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2001年03月11日() 旧暦 [n年日記]

天下国家を騙る

 某所で「人間、ネタがない時は天下国家を語りたがる」という言葉を見かけて、その通りだと思ったので必要の無い限りはあまり国がどうのとかの大きなことは書かないように注意してたのだけど、なんでそうするかって理由ってのは、結局の所、それがだから国が悪い、社会が悪いという愚痴に大概落ちついてしまうからである。愚痴なら最初から愚痴とはっきりわかる形にしておいた方が見る人のノイズフィルターに引っかかりやすく、無駄が無いというものだ。
 でも個人が天下国家を語るな、というわけでもないのですよね。むしろ、人間は国の構成ユニットだし、国は必ず個人に影響を及ぼすわけだから、自分の現状、これからの予測をする際に国の考察をする事、あるいは国を変えたい時に個人としては何をすべきか、という論理展開は理に適ってると思う。個人→国という連続性が頭から抜け落ちがちなだけに、短絡的な人はクーデターしかない、とか血迷うわけだ。(「しかない」?)
 国の構成要素であるからには、大言雑言にならない程度に国を考察し、考え、個人との繋がりに積極的に展開していくべき、とかとは思う。
 ってこれも天下国家を語っちまってるのか?

 アギトの先週分と今週分を見る。ギルスがいかしすぎ。ちょっと素に戻ると叫び声が恥かしい気になってしまうけど。セブンとかでもばしばし実験的要素を取り入れてたし、こういう野心作が出てくるのはいいことだ。
 某所で内藤泰弘氏の「サムライスピリッツ」を発見。う、少し高い。でも買ってしまう。トライガンとかのベースとなる演出、思想は感じるものの、まだこの時は印象の強烈さってのはそれほどでもないのですね。版権ものは色々難しいのという部分も大きいと思うのですけど。


2001年03月13日(火) 旧暦 [n年日記]

ぐうぐう

 所要あって実家にちょっとだけ帰る。
 肩身はちと狭いです。色々と。ってだったら肩身が広くなる様にしなさいって。>ワシ
 親がパソコンやりだしたのでやり方を教える。でも決して自分のページは教えない。そういうものである。
 それでの教訓。理論だって理屈を教えるにも、その前にそれがどういうものか、わかってないと教えても意味が無いのだ。物理で現象を知らずに理論だけ始めても意味がないってのと同じだな。ある程度行けば、理論だけで相当のものは言えるのだが、初心者にはそんなのは無理。だから最初はやり方をまず教えて、それから遊ばせて慣らさせるのが重要なのだな。
 そんなこんなやってたら結構疲れて、帰りの電車は大いびきかいて寝てしまいました。むう。


2001年03月14日(水) 旧暦 [n年日記]

ミール見逃し

 今夜はミールを見る最後のチャンスだったらしいのだが、その機会を逃してしまった。心の余裕って大事よね〜、トホホ。
 実家にいる間にBSでやってた「ハリーとトント」を見る。癒し系ロードムービー? そういう括りは嫌いだが。長年住んでたアパートが取り壊しで追い出され、仕方なく息子夫婦と同居するも、偏屈な性格から嫁とそりが合わず、家を出て居場所を求め、放浪する老人ハリー。お供は猫のトントだけ。行く先々で様々な人に出会っていく、というロードムービーの定番パターン。老いても引っ込まず、自分の居場所を積極的に探していくハリーの姿はアグレッシブで、元気付けられる。戦っていると言ってもいいと思う。結構好きだな。
 あ、そういえば明日は「ゴーストハンターズ」ではなかったか? ジョン・カーペンターのどマイナー映画…

子供の時間は終らない

 なんてーか、 野尻さん とこのBBSでキャプテンフューチャーの再放送の話が出た時に、野尻さんらは「あれ、そんなに出来良くなかったでしょ」的な意見が出た。確かにそうなのだが、出来云々を問題にする事かな、と「?」になる。で、本放送時の年齢を考えるが…再放送を楽しみと言った人の当時の年齢が小学生以下だったのに対し、野尻さんら、否定的な意見が出た人たちは高校生とか、そのくらいだったのだ。そりゃ印象も違いますわな。
 ちなみにワタシはちと当時から嗜好の偏ったところがあって、姉とかの影響があったとはいえ「西部警察」より「特捜最前線」を喜んで見てるようなガキだった。子供向け漫画誌も当時から主流だったコロコロコミックよりはコミックボンボンの方を好むとか、まあいろいろあったわけですだよ。
 で、最近ふと思うにアギトとかの批判で「子供向けなのに子供についてこれないのではないか」とか、そういう意見が出るわけです。でもさ、子供だって色々いるわけでしょ。「これなら子供が面白い」というのは、大体大人の一方的な思い込みにすぎないわけです。子供の反応で実際に面白い、つまらないを調べても、それが母集団としては少なく無いとは言えない。無論商業ベースであるから、ある程度以上の支持が無ければ仕方ない。でもさ、そうやって平均平均を求めて、最頻値的な反応だけを意識したものばっかで世の中が面白いとも思えず。現に、私とかはちょっと標準とはずれた子供だったのだ。
 え〜っと、結局まとめるとどういう話になるのかな? 年齢を考えて、見た時の印象を語ると言う事も時には必要ではあると思う。「キャプテンフューチャー」が最初に見た時の年齢で印象ががらっと変わるように、18歳の視点と6歳の視点は明かに異なるのだ。ただ、「子供の為」とか言って基準を当てはめようとする時、勝手に自分の持つ「子供の基準」に当て嵌めようとはしてないか。子供の為と言ってそれを否定できるほど、言ってる人は子供の事を熟知しているのか。もし決定的に倫理基準からはずれることを推奨するようなことがあったら、それは責めてもよいかもしれない。しかし、そうでない以上はもっと暖かく見守ってもいいのではないだろうか。子供だって人間だ。子供の「幅」というのは思ってるより結構広いはずだ。


2001年03月15日(木) 旧暦 [n年日記]

ももえのカマで切られた存在は(以下略)

 気の迷いで結城心一「ももえサイズ」買っちまいました。いや、好きなんだけどね、このマンガ。
 って奥付け見たら、何気に重刷かかってるよ、既に。
 このコミックは装丁からして実は既にアンソロジー本のギャグなのだが、ゲームなどのコミックアンソロジー (複数の漫画家(大抵の場合は、新規売り出し中の新人さんであることが多い)が一つの アニメ・ゲームをテーマに描いた書き下ろし短編をまとめたコミック本)を知っていて、更に この作者が現在までアンソロジー本中心に活動しているということを知らねば何がギャグなのか すらわからないという、超絶不親切構造。
 内容も時事ネタあり、マニアネタあり(ってえかそうでないネタを探す方が難しい)、連載時の 投稿企画をそのまんまのっけたネタありと、一見さん完璧お断りな内容。
 まさかこれが重刷かかってるとは、魁!クロマティ高校が店頭から消えた(回収がかかった わけではない)のと同じくらいの驚異…もとい快挙だろう。一刷目の冊数が少なかっただけだろう って突っ込みは却下。
 ってわけで、私的には面白いけど、全然お薦めではありません。少なくともこの日記読んで 何が面白いマンガなのかちっともわからない人には特に。
 人間、ネタがないとこういうものまでネタにしだすのね。トホホ。
 ゴーストハンターズ見て寝てしまおか…


2001年03月16日(金) 旧暦 [n年日記]

まだゴーストハンターズ見れてません

 ビデオにはとってあるのになぁ。「ハーフ・ア・チャンス」もビデオを叩き売りで売ってたのを買ってあるのだけど…
 それより昨日の日記で明らかになった新事実。ネタがなくなるとどんどんオタクネタに偏っていく! …って既知のことですかそうですか。
 いや、ネタはないことはないんですけどね。ボスの奥さんはむちゃくちゃいい人だったとか、現在繰り広げられてるネット姉弟喧嘩とか。
 そりゃいざとなれば親兄弟でも魂でも売りますが、ちとインパクトに欠けると言いますか。
 ああ、映画が見たいのう。<脈絡なし


2001年03月17日() 旧暦 [n年日記]

ショック

 「ゴーストハンターズ」録画予約ミスでとり逃し。ショックで寝込みます。よよよ。
 ここのところ予約ミスが多いなぁ。こんなことではあいてー時代を生き残れませんわ。意味がわからなくともよのなかあいてーなんですもの。日本はあいてー国家になるらしいですわよ。おほほ。
 …っつーか、首相もITってのがどういうことなのか、ちゃんとわかってから使ってもらいたいものである。なんてーか、聞いてると無能とか口が滑るとか以前に、機械音痴のおじさんたちが「うちでもね、パソコンでインターネットはじめたんだよ。インターネット。インターネットでホームページ見るのなんて簡単だね」と覚え齧りの用語を駆使して(おまけに微妙に間違ってる。)自慢するというアレを、全世界規模でやられてるのと同じである。いや、別にそれが悪いとかバカにしてるとか、そういうことではないんですけど(全く新しい事を始めるのだから、用語を最初は間違ってしまうのは当たり前。逆に好奇心と柔軟性が当たり前な若いうちならともかくある程度の年齢以上で、ビデオ録画のしかたも良く知らないご年配の方が一生懸命勉強して新しい事を覚えるという意欲と努力には頭が下がります)、一国の首相の発言としてはなんというか、もう少し勉強していただきたいというか、言葉の意味もわかってなければ先の見とおしも無いということがまるわかりというのはちょっと見てて自分の家族の恥を全世界に発信されてる気分である。
 ま、首相の愚痴なんざ言ってもしかたないのでそれはこれくらいにして、次。

雑誌の色

 雑誌には「色(カラー)」というものがある。これはパソコン誌でもファッション誌でも同じだし、同業他誌が存在する以上、かえって「色」を強く押し出す事でシェアを獲得していくというのも珍しくない。
 漫画誌も当然然りである。漫画誌としては(というより雑誌全体としては)最大発行部数の週刊少年誌においても、その色は顕著である。ジャンプのカラー、マガジンのカラー、サンデー、チャンピオンのカラーと、全て違う。無論他誌の人気連載の真似をするというちょっとえげつない手もあるにはあるが、基本的に雑誌のカラーというのは存在している。
 カラーと言うのは掲載作品、すなわち作家の性質による場合も少なくなく、創刊間もない雑誌では、初の人気連載により雑誌の方向性が確定されることも多い。
 さて、ここで問題。何故週刊少年誌が他の漫画雑誌と比べて最大の発行部数を誇るか。まず、「子供」という層を取り込んでいるということがある。子供社会と言うのは、かなり特殊な社会である。学校と言う閉鎖社会で、かなり限定された付き合いをしていかねばならない。以前ちらと書いたが、ドラクエ、ポケモンなどのゲームが個人的なエンタテイメントツールとしてのゲームそのものの価値以外に、子供社会における価値ある情報、一種の貨幣を生み出すツールとしての価値を持つ。漫画もそれと同じ機能を持っている。テレビドラマ、アニメなどもそうだ。だが、大学生や社会に出るとどうか。ゲームや漫画のコミュニケーションツールとしての意味合いはとたんに薄れる。無論同じ趣味を持った友達同士では共通の話題になるが、同じ職場で働く同僚が、自分の見てるのと同じドラマを見てなかったり雑誌を見てなかったと言っても、それが阻害の原因になることはまずない。しかし子供社会ではそれがグループからの阻害の原因となりうるのだ。この意味から、子供は「趣味」以上に共通の話題を確保する事はわりと差し迫った背景がある。もっとも基本的には面白いから、というのは違いないのだが。(でなければ週刊少年誌を大学生以上が読む理由は薄い。現にマガジンは大学生以上を強く意識することで部数を伸ばした)
 純粋に趣味となると、共通性を意識する必要が無い。自分が好きなものを読めばいい。そうすると起こるのは「分化」である。人の読んでる物と自分が読んでる物が同じである必要は無い。そうすると種類が増え、種類毎の発行部数が減るということになる。どういう層をとり込むか、それをどれだけ安全牌として確保出来るかが重要になってくる。
 ここで雑誌の色と読者層という関係が、週刊少年誌よりかなりはっきりした形で現れることになる。その層の一つがマニア層である。マニアと言っても色々な種類、色々な深度があるが、一般にマニアはそうでない人より事物に固執する。つまり、マニアを獲得するとある程度部数の維持をしやすい。ただ逆にそれ以外の層からマニアックということで敬遠されることがあるので長短両方がある。また基本的に限られたシェアである。
 しかし過去数年、マニア層の金離れの良さに目をつけた出版社が次々にマニア向け漫画誌を出している。飽和状態と言ってもよい。その分浮き沈みが激しく、数号で廃刊なら良い方で、創刊1号にして廃刊した雑誌と言うのも幾つか実在している。こういう限られたシェアでパイの奪い合いをすると、雑誌のカラーの作り方と言うのは難しい。一般性のあるカラーにすれば多くの人間が読めるものになるが、熱心なマニア層への求心力は弱くなる。からと言って方向性を強くすれば、逆にそれ以外の読者から敬遠される恐れがある。(両方兼ねるのが理想だしそういうものもあるにはあるが、そうそうは上手く行かない)
 私が講読してる雑誌の中にも、この色が決定しきれていないもの、他誌との分化が曖昧なものが結構ある。マニアの限られた財布の中身を巡ってどう攻防が繰り広げられるか、楽しみでもあり、ちょっと先行き不安にもなる。はてさて。


2001年03月18日() 旧暦 [n年日記]

季節の変わり目に

 どうも季節の変わり目になると、指の先の薄皮がぼろぼろ剥がれてくる。
 気候の変化によるホルモン代謝の変化の問題だろうか?
 え〜、現在ワタクシ、 アギト ベタホメ週間です。「クウガ」の時も横目で見ながら「やるもんだなぁ」と思ったけど、 アギトはそれに輪をかけて燃えますな。先日日記で「敵まっぷたつとかしないかしらん?」 とか書いたら、本当にカラス怪人真っ二つにされてるし。ほんのちっちゃくだけどね。
 ギルスの変身と同時に廃屋の窓ガラスが一斉に飛び散るところとか、アニメチックで ドハデでいい。
 確かに役者の演技力とCGによる効果には一考の余地はあるけど、面白いんだからまあいいや。
 クウガ派とアギト派の意見の対立とかも一部のファンの間にはあるみたいだけど、 こうやって前作の成功にただ乗っかっただけでない、ファン層が別れる程毛色の違った作品が出てきて、 それが今のところ成功してるってのは、幸せな事ではないのかなぁ。
 晩飯はスーパーで売り切り半額だった冷凍イカとキムチもろもろを買ってきて、イカキムチやきそば。 イカを丸ごと一杯捌いたのはさすがに初めて。ワタを捨てちゃったのはもったいない。 次までには塩辛の作り方を勉強しよう。あと、イカの外套膜にはちゃんと飾り包丁を入れた方が味が馴染むようだ。 日々此れ勉強。
 「サンデーGX」で「ワイルダネス」再開。ストーリーがつかみにくいという声に応えてか、 総集編ぽく。ケンケン(=マットレイ、セルマ)の女が密告者ってわけですか。 なんかただの傍観者というわけではなさそうっすね。
 同誌に広江礼威氏の「ブラックラグーン」が。ちと最後は力技という気がするけど、絵的な 嘘に気持ちよく乗れてしまう。キップのいい台詞の応酬も気持ちいい。いよいよ本領発揮か?
 「電撃大王」のガンパレードマーチコミックは…ううん。軍隊部分の描写が完璧に足を引っ張ってる気が。 他はそんなひどいとは思わないのだけど…それにしてもこの雑誌、紙質の悪さとそれによる印刷の悪さはどうにかならないか。 トレカなんぞつけんでいいから。


2001年03月19日(月) 旧暦 [n年日記]

アタマ、使ってる?

 このコピーを見ると「お前が使ってるか?」と思わずガイ・リッチーに聞き返したくなる 「 スナッチ 」(いや、別に監督が考えたコピーではないのだけど)。ようやく見に行きました。
 マニアの映画評では「前作(ロック、ストック&トゥースモーキングバレルズ)と同じ」 というのが定評になっていたので、どんなかと思いましたが、本当でした。(^^;
 でも楽しめないってわけではないですよ。言うなれば「用心棒」の後に「椿三十郎」 が撮られたようなもの…って、ワシ、「用心棒」は好きだけど「椿三十郎」は好きでないのだよな。
 基本的に前作のショットガンがダイヤに、麻薬の売上金が賭けボクシングになった感じで、 基本のストーリーラインは同じ。しかも出演者が一部同じなので「おお、ベーコンにトム、なにやってるん!?」という感じなのだ。トニー(前作ではビッグ・クリスを演じてた)の登場シーンは前作を見てると大笑い出来るのだが、 劇場で笑ってたのワシだけでした。いいもん。寂しくなんかないやい。
 なんか世間ではブラピ(ブラッド・ピット)が出てるのが話題になってますが、 どうもおいしいとこ取りの感が強く、多分「スター」ブラッド・ピットの扱いとしては正しいのだろうけど、 映画全体としてはちとバランスを崩してる感はある。完成度自体は前作の方が上かもしれない。
 まあ、基本的に肩の力を抜いて馬鹿っぷりを楽しむ映画なので細かい事はいいか。ちなみに色気は全然なし。1.5点。