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2004年05月01日() 旧暦 [n年日記]

[映画] 馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な女の、怨み節

 朝早く起きたら飛び入りでSFセミナーに行こうかとかちらと思ったけど、微妙な時間に起床とかいろいろあって、諦めて結局二度寝。で、昼飯食いに外出たらあまりに良い天気だったので、遠出しようと思って名駅前まで自転車で行って、ついでに映画を見てくる。何かって言ったら Kill Bill vol.2 なんですが。
 一本に収まりきらなかったので二本に分けての上映の後編。ボス兼愛人を裏切ってその元を去り、その制裁で受けた暴行により四年間の眠りに陥っていた女殺し屋「ブライド」。目覚めた彼女は復讐の殺人行脚に旅立つ。いや、筋で言えばそれだけなんだけど。vol.1はリューシー・ルー演じるオーレン・イシイとのチャンバラがクライマックスだったが、vol.2は打って変わってマカロニウェスタン風の雰囲気から入る。しかも途中でカンフーアクションも入るという豪華なんだか悪趣味なんだかよくわからない世界。要は、この映画はスタイルとしてはタランティーノの見てきた映画のクロニクルなのだと思う。つまり、なんでもありでなんでも詰め込み。そう割り切ってしまえば、後はチャンバラになったりカンフーになったりマカロニウェスタンになったりを思いっきり楽しんでしまえばいい。アクションの最大の山場は、やはり「サンダ対ガイラ」の対エル・ドライバー戦。金髪女優同士ということもあるし、アクションのスタイル自体似ているしで、サンダ対ガイラに例えた理由が見ればなんとなくわかる。そんなわけのわからない演技指導をされたユマ・サーマンとダリル・ハンナはお気の毒だが。
 ストーリーとしては、「ブライド」が母親になるための物語なのだと思う。クライマックス付近で 実は生きていた娘と二人で「子連れ狼」を見るシーンも象徴的で、単調な復讐劇のようでいて実は画面になかなか出なかった娘を中心にすべてが回っていた ことがわかる。いろんなジャンルを詰め込みすぎたゆえのまとまりの悪さは否めないが、その悪趣味を含めて楽しめる度量があればお勧め。
 今回は前回で客層もどういう映画かわきまえたのか、起こる笑いのタイミングが「らしい」タイミングで起こったので、まあ安心。勘違いしたカップルが来ても、さぞ困るだろう。
 なお、パンフレットの中のダリル・ハンナのインタビューの中に vol.3の驚くべき構想が! 全盲のエル・ドライバーとvol.1冒頭で殺された黒人女の娘はともかくとして、夕張の双子の姉妹 ってのは何よ?

[その他] リアル志向ロボコップ

  読冊日記 さんより、 tetra vaals 。南アとかそっち系っぽい途上国で、ロボット警官が風景の中に当たり前に存在しているというムービー。特殊効果の会社のデモムービーらしいのだけど、ロボットぽさとロボットぽくなさの微妙な同居が、不思議な感じ。技術だけで言っても、かなり高いレベル。あまり期待出来なさそうな“I'Robot”はお蔵入りにして、むしろこっちをふくらませた映画を作って欲しい気も。


2004年05月02日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 糸屋の娘は目で殺す

  御指摘 により、 怨み節 の「怨み」の字を修正。しかしほんとにタランティーノは古今東西、見てない映画はないんではないかと思えるよなぁ。
 目の演技、というところで先日見返した「必殺仕置屋稼業」の第一話においても、大層目の演技を重視した演出が多かったのを思い出す。必殺シリーズで目の演出というと特に印象的なものがある。第五弾「必殺必中仕事屋稼業」第十一話「表を裏で勝負」のラストである。元締の草笛光子が、汚い手段で自分や同業者を追い落とそうとしたライバルの飛脚屋(草笛光子の表稼業は飛脚屋。表稼業と裏稼業が入り混じるから「表を裏で」というわけ)を糾弾し、始末しようとする場面。相手の仕組んだからくりを口にするシーンで、草笛光子の瞳が赤く(というか、正確には茶色に)、虹彩まではっきりと輝いている。それが猫の目のようというか、とても綺麗ながら不気味だったのだけど、そのシーンをどうやって撮ったのか、近年、草笛光子のインタビューでようやく明らかになった。なんのことはない、間近から撮影用のライトを照らしつづけたのだ。種を明かされればなんだ、ということになるが、よく考えれば恐ろしい撮影法である。知ってる人は知ってるだろうが、撮影用ライトの光量・熱量というのは並大抵ではない。昔のことだから、白色LEDなどの熱量が低い光源があるわけでもなく、事実草笛光子も「目が焼けるかと思った」と述懐している。無茶苦茶やってるのだが、それが面白さにつながっている。
 今日、新聞に「視聴率30%以上の番組が近年激減している」という記事が載っていた。記事では生活時間帯と嗜好の多様化が原因、と分析していたが、番組自体の魅力がなくなっている、ということはあるまいか。 推移のグラフ を見ると、80年代直前から激減、85年から90年代初頭まで小康状態を迎え、その後、95語年まで再び激減し、その後微減が続いている。それでいて、平均視聴時間はほとんど変化していない。理由を「これ」と断言することは出来ないが、番組の魅力とやはり関連性はある気はする。あと、もうひとつ気になるのはこの前触れた、水戸黄門の印籠の定番化、必殺シリーズのファミリードラマ化が起こった時期と、激減期、小康期が奇妙に重なっていることだ。もしかすると、視聴者は自分で見ている番組をつまらなくしたのかもしれない。あるいは、番組の評価系を視聴率一本ではなく、他のものも導入すべく、見直す時期なのかもしれない。
 いずれにしても、ときどき思うのだが、今の方がテクノロジーは確実に上がっているのに、映像のスキルはひょっとしたら昔の方が高かった、という部分もあるのかもしれない。
#すべてにおいてそうとは言わないが。
(5/28追加:居酒屋嘉文(嘉紋は間違い)のネタは5/4の日記にあります)

[その他] もういいかげんいいかげんなネタなんですが

 イラクで拉致された三邦人(のうち、郡山、今井両氏)の記者会見映像を見る。拉致時、および拘束時の状況の説明以外、得るところのまったくない記者会見だった。別に、自己責任論で彼らを責めようとは思わない。が、同時にマスコミが彼らを追いかけ、報道しつづける価値はないとも確信した。「自己責任論についてどう思うか」の質問も、まるで一昔前の政治家の切れない答弁を聞いているよう(それもひとつの方法かもしれないので、その方法自体はとやかく言わない)。敢えて言えば、海外マスコミ向けの応答で「イラク渡航をしようとする人に必要なことをアドバイスを」との質問に「信念を持って」と答えたのは呆れる他ない。そういうことを聞いているのではなかろうに。また、その無責任な一言が不注意で危険な渡航を煽る危険性については認識してないのだろうか? 彼らをマスコミが追い回し論じることにも、まったく意味はない。


2004年05月04日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] 今はすでに昨日のこと

 昨日、H氏とO氏の、名古屋のいつもの面子で飲みに行く。金山で軽く?飲み食いしてから、というパターンだけども、そろそろあたくしも金山周辺の店についての手持ちの情報が尽きてきましたですだよ。どうせメインはその後の 深+ なので、場所探しで時間を食うのも癪。というわけで、ネットで軽く検索してわりとお値打との情報があった、北口から出てすぐの長谷川ビル地下一階「嘉文」に行ってみる。海鮮メインで、値段もお手頃。居酒屋だけどちょっと小料理屋風の雰囲気で、少人数で行くにはなかなか良い店かもしれない。つーか、候補がないとあてどなくうろうろするのが目に見えているのに、この面子は……
 いろいろ話したはずなのだけど、早々に日本酒にうつったのでなにを話したのかはわりと朦朧。で、9時半くらいに河岸を変えて 深+ へ。
 看板の灯りがついてなく、マスターがまたつけ忘れたのか知らん? とか思っていたら、中にはさほど広くない店内の席いっぱいの酔っ払い客が……一番酔っ払っていたのがマスターというオチ付。そのまま回れ右して帰ろうかとか思ったけども、ときすでに遅し。なぜか首根っこ引っつかまれてヘッドロックくらいながら「いや、こういうのはダメダメに潰れたときのO先輩とかで慣れてますけどね」とか妙に覚めた目で自己観察しながら、空けていただいた席に座る。へべれけのマスターが「鈴木はこいつと話が合いそうだからここな」と席まで指定。なんでも常連さんの結婚式の二次会にそのまま深+になだれ込んだらしく、おられた先客は常連かつその結婚式の参加者。カウンターにはマスターの代わりに何人か入っていたのだけど、もちろんそれもお客。もーなにがなんだか。
ワシ「マスターがここまで酔っ払ってるのははじめて見ましたよ」
隣の席のKさん「(お客の一人を指差し)彼女がまだ抑えていてくれてるからね」
ワシ「え! まだこれよりひどくなるんですか!」
 ってな会話を交えつつ、かつてない雰囲気で萎縮しながらちびちびと。いや、こっちもそれなりに出来上がっていたはずなんですけどね。かなわねえ。
 おられたのはSF方面と冒険小説方面の方がメインらしく、テッド・チャンの話だとか、イアン・ランキンはお薦め、とか、景山琢磨氏の仮想戦記ものは星雲賞の対象にならないのか、とかいう話をされた気がする。最大のトリックスターであるマスターは離れた席にすわったO氏とかH氏の方に主にいたのだけど、ときどきこちらに来ては説教をかましていく。その説教が身に覚えがありすぎで痛いのなんの。不快というわけではもちろんないのだけど。マスター曰く「こいつなー、生意気なんだよ」。いや、それでも最近は生意気成分抑えているつもりなんですが。おかげで、深+に行ったら「(日本冒険小説協会会長の)内藤陳氏がワイルダネス三巻に推薦文書いてましたけど、読みましたか?」と聞きたかったのだけど、こんな状態で聞いた日には本当に何が出てくるか怖くって聞けませんでした、ええ。マスターの説教は主に「お前が面白いと思ってるものが、どうして他の人にとっても面白いって言えるんだよ」「どうせ書いてるものは馬鹿なものなんだから、頭で考えるな。胸や腹で感じろ」とか、そんな感じ。至極最も。最もすぎる。わかってはいるつもりなんですけど、どうすればいいかってのは、ねえ。
 しばらくして主賓(新婚さん)のお二人を、総出で万歳三唱(嘘)しながら見送り、ようやく人心地。席もやや空いたので、H氏O氏の方へ移る。そこでまたいろいろ話をしたはずなのだけど、全部は思い出せなかったり。けど、他の人の視点と自分の視点の差異、を思い知る。「その視点はおかしい」とか言われても、当たり前に使ってる視点なので、なにがまずいのかとか、じゃあどうすればいいのかとか、結構困るのだよなぁ。
 楽しかったのだけど、宿題も山積み。ううむ。


2004年05月05日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] 消えたもの、残ったもの

 おととい名古屋の面子で飲んでいて、O氏が「読者が小説を読むときに待ち望んでいるもの」の喩として、「水戸黄門の印籠」を出してきた。で、ワタクシは当然「でも、水戸黄門の印籠は最初に出てなかった」と反論。O氏は「でも、印籠が出てこないとダメだから淘汰されたんでしょ」と述べる。私は「でも、最初の十年以上、印籠が定番じゃなくても受けていた時期があった」と説明する。O氏がそれをどう捕らえたのかはわからない。私の方は、反論はしたけども、ある意味O氏の言葉に考え込んでしまった。「つまらなかったから」というのは必ずしも正しくはない。しかし、残らなかったのは事実なのだ。なぜ残らなかったのか。それが頭でも感覚的にもわからない。ただ、そういう事実があるのみである。事実は事実だからそれは受け入れざるを得ない。しかし、そこで「勝ち組」「負け組」的な分け方をしてしまうのは、なにか違う気がする。
 定番化も必ずしも悪いとは言わない。ひとつには息切れしにくく、安定して製作ができる。視聴者のほうも、決まった部分で決まった情報を読み取ればいいので、楽ではある。決して楽して作っている、という意味ではなくて。そういう見方を批難しようとも思ってない。ただ、自分の見方とは違う。そこが個人的な問題が絡んでる、というだけなのだが……消えたから間違いなのか、残ったから正しいのか、消えたものは面白いと思われないのか、残ったものは面白いと思われているのか。頭で悩んでもしかたないのかもしれないが、それ以外の悩み方を知らないからこれもまた困る。今のところは、だけど。
 傍からはどうでもいい、ばかばかしい話だろうが、こっちとしては身もだえするくらいのことなんである。いや、ほんと。
 とか言っていたら、日記のアクセスログから面白いページにたどれたので リンク 。ふむん。これはこれで面白い分析だ。

 なぜか昨日から急にまったく身に覚えのないNot Deriveredの通知メールがわんさと届いて、非常に迷惑。しかも、なぜかukドメインのものが多い。おそらくウィルスが原因だと思うが、うちのPCは感染してないし、メールアドレスをさらしてもいるので、そういうものだとあきらめ、しばらく様子見をするしかない。あまりにひどければ、サーバー管理者に話をしなければならないかもしれないが、マンドクセ。なんでも Sassserとかいうワームが流行っているらしいReuter )が、メール感染はしないようなので、これではないだろうなぁ。
 あ、あと私信。 三邦人の記者会見の状況説明が信用できないとのこと ですが、質疑応答を見る限り、彼らにあれだけの話をでっちあげる想像力はない、と推測できるので、質疑応答でわざと相当アレげにふるまったか、第三者が入れ知恵ででっち上げを言わせたかでなければ、事実を話している可能性が高いと思います(それとても必ずしも正確とは限らないのですが)。第三者が入れ知恵した可能性は、それならばあそこまで事前に質問を提出、制限された質疑応答がボロボロなわけはないと思うので、その可能性も低いと思います。まあ、どっちにしても主観のフィルターがかかっているだろうこと、場合によっては意図的に特定の情報を言っていないかもしれないことは気をつけねばならないのですが。


2004年05月06日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] CD輸入制限法

 先の連休中、東京は新宿ロフトプラスワンでレコード輸入権はおかしいんじゃないの? というシンポジウムがあったらしい。で、 絵文禄ことのは さんの 5/4分 にそのレポートがあった。前にDJや音楽誌のライターをやってるかたと、この法案とそれをゴリ押ししてる音楽業界のクソさ加減にひとしきり文句を言い合ったことがあるのだけども、やはりその時出た不安は、洋楽ファンはじめ広く音楽ファンが感じているらしい。どんなことを懸念しているかと言うと、 こちらにあるフラッシュ がとてもわかりやすい。
 私はそんなに洋楽に入れ込んでるファンとかいうわけじゃないけど、好きなジャンルがかなりマイナーで、国内版がいつ出るのか、そもそも出るか自体が不明で、出てたとしてもいつの間にか在庫切れ重版未定という名の事実上の絶版になっている可能性が非常に高い、大手音楽レーベルから見ると大してありがたくないシェアの客である。
 まあ、そんなジャンルのファンだから「お前ら相手に商売しても金にならないから、切り捨てる」と言われれば、臍をかむほど悔しいが、まあそれはそれでそういう理論だとは思える。が、文化保護とかなんとか言いながら、目先の利益のために(しかも本当に目先の利益にすらなるのか? 正直、業界の正気を疑っている)文化やニーズの多様性を殺す行為を行う厚顔無恥さには、さすがに我慢がならない。
 チャンピオン連載の「アクメツ」で(実はあまり好きではないのだが)、非常に頷いた表現の一つに「国会と言うのは、国会議員という闘犬を利権団体が利権をめぐって争わせる闘犬場だ」というのがあって、だから、音楽業界という明確な利権団体に対し、そういったものがあるわけではない音楽ファンの主張がどれだけ対抗できるかというのは、それなりに悲観的であるのだが、会場に入りきれないほどの集客があったということで、まだ希望はあるのかな、とも思える。
 こんなことやってる大手レーベルは遅かれ早かれいずれ沈んでいくと思うけど、音楽自体を道ずれにするな、とは言いたい。

[アニメ] ウォータシップダウンとか

 ウォーターシップダウンのうさぎたち。NHK BS−2のアニメ。新作ではなく、海外で昔製作されたものらしい。昔のアニメ映画と異なり、あまりどろどろした暗さが画面にはないが、逆にかわいらしいキャラが残酷な世界で生きているのはシュール。シンプルだけど、面白いなぁ。
  絢爛舞踏祭ザ・マーズ・デイブレイク 。前回に続いて馬鹿話。キャラがどんどん馬鹿になっていく。ゲバルト一号ってなんだよ! ポイポイダーは渋いイルカかと思ったらただの変な奴だし。大笑い。あの学園都市船のうらぶれた様子はなんか 東大駒場寮 っぽい。60年代70年代に学生時代を送った人には学生闘争は青春の一ページかもしれないが、こちらとしてはただの ネタ 以上ではないっつーことなのかな。


2004年05月07日(金) 旧暦 [n年日記]

胸で感じろ、腹で感じろ

 ダメだ。まだ感じきれない。

日記っぽく

 今日、気分転換に職場のベランダに出たら、間違ってベランダのドアのノブのロックボタンを押してしまったらしく、ベランダに閉じ込められてしまった。(地上四階なのでさすがにそこから降りる真似はあまりしたくない)
 どうすべえかなあ、とか思ってぼーっとしていたら、公衆衛生学の秘書さん(だと思う。多分)が通りかかったので、呼んであけてもらう。あ〜、はずかしかった。


2004年05月08日() 旧暦 [n年日記]

[アニメ][マンガ][その他] Engrishなタイトル

 海外オタクの意見を紹介しているサイト Moonlight Fantasia で、 Engrishで悪いかってばよ が掲載(Engrishってのは日本人がつけた変な英語風のタイトルなどを揶揄してそう呼んでいるらしい)。
 日本人はcoolなつもりでも、Native Speakerからすると「なんじゃそりゃ?」ってタイトルが結構あるわけで……「おねがい*ティーチャー」や「おねがい*ツインズ」はポルノ的に響く(OnegaiがOne Gay(一人のゲイ)に見えてしまったりとかはともかく)ってのは、多分製作者は意図的なのだろうけども、あちらだともっと直截なポルノ的イメージになってしまうようで。「らぶひな(Love Hina)」なども、「Hentai」(ポルノアニメ。もしくはアニメ風のポルノ絵)と思われたそう。当たらずとも遠からずな気もするが。「ブギーポップは笑わない(Boogiepop Phantom)」も意味不明だそうで。「Boogiepop the Phantom」とかだったらまだイメージが湧くんじゃないのかしらん? 「R.O.D(Read or Die)」は教育的に響く、というのもちょっと意外。っつーかポルノを連想する単語、ポルノ関係の隠語が多すぎ。かわいそうなのは「フルーツ・バスケット(Fruits Bascket)」で、やはりまるっきり意味不明、もしくはゲイの話を連想させるのだそうな。「そういう遊戯がある」ってことを知ってないと、わかんないよなぁ。この辺はEngrishってより、英語が元の日本語、と言った方がいいかもしれない。逆に「ふもっふ」とか「ぷにぷにぽえみぃ」とか「あぃまぃみぃ! ストロベリーエッグ」とかは、日本人でも意味がわかりません。ええ。
 個人的には、これらの意見の中で一番受けたのは
Gunslinger Girl (ガンスリンガー・ガール)』紛争地帯で人を撃ちまくる、強持ての女性軍隊と思っていたけど…
見てえ! 無茶苦茶見てえ!
 その下の「忍者対侍」もなかなか面白い。いろんなところから忍者や侍の情報を得ているらしいが、「そんなこと良く知ってるな」ってこともあれば、「おいおい、どこで見たんだよ、そんな話」ってなものも……少なくともナルトよりかは白土三平の方が影響力がありそうで、安心した。(いや、少年漫画としてはあれも良く出来てるのだけど、忍者マンガとしては小一時間問い詰めたい)

[マンガ] コミックフラッパー

 徐々に取り扱い書店が減ってるなぁ。大丈夫かしらん?
 まあ、世間様的には(オタクのメインストリームにも)あまり受けそうもない雑誌なのだけど、一昔前のアフタヌーンの位置にいるような気もして、買い支えてはいる。「アガペ−犯罪交渉人 一条はるか−」は、女子高生でネゴシエイターというありえない設定だけども、武器が話術とかコネクションとかそういうんでなく 無償の愛(アガペ) ってあたりがさらにありえない。当然無償の愛なんて持ってるからには主人公の人格もぶっ壊れていて、目の前で父親を殺されたのにその犯人に愛を与えるなんてありえない話の連続だからねじ伏せられざるを得ない。他にはアメコミヒーロー風の読み切り「ザ・コンダクティ」とか、スク水フェチっぽくも正統派のラブコメの「すいむ。」とか。裾野は広くあって欲しいものではある。
 などということを、「ふたりのぜのぴったん」を聞きながら。ぴたたん♪


2004年05月09日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 死

 死ってのは、死体っては、人間に限らず元来気持ち悪いものなんである。それが生前親しかった人、大事だった人、いや、人に限らないけど、そういう存在だった場合、つらい。哀しいとかもろもろ含めて、つらい。フィクションの場合は、まあ、誰かが悲しんでるわけじゃないからいいけど、実際の死ってのは、そんなもんじゃないだろうと思う。亡くなったのが知ってる人、知らない人を問わず。
 だめだ、「ふたりのぜのぴったん」ですら気休めにならない。