪さがにじみ出てるような……
 「焼きたて!じゃパン!」はどんどんマンガとしてみにくくなっていってるような。作者は色々勉強されているのはわかるし(それが作品に実を結んでるかはともかく)、まあ、人気があるってなら別にとやかく言うことじゃないですが。
 週刊少年チャンピオンは、編集長が変わったらしい。今週号でどうってのはまだ特にはないけど、雑誌編成が大幅に変わったりするんだろうか?
 今日じゃないけど いばらの王(5)岩原裕二ピルグリム・イェーガー(5)/冲方 丁・伊藤真美 を購入。いばらの王は……う〜ん、悪くはないんだけど、話を収集させることに注力させた印象が強く、最後の最後でテーマの表現において深いところまで表現しきれたか、というところが気にはなる。悪くはないんだけど。ピルグリム・イェーガーはいつものテンポ。この話、一巻冒頭のシーンの決着がついたら連載終了なんだろうか?

[その他] まあ、愚痴のようなもの、というか愚痴

 そういう話として聞き流してくださいまし。
 ま、私自身、頭が良い訳でも人格者でも立派な人間でもないことは自覚してるわけですが、人の話を聞いててどうにも我慢しがたいことってのはしばしばあるわけで。
 想像力の欠如、というのか、自分の想像力の外側を認識しないで独善を垂れ流されることと言いますのか。自分に判断できないことは判断できないとすればいいのに、できないことを無理矢理自分の足りてない物差しで計って滅茶苦茶なことを言い出す。聞いていてイライラいたしますな。
 まあ、こちらに関係ないことならそういうのは基本的に聞き流してますが、人間に対してそれをやってるのを見ると、当方に直接は関係ないことでも我慢しがたいものがあるのでございます。
 そのくせ、その相手の親身になるわけではなし。単に、自分の物差しに当てはめて、あからさまに独善な意見を吐くだけ。相手を貶めて自分が見識がある、まともであるという誤解を生み出す踏み台にする。しっぱなし。知らないという自覚が生まれないからそのことについて正しく理解しよう、調べようなどという意識も芽生えようはずもない。
 ま、私もあまりそういうこと言えた人間じゃないのはわかってはおりますが、思わずこう言いたくもなりますね。「あんたら、バカ?」と。
 「知らないということを知らない」というのは、愚民の第一条件なのだなぁ、などと生意気にも思ってしまったりもするので御座います。
 またこれも自戒。

 などと生意気なことはさておいて、先日判決の出た台湾と韓国の癩病患者収容施設の裁判、なんだか気になる文章を見かけ、検索すると こちらのサイト に癩病患者に対する昭和二十三年六月四日の国会での発言が記載。実際に公開された国会の議事録を調べると、 たしかにその発言 は行われたようで。この発言の小鹿島の韓国人癩病患者の実体が正確かはこれだけではわからないのだけど、いずれにせよ当時の実体というのは今日我々が安易に考えるようなものではなかった、ということは言えそう。


2003年10月27日(月) 旧暦 [n年日記]

評価軸

 まあ、昔っから評価軸ってのには頭を悩ませてるわけで。たとえ自分がどう感じ、なにを言ったところで、それが売れている・受けているということは、それがなんらかの意味で「評価されてる」ってことで、「その評価軸を持たない」人間がとやかく言うことではないということで、逆に世間からどう評価されてようが自分が面白いと思うのだったらそれでいいってのもわかってはいる。わかってはいるんだけど、割り切れるほど人間的に成熟もしてないのだよな、困ったことに。ただでも粘着質で、それにストレスが後押ししてるからさあ大変。まあ、それでもおね2に関しては(文句言いながら)視聴を継続してた理由は別にあるんで、特別例だと考えてください。たぶん。きっと。
  祈りの海/グレッグ・イーガン を、 しあわせの理由 を読んだ勢いで読了。発表年代をちゃんと調べてないので新旧がどうなってるのかはわからないのだけども、『しあわせの理由』の方が、個人的には評価が高いかなぁ。全般的に、SFとしてのガジェット、つまりハードウェアの設定がしっかりとわかりやすく、それを軸にどう意識の問題が関わるか、が、『しあわせの理由』の方がわかりやすかったし、その関係が楽しめた、ということが大きい。そこらへんは趣味にもよるとは思うのだけどもね。でも、面白くない、ということではない。そんな中では、表題作「しあわせの理由」よりかは、人体の電脳化による不死が実現した未来で、何故かさらわれていない妻の誘拐事件が起こる「誘拐」や、平行宇宙が認識される世界で、あらゆる可能性の中で自分が自分たる理由を模索する「無限の暗殺者」が、個人的には趣味に合っていた。
 あと、後書きでイーガン自身が「今は短編作家から長編作家への移行期であると思う」と述べているコメントが引用されている通り、この時期は明らかに短編向きの作家だと思う。話は面白いのだけどつかみや、長い間読者を引っ張りつづけるテクニックには長けておらず、だから、どれほど長編作家として熟成したのか、近作のイーガンの長編の訳出が待ち遠しいところではある。
 土曜日は ダイナコン18 だったのだけど、その前に KILL BILL を見に行く。ストーリーは、結婚式の日に恋人でありなおかつボスの「ビル」に夫とお腹の中の子供を殺され、自身も九死に一生を得たものの四年間意識不明だった女暗殺者「ブライド(花嫁)」が、ビルと彼が差し向けた暗殺者達に復讐をしていくというもの。まあ、その辺はあってなきがごとしものなんだけど。元は一本の映画として取られたのだけど、その長さと密度に二本に分けての上映になり、今回はその一本目。メインは東京のヤクザの元締めにのし上がった暗殺者の一人「オーレン・イシイ」とユマ・サーマン演じる「ブライド」との対決。勘違い日本の描写のみが取りざたされてる感もあるけども、実際はそこが主眼ではなくって、タランティーノが親しんだ日本のB級映画と八〇年代テレビシリーズへのリスペクト(アニメ・特撮含む)だと思う。だから、日本の(間違った、でも多分確信犯的な)描写も、それから考えると突飛というほどではない。だから、日本が舞台だからとかそういうことは実はあまり関係なくって、そこら辺が楽しめるかどうかがこの映画を楽しめるかどうかの境目の気がするなぁ。端的に言うならば「実にB級スピリットにあふれた映画でした。B級スピリットしかないけど」というのが一番ぴったりした評価の気が。まあ、「ゴーゴー夕張萌え〜」ってのもアリですが(栗山千秋が結構いい演技してます)。余談だけど、ちょっとうれしいのは、ヤクザの親分の一人で國村隼が出てることか。
 大分長くなったんで、 ダイナコン18 の感想をメモ書き的に。
・中里融司氏は想像以上にスゴイ人だった(含みを持たせて)。
・「サブマリン707R」は実は全三巻のつもりで構成していて、一・二巻がたくさん売れると出る(らしい)三巻ではいろいろすごいらしい。
・一番盛況だった企画が「乳揺れ企画」だったのは正しいような、間違っているような。
・会場の五色園まではみんな迷った。
・自転車で会場に行ったらちょっと注目された。
 まあ、他にもあるけど、言えたり言えなかったりのこともあります。もし許可が取れたら追加公開もあるかもしれないですが。


2002年10月27日() 旧暦 [n年日記]

寝過ごし

 おまけにハリケンジャーとGAの予約を間違えて撮りのがし。友人に確認してOPのじゃんけんが何だったかだけ聞く。三連続でグーだったか。ま、他のことはいいか。
  龍騎 はテンポが無茶速い(誉め言葉)。ナイトVSオルタナティブ、龍騎・タイガVSガゼルペア、モンスターVSモンスターとアクションシーンだけでも濃い濃い。ラストに東條の裏切りと、何かの予兆のように出現するガゼル軍団( 仮面ライダーインペラーの契約モンスターなんだけどね )、今回は脚本も演出も絵作りもどれも負けてない。うーん、朝から見るのはもったいない。
 話題にしようとしてしそびれていた、チェチェン地区での立てこもりテロ事件、 人質被害者が118人にまで増えた ようで。この手のテロ対策は、「絶対の正解がない中でもっとも正解に近い回答を探しつづけなければならない」わけだけども、しかし、犠牲者の数を見るとやはり暗澹とする。詳しいレポートはいずれそれ系の雑誌に載るだろうから、それを見ないとなんとも言えない。けど、 この辺のニュース を見ると、やはり政治色が強そうだ。チェチェンの民族紛争でいつも思い出すのは、セルゲイ・ボドロフ監督の コーカサスの虜 という映画。トルストイの同名の有名小説を、舞台を現代に置き換えたものなのだけど、 これほどの昔からずっと続いてる問題なのだ 。そして、ロシアもチェチェンも、その前提の上にそれぞれ権益を得るものがそれぞれの事情で煽ったり継続したりしている。本当にイヤになる。奇麗事ではすまないのはわかるだが、この不毛の連鎖に巻き込まれた者が簡単に抜け出せないのはわかるのだが。
  チャップリンの「独裁者」、フランスで新作並みの大ヒット 。確かに今見ても遜色のないコメディだが、これほどの求心力を得られるとは。日本では若い人は古い映画に興味をそこまでは引かれないのでうらやましくもあるのだけど、何かの社会背景があるのでは、とも思ってしまう。
 あまりこういうことばかり書くのもどうかなのだけど、韓国・北朝鮮系の発言ネタが結構ヒットが揃って出た。 辛淑玉氏、在日を励ます日本人を「偽善」と批判 。自分で「仕返しを恐れてる」と言っている辺り、語るに落ちてるような。言いたい趣旨はわからないではないんだけどねえ。 石範氏、「日本は歴史健忘症だ」と批判 。あのー、完全に問題をすりかえてますが。作家とは思えない論理性のなさだなぁ。まあ、日本国内で日本を責めることが飯の種になるのだから、日本もまだまだ平和です。
  韓国yahooで、2chの嫌韓フラッシュが批判される 。当のフラッシュは これこれ 。まあ、あまり性質の良い茶化しではないのは確かなのだけども、マスコミが大真面目に言うことでもないよなぁ。
 いつのまにか 復刊ドットコムの「おれのサーキット」要望が10票を越えた ので、たまには宣伝(でも、あと90票近く必要……)。マジで面白いので、読んでほしいのだけどなぁ。


2001年10月27日() 旧暦 [n年日記]

最初の人間は白人で男

 え〜っと、ミトコンドリア・イブはアフリカにいたとかいうのはどうなったんだっけ? なんかわりと最近のネイチャーに書いてあった気がしたんだけど。
 昨日、最初の方でフルーツバスケットについて「閉鎖的なコミュニティー」云々と書いたのは、ちょっと積読になってたボストン・テラン「神は銃弾」を読んでて、なんとなくこれに出てくるカルト犯罪者集団に重なる部分を連想したから。まあ、カルトになぞらえるのはやりすぎだろうけど。
 小説の筋は、クリスマスの夜、カルト的カリスマ犯罪者サイラスによって元妻とそのつれあいを殺され、そして娘を誘拐された警官のボブが、娘を助けるために元サイラスのグループメンバーで今は麻薬中毒者リハビリセンターにいる女ケイスの手引きで、それまで彼が信じていた「良識」とは別の世界へと入り込んでいく話。要約するとなんだか味気ないが、白人中流階級・貧困層犯罪者のカルト、それら双方の信仰の奥深くまで抉り出し、その空っぽの心臓をとことんさらけ出す。しかし、例えば同じハードボイルドバイオレンスの「凶手」とは異なり、とことん追い求め、そこにあったものは結局人生の幻影のようなものだったというオチではない。残ったのはとても身近なもの、そして寂しい人間全てのものだろう。海外翻訳の文章に慣れてないと読みづらいかもしれないが、読み慣れてればぐいぐいと読める。
 引き続いて松井茂著「世界紛争地図」。まあ、ミーハーにもアフガンの例の情勢に触発されて入手したのだけど、日本近辺の極東情勢から、地域紛争と云えば連想する中東やアフリカへとだんだん西へと進んでいくと云う内容でわかりやすい。あまりこの分野のライターさんの評価と云うのは正直疎くてよくわからないのだけど、掲げる理念、宗教、民族と云った「記号」に拘らず、「実利」つまり、どんな利権(物理的なものが主だがそうとは限らない)を争っているかをしっかりと書いてくれているのでわかりやすい。3年前の本だから、当然情勢は移り変わってるわけだけど、歴史教科書なんぞよりは国際情勢の背景がわかるのではないかと思う。いや、私もまだ途中なんだけど。