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2012年05月05日() 旧暦 [n年日記]

[特撮][アニメ] アキバレンジャー#5とプリズムディアドリ#5

  アキバレンジャー #5「イタイタ☆イエローママ」。タイトルがゲキレンジャーのパターンのパロですな。2話は必殺からくり人血風編っぽかったけど、そういうパロ縛りなんだろうか?
 今回は、イエローこと萌黄ゆめりあこと本名山田優子の母上京。「親が上京されて反対されるパターンか!」と信夫だけど、普通に親にヲタ部屋見られるのに慌ててるようにしか見えない……でも当のゆめりあはまったく意に介さない。というのもゆめりあの母は筋金入りのコスプレイヤーで、そもそもゆめりあのヲタ趣味もこの母親の教育の賜物。コスプレの歴史考えれば普通にこういう母娘いそうだよなぁ。
 しかもこのゆめりあの母・コスプレ名ミヤビ(本名雅子)を演じるのは、声優の松本梨香。もうそんな年rネイなのか。
 で、いつもどおりgdgdというか斜め上の展開なのだけど、最後の最後でびっくり。 実はゆめりあの母が上京してきたというところからずっと妄想。そもそも雅子は五年前に死んでおり、生前母に感謝の言葉を言えなかった後悔からゆめりあは毎年誕生日に母と会う想像をしていて、それが信夫たちの妄想と結びついたというわけ。信夫たちのお陰で母にずっと言いたかったことが言えたと感謝するゆめりあ。「主人公たちの妄想の世界で戦う」という設定を逆手にとった上、まさかアキバレンジャーで切ない話をされるとは……
 ちなみに最強の女ボスはもちろんヘドリアン女王陛下だと思います。

  プリティーリズム・ディアマイフューチャー #5。うーん、韓国人キャラが出てくるからと色眼鏡で見るのはいけないんですが、なんか、韓国人キャラに面白みがないような。名前とキャラのイメージが結びつきにくい、ってのも大きいんですが、まだ出鼻だからかキャラ付けが弱いんですよね。っつーか、キャラ付けで「 太陽パクパク 」はないだろう……
 まだ韓国グループキャラは出揃ってないようなので、全員揃って主人公たちの先を行く実力派ライバルグループとしての立場が明確になれば、キャラ付けも立ってくるのかな……?
 アイドル押しのタイアップの主役キャラたちも、完全に実際のキャラ付けとは別物だし、前期の紆余曲折しながら成長するあいらと違い、猪突猛進で周りを引っ張るタイプの主人公にも慣れてきたし。
 ただ、やっぱりゴリ押し感だけはぬぐえないんだよなあ……


2011年05月05日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他][アニメ][映画] 結局何も生産的なことはなし

 まあ、ゆっくり休めたんで疲れは取れたんですけどね。
 一応、溜まってたアニメも大体消化できました。
 「C」はやっぱりハード。ファンタジーバトル的な演出だけど、「人生を担保にしたマネーゲーム」っつー暗さ。ゲームに負けて「破産」した人間は、第一回の男のように自殺したり、破滅的な行動を取ったり、まさしく「人生オワタ」になるらしい。ハードっつーか重い。さらにミダス銀行の発行した「黒い紙幣」が現実世界にも紛れ込んでいて、「使っても問題はない」というけど、どう考えても異様だよなぁ。花火とかもなんかろくでもないことになりそうで、なんか暗くて重い展開になりそう。
 「電波女と青春男」は、一応ラブコメ、なのか? 両親の都合で伯母の家に下宿しながら都会の学校に通う事になって、青春チックなあれこれを期待してた主人公が、変わり者の伯母の家で存在を知らなかった極め付けに変わり者の「いとこ」の存在を知ってしまうのだけど、それがまた、上半身マットで簀巻き状態というアレさ具合。なんだか変人しか出なさそうだけど、ひたすら省力のための独特の演出が特徴だったシャフトも、最近はその特徴の延長線上だけど「かなり動かしまくり」になってきて、すごいなぁ、と。話も演出もクセがあるんで、人によって好みが分かれそうだけども。
 あと、自称宇宙人の電波女がヒロインのラブコメって、「荒川アンダー・ザ・ブリッジ」とかぶってるような。
 もしドラはちょっと撮りだめ状態です。
 で、GWなんだから映画を見に行こうと思ったんですが、見たい映画があまりねえ……GWだってのに。まあ、それでも見てきたには見てきたんですが。「これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫」なんですけど。母親に対する過度の思い入れと依存と、母親が亡くなった際にその反動が酷い事になってしまうあたりの描写は結構好きなんですが、終盤の現実と創作がない交ぜになった滅茶苦茶な展開は、ちょっとなぁ。あと、主人公の新人編集者が女性になって堀北真希が演じてる他、色々と実際とは違う脚色がなされてます。(例えば、天才バカボンは最初サンデーで始まってマガジンに移ったが、映画では最初からマガジンで連載開始した事になってたり)
 あと、堀北真希と赤塚不二夫役の浅野忠信が差し向かいで演技をするシーンが多かったんですが、浅野忠信の演技を見てると、堀北真希はホントに演技できないんだなぁ、というのが際だって。いや、まあアイドルポジションなんだからそれでいいって話もありますが。


2010年05月05日(水) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 四畳半神話大系#1

  四畳半神話大系 #1「テニスサークル「キューピット」」。京都の大学に在籍する「私」は、あこがれていたバラ色のキャンパスライフにあっさり破れ、その憤懣やるかたない鬱憤を大学で知り合った悪友・小津と共に人の恋路を邪魔することで発散するという不毛この上ない青春を送っていた。しかしその活動にも空しさを覚え、「入学式のあの時、テニスサークルキューピットを選ばなければ、小津と出会わなければ」とこぼすも、小津からは「どういう選択をしてもあなたは今のような境遇になる運命だったのですよ。そして私は全力であなたをダメにします」と、堂々と腐れ縁を宣言されてしまう。そんなある日、下鴨神社付近に出没する幻のラーメン屋台・猫ラーメンで自らを下鴨神社の神「カモタケツヌミノミコト」と名乗る怪人物と出会う。彼は来る神無月に出雲で開かれる神々の会合で、「私」と後輩の女性「明石さん」の仲を取り持ってもいいと持ちかける。そうでなければ明石さんを小津とくっつける、という言葉に、一晩中悩んだ挙句、意を決してかの怪人物の部屋の戸を叩き、自分と明石さんをくっつけてくれとお願いしに行くのだが……

 今期の新作最後の番組かな?
 鬼才と呼ぶしかない湯浅政明の新作でもあるのだけど、奇妙な登場人物、奇妙な動きと、文学作品っぽいなんだか奇妙な雰囲気が、異様におかしな雰囲気を醸し出してる。京都のキャンパスライフで繰り広げられる奇怪な出来事ということでは、「鴨川ホルモー」にも似てるのだけど、京都という町の不思議さがそういう作風を可能にしてるのかな?
 湯浅監督というと一番アニオタになじみがあるのが、「作画崩壊」と揶揄されたグレンラガンの第四話なのだけど、湯浅氏の作風を知ってればあれが「作画崩壊」じゃないことはわかりそうなものなのだけどね。
 そんな独特の奇妙な動画と演出に加え、やたらと長回しで早口の登場人物のセリフが奇妙に心地良い。湯浅作品らしからぬ、明石さんの可憐さもだけど。小津の狂言回しぶりも非常に愉快で、思わず原作を買うほどには気に入りましたわ。


2007年05月05日() 旧暦 [n年日記]

[その他] いろいろバタバタしてます

 連休のはずなんですが、帰省したり連続で他の用事で出かけたり……休まってるような休まってないような。つか、いろいろ気力が萎えかけてきてやばいんですが。休み明けには復活できるかなぁ……

  井筒監督「父親に戦争映画に連れて行かれたお陰で平和主義者に育った(中略)本当の戦争はこうだ、と若い人に伝えたかった」日スポ )。それも変な理屈だなぁ……戦争映画でしか戦争を知らないのに「本当の戦争」と言われても……「どのように戦争が悲惨か」を情緒的に訴えかけるのは「やりやすい」かもしれないけど、同じく情緒によってひっくり返されるんじゃないかな。理論的なバックボーンがないから、突き詰められると原理主義的な繰り返しに陥りやすい。あと、戦時中の在日韓国人の人(つか、当時は日本国民だけど)は、終戦直前まで徴兵されておらず、戦時下の生活や体験が悲惨でなかったとは言わないが、「戦場の悲惨さ」とは一般的には縁は薄かったはず。
 歴史的事実に反して情緒的に訴えかけようとするだけの手段はあざとく、簡単に反論されてしまう。この場合、「事実はどうあれ、苦しんだのは確か」とか言い出す人もいるけど、それを言いだしたらお終いよ。


  「公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範」というのが、近代立憲主義における憲法の定義です。 決して国家がその伝統をうたったり、国民に道徳や義務を課すための規範ではありません。」民主党 )。「公権力」だけではなく、国民などに対しても「どこまでは自由や権利を認め、こういうふうに干渉する場合は制限される」という大条件を定めてると思うのだけど。あと「義務を課すための規範ではない」は明らかに間違いですね。それと「伝統や道徳とは関係ない」なら、九条を情緒的に取り扱う人々にも言うべきでしょう。民主もいつまでもとにかく自民のやることになんでも反対、では、どうしようもないのですが。


  「言い方に気を付けた方がいい。『戦前レジームへの回帰』を想起する」北海道新聞 )。どこが??? 改憲への慎重姿勢はそれはそれで一つの意見だが、普通は想起しないものを自分が想起するからと言って「気をつけろ」はないんじゃないかな?

[アニメ] ウエルベール#5と藍蘭島#5

  ウエルベール #5「脱出の章」。追っ手を撒くため一旦リザたちと別れて落ち合うことにする。が、怪我をしたティナは、「運び屋」に助けられる。ティナはリザがもう行ってしまったと思ったこともあり、仲間にならないかという誘いに心動かされる。だが、ティナは彼女を待っていたリザたちと旅を続ける決心をし、運び屋たちがそれを助けるのだが、リザを執拗に追うガラハドに、運び屋の一人がそのことを密告してしまう。

 相変わらず濡れ場は出し惜しみのない番組だなぁ。運び屋の一人がティナに惚れて仲間に誘うのだけど、女の友情の前に敢えなく撃沈。いや、でも頑張ったよ。うんうん。
 ずいぶん世間知らずだったお姫様も、密告者の裏をかく提案をして無事検問を抜けることに成功する。大分たのもしくなったなぁ。運び屋たちと時間を共有してなかったからこそ、疑うことに抵抗がなかったこともあるだろうけど。
 今回ガラハドは主人を傷つけたリザを憎みながらも政略結婚をせざるを得ない立場には同情を示してたが、次回はその彼が中心になる話らしい。あの変態王子に向けるには高すぎる忠誠心だけど、原因があるのかな?


  藍蘭島 #5「さがして、くまくま」。勝手に一人でもらい物のジャムを食べてしまったくまくま。それをゆきのが叱るのだが、翌日くまくまの姿が見えなくなってしまう。意地を張りながらもくまくまを心配して探すゆきのを、行人たちも手伝うのだが……

 行人、ついに変態動物たちの言葉を解する。って、筆談はどうなった?w(いや、筆談する動物ってのも変だけど) なじめばわかるってものじゃないと思うけどなぁ……やはりこの島は呪われてるような。
 制作ローテーションも一回りして、今回は流石にテンションが落ちてきた気もするかな。ちょっと場面場面のつながりが悪いところもあるし。つか、あやのが無理やり気味に登場だけど、あやのだからあまり違和感がない。それにしても「この世の者とは思えない邪悪な気配」って、動物にまでそんなこと言われるなんて……
 今回はゆきの当番回のはずなんだけど、意外にキャラがあまり立たないせいか、変態動物の謎生態とゆきのと仲良くする行人を見て違和感を覚えたすずの方が印象が強いかな。


2005年05月05日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] 夏の風物詩

 現在、メインPC絶賛暴走中!orz 過酷な環境でこき使ったツケが、気温が上がってきてからもろに来てますな。現在一応復旧できてるものの、あちこち怪しいので本格的な復旧作業をしないと……NHK-BS2でやってる少林寺三十六房でもみながらマターリ修復しますか。


2004年05月05日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] 消えたもの、残ったもの

 おととい名古屋の面子で飲んでいて、O氏が「読者が小説を読むときに待ち望んでいるもの」の喩として、「水戸黄門の印籠」を出してきた。で、ワタクシは当然「でも、水戸黄門の印籠は最初に出てなかった」と反論。O氏は「でも、印籠が出てこないとダメだから淘汰されたんでしょ」と述べる。私は「でも、最初の十年以上、印籠が定番じゃなくても受けていた時期があった」と説明する。O氏がそれをどう捕らえたのかはわからない。私の方は、反論はしたけども、ある意味O氏の言葉に考え込んでしまった。「つまらなかったから」というのは必ずしも正しくはない。しかし、残らなかったのは事実なのだ。なぜ残らなかったのか。それが頭でも感覚的にもわからない。ただ、そういう事実があるのみである。事実は事実だからそれは受け入れざるを得ない。しかし、そこで「勝ち組」「負け組」的な分け方をしてしまうのは、なにか違う気がする。
 定番化も必ずしも悪いとは言わない。ひとつには息切れしにくく、安定して製作ができる。視聴者のほうも、決まった部分で決まった情報を読み取ればいいので、楽ではある。決して楽して作っている、という意味ではなくて。そういう見方を批難しようとも思ってない。ただ、自分の見方とは違う。そこが個人的な問題が絡んでる、というだけなのだが……消えたから間違いなのか、残ったから正しいのか、消えたものは面白いと思われないのか、残ったものは面白いと思われているのか。頭で悩んでもしかたないのかもしれないが、それ以外の悩み方を知らないからこれもまた困る。今のところは、だけど。
 傍からはどうでもいい、ばかばかしい話だろうが、こっちとしては身もだえするくらいのことなんである。いや、ほんと。
 とか言っていたら、日記のアクセスログから面白いページにたどれたので リンク 。ふむん。これはこれで面白い分析だ。

 なぜか昨日から急にまったく身に覚えのないNot Deriveredの通知メールがわんさと届いて、非常に迷惑。しかも、なぜかukドメインのものが多い。おそらくウィルスが原因だと思うが、うちのPCは感染してないし、メールアドレスをさらしてもいるので、そういうものだとあきらめ、しばらく様子見をするしかない。あまりにひどければ、サーバー管理者に話をしなければならないかもしれないが、マンドクセ。なんでも Sassserとかいうワームが流行っているらしいReuter )が、メール感染はしないようなので、これではないだろうなぁ。
 あ、あと私信。 三邦人の記者会見の状況説明が信用できないとのこと ですが、質疑応答を見る限り、彼らにあれだけの話をでっちあげる想像力はない、と推測できるので、質疑応答でわざと相当アレげにふるまったか、第三者が入れ知恵ででっち上げを言わせたかでなければ、事実を話している可能性が高いと思います(それとても必ずしも正確とは限らないのですが)。第三者が入れ知恵した可能性は、それならばあそこまで事前に質問を提出、制限された質疑応答がボロボロなわけはないと思うので、その可能性も低いと思います。まあ、どっちにしても主観のフィルターがかかっているだろうこと、場合によっては意図的に特定の情報を言っていないかもしれないことは気をつけねばならないのですが。


2002年05月05日() 旧暦 [n年日記]

クレしん二回目

  クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦 の二回目を見てくる。気に入った映画を何度も見に行くことはあったが、児童向けでははじめて。内容は本当に児童向けかというとちと迷うところもあるのだけど、二回目ということもあって今回は落ち着いて周囲を観察することができた。初日に見に行ったときより、連休のせいか客が明らかに増えていた。親子連れは当然なんだけど、小学校高学年以上の子供も結構いた。本編が始まると、ポイントは笑い所である。司馬遼太郎の「項羽と劉邦」で「ユーモア感覚は知性の重要なバロメーター」みたいなことを書いてあったが、一回目を見たときと反応が結構違う場所があった。幼稚園のチャンバラごっこでのぼーちゃんの「裏切り御免」のシーンは、一回目は会場中で笑いが起こったが(別に「極悪砦」のパロディとわかったわけでなく、タイミング的に笑えたわけだ)、二回目ではほとんど反応がなかった。みさえとひまわりの「へっ!」や「真剣ケツ刃取り」などのクレしんらしいギャグのシーンでは当然笑いは起こるのだが、終盤の炊き出しのシーン、又兵衛が廉姫の不器用な、おっきなおにぎりを食べて「しょっぱい」と言うシーンで一部子供の笑いが起こったのは驚いた。個人的には、先入観で「大人向けの笑いのシーン」と勝手に思ってしまったシーンだった。他にも、見ていた子供が笑うシーンは、共通してる場面もあるがばらばらであるところも多かった。
 これを見て、結局我々が「子供向け」とか「子供向けでない」と言っていることってのはなんなんだろうと考えてしまった。よく言われる「子供向け」というのは、大人が自分の基準で決めた結局最大公約数的なものではないのか。確かに厭なこともなく、子供も喜び、安全安心かもしれない。しかし、最大公約数では削られるものが多い。そして子供はひとりひとり当然異なっており、その削られた部分にこそ大事なものを見出す子供もいるかもしれない。子供向けだの子供のためにならないなど、大人が勝手に決めることに意味があるのだろうか。見せないなら見せないでそれもいい。その親子の教育方針だ。しかしたとえそこで厭なことに目をふさいだとしても、子供は成長し、否応なく一旦は目をふさいだものと対峙せねばならない。それは誰かがフォローしてやらねばならない。また、それはあくまでその親子の問題であり、たとえ人の親であっても、それ以外の声はその親子には当事者以外の声だ。最大公約数、だからそれがなんだというのだ?
 ちなみに、一回見たにもかかわらずやっぱり泣きました。最初と最後に映される が同じ形ってのは、今回始めて気がついた。あと、ゲストの雨上がり決死隊はやはり上手かった。一回目鑑賞後初めてパンフを見てゲスト参加してるのを知ったのだけど、二回目、わかって見ていても他の声優と遜色がない。すごいなぁ。
 東映マンガまつりも見てくる。テイマーズとワンピースの二本立てだったのだけど、控えめに言って、後者のほうが出来は良かった。いや、好き嫌いで言ったらテイマーズなんだけど。倍以上の尺の長さの違いがあるとは言え、「おまつり」としての「あれもこれも、どのキャラにも見せ場を持たせる」という要求と、「短編として中心のキャラとそのやりとりを絞り込む」という技術的な話の相反が出ている。それを考えるとデジモン映画の一作目は僥倖の出来というべきだろう。(決して数としては少なくはない)見る目を持つ人が見ればわかる。そういうものだ。
  龍騎 は、人間同士の戦いでは避けようのない「他人を傷つけること」に対しての話。ゾルダを殺したと思った真司が「ドラグレッダーに殺されてもいい」とまで言い出し、そして騙されていたことを知って、怒るより先に生きていたことを喜ぶ。この話自体は真司の成長の話ではない。今後、影を落とすかもしれないけど。むしろ、盲目的なまでに純粋でバカみたいにまっすぐな真司を見て、蓮と北岡が揺さぶられる話。落書きされた自分の写真を見て、思わず殴りつけるあたり、本当は北岡が必ずしも今の自分を好きでない、ってことなんだろうなぁ。今回は良い話でした。