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2004年05月21日(金) 旧暦 [n年日記]

[その他] はじめてのメモリぞうせつ

 うちのLet's note light W2がここのところ調子が悪い。一度HDD交換したものの、その後もたまにHDDが暴走する。どうも熱暴走くさい。それもそのはずで、メモリが256MBしかないのにXPを積んでいる。仮想メモリでHDDにアクセスしっぱなし。イメージ的には こんな感じOSたん保管庫 )。だったらW2Kにしろよという話もあるが(できる女ですから)、唯一のXP環境だからなぁ。しかしこのままでは二度目のHDDクラッシュも近い。こりゃあもう、きちんと対策しないといかんなと腹をくくってメモリ増設。やっぱノートのメモリは高いのうと嘆きつつ、とにかく増設。うわ、立ち上がりが早くなってるよ。これまで放置していても断続的にHDDのアクセスランプがともってたのが、それもなくなった。普通に使っても時間がたつとキーボードがかなりあったかくなっていたのが、今では人肌程度の良いぬる燗。やってみるものだなぁ。高くついたけど。

[その他] まじめにClannadを語ってみる

 なんだか文句ばかりで、Clannad自身のことになにも触れてなかったのはイカン、と思ったので心を入れ替えて。
 Clannadというグループについては Wikipediaのクラナドの項 参照、出ている曲については 米国amazon 参照( CD輸入規制法案 なんて糞っくらえ!)。手抜きちゃいますねん。
 私はある時期から急にアイリッシュ音楽を集めだして、 The Chieftainsヴァン・モリソンアイオナアルタン 、ナイトノイズ、エルヴィス・コステロ *1 などなど、わりと手当たり次第(さすがに経済的理由や合う合わないもあるので全部買ってるわけじゃないけど)にあさったわけで。そこからさらにスコティッシュ・ケルトの Capercaillie など、他のケルト音楽にも手を伸ばしたわけですが。
 Clannadは、よくあるパターンでエンヤ *2 の兄弟たちがやってる、という流れで聞いてみたのですが、エンヤの「つかみどころのないような綺麗な音楽」に対し、Clannadのは綺麗なんだけどもどこか凛としていて土着的な強さがあるのが結構衝撃的でして *3 。「エンヤの兄弟だから」ではなく、Clannad自身がすっかり気に入ってしまったわけで。
 Clannadですごいと思うのは、まあ、多少の当たり外れ・出来不出来はあるけど、私が知ってからは新しいアルバムでも失望することがほとんどなく、前からの期待に応えながらも、どっか新しい部分があるということ。アルタンのようなトラッド寄りならともかく、Capercaillie(これも大好きなグループ) *4 でも“to the moon”以降、ちょっと「あれ?」と思うようなところがあり、大ベテランのThe Chieftainsでさえ、ここ数年は「なんか違うなぁ」という感じがするのです。常に新しい方向性を模索してるアーティストが多いので新譜を追いかけていると合う合わないが出るのはやむをえない、と思うのだけど、今のところClannadにはこれがない。まあ、Fuaimやdulamanみたいな思いっきり古いのは大分感じが違いますけども。あ〜、なんか抽象的ですいません。音楽ライターみたいには書けませんや。
 Clannadのアルバムでどれが一番好きかと言われれば、一番最初に聞いた AnamBanba あたりかなぁ。
*1: 「ストーン・オーシャン」のエルメェス・コステロの名前の元ネタ
*2: 「ジョジョの奇妙な冒険」part3、エンヤ婆の……あ、そんなことはわかってる? 左様で
*3: 確か、はじめて聞いたのはAnamだったと思う。ゲール語で「魂」という意味(これは本当)
*4: このグループが歌った“Alasdair Mhic Colla Ghasda”(元はスコットランドのworking song)をClannadがカバーしてたりもする


2004年05月22日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 落ち着いてきたので(アクセス数も私も)

 しかし、今回の件で思ったのは、「調べないオタク」ってのが増えてきたのかなぁ、ということ。オタクってのはどうでもいいようなことにこだわるからオタクであって、言ってみれば一種異常なのだけど、“Clannadの本当の意味”については、ちょっとネットで調べればそうではないのではないか、と十分疑問を呈するに足るだけの情報は出てくる。まあ、ゲームのファンはゲームが好きなのだからそちらに興味があるわけでもなく、あまり気にしないのはとても納得できるしそれを悪いと思わないのだけど。
 が、「ゲール語で家族の意味」というのはあからさまな間違い(あるいは嘘)で、まあせめて「家族の意味」とだけなら、ごまかしようがあったのに。「辞書で調べもしなかったのか *1 」あるいは「なんでそんな嘘をつくの?」とは思わずにはいられない。もし、Clannadとその音楽を好きなのだとしたら、なおさらだ。彼らをはぐくんだ地域の文化に敬意を払ってしかるべきだろう。「ゲール語」ってのは現在も使われている生きた言葉で、どこかのファンタジーの世界の言葉ではないのだから。
 結局、少なくともその「誤解」に至るにはClannadは経由しているはずで(CLANNADとClannad関連以外でmeaning 'family'という記述はついぞ見つからなかった)、きちんと調べなかったにしろ、嘘をついたにしろ、誤謬を広めた責任はあると思う。少なくとも、 この検索結果 を見ると。
 だから、私はこの一言を持ってひとまず今回の件を終わりにしたいと思う。
クラナドとはゲール語で「家族」の意味『ではありません』
 あとでこの辺のことをまとめたテキストを上げるかもしれません。自分や誰かが、誤解を指摘する必要があった際のポインタにするためです(追加:で、 作ってみました 。こちらが調べたことを述べるにとどめ、攻撃的にならないようにしたつもりです。間違いの指摘等があれば、ご連絡ください)。が、基本的に以降は普通の対応に戻ります。普通にKEYの「誤解」やそれが広まってしまったことにムズムズしてる、当たり前の対応に。

 それにしても、SF大会で「ケルト音楽の部屋」とかやったらそれなりに人が集まりそうな気がしてきた。いや、SFとケルトがどう結びつくねん、とか、集まってなにをするねん、という問題がありますが。
*1: 大き目の図書館にはアイルランド語(アイルランド・ゲール)の入門書や辞書が置いてあるところもあるし、 ネット上にもGaelicの辞書がたくさんある

[その他] ポイントげっと〜

 ネット書店の書評を書いたら、ポイントをもらえた。しめしめ、これで書籍代がちょっと浮くぞ。
 そういや、上のところのテキストを書くのに、いろいろ資料を検索したり引っ張り出したりしたのだけど、よくよく考えると朝鮮半島は日本にいろいろひどいことをされた、と言ってますが *2 、正直アイルランドと比べると でもありませんな。
 英国統治下で言葉を奪われ、文化を破壊され、 じゃがいも飢饉 という未曾有の危機にもなんら救済措置はなくそれどころかそれまでと同じ税金の取立てが行われ、その結果大量のアイルランド人が新天地を目指しアメリカに移民した。ケネディ大統領はこの移民の末裔で、つまり世界の歴史を変えるほどの 虐待ぶり だったわけですな *3 。それでもアイルランド人はへこたれず、一部地域とは言え言葉を残したし、文化も可能な限り残している。彼らが冷遇される最大の理由だった信仰 *4 は死守した。まあ、朝鮮半島がずっと日本の統治下におかれていたらどうなったかというのはわからないが、日本と朝鮮半島の関係を英国とアイルランドの関係にたとえるのは相当無理がある。近いのはむしろ、英−愛と中国と李氏朝鮮の関係だろうと思う。
 まあ、なんで無理矢理アイルランドから朝鮮半島の話題に乗り換えてるかと言えば、 小泉首相の再訪朝産経 )の流れ。期待されていた拉致邦人家族8人の帰国については事前に予想されたとおり。死亡とされた拉致邦人の再調査にも触れているようだが、あまりあてにならないだろう。成果は成果だが、これは「当たり前」のことであり、首相も手土産をもらったと思わず、これからも正当な権利を求めて行動してもらいたい。おそらくは北朝鮮は拉致邦人の件や核ミサイル開発などでのらりくらりとごねるだろうが、日本はしたたかに対応していかねばならない。これもまだまだはじまりのうちにすぎない。
 過去を云々と言ったらアイルランドと比べてみるといい。本当にへでもないから。
 あと、これの報道のおかげでウォーターシップダウンの時間がずれ込み、後半が切れちゃったじゃないか! 用心棒がいたら北朝鮮にきっと乗り込んでたでしょう。
*2: 嘘も多いが、他民族による統治状態は基本的に幸福な状態ではないと思う
*3: 「ボイコット」という単語も、アイルランドの土地差配人であったBoycott大佐に反発し、アイルランド住人が不買運動を行ったことから妨害や不買運動のことをボイコット、と言うようになった。The Beatlesの出身地のリヴァプールもダヴリン経由でのアイルランドからの出稼ぎ労働者などが多く、極論すればアイルランドからの流れがなければ我々の知ってるThe Beatlesは誕生しなかった、とも言える
*4: 英国は英国国教会(プロテスタント)であり、アイルランドはカソリックである

[アニメ] 絢爛舞踏祭ザ・マーズ・デイブレイク

 すばらしい! 熟女どうしのとっつかみ合いになんだかふにゃふにゃしてつかみどころがない狸親父の政治屋、世間様では死神と恐れられてるらしいのに全然そうは見えないヤガミ、徹底的にダメ軍人なのにそれ相応にポイントは抑えるドリトル大尉、あふれる生活感、おまけに巨大人型兵器の機動性を海中の浮力・推進力で説明する設定、いやいや、ワタクシ今期の新番組でコレイチオシ。
  光と水のダフネ も、作画こそふるわないが実に良い。傷ついた訳アリの美形を拾ったシズカが、その男と恋に落ちていくけど……深夜帯だからと乳掘りだしたり裸出せばとにかくいいや、なやっつけ仕事ではなく、きちんとそれ相応な視聴者層向けなネタをやり、そういう視聴者に読み取らせる演出、ちゃんとしたゲストキャラの立て方など、これは案外とあなどれませんわ。


2004年05月23日() 旧暦 [n年日記]

[必殺] ビデオ撮っておくんだった!!

 なにげにテレビをつけっぱなしにしていて、他ごとしながら「 チューボーですよ! 」を流していたのだけど、いきなり「山崎さんや沖くんが……」という声が耳に入り、はっとしてテレビを見る。ゲストが野川由美子だよ!
 話してたのは当然「必殺仕置人」の話で、フィルムが出来るのがいっつもぎりぎりで、レギュラーが揃うのが一週間に一日くらい、それも徹夜の撮影で、それでも他のレギュラーに「またやりたい?」と聞いたらみんな「やりたい!」と答えたという話をしていた。
 内容自体は、「 時代劇マガジンvol.1 」のインタビューにあったのと基本的に同じ話。でも、実際に動いてる野川由美子が「またやりたい?」と聞いたという話とか、山崎努はまだしも、若い人には誰だかわからないであろう沖雅也(沖くん)を普通に会話に出したりして、やっぱ野川由美子にとって「必殺仕置人」の現場って、三十年経っても鮮烈で、大変でなおかつ特別にとても楽しい現場だったのだなぁ、ととてもうれしくなる。
 そのうえ、堺正章が「一週間に一日しかレギュラーが揃わなかった」って話で、「それであんないいものができたんですか」とコメントしてくれた日には、もう……正直、すげ〜泣き出したい気分。

[その他] 世の中便利になりました

 うん、便利にはなったよ。便利にはね。
 私が尊敬する知人が、「技術の進歩で便利にはなるけど、技術で人が幸せになるわけじゃない *1 」って言っていたけど、それともちょっと違う意味で。
 昨日の アレ を見て、知人(上の言葉の知人とは別)が「『Qケルト語族』って、『旧ケルト語族』の間違い?」と聞いてきて、ちょっとびっくりしてしまった。ケルト語族にQケルト語族とPケルト語族がある *2 というのはケルト関係の書籍をちょっと当たったことのあるものには常識で、そんな疑問が出ること自体が脇から竹やりで突かれたみたいだったのだ。が、確かに言われてみれば「Qケルト語族」という字面はちょっと面妖で、誤字かなにかと思うかもしれない。で、いちおうその辺の解説ページもリンクに加えた。
 技術とケルト語となんの関係があるねん、と思う人がいるだろうが、実はネットで ちょっと検索 すれば、このくらいの情報はすぐ見つかる。私がこの辺のことを知った頃は世の中まだこんな便利ではなく、図書館や本屋に行って調べざるを得なかったのだが、今では同じことが簡単にできる。情報の確度とかはまたいろいろあるが、知りたい情報を楽に知ることができる、英語が読めればさらにいろんな情報がわかる、大変便利な世の中なんである。
 が、調べない。件の知人は、決して怠け者とかそういうことはない。頭の回転も速いし、仕事に関連することには常日頃興味を持って積極的に調べ、私は敬意を抱いてすらいる。が、今回の件に関しては調べなかった。 *3
 結局、それが出来る技術があるからそれをするのではない。無論、まったくそれが出来る環境ではない、とかだったら話は違うが、多少の便利・不便は問題でなく、「やる」人間か「やらない」人間か、それこそが最大の決定要因、ということだ。無論、これまで不可能とされていたことが技術で可能になることだってある。しかしそれは「多少の便利・不便」ではないということである。
 きわめて当たり前な結論なのだけど、この結論をもうちょっと適用範囲を広げて見てみたい。
 たとえば、以前話題にした「必殺必中仕事屋稼業」#11の超絶撮影テクニック(笑い) *4 だが、今ならそんな無茶をしなくても、CGで目を光らせるとか合成するとか、安全で簡単に似たようなことはできる。まったく同じにはならないだろうが。それどころか、もっとすごいことが出来る世の中になった。それでは、それだけ作られるドラマは面白くなったのか? そうは思わない。それどころか、全体的には衰退している気すらする *5 。直接それを示唆するわけではないが、 視聴率30%超えの番組が激減朝日 )というデータもある。ちょっと言い方を変えると、テクノロジーは進歩しているがスキルやテクニックは必ずしもそうではない、とも言える。昔は良かったという話ではない。技術がどうであれ、作り手側の意識がそこになければならないし、多分、それには視聴者側も「もっと面白いものを見たい」という「欲」を出さなければならないのだろう。けど、深+のマスターの日記にもあったけど、高額納税トップが「みのもんた」じゃなぁ……仕置人の時代は良かったなぁ(昔は良かったじゃない、じゃなかったの?)
 ちょっと別な見方をすると、21世紀になったとき、「子供の頃想像してた21世紀の社会はこんなんじゃなかったのになぁ」と言う人が結構いた。まあ、技術的なものもあるが、結局それは「みんながそういう社会にしようとしなかった」ということではないか。個人的には、別にそんな社会じゃなくても一向に構わん、というか、今の21世紀の方がいろいろ面白いんだけど。
*1: もし技術の進歩の恩恵を受る人がいても、それは技術が幸せにしたのではなく、その技術を使って誰かを幸せにしようとした人がそうしたのだ、というようなニュアンス
*2: qhをそのままqで発音するかpと発音するかが名前の由来
*3: まあ、興味のない分野のことだからそれは健全な反応なのだが。
*4: 焼けるような撮影ライトを主演女優(草笛光子)の顔面に照らして逆光の中目だけ光っているという力技かつすばらしい画を撮った
*5: 無論面白いものはきちんと面白いし、ニーズの多様化などの要因もあるのだが

[特撮] デカッとかレン(ゲル)とか

 それにしても相変わらず デカレン は面白い。
  ブレイド もちゃんと面白くなってきてる。前回から井上俊樹脚本によるレンゲル−睦月編。カードの取り合いの要素も出てきたし、封印カードの解放という手段で復活怪人もOK。いかにも井上的なキャラの桐生もいい味出してる。なにより事件がちゃんと転がってる。実は井上中毒だったんか、ワシ? *6
*6: 555劇場版パラダイス・ロスト DC版買ったし、そうかもしれない。通常版持ってるのに……

[その他] 業界とか流通とかに関連して

  切込隊長BLOGのP2P考察 に関連して、 視聴率がデジタル編成を縛っている なんてテキストを見つける。つまり、多様化してもそれに即したリサーチの手段がないから多様化を縛ろう、という流れになったという話。技術的に無理、とかはわからないではないが、本当に本末転倒な話である。しかしまだこれはかわいい方で、企業活動ではなく司法や立法を動かしてこれを規制しよう、という動きが昨今のあれやこれだろう。無理を通せば道理が引っ込む。
 このサイト 視聴率の嘘800ホント200 は他のエッセイも面白く興味深いので読んでみるといいと思う。


2004年05月24日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] おちつかない(アクセスが)

 アクセスが落ち着いたかと思ったら、 人工事実 さんや 絵文録ことのは さんからリンクされて、またもや結構あれなことに……自業自得で仕方ないとはいえ、むずがゆいものである。
 しかし、絵文録ことのはさんはコメント欄やトラックバックがあるので、なるほど、多分私のところもこういうふうに見られていたのだなぁ、と。絵文録ことのはさんのところの文には扇動的なところがあり *1 反応を引き出してる部分もあるのだろうけど。
 人工事実さんのところには トラックバックに関する記事 もあり、ふむん、という感じで読む。
 私のところは HyperNikkiSystem を使っていて、コメント欄もトラックバック機能もない。トラックバック機能についてはコミュニケーションツールとして面白そうだとは思うものの、それでどれだけコミュニケーションの形が変わるのか、イマイチぴんと来ない。コメント欄については、私は多分、自由に匿名で発言できる大勢と、日記で直接に向かい合うだけの度胸がないのだと思う。議論を行うにはコメント欄はちょっと狭すぎるし。一応、ネットでどっかからリンクされてももちろんOKだし、メールアドレスをさらして連絡は出来るようにしてあるので、それで勘弁してください。
 しかし、記事中の「一行くらいしか反応せず、能力や価値がない」という記述は少し違うのではないかと思う。まあ、よほどセンスや能力がなければ「無能に見えてしまう」というのは賛成だけど。でも、閲覧数稼ぎにそういうのをする人ってのもいるのかな? う〜ん。あ、私はこの記事にトラックバック張りません(笑)。
 まあ、そんなこんなでウェブ日記ツールにどういうものがあるのか、いっぺん調べてみたいとは思ってる。どういう思想で作られているのかとか、結構面白そうなのだけどなぁ。
 あと、 こちら でドンキホーテとたとえられてしまった。いや、そんな立派なものじゃないです。ただのヘタレです。
*1: お前が言うな、である

[その他] Wild, Wild, America

 イラクの捕虜虐待については、諦観とも掻痒ともとれる感情を抱いているのだけど、それはなぜかというと60年前に日本も同じことをされたからで、 愛・蔵太さんの日記(05/22) がその辺のことを書いている。
 日記の中に触れてるリンドバーグ *2 の手記は 私も読んでいて 、書かれてるのはリンドバーグの伝聞という形ではあるので実際のところはわからないが、イラクで行われた程度のことはあったのだろうなぁ、とは思う。 *3
 手記の最後の方には終戦直後訪独したリンドバーグがそこでも米国やフランスなどの連合国側によるドイツへの蹂躙 *4 を見聞きし記述している。 クライン孝子さんの日記 がたまにその辺のことに触れているし、 バンド・オブ・ブラザーズ でも連合国兵士による略奪の描写がある。
 が、これらの行為が裁かれることは、おそらくない。時間が経ちすぎているということもあるし、日本とドイツはそこまで徹底的に負けてしまったのだ。
 この手の行為はアメリカだから、という部分はないではないだろうが、それよりかは本質的には戦争だから起こった、という部分が大きいと思う。そこらへんが諦観の元なのだ。
 いずれにしても日本やドイツのように歴史に埋もれてしまわず、はっきりと真相が提示されることを祈る。
*2: リンドバーグは長男誘拐の調査に関連して親ドイツ寄りの態度を取り批難を受けたことが有名だが、手記を読む限り当時の米国内の主戦派と反戦派の対立など、もう少し当時の情勢は複雑そうである
*3: 正直、手記には虐待どころか虐殺のレベルの話もあるのだが
*4: 兵士に対してだけではなく、民間人に対しても

[アニメ][その他] 富野監督の講演

  一心不乱日記 さんの 5/195/20 のレポート。講演中、眠っていた生徒にどなりつけ、「出て行け!」のハプニング。ひと悶着してその生徒を出て行かせたあと、「私は、年甲斐もないことをしたとは思っていない。当然の事だと思っている」
 ううむ、かっこいいかもしれない。見習うべきかどうかは微妙だが。

[その他] メモ:今年度星雲賞参考候補作一覧

  ストーン・オーシャン+星雲賞 で調べてきた人がいたので気づいた。後で 非公式ノミネートページ に反映させねば。
 しかし、ストーン・オーシャンはSFなのだろうか? と思ったが、ラストは「 タウ・ゼロ/ポール・アンダースン 」のパク……もとい、オマージュなので十分SFだろう。なんて。


2004年05月25日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] 連絡+メモ

 まあ、祭りが終わってアクセスはすっかりおちついたんですが、念のためしばらく知人友人のところにはリンク貼らないでおこうと思います。おのおの文を読んで「あ、自分宛の公開私信だな」と判断してください。(身内向けに日記やってる人が多いから、迷惑がかかるかもしれん)
  友人から教えてもらったネタその1 。これであなたの電脳もハックされる!?
  その2 。東京では覗きに行くことはできないけど、名古屋でもパンフを売るのだったら一部買うくらいはしておこう。
  輸入音楽CDに関するAmazon.co.jpからの重要なお知らせ 。まあ、Amazonとても一企業なので法案が通過し圧力をかけられれば輸入CD販売から撤退せざるをえないだろうが、それでも個人ではなく企業が正式に法案に反対を表明したことは評価できると思う。
 輸入CD規制法案に関しては、 facethemusic さんに日々新しい情報が掲載されています。

 それにしても『た』なかたから励まされると、本当にへこむ(笑)。

[読書] 貧者の晩餐会/イアン・ランキン

 いまどき、大き目の書店に行かないとお目にかかれないハヤカワポケットミステリー。こないだ深+に行ったときに先客に薦められたのは同じ作者の「 甦る男 」だったのだけど、あいにくと店頭にはなく、薦められたときに「イアン・ランキンのならはずれはない」と言われたこともあって、これを購入。ランキンの持ちキャラであるらしい「リーバス警部」シリーズの短編と、その他の、ローリング・ストーンズの曲にちなんだ21本が収録されている。結論。いや、面白かった。あとがきを読むと普段は重厚さが持ち味らしいが、ちょっと皮肉が利いた軽妙さがむしろこの本では目立ち、でもそのひねくれさ加減も後味の悪さは感じさせない。最後の方に行くほどそうだ。最後の四本「吊るされた男」「機会の窓辺」「大蛇の背中」「サンタクロースなんていない」は、意外なストーリー展開と登場人物のキャラクター性や人生性(変な言葉だが)がそれに絡んで、なんとも言えない。文章も洒落ていながら読みやすく、楽に読み進められた。
 これは別の作品も探してみるか。

[その他] 輸入CD規制法案に関連して

 クラシックとオペラ好きなM瀬君には、下手すると死活問題になりかねない話だからもうちょっと気にした方がいいと思うけどなぁ、と、書いてみる。
#国内盤が音質最悪のCCCDになってしまっても、輸入盤が買えない、という事態も起りかねない。
 注文してた海外CDが届いて、パッケージを開いたのだけど、よく考えると輸入版をわざわざ買うなんてのは好き者なのだよな。なぜなら、パッケージがあけにくい。いや、これ、多分輸入版を買ったことがない人にはわからないだろうけど、本当なんである。ケースについてる封印のシールはボロボロくずれてはがしにくく、机の角にこすりつけてはがれやすくするなんて、これ以外では絶対に役に立たないテクニックまで覚えてしまった。
 ケース自体も、最近はそうでもないのだが数年前はプラスチックの質が悪く、CDをホールドしてる爪がポロポロ折れてしまったりしたものだ。
 国内盤はきちんと相応のサービスをすれば、普通の人は絶対そっちを買う。業界はマニアの弾圧みたいなことまでして、いったいなにを恐れてるというのだろう?
 ちなみに買ったのは DUSK TILL DAWN/CAPERCAILLIE 。ベスト盤だから買わなくてもいいかな、とか思ってたんだけど、ついでなんで。

[その他] 一応

  clannadとは家族の意味ではない を修正。clannの意味に関する部分。もうひとつ、気になる記述を見つけたが(「clannad≠家族」を崩すものではない)、できるならば調査をしたいが……


2004年05月26日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] なくときはわがなよぶ

 現存する中国最古の地理書で「山海経」というのがある。中国の各地や周辺地域の風物や自然を記述した書物だ。この本、伝説や風聞を元にしているのか、中国の周辺部に行けばいくほど記述が怪しくなっていき、なかなか楽しい。 *1
 で、この中で動物の紹介をする際に、「鳴くときはわが名呼ぶ」とあるものが多くある。つまり、人間にそう聞こえる鳴き声をそのまま名前にしたということだろう。鳴き声=名前、というわけだ。
 今回の騒ぎで調べなおしているときにちょっとした余禄があり、そのうちの一つが English-Irish Dictionary of Bird Names 。アイルランド語で鳥の名前をどう呼んでいるかの辞書である *2
 私がまっさきに調べたのはcapercaillieだった。
Capall Coille [Wood Horse {voice}]; Coileach Fea, Caileach Coille [Wood Cock]
とある。
 聞き覚えのない名前だと思うが、ハイランド地方に住む雷鳥の一種、とのことであるらしい。日本名はキバシオオライチョウ。雷鳥類で最大のものだそうだ。昨日も名前を出したが、スコティッシュ・ケルト・ミュージックグループの名前でもある。
 面白いのは一番最初のCapall Coilleという呼び方。Wood Horseとある。辞書で調べると、Coilleは木、Capallは、現在ではCapullとなっているらしいが、アイルランド古語で馬の意である。どうも綴りの一致から見て、この語がCapercaillie自体の語源と思える *3 。もうひとつ面白いのは、注釈でvoiceとついていることである。おそらく、鳴き声が馬みたいだということだろう。実際の鳴き声は聞いたことがないので、本当に似てるかはわからないのだが。
 音楽グループの方のCapercaillie *4 だが、彼らはスコットランド・ゲール語のネイティブスピーカーで、この語源を知っていた可能性が高い。あるいはこの鳥を実際に知っていたのかもしれない。自分たちのグループ名をつける際に「木の馬」を意味する、ひょっとするとそんなような鳴き声の鳥の名前を選んだ。あまり偶然とは思えない。アイルランドのグループ「ナイトノイズ」が「自分たちの音楽なんて、夜の騒音みたいなものだ」と謙遜し名前をつけたという話もある *5
 こういう名前の意味がわかり、その経緯にあれやこれやと想いを馳せるのはとても楽しい。
P.S. こちら に実際に動物園で鳴き声を聞いた方がいた(ヨーロッパオオライチョウ=キバシオオライチョウ)。やはりあまり美声ではないようで、この名前をつけたのは諧謔だろう。
*1: 「鸚鵡」や「狒々」など、今日知られている動物の名も見られるが、これらが我々の知るのと同一なのか、後から知った動物に山海経に出てくる似た動物の名をつけたのかは不勉強にして良く知らない。
*2: 余談だが、アイルランドでは言葉の復興運動の一環として、それまで英語など外来語で使っていた単語もアイルランド語で言い換えよう、というものがある。コンピューター用語なども英語の直輸入でなく、アイルランド語の言い回しにしている。
*3: ケルト系の言葉が元の英単語は案外と多い
*4: 日本では「カパーケリー」とか「カパケリ」とか呼ばれてるが、あまり正しい発音ではない。が、まあ日本の方言・訛りみたいなものと解釈するほかないだろう。呼びやすいように呼ぶのは悪いことじゃない
*5: だが、実際には騒音どころかとても静かで綺麗で透明感のある曲を作るグループである

[必殺] 次のDVD化の予定

 噂では「江戸プロフェッショナル 必殺商売人」らしい。うむむ、どうしようか。微妙だ0。

[その他] 手違い間違い勘違い

 マガジンの某マンガで「新撰組」を「新選組」と書いて「間違い」と指摘されるシーンがあったが、別に間違いではない。これはどっちでも構わない。いまさら「トリビアネタ」などといわれたくもないネタだが。
  チワワは犬にあらずx51 )。どんなDNA鑑定やねん! と思ったが、元ニュースサイトの The Watley Review はジョークサイト、というか 風刺(satire)サイトらしい 。ちょっとだけびっくりした。最近、その手のことを明記しないで勘違いする報道機関もあったからなぁ。どういう風刺かわからないが、一部の犬を珍重し、高値で売り買いすることに対してなのかしらん?


2004年05月27日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] 本格的に落ち着いてきた

 いやはや良かった。ほとんど通常営業でも問題あるまい。
 「Clann as Dobhar+Dobharとは」で検索してきた人がいるので、追加で記載。Dobharというのはアイルランド古語で「水」を意味する言葉だったらしい。また、Dobhar川という川もあったらしい。どんな川かと言えば、 between Gaoth Dobhar and the Rosses とある。じゃ、そもそもGoath Dobhar and the Rossesってどこ? と探してみたのだが、地図が見つからない。Gweedore(Gaoth Dobharの英名)で検索すると見つかるのが ここ*1 アラン島 *2 がこんなにでかいなんて、ぶっちゃけありえない。で、アーティストグループのClannadのdはこのGaoth Dobharである。Gaothは風の意味。風の強い海辺の町(村?)、というところだろうか。しかし小さな村だが、ClannadとEnyaとAltanの出身地である。
 ちなみに、ClannadのアルバムAnam収録最後の曲のタイトルは、Dobharである。
*1: 最初に見つけたのは ここ で、黄色の部分がGaoth Dobharと勘違いしたのだが、調べなおして違うことがわかったので差し替え。 Gweedoreの観光サイト はこちら
*2: ここにはアランセーターの発祥地、と書いてあったけど、それはゴールウェイにあるアラン諸島との突っ込みがあり、削除。突っ込み多謝

[その他] 手をあらおー

 なんだか最近、とても気になることがあって、それはなにかと言うと、職場でトイレに行って(汚い話でスマン)、先に入ってた学生なんかが入れ違いに出て行くとき、それが学生ならばほぼ100%、出て行く前に手を洗うところを見たことがないのである。コレの話のもっと最悪な事は、小の方ではなく、大の方でもほとんど手を洗ってないということだ。
 いったいこれはどういうことだ?世の中知らない間にそういうことになってたんだろうかと心配になり、東京の知人友人に聞いてみたのだが、「なにそれ?」とか「さすが名古屋」という返事が……じゃ、いったいあれはなんなんだろう? 学生くらいの年代ではそれが当たり前なんだろうか? それともここローカル? いや、でも、そういえば前にコンビニトイレで同じような年代の奴とすれちがったとき、そいつも手を洗ってなかったからなぁ……これっていったいどういうことなんだ???
 とりあえず言いたいのは、おまえら手を洗え! もしくは、外出たらどこにも触るな! 当然握手などせん!

[その他] 変な生き物とかなんとか

  古世界の住人・川崎悟司イラスト集 恐竜をはじめ、さまざまな絶滅動物のイラストが食いきれないほどある、贅沢なページ。冗談抜きですごい。
  HMVタワーレコード も輸入CD規制法案反対へ。確かにこの辺の店は死活問題だろうなぁ。「なんとなく通っちゃった」ってことにならないよう、世の中が盛り上がって欲しいのだが。
#まあ、それ以前に怪しい法案が多すぎるんだけどね。
  ウェイン町山氏の5/26の日記 。表現はやや極端で過激だが、主張の趣旨は的を射ている(多分。最後の方のあれこれは、あれはネタというかスタイル……だと思う)。著作者を保護する、とは言っているが、結局それは会社が最大限の利益を得るためのお題目であり、会社は営利団体だから利益の追求自体は悪くはないが、利用者や著作者の利を削って、その中間に立つものの有利な方向に動こうとしてるのが昨今のあれこれ。「著作者の権利を守るため……」と言ったら「あんたたちが儲けたいだけなんでしょ?」と突っ込むくらいの世の中にはなって欲しい。ただ、日本を責めるばかりではなくアメリカのミッキーマウス法にも触れてほしかったなぁ……
 それと今週のカオルンは「必殺からくり人 富嶽百景殺し旅」。あとは仕掛人・(新旧)仕置人・助け人・仕留人・仕事屋稼業・新からくり人・商売人、か?


2004年05月28日(金) 旧暦 [n年日記]

[マンガ][必殺] なんで???

 なんだかコンビニの棚にひっそりと置いてある劇画漫画誌の中で、なにげに時代劇専門誌が増えてきてる気がするんですが……「乱」で「風雲児たち 幕末編」が掲載される以前は気にとめてなかったので、本当に増えてるのかはよくわからないのですが……って、いや、やっぱ増えてるよ。おかしいよ。世は時代劇冬の時代だってのにさ。
 その中で必殺シリーズをフューチャーしたマンガが二つほど見つかって、一つは コミック時代活劇 の「必殺仕置長屋」で、もう一つは マンガ時代劇ファン の「必殺!!闇千家死末帖」。どっちも集英社からの出版だけども、なにかあるんだろうか?
 それはともかく、必殺と言うと殺しのケレンが一つの売りなのだけど、マンガではこれがやりにくい。元々マンガ的なケレンだからかもしれない。それをどう上手くカバーするかなのだけども、「仕置長屋」は殺す前の「台詞」でそれをフォローする形で、「闇千家」は作画が森田信吾氏というだけで「明楽と孫蔵」あたりを読んでいた人には「ああ、なるほど」と腑に落ちるだろう。おそらく、日本で随一のバイオレンス系時代劇マンガ(変な表現だな)の書き手である。
 ただ、どちらも中村主水を意識してか同心を主人公に据えてるのは同じなのだが、「長屋」はいかにもなチームである一方、「闇千家」は元締めを頭に据えたコンビであるので *1 (仕事屋稼業的?)、「長屋」の方が必殺と言われ納得する人が多いかもしれない。でも私的にはマンガとしても必殺としても「闇千家」に軍配を上げざるをえないのだが。
 皮肉なのは、松竹の協力を受けてる(半公認)のは「長屋」の方なことなのだよなぁ……
*1: 人数を絞ったのは正解。人数が少ない分じっくりと殺陣を描くことが出来、それがケレンにつながっている

[その他] 文章修正とか

 ちっと昨日のDobharについての記述を修正。あれだと読みにくいことこの上ないので。自分の間違いについての記述は、脚注に移します。まあ、「間違いを消してないよ」という、一種の逃げなんですが。
 アクセス数の方は大分落ち着いてきましたが、なんだかまだ普段より参照数が多いような……え〜、「またいつ面白い切れ方するかな」とワクワクして見ている方、さすがにあんな切れ方は二年に一回くらいです。次回は2006年の予定ですので、ドイツのW杯でまたお会いしましょう。


2004年05月30日() 旧暦 [n年日記]

[アニメ][その他] 擬音精舎の鐘の音

 今週のNHK歌壇は擬音擬態語の特集。小学校の時には「擬音擬態語の多用は下品」などと言われたものだが、俳句や短歌の短い表現で効果的に使われると、下品云々はただの思い込みではないかと思える。ゲストの「擬音擬態語は言葉の根源」と言っていたのが目から鱗。確かにそのとおりだ。「カラス」「ホトトギス」も元はその鳴き声から名前が来ている。また、独創的な擬音擬態語の自由度が高いのも日本語の特徴だと思う。ゲストが独創的な擬音擬態語の例として出したのが、夢枕獏たぁ……たしかに今日本で独創的な擬音擬態語作らせたらあの人が一番かもしれねえ。あとは荒木飛呂彦か?
 その後、ウォーターシップダウンを見る。ふと思ったが、ウォーターシップダウンって、うさぎの村作りシミュレーションゲームにしたら面白くないか? 敵対するコミュニティや家うさぎから仲間をスカウトして、環境を整えて、内政を行って……結構いける気がするんだけどなぁ。

[ケルト音楽] 購入

  The Kinnitty Sessions/LunasaLuna Park/KILA 。しかし、日本のCDは高いなぁ。やっぱ輸入CD規制法案はまちがっている。
 どちらもトラッド色が強いが、なかなか良い。
 店頭で他に トンタ・ロー というアルバムが「ケルト原人」「人力テクノ」と非常に興味がひかれる(ぶっちゃけ、面白すぎる)コピーで購入を迷ったが、今回はひとまず未購入。サンプルを聞いて購入を考えよう。

[特撮] デカレンとかブレイドとか

  デカレンジャー は、前もって情報は知っていたけど二号ロボの登場。っつーか、やっぱあれはインパクトでかすぎですわ。アイアンギア? 変形前に中の一般職員たち(あんなにいたのね)が避難するシーンが燃え。デカレンジャーロボとのサイズの違いも、CGを上手く使ってて良かった。
  ブレイド もやはり癖の強いキャラを描かせたら井上敏樹は上手い、ということを再確認。それ以外はまったく保証の限りではないですが。レンゲルのベルトの危険性を知りながらもベルトへの依存度合いが深まっていく睦月が面白い。ギャレンのベルトを代わりに差し出す睦月に「ギャレンになれるのは、橘だけだ」と言い切る桐生も橘に嫉妬しながらも橘を認める複雑さが見えていい。あと、再生怪人はやはり弱かった、ということで。
 プリキュアは、オタクに媚びてると思って忌避してる人もいるみたいだけど、見てみると悪の側も生存の為にプリキュアストーンを求めているし、些細な日常において人間を認めつつある敵もいたりして、王道でありなおかつ手を抜いてない。また、主人公たちはたかだか中学生で、まだ人間関係とか社会との関係とかで悩み多く、正解など確信を持てないというのも描かれていて好感。昔見た原体験の作品そのままではないからと言って見ないとかってのは、自分の楽しみの幅をわざわざ減じてるのだなぁ、と思う。

[必殺] 必殺からくり人血風編

 6月25日からテレビ東京系で再放送との噂アリ。おそらく現在「切り捨て御免!」を放映している枠だと思う(月〜金11:35〜12:35)。全11話という、「必殺剣劇人」(全8話)に次ぐ短いシリーズで、「新必殺仕置人」の製作遅延に伴い急遽製作されたシリーズだが、幕末維新という、スペシャルを除いてもっとも現代に近い時代設定と、激動の時代の中で主人公たちが翻弄されていく物語は見ごたえがある。殺しは足で相手ののど仏をくだいたりとかウィンチェスターライフルで射殺とか、地味という印象は否めないが、一度は友情を交わした男たちが時代の流れに再び立場を違えつつも、根底では決して友情は消えていなかったことを表現した最終回は、必殺シリーズ中でも随一だと私は思う。短いシリーズなので、良ければ録画とかして見てください。


2004年05月31日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] 言い訳

 え〜っと、いや、特に話題を振ろうとか思ったわけでなく、いや、まったく考えてなかったかと言えばそんなこともないんですが、どちらかと言えばひとりごちていたわけで。しかし、おかげさまで昨今の時代漫画(劇画)誌 *1 の流れはわかりました。
 というわけで下に続く。
*1: 厳密には時代漫画と時代劇漫画は分けられるべきものかもしれないが、その中間層の存在があまりに多すぎるので、あえてこの辺はいい加減な表現としておく(いいのか?)

[ドラマ] 時代劇考

 時代劇の潜在的需要がなくなったわけではないにも関わらず供給が行われなくなった(テレビで)、というのは私も前々から感じていて、それがかなり面倒な程度に膨れ上がった「お約束」が一因というのはありえそうなことだと思っている。
 けど、それですべてが説明できるかといえばそれも微妙な気がしている。
 まあ、時代劇をまじめに研究してるってわけではないので、ざっと過去を眺めた概観なんですが、覚書程度に。60年代以前の時代劇はさすがにちょっと守備範囲外。
 多分今の時代劇の直接的な先祖というのは60年代終わりごろから放映されている「水戸黄門」をはじめとする諸作品で、70年代半ばくらいまでの時代の作品は「お約束」というか「定形」や権威主義をかならずしも良しとしない、社会のはずれ者的・アウトロー的な主人公のものが目立っているように思える。 *2 「木枯らし紋次郎」(1972)や「子連れ狼」(1973)、「必殺仕掛人」(1972)などもこの時代。 *3 背景としては60・70年代安保など、反権威・反体制な活動が目立つ時代だったのも関係しているのかもしれない。
 しかしそれだけではなく、「大岡越前」(1970〜1999)や「大江戸捜査網」(1970〜1984)など従来どおり娯楽性の高い作品も製作され、きちんと統計は取っていないが70〜80年代前半が時代劇の一つの黄金期だったと思える。
 これが80年代に入ると様相が変わってくる。水戸黄門ではそれまで「権威主義だ」と多用されなかった「印籠」が定番化する。必殺もそれまでのどぎつい表現は次第に受け入れられなくなり、華麗な殺しをする二枚目や、ドラマ自体もコミカルでライトな方向に流れていく。これが80年前半から中盤にかけて起こった。時代背景としてはファミコンの流行、バブル景気など。
 軽佻浮薄への流れ、と言うと少し違うだろうが、体制への反発、社会のはずれものの代弁者としての役割は終了し、娯楽が増えた中で気軽に簡単に楽しんで見るものへと、求められるものが変わってきたように思える。「お約束の固定化」もおそらく、どこから見ても今どのあたりなのかがわかり、すぐに話を理解できるようにという流れで発生したものだろう。
 この辺の流れは、歴代遠山の金さんを見ると結構あてはまっているような気がする。 *4
 しかし同時に、この時代から高視聴率番組が極端に減っていく傾向が見られていく。急落後90年代まで小康を保つが、90年代半ばから再び30%越えの番組が再び激減する。
 「その原因は番組の魅力」と言ってしまうと曖昧にすぎるので、もう少し統計的なものの見方をすると、これは「連続してその番組を見ている人間が減った」ということになるだろう。連続して見てれば見てるほど、視聴の重なりが発生しやすい。逆に細切れだと重なりにくい。つまり、「どこから見ても構わない」というつくりが逆に作用しているのが一因と思える。
 もう一つの時代劇のマイナス要因は「お約束」そのものである。「お約束」を共通事項として認識している者には問題ないが、それを知らない部外者には入り込めない状態を作ってしまった。お約束が固定化しすぎ、その啓蒙も行われない。1970年前後においては、これをお約束の破壊などによって破っていった。が、同じことは現在ではやりにくい。集中してテレビが見られなくなったため、じっくり番組中で語るということは、なかなか勇気のいる決断になってしまっているのだろう。
 90年代以降になると渡辺謙主演の「仕掛人・藤枝梅安」(1990〜1994) *5 をはじめとする池波正太郎原作の時代劇シリーズなど、傑作は生まれてはいるが全体として没落傾向の感は否めない。
 ひとまずここまで。
*2: 「おしどり右京捕物車」(1974)は、下半身不随となった元同心が、元同僚から仕事を請け負いつつ妻の押す手押し車に乗って活躍するという、現在ではまず放映できない番組。「唖侍鬼一法眼」(1973)なんて、今ではタイトルそのものが放映できないものもある。
*3: それまでのテレビ時代劇では描かれなかったリアルな殺陣にニヒルな主人公の「木枯らし紋次郎」は好評をはくし、その対抗馬として「アンチ時代劇」を標榜した「必殺仕掛人」が製作、その後、更に「アンチ仕掛人」として「仕置人」が作られたという、なんとも挑戦的な時代だった
*4: 中村梅之助(1970〜1973)、市川段四郎(1973〜1974)、橋幸夫(1974〜1975)、杉良太郎(1975〜1979)、高橋英樹(1982〜1986)、松方弘樹(1988〜)。その他、1975年からTBS系「江戸を斬るII」で西郷輝彦も遠山金四郎を演じている(「江戸を斬る」の1は時代設定も主人公もまったく異なっている)
*5: 必殺仕掛人と同じ原作と紹介されることが多いが、必殺当時はまだ短編が数本しかなかった藤枝梅安シリーズと、その他の池波正太郎の殺し屋ものをミックスしたのが必殺仕掛人のベースとなっている。その後梅安シリーズが続き、1982年に一度小林桂樹主演で映像化されている