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2004年08月21日() 旧暦 [n年日記]

第43回日本SF大会G−con

 事前にプログレスのチェックとか準備とかなんにもしてなくって、地元に近いということもあって個人的にテンションがなかなか上がらない。とは言え近場のくせに手伝いもしてない奴がえらそうなこと言ってはいけないのである。とりあえず恒例のレポート。一日目。

出発〜受け付け:

 朝7時起きで、岐阜へ向かう。地下鉄、JRを乗り継いで一時間ほどで岐阜駅到着。駅ビルはわりと清潔なのだが、以前来たときと同じで、駅の周囲はなにもない。岐阜の繁華街は柳ヶ瀬なので駅の回りはさびしいのだが、問題はそれよりも会場へ向かうバス。岐阜市内のバスは結構種類が出ていて、ひとつ間違えるとえらいことになる。プログレスと同梱で路線図はあったが、バス内に路線図はない。
 開催地が岐阜と聞いて心配だったのは実はこれで、実行委員会の意気込みとは別に、岐阜という街自体が部外者をあまり意識していない街なのだ。大回りの路線に乗り、途中「ひょっとして間違えたか?」と不安になりながら、無事に会場の岐阜国際会議場に到着。
 この時点で開場時間の十時を少し過ぎていたのだが、トラブルがあったのか、予定より十分ほど遅れて受付が開始。まあ、このくらいのトラブルはわりとよくあることで、その後は大きなトラブルもなかったのはスタッフの努力のたまものか。
 しかし、実はこの会場自体がちょっとしたトラブルで、地元の知人いわく「典型的なトマソン建築」。簡単に言えば田舎都市にありがちな、見栄えや目先の斬新さにとらわれて、使い勝手がイマイチな公共施設、というわけ。この手のものは郷里でもわりと見られるので、まあ驚きはしない。すぐになれるし。ただ、最初の空間把握が面倒。H氏と待ち合わせしていたディーラーズルームがわからずうろうろしていると、Oさんを見かけたので挨拶。「かれこれこうこうで迷ってるんですよ〜」と言うと、「ディーラーズルームって、目の前じゃないの?」
 あれ?
 まあ、そんなこんなでH氏と合流。あれこれ話してるわきから、挨拶をされる。寝ぼけてて、H氏の知り合いかなぁと思っていたら、こちらの知りあいのKさんでした(名札見て気付きました。すいません)。この企画とこの企画出るんで見に来てくださいね、と挨拶される。まあ、興味はある企画だったので、ということで一応チェック。

プレ企画〜開会式前:

 プレ企画は日本SFファングループ連合会議総会と初心者の部屋。初心者ではないので連合会議総会へ。星雲賞受賞作の発表、次回の日本SF大会実行委員の挨拶、次々回の開催地の決定、星雲賞自由部門の改名の提案、など。まあ、大荒れすることもなく無事終了。
 で、ディーラーズルームでぼ〜っとしていたら、開会式の時間になり、大会場へ移動。

開会式とその後:

 大会場は結構な席の埋まりで、こりゃ立ち見も出るかな、と思っていたら、ステージ前の板の間がせり下がって、あっという間に客席に……このギミックに、総員大喝采。
 OPアニメのネタとかもあるけど、ネタなのかイマイチ判断しづらいので省略。
 で、今年はOPで星雲賞の発表。内容は以下の通り。
  • 日本長編部門 第六大陸/小川一水
  • 日本短編部門 黄泉びと知らず/梶尾真司
  • 海外長編部門 星海の楽園/デヴィッド・ブリン 酒井昭伸訳
  • 海外短編部門 地獄とは神の不在なり/テッド・チャン 古沢嘉通訳
  • メディア部門 ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔
  • コミック部門 彼方から/ひかわきょうこ
  • アート部門 西島大介
  • ノンフィクション部門 宇宙へのパスポート〈2〉M‐V&H‐2Aロケット取材日記/笹本祐一
  • 自由部門 王立科学博物館シリーズI
 各々についての感想は省略。印象に残ったのは自由部門を受賞した岡田斗司夫氏が壇上での「これは宇宙開発の啓蒙ではなく、SFの啓蒙なんだ」の言葉(ちなみに第三弾はあさってまでにアイデアを出さなきゃいけないのにまだ何も出ず、SF大会でアイデアをつのるとのこと)、アート部門の西島氏の代理として表彰状を受け取った創元推理の編集さんが本人から預かってきたと見せた紙芝居、梶尾真司氏が社長業を勇退し(梶尾氏は吸収で有名なガソリンスタンドの社長だった)専業作家になったのは、父や祖父の逝去の年齢を越えたことがきっかけだとのこと。それとやはり、壇上に上るなり「珍しい光景だから」と客席の方を逆に写真に撮った小川一水氏でしょうな。副賞は提灯でした。
 その後、再びディーラーズに戻りまったり。
 一枠目に行く前に弁当を買いに行くと、小川一水氏とばったりでくわす。ので、「星雲賞受賞、おめでとうございます」と言うと、ちょっとめんくらったように「ありがとうございます」と。
 急いで弁当をかっこみ、企画が始まる時間になるが、寝不足なこともありすぐには動けず。しばらくしてから動き出すのだが……

企画一枠目:

 ちょろっと「HAMACON2の部屋」を覗いた後(企画の間をゆったりと取り、参加者同士の交流をしやすいようにするとか、若年層の取り込み方とかを語ってました)、遅れ気味にまず目指したのは「前田建設ファンタジー営業部 マジンガーZ格納庫の可能性」。が、あまりの盛況ぶりに立ち見どころか中に入ることも出来ず。紹介してる内容自体はホームページ上のものと変わらないようなので、隣室でやっていた辻真先氏の「アニメ創世記のころ」を覗く。興味深いのだが、この次に行きたいのが飯塚正夫氏の類似の企画だったので、途中退席。
 で、結局そこいらでうろうろしているうちに一枠目が終了。ディーラーズに戻る。

企画二枠目:

 二枠目は行きたいところがはっきりしていて元サンライズ広報担当の飯塚正夫氏の話を聞く「アニメを報ずる」なのだけど、行く前に30分ほど時間を潰す。というのも、去年のT−conから引き続き行われているシール交換企画のシールの印刷をシール屋さん(という企画ブース)に頼んでいて、その受け取りがあったため。その間、目の前のフリースポットでメールチェックなどをする。近隣の施設の不便等があるものの、こういったフリースポットの設置などの心配りをしてくれるのはありがたい。
 で、シール受け取り後は「アニメを報ずる」へ。去年聞いた話と重なる部分もあるけど、なぜサンライズが上井草に根を下ろすことになったかの裏話や、「巨大ロボ物をやる」ということになってからの四苦八苦(ライディーンは「鎧武者」+「ツタンカーメン」+「烏帽子」なのだそうな)、アニメ専門誌の黎明、などなど。で、あっという間に十分ほど時間オーバー。本当はトライダーG7まで行く予定だったそうだが、ガンダムにすら到達してねえ。次回はタイムキーパーを置いた方がいい気もするが、脱線が面白いというのはたしかにあるからなぁ……
 で、やっぱりディーラーズへ。

企画三枠目:

 三枠目、ちと慌て気味に「自主映画人間牧場〜勝つのは作家か観客か!?」へ向かう。朝に会ったKさんに来てくれと言われた企画の一つがこれ。なんでも開始直後、ちょっとしたいたずらがあるそうなのだが……が、ちょっと出遅れた(でも、1,2分くらいのものなのだけど)せいか、それとも企画の組み立てが変わったのか、それらしいものは見られず。居続けようかどうしようか迷ったところ、最初に流れたのは「吉村文庫」の「科学情報うどんスパゲティ」。これ、結構好きでゲラゲラ笑いながら見てしまう。これならしばらく見ていってもいいかなぁ、と思ったのだが、二発目の「キティちゃん」で、ちょっと……こういうのもアリでしょうが、連続で見せられると、ちと生理的に、あれな感じで……その前に流れた同じ作者の「ミドリちゃん」は小ネタで笑えたのだけど。
 そんな感じで少しだけたまらず飛び出し、「ロシアのオタク事情」へ。海外のオタクは行動力がすごいけども、それはロシアでもそうらしい。しかもロシアはソ連崩壊後、ここ数年で日本のアニメが急速に流れ込んでおり、かなりすごい状況とのこと。と、言っても最新作はロシアへは直接流れず、西欧やアメリカで販売されたソフトを入手して仲間内で回すなどでやりくりしている。また、マンガなども急速に技術が向上しているそうで。さすがに専業漫画家や市場はさほど発達しているわけではないけど。
 この企画はこの初夏にロシアのコミックイベント「コミッシャ」に行った大野典宏さんと速水螺旋人氏が出ていたのだけど、「オタク」や「萌え」といった言葉が向こうでも普及してきている反面、意味が異なったりと民族性の違いが興味深い。
 オタク云々を置いといて興味を引いたのは、ロシアは文化活動、特に自国の文化を非常に大事にするお国柄だということと、ロシアのおねーちゃんは着こなしのセンスがいい上に、素肌をさらすことに無頓着という話ですか? いや、是非とも夏場のロシアに行ってみたいものですな!
 ってなことを考えているうちに、終バスの時間が迫ったので企画終了を待たずして中座。う〜ん、これは仕方ないかもしれないけど、この終バス時間が企画終了より前、というのはちょっとどうにかして欲しかったかも。


2004年08月22日() 旧暦 [n年日記]

第43回日本SF大会G−conその2

 ってわけで二日目。

到着〜一枠目:

 デカレンジャーを見てから8時に家を出て、9時半には会場に着。その前に岐阜駅の会場行きのバス停前で、U氏とばったり出くわす。前日にU氏が、共通のネット上の知人のK・Sさんと会ったよ、とか言っており、できればワシも会いたいねえ、と返事をしたのだけど、会場入りした後で留守番をしていたブースにU氏がそのK・S氏を連れてきてくれる。そういえば、K・S氏とはメールのやり取りはいくらかしたけども実際に会うのは初めてで(追加:そういえば一方的に見かけた記憶はあるのだけど、少なくともきちんと対面するのは初めて)、最近どう? とかいう話をする。最近はまってるものある? とか聞かれ、特にない、と答えたけども、「ジオブリ」及び伊藤明弘関連は別格ですんで、悪しからず。
 その後、H・Aさんが挨拶に訪れてくださる。ブースの主のH氏と共通の知人なのだけど、H氏は生憎の不在。思わぬ人との再会が連続するなぁ。
 で、そうこうしているうちに一枠目開始。行ったのは「そんなら日本を勝たせてみようやないかいの部屋」。仮想戦記作家が集まって「どうしたら太平洋戦争で日本を勝たせられるか」を検討するという、不毛、もとい、酔狂、さらにもとい、知的な企画。
 え〜、どのシチュエーションの決戦を仕掛けるかは観客の多数決で決めるのだけど、なんというか、小笠原決戦ばっかりってのはどうかと……で、あれやこれやで日本を勝たそうと作戦を練るのだけど、はっきり断言します。無理です。超兵器なし、都合の良い超展開なし、が条件なので、どうにか五分五分のいたみわけに持っていくのがやっと。それも長期戦略的には、勝利は絶対無理。
 というところが見えてきたあたりで「そもそも、勝利条件は何?」という話に。中里氏曰く「負けなきゃ勝ち」、別のゲストは「やっぱホワイトハウスに日の丸を掲げるまででしょう」(ここで大笑いと共に拍手。みんなそれがジョーク以上にはなりえないことがわかってるのだ)。さすがにそれは無理だということで、米軍に一撃食らわせたあと、急遽連合軍側に寝返ってナチスドイツに宣戦布告するとか、北進してソ連の一部を切り取り、ロシア皇族の生き残りを探してきて傀儡政権のロシア帝国を復活させ、ナチスとソ連に対抗させるとか、クーデーターを起こして陸軍上層部の首を切り、天皇がマッカーサーに勅書を出して征夷大将軍に任じ米軍を官軍にするとか、もうめちゃくちゃ。
 個人的結論。やっぱ無理なものは無理です。いや、企画は結論が出る前に中座したんだけど。

二枠目:

 これはもう出る企画は決まっていて、今回が一応ファイナルという「名古屋是清のゲゲボドリンクの部屋」へ。ゲゲボというのは、「とても飲んでられないマズイ飲み物」の形容詞で、つまり、「なに考えてこんなもの発売したの?」と言いたくなる飲み物を集めた企画。集めるだけでなく死因、もとい、試飲もする。
 今回は、主催者の名古屋是清さんが活動を継続するのが難しくなったということで、在庫一層セール。国内の主だったゲゲボは大体開発され尽くしたのだが、いまだに懲りずにゲゲボを出してくるメーカーは事欠かないし、海外には想像を絶するゲゲボがある。ということで、未知、既知、併せて飲んでいて、もう完全に味覚が破壊されていく。口直しに飲んだただの水でさえも、ゲゲボの味がする。会場のあちこちからも悲鳴が漏れる。差し入れはいろいろあったが、中にはシュールストレミングなんてものまで……て、それは固形物だろう、ってえか、そんなものを会場であけたら二度とSF大会がどこでも開けなくなるぞ!
 って、わけで、いつもどおり、なごやか(?)に終了したゲゲボファイナルでした。

三枠目:

 ゲゲボのダメージもあって企画開始時間後もしばらく留守番を言い訳にブースで休んでいたのだけど、ややして回復したので最後の企画「愛しのSFX映画クロニクル」へ。B級映画のSFXの裏話をいろいろ聞けて、楽しい企画でした。え? もっと詳しく書けって? いや、え〜っと……まあ、なぜか記憶が飛んでますな。まあ、そういうことで。

閉会式:

 例年閉会式に行われる星雲賞発表・受賞は開会式に行われていたので、センス・オブ・ジェンダー賞、惑星・海洋SF賞、そして暗黒星雲賞の発表・受賞。センス・オブ・ジェンダーと惑星・海洋SFについては省略。いや、あまりぴんと来ないので。
 暗黒星雲賞は、企画部門・クイズ!SFへキサゴン、ゲスト部門・小川一水、コスチューム部門・CCさくらのちび姉妹、自由部門・会場、幸運部門は忘れました。それぞれ受賞理由は「面白かった|正解率低すぎ」「星雲賞受賞時のカメラパフォーマンス」「(多分)特になし」「参加者のダンジョン攻略意欲をかきたてた|目の前に目的地が見えているのになかなかたどり着けない」「なし(だってくじ引きだもの)」。
 で、次々回の ずんこん の挨拶と宣伝、 次々々回の日本発のワールドコンを目指す 投票の宣伝、次回の HAMACON2 の宣伝。
 それから閉会の挨拶で締め。
 大会の感想総括は、後日更新します。
 あと、実は個人的に大会二日分合わせたのと同じかそれ以上の興奮が閉会後におこったのだけど、まあ、それは機会があればいずれ。


2004年08月23日(月) 旧暦 [n年日記]

第43回日本SF大会G−con総括

 最初に、失礼を承知で書かせていただくと「カラーのない大会だった」と感じる。多くの大会ではトラブルがあったにせよなかったにせよ、土地柄の特色とか、実行委員会のスタンスなり特徴なりが出るものだが、この大会ではそれがあまりなかった。あえて言えば星雲賞の提灯と合宿企画「どんぶらこん」の鵜飼くらいだが、星雲賞は受賞者意外には関連性は薄いし、どんぶらこんも合宿企画のひとつにすぎない。
 が、その反面無難にこなした大会でもあった。問題点はなかったわけではないが大きな混乱もなく、少なくともSF大会に期待される一通りのものは揃っていた。
 企画立ち上げからの期間の短さや、大きな観光地とはいえず、コンベンション会場もほとんどないという土地柄のデメリットがありながら、主要スタッフが地方コンの老舗ダイナコン運営にも関わってるだけあって、さすがに手馴れた感があった。
 良い大会だった、と言うことはできないが、少なくとも悪い大会でもなかった。失敗でないことが成功と言えるなら、成功と言っても良いと思う。個人的にも、古い知り合いとも久々に会ったし。
 が、一方で今後のSF大会の方向性に不安も感じる。ずっと前から言われていることだが、SF大会参加者の高齢化がある。新規の参加者が少ないのだ。その理由はひとつは参加費の高さであり、また、楽しみ方を伝えることの難しさである。
 長いこと参加していると顔なじみもできて大きな同窓会の様相も呈してくるが、新規参加者が当然そういった楽しみ方ができるわけがない。好きな作家が来ている、とかは動機になるかもしれない。しかしそれだけで数万円する参加費を払う気にはなかなかならない。どういう楽しみ方をしてもいいのだが、そう言われても困るだろう。リスクも高い。
 昔は大学のSF研究会やSFサークルなどの縦のつながりで引っ張りこんだものも多いだろうが、最近ではそこらへんも活発ではない。また、SF周辺領域の拡散もあり、SF的なものは増えたが、上の世代と体験の共通性が薄い、というのもあるだろう。
 参加者全員合宿のリゾートコン形式は宿泊費も参加費に被さるためまた別だが、都市型大会では参加費の圧縮と自由度の高さとは別に全員が参加できる(しなければいけないということではない)イベントが必要なのかもしれない。
 次回のHAMACON2では今月末までの参加申し込みは参加費が一万円という低価格に挑戦している。首都圏ということもあって新規の参加者の敷居は下がってると思うのだが、どう楽しいか、を宣伝しようとするとやはり困る。
 個人的にはこういった問題は学会などの運営形態などが参考になるのではないかと思うのだが(企業出展スペースを設け、スポンサーを募り、その分参加費を下げたり、メインシンポジウムのような企画を設けたり)、昔っからいろんな議論があるようで難しそうだ。
 常連参加者には一部「自分は困らないから別に変えなくてもいい」と考えてる人もいる。
 地方都市だがリゾートコンではなく、手堅くまとめた反面コンセプトの見えにくかったのが今大会だったので、いろいろと考えてしまった。

[読書] 涼宮ハルヒの溜息/谷川流

 涼宮ハルヒシリーズの第二弾。なんだかよくわからないが世界に飽き始めると無自覚に世界を変えてしまうハタ迷惑なヒロイン涼宮ハルヒが、こんどは学園祭で映画を撮ろうと言いだし、前作同様周囲を引っ掻きまわすのだが……
 う〜ん、この話は前作よりはっきり落ちてる。前作では非凡な生活にあこがれ周囲を振りまわすヒロインが、実は非凡の中心そのものであり、宇宙人、未来人、超能力者が(ハルヒ自体はそんなことをもちろん知らずに)ふりまわされていることを下敷きに、一般人な主人公がスケールが大きい(はず)の存在に小さなスケールでろくでもない振りまわされ方をする、というのがミソだったのだが、今作では振りまわされ方がこじんまりとしているし、そのことでフラストレーションを溜めるハルヒがやっぱり無自覚に世界を変える描写も散漫な印象を受ける。だから最後のハルヒの無自覚な世界の変容の止め方もカタルシスが足りなくなってしまう。
 失敗作とは言わないが、普通のライトノベルになってしまった印象。

[読書] 涼宮ハルヒの退屈/谷川流

 涼宮ハルヒシリーズの第三弾。と言っても月刊スニーカーに掲載された短編3本+書き下ろし一本の短編集。
 計算してかしないでか、二本目以降はハルヒに振りまわされるすっトロイ未来人の朝比奈みくる、なんだかよくわからないくらいすごい情報生命体の端末の長門有希、ハルヒのストレスが溜まったときに現れる異空間を消去するときだけ超能力が使える超限定超能力者の古泉一樹が話の中心になっている。
 衒学的な部分が多いし、シリーズの以後の伏線の張り方もあまりきれいに盛りこんでると思えないが、基本が「非常識な存在に小さなレベルで力の限り振りまわされる」なので、短編の方が風呂敷が広がり過ぎず、手堅くまとめられるようだ。またどうしても均等割で印象が薄くなるキャラたちにそれぞれの話で焦点が当てられ、キャラクター小説としても楽しめる。
 二冊目を読んで以後のシリーズを読むのをどうしようか考えたが、まあ、これなら最新巻を読んでも良いかも。


2004年08月25日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] クレーマー・クレーマー

 うちのLet's note light W2がまたもや入院。症状は以前のときとまったく同じ。タチが悪いのは動作の異常がほとんどランダムに起こることで、まっとうに立ちあがるときもあれば、全然ダメなときもある。大体実験とか検査とかやってる人ならわかると思うが「起こったり起こらなかったりする」現象が一番タチが悪い。でも、まっとうに立ちあがっても使っているうちほぼ確実に異常が出て作業にならないから仕方ない。
 延長保証の期間内なので修理にせよ多分無償だが、HDDコントローラーの異常も考えられるので今度こそ徹底的に調べて欲しいものだ。けど、多分無理なんだろうなぁ。「原因はわからなが、HDDを交換した」とか言ってきたら、「もっとちゃんと調べろ!」とねじ込んでみようか(クレーマーかよ)。前回のHDD交換から半年経たないのにまたおかしくなるなんて、おかしいにもほどがあるもの。

 明日からは必殺シリーズ第八弾「必殺からくり人」の再放送がテレビ東京系列にて平日午前11:35〜スタート。全13話で、出演者は山田五十鈴、緒形拳、芦屋雁之助、森田健作、ジュディ・オング、間寛平と有名どころばかり。はじめての方もとっつきやすいかと。主水の出てこない必殺シリーズでは「仕事屋稼業」と並んでシリーズ最高の評価を争っていることでもわかるように、非常に高密度で質の高い作品でもある。今度も全話感想を目指します。
 いや、こないだペキフー(「 北京原人〜Who are you? 」のこと)の超脚本っぷりのことを言われたので、昔の早坂暁はあんなんでなく、すごかったんだぞと主張したくって。

[読書] 涼宮ハルヒの消失/谷川流

 涼宮ハルヒシリーズ第四弾。 bk1 amazon
 クリスマスも間近、クリスマスにナベ大会をすると言いだしたハルヒにあいも変わらず引っ張りまわされる主人公だが、ある日、学校に登校すると前日までとクラスの様子が違う。何故か涼宮ハルヒが存在しないことになっており、代わりに主人公を殺そうとして消失させられたはずの朝倉涼子がいた。
 SOS団の面子も、朝比奈みくるは未来人とは関係ないただの気の弱い童顔巨乳の上級生だし、長門有紀は魔法みたいな力を持った無感情無感動な情報統合体の監視用端末ではなく、普通に照れ屋で人付き合いの苦手な本好きメガネっ娘になってしまっていた。「機関」から派遣された超能力者の古泉一樹に至っては、クラスごと存在が消滅している。
 何者かにより世界は変えられてしまったのか、はたまたパラレルワールドに放り込まれたのか、それともハルヒにふりまわされたあの非常識な日常は妄想の産物に過ぎなかったのか。
 涼宮ハルヒと「あの」SOS団メンバーの痕跡を求め、奔走する主人公だが……

 う〜ん、これまでのシリーズで一番出来が良いかも。少なくとも、私は一番好き。
 下手に感想を述べるとネタバレになるので、あたりさわりのないところから。
 これまでの三冊とは、ある部分がガラっと変わっている。これによりシリーズのマンネリ化が防がれている。さらに、今まで並列に並んでいたサブキャラたちに、あきらかに重み付けの各差が付けられる。まあ、主人公のハーレム化になるんじゃないかという懸念もないではないが……ともかく、これまでのシリーズとは趣をまったく変えだしている。
 で、以下ネタバレ領域。
 おかしくなったのは自分かそれとも世界か。「変わってしまう前」の長門のメモにより、どうやら変わってしまったのは世界の方だと知るキョン。実は古泉と一緒にへんちくりんな力をなくして他校に入学していたハルヒを見つけ出す。
 これだけは変わらないハルヒのエキセントリックな性格以外は以前と異なりまったく平々凡々なSOS団のメンバー。これはこれで楽しいのではないかと思う一方で、本当にハルヒに振りまわされ、人知れず世界を守っていたあの頃は楽しくなかったのかと自答する。
 元の世界に戻すか戻さないか。その選択をゆだねられたキョンは、当然、元の世界に戻る、と選択する。つまり、これまで自分の意思に反し、不本意にハルヒに振りまわされていた(と思っていた)キョンは、この瞬間から自覚的に楽しんでハルヒに振りまわされる存在に質的変換を遂げている。これまでの「いやいやながらしかたなく関わる」というスタンスではなくなったので、もっとメンバーと深く関わり、もっと大きな事件にも深入りさせることができるようになった。
 それは世界を変えた犯人と相対し、世界を元に戻そうとする場面ではっきりとわかる。
 もうひとつ、この巻に限ってはヒロインはハルヒでなく長門だろう。まったく、無感情(っぽい)のくせに二昔前の少女マンガ真っ青の乙女チック展開(あるいはギャルゲー展開)にあこがれるたぁ、なんてベタなキャラ作りを……いや、私は大好きですが。(^^;
#個人的には眼鏡はあった方がいいけどな!
 長門が世界を作り変える際、自分をあのギャルゲー的設定にした理由は多分言わずもがなだけども、みくるはそのままにしてハルヒと古泉は遠ざけたのは、多分心的距離の問題なんだろうなぁ。
 最後にひとつ。腑に落ちないのだが、今作でもやたらと「規定事項」という言葉が出てくるのだが、作り変えられた長門は「体験していないはず」のキョンとの対峙をし、まあどっちにしろ世界は作り戻されたのでその体験はいずれにしても残っていないのだが、その後の出来事もすべてなかったことになり、この時点で「規定事項」は万人にとってのものではないことになる。
 話としてはある意味当然なのだけど、これを見ると「規定事項」はハルヒではなく、キョンによって決定されていることになると思うのだが……つまり、世界の中心はハルヒではなくキョン?
 まあ、こういうアクロバティック的展開は、ザンスシリーズみたいで面白い。四巻目にしてようやくこの言葉が言える。「次巻が楽しみです」。


2004年08月26日(木) 旧暦 [n年日記]

[マンガ][映画] 映画化って……

  こちら に「逆境ナイン映画化」という記述が。
♪「逆境ナイン」が勢京ビジネスにやってくる!
 少年キャプテンで連載された人気の野球マンガ、「逆境ナイン」が、映画化されることになり、本校の高向校舎(御園村高向、ラブリバー近く)が撮影場所となる。監督は、話題の映画「海猿」を作った羽住栄一郎氏だ!出演予定は、玉山哲司、ココリコ田中、その他。撮影開始は9月中旬予定
 マヂっすか?

[必殺] 鼠小僧に死化粧をどうぞ

 必殺からくり人第一話。
 仇吉率いる芸者置屋「花乃屋」一家には、人に言えない秘密が二つあった。それは彼女らが八丈島を島抜けしてきた流刑者だということ。そして、裏で依頼を受けて弱い者を助けるからくり人であるということ。
 からくり人の一人、枕売りの夢屋時次郎は不眠症に悩まされる奇妙な男と出会う。次に来るときには南蛮渡来の眠り薬を持ってくることを約束するが、その約束を果たす前に男は捕り方に捕まってしまう。実は男こそが希代の大泥棒、鼠小僧次郎吉だった。
 丁度鼠小僧の女房が鼠小僧を助け出して欲しいと元締蘭兵衛に依頼を持ち込むが、金がない。時次郎は鼠小僧がとんでもないものを持っていると語っていたことを思い出し、それが金になるのではないかと牢内に忍び込むが、そこで鼠小僧から驚くべき話を聞かされる。
 鼠小僧が義賊というのは表向きのこと。実は各藩大名・旗本屋敷に忍びこみ、弱みを探り出させられていたのだという。
 どうも裏で糸を引いているのは幕府の高官とつながりのある人物のようだが、それが誰かは鼠小僧にもわからない。が、黒幕にとって余計なことを知りすぎた鼠小僧が邪魔になり、今回の捕縛にいたったらしい。
 鼠小僧は上手く使えば莫大な金になる大名の内情や弱みを記した覚書と引き換えに、自分を牢抜けさせてくれ、と時次郎に頼み込む。
 蘭兵衛もそれを承諾し、もう余命いくばくもない病人を、死後家族の面倒を見ることを条件に変え玉にしたて次郎吉を助けだす算段をつける。
 しかし、もうひとつのからくり人組織の元締・曇りがその依頼にもの言いをつける。曇りは元から場合によってはただでさえ依頼を受ける彼らを快く思っていなかった。のみならず、どうやら曇りは幕府高官とつながっており、次郎吉に生き延びられたのでは都合が悪い様子なのだ。
 蘭兵衛は曇りの恫喝にも屈しようとしないが、話し合いに出かけようとした矢先、曇りが放った刺客の凶刃に襲われる……

 のっけにいきなり現代から始まる冒頭は度肝を抜かれる。この、現代から始まり虚実ないまぜになって物語に入っていく導入はからくり人の基本フォーマット。毎回やるわけではないけど。
 からくり人は横紙破りのシリーズとして意欲的な試みをいくつも行っている。特徴的な導入部もそうだが、曇りが言う通り依頼人から金を取らないこともあったり(ただし、悪人から巻き上げたりして結局はただ働きはしていない)、殺しどころか殺陣すらもない回があったり、毎回史実を下敷きにした物語を展開するのもそう。また、第一話から 元締が殺され敵対組織の曇り一家との対立が最後まで尾を引く(毎回関わるではないけど)。第一、第一話から最後に殺しのシーンの殺陣が来ないのだもの。だからと言ってつまらないかというと、むしろ逆。
 花乃屋は時次郎も含め、皆で八丈島を命からがら島抜けしてきた過去を持ち、そのせいか必殺シリーズでは珍しい、濃密な擬似家族的関係を築いているのも特徴。だからと言って決して慣れあいなグループではなく、プロの殺し屋との両立が成り立っているチームでもある。
 殺し技は仇吉は三味線のバチ、藤兵ヱは下帯を相手の喉に巻きつけ締め殺し、時次郎は枕作りに使うへらを用いる。この時次郎のへらを構えるときのアクションと効果音は、後にかんざし屋の秀が武器をかんざしにしたときに、そのまま流用されている。
 面白いのは森田健作演じる仕掛の天平の殺し技で、小型の花火を相手の口に放り込み、口をふさいで爆死させてしまうというもの。(この時、身体の骨が一瞬透けて見える爆笑効果付!) でも、再終回の天平の行動は、すごく切ないのだよなぁ。
 また出演者も豪華で、主役の花乃屋仇吉には前作「必殺仕置屋稼業」で依頼人として必殺シリーズに初登場した山田五十鈴が再登場したのを筆頭に、藤枝梅安と半兵衛を演じた緒形拳が時次郎を、これも必殺初レギュラーの芦屋雁之助が八尺の藤平ヱを演じる。チームの若手の方も、青春もののイメージを一新する仕掛けの天平は森田健作、読唇術を使えるチームの花である花乃屋とんぼにジュディ・オングが、少しおつむの足りないコメディリリーフ・へろ松に間寛平がキャストされている。
 それらに対して存在感では譲っていない敵対組織の元締・曇りを演じるのは須賀不二男。興奮するとどもりだすからくり人たちの宿的を、憎々しげに怪演している。
 ゲストも毎回豪華で、第一話の鼠小僧は財津一郎。鼠小僧が処刑時に死化粧をしていたのは事実のようなのだけど、それに対して脚本の早坂暁は あまり顔の似ていない変え玉をごまかすために死化粧をしたと、大胆な解釈をしてみせる。
 余命幾ばくもない最下層の人々が自分の死を売るという「死のう組」のアイデアも奇抜ながら面白い。
 替え玉と入れ替わりまんまと逃げ出した次郎吉だが、 結局痴情のもつれで殺されてしまうというのも、世の中をひっくり返す覚書の顛末同様、皮肉な結末。
 仇吉の二代目襲名口上の「一突きには二突き、二突きには三突きでお返しいたします」は、最終回につながっている。
 あと、鼠小僧が「どうしても眠れない」と告白してる直後に、日本信販の通販のCMで「安眠磁気まくら」が入ったのは大笑い。狙ってやったんか?

 全十三話の短いシリーズながらどの話をとっても面白いので、よろしければ最後までどうぞ。


2004年08月27日(金) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 津軽じょんがらに涙をどうぞ

 必殺からくり人第二話。「ギャラクシー賞」受賞作品。
 仇吉は津軽出身の藩士たちに請われ津軽じょんがらを演奏するが、見知らぬ娘がその三味の音にあわせて伴奏をしてくる。その、まるで匕首をつきつけるような鋭い弾き口に、さすがの仇吉も圧倒されかける。
 一方、いつもと同じく舟で枕を売り渡っていた時次郎は、津軽藩士に斬りかかり、逆に河に投げ込まれた娘を助けだす。その娘は先ほど仇吉の三味に伴奏してきた娘だった。
 娘は花乃屋につれこまれ介抱されるが、気がついたその娘・おゆうはなんと盲目。瞽女(ごぜ)と呼ばれる、盲目の流れ三味線弾きだったのだ。
 その口から語られたのは娘の過去。彼女の母も瞽女で、三味線を弾くだけでは生きていけず時折春をひさぐこともしていたのだが、あるとき情夫の弥蔵が溜めこんだ金目当てに母親を殺害、そしてその顔を見た娘の目を潰し、逃走したのだ。
 本当に盲目になった娘は瞽女として人に騙され女郎屋に売り飛ばされながら七年かかって江戸に上ったのだが、当の仇はどこにいるのかわからず、藩士たちの津軽訛りを聞いて闇雲に襲いかかったのだった。
 その話を聞いた天平は、あることに思い当たる。毎年「菩薩花火」という大花火大会が行われるのだが、そのスポンサーにはとある店がついているがどの店なのか、また何故「菩薩花火」という呼び名なのか、どうしてそのような催しを行うのか、決して語ろうとしないのだ。
 天平はその店が大店の大蔵屋だということを突き止める。大蔵屋の主人は人前に姿を見せず、前身は誰も知らず、小金を元手にあくどいこともしながらあっというまに身代を築いた。そして、どうやら出身は越後らしい。妙音菩薩は瞽女の守り神であることから、大蔵屋の主人こそが娘の仇・弥蔵なのではないかと調べだす。

 冒頭は山田五十鈴の舞台公演の楽屋裏から。「津軽三味線ながれぶし」という劇は実際にあるので、多分実際の公演とタイアップしたのでしょう。
 この話で特に面白いのは人間の揺らぎ方。超然として達人の風格のある仇吉でさえ娘の恨みを叩きつけるようなじょんがら節に動揺したり、悪人のはずで、実際さんざんあくどいことをしてきた大蔵屋が罪の意識に脅え、夜もろくろく寝られず、菩薩花火まで行っている。上がる花火を、数珠を携え両手をあわせておがみ、菩提を弔う大蔵屋。そして最期に死にかけながら 「越後から、出て来ねばえがっだ……」と後悔の言葉をつぶやく。悪党だが、大蔵屋も大きななにかの犠牲者だったのだろう。
 殺しのシーンはユニークでもあり鬼気迫る。天平は打ち上げ花火の筒の中に相手を放り込んで打ち上げ笑わせるが、当の大蔵屋は左右から時次郎と藤兵ヱが押さえつけたところを、仇吉が導いておゆうに匕首で刺させている。 これほど鬼気迫るシーンも珍しい。
 弥蔵を演じたのは名優岡田英次。登場シーンは少ないながらも、そのわずかな登場シーンで複雑な弥蔵の内面を表現しきっている。
 次回、月曜の放送は「賭けるなら女房をどうぞ」。これもまたユーモラスで哀しく、印象深い話である。よろしければ、どうぞ。

[その他] 貴女に似ぬ女(ひと)

 久しぶりに、多分二年ぶりくらいに知り合いの女性と再会する。
 けど、あれ? こんな顔だったっけ? 確かにその女性(ひと)なのだが、なんというか、目は離れすぎてる気がするし、久しぶりということを加味しても、記憶ではもう少し美人だったと思ったのだけど。
 顔の特徴やパーツは確かに記憶どおりなので、なぜこんな記憶の印象との齟齬が起こったのだろうと考えたが、思い当たったのは、実は自分がその女性に惚れていたのではないかということ。自分ではそうは思ってなかったのだけど、それ以外に理由が思い当たらない。やはりこういうところ、自分はどうしようもなく鈍いなぁ。

 夕べ「DearS」が流れてたのでなんとなく見ていたが、新谷良子は何を演じても新谷良子だなぁ。どんな素材にも醤油をだだかけて醤油味にしてしまうが如く。
 あ、そういえば来週のギャラクシーエンジェルで村上幸平が「カイザ・ムラカミ」として登場。見逃さないようにしないと。


2004年08月29日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 気力の穴

 突然、なにをする気にもならなくなるときがたまにある。昨日はそんな日。じっとしていればいいのだろうが、暇を潰す気力も、寝る気力も消えうせるのだからたちが悪い。元から気力に満ち溢れているというわけではないのだが。
 幸か不幸か、済ませねばならない用事があって身体を鞭打って職場へ。基本的には待つだけの、集中力を必要としない作業なのでこの状態でもなんとかこなせる。
 作業が終わり帰宅。途中で飯を食って、切らしてた酒の買い置きを補充する。その時に買った日本酒の「瀧澤 幕末づくり」が味が濃くって美味しい。江戸の人々というのは実は結構酒好きで、一晩の消費量は一人頭およそ二合だったという。しかも、普通は生のままで出さずに水で薄めていたので、実際に店頭に出されて飲む量はそれより多い。水で薄めた酒なんて、と思っていたが、これだけ濃いと水で薄めても大丈夫だと思ってしまう。氷を浮かべて冷やして飲んでも、味の輪郭がぼけないのだもの。
 この酒を飲んだお陰で気力が多少復活。まったくもって「酒なくてなんの人生ぞ」。

[ドラマ][時代劇][アニメ][特撮][その他] コンテンツ商売

 いや、こういう「コンテンツ」が正しい意味でも、正確に範囲を規定できるものでもないのは知ってるけど、敢えて。
 「アメリカンヒーロー」のDVD−BOX1が届き、1話・2話を見る。いや、懐かしい。結構記憶があやふやだったけど、雰囲気とか、面白さとかは、多分記憶で美化されてるからじゃないと思う。まあ、特撮がしょぼいのは時代を考えて割り引かなきゃいけないけど。
 知らない人に粗筋を説明すると、冴えない中学教師のラルフ・ヒンクリーがある日UFOから「地球を守れ」とスーパースーツを渡されるが、説明書をなくしてしまい、使い方も良くわからぬまま相棒のFBI捜査官ビル・マックスウェルと騒動を起こしつつ事件を解決する、というもの。「中」のマークの入った赤い全身タイツにマントというスタイルは、あからさまに「スーパーマン」のパロディ。でも欠陥だらけの等身大ヒーローというところがこのドラマのオリジナリティであり面白いところ。ある世代以上では良く知られた作品だったが、これが初のソフト化になる。ただ、ちょっとソフトの値段がやや高い気がするのと、ブックレットなどのオマケが一切ないのは、作り手に愛が足りないかも。「俺がハマーだ!」や必殺シリーズのDVDと比べるとやはり作りでは見劣りしてしまう。
 まあ、それはさておき、おそらく「アメリカンヒーロー」を作られた時代というのは、このようにソフトを販売することが商売になる、ということはあまり考えられていなかったと思う。もっと大昔は、再放送ですら考えられていなかった。VTRのテープが高価であり、放送が済むと上書きして再利用していたのだ。このようにして、「ひょっこりひょうたん島」や「てなもんや三度笠」などの名作が二度と視聴者の目に触れることがなくなった。ひょうたん島は後にリメイクされたけど。
 もったいないと言えばこれほどもったいないこともないのだが、当時はそれが当たり前だったのだ。作られる番組は一回きりの消耗品でしかない。そういう時代だったのだ。
 時代が下るともう少し状況が変わる。再放送が行われるようになる。全般的な契約形態は良く知らないが、アニメなどでは、一定期間内にある一定回数、放送しても良い、という形だったそうだ。この時期になると一回こっきりの消耗品という考え方ではなくなるが、それでもそれをビデオなどのソフトとして一般販売する発想はない。そもそも家庭にビデオデッキ等の機器は普及していなかった。それが普及するようになって初めて、ソフト販売が行われるようになる。無論、最初は映画とかだったけど。
 その後、レンタルビデオが普及し、一本一万いくらかとかだったそういうソフトの価格が様々な要因で下がり、最初からそういったソフト販売を当てこんだ商法が一般化し、現代に至る。
 長々となんでそんなこと書いてるんだという感じだけども、要は、「ソフト販売を当てこんだビジネススタイルを前提にしているが、果たしてそれに相応しいソフトが本当にそれだけ生まれているのだろうか?」ということ。
 これには二つの疑念が含まれている。一つは、今のドラマ等の「コンテンツ」が昔のものより薄くなっているのではないかということ。しかし、これを客観的にきちんと立証することは出来ない。個人的には、たとえば初期必殺シリーズが何年連続で内容の濃いシリーズを作っていたかで、自明と思えるのだが。
 それが事実かどうかをさておいても、二つ目には、過去全体のコンテンツの価値を現在の単位期間内に作られているコンテンツの価値に仮定して、ビジネスモデルを構築しているのではないかという疑惑。まあ、単純に言えば、「過去」というのは蓄積であるが、蓄積であることを忘れてソフト化する価値があるものが期待通りに生み出される、という前提がどこかにないかということ。この辺は実際どうなのか、わからないけどね。
 ただ、マーケティング至上主義はもういいかげんやめにして欲しいと思うこともある。少なくともそれ一辺倒では、「大衆の嗜好」は反映できても、「大衆の願望」の深いところまで突っ込んだものは出来ない気がするのだが。


2004年08月30日(月) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 賭けるなら女房をどうぞ

 必殺からくり人 第三話。
 博打好きの魚屋・伝次は店ばかりか女房まで賭けて、負けてしまう。女房は女郎屋に売られ、早まった真似をしたことを後悔した伝次は自殺までしかける。そんな彼に、女房を身請けする金を稼ぐ美味い話があると持ちかけてきた男がいた。
 時次郎は伝次が女房を借金のかたにしてしまったことを知り心配するが、当の伝次の様子がおかしいのに気付く。坊主のように頭を丸め、地方へと旅に出てしまったのだ。
 伝次の奇行に裏を調べると、糸を引いているのは曇り一味。下野の戸田藩が財政の窮乏を救うために、意図的に藩内に一揆を起こし、米問屋備前屋と組んで米相場を操ろうとしていたのだ。しかし、一揆が長引けば幕府からの咎めがある。そのため、曇り一家が伝次を生き仏に仕立て上げ百姓たちを煽らせ、一揆を起こさせた後に適当な時期に始末させようというハラなのだ。
 伝次を救うため、時次郎はなんとかこの狂言をやめさせようとするが、曇り一家が仕組んだ偽の奇跡に伝次はいい気になってしまう。ところが、なんの間違いか伝次は本当に奇跡を起こしてしまい、曇り一家も伝次と一揆衆に手を焼くようになる。

 偽の生き仏を演じた男が、本当の生き仏になってしまう悲喜劇が描かれる。時次郎が知己の伝次を救おうとするが、伝次自身が自分の偽りのカリスマ力に酔ってしまい、聞く耳を持たない。しかし最後には本当に民衆の為に身を捨ててしまう。この人間性の奇妙を、古川ロックが俗物と偽聖人の両面を演じ分けている。結局は、偽聖人ではなく俗物の伝次が百姓たちを救ったのだ。
 黒幕の戸田藩家老も欲に目がくらんだ悪党ではなく、藩の窮乏を救うために最後の手段として行っている。年貢の取り立ても、手心を加えようにもできる状況ではない。そして、城下に一揆が押し寄せることがあれば一人残らず撃て、と自分の名で命令すらくだす。最後は一揆の責任を取るため、また藩の借財を帳消しにするため、自ら腹を切って果てる。この辺は調所笑左衛門を思わせる。
 伝次の受け取るはずだった五十両と下野の百姓たちのための金を、仇吉が備前屋から巻き上げたのが唯一の救いか。悲劇の上に成り立った茶番の喜劇だが、喜劇が終われば、悲劇だけが残る。
 あと、からくり人は全十三話だが、今回は第十一話「私にも父親をどうぞ」が未放映になるそうな。仇吉の過去の演技がかなり良い話なのだが。第十二話「鳩に豆鉄砲をどうぞ」と最終回「終わりに殺陣をどうぞ」が連続して流されるのは良いが、やはり全話放映して欲しかったなぁ……
 明日の「息子には花婿をどうぞ」には、アニメ・特撮ソングで有名なささきいさお(当時佐々木功)が意外な役柄で登場。また、原泉がこれぞ鬼婆! というような演技を見せている。これにくらべれば菅井きんは天使だ。なんで昔の役者さんはこんなに濃いんだろう?

[その他] 話が通じない

 同じ日本語で話してるはずなのに、言葉は通じても話が通じない、ということがある。これまでもそういうことはたびたびあった。でも、相手と話の通じない理由、なにか土台の違いは感じていた。そういうものだと思っていた。
 すいません。思い上がりもいいところでした。実は違う言葉を話してるんじゃないかってくらい、まるでエイリアンと話をしているような、話がまったく通じない相手というのも世の中にはいたんですね。きっとソラリスの海ってのはこういう存在に違いない。
  少佐VS北海道 (フラッシュ)。なんで素子とマリモ? と思わずにはいられないが、とりあえず見るとどこかにふらりと出かけたくはなる。でも、なんで素子とマリモ?


2004年08月31日(火) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 息子には花婿をどうぞ

 必殺からくり人四話。
 花乃屋仇吉の元にさらわれた子供を取り戻してくれ、という女が訪れる。誘拐犯はある旗本屋敷に逃げ込んだが、夫婦がそのことを屋敷の者に言ってももけんもほろろの対応で、奉行所に届け出た夫は逆に言いがかりをつけたと江戸所払いになってしまう。江戸に残った妻はやむなく仇吉を頼りにしてきたのだ。
 なぜ旗本が長屋住まいの夫婦の赤子を? と疑問に思う仇吉だが、調べればその家は大身二千石の安斉家。赤子は世継として育てられているという。依頼人は貧乏人の子として育てられるよりは、と喜ぶが、仇吉はなにかが腑に落ちない。実は時次郎が先日、いつもどおり枕を売り歩いていたところ、その家に招かれ、奥方様としとねを共にしたという。しかも何故か姑の久もそれを知って見知らぬ振りをしていた。  そんな折、何者かに追われ花乃屋に飛び込んできた陰間(オカマ)の夢三郎が、花乃屋に出入りしていた天平に一目惚れしてしまう。挙句、百万坪の埋立地にある天平の小屋にまでおしかけてしまう。密かに天平に惚れているとんぼは気が気でない。しかしもう一人、その様子を嫉妬に燃える目で見つめる若侍がいた。誰あろうことか、それこそが安斉家の当代・利正だった……

 今回は男同士が心中する「紫心中」を題材としている。今回は現代からの導入はなし。
 佐々木功がゲストとして出てるわけだけども、役どころはなんとまあねぎまの殿様ならぬ陰間の殿様。夢三郎に岡惚れし、天平を恋敵として殺そうとまでする。必殺仕置人にゲスト出演したときには辻斬りをする主君をいさめることも積極的に荷担することもできず、挙句身代わりとして牢内に送り込まれる気の弱い若侍を演じていたっけ。どうも必殺ではどこかなよなよとした役どころが当てられているよう。一応、妖術武芸帖って時代劇で主役を張ってたこともあるはずなのだけど。
 陰間茶屋について娘らしい好奇心丸出しで藤兵ヱに質問するとんぼと(つってもジュディ・オングは当時28歳なんだけど)、他人事のように(他人事なんだけど)適当に答える藤兵ヱの姿も面白い。
 しかし、この話で一番目立っているのは安斉利正の母・久を演じる原泉。家名存続の鬼となり、女に興味がない利正に代わり嫁をそこいらの男に抱かせて妊娠させようとしたり、子供をさらってきたり、挙句、子供を産まない嫁を殺してしまったりする。この躊躇のない鬼婆ぶり。それでいて鏡に向かって唇に紅を引くシーンなど、とにかく演技が鬼気迫る。おそらく彼女も「家」という制度によってここまでゆがめられたのだろうが、だからと言って同情は微塵もする気にならないほどの演技なのだものなぁ。さしもの山田五十鈴も、この圧倒的な悪の存在感に一歩譲る。
 また、初めて出来た子をさらわれ、殺され、夫も所払いにされ、仇吉に依頼する金のために身まで売る妻も、こぎたないおばさんなんだけど、張った乳を絞って川に流すシーンが端役ながら印象に残る。
 オカマの夢三郎に追いまわされる天平は、必殺仕事人Vのオカマに追いまわされるひかる一平を連想させる。そういや、必殺必中仕事屋稼業でも知らぬ顔の半兵衛が幼なじみのオカマの十手持ちに追いかけまわされてたっけな。永遠のパターンってことか? とばっちりを食ってまた小屋をふっとばされるけど(シリーズで何回爆破されてるんだ?)。夢三郎もやっぱりとばっちりで、別に悪いことをしてないのに死んでしまう。ちょっと哀れ。あと、夢三郎の陰間茶屋に天平を行かせようとするのを聞いて、嫉妬丸出しにするとんぼも可愛い。夢三郎は結果として事件を振り回すのだけど、最後に天平が「いい女だった」と回顧するのが納得できる。
 からくり人はどの話をとってもドラマの質が高いが、この話もそう。キャラクターが皆深い陰影を持っている。
 次の話は、「粗大ゴミは闇夜にどうぞ」。ゴミ回収業の利権と不法投棄が絡んでくる。今も昔もその辺の問題はあまり変わっていないようで。

[その他] 箱乗り

 今日、帰りがけに箱乗りしているバカを見る。この現代で箱乗りしてるバカなんて初めて見た。つか、箱乗り自体初めて見た。いや、事故っておっちぬのは勝手だけど、人に迷惑かける死に方はするなよ、とか思う。
 迷惑な乗り方というと、今日、やたらと携帯でメール打ちながら走ってるバカが多かった。こういった連中はバシバシ取り締まって、というか、問答無用で射殺しても構わないけど(体の骨が弱ってる老人とか体の小さな子供とぶつかって取り返しのつかないことになったらどうやってお詫びするつもりなんだ?)、歩行者もなんだかなぁってのが多い。わざと道を塞ぐように歩く、メール打ってて回りを見てない、頑健そうなのにやたらとふらついてる……自転車は危険だから回りを注意するのは当たり前だけど、だからって歩行者が好き勝手していいってことでもないんである。まったくもう。