不定期日誌


google検索

日記内検索  ウェブ全体から検索

hns - 日記自動生成システム - Version 2.19.9

先月 2024年05月 来月
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
HNS logo

2012年07月02日(月) 旧暦 [n年日記]

[特撮] アキバレンジャー#13

  非公認戦隊アキバレンジャー #13「最終話 反省会! 痛くなければザッツオーライ!」。ドクターZが登場し、現実世界と妄想世界の境が壊されたという世界の危機は、全部「原作者のテコ入れ」であることが発覚し、テコ入れを諦めた原作者「八手三郎」のシリーズ打ち切りのための最終回フラグと戦い抜いたアキバレンジャーたちアキバレンジャーをやめ普通の生活を送っていた彼らの元に八手三郎から一枚のDVDが届くのだが……という展開。いや、もう終盤の展開は「これはヒーロー物でもバトル物でもなくあくまでパロディ・ギャグ!」という信念を貫き通したかのような展開は唖然としたけど、最後も開き直っての総集編回。いや、いろいろ開き直りすぎだろう……改めて見てみると11話以降の破滅ぶりがよくわかるw
 そして「第二期」をエサにまんまと八手三郎の思惑通りに総集編をやってしまった信夫たち。あくまでネタと思うけど……ほんとに第二期来るか?


2010年07月02日(金) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 四畳半神話大系#10

  四畳半神話大系 #10「四畳半主義者」。京都の大学に在籍する「私」はバラ色のキャンパスライフを入学早々に諦め、どのサークルにも入らず、何者にも心を乱されることのない「四畳半主義者」となることを決意する。授業や必要な時以外は下鴨神社近くの鴨川幽水荘の四畳半の一室から一歩も出ることなく、窓のすぐ外を走る京阪線の騒音にも心乱されることなく望みどおり平穏な毎日を過ごすが、その生活が二年になろうというある日、廊下へ出ようとした「私」は廊下につながっているはずの出入り口が元の四畳半につながっているという怪奇現象に出くわす。窓から出ようとしても窓の外も、壁をぶち破ってもその向こう側も元と同じ四畳半。どこまで行っても四畳半。慌てた「私」だが何故かつながってる水道とどの四畳半にもある牛乳とコーヒーと魚肉ハンバーグと上の階の住人に弟子入りしているらしい小津なる人物が騒がせたお詫びにと持って来たカステラでどうにか命をつなげらえれるとわかると、食料調達と元の部屋に溜まり溜まった生理的欲求の跡の匂いに耐えかね、四畳半世界を旅することに決めた。しかし、四畳半世界を進むうち、全ての四畳半がまったく同じではないことに気付く。この四畳半の迷宮は、いろんな選択をした平行世界の「私」の四畳半からできているのだということに……

 これまでいろんな選択をしては後悔してきた「私」だけども、今度の「私」は「何もしない」ことを選ぶ。小津とも知り合わずその悪戯に巻き込まれることもなければ、サークルが原因で起こる面倒ごととも無縁。一見一番望ましい選択のようではあるのだけど……
 何故か四畳半迷宮に迷い込んでしまった「私」は、そこを彷徨ううち、それが色んな選択をした自分の部屋であることに気付く。帰ってきて食い散らかされていたカステラや、何故か置かれていた十万円分の千円札が詰まったリュックサック、押し入れから突然現れた「私」そっくりのヒゲまみれの男……つまりはそういうこと。
 パラレルワールドの四畳半を見て、「私」はそれぞれの自分が、それぞれたった一つの青春を謳歌しているように思えてくる。テニスサークル「キューピッド」で黒いキューピットとして小津と暴れ回った「私」も、映画サークル「みそぎ」で自分の作品が認められずに城ヶ崎の中傷映画を撮っている「私」も、自転車サークル「イカロス」で折角買った自転車を盗まれしまなみ杯で散々な目に遭った「私」も、みんなみんな自分より遥かに有意義な毎日を送っているように思えたのだ。この辺、他人の芝生ばかり見てる「私」らしいというか、そういうのは誰にでもありがちなこと。
 そして今回ばかりは「やり直しを要求」もないし、時計が巻き戻らない……ある意味「密室劇」しかも「一人芝居」だったのだけど、見ていて飽きが来ませんでしたわ。あ、そういえばキャストのところが浅沼晋太郎一人きり……

[アニメ] 最終回いろいろ3

  聖痕のクェイサー #24「汝青春することなかれ」。黄金のクエイサーとの戦いを終え、日常に戻ったまふゆたち。しかし、それはサーシャたちとの別れをも意味していた。それに気付かぬまふゆは「剣のマリア」のおかげで巨乳化してた胸が元に戻り、サーシャから愛想を尽かされるのではないかと不安になる。そんな時、サーシャからデートの誘いを受け……

 なんつーか、最後までバカだなw
 最終決戦も光ったり隠れたりで何があったのかわからないレベルまでの自主規制ぶり(っつーかあれはしないとヤバイだろ、多分)だったのですが、セクハラアニメもセクハラされる側が悦びを覚えるなら別に他人がとやかくいうことはないですはい。
 クイーンズブレードといい、金子ひらく監督、振り切れすぎですな。いや、原作からして色々振り切れてる気もしないでもないけど。
 そいでもって最後に新展開の布石が……アリなのか? 現時点で結構原作と変えてしまってるけど。


  荒川アンダーザブリッジ #13「13 BRIDGE」。橋の下のこれまでスポットライトを浴びてなかった住人がメインの回。いや、最終回なんだけど。立木文彦、ナレーションだけかと思ったらそこに出てくるかw 是非そのまま「サイクロン!」「ジョーカー!」とやっていただきたいところ。相方が後藤邑子だったけど、最近手術したそうだけどもう大丈夫なのかしらん?
 で、最後にまた新展開の布石が……こっちもかよ! つか、アマゾネスが小林ゆうかよ! ゴリラの時と演技同じだぞ!
 そいでもってラストに第二期発表。第二期というか、変則2クールなんでしょうね。ハガ錬という超ドル箱が終わるってこともあるのだろうけど、スクエニ、頑張りすぎじゃね? おかしなことにならないといいけど……


  迷い猫オーバーラン! #12「迷い猫、決めた」。最後に総集編もあるみたいだけど、一応話としてはこれが最後らしいので。希の過去と、ブルマ対スパッツの戦い。まあ、大概アホだなと思ってましたが、普通にアホでした。ブルッツって……
 「4番目の村雨」とかって、いまさらそこに突っ込んでいいのかとかいろいろ迷うネタがいろいろありましたが、まあ、毎回監督交代制という点でだけはある意味注目すべき作品だったかもしれません。監督の作風の違いが分かりやすいですから。その他は……まあ、ふつー?


  おおきく振りかぶって〜夏の大会編〜 #12「また始まる」。美丞との試合に破れ、次の大会へと気持ちを切り替えようとする西浦ナインたち。チームの目標を聞かれ、皆「県大会優勝」「甲子園出場」を挙げていくが、田島と三橋だけが「甲子園優勝」を挙げる。手の届きそうにない大きすぎる目標で良いのか、自分に妥協するような目標で良いのか……再度目標を考えてくるように言われ解散するが、三橋の携帯に試合でケガをし途中退場した阿部から家に来るようにとメールが入る。

 美丞大狭山に徹底的に研究された挙句、阿倍のケガというアクシデントもあり、健闘し何度か反撃のチャンスをつかみかけるが負けて締まった西浦高。その試合の中であらわになったのは、阿部一人で配球を組み立てる危うさと傲慢さ、そしてそこに欠けていた「本当の信頼関係」。阿部も三橋もそのことに気づき、自分が足りなかったこと、自分が相手に押しつけようとしていたことをお互い伝えようとする。キャッチャーのサインに対し首を振ることに恐怖症になっていた三橋の「俺、首振ったんだよ! そしたら、田島君と相談したみたいになって……すごいよね!」と興奮して語る姿、その後の、全部阿部に押しつけようとしていたことを反省し、自分も阿部に頼られるように頑張ると宣言する勇姿は、流石に胸に来ますわ。
 シリーズ最初の方は水島監督自身の脚本とかも多かったけど、後半、お互いの手が読まれていることを悟りその裏を読むための、さらに裏の裏を読むための頭脳戦というか思考戦の描写は、悔しいけど黒田洋介さすがとしか言いようがない。あれがあったからこそ、最後に三橋も阿部もお互いの間違いに気づけたわけで……
 いやもう、前期に続いてグッジョブとしか言えない出来でしたわ。惜しむらくは原作の進行の遅さで、続編がすぐには期待できないことですか……


2009年07月02日(木) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 最終回その3

  アスラクライン #13「呪われた罪人の烙印」。あ〜、最終回、結構楽しめましたわ。世界観とか何をしたいかとかかなりよくわからないまま話が進んでたんですが、アスラマキーナは射影体の魂を削りながら活動し、最終的には射影体の核となっている人物を消滅させてしまうということが明らかになる。それも、マキーナを失ったハンドラーは、エクス・ハンドラーとしてその罪の刻印を残されて……
 よく考えれば、ここ数話のドタバタはこの展開を強調するための布石だったのだよなぁ。
 告知された二期シリーズがそう楽しみでもないけど、ちょっと最終回前の展開で楽しめました。それまでは退屈きわまりなかったですが。

  夏のあらし! #13「プレイバックpart1」。前回で終わってればいい終わりだったのに……
 #1の「プレイバックpart2」を踏襲するかのようなドタバタ。でも、いろいろ変わっていて……って、場面転換ごとにキャラの衣装が替わってる、しかも変な衣装に、というのは、新房監督だからこのくらい当たり前と思うべきでしょうか?
 とりあえず柔王丸と桜姫はなんなんだかと。で、最後の「タイトルは……忘れてしまったのだけど」がそれか。なんと言うか……

  宇宙をかける少女 #26「あしもとに宇宙」。え〜、最初、「設定がとっちらかった」という印象を持ってましたが、結局最終回もそうでした。orz
 レオパルドの成長ものかと思ったらネルガルが罪を認めるようになるまで成長するようにしたことでオチをつけただけじゃん(レオパルド自身はまったく成長してない)、というアレはともかく(そもそも成長したレオパルドなんて想像できないんですが)、QTってなんなのかとか、生徒会の存在意義はとか、途中でシリーズ構成が変更したせいか、とにかくgdgdに……
 シリーズ通して一番成長したのがネルガルと馬場つつじってのはどうなのよ?


2008年07月02日(水) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] ヴァンパイア騎士#13

  ヴァンパイア騎士 #13「深紅の鎖〜リング〜」。零のレベルE化を食い止めるには、彼を吸血鬼にした純血種・緋桜閑の血を飲むしかない。理性を失っていき苦しむ零を見ていられない優姫に閑が提示した交換条件は、柩の命を奪うことだった。両者を天秤にかけられない優姫は自分の命を差し出しても良いからと、再度閑に懇願する。再び閑が彼女に示した代償は、優姫の血だった。純血種に血を吸われると言うことはやがて理性を亡くした吸血鬼であるレベルEになるということ。しかしそれでもかまわないと優姫は血を差し出そうとするが、吸血鬼の主従の服従にあらがい、零が彼女を守ろうと二人の前に現われた。

 という感じの最終局面。零を吸血鬼にした純血種・緋桜閑と、両親を殺されながら彼女に付き従い、双子の兄である零に憎悪を剥き出しにする壱縷がラスボス。なのだけど、零の両親を殺し彼を吸血鬼にした閑が零の両親を殺したり、紅まり亜として学園にやってきたりしたのにはなんか理由がありげで、柩と目的をひとつにするらしい。けど、協力してるわけではなく、柩が黒主学園ナイトクラスの設立に協力した真意を悟ると、後を彼に託してその手にかかる。どうも吸血鬼内の純血種をめぐるごたごたがそもそもの発端らしいのだけど、それが明かされることはなく、閑の最期に居合わせた零は禁忌の純血種殺しとして、またレベルEとしてハンター協会の地下牢に幽閉、柩は自身の目的のために零をいましばらく生き延びさせようと、自身の血を与える。
 ええ、つまりは、まだ終わってないもいいとこです。でも最終回。
 あまつきも1クールなのに終わりそうにないし、少女マンガ原作はこんな感じになっちゃうのかなぁ。あ、でもS・Aは2クールか。恐らくは第一期の評判を見て第二期、ということなのだろうけど、どうなのかなぁ。少女マンガは男性向けマンガとは違う系譜をたどって来てる(場合によってはその要素を取り入れることはあっても)から、見てて文法が全然違ってたりして面白いのだけどなぁ。ヴァンパイア騎士はお耽美系のホラー話に見せて、実際は三角関係の学園ものだし。積極的に望みはしないけど、第二期が放映されたら見ると思う。


2007年07月02日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] 要領を得ない

  首相「実績問う」、小沢氏「逆転を」…参院選で党首討論読売 )。党首討論の最後の方だけ見ました。小沢氏が「二大政党制の確立を」と言ってる部分。「二大政党制にならなきゃ民主主義じゃない!」みたいなことまで言ってましたが、まったく根拠不明……安倍首相を支持するわけでもないけど、民主を支持するのもバカバカしいとしか思えない。どうにかならんものか。


  ニンテンドーDS、Wii好調の中、PSは…アメーバニュース )。スクエアエニックスとコナミがしばらくPS3用ゲームの開発と販売を見合わせるというニュース。新規は、ということだと思うけど、やたらと開発費がかさむが、売り上げが見込めないのでは、まあ、そういう流れになりますわな……久多良木氏にとっての理想かはよくわからないけど「理想のハード」を追求するあまり、戦略まで狂わせてるわけで……ハード自体の性質から来る戦略の足かせが大きいのだから、取れる手はあまりに限られてるのだが。


 それはそうと、今日買ったもの。

ベクター・ケースファイル 稲穂の昆虫記(1)/藤見泰高・カミムラ晋作
図説武器だもの/武器ドットコム・大波耀子

 「ベクター〜」は週刊チャンピオンで連載していた「サイカチ」の「師匠」こと昆虫マニアの女子高生・榎稲穂が主人公のスピンアウト作品。虫が引き起こす事件を解決していく、というものなのだけど、悪い虫を退治する、というより、起こる事件は人間の生活圏の拡大により居場所が奪われた虫が人間の生活圏に入り込んで騒ぎを引き起こしたり、虫の習性を利用して人間が他人に危害を加えたり、というもの。サイカチも最後の方はちょっと現実離れしたバトルものになってきてしまったので、むしろこういう地に足のついたものの方がやはり合っていて安心する。
 「武器だもの」は、最近流行の萌え解説本。いろいろな武器を総覧的に、マンガ、アニメ、映画などに出てくるハンドウェポンを絡めて解説するライト向け武器解説本。っつっても真面目に武器について調べようというより、軽い読み物として読む類のものか。その限りで読むのであれば、この手の萌え解説本としては悪くない。解説の内容が偏ってる気もするけど、まあそこまで求めるのは無い物ねだりでしょう。
 いや、手に取った理由はイラスト描いてる人のマンガのファンだからなんですけどね……中を見たら「銀の戦車」(の剣)やら「棺桶の錠」(の手槍)やらが出てきてるんだから、買わないわけには……でも、錠の手槍は持ち手も金属製なので、彩色があれでは間違いなんですけどね。デザインも違うし。(これだからマニアは……)


2006年07月02日() 旧暦 [n年日記]

[特撮] カブト#22

  カブト #22。加賀美はガタックの被験者となり大怪我を負う。マコト少年のことが報告されたにも関わらずZECT本部は工場には人間の生き残りはいないと判断し、殲滅作戦が決定する。ザビーとシャドウ、それとサソードが突入しようとする中、加賀美は一人、マコトとの約束を果たすために工場内に突っ込んでいく。そしてマコトと再会するのだが……
 加賀美パートのシリアスさに対し、天道・神代パートのグダグダ加減が……天道は神代の爺やの正体を知ってるようだが、誰なのかはまだ不明。あの天道が敬語を使うってんだから、只者ではなさそう。どうも世間ずれしすぎてる神代は、肉じゃがをめずらしがって食べたりどんどんアホっぷりが加速してるなぁ。「味見なら超一流だ」と胸を張られても……身体能力的には天道とタメを張るはずなんだけど。
 でも三島の命令でそのアホのお坊ちゃまの助力を仰がねばならなくなったザビー=影山。そのためにサルを訪れて天道を見つけ、「お前は天道寺総司郎!」って、その設定まだ生きてたのか。坊ちゃまのご機嫌を取るためにやむを得ず坊ちゃまの誕生祝をすることに……その姿に流石の天道も哀れみの視線を禁じ得ず。なんか、天道がとりみだすほどのアホっぷりってのはある意味大したものだ。それに付き合わされる影山哀れ。そこまでしてザビーでいたいんかなぁ。
 加賀美は工場に一斉攻撃が行われると聞き、ワームである可能性が高いにも関わらずマコトを助けに向かう。だが、マコトはZECTの判断どおりワーム。加賀美を逃がしたのも、加賀美が「中に人間がいる」と報告することでワームの卵が孵化間近の工場への一斉攻撃を遅らせる魂胆があったから。ワームの触手に貫かれ、命を落とそうとする加賀美。だが、その加賀美に何者かがガタックのベルトを装着させる。これって三島? それとも別の部下? ベルトの力で甦った加賀美は、ガタックゼクターを呼び出し、ガタックへと変身する。
 マスクドフォームのまま自分に擬態したワームを倒したガタックだが、マコトに擬態したワームへの攻撃を躊躇する。そこへやってきたカブトがマコト=ワームの相手になろうとするが、ガタックは「俺にやらせてくれ」と止めると、ライダーフォームへ。
 だけどその後の行動が実に加賀美らしい。クロックアップしたガタックに圧され、再びマコトの姿で惑わそうとしたワームに、ガタックは何を思ったか天井を突き崩す。そこには昼の月と、そしてそれにかかる虹が……「君に、これを見せてあげたかった……」そう言ってマコトから受け取ったモノキュラーを差し出す加賀美。マコト=ワームは「お人よしだね」と言い、ワームの姿のまま加賀美に襲い掛かる。それを何も言わずに、ライダーキックで倒すガタック。それと同時に、シャドウが工場に仕掛けた爆弾が起爆し、爆風が加賀美に襲い掛かる。と、加賀美をかばって爆風の前に立つマコト=ワーム……
 カブト=天道は「相変わらず甘いな」と声をかけるが、加賀美は「俺は俺にしかなれない。でも、これが俺なんだ」と返す。
 加賀美がガタックになったことをきっかけに、話は大きな転換点を迎えるらしいが、最後にガタックエクステンダー(バイク)を持ってきた人物とかは関係あるんかな? ただのZECT隊員?
 まあ、なんにしても本田博太郎の「モォォォツァルト!」が全部持ってっちゃったんですが。(笑)

[アニメ] 牙ちょっとだけ

 いや、今回の話見て思ったんですが……実はロペス様、何気にろくでもないことばかりしてません? いや、悪気が無い(とも限んないか)のはわかるのだけども、彼の行動がきっかけで事態が悪化するパターンの多いこと多いこと……

[その他] いや、それは当然だと思う……

  「何で(帰化などの発言が)人権問題なのか。理解出来ない」毎日 )。まあ、極至極まっとうな発言だと思います。反発も予想できるけど。「人権問題云々」の反論は明らかに的外れ。本国に「賛成権をよこさないのは人権問題」と民団等が言ったという話は聞いたことがない。そもそも特別永住許可も「許可」であって「権利」ではないはずなんだけど。ただ、竹島問題と不可分ってのは、県民感情としてはわかるけど、ちとどうかなぁ。竹島問題をクリアすればOK、というようにも読めるし。そもそもが別の問題だと思う。


  真の和食」にお墨付きマーク 仏で偽物の苦情増え朝日 )。まあ、実際中・韓国人経営者による偽和食が結構海外に進出しているらしい。中身が和食なら経営者の国籍を云々することもないのだろうが(別に日本人経営の仏料理店があってもいいのと同じように)、かなりいい加減なものも多いようで……まあ、誰が判定するんだろう、ってのは気にならんではないけど。


  英男さんの姉が“変心”「無理もないが」日本側複雑読売 )。肉親としては無理もないところはあるんだけど、それでもやっぱあんな茶番に騙されちゃうんだ〜。帰国した拉致被害者と家族との軋轢は色々手記が出てるからそれを参照すれば、愚行であることは一目瞭然なのだが、身内のことだと愚かになるのが人間でもあるしなぁ。


  陸自パラシュート降下、中止要請を検討 与那国町長琉球新報 )。 「パラシュート降下は占領政策を理解させるための工作で、中台問題や尖閣問題を視野に入れた準備」と指摘した。え〜っと、どの国によるどの国への占領政策??? 言ってる意味がさっぱりわかりません。与那国、大丈夫?


  中国の警察汚職が「黒社会」養う 何清漣氏が寄稿イザ! )。 堅気の衆の間でも、「政府よりヤクザの方が話が早い」といわれるほどだ。さすが中国。ってか、ヤクザと一般民衆の関係ってのはもともとそんなもののはずなんだけどね。


2005年07月02日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 流石に疲れた……

 え〜、本日はあっちからこっちへと荷物をひたすら移動してました。地下鉄使って。
 「ま、その程度か」と思いますやん。自分も「どのくらい時間がかかるか」を試算して、安全係数掛けて、「ま、これならたいしたことないか」と思ったんですよ。まあ、確かに肉体のキャパを大幅に越えることはなかったんですけどね……
 とりあえずキャリーを使って三往復ほどしたんですが、それだけでそれなりに堪えるんですわ。まあ、今は十年一昔前と違って地下鉄の各所にエレベーターがあるんでそれだけで大分楽なんですけどね。でも路上の段差がそれなりに堪える堪える。「バリアフリー」の大切さが身に沁みましたよ。無計画な設計や工事がもたらす結果が、歩道を使う車輪媒体(ま、メインは車椅子)にこれだけ負担がかかるとは、普段は思いもしませんでしたわ。
 で、さらに地下鉄の連携が思った以上に悪い悪い。次の電車が来るまで十分近く待つなんてざらでしたわ。乗り継ぎぎりぎりだったんで久方ぶりに本気でダッシュとかもしました。幸い、荷物を運んだ後次の荷物を取りにキャリーだけ持って行くところだったんで身軽だったんですが、我ながらあんな火野正平のような走りっぷりができるとは思いませんでしたよ。正ちゃん走るのが仕事、つっても多分この日記見てるうち十人くらいしか通じないだろうなぁ。
 そんなこんなで「まあ、多分四時間くらいで終わるかな?」と思った仕事が五時間over。それでも安全係数掛けた範囲内だったんですが、時間はともかく、身体疲労はちょっと安全係数掛けてませんでしたわ……それなりに疲れました。

 で、その後夕方から知り合いのM氏が名古屋に来てるってんで知り合い一同で出迎えたんですが、集まった四人中三人が疲労困憊……当の出迎えられるM氏は徹夜業務明けだし、別の一人は週末体調崩してようやく持ち直したところ。私は上記のような事情。まあ、なんてえか。
 せっかく名古屋に来たので名古屋名物を、という出迎え側の某H氏の言により、名駅地下の味噌カツ屋で晩飯、という流れに。
 あ〜、よりによって味噌カツですか。いや、いいんですよ。いいんですけどね。
 なんで私が内心こういう反応してたかというのは、疲れてる身にあまり脂っこいものは、という事情以外に、 先の日曜日に特大の味噌カツ丼を食ってたから ってことに触れるとなんとなく事情が察せられると思いますが、イインデスヨ〜、キニシテマセンカラ。たまにしか来ない人の事情の方を優先すべきでしょう。どうせヲイラが食ったのは生姜焼き定食だし(オイ)。
 ま、正直な話、名駅前で美味い名古屋名物食おうなんて酔狂な真似しない方がいいんですけどね。名物ものなんてある意味縁起ものに近いんですけど。
 ただ、あそこはそんな美味い店ではないってのは確かではありますね。出迎え側のO氏の知人の、博多出身の人がそこの店で味噌カツを食って「あんな不味いもの!」と言ったそうで、それもある程度わかります。ちゃんとカツの美味い店で食わなきゃダメですって。あそこはほぼ一見の観光客に焦点を合わせてる店ですね。その意味では「ぱせり」の方がそれなりに良い。問題はあの量だけど。
 その後、つぼ八に場を移して駄話を。チェーン店で週末なんでそれなりにそうぞうしかったんですが。あと、これはこっちが疲れてたこともあって(反論に対する対論がまた体力消耗するから)言わなかったんですが、料理の見栄えだけでわりと店の態度ってわかるんですって。ま、所詮はチェーンの居酒屋なんでその辺は追及してもしようがないんですが。値段もそれ相応だし(つまり、コストとのバランスは取れている)。
 まあ、店のセッティング云々よりも参加者のほとんどが疲れていたせいで突っ込んだ話(創作に関する云々とか)ってのが出来ず、当り障りのない駄話に終始したってのが一番悔やまれるところなんですけどね。

[映画][その他] 突っ込んでしまってよろしいでしょうか?

  はてな の質問で、以下のようなものを見る。
  この洋画を知っていますか?
偽の競馬中継を行って、詐欺を成功させるシーンが物語の最後にある映画なんですけど。 子どものころに見たので、ほかの要素を覚えてないです。 よろしくお願いします。
 って、誰がどう見ても「スティング」やん! え〜い、そんなこと一々はてなで質問せなあかん世の中になったのか!


2004年07月02日(金) 旧暦 [n年日記]

[その他] 外国人参政権

 で、昨日書いたとおり、永住外国人の参政権についてちょっとだけ。検索してみたけども、賛否色々意見はあるようです。まあ当然か。
 まあ、ぐぐってほとんどただ上から並べただけです。わかってはいると思いますが、私は永住外国人参政権付与には(少なくとも現時点では)反対です。別に中立のふりするつもりもないんで、最初にそれだけ。
 賛成派の意見でももっともと思える部分もあるのですが、やはり現状の永住外国人参政権付与は危険であると考えます。以下、その理由を列挙。
  • 韓国における外国人参政権付与は 全会一致で否決 されており、相互主義云々という議論は成り立たない。(これについては韓国の方がむしろ正常なのだが、理由は後述)
  • 「外国人参政権は世界で一般的」という前提がすでに間違いで、正当化はされえない。(利害の対立が起こる隣国同士では相互主義やEUのような共同体が前提なのがメイン)
  • 参政権が地方参政権に限定されるという保障がどこにもない。「住環境を良くしたい」ということならば「住環境をもっと良くしたいから国政にも」という希望は必ず出るだろう。
  • 韓国との関係の問題。日本と韓国は隣国であり敵対国ではないものの、竹島問題をはじめとする領土問題などの紛争も同時に抱えている。この状態で一方的に韓国籍取得者に参政権を与えるのは無防備すぎと言うものである。この意味で全会一致で否決した韓国の判断は(民族主義的イデオロギーからであったとしても)正しい。
  • 国防上の問題。外国人参政権は「国交を持った国の国民のみ」と言ってはおり、当面北朝鮮籍(というか、朝鮮籍)の者は除外される。が、実は北朝鮮籍から韓国籍への変更は容易であり、北朝鮮と関係の深い人間が容易に地方に参政できることになる。少なくとも実効性を持ったスパイ防止法などの法整備がない限り、堂々と地方自治体に工作員を招く法律になりかねない。実は反対運動により廃止された在日外国人の指紋押捺は当時多かった密入国者防止と、こういったスパイ防止の目的で韓国政府からの要請されたものであり(韓国は自国民に指紋押捺を行ってる)、日本政府に「差別云々」という主張はかなり根本的に間違っていた。
 少なくとも三番目から五番目についてクリアされない限り、永住外国人参政権は俎上にのせるべきものではありません。

[必殺] 死へ走る兄弟の紅い情念

 「血風編」第五話。らしゃめん *1 と不義密通の相対死に(心中)をし、しそこねた若者が品川宿にさらされる。同じく生き残った女の方はおとがめなく再びらしゃめんをさせられたのに対し男の方のこの仕打ちに、世間の同情が集まる *2 。しかしその若者・紺次郎を見かけたおりくは顔色を変える。彼はおりくの元恋人・洋三の弟で、おりくがからくり人元締めを引き継ぐために泣く泣く別れざるをえず、傷心の洋三は新徴組に参加し京へ上ったのだ。そしてその兄が弟の前に現れる。じっと弟の前にたたずむ元の恋人に、おりくは心中穏やかならざるまま、兄弟を見守るのだが……
 必殺シリーズには三本だけ、主人公たちが殺しの依頼を受けず、殺しも行わない話がある。一つは第五弾「必殺必中仕事屋稼業」#20「負けて勝負」、二つ目は「必殺からくり人」#7「佐渡から御中元をどうぞ」、そして三つ目がこの「死へ走る兄弟の紅い情念」である。この話には明確な悪人は出てこない。いや、悪人はいる。しかし、紺次郎を、そして洋三を不幸に陥れた主犯は誰か、と言うと、誰でもない。想いを抱いたまま稼業と恋人とを天秤にかけ稼業をとってしまったおりくと、死ぬつもりで京に上りながら佐幕と勤皇の間で揺れ動き結局死に場所を幕軍決戦の地の上野に見出した洋三の、漠然とした後悔を感じつつもお互いを恨むでもないやりとりは大人のロマンス。最後に彰義隊に参加した兄弟の陣中見舞いに訪れるおりくと兄弟のストップモーションがラストに示されるが、彼らが望んでいただろう団欒だろうのに、とても哀しい光景である。彰義隊の末路を知れば尚更のこと。
 余談だが、洋三が参加した新徴隊は、白川平八郎が組織し、彼の志と袂を別った芹沢鴨らと近藤勇・土方歳三らが新選組を結成するに至った、まさしくその新徴組である。
*1: 外国人のお妾さん。西洋の水夫はメスの羅紗綿(羊)を船に乗せて性欲を発散させていたという俗説からこう呼ばれた。
*2: 相対死には生き残った方をさらした上で、人別帳からはずされ非人身分に落とされるというのが、不義密通は「姦夫姦婦は重ねて四つ」と言われ、両方死罪が定法だった。不義は普通は示談で話がついたらしいが。

[必殺] 悲恋を葬る紅い涙

 血風編第六話。深川の太鼓持ち彦六と辰巳芸者のお栄は内縁の夫婦。太鼓持ちと芸子の恋はご法度であり、秘密のことではあったが仲睦まじかった。とある大きな催しに呼ばれたお栄に、せめて恥をかかせまいと、彦六は知り合いのおかみさんに頼んで三十両はくだらないという簪を借りてくる。おかげでお栄の簪は衆目を集めるが、酔って帰ったその途中で簪を落とし、なくしてしまう。必死で探す二人だが、簪は見つからない。弁償するにも、三十両などという大金は二人に用意できるはずもない。お互い、「自分が工面する」と言い張るが、それが思わぬ悲劇を……
 太鼓持ちと芸者の夫婦が完全に主役。「賢者の贈り物」を思わせる麗しい夫婦愛が描かれるが、しかし物語は美談で終わらず、哀しい結末に。太鼓持ち「蛙の彦六」を演じるのは故・春風亭柳朝。新橋の芸者の置屋の真中に実家があったという師匠ならではの、それまでの時代劇で描かれなかった人情味あふれる、存在感ある太鼓持ちを演じている。支度金目当てに幕軍の義勇兵に志願し、使命感で志願した他の志願兵とまったく話がずれてる場面が面白い。妻のお栄は鮎川いずみ。仕事人シリーズの「何でも屋の加代」が有名だが、仕置人でもゲストを、商売人、うらごろしではレギュラーとして登場している。仕置人のころは若々しい小娘で、今回は脂の乗ってきた女と、変化が楽しめる。うらごろしくらいになるとあごの下にちょっとお肉がついてきてるのだけど……その二人が幕軍に見切りをつけ、軍資金を私しようという悪党士官に運命を翻弄される。
 お栄から身を売る相談を持ちかけられながら断った直次郎と、調子よさげながらも真心を持ってる彦六とつかの間の交流を持った土左ヱ門が犠牲となった二人のために怒りを爆発させる。特に土左ヱ門が悪党をしとめた後で「ステテコパッチめ!」と彦六に教えてもらった捨て台詞を吐き捨てるのは、おかしく、痛快ながらも泣けてくる。


2003年07月02日(水) 旧暦 [n年日記]

オイラ月面の炭坑夫(あるいは「プロジェクトXYZ」)

  第六大陸1/小川一水 読了。見事にプロジェクト中心な話だなぁ。よしにつけ、あしきにつけ。「月面に建物を建てるには何が必要か」というシミュレートにおける試算(一部、創作によりいじられたパラメーターはあるけど)は、いつもながら非常によく調べられていると感心することしきり。月に築かれた中国基地のディテールは実際に見てきたようだし、技術的な描写も思わず身を乗り出してしまう。けど、やはり読んでいてプロジェクトが主役の話だと感じる。キャラクターに魅力はあるのだけど、あくまで従の印象はまぬがれえない。面白いことは面白いのだけど、う〜ん、野尻氏の「ふわふわの泉」の時と同じで、なんか素直に誉められないのだよなぁ。以下続刊なので、それを見てからの評価ですな。
  鈴鹿八耐で走る、ホンダ555チームのメンバー決定 。スーツとメットのデザインは公開されてないけど、ファイズとカイザのチームかい。イマイチコンビネーション悪そうな……いや、実際のライダーさんは、連携が良いと思いますが。まあ、バイクはオートバジンモチーフと思いますが、サイドバッシャーモチーフのバイクも見てみたかったかも。って、サイドカー付じゃ所詮無理だって。
 で、そんなこんなでようやく届いた ファイズ #22。感謝感謝。新しい力「アクセルフォーム」と共にファイズギアを取り戻した巧だが、一緒に襲われた木場のことが妙に気になる。同時に巧がファイズと知らない木場も、どうして巧がオルフェノクとこれほど関わるのか、気になっている。が、二人とも自分の秘密を相手に知られまいとするばかりに、本当のことがどうしても言えない。一方、西洋洗濯舗菊池に戻ってすぐに真理に心中に秘めた想いを打ち明ける草加だが、草加と海堂の二人に想いを寄せられた真理と、相談を受けた巧の会話を聞き、真理の思い人が木場と知る。自分でも何をしたいのかわからぬまま木場に会う草加だが、たまたまラッキークローバーに襲われ、はからずも二人は共闘することに……一方、巧もラッキークローバーの再度の襲撃を受ける。
 前回は「変移抜刀霞切り」だったアクセルフォームだけど、今回の描写はメカ風味な加速装置。まあ、009も石森章太郎だしなぁ。しかし、こういうSFX描写を見てると、一昔前の「きぐるみショー」とは一線を隔しつつあるな、と思う。まあ、あくまでに「表現方法」のシンポであり、それで作品性が上がるとか、そういうことではない、という指摘はそうなんですが、単純に「スゴイ機械でいろいろできる」でなく、「どういうふうに撮るか」というノウハウの蓄積である以上、確実にレベルの上昇は感じる。
  カレイドスター は、とりあえず明日以降。
 今のところ、先日導入したばかりの Let's note LIGHT W2 は快調。画面の大きさとキーボードサイズはともかく、ノートだというストレスはあまり感じない。環境も徐々に整えつつある。これで、仕事が順調ならなぁ。(泣)


2002年07月02日(火) 旧暦 [n年日記]

バーチャルキーボード

  こんなもの まで出たようで(ニューズウィーク02.07.03)。なんとなくサイバー。動作の確実性がどのくらいのものかってのは疑問があるけど、興味はある。
 同じく ニューズウィーク のコラム、「 ニッポンが僕を泣かせる 」。一部では日本の応援の仕方は変だ、変だ、と盛んに言っていたみたいだけど、でも戦後教育を経てバリバリのナショナリズムに少しアレルギー的ですらある危機感を持つようになった(主体性がなく、右にならえの全体主義に染まりやすい国民性のわりに)日本人からしてみれば、これで良いのではないのだろうか、とも思う。他の国の人からも、行きすぎたナショナリズム全開の応援の問題は指摘されているようだし。ただ、テレビの画面を通してでは日本の応援の良い点も悪い点も伝わりにくかったみたいで、ちょっと残念。(道頓堀に飛び込むのは、わりと感覚が麻痺してるせいか、騒ぐほどでもないと思うんだけどなぁ)
 「 トラマガ 」創刊号を見てみる。あー、こないだ単行本が復刊した「ハイパードール」の再開する英知出版の新雑誌ってこれだったのか。しかし、個人的に「トラウママガジン」って名前はどうかと……表紙が「ゲームセンターあらし」ってのも少しひく要因に。でも中身を見てみるとMoo.念平とかも含めベテランが多いので思ったよりは安定してました。しかし雑誌として魅力を感じるかってのはまったく別で、最初の「全然ダメそう」という先入観が異様に大きかったせいなんですが。「何を考えて創刊した雑誌なのか」はやっぱりわかりません。
  復刊ドットコム で復刊希望の多かった作品とかをピックアップしてるのだとは思いますが、それってどのくらい需要があるのかな……やっぱはずしてる気はするな……
 しかし、萩原玲二氏の「サブマリン707」(すいません。「青6」となぜか間違えてたんで修正)の連載とかはわからないでもないのだけど、「十兵衛ちゃん」とかはいったいどういう基準と経緯で掲載が決まったのかが気になります。
  あずまんが大王 はボンクラーズ結成の回。わりと常識人だったはずの神楽がどんどん染まっていく。相変わらずオチは無し。作画は荒れてきてるけど、安定して荒れてきてるから(変な言い方だなぁ)まあ、いっか。変な動きを楽しもう。
 しかし私の買うWTMは、どうしてティーガーがまったく出ないのだろう……

 追加。ここんとこ「コミックマスターJ」を見て、どうしても違和感が付きまとっていたのだけど、理由がわかった、気がする。ここんところの「J」の言説は「優れた作品を生み出すためなら、そうでない作品はどうなってもいい」というもので、まあ、立場によっては正論かな、と思う。で、今回のはマンガの規制が主題だったのだけど、「作品で批判をねじ伏せろ」という結論だった。いや、それもわかるのだけど、やはり違和感を覚える。淘汰を行い、ごく一部のすぐれた作家を生み出させる、という主人公の目的からははずれてはいないのだけど、それが現実に照らし合わせ「じゃあ、ごく一部のすぐれた作品、大傑作だけでOKなの?」と自分に問うと、そうは思えない。だからこそ、現実では表現規制の動きに不満の声が上がっているのだと思う。それは作り手だけじゃない。読者の側からもだ。一方では「受け入れられるかどうかは読者が決める」と言いつつ、もう一方では「大傑作だけでは満足できない読者は切り捨ててもいい」という態度を見せる。別にJの中で大傑作の定義が規定されてるわけではないけど、結局、結論はともかくこの行動を是とすることは「作品の見方」を規定する行動を是とすることになるんじゃないだろうか? 考えすぎかな? しかし、多様性の信奉者としては、やはりあまり愉快ではないのである。