不定期日誌


google検索

日記内検索  ウェブ全体から検索

hns - 日記自動生成システム - Version 2.19.9

先月 2005年09月 来月
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
HNS logo

2005年09月11日() 旧暦 [n年日記]

[映画] ヒトラー 最期の12日間

 名古屋じゃまだやってると聞いて、あわてて見てきたわけですが。
 1942年11月、SSの将校に付き添われトラウドゥル・ユンゲは“狼の巣゛に出頭する。そこで初めて出会ったヒトラーは宣伝映画や新聞で見るのとは違う、紳士的な好々爺であり、彼女は彼の個人秘書として採用された。
 それから二年半後、首都ベルリンはソ連軍の侵攻により陥落しつつあった。首相官邸地下の避難壕の中ではナチスドイツの閣僚の誰もが敗戦を確信していたが、ヒトラーはその現実を認めようとせず、反撃の夢を見つづけている。そんな彼の妄想とも言える指令のために将校や市民は一層苦しめられる。
 そして私生活面では相変わらず紳士である彼の側には、退避を拒否し避難壕に残ったユンゲの姿もあった。
 ヒトラーは主役も含めて色んな映画で題材にされているけども、ヒトラーの秘書を勤めた女性の回顧録を元にされていて、私生活面を含めたリアルなヒトラー像を追求している。その徹底的な追及は、見る者に当時のベルリンに迷い込んだかと思わせるほど。
 本国(ドイツ)ではヒトラーや側近の人間的な描写が多い反面ユダヤ人政策等の描写が不足しているという批判もあったようだが、これは邦題どおりヒトラーの最期の十二日間とその直後のユンゲの脱出行が描かれているから、そうならざるを得ない。かと言って、ヒトラーの賞賛では決してない。逆に過度の批難的な描写の挿入なしに、同時進行的にヒトラーや首脳連の迷走とベルリンの惨劇のみが淡々と描かれる分、「事実の強み」としてメッセージが突きつけられる。邦題の「最期の12日間」の部分は、その意味では内容について良い提示になっている。(原題は“Der Untergang(転落)”)
 ヒトラーが敗戦を受け入れられず、中途半端に戦闘継続の指令を出しつづけたため、降伏も出来ず、将校や市民は戦禍の苦しみを受けつづけ、その側近たちもドイツの敗北は見えていたのにヒトラーに逆らうことは出来ず、その癖甘い見通しを抱きつづけている。その現実から逃れるために酒に溺れ、首脳部はますます機能しなくなっていく。そんな官僚的機構の瓦解が描かれる。
 一個人としてのヒトラーは取り繕っているわけではなく紳士的で、一方で「総統」としての妄想狂的な顔も晒す。ナチスの広告塔であったゲッベルスはかなり悪役的に描かれているが、それでも「怪物」ではなく、他の人物も弱い人間としての姿を晒されている。戦後、ヒトラーという怪物がドイツを誤った方向に導いた、というような見方が多くされてきた。だが、本当にヒトラーは怪物だったのか? ただ個人だったら妄想狂にすぎないヒトラーを怪物に仕立て上げたのは一体何なのか? この映画では確かにヒトラーは人間的魅力があるが、ヒトラー擁護では決してなく、突きつけているものもまた単なる批難ではない。
 ヒトラーの死に纏わるエピソードで印象的な話がある。ヒトラーが愛人(前日に簡素な結婚式を挙げていたのでこの表現は正確ではないが)エヴァと自殺し、その銃声が響いた直後、隣室で皆一斉にタバコを取り出して吸いだした(ヒトラーはタバコ嫌いだったので、エヴァを含め皆隠れるように吸っていた)、というもの。それはこの映画でも描かれているが、単にヒトラーの重圧が取り払われたということではなく、今後のことについて考えるような顔をしながらも、皆困惑したような表情のみを浮かべているところに問題の一端が如実に表されている。
 映画の最後、2002年まで存命だったユンゲ本人が登場し、「目を見開けばちゃんと見えたはずなのに」と、当時の自分への後悔を吐露する。
 何がヒトラーを怪物にしたのか。これは多分、世界の誰にとっても他人事ではない。まったく他人事ではない。

[特撮][アニメ] 井上セリフ

  響鬼 は体制刷新後の二回目。新キャラの京介の言葉から、母と離婚した父のことを意識した明日夢が、父に会いに行く。かなり強引なロケーションとか、行く先々で明日夢の父のことを誉めてる話を聞くのはご都合主義的すぎてちと苦笑なんだけども、犬小屋の下りはさすが井上敏樹氏、という感じ。こういうの上手いんだよなぁ。
 色々変えてしまってる(変えざるを得ない)状況だけども、ちゃんと大事にしてる部分ってのはあるのがわかって、安心。
 それと、脚本のクセが強いんで井上氏に批判が集中しているようですが、多分勘違いされてる方が多いと思いますが、井上氏はシリーズ構成ではないのですよね。好き嫌いはもちろんあるのが自然だし、それはいいのですが、そのことに対し「戦犯探し」をすること自体にはそもそも意味がないと思えるのですよね、状況を分析すると。
 でも最後の京介の「お前は俺のものになる!」は井上セリフすぎてワロタw

  エウレカセブン 。1クール目はお気楽に、2クール目は徹底的に突き落とす、という構成なのはわかるけど、やはり今更「人殺し・戦争をやってる」と自覚するのは、遅すぎるというか強引かと。ともあれ、レントンは居場所がなくなり家出、エウレカはレントンにこれまでと違う感情を抱いて戸惑い、新OPに出ていた新キャラも登場、お話は確実に転がってる。
 それにしても月光号に乗ってるのはダメ人間だらけってのはわかってたけど、今回はホランドが子供すぎ、というか、ボダラクが言っていた「エウレカがああなった原因」って、レントンじゃなくってニルヴァーシュだろうに……

  ゾイドジェネシス 。決起を決意したラ・カンは各地の反ディガルド勢力に檄文を飛ばす。ルージは街に残りハヤテライガーを使いこなすための修行を続けるが、かつてのラ・カンの腹心でもある灼熱のティ・ゼへの使者に立つことに……
 地味目の話だけど、二度目のハヤテへのエヴォルト、ディガルド四天王の一人・フェルミの登場と、それなりに見所も。ゾイドファン的にはブラストル・タイガーの登場も嬉しいらしい。今回は出ただけだけど。
 他には相変わらず妖しげなロンに、セイジュウロウの病状、ルージがラ・カンの檄文執筆を手伝うのを嫉妬するレ・ミィが、ラ・カンはルージをミィの婚約者にするつもりかもしれないと言われて一転動揺しまくったりとかのツボもはずさない。
 ミィのお婿さんに、はどうかはわからないけど、ルージを反ディガルドあるいはディガルド後の後継者として育てようという腹積もりはあるのだろうなぁ。


2005年09月12日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] どっちにしてもなぁ……

 昨日の選挙は自民党が300議席に迫ろうかという圧勝で、今回自民党を支持してた知人とかも喜んでる人が多いのだけど、個人的には浮かれてると言っていいほどの喜び方には違和感がある。私にはできない。
 まあ、民主政権には多大な不安があったので、その意味では良かったと言える。でも自民圧勝というのも行き過ぎと言うか。
 物事には何事につけ良い面と悪い面があるので、悪い面があることばかりを嘆いていても仕方ない。まあ、自民が圧勝したおかげで連立政権における公明党の影響力が小さくなったと思えることは喜んでおこう。
 民主党においては、戦略をかなり踏み違えたとしか言いようがない。昨年の選挙であれだけ岡田民主党を持ち上げてたマスコミって一体なんだったんだろう?
 自民の造反組は、ひたすら読みが甘かった。小泉首相の思い切りの良さはこちらの想像を上回っていたけど、 野田聖子議員が復党に色気を出したが武部幹事長ははっきりと切り捨てると言ってのけている毎日 )のは、造反組の読みの甘さをよく映し出している。
 来年の九月以降の小泉続投待望論も出てるけども、個人的には任期ですっぱりと降りて欲しい。私が小泉不支持ということではない。

[マンガ][アニメ] ちょっとペシミスト入ってるかも

  マンガと差別問題「エマ」漫棚通信ブログ版 )。う〜ん、言わんとすることはわかるし趣旨自体は正しいのだろうけど、騒ぎすぎ、という気も。「差別を刷り込むことになる!」的に、大騒ぎすることだとは思えない。差別を助長する意図がないのはわかってるのだから、出版社への連絡もしくはもう少し大人しめの論調に留めることはできなかったのだろうか?

  ローゼンメイデン・トロイメント公式サイト 。「CBCで今秋放送決定!」はいいのだけど、その前に前作をちゃんと流そうよ……orz

[特撮] ちょっと調子こいて私も

  戦わなければ生き残れない!電網山賊さん )で響鬼(というより高寺ライダー)と白倉ライダーの違いを明確に分析してらっしゃるのを見て、ちょっと感じることを。
 まず、私はロールタイプのヒーローというのは、好みではない。これは個人の嗜好だから仕方ないし、響鬼に対して共感を抱かなかったのもその為。
 しかし好き嫌いを出来る限り排除して分析すると、響鬼は社会人、特にお父さんがたに共感されやすい像なのもわかる。
 響鬼は「仕事は人助けのようなもの」と繰り返すが、実際の魔化魍退治は害鳥獣駆除に近く、確かに被害を防いではいるのだけど直接人々の危機に陥ってるところを救うという場面は少ない。また、被害が出てることに対し感情を表に出すこともあまりない。これって言ってることとやってることがちがくない? と一見思えるのだが、実はそうではない。響鬼にとって「魔化魍退治」は「仕事」であり、「人助け」はその仕事についた「原点」にすぎないということだ。
 「にすぎない」と書くとあまり大事でないように思えるが、実際仕事における原点って、大事な指針であっても、業務のやり方そのものの直接的な指針ではないんじゃないだろうか。あくまで方向性、原理。
 この見方をすると、響鬼が何故ああいう造りをしているのか、非常に納得がいく。どうして基本的にルーチンワークなのか。敵が大した強さでなく個性がなくてもいいような造りなのか。何故明日夢が魔化魍退治にあまり付き合わないのか。
 響鬼の中の鬼ってのは、実は「ヒーローという職業人」ということ。番組の構図としては「職業人としての先輩・お父さんの背中にあこがれる後輩・子供」になる。だから、特に明日夢が弟子になる必要もない。あこがれてるのはその「人」であって職業自体ではない。
 人里から離れたところにばかり魔化魍が出現する舞台を整えてるのも(例外はあるが)、妖怪が出そうなところという以外に、職場という一種外部との隔絶環境を再現していると考えられる。
 こう考えると、響鬼ってのはちゃんとそのコンセプトに則って作られている。
 だから体制刷新後に不満を持つ人の気持ちもわからなくはない。こうした構図が崩されているのだから。
 ただ、刷新後のスタッフが色々制約がある中でどれだけエッセンスを残していけるか、というのは興味深い。
 今週の回で明日夢の父親を出し、職場を追いかけさせて職業人としての父親を投射し、明日夢と父親(的存在)の関係を再構築したのは、なんとか上記の構図を出来る限り取り入れようとする模索に思える。(そのままの形で継続することは不可能なのは自明なため)
 上の電網山賊さんにもあるように高寺氏と白倉氏はベースのヒーロー観が全く異なるので、不安材料が大きいとは言えるけども、こういうサンプルは珍しいので観察対象として興味深いのは間違いない。


2005年09月13日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] かくも選挙は難しい。

 次のようなものを見かけた。
  自民党・・・女は騙してなんぼ。ちゃらちゃら遊び人

  民主党・・・女の顔色うかがってばかりのモテない君

  公明党・・・優しい笑顔で近づいて、薬を飲ませて・・

  共産党・・・真面目一徹、最後に女が戻ってくる場所
 最後の、ちょっと理想を込めすぎじゃありません? 次のように書き換えるべきかと。
  共産党・・・頑固一徹、ただし生活力は全くナシ
 誰を選ぶか、難しいところだよね?

[その他] 徴兵制?

 ちょっと若い子達が「憲法九条が変えられて自衛隊が軍になったら、徴兵制が復活するからヤだよね」と素で話してるのを小耳にはさんで、ずっこける。
 アホちゃうか。
 前もって言っておくが、私は自衛隊の名称変更の支持者ってわけじゃない。名前よりももっと色んなこと充実させろよ、とは思うが。
 「軍の呼称が復活すると徴兵制も復活する」なんてのはちょっと考えればありうるはずもなく、単に自衛隊に反対したい勢力が打ってるだけのゴシップ(それも実現しようのない都市伝説的な)であることはわかるのだけど、うまうまと乗せられちゃってそれに気付いてないんだねえ。
 ま、今度機会があったら「アホちゃうか」と「それがどれくらいあり得ない絵空事か」という辺りを説教してやろう。ウザがられるだろうけど。

[必殺] 気がつかなかった

 月曜日(12日、つまり昨日)よりTV東京系昼「時代劇アワー」(AM11:30〜)にて「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」が放送中。これまでからくり人を飛び飛びにやってるから絶対やるって思ってたのにうっかりしてた!
 まあ、DVD持ってるんでフォローできますけどね。
 ちょっとこれまでのシリーズと比べてもなぁ、という感は強いのですが、沖雅也の演じる最後の必殺レギュラー(スペシャルを除けば)「唐十郎」はこれまでの集大成。北斎・お栄親子もいい味を出している。


2005年09月14日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] ××××道不覚悟切腹よ♪

  号外 衆院選2005を斬る!社会派君が行く! )。村崎百郎氏と唐沢俊一氏の論調の対比が面白すぎる(笑)。私が共感するのは、言うまでもなく唐沢氏だけど。村崎氏の吐く気炎も「日刊ゲンダイがグチのはけ口にしてるようなら大丈夫」で一発キャンセルだものなぁ。
 が、注目したいところはそこではなく「民主主義道不覚悟」の一言。民主主義ってのは確かにそういうもの。悔しがろうがホゾ噛もうが構わないけど、結果が出る前にそれに同意したなら自分の思い通りにならなかったからという理由で後からシステムを否定してはダメ。
 今回喜んでる側(自分も含む)も、立場が反対だったらどうだったか。民主主義道不覚悟にならぬよう、気をつけねば。
 あと、個人的には民主主義において一番危険なのは独裁者になろうとする人物ではなく、民衆の英雄待望論だと思います。

 床屋政談ついでにもひとつ。前に対中国、っつーか靖国参拝関連 *1 のことで話してて、中国市場進出の障害になるからやめるべきだ、と言われた話まわりで喧々囂々してたら「今さら鎖国でもするのか!」と言われ、ハァ? となってしまったことがある。いや、私も対韓国、中国については色々感情的に物を言ってきた過去があるから誤解されても仕方ない非はあるのだけど、そんなことは一言も言ってないしむしろ逆。その為にはシーレーンの確保(とか)が重要で、米国との軍事協調支持の意見とかも全部そこらへんからの必然に過ぎない。中国とは仲良くする必要がないと言ってるわけでなく、別に必要以上に媚びることもない、と言ってるつもりだったんだけど……
 こんな話を急に思い出したのは、今回の選挙結果を受けて 中国紙「有権者が靖国参拝支持したわけではない」日経 )と、おそらく中国内向けのコメントが見られたため。あまり油断できるわけではないし簡単に靖国云々を引っ込めるわけにも行かないのだろうが、中国も日本との関係悪化(特に経済方面の関係)を望んでいるわけでもなく、その為のフォローだろう。
 まあつまり、中国はツンデレ、ということで。
*1: 私の立場は「しなければならない」とは思わないが、他国がどうこう口を出す性質のものではない、というもの。

[その他] これも演出?

  立っているのも難しい台風の中で必死に中継。でも、画面が切り替わる直前に……??  種明かしすると、 レポーターが台風の中で必死に風に抗ってる演技をしてただけで、画面がまだ切り替わってないのに気付かず画面が切り替わったと思ったとたん、何事もなかったかのようにすたすたと画面外に歩いていってしまった。腹が立つより先に、コントのようなシュールさにすげー笑った。

[必殺] 駿州片倉茶園ノ不二

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第三話。
 殺しの依頼の隠された北斎の富嶽百景に従い、駿州を訪れたお艶一行。絵の題である「片倉」を捜し求めるが、そんな土地はどこにも見つからない。それもそのはず、片倉とは地名ではなく小島藩にある茶問屋の屋号だった。
 小島藩はお茶以外の産業も特産もない貧しい小藩。その小島藩の茶が将軍家の御飲用になるかもしれない、という。現在御飲用である宇治から茶を運ぶ御茶壷道中、その責任者である玉木千阿弥が口入を申し出ているのだ。もしそうなれば藩の待遇は上がり、藩も領民も潤う。しかし、そんな千阿弥に切りかかろうとする若侍がいた。
 お艶たちは若侍が口にしていた「琴路」という名前をたよりに事情を探ると、御飲用採択にまつわる悲惨な話が明らかになっていく……

 一話・二話については後日DVDでフォロー予定。
 軽くシリーズの説明をすると、シリーズ第十一弾「新からくり人」の直接の続編、ということになっている。が、キャラクターとして共通しているのは泣き節お艶のみ。キャストとしては芦屋雁之助も登場しているが、「火吹きのブラ平」ではなく「宇蔵」というキャラクターである。
 お艶一座の「東海道五十三次殺し旅」の評判を聞きつけた殺し屋の元締め・永寿堂与八が手下である唐十郎を通じ、「富嶽百景」に隠された殺しを依頼するというもの。
 いろいろ安易な企画、という感は免れえず、シリーズ中での評価も微妙。
 詳細は後日書く一話に譲るとして、今回は権力者に翻弄される小藩の悲劇が描かれる。茶壷道中というのは「ずいずいずっころばし」に出てくる「茶壷」のことで、「茶壷に追われて戸、ぴっしゃん」とあるように、将軍家御飲用の茶壷を輸送する一行は、下手な小藩の大名行列など比べ物にならないくらい恐れられていた。粗相などしようものなら勿論切り捨て御免。(だから童謡の中では触らぬ神とばかりに「追われて逃げてる」) しかしそれだけに御飲用になればその待遇はひとかたならない。
 武家の子女までも総出で茶摘をせねばならないほどの小藩・小島藩家老玄蕃はそのために娘まで差し出し、それが原因で娘が自害することになっても忍従に忍従を重ねる。実際には千阿弥にそのつもりは毛頭なく、千阿弥に取り入ろうと片倉屋が吹き込んだ悪知恵なのだが、疑いつつも藩と領民の為と耐えに耐え、千阿弥を討とうとする若者たちを抑える。しかし、もう一人の娘が妹の敵を討とうとして返り討ちにあったとき、玄蕃はついに腹を決める。
 どうしてあんな方法を取ったか、というのは、玄蕃自身が斬ればお家の断絶にまでなってしまうことは明白だからだろうし、お艶一行の目的を察しながらも泳がせたのは、そのときのためだろう。この話の見所が玄蕃のひたすらの忍従、そして最後の解放にあることは間違いない。
 殺しのシーンとその演出もこの時期の必殺は完成の域に入っており、勢いのある流れの良いシーンになっている。木陰の中でのお艶のシルエットの殺陣や、唐十郎の優美で勢いのある動き、宇蔵のユーモラスな力技と、バランスも良い。


2005年09月15日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] そんなものを買うならば

  ほっとけないホワイトバンドますますほっとけないホワイトバンド (共に 井上孝司の週刊連載コラム )。ちょっと論調が攻撃的だけども、私のホワイトバンドに対する考え(「何の意味もない」)も基本的にこれと同じ。若干違うのは、 ここらへん を見るとボランティアにかこつけ宣伝費やらを節約させた商活動と見た方が良さそうだ、ということか。
 「募金活動なんて言ってませんよ? あくまで政治活動で賛同したら買ってくださいって言ってるでしょう?」とちゃんと逃げ道が用意してあるところが周到。結局は何の活動にもならず、「情報」を購入者に消費させることで利益を得ているだけだろう。
 まあ、消費者側も冷静に考えればコンビニに並んでる中国のおばちゃんの技術の結晶であるフィギュア付食玩だって250〜350円程度で普通に利益が出てるのに、あんな輪っかくらいでいっぱいいっぱいなんてありうることかどうか、わかりそうな気もする。だったら食玩の方を買うけどね。
 追加:もう少しだけマシなのは、第三世界の地域紛争関連の少しくらいはまともな本を買う足しにすることだ。本を読んで理解した気になるのは危険だが、読みもせずに理解した気になる方がもっと危険だ。
 追加2:敢えてわかってて皆言わないのだとは思うが、この手の運動は「無駄」である。無駄とわかっていても、何かしら行動したい、という祈りのようなものだ。そして誰かがそれを食い物にして金儲けの種にしている。そゆこと。

[その他] ヌヌネネヌヌネノ

  奥さまは魔法少女 。実質上のシリーズのクライマックス、かな? 保は嬉子から世界の真実と彼女の正体を聞かされ、すべてを受け入れる。この辺、大人だねぇ。嬉子は最低限巽が助かるようにと逃がした後、一人でワンダーランド消去に抗う。さやかは「こんなことで終わらせたくない!」と、戻ってきた巽と共に嬉子に加勢する。
 嬉子が自分ひとりで世界を守るという頑なさをどう打ち破るのか、さやかが「したいこと」をどう見つけるのか。この話の収束するところはほぼそこに集約されるだろう。嬉子が他人にゆだねるということを知り、さやかも世界を守りたいという気持ちが嬉子の行動と重なったとき、受継ぎは完了する。
 先日書いた響鬼と明日夢の関係では導き手は「立派な大人」(という役どころ)なのだけど、「必ずしも立派でない大人」でも導き手になりうる、と示した技量には感服する。 *1
 次回は嬉子が評議会に直談判に行く。けど、後二回あるんだけど、実質キャラクターの問題はほぼ解決してしまった状況でどういうふうに話を進めるんだろう?

  かみちゅ! #8。海に沈んだ戦艦大和(の魂)を帰還させる、という話なのだけど、正直、自分としては乗り切れなかった。それは作品側のせいかと言われると、多分違うけど。
 福野礼一郎氏の「ホメずにいられない!」「同2」で、タイトルに関わらずホメていないものが二つある。三八式歩兵銃と、九十式戦車だ。その工業製品としての素晴らしさやそれを作り上げた人たちへの敬意は勿論書き綴りながら(氏自身そういうものが大好きな人らしい)、「しかしホメるわけにはいかない」と締める。
 何故か。それらの物としての役割、機能、それに纏わる営みを考えた時、そこには「戦争」というものが絶対外す事が出来ないからだ。だから、素晴らしいものでも単純にホメるということがおいそれと出来るわけもない。その必要性と素晴らしさを認めつつ一方での本質も提示する。氏ならではのバランスなのだろう。モノに罪はない。出来は素晴らしい。必要でもある。しかし生まれの不幸、とでも言うのか。
 #8を見て、どうしてもそのことが念頭から離れなかった。スタッフのせいではないだろう。が、知ってしまえば「ただ賞賛する」ということが安易に出来なくなる。「物」は結局人と関わってこその「物」であり、自分はその関わりの一面だけを見る事を無責任に感じてしまっている。
 「いい話(人情話として)」なのはわかるしその意味では良くできてるだろう。こだわってしまうのはこちら側の要因に過ぎない。だが、今回は敢えて評価する事を放棄する。良いとも言わない。悪いとも言わない。

 とりあえず重い話題で終わるのもなんなので、 (゚∀゚)ラヴィ! ということで。
*1: 「立派な大人でない」ことを批難する感想が多いけど、「人間ってそんなに立派になりきれるものじゃないでしょ、でも立派になろうとするから立派たりえるんでしょ」と私などは思う。

[必殺] 神奈川沖浪裏

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第四話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 絵に従って「神奈川沖浪裏」に描かれた相模の浜にやってきたお艶一座。丁度その目の前で漁師たちが何者かが殺される。殺されたのは相模の網元魚辰の若い衆で、魚辰と向こうを張るもう一つの網元魚甚が真っ先に疑われるが、魚甚は自ら出向いて潔白を訴える。
 魚甚は本当に無実なのか、誰か他の者の計略なのか、それを探るために江戸でこの不漁で儲けたのは誰か、お艶は唐十郎に江戸へ行って探るよう頼む。
 実は今回の件を裏で糸を引いていたのは大問屋の上総屋。しかし上総屋は今回の件に唐十郎が絡み自分を狙っていると知って顔色を変える。唐十郎と上総屋には過去の因縁があった……

 見届け役ということもあり仲間内からは白眼視されがちだった唐十郎の主役回。
 これまで元板前だとか元役者だとか言われ、あくまでサポート役だった唐十郎だが、今回、許婚を勤め先の主人に手篭めにされ、その恨みで闇の世界に転落した過去が明らかにされる。その主人が何の因果か今度の黒幕・上総屋。上総屋は相模の漁を邪魔する事で、初鰹の相場で暴利を貪っていた。
 最初は網元同士の争いかと思われた話は、横恋慕により許婚も板前としての未来も失った唐十郎と唐十郎に殺されかけた上総屋の二人の対決にスライドしていく。これまで情を表に出さなかった唐十郎が人間味を見せる反面、案外と過去のしがらみの描写が薄く物足りなさも覚える。上総屋の女房にされた元許婚がもっと話にからんでいれば、とも思うが、話がスライドしたせいか、唐十郎の過去話が詰め込まれすぎたせいか、その余裕はなかったようだ。しかし元許婚の横に眠る上総屋を顔色一つ変えずにしとめる姿は、隔てられた年月を感じさせ、唐十郎のキャラを立たせる話という意味では、十分及第点ではある。
 でも最後の殺しのシーンで主題歌「夢ん中」を流し、その直後に間を空けずにもう一度エンディングで「夢ん中」を流すのはちょいとどうかと。一番と二番で通しにするわけにはいかなかったのかなぁ。


2005年09月16日(金) 旧暦 [n年日記]

[その他] 本当だったらお笑いネタだが

  「カトリーナはヤクザの仕業」 米天気キャスターが発言産経 )。一応 海外のニュースフラッシュにも流れている が、流石にこれは笑っていいだろう。台風ゆりえか?

[必殺] 本所立川

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第五話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 次の仕事は本所立川。絵をあぶると川の水が赤く浮かび上がったのに、一座は皆首を捻る。
 その本所立川では、「おいてけ堀」と河童が出るとの噂で持ちきりだった。
 探索する宇蔵と鈴平は怪しげな少女を見つけ、一座に連れ帰る。しかしその夜、宿に河童の格好を何者かが現れ、少女を連れ去ってしまう。それを追った宇蔵たちは、河童の格好をした少年少女たち、そしてその保護者らしい老人と出会う。
 隼の俊次と名乗るその老人は、子供たちを食わせるために子供たちに河童の格好をさせて魚泥棒をしていることを明かす。悪人ではなさそうと判断した宇蔵たちは老人たちを突き出すのはやめるが、子供たちにまっとうな生活をさせようという俊次は、旗本の神尾と手を組み、大仕事を行う。しかし……

 今回から諸事情によりうさぎ役が高橋洋子から真行寺君枝に変わっている。高橋洋子のうさぎは野暮ったさのやや残る娘っぽさがあったが、真行寺君江のうさぎはエキゾチックさをどこか漂わせるものとなっている。
 それはさておき、今回は親方から逃げてきた軽業の子供たちと足を悪くした老盗賊が描かれる。
 老人は火盗改めに追われ足を怪我したところを子供たちに庇われ、子供たちは軽業の親方から逃れ行き場のないところを老人に養われる。寄り添うように生きる彼らが、はかない夢をかなえる為に出た一世一代の大仕事が、悪人の手により踏みにじられる。
 あくまで子供たちを守ろうとする老人、老人を慕い、離れようとしない子供たち。泥棒は悪い事だが、老人には他に子供たちを養う術はない。そのことをわかりながら、お艶たちは無垢な子供たちが染められ、裏街道に踏み込んでしまう事を懸念する。
 間違ってる事は知りつつも他に方法を知らない一本気な老人、そしてその顛末と子供たちの未来を正すからくり人たちと、綺麗にまとまっている。それも闇の世界に踏み込めば、二度と戻れないことを知ればこそ。
 殺陣のシーンはいつもに増して闇と光のコントラストを際立たせている。花火を使ったケレンのある演出、遠近自在の唐十郎の立ち回りと、今回も魅せる。

[マンガ] OURs増刊HELLSING外伝とか

 昨日出てたのでとりあえず購入。ついてたOVA版「HELLSING」のプロモーションビデオは、まあこれだけだと判断しづらいところがあるけどTVアニメでは未登場だったあのキャラやらこのキャラやらがバッチリ登場していて、しかもできるだけ平野絵の歪み方を再現しようとしてて、そこらへんに期待。CGっぽさが勝ち過ぎるきらいはあるけど、実物だともうちょっと変わるのかな?
 週刊少年チャンピオンでこないだから始まった藤見泰高原作、カミムラ晋作作画の「サイカチ」はあからさまに「ムシキング」人気の便乗企画なのだけど、ブレーンがついてて虫の習性やら生態やらをきっちり盛り込んでるのが好印象。作画のカミムラ氏は新人賞出身らしいけど、まだ未完成ながらも虫を描く画力はきっちりあり、ちょっと期待したい。
 漫画ゴラク連載の土山しげる作「喰いしん坊」は相変わらずただ「喰う」ということがひたすら描かれるだけなのだけども、大食いの(多分読者にはほとんど実利がない)ウンチクノウハウのケレンを利かせながらもひたすら「喰う」というだけの行為がエンタテイメントになってしまうという稀有な作風になっている。「食キング」とかの時は正直狙ったB級すぎて個人的にはそんなにだったのだけど、どこかの雑誌別冊で大部屋時代劇役者の実録モノを描いたのを見たとき、ちゃんと人間を描ける人なんだ、とちょっと驚いた。際物っぽくはあるんだけどこういう変化球ながらも純エンタテイメント的なこともできてしまい、まあ、ストーリーテリングとしてはあまり期待してないながらもこの喰いっぷりが見られるだけでしばらくはいいや、などと思えてしまう。
 この辺は業界全体の漫画の技術が上がったのかスタイルが変わったのか、グルメ漫画もただ「食べ物をリアルに描く」「ウンチクを載せる」だけでは今一歩で今一定の支持を受けているのは「喰いっぷりがいい」「ドラマの完成度が高い」など、さらに付加価値のあるもののように思える。ちょっとした情報などは、簡単にネットで露出する時代になったし、「美味しんぼ」などは、その方面では時代に取り残されてるなぁ、という感は否めない。


2005年09月17日() 旧暦 [n年日記]

[必殺] 江戸日本橋

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第一話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 江戸に、家財道具を満載した大八車を引く女と、それを押す老人の姿があった。老人の名は葛飾北斎、女はその娘おえい。引越し魔の北斎はひとつところに居つくということをせず、仕事もろくにはかどらない。そんな北斎に声をかけたのは版元の永寿堂与八。裏の世界にも通じる永寿堂は、安藤広重の仕組んだ「東海道五十三次殺し旅」のことを知り、自分も同じコトをしようと北斎に「富士の絵に殺しの相手を織り込んで欲しい」と依頼する。永寿堂は五十三次があれだけ売れたのは庶民が殺しの臭いを無意識に嗅ぎ取ったからだと睨んでいた。
 一方、一年前にその「五十三次殺し旅」を終え江戸に帰ってき、「出雲太夫」と名を変えたお艶たち一座。しかしまたもや風俗紊乱のかどでお上に睨まれ、江戸追放の憂き目を見る。そしてお艶一座に声をかける永寿堂の手下の唐十郎と名乗る男。いろいろあって唐十郎以外の手先がいなくなった永寿堂は、お艶一座に「富嶽百景殺し旅」を依頼する。その見届け役として、唐十郎を一座につけることになった。
 富嶽百景の一枚目「江戸日本橋」の蔵の立ち並ぶ川岸、心中を描きたいからとそこに心中を見に来た北斎は、津軽じょんがらの瞽女が蔵に連れ込まれ、逃げようとした瞽女の一人が殺されるところを見てしまう。逃げようとした瞽女の三味線からこぼれた白い粉、それは間違いなく阿片だった。
 お艶たちに届けられた「江戸日本橋」の絵をあぶると「井」の印のついた蔵が真っ赤に浮かび上がる。それは津軽の米問屋、井筒屋の蔵だった。

 必殺シリーズ第十三弾として企画・制作され、第十一弾「新必殺からくり人」とは直接の続編。裏の世界の東海道五十三次殺し旅の評判を聞いた永寿堂が、今度は「富嶽百景殺し旅」をお艶たちに依頼する。しかし、「天保太夫」から「出雲太夫」と名を改めたお艶以外は、キャラクターは一新。前作でブラ平を演じた芦屋雁之助は「宇蔵」という、特製のやなを相手の頭にかぶせ、頭蓋骨を絞り殺してしまうという技を見せるキャラになっている。小駒の姿も見えず、どうなったのかは不明。高橋洋子演じる(五話からは真行寺君江)「うさぎ」がそのポジションになっている。第三話で「一年前に娘を失って〜」と被害者に近付く際に身の上話をしているが、それが小駒なのか、近付くための嘘なのかは明らかにされていない。他には、声帯模写芸の江戸屋子猫演じる鈴平が探索役。気が弱く、コメディリリーフの役どころを担っている。
 また、富嶽百景殺し旅となっているが元にされているのは富嶽三十六景の方で、その上梓は天保二年、広重の東海道五十三次の上梓は天保四年で、年代的にもちょっとおかしい。
 考証の甘さの他に、BGM・主題歌もシリーズ第十二弾「江戸プロフェッショナル必殺商売人」のものをそのまま流用しており、企画としてはかなり安作りの感は免れない。
 が、同時にこの時期は殺陣・演出などの必殺のスタイルが完成・円熟の域に達しており、シリーズ中でも高レベルに位置している。また今作が三度目のレギュラー出演となる沖雅也演じる「お役者唐十郎」は「必殺仕置屋稼業」の市松をさらに完成させたようなキャラクターで、殺しの為にあつらえられた、先端に針を仕込んだ伸縮自在の釣り竿で、華麗な殺陣を魅せる。
 サブキャラとしては、小沢栄太郎演じる葛飾北斎も強烈なキャラクター。安藤広重は理性的で、世の非道を絵に隠しお艶一座に殺しを依頼していたが、葛飾北斎は世の非道や犠牲者も絵のモチーフに過ぎず、オランダ製の絵の具のために仕事を引き受けたに過ぎない。絵のためなら吉田日出子演じる娘のおえいまでも女郎に売り飛ばそうというこの絵狂いぶりは、最終回、自らの死も省みず一心不乱に筆を動かし続ける鬼気迫る姿に集約されている。 *1
 惜しいのは永寿堂与八で、第一話で「富嶽百景殺し旅」を依頼した裏には何かありそうな含みを持たせていたのだが、結局シリーズではそれが明かされる事なく、中途半端に終わってしまう。
 第一話の流れはほぼ「新からくり人」第一話の焼き直しだが、これらの強烈なキャラクターの彩りもあって、見ていて飽きないものになっている。
*1: 北斎・おえい親子は仕事人スペシャル「大奥春日野局の秘密」でも登場しているが、こと際は北斎が東野英次郎、おえいが黒木香という配役だった。


2005年09月18日() 旧暦 [n年日記]

[アニメ] あ〜、こんなところにいた

 昨日、H氏、O氏と話していて、「兵頭まこって今何に出てるの?」という話になった。「アギトで怪人の声を当ててたけど(全然最近ではない)、他になにか最近見た気がするんだけど……」と首を捻ったが、今日判明。
  ゾイドジェネシス の敵の幹部・フェルミ役で出てますた。全然気が付かなかった。

[特撮][アニメ] こんな人、いるいる

  響鬼 。布施明が演じる小暮が引っ掻き回す引っ掻き回す。あちこち見ると評判悪いんだけど、個人的には大笑い。こういう人、確かにいるよなぁ。天才的だし、確かに専門分野においては有能なんだけど、ひたすら独善的で周囲を引っ掻き回す、組織にいるとはた迷惑な人。その癖憎めないので余計にたちが悪い。(笑)
 あれ? これって響鬼の制作体制になぞらえると……とちと考えてしまったりするが、それはさすがにうがちすぎか。
 今回は会社的組織が内外でひたすら引っ掻き回される内容で、内部の話はそんな迷惑な人はちゃんと鎖でつないどけよで済むのだけど、外側の話はどう解釈すべきか。これまで童子と姫は男女の声を入れ替えて人格性を担わせつつ人外性を持たせていたのだけど、それがなくなったというあたりがまだ判断できない。

  エウレカセブン 。このけったいな構成の意味はなんだろう、と思っていたけど、今回見て納得。少年が世界に飛び出て行く話、というのがシリーズ全体での一つの軸なのだけど、ゲッコーステートはひとつの閉じられた世界で、レントンに世界のあちこちを見せる舞台としては成り立ちにくい、ということでこういうシチュエーションを持ってきた、ということか。いろいろ無理は感じるのだけど、では無理なく構成したらどうか、と考えてみると、間口として別世界が前面に出て、おそらく意図から離れてしまうだろうとも思える。必然性はやはりあるのだろうなぁ。
 ビームス夫妻の名前って、チャールズとレイか。

  ゾイドG 。ザイリンは故郷の変わりようをまざまざと見せ付けられ、ラ・カンの元には各地の反ディガルド勢力が結集するも、今後の不安を感じさせることになる回。
 ザイリンの村も昔ディガルドに征服され、ゾイド乗りとしての才能を見出されたザイリンは軍に徴兵されていた。そして久々に帰った故郷は変わり果て、かつての景観は見る影もなく、人々もまた変わっていた。これはザイリンの今後の行動に影を落とすのか、落とさないのか。
 一方、ラ・カンの元に集まった連中はそれなりに腕自慢ではあっても山出しの烏合の衆丸出しで、統率が取れない以前の問題。到底統率の取れたディガルドに対抗しうるとは思えない。しかもその統率のなさのために崩壊すれすれの勝利だった事がラ・カンたち以外にほとんど誰も見えていない。壊滅と敗走が約束されたかのような展開だが、今後どうなるのか。
 また、四天王の一人「ソウタ」が登場。年齢はルージたちと同じくらいなようだが、こちらは子供ゆえの残虐性を持ったキャラクターっぽい。


2005年09月19日(月) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 隠田の水車

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第二話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 北斎の絵に従い隠田にやってきたからくり人一行。しかし絵を火にかざして浮かび上がったのは絵の隅っこにあるひもにつながれた亀。また何の娯楽もない小さな村に生糸商人がこぞって泊まることに、疑念を覚える
 一方、村では若い娘が二人、神隠しに遭うという事件が起こっていた。実は大寒の小島、庄屋、寺の和尚が結託し、商人たちの女遊びに村の娘をあてがい、その後は遊郭に売り飛ばすという真似をしていた。
 そんな神隠しにあった娘の一人おたねを探す若者亀吉が地回りに袋叩きにされているのを助けた宇蔵。神隠しと依頼の件とが関わりがあるのではないかと睨むが、遊郭に売られたおたねを見つけた亀吉は、翌日おたねと一緒に首を括った姿で発見された。
 和尚たちは悪事隠しと邪魔者の始末をいっぺんにしようと、娘たちの神隠しはお艶たち一行の仕業と村人を炊きつけ、小屋を襲わせようとしていた。

 「富嶽百景殺し旅」全話に言えることなのだけど、わりと絵のヒントがどれも強引。手下の唐十郎もいるのだし、これで殺しをさせるより、直接依頼内容を伝えた方が余程手っ取り早いと思えてしまうのだけど。「様式美だからそれは言いっこなし」と言ってしまえばそれまでなのだけど。
 判じ物としても強引で、お艶一行が様子を伺っているうちに犠牲者が増えてしまった感は否めない。ただ、扇動された暴徒から身を守るために鈴平の泣き真似が大活躍したりという場面は見所。超聴力と言い、能力だけなら最強クラスの諜報屋じゃなかろうか。そしてやはり殺陣は豪快かつ洗練されていて、後期のルーチンワーク化されたものや前期の荒々しくマニア向けの殺陣の間に立つ過渡期のもので、やはりバランス良くレベルが高いとうならされる。

[アニメ] いじめっ子理論

  絶対少年 #17「それは関与できない問題」。
 奨励会の昇段試験の件で、希紗に不安を打ち明ける成基。やはり成基にとっては「普通でない事」を相談できる同世代の相手は希紗しかいないのだろう。が、その直後に理絵子に希紗の不登校のことを相談された時には不快感を示す。理絵子は希紗を心配すると言いつつ、希紗を「普通」の枠に当てはめようとしていると感じているのだろう。理絵子は「普通」の枠の中で生きていける人間、自分がその中にいることに安心する人間だが、成基は理絵子から見れば「普通」ではない生き方を選んだし、希紗もまた、彼女なりのやり方で自分の価値を見出していくしかないのだが、自分の基準で全て当てはめようとする理絵子の行動は、成基たちから見れば無神経極まりない。
 成基が理絵子の言動を「いじめっ子はいじめられっ子に問題があるって言うよな」と評する言葉は辛辣であるが、事実を突いてはいる。成基や希紗から見れば、理絵子の基準は結局学校で希紗をいじめている連中と変わりはない。「自分が変わらなきゃ」って安易な言葉は「今のお前には価値がない」って言われているのも同然なのだと、彼女らは気がつかない。
 成基はそうは言いつつも他人と自分を比べてイライラしている自分に気付き、そうではなく自分が何をしたいのかが大事なのだと、将棋の世界で生きていくからには自分を見失わない事が必要なのだと気付き、「りえぞーにはわからないし、わかる必要もない」と(多分悪気もなく)言い放ってしまい、それがまた何かをこじらせそう。
 理絵子は「普通」という殻の中に身をおき、それは学校という社会の中では居場所のある殻であり、ひょっとしたら今後も別の殻に次々乗り換えていくのだろう。だから成基は理絵子はそういう悩みは理解できないし理解する必要もない種類の人間だと思ったのかもしれないけど、刺激と希紗に対する疎外感は一層深まったよう。
 次回はついに希紗と歩が接触する。


2005年09月20日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] Operaバナー広告撤去

  Operaプレスリリース より。
 なんだ。こないだの10周年記念の時に十個くらいライセンスキー確保したのに。いや、ちゃんと全部違う、reachableなメールアドレスで取得しましたよ? おそらく登録したメールニュースは半数以上が中国に飛んでいることと思います。笑い。

[必殺] 下目黒

 必殺シリーズ第十三弾「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」第六話。現在テレビ東京系時代劇アワー(月〜金AM11:35〜)で再放送中。
 唐十郎が持ってきた次の依頼の絵は下目黒。下目黒といえば町奉行の支配地で、裏稼業の上に江戸所払いの身の一座にはあまり近寄りたくない場所だ。渋る一行だが、絵を火にかざすと赤く染まったのは鷹匠。皆バラバラに下目黒にもぐりこむ事に。
 その下目黒ではお鷹組組頭・前田伊三郎が権勢を嵩に着てしたい放題。と、いうのも村にある鎮守の社の屋根を葺き替えたいのだが、葺き替えるための萱はお鷹場の真ん中にあり、その許可を得るためには無理難題をふっかけられても我慢するしかないのだった。
 庄屋の娘おそでと恋仲の水飲み百姓の友吉は、お鷹組のいいつけで隣村に向かう途中、女衒とお鷹組の侍が女郎の格好をした女たちを引きずっていくのを見る。その女たちは下目黒の娘たちで、前田の家に奉公に出されたはずだった。騙されて女郎屋に売り飛ばされ、命からがら逃げたものの、捕まり連れ戻される途中だったのだ。その中には友吉の妹のおたみの姿もあり、過酷な仕打ちにより、逃げる途中で息絶えてしまった。
 前田たちの所業を知ったからくり人一行はお鷹場で前田たちを始末する事を決めるが、いざことを起こそうとした時、妹の仇を討とうと友吉が鎌を手に前田に切りかかっていった……

 筋としては第三話と同じで、悪辣な権力者に村が振り回される話。しかし第三話の方が娘を差し出してまで耐え忍んだ家老がメインになっているので、より悲惨が際立っている感はある。今回の話も村人が一部の犠牲の声を押し殺すような、自分勝手さを出していればもっと悲惨さが際立った話になったと思うのだが……
 からくり人たちは表では何も手を出せない無力な傍観者に描かれているが、それはこのシリーズの特長とも言える。そのためいざ行動を起こそうとした瞬間、友吉が飛び出し、結局犠牲になっていっても何も出来ないからくり人たちの姿を描く事で、無力感が強調されている。
 襲撃に失敗し、おそでを人質に取られた友吉が前田の前に出ようとするのを、「二人で幸せにならなきゃならねえ」と止めるも、止めきれない唐十郎の姿に第四話の悲恋のエピソードが生きている。
 良い方にも悪い方にも村人の人間臭さがないという点を除けば、これらの終盤の展開と演出は悪くはない。

[その他] なんだかなぁ

  ブームは待つのではなく、こちらからつくりだしていくものだと思ってますInfoseek )。個人的にはモナーのパクリだろうがなんだろうが知ったこっちゃないけど(でも商標取ったら祭には乗るかも)、この言い様はどうかね、とは思うのだけど。仕掛人ってのはある意味そうなのだろうけど、あんたが何か作ったわけじゃないだろ、と勘違いっぽく思えてしまうのだが。

  東シナ海ガス田の生産開始?政府が中国に電話で抗議読売 )。しないよりはした方がいいのだけど、こいつらも今更なに言ってやがるんだと思わずにはいられない。そもそもは海底資源確保の出遅れがあり、その責任はどこにあったというのか。中国の行為もほとんど泥棒だが国としてはそう間違ってるわけじゃない(つまり、国ってのは元々悪行三昧)。文句言うのもいいけど、自分のミスもちゃんと省みてくれ。

  戦車公道再び走るHBC )。それのどこが問題なんだ??? わけがわからん。

  県:静岡の「日本一」最多128に 新たにマーガレット産出額や浴衣取扱量毎日 )。静岡出身だけど、そんなに日本一があったとは知らなかった。いや、なんつーか、わりと些細なもの(ロダン美術品展示は、ロダン美術館があるんだから当たり前だろうとか……)があるのはご愛嬌だけど。個人的には吟醸酒ランキングが気になる。
P.S. これ か。
P.S.2 これ かorz。土井酒造って、マジうちの地元の酒蔵。死んだウチの酒飲みの爺ちゃんも非常にお世話をかけました。医者に止められてるのに飲みに行くのだものなぁ。 酒蔵 へ。