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2002年01月01日(火) 旧暦 [n年日記]

あけましておめでとうございます、ってことにしておこう

 旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。
 年賀状を用意してないのでここで済ませてしまうおう…って駄目か。帰ったらなんとかしよう。
 いや、個人的には学位関係に完全にけりが付くまでめでたいも何もないのですが。
 実家に帰ると、何気にテレビがハイビジョン化している。ずげ、何時の間にですか? こっちにいればシュガーもナジカもまほろも普通に見れるのになぁ…
 おおみそかにスターチャンネルで「砂漠の流れ者/ケーブルホーグのバラード」をやっていた。やっていたけど「ペイチャンネル契約してないの?」の質問に「してない」との無情なるお言葉が…よよよ。せめて「海の上のピアニスト」くらいは見られれば良かったのに…
 なにげにキテレツ大百科をやっている。コロ助はCGで声が小山茉美と云うあたりはわかっているが、EDはやはり「はじめてのチュウ」でなかったのはいかんでしょう。キテレツのパパ上が山寺宏一なのは別にそんなにおどろかないけど、奇天烈斎の声がもとむーだったのはちょいとびっくりかも。
 先日の疲れがかさんでて、今日はほとんど寝正月。初詣にも行く気分ではないので殆ど親と一緒にテレビを見ているだけ…うぐぐ。
 年末の アギト は、新展開。独立した翔一や涼の前にそれぞれ気になる女性が。一方一時大人しくしている謎の青年も何事かを企む。やっぱり沢木(本当の津上翔一)は雪菜の後追い自殺していたのを青年が復活させていた。あと残り四話でどういう展開になるのか。
 まあ、今日はテレビでやってる「雨あがる」を見て寝ようか。


2002年01月02日(水) 旧暦 [n年日記]

僕たち義民、酒井家だけについていく〜♪

 老中水野の時代、領主の封地替えに反対し、庄内の農民が直訴を起こし、ついにはこの決定を覆すと云う事件があって、「義民が駆ける」と云う歴史小説になってたりするけど読んでません。<おいおい
 実家に帰ってすっかり寝正月を満喫していた頃、親が最近読んだ本でこれが良かった、と云うのでぽんと渡されたのが池宮彰一郎「島津奔る」。戦国時代を生き延びた薩摩の国主・島津義弘を描いた歴史小説と云う事になる。まだ上巻の半分くらいまでしか読んでないけど、慶長の役の見事な撤退から始まり、時代の大きなうねりの中でどうにか生き抜くために政略軍略の知恵を振り絞る様が描かれる。
 この本で気に入ったのは、誰か一人を「悪者」とするような、つまり、薩摩長州土佐側から描かれる時にしばしばあるように家康を野心家で狡猾に描くようなことはなく、戦国大名の振る舞いは大名一人の私心により決定するものでなく血族、臣下などの内政、また外部との止むに止まれぬ相互作用により流動的に決するものであり、後年から見ればまるで一個人の人格であるかのような振る舞いも、実際にはそうでない事を描いている事がある。
 二つ目に気に入ったところは、一つの戦場における一つの勝利が体勢を決するのではなく、それも外交の一つに組み込み、更にその上でどうやって生き延びるか知恵を振り絞っている事を描いている事にある。確かに戦場では比類なき猛勇で知られたが、政治に翻弄されて敢え無い最期を遂げると云うのはいかにも日本人好みである。しかし、実際に戦国の世をどうにか生き延びた諸大名の多くは政治的にもしたたかだった。一武将としてであればともかく、上に立つ人間はその下の人間に責任があり、それを放棄して我を通すと云うのは、ある意味無責任である。そうしなかった人と云うのは、もう少し評価を受けてもしかるべきではないかと思う。
 あと一つ気に入っているのは、秀吉の朝鮮出兵の目的が長い戦争状態の終焉による終戦不況が訪れる事を見越し、国外との戦争で武器など戦需品の需要をある程度維持しようとしていた事と書いている。それが史実であるかどうかはわからない。おそらくはそう云う一面もあったのではあろう。しかし作者はそんな景気対策に異を唱えている。戦争で戦争の尻拭いをして、それを軟着陸させるのは至難の業である。当然秀吉の朝鮮出兵は上手く行かず、よしんばもし上手く行ったとしても深い禍根の種を残したであろう事は間違いない。どこかの国に見せてやりたい話ではないか。


2002年01月04日(金) 旧暦 [n年日記]

違いの分かる男の

 まずは 年賀状 。ごめんよう、干支がらみって云ったらこんなんとかあんなんしか思いつかなかったんだよう、しくしく。
 年末に後輩のI垣君と暇つぶしに話していたら、妙に気になる物言いをしていた。
 時々日記に出てくるこのI垣君もオタク、それもちょっとアングラ系のオタクで、彼と話してると否応なく回りの人間置いてけぼりでどんどん話題がオタクな方に進んでいく。いや、ワシに外に話題があるかっちゅーとないのだけど、もう少し学術関係の話題も出てもいいものとは思うのだが…ま、ソレはともかく、この時もオタクな話が進行していた。話の流れで出てきたのが週刊少年ジャンプに連載中の「ブラック・キャット」と云うマンガ。これが2chではカウボーイ・ビバップのパクリとして槍玉に挙げられていたのだけど、個人的には出鱈目な銃器の取り扱い(いや、別にリアルであれってんじゃないのよ。銃器の取り扱いに代表される締りのなさ、と云う辺り)で見切りを付けたのだけど、このI垣君は「マンガ業界のイニシアチブを握っているジャンプがこういう物真似マンガを載せてるなんていい加減すぎる」と彼にしてはちょいとご立腹だったのだ。(ま、それでも大して怒ってる訳ではなかったが)
 ここで気になるのは、彼にはビバップ自体物真似の塊だと小一時間説教したのだが、何故か「物真似がいけない」と云うのはジャンプに向かい、ビバップには向かっていないらしい事。曰く、ジャンプを読んでこれを本物だと勘違いしてしまえば本物(ビバップの事だと思う)に損害だし、読者も偽物を掴まされて損をする、と云うような趣旨っぽいのだが、なんか違う、と感じる事おびただしい。
 最初に断っておくが、私は自分に審美眼はないと思っている。だから簡単に偽物に騙されるし、偽者でもそれなりに楽しめてしまう。でも本物とあからさまな偽物を並べておけば、なんとかその差はわかる、かろうじてそのくらいの判断力を持つだけだ。だから本物についてI垣君に説教するほど本物を知るわけはなく、「ジャンプってのは分かりやすい、一般向けの娯楽を提供する媒体だ(それだって血肉を削る大変な作業なのだけど)」と云う事を繰り返すに留めておいたが……
 実際に本物と云うのはほんの一握りである。一から作り出すより模倣する方が遥かに楽である。だから「模倣」は際限なく広がる。しかし見る人が見れば本物と偽物は一目で見破れる。本物を知らずとも、偽物である事も看破しうる。もし偽物と見えず、そこまで血肉としたものであれば、それはその時点で本物となっているはずである。本物との差異はどこで感じるかと云えば、違和感、不快感、疑問点、様々な形となって心で感じる。偽物がいけないのではなく、本物を知ってしまった人には偽物は本物ほど楽しめない、と云うことのはずである。娯楽は楽しんでこそ本分。本物を知りたい、本物を感じ取れる人間になりたいと思うのは結構。私もそうありたいとは思っている(その方法は本物を多く目で見て、触って、味わって、考えて、感じる事しかないと思うのだけど)。ただ、彼の云ってる事はなんとなく順列が滅茶苦茶な気がしたのだ。
 本物とは何であるかを知らずに本物を語るのは、偽物を本物として取り扱うのと同じくらい失笑ものである。正直、数年前の自分自身をちょっと重ねて見てしまった。とは云え私も本物を語れるほど本物を知らない。我知らざるを知る、と云ったところか。でもまだまだ知らないのに知ったような口を利く事は多いし、自分でもちょっとはそう云う青臭いところもあってもいいかななんて思ってはいるのだけど…
 本物云々、ってのは別にオタクごとだけでなく、万事に通じる事であると思うので、ちょいと気になってしまったことではある。彼とは先輩後輩とは云ってもほんの半年も年齢が違っていないので、きっとこの事は知人や友人に触れるうち、有意識的あるいは無意識的に教えてもらった事なのだろうと思う。知人友人に恵まれた事に感謝する事しきり、である。


2002年01月05日() 旧暦 [n年日記]

失言

 昨日の日記で書き忘れてましたが、一昨日の「薩摩奔る」は「島津奔る」の間違いでした.ご指摘ありがとうございます。こっそり直してただけではダメダメよね。しかも作者名まで間違えている。じゃ、佐藤雅美って辺りはどこから出てきた? うーん、謎だ。
 あと、私信で「勝るとも劣らない」と間違えて書いてしまったのだけど、「勝るとも劣らない」では良く考えたら「勝る事はあっても劣る事はない」なので「以上」と云う意味にならないか? 「同等」の意味のつもりだったけど……それなら「負けず劣らず」の方が良かったのか。うぎゃー、失礼&ハズカシイ!
 どうも風邪ぎみっぽい。一応今日は大事を取ってお休みする事に。ま、日曜でもなんとかなる用事だしな。
 実家から届いたニンジンも煮付ける。コレが色も濃いしいい匂いなのだ。煮崩れもしないし。ナマ物も一緒なので早めに食べてしまおう。
 2chのシャア専用板にも ザブングルスレッド が。アンタも好きねえ。TV版と映画版の違いに トロン・ミランが出ていた と云うのは爆笑。これが動撮だ!
 あすのデジモンは実はサクヤモンの究極進化シーンが無茶苦茶楽しみです。ムダに力が入りまくってると云う噂なんで。


2002年01月07日(月) 旧暦 [n年日記]

島津は奔(はし)る、お前も奔れ

 ってワケで池宮彰一郎「島津奔る」読了。粗筋はひとまず置いといて、この本の柱の一つとなるのは冒頭の朝鮮出兵から繋がる「戦時景気に支えられた経済の戦後処理」と云う事になり、その重要性と意味に気付いた島津義弘が関ヶ原の合戦において戦術上以上の意味を持つ位置付けに置かれるのだけど、正直「戦後経済の面に目を向けてたのが三人だけ(家康、義弘、三成)ってこたなかんべ」とは思うものの、最大の疵瑕としてはそのくらいのもので、あとはとても面白く読めた。敗戦国であるのに領地を保ったばかりか(徳川方に組みしても領地没収となった大名は多い)、沖縄に関する権益まで入手したという事実上の勝利を収めたと云うのは僥倖と云う外ない。沖縄に関してはまるっきりのとばっちりでこの後薩摩藩支配下においてそれこそ塗炭の苦しみを味わう事になるのだが、まあ、一応ここではひとまず置いておこう。ラストの部分(これから読もうと云う人にこればらしたらそれこそ殺されそうだから伏せておくが)と、その前提となる関ヶ原と関ヶ原後の脱出劇は悲惨ながらも鮮烈なのだが、やはり最大の山場は下巻に入ってすぐの、島津兵約千人の義勇兵の島津走りだろう。国許の前藩主龍伯が弟義弘への嫉妬から判断を誤り、兵を出し渋ったことにより義弘は窮地に陥るのだが、殿様一人を死なちゃならんとばかりに「自発的に」(義弘派の作戦ではあったのだけど)千人ばかりの薩摩兵が取るものもとりあえず薩摩から大阪へと駆け上っていく。その心理は単純に忠義とも云えず一種の異常心理ではあるのかもしれないが、以下の部分がその感想を簡潔に示していると思う。
「(前略)あるじの危急に数百里の道を遠しとせず、一心不乱に走る、その意気は壮、その至情は純、これぞ薩摩の国振りと存じます。」下巻P41
 え〜っと、ついでなんで正月に実家で見た「雨あがる」の感想。今の静岡県大井川、江戸時代当事は地方からの軍勢が江戸に上ってくる事を恐れ橋がかかっておらず、その為雨などで川の水かさが増えたりすると旅人は川止めをくらい、長いこと逗留を余儀なくされた。裕福なものであればそれでもさほど困りはしないが、宿泊費ですらようようの貧乏人にとっては死活問題になりえた。そんな川止めを喰らっている木賃宿の人々の中に浪人三沢伊兵衛夫婦の姿があった。この伊兵衛は剣術指南として幾つかの家に仕えたのだが人を押し退けて出世するような宮仕えが性に合わず、浪々の身に甘んじていた。そのように心根が優しい男だったため、長引く逗留に同宿の人々が神経を尖らせて餓えていくのに耐え切れず、妻から止められていた賭け試合で幾ばくかの金を用立て、それで同宿の者達に糧と酒を振舞った。人々から感謝を受け、その内に雨もあがり、川の水が引けば川も渡れるようになるとなったある日、地元の侍のつまらない諍いを止めた事が元で、城主に目を止められる。剣術指南として是非召抱えたいと請われ、殿様らしからぬ城主の気さくな人柄に、ここでなら宮仕えも勤まるのではないか、と期待に胸を膨らませるが、思わぬ横槍が入る。それは、同宿の人々を慰める費用を調達する為に行った賭け試合の件だった……
 「用心棒」とか期待すると肩透かし食らうけど、非常にまったりとしながらも「これはこれで」と思わせる内容。黒澤監督が撮っていたらどうなっただろうかと思うと共に、撮らなくて良かったんではないかとも思わないでもなかったり。ただ、全編三沢伊兵衛夫婦の優しい人柄に和まされていくような空気に、人生の皮肉的な話の展開ではあるのだが、このようなハッピーエンドとは云いにくい結末もいいのではないだろうかと思えてしまう。難しいかもしれないが、このように自分の信念を貫き、それを悔いない人間でありたい。1.5点。
  イダタツヒコ 「ゴルディアス」の三巻ゲット。わりと大き目の書店にも置いてなく、マンガ専門書店に行かないとなかった。「エリートヤンキー三郎」なんて置いてなくてええんじゃ、うきゃー! 内容は……見事に「未完」。ちょっと編集とどんなやり取りがあったのだろうかと思ってしまうが、再開できるといいなぁ、とは思ってしまう。ちなみに桐島は「外道の書」、榊原は「HeRaLd]の登場人物……だっけ?(榊原の方はちょっと記憶あやふや)
 古橋秀之「サムライレンズマン」入手。「島津奔る」の次に読むのがこれかい! とか思われそうだけど、いいじゃないかよう。
 あ、それと忘れないうちに昨日見た番組の感想。
 ガオレンジャーはマッスルにっぽんVS正月仮面でした。以上。普通ならこの手の馬鹿話、インターミッションのはずなんだが……
  アギト はあと三回しか残ってないのに沈滞振りがちょっと気になる。大丈夫か?
 デジモンテイマーズは、サクヤモン進化シーンは噂に違わぬ力の入りようでした。いや、それだけの話だったけどな。
 話では、サクヤモンの進化バンクシーン(使い回し用のシーン)はキャラデの人が自分の描いた原画にすらリテイクを出した拘りようだとか。道理で。


2002年01月10日(木) 旧暦 [n年日記]

たまには先輩風を吹かせて…

 後輩がセミナーのために論文読みをしてるのを高見の見物^H^H^H^H^Hもとい、ちょいと見てみたり。でも二人のうち一人の読んでるのはちょっと初心者にはきつ過ぎ。お前がやれと自分に言われても0.2secくらいで「ヤダ」と即答するだろうシロモノ。素人にはお薦めしない。
  MSが大量投票で自作ジエーン 。所詮はネット投票なのだけど、そこにここまでむきになるMSも可愛いと云うか…
 ここんとこなんか妙に自称「ファン」と云う存在の厭らしさがそこかしこで鼻につく。完全に自分の立場を履き違えた発言(例えばナイター見ながら「俺が監督だったら絶対優勝」と云ったほろ酔い加減のくだでこそ許されるものを公言して憚らないような真似)なんてのは、プロの送り手側にとっては失笑に伏すくらいのものにすぎないのだろうけど。ちょっと毛色の変わったものを作ると「ファンを裏切った」「ないがしろにした」とか騒いで、まるで生死に関わるかのように叫びだす。別にファンはそれで死ぬわけではないが、作り手はそれに生活をかけてるのだ。もう少し腰を落ち着けた視点が持てないのだろうか? 出来たものを見た上で面白い・面白くない、好き・嫌いを判断すればいいんではないか。ファンってのは作り手を育てる物(良い意味でも悪い意味でも)だとは思ってるけど、「同じファン」と括られるのが恥ずかしい人を最近よく見てしまうので。ちなみにこの話は私がファンサイトやってる作品とは違う作品の話ね。
 あと愚痴ついでにもう一つ。ここ最近風邪で体力が落ちていたせいだろうか、オタクのすまし顔が異様に気に食わなかった。自分だってオタクだろ、と言われればそのとおりなのだが、つまりは自分のすまし顔も気に食わないのだ。個人的な考えで申し訳ないが、人間の趣味とか嗜好とか云うものは、根っ子の方はどろどろと生臭くおぞましいものが渦巻いているように思う。結局はそれをどう昇華させているか、なのだが(別に趣味の問題なのだから、人様世間様の迷惑にならなければ昇華させる必要はないのだけど)、底が浅い癖につまらない文化人面をしていて、自分のつまらない趣味を小奇麗に飾り立てているつもりになっている人間と云うのは見るも無残だ。自分のハラワタにつまった排泄物を薄皮一枚でどうにか体裁を整えているようなものだ。自分自身がそうだからかもしれないが、オタクがその手の人間の中で最も目に付く。薄皮の向こう側が透けているのにも気付かずに好い気になって恥ずかしげもなく世間様を堂々と闊歩しているのを見ると(全員がそうと云う事ではないが、そう云うのが少なからずいるのも事実)反吐が出ると云うのが正直なところ。別に罪悪感を持てとか趣味を改めろと云う事ではない。だが何が透けてるかよく見返して、世間様をそれで闊歩する事を慎む程度の羞恥心は持って欲しい。「マイノリティの権利」で美意識のなさが正当化されるわけではないのだ。


2002年01月11日(金) 旧暦 [n年日記]

今日的出稼ぎ事情

 夜にいきなり親から電話がかかってきたので何かと思ったら、「今、名鉄ホテルにいるんだけど……」あんですと!? どこの名駅ホテル?! ……いや、名駅前の名鉄ホテルに決まってるんだけどね。そう云えば、帰省した時に一月中に台湾に遊びに行くとか云ってたなぁ。それでか。
 その電話で思い出したのだけど、正月に帰った時に親から聞いた話。
 親は田舎で不動産業をやってるのだけど、最近外国人の住居斡旋も増えてきたらしい。田舎なものだから工場に出稼ぎに来たブラジルやらペルーやらの人も多いのだけど、最近増えてきたのがインドや中国の方の人だと云う。どんな仕事についてるかと云うと肉体労働者でなく、コンピューター関係だと云う話だそうだ。ハードの設計とかか、ソフトウェアの方の仕事かとか具体的な話は分からないのだけど、とにかく頭脳労働である事は間違いない。どうも上流の方の階級の子息で、若年のうちからそっち方面の英才教育を受けて、日本人では太刀打ちできないらしい。つっても親はそっち方面にはつとに疎いので、住居の斡旋を頼んだ雇用している会社側の人の話を聞いたものだと思うけど。高い人では月50万の月給で雇われているそうで、あちらとこちらでは物価の違いがあるから,向うの収入に換算するとそらもう凄い事になるはずである。
 つまり、中国やインドでは既にずっと前からそちら方面に注目して教育を行い、その成果が実際に出ていると云う事になる。今ごろITだなんだとやっている日本がいかに遅れてるかが如実にわかる。それと同時に、そういった頭脳労働力ですら国内でまかないきれず海外から雇用していると云う現実が浮かび上がる。言い方は悪いけど、海外から「買って」いると云うことだ。それじゃ今の日本に何があるの、と云う話は置いといて(気が滅入るから)、そう云う観点から見ると、今の円安って政府は何考えてるんだろうなぁと思ってしまう。日本が今海外に「売れる」ものって何だろう。そりゃ、日本だって競争力を回復して海外に物を売らなきゃいけない。その場合は円安の方が有利だ。でもそれは「売る物」がある場合だ。今のままなら日本の競争力は落ちる一方だろう。そうならないようにする為にはまず、種を蒔かなきゃいけない。今ハイテク関連でインドや中国から人が来てるように、海外に売れるものを作る人材を育てなきゃいけない。教育制度ってしばしばないがしろにされがちだけど、本当はもの凄く重要なのだ。芽吹くまでに時間がかかり、その成果ってのは捉えにくいから短期的な視野しかない政府や各省庁のお偉いさんは分かってるつもりでも本当は分かってない。もっとも政府関係者にその「ご立派な教育」の成果が出ている事は、有翼往還宇宙機の開発がどれだけの費用がかかるのかわかるはずだし、あんなに効率の悪い物の運用を維持するには相応の国力がなければならない事はすぐわかるはずなのに、 あんな低予算しかつけない事をアメリカの専門家に揶揄されたり してるのを見れば云わずとも分かる事か。
 小泉さんは今のところ(大胆に手をつけていると云う点において)よくやってると思う。けど、10年、20年先のビジョンがはっきりしないようなら多分今の嘆息はその時まで続くだろうと思う。
 あ、そう云えば仮面ライダー龍騎、今のところ「龍騎」と「ナイト」の二人のライダーが公開されてるけど、三人目も出る予定で重装型の「コマンドー」とかと云うのだそうな。最終的には仮面ライダーの数は13人になるとか……


2002年01月12日() 旧暦 [n年日記]

ワークショップやりたくない……

 なんかボスから転送メールが届いたので何かと思ったら、ポスター発表で申し込んでいた今度の生理学会にワークショップの参加で登録するけど、お前の意見もちっとは聞いといてやろうかいのーという学会事務からのメールだった……
 はい?
 ワークショップってのは一種の口頭発表みたいなもので、一つのテーマで複数人が発表をして、そのテーマで総合的に討論とかをすると云う形式。まあ、このメールのは限りなく普通の口頭発表に近いっぽいのだけど、「選考委員の推薦により」って誰じゃぁ、推薦なんぞしたんは!(ぶんぶん(ぐるぐる目で日本刀を振り回す音)) いや、そら名前売り出すにはいいのだろうけど、ワークショップなんかやったら中途半端な発表できないじゃん。困るじゃん。<おいおい ボスの手前とかもあるから断るわけにも行かないだろうし……うむむ、憂鬱だ。ってよく考えたらワタクシ、今年の生理学会会費まだ払ってないんですが……
  少年ガンガン で冬目景の不定期連載「 LUNO 」が始まったのでちょっとびっくり。正直かなりどーでもいいと思ってる雑誌なのだけど(こう云っては失礼なのだろうけど)、噂に聞く作家の大量引き抜き事件(でも一人二人ならともかく、それって作家を大事にしてなかったって事の裏返しでもあるよなぁ)を機に誌面の一新でも図ってるのだろうか。それとも単に誌面一新がたまたま重なっただけだろうか。いや、冬目景以外はかなりどーでもいいというのは相変わらずなんですが……
  ヴァンドレッド 12話はみっともこっぱずかしい主人公の演説以外は出色の出来。3DCGによる大艦隊戦は、昨今のTVアニメでこんなものが見れるとは正直思っていませんでした。CGのレベル自体明らかに最初より上がってるし、継続は力であると思い知らされる。あと凄かったのがゲスト声優陣。敵対してる二国家の首脳部のジイさんたちの声が麦人やら大塚周夫やら、端役の艦長で鈴置弘孝は出るし、青い機体のおっさんはランバ・ラルだし……死んだはずの人間が生き返ったり主人公の青臭いばかりの演説に援軍が駆けつけたりと疵瑕はあるのだけど、それを勢いで見せてしまいました。正直面白かったです。
 「サムライレンズマン」も読了。キャプテンフューチャーやスターウルフと並んで有名なスペオペ「レンズマンシリーズ」の外伝と云う位置づけで書かれてるのだけど、実は禅銃とかキャッチワールドで出てくるような勘違いジャパネスクを大きく期待していたのでその意味では期待外れ。でも話自体は面白かったです。年齢設定とかが異様に気になりますが。


2002年01月14日(月) 旧暦 [n年日記]

特にネタはないんですが…

 新春の番組改変期に差し掛かって新番組(アニメだけどね)がちらほら始まっているので、一応見た物の感想等。
  おねがいティーチャー 。脳軟化アニメでした。以上。……ってわけにもいかないだろうので、一応ざらっと。「宇宙から来た女の子」と云うネタは今更何をか謂わんだけど、設定の陳腐さとかあざとさ以前に、致命的にまでキャラの立たせ分けが一本調子。「お約束」と云うのとも違うのだが。話の内容自体がオタク用離乳食(噛まずに飲み込め大甘)みたいな内容なのだけど、逆にそれだけにしっかり作っていないと見るのがつらい。作画とか演出とかには見るべき部分は結構あるけど……
  七人のナナ 。「主人公が七人に分裂して騒ぎを起こす」と云う、普通ならそれ1エピソードとしてやるぞ、的なネタなのだけど、今川演出にはそんな常識は通じませんでした。(^^; つってもまだ慣らし運転的な感じがしますが(いきなり今川演出全開で視聴者がついていけるかい!)。人柄はいいらしい(と聞いた事がある)のだけど、職人気質が強すぎるために寡作な今川泰宏氏の久々の新作。名前を知らない人も「ミスター味っ子」で「光るカツ丼」などの怪演出を行った人、と云えばわかるかも。よく動いてたし、良い意味でフツーに面白かったです。コレを「フツーに」と云うのもどうかとも思うけど、これからフツーじゃなく面白くなりそうだと期待させるので。
  アギト は、どうやらコレまでの子供向けTVヒーローものではわりと禁じ手だった「ヒーローVS社会」を行うつもりらしい。が、警察が敵対する経緯がちょいと描写不足と云う気が。主人公が主人公だから、某不動明の様に「貴様らこそ悪魔だ!」と云う展開にならないだろうのは安心して見ていられるのだけど。
 次作の仮面ライダー龍騎は一応 公式サイト が出来てます。


2002年01月15日(火) 旧暦 [n年日記]

だからあまりやりたくなかったのだけど…

 何の話かは秘密。爆風消火で無関係のとこまで吹き飛ばした気分。
 日曜に火星探査の特集をNHK-BSでやっていた。その番組でA・C・クラーク原作の作品と松本零士原作の作品を3D-CGアニメにしていた。クラークの原作(書き下ろし)を脚色したのはいとうせいこう氏。だけど、科学考証に関してはいとう氏は甘々だったみたい。演出かもしれないけど。松本零士は、「ビジュアリストであってSF作家ではない」と云う発言を以前聞いた事があるけど、全くその通りなんだなぁと思った。しかしメーテル顔のキャラに池田昌子の声を当ててたのは大笑い。これだったら主人公は是非野沢雅子にして欲しかった。ちなみに 池田昌子さんは御年とって六十三 。まったくもってあの声を聞いてるだけでは信じられん(げ、広川太一郎の方が堀勝之佑より年上だ)。
 関係はないが、 PowePuffGirls the Movie のサイトが出来てた(要flash)。設定画のモジョ・ジョジョかっこい〜。
 これまた全く関係ないが、ライジング・インパクトの鈴木央氏はデジモンテイマーズ、それもレオモンにおおハマリ中らしい。でもレオモン、アレなんだけどなぁ……


2002年01月16日(水) 旧暦 [n年日記]

デジモン・フロンティア

 だそうな。>デジモン新シリーズ
 シリーズ構成は 小中氏 から変わるのだけど、どうもデジモンアドベンチャー関連の人らしい。うーん、デジアドおよびデジアド02は殆ど見てなかったからなんとも言えないけど、テイマーズの妙に人間関係が疎遠な、ありえそうな描写が好きだったのだけどなぁ。(海外でもデジアドよりテイマーズの方が好評らしい)
 日記のネタにしようと思っていた話題がニュースサイトで取り上げられてるのを見たりするとがっくり来る。「あー、あそこ見てネタにしたんだな」とか思われるのがシャクだから、割とネタにしたい話で無い限りそういうネタは回避する。後から見て取り上げられてる事もあるが、その場合は日付で明らかにこちらのアンテナの方が早かったんだから後の事は知った事じゃない。
 以前から劇場版ルパン三世(俗に云う「ルパン対複製人間」)の挿入歌「ルパン音頭」がここ数年立て続けに出たルパンのCDのどれにも収録されておらず、 なぜあの名曲を収録しないか と密かに怒りまくっていたのだが、実は 意外なところ に収録されていた。流石は芸の鬼、三波御大。普通なればヨゴレ仕事として隠したがるようなアニメや子供向け番組関連のものも堂々と発売しているのは流石。これだけで大物の風格が漂う。
 この「ルパン対複製人間」も実はDVD化されていないっぽい。「カリオストロの城」はされているのに。なんでこっちを先にDVD化しておかんのじゃぁ!(ぶんぶん) 脚本の大和田竺氏は調べてみるとアニメ作品より火サスなどの脚本を手がけている事が多いようである。「シュールだ」「わかりにくい」などの意見がある一方で「最後のルパンらしいルパン」と高い評価も多い作品なので、是非DVDを出して欲しいのだが……
 割と気に入っているテレビ雑誌 TVブロス にアギト最終回スペシャルとして白倉プロデューサー等が載っていた。読んでみると結構面白い。一番ニヤリとさせられたのは、「アギトの、仮面ライダーシリーズの中での位置付けは?」と云う質問に対し、直球で答えず「クウガの再評価に繋がると思いますよ。クウガがオーソドックスな仮面ライダーだった事がわかるでしょう」と答えている事か。それってつまりは遠まわしに「クウガが斬新と騒がれたけど、クウガはオーソドックスな仮面ライダーに過ぎない。アギトは仮面ライダーの『常識』を打ち破った作品」と言ってるのでは(遠まわしでもないか)。インタビューでは同プロデューサーが引き続き手がける「龍騎」について「さらに掟破りの鬼っ子」になると云っているので、ちょっと期待して良い気になってきた。あ、それと13人ライダーのバトルロイヤルってのは本当らしい。どうなるんだ?


2002年01月17日(木) 旧暦 [n年日記]

普段はあまり考えないが

 今日もいろいろありました。まる。
 ではなんなので、もうちょっと詳しく。
 詳しい事は言わないが(こればっか)、今日はちょいとばかり現ボスの子供っぽいところに苦笑したり義憤してくれた事に胸を熱くしたりとか色々あったり。
 で、このボス、癖はあるけど、基本的に無茶苦茶いい人なのだ。ただ、例えば「ちょっと雑談しましょう」とか言って話すのはやっぱり研究の話だったり、ちょいと研究以外の話にずれると早々に打ち切ってしまったり、情報処理の指向性が凄いのである。いや、研究者の鑑とは云えるのだけど、少しずれて興味のない話になると、興味が無い事を全く隠そうとしない。私の方はと云うと、役に立たなさそうな事でも取り敢えず仕入れておいて、ひょっとして役に立つかなぁとプールしておく。まあ大抵は役に立たないのだけど、役に立つ事もたまにあるのである。まあ、色んなタイプの人間がいるのは当然だし良い事だと思うのだけど、ひょっとしてワシのこの性格って、元からの性格もあるけど、前の研究室で培われた面が大きいんではなかろうかとふと思ってしまった。
 そうそう簡単に性格が変わるものでもなかろうが、案外と思考様式って影響を受けてるんじゃなかろうかと、ふとどうでもいいような事で思ってしまった。
 どうも HELLSING 最終話は原作ファンには相当アレな内容だったらしい。ってワケでアレでこれして送って貰って先に見てみる。あ〜、なんつーか、ここまで原作を大事にしてないと却って清々しいですな。結局、原作を力でねじ伏せようとしたけど手も無く捻り返されたって感じ? 原作とは違うオリジナル路線が悪いとは思わないけど、原作より明らかにダウンスケールしてるんじゃこの評価も仕方ないわなぁ。脚本の小中さんのほかの仕事はわりと好きだけど、絶対的盲信する程ファンではないし。
 七人のナナは、なんつーか、引き続き普通に面白い。今川監督作品としてそんな普通に面白いなんて事でいいのか! と思わないでもないが、まー面白いからいいや、と日和ってしまったり。喩えるなら喉越しの良いうどん。一気に麺の最後の一本まで抵抗無く飲み込め、味わいにも曇りが無い。そうそう、アニメってのはこうやって動きと音楽で魅せるのが真骨頂なのだよなぁ、と久々にアニメ作品を見た心持ち。脚本家としては既に底が見えた感のある、「おねがいティーチャー」の黒田さんに小一時間の説教と共に見せたいですわ。って見てるんだろうけど。黒田さん、脚本家としてはどんどんダメになってく気がするなぁ。あかほり某のようなプロデュースを目指すのはいいが、脚本家としてダメなところまで見習わんでも。


2002年01月18日(金) 旧暦 [n年日記]

伝統?

  日本オタク大賞の審査員賞のパワーパフガールズ、カートゥーンネットワークのコメント 、「伝統と格式」って、格式はまあとりあえず置いとくとして、「伝統」って、まだ第一回だって……何も考えずに定型を使うとこうなるのだな。
 ドラゴンHGに内田美奈子のカラーコミックが。うわー、なつかしー。でも内田美奈子のデジタルペイントって、癖があるのだよなぁ。何故だろう?
 ちなみに懐かしい漫画家と云うと、あもい潤氏が「カスミン」のコミック版を書いてます。一体何故?
  MSが今更セキュリティ重視宣言 。こないだのパッチサーバー不具合とか.NETウィルスの件とかそれ以前に再三取り上げられているセキュリティの甘さだとかに、.NETを目前に控えて対外的なアピール要素が大きいと思われる。主立った考察は既に スラッシュドットJP でやられているが、セキュリティをアピールするのが今ユーザーの支持を得られるとか、自分の所でセキュリティウェアを作るのだろうとか、まあ色んな要因が絡んでるからんでるのだろうなぁ。もっとも負の遺産が大きい現状でどうするのかは、意地の悪い意味で楽しみではある。
#IEとOE削るだけでずいぶんとマシになると思うのだが。
 あと、安定性はどうしたよ?
 HELLSINGの原作者、平野耕太氏のサイトは以前URL変更してから見失っていたのだけど、今日ふとした事で判明。げ、こんなに簡単にわかるものなのか? 当然、また移転すると捜すのが面倒になるのでURLは内緒。捜し方も内緒。
 ちなみにアニメ版HELLSINGの事には一言も触れられてませんでした。既に禁句か。
  ヴァンドレッド 2nd Stage 、大塚芳忠声の(外見は)女に続いて家弓家正かい……決して色物とは限らなかったりする辺り、このセンスには脱帽。


2002年01月19日() 旧暦 [n年日記]

いいわけ特集

 「いいわけするのは心にやましいことがある証拠だ」とは子供時代からよくいわれてることだけども、小心者にとっても「やましい」は、たぶん、ふつうに考える以上にたちが悪い。ワシのように小心で内攻的だとなおさらである。
 で、まずナニをいいわけしたいかというと、うちっとこの掲示板で先日行った「注意」の内容。注意の要点は三点である。第一点は、意見のあわない相手への、意見があわないという理由だけでの侮蔑。これは問題外である。面前で悪口をいわれればそれは腹がたつだろうが、腹がたつ理由は相手の無理解、無礼に対してであり、趣味嗜好に対してではないはずである。それを混同してしまうと、ある趣味嗜好のひとをひとくくりに全体を悪くいいかねない流れができてしまう。これは管理者としても避けるべきだし、また、個人的な倫理観からもどうかと思う。第二点は、比較の用い方。と、いっても、悪意のある比較でなかったのはわかってはいるし、比較としては事実をついていたのもたしかだった。問題点は、誤読の可能性だった。たとえば、SF者が「これはSFではない」ということばを聞いても、別に必ずしもその作品が悪い作品だといってるわけではないと、事前に了解してる。しかし、そのようないい方に慣れていない人にとっては否定の意に聞こえる。もう少しくわしくいえば、あくまで「技術論」の話が、作品そのものの評価と採られないように気をつけねばならない。ついうっかり「でもコレ、SFじゃないよね」といって、そういういい方に慣れてない相手が多少なりともショックや不快感をしめした経験は何度かある。最後の点は、こないだも少しふれたけど、感想のさいに分析・解析はおこなって不思議はない。ただ、実情を知らない人間がそれをやると、「釈迦に説法」になる可能性がある。私だって偉そうにいえた義理じゃない。しかし、その可能性を常に考えておくべきだとはおもう。でなければひとりよがりの分析に歯止めがかからなくなりがちだし、またはたから見て自分が非常にこっけいなことをしてるのに気づかないなんてことになりにくいかもしれない。
 で、その注意のおおもとになった話題はなにかっていえばジオブリのアクション描写(ちょっと語弊があるけどね)のとらえ方についてなのだけど、いちおう伊藤明弘研究家(ってことにしておこう)としてはひとつだけ一家言がある。(なぜ掲示板でいわないかといえば、自分で話題を止めるような真似をしておいていまさら自分がしゃしゃり出るのは非常にばつが悪いからである) それはなにかというと、ジオブリを読んでる時の読者の目の動きである。マンガは動かない。紙に書かれた絵なのだから当たり前である。その動かない絵を動いてるように見せることに関して、マンガ家はそりゃ昔から血のにじむような努力をして技術を開発してきたわけである。その結果、日本のマンガはアメコミなどにはない、キャラクターなどの動きのダイナミックを楽しむという要素が生まれた。しかし、本来は動いてないものを動いてるように見せるものだからどこかで無理が出てくる。動きを見せるだけでなく、コマごとにアングルや大きさを変えたりもするのだからなおさらである。下手なマンガ家だと、いったい誰がどんな動きをしたのか、すぐわからなくなる。下手なマンガ家でなくても、アクションの大きい、多いシーンではどのような動きをしたのか、わからなくなることがある。そうするとどうするか。前のコマを見直して、どういう動きだったかを考えねばならない。あんがいとこれは無意識でやってしまっている。ジオブリ、というより伊藤明弘作品ではこれが少ないのである。何故か。読みすすめていけば登場人物や動くものがどのように動いているかが、一コマ一コマでわかるようになってる。無論それだけではなく、常に丁度いい頃合でキャラクターの空間配置などが読者の無意識に提示するコマが挿入される。だから、伊藤明弘作品には「止め絵」、歌舞伎の見栄を切ってるようなシーンのコマの美しさというものには欠ける。この「止め絵の美しさ」は一種日本の様式美なので、その意味では損をしてるところはある。そのかわりに提示されてる「読者の読みやすいアクション」に内包されてる技術はおそらく私の想像如きを絶している。例えば、単行本7巻P56、二コマ目はまるまる雑誌掲載時から描きかえられている。雑誌掲載時のコマにも、絵的には何か落ち度があるとは思えない。何が違うか。単行本掲載時にはキャラクター(高見)の肩がコマの中に入っていない。このシーンは、キャラクター(高見)が主人公(田波)の呼び声にふりむき、たまたま狙われてた弾をかわす格好になり、何かがかすめたのに気付いてもう一度正面に向き直るという流れの、その向き直るというシーンである。単行本掲載時では、キャラクターの動きがどっちを向いているものか、田波の方を向いている最中か、それとも向き直っているシーンか、次のコマを見なければわからなかった。だから3コマ目を見て、「何時の間に向き直ったのか」と2コマ目を見直し、その時点で2コマ目がどんな意味を持っていたかがはじめてわかる。その修正である。読者にアクションの爽快さを感じさせるために読者の視線の動きすら制御する。すべてのマンガ家がやることではあるが、伊藤明弘作品はそれがかなり完成形に近いと思っている。意図して読ませる技術ではなく、意図させずに読ませる技術だから、何がすごいのか、気づかないで読んでしまうことも多いのだろう。
 無論それは「技術」の話ではあり、それだけで作品全体を語ることはできないことは当然であるのはいちおう述べておく。その技術により描かれるものに、なにを感じるかは、人それぞれなのだ。


2002年01月20日() 旧暦 [n年日記]

いいわけ特集2ほか二本

 きのうに続いていいわけ。
 いいわけってより、今度は反省にちかい。
 友人にも指摘されたけど、「黒田氏が脚本家としては底が見えた」と書いたけど、これはふきすぎ。私のセンスからはずれてるから評価ができないが、支持されているところをみると、市場のニーズに応えてる脚本家なのだろう。そしてその方向で完成されつつある。完成、ってより作風が固まってきたっていったほうがいいのか。単にその方向性がわたしの気にくわないというだけなのだろう。だから、文句をいうなら脚本家氏よりは市場に文句をいったほうがいい。更には、市場なんて主体があるわけではないから文句がいいようがない。これは困ったぞ。文句がいえないではないか。むむむ。
 いずれにしても個人的好悪と対象の有能無能を取り違えた、初歩的な「やってはいけないこと」だったのは間違いない。
 ただ、気のせいだろうか。黒田氏は色気を出しすぎて脚本から妙なオーラがとびでてる気がする。それがテンポ・バランスを崩して、その色気を「どうだ」と見せつけられてるようで不快なのだろう。ひょっとしたら世間ではきれいにまとまった脚本より、そういった脚本のほうがわかりやすくて受けるのかもしれない。でもおなじスタジオオルフェなら、倉田英之氏のほうが、路線はやはり気にくわないところがあるながらも、うまいような気がするのだが。
  高千穂遙も絶賛 (と、いっていいのではないだろうか。単にほかの番組が作品としての てい をなしていないってことかもしれないけど。リンク先の02.01.18参照)の ヴァンドレッド the second stage、というよりヴァンドレッド。昨冬に第一期13話、今冬にその直接の続編の第二期13話を放送というかなり変則的な放送形態。しかし、実質第一期第二期あわせて26話の番組としてみたほうがいいだろう。わりと最初から断続的なエピソードの連続により構成するかたちで、一話一話に大きなはずれもなかったが、コレといってアタリというわけでもなかった第一期。第二期はそんな第一期で確立したキャラ、設定、伏線を十分に生かして骨太なストーリーを見せてくれた。(どこかでスタッフが「女の子をいっぱい出したいかにもなオタク向けアニメのふりをして、やりたいことをやる」といっていたような)
 主人公のみっともはずかしいだけのセリフも、結局全体としての評価を崩すことがなかったのは、行動レベルの描写と演出がきちっとできてたからなんだろうなぁ。伏線をきちっとはってフロシキもひろげながら、ちゃんと伏線の全てを回収してほぼ完全にフロシキをたたみきる。あー、なんか作劇のお手本みたいだ。高千穂さんが上で唯一難点をつけてる3DCGと2Dの解離も、最初はまだしも、後半は輪郭線を強調したり、軌道の残影を、リアリティを犠牲にして見やすいものにしたりと、技術の向上いちじるしく、個人的には及第点をつけられると思うのだけど、そのへんはわたしがあまいのかも。
 結局この番組で成功したのは、スタッフの努力と能力もさることながら、前半と後半のあいだをおくことにより、結果としてじゅうぶんな作業準備期間をとることができたからのような気がする。これは後半までに前半の熱がさめる危険性や、前半は本当に中途半端な駄作としてまともな評価をうけない危険性はある。しかし、アメリカでは30分番組でも一週間おきに放送する形態がわりと一般的なことを考えても、もしこのレベルのクオリティを保とうとするなら、作画作業的にも編成作業的にも一週に30分一話というのは標準的限界を割り込んでるということかもしれない。問題点も内包してはいるが、この放送形態が一般的になれば、前半はパイロット版的な意味合いを兼ねることにより、消費者(最近の傾向として放送した資産を二次的にソフトウェアとして販売することで収益をあげることが多い)も製作側も無駄なリスクをはぶけるかもしれない(前半のできいかんで後半の継続を決定することで)。いずれにしても、この番組は製作者側の戦略勝ちの面がつよいだろう。
  フルメタル・パニック! #1、2を見る。うーん、なんともいいづらい。原作小説は読んだことがない。だからアニメだけの話だが、画竜点睛を欠いてるというか、みどころがはっきりしない。作画的にはレベルが高いのだけど、シナリオ、演出が凡庸。凡庸というより、メリハリがついていない。わらいどころでわらえず、緊迫したシーンで緊迫せず、萌えどころで萌えない。大化けする可能性なきにしもあらずだが、期待はまったくさせてくれない。このご時世「作画レベルはおちるもの」と考えたほうがいいから、そうするとみどころはいったい……ひどいこといってるように読めるかもしれないけど、原作者ファンのひと、ゴメン。 地獄の黙示録 を意識してるのであろう、ワルキューレ騎行っぽいBGMとか、予告のA-TeamっぽいBGMとか、小ネタはあるのだけど。


2002年01月22日(火) 旧暦 [n年日記]

ちょっと笑った

  高千穂遙のラーゼフォン評 っつーか評してないんだけど、笑える。監督が「視聴停止になって欲しい」というのは、どういう心境なんだろう。アニメ製作もいろいろ複雑で、製作作業そのものが不本意になってしまうこともあるらしいから、まあいろいろあるのだろうけど。
  2ちゃん で変なことを聞いた。図画は引用は認められず、全て転載扱いになり著作者の許可が必要なのが現行法解釈の慣例、というのだ。そんな話聞いたことないけど、本当か? そんな馬鹿なと思うのだけど……非常に気になるので、弁護士さんにでもマジに聞いてみようかなぁ。っつってもそんな法律相談受け付けてくれるのか??? もし嘘だったら面白いので嘘つき呼ばわりしてみよう。
 ここんとこあんまり アギト の話題振らないので、飽きたのかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。ただここ数回は確実に盛り下がっております。あまり細かい疵瑕は取り上げたくないけど、やはりリサ役の女性の演技がまずかったのだろうか? 魅力的に見えないんだものなぁ……普通の時の演技はそんなにひどくもなかったけど。今週の話はそれなりに、だったけど、最終回は全編盛り上がりっぱなしくらいの勢いはやっぱり欲しい。できるんだろうか? それさえクリアしてくれたら今までアギトに好意的だった警察上層部が突然反アギトに転じた理由を放りだしてもいいから〜。
 世間さまでいうほど尺の足りなさは感じてないけど、映画ではあれだけ盛り上げられたのになぁ。あまり意味のないことだけど、とりあえずスタッフの手腕を信じたい。
 一週間遅れのテイマーズ、異世界から現実に戻ってくる話。あー、これはいい話だった。別に脚本家だけの功績ではないが、小中さん、こういういい仕事もできるのになぁ。もったいない。
  2ちゃん・フルメタルパニックスレ 見たら、序盤は展開がのんびりだから、ストーリーが動き出すのは五話くらいからじゃない? って話が。うーん、ストーリーが動き出せば、細かいメリハリが欠けてても見れるようになれるかもなぁと思いつつ、一応六話くらいまで見てみよう。それでダメだったら知らん。
 書店に行ったら何気にザンスの新刊が。忘れた頃に出ているなぁ。一応確保。しかし厚いとはいっても文庫本で900円は高い。他には知り合いの作家のOさん(本当に知り合いというだけ)の新刊が。あー、前に会ったときに、プロット聞かしてもらったやつだ。ただ、以下続刊、なのだよなぁ……その前に出た土木SFもそうだったのだけど。購入は少し待とう。関係ないところだけど、その本の帯に「アンドロイド(美少女)」と書いてあるのを見て、涙。頑張ってるなぁ。


2002年01月23日(水) 旧暦 [n年日記]

引用の話・続き

 昨日の日記の図画の引用の話を見て、やはり研究にたずさわる友人がメールをしてきた。
「その話って本当? 本当だとすると、自然科学系の論文は違法ばっかってことになるけど……」
 そう、私も一番気になってたのはそれなのだ。著作権法で引用がみとめられる目的というのには、「教育・研究」というものも含まれている。したがって、適切な範囲を適切な引用のし方で用いても、それは許可なく引用として記載できる。もし図画の引用が不可能だとすると、他の論文の図を用いるときに、どんな場合でもいちいち許可を取らねばならなくなる。おそらく「嫌」と答える人はそんなにいないとは思うが、いないともかぎらない。こちらとしても、知り合いならともかく、簡単なセッションとかセミナーとかに用いられるのに自分の図の使用許諾をいちいち知らない人からもとめられてもめんどくさいだけだ。いや、著作権法は親告罪だから、訴えないと明言しとけば同じことなんだけど。
 で、その友人からのメールには、続けて、「その板ってコヴァ(小林よしのり)板のこと? だったらここが参考になるかもよ」と教えてくれてあり、そのURLが ここ 。別にコヴァ板ではないし、コヴァ板は覗いたこともなかったが、参考のために拝見させてもらった。ちなみに、いちおう、友人の名誉のために書き添えておくが、別に熱狂的なアンチ小林よしのり人間ではない。ヒステリックな小林よしのり派であっても、ヒステリックにそれに噛み付くアンチであっても、理論的な判断を下せない、下そうとしない相手が嫌いなだけだ。前述のURLも「鵜呑みにしないほうがいいけどね」と注釈がつけられていた(ざらっと見たが、たしかに鵜呑みにしないほうが良い部分が散見される)。閑話休題。で、そこを見ると、書いてることの正当性うんぬんではない部分が気になった。どうも、ここで引用されてる小林よしのり氏の主張と、先の日記で「図画の引用は不可」と述べた人物の主張とが微妙に主張の変さ具合が合致しているようなのだ。先の友人にもくだんの書き込みを見てもらったが、同様のことを感じたらしい。ネット上で検索していくつかの判例を見てみたが、「図画だから引用はダメ」などという理屈を根拠とするものは見つからなかった。むしろ、「本体と引用の主従が明確であること」「出典が明記してあること」など、比較的主観によらず客観的に判断できる基準を示している。小林よしのり氏の「脱ゴーマニズム宣言裁判」においても、一点のみコマの入れ替えによる改変がみとめられてはいるが、それ以外は慣行にあった引用としてみとめている。現在は東京高裁の判決であり、まだ最高裁の判決ではないらしいのでひっくり返る可能性はないではないのだが、「図画の引用は駄目」などという判断が法曹界で一般的ではないのは確かだろう。
 くだんの主張の人物が小林よしのりの妙な主張をまに受けたファンであるのかはわからない。しかし、いずれにしても、これ以上調べるのはあきらかに時間のムダと判断したので、これ以上は突っ込まない。
 いちおう補足しておくが、べつに私はアンチ小林ではない。昔読んだ「戦争論」の一冊目に関してのみ、まともに主張をうけとるような内容ではなかった、といえるのみであり、もしその傾向が続いているのであれば今後も読む必要はないだろうと思っている程度である。
 けなしてるように思われてるかもしれない「フルメタル・パニック!」だが(いや、べつにけなしてるわけでなく、楽しめてなかったってだけなんだけどね)、第三話はちょっと面白かった。バットを持ち出すところとか、一部テンポも良くなってる。いちゃもんつけるだけだと思われるのも心外なので、いちおう書いておかないとね。ただ、べつに重要でない小ネタのギャグを二週にまたがりやるとか(カニ缶の話)、次回への引きが歯切れが悪いところで切れたりと、やはりどうも基本的に原作ファン向けの気がする。いや、需要があるのならそれはそれでいいのだけど、だったらどこかで示唆してほしい気も。
  AOL(Netscape)がMSを提訴 。すでにあちこちで取り上げられてるネタだけど、これは無視するわけにはいくまい。司法省が試合に勝って勝負に負けたかんじなので、AOLには是非頑張ってほしい。無責任なやじうま根性だけどな。
 あと、IEのセキュリティホールだけ騒いでこっちは触れないというのも公平性が欠けると思われるので書いておくが、例によって スラッシュドット・ジャパン より、 Netscape6.2以前とMozilla0.9.6以前にクッキー関連のセキュリティホールがあった のが伏せられてたらしい。Netscape6.2.1以降とMozilla0.9.7以降では修正がほどこされているので、必要と思う人は対策を。


2002年01月24日(木) 旧暦 [n年日記]

早起きは十三文キック

 徹夜明けにナニ言ってるかの理屈なんてもとめるな。
 そいでもってメモ。
  http://homepage.mac.com/Chaosproject/history.html
  http://www.ae.wakwak.com/~moriyama/anime/Asagiri/Asagiri_Diary.html
#後者はファイル名に注意。
 ってなワケで「朝霧の巫女/ 宇河弘樹 原作」は製作:カオスプロジェクト、監督:もりやまゆうじ、で決定のようです。プロデューサーがO月氏ってことは、多分、テレ東だな。
 はあ、寝よ寝よ。

またメモ

  ベレッタのライセンス取得したガンコントローラ!?
 やるなぁ、ホリ。でも個人的にはステンレスモデルじゃない方が…


2002年01月25日(金) 旧暦 [n年日記]

ブラウザの名前

 薔薇の名前のパクリのつもり。
 近ごろはへんな名前のブラウザだとか、また環境変数としてサーバーに渡されるブラウザ名をわりとかんたんに変更できるブラウザが多いらしい。ウチの日記のログを見てみると……
△●の端末からです夜炉〓苦
※プライバシー保護の為、一部単語を伏せてお送りしています。
 △●って誰? もしくはどこ?
かめくんSP2
 あ〜、すいません。まだ「かめくん」読んでないんですよ。日本SF大賞とったし、読もうかなとは思ったんですが、書店に行ったら売り切れ。ミーハーなやつらめ、日本SF大賞とったからって買いに走るな!<おいおい、自分のことは棚に上げといて何を
 ところで、なぜSP2なんだろう?
君は少年の頃、TVを見なかったのか?
 見てましたが、それがなにか?
……おねてぃ見れなかった(血涙
 泣くな、そんなことで!
マターリと桑田乃梨〓ブラウザ
 だから、桑田乃梨〓(原文ママ)って誰?
2001年ベストエ○ゲ○はやっぱ家○計○でしょブラウザ
※はずかしいので、一部単語を以下略
 ……悔い改めてください、いろいろと。

意味不明でしょうが

 とりあえず「ガーンズバックに泣いて謝れ!」とは申しませんから、せめて御神体のミラーシェードにむかっての一日五回の礼拝くらいは欠かさないようにしていただきたいものです。
 で、ないと、ベイ=パパにいいつけて後継者にしてもらっちゃうぞ(ますます意味不明)。少なくとも、ピュンはやめれ。
 とりあえず、泣きたくなったら唾をはけ。

Y・S氏へ。

生物の世界じゃ、定量性ってのは物理に比べてかなり軽視されてるように感じます。というより、数学は、生物の世界では物理の世界ほど万能のツールではないってのが大きいのだと思います。まず、生物特有の個体間の「ゆらぎ」が大きいことがひとつ。生物の多様性がひとつ。やはりどうしても最終的には定性的にものを考えねばならない部分ってのは多いと思います。個人的にはあまりすっきりしないんだけどなぁ。


2002年01月27日() 旧暦 [n年日記]

もしもアンノウンがいなければ、たちまちアギトが攻めてくる

 もしくは「僕たちunknown、黒い青年だけについていく/今日も走る・殺す・闘う・そして殺される」。
 ってわけで アギト 最終回。最終五話のうち、最初の三話でボロボロだったのでどうなるかとハラハラしたのですが、どうにか無事着陸、といった印象を受ける。ほぼ流れとしては予想通りだったのだけど、逆に言えば「残り30分とすればこの落とし方以外にない」というもの。最後の最後でのファミリードラマパートは冗長じゃなかったろうかとかは思うけど、毎週30分(実質20分強か?)のドラマとしては、上手いまとめ方だったと思う。まあ、先の三話分のマズさはそれで消えるわけではないが、後味は良かったから終り良ければ全て良し、なのだ。それと、流れは予想できた、と書いたけど、それと同時に予想できたのは「絶対文句をいう人間は出るな」ということ。別にそれはそれで構わないのである。視聴者は無責任に面白い、つまらないと感想を抱く権利がある。権利というのも変だけど。たいていは具体的な最終回の想像をしてなかったり、あるいはどう考えても番組の意図に沿ってない最終回の想定(最後でクウガが出てくるとか、あるわけねーだろ)をしていたり、漠然と「なんか凄い終わり方」と考えてるだけだったりとかだが、それだって構わないのである。作り手側は、そういった雑多な視聴者相手に、限られた時間、予算、人員、制限で最適解に近づけねばならない。また、俺ならこういう最終回、と俺最終回を考えてる人もいるが、悪いが、そのプロットを聞いても特に魅力的とは思えない。べつに、そのプロットが特別劣っているということでもない。しかし、やはり映像作品は映像がついて、その映像を見せてナンボのものなのである。ストーリーは不要ということではないが、ストーリーがでしゃばって映像を阻害してはいけない。映像が劣ってストーリーの足を引っ張ってもいけない。実際にできたものが最適解とは限らず、他にも適解はあったかもしれない。しかし映像とストーリーのバランスの上で、アギトの最終回はちゃんとした最終回だったと思う。そこへ運ぶまでの展開にはやはり不満はないではないが、私はそう思う。
 ガオレンジャーとかも、これもこれでエンタテイメントとしては正しい方向性であるには違いないんだけど。
 来週からの新ライダー 龍騎 では、既に予告に出てる主役の龍騎、ライバル的なナイト以外に三人目のライダーも情報が流れてる。名前は「ゾルダ」(solder、か)で、外見は角があって牛っぽくて緑、そいでもって武装は銃らしい。写真が小さいけど こんなん 。あと、やってる役者さん(変身前)は この人
 一週遅れのデジモンテイマーズは、未知なる敵が現実を侵略してくる、その敵が何者で、どういうものかを知ってるのは僕たちだけ、僕たちが行ってもどうにかできるかわからない、でも行かなきゃ、という、電波とかでなく、子供らしい(良い意味で)正義感で納得できる展開。素直に良い話と感じる。下手な脚本家だと、本当に「電波か!? 宇宙人の電波か!?」としか思えない展開だからなぁ。小中さん、こういうのやらすと上手いんだよねえ。また、地味な展開ながらも質を落とせない話ということがわかった上で、作画体制もちゃんとしてきた監督の手腕もたいしたもの。実は作画の云々、というのはかなり大変らしく、特に何故か(もうエヴァバブルだってはじけて久しいだろうに)アニメの新番組本数がここ数年多く、去年は100本近い作品があったという。と、言っても1クール(13話)や2クールの深夜番組なども増えたので、通年の番組が100本とはちょっと違うのだが、それにしてもちょっと異常とも思える多さではある。話に聞くところでは、通常業界的なキャパは30〜40本くらいが限界らしい。それを考えると、短いシリーズが増えたとはいえ、この番組本数はまさしく異常だ。何故増えたのか、の事情は知らない。しかし韓国などの海外発注が普通になったとはいえ、圧倒的な戦力不足は否めない中、どうにかして手持ちの戦力をやりくりせねばならない。そうすると、総集編という小技や、重要でない回などはできるだけ動かない話にしたり、また作画レベルはできるだけ落とし他の山場の回に持っていったりという戦術的なことが行われる。2ちゃんの このスレ では「ヘタレな作画」について語られているが、ベテランの佐々門さん(50歳くらいという話)の話などはすさまじい。この人はそもそも作画監督も行うのだが、この人の回は原画のテロップに一人しか名前が載らないことがある。他ならぬ佐々門氏本人である。つまり全て原画を自分一人で描く。そのぶん、やはり作画レベルは犠牲になり、ファンからは「はずれの回」とも呼ばれてしまう。しかし、こういう「裏技」的なことをしてでも他の回に戦力を回さねばならない。現状はそういうことである。見る側にとっては確かに関係ないことだが。
 閑話休題。次回のベルゼブモンブラストモードの話も期待できそうだなぁ。
 スティーブン・ハンターの初期の作品「真夜中のデッドリミット」を読み終わる。うーん、ひょっとしたら、ハンターの最高傑作なのではないだろうか? その前に読んだ「さらばカタロニア戦線」も悪くはなかったのだけど、こっちの方が引き込まれた。これで国内で訳されているハンター作品で読んでないのは「クルドの暗殺者」のみか。もうだいぶん長くなったので感想は後日。


2002年01月30日(水) 旧暦 [n年日記]

カードに賭けろ!

 ってわけで田中真紀子外務大臣と野上事務次官両方更迭。これだけ見ると喧嘩両成敗だけど、野上事務次官のような官僚はこれからもいくらでも出てくるだろうけど、田中外務大臣のような外務大臣はいくらでもは出てこないだろうから、実際は外務省の官僚の一人勝ちである。もっとも誰と誰が喧嘩して、誰が勝とうが知った事ではないのだけど、官僚というカードにも、大臣というカードにも、我々はあまり個人個人の意思には関係なくほぼ自動的にコインを上乗せ(ベット)させられてるのである。予算審議が止まるとかは確かにナンセンスな話なのだけど、だけど我々のカードが勝ったのか負けたのか、はっきりさせて欲しい。ちなみに鈴木宗男などというブタカードには自動的にであっても何も賭けたくない。鈴木宗男を当選させている地元選挙民は、自分たちの利益のために国民全体に損害を被らせているであろうことを自覚すべきである。損害賠償申し立てたろか。
 で、予告した「真夜中のデッドリミット」の感想。アメリカのメリーランド州にある、唯一の単独で発射可能な核ミサイル基地が、なぞのテロリスト集団によってのっとられる。政府への脅迫も要求も一切なし。これが意味することは、テロリスト集団は本気で核ミサイルを発射させるつもりであるということ。この事態を打開する唯一の人物として、デルタ・フォースの生みの親、プラー大佐が招聘された。
 これだけ書くと、「ああ、ありがちなハリウッド映画のアレね」と思いがちだが、実際にはプラー大佐は主人公ではない。基地内に進入し、ミサイル発射を食い止めるために、あるいは相手の正体と意図をさぐるために、多くの人間がかかわってくる。ミサイル基地の設計者である、妻との不仲が原因の心身症に陥った科学者、すでにやっかいもの扱いのソ連の堕落したロートルスパイ、ベトナムで大佐に裏切られたと思っている部下、身をもちくずし受刑している、「穴ねずみ」とよばれていたベトナム時代の塹壕戦のプロ、この任務にあたらなくてはならなくなったごく普通の誠実なFBI捜査官、たまたまアメリカに亡命していた、塹壕でのゲリラ戦の経験のあるベトナム人女性……彼らの過去も絡み、作戦の展開は次々思いもかけない方向にすすむ。スティーヴン・ハンターのどんでんがえしのパターンはほぼ全てつまっているうえに、個性的な登場人物たちの状況がめまぐるしく入れ替わる。ハリウッド映画のようなヒーロー主義でなく、多くの犠牲者の血のうえに実行されていく作戦、そしてそれを一見実務的に立案し、こなしていくプラー大佐、彼らがどうなるか、最後の最後まで目をはなさせてくれない。スワガーシリーズも悪くないが、今まで読んだハンター作品では、正直、一番面白かった。
  2chイカス名前のSF系スレッド 発見。気持ちはわかる。でもワシ的にはやはり、ブラウンっていったら「さあ、きちがいに〜」かなぁ。タイトルからして強烈。
 あと、 龍騎 で、更に登場予定のライダーの噂が。シザーズって名前だって。ってハサミか…
 OURsを買って読む。む、今月は巻頭カラーのピルグリム・イェーガーから最後のJまでノリに乗ってるなぁ。毎月、とはいわぬまでも、月何割かはこの乗りであると嬉しい。


2002年01月31日(木) 旧暦 [n年日記]

時間泥棒

 ミヒャエル・エンデの名作児童小説「モモ」(映画はつまらんので見ないでよろし)でこういうキャラクターが確か出てきていたようにおもう。一昨日、掲示板管理のミスで書き込みが出来ないようになっていたのに気付かず、一日半放置してしまっていた。常連さんの連絡で初めて気付き、慌てて修正。道義的な問題とかうっかりのまぬけさ具合とか、責められるべきことはいろいろあるけど、もっとも大きいのはおそらくは何人かの書き込みを無駄にしてしまったことだろう。書き込みの量にもよるが、15分程度は、最低でもかかっているはずである。折角さいてもらったそれだけの時間を、無駄にさせてしまったことが非常に申し訳ない。これを時間泥棒といわずなんというのか?
 魔法の国ザンスの最新刊「魔法使いの困惑」読了。シリーズ当初からのメインキャラであるハンフリーの話。が、半分はこれまでのシリーズの総集編である。これまでのファンには笑えたりする部分もあるが、新規の読者にはとくには薦めない。まあ、一巻から読んでるシリーズだから、惰性なところはわりとある。
 「ドラキュラ紀元」「ドラキュラ戦記」のシリーズの最新作であるキム・ニューマン「ドラキュラ崩御」が出ていたので買う。それと同時に高島俊男著・文春新書「漢字と日本人」も買う。タネをあかしてしまえばなんのことはない、 高千穂遙 氏の雑記にて紹介されていたので興味を持ったのだけど。ちょいと最近日本語の書き方について今ごろ悩み中で、その参考になるかもしれないと思い手にとった。まあ、「ドラキュラ崩御」と平行して読みますか。