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2002年02月01日(金) 旧暦 [n年日記]

メメント・モリ

 今日は映画の日だったので、三本だけ見てくる。「 ヴィドック 」「 レイン 」「 メメント 」を見た。
 「ヴィドック」。1830年のパリ、著名な私立探偵であるヴィドックが殺された。パリはただでも民衆蜂起の直前で、緊張した雰囲気の中に、そのショッキングな報が流され人々は愕然とする。相棒のミニエも酒浸りだが、そこへポワッセとなのる青年がおとずれる。彼はヴィドックの伝記を書く約束をしており、彼の最期の真相を知りたいという。ミニエにはすげなく断られるが、ポワッセは単独で調査をおこない、ヴィドックが最後に捜査していた事件を裏で操っていた謎の鏡の仮面の男の存在が浮かび上がる。
 正直、筋というほどのものはなく、オチも意外というほどでもない。基本的には「俺たちフランス人がCGバリバリでつくったら、こんなにもスタイリッシュになるんだぜぃ!」という以上の意味はあまりない。しかし仮面の錬金術師とヴィドックの戦いの効果はただの冴えないデブのおっさんのはずなのに、ヴィドックが妙にかっこよく見える手並みは流石。ちなみにヴィドックは、ヨーロッパでは有名な実在の人物らしい。1.5点。
 「レイン」。コンは耳が聞こえない。そのことで幼いころから差別をうけてきたが、銃の才能を見こまれて殺し屋のジョニーに殺しの技術を仕込まれる。だがそのジョニーも仕事中、大事な手に傷をうけたことでやけになり、恋人ともわかれて自棄気味になっている。そんなジョニーに、尽くしつづけるコン。コンと薬局の店員フォンとの間に淡い恋もうまれるが、ジョニーの元恋人がマフィアに目をつけられ無理矢理てごめにされる。怒りにくるったジョニーがそのマフィアに復讐するが、まずいことに、そのマフィアは彼らのボスの仕事仲間だった。
 基本的に、「タイでもこんなにおしゃれな映画がつくれるように(以下略)」という以上の意味はない……と思う。日本のトレンディドラマ風に殺し屋の映画を撮ったような感じで、悪くはないが良くもない、というところ。見所がない、というかキャラクターたちのつながりの深さが描きたらないように思う。やたらと「男たちの挽歌」が引き合いに出されるので何かと思ったら、一箇所だけ似てるシチュエーションのシーンはありました。でもそれだけだなぁ。1点。
 「メメント」。話は、主人公・レナードが一人の男を殺すところからはじまる。レナードは、妻の敵を探していた。彼の妻は強盗にレイプして殺され、彼自身も、そのとき強盗から受けた傷がもとで、古い記憶には問題がないが、新しく記憶することができず、数分程度しか記憶をたもつことができない。彼は妻のかたきを討つために、あの夜の犯人を追っている。覚えておくことのできない彼は、膨大な量のメモとポラロイド写真を自分のために残している。そして、もっとも大事なことは自分の身体にいれずみして残す。自分で撮ったおぼえのない写真、書いたおぼえのないメモをてがかりにおいつめた犯人、それが冒頭で殺した男、そのはずである。だが、本当にそうなのだろうか?
 物語は普通の時間のすすみとは違い、過去へ過去へとさかのぼっていく。目の前で見ている「結果」はわかっても「なぜそれがおきたのか」はわからないレナードと、視聴者は視点をおなじくすることになる。誰が本当のことをいって誰がうそをついてるのか? 殺した相手は本当にかたきなのか? それとも誰かにミスリードさせられたのか? 見終わったあと、うしろの席の女性二人組が「むずかしいむずかしい」としきりにいっていたが、べつにそんなむずかしい話ではない。オチは最後まで見れば明快だ。しかし、最後の最後まで展開を読ませず(登場人物たちにとっては「既に起こったこと」なのに)、ラストの落とし方も申し分なかった。前二本がいまいち消化不良だったぶん、非常に面白かった、とはっきりいえる映画だった。ネタバレをすると、 彼を陥れたのは他ならぬ彼自身 である。ミステリーとして見てもまったく見劣りしない一方、「記憶する」というあたりまえのことができない男の悲しみ、記憶は自分自身の証明であるということを「復讐」という行為で意図せず体現してしまう悲劇が描かれ、ドラマとしても良くできてる。2点。ちなみに、メメントで描かれている主人公のような記憶障害は実際にある症例である。記述もほぼ正しい。
 「メメント」にならってメモ。岡本喜八監督最新作「助立ち屋助六」の公開に合わせ、来週末からシルバー劇場で「岡本喜八特集」が朝一回の上映で行われる。上映は「独立愚連隊」「戦国野郎」「暗黒街の決闘」「どぶ鼠作戦」の四本。一本が千円で見られるってのがうれしいやね。特に「独立愚連隊」以外は見たことないので非常に楽しみ。
 あと、 Mozilla の0.9.8はいつ出るのだろう? 首を長くして待ってるんだけどなぁ。


2002年02月03日() 旧暦 [n年日記]

キムチを漬けてみる

 ったって、本格的なのではなく、単にキムチの基と白菜を混ぜ合わせたヤツ。市販のキムチはやはりそれなりのお値段なので、これでそれなりに食えるものができるか実験。アクセントにキャベツの一夜漬けも加えてみる。どうなることか。
 ガオレンジャーって今日で終りかと思ったら、まだ一回あったのね。
 先週で最終回を迎えた アギト (更新されてるから公式サイトも見とくべし。 東映の方の公式サイト も)にかわって 龍騎 が始まる。あまりに過去の仮面ライダーとは異なる龍騎のデザインに、事前では不安の声の方が大きかったけど、一回目を見る限りでは悪くない。結構いい。アギトではわりと最初からテーマ(というか方向性)がはっきり打ち出されていたのに対し、龍騎はどういうテーマなのか、どういう方向の結末かが見えないので、アギト一回目のように、がーっ、と来るものはないけど、しっかり作ってあって好感が持てる(スマン、なんだかんだ言って、ワシ、結局アギト好きなんだな)。今度は13人の仮面ライダーが出てくるとかいう話で、OPでは一回目から登場する龍騎・ナイトの他、どうも仮面ライダー予備軍らしいキャラが目隠し(朝っぱらから)で出てる(モノクロで左右対称に人物や物が映るシーン。静物はちゃんと左側に映っているが、仮面ライダー以外の人間は左側に何も映らない。仮面ライダーのキャラは左側に変身後の姿が映っている)。女はいるだろうと思ったけど、なんか紳士風のおっさんが…あと、ガキもライダー候補か?
 OPは女性ボーカルで、しかも「仮面ライダー」とか「龍騎」とかいう単語は一切入らない。これはこれで悪くないけど、OPで10%くらい惚れたアギトと比べると、はったりは利いてないかなという気も。(嗚呼、アギト厨だアギト厨だ)
 CSで放映していたギャラクシーエンジェル(以下GA)が地上波で放送開始。でも中部では裏にテイマーズが来てるので見れませ〜ん、残念。GAは萌えアニメの皮をかぶったドリフコントで結構好きなんだけどな。
 監督自身が 高千穂遙 氏に「視聴中止になって欲しい…」と微妙なコメントを残した「ラーゼフォン」が東海地区でも放映。感想は…うーん、おもしろくもなし、特につまらなくもなし、といった感じか。デザイン、演出的には結構良いのだけど、ストーリー的に引きが弱い。「無難につくった第一話」という感じか。確かになんともいえないなぁ。
 なんともいえないというと、「フルメタルパニック!」だけども、第四話ではツッコミどころ満載でした。いちいち挙げてくときりがないが、「ツッコミどころ満載」というのは必ずしも悪くはない。なぜなら、それ以前はツッコミ入れる気にもならなかったからだ(やっぱ誉めてるようには聞こえないか)。ツッコミを入れる気になるだけには興味を引いている、という点では、確実に良くなっている。まあ、それ以外に特に誉める点もないのはたしかなのだけども(おいおい)。しかし、ミリタリー・銃器マニアってのはNOIRみたいなのにはツッコミ入れても、フルメタルパニックみたいなおかしさ(主人公の組織ってクライアントとか収支計算とかどうなってるのよ、とか、あの誘拐、テロ工作の手順はどう考えてもおかしい、とか、ロボットが実用になってる技術と他の兵器の技術とのレベルの違いとか)は突っ込まないのだろうか? 変な話だ。(原作小説ではフォローされてるのかもしれないけど、そんなものアニメ版には関係ない)
 七人のナナ、は、作画がそろそろきつくなってきたのか、あまり動かない回。うーん、動かなくなると、とたんにきつくなってくる。悪くはないのだけど。こういう「身近な当たり前のこと」を主題にした話ってのはもっとあるべきだと思うので、頑張ってほしいとは思う。
 おねてぃは…面白いといえば面白くはなってきたのだけど、脚本家の黒田氏って、結局どこまで行ってもシチュエーションの人で、手順を組み立てていくってのは得意じゃないのだなぁと再認識した感じ。シチュエーションを積み重ねても、ストーリーとして整合性を持つとは限らない。
 デジモンテイマーズは、テレビでは無能に描かれがちな自衛隊など、公の組織が、きちんとしたプロの集団として描かれてたのが好感。どっちにしても、いまいち活躍はできないんだけどね。子供の世界と大人の世界、それって結局大人の視点でしかないのは確かだけど、世の中を支えてるのは、大勢のこういうプロの大人たちだ、ということを描くことは悪くはないと思う。どうしようもない大人が多いのも事実だけど。

ワシとしたことが忘れてた

 偉大なる芸人、海老一染太郎師匠のご冥福をお祈りします。もう、あの、「コレでギャラはおんなじ」や「おめでとうございまーす」は聞けないのか…


2002年02月04日(月) 旧暦 [n年日記]

打ち上げ成功?

 一日延期した H2Aの2号機 が今日昼に打ち上げ。とりあえず成功……だと思う。断言できないのは、今回打ち上げられたMDS-1とDASH、二つの人工衛星?のうち、DASHはフェアリングからの切り離しに失敗した公算が強いからだったりする。個人的にはH2Aの輸送能力等が実証されたという意味で、成功と言ってもよいと思うのだけど、友人などは「失敗」と言っていた(無知な友人ではなく、宇宙開発にそれなりの興味と知識を持ってる友人である)。もろ手をあげての成功でなかったのはたしかで、その点では残念だった。でも、日本の宇宙開発の先行きは決して暗くはないと思う。技術への先行投資として考えると、必ずしも宇宙開発を特別あつかいすべきでないという知人も多いし、そのとおりだとは思うのだけど。
 きのう漬けておいた、キムチのような偽キムチだけど、まあまあ。キムチの代用品としては、使えなくもない。少なくともふすまパン(ふすま(麦のもみがらを製粉したもの)で作ったパン)や代替コーヒー(大豆を炒って作ったコーヒーの代用品)よりはマシだろう。どっちも口にしたことないけど。もうひとてま加えると、それなりのものにはなるかもしれない。本格的なキムチをつくるのも大変そうだからなぁ。
 密かにROM(Read Only Member。読むだけの人)してる掲示板で出てきてた URLテレビ愛知 による、大人のアニメ視聴についての調査。案外と大人のアニメの知名度、視聴のわりあいが高い。知名度が高いのはやはり昔やってたアニメのリメイクだったり、ジャンプとかで話題のものだったりするのだけど。でも、よく考えると、テレビ東京系で今楽しみなアニメって特にないような。「七人のナナ」は注意してるけど、これからどうなるかだからなぁ。テレ東は、例のポケモン事件以降の異様に厳しい規制(一説には年頃の息子を持った役員が、「子供にこういうものを見せたくない」というのを便乗してごり押ししたという話もあり)が、確実に作品をつまらなくしてるのだろうなぁ。うーん。「規制が新しい表現・文化をつくる」というのも必ずしも間違いではないが、ただ単なる作品への無理解ってのはどうしようもない。子供のためと称して、子供だましにもならないことをやるのはやめてほしい。予算もなし、規制だけたくさんでは…


2002年02月06日(水) 旧暦 [n年日記]

なんとなくだけども

  利害が一致するうちちはなかよく手を組むが、利害が一致しなくなった途端仲間割れする悪代官と越後屋を見る気分 。悪役は引き際がかんじんですぜ?

 漸く mozilla の0.9.8がリリース。多分、安定化・最適化が主なバージョンで(面倒でリファレンスちゃんと読んでない)、特に目立った変更は今のところ見当たらない。対応 日本語パック も早々に出ている。

 デジモン新シリーズの プレスリリース情報 と、おそらく 登場デジモン 。う〜ん、なんつーか、退行? そりゃ自分の趣味的にって話だろうって? いや、まあそうなんだけど、「犬と少年」系の話としてテイマーズが好きだったのに、今度は主人公が変身、ったってなぁ……萎えますよ、そりゃ。

 今日は学位申請関係の手続きでほぼ一日終わる。頼まれ仕事も終わったから、自分の仕事をさっさとしたいのだけど。

  ギャルゲーマシン化の一途を辿るDC連邦VSジオン もその歯止めたらず?

 今日は何時もより更にまとまりないなぁ…


2002年02月07日(木) 旧暦 [n年日記]

先生、怒らないから、正直に手をあげなさい

 「リュウキ×ナイト」で検索かけたんは誰じゃ、ゴルァ!(怒ってる怒ってる)
 え〜、「○○×△△」というのは、「のうみそ膿んでる(おもに)おぜうさんがた」のよく使う表現で、「○○」が攻め、「△△」が受け、という意味を持ちます。問題は、大抵「○○」も「△△」も「♂」だということでして。連中はどんな創作物であっても男が二人以上いれば「×」でつなぎたがる習性を持ち(ズイブン失礼な言い回しだなオイ)、一般的には「腐女子(ふじょし)」と呼ばれとります。
 「大人の事情」という言葉は、普段、「諸事情で、正論どおりには物事を運べなかったとき」の説明として使うことが多い。
 この言葉には多面的な意味合いがある。逃げ口上として使われることもあれば、詳細を口にできない、不本意なことであるが、というニュアンスを含んで使われることもある。第三者が、皮肉を込めて使うこともある。世の中、正論一辺倒ではいかないなんてことはさすがにわかっている。会社の中の管理職などともなれば、従業員に対する責任、取引先に対する責任なども出てくるだろう。地位が高くなればなるほど、そういった人たちの責任まで肩にのしかかる。単純な正論でそれらをゆるがすわけにはいかない、というのも一種の正論である。だが、それとてもていど問題で、あるていど以上になってしまうと、今度は、たとえば消費者などに対する責任の放棄にまで至ってしまう。そうなると、彼らがしていたものは「仕事」でなく「作業」である。背景にある政治(このばあいの「政治」は政府とかなんとかそういう話でない)をかんがみれずに、やたらと「大人の事情」を揶揄する第三者も嫌いだが、自己保身(一個人とは限らない)のためのつけを消費者にまわし、「仕方なかった」などという輩も嫌いだ。嫌いなものだらけじゃないかって? まあそういうことになるか。だが、彼らの我が身と引き換えになんらかの損害を受けた者が、そう簡単に彼らをゆるすほどものわかりがいいと思ってもらっては困る。一個人としては同情できるかもしれない。しかし、やられたことを忘れられはしないし、忘れるわけにはいかない。そういうものではないのだろうか。
 つまりは、「大人の事情」という言葉はなんの事情も説明していない、ということなのだけど。
 理学部事務から夕方五時すぎに突然の電話。なにかと思えば、「学位論文、あした五部、製本して持ってきてください」……あのー、いつのあしたですか? 事前にぜんぜん話聞いてないんですけど? ってえか、なんで五時すぎに電話してくるよ? 購買も閉まってるし、必要なものがなかったときに、それを揃える余裕さえありゃしない。とはいえ、こちらもさんざんいろいろ引き伸ばしたりしたので強くは出られず、いちおうあした持っていくと約束してしまう。予定もなにもあったものじゃない。で、なんとかほうぼうに迷惑かけながら最低限の必要なものを揃えたけど……研究室のカラープリンタ、まだ壊れてるんですか? こないだはまともに打てたはずなのに…どうもまともに打てたり打てなかったりで、こないだはたまたままともに打てただけらしい。故障の報告は既に二ヶ月以上前にしている。別にPC関係にこだわれってことはないけども、ちょいと無関心がすぎるようにも思える。プレゼンが重要な分野であり、こんにちではPCなしでそれを行うのはむずかしいことであるのに……PCはしょせん道具だが、手入れが行き届かず、必要なときに役にたたなければ、どんな道具であれ意味はないのだ。
 あー、なんか久々にあれやこれやと腹が立った。


2002年02月08日(金) 旧暦 [n年日記]

結論:他人の仕事をあまり信用しすぎてはいけない

 ぜんぶ疑ってかかるのもいけないんだけどね。

 徹夜してどうにか学位論文の提出。さて、寝るぞ、と思ったら、(名目上の)指導教官から電話。べつにクリティカルなことではないけど、ちょっとした質問。あれ? でもそれって、訂正した書類を事務にだしていたはずなんだけど……まだ質問があるかもしれないので、もう少し起きてないと……きゅう。
 ってワケでたまってた録画の消化。
 フルメタル・パニック! ……たしかに、話は転がりだした。転がりだしたが、なんだ、この違和感は。とりあえず、細かい科学的考証とかそういう話は置いておこう。しかし、先週から気になっていたのだが、銃を持ってる相手に構わず噛みついていったり、撃たれてもびっくりすることもないってのはどういうこと? 勇気があるとか度胸があるとかそういうレベルではない。平和ボケですらない。根本的に、「そこに武器がある」という演出ではないのだ。基本的にコメディなんだから、シリアスにすることはないって? 別に発砲されて驚く、銃を突きつけられて怯えるからといってコメディにならないわけじゃない。脚本が悪いのか演出が悪いのか絵コンテが悪いのかはわからない。絵もさすがに崩れてきてる。次は見ないでもいいかなぁ…
 七人のナナ。今川節は炸裂しないけど、なんか心が洗われます。オチのつけかたはちょっとどうかとも思うけど。
 ん〜、寝よ。


2002年02月09日() 旧暦 [n年日記]

ヘリコプターは全部ワルキューレ騎行かい!?

 と、とある紀行番組でヘリコプターの遊覧飛行紹介のシーンを見て、BGMに思わずつっこんだのことよ。似たようなものでは、ニュースで「 ココセコム 」を取り上げていて、実際に車の盗難防止に役に立った事例を流してる時には「キーハンター」だった…鍵こわしてたからだと思うけど。
 そんなわけで、ええ、見てきましたとも、「 地獄の黙示録・特別完全版 」。ワルキューレ騎行をガンガン鳴らしながら第一騎兵師団のヘリが突進していくシーンが有名っすね。3時間を越える大ボリューム、そんかわりお値段高め(2000円)って奴でして、ハイ。普通の映画なら二本上映できるところを一本に4時間も時間をかけるんだから、劇場側としてはこの価格設定もいたしなかたなし、というところでしょう。50分ものシーンを追加しての興行、さて、その意味は…
 以下若干のネタバレあり。 見終わった後の感想は、とにかく甘いものを食べたい、だった。笑いごとではない。そのくらい体力を消耗してしまったのだ。この映画は、刺激をふんだんに盛り込みながらも同時に哲学的に深遠ですらある。それが完全版ではさらに強化されてる。いうまでもなく、退屈さとは無縁だ。タイタニックでは1時間半で根を上げそうになった私が、お尻は痛くなったが、3時間半ものあいだ、飽きずにスクリーンに見入ってしまった。ベトナム戦争を題材にした映画は、いうまでもなく多い。ベトナム戦争によって人生を狂わされた兵士は多い。アメリカに戻っても神経を病み、アメリカでの日常になじめないというケースもあった。多くの映画ではそのような、ベトナム戦争を引きずりつづける兵士が描かれたが、それがどのようなものなのか、その狂気とはいったいなんであるのか、そこまで踏み込めた作品は少ない。踏み込もうとした作品がないわけではない。それが、今回の完全版を見て少し見えてきた気がした。一つのキーワードとしては、「日常」だと思う。戦争というのは一種の異常事態だ、平和の中で暮らす我々は大抵誰しもがそう思う。しかし、人間というのは、考える以上に、日常を、息を吸うように、水を飲むように、必要としてるのかもしれない。キルゴアがサーフィンに、シェフが料理に、米兵がプレイメイトに拘るのは、それが彼らの日常であるからではないだろうか。前線のことなどまるで考えていない命令が上からくだされるのも、前線にいないから、基本的に数字の兵力としか対峙しないのが日常だからだろう。日常がなければ人間はおそらく安定しない。キルゴアがあれだけサーフィンに拘り、敵の砲撃をものともしないのは、一見異常に見えるが、彼にとってはサーフィンは、そして戦争中は戦闘も日常である、それだけのことに過ぎないのだろう。普通はそのことを同居して考えさせないにすぎない。狂気ではなく、ちょっと常識のタガがはずれてるだけだ。しかし、この映画の主題、あるいは本当の主人公であるカーツ大佐は違う。カーツはキルゴアのように、ずぶとく、上手くはできなかった。真面目で、優秀な軍人で、洞察力に富みすぎていた。彼は自分の日常をベトナム戦争にしてしまった。ベトナム戦争にもっとも適した日常をつくりあげた。そうする能力があった。ある意味、ベトナム戦争そのものとなった。
 この映画のもう一つの面は、カーツ大佐がベトナム戦争を象徴する、あるいはそのものといってもいい人物だということだろう。ウィラード大尉はナン川をさかのぼり、カーツに近付いていく。その過程で、次第にベトナム戦争のもっとも苛烈な部分へ、部分へと近付いていく。カーツが最初に登場した時、圧倒的な存在感を放っているのは、必ずしもそのカルト的な彼の取り巻きと集落のせいだけではない。無論、マーロン・ブランドーの怪演は無視できないのだけど。観客の代理の視点であるウィラードは旅の初めから、次第にカーツのなかへとわけいっていき、その核心へと近付いていったわけだ。だから、カーツとはブランドーが演じているあの男のみではない。我々はある意味最初からカーツに会っているのだ。そのカーツは、自身がベトナム戦争そのものとなったが、しかし、アメリカも、ベトナムも、自分自身ですらベトナム戦争を必要としてないことに気付いた。ベトナム戦争の狂気、政治的な思惑、そういったものを傍におき、そのたった一つの結論が異彩を放つ。ベトナム戦争は誰も必要としていなかった。それがもっとも重要なことなのだろう。
 この映画が今、再編集され公開されるというのはなんらかの示唆を含んでるように思える。あるいは示唆なんかないのかもしれない。しかし、「裁こうとする心は、敗北を招く」というカーツ大佐の言葉は頭から離れない。アメリカという国は変わったのだろうか? それとも変わってないのだろうか? それと、この映画の前に戦争映画のCFを流すのは、どうも逆効果に思える。「 」などは、いかにもな主人公のセリフが非常に浮いた感じが否めない。この映画はやはり強烈すぎる。点数をつけるのがとてもおこがましく感じるが、2.5点。
 ちょっと違う話だけど、戸田奈津子女史には、ミリタリー関係のブレインをつけるべきではないかなぁ。劇中あまり気にならなかったけど、50calの口径を「50mm」と間違えていたようだし。あと、最後のカーツ大佐のセリフ「恐怖だ…地獄の恐怖だ…」というセリフは、邦題を考えてだと思うけど、原語では恐怖ではなく「hollow(空虚)」といってるように聞こえた。どう考えても原語の方がいい。第一、「地獄の黙示録」という邦題自体が無粋だ。原題の「APOCALYPSE NOW」の方が遙かに詩的で、なおかつ内容に適切だと思う。オリジナル版公開当時からの邦題だから、言っても詮無いことだけど。
 その「APOCALYPSE NOW REDUX」(スマン、やっぱ原題のほうで行かせてもらう)を意外なところで口にしたのは「ターンAガンダム劇場版」を公開したばかりの富野監督。詳細は ここ を見るべし。なんとなく、暗に「残念だけど、APOCALYPSE NOW REDUXに…」といっている気もするけど、「勝とうとした」というのが、興行規模や、収入とか、そういうことではないのは一目瞭然だと思う。正直、素直に「この人はすごい」と思った。
 すごいといえば、ガンダムつながりで 安彦良和氏のインタビュー 。別に特に好きとかそういうわけでアニメ業界に入ったわけでもやってたわけでもない、というのはガンダムエースのインタビューで読んでいたのだけど、仕事人としてのこの姿勢は、正直かっこいいと思った。かっこいいとかいうのも本当は失礼なのだし、自分のなさけなさを露呈してるようなものだけど、しかしそう感じてしまったのだから素直にそう書く。
  日本テレコムの掲示板 の大塚康生氏の書き込みといい、アニメ業界は御大のほうが精力的で、野心的な気がするのは、若手に対してやはり失礼な事なのかしらん?