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2001年07月01日() 旧暦 [n年日記]

ウィルス種ゲイツ型

 なんか一週間遅れの デジモンテイマーズ 見てたらゲイツちゃんがウィルス呼ばわりしてた「オープンソース」が話題に。正確にはオープンソース全部をゲイツちゃんが毛嫌いしてるわけでなく、自社の利益の侵食になりかねないGPLなどのライセンスを毛嫌いしてるのだけどね。
 デジモンシリーズをまともに見るのは実は今回がはじめてで、一番最初の「デジモンアドベンチャー」は面白いという評判を聞きつつも、一年のシリーズの途中から見始めるのも気が引けて見ず。続く「デジモンアドベンチャー02」は、前作に比べて評判がぱっとしなかった。実際見てもそれほど面白いとは思わなかったし。
 デジモンというと知らぬものはなき「ポケモン」のパクリなわけだが(おいおい)、ポケモンのアニメとは異なり、あくまで主人公は「現実の子供たち」というラインが決定的に違う。前二作は殆ど知らないので「テイマーズ」のみの限定だが、ポケモンでは目的はポケモンを集め、強くなっていくというRPG的願望の充足に絞られ、「ポケモンマスターって、一体どうやって稼いでるの?」とか「ポケモンマスターって一体ナニよ?」とか、「ポケモンってナニ?」という疑問は不可侵の領域、すなわり「お約束」においやられてる。しかしいっぺん思考停止…もとい、それを受け入れてしまえば、話自体はとてもわかりやすく楽しめる。
 一方デジモン、特にテイマーズはそれほどものわかりのいい世界ではない。イレギュラーな現象を排除しようとする社会、ある意味リアルすぎて嫌になるダウン系の教師、友達でさえありえない現象を突きつけられて戸惑いを見せる。しかも、実体化の理由はわからないが、元々はネット上でオープンに開発された人工生命の研究データが「野性化」し、ネット上を徘徊してるという設定はまるでSFである。つまり結局「デジタルワールド=ネット上の仮想世界」になる。ポケモンでは敢えてぼかされていた「ユーザーの都合によって生み出された、闘う為だけの不自然な存在」であるデジモンを見せ付けようとしているようだ。でもあくまで戦闘のこまとしてのみ扱われがちなポケモンと異なり、しっかり「パートナー」という関係を書こうとしている。つまりポケモンはあくまでファンタジー(あれが正当ファンタジーということでなく、幻想という意味で)世界での願望充足、エンターテイメントに徹してるのに対し、デジモンは現実の視点に近い部分を持ってる。それが余計な部分と受け取れるか、リアリティと受け取れるかはそれぞれだけど、上手く行けば面白いと思うのだけど。
  アギト は冒頭でギルス大暴走。G3の中身がはじめて知り合いだと知るアギト…って、あれ? そういえば今まで知らなかったんだっけ? っつーか知らずに終盤まで行くかと思ってたのでちょっと意外。ま、予告のケルベロス乱射もカッコ良かったので今日もまた良し、ということで。

 うーむ、駄文だ。


2001年07月03日(火) 旧暦 [n年日記]

解けない魔法

 おとといの日記で書きたいことが中途半端で終わってしまったんで。
 ポケモン的願望充足世界ってのが悪いのかっていうとそうではない。少なくともポケモンは「わかり」やすく、多くの人間が楽しめる。その事は少なくとも結果が示してる。嘘の作り事で人を楽しませるのは、言ってみれば魔法みたいなものだ。特にポケモンは入りやすく馴染みやすい。だが、それは出やすくもあるということだ。いずれにしても魔法は解け、楽しかったという記憶だけが残る。
 それに比べると、テイマーズは入りにくい。何故なら子供が興味のない社会のことを巻き込んでいるからだ。やる気のない担任の先生なんか特にリアルすぎ。魔法とはかかって楽しいから魔法になりうる。その意味ではテイマーズはポケモンと比べたくさん切り捨てているものがある。だが、それがわかる子供がどれほどいるかはわからないが、現実に即した設定での葛藤(擬似的な、だが)というのは、現実の価値観で処理されるということだ。葛藤が起きた価値観というのは、程度の差はあれ、それ自体が変化する。(別にそれをするのに必ずしも現実的な設定が必要ということではない。葛藤自体がリアルなものであることが必要なだけ。テイマーズではそれをするのに現実世界という舞台設定を持ち込んでいるという話)
 テイマーズで言えば、パートナーのデジモンと一緒に敵を倒す行為に、制限無しの爽快感を持ち込んでいない。今のところストーリー中デジモンは社会に認知されてない存在だし、時々主人公たちの言うことを聞かず凶暴な面を見せる。更に主人公たちの行為を「危険な遊び」と断ずる大人も出てくる。(嫌な大人に描かれてはいるが、言ってることは紛れもなく「大人の正論」でもある) それに対して話の精神的主軸となるのは主人公たちと友達であるデジモンの関係である。平易に言い換えれば、友達づきあいをするのにメリットばかりではない、相互あるいは外部による障害もある、相手のことわかったつもりでも相手にはよくわかんない部分もある、その友達ってそこまでして付き合う価値がある? ということだ。友達をペットと置き換えてもいい。イキモノ全般は普通付き合うのには手間が要るのだ。
 「入りやすい」娯楽が価値観の変化を起こさないと言ってるわけではない。ただ葛藤がリアルなものの方がその変化の根が若干深い、ということだ。
 人間というのは過去の情報とその処理の集積という面を持つ。物語は「リアリティ」(≠即物的にリアルであること)でその情報とその処理を喚起し、情報処理の変化を生み出す。そして集積である以上、その一つ一つの蓄積は意味を持ってくる。その意味の重さは、局面によるが、どの部分にどのくらい根を張ってるかによる。
 多分、ポケモンに比べてテイマーズは魔法がかかる子供の人数は少ない。子供は大人より情報の蓄積量が少ないから、大人にとってのリアルは子供にとってのリアルでない可能性があるからだ。しかしそれは大人になってからもつきまとうものである以上、一旦かかったらそのかかり方は根が深い。将来その番組を忘れてなお、その根は残ったままであるかもしれない。
 ポケモン、テイマーズの最大の差異は舞台がどことか、主人公がモンスターをどう扱ってるかとか、そういう表層的な部分でない。その表層を構成するルール、すなわち「どんな魔法を、どのくらいかけるつもりなのか」ということなのだ。
 結局本当はコレが言いたかったのだな。

  Yahoo! BB の正式受付の申し込み云々のメールが。でもサービス的に不透明なところが多いので、決定はもうちょっと後だな。
  アギト映画 の情報の一部が。噂のG4システムは 自衛隊員らしい 。自動自律型のロボットという噂もあったので、ちょっと肩透かし。ニューヒーローとかって記事では書かれてるけど、なんかこれまでのパターン見てそんな話にならない気がするなあ。ところで唐渡亮って誰?
 君望、むちゃくちゃ蛇の生殺し状態なんですけど…


2001年07月04日(水) 旧暦 [n年日記]

復帰!

 私は久々にどん底っぽい鬱状態に入ったままだけど、 こちらの方は復帰!  うちっとこの掲示板で話題になって、気にかかっていつづけていたのだ。完全復帰ではないし、これも一つのステップに過ぎないのかもしれないし、他人事だけど嬉しい。私も頑張らなくちゃな。

天国はどこに?

 2日は映画の日だったので「 天国から来た男たち 」「 JSA 」「東京流れ者」を鑑賞。
 「天国から来た男たち」。名古屋で公開記念トークショーやってたのか、しまった!
 話はエリートサラリーマンである主人公の幸平が麻薬不法所持の罪でフィリピンの刑務所に送られるところからはじまる。無実の罪を訴えつつ、不潔、不自由、不便な刑務所内の生活にとまどう。しかしそこは金さえ出せばなんでも手に入る「天国」でもあった。そのいかにも信用されそうな風体を買われ、刑務所内日本人グループの大物、吉田に自分のビジネスを手伝うように誘われる。吉田は日本のヤクザの大幹部で、人を殺してフィリピンに逃げ、刑務所にも自分から入ったという噂だった。しかし吉田の言うビジネスが所長がバックについた押収麻薬の横流しであることを知り、それ以上吉田らと関わることを拒否する。しかし同房の囚人に20万ドルで臓器として売られそうになったところを吉田に助けられ、はっきりと断言される「外の人間なんかあてにならない。奴らは刑務所の中を知らねえ。俺は絶対に仲間を見捨てない」。妻にも裏切られていたことを知り、裁判も有罪になった吉田は、BAD GUYとして刑務所の中で生き抜くことを選択する。しかしその当の吉田の前歴は実は詐欺師で、過去吉田に騙されたヤクザからの刺客が「天国」の中の日本人囚たちに迫って来ていた…
 タイトルの「天国」とは実は刑務所のことばかりではない。刑務所の中の連中は、本当の悪党も多いが多かれ少なかれ騙されたり、傷つけられたりしてその痛みを知っている者たちだ。塀の外にいるから善人なのか、塀の中にいるのはろくでなしか。ろくでなしは裏切られて当然か。「天国」はどこにあるのか。追っ手から逃れる日本人囚達は、皆口々に繰り返す「俺は絶対裏切らない!」。実はこの映画は典型的な無法者映画なのだ。悪党かもしれないし、法を犯すかもしれない。しかし仲間は絶対に裏切らない。自分の中の大事なものは絶対に守りぬく。その信頼の中にだけ、ならず者たちの楽園がある。しかしクライマックスでなかなか人が死なないのは三池監督のパターンなのかね? 1.5点。
 「JSA」。JSAとは韓国と北朝鮮の国境、38度線上にある共同警備区域のこと。映画はその警備区域の北朝鮮監視小屋で銃声が鳴り響くところから始まる。撃ったのは韓国軍の兵長。撃たれたのは北朝鮮の士官と兵士。結果がわかりきった単純な事件に見えたが、国際問題になりかねない重大な事件だった。しかも韓国側は犯人である兵士、スヒョクは北側に拉致されてやむを得ず発砲、逃げ出したと主張し、北朝鮮側は唯一生き残った北朝鮮士官ギョンピルの証言から韓国側がいきなり乗り込んで殺意を持って兵士を殺したのだと主張。全く食い違っていた。
 スイス軍から派遣された朝鮮人を父親に持つ若き女性将校、ソフィーは事件の調査に着手するが、南北ともに調査に非協力的で難航せざるをえなかった。しかし現場から消えた一発の弾丸を糸口に、実はもう一人、その場にはいなかったはずの韓国軍兵士ソンシクも事件に関与していたことを知る。そして彼がその追及から逃れようと自殺をはかったことをきっかけに事件の真相が明らかになっていく。そこにあったのは、北と南に分断された四人の兵士達の友情のはじまり、そしてその悲しい顛末だった…
 前に見た韓国映画「ユリョン」が「…」だったので心配したのだが、これは良い出来だった。お互い当たり前の人間であるがゆえに始まる心の交流、しかし立場とイデオロギーの違いによりそれが引き裂かれる現実、「シュリ」よりもより現実的に南北分断の悲劇を描く。それは民族統一という悲願の難しさと同時に、その願いの根深さを示している。1.5点か2点か、まようところだが、ええい、2点だ!
 「東京流れ者」。え〜っと、鈴木清順監督が昔撮ったヤクザ映画っす。全国を巡回興行中の 鈴木清順レトロスペクティブ のうちの一本。なんつーか、やりたいことはわからないではないのだが、筋は穴だらけ、恥ずかしいシチュエーション目白押し、でも青臭いからこそ許される暴走とエネルギーがある。ちなみに二谷英明が凄腕のはぐれヤクザ者、流れ星っつーのは特捜最前線世代にはちょっと見てて笑えてくるんですけど…ちょっと評価不能。


2001年07月05日(木) 旧暦 [n年日記]

暑い暑いと思ったら

  関東ですらこんならしい 。関東より一層蒸し暑い名古屋ではもうとんでもないったらありゃしない。
 夕べは夕方にようやく家に帰って蒸し暑い中寝ていたら、呼び鈴の音がするので何かと思ったら新聞の勧誘員。それも「団」と呼ばれる勧誘団の勧誘員。こういう人は脅したりすかしたり、かなり強引な手を使うことが多い。眼鏡もかけずにしょぼつく目で応対したら「今取ってる新聞の契約が切れたら××新聞取ってくれない?」。内心「こっちはただでも寝苦しくて睡眠不足なのに、その睡眠時間すらそんなことで削ろうってのかい!」
 それでもこっちの性なので、出来るだけやんわりとお断りしようとしてたら向こうがいきなり「取るって約束してくれりゃいいんだよ!」と怒鳴りだす始末。怒鳴りたいのはこっちだ! 幸いこっちは寝起きで頭がボケてる上に眼鏡もかけてないので相手の顔も良く見えない。物でつろうとしてダメなら脅すなんて、間抜けなやりくちしてるなとしか思わない。それでも横柄な態度ということはわかるので、「嫌です。お約束できません」ときっぱり。相手も諦めて帰っていきました。気が付いたら手には相手がドアを開けた瞬間に無理矢理手に押し込んだ可燃ゴミ袋と洗濯洗剤が。あ、つっかえすの忘れてた。人間誠実が一番だね。っつーか多分金で人買いをする某大球団のスポンサーの「××新聞」はもう取りません。(隠してることになってない)


2001年07月06日(金) 旧暦 [n年日記]

構造主義と物理学

 構造主義とはフランスの社会学者、レヴィ・ストラウスが創始者の、一子相伝の必殺拳である…ってのは勿論ウソだけど。
 辞書によると構造主義ってのは「(フランスstructuralismeの訳語)民俗学、社会学、哲学の用語。一九四〇年代からフランスの人類学・社会学者レヴィ=ストロースらによって提唱された民族学理論。未開社会の近親婚タブーや交差いとこ婚の婚姻関係を問題として、そこにその社会を存続させるために働く潜在的な相互依存の機能的連関を構造としてとらえ、その構造を明らかにしながら人類全体を研究する理論。また、この立場から人類全体を問題にしようとする哲学。二〇世紀後半の新しい潮流を形作っている。」(国語大辞典(新装版)小学館 1988)となっている。…なんかあまり良くない辞書だな。
 「実存主義流行の後にあらわれた現代の思潮。ソシュールの言語理論の影響のもとで諸現象を記号の体系としてとらえ、規則・関係などの構造分析を重視する。言語学や人類学のほか、心理学・精神医学・数学などの諸分野に広く、多様に展開される。」(大辞林 第二版)うん、こっちの方がいいぞ。
 要は物事を捉えるときの一つの視点で、物事を象徴化してその象徴同士の関係により全体の構造を理解する考え方なわけだ。ワシの説明の方が下手か。まあ本当はレヴィ・ストラウスの著作の一つも読まなきゃいけないだろうところを、一般向け入門書を読んだくらいのものだからなぁ。
 まあ成立の流れなどは このページ などを見てもらうとして、特徴としては物事を見る際にシニフィアン(表現形、とでも言うか?)からシニフィエ(その内容)を抽出して、あくまでシニフィエでものを語るところにある。シニフィエは「象徴化された特徴」とも言えるかもしれない。つまりはある意味単純化した「モデル化」と言ってもいい。
 構造主義を最初に知った時、非常に驚いた。「世の中こんな便利な考え方があったのか!」……ではない。目からうろこだったには違いないのだが…私が思ったのは「なにこれ、まるっきり物理の思想と同じじゃん!」である。
 正確には物理が極めて構造主義的と言うべきか。
 物理ではある事象を考える時、そこにある物のある要素、大きさや質量、などをパラメーターとしてそれを取り扱うことに決める。これはまるっきりシニフィアンからシニフィエを抽出する作業と同じである。そしてそのシニフィエ同士の関係を法則や数式で記述する。例えば何か、物を押してそれに速度をつける場合を考えると、摩擦とかそういう事は省くとして、古典力学的にはF(力)=m(質量)×a(加速度)である。加速されるものは人かもしれないし車かもしれないし石かもしれない。しかしそういったもろもろの事を置いといて、全て「質量」という「シニフィエ」で同一に扱う。何が押しているかというのも同じで、それが作用させる「力」にのみ焦点を合わせる。そしてその構造(シニフィエ間の作用、関係)が「F=m×a」という数式で表現される。物理の場合は更にそれがほぼ完全に一般化される(でも実際は諸条件により適用できない場合もある)のが特徴ではあるが、この視点は構造主義と同根のものである。だから構造主義の長所・欠点は物理の長所・欠点でもある。
 自分が物理学科出身だから物理と構造主義の関連性をより強く感じたのだが、別に自然科学の中で物理だけが構造主義的というわけではないと思う。しかしこれだけ構造主義的な自然科学の分野というのも多分他にあまりないと思うのだが…
 おそらく物理出身者には構造主義の考え方は馴染みやすいものだろうし、構造主義を理解する人間には、物理のシニフィエの捉え方とツールとして使う数学さえ習得すれば、物理を理解しやすいのではないかと思う。


2001年07月07日() 旧暦 [n年日記]

犯罪者猛々しい

  と、思ってしまうよな、こういう報道見ると
 でも実際にはアメリカの日本の被疑者取り扱いに関する人権問題に対しての根深い不信感があることは確からしい。しかしそれにしたってやり方が子供じみてないかい?
 昨日の内容について友人から「構造主義はあくまで分析手段であり、導き出された一般化法則の普遍的適用や時間発展を保障しない」という指摘。それはまったくその通り。結局物理学と構造主義の類似はデカルトの合理主義以降人文社会科学においては導入しきれず一旦放棄したものをある形で再帰させたものだろうという結論に。そこまで根は遡るわけか。
 友人達とのメールで、味覚の話がちょっとだけ出る。自慢じゃないがちょっとだけ味覚には自信が ない 。どんな味付けでどんなバランスが旨いなんてさっぱりわからん。だが昔、家族に指摘されたことがある。
「あんたって、美味しい物食べるときは無口になって黙々とひたすら食うね」
 言われて「なにをう」と思ったものだがそのつもりになって自分を観察してみるとまさしくその通り。ワシって単純。それに箸の進みも違ってくる。頭はなんだかんだ言っても、身体は正直なのだ。感じた事に裏切らない。ブルース・リー師父は「考えるな、感じろ!」とおっしゃったが、まず感覚が最初にありきなのはやはりそうなのだな。感じた後で考え抜くことも必要だと思うが。この考え抜く作業がまだワシには足りてないよな。感覚も研ぎ澄まさないといけない。精進しないと。

メモ

BS映画
09日月曜21:00〜22:56「ボーイズ・ライフ」
10日火曜01:00〜02:36「陸軍中野学校」
10日火曜02:36〜03:57「陸軍中野学校 雲一号司令」
11日水曜01:00〜02:28「陸軍中野学校 竜三号司令」
11日水曜02:28〜03:56「陸軍中野学校 密命」
12日木曜01:10〜02:39「陸軍中野学校 開戦前夜」
19日木曜01:00〜02:20「ボディスナッチャー/恐怖の街」
31日火曜01:00〜03:00「ダンケルク」


2001年07月08日() 旧暦 [n年日記]

本を読んで息を止める

 別に本を読んでいて感動ではっと息を止めたという話ではない。講談社+α文庫から再版した坂井三郎氏の著作「大空のサムライ」をやっと読み終えたのだ。で、後書き読んで思わず息を止めてみたと…
(なんで後書き読んで息を止めたかは読んでない人にはさっぱりだろうけど、読んで欲しいからこれは伏せておこう)
 坂井三郎氏は第二次世界大戦時の、「生き延びた」(これ重要)日本海軍のエースパイロット。その氏の著作で世界各国で訳され、読まれているのがこの本。
 以前からなんとなく知人友人周囲の「これは必読の書だ読め読め」的な空気があるので探していたのだけど、以前出版されていた光人社版がどうしても見つからない。「続・大空のサムライ」などはそれでも見かけるのだけど、続から読むのもなんとなく癪なので探しつづけてたら「講談社からこの四月に再版されたよ」という知らせが。なんですと!? 聞いてないよ! ってわけでその翌日には書店を探しまくって入手したわけです。
 それが6月くらいのことだったかな。で、なんでこんなに読むのに時間がかかったかというと、確かにこの本は分厚いというのもあるし(光人社版より字が大きいというのはあるけど400P前後の上下巻)、読み応えがあるんでつい同じ場所をなんどか読み直してたというのもある(私にしちゃ珍しいことだ)。上下巻を一緒に買って来たつもりになってたら、気付いたら上巻を二冊間違えて買っていてあわてて下巻を買いに行ったとか、下巻を読んでたら途中でまぎれてしまい、探しても見つからず仕方なくもう一冊下巻を買ったらひょっこりと出てきたとか(だから今ウチには+α文庫版大空のサムライ上下巻が2セットある)、そんなすったもんだを繰り返していて、ようやく読了。
 全編を通して坂井氏らをはじめとする飛行機乗りの侠気と言ってもいいさっぱりとした気持ちの良さと、誇り高さ、仲間との同じ飛行機に関わるがゆえに共有する友情と生死を分ける場所にいるがゆえの孤高の精神というのが貫かれているのだけど、ただそれだけではない。同時に彼らの活躍の場が死とは切っても切れない戦場であるということだ。仲間も、敵も、親しかったものもそうでなかったものもある日突然死んでしまう。そして何時自分も戦場に散るかもしれない。それを受け入れ戦場を駆けるさながらサムライそのものなのだが、人を殺すということ、人が死ぬということ、死に面するということ、それらが飾り立てられず、決して死を称揚することも貶めることもなく事実そのものとして語られていく。それゆえにより一層死と隣り合わせの戦場の恐ろしさが感じ取れる(体験したことがない身に「わかる」とは間違っても言えない)。
 こりゃ周囲から受けた「読め読め」というオーラも納得行きますわ。
 ちなみに読了後、二回息を止めてみてその持続時間は、一回目が二分四十五秒、二回目が三分二秒でした。
 今朝の パワーパフガールズ 、いつもの「お砂糖、スパイス、すてきなものをいっぱい…」というナレーションが入らずいきなりテーマソングが始まったので何かと思ったら前半は総集編だった。
 この「お砂糖、スパイス、すてきなものをいっぱい…」というガールズのレシピだが、実はマザーグースの歌が元ネタらしい。解説は こちら。
 ゲストキャラで出てきた悪の男の子軍団「ラウディ・ラフ・ボーイズ」の組成もこの歌の通り(バージョン違いがあるらしいが)。日本人にはなじみがないんで、何のことかよくわからないけど、まあいいか。
  アギト は相変わらず。アンノウンとアギトの謎はお休みなのでちょっと小休止的なところはあるが、三人ライダーのうちの一人、G3のパワーアップ編。単純にパワーアップ万歳とならないところがアギト風味。GX−05ケルベロスいかす〜。
 一週間遅れの(これ言っておかないと「?」な人多いだろうから一応) デジモンテイマーズ は作画が怖い。だってまつげと鼻の穴を妙に強調してるんだものなぁ。それはおいとくとしても、細かい部分で納得の行かない出来の話ではあった。今まで何故進化できたかわからないのに、イキナリ「超進化プラグインS」で「今なら進化できる」だもの。でもそれでも面白いのは基本線の「少年(少女)と犬」という部分をはずしてないから。現実世界に非現実の存在が紛れ込んでる違和感も○。


2001年07月09日(月) 旧暦 [n年日記]

ソフトでハードなSFの話

  某氏 の陰謀により、 こんなページ の管理者をやっているのだけど、どー見ても「こんなんSFじゃねえや!」ってものも名前が挙がってくるわけです。お陰でここ一月半ばかり、「どう見てもSFじゃないのにSFと言い張られる」と言う事に過剰反応しておりまして、今日突然「だったらSFって何よ?」という定義がはっきりしてないのが全て悪いのだという事に開眼いたしました。今までは「人によってSFは定義が違う」などと八方おべんちゃらで逃げまくってたわけですが、違うなら違うで何故違うのかを考えたいと思う所存です。
 普通世間様一般ではSFってのは宇宙船だとかタイムマシンだとか虎じまビキニの鬼娘だとかが出てくりゃSFだと考える向きがございましょうが、世の中のは「そったらこって満足できっけえ!」というコアな人々、「SF原理主義者」という困った人々が存在しているわけです。これがまた困ったことに、こういう人に「じゃ、SFって何?」と聞いても答えられないか世を徹して一人語りしつづけてついに何言ってるんだかわからないということになるのがオチです。で、困ったときに出てくる一言、「センス・オブ・ワンダー」、とりあえずこれがSF者全般にとって各々のSF観の溝を埋める免罪符になっております。でもあまりやりすぎるとコッチもブチ切れるけど。
 センス・オブ・ワンダー、英語で書くとsense of wonder。書き直しても意味ないっての。
 senseは「(心理的な)感じ,心持ち,気持ち,印象」、ofは「《所属・所有》…の,に属する,にある」、wonderは「驚き,感嘆の念,(…に対する)驚異(の念)」、だったら最初から「驚嘆の感覚」とか「不思議な感じ」とか書け!
 じゃ、何か読んで、見て、不思議な感じと思ったらSFなのだろうか? たとえばファンタジー小説で見たことがない生き物が出てきたり、見たこともないオブジェで不思議と思ってもSFと言うのだろうか? 否、敢えて言おう! NOであると!
(ってホントは他人がどう思ってるかなんて知らないけどね)
 日常的にだってびっくりするようなことは何時も起こってる。それを一々「SF的だ」なんて言ったらSFのありがたみがない。ってよりは「これがSF」と括る必要性なんかそもそもない。ファンタジーがSFだったら、逆にSFがファンタジー的と言っても良い筈だ。しかしSF=ファンタジーではない。ファンタジー⊃SFあるいはその逆ですらない。
 だったらSF的って何よ? ということになる。これには自分をサンプルに一応の答を出している。SFとは、既存の価値観で処理できないもの(現象)の想定による価値観の分解、再構成である。価値観というのは人間がある出来事に対し判断を下すための基準だ。もちろん社会、時代、人それぞれによりまちまちである。だから正確には、SFとは社会一般において想定すべきとされる事態を超えたものによる価値観の破壊と再構成を行うもの、と言ったほうが良いだろう。だからSF的なものは世間から見れば発想の飛躍のし過ぎなのだ。必要でないと思われる事態の想定なんて誰がする必要がある?
 しかし、それは後生大事に抱えていたものが実はたいしたものではないと知るかもしれない。或いは現在所持してる価値観に拡張性があると知るかもしれない。意味があるかもしれないし、ないかもしれないが、そもそも新たな視点の発見というのは中毒性を持った快楽ではある。
 ファンタジー=SFでないのは、ファンタジーは価値観の変化を必然としていない。だからファンタジーとSFはそもそも全く別の区分け方の群に属している。重なる場合もあるが、それはジャンルの必然ではない。単にそういう作品だったというだけだ。
 もう一つ、SF原理主義者の中でも「ハードSF至上主義者」がいる。科学的考証を裏づけとした社会、現象、環境、はては物理法則すら変遷させうるガジェット(小道具)をご神体としてあがめる一派だ。(あー、ハードSF者から石が飛んでくるな)
 確かにそれだけ壮大なものが実際の科学理論の延長上起こりうるというのは吃驚であり、場合によってはセンス・オブ・ワンダーだろう。しかし、価値観の破壊と再構成に科学考証は必ずしも必要ない(と、物理出身のワシが言うと更に批難轟々か?)。ハードSFは所詮SFの一ジャンルであり、その純粋なコアたるものではない。
 それと、そのためにハードSF原理主義者が陥りがちな罠は、ガジェットの凄さこそが至上と思いがちで人間を軽視しがちなことだ。技術は文化圏・文明のものであり、法則は宇宙のものだ。だが、価値観は人間のものだ。人間なしに「吃驚」もへったくれもありはしない。それに驚嘆し、価値観が壊され再構成されるのは人間あるいはそれに準じたものだ。別に作中に人間が出ずとも良い。だが読むのは人間なのだ。あるいはそのような何者かなのだ。驚嘆してる貴方は何か。石か、宇宙法則の体現者か、普遍的価値観か。まあ、そういう「思考シミュレーションが好き」ってのは私にもあるのだけどね。でも人間がどうでもいいと思ってるのは「仏(ハード)作って魂(ソフト)入れず」だと思うけど。
 しつこくも一つ。結局「普通想定されるべき事態」ってのは人によって認識が違う。だから「これがSF的センス・オブ・ワンダーだ!」と思ってしまうレベルというのも異なる。だからSF論争に終止符が打たれないのだ。SF論争ってのは、実は価値観とその限界論争でもある。それは人によって当然違うべきものだし、一種のコミュニケーションだから論争もまた大いによし、とすべきだろう。だが気付かずに自分の価値観の限界と程度を晒しだしてることにもなるので、己を省みて、恥じるところがないかもう一度よく考えるべし。
 結局私が「これはSFだが、それはSFじゃない」と拘るのは、自分の価値観の想定範囲はそんなんじゃないと怒ってるのも同然なのだな。


2001年07月11日(水) 旧暦 [n年日記]

山篭もり中

 今ちょっと諸事情あって山篭もり中。片眉は剃ってません。
 各種反応が滞ってますが(たってここんところのテキスト量がむしろ異常だったんだけど)、夜逃げしたわけではありませんので。
 明日にはどうにか反応できると思います。多分。


2001年07月12日(木) 旧暦 [n年日記]

これ一粒でみるみる痩せる!

 え〜、どこに山篭りしてたかと言うと、古巣の研究室っす。「本山」だから山みたいなもんでしょ。(投げやり)
 そいでもって「12時間キチキチ実験耐久レース」を二日連続でやってました。純粋な実験時間なんでその他の仕事とかもあわせると18時間越えてます。多分も少しします。わりと死ねそうです。体重が2kg減りました。ダイエットにはなりますが体壊しそうです。っつーか気付くと仮目標の適正体重まで体重が落ちてるってのは嬉しいような悲しいような…
 最近研究室にいる留学生の黄さんから、「スヅキさん、顔の色白くなた」と言われたのですよ。鏡でしげしげ見るほど見目良い顔じゃないんで自分じゃわからない。腕とか見るとそこそこ日焼けしてる。変だなぁと思ってトイレに行ったついでに鏡を見てみると…黄さん黄さん、これ顔の色が白くなったってんじゃなくって顔色が悪いっていうんですよ。きゅう。
 ってワケでボチボチ反応してきます。


2001年07月13日(金) 旧暦 [n年日記]

ライジングザン、倒産

 と書くとなんのこっちゃだな。「ライジングザンを製作した ウェップシステム が倒産」ってことなんですが。あまり大きい会社だとは思わなかったけど、こうあっさり潰れてしまうのもなんか世の無常。

 ダイエットするからにはやはり目安となる体重ってのがあるわけで、以前計算したところ私の身長だと確か60kg弱だったのだけど、計算の仕方にもよりけりなのでもういっぺん確認してみようと思って検索。見つかった ところ に飛んで計算してみると…なぬ?! 53kg!? ちょっと待て、異常とは言わないが、それは痩せ過ぎに近いだろう! と見てみると、ダイエット食品の会社のページでした。まあそりゃオーバーに書くわな。
 該当ページのスクリプトを見てみると、「(身長(m)の二乗)掛ける20」という計算をしてることがわかる。しかし一般には「掛ける22」である。実際には筋肉量などの体格差があるので本当の適正体重は同じ身長でも個人差があるのだが、一応この計算の±10%程度が正常の範囲内ということになってる。だから別に上のページも必ずしもウソではないのだが、かなり煽ってはいる。
 更に肥満度の指標としてBMIというものがあり、これは体重(kg)÷(身長(m)の二乗)である。正常域は18.5〜25.0、標準は一応22程度(一番病気の頻度が少ない)ということになっているらしい。あくまで指標だけど、まあ参考までに。
 ちなみに映画版 仮面ライダーアギト の製作発表記者会見の記事は こちらG4 もあるでよ。


2001年07月15日() 旧暦 [n年日記]

街で見かけたこんなもの

 どんなものかっていうと こんなの 。思わず反射的に撮影。ペイントでなくビニールテープの切り貼り。
 どうしようもないくらいの蒸し暑さの上、PCのマウスの不調。ただでも不快指数上昇中なのに慣れないポインティングデバイスを引っ張り出して代用してるのでどうにも操作がスムーズに行かない。呼吸困難に陥りそうな蒸し暑さというのは想像できますか? いや、冗談抜きでじっとしてるだけで脱水症状起こしそうです。なんとかならんのだろうか。なんともならないけど。
 昨日は Day Contact2 に参加。でも暑くてレポート書く気がしない〜。
 ってわけでまた後で。


2001年07月16日(月) 旧暦 [n年日記]

宇宙湯煙旅情編

 え〜、先週の土曜に行ってきた Contact Japan 主催のDay Contact2の報告。
 今回は参加人数が増えて約50人。十数名ずつ四チームに分かれて各々のコンタクトする種族を設定する。今回はBチーム。対する相手方のAチームには 野尻抱介 氏が。うむむ、前回のリベンジが!?
 解説すると、前回も相手方チームに野尻さんがいたのだが、こちらのチームにはひたすらノリでひっぱる岡田斗司夫氏がいたがために典型的なありがためいわく星人(基本的に善意なのだがメンタリティが他の種族にとってありがた迷惑な宇宙人)となり相手チームをてんてこ舞いさせてしまったのだ。別に私のことなど歯牙にもかけていないだろうが、それとは無関係に前回やられたから今回は相手をいてまえと考えるという可能性もなきにしもあらず。
 若干遅れて会場についたが、開会の挨拶とブリーフィングの最中だったのでなんとかセーフ。さっそく部屋に移って作業開始。Day Contact(以下DC)はファーストコンタクトシミュレーション(FCS)の簡略版ということもあってあまり厳密性にはこだわらない。とは言えあまりに非科学的な設定では意味がないので、最低限の科学的な考証は詰める。特にA,Bチームに渡されたコンタクトの舞台となる星は実在の惑星の衛星を元にしている。恒星からの距離は地球と同程度のガス型惑星の周囲を周回する、「地球型衛星」という設定なのだ。その性質上、惑星より複雑な運動をする為に環境の変動が激しいという設定だ。
 今回は最初から宇宙人ということは確定されていたので、まず最初に決めたのは土着の宇宙人か外来の宇宙人か。これは多数決により僅差で土着の生物というコトになった。
 そしてどんな宇宙人にするかということでコンセプトを決めようということになったのだが、水棲生物がいいとか、やはり陸棲だとかなかなか決まらない。そもそも陸地では気候の変動が不安定で激しいのであまりよろしくないのだが、水棲だと今度はコンタクトがやりにくい。これはDCではちと困る。そこで出たのが造山活動が活発だということ。地球より平均気温が低い星だが、火山帯の周囲なら比較的その影響は少ないのではないかという意見だ。「それに温泉もあるしねえ」的な意見が漏れたのだが、この一言からなし崩し的に「温泉大好き宇宙人」とすることが決定してしまう。
 端折って決められた特徴を列挙すると、「鉱物資源が豊富な場所にいる為に冶金技術が優れている」「よって金属加工技術に突出する」「温泉に卵を産んでふ化させる(温泉卵?)」「哺乳類ベースだが、爬虫類の特性も含まれている」「首の周囲には襟巻きがあり、これにより体温調整を行う」「体型、大きさは基本的にヒューマノイド」「電磁ノイズがばしばし出る環境で暮らしているので遺伝子修復能力が優れてる」「よって放射能汚染に強い」「だから核エネルギーの利用にはわりと無頓着」「個体間の直接コミュニケーションは音声言語。襟巻きの状態や手振りなども普通に補助手段として用いられる」「電波利用の通信手段が使いにくいため、光通信が主な遠隔伝達方法」「温泉が社交場」「政治形態は直接民主主義」「寿命は二百〜三百年程度」「幼生期間は五十年、百歳でようやく成人と認められる」「基本的に温泉を愛する温厚な種族」といったところ。
 こういったこちらの種族の特性が決められた時点で、プレコンタクトが始まる。つまり、相手の宇宙人の存在を感知するのだ。これはスタッフがどう接触するかを決める。
 数分の後のスタッフからの第一報は「十AU(天文単位)離れた場所で二十八km程の大きさの宇宙船と思われる物体の減速噴射炎が観測された」とのこと。来たか、とざわめき立つ。
 こちらからまず信号。当然レーザー通信だ。返事を待つ。だが待てど暮らせど一向に返事はない。何度か繰り返し送信するがやはり無反応。やがて電波によるなんらかの信号が観測される。単調な内容の繰り返しで、なんらかの救助信号もしくは警告文らしいという解析結果。相手はどうやら電波通信を基本としてるらしいということがわかり、さっそく電波通信の施設を建造するが、どうにも相手側からの信号が気にかかる。レーザー通信は想定してない種族と思い、探査プローブの打ち上げそして電波による通信を開始する。しかしどんな通信にも全く反応しない。最初の警告とおぼしき信号が繰り返されるだけだ。ひょっとして受信機能が何らかの理由で阻害されてる可能性があると判断し、プローブからの連絡を待つ。しかし数ヶ月後に件の宇宙船に到着したプローブからの情報は、我々を一層混乱に陥れるものだった…とりあえず続く。

 ちなみに 映画版アギトの製作発表の様子。 なんつーか、燃え。って最近謎の青年が出てないことにふと気付いた私…
 何時の間にか こんなページこんな記事 が。なんか大須が変なところみたいじゃないか、まるで。


2001年07月17日(火) 旧暦 [n年日記]

強襲! ねこめーわく!

 昨日の続き。我々湯けむり宇宙人(正式名称YUNOKO)は、こちらからの通信には全く無反応の謎の巨大航星物体に打ち出したプローブ(探査機)からの通信を待った。その間に相手側から接触の申し込みがあるを予想し、航惑星能力のある宇宙船の建造(既存のものの改造)を急いだ。打ち出しから数ヵ月後、ようやく減速過程にある謎の巨大物体がプローブの視野に入った。大きさは半球状の巨大噴射口が一つ、その前に燃料タンクと思われる同程度の大きさの球状の部分、そしてその先に自転する円筒部分があるという外見だった。見た目、中途半端な串団子といったところか。ともかく生物とか自然現象(そもそもそんな可能性は殆どないのだが)ということではない。人工建造物であることは確からしい。しかしそれならばこちらの通信に応えないというのはどういうことか。受信機能が阻害されているのか。プローブは更に近づいて調査を続ける。外見上、あからさまな破損はない。断定はできないが外見からは通信機能の障害ではないようだ。では何故…というところで相手宇宙船から船外活動機らしい物体が分離された。こちらが疑問に思う間もなく、あれよあれよと近づいて来、マニピュレーターをこちらに伸ばすと…そこで通信が途絶えた。光でも一時間は通信にかかる距離だ。回避行動を行う間もなかった。可能性は考えていたが、信じたくない最悪の考えが浮上してくる。まさか相手は敵対行動を…
 どうするか。緊急会議が開かれる。相手に明確な攻撃の意思あり、として第一衛星上にあるマスドライバーをレールガンに改修するか、レーザー通信施設をレーザー砲に改修して迎撃を主張するメンバーも現れる。しかしそれはあまりに性急かつ稚拙な判断だ。ようやく建造の終わった有人機を派遣するか、それとも相手の攻撃性を認め、迎撃の準備をするか。同族の危険の目は早々に摘むべきか、むざむざ外恒星系との接触の可能性を潰すようなことは出来るだけ避けるべきかが喧喧囂囂と激論が交わされるが、とりあえず第二プローブの報告を待って有人機の打ち上げを決定するということになった。迎撃論は、時間的制約から不可能そうということになった。
 第二プローブの到着。しかし結果は第一時と同じ…ほぼ同時に相手宇宙船から小型機の分離が確認された。どうも先発隊としてこちらに向かってくるらしい。どうする!? 相手の意図は?! と言っても出来ることは少ない。先発隊と言ってもおそらく極小規模のものだ。もし先発隊を迎撃してもその後に到来する約30kmの巨大物体は止まってくれない。
 わからないのは先発隊の意図だ。降伏勧告に来たのか。いや、それならこちらに解読不可能な連続した通信は何なのか。こちらからはこちらの言語の解読に必要と思われる情報は送信しつづけてるのに、それを利用してこちらにわかる形での降伏勧告は送ってこない。言語解析のテクノロジーは低く、解読不可能なのか? いや、それは流石に考えにくいと思うのだが…行動に一貫性が見られない。いったいなんなのだ? 小規模の先発隊でも我々を駆逐可能な超絶技術を持っているのだろうか? いずれにしても受け入れるしかない。しかし出来るだけ被害を少なくしようと、人工「孫」衛星(我々のYUNOKOが生息してる星自体が木製型惑星の周囲を周回する地球型衛星なのだ)、もしくは鉱物採取基地のある第一衛星上での接触の希望を画像で通信する。それとて相手が受信するか、そして受け入れるかどうか…ところが意外なことに、最初の通信を送った孫衛星軌道上のレーザー通信孫衛星へと軌道を変更した。しかもその際に母船との間で高密度通信が行われた形跡があると言う。ちょっと待て。受信機能は生きているのか? じゃ、なんでこちらの通信は無視なのだ? 更にわけがわからない。
 こちらの混迷はよそに、D-Dayは否応なく迫ってくる。相手の小型機が到来し、レーザー通信衛星のドッキングベイへ横付けしてくる。そしてエアロックと接続し、加圧、扉が開放される。我々は死を覚悟して相手を待った。そして姿を現したのは…我々の半分ほどの身長のテディベアのような生物! はい? 全員予想外の展開に目を丸くする。と言うか呆れる。あまり大きいとは言えない小型艇からそんなのが60匹ばかりわらわらと出てくると基地内になだれ込み、機材をいじるはじゃれてくるは…どう見ても知能が高そうに思えない。小型艇を見ると、我々と同程度の大きさの種族が30人ほどで利用することを想定されてるらしい。隷属種族で主人は他にいるのか? でもよりによってこんなのを交渉団に寄越すのか? どうする? と話し合うが、様子見しかないんじゃない? ということに。ひとまず解放軟禁状態にして、母星から言語学者を呼び、小型艇内部の情報及び彼らの会話から彼らの言語を解析。そして彼らとの会話が開始された。
 しかし埒があかない。あちらは「面白いことない?」とか「ご主人様になってくれない?」とか繰り返すばかり。なだめすかして聞いたところ、本船にはまだ200万体ほどの同族がいるらしいこと。そして他の種族はいないということ。話した感じ、総じて知能は低い。好奇心も子供の好奇心と同じで、知的探究心とかとは全く無縁。かなり自動化した機械の操作を覚えるくらいはできるが、その動作原理は全く知らないし興味もない。こちらの通信に応えなかったのも「おもしろくなかったから」。連続信号は結局救難信号で、宇宙船の人工知能がこちらのレーザー通信に反応して自動的に送ったらしい。早い話危険な武器を持ったホーカー、主人公がいない状態のねこめいわく。それともレッドドワーフのキャットか?
 どうやら宇宙捨て猫らしいという意見の一致を見る。こちらはもうものも言えない。とにかく宇宙船(彼らの主人種族によって建造されたらしい、これは素晴らしく高度なもの)を持たせとくのはキ○ガ○に刃物状態であぶないので、コロニーを一つ用意して騙しなだめすかしてそちらに無理矢理収容。
 「これからどうする?」「「拾ってください」の札でもつけてまた宇宙に流す?」「ま、うっかり餌をやりわすれて全滅しちゃったとしても、それは悲しい事故だよね?」本来温厚な種族とは思えない発言がばしばしと。とりあえず後のことは温泉に入ってゆっくり考えようということでコンタクト終了。
 あまりに一貫しない行動から、かなりのメンタリティの違いがあるだろうということは予想していたし、それは事実だったのだけど、でもこんなメンタリティの違いだったらさっさと落としておけば良かった。
 その後の発表でわかったのは、相手の種族名は「マオマオ(猫々)」。案の定ペットとして開発された知性化種族で、なんらかの理由で世代間航行宇宙船の中で主人種族が全滅した後彼らだけ生き残り、自動化された機械類に囲まれてのほほんと暮らしていたこと、本能に主人への隷属がすりこまれていて、同程度の大きさのヒューマノイドであるYUNOKOになついてしまったこと、などがわかった。でもそんなことわかってもなぁ。
 懇親会で相手側のチームにいた野尻さんに「あんなのとどーやってコンタクトとれって言うんですか!」と絡んだら「いや、ちょっとまずいかなぁとは思ってたんだけどね」との返事。自覚あったんですかい!
 二度目のFSCでようやく悟りました。「ファーストコンタクトは殺るか、殺られるか!」。…っていや、それじゃいけないんだって。


2001年07月18日(水) 旧暦 [n年日記]

街で見かけたこんなものPART 2

 今回は写真無し。目撃時にたまたまカメラを持ち合わせてなかったので。っつーかほとんど一瞬だったし。
 ナニを見たかと言うと、暴走族(最近では 珍走団 と呼んだ方がいいのか?)なのだと思うけど(マフラーせずにすごい排気音立ててたし)、その格好がまさしく「 珍走 」。
 一台のバイクは赤の全身タイツに何か赤いマスクをかぶった男が運転し、タンデムで黒い全身タイツにデストロイヤーみたいなマスクを被ったのが乗っている。もう一台、その後を追ってピンクの全身タイツにやはりピンクのマスクを…ゴレンジャー? いや、ブラックはゴレンジャーにいないけど。「ナニアレ?」と思う間に、あっという間に視界の彼方へ…ネタだと思うでしょう? 畜生、本当なんだよう! 一体アレはなんだったのだろう?
 明日は知人の 山口/てつまよしとうさん のデビュー作、ファミ通文庫「 GUNNER 」の発売日。忘れず宣伝宣伝。え〜、正直表紙と中身のギャップはいささか感じるむきもございましょうが(って私もまだ実物見てないんだけど)、まあそこはそれ、よろしければお手にとってみてください。

 追加。え〜、なんか私の文章が知人の本を誉めてるように読まれたむきもありますようなので補足します。上に書いてある通り、実物はまだ読んでません。パイロット版は読みましたし、それの延長線上で考える限り個人的に期待はしてますが、だからと言って実物を見ないで判断は出来ません。「よろしければお手に取って」というのは「中身を眺めてみて、それで面白いと思ったら買ってください」という意味です。内容に魅力もないのにどうにかなる業界じゃないし、逆に読んで魅力があっても、手にとってもらえなければどうにもならない業界だからこその宣伝です。面白いと思うかどうか、購入するかどうかはその上での個人個人の判断であり、本の存在の喧伝が、現時点で出来る知人への最大限の応援であるにすぎません。と、いうつもりで上の文章は読んでください。ハイ。
  あ〜、あと、以前書いたのですっかり本のジャンルは了解済みのものとばかりに書いてしまってましたが、まあいわゆるてっぽでドンパチものです。ハイ。


2001年07月19日(木) 旧暦 [n年日記]

ってわけで入手。

 そんなわけで てつま氏 のデビュー作「GUNNER」を入手。まだ入手しただけだけど。ついでに昨日の日記で「てつまよしと 」氏と表記してたのを修正。あさりよしとお氏が頭にあるから時々間違えちゃうんだよな。まあご本人に表記間違いが見つかる前でよかったです。(ってここに書いてたら意味ないよな)
 表紙は昨日の日記で書いたほどには違和感バリバリではありませんでした。目が大きめでデフォルメばりばりのアニメ絵でなく、リアル路線(っつーかやや少女漫画っぽいかなぁ)になってるので。睫毛が妙に目立ってたりアニメ塗りだったりとかは十分許容範囲内でしょう。とにかく細かい話は読んでから。
 書店に寄ったついでにここんとこ議論が沸騰というかマスコミがやけに騒いでるだけという気もする「 新しい歴史教科書 」を立ち読み。と言っても全部しっかり目を通す余裕もないので朝鮮半島がらみを中心に流し読み。う〜ん、確かに一部言葉をもう少し選んだ方がいいところとかはあるし、そもそも神話とかの話をインターミッションとはいえ入れたりして右翼的な臭いがするというのは言われてる通り、感じるのですが、特に云々するほどではないよな、というのが正直なところ。表現は少し直した方がいいけど、基本的に従来の歴史教科書と同じくらいの偏りでしかないと思います。っつーか歴史教科書で歴史を知れというのがそもそも無理。ちゃんとこういう偏りはとりよけて授業に望むのは教師の勤めってものでしょう。ニュースステーションも韓国側も、大々的にバッシングする根拠がよくわかりません。もっと別の事にエネルギー使った方が遥かに有意義です。まあ、この教科書が上等とは口が裂けても言えませんが、幾つか面白い視点があるのも確か。
 知人連中(♂)にファンが妙に多い「 フルーツバスケット 」。試しに見てみる。丁寧に作ってる。見ててそれなりに面白い。でもはまるかと言うと「?」。見てて不快になるということはないのだが、基本が天然系主人公の女の子がちょっと不思議な美少年・美青年にもてまくりという話なので、男が見てて楽しいんかというのは謎。別に逆なら楽しいということでもないが。出来がいいとは思う。一応。
 日曜に見た「 アギト はG3パワーアップ話の中篇。アギトの正体である翔一がG3−Xを装着するという本末転倒な事態に…いつもの思わせぶりな台詞回しのオンパレードだが、多少記憶喪失中の翔一の過去に関わりそうなエピソードも。噂ではアギト、ギルスにも新形態(アギトはトリニティフォームと更に新フォーム、ギルスはトンガリが増えた第二形態)があるということ。しかしこの展開で本来の装着員である氷川君に逆転の目はあるのか? なんとなく、人類が自らの手で未知の敵に対抗していく立場のG3は応援したくなるのだが。
  テイマーズ は、前回作画と演出の乱れがアレだったので(ストーリーラインレベルでは問題はないと思ったけど)ちょっと心配だったけど、ちゃんと持ち直してる。作画は若干乱れてるけど、前回みたいに怖い顔ではないし。っつーかこれって多分予算が少なくて人が確保できないというレベルの話なのだと思う。うーむ。日常レベルにおけるデジモンの違和感という視覚的基本コンセプトは貫かれていていい。どちらも細かい粗はあるのだけどね。


2001年07月20日(金) 旧暦 [n年日記]

ナヴァホの通信兵

 ジョン・ウー監督の最新作(アメリカでは今年のクリスマス上映)「 ウィンドトーカーズ 」で、主人公がナヴァホの通信兵なのだが、「なんでナヴァホ族の通信兵やねん」と思いつつ、深く考えるのをやめていた。しかし突然思い出す。そう言えば太平洋戦争において、アメリカ軍は日本軍に解読が困難な暗号として、ナヴァホ語を通信に用いていたのだ。 ここの過去ログ の10/7 23:01の書き込み参照のこと。
 そのつもりで考えると、主人公のナヴァホの青年は通信兵である以上に暗号翻訳・解読という重要性を持っており、そこらへんがドラマの中心になるのだなと想像がつく。「ウィンドトーカーズ」といういかにもネイティブの名前っぽい名前も意味深になってくるし。ふむ、そうだったか。
 ところでウィンドトーカーズの予告編はこちら 3MB 7.5MB 16MB 30MB


2001年07月21日() 旧暦 [n年日記]

特番なんていらない

  こんな特番 要りません。 テイマーズ をちゃんと放送しろ!
 この時間帯に10%超の番組に対し予算といいこの扱い、フジテレビってしわいなあ。
 え〜、 てつま 氏の「GUNNER」読み終わりました。ゆっくり読もうと思ってたら人様の日記でヲイラの評価待ちと書かれてたので慌てて読んだり。
 え〜っと、面白かったかと言うと、面白かったです。文句無しに、とはいいませんけど、取りあえず最初にそれを明言。
 人を選ばないかと言うと、多分冒頭で銃器のことなどに描写が割かれてる部分で退く人も出るとは思います。そこらへんはやはり銃火器マニア、メカマニアの方が受けがいいと思います。基本的なストーリーは、良くも悪くも(日本よりは)海外の刑事ドラマ、アクション映画的で、あくまで文学性を捨ててオーソドックスなエンタテイメント重視な作り。プロローグから44Pまでが試金石になってます。ここで問題なく楽しめた人、ちょっとでも面白そうだと思った人は問題なく楽しめると思います。そうでない人は…どうだろ? ちょっと難しい人もいるかも。
 全体評としては、銃器、メカ関連の描写がしっかりしてる半面、人間関係の文章があっさりしてるかなぁと。殆ど相手をどう思ってるかとかが台詞だけで表現されてくので、メカ関連へのこだわりの哲学は読み取れる反面、人間関係や個人の持つ哲学は「ステレオタイプ」という感じはします。前半、ちょっとメカ関連の描写の方の比重が大きいかなというのは後半になると解消されていくのだけど、逆に後半はどんどん話が破天荒になっていくので、そこらへんのバランスは少し悪いかもとも思います。ネガティブ評は以上。ポジティブ評としては、最初ちょっと足りないと思ってた外連(ケレン)味がどんどん加速されてく点。登場人物がやたらと熱い点。ここに共感できるかが一つの評価の分かれ目かも。エンタテイメント性としては、良くも悪くもオーソドックスです。その意味での目新しさは期待しない方が良いかと。銃火器、ヘリ・航空機のメカ好きで、アメリカのエンタテイメント映画好きな方は読んで損はないと思います。それ以外は…よくわかりません。<おいおい
 知人と言うことで手心が加えられてると考えるかもしれませんけど、一応自分としては公平に評価したつもりですんでそこんとこヨロシク。
 ついでに紹介。 アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(ALMA)計画の署名運動 。ALMA計画に関しての詳細は こちら へ。宇宙のみが現代のフロンティアとは思わないけど、宇宙が現代に残されたフロンティアのひとつであることは事実。頑張って欲しいと思う方は是非。


2001年07月23日(月) 旧暦 [n年日記]

だけどユートニウム博士は間違って余計なものを入れちゃった!

 実験で大はまり。ある実験の為に昔のノートの組成を参考に溶液を作ったら、大事なものを入れ忘れてお話にならないことに実験段階で気付く。仕方がないので作り直さなきゃいけない。そういうわけで溶液を作り直し。あれやこれやと混ぜて、最後の段階でpHのチェック。実験が化学平衡に関わるもので、pHの狂いは非常に致命的なのだ。
 が、はかってみると明らかにpHがおかしい…pH5以下。あれ? 途中でチェックしたときにはpH7.2にしたはず。pHメーターの故障かとチェックするがそうでもないらしい。溶液にはpH緩衝液が入っていて、ちょっとやそっとじゃpHが狂わないようになっている。だからpHが狂うということは、何か酸性に大きく偏ったものが入ったということになる。そんなもの入れたか? とあれこれ考えるが思い当たらない。仕方ないのでとりあえずpH調整でどうにかなるか、やろうとしたところで思い出す。最後の段階で入れた塩化カルシウム溶液、これか。よく考えたら以前も塩化カルシウム二水和物を溶かした時に酸性に大きく傾いたことを思い出す。そんなことも忘れて一価イオンの化合物と同じつもりでついつい考えてしまっていた。う〜む、鳥頭。結局溶液自体は微調整でなんとかpH修正できてホッ。うむむ、きをつけんといけんのう。
 土曜に新しいウルトラマンシリーズの「 ウルトラマンコスモス 」を見ようとするが、見事に見逃す。これまでのシリーズと異なり、怪獣を「保護する」という立場の組織が主役らしい。世の大抵のものがそうであるように賛否両論あるのだけど、絶賛は聞かれないわりに「見るのやめた」という声は聞こえるのが気になる。とりあえず一回は見てみないとなぁ。
 同じ特撮ヒーローもの、 仮面ライダーアギト 。G3−X暴走の理由はAIが優秀すぎたから。どうも装着者の意図に過敏に反応しすぎてたらしい。機械に人間が合わせるべきと考えるのはわりと陥りがちな罠だなぁ。そいでもってアギトは突然記憶を取り戻す。「思い出したぞ、全てを!」っておいおい、いきなり全部か。出さないときはとことん出さないのに、出すときには出し惜しみなしなところがステキ。次回はアギトのパワーアップ第一弾らしい。ううむ、ケレンなサービスを惜しまないなぁ。
 実は特撮もの二つを並べたのは意図的で、毎日新聞の投書に「アギトは残酷で子供に見せられない。それに比べてコスモスは安心して見せられる」というものがあったという話を聞いたから。コスモスを見逃してコスモスとアギトの比較が出来ないのは返す返すも惜しいが、でもこの指摘ってなんか少し違う気がする。毎日新聞がコスモスのキー局の毎日放送の系列だからということを除いても、小骨を抜いた魚ばかりを求めてる態度に思えるのだけど…


2001年07月24日(火) 旧暦 [n年日記]

色々メモっておく

 空き時間のスキに。
  戦士の銃(コスモドラグーン)の系譜 。しかしこんなものは松本零児も「なんとなく、かっこよく」で書いてるに決まってるんだから一々整合性を云々するな、と言いたい。それでもいちいち突きつけて合わせてみたくなるのがマニアの性だということはわかってるが。
  宇宙船レッドドワーフ号再放送スケジュール 。映画って本当に作ってたのか。Mr.ビーンの二の舞にならないことを祈る。

最高気温39度…

 名古屋市内は灼熱地獄ですカ!? アスファルトの焼けた路面の上だとおそらく40度は越えてると思います。でも自転車に乗りながらふらふらして、これは暑さのせいだけではないぞと考えてみると、ここんとこほとんど炭水化物しか摂ってなかったことに気付く。いかん。死ぬる。
 まだ食欲がなくて喉をものが通らないという状況ではないので夏バテではないと思うけど、予算の関係上やらなんやらで麺類が多いのである。当然自炊。一応乾麺類は箸で触った感触でゆで具合がわかります。慣れればアルデンテも箸の感触だけで判別できます。
 麺つゆも市販のものを使うと価格がばかにならないし、なにより味が好みではないので、自分で作り置きしておく方が早い。うどん類よりはそばの方が好きなので、麺つゆもそばつゆっぽく作る。混合ぶし多め、干し椎茸、昆布でまずだしを取り、それと別にみりんと醤油を混ぜ、軽くひと煮立ちさせてかえしを作る。醤油とみりんの量は好みだが、私の場合はほぼ等量。だしとかえしの割合は、わりといい加減だが2:1くらいの事が多い。これは結構濃いのでつけ麺用か、薄めるかして使う。かえしが冷めたらさっき取っただしと混ぜるのだが、だしを取る時に使った椎茸と昆布は捨てるにしのびなく、かえしを作る時になべにほうり込んでみる。冷めるまで一緒に置いておき、冷めた後で取り出す。これは結構いける。かえしを少し余分に取っておき、椎茸と昆布は刻んで佃煮にしてもいいかもしれない。混合ぶしは何故再利用しようとしないかと言うと、以前やろうとして失敗したからである。ううむ。
 やはり夏場と来れば麺類だなぁ。

と、そんなことは置いといて

 日記のアクセスログから逆引きし、さらにそこからたどって こういうもの発見21日に感想を書いたてつま氏 の「GUNNER」の、別の方による書評。ライトノベルへの冷静な考察も加えている辺り、ヲイラじゃ適わないなぁ、と思う事しきり。ついでなので自分の感想文にもちょっと補足。
 「人間の関係性への哲学がステレオタイプに感じる」と書いたわけですが、実際には類型的にまとめうる人間関係はあっても、類型的な人間関係そのものなんてのはないのでこれは言い方が正しくはないわけです。正確には、人物のメカへの描写がきっちりしてる反面、人間への描写のレベルがそこまで至っておらず、結果アンバランスなイメージを受ける、そのアンバランスさを埋める為に、読者の頭の中の類型的人間関係を動員せねばならない面があると感じる、というところです。いや、なんか妙な物言いだとは自分でも思うけど。その中でもメカの描写レベルと遜色ないレベルで描かれてるのが主人公たちのプロ意識、熱さであり、それが「登場人物がやたらと熱い」となるわけです。
 個人的には、以前読んだパイロット版と比べて良くなってる、おそらく悪くなってる点というのはほとんどないので比較したいのだけど、でもそれって読者全般向けのレビューには結局ならないわけなのだよなぁ。うぐ。
 よく描写されてる点、というのはやはりてつま氏自身が思い入れがより強い部分なわけで、そこらへんのバランスの取り方が以後の課題の一つになるのだと思います。わざと突出してる部分を薄めるというのもありなのかもしれないけど、やはり「濃さ」は残して欲しいなぁ、などと思ったり。
 ところでヒロインの髪について触れちゃ、やっぱまずいっすかね?


2001年07月25日(水) 旧暦 [n年日記]

やっぱり殺る気か

 28時間ぶりに家に帰ったら熱くて死にそうでした。炊きたてだったご飯はとうぜん傷んでました。捨てました。しくしく。扇風機で送られてくるのはもはや生ぬるいと言うレベルではない温風。こんな日本に誰がした?
  野尻さんとこの掲示板 で「SFファンが『これはSFではない』ということについて論争」が繰り広げられてました。いや、いいんだけど。もとはと言えば にたいしての読者からの反応に瀬名氏が「しばらくSFから離れる」発言をしたことから。経緯に誤解があるといけないので、ちゃんと野尻ボードから関連リンクをたどってください。(自分で整理する気無し)
 現状における「これはSFではない」というSFファンによくある物言いについての問題点は、発言そのものより、SFジャンルのリサーチにおいてそういう物言いをするコアなSFファンに偏重するか、あるいは全くそういうのを無視した濃くない、別にSFに拘りがあるではない読者を想定するかという、中間層不在な読者層の状態に起因してるのだと思うけど。無論瀬名氏の提言は「これはSFではない」という発言を控えることでコアなSFファンの存在感を薄くし、そういう周囲環境的な敷居の高さを下げるということのみなわけではないが、コアなSFファンでない相手に平気で「これはSFではない」と言うのは単にデリカシーがないというか何も考えてないただのオタクというだけで論外ではあるのだけど、SFの問題点の多くをSFファンとそれ以外のディスコミュニケーションに大きな部分、求めてる気がする。無論全くないとは言わないが、書く側がそれにとらわれすぎるのはどうかと思う。所詮SFとはそういう単語に過ぎないのだ。単語に色々意味を持たせるのが人間だが、その意味の持たせ方は人それぞれで(だから「SFとは何だ」という永遠不毛な論争が続くのだ)、作者の言う「SF」と読者の見る「SF」は異なってるかもしれない。それを単なる言葉である「SF」という単語で縛ろうとするからそれぞれの持たせてる「意味」の違いから読者との齟齬が始まるのだ。読者として「SF」に拘る気持ちとは別に、作者としては「SF」だろうが「ホラー」だろうが、そんなものはただの言葉と割り切って利用し自分が書きたいものを広めてやる、くらいの図太さがあっていいのではないかと思う。
 あ、でもスライド30の「SFのセンス・オブ・ワンダーと「フレーム」」の話はむっちゃわかりやすいわ。
 ただ、提案された問題意識、解決方法に賛成するかはおいといて、こういう姿勢ってのは非常に好感が持てます。


2001年07月26日(木) 旧暦 [n年日記]

そりゃオタクじゃないんかと言われればオタクなんだけど…

 先日友人からのメールでも情報が流れてきてたのだが、最近ではすっかり定番になったHybrisに代わり猛威を振るってるのが SirCam というwarmらしい。こいつのやっかいなところはシステム破壊など、症状が凶悪な上に一度感染したら駆除が難しい事。何をやってるかというと、自身をRecycleフォルダにコピーしてそこから実行するということをやってるらしい。アンチウィルスソフトはRecycleフォルダは検索しないという事を突いているのだ。しかもOutlookを使ってる場合、addressのメールアドレスに自己複製して送付しまくるというのだから性質が悪い。半分はMS社の責任の気もするが。ともかく「実行ファイルが送られてきても実行するな」という基本が守られていればおそるるに足らなくはあるのだけど…
 29日に前の研究室の後輩N口君がバーベキューをするというのでM瀬君から「良ければどう?」と誘われてたのだけど、後からM瀬君伝にその後輩が「オタク度が上がるから来て欲しくない」と言ったのだそうな。話を聞いてみればその後輩の彼女と友達二人が来るという。ま、気持ちは分かるんだけどね〜、彼女とその友達の前でかっこわるい所を見せたくないというのは。そうでなくとも、居心地の悪い雰囲気を作らないように人選をするというのもわからないではない。しかし気持ちはわかるし、ちょうど29日には他の用事が入ってたのでどうせ参加は出来なかったのだけど、だからと言ってムカつかないかというと話は別。下手にごまかされて拒否されるよりはいいが、せめてそういう失礼な事を言うのなら人伝でなく本人の口から言われれば、こちらだってちっとはすっきりするのだ。あまり根に持つような事ではないが、だからと言ってきっぱり忘れられるほどこちらも人間は出来てない。まあ、オタクだというのは間違いではないのだけどね。
 まあこういうオタク呼ばわりはむかつきはするのだけど、事実だから「怒る」まで行くかというと別にそこまでは行かない。けど最近ウチの姉から届いたメールが…
「×××にはまった」
注:×××は某週刊少年誌で連載中で、アニメ化もされてるある漫画です。
「×××の原作コミック買った」
「×××のページ作っちゃった」
 ……わたしゃあんたにだけはオタク呼ばわりされたくありません。

開き直ってオタクな話題

 週刊少年チャンピオンで高橋葉介「KUROKO−黒子−」がひっそりと終了。しかしやや打ち切り気味の急ぎ足な展開にも関わらず、少年ジュヴナイルとしては非常に良く出来たラスト。ベテランという事もあるが、あやうい世界観を安定して作り出す事といい、高橋葉介は少年漫画のストーリーテラーとしては第一級と言って良いのではないだろうか。
 惜しむらくは高橋葉介のビジュアルの奥にある思考を読める読者は殆どいない(だから王道でありながら異端なのだ)ので、どうしても対象年齢が高めに、読者層も偏ってしまう。夏の間に新連載の予定があるらしいので続けて期待したい。
 少年チャンピオンというともう一つ、王道にして異端な漫画が載っていて以前「殆ど誰も誉めないが誉める!」と書いた「大介ゴール」の作者馬場民雄氏の「虹色ラーメン」。
 前作に引き続きみっともこっぱずかしくなるような題名だが、中身は極めて王道。絵柄といい作話法と言い、これだけ丁寧に、地に足をつけて(嘘がないわけではない)、なおかつそれでいながらケレンがあるという漫画を書ける人は極めて希少な人種だろう。
 高橋葉介は異端な視点、世界様式の上に王道の世界観を作り上げるのに対し、こちらは何から何まであまりに王道すぎるがゆえに逆に異端となってしまっている。言葉は悪いが、これだけ「王道」すぎる漫画は最近では流行らないだろう。でも面白い。すごいとしか言い様がない。
#個人的に「大介ゴール」は少なくとも中盤まではスポーツ少年漫画の中でも一二を争そう出来だと思っている。
 心配なのは「大介ゴール」でもそうだったが、あまりにしっかりと地に足をつけて主人公の成長を描いてしまうがために、物語の進行が進む前に主人公の成長が終ってしまい、連載が比較的短命になってしまう事。(実は長期連載されている少年漫画の主人公というのは殆どが 成長してない のだ) この点を克服できるか、どう克服するかを楽しみにしたい。


2001年07月28日() 旧暦 [n年日記]

鉄人の引き際

 友人から教えてもらった 鉄人騎手の引き際 。競馬には興味はないのだけど、紹介文だけでこれだけ強烈に「本物」を感じさせる人はそう多くはなかろう。と、いうわけで再放送をチェック。
  アギト、ママさんにも人気 だそうな。やっぱり。 ヒーローヴィジョン のインタビューによると、クウガと違って新人を多く登用したのは新人をこれだけ大々的に使うことができるのは特撮番組くらいということで新人への間口を広げたかったからだという。確かに特撮物を登竜門に役者として経歴を築いていった人は案外と多いし、最初はちょいとなんだった演技も、みるみる上手くなっている。
 そんなアギトの 映画版初代ライダーこと藤岡弘が出る そうな。しかも警視総監。史上最高に暑っ苦しい警視総監ではなかろうか?
 その アギト 関連の情報として、信憑性は自分で判断してもらうしかないが アギトの最終フォームはシャイニングフォームとバーニングフォーム というらしい。ドリキャスマガジンに載っているそうな。それよか「ギルス2」のお披露目はまだだろうか?
 特撮つながりで「 ウルトラマンコスモス 」を見る。うーん、確かに特撮は一昔前に比べるとすごくはなってるのだけど、肝心のドラマ部分がグダグダ…確かに昔のウルトラマンの匂いはするのだけど、人間の利益との間のジレンマってのがあまり見えないような? あまり難しくしすぎる必要はないとは思うけど。
 昨日から自転車に乗っているときに額から垂れる汗が眼に入ってうっとうしいので100円雑貨で安物のバンダナを買って来て使ってみる。なかなか便利。更に徹夜空けでまだ実験が続いて目をしゃっきりさせたい時に濡らして頭に巻くと便利。と、いうわけでほぼ一日つけてたのだけど…会う人毎に「海賊みたい」と言われる。そりゃオタク面にバンダナではもろにオタクだってのはわかってるんですけどね。まあそれは「タオルを頭に巻くよりはまし」と割り切ってはいるのだけど、それを見たボス「帽子?」と聞いてくる。まあボスくらいの年代ならそれもいたしかたあるまい。しかしその時に近くにいたA田さんのフォロー「違いますよ。スカーフですよ」…いや、スカーフって言い方もどうかと思いますが。ちなみにA田さんは私よりいくつか年上なだけです。
 実は昨日は京大の小谷野先生が特別講義に来ていたり。小谷野先生はウチのボスと懇意らしくってボスの家の夕食に招かれていたのだけど、オイラもついでにお呼ばれ。ボスの奥さんは料理が上手で幸せ。しかも食いきれないほど出てくる。今日は殆ど食いだめ状態。うい〜。


2001年07月29日() 旧暦 [n年日記]

好人好日

 選挙の日、ってわけで衆議院選挙に行く。しかしイメージ戦略ばっかであいかわらず具体的なものが見えん。やはり国会中継に実況解説は必要なのだ。取り敢えずこちらの手元の情報で判断しうる投票をしてくる。
  パワーパフガールズ はいつもPPGを呼ぶだけの役の市長さんが一念発起して街の平和を守る…はずが街を破壊しまくる話。この手の話の「お約束」を逆手に上手くとっている。それより市長を止めろよ、ミス・ベラム。強いのは先週でわかってるんだから。
 これで目が覚めて久々にガオレンジャーを見る。色々ツッコミまくるが、しかし昨日見たコスモス第二話と違い話の主眼がはっきり貫かれてるので面白い。変だけど。しかし強い敵役は残って欲しかった。
 そいでもって当然 アギト 。今まで失ってた記憶を取り戻した主人公津上翔一(仮名)。まるで最期の晩餐であるかのように腕によりをかけた夕食を美杉家の人々にふるまい、その席上で子供の頃の話を…しかし食い気に夢中で記憶が戻ってる事に気付かない一同。気付けよ。ギルスは相変わらずあちこちで疎まれ不幸のズンドコ。でもちょっとだけど暴れまくり。量産型カラス軍団も大暴れ。ともかく主人公の記憶が戻ったことでこれまで謎だったアギト・あかつき号事件・黒岩都知事もとい沢木哲也こと本当の津上翔一の関係は見えてきそう。でも記憶が戻ってもアンノウンやアギトの秘密は主人公も知らないのでした。まる。
 ちなみに バンダイのショー でアギトの新フォーム、 バーニングとシャイニングのおもちゃが展示 されていたらしい。ちなみに「俺のこの手がうなって以下略」とは叫びません。多分。
 九時からテレビ愛知(テレビ東京系)で初心者向け証券取引情報番組「 お金の達人 」が。別に株も何もやらないが実はたまに見ている。今日の特集はおもちゃ会社ってことで バンダイタカラ を特集。テレビ番組との提携による強力な商品ラインナップを誇るがイマイチ商売は上手くないバンダイと、既存の商品シリーズでは立ち行かなくなり新しい分野開拓を迫られたタカラ。ある意味好対照。まあそれはさておき、この番組によるとバンダイの去年の売り上げトップ3はガンダム、デジモン、仮面ライダーだったそうな。こりゃ「今更」と言われてもガンダムの新企画を立てるわけだ。
 そいでもって売り上げ二位の デジモンテイマーズ 。シナリオも絵も奇麗。どうしてメガログラウモンの回でこれが出せないかと思うが、ローテーションだから仕方がない(30分アニメの制作には3ヶ月くらいかかるので、スタッフが一チームだけでは平行作業でもテレビシリーズを維持する事は不可能)。まあレナモンが活躍しなかったし、こんなものか。
 夕方、両親が大阪での用事の帰りに名古屋に寄る。駅ビルと松坂屋でぶらぶらと買い物をした後、ちょっと変わったところに連れて行こうと思い 鮪小屋本店(ユニモール店) に案内。ちょっと話したい事とかもあったのだけど、カウンター席になってしまい接客係のおばさんが話が上手い人で、ちょっと落ち着いて話せる雰囲気でなく断念。まあ喜んでくれたみたいだからそれでよしとするか。こういうことくらいでしか偶の親孝行も出来ないしな。


2001年07月30日(月) 旧暦 [n年日記]

書こう書こうと思って忘れてた

 いや、nao.ac.jpってドメインでどこかで見たことあるなぁと思ったし、 ここ なんかも確かになんとなくレイアウトがどこかで見た気はしてたんですけどね。芝塚さんが関係してたんですか。なんか石を投げれば知人に当たる世の中な気がしてきた。うむむ。
 なんか編集部だか経営者が宗教関係でうんぬんで、それまでは地味に良作をたたき出してきたにもかかわらず最後は「永遠の都」くらいしか見るものがなくなってしまい休刊した「トムプラス」に掲載されていた(そして打ち切られた)みなもと太郎作「雲竜奔馬」、そしてその前身「風雲児たち」(長い前フリだ)。あの長期連載があっけなく、と残念に思っていたら、 実は復活してました 。これまた生命線が細そうな雑誌ではありますが、最後はボロボロだったトムプラスよりは安定感はありそうです。まだ今のところはこれまでの経緯を説明するためにかなりかいつまんだ承前部分。今度はもっておくれよ。でも「西遊妖猿伝」はどうなるよ?
 以前知人に「なんで試合ものとして間違ってるか、戦闘シーンがつまらんか」ということを延々と説明した(そして結局合意は得られなかった) エンジェリックレイヤー 。試合ものとしては致命的に間違っているが、その他の部分はまあまあなので録画ミスしても全然構わん、くらいのつもりで一応見ていたり。前述の知人に解説した時に「だからこの話は母と娘の関係性が中心軸として存在してるんだって」と説明した(そして理解は得られなかった)のだけど、ここ数回、もろにその展開を隠そうともしていない。原作は絵コンテ集の様相を呈してきているのだけど、ちゃんと受けるためには何を追加しなければいけないか、をちゃんと理解してるスタッフが偉い、ということなのだろう。しかし相変わらず戦闘シーンはよく動くという以外にはまったくつまらない。技術的、戦術的説得力は皆無と言っていいし、第一戦闘がストーリー上の感情の盛り上げに役に立ってない。しかしアテナが見せたアルゼンチン・バックブリーカー。スタッフは本当はキン肉バスターをやらせたかったのだろうなぁ、と思ったり。


2001年07月31日(火) 旧暦 [n年日記]

今日の実験

 今日もうだるような暑さだったが、クーラーのない家でず〜っと解析作業。そんなの研究室でやれという話もあるかもしれないが、今日はどこも解析するためのPCが空いてないので家でやるしかない。
 しかし本当に脳みそがボイルされてしまいそうな暑さ、ベランダで洗濯しながらだが、途中でそういう気分転換を入れても頭がウニウニしてくる。ベランダはベランダで日に焼けて熱いことこの上ない。災害用の梯子のカバーがベランダにあるのだが、その金属製のカバーも火傷しそうな熱さ。ホンマに目玉焼きでも焼けるんちゃうか、と思ったところでろくでもないことを考える。本当に目玉焼きは焼けるのか?
 流石にベランダのコンクリの上などで目玉焼きを作るのは衛生上問題があるので、ミニサイズのフライパンに油をひいてしばらくベランダに出して放って置く。限界まで熱くなったなと思ったらスーパーの特売で6個パック10円の鶏卵Mサイズを割って落とす。結果。やっぱり焼けませんでした。すごく端っこの方はたんぱく質が変成し始めてたんだけども、どう考えても全部に熱が行き渡る前に卵がへたれる方が先になるのでこの時点で実験は中断。結論。本当には目玉焼きは焼けませんでした。(当たり前だろという突っ込み禁止)
 うちには温度計は置いてないのでフライパンの温度は測ってないが(置いといたら温度見て投げ捨てたくなる)、黄身の凝固点は65〜70度、白身は70〜80度なのでおそらく表面温度は70度前後はあったはず。おそらく問題はほぼ70度ぎりぎりだったため、卵全体への変成を起こさせるだけの熱の伝導が起こらなかったこと。集光板や凸レンズなど、補助器具の力を借りねば目玉焼きを作るのは難しいだろう。しかしやり方によっては温泉卵は作れるかもしれない。いや、流石にもうわざわざやろうとは思わないけど。
 人間好奇心は重要である。たとえばかばかしいと思う事でもやってみねばわからんのだ。単に暑さで脳がやられて奇行に走ったのだろうという突っ込みは不可。
 ちなみに再来週の アギト は海水浴話らしいです。マジか? と、近所の八百屋で買ってきたきゅうりをかじりつつ。