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2004年09月01日(水) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 粗大ゴミは闇夜にどうぞ

 必殺からくり人 第五話。
 天平の住む百万坪の埋立地に、男の死体が捨てられていた。見つけたとんぼは奉行所に届け出ようとするが、天平は身辺をかんぐられることを怖れて死体を埋め戻してしまう。このことが原因で天平ととんぼは口論に。罪悪感を覚えた天平は、履いていた足袋から死体はゴミ回収業者の港屋の主人と当たりをつけ、湊屋にそのことを知らせに行くが、なぜか港屋の女将は、知らぬ、主人は生きている、と天平を追い返す。
 その頃、江戸の二つのゴミ回収業者、港屋と半田屋はヤクザからかいやがらせを受けていた。ゴミ回収業の利権を狙ってのことだったが、その裏にはまだ何者かがいるよう。そんな折、港屋の跡取り息子が誘拐され、命と引き換えに暖簾をたためと脅される。店を閉めることも子供の命を捨てることもよしとしない港屋の女将は、からくり人に子供の救出を依頼する。

 江戸は同時代の同規模の都市に比べると非常に清潔で綺麗だったのだけども、それはゴミや糞尿の回収制度がしっかりと確立していたからでもある。と、いうことはそこには当然利権が絡む。そのゴミ回収業への参入を狙うヤクザと既存の回収業との攻防に、からくり人たちが巻き込まれる。
 ヤクザの大前田英五郎の背後には利権の分け前目当ての目付が控えているのだけども、防戦の港屋側も必ずしも正義とは言えない。女将も暖簾を守るために主人の死にも素知らぬふりをし、子供の身に危険が及ぶことを承知で脅しに屈しようとせず、目付にも身体を許す。この女傑を演じるのは弓恵子。この人もわりと必殺シリーズ常連で、仕置屋稼業では犠牲者の横内正の妻役を、商売人ではうなされた主水の夢の中で主水を殺す悪女を演じている。色気と迫力の同居した物腰で、ヤクザのバシタを思わせるが、実際に映画でヤクザの妻とか女渡世人などを数多く演じている。当時はだいたい40才くらいだったはずなのに、この艶っぽさはただものではない。
 また、その港屋たちを脅かす上州のヤクザ・大前田英五郎は実在の人物。最後の仇吉との対決シーンは貫禄対決。殺陣の出た分で仇吉の勝ちか。
 その他、天平ととんぼのじゃれあいのような喧嘩もほほえましいが、藤兵ヱが仇吉とのやり取りで口にした「あの二人が兄妹ってのは、本当なんですかい?」という言葉は、以後関係する話が出てこないので意図と真偽は不明である。関係しそうなのは今回未放映になる第十一話「私にも父親をどうぞ」で、とんぼの父親が仇吉の元恋人で仇吉を騙してオランダ人に抱かせ、出世の糸口にした絵師であることが判明することか。天平の母親も同じ絵師に騙されていたという設定だったのかもしれないが……
 それにしても間寛平演じるへろ松は「ガキじゃねえか」と言われるのだけど、このとき間寛平は実年齢28歳……へろ松だけじゃなく、とんぼや天平の設定上の年齢は何才なんだろう?
 あと、驚くべきはゴミ埋立地に埋められていた死体役の役者さん。人形じゃなくって、人間が埋められてるよ! 大部屋役者さんなんだろうけど、いきなり埋められて、面食らっただろうなぁ……
 明日は第六話「秘め事は白い素肌にどうぞ」。脚本は早坂暁ではなく、中村敦夫の実弟の中村勝行。だけどこの話も謎解きがからんでいて良く出来ている。


2004年09月02日(木) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 秘めごとは白い素肌にどうぞ

 必殺からくり人 第六話。
 とんぼは困窮して江戸に出てきたお藤と知り合う。江戸に出て早々騙されて女郎にされかかったところを救ったのだが、病身の母親と百両の借金を抱えており、とんぼは彼女のために働き口を探す。
 時次郎の知り合いの刺青師伊佐吉は、猥らな彫り物をしたということで鞭打ちの刑を受ける。芸術家気質の伊佐吉はお上の無理解に愛想を尽かし、日本を脱出すると言い出す。なにを言い出すのかと驚く時次郎に、オランダ商館出入りの商人・長崎屋に、オランダ人の妾に刺青をして欲しいと頼まれた、というのだ。
 一方お藤の仕事を探すとんぼは、出島出入りの商人の長崎屋に声をかけられる。仕事の内容はなんとオランダ人の妾。とんぼは憤慨して出てきてしまうが、その話を聞いたお藤は長崎屋へ駆け込む。
 そして、川原に刺青を施された女が死体で上がるという事件が起きる。

 女の肌に指定した絵柄を彫りこんで欲しいと依頼されるのだが、その絵柄とは実は 日本地図シーボルトの事件が有名だけども、それをどう持ち出すかという策略に、彫り師とからくり人が巻き込まれる。そもそもらしゃめんを本国に連れて帰るのってOKだっけ? とか、長崎の出島以外にオランダ人が? と思わずにいられないけど、まあこの辺は目をつぶらないと話が進まないので目をつぶる。
 しかし、肝腎の彫り物はお藤の背中には見当たらない。一体どうすれば彫り物が浮かび上がるのか。これが一つの謎になっている。
 一方、刺青の美にとり憑かれ、長崎屋に利用される伊佐吉を演じるのは大塚吾郎。「必殺必中仕事屋稼業」では半兵衛に惚れているオカマの親分を演じているが、奇しくも半兵衛を演じた緒方拳との再度の絡みだが、お互い演技がまったく違う。すごいなぁ。
 一方、日本を外国に売るに等しい姦計をめぐらす長崎屋は山形勲。悪びれず、日本の将来のためと嘯きながら邪魔になった女たちを次々と殺す。仇吉との交渉にも一歩も退かない。 冷やすと浮かび上がる冷やし彫りが分からねば、からくり人たちのほうが勝負に負けていただろう。からくり人に出てくる悪は皆、貫禄があって軽くないのがいい。悪人になるならこういう悪人になりたいものだ。
 明日の放送は「佐渡からお中元をどうぞ」。殺しどころか立ち回りすらないという、必殺シリーズでは異例中の異例の回。是非ともどうぞ。

[その他] 帰ってきたどうでもよいこと

 実はここ数日、どうでもいいことが気になっている。「あそびにいくヨ!4 やめてとめてのうちゅうせん/神野オキナ」( bk1 amazon )のサブタイトルの「やめてとめて」ってのは、やっぱ必殺仕置人で印玄に屋根から突き落とされた悪人が叫ぶ「やめてとめてやめてとめて……」の「やめてとめて」なんだろうか? いや、このシリーズ読んでないのでわからないのだけど、 あらすじ紹介 とか見ると宇宙船が落ちてくる話みたいだし、落ちる、で「やめてとめて」というと、それしか連想できないのだが……
 あと、あまり興味がなかったので気が付かなかったが週刊少年ジャンプの藤崎竜の新連載「waqwaq」の第一話サブタイトル「天国とは神がおわすことなり」って、なんか冗長で決まってないなぁと思ってたけど、ふとテッド・チャンの「地獄とは神の不在なり」のパロだと気付く。ジャンプ読者にゃ大半は通じないだろう。ってえか、言葉をひっくり返すととたんにゴロが悪くなるなぁ……


2004年09月03日(金) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 佐渡からお中元をどうぞ

 必殺からくり人 第七話。
 花乃屋一家は追分に避暑に出かける。とんぼは天平と一緒に行楽ができると無邪気に喜ぶが、もちろん本当はそんな話ではない。
 仇吉たちは追分の本陣(御用宿)の隣の百姓家を借り、そこに滞在すると、男衆はいきなり床下に穴を掘りはじめる。やがて伝蔵という男も現れ、一緒に穴掘りに加わる。
 実はからくり人たちの狙いは江戸へと運ばれる金塊。伝蔵は佐渡帰りの金掘りで、五年前に軽微な罪で佐渡送りになり、佐渡の流刑人仲間が多く死んだ中で、かろうじてご赦免で生きて帰って来たのだ。そして佐渡の金掘り集めのための無理やりの摘発で佐渡送りになり死んだ仲間たちの為に、御用金を盗み出してそれを遺族に配るのが今回の依頼だった。
 御用金が届くまでに蔵の直下まで三十一間(およそ五十六メートル)を掘り終えねばらない。果たして間に合うのか──?

 主人公たちへの依頼に伴う殺しがない、必殺シリーズ中たった三本のうちの一本。
 冒頭はかき氷を食べる現代の娘をうらやましそうに見るとんぼで始まる。冷蔵庫や冷凍庫なんてものがなかった当時、夏場に氷なんてのはまず絶対無理で、一部権力者が氷室に保存していた氷をかろうじて口にすることが出来るくらいだった。実はこれが「盗んだ金塊を、どうやって関所を越えて江戸まで運ぶか」の伏線になっている。
 佐渡の流刑人は本当に悲惨だったようで、流刑になって生きて帰って来られるのは一割にも満たなかった。実は元禄十三年(1700年)に一度佐渡への流刑は中止になっているのだが、無宿人対策として1778年に再開される。以後、安価な労働力として積極的に佐渡から流刑の要請が来るようになる。
 上記のような事情だったため、名分は無宿人の改悛のためとしながらもその実態は過酷であり、出水 *1 や落盤、劣悪な環境による病のため、多くは三年を待たずして死んでいった。実質的に佐渡送りは死刑と同義だったのだ。
 このような過酷な流刑環境は佐渡が特殊でその他はそれほどでもなかったのだが、やはり八丈に島送りになり島抜けしてきた花乃屋一家にとっては他人事ではなかったのだろう。
 この血の吐くような依頼に立ちはだかる穴掘り、蔵破り、そして関所越えという難関また難関をあの手この手で切り抜けていく。そのテンポの良さに、殺しのシーンどころか殺陣すらないことも忘れてしまう。
 話の背景は悲惨だが、痛快に権力者の上前をはねる好編。脚本家早坂暁の力量を見せつける、面目躍如の一本である。いつも儲けにならない仕事ばかりしてるからくり人たちも、今回はしっかり分け前を取ってるし。
 それにしても狙ったわけではないだろうが、「浅間山が噴火しときに〜」って台詞が出たときにはちょっとドキッとした。
 次回は「私ハ待ッテル一報ドウゾ」。メインになるのはいつも仇吉の脇に控えて決してしゃしゃり出ない藤兵ヱだが、人でなしの親とそれに翻弄される子の、胸に突き刺さるように切なく、救いのない話。
*1: 流刑人の作業の多くはこれのため。掘り進めば進むほど水が出てくるのでこれを穴の外にくみ出さねばならない。西洋での蒸気機関の発達は、実は鉱山などで出る水を汲み出すポンプのためでもあった。

[その他]

  米軍が曲芸飛行ショー中止産経 )。十年ぶりに来日の米空軍アクロバットチーム「サンダーバーズ」の展示飛行なのだけど、例の沖縄でのヘリ墜落のため、今回は中止だそうな。と、言っても沖縄基地での展示飛行のみの話なので、その他の地域では予定通り。沖縄の航空ファンには残念だったけども、確かにちょっとタイミングが悪いものなぁ。
 そのヘリ墜落事故、 「素晴らしい操縦だった」=海兵隊称賛記事に批判時事 )なんて記事も出てるのだけど、県民感情が逆なでされるのも、民家に被害を出さず安全な場所にきちんと落としたこと(きちんと自分の命も守った上で)ってのを「よくやった」というのも、気持ちとしてはわかるのだけどね。事故自体は良くないことだけど、それだからと言ってそれへの対応もひとからげに批難すべきとは思わないのだが……


2004年09月05日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 調子わり〜

 ってのは昨日の話なんだけども。
 昨日は朝目が覚めたときからやたらと気持ち悪く、なんとか腹にものを入れた後は保冷材を氷まくら代わりに昏倒するように布団へ。一日の大半以上を寝て過ごす。おかげで今日目が覚めたら気分は良くなっていましたが。
 でも外、ほとんど雨なのだよなぁ。
 一番近い書店に置いてない本を探しに二番目に近い書店にまで足をのばしたのだけど、生憎雨脚が一番つよいときで、風景が水煙に煙っているみたい。タイミングが悪かった。
 そこでちょこっと「ヤングキング キングダム」を覗いたのだけど、どうもちょっと体制を整えなおすようで。その準備のためか、すぐに休刊でもないのに今月号で一旦休載の連載も多く、志村貴子「ラヴ=バズ」はOURsに引っ越してくるそうな。う〜ん、読者層が大丈夫かなぁ。
 書店ではハリー・ポッターの新刊が山積み。まあ、入れれば入れただけ出るに近いだろうし、書店側もがっちり稼いでおきたいところなんだろうなぁ。
 まあ、ワタクシはそんなのとは関係なく「ローマ人の物語8〜10」と「アニメがお仕事!/石田敦子」( bk1 amazon )、 コミックフラッパー 10月号を購入。
 NHK大河ドラマに便乗してあちこちで新選組ものが連載されているのだけど、フラッパーの「THE EDGE〜新選組」は、大胆な新解釈とか奇抜な設定とかそういうのはないが、正攻法に骨太で読ませる。ちと、週刊青年誌などでわりと読み応えのない新選組ものがあったりもするので、こういうのがあると安心する。ところでNHK大河ドラマのタイトルを「新撰組!」としてる人がいるが、番組タイトルとしては「新選組!」なわけで、どっちでもいいじゃん、と思うかもしれないし、実際組織の呼称としてはどっちでもいいのだけど、番組名なんだから少し気を遣った方がいいのではないかなぁ、とか思ったり。
 昨日の ウォーターシップダウンのうさぎたち は、怪我をしてアナグマに連れ去られたファイバーと、一緒に勝手に外出したのでそのことを言い出せないピプキンの二つが縦糸の話なのだけど、心優しく孤独で不器用なアナグマのバーグの寂寥がなにより胸に突き刺さる。それにしても先週裏切りがばれてウーンドウォート将軍の虜になったキャンピオンはどうなったんだ?

[その他] 地震

 いや、流石にびっくりした。今夜、知らないうちに瓦礫に押しつぶされてたりはしないだろうな。ガタガタガタ。


2004年09月06日(月) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 私ハ待ッテル一報ドウゾ

 必殺からくり人 第八話。
 大店の越前屋に、十年前神隠しで行方不明になったきりの一人息子・彦市が帰ってきた。店はよろこびに沸くが、花乃屋に三味線の稽古に出入りしている彦市の幼馴染せんは怪訝そうだ。昔、彦市が川で溺れかかってせんが助けたことを覚えていないようなのだという。
 とんぼは、十年間大変だったのだろうし、記憶が混乱してるのだろう、と慰めるが、その翌日、せんが水死体で見つかる。
 あまりに不可解なタイミングでの事故死にからくり人たちは越前屋と彦市を見つけてきたという新兵ヱの周囲を調べ始めるが、新兵ヱに探りを入れていた藤兵ヱが、赤子を抱いた女に刺され、瀕死の重症を負ってしまう──

 まず思うのは「ジュディ・オング、ちっちぇ〜!」<いきなりソレかよ
 彦市の幼馴染せんを演じるのは「仕留人」の主題歌などを歌っていた西崎みどりなのだけど、別に彼女が大柄というわけではないのに15歳の役の彼女と比べてもジュディ・オングはそれよりさらに頭半分は小さい。そういえば、「おしどり右京捕物車」でジュディ・オングが中村敦夫の妻役に抜擢されたのは、手押し車に乗った中村敦夫と同じ画面に入るその背の低さが決め手だったと聞いたような。
 それはさておき、この話では二人の母親が出てくる。一人は越前屋の女将、もう一人は自分の子供を神隠しに遭った越前屋の子供に仕立てて身代を乗っ取ろうとする女。
 越前屋の女将は帰ってきたのが実は本当の息子ではないと薄々感じつつも、それでも新しく子供を授かったと思おうと一層彦市にやさしくする。しかし、悪人たちの計画どおり夫ともども殺されてしまう。
 そんな悪人たちの悪事に荷担する偽の彦市だけども、「あの人が本当のおっかぁだったら良かったのに!」とむせび泣きつつ、また、悪事に荷担したがっていないのを見て、藤兵ヱもどうにかしてやりたいと願う。が、最後、再び藤兵ヱを殺そうとした女殺し屋を藤兵ヱが返り討ちにした瞬間、偽彦市の口から「おっかぁ!」の叫びが漏れる。女殺し屋は偽彦市の実の母親だったのだ。
 子供の前で実の母親を殺してしまったショックに立ち尽くす藤兵ヱ。だが、偽彦市は「こんな奴、死んだ方が良かったんや!」と言いながら、母親の背負っていた自分の弟である赤子を拾い上げ、二人きりで生きていく決意をする。
 立ち去ろうとする二人に、藤兵ヱがせめてもと「困ったことがあったら花乃屋に来い!」と呼びかける。しかし、偽彦市は憎しみを顔に浮かべながら「おっかぁを殺した奴の世話になんかなるものか!」と叫び、夜の中に消えていく。
 酷い母親でも憎悪していても女は偽彦市にとっては母親だった。「ここまで徹底的に突き落とさなくても」とすら思える、情け容赦のない結末。
 明日の「食えなければ江戸へどうぞ」と明後日の「お上から賞金をどうぞ」はやや低調な回か(脚本が早坂暁じゃないし)。決して中村勝行氏や保利吉紀氏が悪いわけではないが、やはり必殺における早坂脚本のひねり方というのは見る人間の感情を二転三転させるものなのでどうしても違いが目に付いてしまう。スケジュールの都合上、緒形拳がほとんど出ないので無理が出てる部分もあるし。でも木曜金曜の「鳩に豆鉄砲をどうぞ」と「終わりに殺陣をどうぞ」は必見。

[その他] ワールドコン、日本開催決定

 おめでとうございます。数年前から広報などを行われているのをみてましたが、報われるべき努力が報われたという印象です。あとは、誰よりも日本でのワールドコンの開催を待ち望んでいたであろう柴野拓美さんの健康を祈るのみです。

[その他] 不満

 いや、愚痴にもなってない話。
 なんでもボトムズのDVD−BOXが出るそうなのだけど、なんとお値段105,000円。ボトムズは全52話なので一話あたりに換算すると2,019円。そりゃオーサリングやデジタルリマスターやらいろいろやるのだろうけど、それでもこの値段はなかろうと思ってしまうのだが。アタクシがこの次買う予定の「必殺仕業人」は上下巻で各19.950円。各巻14話収録なので、一話あたり1,425円(追加:ここ、勘違い。上巻16話19,950円、下巻12話14,700円で、1話1,237円)。さらに一時間番組なので、時間単位に換算するとさらに半分になってしまう。
 企業として収益を上げようというのは否定しないが、ちとオタクぼったくり商法がすぎやしませんかね?
 あと、こちらは不満ってほどではないけど、「エース桃組」連載の「鋼鉄の少女たち」を読んでいて、なんと言うか、胸にしこりのできたような不快感が伴うようになってきた。いや、不快なら読まなきゃいいじゃん、ってのはその通りなのだけど、それが何故なのかというのが気になって。結局、原因は「戦争」という現実に起こる・起こったことのパーツを再構成していることに起因しているのだと思う。いや、再構成自体は全然OKなのだけど、組み上がったものは現実の戦争とは異なり、でもノンフィクション性を錯誤させている。どこからどこまでが正しいのか、そして実際の問題と一緒に違うものまで錯誤させられてないか、という状況がどことなく居心地が悪いのだと思う。つっても私も現実の戦争を知ってるとは言いがたいから(そしてそれは幸運なことでもあると思う)、結局「自分のとらえている戦争像と異なる」ってことにすぎないのだろうけど。


2004年09月07日(火) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 食えなければ江戸へどうぞ

 必殺からくり人 第九話。
 へろ松のところへ、田舎で食いつめて江戸にやってきた百姓・弥助が転がりこんでくる。おりしも人返し令が施行されており、身寄りや知人がいないと江戸にはとどまれない。
 へろ松は処遇に困って仇吉のところに連れていくが、話を聞くと一度人返しで江戸を追いだされたが、一緒に人返しになった地元のおさななじみ・すえがいつまでたっても戻ってこず、捕まれば死罪になる危険も省みないで彼女を探しに江戸へ戻ったとか。
 話を聞いてしまえば追いだすわけにもいかないが、後ろ暗いところのある花乃屋にいつまでも置いておくわけにもいかない。弥助と一緒に藤兵ヱがすえを探し岡場所にまで足をのばす。果たしてすえはそこに女郎として働いていたが、弥助の呼びかけにすえは答えず、弥助と藤兵ヱは廓の用心棒に叩き出される。
 これはなにか事情があると睨んだ仇吉は、天平を客としてもぐりこませ話を聞かせようとするがとんぼが大反発、結局とんぼが髪結いに扮して話を聞こうとするが、口をつぐみ何も聞き出せない。
 どうやら女郎屋に口利きした女衒に口止めをされていると踏み、その女衒・吉五郎に探りを入れる。やがて浮かんできたのは奉行所の役人と女衒・口入屋がグルになった悪巧みだった。

 決して悪い話ではないのだが、薄い。
 必殺としては十分及第点レベルなのだけども、いかにも普通の必殺シリーズっぽく、悪人もひねらずストレート。今回は早坂暁脚本ではなく、「秘めごとは白い肌にどうぞ」に続いて中村勝行氏であるためか、緒形拳のスケジュールの都合上、時次郎が未登場のせいか。
 役人・女衒・口入屋が結託して人返しになった女を江戸に戻してやると説得しつつ、ただ同然で買い叩いては暴利をむさぼるのだが、背景としては天保の大飢饉による地方の困窮がある。地方で食えねば、江戸に出てくるしかない。しかし農民の土地離れと、ただでも過密だった江戸の人口増化を嫌い、幕府は人返し令を発する。まあ、そこを狙ったセコイ悪事と言えばセコイ悪事。
 ただ、おすえはただ騙されたわけではなく、田舎に戻って食いつめて野垂れ死にするくらいなら身を売った方がマシと確信しての行動だし、弥助も面の割れた天平や藤兵ヱに代わって騙された田舎の娘たちの居場所をさぐるなど、あまりか弱い依頼人というふうでもない。この辺の、田舎者のバイタリティがもっと出せていればいつもと違うながらももっと面白くなったのじゃないかと思うのだけど。
 今回も金にならない仕事だが、口入屋の高田屋から金をちゃっかりせしめている。
 明日は「お上から賞金をどうぞ」。キリシタン取り締まりにかこつけ、私怨を晴らそうとする岡引が出てくる話なのだけど、これも早坂脚本ではない。でも明後日・再明後日の「鳩豆」と「殺陣をどうぞ」は必見。(いい加減しつこいか?)

[その他] ブーム

 妹からメール。近況とか世間話がてらこちらのこれからの身の振り方を心配してくれて、それはありがたいのだけど、世間話の部分がちと笑ってしまった。
 まあ、要は韓流、っつーかヨン様話なのだけど、お昼のワイドショーほとんどそのままだったんで。
#お昼のワイドショーは当然見ているわけではないけど、ネットとかで見かじり聞きかじりで。
 ワイドショーの言ってることが正しいか間違ってるかは知らないけども、あまりにこちらの実感とギャップがあるので、やっぱ人って見るものに影響されてるんだなぁ、というところか。
 こちらの周囲では「マスコミでそう騒いでるね」くらいの感じで、冬ソナすら見ている人は周りにいない。だから「見なくちゃいけないのかな」という空気もない。
 多分ブームの作り方ってのはそういうところがあって、「なんかよくわかんないけど見ないといけない」という雰囲気を作り出すことが大事なのだろうけど、冬ソナブームの場合にはF2層(35〜49歳女性)と受けている層がはっきりとしており、しかも主婦層が多いためそこから他になかなか普及していかない。最初からまとまったコミュニティで受けており、しかも他のコミュニティに伝播しにくいコミュニティのため、そこで完結してしまう。
 もうひとつ、冬ソナに便乗して他の韓国ドラマや映画も、という動きもあるが、これがなかなか上手く行かない。「ブラザーフッド」や「シルミド」などの(宣伝費に比しての)失敗はさすがになにも考えなさすぎだと思うが(日本人にはあまりなじみのない朝鮮戦争物を、ロマンスとかなしでやっても……)、そもそも冬ソナブーム自体が冬ソナやその出演者限定で、しかも出演者の他の出演作品にもなかなか波及しないという特殊性を持っている。その理由は、と考えてもよくわからないのだけど、女のオタクで似たような傾向がある。男のオタクというのは関連作品とかに波及し、作品そのものへの拘泥はそれほどしないのだが、女のオタクの場合関連作品などにはまったく見向きもせず、その作品だけに没入し、ファンのコミュニティを形成する傾向がある。あくまで傾向であって全員がそうではないけども、それと根は同じなのかもしれない。ペ・ヨンジュンが人気というのも「冬ソナのペ・ヨンジュン」が人気であり、そのタレントそのものが受けているわけではない可能性がある。
 と、まあここまでが状況分析。私が独自に考えたことですらない。
 常々不思議に感じるのは、マスコミのブームの煽り方である。昼のワイドショーなどは主な視聴者は主婦層、つまりもろにF2層だろうのでわかるのだが、ゴールデンタイムのバラエティなどでも一時期やたらと韓国ブームを演出していた。「冬ソナを見てない」と言っただけで苦情の電話がかかり、タレントが謝罪を余儀なくされたという異常な事例もある。
 ここでまた視聴者層の話になるのだけど、今のゴールデンタイムというのはF1層(20〜34歳女性)をメインターゲットにしているそうだ。視聴者層としての比率もさることながら、可分所得(所得のうち趣味や遊興、娯楽に使える分)が多いためだそうだ。私は時代劇が結構好きで、時代劇番組の数が減ったのは何故だろうと調べたことがあるのだけど、この辺も関係しているらしい。
 閑話休題、ゴールデンタイムで大々的にキャンペーンを張るということは、F1層への波及を狙ってはいた(る)のだろう。が、結果としてはどうも笛吹けど踊らずの感が強い。主婦層のコミュニティの間で回る話題以上にはならなかった、ということだろう。
 もうひとつ、冬ソナはNHK−BSで最初放映されていたのだけども、視聴率はそれほどふるわず、むしろその後のレンタルビデオやDVDの売上が伸びたのだという。
 このパターン、オタクだと非常に覚えがあるんですけど……そう、深夜アニメのビジネスモデル。(放送局にもよるけど)視聴率はさほど重視せず、スポンサー料ではなくコアなファン層へのDVD販売により採算を取る、というパターン。冬ソナはそれを狙ったわけではなかろうが、パターンとしてはそれにすっぽりはまってしまった。言ってしまえばマスコミの冬ソナ煽りは「たまたまDVD売上が良かった深夜アニメをゴールデンタイムでやたらと宣伝している」という状況に近い。それが当たらない、とは断言できない。しかし、音頭をとっても踊らないのに延々と意地になってやるようなことでもない。ちょっと苦笑物ではある。
 結果としては韓国ブームの演出は、その足がかりとなるはずの「冬ソナ」を、「わりとみんな見ていない」という印象を与えた時点で失敗に終わった。これは映画のCM等でよくある「感動しました」と観客に言わせる(というと語弊があるかもしれないけど)映像を延々と流す捻りのない宣伝が是とされるのと通じる部分があるのかもしれない。
 明らかにマーケティングと見込みのミスだと思うのだが、不思議なのはプロのテレビ屋さんがそれを見抜けないとは思えないことだ。それが、他社番組なのにも関わらず各社一斉に煽り始めた。その後の足並みはわりとバラバラでちょっと安心してるのだけど、韓国での日本の番組等の解禁などが絡んでいるとしても、一体誰が音頭を取っていたのだろうということも含めちょっと不思議な現象だった。
 あと、テレビ屋さんと視聴者の感じてる感覚の温度差も出たように思える。う〜む。必殺のDVDでも見ていよっと。


2004年09月08日(水) 旧暦 [n年日記]

[必殺] お上から賞金をどうぞ

 白玉を売っていたへろ松の目の前で、岡っ引に追い詰められた男が鐘楼の上から転落死する。へろ松は死体のそばに落ちていた首飾りをものめずらしさに持ちかえるが、それがキリシタンの十字架だった。当然キリシタンは死罪にもなるご法度。捕まえれば幕府から二十両の賞金が出るということで、皆血眼になって探しているのだ。
 とんでもないものを持ち込まれた仇吉は異教のものとはいえ捨てたらバチが当たりそうだと密かに隠すが、岡っ引の門蔵が嗅ぎつけ、花乃屋にやってくる。その場は仇吉が追い返すが、このままでは済みそうにない。
 実はキリシタンとして追い詰められ死んだ舟大工・平作は天平の知り合い。平作の恋人・なかをなぐさめる天平だが、なかは父親の菩提をお寺で弔ってもらった平作がキリシタンなわけがないという。
 お上に十字架を渡す気もないが、本当はどうだったのか、なかの為に白黒だけはつけようと調べだすからくり人たちだが、どうも岡っ引の裏から糸を引いているのは飾り職人の米吉。米吉は平作と同じ尾張の出身で、実は既に死んだ平作の両親に強い遺恨を抱いていた──

 米吉は隠れキリシタンだった親が平作の親の裏切りがもとで死罪になった。その米吉が平作への逆恨みが元の悪事。子を恨むのは理不尽といえど、その気持ちはわからないではない。が、平作をはめて偽キリシタンに仕立てあげたのみならず、その死に不審を抱いた平作の恋人のさととその祖父まではめてお上からの賞金をせしめようとしだす。あきらかにただの復讐から逸脱しており、それでからくり人に仕置きされることになったのだろうけど……
 ほとんど逆恨みとはいえ動機が復讐から欲得づくに変わる経緯がわからず、この辺ちょっと説得力に欠ける。米吉と組んでさとをはめようとする岡っ引の門蔵も、最初は平作が本当に隠れキリシタンだと信じてたわけで、同じく途中から賞金目当てに罪をでっちあげようとする。まあ、最初から性根が腐っていたと考えるべきなのだろうが、やはりそこらへんの逸脱の経緯は説得力を持たせてもらいたかった。米吉たちにそそのかされ、結局未遂に終るのに一緒に仕置きされる絵師の緑水がちと哀れ。
 今回はゲストキャラも薄いし、からくり人の中では一番落ちる話かも……見所は、貫禄を見せて岡っ引を追い返す仇吉と、いかにも美味そうに飯を貪り食う時次郎か?

 ちなみに冒頭で平作が突き落とされる鐘楼は必殺シリーズでは良く出てくる場所だけども、 京都相国寺 の鐘楼だそうな。
 必殺シリーズではこの鐘楼に限らず京都市内近隣の神社仏閣などでのロケがかなり多用されているが、これは製作を行っている京都映画(現松竹京都映画撮影所)の撮影所が実はむちゃくちゃ小さかったことも一因。太秦の映画村とか日光江戸村とかとはまったく比べ物にならない小ささ。しかも市街地にあり撮影はいろいろ大変なのだが、その逆境をはねのけ撮影所の規模を感じさせない画作りを工夫していた。
 必殺に限らずこういったロケは時代劇ではよく行われているのだけど、どこで撮影が行われたかなどの資料は こちらのサイト の「時代劇の風景」に詳しい。ものすごく詳細に調べてあります。視聴メモも必読。

 明日の「鳩に豆鉄砲をどうぞ」は必殺中でも五指に数えられる傑作。マスト見るべし。


2004年09月09日(木) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 鳩に豆鉄砲をどうぞ

 必殺からくり人 第十二話。
 ある朝、時次郎が花乃屋に訪れ、とんぼに手紙を託してまた去ってしまう。手紙には花乃屋と縁を切る旨と、十三日と十五日に人目につくところにいるよう、とだけ書き記してあった。
 そして時次郎は姿を消した。
 時次郎はきっと大きなことをやらかそうとしていて、皆に迷惑をかけまいとしてるのだと察したからくり人たちは、必死にその行方を探す。鉄砲鍛治に特製の長筒を作らせたり、天平のところから火薬を盗みだしたりと、失踪の直前に不審な行動をとっていたことが明らかになる。しかし肝心の行方が知れない。藤兵ヱが数少ない手がかりである時次郎のなじみの女郎・しぐれを訪ねると、身請けの金を置いて立ち去ったという。だが、仇吉は話よりしぐれの顔を見て驚く。その顔に見覚えがあったのだ。
 次に仇吉が訪ねたのは大店の紅屋。そこの新蔵・アキは実は時次郎のおさななじみで小さいときからの許嫁。そして女郎のしぐれに瓜二つだった。時次郎がそもそも八丈に島送りになったのも、ごろつきに絡まれたアキをかばおうとして、誤って相手を殺してしまったため。命からがら八丈を島抜けするも、アキは紅屋に嫁いでしまっており、それ以来、ときおりただ遠くから見守るだけだった。
 死を覚悟しての行動の前ならあるいはと、アキに時次郎が会いに来なかったか尋ねる仇吉。しかしその話を聞いて驚いたのはむしろアキだった。実は時次郎が島で死んだと聞かされており、紅屋に嫁いだのもそれで時次郎のことを諦めたからだった。そして静かな別れの痕跡に思い当たり、むせび泣く。
 これでいよいよ時次郎が死を覚悟していることは確実だが、結局時次郎は見つからぬまま指定された最初の日を迎える。
 その晩、一件の殺しがあった。犠牲者は南町奉行所の目付、花井虎一。調べると、尚歯会の蘭学者たちの一斉検挙、すなわち蛮社の獄に関わった人物だという。
 蘭学者、と聞いたしぐれがあることを思いだす。以前、腹痛で半昏睡状態になっていたところを時次郎によってある蘭医の元に連れられ一命を取りとめたことがあったのだ。蘭医の名は小関三英。尚歯会の一員で、蛮社の獄により命を断たれた一人だった。
 時次郎の狙いは明らかになった。しぐれを女郎と知りつつ治療し、命を助けてくれた小関に恩義を感じ、その死の原因となった花井虎一、鳥居耀蔵、後藤三右衛門、水野忠邦、そして彼らの手先となっている曇りに復讐をするつもりなのだ。
 日付から時次郎は彼らが参拝する上野の寺で彼らを狙うと推察し、からくり人たちは寺に駆けつけるが、周囲は曇りの手下たちに取り囲まれ手の出しようがない。もはや時次郎の悲願が成就するよう、祈るよりほかできることはなかった。
 曇りの手下達によって厳重な警戒が敷かれる境内、その五重の塔の上に特別製の長筒を構える時次郎の姿があった。仇の四人、全員が集まり、まずは鳥居耀蔵に狙いを定める。すべてを一撃に賭け、時次郎は引き金を引き絞るが──

 必殺シリーズ中、多くの人が認める傑作。そして時次郎の勇退話。
 いえね、決してアラがないわけじゃないんですよ。江戸時代にスコープ付きの狙撃銃かよとか、そんな短時間に組み立て式なんて特殊な銃ができるわけがないとか、計画に穴がありまくりだとか、一発で気付かれるんじゃ四人ともをしとめるのはそもそも無理なんじゃん、とか……でも、そんなことがまったくと言っていいほど問題にならないんですよ。
 皆が姿を消した時次郎を探すが、その時になってはじめて誰も時次郎のことをよく知らなかったことがはっきりしてくる。からくり人の中でも別働隊的な役割で、天平、とんぼ、へろ松らの若手と仇吉、藤兵ヱら海千山千の連中との間に立つ兄貴的なポジションだった。しかし同時に、擬似家族的な他のからくり人たちとは常に一線を隔しているようなところもあった。そして探すうちに明らかになる時次郎の悲しい過去、その過去と切り離せない目的。
 からくり人たちがすべてを知った時は、もはや事態は彼らの手の届かぬところで転がりだしていた。そして放たれる時次郎の乾坤一擲の狙撃。しかし、弾は たまたま時次郎の目前を横切った鳩にさえぎられ、それと共に時次郎は仇を討つ機会を失う。失意で脱力した後、すべてをあきらめた皮肉な薄い笑みを浮かべた顔と、流刑者の証である刺青の入った身体に、天平の小屋から掠め取った火薬を真っ黒になるまで塗りこめる。「負けて悔しい花一匁」と口ずさみながら。それは幼い頃、アキと一緒に歌った童謡でもあった。そして曇りの手下たちの迫る塔に火を放つ。大爆発と共に包まれる炎の中に、時次郎の姿は消えていく。

 愛した女のために島流しとなり、命がけで戻ってみれば女は新しい伴侶と人生を歩んでいた。誰のせいでもなく、ただの悲しいすれ違い。そしてその女の面影を持つ女郎の命を救ってくれた医者のため、時次郎は動く。生産的なところはなにもない。仇をとったところで医者が生き返るわけでもないし、思想的にどうこうという信念があるとも思えない。そもそも、命を捨てて復讐をするまでに医者に恩義を感じていたのだろうか。
 おそらくそうではない。恩義を感じていたのも、その人となりに感服したのも本当だろうが、時次郎が本当にしたかったのは、愛した女のためになにもしてやれなかったことへの代償行為だろう。しかし、それに失敗したとき浮かんだのは、自嘲ともとれる笑みだった。結局、上手くいったところでなにもならないのだ。おそらくはそれをどこかで知っていたからこその一瞬の笑みそして虚無。愛する女がすでに他の男のもとに嫁いだと知ってからの毎日はずっと、余生だったのだろう。長くて眠れぬ夜をすごしていたのは、時次郎自身にほかならなかった。

 話の背景にあるのは蛮社の獄。標本採取のため無人島への渡航を計画していた渡辺華山らの主催する「尚歯会」に対し、無断で密航の企てをしたと虚偽の罪状をでっち上げ捕縛した。多くの蘭学者が犠牲となった、有名な一大弾圧事件である。しぐれの恩人・小関三英も犠牲者に含まれる。
 相手は五人だが、この中でもなんと言っても一番の大悪党は鳥居耀蔵。時次郎も真っ先に狙いを定めている。この鳥居耀蔵は実在の人物で、他の時代劇にも多く登場している。しかもそのほぼすべてことごとくが悪人として、と言い切って過言ではない(一、ニの例外はあった気もするが)。
 鳥居は原理主義的保守派の再右翼。儒学者の名門林家の出身であるためか蘭学への敵意が並々ではなく、その上出世欲と野心にあふれた怪人物だった。目的のためには手段を選ばぬ男が蘭学への敵意と時代に逆行した信念と己の出世のため、老中水野との利害の一致のもと起こしたのが蛮社の獄である。
 巷で「妖怪」 *1 とも言われたこの男を、怪優岸田森がわずかなシーンながら怪人物ぶりを発揮させている。なんでも同じく早坂暁が脚本を手がけたNHK時代劇「天下堂々」でも岸田森が鳥居を演じ、からくり人でのキャスティングも早坂からの指名だったとか。よほど岸田鳥居がはまり役と感じたのだろう。
 時次郎の行動は「塔の上から幕府の重要人物を狙撃する」という、よくよく考えなくてもテロそのもの。よくこのご時勢に無事流せたなあとも思うのだが(でも、この話を流さなければからくり人を放送する価値は半減する)、それゆえに「鳥居がどうしても許せぬ悪である」と視聴者に腹の底から感じさせねばならない。だから岸田鳥居は非常に重要な役どころだった。

 最後、五重の塔での大爆音が、時次郎の長くて眠れぬ夜が終った事をからくり人たちに告げる。一様に悲痛な面持ちをするからくり人たち。しかし、話はこれで終わりではない。時次郎の気遣いにも関わらずこのことが仇敵曇り一家との最終対決を引き起こし、からくり人花乃屋一家の崩壊を招く。
 明日は最終回「終わりに殺陣をどうぞ」。
*1: 所領が甲斐だったため、それをもじって鳥居「耀」蔵「甲斐」守で「妖怪(耀甲斐)」。


2004年09月10日(金) 旧暦 [n年日記]

[必殺] 終りに殺陣をどうぞ

 必殺からくり人 第十三話(最終回)。
 花乃屋一家の仇敵・曇りは自分や鳥居を狙った狙撃が時次郎のものだと察し、仇吉を呼び出してサシで対面する。
 報復を受け皆殺しになるか、曇り一家の軍門に下るか。返答を迫られるが、元より曇りの脅しに屈する花乃屋仇吉ではない。
「あたしたちは涙以外とは手を組みません──」
 欲のためにお上と結託し非道の限りを尽くす曇り一家に下るなど、到底仇吉には出来ない相談だった。
 話し合いは決裂に終り、仇吉を迎えに藤兵ヱが舟を出すが、その舟を何者かが襲う。曇り一家だ。水中から来る敵をことごとく返り討ちにするが、多勢に無勢、短筒まで持った相手に、ついに藤兵ヱも倒れる。しかし、満身創痍となりながらも泳ぎながら仇吉の待つ岸へと舟を押す藤兵ヱ。そして舟を届けると、仇吉の目の前で息を引き取った。
 刺客が襲ったのは藤兵ヱだけではなかった。
 花乃屋で一人、仇吉たちの帰りを待つとんぼにも、曇りの手下が襲いかかる。一人は藤兵ヱから出立前に託された匕首でからくも返り討ちにし、もう一人は帰りついた仇吉が始末する。
 舟の中に冷たくなった藤兵ヱを見つけ、言葉を失うとんぼ。おそらく天平とへろ松のところにも曇りの手の者が向かっているはず──仇吉たちは取るものも取りあえず花乃屋を捨て百万坪の天平の小屋へと向かう。
 明け方になってようやく天平の小屋のあるはずの場所に辿りついたとき、そこに見たのは爆発で木端微塵になった小屋の残骸と、点在する死体だった。天平も死んだ、と早合点するとんぼを、仇吉は死体の中に天平もへろ松もいないのを見て「きっと生きてる」と励ます。
 実は前の晩、予知夢か虫の知らせか、父・藤兵ヱの死ぬ夢を見たへろ松に叩き起こされた天平は、小屋を取り囲む気配を感じて刺客たちの先手を取る。しかし刺客の一人が花火に火を放ち大爆発、天平は運良く助かるが、代わりに視力を失っていた。そして天平によって小屋から逃げ出させられていたへろ松の手を借り、入れ違いに花乃屋へと様子を見に行ったのだ。
 花乃屋一家は誰一人として生かしちゃおかねえと、曇りの手下たちがあふれかえる江戸市中を、逃げ惑い隠れるからくり人たち。仇吉は商家をあくどい手口で脅し好き放題する曇りを見、もはや生かしてはおけないと、刺し違える覚悟をする。
 ついて行こうとするとんぼ。それを押し止める仇吉。
「みんな死んじまったら、誰もあたしたちからくり人がいたってことを覚えていないじゃないか──」
 元締・蘭兵衛、夢屋時次郎の位牌と、自分の形見の三味線を託し、上方にいる知人を頼れと舟に乗せる。川岸を離れゆく舟縁に、すがるようにしがみつくとんぼがいつまでも仇吉の名を呼ぶ。
 一方、天平も皆の仇とへろ松に手を引かせ曇りの屋敷にたどり着く。そしてへろ松を脅すように追い返すと、花火を手に曇りの屋敷に一人乗りこむ。
「曇りはどこだ! 曇りを出せ!」
 花火に手を出しあぐねる曇りの手下に取り囲まれつつ、目の見えぬまま蹴つまづきまろび転びしながら曇りの姿を求め屋敷を徘徊する天平。そして火のついた花火を持ったまま長火鉢につまづいて転び、自爆してしまう。
 丁度曇りの屋敷に到着した仇吉がその音を聞き、破壊された屋敷の様子からなにがあったのかを察する。
 廃墟となった屋敷の中、残った曇りの手下と切り結びつつ曇りの姿を求める仇吉。そして短筒を手にした曇りが現れる。
「曇りさん──あたしと死んで貰います」
 因縁に幕を下ろすべく対峙する二人。一陣の風が紙くずを舞い上げた瞬間、曇りの短筒が火を吹き、仇吉のバチが飛ぶ。
 仇吉のバチを胸に受けた曇りは絶命、しかし仇吉も曇りの凶弾に倒れた。舞い散る紙くずのように崩れ落ちる仇吉。うら淋しい風だけが仇吉を見取る。
 岸につけた舟の中でたたずむとんぼをへろ松が見つける。駆け寄るへろ松。その口から天平の最期が告げられる。
 生き残ったのは力を持たないただ二人だけ。十五年前の嵐の晩、皆で八丈を命からがら島抜けしたときと同じように、小船は波に流されていく。

 からくり人の解散、と言うより全滅。正確にはとんぼとへろ松だけは生き残ったのだが、実質的に全滅と言っていいだろう。
 必殺の最終回では仲間が死ぬことが多いが、ここまで情け容赦なく殺し尽くしたのはからくり人くらい。
 他の必殺シリーズより正義の味方らしいからくり人だが、そのからくり人たちでさえ、人殺しが許されない罪であることを、明示的に表現したのだろう。天平の必死だがカッコ悪い死に様も、仲間たちの仇をとったはずなのに寂寥しか残らない仇吉の死も、おそらくわざとだろう。
 内容はタイトルに偽りなく、全編通して殺陣また殺陣。
 芦屋雁之助は水中戦の大立ち回りを見せるが(そもそもわざわざ水中で戦わなくても、という突っ込みは野暮)、実は芦屋雁之助は水恐怖症だったらしく、この撮影のためにそれを克服したとか。最終回での水中戦というと「必殺商売人」の新次も行っているが、個人的にはこちらの方かなぁ。
 とんぼはさすがに大立ち回りというわけにはいかないが、さすがに仇吉の娘だけあってただ部屋の隅で震えているわけではない。押し入れの中で待ち伏せ、藤兵ヱから預かったあいくちで一人をどうにか仕留めている。藤兵ヱの気遣いがとんぼを救ったのだが、逆にこのあいくちがあれば藤兵ヱはあるいは……とも思う。このシーンはそれ以外にも、仇吉の使いを装った刺客が、とんぼの掛けたカマに引っかかり、ピタリと黙ると、屋根の上から瓦を抜き足で踏む音が響く。その妙な間がとても怖い。

 この最終回、個人的にはかなり良いと思うのだけど、人によっては評価がけっこうまちまち。「鳩に豆鉄砲をどうぞ」は、事前の評価で期待しすぎていて、いざ見たら期待してたほどではなかったという声はたまにあるが、基本的に良い評価が圧倒的に多い。しかし、「終りに殺陣をどうぞ」に関しては天平の無様な死に方とか無敵オプションがついてるみたいな仇吉の異様な強さ(しかも武器は三味線のバチい一本!)とか、ストーリーの無理矢理な部分とかが気になる人は気になるようで、ちょっと検索してみると、見下げ果てた日々の企てのスズキトモユさんも 四年前の再放送ではボロボロの旨の感想を書いている
 その一方で、力のない二人を除いて全滅という壮絶さを絶賛する人も多い。いや、個人的には後者で、最終回で急に素に戻って突っ込み入れるのってどうよ? とか思ったりするのだけど。(天平の花火も藤兵ヱの下帯も、仇吉のバチだって現実的に考えてしまうと「もうちょっとちゃんとした武器あるでしょ?」としか結論付けられないと思うが……ちなみに必殺シリーズで現実離れした武器&殺し方を使うのは、視聴者が真似できないようにという意味もある)
 しかし突っ込みというと、ただひとつだけ、どうしても入れずにはいられないところがある。最後、上方に渡ったとんぼが清元の名人として明治後まで生き延びた、というシーンで締めくくられるのだが、そりゃ親子だという設定だからといって、ジュディ・オングの顔の骨格ではどうひっくり返っても山田五十鈴の顔にはならないと思うのだけど……(そういう突っ込みどころか!?)
 とはいえ、このからくり人では山田五十鈴も(現代的な意味で美人という顔立ちには見えないのに)不思議な色気や愛嬌がにじみ出てて、女をやるということは奥深いものなのだなぁ、とか思ったり。
 この後も「からくり人」の名を冠した作品は作られ、全四作になるが、当然このからくり人の続編ではない。ただ、新からくり人と富嶽百景殺し旅では山田五十鈴が「お艶」という、旅芸人一座の座長を演じるが、お艶というのは仇吉が八丈島に島送りになる前の名と同じ。これは今回未放映の「私にも父親をどうぞ」で明らかになる話なのだが。正式な続きでなくとも、やはりスタッフもどこかつなげて考えていたのかもしれない。
 今回未放映の十一話のあらすじと感想も、近日公開予定。