2012年05月13日(日) 旧暦 [n年日記]
■ [特撮] ゴーバスターズ#12とフォーゼ#35
ゴーバスターズ #12「変装はお好き?」。新たなメガゾード製造のために必要な特殊な水晶が狙われてるという情報を得たゴーバスターズは、その水晶を持つ新進の映画女優アンジー・スーの護衛をすることになる。ところが、そのアンジー・スーはヨーコにそっくりで……ヨーコメインの回。前回エアーマンもといファンゾードに出る幕のなかったヨーコは猛特訓。そんなヨーコが歳相応の女の子のような青春を送れないことを仲間たちは気にかけるが、ヨーコは逆に歳相応の青春というのがわからない。それを、女優に夢をかけるアンジーに「あなたには夢がないのか?」と言われてしまい……
なのだけど、かなり展開は強引。ことの重大さを考えれば記者会見中止はもちろん、イヤリングを付けさせないなんて当たり前のことなのだけど……そいでもって結局イヤリングが片方奪われてしまっては元も子もないんじゃ。
今回の敵のカメラノイド、カメラゾードは写した相手に化けるという結構定番ながら盛り上がる特殊能力だったけど、展開の破綻がちょっとなぁ……
仮面ライダーフォーゼ #35「怪・人・放・送」。ネットラジオの謎の人気DJ・ジーンのことで話題が持ちきりの天ノ川学園。ライダー部の面々も例外ではなく、ジーンの評判を聞いて一人ほくそ笑むのはJK。実は、人気DJジーンの正体はJKだった。今夜もノリノリで放送を開始するJKだったが、最初のリクエストメールには携帯番号が書いてあるのみ。そこにかけると、JKのことを知っているらしい相手が、待ち合わせ場所を指定してくる。
指定の楽器店に行ったJKを待っていたのは、中学時代の友人・五藤。再開を喜び合う二人だったが、見せたいものがあると言って五島が取り出したのはゾディアーツスイッチ。しかも幹部の十二使徒用のスイッチだった。JKの前でカプリコーンゾディアーツに変身した五島は人間離れしたスーパーテクニックを披露、それにあわせて歌うと、JKはラジオでの調子っぱずれと違い、うまく歌えることに自分で驚く。
が、ジーンのラジオ番組を聞いて待ち合わせ場所を突き止めたライダー部が楽器店を訪れてくる。とっさに自分がジーンであることをごまかそうと、カプリコーンに襲われているふりをしてしまう。
ギターを使った攻撃に苦しむフォーゼとメテオだったが、カプリコーンが自身の力をうまく扱えない隙に乗じ、一気に倒そうとする。が、リブラが現れカプリコーンを連れて姿を消してしまう……
かつての親友がゾディアーツになってしまったことを一人苦しむJKだったが、弦太郎がジーンしか知らない自分のリクエストメールの内容をJKが知ってたことから、JK=ジーンだと知る。そしてJKはかつて、ミュージシャンだった父に憧れて五藤とバンドを始めたものの、下手な歌を嘲笑され夢を諦めたことを弦太郎に語る。
夢が諦めきれないJKは五藤に連絡を取り、ネットラジオで二人のセッションを放送。いつも以上にリスナーは熱狂するが、放送を聞いたリスナーたちの一部が熱狂したままで戻らなくなってしまった。ライダー部でも、ユウキと賢吾と友子が熱狂でおかしくなってしまい、その原因がジーンの放送にあるのではないかと疑う。自分の放送がリスナーをおかしくしてることを俄に信じたがらないJKだったが、ライダー部の面々に正体を明かし、今夜限りで放送をやめることを約束する。
しかし、その夜再び五藤が現れ、友情よりも夢を取るよう迫る。
そして、その晩、もう流れないはずのジーンの放送が再び……
今回はJKがメイン。よく考えるとJKって一番最初以外「ビビリで便利な情報屋」というポジションで全くと言っていいほどクローズアップされてなかったんだよなぁ。
そのJKの過去が明らかに。ミュージシャンだった父親、挫折した過去、と最初自堕落な生活を送っていた理由と思しき原因がさらされるのだけど、どうもその父親に何かあったようで……友情バカの弦太郎のことを最初バカにして嫌っていたのもそこら辺が理由か?
そして、JKが友情よりも一度は諦めた夢を取ってしまったことにより、「仲間との絆」の力で発揮していたコズミックスイッチにも異変が……コズミックステイツ、正直無敵状態だから、この弱点が終盤にかけ鍵になるのかな?
ゾディアーツ側も「ホロスコープスのスイッチが共鳴する」というカプリコーンの特殊能力に何かを期待しているよう。予告に出た再生ホロスコープスはその能力でしょうかね。
カプリコーンの覚醒を狙う迫水とは別に、立神も独自に何かを目論んでるよう。「コアスイッチ」ってのが、いったい何なのか。理事長の最終目的にも関わるものみたいだけど……
そして今回熱狂状態に陥ってしまい、いいところなしのユウキ、賢吾、友子。「はやぶさ君の歌 ロックバージョン」って……無駄にエフェクトとか凝ってるし、どうしろと。
2010年05月13日(木) 旧暦 [n年日記]
■ [アニメ] デュラララ#17
デュラララ!! #17「有為転変」。オリジナルの罪歌を持っていたのは園原杏里だった……那須島への愛が罪歌によって暴走し、「罪歌の子ども」を増やした贄川春奈と対決する。そして一方で、罪歌に見初められた静雄が罪歌の子どもたちの大群と対決していたが、それは静雄にとっても生まれて初めて自分と自分の力を認め全力が振るえる瞬間でもあった……
五年前の出来事をきっかけに、何もしないことを選び他人に依存する道を選んだ杏里。彼女は自分の身に起こることを全て他人事として捉え感情を切り離し、何も選ばなくていいよう、何も望まなくてもいいよう、他人の影になり生きることを選んでいた。かつては有間美香の引き立て役として、今は帝人と正臣の向ける行為を知りながら、宙ぶらりんのままで二人の間に身を潜めることを……
しかしそんな彼女だからこそ、自分が語ることをやめた「愛の言葉」を、罪歌が囁き続けるのを聞くことで自分の愛の代わりとしており、またそれは同時に愛の言葉で持ち主を支配する罪歌を封印することにもなっていた。
だが、前の所有者――杏里の母親の犠牲者となっていた春奈が、那須島に捨てられて自傷行為を始めたことをきっかけに彼女の中の罪歌が増大、罪歌の声に囚われ凶行を繰り返し、多量の「子ども」を生み出すに至った。
杏里は、オリジナルの罪歌を持つ者として、また自分の居場所を守るために一つの選択をする。それは、春奈をもう一度「斬る」ことによって彼女の罪歌を支配下に置き、事態を沈静化させること。しかしその代償に杏里は「日常からの逸脱」と「強大な力を持ってしまった重圧」という望まぬものを背負うことに。
また、罪歌自身は「斬る」こと、そして人々を支配下におくことが人類への「愛」の表現であるため、より強い者を愛そうとし、静雄に行き当たる。が、静雄は初めて自分の力を恐怖せず認める相手を得て、ようやく嫌い恐れていた自分の力を認めることができる。もっとも「お前らは臨也の次に大っキライだ!」と言って片っ端から罪歌の子どもをぶん殴り投げ飛ばし蹴散らしまくるんだけど。ホント怪獣だw
二人のおかげと言って良いのかはともかく、とにかく事件は終了し、元凶の那須島も逃走資金ほしさに静雄相手に強盗するという自殺行為をして自滅。けど、事件の余波はそれで収まらない。
帝人は非日常を求める言葉を遠回りに杏里に否定され、わずかな反発としこりを覚える。そして事件の真相を知らず、杏里を襲った通り魔がダラーズと関わりがあると思い込んでしまった正臣は、彼が隠してたもう一つの顔……かつて池袋を席巻したカラーギャング「黄巾賊」の創始者「将軍」としての顔を復活させてしまう。でも、黄巾賊の顔ぶれになんだか妙な連中も……
そして勿論これを意図的に引き起こした元凶は臨也。盤上のコマと同じように帝人、正臣、杏里をいいように操り、歓喜する。罪歌の人斬りと同じく、これも彼なりの人類への愛なのかもしれないけど、はた迷惑には違いない。つか、この作品の愛ってそんなんばっかだよなぁ。
■ [アニメ] いちばんうしろの大魔王#6とHEROMAN#7ちょっとずつ
いちばんうしろの大魔王 #6「臨海学校へ行こう!」。ひとまず前魔王の遺産「魔竜ピーター・ハウゼン」の主になし崩しでなってしまった阿九斗。今度は臨海学校なのだけど、ころねの様子がいろいろおかしい。それは彼女が上層部から阿九斗を色仕掛けで籠絡し、コントロールできるように言われていたからなのだけど、それに臨海学校が行われてる島に魔王にまつわる伝説があって、それがなんだかいろいろ妙な事態になりそう。しかも島出身というヒロシが妙にそれに関わってそうな。ところでこの番組、藤子不二雄作品オマージュだったんですな……生徒会三役とかころねとかはあからさまだったんだけど、よく考えればけーなはオバQだし、詢子はハットリくん、不二子は魔太郎で、しかもアニメ声優由来で名前を付けてたりとかあるらしい。栄子が緑基調なのは、ハットリくんのライバルのケムマキだからか。いろいろついぞ気がつかなかった。
しかしころねの卑語連発は、軽く声優へのセクハラですな。今二本子ども向け番組の主人公を演じてる声優への仕打ちとは思えないw
HEROMAN #7「レジスタンス」。ウィルとニックがスグラックの尖兵に改造されてしまい、スグラックの攻撃を止めるためと彼らの救出のためスグラックの基地に潜入する。そこでウィルとニックが立ちはだかるのはお約束で、ジョーイたちは彼らの洗脳を溶いて助けようとするのだけど……その後の展開が割とシビア。ウィルが何故無茶な行動をしたか、また常にウィルに付き従ってたニックが抱いていた感情とか。この二人は、ジョーイがなりかねなかった負の部分なのだよな。その最も顕著な存在として、ニックが犠牲になってしまうのだけど……力を得て、どう行動するか。そもそも力を得ると言うことは福音ではなく呪詛なのではないか、というような、「力」をめぐる根源的な話を基本に据えてるのは、大変よろしかった。
ニックの救いのない顛末と、ウィルの悲壮な状況も、こういうのは最近なかなか見られず、面白くなってきましたよ?
2009年05月13日(水) 旧暦 [n年日記]
■ [その他] 乾電池至上主義
乾電池で動く200ドルのミニノートPC ( ITmedia )。性能的には1GHzとガリガリ使うには貧弱だけど、CPUやメモリの載せ替えが可能らしいから、そんなには問題はなさそう。これで200ドルってのは、おもちゃ的に取り扱える価格なんで、ちょいと心惹かれるかも……いや、買ってどうだって話もあるんですが。現在のスタイル的にあまり使用しなさそう……そういや、新聞を見たら今蔓延しかけてるインフルエンザの件で、根路銘(ねろめ)国昭氏がコメントしてたっけ。最近 インフルエンザウイルス研究の第一人者 根路銘博士のお話 を読んで知ったばかりだから、ちょっとびっくり。いや、タイミングと氏が専門家だってこと考えれば別に不思議じゃないんだけど。
2008年05月13日(火) 旧暦 [n年日記]
■ [マンガ] いろいろあるのでしょうね
『美味しんぼ』の山岡士郎と海原雄山が歴史的和解、原作・雁屋哲は「これが一区切り」 ( Y!hl )。大分前に一区切りすべきだったと思うのだけど、 ネタ切れ状態でも編集の要請でやめられなかった ( J-CAST )ってな感じのことを雁屋氏は言ってるようですね。まあ、そんな感じもあるのですが、でも逆に雁屋氏は他に今目立った生計の手段ってあるのかな? 「美味しんぼ」自体は続ける意図を表明してるので、アイデアは枯れたけどこれで小金を稼ぎたいってことなのかなぁ。マジな話、食い物蘊蓄マンガというジャンルが広がる先駆けとなったのはすごいと思いますが、検証やら切り口やらの面でマンガとしても警鐘としてももはや鈍って惰性で続いているだけというのが個人的評価なので、まあ、多少遅かったにしてもこの辺で退くのがいいのでしょうね。
2007年05月13日(日) 旧暦 [n年日記]
■ [その他] 本家のカルボナーラ?
痛いニュース さん経由で 日本のカルボナーラは邪道! 。まあ、この主張は主張としてアリとして、じゃ、本家のカルボナーラってどんなんだ、というので検索したら、 教えて!goo に 「本来の」カルボナーラの作り方 という質問が。大まかに言えば「生クリームは使わない」「ベーコンではなくパンチェッタ(豚バラ肉の塩漬け)」というところらしいのだけど、「本来の」というのを厳密に決めようとするとかなり難しいらしい。肉はベーコンやパンチェッタではなく「グアンチャーレ(豚頬肉の塩漬け)」という説もあるし、そもそも肉は使わないという話もあるし、卵は卵黄だけではなく全部入れるのもあるそうだし、とにかくイタリアでもレシピが一定していないらしい。日本では一昔前はパンチェッタですら入手しづらかったし、今では入手できても割高だってのもあるだろう。ましてやグアンチャーレなんて……
「ペペロンチーノ」は「ふりかけご飯」感覚らしいから、その伝で行けばカルボナーラは「卵かけご飯」ってあたりだろうな。日本のカルボナーラは「日本風カルボナーラ」には違いないのだろうが、「本来の」というのも一つではなさそう。
ちなみにカルボナーラとは呼ばれていないようだが、日本のカルボナーラとほぼ同じレシピのパスタはイタリアでも作られている模様。
「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」DoCoMo 2.0のテレビCMスタート ( MyCom )。いや、なんか不吉な台詞にしか見えないんですが……
トランス脂肪酸、「追放」へ動く・米欧などで使用規制 ( 日経 )・ WHO アルコールに標的 警告義務づけ、広告・販売規制 ( bussiness-i )・ 「禁煙運動始めたのはヒトラー」 中日新聞コラムに意外な激励 ( J-CAST )。いや、身体に良くないのはそうだろうし、「健康に悪いものなんだから、いいことだろう!」と言われると反論しづらいんですけどね……確かにタクシーの禁煙については職場の二次喫煙という面もあるだろうから、単純に「弾圧だ!」と言うこともできないだろうが、どうも、ね……つか、そんなに健康的な世界で生きたいのかなぁ、みんな。
確かに飲酒運転をしないとか、嫌な人には吸わせない、飲ませない、という配慮は当然必要だろうが(酒飲みですが、嫌がる人に飲ませたことはありません)、なんだか禁酒法が連想されてもくる。世界って、そこまでクリーンでないといけないものなのかなぁ……光強ければ闇なお濃し。
■ [特撮] 電王#16
電王 #16「幸福の星、降伏の犯人(ホシ)」。銭湯立てこもり犯の袴田を助けるため、かつての雇い主の火口社長に会いに行った良太郎。だが、リュウタロスが暴走して火口を始末しようとする。結局なんの解決の糸口も見つけられなかったが、良太郎には火口がそんな悪い人間には見えない。袴田も濡れ衣を着せられながらも、無骨で暖かい火口を未だに慕っていた。再び突入しようとした警官隊をリュウタロスが催眠暗示で踊らせてしまって時間稼ぎが出来、その隙に良太郎は火口に会いに行くが、リュウタロスが愛理のため早く事態を解決させようと、またもや暴走して火口を始末しようとする。いつもコメディタッチだけど、今回は特になんなんだw 敵のホェールイマジンものんびりした口調でマヌケだし、警官隊の突入を遅らすための時間稼ぎが毎回変で笑える。
で、今回メインのはずのリュウタロスは、良太郎の身体を勝手に乗っ取って火口を始末しようとする。そこで事前に良太郎に頼まれていたモモタロスがリュウタロスを止めようとするのだが、リュウタロスの思い込みが激しいせいか、まったく手も足も出ず……って、右手だけ支配権を奪ったんですが。その右手で愛理にメールを打ち、「やめて」と電話して貰うことに成功。愛理お姉ちゃん大好きなリュウタロスは、それでコロッと引き下がることに……結局、リュウタロスをコントロールする方法はそれだけか。クセの強すぎる面々に囲まれて、なんだかんだで苦労人になる一方のモモタロスがカワイソス。
でも戦闘シーンはその鬱憤を晴らすべく、ソードフォームが大暴れ。アックスフォームも、ロッドフォームも煙にまかれたのに……相性が良かったのかな?
過去にさかのぼった良太郎が会社の金盗難の真実(実は酒に酔った社長が自分で投げ捨てて忘れていた)を知り、誤解も解けて、銭湯ジャック犯二人も自首する決意をして万事解決……と思いきや、実は警官隊が取り囲んでいたのは銭湯の隣にある質屋の立てこもり事件。袴田たちは最初から眼中にナシ。肩すかしを食らった二人は、泣いて「逮捕してくれ」と……
次回は一人で四体のイマジンに取り憑かれ体力の限界気味の良太郎を見かねて、ハナがタロスたちのリストラ宣言。そして、良太郎の昔の同級生が登場。昔っから運はなかったんだろうなぁ、と思うけど、学生時代はあまり想像できない……パシリ姿とかしか。
2006年05月13日(土) 旧暦 [n年日記]
■ [映画] 子ぎつねヘレン
まあ、昨今はメジャー系映画を見に行くとどうせどれもレベル的にはある程度以上は難しかろうということで、わりと適当に選んだ。
動物系感動映画ってことで、かなりタカをくくって見に行ったのだけども、ストーリーラインで言うと、実はそれほど悪くはなかった。野生動物を飼うことは原則的に法律違反であることと、野生のキタキツネにはエキノコックス感染の危険性があることをきちんとやってる(最低限のことではあるのだけど)ので、「見たら却って有害」という、最悪危惧したレベルではなかった。何より、基本的には動物は人間側の意のままにならぬものであることを、完全にではないが示していた。
ただ、やはりあちこち「こんなものだろう」という妥協が気になる。
最初、主人公の太一が母親とはぐれたヘレンを持って届けた交番の駐在、会話の様子からすると地元にいて結構長いようなのに「野生のキタキツネに触れる危険性」と「野生動物飼育の違法性」を認識してなかったのは、後で太一を預かっていた「医院長」と太一のディスコミュニケーションを提示するために取っておいたとはいえ、ちょっとお粗末との印象を受ける。また、奇跡が三度起こってるのも気になる。一度はヘレンがミルクを飲むこと、二度目は肉を食べること、三度目はヘレンが鳴き声を挙げること。三度目はドラマ的な盛り上がりとして良いが、一度目と二度目は「そうなるようにする」描写との代替措置が可能だと思う。
こういった細かいところでの詰めが甘いので、タンポポの綿毛のCGなどの細かい陳腐さも引っかかってしまう。また、全般的に動物の「臭い」が感じられなくもあった。
とは言え、ファミリー向け動物もの映画としてはそこそこのレベルは達していると感じた。特に犬の「ロン」がわりといい味を出していた。
個人的にどうでもいい話をすれば、脳に損傷を受けたヘレンを、手術のために引き取った大学教授を演じていたのが藤村俊二だったので、いつ「霊感と共にあらんことを」と言い出すかと(邪道な意味で)ワクワクしてしまったというのと(わからん奴は「怪奇大家族」を見れ)、冒頭にリヤカーを引いてる老婆が吉田日出子なため、「必殺からくり人富嶽百景殺し旅」に出てきた北斎の娘・お栄を連想したことか。
いや、普通はそんな引っかかり方しないことはよくわかってますって。
動物系感動映画ってことで、かなりタカをくくって見に行ったのだけども、ストーリーラインで言うと、実はそれほど悪くはなかった。野生動物を飼うことは原則的に法律違反であることと、野生のキタキツネにはエキノコックス感染の危険性があることをきちんとやってる(最低限のことではあるのだけど)ので、「見たら却って有害」という、最悪危惧したレベルではなかった。何より、基本的には動物は人間側の意のままにならぬものであることを、完全にではないが示していた。
ただ、やはりあちこち「こんなものだろう」という妥協が気になる。
最初、主人公の太一が母親とはぐれたヘレンを持って届けた交番の駐在、会話の様子からすると地元にいて結構長いようなのに「野生のキタキツネに触れる危険性」と「野生動物飼育の違法性」を認識してなかったのは、後で太一を預かっていた「医院長」と太一のディスコミュニケーションを提示するために取っておいたとはいえ、ちょっとお粗末との印象を受ける。また、奇跡が三度起こってるのも気になる。一度はヘレンがミルクを飲むこと、二度目は肉を食べること、三度目はヘレンが鳴き声を挙げること。三度目はドラマ的な盛り上がりとして良いが、一度目と二度目は「そうなるようにする」描写との代替措置が可能だと思う。
こういった細かいところでの詰めが甘いので、タンポポの綿毛のCGなどの細かい陳腐さも引っかかってしまう。また、全般的に動物の「臭い」が感じられなくもあった。
とは言え、ファミリー向け動物もの映画としてはそこそこのレベルは達していると感じた。特に犬の「ロン」がわりといい味を出していた。
個人的にどうでもいい話をすれば、脳に損傷を受けたヘレンを、手術のために引き取った大学教授を演じていたのが藤村俊二だったので、いつ「霊感と共にあらんことを」と言い出すかと(邪道な意味で)ワクワクしてしまったというのと(わからん奴は「怪奇大家族」を見れ)、冒頭にリヤカーを引いてる老婆が吉田日出子なため、「必殺からくり人富嶽百景殺し旅」に出てきた北斎の娘・お栄を連想したことか。
いや、普通はそんな引っかかり方しないことはよくわかってますって。
■ [アニメ] 女子高生#3とxxxHOLIC#3と徹之進#18
女子高生 #3「恋して、ダマして、ラブホテル?」。先に一人で脱バージンを果たした姫路のセッティングで、合コンをする6人組。綾乃は相手男子の一人とさっさといい雰囲気になるし、絵里子と香田は暴走して男子を引きまくらせるし、姫路は彼氏と更けるしで、早々に合コンは滅茶苦茶に。ところが合コン相手の一人、女たらしの江崎が、すれていなさそうな小川に目をつけ、密かに騙してラブホに連れ込んでしまう。いや、これは普通に引くだろう(笑)。香田の常軌を逸したエキセントリックっぷりはともかく、それに張り合う絵里子も……由真も色気皆無だしなぁ。男っぷりはいいんだが。つか、こいつら本気で男作る気がないんか? 下高谷を裸に剥いたり、バイブ片手にはしゃいだりは普通に引くだろう……
姫路と小川の友情話でもあったけど、以後綾乃とバカップルぶりを披露する下高谷君初登場の回でもある。こいつら以後ずっとこんな感じです。
xxxHOLIC #3「エンゼル」。百目鬼の本格参戦話? 普通は見えないものが見えすぎ、なおかつそういったものに好かれる四月一日(ワタヌキ)と百目鬼とのコンビが侑子の思惑で怪異と出会ったりという展開も増えていく(基本的に主人公はワタヌキなので、そういうパターンとも限らない)のだけど、やっぱりひまわりのキャラがうすっぺらなのがCLAMPらしいよなぁ、と。その分百目鬼との関係が比較的濃密なのだけど。
それと、ワタヌキのあたふたっぷりを見てると、確かに水島努監督だと妙に納得したり。
それゆけ徹之進 #18「てつのしん母を訪ねる」。母の日になり、犬楽園の仲間に母親との思い出を聞く徹之進だが、生まれてすぐに犬山家に引き取られた徹之進には母親との思い出がない。母親がブリーダーと共に東京に来ていると聞いた徹之進は、会いに行くのだが、徹之進の母は102匹の仔犬を産んだ肝っ玉母さんで……
先週からOP・EDの曲が変わってますな。映像は変わってないけど、それなりに合ってるのが不思議だ。
勝手な母親の理想像を抱く徹之進だけど、理想とは違う母親の姿をハカセに見せられ、それでも会いたいと会いに行ったり、名前でなく番号で呼ばれたり、それでも102匹の子供全員をみんな厳しく優しく見守る母親だったりと、妙に見ていて安心できる。
そういえばゲストキャラの徹之進の兄弟犬たちも、レギュラーの声優が兼務してるにも関わらずきちんと別個にテロップに記載してるのが妙に新鮮に思えた。
■ [その他] ……とは絵だ
Wikipedia の 芝浜 の項目を見ていると、三代目桂三木助の言葉として「落語とは絵だ」という言葉があったことを、初めて知る。いや、寡聞にしてお恥ずかしながら、というレベルなのだけど。野田昌宏氏の「SFとは絵だ」という言葉は、これを下敷きに踏まえてのことかしらん、と今更ながら考えると、SFに限らず多くのことに適用可能だと改めて思える。
と、同時に「絵がどう見えるか」を考えずに描写を行うことの安易さも思う。文芸、話芸のみの話ではなく、CG全盛になったことで比較的簡単に「ありえない」映像を作ることができるようになった映像媒体にも言えることとして、である。
2005年05月13日(金) 旧暦 [n年日記]
■ [その他] ソースだせ
AZOZ BLOG に あまりにも辛くて、食べると死ぬかもしれないチリソース発売される って記事があって、これの The SUN版の記事 を知人が探してきたのだけど、掲載されてる写真を見て一言「これ、ビンの中にあるの、ソースに見えないんだけど……」記事中にもpure capsaisinってあるし、タブレットかなにか? と思って調べてみると、 それどころの話じゃねえ、結晶粉末でした 。orz ソースじゃないじゃん。って問題はそこで良かったのか? 果敢にもピンセットでつまんで料理してますが、スープにピンセットで一粒入れただけでも、スープの残りを鍋に戻すほど辛くなった、とか……これって実験試薬かなんかじゃないのか? まあ、 hot source blog なんてものがあることを今回の検索で初めて知ったのは収穫(?)か。世の中はやっぱり変な人が多いなぁ……
上記の件に関して、最初は 日本語google で検索してたのだけどまったく引っかからず、 英語google で調べてようやく引っかかった。なんか規制に引っかかったんかいな?
2003年05月13日(火) 旧暦 [n年日記]
■ 盧武鉉の すごい 広告
政権交代後初の訪米・米大統領に謁見した盧武鉉韓国大統領(30分なので会談と言えるようなものではない)だけども、反米を売りにしてたわりに訪米に際しNew York Timesに 米韓友好を強調する一面広告を掲載 ( 読売 )するなど、アピールに余念がない。で、その 広告 ( 朝鮮日報 )。が、そのNew York Timesのコラムに、過去反米的発言を繰り返していた盧武鉉大統領に対してかなり辛らつなコメントが掲載された。それも4000万円の掲載料をかけた広告を載せたのにあわせてである。なんつーか、New York Timesもやるなぁ……ところで日本語では韓国語発音に準じて「ノ・ムヒョン」と読むのに、どうして英語表記は「Roh」なんでしょうか? 日本も別に「ろぶげん」でいいじゃん。
もっとも日本もあまりどうこう言えてる状況でなく、今度行われる日米首脳会談(こっちは会談。しかもクロフォードの大統領私邸へ招くという、かなり日本を重要視してることを誇示してのもの) 北朝鮮への段階的経済制裁を含めた北朝鮮への核放棄圧力を事前調整で確認 ( 産経 )しているのにもかかわらず、 川口外相は「現在は経済制裁はない」と発言 ( 共同 )している。おそらくはチャイナスクールやらなんやらの意向があるのだろうけど、いい加減、外務省はなんとかした方がいいのではないかと思えてはくるなぁ。もっともアメリカに追従だけがいいかというとそうでもなく、油断してると日本も都合のいいようにクルクル回されるので、自国の立場はきっちりさせておかなきゃいけないんだけどねえ。
スピルバーグ、「バターン死の行軍」を映画化 ( zakzak )。「バターン死の行軍」というのは、ルソンのバターン半島にて捕虜にされた米兵および民間人8万人近くが、炎天下の中93kmの徒歩での移動を強制され、多数の死者が出たという話なのだけど、実は、別に日本軍は虐待するために捕虜を歩かせていたわけではなく、決定的に移動車両が不足していたので、歩く以外の移動手段がなかっただけの話なんですが……しかも、当然ほとんどの日本兵も歩いて移動してるんですが。わらわらと思っていもいなかったほど多数の敵兵が投降してきて、しかもマラリアにかかった奴もたくさんいる、でも車も医薬品もない。そんな状況下で、他にどうしろってんでしょうかねえ……もっとも悪名高き辻参謀とか関わっているようなので、あながち嘘ばっかとは思えませんが。それでも、かつて「太陽の帝国」を撮った監督とは思えないなぁ。それ以前に、バターンにそんなに見所があるとは思えないのだけど……
そのカウンターアタックってわけじゃないけども、かのチャールズ・リンドバーグの太平洋戦争参戦紀の 孤高の鷲 を注文。米軍の日本兵に対する虐殺、虐待がかなり赤裸々に描かれているらしい。戦争ってのはそんなもんではある。
追加: 世界史ジョークスレで朝日の天声人語が笑いものに 。そりゃ、なるよなぁ。国際情勢にうといのはどっちだ。それに対元寇も行き当たりばったりで迎撃したわけじゃないぞ。この論旨だと、「有事法制を整え、現代の元寇に備えましょう」としか読めない。ちょうどかつての元と同じように(レベルは数段落ちるが)「攻めるぞ、攻めるぞ」と言ってる国が近くにいるしなぁ。ん? 実は朝日はそれを狙ってる?(それはない)
2002年05月13日(月) 旧暦 [n年日記]
■ 時代がSFに追いついた?
なんか騒がれてる最近の話題で、 「児童ポルノ」禁止議定書に署名 国内法整備迫られる というものがあったりする。なんつーか、「絵もダメ」とか、どうもとんでもないものっぽいのだけど、どう結果が出てくるのか、どういう影響が波及するのかなんともわからず、コメントしにくい。ただ、絵とか単純所持も違法になる可能性があるということで(実写はさもありなんなんだが)「お前ら犯罪者予備軍だから有罪」とか言ってるようにも思える。特に日本の漫画、アニメは海外からは幼く見られるので、これら全体が取り締まられる可能性も高い。きちんと作品の内容を見て判断してくれるのならそれでもまだいいが、日本のお上の今までの傾向を見ると、テレ東チェック以上に絶望的な見通ししか立たない。これで思い出すのがP.K.ディックの マイノリティ・リポート 。まだ起こってない殺人犯として主人公が追われる話。時代がSFに追いついたわけだ。いやはや。見てちょっとびっくりしたのが このウェブコミック 。「ふーん、普通の美少女とかなんとか出てくるオタク向けまんがじゃん」とか思うかもしれない。だが、URLで気づく人もいるかもしれないが、コレ、フランス発信のウェブコミックなのだ。描いてるのも日本人でなくフランス人のお嬢さん。絵柄はちと杉崎ゆきるに似た感じで、いきなり日本のコミック誌に載っていても違和感がない。フランスのオタクというとセバスチャンとか 銃士戦隊フランスファイブ とかが(ごく一部で)知られているけど、ここまで日本のコミックに親和性の高いコミックを描けるのは、完全に日本漫画の「記号」を体得してるということだろう。作品自体の評価は、セリフがない(縦長の吹き出しが多いことから見て、最初からセリフがない可能性がある)こともあって良くわからないが、まったく別の意味で感心してしまった。海外のオタクはものすごいとは思っていたが、フランスは特にすごいかもしれない。
ちなみにフランスではコミックは「バンドデシネ(BD;ベデ)」と呼ばれ、アートの一つとして認知を受けている。
今までビデオのみの発売だったクレしん映画版だけど、「オトナ帝国」のDVD発売が緊急決定との噂。北野誠のラジオ番組、サイキック青年団で言っていたらしいけど……ホント?
2001年05月13日(日) 旧暦 [n年日記]
■ それ神田から、やれイッヒヒノヒ
一日家でごろごろしたり論文読んだりいまさらプリズムコートやったりしながら、テレビをつっけっぱなしにしてたので17:20に突然 CLAMP 絵のアニメが流れ出す。「エンジェリック・レイヤー」って奴ですな。原作自体が個人的にはどうでもいいという評価なので興味はないが、絵は比較的安定してるとのことで一応見てみる。やっぱりどうでも良かったです。(おいおい)原作自体が「プラレス三四郎をパクった」という声があちこちから聞こえてくるのだが、人形サイズのロボットを使った格闘ものという点は確かに。でも「プラレス三四郎」がある意味「プラモ狂四郎」のパクリと言えなくないので、別にパクリだなんだというのは中傷に値しない。「プラレス三四郎」も決して大成功した漫画と言うわけではないし、そのネタを再利用してヒットを飛ばせたのなら、それはその再利用した漫画家の力量というものだ。
…が、やはり一言言わすにいられまい。エル・ウラカンもタコ・ボーイもマッド・ハリケーンもブラッディーXもクレイジーホースも出てこないとはどういうことよ?! ってのは半ば冗談だが、そういった不満が出てくることが「エンジェリックレイヤー」と「プラレス三四郎」の根本的違い、ある意味欠点の表出である。
まず、「エンジェリックレイヤー」はメカ的描写は殆ど出てこない。レイヤーはあくまで「動く人形」という以上の位置付けはなく、ハード的な興味と言うのは、おそらく作者自体に興味がないのであろうけど、一切存在しない。「プラレス三四郎」では、実際の技術的裏付けという点では飛躍があるが、「マイコン」だとか「新素材」、「宇宙開発」などなど、技術的なタームを盛り込むことでそれが一つの興味として人の目を引く一要素となってた。時代ということもあるが、「エンジェリック〜」の方はあくまで変形格闘もの・ロボットものの変形という位置付けでなく、あくまでキャラをその主眼としているということである。では、「エンジェリック〜」の方がキャラが立ってるかというとそうでもない。「プラレスラー」が過剰なキャラクター化がされ、まるで固有の意思を持ってるかのような描写がされ、また人間の方も本当にペットか、場合によっては友達のような扱いを見せるのに対し、レイヤーは「人形」の域を脱しない。前者は漫画的描写としても双方向的な描かれ方であるのに対し、後者はあくまで一方通行的、しかもかなりあっさり目である。
人間キャラクターについても、黒崎など不必要なくらいに濃いキャラクターが存在した「プラレス〜」と異なり、「エンジェリック〜」の方はあっさり風味である。
そもそもCLAMPのキャラというと、「かなり人を選ぶ濃さ」を持つキャラ(有体に言えば、オタク女性向け)であるのが特徴なのだが、「エンジェリック〜」では故意にそれを抑えているようである。しかし、それ以外のキャラを描ききる力量がないために結局は全般的に薄いキャラになってしまう。つまり、「エンジェリック〜」はCLAMPが一般市場向けに成分調整して世に出した作品なのだ。
従って非絵画的キャラクター造形における魅力と言うのは皆無である。
しかしコミックと言うのは、絵と一体になってキャラクター、設定、世界観が形成される。人によってはそっちの方を重視する。つまりぶっちゃけて言えば「萌え系の絵」であるがゆえに、人によってはそういう「キャラ造形の薄っぺらさ」は些細な問題になるのだ。
私はそういう素養はないし、正直言ってそういうのはわりと御免なのだが、別にそれを作り出し、そういう層に確実にヒットさせる力量というのは大したものだと思う。しかし、無用なまでにキャラクター造形が濃く、ある話も意味正当スポコンの系統だった「プラレス〜」を読んでた人間にとっては、ネタがかぶるだけにその薄さが対比として目につくのである。
今回見た話は特に最たるもので、「スポコンものではない」、つまり劇中のゲーム自体には重きを置いていない「エンジェリック〜」で「競技を通しての交流」を描こうとしてるために明らかに中途半端に終わってしまってる。
個人的にはこういう中途半端さ具合では、とてもでないが入れ込む気にはならない。
あ〜、ところでようやく念願の「ルパン音頭」(「ルパンVSクローン人間」のエンディング曲)を入手。歌うはかの今は亡き御大・三波春夫。
ルパン三世の劇場版というと「カリオストロの城」が市場評価が高いのだけど(DVDも出たし)、「カリオストロ」は宮崎が「宮崎のルパン」として作ってしまっただけに、映画としては面白いけど「ルパン」としては評価しがたい部分がある(わかりやすく言えば、本来の「ルパン三世のキャラクター」とは食い違っているということ)。やっぱあれは宮崎映画であってルパン映画ではない。どっちかというと「ルパン三世」のキャラを徹底的に掘り下げていった、「ルパンVSクローン人間」の方が上だと思う。原作付きで原作のキャラを掘り下げ、昇華させたものってこれと、あと数えるほどしかないのではないかな。ルパン、不二子、次元、五右衛門、銭形のかっこよさもやや上回ってるし。