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2002年01月11日(金) 旧暦 [n年日記]

今日的出稼ぎ事情

 夜にいきなり親から電話がかかってきたので何かと思ったら、「今、名鉄ホテルにいるんだけど……」あんですと!? どこの名駅ホテル?! ……いや、名駅前の名鉄ホテルに決まってるんだけどね。そう云えば、帰省した時に一月中に台湾に遊びに行くとか云ってたなぁ。それでか。
 その電話で思い出したのだけど、正月に帰った時に親から聞いた話。
 親は田舎で不動産業をやってるのだけど、最近外国人の住居斡旋も増えてきたらしい。田舎なものだから工場に出稼ぎに来たブラジルやらペルーやらの人も多いのだけど、最近増えてきたのがインドや中国の方の人だと云う。どんな仕事についてるかと云うと肉体労働者でなく、コンピューター関係だと云う話だそうだ。ハードの設計とかか、ソフトウェアの方の仕事かとか具体的な話は分からないのだけど、とにかく頭脳労働である事は間違いない。どうも上流の方の階級の子息で、若年のうちからそっち方面の英才教育を受けて、日本人では太刀打ちできないらしい。つっても親はそっち方面にはつとに疎いので、住居の斡旋を頼んだ雇用している会社側の人の話を聞いたものだと思うけど。高い人では月50万の月給で雇われているそうで、あちらとこちらでは物価の違いがあるから,向うの収入に換算するとそらもう凄い事になるはずである。
 つまり、中国やインドでは既にずっと前からそちら方面に注目して教育を行い、その成果が実際に出ていると云う事になる。今ごろITだなんだとやっている日本がいかに遅れてるかが如実にわかる。それと同時に、そういった頭脳労働力ですら国内でまかないきれず海外から雇用していると云う現実が浮かび上がる。言い方は悪いけど、海外から「買って」いると云うことだ。それじゃ今の日本に何があるの、と云う話は置いといて(気が滅入るから)、そう云う観点から見ると、今の円安って政府は何考えてるんだろうなぁと思ってしまう。日本が今海外に「売れる」ものって何だろう。そりゃ、日本だって競争力を回復して海外に物を売らなきゃいけない。その場合は円安の方が有利だ。でもそれは「売る物」がある場合だ。今のままなら日本の競争力は落ちる一方だろう。そうならないようにする為にはまず、種を蒔かなきゃいけない。今ハイテク関連でインドや中国から人が来てるように、海外に売れるものを作る人材を育てなきゃいけない。教育制度ってしばしばないがしろにされがちだけど、本当はもの凄く重要なのだ。芽吹くまでに時間がかかり、その成果ってのは捉えにくいから短期的な視野しかない政府や各省庁のお偉いさんは分かってるつもりでも本当は分かってない。もっとも政府関係者にその「ご立派な教育」の成果が出ている事は、有翼往還宇宙機の開発がどれだけの費用がかかるのかわかるはずだし、あんなに効率の悪い物の運用を維持するには相応の国力がなければならない事はすぐわかるはずなのに、 あんな低予算しかつけない事をアメリカの専門家に揶揄されたり してるのを見れば云わずとも分かる事か。
 小泉さんは今のところ(大胆に手をつけていると云う点において)よくやってると思う。けど、10年、20年先のビジョンがはっきりしないようなら多分今の嘆息はその時まで続くだろうと思う。
 あ、そう云えば仮面ライダー龍騎、今のところ「龍騎」と「ナイト」の二人のライダーが公開されてるけど、三人目も出る予定で重装型の「コマンドー」とかと云うのだそうな。最終的には仮面ライダーの数は13人になるとか……


2002年01月12日() 旧暦 [n年日記]

ワークショップやりたくない……

 なんかボスから転送メールが届いたので何かと思ったら、ポスター発表で申し込んでいた今度の生理学会にワークショップの参加で登録するけど、お前の意見もちっとは聞いといてやろうかいのーという学会事務からのメールだった……
 はい?
 ワークショップってのは一種の口頭発表みたいなもので、一つのテーマで複数人が発表をして、そのテーマで総合的に討論とかをすると云う形式。まあ、このメールのは限りなく普通の口頭発表に近いっぽいのだけど、「選考委員の推薦により」って誰じゃぁ、推薦なんぞしたんは!(ぶんぶん(ぐるぐる目で日本刀を振り回す音)) いや、そら名前売り出すにはいいのだろうけど、ワークショップなんかやったら中途半端な発表できないじゃん。困るじゃん。<おいおい ボスの手前とかもあるから断るわけにも行かないだろうし……うむむ、憂鬱だ。ってよく考えたらワタクシ、今年の生理学会会費まだ払ってないんですが……
  少年ガンガン で冬目景の不定期連載「 LUNO 」が始まったのでちょっとびっくり。正直かなりどーでもいいと思ってる雑誌なのだけど(こう云っては失礼なのだろうけど)、噂に聞く作家の大量引き抜き事件(でも一人二人ならともかく、それって作家を大事にしてなかったって事の裏返しでもあるよなぁ)を機に誌面の一新でも図ってるのだろうか。それとも単に誌面一新がたまたま重なっただけだろうか。いや、冬目景以外はかなりどーでもいいというのは相変わらずなんですが……
  ヴァンドレッド 12話はみっともこっぱずかしい主人公の演説以外は出色の出来。3DCGによる大艦隊戦は、昨今のTVアニメでこんなものが見れるとは正直思っていませんでした。CGのレベル自体明らかに最初より上がってるし、継続は力であると思い知らされる。あと凄かったのがゲスト声優陣。敵対してる二国家の首脳部のジイさんたちの声が麦人やら大塚周夫やら、端役の艦長で鈴置弘孝は出るし、青い機体のおっさんはランバ・ラルだし……死んだはずの人間が生き返ったり主人公の青臭いばかりの演説に援軍が駆けつけたりと疵瑕はあるのだけど、それを勢いで見せてしまいました。正直面白かったです。
 「サムライレンズマン」も読了。キャプテンフューチャーやスターウルフと並んで有名なスペオペ「レンズマンシリーズ」の外伝と云う位置づけで書かれてるのだけど、実は禅銃とかキャッチワールドで出てくるような勘違いジャパネスクを大きく期待していたのでその意味では期待外れ。でも話自体は面白かったです。年齢設定とかが異様に気になりますが。


2002年01月14日(月) 旧暦 [n年日記]

特にネタはないんですが…

 新春の番組改変期に差し掛かって新番組(アニメだけどね)がちらほら始まっているので、一応見た物の感想等。
  おねがいティーチャー 。脳軟化アニメでした。以上。……ってわけにもいかないだろうので、一応ざらっと。「宇宙から来た女の子」と云うネタは今更何をか謂わんだけど、設定の陳腐さとかあざとさ以前に、致命的にまでキャラの立たせ分けが一本調子。「お約束」と云うのとも違うのだが。話の内容自体がオタク用離乳食(噛まずに飲み込め大甘)みたいな内容なのだけど、逆にそれだけにしっかり作っていないと見るのがつらい。作画とか演出とかには見るべき部分は結構あるけど……
  七人のナナ 。「主人公が七人に分裂して騒ぎを起こす」と云う、普通ならそれ1エピソードとしてやるぞ、的なネタなのだけど、今川演出にはそんな常識は通じませんでした。(^^; つってもまだ慣らし運転的な感じがしますが(いきなり今川演出全開で視聴者がついていけるかい!)。人柄はいいらしい(と聞いた事がある)のだけど、職人気質が強すぎるために寡作な今川泰宏氏の久々の新作。名前を知らない人も「ミスター味っ子」で「光るカツ丼」などの怪演出を行った人、と云えばわかるかも。よく動いてたし、良い意味でフツーに面白かったです。コレを「フツーに」と云うのもどうかとも思うけど、これからフツーじゃなく面白くなりそうだと期待させるので。
  アギト は、どうやらコレまでの子供向けTVヒーローものではわりと禁じ手だった「ヒーローVS社会」を行うつもりらしい。が、警察が敵対する経緯がちょいと描写不足と云う気が。主人公が主人公だから、某不動明の様に「貴様らこそ悪魔だ!」と云う展開にならないだろうのは安心して見ていられるのだけど。
 次作の仮面ライダー龍騎は一応 公式サイト が出来てます。


2002年01月15日(火) 旧暦 [n年日記]

だからあまりやりたくなかったのだけど…

 何の話かは秘密。爆風消火で無関係のとこまで吹き飛ばした気分。
 日曜に火星探査の特集をNHK-BSでやっていた。その番組でA・C・クラーク原作の作品と松本零士原作の作品を3D-CGアニメにしていた。クラークの原作(書き下ろし)を脚色したのはいとうせいこう氏。だけど、科学考証に関してはいとう氏は甘々だったみたい。演出かもしれないけど。松本零士は、「ビジュアリストであってSF作家ではない」と云う発言を以前聞いた事があるけど、全くその通りなんだなぁと思った。しかしメーテル顔のキャラに池田昌子の声を当ててたのは大笑い。これだったら主人公は是非野沢雅子にして欲しかった。ちなみに 池田昌子さんは御年とって六十三 。まったくもってあの声を聞いてるだけでは信じられん(げ、広川太一郎の方が堀勝之佑より年上だ)。
 関係はないが、 PowePuffGirls the Movie のサイトが出来てた(要flash)。設定画のモジョ・ジョジョかっこい〜。
 これまた全く関係ないが、ライジング・インパクトの鈴木央氏はデジモンテイマーズ、それもレオモンにおおハマリ中らしい。でもレオモン、アレなんだけどなぁ……


2002年01月16日(水) 旧暦 [n年日記]

デジモン・フロンティア

 だそうな。>デジモン新シリーズ
 シリーズ構成は 小中氏 から変わるのだけど、どうもデジモンアドベンチャー関連の人らしい。うーん、デジアドおよびデジアド02は殆ど見てなかったからなんとも言えないけど、テイマーズの妙に人間関係が疎遠な、ありえそうな描写が好きだったのだけどなぁ。(海外でもデジアドよりテイマーズの方が好評らしい)
 日記のネタにしようと思っていた話題がニュースサイトで取り上げられてるのを見たりするとがっくり来る。「あー、あそこ見てネタにしたんだな」とか思われるのがシャクだから、割とネタにしたい話で無い限りそういうネタは回避する。後から見て取り上げられてる事もあるが、その場合は日付で明らかにこちらのアンテナの方が早かったんだから後の事は知った事じゃない。
 以前から劇場版ルパン三世(俗に云う「ルパン対複製人間」)の挿入歌「ルパン音頭」がここ数年立て続けに出たルパンのCDのどれにも収録されておらず、 なぜあの名曲を収録しないか と密かに怒りまくっていたのだが、実は 意外なところ に収録されていた。流石は芸の鬼、三波御大。普通なればヨゴレ仕事として隠したがるようなアニメや子供向け番組関連のものも堂々と発売しているのは流石。これだけで大物の風格が漂う。
 この「ルパン対複製人間」も実はDVD化されていないっぽい。「カリオストロの城」はされているのに。なんでこっちを先にDVD化しておかんのじゃぁ!(ぶんぶん) 脚本の大和田竺氏は調べてみるとアニメ作品より火サスなどの脚本を手がけている事が多いようである。「シュールだ」「わかりにくい」などの意見がある一方で「最後のルパンらしいルパン」と高い評価も多い作品なので、是非DVDを出して欲しいのだが……
 割と気に入っているテレビ雑誌 TVブロス にアギト最終回スペシャルとして白倉プロデューサー等が載っていた。読んでみると結構面白い。一番ニヤリとさせられたのは、「アギトの、仮面ライダーシリーズの中での位置付けは?」と云う質問に対し、直球で答えず「クウガの再評価に繋がると思いますよ。クウガがオーソドックスな仮面ライダーだった事がわかるでしょう」と答えている事か。それってつまりは遠まわしに「クウガが斬新と騒がれたけど、クウガはオーソドックスな仮面ライダーに過ぎない。アギトは仮面ライダーの『常識』を打ち破った作品」と言ってるのでは(遠まわしでもないか)。インタビューでは同プロデューサーが引き続き手がける「龍騎」について「さらに掟破りの鬼っ子」になると云っているので、ちょっと期待して良い気になってきた。あ、それと13人ライダーのバトルロイヤルってのは本当らしい。どうなるんだ?


2002年01月17日(木) 旧暦 [n年日記]

普段はあまり考えないが

 今日もいろいろありました。まる。
 ではなんなので、もうちょっと詳しく。
 詳しい事は言わないが(こればっか)、今日はちょいとばかり現ボスの子供っぽいところに苦笑したり義憤してくれた事に胸を熱くしたりとか色々あったり。
 で、このボス、癖はあるけど、基本的に無茶苦茶いい人なのだ。ただ、例えば「ちょっと雑談しましょう」とか言って話すのはやっぱり研究の話だったり、ちょいと研究以外の話にずれると早々に打ち切ってしまったり、情報処理の指向性が凄いのである。いや、研究者の鑑とは云えるのだけど、少しずれて興味のない話になると、興味が無い事を全く隠そうとしない。私の方はと云うと、役に立たなさそうな事でも取り敢えず仕入れておいて、ひょっとして役に立つかなぁとプールしておく。まあ大抵は役に立たないのだけど、役に立つ事もたまにあるのである。まあ、色んなタイプの人間がいるのは当然だし良い事だと思うのだけど、ひょっとしてワシのこの性格って、元からの性格もあるけど、前の研究室で培われた面が大きいんではなかろうかとふと思ってしまった。
 そうそう簡単に性格が変わるものでもなかろうが、案外と思考様式って影響を受けてるんじゃなかろうかと、ふとどうでもいいような事で思ってしまった。
 どうも HELLSING 最終話は原作ファンには相当アレな内容だったらしい。ってワケでアレでこれして送って貰って先に見てみる。あ〜、なんつーか、ここまで原作を大事にしてないと却って清々しいですな。結局、原作を力でねじ伏せようとしたけど手も無く捻り返されたって感じ? 原作とは違うオリジナル路線が悪いとは思わないけど、原作より明らかにダウンスケールしてるんじゃこの評価も仕方ないわなぁ。脚本の小中さんのほかの仕事はわりと好きだけど、絶対的盲信する程ファンではないし。
 七人のナナは、なんつーか、引き続き普通に面白い。今川監督作品としてそんな普通に面白いなんて事でいいのか! と思わないでもないが、まー面白いからいいや、と日和ってしまったり。喩えるなら喉越しの良いうどん。一気に麺の最後の一本まで抵抗無く飲み込め、味わいにも曇りが無い。そうそう、アニメってのはこうやって動きと音楽で魅せるのが真骨頂なのだよなぁ、と久々にアニメ作品を見た心持ち。脚本家としては既に底が見えた感のある、「おねがいティーチャー」の黒田さんに小一時間の説教と共に見せたいですわ。って見てるんだろうけど。黒田さん、脚本家としてはどんどんダメになってく気がするなぁ。あかほり某のようなプロデュースを目指すのはいいが、脚本家としてダメなところまで見習わんでも。


2002年01月18日(金) 旧暦 [n年日記]

伝統?

  日本オタク大賞の審査員賞のパワーパフガールズ、カートゥーンネットワークのコメント 、「伝統と格式」って、格式はまあとりあえず置いとくとして、「伝統」って、まだ第一回だって……何も考えずに定型を使うとこうなるのだな。
 ドラゴンHGに内田美奈子のカラーコミックが。うわー、なつかしー。でも内田美奈子のデジタルペイントって、癖があるのだよなぁ。何故だろう?
 ちなみに懐かしい漫画家と云うと、あもい潤氏が「カスミン」のコミック版を書いてます。一体何故?
  MSが今更セキュリティ重視宣言 。こないだのパッチサーバー不具合とか.NETウィルスの件とかそれ以前に再三取り上げられているセキュリティの甘さだとかに、.NETを目前に控えて対外的なアピール要素が大きいと思われる。主立った考察は既に スラッシュドットJP でやられているが、セキュリティをアピールするのが今ユーザーの支持を得られるとか、自分の所でセキュリティウェアを作るのだろうとか、まあ色んな要因が絡んでるからんでるのだろうなぁ。もっとも負の遺産が大きい現状でどうするのかは、意地の悪い意味で楽しみではある。
#IEとOE削るだけでずいぶんとマシになると思うのだが。
 あと、安定性はどうしたよ?
 HELLSINGの原作者、平野耕太氏のサイトは以前URL変更してから見失っていたのだけど、今日ふとした事で判明。げ、こんなに簡単にわかるものなのか? 当然、また移転すると捜すのが面倒になるのでURLは内緒。捜し方も内緒。
 ちなみにアニメ版HELLSINGの事には一言も触れられてませんでした。既に禁句か。
  ヴァンドレッド 2nd Stage 、大塚芳忠声の(外見は)女に続いて家弓家正かい……決して色物とは限らなかったりする辺り、このセンスには脱帽。


2002年01月19日() 旧暦 [n年日記]

いいわけ特集

 「いいわけするのは心にやましいことがある証拠だ」とは子供時代からよくいわれてることだけども、小心者にとっても「やましい」は、たぶん、ふつうに考える以上にたちが悪い。ワシのように小心で内攻的だとなおさらである。
 で、まずナニをいいわけしたいかというと、うちっとこの掲示板で先日行った「注意」の内容。注意の要点は三点である。第一点は、意見のあわない相手への、意見があわないという理由だけでの侮蔑。これは問題外である。面前で悪口をいわれればそれは腹がたつだろうが、腹がたつ理由は相手の無理解、無礼に対してであり、趣味嗜好に対してではないはずである。それを混同してしまうと、ある趣味嗜好のひとをひとくくりに全体を悪くいいかねない流れができてしまう。これは管理者としても避けるべきだし、また、個人的な倫理観からもどうかと思う。第二点は、比較の用い方。と、いっても、悪意のある比較でなかったのはわかってはいるし、比較としては事実をついていたのもたしかだった。問題点は、誤読の可能性だった。たとえば、SF者が「これはSFではない」ということばを聞いても、別に必ずしもその作品が悪い作品だといってるわけではないと、事前に了解してる。しかし、そのようないい方に慣れていない人にとっては否定の意に聞こえる。もう少しくわしくいえば、あくまで「技術論」の話が、作品そのものの評価と採られないように気をつけねばならない。ついうっかり「でもコレ、SFじゃないよね」といって、そういういい方に慣れてない相手が多少なりともショックや不快感をしめした経験は何度かある。最後の点は、こないだも少しふれたけど、感想のさいに分析・解析はおこなって不思議はない。ただ、実情を知らない人間がそれをやると、「釈迦に説法」になる可能性がある。私だって偉そうにいえた義理じゃない。しかし、その可能性を常に考えておくべきだとはおもう。でなければひとりよがりの分析に歯止めがかからなくなりがちだし、またはたから見て自分が非常にこっけいなことをしてるのに気づかないなんてことになりにくいかもしれない。
 で、その注意のおおもとになった話題はなにかっていえばジオブリのアクション描写(ちょっと語弊があるけどね)のとらえ方についてなのだけど、いちおう伊藤明弘研究家(ってことにしておこう)としてはひとつだけ一家言がある。(なぜ掲示板でいわないかといえば、自分で話題を止めるような真似をしておいていまさら自分がしゃしゃり出るのは非常にばつが悪いからである) それはなにかというと、ジオブリを読んでる時の読者の目の動きである。マンガは動かない。紙に書かれた絵なのだから当たり前である。その動かない絵を動いてるように見せることに関して、マンガ家はそりゃ昔から血のにじむような努力をして技術を開発してきたわけである。その結果、日本のマンガはアメコミなどにはない、キャラクターなどの動きのダイナミックを楽しむという要素が生まれた。しかし、本来は動いてないものを動いてるように見せるものだからどこかで無理が出てくる。動きを見せるだけでなく、コマごとにアングルや大きさを変えたりもするのだからなおさらである。下手なマンガ家だと、いったい誰がどんな動きをしたのか、すぐわからなくなる。下手なマンガ家でなくても、アクションの大きい、多いシーンではどのような動きをしたのか、わからなくなることがある。そうするとどうするか。前のコマを見直して、どういう動きだったかを考えねばならない。あんがいとこれは無意識でやってしまっている。ジオブリ、というより伊藤明弘作品ではこれが少ないのである。何故か。読みすすめていけば登場人物や動くものがどのように動いているかが、一コマ一コマでわかるようになってる。無論それだけではなく、常に丁度いい頃合でキャラクターの空間配置などが読者の無意識に提示するコマが挿入される。だから、伊藤明弘作品には「止め絵」、歌舞伎の見栄を切ってるようなシーンのコマの美しさというものには欠ける。この「止め絵の美しさ」は一種日本の様式美なので、その意味では損をしてるところはある。そのかわりに提示されてる「読者の読みやすいアクション」に内包されてる技術はおそらく私の想像如きを絶している。例えば、単行本7巻P56、二コマ目はまるまる雑誌掲載時から描きかえられている。雑誌掲載時のコマにも、絵的には何か落ち度があるとは思えない。何が違うか。単行本掲載時にはキャラクター(高見)の肩がコマの中に入っていない。このシーンは、キャラクター(高見)が主人公(田波)の呼び声にふりむき、たまたま狙われてた弾をかわす格好になり、何かがかすめたのに気付いてもう一度正面に向き直るという流れの、その向き直るというシーンである。単行本掲載時では、キャラクターの動きがどっちを向いているものか、田波の方を向いている最中か、それとも向き直っているシーンか、次のコマを見なければわからなかった。だから3コマ目を見て、「何時の間に向き直ったのか」と2コマ目を見直し、その時点で2コマ目がどんな意味を持っていたかがはじめてわかる。その修正である。読者にアクションの爽快さを感じさせるために読者の視線の動きすら制御する。すべてのマンガ家がやることではあるが、伊藤明弘作品はそれがかなり完成形に近いと思っている。意図して読ませる技術ではなく、意図させずに読ませる技術だから、何がすごいのか、気づかないで読んでしまうことも多いのだろう。
 無論それは「技術」の話ではあり、それだけで作品全体を語ることはできないことは当然であるのはいちおう述べておく。その技術により描かれるものに、なにを感じるかは、人それぞれなのだ。


2002年01月20日() 旧暦 [n年日記]

いいわけ特集2ほか二本

 きのうに続いていいわけ。
 いいわけってより、今度は反省にちかい。
 友人にも指摘されたけど、「黒田氏が脚本家としては底が見えた」と書いたけど、これはふきすぎ。私のセンスからはずれてるから評価ができないが、支持されているところをみると、市場のニーズに応えてる脚本家なのだろう。そしてその方向で完成されつつある。完成、ってより作風が固まってきたっていったほうがいいのか。単にその方向性がわたしの気にくわないというだけなのだろう。だから、文句をいうなら脚本家氏よりは市場に文句をいったほうがいい。更には、市場なんて主体があるわけではないから文句がいいようがない。これは困ったぞ。文句がいえないではないか。むむむ。
 いずれにしても個人的好悪と対象の有能無能を取り違えた、初歩的な「やってはいけないこと」だったのは間違いない。
 ただ、気のせいだろうか。黒田氏は色気を出しすぎて脚本から妙なオーラがとびでてる気がする。それがテンポ・バランスを崩して、その色気を「どうだ」と見せつけられてるようで不快なのだろう。ひょっとしたら世間ではきれいにまとまった脚本より、そういった脚本のほうがわかりやすくて受けるのかもしれない。でもおなじスタジオオルフェなら、倉田英之氏のほうが、路線はやはり気にくわないところがあるながらも、うまいような気がするのだが。
  高千穂遙も絶賛 (と、いっていいのではないだろうか。単にほかの番組が作品としての てい をなしていないってことかもしれないけど。リンク先の02.01.18参照)の ヴァンドレッド the second stage、というよりヴァンドレッド。昨冬に第一期13話、今冬にその直接の続編の第二期13話を放送というかなり変則的な放送形態。しかし、実質第一期第二期あわせて26話の番組としてみたほうがいいだろう。わりと最初から断続的なエピソードの連続により構成するかたちで、一話一話に大きなはずれもなかったが、コレといってアタリというわけでもなかった第一期。第二期はそんな第一期で確立したキャラ、設定、伏線を十分に生かして骨太なストーリーを見せてくれた。(どこかでスタッフが「女の子をいっぱい出したいかにもなオタク向けアニメのふりをして、やりたいことをやる」といっていたような)
 主人公のみっともはずかしいだけのセリフも、結局全体としての評価を崩すことがなかったのは、行動レベルの描写と演出がきちっとできてたからなんだろうなぁ。伏線をきちっとはってフロシキもひろげながら、ちゃんと伏線の全てを回収してほぼ完全にフロシキをたたみきる。あー、なんか作劇のお手本みたいだ。高千穂さんが上で唯一難点をつけてる3DCGと2Dの解離も、最初はまだしも、後半は輪郭線を強調したり、軌道の残影を、リアリティを犠牲にして見やすいものにしたりと、技術の向上いちじるしく、個人的には及第点をつけられると思うのだけど、そのへんはわたしがあまいのかも。
 結局この番組で成功したのは、スタッフの努力と能力もさることながら、前半と後半のあいだをおくことにより、結果としてじゅうぶんな作業準備期間をとることができたからのような気がする。これは後半までに前半の熱がさめる危険性や、前半は本当に中途半端な駄作としてまともな評価をうけない危険性はある。しかし、アメリカでは30分番組でも一週間おきに放送する形態がわりと一般的なことを考えても、もしこのレベルのクオリティを保とうとするなら、作画作業的にも編成作業的にも一週に30分一話というのは標準的限界を割り込んでるということかもしれない。問題点も内包してはいるが、この放送形態が一般的になれば、前半はパイロット版的な意味合いを兼ねることにより、消費者(最近の傾向として放送した資産を二次的にソフトウェアとして販売することで収益をあげることが多い)も製作側も無駄なリスクをはぶけるかもしれない(前半のできいかんで後半の継続を決定することで)。いずれにしても、この番組は製作者側の戦略勝ちの面がつよいだろう。
  フルメタル・パニック! #1、2を見る。うーん、なんともいいづらい。原作小説は読んだことがない。だからアニメだけの話だが、画竜点睛を欠いてるというか、みどころがはっきりしない。作画的にはレベルが高いのだけど、シナリオ、演出が凡庸。凡庸というより、メリハリがついていない。わらいどころでわらえず、緊迫したシーンで緊迫せず、萌えどころで萌えない。大化けする可能性なきにしもあらずだが、期待はまったくさせてくれない。このご時世「作画レベルはおちるもの」と考えたほうがいいから、そうするとみどころはいったい……ひどいこといってるように読めるかもしれないけど、原作者ファンのひと、ゴメン。 地獄の黙示録 を意識してるのであろう、ワルキューレ騎行っぽいBGMとか、予告のA-TeamっぽいBGMとか、小ネタはあるのだけど。