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2001年05月12日() 旧暦 [n年日記]

あ、早(本当は「白」に「十」)鉄絢のコミックがこんなところに!

  ブックオフ に寄って、ゲーム系アンソロジーの作家のチェックをしてたりしてたんですが、新声社の「虹色町の奇跡」アンソロジーに 早鉄絢 氏が描いてるのを発見。いや、それだけなんだけど。ついでに「オフィス北極星」を読み返してしまったり。同じ「真刈真二原作」でも、「勇午」よかこっちの方が好きだったんだけど…
 「ラスト・オブ・モヒカン」やってたので見たけど、声優が富田耕生やら青野武やらでちょっと嬉しい。アメリカ植民地化時代のラブロマンスものってことでちょっと偏見があったけど、意外と楽しめた。


2001年05月13日() 旧暦 [n年日記]

それ神田から、やれイッヒヒノヒ

 一日家でごろごろしたり論文読んだりいまさらプリズムコートやったりしながら、テレビをつっけっぱなしにしてたので17:20に突然 CLAMP 絵のアニメが流れ出す。「エンジェリック・レイヤー」って奴ですな。原作自体が個人的にはどうでもいいという評価なので興味はないが、絵は比較的安定してるとのことで一応見てみる。やっぱりどうでも良かったです。(おいおい)
 原作自体が「プラレス三四郎をパクった」という声があちこちから聞こえてくるのだが、人形サイズのロボットを使った格闘ものという点は確かに。でも「プラレス三四郎」がある意味「プラモ狂四郎」のパクリと言えなくないので、別にパクリだなんだというのは中傷に値しない。「プラレス三四郎」も決して大成功した漫画と言うわけではないし、そのネタを再利用してヒットを飛ばせたのなら、それはその再利用した漫画家の力量というものだ。
 …が、やはり一言言わすにいられまい。エル・ウラカンもタコ・ボーイもマッド・ハリケーンもブラッディーXもクレイジーホースも出てこないとはどういうことよ?! ってのは半ば冗談だが、そういった不満が出てくることが「エンジェリックレイヤー」と「プラレス三四郎」の根本的違い、ある意味欠点の表出である。
 まず、「エンジェリックレイヤー」はメカ的描写は殆ど出てこない。レイヤーはあくまで「動く人形」という以上の位置付けはなく、ハード的な興味と言うのは、おそらく作者自体に興味がないのであろうけど、一切存在しない。「プラレス三四郎」では、実際の技術的裏付けという点では飛躍があるが、「マイコン」だとか「新素材」、「宇宙開発」などなど、技術的なタームを盛り込むことでそれが一つの興味として人の目を引く一要素となってた。時代ということもあるが、「エンジェリック〜」の方はあくまで変形格闘もの・ロボットものの変形という位置付けでなく、あくまでキャラをその主眼としているということである。では、「エンジェリック〜」の方がキャラが立ってるかというとそうでもない。「プラレスラー」が過剰なキャラクター化がされ、まるで固有の意思を持ってるかのような描写がされ、また人間の方も本当にペットか、場合によっては友達のような扱いを見せるのに対し、レイヤーは「人形」の域を脱しない。前者は漫画的描写としても双方向的な描かれ方であるのに対し、後者はあくまで一方通行的、しかもかなりあっさり目である。
 人間キャラクターについても、黒崎など不必要なくらいに濃いキャラクターが存在した「プラレス〜」と異なり、「エンジェリック〜」の方はあっさり風味である。
 そもそもCLAMPのキャラというと、「かなり人を選ぶ濃さ」を持つキャラ(有体に言えば、オタク女性向け)であるのが特徴なのだが、「エンジェリック〜」では故意にそれを抑えているようである。しかし、それ以外のキャラを描ききる力量がないために結局は全般的に薄いキャラになってしまう。つまり、「エンジェリック〜」はCLAMPが一般市場向けに成分調整して世に出した作品なのだ。
 従って非絵画的キャラクター造形における魅力と言うのは皆無である。
 しかしコミックと言うのは、絵と一体になってキャラクター、設定、世界観が形成される。人によってはそっちの方を重視する。つまりぶっちゃけて言えば「萌え系の絵」であるがゆえに、人によってはそういう「キャラ造形の薄っぺらさ」は些細な問題になるのだ。
 私はそういう素養はないし、正直言ってそういうのはわりと御免なのだが、別にそれを作り出し、そういう層に確実にヒットさせる力量というのは大したものだと思う。しかし、無用なまでにキャラクター造形が濃く、ある話も意味正当スポコンの系統だった「プラレス〜」を読んでた人間にとっては、ネタがかぶるだけにその薄さが対比として目につくのである。
 今回見た話は特に最たるもので、「スポコンものではない」、つまり劇中のゲーム自体には重きを置いていない「エンジェリック〜」で「競技を通しての交流」を描こうとしてるために明らかに中途半端に終わってしまってる。
 個人的にはこういう中途半端さ具合では、とてもでないが入れ込む気にはならない。
 あ〜、ところでようやく念願の「ルパン音頭」(「ルパンVSクローン人間」のエンディング曲)を入手。歌うはかの今は亡き御大・三波春夫。
 ルパン三世の劇場版というと「カリオストロの城」が市場評価が高いのだけど(DVDも出たし)、「カリオストロ」は宮崎が「宮崎のルパン」として作ってしまっただけに、映画としては面白いけど「ルパン」としては評価しがたい部分がある(わかりやすく言えば、本来の「ルパン三世のキャラクター」とは食い違っているということ)。やっぱあれは宮崎映画であってルパン映画ではない。どっちかというと「ルパン三世」のキャラを徹底的に掘り下げていった、「ルパンVSクローン人間」の方が上だと思う。原作付きで原作のキャラを掘り下げ、昇華させたものってこれと、あと数えるほどしかないのではないかな。ルパン、不二子、次元、五右衛門、銭形のかっこよさもやや上回ってるし。


2001年05月14日(月) 旧暦 [n年日記]

日本のヒップホップは10年遅れてる?

 こないだ…っつってももう二週間以上前なのだけど、妹の結婚式に行く途中で読む用にニール・スティーブンソン「スノー・クラッシュ」を買って読んだ。映画と音楽とピザのフランチャイズくらいしか誇るもののなくなった未来のアメリカで、主人公が朝鮮系日本人と黒人米兵のハーフで剣の達人の凄腕のハッカー(クラッカーではなく)、おまけにピザの配達人と来ては「あ、こりゃダメすぎる」とダメな期待に惹かれて買ってしまうのはいたしかたありますまい。
 冒頭は予想にたがわずなんか勘違いしたような未来世界で、命をかけてのピザ配達が始まってなんだこりゃとなる。が、これが話が進むにつれ「マトモ」になっていくのだ。マトモというのはネットワーク描写の部分。回線負荷、オンライン・オフライン、接続料、ネットワーク作業etc.etc.
 話はネットワーク上の仮想世界コミュニティで蔓延した危険な新ドラッグ「スノー・クラッシュ」を中心に動いていく。ところがこれがどんどん話が広がっていき、太古の神話時代にあった人間の根本にアクセス可能な「共通言語」の存在と、それによる閉塞した世界を打ち破るために起こった「バベルの塔事件」、そして再びその「共通言語」を用いて世界支配をたくらむ富豪との対決と言う、ハード(っぽい)SF+陰謀ものの様相を呈する。
 最初のヘンさ具合からこの展開は思いつかなかったので何時の出版だ、と思ったらなんと原著は1992年の出版。しかし、そこに描かれる世相や感覚は現代日本で読んでもしっくりくる。つまり、日本の最先端のcoolさというのは、結局アメリカの後追いに過ぎないのではないだろうかと言う疑念と、あと、インターネット黎明期に詳細にネットワーク普及とはどういうことかを予言して見せたニール・スティーブンソンの予見の卓抜さがはっきりとわかる。
 話としてはちょっと長いので、ライトノベル程度の長さじゃなきゃ読めないという人には薦められない。
 あ、あと、ワシって結局犬と少年(or少女)に弱いということがはっきりわかりました。ハーラン・エリスンが書いてすら感動したしな。


2001年05月15日(火) 旧暦 [n年日記]

足つった…

 学校から帰ろうといざ自転車を引っ張り出したら後輪がパンク。
 仕方ないんで自転車引きずって家まで帰りましたよ。10kmばかりを2時間近くかけて。
 玄関で靴脱ごうとした瞬間足がつりました。いてててて。
 明日は自転車屋が開いてる時間に帰って修理してもらわないと…
 コンビニで懐かしい方々がもっぱら載っている「 コミックバンチ 」なる漫画誌が新創刊。いや、懐かしい面々なのはいいのだけど…以前の人気漫画の続編ものばかり描かせるってのはどーかなーという感じも。どのヘンからだ? キン肉マン二世? 「週刊少年ジャンプ」がかつての勢いを失って久しく、「ヒカルの碁」や「ライジング・インパクト」など、秀作はコンスタントに叩き出してるものの、ジャンプの大看板であった「熱血」が時代に合わなくなったのか、読者層が変わったのか、誌面印象は大分変わり、往年のパワーはあるとは言いがたい。で、新しく稼ぎ頭として出てきたのがかつての人気漫画。全て10年は昔のものなのだが、つまりそれを読んで育った少年(と、それよりは少ないであろう少女)もいい大人。そういった層に案外とこれが当たってしまってる。先の「キン肉マン二世」に「ブラックエンジェル&牙」「リンかけ2」、その他にも続々と…ちょっと変わってるのが「銀牙伝説ウィード」で、集英社の雑誌での連載ではないのだが、あの出版社って集英社の系列だっけ?
 ま、ともかく「これなら作品としてはダメでも懐かしさで売れる」とばかりにそんなのばっかりが…こういう言い方は失礼なのは重々承知だが、こういった作品を書く中には既に「終わってしまった」作家も多い。テーマや作風が今に合わないとかそういう以前に、以前のようなパワーは感じられない。(いちおう断っておくが、中にはまれに面白いものもある) 無論、上手く転身出来た漫画家さんというのも世には多くいて、若さが武器のセンスやパワーは陰りを見せたものの、別の筆の冴えを冴え渡らせて第一線でずっと活躍してる人もいる。しかし、ジャンプのかつての作家の使い方については有名な話なので割愛するが、転身が出来なかった作家というのももちろん多くいる。そういう人の書く続編物は、正直見ていてつらい。かつてのハードパンチャーが、子供にもかすらないパンチを打ってるのを見るとの同じ気分だ。そうでなくとも、単に懐古趣味に浸るのは後向きだというのに…
 いいかげんこの商売もネタが尽きて欲しいものである。


2001年05月16日(水) 旧暦 [n年日記]

愛の貧乏脱出計画?

 あの番組見てないのだけどね。
 近くに「たこ咲」というたこ焼きとジェラートというちょっと普通はない組み合わせの店があって、夕方なんかによく列が出来てるのを見てたのだけど、今日ちょっと自転車の修理の待ち時間に興味があって初めて入ってみたのですよ。
 ちょうどお客が途切れてる時間で「7分くらい待っていただけますか?」というので店内で待つことに。突然目に入ったのは「皆様のおかげでどうにか借金を返しながら生活できるようになりました…」云々という張り紙。普通こういう張り紙するか? とか思って店内を見回してみると、何故かみのもんたのサインと店主一家でとったと思われる記念写真が。もうひとつ引っかかったのは、こういう普通だったら単に同情を引くためと思われるような張り紙をしてるわりに、おじさんがたこ焼きを焼くのが本当に一球入魂という感じでたった一人分を焼くとは思えない真剣さと気合の入れようだったこと。別に一人だから手を抜いていいってことはないけど、屋台のたこ焼き屋であんなにひとつひとつの火の通りに細心の注意を払って焼いてるのは見たことがないってくらいだった。なんかその真剣な姿勢と張り紙のギャップが気になった。
 なので家に帰ってから検索かけてみたら案の定 ありました
 たこ焼きはだしの効いたたこ焼きで、ソースが本当は好みなのだけどこのだしの効き方だったら確かにソースはいらないなぁと納得。中は半熟という基本がしっかり守られたたこ焼きで焼きむらもなくっておいしかったです。アイスもおいしいらしいので、カロリーと相談して今度食って見ます。


2001年05月17日(木) 旧暦 [n年日記]

星雲賞ノミネート

 過日届いた 第40回日本SF大会 プログレス(大会案内を兼ねた広報誌みたいなもの)に今年の星雲賞の 公式ノミネート (正確にはノミネートではないのだが)が載っていた。
  星雲賞非公式ノミネート なんてものを管理している関係上、気になるのだが、今回はメディア部門とノンフィクション部門がかなり重複してました。日本長編はそこそこ。その他は全然ですな。
 来年度の目標は幅広い層を集めるための認知度の拡大。うむ。
 とりあえず今回の星雲賞における目標は「 ガンパレードマーチ に星雲賞を」と「吾妻ひでお・横山えいじ・ASIMOに星雲賞をとらすな」ということで。
 独断と偏見と言われればそれまでだが、これらには共通したテーマがある。「思考の固定化したSFファンの打破」である。だってさ、よっぽど他にないならともかく、今更「横山えいじ」ですよ? SFを感じますか? むしろ懐古でしょう。頭が固くて柔軟性がなくって昔を懐かしんでるだけってのをアピールしてどうするの? 昔がそんなにいいなら20世紀博に行ったままになってなさい。
 ASIMOも然り。P2やAIBOはまだわからないではない。でもまたAIBOが出てきたって、それはP2の順当な進化系に過ぎないじゃないのさ。すごいとは思うし実際すごいのだけど、「ロボット」というだけでSFなんてのは頭の悪いSF的ガジェットさえ出てればSFだと思う人間と変わらないじゃん。別に広く一般公募してるならそれでもいいよ。でもSFファンと自認する人間がそれっつーのは嘆かわしい。技術賞を与えたいわけ?
 「ガンパレードマーチに星雲賞を」というのも同じく「SF」=「文章」もしくは「映像・劇媒体」としか考えられないのに風穴を空けたいから。不幸(?)にも、今年は映画で「あ、これいい!」というものが揃っているのだが、それでも「新しい」というただ一点のみでもガンパレを推す価値はあると思う。
 保守的なSFファンなんて目も当てられませんぜ。


2001年05月19日() 旧暦 [n年日記]

接客対応

  mozilla0.9の言語パッケージに対する不具合の修正パッケージ が出てたので試すが、何故か出来ず。仕方ないので> mozilla -lang ja-JP(or JP)のオプション起動で対応。ううむ。ちょっと問題あるよなぁ。何が問題かはよくわかりませんが、とりあえず自己責任で。
 え〜、オタク向けの店ってのは店員の対応が悪いことが非常に多いです。そりゃ「ヌメッ」とした感じのオタクが大挙して押しかければ気分も悪くなろうというものですが、はっきり言って客商売をなめてるとしか思えない対応が多いです。そうでない人もいますが、悪い店員はよその店ではクビ確実なくらいひどい。
 でも一々文句いうのも面倒なんで大抵は無視しますが、今日二昌堂っつーコミック専門の書店の対応はマジで切れそうになりました。ぶすっとした機嫌悪そうな顔はまあいいのですが、こともあろうか釣銭を投げて返しやがりました。
 そもそもお金を投げるなんてのが許されるのは賽銭くらいです。昔接客業のバイトをやってた時に、客がお金を投げてよこしたこともありますが、それだって実際腹が立ちます。でも、そこは営業スマイル。受け取るまではとりあえず相手の金だからということで無理矢理納得することにします。でも釣銭は店の金であって店の金でありません。お客の金です。それを投げるというのは、接客業の心得云々以前に他人のものを投げるということで、常識はずれもいいところです。
 手渡しして返せなんて言いません。でも人のものはそれなりの扱いをしなさい。商売とかなんとか言う前の問題です。
 その後で寄った ユニクロ の対応が、店が混んでるにも関わらず懇切丁寧親切だったので余計にその酷さが目立ちました。なんつーか、酷いにも程がある。
 で、何を買ったかというと イダタツヒコ の「ゴルディアス」二巻。他に別の書店に寄って「大空のサムライ」の再販版を。これは昨日友達に教えてもらうまで再販版が出てるのを知らなかった。光人社版は探してても見つからなくて久労したのだ。感想はまた後日。


2001年05月20日() 旧暦 [n年日記]

学園もの

 他所の掲示板でみかけたのだけど、 AERA の4/30・5/06合併号(ちょっと前のやね)で押井守の記事が組まれてて、これがかなり突っ込んだ記事であるらしい。まだ見てない押井ファン向けに一応。
 以前某知人による「正しい学園もの(学園SFジュヴナイル)」の定義、すなわち「主人公は転校生で超能力(に準じたもの)を持ってる」「敵は生徒会長と、その手下」「竹刀を持った風紀委員(or風紀指導の教師)が出ている」といった条件を書いたことがあるけど(有体に言えば「狙われた学園」辺りだな)、実は私は賛成してるかというとそうでもないけど、でもこれを満たせば学園ものジュヴナイルにはなるだろうなぁ、とは思う。
 学園ものの基盤となるのは、学校という機関の一種閉塞性である。交友関係、生活サイクル、そういったものが全て学校中心であり、その社会への準備段階特有な一種特殊な小社会で何が起こるのか、ということにある。しかし最近は学校の閉塞性というものは以前ほどはない。放課後は街へ遊びに出たり、塾へ行ったり、学校の領域であった部分というものがどんどん外に漏れてしまっている。だから、学園ものというのは以前のような強烈な魅力は放っていない。
 しかし、閉塞性がなくなってるわけでない以上、その意味合いがなくなってしまってるかというとそういうこともないわけだけど、学園に囲い込む力、必然性というのが薄くなってしまっている現代、学校という特殊社会の不気味さ、不安というのをやや極端な形にした方が舞台を学園内に収めるのには便利であるらしい。すなわち学園内の人物よりは、むしろ「学園」そのもの(組織や場所)に謎を置くという方が学園内で話が完結しやすい。そうでなくては、今の風俗に合わせる為に学園の外にどんどん舞台を求めねばならない。
 ってなわけで、男性向けでまっとうにそういうテーマでやってるというと「ダーク・エッジ」か「ゴルディアス」くらいしか知らないのだよなぁ。女性向はチェックしてないので知りません。どちらも学園という閉鎖空間の謎に、主人公が巻き込まれるという形なのだけど、学園ものの系譜としてはやはりこの形態にならざるをえないのかもしれない。ふむ。