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2013年02月16日() 旧暦 [n年日記]

[アニメ] プリズム ディアマイフューチャー#45

  プリティーリズム ディアマイフューチャー #45「星空のプレリュード」。みあが情熱のシンフォニアドレスを覚醒させ、予選選抜を無事勝ち抜くが、一方ではせれのんwith Kと対戦するPURETTYは雰囲気が違う。特に、ヘインが自分だけがシンフォニアドレスを覚醒させてないことから自身を喪失。不安を打ち消そうと無茶な練習に打ち込もうとする。しかし、自分を見失った彼女を見かねたソミンは今のヘインにシンフォニアに挑戦する資格はないと叱りつける。

 このへんは大分消化試合な感じも。ゲームでのスペシャルレアのシンフォニアドレスをそれぞれみあとヘインが覚醒させる展開なのだけど、わりとお約束王道展開な感じも。特にやたらと前向きなみあが自分の原点を再発見し情熱のシンフォニアドレスを発動させるのに対し、ヘインはそういったバックグラウンドが見えにくいものなぁ。
 それより、実質的な主の展開は社長サイドか? 純の出生に何か思い当たることがあるようだし、芸能界最後の仕事としてグレイトフル・シンフォニアを実現しかつての父の夢を取り戻させようとしてるのだけど、そのへんがちょっと展開が読めない。
 上手いことまとまるのかどうか。
 それと、かなめとヘインの対決、どっちが勝っても中の人同じじゃん、というのが……自分たちがどっちにしても捨石になる決断をしたせれのんが何気に男前。


2011年02月16日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] 床屋政談の続きの続き

 民主の小沢氏党員資格停止決議提案の件ですが、提案が受理されて決定したことを朝日が一面の半分近く使って嬉しそうに報じてましたw やっぱり朝日、さすが期待を裏切らないw
 陸山会の不正献金疑惑を一番最初に報じたのは朝日新聞ではあるんですが、実は報じたのは「社会欄」つまり社会部であって、政治部はガン無視だったんですよね。ちなみに民主党が政権を奪取する前のことです。今回は一面だから花形の政治部主導でしょう。
 当時と何が違うのか、不自然な菅政権擁護と併せて考えるとあらぬ妄想をしがちですが、まあ証拠のある話でなし。実際はどうなんでしょうね?
 ところで各報道機関、特に朝日新聞あたりは自民どころか共産、公明までも子ども手当を始めとする民主の諸政策に反対してるのは、どういうことか、どう考えてるんでしょう。ただの政争としか考えないのでしょうかね? 政策論争から焦点をずらしては政局政争のレベルにおとしてしまい世間にアピールするのは、むしろ民主党のお家芸だったはずですが。いや、「だった」ではないかもね。

[アニメ] 兄好#6とドラクラ#6

  お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!! #6「兄は黒パンストの夢を見る」。ミスターXこと近藤繭佳に脅され、ペット契約を結んでしまった修輔。繭佳の言うがままに夜中に呼び出されてはBL本を買いに行かされる毎日。が、繭佳のパンチラや「ご褒美」に釣られて、修輔も下心的な意味で悪い気がしない。しかし気が気でないのは奈緒と彩葉のストーカーコンビ。修輔を繭佳から引き離そうと、繭佳同様の黒パンストを穿いて修輔のベッドに潜り込むなど、ついに直接介入に踏み切る。

 三人のヒロインの中では一番まともに見える繭佳。まあ、BL趣味も、趣味は人それぞれだと思えば……と修輔も考えてるみたいだけど、ところどころで行動が不審。っつーか修輔を完全に犬扱いしてない? 「私の好きはあなたたちの好きとはちょっと違う」ってやっぱそういうこと? それでも黒パンストでエッチなお仕置きでもされればまだ修輔の性癖(奈緒言うところの「健全な性癖」)に一致しているのだけど、BLに興味はあるか、を飛び越えて、「男の人同士でするのってどう思う?」「嫌いじゃないと思ってる男の子に告白されたら?」「高梨君は受け? 攻め?」とやけに具体的すぎる質問が……おまけにかなりハードすぎるBL本を渡して「読んで考えておいて!」と、リアルでそっち方面に開発する気満々。修輔、流され体質だからやばいぞ……
 そして、問題はそのBL本の内容。スタッフロール見ると原画に「BL作画」なんてのもあるし。担当の「佐光幸恵」って方は、筋金入りの「腐」アニメーターらしいですな。そして声も置鮎、岸尾、子安と、もうその道のベテランばっか。間違ったところに力入れすぎだろう。間違ってないけど。そして繭佳を敵視しながらもそのBL本の続きも気になる奈緒と彩葉。ホモの嫌いな女子なんていないんです?
 繭佳のさりげない異常さに振り回されがちだけど、黒パンストフェチ属性が付いてどんどん異常性癖がたかまっていく修輔も……寝ぼけてるとは言え、妹の黒パンスト足をなめ回すとは……これ以上モンスターが大きくなる前に誰かDr.テンマを呼んで!
 お互い自覚がないでお互いを最強のストーカー呼ばわりする奈緒と彩葉といい、今回もアホがハイテンション過ぎですw


  ドラゴンクライシス! #6「狼の襲撃」。新エピソードに入って新ヒロインも投入。1エピソード1ヒロイン?
 今回はロストプレシャス専門の怪盗だけども、獣耳としっぽを「変装のため」って……んなわけないじゃん。この世界の連中はアホ揃いですか?
 それはともかく、あからさまに騙されてる感じの狼娘が今回のヒロイン。英里子の持つロストプレシャスを狙っているのがわかっているので、罠を張って待っていてあっさりつかまえられるのだけど、会報にも載ってなかったそれをまっすぐに狙ってきたのだから、それを知ってる人間、と考えれば、すぐに黒幕わかりそうなものなんだけどね……
 しかし純情で(少し頭が弱くて)一本気、ってのは好みなんだけど、あからさまにワリを食うヒロインの立ち位置だよなぁ。


2010年02月16日(火) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 花咲ける青少年#39(最終回)とキルミン#19

  花咲ける青少年 #39「約束の空」。日本の由依の元に花鹿からの手紙が届く。それは、側近であるツァオの暴走によって囚われの身になったリーレンを救いに行く顛末が記されていた……

 美少年ハーレムもの(もっとも最初の原作者の構想では花鹿は男の子だったそうだけど)と思ったら政変になり、そこから更に幾多の危機を乗り越えお互いの気持ちを花鹿と確かめ合いファン一族から離れようとしたリーレンが、彼を総帥にとどめようとするツァオにより花鹿の命をネタにゆすられ、花鹿との離別を強要されるという展開に……どう考えても最初そんな展開まったく考えてなかったのに、なんだかんだで全部のキャラに見せ場と存在感があってしかも大団円、ってのは、正直かなりびっくりしたし感心した。
 途中、監督が今千明女史から亀垣一氏に交代になっても、原作がしっかりしてるせいか、大きなブレは感じられなかった。NHK-BSであってもこういうのを夕方とかに昨今はやれないんだなぁ、と残念に思いつつも、エンタテイメントとしての見事さには思わず拍手してしまいますわ。


  キルミンずぅ #19「輝け!匂いは虹色に!?」。リコはケンからの電話で、クラスメイトのアカネの弟トシキが家出してしまったと知らされ、その捜索にキルミンズが出動することに。しかし折からの大雨で頼みの綱のナギサの鼻が利かず、追跡は暗礁に乗り上げてしまう。

 先週のリコのパワーアップに続いてナギサのパワーアップ回。雨で鼻が利きにくい上、駐車場の雑多な人の匂いに紛れてトシキの匂いが特定できなくなってしまうが、「匂いに色を感じる」ことを意識したことからキルミン第二段階に進化、より匂いに鋭敏なシェパードに変身できるようになる。
 でも、それより地下水道に迷い込んでしまったトシキを助けるためにケンが何気に活躍してるのが。バカ丸出しと言えばそうなんだけど。何気にどのキャラにも見せ場があるのがいいなぁ。
 次回はリムがメインの回で、恐らく順番から言ってもリムのパワーアップ回なんだけど、ウサギにそんなにバリエーションがあると思えないんだけど……


2007年02月16日(金) 旧暦 [n年日記]

[その他] 裕福な支配者層?

 ワタクシのアンテナ(抽象的な意味ではなく、ネットのアンテナシステム)には若干左の人の日記も含まれているわけです。
 「俺は右も左も差別しない! どちらも等しく、価値がない!」(ハートマン軍曹口調で)
 ま、それはともかく、 こちらの日記 の2/10分をざらっと見て、文脈はともかく(突っ込んでたらきりがない)、引っかかったのは「 おいしい思いをして大儲けするのは、いつの時代も裕福な支配層の連中だ。そしてボロ雑巾のように扱われて使い捨てされるのは、いつの時代でも最前線の弱い立場の人間たちだ」。なんなんだ、この時代錯誤な二元論は。いやさ、いつの時代でも権益を振りかざし、あるいは確保しようと、持たざる者をないがしろにする連中はいますよ? でもそれはこんな単純な二元論で表されるものじゃない。ある具体的な事例について、そうとしか評し得ない場合もある。けど、国単位ともなるとそれだけで済むわけではない。
 出だしは素朴な正義感ってえのはわかるのだけど、現実を見てそれをどう通すかを考えたとき、その正義感を正当性の頼りにしてはいけない。正義感は否定しない。だがそれはあくまで動機であって、世界全体のルールではない。自分の正義感の方が正しいと思うことは、自分のルールが世界のルールだと勘違いしていることだ。
 勘違いし続けると、いつの間にか道を踏み外すことになる。


  「事実と異なる報道の自由ない」菅総務相、法改正へ意欲朝日 )。よく言った! とりあえず記事中の発言内容も「基本は自主的なもので」と言ってるし。つか、事実と異なることを報道してはいけないし、間違いでそうしてしまった場合、きちんと謝罪し、訂正するのが当たり前。それを、すべてのマスコミではないが、一部で「不適切な内容」とか、「結果として事実と異なる」とか、妙な言い回しで謝罪をするのがそもそもおかしい。先のTBSのサンデージャポンにおける柳沢厚労相の答弁捏造もそう。「なってしまった」ではなく、「そうした」んだろうが。自分たちはそうするつもりじゃなかったとでも言いたげな、卑怯な振る舞いが鼻につく。意図がどうあれ、結果がそうなったことが悪いかどうかだけ。それをどう思ってるんだ? マスコミ各位。


  英会話のNOVAに立ち入り検査 解約トラブルで経産省朝日 )。通勤電車内にある、NOVA等「駅前留学」の広告を見て、「駅前のテナント料が高そうなところにばっか支店を出すって、どんな商売してるんだろう」と思ってたのだけど、まあ、そうなりますか。この手の英会話教室の外国人講師の事件もたまに見られるのは、質の問題もあるんじゃないかと思ってしまうのは偏見か。それは偏見としても、NOVAの場合、某カルト宗教団体の資金源になってるという噂もあったりなかったりで、やはり胡散臭さはあるのだよなぁ。


  長野県知事:「HIV感染者は特別な仕事に多い」と発言毎日 )。「特別な仕事」って、売春とかのこと? 日本国内ではどうなのかよく知らないけど(海外ではえらいことになってるらしい)、日本国内では低年齢層の無知による蔓延が本当に洒落になってないとか。こんなんどうにもなりませんわ。

[アニメ] 地獄少女二籠#17とゴーストハントちょっとだけ

  地獄少女二籠 #17「沈黙のまなざし」。一目連が見守る母娘。娘はシングルマザーの母を憎み、地獄通信に地獄流しを依頼する。だが、母親はかつて家族に暴力を振るう夫を地獄流しし、その際に一目連も彼女を見知っていた。

 一目連の過去編。一目連、元人間じゃないとは思ってたけど、やはり九十九神だったか。それも刀。良く見りゃ、OPでそれは示唆していたか。持ち手を転々とし何人もの人間の命を奪いつつ、ただそれを見ているだけしかできなかった一目連。あいと出合うことで初めて漸く仲間を得る。しかし、やはり役目はただ見てるだけ。基本的に、地獄少女の役目が依頼を受け、契約の意思を確認した上で地獄送りするだけなので、彼女ら・彼らの意思は介在する余地がない。しかし、母の真意を知らず地獄送りにしようとする娘を見て過ごせず……
 どっちにしろ救いの少ない仕事だけど、最後のつぶやきが、(人間じゃないけど)人間味をにじませてる。


 ゴーストハント#18「File 7 血塗られた迷宮#1」。ここでウィンチェスターハウスの名前を聞くとは思いませんでしたわ……


2006年02月16日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] 夢の中で

 こんな夢を見た。と黒澤明の「夢」のモノローグを真似しても大した夢を見たわけじゃなく、夢の中で眠くて眠くて寝てしまうという夢を見ただけなんだけど。夢の中での睡眠では夢を見なかった。夢の中で目が覚めると、いつの間にか椅子を並べてその上に横になってて、「いいから帰れ」とか言われてしまった。寝てるのに眠いってのも変な感覚だったが、そんなに昼の眠気が印象が強かったんだろうか?

  「中国、最大の潜在敵」 日米同盟、離反図る 米下院委指摘産経 社説)。まあ、米国にもいろんな勢力がある、ってだけの話と言える。じゃ、どんな勢力があってこの発言とはどうつながる? となるとわかりません。ごめんなさい。

 日記のアクセスログに残ってた検索ワードをたどってたら、 ラピュタ阿佐ヶ谷 メイルトレイン というメルマガを見つける。で、そこの 2000/03/09号 [vol.3] に岡本喜八監督インタビューがあった。( 2000/02/24号 [vol.1] から始まっている連続企画です)
 その中に「監督の自作品ベスト5は?」という質問で以下のような返事が。
それは好きか嫌いかで……。順不同で言うと、意外とね、「血と砂」は入る ね。それに「肉弾」、「江分利」、「愚連隊西へ」。
 あと一本はなかなか定まらないようで、それは記事をどうぞ。「江分利」は見たことないので判断できないけど、やはり「血と砂」と「愚連隊西へ」は入るのだなぁ。「肉弾」は人によって変わりそうだけど、「好きか嫌いで……」ということなので、わかる気もする。

  小泉首相訪問が日本人救出したパイロットの友情裂くことに! 本紙が仲裁し誤解解消へ(Milliyet紙)News from the Middle East )。このニュースサイト、東京外語大にあるんですよね。ちとびっくりした。
 それはそうと、小泉首相がトルコ訪問の際にイランイラク戦争時の邦人救出に謝辞を述べたのがパイロットの方だけだったことから、救出に関わられた他のスタッフとの仲がこじれたらしい。小泉首相が見たドキュメンタリーって、やっぱ「プロジェクトX」だったのかな? パイロットの方のショートインタビューは、「世界不思議発見」のエルトゥールル号の回でも放映されましたが。こういうので切り落とされてる事実って、関係者を傷つけることがあるのだなぁ。自戒も込めて。

[アニメ] ガンパレードオーケストラ#17

  ガンパレードオーケストラ #17。「緑の章」終了。う〜ん、ちとこの締め方は……自分が求めてるものと違ったってだけなのだろうけど、「その展開はないだろう」と思わず。自分ならこういう展開にするのに、と考えたものとのギャップを考えると、やはりスタッフの求めたものと私の求めたものが違っただけなのだろう、としか言えない。詰まるところ、感傷の差し挟む余地のない戦争の戦況と感傷との間で、他の大事なものを見捨てて感傷に殉じるのではなく、他の大事なもののために感傷と別れを告げるところが見たかったのだ。それはスタッフの求めるところではなかったのだろう。しかし、スタッフの求めたものって? と考えていくと……詰まるところ、究極的には何を描きたかったんだ?


2005年02月16日(水) 旧暦 [n年日記]

[読書] クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識/西尾維新

 前作から二週間後、「いーちゃん」の前にクラスメイトの葵井巫女子が現れる。「いーちゃん」には巫女子とほとんど面識もないし、印象も残っていないのだが、やはりクラスメイトである江本智恵の誕生会に半ば以上無理矢理誘われる。
 それとほぼ同時期、京都を騒がす連続殺人鬼に襲われる。しかし、自身の合わせ鏡を見るようなその殺人鬼・零崎人識と「いーちゃん」は何故か意気投合してしまう。
 そして巫女子と約束した誕生会の日が訪れる。人付き合いが苦手な「いーちゃん」が無難に誕生会を乗り切った翌日、二人の刑事がやってくる。なんと江本智恵が夕べ、何者かに絞殺されたというのだ……

 う〜ん、前作よりは洗練されてるし、ただのひねくれ小僧にすぎなかった主人公もキャラが立ってきている。が、あくまで個人的感情でいうならば「気に入らない」のだよなぁ。別に気持ち悪いとかそういうことではない。面白くないわけではないのだが、単に「不愉快」で「気に入らない」。
 「何故気に入らないのか」ってのはひとまず置いといて、まずはそれ以外の部分について語ってみる。今度は「絶海の孤島」という明らかに異常なシチュエーションではなく、「鹿鳴館大学」(多分、元ネタは立命館大学なんだろうな。あそこも半地下食堂があった気がするし)にもどった「いーちゃん」を中心に、彼の周囲で起こる出来事になる。実はまさしく「彼が中心人物」だったことが最後でわかるのだけど、それも置いといて、「いーちゃん」に一目ぼれして果敢にアタックし続ける「痛い娘」葵井巫女子(やっぱ変な名前)とその友人たちのコミュニティに主人公は無理矢理に関わらさせられることになる。一方で、殺人鬼「零崎人識」とも出会う。普通に考えれば葵井巫女子たちの環境の方が日常、「ケ」で、零崎との関わりの方が「ハレ」、非日常のはずだが、主人公は「ケ」の方には決してなじめない。むしろうとましく思っている節がある。このことは前作でもそれっぽいことが散々書かれていたが、今回の場合、「中途半端な傍観者」というどちらかというと否定的立場ではなく、その異端者的な「非社交性」がむしろ特殊能力的に、どちらかといえば肯定的な立場にされている。
 人によってはかなりの不快感を示すらしいが、多分葵井たちに感情移入した人は不快感を感じ、主人公や零崎たち、社会性欠如の登場人物に感情移入した人はそうでもないのだろう。
 私はと言えば、どちらにも感情移入しなかった。日常側の人物の幾ばくは好ましく思ったが感情移入できるほど人物描写が深いところをついておらず、また、昔だったら主人公側に感情移入する部分もあったのかもしれないが、社会性が欠如しててもそれを自己正当化したいという欲求は今はさほど強くない。だから、事件の「原因」の行動は酷いとは思うが強い嫌悪を感じるほどではなく、犠牲者も可哀想と思わないわけではないが、理不尽と思うほどではない。ただ、事件の巻き起こし方は面白いと思った。叙述トリックの使い方については「ちょっといい加減にしろ」と言いたい部分はあるのだけど。
 じゃ、なんで「不愉快」と断言してるのか。それは、あからさまにこの世界自体がひとつの価値観で推し量るようにしかできてないからだ。だから「哀川潤」だとか「零崎人識」のように、スペック的にはすごい人物が出ても、非常に閉じた印象しか得られない。「セカイ系」ではないけど、「セカイ系的」だ。別に主人公の価値観がゆがんでいるからと言って他の価値観に「打ち負かされ」「屈服する」必要はないが、同様に主人公の価値観に「打ち負かされず」「屈服しない」他の価値観も存在するはずで、それが必要しないように見せかけた世界、というのが一番気に食わない *1 。否定はしないが、気には食わない。
 余談だけど、念仏の鉄は相手の指の骨をべきべきに折ったことはなかったはずだが……首の骨はしょっちゅう砕いてるし、仕置人第四話「人間のクズやお払い」ではヤクザの右腕を再起不能になるまで破壊しているけど。
*1: 多分、現実に「必要であれば人を殺せる人物の目」というのを見てしまったので、余計そう思うのかもしれない。

[映画][アニメ][特撮] まらそん侍

 録画しておいた「まらそん侍」('56)を見てみたり。うわ、勝新ってこの頃二枚目俳優だったんだ。このくらいの時代の時代劇はポップ狙いでもきちんと重みもあったんだけどねえ。二人の若侍の恋を賭けた遠足(マラソン)勝負に藩の存亡がかかった金煙管泥棒追跡も絡んで、結構面白い。

  舞-HiME #19。先週より一層、登場人物がどんどんテンパってく。舞衣はもちろん、天真爛漫な命も行動が裏目に出て舞衣と仲たがい、志穂もいい具合に腹黒くなってってるようで。盛り上げるのはいいんだけど、キャラクターをどんどん追い詰めるスタッフの思惑はちゃんとあるんだろうか? この辺は以後を見ないとなんとも言えないので保留。

  ファンタジックチルドレン #19。ベフォールの子供たちの一人・ヒースマは惑星ギリシアに戻った時のためにゲルタの実験データを奪うべく、研究施設を訪れるがそこでデュマに会い、ギリシアに戻っても二ヶ月の命であることを告げられる。一方ヘルガは前世のこと、セスのこと、ソランのこと、全てを思い出す。惑星ギリシアに戻るか否か……べフォールの子供たちに答えを迫られるヘルガは、地球での再会を誓ったソランとの約束を胸に、地球に残ることを決意する。だが、惑星ギリシアの出来事を聞いたトーマにも異変が……そんな彼らの前にデュマが現れ、兵器として再生させるためにヘルガをさらっていく。
 話はどんどん佳境へ。トーマとヘルガの前世・ティナの関係、ヒースマの行動により不協和音が鳴り出したべフォールの子供たち、その彼らとゲルタの関係、そしてデュマの正体……ティナの異父兄弟とのことだけど、なんか引っかかるんだよなぁ。

  怪奇大家族 最終怪。忌野家を襲い続けた怪異の原因である「復活する邪悪なもの」とは、現代に帰還すべく江戸時代から岩に封印されていた清四本人だった! MIBな二人や霊能力者・十中九十郎が復活するのが邪悪なものと信じてその復活を阻止しようとするが、ついでのように清四のことを思い出し、その事実を知った忌野一家は清四を守るため立ち上がる!
 いや、なんつーか、すげー展開(笑)。最初から最終回のプロットはできてたんだろうか? 確かに一応伏線らしいものは張られていたのだけど。いや、それよりなにより、なんじゃこの最終回はー! って感じ。いや、決して悪い意味ではなく。チープ極まりない霊能力対決に、意味不明なメカギミック演出(って、全然銃の形が違うし)、おまけにコンセントから電源を取ってブレーカー上がるし。極めつけは最後のオチ……なんとも形容しがたい。忌野家的にはハッピーエンドっぽいから、これでいいのか? 家族の平和のためには、世界も破滅させる。いやはや、もうなにがなんだか。DVD購入、検討しておこう。


2004年02月16日(月) 旧暦 [n年日記]

これはちと困る

  海外生産の邦楽CD、国内販売禁止へ朝日 )。基本的に邦楽は買わないし、知ったことではないのだけど、まず、これが非常にいろいろうさんくさいものであるというあたりで気持ちが悪い( 毎日新聞の解説記事 )。それよりなにより怖いのは、これが国内販売される洋楽CDにまで範囲が拡大されたら、ということ。私の買っているようなCDはマイナーで、国内版の販売が予定されても後回しにされたり、出てもすぐ廃盤になって後から入手しにくいものが多い。そういうとき、海外からの直輸入は非常に重宝する。だけど、もしこれが範囲に含まれるようになったら? これは公取委からも指摘されている。拡大しすぎた市場が収縮しているだけかもしれないし、市場に合わせた商品を出せなくなっているだけかもしれないし、デフレで安価な商品が増えてきたのにその流れを無視して購買者にそっぽを向かれているだけかもしれないのに、そういった可能性は無視して「ネットの不正アップロードが悪い」「海外からの逆輸入が悪い」と、まるでスケープゴート探しにやっきになっているように見える。アーティストを守るため、なんて建前を言ってはいるけど、 ここの解説 を見ると逆に市場をダメにしてしまう可能性だって高く、もっと慎重に検討されるべきなのに、まるで被害妄想にとらわれた業界に駆り立てられるかのように話が進んでいってしまう。なんだかローレンス・ブロックの短編「バットマンを救え!」を連想してしまう。私立探偵の主人公は、割のいい仕事があるからと同業者に誘われる。その仕事というのは、町で売られている「バットマン」の無許可のキャラクター商品を売るのをやめさせて、回収するというもの。売っているのは主にヒスパニック系の移民で、著作権とかはまったく知らない。それを説明したり、ときには脅してやめさせて商品を回収するのだ。弱いものいじめをしている気分になっていく主人公はあることに気付く。回収したキャラクター商品の総額より、権利元がそれをやめさせるために私立探偵をやとう費用の方が明らかに上回っているのだ。法律的には正しいのかもしれないが、なにも生み出さず、移民たちの生活の術をうばうだけの不毛な行為に、主人公は嫌気がさしてその仕事をやめてしまう。なんだか同じような臭いを感じる。
 それとは全然関係ないけど、SBRのポコロコの声、勝手に山寺宏一の声に置換されるのは私だけ?


2003年02月16日() 旧暦 [n年日記]

ルッコラ

 近所のスーパーの日曜朝市に行くと、どこのスーパーにも置いてなかったルッコラが……包装には「イタリア料理には欠かせません」と。普段は置いてないくせに。(買ってきたけど)
  ファイズ の予約録画中に目が覚め、結花のイジメのシーンにデジャヴを感じる。って大映ドラマかよ!? ただ、実際のいじめというのはもっと陰湿な部分もある。テレビではやりすぎると放映できないしねえ。で、「人助けをしたくてたまらない」啓太郎が人助けにはあまり興味のない巧と真理から変身ベルトを奪って逃走。その途中、ベルトを狙う二人組みのオルフェノクに襲われ、変身しようとするが啓太郎は変身できない。「誰でも変身できるわけじゃない」とオルフェノクの一人がベルトを装着すると、啓太郎と彼を追ってきた巧と真理の前でファイズに変身する。変身のための条件とはなんなのか、オルフェノクを支援するスマートブレインがどうしてこのベルトを作り、真理に送ったか、とか謎振りが結構あったけど、ちとドラマ部分はお粗末なところはあるか。初登場のオートバジンロボ形態。まさか走行しながら変形するとは思わなかった……無茶だ。
  ギャラクシーエンジェル は、世界観にそぐわずギャグのかけらもない完璧人間の登場に自分達のアイデンティティの危機と、落しどころを暴きたてようとする話。オチがないオチがないとさんざ言われてるのを逆手に取ったのか。ただ、後半は一体どんなオチかと思ったら、「オチがないというのが売りの前半よりさらにオチがないというオチ」だったのかと気付く。え? 違うって?
  EXCELさんの日記 (02/15)で「オーストラリア留学中に“Bless you.”と言ったら「なに言ってるんだ、お前?」と返されたとか。オーストラリアにはそういう習慣ないんか? と調べたら、 あるみたい 。ドイツ語で“Gesundheit.”でもいいようだ。 このサイト 自体が面白いんで、他のも目を通してもいいかも。
  GULF WARS Episode II 。まー、なんと言いますか。サブタイトルが「THE ATTACK OF CLONES」(クローンの攻撃)でなく「CLONE OF THE ATTACK」(攻撃の複製)になってるのがご愛嬌。
 米国紙が日本海/東海の併記を行うことを決定したとの報道が韓国マスコミによりあったけども、 外務省によれば、そんな事実はないらしい 。外務省への不審がぬぐいきれてるわけではないですが、これに関してはきちんと仕事してくださってるようです。
  /.JP 経由で 時代と共に移り変わる夢の色彩 。何かでこの論文の日本語紹介記事読んだんだけどなあ。って、日本語版Natureのダイジェストだっけ。要約すると、カラー映画が出来る前は夢はモノクロだったという研究結果。夢を見てる瞬間は色彩とかについては曖昧で、起きて思い出してるときに先入観で勝手に色をつけてしまうという考えは面白い。映画が出来るさらに前は夢は絵画だったというが、そうだとするとそもそも夢は映像的に見ているものですらないかもしれないというのも面白い。夢というのはどういう形で記述されてるのだろうか?


2002年02月16日() 旧暦 [n年日記]

その名も人呼んで…いや、誰も呼ばないが

 映画の日でもないのに連ちゃんで映画。昨日は「戦国野郎」、今日は「暗黒街の対決」と「 助太刀屋助六 」……そう、岡本喜八特集だったりする。
 戦国野郎。時は戦国時代、甲斐の武田信玄からの忍びに命を狙われる青年忍者・越知吉太。彼は妙に意気投合して一緒に抜けてしまった元追っ手と共に、正体不明の田舎侍(実は木下藤吉郎)の口添えで、身分を偽り馬借(馬による運送業者)の有吉党に身をよせる。藤吉郎が二人を馬借に送り込んでのは実は思惑があり、最新式の種子島三百丁を主君・信長のもとに送る役を、有吉党に頼もうとしていた。最初は政治に関わることをよしとしなかった頭首も藤吉郎の押しの強さにしぶしぶ承知。しかし当然無事に済むわけはなく、甲斐の忍びにくわえて、藤吉郎にいいようにあしらわれた村上水軍までまざって、三百丁の鉄砲をめぐる争奪戦がはじまる。
 古い映画だからか、あちこちフィルムがとびとびになっていたが、漫画的ともいえる岡本喜八独特の演出は当時から健在。これもまた独特の気を引く展開と演出で、最後まで観客をひっぱる。おおらかな作風と、権力者にいいように翻弄される民衆の側からの視点の中の怒りと風刺が、微妙にミスマッチしている。1.5点。
 暗黒街の対決。新旧ふたつのヤクザ組織が対立するとある街。その街に、汚職により左遷された刑事がやってくる。はたしてその目的は…?
 大藪春彦原作らしいのだが、ここでも岡本調のコミック的演出は健在。目にもとまらぬ速さの往復びんたとか(原作版ゲゲゲの鬼太郎のアレのようなヤツ)、警棒でぶん殴られて気絶して、拘置所で目覚めた時にまったくおなじかっこうで寝てるだとか(口じゃおかしさが伝わらないか)、殺し屋トリオがなぜかクラブで歌わされたりだとか、妙なのだが何故かおかしい。しかし、筋自体は救いのないラストへ向かう。権力に翻弄される力なき人々の怒りと悲しみは、岡本作品の共通テーマである。1点。
 本日の本命、助太刀屋助六。ひょんなことで加わった仇討ちの助太刀がなぜか病みつきになり、ついには助太刀を稼業にしてしまったやくざものの助六、その助六がなんの気なしに七年ぶりに故郷に帰ったところから話ははじまる。唯一の係累である母親の墓に参るが、どうしたわけか、菊の花が一輪添えてあった。親類縁者はほかにいないし、父親はどこの誰かも顔が知れない。不思議に思いながらも町に入ると、小さいながらも宿場町のはずがなぜか人っ子ひとりいない。家の中に引きこもった住人に話を聞いても埒があかない。とほうに暮れたところで通りかかった番太(番所役人)がおさななじみでワルともだちの太郎、再会をよろこぶも、この町のようすのわけを聞いてみると、敵討ちが始まるところだという。三度のめしより仇討ちが好きな助六、これを聞いて、いざ、加勢、と意気込むが、この仇討ちは実は元同僚に斬られた関八州廻り同心二人の敵討ち。当然奉行所の肝いりであり、鉄砲やら加勢の浪人やら準備は万端、さらに関八州取締役の榊原織部も検分と称した見物に来る段取りが決まっており、万に一つの打ち損じもないという。なんだ、つまらねえ、と肩を落とす助六だが、その仇が昔馴染みの棺桶屋にいると聞き、野次馬根性丸出しでその顔を見に行く。その当の仇の元関八州役人・片倉はどう見てもひとかどの人物で仇を持っているような後暗い人物には見えない。逃げるのにも飽きた、と潔くいう片倉だが、助六が母親の墓の話題を口にすると、とたんに顔色を変えた。助六にはどうも片岡が悪人に思えず、助太刀をしようかと申し出るが、片岡はそんな助六を殴りつけ気絶させて桶屋を後にする。自分のためにしつらえさせた棺桶の中に、助六の母の墓に添えてあったのと同じ、菊の花を一輪、残して……
 コミカルでシニカル、ウィットでウェット、テンポの良い岡本節は健在。喜寿をこえてなおエンターテイメントにこだわる姿は、さながら日本のジョン・カーペンターというべきか…っていいのか? コントを見てるかのような役者のオーバーアクションの演技もなのだが、岸田今日子のナレーションがまた笑える。おかしいのはコメディであるからあたりまえなのだけども、上映中にこれだけ笑い声がはっきりと、劇場内に響いた映画も久しぶりだ。ただ、クライマックスあたりの爽快感はいまひとつ、なところはある。敵役の憎々しさ、悪たらしさが、足りないようには思えるのだ。これは、岡本監督が前作「EAST MEETS WEST」撮影中に怪我をし、言葉が自由にならないことが無関係ではないとおもう。それにも関わらず一級の娯楽作に仕上がってるのには、「岡本組」ともいえる出演者たちやスタッフ、そして岡本夫人らの存在は欠かせないのだろう。私情だけども、岡本監督が私財を投げ打ってまで作った映画だけに成功してほしいと切におもう。ジャズピアニストの山下洋介氏によるBGMも粋だ。2点。

踏んだり踏んだり

 昨日は踏んだり蹴ったりで、というより踏んだり踏んだりで、半徹明けに駅前に映画に見にいくと、なぜか安全ピンを踏みつけて自転車がパンク。泣く泣く自転車を引きずりながら自転車屋を捜し求めるが、なかなか見つからず、やっと見つかった店では二時間かかるといわれる。そんなに待ってられるけえ! ってんで「あ、お忙しいところすいません」とニコニコ顔で退去しながら(内心と態度とが一致しない男だな、オイ)、ふたたび歩くこと5kmばかり(言い忘れてたが、すでにその時点で4kmくらい歩いている)やっと次の自転車屋を見つけ、ここではパンク修理をしてもらえる。しかし、工賃の市価の1200円前後より少し高めの1500円だったのでここでまた少しマイナスのフラグが……まあしかたないのだけど。ここからようやく自転車に乗って帰宅。しかし理学部のほうへ学位関係の手続きの用事があったので、息をつくひまもなく理学部へ。で、行ってみると、アクセプトされたけどまだ雑誌に掲載されてない論文を副論文にするには、なんらかの証明書類が添付されてなくてはいけないという。学位申請規定に何も書いてなかったじゃんか〜。ってえか、そゆこた電話かメールで言ってくださいよう。内心無茶苦茶いらつきながらも、ぺこぺことあやまりながら退散(だから内心と態度が違いすぎるってばよ)。で、家に帰って録画しておいたビデオを消化してからようやく寝る。ちなみに、内心怒っていても態度に出さないのは腹黒いとかではなく、私のくせで、一時的な腹立ちで八つ当たりすると後で後悔するだとか、寝不足でまともな判断ができない時にはむしろ判断停止したほうがいい時があるとか、そういう経験則的なことからついそうしてしまうのであるので、半ば以上自分でも意識せずにそうしてしまう。どうしようもないヤツですなぁ。

スイッチ

 そんな私が、最近またひそかにムカムカ来てることがあって、なにかというと 日本テレコムBBS の大塚さんの書き込みへの一部の反応。いや、もうそろそろ変な反応も出てくるころなので、大塚さんもネットであまり目立つ行動はとらないほうがいいと思うのだが、それはそれ。アニメの「動き」に対する大塚さんの言及に、極端なはなし、「動きは重要でない」という声が結構ある。先日の電波君の電波にもそれが含まれていた。電波君だけなら気にしないのだが、私がROMってる、ある掲示板でも、そういう意見が少なくなかったりする。決して頭の回転が悪いとは思えない人ですら、である。そういう人は、ストーリーこそが大事だ、のような言い方をし、動きに関しての大塚さんの言及に否定的な物言いをする。私は、それは変だと思う。というか、失礼ながら「アホちゃうか?」とすら思う。別に大塚発言はストーリー性を否定してはいない。なのに、なぜストーリー否定のような流れになるのか。それは「ストーリー」アニメの出現により、アニメの評価が描写中心からストーリー評価中心、というより偏重へ移ってきたからではないかと思う。それだけであれば対立しないのだが、こまやかな動きによる演出・描写を多用したストーリーは、言葉でその良さを表現するのが難しいことが多い。たとえばデジモンアドベンチャー劇場版。ストーリーにして見れば、話の筋はたわいもないものだ。原稿用紙半分で筋は書いてしまえる。しかし、実際に見て覚える感動は、そんな原稿用紙半分の粗筋に書けるたぐいのものではない。それならば、いっそのこと「とにかく見ろ」とでも言えばいいのだけども、たちの悪いことに、一部のマニアは明文化しやすいストーリーのみがストーリーではないのに、明文化できるストーリーのみを、というのは極端だが、少なくともそちらのほうを評価する傾向がある。別にいいのである。明文化しやすいストーリーのものも、しにくいストーリーのものも、面白ければどっちでもいい。だが、「ストーリー重視」と称する偏重したマニア層の評価が、偏りを生み出してることには気付いてないのだろうか?
 しかし、先も述べたが、動きによる描写や演出は明文化しにくい。それが問題であるのに、文章にできないが重要だ、では話にならない。ところが、たまたまこれを明文化してくれているとこにでくわした。今日たまたま通りかかった マグマート杁中店 で行われていた 水口哲也氏トークショー である。このイベントはスペースチャンネル5Part2の発売記念であり、このゲームはいうまでもなく、キャラの動きが非常に重要な位置を占めている。そのために、人間の動きに人はどうやって面白がったり笑ったりするか、あるいは、キャラクターが人々に好かれるとはどういうことか、を徹底的にリサーチしたらしい。その水口氏が述べたのは「人間の感情ってのは、非常に精密で複雑に反応が定義づけられている」ということだった。ちょっとした動きにも人間が笑ったり泣いたり興奮したり好きになったり嫌いになったりするのには、全部ちゃんとした裏付がある。つまり、動きによって人間の感情のスイッチを入れることはできるし、水口氏や、いくつかのアニメーション作品は実際にそれを行っている。しかし、それを意識している人は少ないし、それをきちんと理論づけられる人はなお少ない。大塚さんが意識しているのは、たぶんそういうことなのだ。そして、それを否定している人は、そのことをわかってないのではないかと思う。アニメーションの名のゆらいは、そもそも命あるもののように書かれた絵が動くからそう名付けられたはずである。動かないアニメというのも、それなりの事情があるし、意義だってもちろんあるだろう。しかしそれは動きによる快楽の全否定には当然繋がらない。繋がるわけがないのだ。

 長くなったけど、三日分ってことで。


2001年02月16日(金) 旧暦 [n年日記]

御科学様萬々歳?

 アルジュナで何が一番むかつくのだろうと考えたが(この「むかつき」とは極めて私的なものなのであしからず)、どうもあからさまな「敵意ある科学(文明)反対主義」を隠してないところの気がする。
 え〜、科学者(よくよく考えたら定義が曖昧な言葉だ)とか研究者とかって科学万能主義の急先鋒みたいに思われるかもしれないが、実際はむしろ逆で、まっとうな研究者や科学者なら科学(この場合は自然科学だな)が万能でないことは嫌になるほど知っているはずである。何故なら、科学が既に万能なものだとするなら研究などする必要はないからである。その場合必要なのは解析の流れ作業だけだ。
 科学は万能になる かもしれない 。ならないかもしれない(こっちの方がありそうだが)。科学というのは言ってみれば手法に他ならない。ものごとを捉える一つのアプローチのし方、考え方だ。万能の道具がないように、科学もまた万能の道具ではありえない。必要に応じて道具を変え、あるいは新しい道具を作り出さねばならない。科学が万能だからそれに準じてるのではない。問題設定があり、それに対してどうアプローチするか。それだけの話であり、ある意味科学というものの曖昧な全体像を憎むのは、科学の恩恵を受けてるくせにという反論以前に非常に的外れである。
 自然は人知の及ばぬところがある。それは否定しない。むしろそれを知ってるのも(まっとうな)科学者のはずだ。だが、だからといって挑戦してはならないということにはならない。
 万能でないことを知ってるのなら、何故それに頼り続けるのか、という物分りの悪い人間もいるだろう。まず、第一には使い方によっては設定された問題の解決に有用である事がわかっていること。第二には、万能でないからと言って神秘主義者のように安易に他の万能の(に見える)ものにすがろうとしないだけである。
 無論驕りがないとは言わないが、神秘主義に傾倒して科学の有用性を否定するのもこの上なく愚かな驕りである。
 あ〜。すっきりした。
 まあ、こんな固い話ばかりでもなんなので、 こういうもの で気持ちを落ちつかせるのもいいかも。(要 ここのVB6ランタイム
 あ、それと Mozilla の新しいバージョン出ています。