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2011年09月28日(水) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 最終回いろいろは

  #12「マジLOVE1000%」。なんつーか、予定調和というか。
 乙女ゲー原作にしてはめずらしく楽しめたのだけど、攻略対象のイケメンがグループになるというのに妙に協調性がなく個性的なままなのに対し、ゲーム原作だからなのか主人公が個性がなく印象が強くないのがやはり最後の最後で腑に落ちなかった原因か。
 ただ、乙女ゲー原作は基本苦手なのだけど(薄桜鬼ですらちょっと辛かった)、どうして最後まで見つづけられたのかはよくわからない。各キャラの悩みが(ノーテンキなのから深刻なのまで)ヒロインを無理に持ち上げるものではなく、解決のきっかけを与えたくらいなのが厭味がなかったのかもしれない。あとは全体的なセンスの問題かなぁ。


  花咲くいろは #26「花咲くつぼみ」。ぼんぼり祭需要の山を乗り越えた緒花たち喜翠荘の面々は女将に誘われ、祭りにに出向く。それぞれの希望を綴った望み札を手に、祭りを回る面々。そして緒花は喜翠荘への想い、孝一への想い、関わったみんなへ想いを見つめ直していく。
 そして、緒花が関わった多くの人々も……

 うん、無粋なのを承知で、まず言わせてください。
 万が一の時の対応人員なしで職場空にしてるんじゃねーよ!
 いや、まあ、シリーズ通してそういうところは結構おざなりされてたので、一応そこは言っておかないと、ってだけなんですが。意図的に二の次にしてるのはわかります。
 それはさておき、夢を持つ人、持たない人、かなえようとする人、挫折した人、誰も否定せず、無碍の肯定もせず、でも、夢を持つことを後押しする、それは伝わってきて、それがこの番組で一番の主軸だったんだろうなぁと思うし、それでいいんじゃないかと思う。
 スイの志はともかく、やり方に問題がなかったとは言わないけど、自分が進むべき道を見出すことがなにより大事という象徴として君臨してたし、意図しなかったし道はそれぞれ分かれたとは言え、みんな道の水先案内人となり、そして緒花がそれを認識してそれも含めてスイのようになりたい、と言ってるのだよな、多分。
 終わりでもなく始まりでもない、不思議な余韻、あえて言えば「目的地への中間ポイント」というような終わりで、でも中途半端な感じでもなく、心地良い余韻が残るラストでした。


2009年09月28日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] なんだかオラワクワクしてきただ

 本日一時日経平均株価一万円割れ。多分反発はあるだろうけど、中長期的に上昇する材料が見あたらないから下げ傾向が続くんだろうなぁ。そいで鳩山政権が慌てて経済対策を始めたら第二ステージですよ。そこでどうなるかが一つの山場なわけで。下手なことをすれば混乱に拍車をかけることになり、そうすると支持率を維持するために泥縄な行動に出るというパターンは結構ありうる。そうならないのがいいのだけど、そうならないのなら最初からそうならないような行動を取ってるだろうなぁ、とも。
 こんなことをワクテカしながら言ってると、たまに「魔太郎め」と言われたりします。えへぇ。

  仮面ライダーの中の人やってたけど質問ある?働くモノニュース さん)。身元バレなしながらも質問への回答の傾向を見てると「 次郎さん ?」と思ってしまうのだけど、そんな迂闊にネットに書き込みをするかなぁ、と考えると、特撮マニアの騙りの可能性は結構あると思う。  しかしなりすましだとしたら、相当のマニアだなぁ……


2008年09月28日() 旧暦 [n年日記]

[特撮] ゴーオン#32とキバ#34

  ゴーオンジャー #32「秘宝ヲサガセ」。ガイアーク反応のあったとある山中にやってきたゴーオンジャーたち。だが、山の入り口で幼い兄妹に邪魔をされる。兄妹の父はこの山にあるという宝を探そうとしていて、発掘の邪魔をされないようにしようとしてたのだ。ゴーオンジャーは「一攫千金のために子どもをこんなところに済ませるなんて、どうせロクな親じゃない」と最初言っていたのだが、父親の望みは子供たちが絵に描いた「親子三人で暮らす家」を叶えることと聞き、一転、宝探しを手伝うことになる。だがそこのドリルバンキが現われ、その山に眠るという伝説の蛮機獣をめぐってゴーオンジャーたちは戦うことになる。

 新しい炎神たちが登場……なのだけど、飛翔族登場時以上に行動が謎。最初エンジンオーを攻撃しドリルバンキは伝説の蛮機獣と勘違いしたのだけど、やっぱりドリルバンキも同じように攻撃される。なんだか暴走状態に見えるのだけど……(列車型の炎神だけに?)
 発掘親子の件は、走り去ってく暴走炎神を宝である「黄金の竜」と思った子供たちが、父親の言ってることが間違ってなかったと喜ぶ姿を見て、財宝や家が子供たちの幸せだと思っていたのが間違いだったことを悟って一件落着。
 新炎神は一体なんで暴走してたんだろう? それと伝説の蛮機獣の反応は?


  キバ #34「ノイズ・破壊の旋律」。失恋したと思い込み落ち込む渡。そんな彼を励まそうと恵は遊園地に連れて行くのだが、深央とのいきさつを知らない大河が深央と二人で加わって渡を励まそうとし、逆にますます落ち込ませることに。深央も自分の本心を必死で訴えるのだが、渡は身を引こうとして聞く耳を持たない。
 そんなことと知らず渡を励ませたと無邪気に喜ぶ大河だが、新たに人類に発展をもたらす発明に近づいていた。それは別の個体の能力を人間に移すことが出来る技術だったが、大河はその技術はファンガイアに有用なものになりうると、その発明者神田をしばらく見逃すことにする。
 その神田は元青空の会のメンバーだったが、ファンガイアの力を人間に移すことでファンガイアに対抗しようとし、それに反対する嶋と離別したのだった。そしてその命を受けて手下の楓がファンガイアを襲いつづけていたのだが、肝心の渡のブラッディローズが失意の渡に反応するように割れてしまった。
 一方、ビショップにクィーンを辞めたいと訴える深央だったが、相手にもされない。そしてその言葉に従い、先代のクィーンである真夜を探し当てる。

 予告の通り、真夜が現代編で生きてるってのは、どういうこと? ビショップは大河を唯一絶対の王にしようと「偽りの王」としてキバを襲うが、「お前の両親は誰だ」と言ってるってことは、真夜が渡を生んだことを知らない? あるいは渡は真夜の子ではない?
 過去編では音也が真夜の指導でブラッディ・ローズを完成させたが、現代編では何故かそれが割れてしまう。そしてそれと連動するように出てきた変わり果てた真夜。片目を眼帯で覆い地下で隠れるようにしているのだけど、少なくとも「人間を愛した」として処刑されてない、あるいは処刑の対象になってないのだけど、真夜はなんでクィーンを辞めたのか、辞めた後、一体どうなったのか。渡の出自と関係ありそうな……
 そしてもう一人すっかり変わったのが健吾。夢破れ渡たちにも裏切られたと思い込み(いや、名護はホントに裏切ってるんだけど)、そのネガティブパワーで青空の会の戦士として復活……はいいのだけど、名護や渡にあからさまな敵意を向ける。嶋も神田を非人道的と避難してる割に、かなり性格が破綻してるなぁ。


2006年09月28日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] ノートPCクラッシュ

 がっかり。

[アニメ] いぬかみ#26(最終回)とゼーガペイン#26(最終回)

  いぬかみっ! #26「ヒカリっ!」。邪星との最終決戦、なんだけど、う〜ん、ちと個人的には気持ちはそれほど盛り上がらなかったかな。いきなりラスボスがぽっと出のキャラにすりかわってしまったこともあるし、前回犬神たちがさんざんいたぶられてたシーンが繰り返されたんで、それが今回逆に圧倒するのは、さすがにご都合主義的だと……結局、カッパの意義もようわからんかったし。
 とはいえ、ありがちではあるけど、まあ結構それなりの最終回ではあったかな。少なくとも画面的には派手だった。薫は復活しなかったけど、まだ復活の可能性はあるってことで、それが劇場版になるのか? でも、明らかに女の子だった薫そっくりの身体がいつの間にか男の子ってことになってたり、それだったら大殺界に頼めばいいじゃん、とかいうのは……
 まあ、変態が登場したり啓太が剥かれたりしてればそれでも安心してしまうあたりが、この番組の趣旨をよく示してるか。
 って、劇場版でも変態祭か……

  ゼーガペイン #26「森羅万象(ありとあらゆるもの)」。舞浜サーバを収容したアルティール。だが、ガルズオルムに量子ポータルを破壊され、退路を断たれる。アルティールはガルズオルムの本拠地ジフェイタスの完全破壊を試みる。クリスとメイイェンはフリュスベルグで敵に乗っ取られたオケアノスを最下層で自爆させる。アルティールはフリュスベルグを連れて直前に地球全デフテラ化の中枢である衛星クラウドに転送。続いてデフテラ化を止めるため、クラウドを乗っ取り、そのコアを北極サーバにぶつけようとする。しかし、シンを失ったアビスの駆るマインディエが、キョウの前に立ちふさがる。

 切なさ全開。キョウはいつも通りおバカ決めぜりふ絶叫しまくりだったけど、そういうキョウだからこういうエンディングを迎えられたのだろうなとも思う。
 舞浜サーバ内の戦いで致命的なダメージを負ったシンは、舞浜サーバでリョーコと再会。そし、「失うのが怖かったんだね。だから永遠を求めたんだね」という言葉に安らぎを覚え、はかない永遠の生を終える。シンを失ったアビスは、逆上してキョウに最後の戦いを仕掛ける。「なぜ永遠を拒む!」というアビスに対しキョウの「そんなの知るか! 自分で考えろバーカ!」という返事が痺れる(笑)。
 実はそれが多分この作品全体のテーマだったのだろうが。
 最後、地球のデフテラ化を防ぎ、リザレクションシステムの完成を待つサーバは、ループの期間が一年になったが、キョウは外の世界で待ち続ける。それでもサーバの中ではおミズの指にはクラゲから送られた指輪が光り、明らかな変化の兆しが。足の崩壊の跡の消えたミナトは、水泳部に。って、ハヤセ、しばしばモブキャラで出てきた眼鏡っ娘と付き合うことにしたのかよ! そしてルーシェンは幻体修復プログラムを解析し、バージョンアップによりシズノが肉体を得ることを可能だと知り、そのことをシズノに伝える。しかし、クラウドの制圧でダメージを負ったシズノは、過去の戦いのことを何も覚えていなかった。それでも、無から生まれたシズノが肉体を得ることで、人類が神に近づく皮肉を、ナーガはどう思うかとこぼすルーシェン。そして、キョウは夢を見る。かつて、肉体のあったときの舞浜の夢。父がいて、母がいて、そして生意気な妹がいた。片思いの先輩のことをからかう彼女の名は、十凍未沙季(ミサキ)……キョウがかつて思い出せない、けど大事だったはずの人の名前「ミサキ・シズノ」の片一方。もう彼らは戻ってこないが、それでもキョウは触れることのできる現実を実感する。
 最後、砂浜で新しい命を宿したリョーコが、「早く生まれておいで。世界は光でいっぱいだよ」と語りかけるシーンはいろいろ意味が考えられるが(お腹にいる子は誰、とか、ルーシェンの言った「無から有を生み出す」は人類はそもそも出来た、とか)、その背後の灯台の廃墟、キョウがいたときと比べて崩壊が進んでいるのを見ると、切なさは一層深まるはず。でも、力強い希望があるラスト。
 最初のダメダメのロボ戦から考えると、とんでもない化け方をしたシリーズでした。最後までまったく期待を裏切りませんでした。

[マンガ] なぜ?

  コミックガム 11月号覗いたら、特別付録小冊子で「シャッフルガム」ってのがついてたんですけどね……各連載陣が、他の人の連載を描こうという企画。まあ、こういうの上手い下手が如実に出るんですが……でもどうして「キバ吉」がないんでしょーか! あれば面白かったのに! のに!
 長谷川光司氏の「マブイノコトワリ」で「仕事人」連想で何故か仕事屋稼業ネタが……「どうせなら『うらごろし』だろ!」って主張はもっともなんですが、やるんだったら中村敦夫ネタじゃなくって市原悦子か和田アキ子だろう。


2005年09月28日(水) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 甲州三坂の水面

  必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第十一話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 甲州の河口湖へとやってきた一行。富士を眺めながら食う握り飯を、近隣の子供たちが物乞いのように迫ってくるのに気おされる。その晩、宿にした空家で受け取った絵で赤く浮かび上がったのは水面に映った富士の山頂。一座は村の者に湖のことを訊ねるが、皆一様に怯えたように口を噤む。船を出そうとしても止められ、何かあると睨み鈴平を水面の富士の山頂辺りへ潜らせると、そこには折り重なるように白骨が幾つも沈んでいた。
 村人に言わせると逆さ富士は村人の守り神だと言う。しかしその村人たちは貧しい暮らしに苦しんでおり、巳代松 *1 の女房おそでも身重ながら、食い扶持の増えることに思い悩み、流そうとするのを祖母のおもんに止められた。その晩、おもんは家族に「富士に登る」と決めたと打ち明ける。一旦は息子の富蔵らに止められるが、庄屋の久兵ヱに説得される。「富士に登る」というのは、口減らしのために年寄りが湖の底に沈めらることだったのだ。16年前の大地震の際に、先祖代々の村のしきたりに従って再開されたという。
 そのことをお艶たちは知るも、許せないことだが村のしきたりならば仕置することはできない。しかし、富蔵の山に登った老人たちもそんなしきたりは知らなかったという言葉に引っかかり、更に探索を続ける。
 案の定、実はそのしきたりは久兵ヱによりでっち上げられた嘘。年貢米を上乗せして徴収し、それを米問屋の近江屋に横流しして私腹を肥やしていたのだ。
 せめて初曾孫の出来るまではとおもんの富士登りを延ばしてくれるよう頼みに行った富蔵は、久兵ヱと近江屋の会話で全てを知ってしまい、一派と仲間だった代官の塩沢に斬り殺される。
 しかしそうとは知らないおもんはついに悲壮な決意で湖に向かい、からくり人たちがことの仔細を知ったときには既にとき遅く、おもんは水の底へ沈んでしまう。
 家族のためと信じ自ら進んで口減らしに赴いた老人たちの無念を想い、からくり人たちは立ち上がる。

 貧困にあえぐ中、やむなく老人を口減らしさせねばならない村人たち。抗おうにも貧困と「しきたり」という言葉が重くのしかかる。からくり人たちもしきたり相手ではどうすることもできない。
 しかし、その「しきたり」が庄屋、米問屋、代官がグルになったたくらみによる嘘だったとしたら……
 庄屋の久兵ヱらは「悪」だが、主眼はそこではない。日々を送る中でどうしようもないこと、どんなに残酷であろうと受け入れるしかない現実への悲しみと怒りだ。村人たちは姥捨て山さながらの行為を受け入れながらも、憤懣やるかたなさを覚えている。それでも耐えて行かねばならない。お艶たちもすぐに動けなかったのはそのせいだ。誰か悪人を倒せば改善できることではないかもしれない。口減らしをやめれば、飢えて皆死ぬのかもしれない。お上にたてついたところで、より酷い目に遇う。そういうしくみはどうなるものでもない。
 エンタテイメントとしてそのやるせない怒りは悪人たちに向かい、カタルシスを迎えるが、おもんや富蔵は結局救えない。その怒りがお艶の「殺してやる!」の一言に込められている。仕置も華麗な殺陣が売りのからくり人富嶽百景に似合わず、泣き叫び命乞いする久兵ヱを逆さ富士の山頂に沈めるという、仕置人さながらの残酷さで最後を〆る。
 傍観者として何も出来ない今シリーズのからくり人たちの立場を逆手に取り、その怒りとやるせなさを浮き彫りにしたからくり人富嶽百景中でも傑作に近い佳作。
 ちなみに巳代松の女房おそではシリーズ第三弾「助け人走る」で中山文十郎の妹しの役でレギュラーだった佐野アツ子。(助け人当時は佐野厚子)
*1: 新仕置人の巳代松とは何の関係もない。

[アニメ] 最終回とか

  ぱにぽにだっしゅ #13。相変わらずパロディ尽くしのアイドル番組なのはいいのだけど、べホイミが内職しながら歌ってた歌ってなんだっけ? あの歌聴くと何故かゴスペル調に転調されちゃうんで、ちゃんとした節回しすら思い出せないんだよなぁ。OPがころころ変わるのは関連グッズ展開として当然予想してたのだけど、元に戻したりなんだりというのがよくわからない。

  奥さまは魔法少女 最終回。この回、嬉子は結局さやかを信じること以外の何も出来ず、でも「望む世界」を見つけたさやかによって、物語は大団円を迎える。不満が出るのは、まあわからないではない。が、同時にその不満は的外れだとも思う。世の中には能率的になんでも裁く人もいればそうでない人もいて、嬉子はあからさまに「そうでない」方。それは番組最初のコンセプトからわかり切ったことだ。そして例外はあるが人は突然別人のように変わるものではない。だが、嬉子の変化なしにこのエンディングはありえなかった。嬉子はかなり無自覚的だが、世代間のコミュニケーションで必要なものは実は果たされていた。システムとしてはちょっと問題ありなんだけど、まあ大抵話的に大きく揺さぶられるのはシステムから外れそうになる話だし、そういうものでしょ。
 有閑マダムのロマンスとして見ると中途半端だけど、色々多重な構造が込められててそれらがわりと上手くまとまった話だったと思う。

  アクエリオン 最終回。司令は一体なんだったんだとかエレメントの意味はとかアポロはそもそも何だったのかとか色々設定的に放り投げっぱなしなんですが、まあ、そういう話じゃないことは最初っからのことなんで問題にはならんでしょう。とにかく耽美に、恥ずかしく、その中にメカアクションを埋め込んで後から考えると「あれ? 番組中は何か盛り上がるようなことを言ってた気がするんだけど別にどうってことないよな」と急速に風化してしまうようなアレなんだけども、30分力押しでも卑怯技のオンパレードでもとにかく押し切って見せてしまったって時点でこの番組的には勝ちなんでしょう。多分製作者の意図を酌んで評価するには、「話の中身スカスカ」というような評価はまるっきり意味を持たないんでしょうなぁ。
 作品としてはどうか、商業的にどうかってのはまた別の話ですし、私の好みとか言い出すとそらもうまた全然えらく別の話になるんですが。


2003年09月28日() 旧暦 [n年日記]

神戸行ってきますた

 つっても、用事の方で時間が潰れて、観光とかそんな余裕はなかったわけですが。用事そのものが楽しかったんで良かったんですが、帰りに大阪駅でとんかつ食ったくらいです。ハイ。
 帰ってから 555 とか アバレンジャー とかを見る。アバレンジャーは新戦士・アバレマックスの登場。なにげにアバレンジャー、これまでの戦隊ものの常識破りだよなぁ。六人目の戦士はアバレッドのパワーアップフォーム。5人目のアバレキラーは未だ敵のままだし、ジャンヌはどうもまほろが乗っ取られたとか単純な話ではない様子。長官役のアバレブラックは来週、どうも……のようだし。
 555は、ひとつだけ言ってもいいでしょうか? 巧、555になるよりオルフェノク体の方が強くないですか? ま、それはともかく、澤田を倒した巧はSB社社長の村上に掛け合い、SB社の謎の技術により真理を生き返らせてもらう。しかし、巧がオルフェノクと知った啓太郎たちとはどこかぎこちない。さらにラッキークローバーの琢磨と冴子の急襲に、ファイズギアも奪われ、やむを得ず巧はオルフェノクに変身する。が、巧のオルフェノク体を見た真理は、同窓会のときに一体のオルフェノクが流星塾生を次々と襲った記憶を蘇えらせる。それは、巧の変身したウルフオルフェノクだった……
 井上敏樹脚本だからいつの間にかうやむやになってる可能性もないではないですが、めっさ面白いですよ、今の展開。先日の富士急ハイランドでの公開撮影のレポートによると、○○が555に変身する展開もあるみたいだし……ただ、折角新デルタの中の人になったというのに、巧周りの展開が怒涛過ぎてイマイチ目立たない三原君が哀れ。
  ロッキーホラーショー を神戸の往復で見終える。まっとうな筋立てではないんで、ヲイラのいつもの評価軸が全然適用できない。でも、変態映画としてエポックメイキングになったのが非常に良く分かる。音楽とテンポがいいんで、展開に整合性がなくてもついつい見入ってしまうしね。しかし、これを気に入るだろうと深+のマスターに薦められたのは複雑な気分だなぁ。それが当たってたとしても。
 ボンバーマンジェッターズの、見てなかった最初の方の部分を見る。終盤から最終回の展開を見てると、最初の方では「?」だった細かいイベントも後につながってきて泣ける。ただ、第14話「栄光のヒゲヒゲ団」は笑えすぎ。すげえ。徹底しすぎてる。
 ちとあるアレで、某マンガ雑誌編集が持ち込みのアマチュアに対して言った言葉を見る。別に悪気はないのはわかるし、仕事としてはわからないではないのだけど、マンガ編集としてそれはどうよ、ってな感じが、マンガ読みとしてはびしびしするんですが……いや、どうりでその雑誌は全般的に(ピー)だと思った。それでも頑張ってる連載作家さんたちの戦う姿勢にはますます頭が下がる思いでしたが。


2002年09月28日() 旧暦 [n年日記]

完璧な帝王たちの時間

 神林版「ラーゼフォン 時間調律師」の感想。神林長平の ラーゼフォン ノベライズに関しては、「いったい誰が話を持っていったねん」という違和感に対して、「どうして神林長平に話を持ってくねん」という疑問はまったくと言っていいほどなかった。それは、そもそもラーゼフォンがもともと一枚絵的なイマジネーションの世界から出ている作品であるところに対し、神林長平のイマジネーションの世界がマッチングしているように感じたからだと思う。実際読んでみて、それは正解だったと思った。ラーゼフォンにおける幾つかのキャラクター、設定などを確かにベースにしているものの、ストーリーラインそのものはテレビ版ラーゼフォンが「少年時代の初恋」を回帰する物語だったのに対し(その為の手法等は結局うまくなかったと思うが)、小説の方は「親殺し」「兄弟同士の骨肉の争い」という、神林長平の小説で何度か使われたモチーフをベースにしている。主人公すら異なっている。結果から言うと、小説版は成功し、テレビアニメは失敗した。それはテーマそのものよりも、それを芸としてどうやって描くかが、いかに提示されたかだと思う(文芸とは「文」で「芸」をする、とは至言だ)。 グレートメカニック vol.6 を見て、富野監督と出渕氏のインタビューを読み比べると、その差から浮き出てくる。これまでの神林作品を読んだものとしては特に新しいところのない作品だが、「芸」としては間違いなく金銭を取るに値する仕事をしている。いや、テレビアニメ版に(少なくとも、直接は)金を払ってるわけではないけど。
  けんかに決闘罪を適用 。いや、死文化した法律ってのが多いのは知ってるけど、まだ決闘罪って生きてたんか……


2001年09月28日(金) 旧暦 [n年日記]

これでええんか?

  ジャングルはいつもハレのちグゥ の最終回。落しどころはここだろうとは思っていたけど、しかしなんつーか、まるで連載中断のような終り方……やはりシリーズものは終盤にかけてどう盛り上げるかが重要だなぁ。
  ムリョウ は相変わらずまったりしながらも物語の背景となる謎は少しずつ明らかに。「謎が謎を呼ぶ」というよりは少しずつ謎を明らかにしながら背景の物語が進行する形。背景の物語が登場人物たちの背景にも微妙に絡む辺りが実に上手い。
 ガンダムA2号、安彦良和氏の「ガンダムthe origin」は相変わらずのクォリティ。いわゆるキャラクター商品としてのガンダムとは一線を画する部分がある。前号よりは読めるけど、基本的にこの「the origin」の為の雑誌というのは変わらない。なんか惜しいなぁ。
 なんかWinのリソースがすぐに足りなくなるので友人に教えてもらってMaxFileCacheを設定。飛躍的に安定する。うむむ。のぶちゃんありがとう。
 アギトの劇場版は、出だしはかなり好調らしい。でも未だにロングランの千と千尋の神隠しは「タイタニック」の興行成績の記録を塗り替えてしまったらしい。なんか複雑な気分。