2008年05月02日(金) 旧暦 [n年日記]
■ [アニメ] マクロスF#5
マクロスF #5「スター・デイト」。突然アルトの前に再び現れたシェリル。その目的はコンサート中になくしたイヤリングを探してだった。アルトは強引なシェリルに引っ張り回されるがままに心当たりを探すが、更衣室のロッカーに二人で閉じこめられたり展望室でファンにシェリルの正体がばれて騒ぎになりかけたりと、ハプニング続き。目的もイヤリング探しからいつの間にかデートもどきになり、振り回されつつも「アルトは気に入らないけど、唯一私をシェリル扱いしないところは気に入っている」と言う彼女に、アルトは彼女のスターであるが故の孤独を感じる。アルトはそんなシェリルをとっておきのスポットとしてゼントラーディの居住区に連れて行く。同じ場所に偶然、ランカとミハエルがいた。無断でミスマクロスコンテストに出て学校から停学処分を受けたことを兄にとがめられたランカが家を飛び出し、兄馬鹿丸出しで探索を命じられたミハエルが偶然彼女を見かけたのだ。アルトに相談するつもりだったという彼女に、ミハエルはいつになくまじめな様子で「兄に反対されたからと拗ねて今度はアルトに逃げるのか。その程度のものなら最初からやらない方がいい」と冷たく言い放つ。そして「人前で歌うことができるのか」という彼の煽りに、誰も彼女に注目していない街頭で歌を歌うことになってしまう。
おっぱいマイスター祭り。ホントは「What's bout my star」なんだけど、英語としてなんかおかしい気がする上に、そうとしか聞こえないものなぁ……
それはともかく、うれし恥ずかしデート編。これまでは「すごいやつ」とも思ってたものの基本的に「強引で変なやつ」だったシェリルの孤独な面を見て、アルトもちょっと認識を改める。ギャラクシー船団はケミカルプラントが中心の工業船団だってのが意外。フォールト技術が確立されてるから、船団ごとに得意分野を持たせつつ船団同士の輸出入も行ってるって形態なのか。しかしシェリルとクラン・クランの取り合わせも、意外と相性良さそうと言うか。二人とも強引で無理矢理に舞えむき出しな。
それはともかく、ランカも引っ込み思案な自分を乗り越えてプロになるための決意を形にしていく。街頭で「What's bout my star」を歌い、人々を聞き惚れさせてしまう。そんなランカを発見したシェリルは「出てくる子は勝手に出てくるものよ」と勝ち誇ったように言うが、その後少し表情を曇らせる。ランカを早くもライバル視し始めてるってことだろうか? それくらいの我の強さはありそうだけど、でもなんか違う気もする。
それにしてもミハエルは言うことがいつもきついですな。まあ、そういう役回りを進んで受けてしまう損な性分なんだろうけど。
でも、そのランカの歌声に呼応するように、保管されていたヴァジュラの遺体(?)サンプルが突然蘇生して暴れ出す。ヴァジュラは怪物というより何者かに操られる「生体兵器」のようだし、プロトカルチャーが生み出したいまだ知られていない種族が背後にいるとすると、ランカの歌に反応したというのがあり得そうな感じ。
しかし、あと一週間でフロンティア船団を去るというシェリルだが、その故郷であるギャラクシー船団がヴァジュラの大群に襲撃されたとの報が……故郷のことをあまり好きではなさそうなシェリルだけど、さすがに平然としていられるとも思えない。って、シェリルがギャラクシーに帰ったらシェリルの出番がなくなるのか???
それとは関係なく、昔は疑問にも思わなかった(ってより知識がなくて思えなかった)けど、知識がちょっとついてから疑問だったのが「なんでゴルゴが狙撃ライフルじゃないM16で狙撃をしてるのか」ってことだったり。なんでも作者のさいとうたかを氏がまったく銃器の知識がなかったので友人である軍事イラストレーターの上田信氏に「最新鋭のライフル教えてくれない?」と頼んだら、狙撃ライフルのことだと思わなかった上田氏が突撃銃のことだと勘違いしてM16を挙げてしまったので、そうなったとかいう話を聞いたこともあるのですが。
2007年05月02日(水) 旧暦 [n年日記]
■ [その他] これは普通にやっちゃイカンでしょ
韓国とかなんとか関係なく。韓国、親日派子孫の財産4億8000万円没収を決定 ( 読売 )。何考えてるんだというか何も考えてないというか、やっぱ何も考えてないんだろうなぁ……盧武鉉大統領は一応「弁護士」のはずだけど、近代法的にどう考えてもおかしいこの法をおかしいとは思わなかったのか、韓国内ではおかしくもないのか。民主国家以前に、現代的法治国家であることを放棄されてもなぁ……
何がまずいのかわからない方は 法の不遡及でぐぐって ください。
阪神支局襲撃20年―言論はテロに屈しない ( 朝日 )。「 自分と相いれない意見を「反日」や「売国」と決めつける」。暴力による言論弾圧は許されるべきではないけれど、これを朝日が言うかなぁ……
で、朝日新聞が行った 憲法改正に対する世論調査 。いや、結果とかなんとかはまあ、別にいいのですよ。問題は、用意された回答選択肢。
記事だとわかりにくいですが、紙面のグラフなどを見る限り、設問はまず、「憲法改正に賛成か反対か」でなされたよう。で、「賛成」に用意されたらしい回答選択肢は次の三つ。「新しい権利や制度を盛り込む」「自分たちの手で新しい憲法を作りたい」「9条に問題がある」。朝日新聞の調査では憲法改正賛成の理由として一番多かったのは「新しい権利や制度を盛り込む」だけども、これって何のことかさっぱりわからないですわな。第一、この三つの選択肢に絞る理由自体がわからない。「憲法改正賛成派も、九条を変えたいわけではない」と言いたいのだろうけど、ならば「九条を改訂すべきですか?」という質問にすべき。「九条に問題がある」という、九条自体を否定するか否か、という踏み絵的設問ではなく。これってつまり、設問の設定段階から恣意的な調査、ということになり、「憲法改正賛成か反対か」「自衛隊を自衛軍とすることに賛成か否か」のレベルしかまったく参考にならない。スタンスの問題ではなく、正確に世論を把握するための設問にまったくなってない、ということ。
暴力による言論弾圧はなされるべきではないけど、もうちょっと守られる言論の「質」を上げてください。お願いですから。自社への批難を糞味噌に全部「言論弾圧」では、「反日」「売国」と「決めつける」のと何にも変わらないですよ?(朝日新聞のやってることは戦前から変わってない、ってツッコミは不許可。わかってて言ってるんですから)
赤ちゃんポストが完成 熊本、五月中旬に運用開始 ( 西日本新聞 )。昨日から頻繁に取りざたされてるニュースですが、やっぱ難しい問題ですわな。これで一人でも助かれば、という反面、安易な解決法として取られる恐れもある。相談も出来ず行き詰まった母親相手に、まだ行き詰まってない、相談する相手がいる、と相談する心の余裕を与える効果を期待はしたい。
■ [アニメ] 瀬戸の花嫁#5と聖十月#17
瀬戸の花嫁 #5「狙われた学園」。夏休みが終わり、永澄にもようやく平和な学園生活が訪れる、と思いきや、瀬戸豪三郎をはじめ瀬戸組の面々が(かなり無理矢理に)磯野第三中学の教師として赴任してくることに……担任になった豪三郎には威嚇され続け、授業は滅茶苦茶だし、おまけに組切っての武闘派・シャーク藤代に学校でまでも命を狙われる。学園が狙われてるっつーか、学園で狙われてるのね。いや、このまま消え去るには確かに惜しい面々の瀬戸組だけど、無理矢理にもほどがある……いや、瀬戸蓮姐さんと政さんだけは別ですけどね?
あの異常に娘を溺愛してる父親がレギュラーってだけでも相当アレだけど、授業も相当ダメなことに……国語の授業は普通にダメだろう……数学は微妙ですが。「わかりやすい」と納得してる巡も、どうかと。
先週に続いて人形フェチ疑惑の上、(藤代に追いかけられてやむなく女子更衣室に飛び込んだせいで)痴漢疑惑まで……永澄、災難。つか、このポジションなのね、やっぱ。
しかしこの濃いメンツの中で一生懸命「社会のルール、教えてあげよっか!」と決めぜりふでキャラを立たせようとしてる巡がなんかけなげで哀れ……公式の方だと更に新キャラの紹介が増えていて、ますます目立たなくなる予感……
聖十月 #17「ロリ抹殺!山で遭難、超二人きり」。猟兵の正体バレイベント+山で迷ってドッキリ(熊に)。正体バレはしたけど、逆に不幸続きの猟兵の身の上を聞かされて、小十乃がそれをはげまして、二人が急接近の展開に。熊に追われて一時休戦して、二人の間で「正々堂々と」という紳士協定が結ばれるのだけど、リバース社としてはそれでは済まなさそう。
しかし猟兵、マジに考えると結構洒落にならない境遇ですわな。「塔」のカードの才能ってのも、まあ納得。
ところで、タイトルの意味は未だに意味不明なんですが、「聖」「十」「月」と、メインキャラに一字ずつは入ってるんですな>セイントオクトーバー
2006年05月02日(火) 旧暦 [n年日記]
■ [読書] コラプシウム/ウィル・マッカーシィ
ひでえ詐欺(笑)。表紙イラストと裏表紙のあらすじを見ると萌え萌え美少女が活躍するスペオペかと思ってしまいますが、嘘八百です。いや、あらすじは必ずしも嘘は書いてない(そういう場面はある)けど、本旨ではありません。編集部は一体何を考えてるんだか。
舞台は様々な超技術が開発されたことにより不死も当然になった太陽系、主人公はその中の一つ「超物質」コラプシウムの発明者にして社会性欠如の変人、ブルーノ・ド・トワジ。彼の元に持ち込まれる、ソル女王国で起こったコラプシウムにまつわる太陽系の危機を解決し救っていくのだが、華麗とかとは程遠い。隠者然としたヒゲ面のおっさんが「社交だなんて面倒な事やりたくないんだ」とボヤきながらひらめきだけを頼りに解決してくんだから、絵面的には映えないことこの上ない。でもハードSF風味のあるスペオペ……っつーかそもそもスペオペってのは「科学知識」を盛り込んでのそれっぽい講釈とかがケレンのひとつだったので、これはある意味スペオペの正統後継者とも言える。
まあ、やたらとスケールの大きい話とそこらへんの大ケレン、それと望まずして英雄に祭り上げられたいかにも人間臭いブルーノの悩みとが面白く読める、久々にSFらしいSF。だから余計にライトノベル読者層に間違ったアピールを持たそうとした表紙とあらすじの方向は×。
舞台は様々な超技術が開発されたことにより不死も当然になった太陽系、主人公はその中の一つ「超物質」コラプシウムの発明者にして社会性欠如の変人、ブルーノ・ド・トワジ。彼の元に持ち込まれる、ソル女王国で起こったコラプシウムにまつわる太陽系の危機を解決し救っていくのだが、華麗とかとは程遠い。隠者然としたヒゲ面のおっさんが「社交だなんて面倒な事やりたくないんだ」とボヤきながらひらめきだけを頼りに解決してくんだから、絵面的には映えないことこの上ない。でもハードSF風味のあるスペオペ……っつーかそもそもスペオペってのは「科学知識」を盛り込んでのそれっぽい講釈とかがケレンのひとつだったので、これはある意味スペオペの正統後継者とも言える。
まあ、やたらとスケールの大きい話とそこらへんの大ケレン、それと望まずして英雄に祭り上げられたいかにも人間臭いブルーノの悩みとが面白く読める、久々にSFらしいSF。だから余計にライトノベル読者層に間違ったアピールを持たそうとした表紙とあらすじの方向は×。
■ [その他] いや、別にどっちも真に受けすぎることはないのだけど
ライシャワー東アジア研究所のケント・カルダー所長「隣国と対話できない日本は、米国にとっても役に立たない」 ( 朝日 )。素人目にもつっこみどころがあるってのはどうよ、ってなところだけども、まあ、米国側にしてみれば、って部分はあるのだろう。けど、 日米が協力して中国を国際社会のパートナーにしていこうという時に、日中首脳会談もままならない日本に対するいらだちがある。って、会談を一方的に拒否してるのは中国側ですけどね……で、一方、 日米軍事同盟強化…日本、北東アジア戦略拠点に ( 中央日報 )って、あのー、いきなりいろいろ前提が崩れてるんですけど? 無論米国にとっては軍事周りと外交周り両面で日本が有用であることを望むだろうので全部間違いってことはないだろうけど、一つの衝突で 隣国と対話できない日本は、米国にとっても役に立たないは極論過ぎだろうねえ。米国内勢力の意見の対立もあるだろうし。
ハンバーガーに人間の「指先」、調理人知らずに ( CNN )。The Texus Chainsaw Massacre2(悪魔のいけにえ2)?
東京裁判「知らぬ」7割、20代では9割 本社世論調査 ( 朝日 )。意外っちゅーか、朝日も流石に出てしまった結果を捻じ曲げるわけにはいかなかったんだろうなぁ。個人的には「行こうが行くまいが信仰の自由」で、「中国韓国も騒げば対抗勢力の宣伝に使われるだけだろうになぁ」と思ってしまうのだが。しかしこのアンケートの対象者の「有識者」ってのは何を指してるのだろう?
中日韓のコスプレ交流会、杭州で開催 ( 人民網 )。一体何なんだか。(元ネタがわからん格好がいくつか……)
フジテレビ、「YouTube」的な動画投稿サイトに参入 ( ITmedia )。やっぱ気になるのは YouTube を見る限り、著作権に侵害する動画の温床になることは想像に難くなく、それにフジテレビがどう対応するかだよなぁ。とてもじゃないがリソース的にuploadされたものが著作権を侵害するかを逐一チェックすることは不可能で、通報があったら削除とかになるのだろうけど、それとても追いつくとは……Youtubeにもそういった著作権侵害のコンテンツばかりではなく自主制作のバカ映像とか、おそらく本来の趣旨のものもたくさんあるんだけどねえ。(人に教えて貰った 陽気なカントリーミュージックをBGMに、RPG-7で漁をするアフガン兵士 とかが笑えた)
■ [アニメ] ディスガイア#1とxxxHOLIC#1
ちょー手抜きで。魔界戦記ディスガイア #1「眠れるゴミ捨て場の王子」。日本一ソフトウェアのやりこみ系シミュレーションゲームのアニメ化。原作未プレイ。なんだかかわいらしいキャラが殺すだのなんだのそれなりにえげつないことを言いつつバタバタしながら魔王復帰を目指す? ん〜、どうだろう。見たところわりと定番の域を脱しない印象は免れ得ない。既に放映している地区での感想を見ると、その印象は覆らないような気も……もうちょい「愛マニア」のフロンと魔界の王子ラハールのキャラが掘り下げられればなぁ。
xxxHOLIC (ホリック)#1「ヒツゼン」。まー原作通りの第一話。不思議なものが見える四月一日(ワタヌキ)君尋が、なんでも願いを叶える店の店主壱原侑子と出会うまで。勧善懲悪では全然なくって異なる理を持つ世界との接点を持った主人公(巻き込まれ型被害者)が「こちら側」から見れば道理に合わないそれに触れてくって感じで、CLAMP原作では一番個人的に馴染む話かも。まあ、安定感はある作り。監督が水島努氏ってのがちょっと意外だったが。
それにしてもやっぱり手足が異様に細くて長いね、キャラの。
2004年05月02日(日) 旧暦 [n年日記]
■ [その他] 糸屋の娘は目で殺す
御指摘 により、 怨み節 の「怨み」の字を修正。しかしほんとにタランティーノは古今東西、見てない映画はないんではないかと思えるよなぁ。目の演技、というところで先日見返した「必殺仕置屋稼業」の第一話においても、大層目の演技を重視した演出が多かったのを思い出す。必殺シリーズで目の演出というと特に印象的なものがある。第五弾「必殺必中仕事屋稼業」第十一話「表を裏で勝負」のラストである。元締の草笛光子が、汚い手段で自分や同業者を追い落とそうとしたライバルの飛脚屋(草笛光子の表稼業は飛脚屋。表稼業と裏稼業が入り混じるから「表を裏で」というわけ)を糾弾し、始末しようとする場面。相手の仕組んだからくりを口にするシーンで、草笛光子の瞳が赤く(というか、正確には茶色に)、虹彩まではっきりと輝いている。それが猫の目のようというか、とても綺麗ながら不気味だったのだけど、そのシーンをどうやって撮ったのか、近年、草笛光子のインタビューでようやく明らかになった。なんのことはない、間近から撮影用のライトを照らしつづけたのだ。種を明かされればなんだ、ということになるが、よく考えれば恐ろしい撮影法である。知ってる人は知ってるだろうが、撮影用ライトの光量・熱量というのは並大抵ではない。昔のことだから、白色LEDなどの熱量が低い光源があるわけでもなく、事実草笛光子も「目が焼けるかと思った」と述懐している。無茶苦茶やってるのだが、それが面白さにつながっている。
今日、新聞に「視聴率30%以上の番組が近年激減している」という記事が載っていた。記事では生活時間帯と嗜好の多様化が原因、と分析していたが、番組自体の魅力がなくなっている、ということはあるまいか。 推移のグラフ を見ると、80年代直前から激減、85年から90年代初頭まで小康状態を迎え、その後、95語年まで再び激減し、その後微減が続いている。それでいて、平均視聴時間はほとんど変化していない。理由を「これ」と断言することは出来ないが、番組の魅力とやはり関連性はある気はする。あと、もうひとつ気になるのはこの前触れた、水戸黄門の印籠の定番化、必殺シリーズのファミリードラマ化が起こった時期と、激減期、小康期が奇妙に重なっていることだ。もしかすると、視聴者は自分で見ている番組をつまらなくしたのかもしれない。あるいは、番組の評価系を視聴率一本ではなく、他のものも導入すべく、見直す時期なのかもしれない。
いずれにしても、ときどき思うのだが、今の方がテクノロジーは確実に上がっているのに、映像のスキルはひょっとしたら昔の方が高かった、という部分もあるのかもしれない。
#すべてにおいてそうとは言わないが。
(5/28追加:居酒屋嘉文(嘉紋は間違い)のネタは5/4の日記にあります)
■ [その他] もういいかげんいいかげんなネタなんですが
イラクで拉致された三邦人(のうち、郡山、今井両氏)の記者会見映像を見る。拉致時、および拘束時の状況の説明以外、得るところのまったくない記者会見だった。別に、自己責任論で彼らを責めようとは思わない。が、同時にマスコミが彼らを追いかけ、報道しつづける価値はないとも確信した。「自己責任論についてどう思うか」の質問も、まるで一昔前の政治家の切れない答弁を聞いているよう(それもひとつの方法かもしれないので、その方法自体はとやかく言わない)。敢えて言えば、海外マスコミ向けの応答で「イラク渡航をしようとする人に必要なことをアドバイスを」との質問に「信念を持って」と答えたのは呆れる他ない。そういうことを聞いているのではなかろうに。また、その無責任な一言が不注意で危険な渡航を煽る危険性については認識してないのだろうか? 彼らをマスコミが追い回し論じることにも、まったく意味はない。2003年05月02日(金) 旧暦 [n年日記]
■ こりゃあ悲しくなるかも
米国amazon から届いた NINJA SCROLL を受け取ってくる。今見始めたところだけど、確かにこれは今WOWOWでやってる新作と比べたらあかんわなぁ。一番分かりやすい絵的に言えば、陰影の使い方が全然違う。また、雰囲気も山風により近い(つか、山風ネタ多いし)。いきなり「八人衆」とか言ってるし。絵柄は古臭いところはあるけど、出来は全然いい。無論、TVサイズとの違いがあるんで簡単な比較は出来ないけど、これはテレビ版が悲しくなってくるよなぁ。オリジナルはきちんと(インチキ)時代劇だし。インチキ時代劇マンセー。しかし、これだけ見た山田風太郎を知らない外人さん、なんで「Ninja Scroll」なのかさっぱりわからんだろうなぁ。ヨルダンで手荷物が爆発した毎日新聞カメラマン、逮捕 ( 産経 )。みやげに拾った不発弾を荷物に入れていたそうで……アホですか? としか言いようがないですわな。釣鐘型の物体が転がっていて、不発弾だから作動しないと思ったって、いまだに国内でも太平洋戦争時の不発弾が見つかっては大騒ぎするのはなんだと思ってたんでしょうか? 日本人の戦争観、兵器の知識なんて、こんなものなのね、と思ってしまう。これが日本人が理由もわからぬ反戦姿勢を煽り、戦争に関するものを遠ざけた結果だと思うと、亡くなったり負傷したヨルダンの空港職員に大変申し訳なく思う。
将来の希望、男児が「学者・博士」が一位に ( 朝日 )。いや、なんつーか、そういう界隈の人間から言っておきますが、正直、ヤメトケ? 「博士」なんて言えば聞こえはいいけど、一つ間違えば何時野垂れ死にするか知れない世界ですから。それは昨今はサラリーマンでも同じっちゃ同じかもしれないけど、一昔前にこの手のアンケートで「マンガ家」と出ていたのと似ている気もする。まあ、こう言ってもなる奴はなるだろうので、まあ、そういうことで。
米大統領のイラク終戦演説 ( 産経 )。これでひとつの区切りではある。が、これが特になにかを意味するかと言えば、象徴以外のなにかではない。米国は本当に中東構造の再編を狙っているのだろうか? 第二幕はすでにはじまっている。
攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX#15 は……「機械たちの時間」って、神林長平かい! 16 じゃタチコマがドナドナを歌ってるし。全国の攻殻ファンの家庭のお子様のアイドル・タチコマ(フチコマ)を研究所送りなんて、許されませんことよ?
散弾銃で女性二人心中 ( 朝日 )。うーん、日本で女性が死ぬ死に方とは思えない……しかも頭とは。この光景を目撃し、残されたご子息の心中や如何。
筋萎縮性側索硬化症の原因が特定 ( 読売 )。ダイニンって、細胞内輸送に必須な重要な蛋白なんですが……それが異常でもある程度は大丈夫だということの方が逆にびっくり。世間一般的には、これが治療にどうつながるかだとは思いますが。
昨日は日帰りで東京へ。いつの間にかボスはちゃっかり宿を取ってました。つか、宿を取らなきゃいけないかもしれないなら先に言って欲しかった……結局、ぎりぎり間に合って当日中に名古屋に戻ってきましたが、却って疲れる……結局時間がギリギリすぎて、晩メシ食う時間すらなかったし。トホホ。
2001年05月02日(水) 旧暦 [n年日記]
■ 大人はダメダメ星人
実は隠れた名作揃いというもっぱらの評判の「クレヨンしんちゃん劇場版」。去年はバタバタしてるうちに上映期間を過ぎてしまい悔しい思いをしたが、とりあえず今年は見なければということで行って来たり。本当は「隣のヒットマン」とかも見たかったんだよう。今回は大人を懐かしがらせ、日本全体を20世紀にもどそうとするケンとチャコが敵。(おお、ケンちゃんチャコちゃんだったか。ケンの見た目はどっちかというとジョン・レノンっぽいが)
毎回毎回ある意味ナンセンスな世界観なのだけど、今回もそれにたがわず。しかし、実はテーマ性としてはかなりはっきりしている。「未来」であったはずの21世紀になってもワクワクするようなことはおこらず、懐かしいものが消えていくだけで前途はどんどん多難になっていく。昔に戻りたいとまではないにしても、昔は良かったとは誰しも一度は思ったことはあるはず。
しかしそんな大人の懐古心は、「子供」であるシンノスケたちには無縁である。ひたすら現実から逃避するように「20世紀」に没頭していき、子供のことをわき目もふらなくなる親の姿に、怯えと共に疑問を呈する。カザマくんがはからずも「『懐かしい』ってそんなに楽しい事なのかな?」と言った台詞がそれである。親にとっては懐かしいことでも子供にとっては生まれる以前の知らない世界のことにすぎない。同様に、親にとっては嫌な現実でも、子供にとってはそれこそが「子供時代」だ。「今の世の中は駄目だ」と繰言をするのは、自分の過去だけでなく、子供の未来まで親が放棄していることになる。
実際、この映画で一番よく動き、頑張っている(特に最後の方はテレビでは飄々としたシンノスケがボロボロになりながら必死になってる)シンノスケだが、その役割はむしろ象徴、「今ってそんなに駄目なのか?」「昔ってそんなにいいの?」という疑問の具現という位置付けである。この映画の主題の中心となる葛藤は、実は野原ひろしをはじめとする「懐かしさ」と「今」の間で揺れ動く大人たちが起こす。子供のため、でなく、自分のために悩むのだ。無責任に希望だの未来だのを謳歌するのでなく、「懐かしさで頭がどうにかなりそうなんだよ!」と顔面をくしゃくしゃにして泣きながらも、あくまで20世紀を過去のものと封印しようとする姿は、単に無邪気な子供ではなくなった、いろいろなものを抱え込んだ大人が「未来への期待」を持ちつづけることの難しさ、苦しさという負の面も折り込んでいる。
と、いっても「クレしん」だから悲壮になりすぎることはない。野原一家が狂言回しで終わることもなく、その辺り、非常に上手くできている。
この映画は確信犯的に大人、特に家族連れのお父さんに向けた映画である。「子供向け映画」としぶしぶ親子連れで行くのではなく、むしろそういった親御さんこそ、見てほしい映画だ。あ、でもブリブリ左右衛門は出てないや。2.5点。