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2001年10月01日(月) 旧暦 [n年日記]

今日の検索ワード

 「温泉+論文+化学平衡」ああ、すいません。まともな学術的な話は殆どなくって。(^^;
 ギルス新形態についてもにわかに興味が高まっているようで、検索ワードに多いです。映画で演出とか見るとあのデザインで正解と思えるのだけど、デザインだけ見るとなんだこりゃと思ってしまうだろうなぁ……ちなみに情報が早いのは児童誌です。<おいおい
 昨日の アギト は、つおいぞ、バーニングフォーム、から始まり。アギトへの誤解もあっさり解けて、なんか変身後の後遺症もなくなってしまったらしい涼。「俺にしか出来ない事を」云々。いや、それはいいですけどね、全体的に弱体化してませんか? 感情の爆発云々と氷川クンに言われてたように、何か怒りとか悲しみとかそういう感情があってこそのギルスの活躍ってのはわかるんですがね、いきなり後遺症も消え失せたとはどういうことじゃ、クラァ! 不幸のズンドコでないギルスなんかギルスじゃないやい! ワシのギルスを返せ!<誰のだ
 初期設定では胸のモノリス(アギトの胸の真ん中にある奴ね)がない為力の制御が出来ず、アギトのモノリスを狙う刺客になるという話だったらしいのだが、どうもギルスが人気があって涼もどんどんナイスガイになっていってしまったので狭視野的にアギトを付けねらうとかがキャラ的に難しくなったからだとは思うのだけど……替わりに出てきたのが木野アギトことアナザーアギト。あかつき号リーダーの木野薫がアギトに変身するというのは事前情報で知ってはいたけど、まさかブラックジャックだったとは思ってもみませんでした。大笑い。おまけにアギトをギルスに近づけてちょっと怪人ナイズしたようなデザイン、背中から生えるマフラーもどきの羽根と通好み。でも翔一アギトやギルスは邪魔くさそう。そんな裏表の激しい彼も、次号予告で真魚に「あの人キライ」と言われてます。おじさんショック? ちなみに木野薫を演じる 菊地隆則さん は公式ページの掲示板見るとムチャクチャいい人っぽいです。アットホームな雰囲気なんで暖かく見守るだけにしてあげてね。演劇教室も主催していて、クウガのオダギリジョーも教え子、ギルス役の友井雄亮くんは同じ事務所の後輩という間柄らしいです。しかしシンビアンというと「禅銃」を思い出してしまうよなあ。
 なんか今回イマイチ蚊帳の外っぽかった翔一君、「なによ。それじゃまるで俺が能天気みたいじゃない」自覚は全くないようです。ハイ。
 テイマーズは、全国より一週間遅れでデジタルワールドへ。どんなにデジデジしてるかと思いきや、空には「リアルワールド球」が浮かんでてダストパケットがタンブル・ウィードよろしく転がって来る以外はなんか普通の荒野。でもやっぱり普通じゃない。デジモンたちはただ戦いにあけくれ相手のデータをロードしたりされたり。返り討ちにしてちょっと仲良くなったメラモンがあっと言う間にジャガモンの暴走に巻き込まれてやられてしまう。でもそれがそこのルールな非情な世界。能天気にポケモンバトルという世界とはちと違う。いや、ポケモンが悪いとは言わないが。
  PPG は、ウーマンリブな理屈を振りかざす悪者登場。口先で丸め込まれて「女の悪人だからといって苛めるのはおかしい!」と言い出すけど、むしろそれが男女平等じゃないと気付く話。何気に教育的だ。
 最終回のエンジェリックレイヤーは、はっきりしたのは何が奇跡のルーキーかと言うと、どうして勝つのか、何が強いのかさっぱりわからないけど勝つという辺りが多分奇跡なんだろうなぁということと、何が無敵のチャンピオンかと言うと軽量級を主張してるのにどう見ても重量級な戦い方をするところと、格闘戦で飛び道具使ってもお咎めなしなところが無敵なんだろうということか。話的には先週で終ってるので、まあ後はイメージ映像ということになるんだけど、弱点である格闘戦をクライマックスに持ってきてしまったのはやっぱ間違いでないかい? 盛り上がりに欠ける。
 今日は映画の日だったけど、研究室の用事やらなんやらで抜けられず。でも何も見ないのも悔しいので クイーン・コング を見てくる。配給がアルバトロスという辺りで知ってる人にはピンと来るでしょう。悪趣味映画です。(^^; 80年代に作られてあまりのつまらなさにお蔵入りになってたのを、アルバトロスの人が見つけ出して「これだ!」とばかりに権利を買ってきてしまったんだろうなあ。でもそれだけじゃさすがに見ててつらいので、広川太一郎、小原乃理子を使ってアドリブバシバシ吹き替え。でもイマイチ乗り切らないのか、寒さを倍増させているのだが、ああ、そうか、屑映画ってこんなんだったっけ、と思い出す役には立った。悪趣味映画マニア、不眠症の方以外には薦められません。こんなん定額で見る気にはならないものなぁ。本当は千円だって出し過ぎだが、そこは広川太一郎料ということで。0.1点。
 本当は今週末であっと言う間に終了する ファイナル・ファンタジー・ザ・ムービー も見に行きたかったのだが(これも定額出す気になれん)、ちと行ききれなかった。うーむ。


2001年10月02日(火) 旧暦 [n年日記]

大雑把に言って

 アギトスペシャルの京本政樹は、評判が芳しくないよう。京本政樹は良く知られた特撮ヒーローオタクなのだが、特撮マニアからの評判は概して良くない。色んな理由はあると思うけど、特撮ヒーロー物に出たがるけど、演技が大根でキャラクターイメージを変えないという辺りが致命的なんじゃないかと思う。まあビジュアルが最大の武器の人だし(別に馬鹿にしてるわけじゃない。あのスタイルを維持してるのだって大変なことだと思う)、仕方ないと言えば仕方ないのだけど。
 話題転換。
 どこまでが妥当でどこまでが妥当でないか、判断するのはとても難しいのだけど……NYおよびペンタゴンのテロってのは本当に衝撃だった。方法、規模、どれを取ってもテロ行為として行われたものとしては、過去類を見ないものだった。不安になるのはわかる。そのため海外旅行のキャンセルが相次ぎ、旅行会社のダメージが非常に大きいと言う。これは無理もない。あの光景が脳裏を過ぎれば不安になるのも当然だ。
 だが同時に、だから飛行機の使用を控えなければならないということにはならない。当然安全対策を万全にすべきではある。しかし同時に、現代では飛行機がなくては経済も流通も既に成立しない。また、テロの確率を考えれば、殆どありえないと割り切るのもありだと思う。この場合、飛行機を怖がる人と気にしない人、どっちが正しい間違っているということはない。う〜ん、何が言いたいのだろう? つまり、一つの意見を考える時、その対案を考察するのは重要だということかな。つまり、今回の米国の報復行動にしても、賛成意見と反対意見がある。どっちにも正しい点があり、間違ってる点がある。例えば今回のテロは米国のやったことのつけが回ってきたという意見がある。アフガンの原理主義者が犯人だとすれば、それはある側面ではそうだ。しかし、だからテロをしても構わないと言うことにはならない。このテロの影響により、 1000万人が貧困層に陥ると言う試算 が出ている。イメージ戦略の部分が感じられなくもないが、しかし景気が悪化すれば途上国にも影響があるのは自明で、また同時に貧困と言うのは死に結びついている。このテロが殺すのはテロに巻き込まれた人たちだけではないのだ。
 自分の視点を持って様々な要因を考える。たかが一般人一人に何が出来るわけじゃないけど、逆にだからこそ、言いたい放題、無責任に賛成・反対を標榜するようなことはしたくない。何も決めないことが正しいわけでもなくって、それは個人個人がどう判断するかにかかってくる。そして小さな意見は結局まとまれば「世論」になるのだ。
 あ、ちなみに私は基本的に今回の軍事行動には反対です。言っても詮無いけどね。
 昨日結局見にいけなかったファイナル・ファンタジーの映画なのだけど、 案の定惨敗、スクウエア映画事情から撤退 らしいです。まあ判り切っていたことですが。映画を作ることは夢、というのは心情的にわからないではないけども、夢で会社を傾けるのは経営者としては失格。会社の下には何人の従業員がいると思っているのか。ファイナルファンタジーが受けるのはネームバリューも勿論だが、各作品ごとのキャラクターと言うのも大きい。それを使えば、受けるものだって作れないことはなかったのだ。そのほかにもやりようはある。何かを作る、組み立てる際には重要なことだが、好きな事、詰め込みたい事を暴走させればいいわけではないという教訓。


2001年10月03日(水) 旧暦 [n年日記]

息苦しい

 そういえばここのところまともに本を読んでなかった、と気付いた。一旦気付くと、はじめて深海の底に深く沈んだ事に気付いたように息苦しくなる。何か読みたい。何でもいい。でもライトノベルみたいな歯ごたえのないのは嫌だ。とにかく活字を。活字を読んでると感じさせるものを。と、気が付くと手元には中東紛争関係の本が。まるでミーハーみたいだけど、まあいいや。
 しかしボストン・テラン「神は銃弾」(文春文庫)は見つからない。明日は余裕があれば名駅前にまで足を伸ばそう。
 ここんとこアギトづいてるワタクシですが、別にアギトソーセージやアギトカレーとかは買ってないですよ? エクシードギルスのためにガシャポンは思わずやろうかと血迷ったけど。
 で、仮面ライダーつながりの話題で、 マガジンZ という、別名オタクマガジンとも呼ばれていないこともない気がしないでもない雑誌に、「仮面ライダーSpirits」という連載があるのですよ。作画は村枝賢一氏で、旧ライダー一号から順に登場させている。ファンのツボを抑えつつも、きちんとエンターテインメントしてる辺りで旧ライダーファンには人気があるのだけど、実は私はあまり好きではない。
 つまんないのかというと、うーん、イマイチツボにはまらないのは事実だけど、十分水準はクリアしてると思う。ただ、結局この漫画で描かれてるのって、所詮は「心地よい過去」なのだ。
 例えば、出てきているライダーは基本的にアレンジを施されていない。今見ると結構ダサダサなデザイン(特にバイク)もあったりするのだが、それでもそれなりにかっこよく見えるのは村枝氏の筆力によるものと思う。コマによっては飾りのLEDとかスーツのしわまで再現してるのはご愛嬌。多分好き者にはたまらないのだろうけど。でも結局それって、過去の反芻にしか過ぎないのだ。古い物を古いというだけで否定する気はない。でも、そこにある普遍的な何かを楽しむのでなく、懐かしさを、過去のエンタテイメントを美化すると言うのは好きではない。はっきり言えば嫌いだ。村枝氏はプロだ。的確に狙った需要の層に訴えるものを作り出し、そして結果を出す。別にその事に文句をいうつもりも筋合いもない。むしろ賞賛したいくらいだ。だけど人間ってもっと貪欲でもいいんじゃない? もっと面白いものがあるかもしれない、もっと面白いものが出来るかもしれない、先へ、先へ、先へ。そういう拡張主義が大量消費を生み出したという指摘はあるかもしれないが、それとこれとは話は別。昔は良かったと思っているようでは、先なんか見えないのだ。昨今はやりのリバイバル漫画ブームが基本的に好きでないのはその為でもある。確かに今見ても十分面白いものは多いし、それを否定するつもりはないんだけど、楽しんでるのは作品そのものなのか、作品を通して万華鏡のようにほの覗く「過去」なのか。そこんところははっきりさせてもらいたい。今は昔の上に立っているのは事実だが、所詮過去は進む先じゃない。そういうことだ。


2001年10月04日(木) 旧暦 [n年日記]

実録 ザ・ヤクザ

 なんとなく国際情勢の歴史を見てるとそんな気が。いや、別に国家悪党論を唱えたいわけじゃないんだけど、なんだかんだと奇麗事を言っても、外交ってのは国家間の権益争いだからねえ、所詮基本は。
 もっともナニがどうすればいいのかなんて、簡単にわかるわけではないので難しいところ。だけど自国の利害のために人を便利使いするなや、ゴルァ、くらいは言わせて貰おう。
 朝日テレビのニュースステーション見てたら農水省のお偉いさんが喋ってたのだけど、その答弁がもうどうしようもないというか、あんた、業者の回し者? それとも国民の健康と安全を守る義務はないと思ってる? ってな感じでもうムカツクムカツク。一番大事なことはナニかを見失った人間は醜いなぁ。
 何故か今ごろ9月29日の新聞を見たのだけど、もてぎで開催されるアエロバティック大会の広告が載っていた。今年は11/2-4。だけど今年はちょっと難しいかも。また見に行きたいのだけどなあ。
 この広告にも写真の載っていたユルギス・カイリスと握手してもらったのだけど、掌、と云うか手の皮膚が無茶苦茶やわらかかった。それでいてすごい握力で、手がふわっと包まれたと思ったら一瞬のうちにぎゅっと締め付けられたという感じだった。手のひらの感覚が重要な仕事の人は、手がむちゃくちゃやわらかいらしい。勿論意図して手入れしているのだけど、プロの手品師などもその手の皮膚はすごくやわらかいそうだ。飛行機乗り、特にアエロバティックの選手は微妙な操縦桿捌きに生活のみならず命もかかっているのだから、それもさもありなん。
 火曜にやっていた ファイナルファンタジーアンリミテッド を見てみる。想像していたほど悪くはなかった。尤もこの場合の「想像していたほど」の基準はもはや誰も覚えていないだろう、ファイナルファンタジーのOVAなのだから、基準が悪すぎると言えば悪すぎるか。だから決して面白いと保障するものではありません。まあ映画よりは多分マシでしょう。
  ムリョウ は最早語る必要もないほど安定した良い出来。ラブでコメでアクションでオヤジ政治アニメ。そんな回。見せ所を良くわかったプロの仕事。
 プロの仕事って言うと、ゲーム批評最新号の特集がファイナルファンタジーXで、賛否両論を載せるという形なのだけど、プロが語るFFXということで出てきたのが否定派がファイナルファンタジーI・IIのシナリオを担当した寺田さん。肯定派がマンガ家の おがきちか さん。寺田さんはIV以降のシリーズはやってないし手に取る気にもならない、と前置きして、FFシリーズと袂をわかつことになった理由はスクウェアとの姿勢の違いと語り、ゲーム業界のシナリオ軽視の兆候、それはとりも直さず製作を統括・管理する者の「物語を読む力」の決定的な欠如だと指摘する。他にもスケジュール、自己管理の甘さなど、トータルに言及する。こう言っては失礼かもしれないけど、ちょっとおがきさんとは格が違うような……おがきさんはプロと言ってもプロの立場ではなく、あくまでファンの立場として、という感じだったし。
 私は寺田さんの発言に大いに賛同してるし、また刺激も受ける。だって良く考えて御覧なさい。FFIのラストダンジョンで明らかになる、ラスボスの正体と何故「最後のファンタジー」なのかという理由。演出もだけど、あれには鳥肌が立った。IIで、太古になされた帝国を倒す切り札究極魔法アルテマの封印を解くためにその身を呈した白魔道師ミンウの死。泣きませんでしたか? いや、ミンウの死のイベント自体じゃなくって、その後「ああ、ミンウ死んじゃった。せめて彼が残してくれたこのアルテマで頑張ろう」と戦闘で使った当の「究極魔法」が全然弱々だったことが発覚した瞬間。ダメージポイント数十台って、ファイアやブリザド、サンダーの最低レベル時のダメージと同じですよ? 後にゲーム雑誌で「技術の進歩で実はとっくに究極魔法の威力は他の魔法に追いつかれていたのだが、その威力は神話化されてしまってた」という設定があったのだと知りましたが、いや、そんなこと当時知ってても同じです。「返せ! アルテマ要らんからミンウを返せ! 奴の方がよっぽど役に立つ!」と叫んだのは私だけではないはず。
 あれ? なんかシナリオの話とずれてしまった。ともかく、一貫した、計算されたストーリーというのは重要なのですよ。わかってますか? 「ビッグヒット」のジロー・ニシ社長似の坂口さん! カンツォーネ謳いながら切腹してる場合じゃないですよ?


2001年10月05日(金) 旧暦 [n年日記]

熱くなる体・心、それにただ従う本能

 う〜ん、アギトスペシャルは大雑把に云って60点くらいですか。いや、京本政樹の演技とかそこらへんはまあどうでもいいんですが、京本息子がアギト化しかけた時の顔が翔一アギトのままってのが。せめてモーフィングでごまかして欲しかった。内容? いや、映画の方が11倍は面白いです。11倍って微妙な数字だな。要は、スペシャルはどん底にけなすほど酷くはなかったし、映画も大絶賛するほどまでには傑作というわけではないってことですか。でもエンタテインメントとしては大好きですが。
 スペシャルでの一番の収穫は、冒頭のナレーションで「美杉家に居候する青年、津上翔一はアギトに変身し、 本能に従い アンノウンを撃退する…」云々。そうか、やっぱあれは本能だったんか! いや、SF大会のときの怪獣酒場で、「だってアギトってなんでアンノウンと戦ってるかわからないじゃん」と云われ、「あれは、本能ですよ!」と答えたのは間違ってなかったということですな。最初の挿入歌「BELIEVE YOURSELF」でも「それにただ従う本能」とか云ってるし。新OPの意味ありげなシーンの連続もいいなぁ。映画版のエンディングなんですが。ちなみにあかつき号グループ唯一の生き残りの真島君はきっとアギト化しかけたところで木野に殺されるに3000ガバス。
 テレビでクリスチャン・スレーター主演の「フラッド」をやっていたので見る。途中までよくある、ありがちな特殊な閉鎖空間でのアクションものと思ってたのだけど、途中からちょっと趣が変わってくる。いやいや、モーガン・フリーマン演じる強盗団の黒人のボスが実にイカス! タフで強欲で知的でそれでいてなお守るべき仁義を持っている。実にスクリーン上の悪党の鑑。
 本当は今週末には生物物理学会が大阪であったのだが、発表申し込みもしてなかったし、ちと仕事が立て込んでいて行けないこと確実。いや、投稿論文の追加実験データの解析は仕方ないけど、中部生理学会なんぞよりはよっぽどこっちの方に行きたかったんだけどなあ。医者がたくさんあつまるところは苦手だ。ああ、データ解析まだ終わってねえ…しくしく。


2001年10月06日() 旧暦 [n年日記]

ジェンリャ兄の名前

 連杰(リンチェイ)と云うらしい。それじゃ得意技はワイヤーアクションであだ名はジェットか?
 未確認情報だが、月曜のアギトスペシャルは視聴率8%だったらしい。うーん、普段より下がってるぞ? 裏の本命、巨人VS阪神戦は39.5%とか。仕方ないとは云え、むかつくのー。0対5で巨人惨敗だったのがせめてもの慰めか。<巨人嫌い
 「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」は読んだはずだが覚えてない。っつーかこれに限らずゼラズニィの作品って読んでる時は最高に面白いけど、読み終わった後はさっぱり後が残らないってのが多いような。かろうじて覚えてるのは「伝道の書に捧げる薔薇」とか「光の王」くらいなものだし。好きな作家のはずなんだがなぁ。う〜む。
 友人に Grater Sound Station なるメディアプレイヤーを紹介してもらって使ってみる。フリーにしてはいいかもしれない。時々ぱたっと落ちるけど、OSを巻き込まないだけWindows Media Playerよりはマシか。
 あ、YOUNG KING キングダム最新号の大都社の広告によると、11/5発売予定の「ザブングル/伊藤明弘」は「BLUEGALE」に正式にタイトルが決定。発売日は11/13に。「表題作140Pと短編を収録」らしいけど、未収録で全年齢向けの短編って、何があったっけ? THE GOOD, THE BAD AND THE UGLYくらいしか思いつかないけど……それよかBLUEGALEはIとIIを合わせても100Pちょっとだったはずなのだけど。あとの40P弱はひょっとしてIII?
 ってなことをとりとめもなく。


2001年10月07日() 旧暦 [n年日記]

統計解析のお勉強

 だってやらなきゃいけないんだもん。しかたないじゃんかさ。
 っつーか高校のときから統計には何故かとんと縁がなくってさぼってたつけが回ってきたというか。
 色々検定の方法を模索していたのだが、結局理論値とのR^2を求めるのが一番早いというなんとはない結論に。これのために自転車こいで5km先の本屋にまで行きましたよ、ええ。
 コレまでにt-検定使えないかとかχ2乗検定使えないかとか、延々頭悩ましてたんですが。普段慣れない事しちゃダメですな。って慣れてろ!
 午前中からわりとずっとそんなことやってたんですが別にそれしかやってなかったってことではなくって日曜特売に買い物に行ったりテレビ見てたりとかはしてたわけで。
  PPG は相対性理論だウラシマ効果だとなんか小難しい話をしてると思ったらバック・トゥ・ザ・フューチャーねたでした。今回はそんなに面白くなかったかも。次回は悪党大集合らしい。しかし、ガールズたちが見てた番組「MECH-ANIMALS」ってビーストウォーズメタルス?…
 ガオレンジャーは、ギャグでないガオレンジャーがこれほど見ごたえがないとは。いや、それなりに面白くはあるのだけど。
  アギト は、こないだ「真島はきっとアギト化しかけたところを木野に殺されるに違いない」とか書いたら、既に今日殺されかけてました。おいおい、早いなぁ。出し惜しみなしかい。しかしあっさり木野に殺されるわけでなく、来週は木野アギトと涼の戦いになりそう。 来週の画像 見ると久々に涼が後遺症で苦しんでる。どうも後遺症が消え去ったのではなく、フルチャージ状態でなかなか後遺症が出なかっただけらしい。なんだ。安心。<非道い奴
 他にもSPつながりか、翔一に銃をつきつけ捕獲しようとする北條など、ホントに出し惜しみなし。
 SPで先行お目見えだった新OPも芋羊羹食ってる京本政樹の声もかぶらずに堪能。よし、涼が苦しんでる、死にかけてる! ディ・モールト、ディ・モールト、スバラシイ! 他にも階級章をつき返して小沢澄子に銃を突きつける氷川といい、むちゃくちゃ今後の展開が楽しみ。フェイクの可能性もあるけど。
 テイマーズはビデオ録画失敗しました。きゅう。でも今週でよかった。来週のベルゼブモン登場の回だったら泣くに泣けなかった。むう。


2001年10月08日(月) 旧暦 [n年日記]

ついにはじまった。

 先週の水曜日辺りに、同室の徳納先生に「少なくとも一週間以内、多分四日以内のうちにははじまるでしょうね」と言ったのがほぼ正解したわけだけども、できれば外れて欲しかった。と、言っても攻撃が起こるのは既にほぼ必然と言っても良いほど避けえないことではある。今回の戦争は一応米国を中心とした欧米諸国とタリバン政権アフガニスタンという構図なのだが、最大の目的の一つがラディン氏という個人の拿捕であるあたり、そのような性質の戦争は、少なくともこのような大規模なものは近代以降の戦争ではちょっと思いつかない。実際にはタリバン政権を打倒し、欧米諸国に都合の良い新秩序を立てることも目的の一つであるのは殆ど周知。(別にそれが悪いと言ってるわけじゃない。良くもないけど)
 しかしそれすらも、周辺諸国の反応を見る限り目論見通りに行くのか……
 各国首脳、権益まるだしの発言はするわけにはいかないのだが、しかし少なくとも「正義の戦争」なんて言葉は使って欲しくない。戦争はつまるところ壊し合い、殺し合いだ。たとえ目的と結果が現状よりましなものだとしても、武力を行使した戦争に「正義の戦争」なんてものはありえない。それを弁えずに武力を行使することが最も怖い。
 はい、話題転換。
  アギト 関係はネタの宝庫だったりするのだけど、先日公開した 撮影システムについての話 。クウガの時には「ハイビジョン」とかなんとかいう文字が出てたのに、そう云えばアギトになってからは出てなかったな、と思ったら、ハイビジョン撮影ではないらしい。正確にはクウガもハイビジョンではないらしいのだけど。いや、そんなことはわりとどうでもいい話で、問題は文面。一応クウガスタッフを立てた形ではあるのだけど、ところどころ「ひょっとして、敵意丸出し?」と読めないこともない部分が。「アギトは『名よりも実を取る』」ってひょっとして、クウガは実より名を取っている、っていうことの裏返し? と勘繰れなくもない。無論、プレゼンテーション、広報というのは非常に大事なので、「名」だって実際には「実」の内の一部なのだが…いや、 こういう前例 もあるし、ねえ。こういうのは別に下衆の勘繰りに過ぎないのだが、なんかあった方が面白そうだ、ってのはやっぱ下衆ということなのか。


2001年10月09日(火) 旧暦 [n年日記]

ジオシティ、お前もか。

  スラッシュドットジャパン ネタ。 ジオシティの新規約 について。要約すると「したっけ公開させてやるけん、貴様らの公開したコンテンツは、みんなワシらのもんじゃぁ!」(どこの言葉?)ということらしい。ネットワーク上のフリーサーバービジネスは確かに広告収入モデルというのがもはや立ち行かなくなってきているという現実からすると、別の収入源を求めねばならないのだから、或る意味わからないではない。が、少し強欲に過ぎるのではないだろうか。ネットワークのフリーの風潮というのは、その祖先の学術ネットにまで遡れる。日本でもまだインターネット、そしてWWW黎明の時代から、数多くのネットワーク及びサーバー管理者がその特権を濫用……もとい、労苦を惜しまずに作り上げてきた文化なのだが、実際問題、これだけ大規模化、かつ商業運用されると同じ流儀でやって行く事は不可能なのだ。しかし著作人格権まで寄越せ、というのは流石にやりすぎとしか思えない。私はジオにサーバースペース借りてないから関係ないけど。
 日曜に「反乱のボヤージュ」とかいうドラマをやってるのを見る。前日に前編をやっていたらしい。渡哲也が健さんとみまごうばかりの、元機動隊員の学生寮舎監を演じていた。物語自体は、学長側が古くなった寮の取り壊しをしようとする中で、浮動の世代である学生達が渡哲也演じる舎監を中心に人生の立ち位置を学んでいく、という内容。狙いすぎと思わなくもないが、結構良い出来で思わず見入ってしまった。こうやって見ると、渡哲也って確かに上手いわ。
 舞台となってる取り壊し寸前の学生寮ってのは、明らかに東大の駒場寮がモデル。数年前に駒場寮を訪れた事があるのだが、その時の記憶からすると、あんなに綺麗ではなかった、というのが正直な感想。(^^; 実際には学生運動のグループとかが云々、とかいうことも関係してたみたいなのだけど。
 あ、そう云えば Gratzer Sound Station なのだけど、安定してるって書いたけど、必ずしもそうでもなかったり。一回OSごと落ちたし、あと、ちょっと怪しいエンコードしてたりすると再生できないらしい。 DivX とも相性があまり良くなさそう。でもDecoode自体はcodecの問題なのだから、どっちかと云うとcodecとの相性なんだろうか? フリーでこれだけの性能なのだから、あまり文句は言えないけど。


2001年10月10日(水) 旧暦 [n年日記]

なんかノーベル化学賞らしいねえ。

 ウチの大学の 野依教授がノーベル化学賞受賞 らしいのだが、建物のある場所が全然違うので(理学部は東山、医学部は鶴舞)マッタク知りませんでした。友人にIRCで「新聞記者とかどうだった?」と聞かれた時には、「また誰か汚職で捕まったの?」と返してしまいましたよ。
 つってもここ数年、マスコミがノーベル賞の有力候補ということで発表直前には貼り付いていたので「ああ、獲ったのね」としか思わない。いや、凄いことには違いないんだけど、ご想像の通り、象牙の塔の内部もなかなか色々あるんである。
 昨日の ジオシティーズの新規約について の話題の続報。あらたに スラッシュドットジャパン でも 話題 が出ていますが、 新規約についてのFAQ が公開されてます。Otaさん、情報感謝。要は主にジオシティーズの広報に使うのが目的です、という説明がなされている。実際のところ、コンテンツの二次利用よりはトラブル発生時の対策としての面が本当は大きいのだとは思う。今のままだと例えばどこかから文句を捻じ込まれて任意のホームページを閉鎖したい時、あるいは違法性の高いコンテンツへの訴訟や捜査時の証拠の提出など、簡単にジオシティーズ側の一存で行うのは難しい。法的な問題もあるが、風当たりも強い。しかし、著作人格権の提出まではする必要があるかは疑問である。少なからぬスケベ心が見える気がするのだが。別に、ジオシティーズを一方的に責める気はない。これはユーザー側にも問題はあるのだ。良識あるコンテンツを、ということではない。広告の問題だ。ユーザー側は広告を忌避し、広告を表示させないツールを作ったり利用したりする事も多かった。酷い場合には、コンテンツを置いている管理者自体がそういうツールの使用を推奨してる場所もあった。よく考えてみんさい。貴方が見てるそのページ、貴方が使ってるそのサーバー、一体どうやって成立してると思いますか? 天から降ってきたわけじゃないんですよ? 広告収入を減らすということは、結局自分の首を締めてる事だというのに気付かない。金とモノの流れをリアルに感じられない想像力の貧困さが招いた事態だとも言えなくもない。
 企業側もそれならと、勝手にでかでかとした広告ウィンドウを開くようにしたり、あの手この手で対抗する。ユーザー嫌がる、と悪循環に陥っていた。
 雑誌や新聞では上手く行っている広告モデルが上手く循環しなかった理由の一つは、ホームページに広告が付随すると云う概念が結局普及しなかったことがあると思う。雑誌の場合は興味がなければ飛ばすことも出来るが、WWWの場合は通信速度の関係でどうして気になる、ありていには邪魔に感じてしまう。もう一つ、広告とユーザーの結びつきというものを想定して運用がしにくかったからだと思う。例えばパソコン誌にはPC関連の広告が載り、女性誌には装飾品、化粧品の広告が載る。場合によっては、広告目当てに雑誌を買う読者もいるくらいだ。しかし、サーバースペースのレンタルの場合、内容は借りた側任せということになる。ある程度ジオのようにジャンルをサーバーごとに区切ることは出来るが、基本的には内容はお任せになる。そうすると、見に来る相手に合わせた広告が出るかどうかはわからないのだ。
 ま、提供側も使う方もちゃんと色々考えましょうって事。