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2003年06月02日(月) 旧暦 [n年日記]

不調続き

 日曜も不調。二、三時間寝て、スギ薬局で解熱剤を買ってきて、それでなんとか押さえ込む。日曜に済ませねばならない作業があったので突貫で済ませる。月月火水木金金。
  ファイズ は、恵子編後編、そしてラッキクローバーのジェイ退場。うわ、この戦闘シーン、ごっつ燃え。クリムゾンスマッシュ(大キック)→グラインドインパクト(ジャンプ大パンチ)のコンボで、ファイズはあと十年は戦えますよ? 恵子の話の方も、導入の強引さのわりに綺麗にまとまった。啓太郎がまともに活躍する話なんてはじめてじゃないのか?
  カレイドスター は、先週に続いて悪くない(つか、良い)話。ナージャとかハリポタみたいに理由もわからず回りが守り立てすぎ、ってことはさすがにないのだけど、それでもあまりとんとん拍子だとちと萎えるからなぁ。これくらいの話がしばらく続くといいのだけど。それでも、根底に流れる「ショービジネスのプロフェッショナッリズム」ってのは崩れてないので、それが崩れないうちは見よう。
 リンドバーグ著「孤高の鷲」読了。リンドバーグは反戦派なのだけども、「個人のポリシーと国民としての義務は別」と、軍籍への復帰を希望するのだけど、主戦派のルーズベルトににらまれて思うように行かない。で、どうやってクリアしたかというと、軍籍でないまま無理矢理軍にもぐりこんでしまうという……オイオイ。で、目的だった日本軍との交戦の部分は1944年のところで、そこでは軍の将校の談話として、投降した日本兵が「ちょっとした出来事があって」消えてしまったりとか、投降してきた日本兵を問答無用で射殺したりとか、記念品に日本兵の鼻や耳を削いでいく米兵がいたりとか、日本兵の首を骨だけにするために蟻塚に突っ込む話だとか、チェロキー族出身の米兵がペーパーナイフにするために日本兵の脛の骨を持って帰ったりだとか、日本兵の遺体から金歯やら所持品を略奪する米兵だとか、日本兵の遺体を穴に放り込んでブルドーザーでならすだとか、日本兵捕虜を輸送中の飛行機から叩き落すだとか……まあ、伝聞が多いとは言え、枚挙に暇がない。略奪だの投降兵の射殺などは、日本軍側でも行われてはいたのであろうけども、談話はしばしばエスカレートするものだから、100%信じるべきではないにしても、一般的にイメージで刷り込まれた「日本軍は捕虜を虐待したが、連合国はきちんと取り扱った」ってのは実は大嘘だということがわかる。いや、そりゃ知ってる人は知ってるだろうし、人によっては当たり前の話なんだろうけどさ。連合軍占領下のドイツでも略奪や暴行が続いていた記述があり、戦争ってのは絶対そういうものが伴うのだと、思い知らされる。
 他には占領統治下のドイツに行き、メッサーシュミット博士とかに会うくだりとかが面白かった。
 正確な事実はどうだったのかははっきりわからないのでなんとも言えないけど、反戦の立場の作者の記述ながら、イデオロギーに引きずられすぎることなく、比較的冷静に自分の意見を書き込まれた日記で、文章も読みやすく、なかなか読みごたえがあった。当時の生の声を知る資料としても、それなりに意味はあると思う。
 で、続けて コリアン世界の旅 を読み始める。在日韓国人・朝鮮人に取材し、一体在日コリアンとはなんなのか、を紐解こうと言うノンフィクション。まだ第一章を読んだところで、全体の評価は出来ない。第一章は早々に帰化した半島系であることをカミングアウトしたにしきのあきら氏のドキュメンタリーで、「特にカミングアウトに抵抗はなかった」という氏にとって「在日とはなにか」を追うことによって、在日コリアンの新世代の台頭を示している。「見えない存在」と本書中で在日コリアンを表現しているが、「見えない存在」にしているのは日本国民なのか、それとも当の在日たちなのか、あるいはもう少し複雑なものなのか。本で何かはっきりしたものが得られるとは思わないけど、何が示されるのかは興味がある。


2003年06月04日(水) 旧暦 [n年日記]

鳥頭

 反省すべきところやら考えなきゃいけないこともまだ山積してるのだけど。何か文章にしてしまうと、その辺が曖昧なまま通ってしまう気もしてしまうのだよね。でも書くのだけど。
  コリアン世界の旅 読了。なんと言うか、う〜ん、と考えるところが色々あった。本書では(後の章で実はそうでないと言われているにも関わらず)「強制連行により連れてこられた」とか書かれているなど、そういう「おや?」という部分はあるのだけど(釈明するならば、これは前の部分でその情報を知らないことを前提に書かれていて、それを変えるとカスケード的に全てが変化してしまい、その時の取材の印象がおざなりにされてしまうため、あえてそのままにしている、とも受け取れる)、まずは国内の在日から、世界各国の韓国・朝鮮系へと移り、そして本国、さらに日本に戻ってくる、という形になっている。これは個人的な解釈だけども、日本の在日韓国・朝鮮人のアイデンティティの問題と、日本人の韓国人・朝鮮人への(偏見などを含めた、広義での)差別を、一旦各国における韓国・朝鮮系の状況と対比させることで特異な部分を浮き出させているように思える。結論をまとめてしまえば、「日本人と在日韓国・朝鮮人両方とも現状を作る原因を持っている」ということになるのだけど、日本人の異なるものへの態度と同じように、韓国・朝鮮人特有の「恨(ハン)」の文化が遠因にある「恨むことの肯定」と、同民族同士での「異化・同化」の競争がさまざまな軋轢や誤解を生み出す元になっているように思える。両方が変わっていかねばならないのだろうなぁ、と思う。
 ここんとこ、晩飯が胃を通らんなぁ……ダイエットには丁度良いのだけど。昼飯は通るのに、なんでなのか。


2003年06月05日(木) 旧暦 [n年日記]

アニマトリックス買って来ましただ

 CDショップに寄る余裕がなかったんで、近所のコンビニ回って、セブンイレブンで。今日ほど東海地区にセブンイレブンが出来て良かったと思ったことはありませなんだ。
 で、ネットで公開されているもの以外で1.ラスト・フライト・オブ・オシリス、4.キッズ・ストーリーと6.ワールドレコードを見る。「ラスト・フライト・オブ・オシリス」は事前に「CGはすごいけど、ストーリーは……」ってなことを聞いていたけど、CGのわざとらしさがむしろ気になり、話の流れは逆に気に入った。基本的に「マトリックス・アンソロジー」ってな感じで、「ニューロマンサー」読んだ後に「クローム襲撃」読んでるのに近い感覚はする。って、あまり比喩になってないか。
 ひょっとしたら本編のマトリックスよりも(その意義の大きさは置いといて)ワクワクしてくるかもしれない。
 昨日読了した「コリアン世界の旅」は、構成としては「不可視の存在である在日」をまず描き、その後、日本の中のコリアン文化、そして世界のコリアンとの対比をして、再び在日の新しい世代へと戻ってくる、という構成になっている。まあ、大雑把には、だけど。「在日、韓国・北朝鮮問題云々」を置いとくとしても(本当は、日本人として当事者である以上、置きっぱなしにしてはいけないのだけどね)、なんらかの事情で他民族の中に取り残される(と言っては失礼かもしれないが)形になった人たちの歴史のルポタージュとして、面白い本ではある。
 で、今読んでるのは神林長平の「青いくちづけ」。いつもながらに、読者になじみのあるガジェットを核に、よくもこれだけのイマジネーションが広げられるものかと感心させられる。無論、そのイマジネーションの展開は独り善がりな妄想とは一線を隔している。読者を酔わせるイマジネーション。作品自体の評価とは別に、それには作品を読むごとに敬服させられる。
  宇宙のステルヴィア 、本放映を横目で見つつ、ちと、う〜ん、と思うところがあり。それが具体的に何故かは、横目で見てただけのこともありきちんと言えないので、録画を再度見て、なんで引っかかったのかを考えたい。いや、一話の構成としては、決して悪くはないとは思う。多分。
 最近、自分の欠点と言うものを痛感させられる。ってより、長所を実感することがまずないんですけど……別にネット上のこと云々ではなく、オフラインのことでね。変わらねばならない、とは良く言葉としては聞くけど、変わるってどういうこと、ということ自体がわからない。別に歳食って保守的になったってことではなく、基本的に昔っからそういうスタンスなのだよなぁ、私は。何を書くにしても責任を負えば自由なんだから書けばいいじゃん、と思うと同時に、自分に何かを語る権利はないのではないか、とも思う。しかし、自分の脳内のそれらの対立構造に新しい要素がない限り、いつもどおりなあなあになってしまうのだろう、とも思う。そういったことは、親切な誰かが与えようとしてくれることはあっても、自身が受け取れないことが多すぎるのだろう。受け取れるだけ受け取れるようになりたいと思うことは傲慢なのか、それとも単なる責任回避なのか。


2003年06月07日() 旧暦 [n年日記]

マトリックス再装填

  マトリックスリローデッド 公開初日だったので見てくる。しかも初回。限定配布らしいホログラムポストカードを渡されて、で、何故かマトリックスリローデッド封切り初日を取材に来ていた東海テレビの人にとっつかまる。初日に見に来た客の反応を調べてるらしい。カメラを向けられ、「楽しみでしたか?」「好きなキャラクターは?」「どんなシーンを期待しますか?」と、一通りの質問に答えてから解放。もし使われていれば、多分夕方辺りのニュースで流れたんでしょうが、ヲイラは見てないんでわかりません。
 で、劇場内に入って10分ほどCFが流れた後、本編が開始。一作目じゃカタカナが裏焼きになってたけど、今回はちゃんと表からになってる。ちと序盤は微妙かなぁ、と思っていたけど、アクションするようになってくると、俄然勢いに乗り出す。ストーリーに関わることに触れるので、ネタバレ反転。 実は予告編とか見て、一番心配したのが乱戦状態になったら、デジタルエフェクト特有の見づらさも手伝って観客が置いてけぼりになるんじゃないかということだったのだけど、これは完全に杞憂だった。特殊効果も前回の二番煎じでなく、前回の技術の延長戦の上に、さらに上乗せをしている。はっきり言って、別物と思っても差し支えない。これを見に行くだけでも劇場に足を運ぶ価値がある、と言いたいところだけど、実はストーリーも今回は評価できるかもしれない。よく意味のわからない思わせぶりな台詞が多いのは相変わらずだけども、前作で引っかかった点、例えば機械たちの束縛から逃れるための戦いをしているのに、「予言」の解放と救世主を無条件に信じる(ある意味服従している)という矛盾、どうしてネオにそういう特別な力がやどったのか、なんで人間なんかのをエネルギー供給源にするのか、投げっぱなしになると思ったこれらの点が、きちんと組み込まれて一策目で見ていたマトリックスの世界観が再度構成しなおされる。そのための説明の台詞が終盤に多くなったのはご愛嬌だけども……あと、まだストーリーが半ばなので、作品のきちんとした評価は11月公開のレボリューションを見るまでは出来ない。
 いまのところ、もはや「エージェント」でなくなり、独自の進化をとげているスミスの役どころが不明だけども、第二部と第三部は前編後編的なつながり方なので、多分第三部の展開において重要になるのだと思う。
 ところで、エージェント・スミスってなんで生き返ったんかなぁ。まあ、いいんですが。
 この分なら三作目「マトリックス・レボリューションズ」も期待出来そうとは思わせてくれた。
 ところで、冒頭の方に出てくる「オシリス号云々」は アニマトリックス の「THE LAST FLIGHT OF THE OSIRIS」のオシリス号のことで、ザイオンに帰還したネオに慕ってついてくる少年は同じくアニマトリックスのKID'S STORYに出てくる。見なきゃいけないってことはないだろうけど、知らないと違和感はあるかも。まあ、多分マトリックス見に行く人はほとんどアニマトリックス見てないだろうなぁ。
 帰りがけに「コミックフラッパー」、 「俺フェチ」二巻 (桑原ひひひ)、「 マルドゥック・スクランブル 」(冲方丁)を買って来る。「俺フェチ」は、一巻は友人の友人と言うことでご祝儀でしたが、二巻は気に入ったから買っただけで、別にご祝儀じゃありませんので。「蒼いくちづけ」をこないだ読み終わり、今、「 ドグマ・マ=グロ 」(梶尾真治)を読んでる最中。え〜っと、これって早川書房の「グリフォン」か何かで連載してたのだよなぁ……ほとんど読んでなかったし、ストーリーも頭に入ってないので、丁度良い機会。


2003年06月10日(火) 旧暦 [n年日記]

カツカレー

 今日、昼飯に食堂でカツカレー頼んだら、食堂のおばちゃんが聞き間違えて普通のカレーを出してきた。「あの、カツカレー頼んだんですけど……」と、カツを頼んで載せてもらったら、たまたま後から来た、同じくカツカレーを頼んだ人が、先にかっさらてってしまった……あの、私が先に頼んでたの、聞いてましたよね? 朝飯食ってなくって腹減ってるんですけど……と、些細なことが気になる今日この頃。
  マトリックス・リローデッド の感想をつらつら考えていて、前回書かなかった欠点とかを挙げると、終盤の説明台詞とか(でも、あれがあったんで個人的には腑に落ちたんですが)、個々のシーンがやや長く感じられたこととか、前半の濡れ場のシーンが長すぎたとか、トリニティ役のキャリー・アン・モスが老けて見えたとか、あるんですが、やっぱりトータルでは「あんなゴッツイ映像見せてくれてありがとう」な感じ。キャリー・アン・モスの外見云々は、「 メメント 」の時に、わりとスーパーでゴージャスな美女ってよりは、年齢も感じさせる身近な美女って印象を受けたので、特に不満はないのですけどね。しかし、本編が終わった後の“To be continued"”にかぶさった字幕は、ちと……せめて「以下、次号!」とか、「震えて待て!」とか、「×××、再起不能(リタイア)」とかだったら……あ〜、どれも激しく違いますかそうですか。
  宇宙のステルヴィア の先週分を見直す。で、自分なりにどこが引っかかったかを考えてみると、スケール感がまったくわからないところではないか、と思う。端的なところでは「いきなりグレートミッションで大活躍」なところもそうなのだけど、最初に僚機を助けるために戦線離脱、という場面があって、戦線離脱した自分への悔しさと、人命を助けられたという事実との間の折り合いがつかないうちに、スーパーな活躍で地球を救う、という展開になってしまったのが、まずは大きいと思う。個人レベルの小さいことと大きいことが、その間をつなぐものなしに示されたので、そのつながり・流れがわからなかった、ということでもある。敢えて言えば、光太のすごさ、ってのも、結局伝わらなかったし……スケール感か。自分で言っておいてなんだけど、とりあえず覚えておこう。
  カレイドスター は、成り行きで新作主役オーディションをうけることになったそらが、演技中の事故で演技に恐怖感を持ってしまう話。う〜ん、ケンが珍しくそらを叱咤したりするのはすごく良かったけど、あの変なポーズとかは、イマイチなじまなかったかも、と思ってしまう。あと、それほど大きなことではないけど、スポンサーはそらのどこを買ったのかがわかりにくいのも、気になると言えば気になったかも。
 でも、全体的には、いまだ十分な水準ではあるとは思う。
  ファイズ もいまだ面白いです。ファイズ側三人組と、オルフェノク側三人組との絡み方とか。細かい齟齬はあげつらえるけど、そんなに多くない登場人物でも、絡ませ方がいろいろ出来る、ってのは、ちとすごいなぁと素直に思ったり。
  ドグマ・マ=グロ を読み終え、 マルドゥック・スクランブル を読み始める。ドグマ・マ=グロは視点が複数に分かれてることもあって、ちとすぐにはまとまった評価を出しにくい。もう少し自分の頭の中で整理しないと……あと、最初の出版元は早川でなく朝日ソノラマ、掲載誌はグリフォンでなく獅子王でした。うう。
 マルドゥックは、まだ途中だけどもかなり個人的好みと合致してる気がする。そんなに分量があるわけではないので、明日・明後日には読み終わるかなぁ。