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2013年05月07日(火) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] ヴァンガードリンクジョーカー#17

  カードファイト!!ヴァンガード リンクジョーカー #17「男の意地」。一勝一敗で迎えたVF甲子園初戦の後江高校、最後の選手はなんと井崎。実力的には平々凡々、いつも一線から退いて皆を応援する立場だった井崎が何故、と戸惑うアイチだったが、井崎の並々ならぬ気迫を感じ、全力で勝負に挑む。そしてアイチの予感通り、井崎はアイチをピンチに追い込むほどの活躍を見せるのだが、その裏には井崎の決意と、その決意のために力を合わせた後江カードファイト部メンバーの努力があった。

 四人しかいない後江なので、最後の選手は当然実力的に森川(ただしデッキすり替え済み)になるのかと思いきや、相手は井崎。井崎は最初は自分と大差ない実力だったアイチの成長を見守りながらも、自分もこのままでいいのかと悩み、考えた上でアイチとの決戦を希望。その意気を感じ、特訓とデッキ構成のアドバイスに惜しみない協力をしていた。
 その努力の成果あって、トリガーの引きによってはアイチを倒せるところまで追い込む。2連続トリガーが条件だったので、結構厳しい条件ではあったんだけど。アイチの方も、手札を全部使い果たした背水の陣で最終ターンに臨み、ぎりぎりの所でトリガーを引いて井崎を下す。
 両者ともここぞというときにトリガー一枚というのは同じなので、井崎の猛攻が実力差でいま一歩及ばなかったということなんだろうけど、井崎も男を見せたというところか。森川はいつもどおりだったけど。
 後の試合はさくさくスキップ。いきなり地区大会決勝で、鈴ヶ森レン率いる福原高校と対戦。当然福原はレン、アサミ、スイコなのだろうけど、宮地側は……実力的にはアイチ、コーリン、ミサキだろうけど、因縁的にはアイチ、ミサキ、ナオキか?


2010年05月07日(金) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 四畳半神話大系#2

  四畳半神話大系 #2「映画サークル「みそぎ」」。京都の大学に在籍する「私」はあこがれのキャンパスライフを銀幕乙女に求め映画サークル「みそぎ」に入ったもののそこでしかれている城ヶ崎先輩の独裁体制に夢破れ、サークルでも孤立したその憤懣やるかたない鬱憤をハリウッド指向の城ヶ崎先輩と真逆の作風の作品を撮ることで晴らそうとするも、逆に城ヶ崎先輩のカリスマを高めるテコの役を知らず担うという不毛この上ない青春を送っていた。しかし次回作に構想していた純愛ロマンス映画を上映拒否されるという仕打ちに耐えかね、これまで片棒を担いでいた小津に唆されたこともあって城ヶ崎先輩の真実を暴く告発映画を作製、城ヶ崎先輩のフィルムとすり替えゲリラ上映するという暴挙に出る。が、唯一「私」の映画をちゃんと見て感想らしきものをくれた下級生の明石さんが城ヶ崎先輩の映画製作に参加してると知り、いたたまれなくなりゲリラ上映を中止しようとするが、結局小津に押し切られて決行することに……

 第一話は原作の一話目の要素を拾って膨らませたような話だったけど、二話目は原作第一話の残された部分を利用した内容。
 第一話でちらと顔見せしてた「城ヶ崎先輩」が独裁体制を敷く映画サークルで、反体制派として肩身を狭くしつつもその鬱憤を晴らすように好き勝手に映画を作るが、後輩の明石さんが「また阿呆なものを作りましたね」とそれなりに楽しんでくれるだけで、サークル内で相手にされないのにどんどん鬱憤を募らせてく。小津は「あれだけ好き勝手やって何が不満なんですか」と言っているけど、これはある意味尤も。でも「私」の気持ちもよくわかる、というよりむしろそっちの方がわかるのだけど、小津のように「やりたいことをやって楽しめばいい」という立場もわからないではない。まあ、小津は小津でやりすぎなんだけど。
 今回も「私」が明石さんとの約束を思い出しつつサークルの選択を悔やむところで終わるのだけど、原作ではその後の部分もあったはず(というか、毎話そのラストで終わる)なのだけど、その下りはないのだなぁ。あと、原作では四パターンしかなかったのだけど、アニメは毎話ごとに一パターンなのか。

[その他] 電子書籍と音楽販売不振

  「電子書籍の衝撃」出版記念の佐々木俊尚さんの講演会へ行ってきましたたつをのChangeLog )。
■印刷は何を変えた?

500年前くらいの話。
手書きから印刷へ変わったときに、得られたもの失われたものは?

(1) 手書きとの筆者という美しい工芸文化の消滅。
(危惧する論調が当時あった)

(2) 紙のような移ろいやすい媒体で本を読むなんて!
(石板・羊皮紙と比べ保存期間が短い)

(3) 聖書を一般信徒が読むなんて、冒涜もいいところだ。
(各自が読むようになって宗教革命の礎になった)

(4) 新技術や新理論を本当に史上初なのかを確認できるようになった。
ルネサンスの礎に。失われた知識の探求を印刷が可能にした。

(5) 王や教皇の言葉が文字として固定して流布したことで、先例を守る」というルールができた。

印刷の登場のときもまとはずれな危惧があふれてたんだから、今回の電子書籍への変化についても自分の感覚だけで語るな!
(原文ママ)
 まあ、「まとはずれな危惧」とばかりは言わないけど、結局慣れ親しんだものだからと「これはこういうものだ」という思い込みはあまりアテにならないのはちがいないだろうなぁ。新美南吉の「おじいさんのランプ」みたいなもので。
 正直、個人的には電子媒体が紙媒体をほとんど駆逐して書店のような場所がなくなってしまうということにはならないで欲しいとは思う。あるいは、新聞紙のようなとりあえず端から端まで読んでみる、ということが出来る媒体がなくならないで欲しい、とは思う。が、そういう願望とは別に、そうなる時はそうなってしまうものだから仕方ない。
 要は、大多数が何を求めてるか、ということだろう。入手経路が細いものより、誰でも読める(ようになる可能性が高い)ものに移ったように、紙媒体より電子媒体の方がより欲求に答えるならそっちに移るだけだろう。
 結局、昨今「CDが売れない」ってのもそれと同じなのだよね。昔は音楽を常に手元に置いておくには、レコードやCDしかなかった(ラジオの録音やレコードからのテープのコピーもあったけど)。要はそれらが買われたのは「そうするしか音楽を手元に置いておけなかったから」。別にみんなに「作者に対するリスペクト」としての「作品への対価」という意識が元々あったわけじゃない。単に「音楽を手元に置いておく」方法が易きに流されてるだけで。無論、それには制作者の生活をどう支えるか、というところが問題なのだけど。(ひょっとしたら究極的には大規模流通そのものが必要なく、作者(あるいはそれと比較的小規模な編集)と大規模紹介者のみが残る、という未来もありうるのかもしれない。アニメやゲームなどの場合「産業」にならないと作製自体が難しいので、個人的にはちょっとイヤだが。)
 まあ、著作権(コピーライト)というものそのものが出版で作者の生活を成り立たせるために「発明」されたもので、コピーの概念が揺らいでいる現在、それを今一度原点から考えてみるのも良いのではないかと思う。
 それが作者の生活のためではなく「資源」「資産」化されてる現状もどうかなのだけど。


2009年05月07日(木) 旧暦 [n年日記]

[特撮] シンケン#12とディケイド#15

  シンケンジャー #12「史上初超侍合体」。丈留を庇って流ノ介と茉子が重症を負ってしまい、丈留はその責任の重さに屋敷を抜け出してしまう。ジイは丈留が心を定めるまで静観するが、「気分転換」というその説明に千明は「あいつのせいで竜之介たちはケガを負ったのに」と納得いかない。だが、そんな千明にことはが丈留の背負ってる物の重さを説明する。
 一方、ウシロブシが丈留を始末しようとしたのに十臓が割って入ったことを知ってドウコクが激怒。十臓を封印しようとする。半分人間の十臓はドウコクの束縛は逃れるがダメージを負い、ひとまず十臓をおとなしくさせることに成功したドウコクは再び丈留抹殺のために攻撃を仕掛ける。

 仲間が命を賭しても丈留を守ろうとすることに丈留自身は心を痛めるが、ドウコクを斃すための切り札であるため、自らの身を危険にさらすわけにもいかない。単に「リーダー」というのではなく仲間内で立場が違うので、こういうのは新しいなぁ。「殿様」という立場が単に先祖代々の地位とかではなく、外道衆を倒すために必要だというので、殿様を守ることがそのまま世界の平和を守ることに繋がる。これでほぼ完全にシンケンジャー側は関係が固まったかな?
 一方、外道衆の方は十臓がドウコクの命令に逆らい丈留との勝負にこだわるため、内輪争い気味に。半分人間(って、どうやってそうなったんだ?)ってことだし、六人目確定かなぁ。
 シンケンジャーたちは丈留のために命を賭けることを誓い、丈留もその覚悟の重さを受け止め、もう逃げないことを誓い、捨て身のコンビネーションでウシロブシを斃す。だけど、「テンクウシンケンオー」を提案したときの竜之介のはしゃぎぶり……はしゃぎすぎw あと、「初めてお前に感心したぞ」って、丈留、何気に酷いな……


  ディケイド #15「超モモタロス、参上!」。モモタロスが実体や過去の記憶を失ってしまい、滅びかけた電王の世界。士たちはデンライナーのオーナーからそれは時空の歪みが過去に生じたせいだと知らされる。とりあえず誤解が解けた士たちはデンライナーの面々たちと協力することになる。
 一方、自分が何者か分からず手当たり次第イマジン相手に街で暴れまくるモモタロスだが、ディエンドに逆に襲われる。ディエンド=海東の狙いは電王がファイナルフォームライドして出現すると思われる「デンオウデンライナー」。しかし追い詰めても何も起らないため、海東は一時撤退する。
 時空の歪みを起こしてるイマジンの親玉を捜すには、モモタロスの嗅覚が必要。そう聞かされた士はモールイマジンたちを相手に暴れまくっているモモタロスを見つける。今のモモタロスは大事なおもちゃをなくした子供が駄々をこねてるのと同じ、そう士に言われてまた腹を立てるモモタロスだが、これまでにない強大なイマジンの臭いをかぎつけ、士と二人でそれを追いかける。
 そのイマジン・アリゲーターイマジンを追い詰め、更に過去に逃げるのをデンライナーで追いかける二人。しかし自分を取り返そうと必死になるモモタロスは逆にアリゲーターイマジンに圧倒されてしまう。あきらめかけるモモタロスに、「子供だって欲しい物のためならもっと頑張る」と発破をかける士。そんな士に、海東は助け船を出しつつも「実体なんて必要ない」とモモタロスに早くお宝になれと言う。だが、士は「こいつはお宝なんかじゃない。ただのバカだ」と言いつつ、乱暴者でバカだがまっすぐで優しいところもあるモモタロスのことを認める。そしてファイナルフォームライドした電王の姿は……

 なんだか電王ノリのせいで色々グダグダにw あんまりシリアスになりすぎないのが電王のいいところか。
 良太郎に貰った姿、名前、そして思い出をなくしてしまい、八つ当たりにモールイマジンを片っ端からたたきつぶしていくしかないモモタロス。士はそんなモモタロスを呆れながら見ているが、そのちょっとした優しさにも気付いていく。それと反対にモモタロスをお宝になる存在としか見ない海東。だけどモモタロスが記憶を取り戻し、士との絆が結ばれることで、ファイナルフォームライドのカードは絵柄を変化させる。そして電王から変身し、超モモタロスの姿に変身する……って、全然普通のモモタロスじゃん! 予告映像騙しすぎ! 更に取り憑かれていたユウスケは「スポーン」と放り出されるし。更に気がついて意識を取り戻したユウスケはモモタロスが怪人と間違えて攻撃するし、ファイナルフォームライドでおしりに剣を突っ込まれて「俺の必殺技!」をやられるし、段々ユウスケの扱いが酷いことに。
 ラストは映画に繋がるのでちょっとまとまりが悪いけど、電王らしい話ではあったかも。
 次はカブトの章。カブトのイメージは東京タワーと天をさす指ですか。今度のカブトも主役が不在らしいけど、水島ヒロ意外がソウシ演じるのは抵抗がありそうなんだろうか?

[アニメ] バスカッシュ!#3と戦国BASAEA#5ちょっとだけ

  バスカッシュ! #3「デストロイ・デストロイ」。セラと勝負して負けてしまったダン。あまつさえストリートBFBニュースサイトにボロクソに書かれて、評判云々よりプライド的に収まりがつかない。
 そして再試合を強引に申し込むが、その途中、謎のプレイヤーがダンをセラもろともボコボコにしてしまう。
 セラに加えてもう一人こだわる相手が出来たダンはその正体を探るのが、セラがその前にBFBプレイヤーのアイスマン・ホッティを突き止める。が、当のアイスマンは相手にもしない。
 一方ダンは、謎のストリートBFBプレイヤー=アイスマンを引っ張り出すために、自身がおとりになる。結局セラを交えてのストリートファイトは警察の介入で物入りになってしまう。  だが、彼らのファイトに興味を持った二人の女性がいた……

 伝説と一緒に借金王になってしまったダン。妹、ココの興味を引くためにもなんとか稼ごうとするけど、商売敵が出てくる上に、ビッグフットを使ったバスケで個人的に無視できない相手が出てきてしまって……なんか「より強い遺伝子」を求めるセラだけでなく、ひたすら強い相手を匿名で叩きつぶすアイスマンもそれだったのだけど、単に勝負にこだわるダンの思惑と裏腹に、次第にストリートBFB熱が高まっていく。
 その一方でそれに気付かないダンは本能の赴くままに勝負を挑むしかしない。でも、強い相手を伴侶として求めるセラはアイスマンにモーションをかけるが、袖にもひっかけられない。でも、なんか謎の女、はるか・グレイシーの登場でそこら辺がまとめられそうな……そしてもう一人、ストリートBFBのエキサイティングな動きに興味を持ったやんごとなき王女。その辺がどう動くのか、まったく想像が付かず、また興味津々なのがアレ。
 それにしてもアイスマン。冷静キャラポジションなのに、「デストローイ!」とか、単にすかしたキャラじゃなさそう。名前もアイスマン・「ホッティ」だし。
 これから世界観がどう動くかかなぁ。


  戦国BASARA #5「裂かれた絆 政宗屈辱の退却!」。これまでこのアニメ、バカアニメだと思ってました。すいません。勘違いしておりました。バカアニメどころか、 超バカアニメ でした。力の使い所を正しく間違ってます。これ見ながら「すげー」と思ってしまう自分は明らかに間違ってると思いながらも、バカなところに全力で力を注ぐのはやっぱり感心してしまうのですよ。


2008年05月07日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] OTAKU is dead.

  岡田斗司夫「オタクは消費するだけの存在、すでに死んでいる」痛いニュース :元記事は朝日新聞)。言ってることが正確とも岡田斗司夫がオタクの代表とも代弁者とも思ってるわけではないけど、恐らく私とかの世代は同様の閉塞感を抱いていると思う。つか、コメントを見てこの閉塞感が肌感覚でわからない人が多いらしいのにむしろびっくりしたのだけど、まあ、肌感覚ってのはそういうものだからなぁ。
 コメント欄では「時代から取り残された愚痴」みたいな見方も一部あるみたいだけど、そうではなく、「オタクが(主に)消費者の一カテゴリーでしかなくなった」ということにオタクというジャンルに閉塞しかないことを感じている、という方が正しいのだろう。
 オタクってのはよく言われる通り自意識過剰であることは確かなのだけど、かつては創作(パロディも含めて)や評論(自己満足的な拙いものにせよ)といった行為によりそれを発散する方法を求めていた。他人の借り物での自己発散なので誉められたものではないにせよ、内側に溜まった過剰な自意識を様々な形で外にばらまこうという欲求はあった。
 しかし、今やオタクは「消費者」として過剰自意識の大義名分を与えられるようになってしまった。無論、オタクと呼ばれる中には今でも別の形で自意識を発散しようとする者はいる。だが、オタクが「消費者」に甘んじてしまった以上、「過剰な自意識を創作・情報として発散する者」は「オタク」という概念からは微妙にズレ出す。
 結局、オタク自身が「消費だけしてて何が悪い」と(強がりでなく)本気で思ってしまうようになった以上、「消費」(これは「消化」ではなくただの「視聴」あるいは「購買」である)のみを情報遺伝子(ミーム)とすることを肯定したも同然ということ。オタクと呼ばれる人間が増えてもパラメーターとしては以前よりずっと単純化した存在となり、また文化に必至な「流れ」の継承がほとんど拒否されているということでもある。
 岡田斗司夫がこれを言ったということは、オタクに「ミームとしての価値」(あるいはオタクが望む形で)を提供することを商売にしてた人間が、「もはやそれが商売として先行きがないくらい単純化した」と見切りをつけたということでもある。  それは同時に「消費」という行為に資本主義的な役割以上の、ヒエラルキー的な「価値」を幻想しだした(もはや「しだした」でもないか)ということで、岡田斗司夫が「オタクに限定してのことではない」と言うのもそのことを意図してのことだろう。
 「供給」「消費」は資本主義の基本だが、それだけで社会は成り立ってるわけではないし、文化というものは特にそう。文化としてのオタクの死は消費層としてのオタクの(おそらくは緩やかな、しかし確実な)死に繋がるだろうし、そのことは社会全体のある意味での縮図でもあるのだけど、きっと世間にとっては何の教訓にもならないだろう。
 オタクは死ぬが、おそらくそれは無駄死にだ。

[アニメ] と、いう話とは関係なく

 日々見たアニメの感想を淡々と上げていきますよ?
 つっても ニコニコ動画 で公式配信されているアニメ二本ですが。

  ペンギン娘はぁと #1-3。週刊チャンピオン→チャンピオンREDへと連載を移した萌え狙いマンガのアニメ化。OPの(意図的な)驚くべき低クォリティにびっくりだ!w
 まあ、内容はたわいもないドタバタなのだけど、主人公のペンギン娘こと南極さくらへの仕打ちがわりと容赦ないのが……映像を見てコメントで雑談にふける視聴形式が成立しているようなので、これはある意味ニコニコ配信で正解なのかも。

  Candy boy 先行版+#1。ソフト百合な姉妹(マリみてみたいな仮の姉妹ではなく、本物の二卵性双子)のソフト百合な日常を描くアニメ。メインキャラはやや天然な姉の雪乃と張り切りがやや空回り気味な妹の奏に、それに絡むストーカーチックな狂言回しの後輩咲夜の三名のみ。キャラが絞られてるせいか妙に作画がいいし。百合というより過度な相互シスコンという感じだけど(でも後輩はガチだ!)、これもコメントによって視聴者の盛り上がりが相互刺激されて、ニコニコ配信で正解かも。
 ちなみにタイトルに「boy」と付いてるけど男は一人も出てきません。つか、スタッフが出さないと宣言してます。いったいこのスタッフって……


2007年05月07日(月) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 大江戸ロケット#4とDARKER#5

  大江戸ロケット #4「ドキドキ無用」。長屋の皆の助けを得て、月にまで届く花火をついに完成させる清吉。だが、肝心の打ち上げの時になってソラの姿が見えなくなってしまう。
 そういえばソラ、「自分を花火に乗せてくれ」とは一言も言ってなかったっけ……で、花火の上に御神輿をのっけて、その中に入り込む。めちゃくちゃだなぁ。「空の獣」って、知能はそんなに高くない? というかソラにそういう知識がないだけか。
 で、サブタイトル通りソラが去ろうとしていることを知って清吉はソラのことを嫌が応にも意識し出す。
 次のサブタイトルは「論」……漢字一字のサブタイトルって、 おしどり右京捕物車 か? 第六話は「決闘大初恋」(「××大○○」は「助け人走る」のサブタイトルフォーマット。筆書きのサブタイトルで「大」の字だけ大きく書かれてるのも同じ)だし。ってことは第一話の「大江戸に咲く紅い花火」は「必殺からくり人血風編」のサブタイトルフォーマット「〜〜〜する紅い〜〜」か。二話目の「男は待っていた」と三話目「縁に縛られた銀ノ狐」がわからんなぁ。


  DARKER THAN BLACK #5「災厄の紅き夢は東欧に消えて…(前編)」。今回は史上最悪の契約者の一人にして、今は能力を失ってしまった「喪失者」ハヴォックが登場。MI6のエージェントにして能力者「ノーベンバー11」のチームが彼女の身柄を確保し、公安の未咲たちの管理の下、国連主導で彼女を被検体とした研究に提供する。だが、ハヴォックの護送中に「黒(ヘイ)」が彼女を身柄を奪うため、襲撃する。

 なにやらまた変わった契約者が出てきましたなぁ。接触した対象を凍結させるノーベンバー11に、局地的に風雨を起こすエイプリル、案内板を媒介とした受動霊媒と思しき「ジュライ」。そして、特定の場所を真空にする能力を持ち、今はその能力を失ったハヴォック……特にハヴォックはヘイと顔見知りらしく、そのやりとりの中でヘイの妹「パイ(白、か?)」の存在が明らかになる。ヘイの受動霊媒へ向ける奇妙なまでの優しさと、同じ契約者たちに向ける憎悪を考えると、パイは受動霊媒で、契約者に殺されたか、犠牲にされたかされたのかな。アフリカにかつてあった「ヘブンズゲート」を中心にヘイとハヴォックが何か関わりを持ったらしいから、その片鱗が描かれるのかな? 二人の関わりを知ってたなら、ハヴォックの件はノーベンバー11が企てたヘイをおびき寄せるための罠って可能性もあるな。
 それにしても、嫌煙家なのに「対価」が喫煙なノーベンバー11に対し、対価がビールをのむことのエイプリル(しかも酒が好き)と、対価って全然平等じゃないんだなぁ。

[その他] 事件そのものはどうでもいいんですが

  韓国人クリーニング店にズボン紛失された判事、78億円賠償請求痛いニュース )。そういや、バージニア工科大学事件のチョ・スンヒ容疑者の家庭もクリーニングだとか。「コリア世界の旅」を昔読んだときにも、アメリカに移民した韓国人はクリーニング店や小規模雑貨店を営むことが多い、とか書いてあったような。どういう訳でそうなのだろうなぁ、というのがちょっと気になった。


  あしたはきっと 「外国人参政権」朝日 )。いろいろ勘違いしてる気が。「自分たちに住みよい社会にするため」に「外国人参政権」を求めるのは戦略としては正しい。が、反対側から見れば「それが自分たちの利益に叶うか」ということになる。自分たちの都合だけ言ってたんじゃダメだよね。国ってのは一種利益共同体なのだから、その共同体の利益を脅かすものではないことを、論理的に説得していくのならば、それはそれでアリだと思う。たとえばスパイ行為に対する厳罰の容認、国家間の利益が対立した場合、日本を最優先するか、そうでなければ一部権利を凍結されるかを容認するとか。別に「帰れ」とは思わないけど、共同体に「寄生」するのではなく「共生」していくのならば、共同体の利益をきちんと考えていただきたいところ。つまり、説得するならその「利」をきちんと説いてください。


2006年05月07日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 復帰

 二日ほど更新がありませんでしたが今日から復帰します。でも疲れたから本格復帰は明日からで(今日からじゃないじゃん)。


2005年05月07日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 尼崎の事故と第二次世界大戦

 なんだか事故とその周辺を見ていると、日本って当時と問題点はほとんど変わってないんだなぁ、という所感しか浮かんでこない。
 まず、運用の前提を超えた運用。設計やらなんやらの安全域を越えて運用していればそりゃそのうち事故も起こるって。そうせざるを得ない状況というのもあるだろうけど、その状態でずっといるってのは決して誇れることではない。その状態が当然だという了見が破綻を起こす。上部に理系的合理精神(理系が皆合理的という意味ではない)が欠如しているから「今回ってるんだから今後も回り続けるに決まってる」的な呪術的思考が起こるのか、あるいは「自分がいる間に問題が起こらなければそれでいい」という政治的決断能力の欠如か。
 こういった問題は実は会社の首脳部だけにとどまらない。マスコミの報道を見ると魔女狩りの域に達している。オーバーランをことさら大げさに取り上げるようになったくらいはかわいらしいものだが(問題はオーバーランを起こしたこと自体ではないというのに)、一部社員が事故のニュースを聞いてからもボーリング大会をしていたということを大層に取り上げるところなど、なんと言えばいいのだろう? そんな(事故から見ると)どうでもいいようなことまで取り上げ、それが社会の木鐸だという顔をしているのだからなんともまったく。別にマスコミだけの問題ではなく、結局それは見てる側のレベルの反映だということ。
 マスコミがもっともすべきはどの程度が安全域だったのか、安全域に収めるにはいったいどうすべきか、事例などを引いて一般に認知を広めることだと思うのだけど。
 結局、その安全域に対し物理的に「なにをしたか」「しなかったか」を知らされることがこの場合重要で、どんな社風だったとか社長がどんな人格だったとか、そんなことはこの際どうでもいい。わかってるのかなぁ。

[その他][アニメ] NHK歌壇が!

 このところばたついて「NHK短歌」にリニューアルした後のNHK歌壇を見てなかったのだけど、久々に見たら……こりゃなんと言ってよいのか。
 選者等が一新したのはそれはいいのですが、「今日の十首」を冒頭で紹介した後、選者とゲストそれぞれの三席の発表にすぐ移るのではなく、添削コーナー、短歌探訪などが入り、最後に三席の発表となる……なんというか、「この答えは、番組の最後で」みたいな、民放の悪いバラエティを真似しすぎのような。「今日の十首」を発表して、それぞれの歌に対する感情移入が最高潮に達したところで三席の選出にはいるところが良かったのに、それを途中でぶち切ってどうするってえの。まったく責任者出て来いですわよ。
 ところでメインPCの復旧は終わったのかって? いじるうちにだんだんいろいろOSがおかしくなってきたので、しょうがないのでOS再インストール……orz MS-Officeなんてろくなもんじゃないと再確認(でも諸事情により必要なので仕方ない)。再インストールは何も考える必要がないんで日記を書く余裕もあるっす。
 録画してあって見てなかった トリニティ・ブラッド #1,#2を見る……いやはや、どこから突っ込んでいいのやら。
P.S.自分としてはアクションのつまらなさは積極的に評価していて(っていうのも変な話だけども)、「いつもはつまらない(わりに認知度が高い)から、時々偉才・異才を載せられる」と思ってます。戦略がしっかりしている雑誌では、才能を見つけてもその戦略に乗らないものはなかなか載せられませんから。「夕凪の街」「桜の国(part 1)」なんて、コンビニ置きの漫画誌でどの漫画誌が載せられるかと言えば……


2004年05月07日(金) 旧暦 [n年日記]

胸で感じろ、腹で感じろ

 ダメだ。まだ感じきれない。

日記っぽく

 今日、気分転換に職場のベランダに出たら、間違ってベランダのドアのノブのロックボタンを押してしまったらしく、ベランダに閉じ込められてしまった。(地上四階なのでさすがにそこから降りる真似はあまりしたくない)
 どうすべえかなあ、とか思ってぼーっとしていたら、公衆衛生学の秘書さん(だと思う。多分)が通りかかったので、呼んであけてもらう。あ〜、はずかしかった。


2003年05月07日(水) 旧暦 [n年日記]

調子の良い日

 学生実習で、いつも手間取る電極挿しが二分で終了。しかも、3時間くらいたってもずーっと絶好調。いつもこう上手くいくならいいのだけどねえ。
 28日に実ははじめて存在を知ったたまちゃんを想う会の本体、パナウェーヴ。一体なんでそんなに騒がれているのかがイマイチわからない。教義の面白さはもう十分にわかったから、危険ならその危険性を示す報道をして欲しいものだが、所詮は日本のマスコミにとってはパナウェーヴもたまちゃん並なんでしょうなぁ。しかし、「スカラー波っていったなんやねん」と思っていたら一部で知られているニコラ・テスラのとんでも理論「テスラ波」からの派生らしい。ニコラ・テスラは現在普通に使われている交流の基盤を作り、磁力線の強度を示す単位「テスラ」の名の元になった偉大な発明家だが、同時に荒木飛呂彦原作「奇人変人伝」で取り上げられたように、とてつもない奇人でもあった。そう考えると、なかなか楽しくはある。つか、電磁気学くらいちゃんと勉強しろよう。
  イラクで放射性物質と知らずに略奪、大規模被曝の可能性朝日 )。イエローケーキですか。しかも飲料水の貯蔵用ですか。なんつーか、これは、さすがに……
  中国の潜水艦事故、バルブが開かず酸素不足が原因?産経 ) 潜水艦事故の恐怖はさまざまなノンフィクションでも描かれており、これも単純なミスとは言え、痛ましい事故には間違いない。
  野原にハリポタの新作が?産経 ) なんでも作者の収入はエリザベス女王を超えたそうで、そういうこともあるだろう、と思う。けど、そんなに売れるものかなぁ? ワシとしてはゲド戦記短編集の邦訳を早く流出させて欲しい。
  韓国から漂流してきたゴミを、韓国学生がボランティアで掃除読売九州版 )。ありがとうありがとう。でもできれば最初から流さないでね。(^^;
  週刊アクション で、バロン吉元氏の新連載「三面大黒天」が始まっていた。まあ、いつものバロン氏のノリです。ハイ。あいかわらずよくわからん雑誌だ。らしいと言えばらしいけど。
  コミックフラッパー では、工藤かずや原作SHINYA作画「THE EDGE 新選組」が連載開始。若干のツッコミどころはないではないけど、作劇的嘘の範囲内で、新選組マンガではなかなか悪くはない。隊士ごとの連作方式でいくらしい。ちと様子見。他には先月から始まった小原慎司氏の「二十面相の娘」とか、新人の谷澤史紀氏「すいむ。」とか。ニーズとしてはビミョーな位置ながら、雑誌の方向性はかなり確立したように思える。多分売上もビミョーなんだろうけど。ベテランの和田慎二氏、新谷かおる氏の連載が、個人的にわりとどうでもいいのが意外。やはり面白そうな新人さんが出てくる雑誌が一番ドキドキする。


2001年05月07日(月) 旧暦 [n年日記]

辛くない「辛口」はもうたくさん

  プロ野球の観客動員数が減少してる らしい。アンチプロ野球の私としては無責任に嬉しい限りだが、肝心の巨人の動員数は変わってないじゃん。ダメじゃん。
 それとは全く関係ない話で。
 なんかネット上の文章で「辛口」という言葉をたくさん見るけど、その実「辛口」なんて思えるものはほとんどない。「辛口」というのは本来ポイントを抑え、批評の対象である事物の痛い点をズビシと指摘したもの、なぜそれがいけないのかをわかりやすくまとめられたものが「辛口」と呼ばれるものであるはずだ。だから本当に辛口が書けるという人はとても頭が良く、鋭敏な視点を持った人で、「辛口」なんて言葉を使っているのは「自分はそういう人物だ」とアピールしてるに等しい。しかし、本当にそうであるかは書いた文章を読めば一目瞭然である(その頭のよさと鋭敏な視点は文章を書く際において、ということであり、当然書いた文章にはそれが表れていなければならない)。もう一つ言えば、辛味も滋味である。その「辛口」の周囲には対象に対する愛がなければ滋味にはならない。「愛」というと臭くてバカバカしい浮ついた言い方のように思えるが、要は対象にどれだけ深く切り込んでるか、ということである。それは思い入れが原動力である場合もあるが、別にそうである必要はない。しかし対象そのものに深く切り込み、深く考察することは必須であろう。ともかく、思い連ねただけの雑感を書き連ねるだけでは、どれだけ悪口でも事実でも「辛口」にはなりようがない。一見刺激的なだけだ。しかも、ただ単調な刺激は慣れてしまうことで刺激ですらなくなってしまう。そしてそれにおぼれることで正常な味覚を見失う。
 別にそういったものが存在していることがいけないというのではない。だがそういうものが「辛口」を名乗ってはいけない。それは「おこがましい」と言うのだ。