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2003年03月21日(金) 旧暦 [n年日記]

ヤカンの穴

 どうもヤカンに穴があいているようだと思い、内側から透かしてみたら、三箇所ほどポツポツと星のような光の漏れが。うーん。このヤカンも使ってずいぶん長いからなぁ。昔(数十年前)ならば鋳掛屋さんに頼んで穴をふさいでもらうのだろうけど、今は鋳掛屋さんなんていないからなぁ。鋳掛屋さんってのは、「しろめ」と呼ばれるハンダのようなもの(ハンダは錫と鉛の合金だが、しろめは銅と亜鉛の合金)を使って鍋や釜の穴をふさいで修繕する、という仕事。「新必殺仕置人」の未代松の仕事がこの鋳掛屋だった。今では鍋も釜も安価なものになってしまったので、こういう仕事もなくなってしまった。修繕できるものなら修繕して使いたいのだが……
  全日空のシステムでトラブル。150便が欠航 ( 朝日新聞 )。いや、実は日曜から学会で福岡に行くのに、飛行機使わないといけないんですが……以前 /.JP でも取り上げられていた NECのシステムのバグによる航空管制障害 といい、ちょっとトホホだなぁ。
  ハナカワ書房ってナニ?  いかがわしい名前でいいなぁ。
  「うしのこえ」flashアニメ 。「毛利軍娘」って何かと思ったら、「モーニング娘。」とかけてるんですな。しかし ROBOT 、相変わらずよくわからないことしてるなぁ(映画「サトラレ」とか作った会社です)。
  山田風太郎忍者籤 。「忍法帖」シリーズは全部は見てないです。
  実は全然別予算になっていない情報収集衛星 ( 日系BizTech )。人材を横取りしてる上に予算全体も圧迫しているというあたりに、霞ヶ関のお歴々が宇宙開発についてどの程度の考えなのかがよくわかりますな。
  OHPさんの3/19のチャンピオンRED五月号の記事 で、神谷みのる氏が「何年もマンガを描いてなかったはずなのに」ってのは、「プラレス3四郎を」ってことなのかな? 戦記物の「不沈戦艦紀伊」とかもやってたし、コミックボンボンなどでもポツポツ描いてたらしいんですが……う〜ん。
  んーと 、二枚舌っつーかダブルスタンダードっぽくてアレなんですが、日本政府が米国支持をするのは至極当然であり、むしろ国益を鑑みれば当然で賛成であるが、個人的には米軍の戦争の起こし方は反対、という感じです。前者の場合は国家という利益共同体の一員としての判断で、後者はごく個人的な感慨ですね。日本が米国支持ってのはどう考えてもそれ以外の選択肢はありえない(まあ、尻尾の振り方がやりすぎか? と思うときもあるけど)、別に国家が戦争を支持するという判断をしたから個人としても全力でそれを言論的にも支持しなきゃいかんとかは私は思ってないし、よ〜ちゃんもそういうことを言ってるんじゃないと思いますが。私は戦争を止めようと思ってるんでなく、どちらかと言うとむしろ「こういう戦争の起こし方をスタンダードと思われてはたまらない」というアピールですね。ちなみに「戦争で死傷者が出ること」については、(そりゃもちろん感情的には嫌だけど)今回は出来るだけ排除して考えてます。イラクのような政治的に複雑な構成の国では「国民はこう望んでいる」なんてのは、一元的に簡単に言えるわけはないですしね。
 しかし、民法の戦争の報道はどうもなぁ。BGMをかぶせて爆撃・砲撃のシーンを見せられると、まるで作り物のように見えてしまう。一昨年の9.11テロの直後、伊藤明弘氏が連載誌のコメントで「どんな衝撃的なニュース映像も、BGMをかぶせるとフィクションのようになってしまう」と言っていたけど、BGMとはそもそも作り物の世界で、情緒を動かし本物に近い情動を与えようとして使われるもののはず。現代日本人の感性はそういう必要のないはずの「本物」ですらも感情を動かされないほど、鈍化してると思われてるのだろうか? ひょっとしたらそうなのかも。


2003年03月22日() 旧暦 [n年日記]

CALLING YOU

 イラクへの軍事活動と同時にバグダッドへの誘導ミサイルによる爆撃が行われてる昨今、バグダッドと言われて思い浮かべるのは実は「 バグダッド・カフェ 」くらいだったりする(ドイツ映画で、アメリカが舞台だから全然イラクとは関係ないのだけど)。そのくらい、心理的には遠い国なのだけども、しかし、昼日中に警察が注意を呼びかけながらパトロールしたり、通勤に使う地下鉄の出入り口に反戦の手書きポスターが貼られてたりすると、遠いとは言っても、ある意味地続きだということを意識せざるを得ない。
 この戦争が良いことなのか悪いことなのか、そりゃ終わってみないとわからないのだけど、おそらくは早くに終わることが殆どの人にとって良いことであるとは思う。今はただ、そうなることを祈る。起こった以上、それより外にはできることはない。
 しかし、 こんなときこそタマちゃん 。日本って平和だねえ。主に頭の中が。
  奇妙な理論1 を読み終え、 北朝鮮のスパイ戦略 を読み始める。北朝鮮に関しては、アメリカもとりあえずイラクが片付くまで一切無視、と公言してるけども、この間だからこそ読んでおこうとも思う。イラクが短期決戦で済むとは限らないのだけど。
 日本国内では(何故か)ほとんど報じられない北朝鮮のスパイ活動について、トピック的に拾うだけでもかなり興味深い。フセインについてもそうだけど、あまり、我々の常識で「こうはしないはず」とか考えない方がいい人種、特に「独裁者」という人種がいることは知っておいたほうがいいとは、思う。レッテル貼りをしすぎることも、疑心暗鬼になりすぎることもないのだけど。
  奇妙な理論1 は、特に教科書的に対トンデモ理論の対策を立てているわけではないが、書かれた時代(1952年)を考えれば、数十年経てもある種の人間の飛びつく理論なんて、そんな大差ないのだなぁ、と思い知る。まあ、一読して損はないのは間違いない。
 あ〜、ひとつ、言わねばならないことがあったっけ。先日「とても短期で終わるとは思えない」と書いたけども、それはあまりに悲観的すぎる見解でした。真に受けてしまった方、すいません。でも、どうなるかは本当にまったくわからんのだよなぁ。
  秋田県、ブラックバスの再放流禁止を決定 。まあ、難しい部分はあるとは思いますが、原状復帰が第一義、という判断なんでしょうな。
  讃岐うどん、上海にまで進出かよ!? 大阪在住の先輩と、四国出身の後輩に讃岐うどんの美学について、こないだとうとうと説得されたわけですが……しかし、上海進出はどうかなぁ。
 NHKで松本重太郎なる人物のドラマを宣伝していたので、ちょっと調べたら こんなサイト が。「西の渋沢栄一」と呼ばれた人物で、日露戦争時の紡績産業への締め付けに、あおりで潰れそうになった融資元銀行の倒産を救うために私財を投げ打った人物とか。ちょっと興味が出てきた。


2003年03月23日() 旧暦 [n年日記]

学会だ、学会

 と約一名に向けて世界中に恥発信。ってワケで、ここ数日日記の更新速度が落ちます。じゃ、これは何なんだというツッコミは却下。(もう少し早いノートが欲しくなってきた……)
 ネットでの知り合いのT原さんから「福岡まで来るんなら」と連絡を受けて、あちこちを案内していただきました。本当にありがとうございます。いや、なんでヲイラごときがこんな好意を受けられるのだろうと、ときどきものすごく疑問に思うときがあります。世の不条理かもしれないけど、ありがたいことです。
 で、以下はいつもの調子で。
  キングゲイナー の最終回。「ゲインオーバー」。2chあたりでは微妙な反応が多かったけども、それもわからんでもなかったり。もし、頭空っぽにして見ていればこの上なく無意味に楽しい話だし、そうでなければ伏線無しに出てくる ブリュンヒルデ やら ジンバ やら 巨大化ゲイナー やらに「ハア?」となるだろう。頭空っぽにしてと言ってるにもかかわらずあえて理屈的な弁護を展開すると、「エクソダス」とは態度であり、生き方であり、姿勢である。したがって、「ヤーパンに到着すること」がエクソダスの完了ではない。エクソダスはずっと続くのだ。富野監督は演出の人だからそういう行動的な面に注目して見るのが、多分一番楽しめる。つか、途中退場して生死不明だったザッキやらヤッサバ隊長やらも出てきたのが嬉しいのだけど。意地の悪い見方をすれば、「映像の原則」にあった「どうしてもまとまらない場合は最後に登場人物を総登場させてしまえばなんとなくまとまる」を実践してると言えなくもないが、まあ、その辺の判断は見た人におまかせ。
  ファイズ は、前回で新しい目的を見出したかのように思えた巧と勇次。しかし、勇次の「人間をオルフェノクから守りたい」という言葉に、海堂は「むしろ人を襲う側になりたいね!」とうそぶき、飛び出していってしまう。一方巧と真理はスマートブレイン社の社長から呼び出しを受けるが、そこにいたのは真理の養父ではなく、見知らぬ男だった。失踪した真理の養父に代わり社長になったという男の求めに応じて、渋々ファイズギアを返却する巧と真理。せっかく見つけた目的が思うようにならない現実に、巧はどこかうつろそう。そんなとき、頻出する空き巣対策にと啓太郎に駆り出された巧はオルフェノクに遭遇するが、そこにファイズが駆け付け、オルフェノクを撃退する。その新しいファイズが変身を解いた姿は、勇次の元を飛び出した海堂だった……
 思うようにならぬ現実と何者かの欲望が錯綜し、舞台はまるで誰かの思うままに操られているよう。スマートブレイン社の新社長の目的は、海堂はどうして新しい「ファイズ」になったのか、そして予告に出た新しい仮面ライダー「カイザ」の位置づけは? 物語は新しい局面を迎え、目をはなせない。あまり海堂には不幸になって欲しくないとは思うのだけど……
 メモっぽく、3/29にクレしん劇場版「アッパレ!戦国大合戦」が放映。まだ見たことのない奴は取り敢えず見れ!


2003年03月26日(水) 旧暦 [n年日記]

博多はおいしゅうございました

 え〜、世間様では「学会」というとしゃちほこばってどーでもいいような話をわざと難しく喧喧囂囂してたり、「ゴジラは本当にいるんだ!」と主張してつまみ出されたり、キチ○イ博士が復讐したりするものだと思うかもしれませんが、それだけじゃなくって学会ってのは酒飲みの場でもあります。日本全国から顔見知りが年何回かの機会で会うわけで、これで飲まないわけがない。ってわけで、学会三日間、つか、飛行機で帰る直前まで飲んでました。うー、肝臓やられそう。
 ウチのボスは福岡出身で、ことあるごとに「博多の人は人情に篤い」と言ってるんですが、それが言い過ぎじゃないと感じることが何度か。確かに住みたくなるくらい良い街なのだよなぁ……むむむ。
 福岡についた初日はT原さんに飲みに連れてってもらって、二日目はグループディナーの後研究室の人たちと屋台へ。三日目は昔の研究室の連中とすきやきを食べに ちんや へ。「え〜、魚食べたい〜」と最初ぶーたれてたんですが、ここがお肉屋さんがやってる店で、マジで美味いんですわ。ちとびっくり。で、今日は飛行機の時間直前まで天神の居酒屋でO内さんとかM瀬君とかと飲んでました。そんなんであちこち引っ張りまわされたんでT原さんが教えてくれた店とかもあまり行けなかった……残念。ま、とりあえず食いすぎだから明日からはダイエットですな。
 学会中は移動とかなんやらでわりと積読の消化が進んだり。とりあえず 奇妙な論理II李歐北朝鮮スパイの戦略ルナティカンキャラクター小説の作り方 を読了。感想はボチボチ。
 録画しておいた ぷちぷり*ユーシィ の最終二話を見る。同じ GAINAXまほろまてぃっく の最終回の噂を聞いていたのでとんでもないラストになるのかと期待……危惧していたのだけども、王道とも言えるような綺麗な終わり方でびっくり。つか、初代娘ですか!? わかる人にはわかるネタなんだけど……
 イラク戦はまもなくバグダッドでの本格戦闘に移る模様。これまで行動から考えてフセインが市街戦前に投降したり大々的に逃亡したりということはまずありえない。市街戦はおそらく必至だけども、この戦争が早く終わるか否かの正念場でもある。戦争が長引けば敵味方問わず被害者もどんどん増えていくし、戦後処理も複雑化していくだろう。一日も早い米英軍の勝利を祈るほかない。
  天本英世氏死去毎日新聞 )。死神博士で、スペイン好きで、アナーキストで、偏屈ジジイで、インテリで、怪優でした。 「ご冥福を」なんて本人が聞いたら鼻で笑い飛ばされそうなんで言いません。ただ、惜しい方を喪いました。


2003年03月27日(木) 旧暦 [n年日記]

やっぱり長期化か?

 昨日夜中にBS1のニュースを点けっぱなしにしていたら、アメリカの戦争賛成派の集会の映像が流れたのだけど、「正義」だの「民主主義」だの、いつもどおりの中身のない奇麗事の単語の羅列だったのはさておいて、演説の内容が戦争の長期化をほのめかすものになっていたのが目立った。都市戦になれば市街戦にしろ篭城戦にしろ、長期化しやすいのはやはり避け得ないんだろうか……市街戦はできれば避けたいところだろうなので、篭城の形になる公算が高いが、物資の補給、特に食料の補給が絶たれた状態での篭城は市街戦とは別の形での地獄絵図になる。いずれにしても、戦争の「人道」とは程遠い部分が表に出やすくなると思う。市民を市外に脱出させられるならいいが、イラク側も「盾」である市民をそうそう外には出さないだろうし、むずかしいことには違いない。なら。今すぐ中止すべきなのか。戦争はいけないことだし、おこしてはいけない。しかし、だからと言って戦争がなければ即皆が手を取り合って仲良しになるわけでもなく、「戦争反対」が意味のない言葉であることすらある。言葉なんぞ、所詮は言葉だと思い知らされる。
  北朝鮮スパイの戦略 。日本ではあまり報道されることのない北朝鮮におけるスパイ事件の代表的ないくつかを潜入方法から紹介している。驚くべきは、アラブ系に近い顔立ちをしたスパイがアラブ系フィリピン人として韓国内に潜入、韓国内のアラブ世界研究の権威にすらなっていたという事件もあった。大抵、緻密を通り越して病的にすらなってしまった行為は失敗し、醜態を晒すことになるのだが、ごくごく稀にそれがうまく行ってしまうことがある。そうなった場合には、喜劇じみた悲劇が展開されることになる。多かれ少なかれ、どんな国にも暗部があるのは事実ではある。が、北朝鮮は国家の規模に比して、その闇が深すぎる。「太陽政策」なんて言っているけど、そんなのは現体制下では体のいい政治工作の方便でしかないと思う。もっとも、これは日本もあまり人事ではない。何故なら、韓国のスパイ事件はかなりの数が一旦日本を経由して潜入したものだからだったりする。対岸の火事ではなく、こっちにも飛び火してるのだ。
  偵察衛星の打ち上げって来月以降かと思っていたら、実は明日だったのね京都新聞 )。ロケット打上げにはいつもワクワクしている私だけども、今回ばかりはちと複雑な心持ではある。必要性と国内政治上のあれこれ、そしてそれが必要とされる近隣諸国の情勢。当たり前の話だけども、宇宙開発もビッグプロジェクトである以上、政治の世界とは無縁ではいられないことを思い知らされる。
 しかし、気付くとこの春の新番組、 ワンダバスタイル宇宙のステルヴィア と、何気に宇宙ものが多い気が。だけど、なんつか、なんだかなぁ。
  戦後補償を求め、個人で提訴していた二人の韓国人、敗訴確定へYahoo! )。よく、韓国の方が「戦後補償の件は日韓基本条約で済んでいる」と言う言に対し返す言葉で多いのが「個人の請求権は消えていない」というものなのですが、「請求権がある」ということは、「日本政府に支払い義務がある」ということでは実はありません。遺失物を拾って届け出たときに、拾った遺失物の1割程度の謝礼を要求する権利がある、とよく言いますが、実はそれも「謝礼を要求する権利がある」だけで、「謝礼をする義務がある」わけではなかったりします。まあ、言葉というものには気をつけねばならないでしょう。つか、実は韓国内では日韓基本条約が、意図的にかどうかはともかく、あまり知られてないらしいという信じがたい状況みたいなんですけどね。
  静岡でTSUTAYAに件推薦の映画コーナー設置中日新聞 )。あー、なんつか、「県推奨」なんて看板が掲げられてても見るのか? 少なくとも私はむしろ食指が伸びないがなぁ。
  うででん は、まあ、無難な終わり方。途中で盛り上がった期待ほどではなかったかも。もっとも「ダメ」と言うほどではないし、軽く見流せる出来ではあったけど、ある水準以上では作っていたとは思う。けど、やはり惜しかった気がするなぁ。
  WOLF'S RAIN は相変わらずマターリマターリ進行中。狩人の犬に過ぎないと思われていた「ブルー」が、実は(やっぱり)狼の血を引いていると判明。こういうトリックスターが、どう物語を引っ掻き回すかが楽しみである。つかワシってトリックスター的存在が好きなのかなぁ。


2003年03月28日(金) 旧暦 [n年日記]

ギョームれんらく

 多分いないと思うけど、28日21時から29日0時までにメールをくださった方がいたら、ご連絡ください。間違って読む前に消してしまった……こんな間抜けなことはあるまいと思っていたのに。
 ウチの職場はボスが退官ということで、年度の変わり目になんやかやとトラブルがなければいいなぁ、と思っていたのだけど、やっぱりあったのですよ。まあ、いろいろと。で、まあ色々緩衝材になればいいなぁ、と、自分の出来る限りのことをやったつもりではあるけど……火に油を注いだだけかも。そういうのを無視しきれるだけ強い人間ならいいのだけど、私はそうではないからなぁ。
  情報収集衛星の打上げ、成功産経新聞 )。いつもあるネット上でのライブ中継もなかったり(やはり保安上の問題かしらん?)、打上げられた情報収集衛星の存在意義自体への疑問もあったりと、衛星の意義について単純に喜べはしないのは一面ではあるけど、でも、今回もまた打上げに成功したのは素直に嬉しい。とても嬉しい。
 で、一方で 社民党、偵察衛星打上げを批判zakzak )なんてえ記事もあるわけで。まあ、社民党が言ってる辺りがアレですな。
  朝鮮民族学校卒業生への大学受験資格認可の方向で再検討?朝日 ) まあ、所詮はそもそも「あの」朝日の記事だ、って言えばその通りなんだけど、別にアジア系の学校への認可はこれまでもなかったわけではありません。韓国系の学校への認可は、実はありました。で、どうして朝鮮民族学校への認可が下りないかと言うのは、つまるところ「認可する評価のしようがない」、というのが実際のところなんですけどね。
 なんか、 NEWSWEEK で、 まだ出来ていないアニメ をやたらと持ち上げてるんだけど……韓国のコレ系の作品って、ビジュアルばっかりおっかけてて中身スカスカというのがこれまでのパターンなんだけど……韓国の作品でも、必ずしも中身のないものばかりではない。けど、どうも、「まず外見から」というところはどうしても目立つ。世界的に見れば、そういうのは「デッドコピー」って言うんだけどねえ。ちなみに、NewaWeekは統一教会の資本が入ってるともっぱらの噂でつ。
  キャラクター小説の作り方bk1 )。大塚英志氏が、角川書店出版の「スニーカー」誌上連載にて、当の「スニーカー文庫批判」を始めたため、角川から出版できずに講談社現代新書から出版されたといういわく付の本。過激なキャラクター小説批判かと思いきや、本当のところはかなり実用書的な書き方をされている。ただし、「途中までは」という但し書きが付く。「戦争の描き方」のくだりから、かなり突然に(実際にはその前の「死の描き方」からその伏線は貼られていたのだが)、大塚氏の思想展開が始まる。書の中に引用されている、「ワイルドバンチ」製作記者会見でのアーネスト・ボーグナインの言葉「お嬢さん、人間は撃たれれば、血が流れるものなのですよ」という言葉は、私も尤もだとは思うけども、小説なんてのは娯楽である以上、その描き方は千差万別であり、撃たれて血が流れるものがあってもよければ、流れないものもあっても良いのだ。戦争を描くときに「血を流れる描写を『せねばならない』」というのは、それまでのかなり実利的な記述と乖離して、大塚氏による思想の臭いを感じる。それは、最後の章の「文学」に対する「キャラクター小説」の位置付けでも同様に、筆者による思想的誘導は感じずにはいられない。しかし、その点を除けば、かなり良い出来であるとは言える。新しいスタイルを提示するクリエイターではなく、自身のやり方を、既存のものの組み合わせや調整でものを生み出す「アレンジャー」のものであると理解した上で、クリエイターへの尊敬を失わず、かと言ってアレンジャーを持ち上げるでも卑下するでもなくそのノウハウを分析する姿勢は好感が持てる。それが、最後まで続いていてくれたらなぁ。
 明日は「クレヨンしんちゃん アッパレ!戦国大合戦」放映。とりあえず見てないのなら見れ。


2003年03月29日() 旧暦 [n年日記]

五分咲きってところか

 今年もアパートの裏の桜の木に花が咲いて、ベランダに出ればすぐに花見が出来る状態に。ただ、花の咲き方自体はまだ五分咲きというところで、来週が多分花見シーズンになるんだろうなぁ。散るサクラ、残るサクラも散るサクラ。
 昨日の朝鮮民族学校卒業生への大学受験資格認可についての 資料 。まあ、各国での制度はこんな感じ。
  イラクの米英軍は、補給線にトラブルが生じている模様朝日 )。また、 バグダッドの市場にて誤爆?朝日 )というニュースもある。後者はイラクによる情報戦の可能性もあり、なんとも言えないのだけども、戦争なんてのは思い通りにいくわけがなく、その続々起こる予想外にどう対処するか、ということが重要だと思う。ひとつひとつは大局にとっては些細なことかもしれないが、長期化すればするほど、こういったことの積み重ねが無視できなくなってくる。しかし、もう賽は投げられたのだから、米英軍もどうにかするほかないだろう。
 今年のアカデミー賞アニメ部門は「千と千尋の神隠し」で長編ドキュメンタリー部門は「 ボウリング・フォー・コロンバイン 」だったそうだけど、「ボウリング〜」の監督が受賞のコメントで反戦演説をぶちまけてブーイングが起こったとか(授賞式は見てなかったのだけど。実に惜しい)。 こちら に受賞コメントがあって、これもなかなかイカス。もっとも受賞後の司会のコメントも「たった今、監督が会場裏から黒い車のトランクに詰められて連れ去られました……」というものだったとか。気が利いてるねえ。
 「千と千尋〜」は配給のディズニーが何故かアカデミー前までに数十館規模の興行しか行わず、自社製作の「リロ&ステッチ」などにアカデミーを受賞させるためではないかとか言われていたけど、そういった不利な要因を跳ね除けての受賞。めでたいのだけど、でも、「そこまでのものか?」と思う部分もないではないわけで。ただ、日本映画が「外国語映画部門」以外の賞を受賞したのは初めてのような気がする。その意味ではやはり偉業ではある。
  李歐 。ハードカバーで出た「わが手に拳銃を」を、単行本化に際してすべて中身を書き直した、実質新作とも言える。物語は大阪にある町工場をめぐる、一人の日本人の青年と、中国人の殺し屋の青年の関係を軸に展開される。町工場・拳銃・中国大陸、そして「必ず迎えに来る」と一彰に言い残し去る不思議な青年・李歐。主人公の一彰は一見何事にも熱がないように見える平々凡々とした人物で、殺し屋でゲリラの指導者でビジネスマンと正体のとらえどころがなく、それでいて周囲に強烈な魅力を発散する少女漫画の主人公のような李歐とは対照的に思えるのだけど、しかしこの二人は出会いから強烈に惹かれ合い、15年後、再会を果たすまで、全ての出来事はたった一つの約束を果たすためであるかのように巡っていく。その間にあまりに多くのことがありすぎ、多くの人間が通りすぎていく。しかし、だからこそ二度目の李歐との邂逅は、寂寥としつつも、清清しく、純粋で感動的である。この小説は出会いと再会に挟まれた、一彰と李歐という二人が駆け抜けた15年の時間の大河ドラマであると思う。
 サンデー超を見ると、どこかで見慣れた絵が……読みきりで描いている「東毅」氏って、「えんとっくん」氏じゃないんかな? なかなか面白かったです。
 「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」がテレビで放映。カットされた部分はあったけど、シーン丸ごと削られるようなことはなく、エンディングも削らずに流してくれた。何度見てもやはり良い。はやくDVD出してくれないかなぁ。


2003年03月31日(月) 旧暦 [n年日記]

花に嵐の喩えもあるさ

 飲んではハイに
  醒めては灰に
 飲もうぜ
  今宵、銀河を杯にして
 (神林長平「 今宵、銀河を杯にして 」)
 ってなもので、ボスが退官するのに併せて院生やらなんやら、去っていく人が多いので(てか、本当は私も去っていく人なんだけど)、慰労と言うか、お別れ会。去るといっても、ボスを含めて大体の人がしばらくはすぐそばにいるので、「生きてりゃ逢えるさ」ってな感じでしたが。一人、中国からの留学生のCさんが家庭の事情もあってすぐ明日には郷里の大連に発つということで、お別れがし足りなかったのが残念ですが。でも、大連も機会があれば行きたいのだよなぁ。
 大学院生の内の二人は実は名大本学(本学部?)の方に行くので、K研連中にも機会があれば紹介したいところなのだけど。こないだの学会のときは紹介し損ねて惜しかったなぁ。
 帰りには鶴舞公園に寄って桜を見て帰る。今はちょうど満開で見ごろなのだけど、個人的には少し時期が過ぎて、桜が散り始める時が一番好きだったりする。今、ベランダに出れば蕾が出て、膨らんで、咲いて、散って、というのがすぐ見える環境だからかもしれないけど、桜が散って、葉桜になるまでを見なけりゃやっぱり桜を見たという気にならない。桜の散り際が潔いとか、そういうことじゃない。散った後でこそ誰も気にとめないところで本領を発揮している、そんな気がするから……かもしれない。

  仮面ライダー555 #10。前回、スマートブレイン社の新社長に言われるままにファイズのベルトを返した巧。それ以降、啓太郎のクリーニングの仕事を手伝うにも、どこかぼーっとして手がつかない様子。そんな巧を気にしつつ、啓太郎と真理はクリーニングの配達先で結花と勇治にそれぞれ再会する。一方、新たにファイズになった海堂は、「人間を殺さないオルフェノク」を粛清する任を得て、一見生き生きとしているが、それでも人間であることにこだわる勇治に苛立ちを隠せない。結花は、どこかで無理をしているような海堂を心配し、「人間を守りたい」と言う勇治に反発こそしないが、彼女に声をかけてきただけの人間を手にかけていく。そして、地中の校舎に取り残された二人の工事員は、その学校の中に「園部真理」という名札のついた図画を目にする……
 井上脚本は目先の外連に囚われてドラマがダメになるきらいがあるのだけど、キャラクターの立たせ方、絡ませ方は本当に上手い。海堂は、多分一番人間を憎んでいるふうでいて、おそらく人間を一番憎みきれないのだろうし、勇治はいつ人間に失望するのだろうとハラハラする。そして、結花はそれが前面に出ていないとは言え、おそらくもっとも人間に絶望しているように見える。「負」の方のオルフェノク三人組に対して、今はその描き方が浅いように見えるが、巧、真理、啓太郎の三人がその三人の「負」の部分にどう引き込まれていくか、非常に目が離せない。 東映公式ページ を見ると最後の方にちらっと出てきた「カイザ」は、どうもオルフェノクの四天王的存在「ラッキークローバー」の一人「ジェイ」が正体らしいのだけど……予告でそのジェイの隣で飲んでた人、ひょっとしてアギトの北条さんですか?
  ギャラクシーエンジェル は、「えー、そういう終わりですか?」と言う感じ。シュールを通り越して、一周して、シュールに見えないところが、なんと言いますか……でも、世間一般的に言ってコレはやっぱ……
 「 ルナティカン 」(神林長平作)。「アンドロイドに育てられた少年」ポールを取材するため月を訪れたノンフィクション作家リビー。しかし、実はポールが月面市民に差別され、月面で生きる種族「ルナティカン」だと知らされ、彼の生い立ち、企業の広告塔にされるまでの事実を知らさていく……
 いわゆる「文明人」に卑下されながらもある意味もっとも人間らしい営みを築く「ルナティカン」を中心とした月世界の生き生きとした描写を下敷きに、子供が親に育てられていくということはどういうことなのか、親は理想的な親であることが一番大事なのか、家族を中心とした人間の営みとはなんであるのか、という疑問を投影していく。神林作品らしく、それらに明確な結論をつけられることはない。が、これもまた神林作品らしく、イマジネーションの世界の空気を呼吸する人々の生き様は、ある意味生々しく、結論を求められていないにも関わらず、やはり考えざるを得ない気になってしまう。
 強硬化していくイラク情勢を見て、少し食指を遠ざけていたステルス艦カニンガムシリーズ「 攻撃目標を殲滅せよ!(下) 」を読み始める。私自身、「フィクションと現実は別物」ということをポリシーにしようとしているにもかかわらず、やはりフィクションで描かざるをえない理想は、現実とのギャップをあまりに鼻先に突きつけてるようで、すぐに読む気にならなかったのだ。いや、本自体は大変面白く、作者の責任では微塵もないのだけど。
 ちなみに言えば、「短期戦では終わらないだろう」という予想も言ってみればまぐれ当たりみたいなもので、特に言うこともないです。
  小学生に聞く、イラク戦争アンケート 。子供は純粋で、正しく、そして残酷だと思う。大人が色々思い悩まねばならないことも、子供はずばりと切って捨てる。それは大体の場合は正論であり、実務的には間違いである。その二つの間で思い悩み、引き裂かれることが大人の義務だと思う。