不定期日誌


google検索

日記内検索  ウェブ全体から検索

hns - 日記自動生成システム - Version 2.19.9

先月 2001年03月 来月
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
HNS logo

2001年03月01日(木) 旧暦 [n年日記]

たまには日記らしく…

 ちょっと連続のお勤めが無事終り、久々に爆睡。他の作業も並行してて睡眠が削られてたってのもあるけど、どうも緊張でよくねむれてなかったらしい。
 ガキどもの成績のほぼ最終決定。最後のテストは結構趣味に走った問題を作ったので、出来は予想通り悪い。でも平均60点台ならそんなものだろ。何人かは授業評価等を加えても赤点だったが、時間もなかったので直に連絡して、レポート提出でOKにするということにする。まあ物理わからなくても死にはしないが、理解の努力くらいはして欲しいものである。
 とりあえーず事務に結果を送ってひとまず終了。一年間自分にご苦労様。


2001年03月03日() 旧暦 [n年日記]

言わなくてもいいこと。

 世の中には言わなくてもいいこととか言った方がいいこととか、まあ色々あるのである。
 某大元帥閣下の至言「情報の一人占めはいけない。共有せよ」を出来る限りは実行しようと しているのだが、まあいかんせん流石に流せない情報とか流すと面白い事になりすぎる情報 とか、色々あるのも事実である。
 「マトリックスはサイバーパンク以前にテロリストムービーである」という事を言っても 興味のない人は興味がない。時代劇でどのシリーズが面白いとかも、たいして世間的には 意味がないのである。いや、こういったことは昨日古巣の飲み会で全部喋ってきたのだけどね。 (^^;
 普段マニア話なんか出来ないので、ついこういう機会があると舌が回りすぎるのだよなぁ。 まあマニア話も楽しくやる分には問題無いが、やりすぎるとまわりが引くのでほどほどに。
 一昨日のBSマンガ夜話、こともあろうに取り上げたのが「岸和田博士の科学的愛情」。 以前研究室の遠足の時に「岸和田博士と安川君?」とボソっと言ったらK澤さんだけが受けた ということがあったりなかったりだが、出演者が「くだらない事描く事に命かけてる」とか 「普通これだけ一生懸命くだらない事やると、単にくだらないのではないと弁護したくなるけど これは本当にどこまで行ってもくだらないものなぁ」と散々言いながら、実は全員この漫画 のどこが好きかを延々騒いでいるだけという、異様な熱のこもった回で、あれは読んだ者で ないと絶対共感出来ないわな。
  2ちゃん のアギトスレッドを横目でちらちら見てたけどなかなか笑える。


2001年03月05日(月) 旧暦 [n年日記]

特売特売

 昨日の日記が書いてないのは、ギルス初登場の回の アギト を見逃してショック受けて一日自失呆然としていたせいではありません。ホントだってば。
 友人とIRCで「アギト面白いじゃん」「え〜、演技ダメダメ。我慢できん」「ワシはギルスが好きだからな。愛してると言ってもいい」などとかなりダメな口論をしていたほどなのに…トホホ。
 昼頃に起きて、近所のスーパーが新装開店だったのを思いだし、行ってみる。ずっと以前はスーパーで、それから100円ショップに変わり、それからまたスーパーに変わったというちょっと特異な経緯なのだが、580円のうなぎが特売で298円だったので買ってきてうな丼。おいしゅうございました。
 ちっと臨時収入があったので、Burn-proof対応のCD-RWでも買おう。残りは貯金。
 これまた関係無い話で恐縮だが、トヨタクラウンのワゴンで「司法解剖室」に長さ170cm前後、幅50cm弱、高さ15cmほどの謎の包みが運ばれてるところに出くわしたり。三人がバッグの取っ手で支えて持ってたけど、どうも死後硬直してる感じ。ちょっとドキドキ。その後 すき屋 でキムチ牛丼並セットを平気で食いましたが。人間なれればなんとでもなるものです。
   ところでウルフルズのカバーしてる「明日があるさ」って聞いてるとそこはかとなくムカツクのってワシだけ?


2001年03月06日(火) 旧暦 [n年日記]

お食事中の方は見ないで下さい

 忠告はしました。一切の苦情はうけつけません。
 え〜、さっき晩飯食ってたら 突然吐き気がした ので急いで トイレに懸け込んだら 案の定 吐き ました。
 ワタクシ、 嘔吐 が腹筋と横隔膜の力を必要とする力仕事だと言う事を初めて知りましたよ。腹筋が痛い痛い。
 なんか変なもの食ったかなぁ、と考えるも、思い当たらない。 心当たりがありすぎて
 折角買ってきたUSB接続のCD-RWも認識せんし、仕方ないんで、正露丸でも飲んで休みますか。案外とデリケートなのな、ワシの胃…
(伏字ばっかだな)


2001年03月07日(水) 旧暦 [n年日記]

とんがった丸(円錐?)

 昨日の食中りの影響で、まだちと胃腸の調子が悪い。でもそんなこと言って激辛ラーメン+替え玉を平らげたのはナイショだがな!
 定員オーバーで申し込みが撥ねられていた Day CONTACT 1 in Nagoya は、キャンセル空きにどうにか潜り込めた模様。ふう。
 「最近、とんがってるだけの文章は疲れる」とこぼしたら「とんがってるってどういうこと?」と突っ込まれた。まあ「とげとげしい」と言うか、「挑発的」と言うか、まあそういうことですか。とんがるのもまあ芸の内なのだし、若いうちはそういうこと出来るのも特権だと思うことにしてるけど、やはり背後に怒りのないとげとげしさは見ていてむかつくだけになってしまった。
 ん? いや、昔から結構むかついてたよなぁ。そういえば。取り敢えず自分が無自覚に撒き散らす背景無きとげは棚上げ。
 昔、中世のお城には道化って奴がいたわけです。道化は皆にさげすまれ、笑われる代わりに「皮肉」「風刺」を口にしてとがめられないという特権がありました。日本にも河原者とかがいたわけですし、風刺としてのとげを芸にしたものとして「演歌」(今の所謂演歌でなく、川上音二郎とかの演歌。演歌の演は演説の演だったのだ)があったわけだったりします。イギリスとかでは今でも風刺としての笑いってのは結構主流だし、あのモンティ・パイソンのブラックな笑いだって世間のあらゆる物に対する怒りが背景にあるわけです。わるふざけもあるのだけど。顧みるに、日本の今の笑いに怒りはあるのでしょうか。日本のお笑いタレントが早々に「文化人」に転向して認めたがられる理由ってのは、笑いの背景に認められるような普遍的な怒りがないからではないか、なんてちとバラエティ番組を見て思ったのことよ。


2001年03月08日(木) 旧暦 [n年日記]

一日目

 物理系と生物系の根本的なものの考え方の断絶を知る。ううむ。
 どうもあちら側からはこちらは異星人のように見えるらしい。異星の客。
 まあワシの話し方とかには癖があるのは確かだが、物理学科ではこれで不自由はしなかったしなぁ。
 生物系の、根本的な所にある定性的なものの考え方はどうもやはりなじめんようだ。
 アギトのギルス初登場の回は裏取り引きでどうにかなりそう。
 後輩からウルトラセブンの永久欠番の回を見せてもらう。げ、これにでてくるクソガキの名前が「シンイチ」だった。
 前の研究室で見てたら、友人が「この音って、UFOの音?」と聞いてくる。その通り。「みよみよみよん」というこの音はUFOの音で「しゅびびびび」というこの音は怪光線の音なのだ。誰が決めたかなんて知らないが、そういうことになっている。
 しかし「セブン」は当時にしても社会派な内容だったとはいえ、アイスラッガーで敵の首をちょんぱしたり身体を真っ二つにしたり、今考えるとPTAからよく苦情が来なかったものだと思う。
 それ考えると、ギルスヒールクロウで敵まっぷたつ猫まっぷたつとかやらないかなぁ。無理か。


2001年03月09日(金) 旧暦 [n年日記]

二日目

 うーむ、物理は現象自体の面白さというより、いかに普遍化してモデル化できるか、そこの辺に興味があるのだな。 相対化できる対象価値があるとよくわかる。
 研究室に来てるお客さんと一緒に現ボスの家に夕飯にお呼ばれ。久々に家庭料理が味わえました。
 その食卓の席でMP3の話が出たけど、突っ込みたくてしかたなかったことしかたなかったこと。 だって間違ってるんだもの。MP3の音質が劣化するのは、基本的に不可逆圧縮だからですって。でも突っ込まなかったけど。
 ついでにまるで最新技術みたいに話をしてたけど、前ボスがどこからか宇多田ヒカルのMP3を探し出してきて聞いてたりしたなんてのは黙ってました。いや、イチオウ、アレがソレでナニですから。
(研究室関連の人でないとよくわからんネタだな、今日は)


2001年03月10日() 旧暦 [n年日記]

最終日

 いったい一日目とか二日目とか最終日とか何かというと、研究室にお客サンが来てるのに合わせて実験強化週間(週間じゃねえ)で、ついでに徹夜あけなわけで。
 ちなみに体力的には三十数時間連続可動でも結構大丈夫ですが、集中力の維持がやはりできなくなりますな。今回は仕方なかったとはいえ、二十四時間くらいで切り上げるのが本当は良かったかも。
 そろそろ卒業式のシーズンなわけです、夜の校舎窓ガラス壊して回ったな奴もいたりするのでしょうね。他人の迷惑顧みず、自己陶酔に浸って。
 そういう連中って親とか学校とか社会とかからの支配だとか勝手に思ってる場合があるわけだけども、だったら学校出たら自由かって言うとそんなわけはない。連中の考える「自由」なんぞ、この世のどこにもないのだ。ハッパでらりったヒッピーの頭の中ぐらいにしかない。被支配なんてのも所詮は幻想なのだ。
 しかし、そういう連中も身持ち崩して破滅でもしない限りは、それなりに家庭を持ったりなんだりとかして落ちつくわけだ。そして「俺も昔は無茶したよなぁ」などと、自分勝手にドキュンな悟りを開いたりするわけっす。でも本質は変わるわけで無いから、その価値観の中心というのはどこまで行っても自分中心。でも、身内以外の社会との折り合いもそれなりにつける知恵はつけるわけだ。過去の自分を反省もせず。自分勝手で自己に無批判で、理論だっても何もいないただの鈍化。しかし同時に別の、良い物でも悪い物でもない、それ以外の価値の中にあるものを身につけていく。それが健全な成長なのだ。我侭で自分勝手で論理だってもなにもいない、成長なのだ。
 連中でなくとも、多かれ少なかれ多くの人間がそうやって健全に成長していくのだ。それは多分、決して悪い事でもないのだ。
 それでも時々思う。健全なんてくそっくらえ。