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2005年09月21日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] ネタロンダリング

 ほとんどは 朝目新聞さん とこからのネタなんだけど……
  一つのアニメ挿入歌から 生まれた軌跡 。ま〜、なんつーか、うらやましいかうらやましくないかは微妙なところっつーところで。うらやましいけど。同じ「自称実話」系ファンタジーにしてもこちらの方が電車男よりも百倍イイ話なんじゃないかと。人生の愛も悲哀もある。
 つか、「ガキ警察」といい「銀魂」といい、電車男ネタ見るとみんなやっぱり「そんな旨い話あるもんか!」と思ってるんだろうなぁ。いや、ベーシックすぎる話でいじりようが少ないってことかもしれませんが。

  子供が親に見せたくない番組ランキングAllHitNippon )。その手があったか!(笑) まあ、トップがダントツで「伊藤家の食卓」ってのはなんとなくわからんでも。

  浜崎あゆみのあまりにも壮絶なパクリ画像集毒電波TV )。う〜ん、まあ、そんなに騒ぐ事かなと。こんなもんでしょう。ただ、「浜崎あゆみフィルターをかければいい」という安易な考えだったりとかしたらバカバカしいなとか、ことごとくが「オリジナルに見劣りしてる」ってあたりが何ですか。

  中国に日本の「の」が浸透したデイリーポータルZ )。日本での「的」の使い方が中国で流行った(「××的○○」で「××の○○」というような使い方は本来中国ではしないらしい)ということは知っていたけど、さらにそこから「的」→「の」の流行になっていたとは。「の」で「ダ」と読ませるのも多分そのせいでしょう。元々日本での(「的」の)誤用が元なので、異文化コミュニケーションを生暖かく見守るのがいいんじゃないかと思うけども、中国では基本は一字で一単語なので、やはり妙な感じはしてしまうよなぁ。

  後藤田正晴氏死去朝日 )。「カミソリ」とあだ名されるほどの手腕と、あくまで非戦の態度を貫いたのが印象的でしたが、御本人としては「突入せよ!『あさま山荘』事件」で地方の映画館内の客として佐々氏と一緒にしれっと特別出演していたのが(本当に「しれっ」という印象だった)妙に記憶に残っている。(ちなみに映画中では後藤田氏の役は藤田まこと氏が演じていた。)下手な首相経験者の死去よりも、時代の移り変わりを感じさせる。

  NHKの不払いへの民事手続きはおかしい共同 )。NHKの態度云々はわからんでもないけど、まあ、番組自体も「まだ」NHKは民放より良心的かとは思いますし(それも最近あまり自信はないが)、何よりNHKの抱える映像資産ってのはもの凄いのですよ? NHK自身もその価値に気付いてないかもですが。BSで垂れ流される昼や深夜の映画の、質の高いこと高いこと。また、昔のNHKスペシャルの内容と来たら。過去の資産ばかり語るってのは何だけど、NHKの過去の資産はそれだけの価値があります。

[必殺] 駿州江尻

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第七話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 今度の仕事は駿州江尻。江尻に入った唐十郎は寺の境内で渡世人にからまれた女を助ける。しかし女は礼を言うともなく姿を消した。
 宿に入った一行の見る中、北斎の絵に浮かび上がったのは風に懐紙を巻き上げられた女。丁度江尻では女の落とした絵図面を拾った男が二人、謎の死を遂げていた。のみならず、その直前に清水屋の船大工佐兵ヱも殺され、入れ札で競われる予定の将軍家の船の絵図面も盗まれていた。
 お艶は興行にかこつけて江尻に逗留しようと土地の親分の政五郎に話を通そうとするが、政五郎は浮かない顔をする。宇蔵が賭場でわざと負け、興行の上がりをカタにすることでどうにか許可を取り付けるが、その賭場で「ここはイカサマだ」と忠告してきた渡世人がいた。寺の境内で女に絡んでいた男、仁助だった。
 仁助は船大工佐兵ヱの息子で、寺で絡んでいた女お京とはかつては駆け落ちまでしようとしたなさぬ仲だった。
 裏があると睨んだお艶一行だが、案の定船の入れ札に絡んで清水屋の商売敵の駿河屋が政五郎にやらせたことを知る。そして政五郎の手先になって佐兵ヱの元から絵図面を盗んだのはお京だった。しかし盗んだ絵図面を風にまかれ、行方の知れなくなった一枚を探していたのだが……

 相変わらず前もって悪事が分かっていたかのように絵を描く北斎先生への突っ込みはさておいといて、
 政五郎親分が出て来た瞬間、今井健二キター! と叫んでしまったり。たかだか地回りの親分なんだけどもさすが必殺常連の悪役、貫禄がありますな。
 話としてはスケールが小さく地場のヤクザの悪事なのだけど、かつては恋仲だったお京と仁助の二人のドラマが盛り上げる。かつて仁助と一緒に江戸に駆け落ちする約束を、足の悪い妹の美乃が仁助に想いを寄せていると知って反故にしたお京。そして今また妹を悪人に人質にされ、かつての恋人から罵られながらも悪人の走狗にあえて堕す。
 仁助を女に絡むつまらないヤクザと、お京を悪事に走る悪女かと思わせて、お互いの心情のすれ違いで道を踏み外した悲しい男女の話に。自ら己の所業にけりをつけた女の悲しい人生に、からくり人たちが立ち上がる。
 今井健二らの悪人の地に足の着いたふてぶてしさもあいまって、悲恋物語に視聴者を巻き込む佳作になっている。その分、お京一人が全てを背負うラストには賛否両論かも。
 ちなみに江尻は今の清水。冒頭で鈴平が浪曲の次郎長三国志を吟ずるのは年代が合わないがご愛嬌。

[アニメ] 世代間抗争

  ムシキング は先週ヒロインが逝っちゃったというかほとんどキャラリニューアル状態でそんなんありか? ってな感じだったのだけど、今回はソーマの母であることを明かしたチョークが、ソーマのポポへの嫉妬の火を煽る作戦に。ギラファってどうにも悪役っぽいのね。舶来モノだし、いかついし。ソーマはどうにも頭の回転と判断力に引きずられるところがあってチョークの誘いに乗りそうな勢いなんだけども、チョークもまた計算だけじゃなくって親心としてソーマを仲間に誘っているようで、悪意と言うわけではないだけにどうにもやりきれない。
 世代間というと 奥さまは魔法少女 もそうか。評議会は嬉子に「何故町を守りたいのか」「町の良さをクルージュに伝えるために何かしたのか」と突きつけ、クルージュはクルージュで自分が何をしたいのか、定まりきらず揺れ動く。クルージュの方は裕貴の告白のおかげでしたいことがつかみかけたところで町を自分たちの望むように作り変えようとする脇役魔法少女に操られることに。嬉子は母の面影と再会し、自分がなすべきことを知る。
 どっちの話もだけど、あるのは世代間のコミュニケーションの断絶。単純に話し合いとかそういうことではなく、ソーマは母親との、クルージュはアニエスとの、アニエスはフレイヤとの価値観の交換が途絶していて、そもそも価値観の交換が必要ということすら気付いていなかった。前の世代に同調するにしろ、反発するにしろ、いずれにしろそれがなければ宙ぶらりんになってしまうことで、必須だということか。


2005年09月22日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] 思わず肯いた言葉

 この前深+に行った時のマスターの言葉。
「酒のあまり飲めない奴って、旨い酒は飲むんだよなぁ」
 うん。うん。うん。


2005年09月23日(金) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 甲州犬目峠

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第八話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 次の仕事に行く前の興行の途中、お艶が突然倒れる。ただの疲労と唐十郎とのつなぎを取ると、次の仕事は甲州の犬目峠。絵にあぶりだされた男は、北斎の前で死んだ甚五郎という男で、「騙された」と言い残したらしい。甚五郎の元女房の話では、甚五郎は金鉱脈を掘り当て、その鑑定に江戸に向かおうとしていたらしい。同時期、犬目峠では丁度疱瘡の男が来た為湯治場が閉鎖されたとのことだったが、それは吹き所支配役守口による策略で、甚五郎の見つけた隠し金山から人目を遠ざけるためではないかとお艶たちは睨み、自らも疱瘡を装い、宿に潜り込む。
 一方、金山奉行の元に江戸からの金山目付として入っていた冬木大作は、隠し金山の存在を知り、そのことを金山奉行の神尾に相談するのだが……

 冒頭で興行中に倒れるお艶の姿で始まるというショッキングな展開で、それそのものはそんなに意味があるわけではないが、一応隠し金山のからくりの伏線になってる。
 悪人たちは金鉱脈の見つかった湯治場を偽病人を送り込んで閉鎖、その背後に鉱脈を見つけた山師の死があり、それを見て描いた北斎の絵から悪事をあばいていく。物語の中心になるのは冬木夫婦。しかしむしろ群像劇的に話は進んでいく。その分、掘り下げは甘さを感じるが、短い描写で娼婦に身持ち崩した甚五郎の女房や冬木夫妻の夫婦愛をよく描写している。
 一方、悪党の方は偽の伝染病患者で人を遠ざけるという仕掛けもさることながら、人畜無害そうな金山奉行の神尾も実は一枚噛んでいて、冬木に手痛い裏切りを浴びせるのが予想はついても衝撃的。
 冬木の妻の八重も無差別の人狩りに自ら名乗り出、その凶刃に倒れる。その彼らの清廉な死に様がからくり人たちの怒りを起こす。
 地味な話だがからくり人たちもほどよく絡んで、出来としてはレベルが高い。それだけに突出したところがなく、印象が薄いのは残念。


2005年09月24日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 頭痛い……

 木曜夜にお世話になった人の昇進祝いの会があり、名駅へ。名駅ツインタワーの屋上階近くって始めて昇った。流石に50階overだとエレベーター速いのな。会はその人のキャラクターとかもあって和やかに終わったのだけど、ちょいと飲みすぎた……まあ、その手の会にしては酒の質は悪くなかったんだけど、それだけに油断した。久しぶりに会った人の会話にも飲まれたってところもあったし。
 そいで金曜は半日死んでました。まあ、倒れてれば回復するから楽なものなんですが。
 休肝日くらいきちっと設けないとな。

[アニメ] 絶叫ってこのアニメじゃ初めてじゃない?

  絶対少年 #18。「17歳の出会いと絶望」。
 姿を消したオカカ婆を求めて横浜を散策する歩は、マテリアルフェアリーがモチーフと思われる落書きの前で、希紗を見かける。希紗の覗き込んだバッグから青い光が漏れるのを見た歩は自分もかつて「見えるけど見えないもの」と関わったことを明かし、半ば無理矢理携帯番号を交換する。ブンちゃんのことを知っているらしい歩の言動におびえた希紗は成基に相談するが、成基は「希紗はそいつと会って乗り越えなきゃいけない気がする」と、再度会う手はずを整えさせる。
 一方、理絵子は成基から「理絵子には自分は理解できない」と言われたことを気に病み、成基は希紗の事が好きなのかなとはなに相談するが、はなは、あの二人は恋愛関係ではなく、一人ぼっちの二人なのだと意味深に言う。
 奇しくもその日は希紗の誕生日。誰も自分の誕生日を覚えていないことに絶望しかけていた希紗だが、歩と会うのに付き添いに来た成基から誕生プレゼントを貰う。更に再会した歩から、きっと自分たちにはまだなにかやらねばならないことがあるはずだ、と言われ、身の証のためにどっしるとしっしんを見せられる。
 が、希紗がその愛らしい姿に心を許し、バッグからブンちゃんを取り出した瞬間、異変が起きる。正樹からブンちゃんのことを聞いてその場に駆けつけた須河原らの目の前でブンちゃんは威嚇するような行為を取ったかと思うと突如二体から猛スピードで逃走。しっしんとどっしるもブンちゃんを追いかけていき、ついには追い詰めたブンちゃんを破壊してしまった……

 田菜編と同じフレーズが、異なるシチュエーションで繰り返される。それも、最悪の結果を伴って。かつて歩が平五郎に言われた「逃げるな。向き合え」という言葉は、はなから成基に、成基から希紗に伝えられるが、その為にブンちゃんは破壊されてしまう。無論、その結果は歩とて予想していたことではない。「青い光」と「赤い光」が別物で、敵対しているということは、一同に会した中では須河原しか知らないこと。誕生日すら誰からも忘れられていたことに絶望しかけ、成基のプレゼントでささやかな救いを得、そして自分にやるべき事があるかもしれないと指針を得かけた、と思ったところでこの仕打ち。希紗は立ち直れるんかいな?
 田菜編では須河原は歩に協力を申し出て断られたが、微妙に重なる位置に正樹がいる。しかし正樹と二年前の歩のスタンスは全く違う。
 理絵子は自分の理解できない成基らの心情にトラップされてぐるぐる堂々巡り、正樹は正樹で、「マテリアルフェアリー探し」に没頭するふりをして逃げている。田舎では人間関係は限られていて密だから、逃げようにも逃げられないことがある。さらに、一つや二つの失敗があっても、どうにか付き合っていかなければならない。が、都会はそうではない。疎遠で、逃避先が簡単に見つかり、だからのっぴきならないところまで行ってしまうことがある、というのが今回。
 次回は「意外な人物」が登場するらしいのだけど、彼女はどうこの状況に関わり、変えていくのか。

[その他] あ〜あ、やっちまいやんの

 愛・ トヨタ 地球博ももう終わろうとしてますが、知ったことじゃありません。せいぜい黒字になって税金からの損失補填を防いでください、としか望みません。まる。

  のまネコ問題まとめページ によると、のまネコ関連の権利を譲り受けたと言う有限会社ゼンが、「のまネコ」「米酒」で「のまネコ」を図形商標登録として請願したらしい。まあ、商売にしようってんだから(機械的な手順としては)当然と言えば当然なのだけど、まあ、なんてえか。
  avexは新たな発表 により事態の沈静化を計ろうとしているけど、著作権商売をやってるにしてはお粗末な気が。まあ、avexに元々そんなに期待なんてしてませんが。

  中国の対日歴史観に違和感 米国務副長官が見解産経 )。いや、アメリカのしっかり研究してるところはそらしっかりすぎるくらい研究してるんですが、アメリカも当事者だからなぁ、その辺。ご遠慮申し上げたいんですが? ってか、アメリカも日中関係の悪化には気を揉んでると見て良いのかなぁ?

  自民党「支配」中朝と同一視 米紙NYタイムズ報道 外務省、不公正と“抗議”goo )。元は産経新聞のニュースです。念の為。で、さらにその当該記事の さわり 。記事の内容はまあどうだっていいんです。注目するのは記者記名。 By NORIMITSU ONISHI (NYT); Foreign Desk。なんだ、ま た 大 西 か 。詳しくは google検索結果 から適当に探してみてください。個人的には、あのトンチンカンなマツケンサンバIIの記事で「コイツダメダメだ」と思いました。ハイ。


2005年09月25日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 木に登ってきました

 ……台風の影響で、風が強かったです……
 ……木の枝も無茶苦茶良くしなったとです……
 ……ええ、揺られまくりました……
 きちんと安全は確保されてたし、風に吹かれて気持ちよかったんですけどね。

[特撮][アニメ] 世間とズレ気味の気もする

  エウレカセブン 。ビームス夫妻の元で居心地の良さを覚えるレントン。ボダラクの起こしたテロの煽りで治療の受けられないボダラクの少女を目の前にして、レントンの取った行動は……
 少女の両親も少女の死を受け入れたレントンの行動は自己満足とも取れる。が、行動した気持ちは間違いだろうか? 自分が何も知らず、世間を知らず、その事で思い悩まずいられるほどにはレントンは鈍感ではないし。そんなレントンを暖かく見守るビームス夫妻だが、次回、どうもレントンの身元がばれるらしい。向かう先がボダラクの聖地シウダデス・デウシエロではなあ……レントンはビームス夫妻がゲッコーステートの敵だと知らないわけだし。
 ゲッコーステートでもエウレカがレントンの所在を尋ねたことで大騒ぎになる。ついレントンが出て行ったことを言いそびれるホランドだが、メンバーたちが冗談交じりにレントンを連れ戻す相談をしてるのを、ホランドは怒鳴って飛び出る。イライラするのも、腹が立つのも身近すぎるせいか。
 大人になりきれないホランドと大人なビームス夫妻、来週衝突するのか?

マジレンジャー響鬼 はパワーアップ編。
 マジレンジャーは力を解放してレジェンドフォームに。マスクの形も変わってます。マジレッドの新マスク、ビビューンみたい(笑)。パワーアップに伴ってロボ形態?も変わるみたいだけど、副作用もある模様。
 響鬼は、アームドフォームに変身。「いかにも」なデザインだけど、ディスクアニマルが張り付いていって装甲になる演出は良かった。小暮さんはあちこちで賛否両論。でも、個人的にはこういう人、嫌いではないなぁ。小暮さんのような「変な人」が入る事で大人しいキャラばっかだったのがそれぞれのキャラもちょっと違った方面からの描き方になってるし。「こんな奴が現実にいるか!」って言うかもしれないけど、いるんですよ〜。こういう人。キャラクターを漫画的に強調していくのは、拒否反応も大きいだろうけども。
 旧体制ならば伊吹鬼が新姫・童子と戦って一旦撤退するところで一話引っ張って、次に響鬼、轟鬼が応援に参戦、という形になってただろうなあ。しかし今のスピード感は個人的にはキライではない。それによりないがしろにされてる部分があるのはわかるし、残念でないわけではない。

  ゾイドG 。前回拾い物のような勝ちを収めた反ディガルド同盟は増長、ラ・カンたちの懸念を他所に、勝負を急ぐ。
 今回も瓦解が目に見えるかのような展開。ラ・カンは反乱軍をまとめきれず、その打つ手も前線に復帰したザイリンにことごとく読まれる。さらに、ルージが「霧の川」を利用した作戦は撤退の場合も視野に入れてるのではないかと指摘したのを、エレファンダー部隊の兵士に聞かれてしまう。
 ラ・カン隊は他の隊に比べ兵力に極端な差があると認識されてるわけでもなく(リーオの武器を持ったゾイドがあれだけいる時点で、数の上以上の戦力差があると思うけど。特にレインボージャークの航空戦力はとてつもない強みだと思う)、強烈なカリスマがあるわけでもない。こういう場合、当面誰か適当に扱いやすい奴を神輿に担ぎ、徐々に他の勢力の指揮権を奪っていくのがいいと思うのだけど、ラ・カンは正義の人だからそういうこと出来ないのだろうなぁ……ロンは出撃時に「間に合わなかったか」とまたもや意味深な挙動を見せる。
 こういう展開だとラ・カンやルージが目立つのはともかく、コトナがお色気シーンも含めて目立ちますな。何故か。
 ところで最後の「ロン先生のゾイド講座」は、「ロン先生の虐待コーナー」になってきてるような。


2005年09月26日(月) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 深川万年橋下

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第九話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 江戸とは目と鼻の先の市川での興行を終えた後、唐十郎が北斎の絵を持って訪れる。持ってきた深川万年橋下の絵であぶりだされたのは橋げた。調べようと船頭を探すが皆嫌がり、しかたなく鈴平が船を出そうとすると、女が一緒に乗せて行ってくれという。その女おたきは委細も話さずただ花を一輪手向け、去っていった。
 事情を調べると橋げたには数日前子供の首が流れ着いたのだという。子供は辰巳一家から人質に差し出された少年で、斬ったのは旗本くずれの雷党の首領本間左近。しかしそれだけではないと睨んだお艶はおたきのことを調べさせるが、おたきのいるどぶ板長屋の住人は亡藩の家臣が町人に身をやつしている者たちで、のみならず、辰巳一家と雷党の争いに乗じ人質を貸し出す「人質賄」によりお家再興の資金を集めていたのだ。
 しかし実は元家老の堀田はお家再興など考えておらず、私腹を肥やすために元藩士たちを騙していた。殺された子供はおたきの息子で、彼女は堀田の正体を見破っていた。
 それに勘付いた堀田は、今度の人質交換におたきを差し出させ、左近にわざと殺させようとしていた……

 二つのヤクザの勢力争いがテーマだが、犠牲者となるのはその間で「人質賄」という商売をする人々。お家再興を悲願とする元武士だが、実は元家老の堀田に騙されている。
 息子を見殺しにされ、人質賄という安易な商売に走る同僚たちを見、またそんな商売を勧める堀田の心底を見抜いたおたきは堀田を糾弾するのだがそのために生命の危機に。
 と、ここらへんはまとまってるのだけども、芸者をして生計を立てているおたきに言い寄る左近など、ちょっと詰め込みすぎで舌っ足らずの印象は免れない。その分、おたき夫婦のやりとりに割いた方が、とも思える。
 今回は最初からからくり人たちが積極的に当事者に関わっていくので、その分、うさぎの飴売り姿や鈴平の声帯模写など、さりげないながらも出番とちょっとした出番と活躍が多いのが嬉しい。
 最後、大乱闘の中での仕置になるが、雷党の左近はともかく、辰巳一家の親分は殺さなくてもいいと思うのだけど……いや、悪い事してるって言えばしてるんだけど、今回殺されなきゃいけないほど悪い事してないし。

[その他] 今年の天気はどんなんだった?

 と、探したら、 私設名古屋お天気測候所 なるサイトが。名古屋市西区で測定したお天気データを記録しているサイト。そこによると今年は去年よりも真夏日が長引いた模様。いろんなことをしてる方がいるものだなぁ。

  「歴史問題の勉強を」 奥田会長らに温首相共同 )。あ〜、こういう場合なんと言えばいいんでしょう? とりあえず「わろすわろす」?

  英居合道大会 初代王者に同大で同期の学生とOB京都新聞 )。
  ローマ学生の狂言一座好評 アニメ・漫画から日本に興味 ( 朝日 )。角界での外国人力士の活躍とかが云々されてるわけですが、それは反面、外国への日本文化の認知と求心力が高まってるということの表れでもあるわけで。しかし、オタク文化からか……

  迷子の女児、署員を大麻栽培場へ案内 埼玉・本庄 ( 朝日 )。ま〜、なんてえか。多分バックに組織はいるんだろうなぁ。日本の組織か、外国人組織かはわからないけど。こういうニュースを見ると、日本人は外国の隣人との認識の差異に耐えられるんだろうかとちょっと思ってしまう。無論、犯罪者ばかりという意味ではないですが。

  のまタコ については、まあ何というか。もちろんひろゆき氏はわざとやってるのだけど。ただ、こういったこと(ネット上の知財を勝手に商標登録し商売にする)をやられるととことん歯止めも制限も効かなくなるので、どうにかはすべきなんですけどね。


2005年09月27日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] 別に右ってつもりもないけども

  「中国脅威論の誇張だ」 陸自の防衛計画に中国が反発朝日 )。はいはい。わろすわろす。 朝日のトンチンカン記事 への反論なのだろうけど *1 、中国としてはこうとでも言っておかないと格好が付かんのでしょう。これがジョークってことは この辺 でも見れば一目瞭然。だからどうしたって? 別に全然? あたしゃヘタレな平和主義者ですから。

  米マイクロソフトとインテル、「HD DVD」方式支持日経 )。う〜ん、これってどのくらい意味があるんかいな? 映像・音楽ソフトはどのコンテンツを有するところが何を出すかってのは大きな影響力を持つだろうけど、PCに関しては結局どんなハードウェアが出るかってだけのことに過ぎないんじゃなかろうか? MSとインテルがブルーレイ方式のドライブを全くサポートしないし、出したメーカーにはペナルティを与えるってならともかく。そんなことできるわけもないし。

  国連分担金 中露増額、要求方針固める産経 )。まあ、それがスジではあるよなぁ。まあ、他国との関係が悪化しなければいいのだけど。

  あぶない刑事で交通安全 啓発ポスターが完成産経 )。「人気『映画』」って辺りは微妙に違和感。 こっち とのタイアップか。まあ、仕方ないんだけどやっぱ年月は感じる。

  サンマのラーメンに弁当…価格暴落で新商品あの手この手朝日 )。「サンマーメン」とかいうベタなネタが頭に浮かぶ(サンマーメン(生馬麺)にサンマは使われてません)。実際はサンマ節を使ったラーメンなのか。スーパーで売ってるパック寿司とかもサンマが結構出てるなぁ……
*1: どの辺がトンチンカンかと言うと、中国の攻撃を想定してるという事自体は「防衛白書」にも載ってる当たり前のことで、「北方から転換」ってお前らの常識は何時から止まってる? としか言いようのないズレっぷり。あと、「計画の存在自体が極秘」って、んなわけないだろ。

[必殺] 隅田川関屋の里

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第十話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 お艶一行の次の仕事は総州流山。北斎から受け取った絵に浮かび出たのは馬で急ぐ三人の侍。丁度一行の前を委細ありげな一団が通り過ぎていく。そのうちの武士三人は途中で浪人や渡世人に姿を変え、消えていった。そしてその連れの一人が首を括った。その仲間たちの口にした「秋月様」が何か関係あると思ったお艶たちは探索するが、そんな人物は見つからない。
 それもそのはず、「秋月様」とは将軍の御乗馬。御召馬預頭である小関左内の元から何者かにより盗み出されており、三人の武士はその配下の者で内密に秋月を探していたのだ。
 しかし、挙動不審のかどで三人は代官所に捕らえられてしまい、やむなく身分を明かすと、代官たちの手配の者に切り殺されてしまった。実は代官稲取こそが秋月強奪の犯人。勘定奉行の鬼丸と組み、小関を失脚させるたくらみだったのだ。
 生き残った中間新助の知らせにより小関は自ら代官所へ向かうのだが……

 話としては筋立てがはっきりしており、時代劇らしい話。御召馬預頭の座を狙っての陰謀だが、御召馬預頭ってどのくらい偉いんだろう? と 調べてみる と……あれ? 碌で言うと勘定奉行の方が全然上じゃないですか? なんだか変な感じだなぁ。
 でも、ゲストの五味龍太郎、原田清人、草薙幸次郎、宮部昭夫らのベテランらの演技が渋い。
 責任を感じて首を吊ってしまう中間や、あくまで任務を果たそうとする侍三人、一人になっても役目を務める中間の若者など、派手さはないがこういったしっかりした演技陣に支えられ、きちんと時代劇に仕上がっている *2 。必殺としては物足りないが、古い時代劇(ってのは1950年代以前だぜ?)を見た人にはそれなりに見ごたえのある一本に仕上がってるのではないかと思う。
*2: こういったのって何が違うのかって、言語化しにくいんだけど、確かに役者の存在感で変わってしまうのだよね。一番わかりやすいのは宮部演じる鬼丸の居合での藁斬りのシーンなのだけど、所作というか、それらが今の役者さんとは異なってる。これはもうどうしようもない部分があって、NHK時代劇「秘太刀 馬の骨」が良く出来てても、そこを埋め合わせることは出来ないってのは厳然としてある。あえて酷いこと言ってしまうと「もう現代では時代劇は作れない」ってのもある意味真実。


2005年09月28日(水) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 甲州三坂の水面

  必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第十一話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 甲州の河口湖へとやってきた一行。富士を眺めながら食う握り飯を、近隣の子供たちが物乞いのように迫ってくるのに気おされる。その晩、宿にした空家で受け取った絵で赤く浮かび上がったのは水面に映った富士の山頂。一座は村の者に湖のことを訊ねるが、皆一様に怯えたように口を噤む。船を出そうとしても止められ、何かあると睨み鈴平を水面の富士の山頂辺りへ潜らせると、そこには折り重なるように白骨が幾つも沈んでいた。
 村人に言わせると逆さ富士は村人の守り神だと言う。しかしその村人たちは貧しい暮らしに苦しんでおり、巳代松 *1 の女房おそでも身重ながら、食い扶持の増えることに思い悩み、流そうとするのを祖母のおもんに止められた。その晩、おもんは家族に「富士に登る」と決めたと打ち明ける。一旦は息子の富蔵らに止められるが、庄屋の久兵ヱに説得される。「富士に登る」というのは、口減らしのために年寄りが湖の底に沈めらることだったのだ。16年前の大地震の際に、先祖代々の村のしきたりに従って再開されたという。
 そのことをお艶たちは知るも、許せないことだが村のしきたりならば仕置することはできない。しかし、富蔵の山に登った老人たちもそんなしきたりは知らなかったという言葉に引っかかり、更に探索を続ける。
 案の定、実はそのしきたりは久兵ヱによりでっち上げられた嘘。年貢米を上乗せして徴収し、それを米問屋の近江屋に横流しして私腹を肥やしていたのだ。
 せめて初曾孫の出来るまではとおもんの富士登りを延ばしてくれるよう頼みに行った富蔵は、久兵ヱと近江屋の会話で全てを知ってしまい、一派と仲間だった代官の塩沢に斬り殺される。
 しかしそうとは知らないおもんはついに悲壮な決意で湖に向かい、からくり人たちがことの仔細を知ったときには既にとき遅く、おもんは水の底へ沈んでしまう。
 家族のためと信じ自ら進んで口減らしに赴いた老人たちの無念を想い、からくり人たちは立ち上がる。

 貧困にあえぐ中、やむなく老人を口減らしさせねばならない村人たち。抗おうにも貧困と「しきたり」という言葉が重くのしかかる。からくり人たちもしきたり相手ではどうすることもできない。
 しかし、その「しきたり」が庄屋、米問屋、代官がグルになったたくらみによる嘘だったとしたら……
 庄屋の久兵ヱらは「悪」だが、主眼はそこではない。日々を送る中でどうしようもないこと、どんなに残酷であろうと受け入れるしかない現実への悲しみと怒りだ。村人たちは姥捨て山さながらの行為を受け入れながらも、憤懣やるかたなさを覚えている。それでも耐えて行かねばならない。お艶たちもすぐに動けなかったのはそのせいだ。誰か悪人を倒せば改善できることではないかもしれない。口減らしをやめれば、飢えて皆死ぬのかもしれない。お上にたてついたところで、より酷い目に遇う。そういうしくみはどうなるものでもない。
 エンタテイメントとしてそのやるせない怒りは悪人たちに向かい、カタルシスを迎えるが、おもんや富蔵は結局救えない。その怒りがお艶の「殺してやる!」の一言に込められている。仕置も華麗な殺陣が売りのからくり人富嶽百景に似合わず、泣き叫び命乞いする久兵ヱを逆さ富士の山頂に沈めるという、仕置人さながらの残酷さで最後を〆る。
 傍観者として何も出来ない今シリーズのからくり人たちの立場を逆手に取り、その怒りとやるせなさを浮き彫りにしたからくり人富嶽百景中でも傑作に近い佳作。
 ちなみに巳代松の女房おそではシリーズ第三弾「助け人走る」で中山文十郎の妹しの役でレギュラーだった佐野アツ子。(助け人当時は佐野厚子)
*1: 新仕置人の巳代松とは何の関係もない。

[アニメ] 最終回とか

  ぱにぽにだっしゅ #13。相変わらずパロディ尽くしのアイドル番組なのはいいのだけど、べホイミが内職しながら歌ってた歌ってなんだっけ? あの歌聴くと何故かゴスペル調に転調されちゃうんで、ちゃんとした節回しすら思い出せないんだよなぁ。OPがころころ変わるのは関連グッズ展開として当然予想してたのだけど、元に戻したりなんだりというのがよくわからない。

  奥さまは魔法少女 最終回。この回、嬉子は結局さやかを信じること以外の何も出来ず、でも「望む世界」を見つけたさやかによって、物語は大団円を迎える。不満が出るのは、まあわからないではない。が、同時にその不満は的外れだとも思う。世の中には能率的になんでも裁く人もいればそうでない人もいて、嬉子はあからさまに「そうでない」方。それは番組最初のコンセプトからわかり切ったことだ。そして例外はあるが人は突然別人のように変わるものではない。だが、嬉子の変化なしにこのエンディングはありえなかった。嬉子はかなり無自覚的だが、世代間のコミュニケーションで必要なものは実は果たされていた。システムとしてはちょっと問題ありなんだけど、まあ大抵話的に大きく揺さぶられるのはシステムから外れそうになる話だし、そういうものでしょ。
 有閑マダムのロマンスとして見ると中途半端だけど、色々多重な構造が込められててそれらがわりと上手くまとまった話だったと思う。

  アクエリオン 最終回。司令は一体なんだったんだとかエレメントの意味はとかアポロはそもそも何だったのかとか色々設定的に放り投げっぱなしなんですが、まあ、そういう話じゃないことは最初っからのことなんで問題にはならんでしょう。とにかく耽美に、恥ずかしく、その中にメカアクションを埋め込んで後から考えると「あれ? 番組中は何か盛り上がるようなことを言ってた気がするんだけど別にどうってことないよな」と急速に風化してしまうようなアレなんだけども、30分力押しでも卑怯技のオンパレードでもとにかく押し切って見せてしまったって時点でこの番組的には勝ちなんでしょう。多分製作者の意図を酌んで評価するには、「話の中身スカスカ」というような評価はまるっきり意味を持たないんでしょうなぁ。
 作品としてはどうか、商業的にどうかってのはまた別の話ですし、私の好みとか言い出すとそらもうまた全然えらく別の話になるんですが。


2005年09月29日(木) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 東海道金谷

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第十二話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 大井川のある東海道金谷の手前、島田の渡しにやってきたお艶一座。その河原へ駆けつけてくる女が一人いた。時間外だというのを頼み込み、柄の悪い川越え人足に身体を撫で回されても耐え、なにか委細がある様子。同時にその頃、「極楽桜」と呼ばれる桜の木の枝で、一人の娘が首を吊った。
 一座が唐十郎から受け取った大井川から臨む富士の絵をあぶると、本陣の旗が赤く染まった。本陣とは大名行列などが参勤交代の折に泊まる指定宿。しかし金谷の本陣の富士見屋は地元の面倒見の良い、人格者だという。絵に込められた意図のわからぬ一行は、唐十郎が富士見屋へ、宇蔵が脇本陣の嵯峨乃屋へ下働きに潜り込んで事情を探る。
 そんな時先だってのいわくありげな女おふじが楼郭に駆け込み「娘のキヌに会わせてくれ」と訴えたが、キヌは首を吊って死んだことを聞かされ愕然とする。お艶一行が目にしたあの首吊りの娘がキヌだったのだ。
 何があったのかと事情を探ろうとするが、おふじはお艶の言葉にも頑なに心を閉ざしたまま。実はおふじ母娘は遠縁を頼って江戸に行こうとする途中、川止めに遭い、更におふじが病を抉らせた為、娘のキヌが下働きに出る代わりに脇本陣から金を借り、母のおふじを違法な渡しで渡らせたのだ。そして何故かキヌは遊郭へ身を落としていた。
 丁度金谷では川止めが相次ぎ、川越え人足たちも旅人たちも、苦しい思いをしていた。本陣の富士見屋も川越えによる都合で大名行列に素通りされる事が多く、本陣株を返上しようかというところまで追い詰められていた。
 どうやら嵯峨乃屋と川越え人足の元締め川庄屋、それと代官の宗方が怪しいとお艶たちは睨むが、おふじが娘の死んだこの地で働きたいと嵯峨乃屋に下女として奉公することになってしまった……

 今出川西紀キター! って、あれ? 前もこんなパターンはやったような……
 それはともかく、今回は本陣と脇本陣の争い。本陣というと横溝正史の「本陣殺人事件」でも本家筋の本陣と分家筋の脇本陣との確執があったし、「新必殺からくり人」でも本陣と脇本陣の争いの話があった。やはり確執があるものなのかしらん?
 ターゲットを示すヒントに浮かび上がったのは本陣の陣旗で、宿場町で悪さを働いているのが誰かと、からくり人たちが混乱する元になっている。「そんな混乱するようなヒントを書くな!」というツッコミを除けば、これが今回の話の鍵となっている。
 一旦川止めが起これば貧しい旅人の路銀はたちまち底を尽き、首を吊る者、身を売るものが続出する。その犠牲となったキヌの母親おふじを演じるのは「薄幸の町娘No.1」の今出川西紀。これだけ不幸を引きずりながらなげきひたすら耐える演技の似合う女優もそうはいまい。その姿に、宇蔵がはかない思慕を寄せる。
 しかし人の良い富士見屋は嵯峨乃屋が代官と組んで行っている必要のない川止めに気付きつつ町を混乱させないために黙っていたのを、ついに耐えかねて直訴する。だがそれが裏目に出て富士見屋と下男の嘉平は始末されてしまう。そしておふじも嵯峨乃屋に言い寄られ、キヌがその毒牙にかかった事を知らされ、仇を取ろうとして返り討ちに遭ってしまう。
 その直後のおふじの死体を見た宇蔵の怒りの仕置。そして悪人たちを一掃した後、縁起が悪いと極楽桜を切り倒そうとする鈴平を複雑な表情で見、「桜の咲いた時分にまた来るぜ」と誰にともなく言う。悪人たちの犠牲になった悲しみはキヌからおふじへ、そして宇蔵へと受け継がれる。
 要素がばらけずにバランスよくまとまった話。でも相変わらず唐十郎の戦闘力は、ほとんど他のメンバー要らないんじゃないかと思えるのだけど……
 ところで、いい味を出してる下男役は必殺ファンには馴染み深い梅津栄。一番ピンと来るのはひかる一平を追い回すおかまの玉助か。

[その他] 私があなたに惚れたのは、丁度十九の春でした

 昨日の話だが、テレビをつけっぱなしにしていたらNHK-BSで沖縄歌謡の「十九の春」についての番組をやっていた。私は「十九の春」というと映画「ナビィの恋」を思い出すのだが、それはさておき。
 「十九の春」がどのように誕生し、島民と共にどのような変遷を辿っていったかというドキュメンタリィ色の強い番組で、日露戦争の時出稼ぎに九州に出ていた与論の人たちが、抜刀隊のことを歌った「ラッパ節」を持ち帰り、「与論ラッパ節」となり、「大島ラッパ節」「与論小唄」となり、現在の曲が形作られていったことが触れられていた。曲のみならず、歌詞もそれぞれが世情により好きに変えて歌い継ぎ、少しずつ節回しの違う、様々な歌詞の曲が出来上がっていった。
 その番組を見て、まったく関係ない二つのことを考えた。
 ひとつは「知財」ということについて。
 与論の人たちがラッパ節を好きに歌い継ぎ、変えていくことによって様々な歌が派生していき、そして原曲から半世紀以上経って、田端義男の歌う「十九の春」というまったく別のヒット曲を生み出した。「ラッパ節」≒「十九の春」だろうか? ある面で現在の著作権商売のバカバカしさの反例を示しているように思える。
 もうひとつは、派生した曲のひとつで、「嘉義(かぎ)丸の歌」というのが存在していることについて。
 大戦中、奄美大島沖で米軍潜水艦の魚雷を受けて沈んだ貨客船の悲劇を歌った歌だが、番組の最後でその歌を復活させた女性と、当の嘉義丸の沈没で生き残った老婆のことを取り上げていた。とても気になったのは、番組では司会進行役が「受け継ぐべき歌」というようなフレーズを何度も繰り返していたことだ。復活させた女性、当事者の老婆は、これを強く受け継がせたい、というのはわかる。あるいはその関係者、その歌に感銘を受けた人も。それ自体は何も悪いところはない。ただ、番組では司会進行役はその歌に限らず、歌に込められた与論の人の苦労を強調しつつ、ずっとそのような事を繰り返していたことだ。
 結果から言おう。無理だ。
 派生した全部の歌を、その歌に込められたあまたのすばらしい、残すべき価値のあるものを、全て残すなど無理だ。
 ゲストの沖縄出身の音楽家の人がことあるごとに匂わせていたが、民衆の間に歌い継がれた歌は、様々に派生し、また別のものを生み出し、そしてそのほとんどは泡沫のように消えていく。歌だけではなく、過去幾つもの遺すべき形のない財産が泡沫のように消えていった。遺す努力は無駄だ、ということではない。だが結局、受け取る側のキャパシティの問題がある以上、結局残るのはそのごく一部、ということだ。歌とは、文化とはそういうものだ。そして自覚無自覚の文化の担い手は、覚悟してるかしていないかに関わらず、ほとんどがそうなってしまう。忘却の対象だ。
 記憶とは、形のない文化とはそういうものだ。それでも遺そうとすれば、それは「記録」として遺すしかない。多くのものを取りこぼしつつ、それでもまったく消えるよりはずっといいと納得して。
 当事者が、身近な者が残したいと残そうとするのはわかる。しかし一方でそういう厳然たる現実もある。何も考えずにひたすら「遺すべき」と繰り返す司会の言動が軽く、ひたすら無責任に響いた。


2005年09月30日(金) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 尾州不二見原

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第十三話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 先に尾張に入ったお艶と宇蔵を追って二人で大八車を押す鈴平とうさぎ。轍に車輪がはまったが、通りがかりの女・おりんが助けてくれる。その縁で尾張まで一緒に行く事になった三人だが、逃げてきた百姓風の男が追ってきた侍に斬り殺されるところに出くわす。
 合流した一座が唐十郎の持ってきた絵を見ると、赤く浮かび上がったのは作りかけの大樽。尾張から富士が見えるところはそうないと探すと、丁度絵のままの場所におりんが立っていた。おりんは江戸での女郎奉公を終えて帰ってきたのだがおりんが昔住んでいた村があったはずのこの辺には、家も、人も、綺麗さっぱりなくなっていたのだ。唯一いた知り合い、茂作に家族や許婚の清吉のことを聞いても口を開こうとしない。
 途方にくれたおりんは何かの縁と招かれた一座の小屋で、おりんを見て顔色を変えて逃げ出した弥助だが、何者かにより撃ち殺されてしまった。
 いまわの際の弥助から村人はみんな死んだと聞かされたおりんだが、実は清吉は生きていた。造り醤油の蔵元・尾張屋は消えた村人たちを使ってひそかに朝鮮人参を栽培、それを醤油樽の二重底に仕込んで江戸へ運び、売りさばいていたのだ。
 その事を知ったお艶たちは密かに清吉を呼び出し、おりくと再会させる。しかし十年の歳月で変わってしまった清吉は、おりんの持っていた五十両を目当てに、彼女を殺してしまった。

 ここ二回良く出来ていたが、今回は凡作の部類に属する。
 悪事が甘いというか、朝鮮人参を密栽培させられていた人たちが嫌々やっていたのか、そうなるまでの間にどんな酷い事があったのかがまったく描かれないので、お艶たちがこの事件自体に絡む要素が薄い。弥助が殺されるシーンも、一々見張りについていたんかいとか、わけのわからないまま悪人と犠牲者フォーマットを使ってるとしか思えない。
 その代わり、ゲストのおりんが話を引っ張る。普段は気風の良い姐さんだが、消えた故郷の村と許婚を一途に慕う。しかし、その許婚は十年の間に朝鮮人参の闇栽培に関わり、金しか目に入らない男になってしまっていた。今回の仕置も悪人退治と言うより、おりんの無念を晴らす為といった印象が強い。
 現状維持を望むばかりに地域の皆で目を瞑り、口を閉ざし続けた結果、一人の気丈で薄幸な女が命を落とした。この話はそういう話なのだろう。
 「からくり人富嶽百景殺し旅」は次回月曜で最後。最終回「凱風快晴」の北斎は必見。
 それにしても、この次のこの時間帯の必殺は何やるんだろう? 主水シリーズは多分やらないし、仕事人以前の必殺で非主水シリーズというと、あるのは「うらごろし」のみ……うらごろしやらないかなぁ、うらごろし。そうすればうららかなお昼のお茶の間が市原悦子と和田アキ子でビックリドッキリとんでもないことに! 天野師父もきっと大満足!