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2001年06月11日(月) 旧暦 [n年日記]

視野狭窄

 確かに私は少し頭に血が上ると、すぐに視野が狭くなるのである。頑固になり、人に意見を押し付け、思考の柔軟性も失われる。
 ここのところ、何故かいらついていて他人にそのつけを回してしまったところはある。他人に自分の愚かと無能のツケを回す事は罪である。 現状は半ば自覚していたが、きちんと対処しなかったのは怠慢以上の何者でもない。
 過剰な謙遜は無意味で時には害悪だが、自己の位置を正確に把握し、自分のしたこと、してないことをちゃんと認識・評価することで奢り、傲慢は排除せねばならない。自己にせよ他者にせよ、過剰な評価は良い結果をもたらさない。
 これは別にこの日記のみに関して思った話でなく、最近の自分の態度全般に関して思ったことである。
 しかし、それであっても一昨日の日記のマスコミに関する部分は訂正するつもりはない。確かに文章もヘタクソで、趣旨が漠然としすぎている。前提がわからない人間には具体的に何を指すかもわからないだろう。
 具体的には、一つの報道番組のレポーターの事である。番組は見てなかったが、ネット経由でそのレポーターと児童とのやりとりの文章を目にしてしまった。見て、一瞬血の気が引き、吐き気がして、恐くなり、泣きたくなった。自分の目を疑った。というよりはこれが現実に起こったことかと疑った。無論マスコミ全般がそうではないとわかってる。でも実際にそういうマスコミも存在したのだ。
 私を知っていて、なおかつこのやりとりを知らない人には、マスコミへの偏見で凝り固まった視野狭窄な言葉、と受け取られるかもしれない。それでも構わない。ただの自己満足だが、やりとりを書くつもりもそのやりとりへのリンクをここにはるつもりもない。私がどう思われても構わない。ただ一つ、それくらいには怒っているのだ。


2001年06月12日(火) 旧暦 [n年日記]

お前らどこの宇宙人だ! 正直に言ってみろ!

 たとえば これ とか これ とか。さてはナ○スのUFOに技術供与を受けてるな?!
 件の大阪の児童殺傷事件に関しては、 森博嗣さんの意見 (6/10)が一番妥当だと思う。感情を抑えて、ちゃんと理路整然とこう言えるのはやはり大人だなぁ。確かに一個人が怒りをぶちまけたところでどうしようもないのですけどね。
  一昨日の日記 に関して 山口さん から「あの文脈じゃ、まるで僕がいじめてるみたいだなぁ」と抗議のメールが。いえ、いじめられたってのは 深+ のマスターにっすよ、勿論。どんないじめられ方したかはヒミツ。第一山口さんにいつもいじめられてるなんて本当のこと言うわけが…もとい、山口さんはとってもいい人っすよ、ええ。もう一度 本の宣伝 (てつまよしとう名義「GUNNER」です)だってしちゃいますよ。ガタガタガタ。
(注:いじめられてるってのは本当に冗談です。本気に取られると本当にいじめられます)
 古い論文(1951年)を読み始める。この辺のだと単語も馴染みのないものがたまにある。しかも長い! 50P前後が当たり前の時代。何故かって言うと、一々全部、どんなプロトコルでやったかとかが書いてるから。読んでると、どんな実験の工夫をしたかの苦労話がわかるのである。下手にプロジェクトX見るよか泣ける。かぜのなかのすーばるー。でもニーズは狭いけどな。
 プロジェクトXの偉いところは、事実を歪めてでも人情話とからめてカタルシスを作ろうとしてるところだな。なんか誉めてるように聞こえないかもしれないけど、一応誉めてるんである。事実を歪めてるったってMMRよりは大分マシ。マガジンの「XXを作った男たち」とは…同じくらいかな? まあ世の中言わぬが花ってこともあると言うことで。


2001年06月13日(水) 旧暦 [n年日記]

芸人根性

 って誰が芸人やねん。(セルフ突っ込み)
 時々ウケ狙いに走ってしまうのは私の悪い癖の一つである。(悪い癖は12よりたくさんある)
 昨日の日記なども、書きながらつい「あ、こうしたらウケが取れるかなぁ」と考えてる内にあんなことに。関係者各位からの苦情は届いてないので、冗談だと取ってくれたのでしょう。呆れてものも言えないだけかもしれないけど。
 あ〜、書く事がもう切れた。
 ストックを探してみると…え〜っと、ジョン・ウーの鳩? ジョン・ウーの鳩ってのが何時頃から出てくるかってのは全作品見てるわけじゃないから正確には知らないけど、今のスタイルが確立したのは「ワイルド・ブリット」(Bullet in the Head)からじゃないかと思います。
 出世作(正確には返り咲きだけど)兼代表作の挽歌1ではジョン・ウー映画の三種の神器、鳩、教会、炎の内、炎しか出てきてない。廟は出てくるけど、これは教会じゃないしねえ。三種の神器が典型的なのは「狼/男たちの挽歌 最終章」でこれは見事に三種の神器が出揃ってる。
 「ワイルド・ブリット」では、ベトナム戦争の時代に誤って人を殺し、香港から脱出した主人公たちが一旗上げようとベトナムに渡るのだけど、ついた早々爆弾テロに巻き込まれ、テロの一味ではないかとその場にいた人たちとひとからげにMPたちに銃を突き付けられるという場面がある。この場所が教会前(だったか?)の公園で、鳩が遊ぶ平和な光景が一転して地獄絵図に変わるんである。ジョン・ウー映画の中でも最も残酷な描写の作品の一つでもあるが、この対比が鮮やかで、更に残酷さを増していた。ジョン・ウー映画には珍しく、子供まで殺してこの地獄を描いている。
 「挽歌最終章」ではどうだろう? 主人公の殺し屋チョウがしばしば打ち合わせなどに使う教会、ここに、最終決戦前に屋内に鳩が出てきている。前のもそうだが、教会はウーにとっては神聖な、平穏であるべき場所である。ここがクライマックスでは血みどろの抗争の場所になる。この時の鳩は「ワイルド・ブリット」と異なり、単純に平和の象徴ではない。まもなく破られるべき静けさの予兆を孕んでいる。
 ここにジョン・ウー文法の鳩は完成していると思う。ジョン・ウー作品の主人公の多くは罪びとである。ヤクザ者のマーク、偽金作りに手を染めた為に父親を死に追いやるはめになったホー、無関係の女性を巻き込んでしまった殺し屋のチョウ、過ちとは言え人を殺してしまったベン、フランク、ポール、自らが生き残った代償に息子を失ったアーチャー。殆ど彼らはその罪をあがなう為に行動を起こす。鳩はその罪びとたちが得ようとして得られない平穏、一発の銃声で雲消霧散する心の安らぎである。だから主人公が罪びとでない「ハード・ターゲット」や「MI−2」の鳩は限りなく存在が軽いのだ。ジョン・ウーの鳩は主人公が望んで得られぬ心の平穏と共に、主人公たちの背負う罪の重さも表しているのである。


2001年06月14日(木) 旧暦 [n年日記]

めるまが

 とりあえず、「今一番読む価値のある科学系メールマガジン」ということで紹介されてた NetScience Interview Mail 。役に立つかはともかく面白い事は確かです。理系人間なら読んどけ。
 現在は行動遺伝学の 安川寿康 氏。
 メルマガと言うと 内閣配信のメールマガジン 、なんでも 登録者が百万件を突破した そうで。ちゃんとアクションを起こせばリアクションは返って来るんである。この後返って来続けるかはお手並み拝見だけど。
 ああ、いかん。このままでは単に新聞のトピックを転載してるだけのような日記になってしまう!
  学園戦記ムリョウ 、奇をてらわず、コンスタントに面白く作ってます。こういうのばっかがいいってわけじゃないけど、こういうのがあるとちょっとだけほっとする。作画も手の抜きどころを抑えていて、やはりベテランの仕事だなぁと感心するばかり。しかし、主人公はどう見ても始なのに題名がムリョウってのはどういうことよ? というのは些細すぎる疑問だけど。
 毎度毎度思うが、 パワーパフガールズ は一応ヒーローもののはずなのに、悪人退治が話の骨子でないというのはどういうことよ。しかもそれが毎回面白いから性質が悪い。普通は問題が起こり、その問題を主人公が解決するというのがヒーローものの骨組みであるのに、そうでなくてもカタルシスが得られてしまうというのは考察の要ありか。
  Intelの小姑ぶり 。こういうどうでもいい部分での戦いってのは消費者にも何にも利益はない。どうでもいいことに費やされたエネルギーってのは、回りまわって消費者の負担になるんである。ってのは極端な言い方か。
  宇宙人技術的0.02μプロセス (この宇宙人技術って言い方で、その理論的下地と開発までの積み重ねをないがしろにした言い方だと怒られたけど、まさしくその通りです。ゴメン)の開発で、やるなぁとすごく感動に近いくらいの感心をしてたのに。そりゃ同じ人が起こした事件じゃないんだけど。


2001年06月15日(金) 旧暦 [n年日記]

プロバイダトラブル発生中

 現在、メインで使ってるプロバイダの認証サーバーのトラブルでそっちのメールの方とかがまったく使えない状況。
 連絡、苦情等がある人はCc: でssuzuki@renge.sakura.ne.jpにも送信求む。なんかこういうことばっかりあると、プロバイダ乗り換えようかとか思っちゃうよな。sigh。

追加
 16日0050現在、漸くメールサーバーが復帰。重要な連絡とかはなさそうで安心。

危険な正義

 サイバッチのメルマガは取ってません私ゃ影響されやすい人間なんで、ああいう偏ったもの読み過ぎると影響される一方の気がするんで。(今の自分が偏ってないというわけじゃないけど)
 セキュリティは、結局コスト対危険の期待値の兼ね合いなんすよねえ。おそらくそう遠からずADSL化されるであろうことを考えると、今セキュリティのためだけにルーターをぽんと買うだけの経済的体力はナシ。結局今の環境をだましだまし使ってくしかないのだよなぁ。
 昨日の日記書いた後ふと思ったのだけど、 パワー・パフ・ガールズ (PPG)と アギト は似てるところがある。どこらへんがと言うと、ヒーローものなのにヒーローがヒーローである前提というものがスコンと抜け落ちてる辺りだったりする。それが、「アギトは熱い正義感が見られない」とか言われる所以なんだろうけど、私に言わせると、「正義感って何?」と聞きたくはなるんである。多分小さい頃私をいじめてた子にもその子なりの「正義」はあったろうし、どんな犯罪者にもその人なりの「正義」はあるだろう。個人的にはお仕着せの「正義」を刷り込むより「正しいというのはどういうことか」ってのを考え続ける、その事を訴えた方がいいと思うのだけど、「正しいと信じる信念を貫く」ことや、「強い者が弱者を守る心」を子供に訴える方が大事と思う人もいるだろうし、その辺は人によって考え方は違うだろうからまあいいや。
 PPGは、ある種ヒーローもののパロディである。悪人や正義の味方は、何か脈絡があって悪事を働いたり悪人を懲らしめたりしてるというより、それが「役目」、言ってみれば「仕事」だからしてるという方がしっくりくる。昨日は問題は起こらないと書いたがそれは間違いで、問題は起こるのだがそれは悪人の悪事というより、主人公や悪人のプライベートな悩みやトラブルだったりする。そこんところをどう解決(『円満解決』とは限らない。場合によっては「問題自体の消滅」というような解決法を取る事もあるが、「解決」することこそが重要なのだ)するかが主視点なので、場合によっては別にモンスターや悪党が退治されずに放っておかれても問題はないのである。そこんとこがおいおいと突っ込みたくなると言うか、潔いのである。
 「アギト」もヒーローが怪人を倒す、その事が問題解決になってるのではなく、それは実際には全体のほんの一パーツで、主視点はむしろ「なんでヒーローと怪人の対立が起こってるか」「怪人が人間を襲う事にどんな意味があるか」と言う方なので、怪人退治に比重を大きく置かれないし、置き過ぎる事はむしろ間違いである。しかしその代わりに一回一回のカタルシスというのを犠牲にしてる面があるのは否めない。それは「正義が行われている」という爽快感を損なってはいる。
 しかし、本来的に「正義とは何」という問い掛けは忘れてはいけないのである。「正義感」とは甘美であると共に危険なものなのだ。きっとユダヤ人を排斥してた熱狂的ナチの支持者だって、自分が正義を行ってる事は信じて疑わなかっただろうから。


2001年06月16日() 旧暦 [n年日記]

ちょっとやりすぎ

 上にもバナーが張ってある ナディアVSアトランティス なんですが、 最近の更新見て唖然 …いや、もういいかげん唖然とするのも慣れたつもりだったんですけど、世の中「これでもう終り」というものはないんですね。改めて思い知りました。注目どころはThe first officer(副長)、The ship's doctor(船医)、The gunnery sergent/helmsman(操舵士)。
 確信犯すぎと言いますか、もはや隠そうともしていないというか。
 6/15からアメリカでも既に公開がされてるはずなんですけど、評判はどうなんでしょうかね? 海外の標準的な評価が聞けるサイトって良く知らないんですよ。面白いと言う人に野暮言うつもりはありませんけども、やっぱ「ディズニーのやっちゃったこと」というのは知って欲しいとは思っちゃうんですよね。
 ただこういうなめた真似しながら ウォルト・ディズニー生誕百周年としてドリカムが参加 というのは舐められてるのかなんなのかが評価に迷うところ。
 なんかこう、嫌な話ばっかしてると嫌な気分になってくるので、多少は夢のある話を。 日本でも宇宙観光を?
 …いや、夢は夜見るから夢だって野暮なことはいいっこなし。行ったことのない場所に人類が土足で踏みあがるというのはロマンじゃないっすか。農協月へ行く。行ってみたいと思わないっすか、宇宙? どっちを向いても宇宙。
 え〜っと、え〜っと、他には ガンパレード記念プレゼント
  MP3の次世代新規格 。色々問題はあるけど、現在この方向は著作権協会がキチキチに締めようとしてる認証による保護とは逆を行ってる事になるのかな? 著作権保護は大事だし、それはちゃんとすべきとは思うけど、ただ、そういう縛りと利便性というのはやはりどうしても反比例関係にある。音楽著作権団体は縛りをきつくする事ばかりを考えてるみたいだけど、結局それはユーザー軽視とも言える。っちゅーか別に法律に違反してない使い方にまで色々口を出されるのが嫌なだけだったりするのだけど。
 後輩から先日の 島本和彦氏講演 の録音のコピーをせしめる。勇気付けられるねえ。はふう。ちなみに島本氏のオフィシャルサイトは こちら。


2001年06月17日() 旧暦 [n年日記]

夢のない話

  昨日の今日で っつーかむしろおととい。
 いや、ま、赤字財政のこのご時世に贅沢は敵だってのも一つの考え方なんだけど、ビジョンは示して欲しい。昨日テレビで実に嫌な感じ具合がいい感じの「明日がある」(ウルフルズバージョン)の使い方をしてたのが良かった。(国の借金明日に残して「あしーたがある」) 結局先にビジョンですらも残せないのが最悪なんだよなぁ。
 あ! ううむ、あやうく「 ジャッカルの日 」を見逃すところだった。フォーサイス、見てきたような嘘を書き。ブルース・ウィリス主演の「ジャッカル」とは完全別物なので注意すること。
 ここのところどこかイライラしていて、なんか自分がどんどん嫌な人間になっていくような気がして嫌だったのだが、原因がわかった。いや、原因がわかったというよりは回避法がわかったと言うべきか。結局はやるしかないということなのだ。行動あるのみ。


2001年06月18日(月) 旧暦 [n年日記]

どなたか存じませんが…

 基本的にアクセスログというのも、サイトアタック目的などは問題外としても、結構そこから導き出せる情報というのは多いものなのである。だから出来るだけ個人が特定できるような情報などは出さない。しかしそうは言ってもやはり出してしまいたくなる時もあるのだ。「ご奉仕+小説」などというキーワードで検索をかけてきたような輩は……いったい何を期待して来てたんだ?
 今日は研究室に行く前に 名古屋市美術館 のルノワール展を見に行く。前売りを買って「まだ一月半期間があるから」と思ってたらあっと云う間に今週いっぱいに…ありがちすぎ。ってわけで見に行ったのですが…月曜休みでした。公的美術館なんだからそうに決まってんじゃん。ギャフン!
 今週は アギト が全米オープンゴルフの煽りを受けてお休みだったのでわりとしょぼくれ。代わりに17日限定のサイン入りポスターの応募をしてみる。いや、子供のファンに送られるならそっちの方がいいんですが。
 関東とは一週間遅れの「 デジモンテイマーズ 」。良く見たら「シリーズ監修: 小中千昭 」だったんすね。子供向けにしてはミステリアスな展開は不思議に思ってたのですけど、なるほどそういうことですか。納得。戦闘シーンはちと不満な面はありますけど、シリーズ全体で何かを言おうとしてる、その脚本は相変わらず面白いです。テイマーたちと各デジモンの関係もそれを踏まえてちゃんと緩急がある。いいなぁ.子供向けとはいえあなどれません。
 あ、関係ないですけど、今のボスは時々面白い人です。実験用のソフトから実験データをプリンタに打ち出したのですけど、それに付随してる日付が「03/08/01」とかあったのですよね。
 で、ボスが聞きに来て
「これ…平成三年八月一日ってなってるけど、どういうこと?」
「…2001年三月八日ってことなんですけど」
 そもそも平成三年には研究室配属すらされてませんでしたわ、ワタシ。


2001年06月19日(火) 旧暦 [n年日記]

ルノワール展

 昨日行ってお休みでギャフンだった 名古屋市美術館 のルノワール展を見てくる。ルノワールつっても二三の作品と名前しか覚えてないという、元来絵心のないワタクシなんですが、なんでそんなおハイソなものに行ったかと言うと前売券が千円とお手ごろだったからなんですよね。それと、まともに美術館の展覧会なんて見に行ったことがないので、どういうものか見たかったってのもあるんですが。
 あまり好きではない(嫌いってことでもないんだけど)作家ということでそうかと思ってたけど、年代を追って一人の画家の変遷を展示するという展示意図のせいか、存外と楽しめました。
 正直元々かなり絵心がなくって、「絵ぇ? そんなもの見方も楽しみ方も知らんし。おまけに食えないし」とずっと思ってたのだけど、画集でちっちゃい奴を見るのと実際に大きいのを見るのでは全然違うし、筆のタッチを目で追うというだけでももう全然違うということにびっくり。
 一つ見てて初めて気付いたのは、描いてる画家ってのはおそらく「見る人間の視点の移動」というのを意図してコントロールしていること。一枚絵としての配置のバランスも勿論大事なのだけど、それと同じくらい視点をどう移動させるかで情景とストーリーを作っている。具体的には、目を引く物や人を置く事で注目させたり、ものの配置をわざと誘導的にしたり、遮蔽物で遮って意図しない方向に視線が行きにくいようにしたり。簡単に書いてしまってるけど、これが実はかなり高度なテクニックと見ながら思った。ごく初期のルノワールの作品だと、明らかにそれに失敗してしまってるものもあるし。
 もう一つは、初期の印象派の頃の画風というのは、はっと目を引くし、技法、芸術的にもすごいのだけど、ただじっと見てると大変疲れてくるんである。何故かというと、印象派というのは、簡単に言ってしまうと小さなパーツの合成で全体を形成している。なんだ、そんなのどんなものでも当たり前じゃないかと思うかもしれないけど、印象派が大きく違うのは一つのパーツ、そのものがそれ単体で何か見て意味をなすものではない、というところである。全体をぱっと見るとそこには確かに模様か文字か、何かが確かにあると見えるのだけど、その一点に注目してしてしまうと見えるのは絵の具の塗り重ねしかない。全体を見て、注意を引いた部分に視点と照準を合わせるというのは人間は無意識でやることだ。ところがそれをやってるとピースを見ても何か意味をなすものが見えないので混乱する。それが独特の不思議な感覚でもあるのだけど、それをずっと繰り返してると精神的に疲れるのだ。
 おそらくルノワールの頭の中には少なくとも数百、多分数千以上の種類のそういったパーツがあって、それを試行錯誤で組み合わせて意味のあるように見えるものを作り出してしまうのだが、普通の人間にはそれを受容しきれるだけの下地がない。だから感銘は受けるが、同時に混乱もする。印象派が主流となりにくかったのもおそらくそのせいだろう。
 ルノワールのみの話だけど、後期になると、画風が「わかりやすいもの」、悪く言えば「売れ線」になってくる。具体的には、人物の表情などは輪郭線をはっきりさせる事で読み取りやすくした。また、複雑なパーツを極力単純化し、わかりやすくしていく…明らかに「印象派」とは異なっている。後期は安定していると説明ボードには書いてあったけどとんでもない。ルノワールは光の集まりであるパーツと物の形である輪郭線とのちょうどバランスの取れるところを模索して試行錯誤している。同じ対象の絵でも、少しそのバランスを変えたものもある。そうやって模索した安定したバランスというのは、前期に比べインパクトは弱まってるものの、はるかに見やすく、わかりやすくなっている。
 どっちがいい、悪いというのは個人の趣味と思うし、他にも気付いた事はあるけど、ああ、一流のプロというのはこういうものか、という姿勢が一連の歴史を追って体感出来たのはとても面白かった。
 なにより、難しい事をぐだぐだ言っても、結局は絵画は「見て楽しめるか、楽しめないか」その一言に尽きるってことだね。別に好きではない画家なのに、絵を見るのが楽しい事だと知ったのはとても収穫でした。
 それとは関係ないけど、なんか話題が沸騰している Yahoo!の8MbpsADSLサービス 。うわー、どうしよう。加入しようかしらん? っつーかそもそも実現できるのか? って言っても加入者受け付けはもう明日だし、嘘ではないのだよなぁ。


2001年06月20日(水) 旧暦 [n年日記]

蒸し蒸しゴロゴロ

 どうにも急に蒸し熱くなって、寝苦しく悶々とゴロゴロ転がる毎日。
 元々汗かきで夏場には大量の汗をかくのが常なのだけど、昨日は特に蒸した上に風が死んでたので、ちょいと頼まれ仕事で肉体労働に従事したらとんでもない事に…人には病気かなんかみたいに言われるし。
 ってなこっちの日常些末なことを読んで面白がる人っておるんか? 私は内省的でかつ粘着質な人間なので、どう思ったとかそんなことをメモ代わりにうじうじうじうじうじうじ(中略)書くわけだけども、それって読む人のこと考えてないよなぁ。昨日の美術館の話だって読んで誰が面白がるのかさっぱりわからんし。と言いつつ改める気はこれっぽっちもないんだけど。「なんだかわからんが、とにかくよし!」って奴ですよ。
 Yahoo!ADSL改め Yahoo!BB (ヤフーブロードバンド)に予約を申し込んでみる。予約申し込みったって実際には使用局に開通したら通知をしてくれるというだけのことなんだけど。だから逆に気楽に申し込んでみた…ら、深夜零時30分に申し込んだのに、確認メールが届いたのが朝方。やっぱみんな注目してるんだねえ。善哉善哉。
 ブロードバンドと言ったら 紅鉄絢((白+十)鉄絢) のブロードバンチって続きやらないのかねえ。電撃大王も「(ぴー)」とか「(ぴー)」とかを載せるくらいだったらこっちを載せてくれたらいいのに。
  GLPがパックマン だったらMSはモンスターか? とか思ってしまう。パワーエサ、パクパク。なんつーか、ちょっと見苦しいかも、Mr.ゲイツ。確かにGPLに問題点は多々あるが、MSの問題点の方が影響は遥かに大きいと思うぞ、今のところ…
 ちょっと遅れたけど アギト劇場版 。本当にプロジェクトG4だ。なんかアオリが子供向けっぽくないですな。
  パワーパフガールズ は、PPGのスーパーパワーにあこがれた子供たちが、悪人に騙されて、スーパーパワーを手にするのと引き換えに、PPGをやっつけることを承知してしまうという話なのだけど…これって話を読み替えると、ドラッグ欲しさに犯罪を犯す子供と重ならないか? さすがにPPG、さりげなくヤバイ。
  ムリョウ は異常なまでの安定ぶり。ぱっと見全然すごいというところはなさそうなんだけど、ミソの付け所がほとんどない(ちゃんと面白いというところも含めて)というのは実は何気にスゴスギ。
 G・サラバ。