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2002年02月01日(金) 旧暦 [n年日記]

メメント・モリ

 今日は映画の日だったので、三本だけ見てくる。「 ヴィドック 」「 レイン 」「 メメント 」を見た。
 「ヴィドック」。1830年のパリ、著名な私立探偵であるヴィドックが殺された。パリはただでも民衆蜂起の直前で、緊張した雰囲気の中に、そのショッキングな報が流され人々は愕然とする。相棒のミニエも酒浸りだが、そこへポワッセとなのる青年がおとずれる。彼はヴィドックの伝記を書く約束をしており、彼の最期の真相を知りたいという。ミニエにはすげなく断られるが、ポワッセは単独で調査をおこない、ヴィドックが最後に捜査していた事件を裏で操っていた謎の鏡の仮面の男の存在が浮かび上がる。
 正直、筋というほどのものはなく、オチも意外というほどでもない。基本的には「俺たちフランス人がCGバリバリでつくったら、こんなにもスタイリッシュになるんだぜぃ!」という以上の意味はあまりない。しかし仮面の錬金術師とヴィドックの戦いの効果はただの冴えないデブのおっさんのはずなのに、ヴィドックが妙にかっこよく見える手並みは流石。ちなみにヴィドックは、ヨーロッパでは有名な実在の人物らしい。1.5点。
 「レイン」。コンは耳が聞こえない。そのことで幼いころから差別をうけてきたが、銃の才能を見こまれて殺し屋のジョニーに殺しの技術を仕込まれる。だがそのジョニーも仕事中、大事な手に傷をうけたことでやけになり、恋人ともわかれて自棄気味になっている。そんなジョニーに、尽くしつづけるコン。コンと薬局の店員フォンとの間に淡い恋もうまれるが、ジョニーの元恋人がマフィアに目をつけられ無理矢理てごめにされる。怒りにくるったジョニーがそのマフィアに復讐するが、まずいことに、そのマフィアは彼らのボスの仕事仲間だった。
 基本的に、「タイでもこんなにおしゃれな映画がつくれるように(以下略)」という以上の意味はない……と思う。日本のトレンディドラマ風に殺し屋の映画を撮ったような感じで、悪くはないが良くもない、というところ。見所がない、というかキャラクターたちのつながりの深さが描きたらないように思う。やたらと「男たちの挽歌」が引き合いに出されるので何かと思ったら、一箇所だけ似てるシチュエーションのシーンはありました。でもそれだけだなぁ。1点。
 「メメント」。話は、主人公・レナードが一人の男を殺すところからはじまる。レナードは、妻の敵を探していた。彼の妻は強盗にレイプして殺され、彼自身も、そのとき強盗から受けた傷がもとで、古い記憶には問題がないが、新しく記憶することができず、数分程度しか記憶をたもつことができない。彼は妻のかたきを討つために、あの夜の犯人を追っている。覚えておくことのできない彼は、膨大な量のメモとポラロイド写真を自分のために残している。そして、もっとも大事なことは自分の身体にいれずみして残す。自分で撮ったおぼえのない写真、書いたおぼえのないメモをてがかりにおいつめた犯人、それが冒頭で殺した男、そのはずである。だが、本当にそうなのだろうか?
 物語は普通の時間のすすみとは違い、過去へ過去へとさかのぼっていく。目の前で見ている「結果」はわかっても「なぜそれがおきたのか」はわからないレナードと、視聴者は視点をおなじくすることになる。誰が本当のことをいって誰がうそをついてるのか? 殺した相手は本当にかたきなのか? それとも誰かにミスリードさせられたのか? 見終わったあと、うしろの席の女性二人組が「むずかしいむずかしい」としきりにいっていたが、べつにそんなむずかしい話ではない。オチは最後まで見れば明快だ。しかし、最後の最後まで展開を読ませず(登場人物たちにとっては「既に起こったこと」なのに)、ラストの落とし方も申し分なかった。前二本がいまいち消化不良だったぶん、非常に面白かった、とはっきりいえる映画だった。ネタバレをすると、 彼を陥れたのは他ならぬ彼自身 である。ミステリーとして見てもまったく見劣りしない一方、「記憶する」というあたりまえのことができない男の悲しみ、記憶は自分自身の証明であるということを「復讐」という行為で意図せず体現してしまう悲劇が描かれ、ドラマとしても良くできてる。2点。ちなみに、メメントで描かれている主人公のような記憶障害は実際にある症例である。記述もほぼ正しい。
 「メメント」にならってメモ。岡本喜八監督最新作「助立ち屋助六」の公開に合わせ、来週末からシルバー劇場で「岡本喜八特集」が朝一回の上映で行われる。上映は「独立愚連隊」「戦国野郎」「暗黒街の決闘」「どぶ鼠作戦」の四本。一本が千円で見られるってのがうれしいやね。特に「独立愚連隊」以外は見たことないので非常に楽しみ。
 あと、 Mozilla の0.9.8はいつ出るのだろう? 首を長くして待ってるんだけどなぁ。


2002年02月03日() 旧暦 [n年日記]

キムチを漬けてみる

 ったって、本格的なのではなく、単にキムチの基と白菜を混ぜ合わせたヤツ。市販のキムチはやはりそれなりのお値段なので、これでそれなりに食えるものができるか実験。アクセントにキャベツの一夜漬けも加えてみる。どうなることか。
 ガオレンジャーって今日で終りかと思ったら、まだ一回あったのね。
 先週で最終回を迎えた アギト (更新されてるから公式サイトも見とくべし。 東映の方の公式サイト も)にかわって 龍騎 が始まる。あまりに過去の仮面ライダーとは異なる龍騎のデザインに、事前では不安の声の方が大きかったけど、一回目を見る限りでは悪くない。結構いい。アギトではわりと最初からテーマ(というか方向性)がはっきり打ち出されていたのに対し、龍騎はどういうテーマなのか、どういう方向の結末かが見えないので、アギト一回目のように、がーっ、と来るものはないけど、しっかり作ってあって好感が持てる(スマン、なんだかんだ言って、ワシ、結局アギト好きなんだな)。今度は13人の仮面ライダーが出てくるとかいう話で、OPでは一回目から登場する龍騎・ナイトの他、どうも仮面ライダー予備軍らしいキャラが目隠し(朝っぱらから)で出てる(モノクロで左右対称に人物や物が映るシーン。静物はちゃんと左側に映っているが、仮面ライダー以外の人間は左側に何も映らない。仮面ライダーのキャラは左側に変身後の姿が映っている)。女はいるだろうと思ったけど、なんか紳士風のおっさんが…あと、ガキもライダー候補か?
 OPは女性ボーカルで、しかも「仮面ライダー」とか「龍騎」とかいう単語は一切入らない。これはこれで悪くないけど、OPで10%くらい惚れたアギトと比べると、はったりは利いてないかなという気も。(嗚呼、アギト厨だアギト厨だ)
 CSで放映していたギャラクシーエンジェル(以下GA)が地上波で放送開始。でも中部では裏にテイマーズが来てるので見れませ〜ん、残念。GAは萌えアニメの皮をかぶったドリフコントで結構好きなんだけどな。
 監督自身が 高千穂遙 氏に「視聴中止になって欲しい…」と微妙なコメントを残した「ラーゼフォン」が東海地区でも放映。感想は…うーん、おもしろくもなし、特につまらなくもなし、といった感じか。デザイン、演出的には結構良いのだけど、ストーリー的に引きが弱い。「無難につくった第一話」という感じか。確かになんともいえないなぁ。
 なんともいえないというと、「フルメタルパニック!」だけども、第四話ではツッコミどころ満載でした。いちいち挙げてくときりがないが、「ツッコミどころ満載」というのは必ずしも悪くはない。なぜなら、それ以前はツッコミ入れる気にもならなかったからだ(やっぱ誉めてるようには聞こえないか)。ツッコミを入れる気になるだけには興味を引いている、という点では、確実に良くなっている。まあ、それ以外に特に誉める点もないのはたしかなのだけども(おいおい)。しかし、ミリタリー・銃器マニアってのはNOIRみたいなのにはツッコミ入れても、フルメタルパニックみたいなおかしさ(主人公の組織ってクライアントとか収支計算とかどうなってるのよ、とか、あの誘拐、テロ工作の手順はどう考えてもおかしい、とか、ロボットが実用になってる技術と他の兵器の技術とのレベルの違いとか)は突っ込まないのだろうか? 変な話だ。(原作小説ではフォローされてるのかもしれないけど、そんなものアニメ版には関係ない)
 七人のナナ、は、作画がそろそろきつくなってきたのか、あまり動かない回。うーん、動かなくなると、とたんにきつくなってくる。悪くはないのだけど。こういう「身近な当たり前のこと」を主題にした話ってのはもっとあるべきだと思うので、頑張ってほしいとは思う。
 おねてぃは…面白いといえば面白くはなってきたのだけど、脚本家の黒田氏って、結局どこまで行ってもシチュエーションの人で、手順を組み立てていくってのは得意じゃないのだなぁと再認識した感じ。シチュエーションを積み重ねても、ストーリーとして整合性を持つとは限らない。
 デジモンテイマーズは、テレビでは無能に描かれがちな自衛隊など、公の組織が、きちんとしたプロの集団として描かれてたのが好感。どっちにしても、いまいち活躍はできないんだけどね。子供の世界と大人の世界、それって結局大人の視点でしかないのは確かだけど、世の中を支えてるのは、大勢のこういうプロの大人たちだ、ということを描くことは悪くはないと思う。どうしようもない大人が多いのも事実だけど。

ワシとしたことが忘れてた

 偉大なる芸人、海老一染太郎師匠のご冥福をお祈りします。もう、あの、「コレでギャラはおんなじ」や「おめでとうございまーす」は聞けないのか…


2002年02月04日(月) 旧暦 [n年日記]

打ち上げ成功?

 一日延期した H2Aの2号機 が今日昼に打ち上げ。とりあえず成功……だと思う。断言できないのは、今回打ち上げられたMDS-1とDASH、二つの人工衛星?のうち、DASHはフェアリングからの切り離しに失敗した公算が強いからだったりする。個人的にはH2Aの輸送能力等が実証されたという意味で、成功と言ってもよいと思うのだけど、友人などは「失敗」と言っていた(無知な友人ではなく、宇宙開発にそれなりの興味と知識を持ってる友人である)。もろ手をあげての成功でなかったのはたしかで、その点では残念だった。でも、日本の宇宙開発の先行きは決して暗くはないと思う。技術への先行投資として考えると、必ずしも宇宙開発を特別あつかいすべきでないという知人も多いし、そのとおりだとは思うのだけど。
 きのう漬けておいた、キムチのような偽キムチだけど、まあまあ。キムチの代用品としては、使えなくもない。少なくともふすまパン(ふすま(麦のもみがらを製粉したもの)で作ったパン)や代替コーヒー(大豆を炒って作ったコーヒーの代用品)よりはマシだろう。どっちも口にしたことないけど。もうひとてま加えると、それなりのものにはなるかもしれない。本格的なキムチをつくるのも大変そうだからなぁ。
 密かにROM(Read Only Member。読むだけの人)してる掲示板で出てきてた URLテレビ愛知 による、大人のアニメ視聴についての調査。案外と大人のアニメの知名度、視聴のわりあいが高い。知名度が高いのはやはり昔やってたアニメのリメイクだったり、ジャンプとかで話題のものだったりするのだけど。でも、よく考えると、テレビ東京系で今楽しみなアニメって特にないような。「七人のナナ」は注意してるけど、これからどうなるかだからなぁ。テレ東は、例のポケモン事件以降の異様に厳しい規制(一説には年頃の息子を持った役員が、「子供にこういうものを見せたくない」というのを便乗してごり押ししたという話もあり)が、確実に作品をつまらなくしてるのだろうなぁ。うーん。「規制が新しい表現・文化をつくる」というのも必ずしも間違いではないが、ただ単なる作品への無理解ってのはどうしようもない。子供のためと称して、子供だましにもならないことをやるのはやめてほしい。予算もなし、規制だけたくさんでは…


2002年02月06日(水) 旧暦 [n年日記]

なんとなくだけども

  利害が一致するうちちはなかよく手を組むが、利害が一致しなくなった途端仲間割れする悪代官と越後屋を見る気分 。悪役は引き際がかんじんですぜ?

 漸く mozilla の0.9.8がリリース。多分、安定化・最適化が主なバージョンで(面倒でリファレンスちゃんと読んでない)、特に目立った変更は今のところ見当たらない。対応 日本語パック も早々に出ている。

 デジモン新シリーズの プレスリリース情報 と、おそらく 登場デジモン 。う〜ん、なんつーか、退行? そりゃ自分の趣味的にって話だろうって? いや、まあそうなんだけど、「犬と少年」系の話としてテイマーズが好きだったのに、今度は主人公が変身、ったってなぁ……萎えますよ、そりゃ。

 今日は学位申請関係の手続きでほぼ一日終わる。頼まれ仕事も終わったから、自分の仕事をさっさとしたいのだけど。

  ギャルゲーマシン化の一途を辿るDC連邦VSジオン もその歯止めたらず?

 今日は何時もより更にまとまりないなぁ…


2002年02月07日(木) 旧暦 [n年日記]

先生、怒らないから、正直に手をあげなさい

 「リュウキ×ナイト」で検索かけたんは誰じゃ、ゴルァ!(怒ってる怒ってる)
 え〜、「○○×△△」というのは、「のうみそ膿んでる(おもに)おぜうさんがた」のよく使う表現で、「○○」が攻め、「△△」が受け、という意味を持ちます。問題は、大抵「○○」も「△△」も「♂」だということでして。連中はどんな創作物であっても男が二人以上いれば「×」でつなぎたがる習性を持ち(ズイブン失礼な言い回しだなオイ)、一般的には「腐女子(ふじょし)」と呼ばれとります。
 「大人の事情」という言葉は、普段、「諸事情で、正論どおりには物事を運べなかったとき」の説明として使うことが多い。
 この言葉には多面的な意味合いがある。逃げ口上として使われることもあれば、詳細を口にできない、不本意なことであるが、というニュアンスを含んで使われることもある。第三者が、皮肉を込めて使うこともある。世の中、正論一辺倒ではいかないなんてことはさすがにわかっている。会社の中の管理職などともなれば、従業員に対する責任、取引先に対する責任なども出てくるだろう。地位が高くなればなるほど、そういった人たちの責任まで肩にのしかかる。単純な正論でそれらをゆるがすわけにはいかない、というのも一種の正論である。だが、それとてもていど問題で、あるていど以上になってしまうと、今度は、たとえば消費者などに対する責任の放棄にまで至ってしまう。そうなると、彼らがしていたものは「仕事」でなく「作業」である。背景にある政治(このばあいの「政治」は政府とかなんとかそういう話でない)をかんがみれずに、やたらと「大人の事情」を揶揄する第三者も嫌いだが、自己保身(一個人とは限らない)のためのつけを消費者にまわし、「仕方なかった」などという輩も嫌いだ。嫌いなものだらけじゃないかって? まあそういうことになるか。だが、彼らの我が身と引き換えになんらかの損害を受けた者が、そう簡単に彼らをゆるすほどものわかりがいいと思ってもらっては困る。一個人としては同情できるかもしれない。しかし、やられたことを忘れられはしないし、忘れるわけにはいかない。そういうものではないのだろうか。
 つまりは、「大人の事情」という言葉はなんの事情も説明していない、ということなのだけど。
 理学部事務から夕方五時すぎに突然の電話。なにかと思えば、「学位論文、あした五部、製本して持ってきてください」……あのー、いつのあしたですか? 事前にぜんぜん話聞いてないんですけど? ってえか、なんで五時すぎに電話してくるよ? 購買も閉まってるし、必要なものがなかったときに、それを揃える余裕さえありゃしない。とはいえ、こちらもさんざんいろいろ引き伸ばしたりしたので強くは出られず、いちおうあした持っていくと約束してしまう。予定もなにもあったものじゃない。で、なんとかほうぼうに迷惑かけながら最低限の必要なものを揃えたけど……研究室のカラープリンタ、まだ壊れてるんですか? こないだはまともに打てたはずなのに…どうもまともに打てたり打てなかったりで、こないだはたまたままともに打てただけらしい。故障の報告は既に二ヶ月以上前にしている。別にPC関係にこだわれってことはないけども、ちょいと無関心がすぎるようにも思える。プレゼンが重要な分野であり、こんにちではPCなしでそれを行うのはむずかしいことであるのに……PCはしょせん道具だが、手入れが行き届かず、必要なときに役にたたなければ、どんな道具であれ意味はないのだ。
 あー、なんか久々にあれやこれやと腹が立った。


2002年02月08日(金) 旧暦 [n年日記]

結論:他人の仕事をあまり信用しすぎてはいけない

 ぜんぶ疑ってかかるのもいけないんだけどね。

 徹夜してどうにか学位論文の提出。さて、寝るぞ、と思ったら、(名目上の)指導教官から電話。べつにクリティカルなことではないけど、ちょっとした質問。あれ? でもそれって、訂正した書類を事務にだしていたはずなんだけど……まだ質問があるかもしれないので、もう少し起きてないと……きゅう。
 ってワケでたまってた録画の消化。
 フルメタル・パニック! ……たしかに、話は転がりだした。転がりだしたが、なんだ、この違和感は。とりあえず、細かい科学的考証とかそういう話は置いておこう。しかし、先週から気になっていたのだが、銃を持ってる相手に構わず噛みついていったり、撃たれてもびっくりすることもないってのはどういうこと? 勇気があるとか度胸があるとかそういうレベルではない。平和ボケですらない。根本的に、「そこに武器がある」という演出ではないのだ。基本的にコメディなんだから、シリアスにすることはないって? 別に発砲されて驚く、銃を突きつけられて怯えるからといってコメディにならないわけじゃない。脚本が悪いのか演出が悪いのか絵コンテが悪いのかはわからない。絵もさすがに崩れてきてる。次は見ないでもいいかなぁ…
 七人のナナ。今川節は炸裂しないけど、なんか心が洗われます。オチのつけかたはちょっとどうかとも思うけど。
 ん〜、寝よ。


2002年02月09日() 旧暦 [n年日記]

ヘリコプターは全部ワルキューレ騎行かい!?

 と、とある紀行番組でヘリコプターの遊覧飛行紹介のシーンを見て、BGMに思わずつっこんだのことよ。似たようなものでは、ニュースで「 ココセコム 」を取り上げていて、実際に車の盗難防止に役に立った事例を流してる時には「キーハンター」だった…鍵こわしてたからだと思うけど。
 そんなわけで、ええ、見てきましたとも、「 地獄の黙示録・特別完全版 」。ワルキューレ騎行をガンガン鳴らしながら第一騎兵師団のヘリが突進していくシーンが有名っすね。3時間を越える大ボリューム、そんかわりお値段高め(2000円)って奴でして、ハイ。普通の映画なら二本上映できるところを一本に4時間も時間をかけるんだから、劇場側としてはこの価格設定もいたしなかたなし、というところでしょう。50分ものシーンを追加しての興行、さて、その意味は…
 以下若干のネタバレあり。 見終わった後の感想は、とにかく甘いものを食べたい、だった。笑いごとではない。そのくらい体力を消耗してしまったのだ。この映画は、刺激をふんだんに盛り込みながらも同時に哲学的に深遠ですらある。それが完全版ではさらに強化されてる。いうまでもなく、退屈さとは無縁だ。タイタニックでは1時間半で根を上げそうになった私が、お尻は痛くなったが、3時間半ものあいだ、飽きずにスクリーンに見入ってしまった。ベトナム戦争を題材にした映画は、いうまでもなく多い。ベトナム戦争によって人生を狂わされた兵士は多い。アメリカに戻っても神経を病み、アメリカでの日常になじめないというケースもあった。多くの映画ではそのような、ベトナム戦争を引きずりつづける兵士が描かれたが、それがどのようなものなのか、その狂気とはいったいなんであるのか、そこまで踏み込めた作品は少ない。踏み込もうとした作品がないわけではない。それが、今回の完全版を見て少し見えてきた気がした。一つのキーワードとしては、「日常」だと思う。戦争というのは一種の異常事態だ、平和の中で暮らす我々は大抵誰しもがそう思う。しかし、人間というのは、考える以上に、日常を、息を吸うように、水を飲むように、必要としてるのかもしれない。キルゴアがサーフィンに、シェフが料理に、米兵がプレイメイトに拘るのは、それが彼らの日常であるからではないだろうか。前線のことなどまるで考えていない命令が上からくだされるのも、前線にいないから、基本的に数字の兵力としか対峙しないのが日常だからだろう。日常がなければ人間はおそらく安定しない。キルゴアがあれだけサーフィンに拘り、敵の砲撃をものともしないのは、一見異常に見えるが、彼にとってはサーフィンは、そして戦争中は戦闘も日常である、それだけのことに過ぎないのだろう。普通はそのことを同居して考えさせないにすぎない。狂気ではなく、ちょっと常識のタガがはずれてるだけだ。しかし、この映画の主題、あるいは本当の主人公であるカーツ大佐は違う。カーツはキルゴアのように、ずぶとく、上手くはできなかった。真面目で、優秀な軍人で、洞察力に富みすぎていた。彼は自分の日常をベトナム戦争にしてしまった。ベトナム戦争にもっとも適した日常をつくりあげた。そうする能力があった。ある意味、ベトナム戦争そのものとなった。
 この映画のもう一つの面は、カーツ大佐がベトナム戦争を象徴する、あるいはそのものといってもいい人物だということだろう。ウィラード大尉はナン川をさかのぼり、カーツに近付いていく。その過程で、次第にベトナム戦争のもっとも苛烈な部分へ、部分へと近付いていく。カーツが最初に登場した時、圧倒的な存在感を放っているのは、必ずしもそのカルト的な彼の取り巻きと集落のせいだけではない。無論、マーロン・ブランドーの怪演は無視できないのだけど。観客の代理の視点であるウィラードは旅の初めから、次第にカーツのなかへとわけいっていき、その核心へと近付いていったわけだ。だから、カーツとはブランドーが演じているあの男のみではない。我々はある意味最初からカーツに会っているのだ。そのカーツは、自身がベトナム戦争そのものとなったが、しかし、アメリカも、ベトナムも、自分自身ですらベトナム戦争を必要としてないことに気付いた。ベトナム戦争の狂気、政治的な思惑、そういったものを傍におき、そのたった一つの結論が異彩を放つ。ベトナム戦争は誰も必要としていなかった。それがもっとも重要なことなのだろう。
 この映画が今、再編集され公開されるというのはなんらかの示唆を含んでるように思える。あるいは示唆なんかないのかもしれない。しかし、「裁こうとする心は、敗北を招く」というカーツ大佐の言葉は頭から離れない。アメリカという国は変わったのだろうか? それとも変わってないのだろうか? それと、この映画の前に戦争映画のCFを流すのは、どうも逆効果に思える。「 」などは、いかにもな主人公のセリフが非常に浮いた感じが否めない。この映画はやはり強烈すぎる。点数をつけるのがとてもおこがましく感じるが、2.5点。
 ちょっと違う話だけど、戸田奈津子女史には、ミリタリー関係のブレインをつけるべきではないかなぁ。劇中あまり気にならなかったけど、50calの口径を「50mm」と間違えていたようだし。あと、最後のカーツ大佐のセリフ「恐怖だ…地獄の恐怖だ…」というセリフは、邦題を考えてだと思うけど、原語では恐怖ではなく「hollow(空虚)」といってるように聞こえた。どう考えても原語の方がいい。第一、「地獄の黙示録」という邦題自体が無粋だ。原題の「APOCALYPSE NOW」の方が遙かに詩的で、なおかつ内容に適切だと思う。オリジナル版公開当時からの邦題だから、言っても詮無いことだけど。
 その「APOCALYPSE NOW REDUX」(スマン、やっぱ原題のほうで行かせてもらう)を意外なところで口にしたのは「ターンAガンダム劇場版」を公開したばかりの富野監督。詳細は ここ を見るべし。なんとなく、暗に「残念だけど、APOCALYPSE NOW REDUXに…」といっている気もするけど、「勝とうとした」というのが、興行規模や、収入とか、そういうことではないのは一目瞭然だと思う。正直、素直に「この人はすごい」と思った。
 すごいといえば、ガンダムつながりで 安彦良和氏のインタビュー 。別に特に好きとかそういうわけでアニメ業界に入ったわけでもやってたわけでもない、というのはガンダムエースのインタビューで読んでいたのだけど、仕事人としてのこの姿勢は、正直かっこいいと思った。かっこいいとかいうのも本当は失礼なのだし、自分のなさけなさを露呈してるようなものだけど、しかしそう感じてしまったのだから素直にそう書く。
  日本テレコムの掲示板 の大塚康生氏の書き込みといい、アニメ業界は御大のほうが精力的で、野心的な気がするのは、若手に対してやはり失礼な事なのかしらん?


2002年02月12日(火) 旧暦 [n年日記]

富士宮焼きそば

 富士宮は、 実は隠れた焼きそばの名所らしい 。で、ちょいとこの富士宮焼きそばを入手することができたので、食ってみる。うむ、もっちりとしていて、歯ごたえがあり、なかなか美味である。肉かす(ラードをとった豚の脂身の残りかす)もカリカリとした食感で美味しい。通常売られている焼きそばよりはっきりいって好み。近所で売らないのかなぁ。
 連休は、ちっと 林氏 にくっついてSF関連の集会へ。ヒートして明け方の五時まで飲んでました。自分も歴戦のSF者の前でかなりヒートしてしまってはいたのだけど、SF界隈の現状と問題点がそれなりに見えてきた気がします。基本的に、良い方たちばかりなんですが、多少、外部からの視点との認識のずれがあるような気もしたり。でも、人の言うことに耳を傾けないということでは決してないので、それなりになんとかならないこともない気もしたり。
 とりあえず、デジモン劇場版第一作は傑作ということで合意。<おいおい
 日曜のテレビ。ガオレンジャーは、アギト以上にカタルシスに問題があった気が。いや、まああれでもいいんですけどね。
  龍騎 の二話目。おお、なんとなく変身ヒーローものの王道だ。特にキックのインパクト時のエフェクトがかっこいい。これ以上、ナニを望むというのか。でもやはりアギトのほうが個人的に(戯言は以下省略)
 テイマーズはお休みだったので、裏の ギャラクシーエンジェル を見る。シリーズ構成はアギトの井上氏なのだけど、キャラ同士の絡み、立たせ方を重視する人なので、そのへんはやはり上手い。作画は崩れてるけど、馬鹿コントとしては無邪気に笑える。特に後半のネタ。
 カートゥーン・ネットワークに こんなもの が。わたくしは勿論インストールしましたのことですよ?

演出の話

 先日の「フルメタル・パニック!」の銃に対する反応の描写で一部誤解をされてるようなので補足。(今日の放送分は見てないっす)
 別に、創作として日本人が銃に対して平和ボケの反応を示しても構わない。大抵の日本人にとって銃はテレビ画面や銀幕の中の存在でしかなく、リアルなものではない。私だってその意味ではたいして変わらない。ただ、銃を突きつけられてるのを見ていて、それに無反応であることはまずないだろう。興奮して目に入ってなければ別だが。本物かどうか疑いつつも、黙って指示に従うこともあるだろう。偽者だと思い、そのまま無視することもあるかもしれない。いろんな理由から、本物でも相手に食ってかかることもあるかもしれない。そういった反応がすっぽり抜けていた。描き方の問題ではなく、描かれていないことが問題、そういう話である。作画量の問題もあるけど、まったくどうにかできないわけではない。やはり、人間の「自然な動き」に対する観察不足だと思う。


2002年02月13日(水) 旧暦 [n年日記]

薬膳ラーメン

 なんか食い物ネタが続くなぁ。
 ちょいと連休中に体調崩したらしく、いつの間にか熱とかも出てたりした。で、昨日薬膳ラーメンの「好陽軒」にラーメンを食いに行く。よーしらないが、薬膳ラーメンは名古屋のご当地ラーメンらしい。開店直後の誰もいないところに行ったからかもしれないけど、ここのオヤジさんが無茶苦茶乗りのよい人で、替え玉やらライスやらをサービスしてくれた。いや、もー腹いっぱいでした。
 その効き目かどうかはわからないけど、今日は体調良かったです。
 世間様ではオリンピックが話題らしいけど、どうもイマイチぴんと来ず。ソルトレイクシティっていったら、トラボルタが核爆弾持ってゴトゴト列車で向かったところというくらいにしかイメージないしなぁ。
  日本テレコムのBBS で電波の書き込みがあったけど、消された模様。たまたま消される前に見たけど、本当に電波としか思えない内容だった。電波法違反で取り締まれないだろうか? でも、多かれ少なかれ、今のオタクの現状はその電波君と同様の無根拠の優越感と独善と視野狭窄に陥ってる部分はある。独善に陥ってはいけないが、根のはった自分の価値を持たないのもいけない。いろいろと難しいものである。
 アニメ版の「フルメタル・パニック!」を評して「軍事ファンタジー」といっているのを見かける。なるほど、そういう視点もあったか。ファンタジーならば、それを必要とする者もいるのだろう。
 他意はないのだが、 野尻抱介氏がギャラクシーエンジェルのことを口にする のを見るのは、微妙に妙な心持ちである。いや、別になにもおかしいところも悪いところもないのだけど。
 あと、上記掲示板では自由意志に関して、妙な勘違いをしている(あるいは意図的に?)ような気がする。生物の体内の現象の多くは熱力学的な確率過程であり、ある程度の不確定性は内在してるが、結果としては概ね確定的に現象が起こる。また、そうでなくては生命維持そのものに重大な問題が起きかねない。ある意味では決定論に近い。もし、ラプラスの悪魔か何かによって体内の分子の運動・反応が逐次わかるのであれば、なおのこと決定論に近付くだろう。しかし、それをもって人間が自由意志を持たないということにはならない。決定論であるか否かは自由意志とは関係がない。もし、ここに完全にランダムなサイコロがあったとして、その不確定性をもってサイコロに意思がある、というだろうか? 逆に、ある人間が社会規律や倫理とされるもの、要はルールに従った行動を取ったからといって、その人物に自由意志がない、ともいわない。自由意志とはなんであるか、というのは哲学的・生物学的・心理学的に難しい問題だけども、決定的であるがゆえに自由ではない、というのは、決定論を運命論と取り違えていると思う。
 薬膳ラーメンで持ち直したといっても、まだ少々体調が悪いみたい。さっさと寝ておくか。


2002年02月16日() 旧暦 [n年日記]

その名も人呼んで…いや、誰も呼ばないが

 映画の日でもないのに連ちゃんで映画。昨日は「戦国野郎」、今日は「暗黒街の対決」と「 助太刀屋助六 」……そう、岡本喜八特集だったりする。
 戦国野郎。時は戦国時代、甲斐の武田信玄からの忍びに命を狙われる青年忍者・越知吉太。彼は妙に意気投合して一緒に抜けてしまった元追っ手と共に、正体不明の田舎侍(実は木下藤吉郎)の口添えで、身分を偽り馬借(馬による運送業者)の有吉党に身をよせる。藤吉郎が二人を馬借に送り込んでのは実は思惑があり、最新式の種子島三百丁を主君・信長のもとに送る役を、有吉党に頼もうとしていた。最初は政治に関わることをよしとしなかった頭首も藤吉郎の押しの強さにしぶしぶ承知。しかし当然無事に済むわけはなく、甲斐の忍びにくわえて、藤吉郎にいいようにあしらわれた村上水軍までまざって、三百丁の鉄砲をめぐる争奪戦がはじまる。
 古い映画だからか、あちこちフィルムがとびとびになっていたが、漫画的ともいえる岡本喜八独特の演出は当時から健在。これもまた独特の気を引く展開と演出で、最後まで観客をひっぱる。おおらかな作風と、権力者にいいように翻弄される民衆の側からの視点の中の怒りと風刺が、微妙にミスマッチしている。1.5点。
 暗黒街の対決。新旧ふたつのヤクザ組織が対立するとある街。その街に、汚職により左遷された刑事がやってくる。はたしてその目的は…?
 大藪春彦原作らしいのだが、ここでも岡本調のコミック的演出は健在。目にもとまらぬ速さの往復びんたとか(原作版ゲゲゲの鬼太郎のアレのようなヤツ)、警棒でぶん殴られて気絶して、拘置所で目覚めた時にまったくおなじかっこうで寝てるだとか(口じゃおかしさが伝わらないか)、殺し屋トリオがなぜかクラブで歌わされたりだとか、妙なのだが何故かおかしい。しかし、筋自体は救いのないラストへ向かう。権力に翻弄される力なき人々の怒りと悲しみは、岡本作品の共通テーマである。1点。
 本日の本命、助太刀屋助六。ひょんなことで加わった仇討ちの助太刀がなぜか病みつきになり、ついには助太刀を稼業にしてしまったやくざものの助六、その助六がなんの気なしに七年ぶりに故郷に帰ったところから話ははじまる。唯一の係累である母親の墓に参るが、どうしたわけか、菊の花が一輪添えてあった。親類縁者はほかにいないし、父親はどこの誰かも顔が知れない。不思議に思いながらも町に入ると、小さいながらも宿場町のはずがなぜか人っ子ひとりいない。家の中に引きこもった住人に話を聞いても埒があかない。とほうに暮れたところで通りかかった番太(番所役人)がおさななじみでワルともだちの太郎、再会をよろこぶも、この町のようすのわけを聞いてみると、敵討ちが始まるところだという。三度のめしより仇討ちが好きな助六、これを聞いて、いざ、加勢、と意気込むが、この仇討ちは実は元同僚に斬られた関八州廻り同心二人の敵討ち。当然奉行所の肝いりであり、鉄砲やら加勢の浪人やら準備は万端、さらに関八州取締役の榊原織部も検分と称した見物に来る段取りが決まっており、万に一つの打ち損じもないという。なんだ、つまらねえ、と肩を落とす助六だが、その仇が昔馴染みの棺桶屋にいると聞き、野次馬根性丸出しでその顔を見に行く。その当の仇の元関八州役人・片倉はどう見てもひとかどの人物で仇を持っているような後暗い人物には見えない。逃げるのにも飽きた、と潔くいう片倉だが、助六が母親の墓の話題を口にすると、とたんに顔色を変えた。助六にはどうも片岡が悪人に思えず、助太刀をしようかと申し出るが、片岡はそんな助六を殴りつけ気絶させて桶屋を後にする。自分のためにしつらえさせた棺桶の中に、助六の母の墓に添えてあったのと同じ、菊の花を一輪、残して……
 コミカルでシニカル、ウィットでウェット、テンポの良い岡本節は健在。喜寿をこえてなおエンターテイメントにこだわる姿は、さながら日本のジョン・カーペンターというべきか…っていいのか? コントを見てるかのような役者のオーバーアクションの演技もなのだが、岸田今日子のナレーションがまた笑える。おかしいのはコメディであるからあたりまえなのだけども、上映中にこれだけ笑い声がはっきりと、劇場内に響いた映画も久しぶりだ。ただ、クライマックスあたりの爽快感はいまひとつ、なところはある。敵役の憎々しさ、悪たらしさが、足りないようには思えるのだ。これは、岡本監督が前作「EAST MEETS WEST」撮影中に怪我をし、言葉が自由にならないことが無関係ではないとおもう。それにも関わらず一級の娯楽作に仕上がってるのには、「岡本組」ともいえる出演者たちやスタッフ、そして岡本夫人らの存在は欠かせないのだろう。私情だけども、岡本監督が私財を投げ打ってまで作った映画だけに成功してほしいと切におもう。ジャズピアニストの山下洋介氏によるBGMも粋だ。2点。

踏んだり踏んだり

 昨日は踏んだり蹴ったりで、というより踏んだり踏んだりで、半徹明けに駅前に映画に見にいくと、なぜか安全ピンを踏みつけて自転車がパンク。泣く泣く自転車を引きずりながら自転車屋を捜し求めるが、なかなか見つからず、やっと見つかった店では二時間かかるといわれる。そんなに待ってられるけえ! ってんで「あ、お忙しいところすいません」とニコニコ顔で退去しながら(内心と態度とが一致しない男だな、オイ)、ふたたび歩くこと5kmばかり(言い忘れてたが、すでにその時点で4kmくらい歩いている)やっと次の自転車屋を見つけ、ここではパンク修理をしてもらえる。しかし、工賃の市価の1200円前後より少し高めの1500円だったのでここでまた少しマイナスのフラグが……まあしかたないのだけど。ここからようやく自転車に乗って帰宅。しかし理学部のほうへ学位関係の手続きの用事があったので、息をつくひまもなく理学部へ。で、行ってみると、アクセプトされたけどまだ雑誌に掲載されてない論文を副論文にするには、なんらかの証明書類が添付されてなくてはいけないという。学位申請規定に何も書いてなかったじゃんか〜。ってえか、そゆこた電話かメールで言ってくださいよう。内心無茶苦茶いらつきながらも、ぺこぺことあやまりながら退散(だから内心と態度が違いすぎるってばよ)。で、家に帰って録画しておいたビデオを消化してからようやく寝る。ちなみに、内心怒っていても態度に出さないのは腹黒いとかではなく、私のくせで、一時的な腹立ちで八つ当たりすると後で後悔するだとか、寝不足でまともな判断ができない時にはむしろ判断停止したほうがいい時があるとか、そういう経験則的なことからついそうしてしまうのであるので、半ば以上自分でも意識せずにそうしてしまう。どうしようもないヤツですなぁ。

スイッチ

 そんな私が、最近またひそかにムカムカ来てることがあって、なにかというと 日本テレコムBBS の大塚さんの書き込みへの一部の反応。いや、もうそろそろ変な反応も出てくるころなので、大塚さんもネットであまり目立つ行動はとらないほうがいいと思うのだが、それはそれ。アニメの「動き」に対する大塚さんの言及に、極端なはなし、「動きは重要でない」という声が結構ある。先日の電波君の電波にもそれが含まれていた。電波君だけなら気にしないのだが、私がROMってる、ある掲示板でも、そういう意見が少なくなかったりする。決して頭の回転が悪いとは思えない人ですら、である。そういう人は、ストーリーこそが大事だ、のような言い方をし、動きに関しての大塚さんの言及に否定的な物言いをする。私は、それは変だと思う。というか、失礼ながら「アホちゃうか?」とすら思う。別に大塚発言はストーリー性を否定してはいない。なのに、なぜストーリー否定のような流れになるのか。それは「ストーリー」アニメの出現により、アニメの評価が描写中心からストーリー評価中心、というより偏重へ移ってきたからではないかと思う。それだけであれば対立しないのだが、こまやかな動きによる演出・描写を多用したストーリーは、言葉でその良さを表現するのが難しいことが多い。たとえばデジモンアドベンチャー劇場版。ストーリーにして見れば、話の筋はたわいもないものだ。原稿用紙半分で筋は書いてしまえる。しかし、実際に見て覚える感動は、そんな原稿用紙半分の粗筋に書けるたぐいのものではない。それならば、いっそのこと「とにかく見ろ」とでも言えばいいのだけども、たちの悪いことに、一部のマニアは明文化しやすいストーリーのみがストーリーではないのに、明文化できるストーリーのみを、というのは極端だが、少なくともそちらのほうを評価する傾向がある。別にいいのである。明文化しやすいストーリーのものも、しにくいストーリーのものも、面白ければどっちでもいい。だが、「ストーリー重視」と称する偏重したマニア層の評価が、偏りを生み出してることには気付いてないのだろうか?
 しかし、先も述べたが、動きによる描写や演出は明文化しにくい。それが問題であるのに、文章にできないが重要だ、では話にならない。ところが、たまたまこれを明文化してくれているとこにでくわした。今日たまたま通りかかった マグマート杁中店 で行われていた 水口哲也氏トークショー である。このイベントはスペースチャンネル5Part2の発売記念であり、このゲームはいうまでもなく、キャラの動きが非常に重要な位置を占めている。そのために、人間の動きに人はどうやって面白がったり笑ったりするか、あるいは、キャラクターが人々に好かれるとはどういうことか、を徹底的にリサーチしたらしい。その水口氏が述べたのは「人間の感情ってのは、非常に精密で複雑に反応が定義づけられている」ということだった。ちょっとした動きにも人間が笑ったり泣いたり興奮したり好きになったり嫌いになったりするのには、全部ちゃんとした裏付がある。つまり、動きによって人間の感情のスイッチを入れることはできるし、水口氏や、いくつかのアニメーション作品は実際にそれを行っている。しかし、それを意識している人は少ないし、それをきちんと理論づけられる人はなお少ない。大塚さんが意識しているのは、たぶんそういうことなのだ。そして、それを否定している人は、そのことをわかってないのではないかと思う。アニメーションの名のゆらいは、そもそも命あるもののように書かれた絵が動くからそう名付けられたはずである。動かないアニメというのも、それなりの事情があるし、意義だってもちろんあるだろう。しかしそれは動きによる快楽の全否定には当然繋がらない。繋がるわけがないのだ。

 長くなったけど、三日分ってことで。


2002年02月18日(月) 旧暦 [n年日記]

カスミンは全26話

 コメットさん早期終了で一部ファンは大騒ぎしてましたが、四十数話も放映されてなにが不満なのだろう。っつーか カスミンが2クール だということは寝耳に水。あれを通年でできたらたいしたものだとはおもってたのだけど。
 最近は 龍騎 だとか、デジモンテイマーズだとか、子供向け番組に日記の傾向が流れていることはお気づきと思いますが、理由はとくにありません。あえていえば、高年齢視聴者向けの番組は、つまらないとまではいわなくとも面白くないものが多くなった、というところです。「面白くない=つまらない」ではないことは、「つまらなくない=面白い」でないというのとおなじ。面白い・つまらないは主観の問題であるので私個人の感想は、すなわち、番組の質が低いということではないですが、要はそういうことです。
 イマイチターゲット層がつかめない新刊漫画誌「ワル蔵」の創刊二号に イダタツヒコ 氏が夢枕獏氏原作で「ころぽっくりの鬼」を読みきり掲載。もともとホラー畑出身だけども、「ゴルディアス」や「美女で野獣」だのでは作風を170度くらい転換していた作者ひさびさの本格ホラー。読みきりだったからでもあるけど、キレは良かった。
 急激に「ライジング・インパクト」が終了。微妙な位置だとは思っていたけど、エピローグで主人公達の成長後の姿を書いちゃったから、今度は復活は無理なのかなぁ。テイマーズファンでレオモンファンだという一事で、鈴木央氏は私内部ではいい人に決定している。無論、お会いしたことなぞありません。
  こんなところに モビーディック 。モビーディックってのはなにかっていうと、そのむかし伊藤明弘氏がコミカライズした「バトルガール」ってオリジナルビデオがあって、それを作ってたのがこのモビーディックだったのだけど、ビデオのほうは、噴飯ものというかなんというか、苦笑なしには見られない出来だという。そうか、映画自主制作集団の制作だったのか。自主制作集団といっても実力はピンキリだからひとからげにはできないけど、なんとなく納得。


2002年02月19日(火) 旧暦 [n年日記]

尻拭い

 昨日から続いてひとさまの尻拭い。ひとの尻拭いは、最終的な責任はその当事者に降りかかるから気楽なぶん、あまりこちらのプラスにならないのでいい気分というわけでもない。こうなる前にきちんと注意をしておくべきだったが、去年の10、11月となるとこちらもテンパってたからなぁ。
 フルメタルパニック!、とりあえず欲望には忠実なアニメである。おねてぃほどではないけど。そういうアニメなのだから、とやかくいうことではない。せっかく料理次第なのに、と私が思うこともさして意味はない。そういうアニメも、需要があるからにはおそらく必要とされている。癒しとは概して欺瞞であったりもするが、欺瞞も必要なことはある。…フォローしてるように見えんな。してるつもりなんだけど。
 スピードスケートショートトラック寺尾選手の予選失格について、 ISUは強固に裁定の再審議を拒否 。いまどき、ビデオ判定も拒否するだなんてのは頑固という話ではない。はっきりと客観的に判断できるようになっては困る、というだけの話だ。誰が困るのか、いうまでもない。その困る誰かのために、寺尾はこれまでの研鑚を無に帰された。たいしたことではない。この世の中のどこにでも転がっている、クソのような連中の胸糞悪くなる話というだけのことだ。
 今日は「ナビィの恋」をBSでやっていた。とにかく、ジジイとババアがイカス映画。中でも健達じいじがお気に入り。
 シルバー・ゴールド劇場では岡本喜八特集の最後のプログラム「どぶ鼠作戦」がはじまっている。明日見にいきたいが、間に合うかな?


2002年02月20日(水) 旧暦 [n年日記]

岡本喜八愚連隊

 こないだから、フルメタルパニック!を悪く書いていて、「世紀の駄作」みたいに受け取られたらいけない、フォローしようと思ってはいるのだけど、うまく行かない。良く考えたらいろいろ余計なことをいいすぎるのがいけないのだな。よし、シンプルにこういおう。「演出はメリハリが欠けていて、情緒には訴えない作品だが、見れないことはない」。うん、やればできる。
 なんとか見てくることができました、「 どぶ鼠作戦 」。「 独立愚連隊 」シリーズの続編的な位置にあるとされてる映画だが、内容そのものは関係はない。先の大戦下における大陸を舞台とした、西部劇的な娯楽活劇映画というところが共通してるくらいか。「どぶ鼠作戦」で検索すると「不良番長/どぶ鼠作戦」という映画も引っかかるけど別物。
 話の筋は、軍を辞めて日本軍に協力する中国人特務部隊を率いる人物「白虎」が、八路軍に囚われた新任の参謀を救出に、脱走兵を率いて敵地の中へ向かう、という内容。正直、前二作(「独立愚連隊」および「独立愚連隊、西へ」)ほどの鮮烈さはないのは事実。しかし、佐藤充らはいうまでもなく、加山雄三もステロタイプな熱血若大将ではない、一癖ある脱走兵役を好演し、後味のいい映画には、しあがっている。
 劇中、敵陣に潜り込んで、軍病院内にいる目的の参謀に、佐藤充演じる白虎が、参謀の父親である師団長から預かってきた懐剣を見せる。「父上から預かってきました。これがどういう意味か、わかりますね?」との言葉に、まだ若い参謀は青い顔のままうなずく。「生きて虜囚の辱めを受けず」などという気違い沙汰の教育がなされていた時代だ。しかし、佐藤充はにやりと笑ってその懐剣を、再び自分のふところに戻す。「まあ、これで鉛筆でも削れということなんでしょうナァ」。
 岡本喜八映画の根底に流れるものはこれだ。体面だの面子だのとくだらないもののために、死ねの、殺せのと簡単に末端のものの命をないがしろにする、公権力に対する強い内心での反発だ。最後の、日本軍撤退のために見捨てられた白虎の特務部隊中国人たちを救出に、白虎、救出隊、救出された当の参謀、しんがりの部隊長や部隊長にあとをまかされた下士官までもがこぞって町へともどっていくラストは、突然だけど、この怒りがわかると感情移入できる。
 一見、戦争や公権力とは無縁な「大誘拐」であっても、ラストでとし子刀自に「お国が私になにをしてくれたんや」と語らせ、この狂言誘拐が実は公権力に対する老女のささやかな反抗であったことを明らかにさせている。このテーマを大上段に振り上げた作品もないではないが、岡本監督の娯楽作品の多くは、上の意向をけむにまき、茶化すことで反発を柔らかく描いている。だからときどき突飛な感じもするが、肩が凝らない。見てるほうもつくるほうも、肩に力を入れすぎない。真摯であるにもかかわらず、晩年の黒澤明監督のように息切れせずに、喜寿のこんにちまで岡本監督が見る側のための娯楽作をつくりつづけられているのはそのせいだろう。
 ひさびさに「独立愚連隊」が見たくなった。
 春秋新書刊・高島俊男著「漢字と日本人」を読みおわる。漢字がはいってきたことによって、日本語がことばとして、どうゆがんでしまったかがわかりやすく書いてある。少しだけ端的に説明すると、文章というのは本来口で話したものを記述しただけのものにすぎないのに、日本語はまったくべつの言語体系のためにつくられた漢字を導入したために、頭の中で漢字を照らし合わせないと、高等な概念をあやつる言語としては用をなさなくなることばになってしまった、ということだ。非常に納得できる。筆者の主張は、いまの日本語ははなはだ不便なものではあるが、漢字なくしてはもはやいられないのも事実であり、漢字本来の意味を考え文字を大切にし、本来の日本語の文字系統を反映した部分(ひらがなで書いて遜色ない部分)と、漢字で書かねばならない部分をきちんとしよう、漢字も文字の意味をきちんとかんがえよう、ということだ、とおもう。文章を書く際には参考になるとおもうのでオススメ。
 本書中に江戸時代の漢学者・頼山陽が書いた漢文としては意味はまったくなさないが、漢文っぽく書いた文章をあげて「はなはだ頭の悪い行為」といっていたのが笑える。たしかに、珍走団が無意味に画数の多い漢字でチーム名とか書いたりするのとおんなじなんだものなぁ。
 なんだ。それじゃ中学高校でやらされた漢文の勉強ってやっぱ意味ないんじゃん。


2002年02月21日(木) 旧暦 [n年日記]

たまにはこんな日もある

 今日、ひとつめの実験は滞りなく終わったが、ふたつめの実験が妙に手間取る。一回目の実験と違ったことをやっているわけではないのだが、イージーミスの連発。二時間もそんな無駄な努力をした挙句、どうやら純粋に体調が悪いらしいと気づく。あたしゃそういうのにときどき、にぶいのよ。そもそもあまり体温の上下がない体質だしねえ。
 「助太刀屋助六」のパンフレット、「どぶ鼠作戦」を見たついでに買っておいた。いや、土曜に見たときには手持ちがこころぼそくって。
 これに収録されている、監督自らの手による「助太刀屋助六」の漫画、どっかで見たおぼえがあるんだけどなぁ……思い出せない。これが掲載された「漫画讀本」は、1969年4月号。いくらなんでも私は生まれていない。おかしい。どこで見たのだろう?
 あと、パンフレットに収録されている岡本監督のインタビューで、「そのとおり!」と思うことがひとつあったので引用。ただしネタバレなのでフェードアウト。
(岡本)だからといって僕は、単純なハッピーエンドとか、とにかく生きることが目標なんて真面目に大層なことをいうつもりもない。二人が結ばれてメデタシメデタシなんて言うのは最もつまらない結末だよ。
 たしかにそうだよなぁ。恋愛映画でもないのに、そういう映画ばっかだし。それでいて、ちゃんとあと味よくエンタテイメントになってるのはさすがというべきか。エンタテイメント志向のひとは、見ておいて損はない。得になるかどうかはしらないが。
 そうだ。体調が悪いので、忘れないようにメモっとかないと。「明日、NHK-BSにて岡本喜八監督の「姿三四郎」放映」っと。空きテープはあったかな?


2002年02月23日() 旧暦 [n年日記]

ダメダメ

 前から「日本テレコム」「日本テレコム」と書いてしまっていたが、どうして日本テレコムがアニメーションつくるねん。「テレコムアニメーション」の間違いでした。ごめんなさい。たぶん、少なくとも世界で五人くらいには迷惑をかけてると思うので。(数に根拠なし)
 きのう、前の研究室の追いコン(っつーか、卒論記念飲み会)で、S木さん宅へ。一戸建てを買って移ったので、みんなで見にいくベー、という話になってたのだ。なんでも、家を見にいって一週間で決めたとかいうスピード採決。速すぎ、ってえか衝動買い?
 奥さんの手料理とかもおいしかったんですが、お子さん二人がすげえエネルギッシュでまいるまいる。下の女の子(5)の方はまだものおじするけど、上の男の子(8)は全然ものおじしないし、遊ぶのに疲れると一緒に遊んで超音波をはなつし、なかなかに楽しかったです。
 しかし、子供とガオレンジャーの話ができてしまうあたり、自分でもちと間違えてる気がしたのことよ。
 某個人ニュースサイトで知ったけど、 bk1がコンビニでの料金後払いサービスをおこなう とか。いいな、これ。
 これも同じくニュースサイトからたどったネタだけど、 このオンラインコミック 、ちょっといいかも。 ここらへん もゲームの選択がなかなか微妙。
 噂では、 龍騎 に、カニがモチーフのライダー、シザーズが登場予定とか。ただし、 正体はカードデッキをひろった連続殺人犯で、5,6話のみの登場 という噂もあったり。 ザコ ですか?
 生協でニール・スティーブンスン「ダイヤモンド・エイジ」を買ってきて読む。ようやく第二部に。うーん、ポストサイバーパンクとかそういうのをぶっとばしてしまって面白いかも。


2002年02月24日() 旧暦 [n年日記]

ゲイツのX-Box売名行為大作戦!

 が「笑っていいとも!」でやっていたというので、特集号で見ようと思ったら、こっちでは一週間遅れの放送でした。シマッタ。
  龍騎 は、マジで出たよ、カニライダー。龍騎・ナイト・ゾルダのような玩具の商品展開はないようなので、多分ザコでしょう。やっぱどうみてもヨロイ元帥ってあたりがなんですが。まあ、カニモチーフでそれなりのデザインっていうのも、そう数は多くない、のかな?
 「お金の達人」では、大田区の中小規模製造業の特集。いわゆる「職人の技」というやつ。日本のロケット技術をはじめ、数多くの技術がこういった職人たちによって支えられているのは良く知られていることだけど、こういったわりと総括的に特集した番組ってのはあまりなかったんじゃないだろうか。結構見る価値があった。
 デジモンテイマーズは、まあ、突然なアリス&ドーベルモン、あと、どう考えてもおもちゃ展開のために入れざるを得なかったジャスティモンを除いてそれなりだったと思う。ジャスティモン、最初「ラ○ダー?」とか聞いてたけど、実物見ると、むしろ零式強化外骨格って感じですな。でも、話的にはヒロカズ&ガードロモン、小春&アンティラモンの援軍のほうが盛り上がってた。
 ギャラクシー・エンジェルは、後半がもうすごいことに。ある年代以上は笑いなくしては見れないでしょう。宮内タカユキ氏には、わざわざこの一話のためだけに歌を吹き込んでもらったんかい!? なんか、かなりマイナーなロボットアニメのネタが結構あるんですが……これもある意味、視聴者おいてけぼりだなぁ。こっちからこっち重点的な視聴者には大受けだけど。
 昼に何気にテレビをつけていたら、ペキンパーの「ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯」が始まった。おお、ラッキー。しかしなんとなく見てたら、今まで気づかなかったけど、「ワイルド・バンチ」と重なってる部分って異様に多いのな。パット・ギャレット=ソーントンのキャラもかぶってるし。
 そういえば、過日の飲み会で、後輩がアホなことにS木さんの娘さんを泣かせてしまったのだけど、それで、やはり子供って「死」に対して耐性がないのだなぁ、と再認識。もっとも、大人が耐性ができてるかというと、必ずしもそうでもなく、なんとなく不感症になってるだけ、って気もしないでもない。人間が生まれてから触れる「死」ってのは、本当はむちゃくちゃたくさんあるはずなのだ。でも、現代では、うまいことそのほとんどが目につかない、目についても「死」の実感が注意深く切り離された形で与えられる。それって見た目は良いかもしれないけど、本当に良いことなんだろうか、とも思う。


2002年02月25日(月) 旧暦 [n年日記]

オタクチェッカー

 一応、ワタクシ、知人の日記で十ちょっとばかり巡回しているものがあるのですが、そのうち三つで昨日のギャラクシー・エンジェル後半について触れてました。一種のオタク度チェッカーか。
 ちなみに、きのうの日記で宮内タカユキ氏と水木一郎氏を間違えていたのでひそかに修正しました。すいません。
  フルタ製菓とのトラブルによる、海洋堂のチョコエッグに関する業務提携の解消 について、今月号の「フィギュア王」に、海洋堂のインタビューが三ページにわたって掲載されていた。内容はおおむね、先のリンク先に記載されているとおり。フルタ製菓、エフトイズの他の当事者のコメントが載っていないので、すべてをうのみにするのは危険だが、 同族会社 というのは確かにそうらしい。一種社会現象にもなった人気商品が、こんな些細な、つまらないことで(傍から見れば)消えてしまうのは残念だが、まあ、世の中とはそういうものなのだろうと諦めるしかないだろう。
 仮面ライダー龍騎、おもしろいのだけど、どうもアギトほど来るものがないな、と思っていたが、どうも「あそび」が少ないことが原因ではないかと気づく。「あそび」ってのは遊戯の意味ではなく、「ハンドルのあそび」というほうの「あそび」ね。適度に、「どうなんだろう」と見えない部分、想像の余地をわざとつくることで、コアなファン層を生み出す、ということはわりとよくある。わりと前ならエヴァンゲリオン、最近では、アギト、ガンパレードマーチ、というように。これは別に、「あそびのある作品のほうが、ない作品よりすぐれてる」ということではないのでご注意。単に、私の嗜好がかたよっているだけ、というおはなし。
 マガジンZに、いつのまにか夢枕獏氏のエッセイが載っており、しかもイラストが高橋葉介氏だった。こりゃちと意外。よく考えれば意外でもなんでもないけど。「クークラ」が、ロシア・ホラーでいいかんじ。「仮面ライダースピリッツ」を見て、「アギトが出てきてもいいかも」と思ってきてしまうあたり、ここんところ後ろむき全開である。ううむ。

追伸:三つから四つに増えてましたわ。
追伸2:五つに増えてました…ギャフン。


2002年02月26日(火) 旧暦 [n年日記]

みそ汁ダイエット

 ここんとこ、ちょいと油断していたら、体重が増えた。原因は間違いなく食いすぎ。ストレスが溜まると食欲に走るのをなんとかせんとなー、と思いつつ、性格改善など一朝一夕でできるわけもないので、腹が減ったらみそ汁を飲むことにする。「なんでみそ汁やねん」と思うかもしれない。いや、水っ腹じゃないけど、お茶で空腹を紛らしていたことはあるんですよ。ところがこれが、あまり上手くない。茶はしょせん茶。満腹感が得られないわりに、結構早目に体外へ出てしまう。しかも、お茶請けが欲しくなるという罠。素人にはオススメできない。ところがみそ汁だと、そこそこ満足感が得られてしまうことを発見した。ううむ、偉大なり、日本の調味料、味噌。とりあえず、みそ汁を飲むとあったかいおまんまが食べたくなる条件反射が身につかないことを祈るのみである。
 そこまでストレスが溜まってたかというと意外と溜まっていたようである。自分でわかるくらいに夢でもはっきりと、現在の不安が投影された夢を見た。うなされるぞ、ありゃ。
 ボスと、ちょいと仕事の話。ちっと、モデルで気になった部分があると、「細かいこと」と一言。うーん、たしかに大勢を変えるような部分ではないけど、下手すれば恥をかくし、中度の影響がないとも言えない。細かいところに視点を定めすぎて、大勢をしばしば見失うのが私の悪い癖ではあるけど、細かいところ無視しすぎてもいけないと思うのだけどなぁ。あと、その仕事するには、どう考えても研究室のマシンパワーが足りませんぜ、とは、言いたくても言えないシャイなワタシ。
 SFマガジンを眺めると、著者近況の中に、ギャラクシーエンジェルに触れてる近況が二人ほど。ギャフン。

追伸3:六人。

公平性

 以前、DCギャルゲーマシン化云々で取り上げてしまったので、私内部の基準では、 こっち (画像の最下段参照のこと)も取り上げないといけないことになる。時々いい加減な公平性だが。ううむ。


2002年02月27日(水) 旧暦 [n年日記]

ダイヤモンド・エイジ読了

 ニール・スティーブンスン「ダイヤモンド・エイジ」、ようやく読了。一言で要約すれば、「母をさがしてナノ・テクノロジー」ってところか。最初、物語の背景となる部分からはいって、主人公が誰かしばらくわからないので混乱するが、前作「スノウ・クラッシュ」に続いてこの人のテック・フューチャーな世界はそれだけでもぐいぐい読者を引き込む。もちろんそれだけでなくて、物語としても、自己探求の物語として、設定と複雑に絡みあう。「スノウ・クラッシュ」もそうなのだけど、導入がしつこいくらいなのに対して、終りが、スパッと終わってるのが気になるけど、それで面白さの価値がなくなるわけではない。五年前の小説だけど、非常にエキサイティング。ところで、やっぱマシスンってVTなの?
 最近、「漢字と日本人」を読んだせいでか、思うのだけど、言葉の乱れは心の乱れ、というのは、案外そうなのかもしれない。言葉の性質というものを考えると、心、というか、思考とは切っても切り離せない気はする。言葉には概念が付随する。逆に言えば、言葉の付随しない概念はない。既存の概念の組合せでどうにか定義できないこともないだろうが、苦労する。概念があれば、簡単に思考に組み込むことができる。つまり、言葉というのは、思考の組み立て様式をほぼ反映している、と言えるだろう。同時に、言葉というのはコミュニケーションの道具でもある。だから、コミュニケーション様式というのが、思考様式に影を落としているということも言える。逆も真也。くわばらくわばら。
 要フラッシュだけど コレ いいわ。

PS2でも出る、DCでも出る。

 DC版は ここ 、PS2版は こっち


2002年02月28日(木) 旧暦 [n年日記]

なんでパンフレット読んで泣かにゃあいかんのだ。

 でも、泣いたのだけど。
 ここ最近のネタ元の一つとして2chスレッド、 ネットでみつけたオススメ漫画を語ろうネットに転がってるオススメの漫画 がるのだけど、後者のほうで、厳密にはマンガではないのだけど、紹介されていたのが東京都衛生局発行のパンフ「 犬を飼うってステキなことです──か? 」。
 たぶん、かなり多くの人が、「いいこと書いてあるなぁ」くらいにしか思わないのかもしれないけど、私は昔、実家で飼っていた犬のことを思い出して泣き出してしまった。数はそんなに多くないけど、同じような人は絶対にいると思う。こればっかりは、多分、犬を飼った人でないとわからないだろう。
 一年半前に中古で買ったマウンテンバイクがとうとう限界に達した模様。また中古にするか考えたけど、基本的にどこに行くにも使うものだから、思い切って良いものを買うことにする。とは言え、あまり自転車で当たりって引いたことないのである。十万位するのを買えば文句なくいいのだろうけど、そんな金はないし。と、いうわけで、近所の自転車屋さんに行って見積もってもらう。近所ってのがポイント。修理や苦情や調整も言いやすし。なんだかんだ言って、前後サス付きの今年の最新モデルを買ってしまった。一番の低価格帯のヤツだけど。それでもそれなりのお値段。自転車よりおどろいたのは、実は一緒につけてもらうことにしたライト。最近では白色LEDの自転車ライトなんてものもあるのだ。ご存知のとおり、一般的な電球より、LEDの方が光への変換効率は良い。理屈の上ではそうなんだけど、電球には電球の、LEDにはLEDの短所長所があって、LEDが主力照明の座を奪うには至っていない。しかしこれは面白そうなものだということで、そのLEDライトをつけてもらうことにした。楽しみ。
 OURsは、相変わらずピルグリムが面白い。今のところ、ケレンを見せてる面白さだけど、ケレンを動かす面白さにつながってくれると嬉しい。「J」で「正しいファンの道」と言われても……あるような、ないような。これに関してはわりと普段から悩んでるんである。むむむ。