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2012年06月27日(水) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] ニャル子#12とゼットマン#13

  這いよれ!ニャル子さん #12「夢見るままに待ちいたり」。突如ニャル子たちの姿が消えてしまう。それどころか誰もいない世界。疎んじていたはずの騒々しい日常を失った真尋は、ついカッとなってニャル子たちに「お前たちなんかいなくなれ!」と言ってしまったことを後悔するのだが……

 最終回だけど今回もパロだらけでした。実に正しい。
 そもそも前半の展開が脈絡もなくドラえもんの「どくさいスイッチ」だし。あと、中田譲治に「戦争が好きだ」のパロをやらせるとか、もうめちゃくちゃ。話の収拾の付け方もいい加減すぎてもう笑うしかないw
 あと、大張パースは剣の部分をもっと大げさにすべきだと思うのです。
 とは言え、オリジナルとしてはよく原作を理解したパロラッシュでした。もうちょいガンダム系があったも良かったかもしれませんが。
 この分なら二期(4期)もいけるのかな?
 あと、脚本に小中千昭が参加したらどうなるかは興味あるwww


  ゼットマン #13「葬列」。最初、桂正和の完成度の高い絵にどこかで聞いたような陳腐な設定と出だし、だったんですが、終盤で急速に話が上り調子に。コウガは自分の正義を試され、敵の破滅的な行動に自らを見失い、正義にすがろうとするあまり実の父と母を撃ってしまうという凶行に。ジンは心を許した相手である花子が暴きの輪によりエボルとしての正体を晒し、そして自分が倒さねばならないという事態に身動きが取れなくなってしまう。
 結果、暴走した正義のコウガが花子を殺し、灰谷の目論見通り怒りに駆られたジンがコウガを殺してエボルのシンボルとしてのゼットマンが完成する……はずだったが、ジンはコウガの正義が不完全だと言い、その刃をコウガに向けず灰谷に。
 ジンの言うことは理想論であり正義ではないと銃口を向けるコウガだったが、それでもジンは全員を救う道を選ぶと逆にコウガを説得する。
 完全な殺意のみで動くエボルでありながら、「感情」と「倫理」による制御、言い換えれば悪魔の身体と人の心を持つ不完全な完全体こそが、神埼の目指したゼットマンの完成形であり、コウガはそれを完全には受け入れないながらも自らの正義を模索することを決意、そしてジンは人知れずエボルを狩る道を選ぶ。
 読み切り版のゼットマンは、主人公は完全に心を失い自動的に正義を執行する「もの」になってしまったけど、アニメ版はそうではなくあくまで「正義とは相容れない人の感情・倫理」との間で苦しみ続けることを選んだことに。
 コウガが暴走しながらも人々のヒーローとして脚光を浴びるなど、考えるところはあるけど、でも終盤はいろいろ急展開で面白かったです。でもこのラストだと第二期は難しいのか……


2010年06月27日() 旧暦 [n年日記]

[特撮] ゴセイ#20とW#40

  ゴセイジャー #20「フォーリンラブ・ゴセイジャー」。望から近所の高校生、拓也の恋を応援してくれと頼まれるアラタたち。天使なんだからとわけのわからない理屈で押し切られるが、「恋は戦いだ!」という言葉に妙に反応し、五人が五人、頓珍漢なアドバイスをしだす。
 が、そんな五人のアドバイスが功を奏し拓也が意中の相手であるみずきといい雰囲気になりかけたところで、幽魔獣・ケサランパサランのペサラン挫が出現する。人の恋心を腐らせて食べてしまうペサラン挫に、人間たちの恋心が食べられていき、拓也もペサラン挫のせいで暴走、しつこくしてしまいみずきに嫌われてしまう。
 傷ついた拓也はペサラン挫に恋心を食べてもらおうとするのだが……

 いやもー、ゴセイジャー、なんだか近所の悩み相談引き受けますみたいになってるな。つか、基本的に全員がボケなので、ツッコミ役不在で非常に困ったことに……
 今回の敵のペサラン挫のモチーフはケサランパサランなんだけど、名前の元ネタが不明。2chでは「オペラ座の怪人」ではないかという意見が見られたけど(一応「恋」というモチーフは確かに一致してるが)、なんか釈然としないなぁ。特撮映画じゃないし。


  仮面ライダーW #40「Gの可能性/あなたが許せない」。透も喜んでると思っていた映画作りを、実は透自身は気に入ってなかった……思い込みとアテがはずれて亜樹子は透に真意を確認しようとするが、透はジーンメモリーを返してくれと言うばかり。それどころか、あいに対しても恋愛感情はないという。
 また透の気持ちがわからなくなった亜樹子だが、「透を変えるなんて出来ない」と言うフィリップをよそに、「透の気持ちを知るには映画を撮るしかない!」と映画作りを続行。しかし、何度やっても透が気に入った様子はなく、行き詰まったところに再び若菜が現れ、透を攫っていく。
 若菜の目的は透のジーンの能力。琉兵衛から与えられた有機情報制御器官試作体<ガイアプログレッサー>とクレイドールをジーンの能力で融合させることだった。
 若菜に脅された透は脅されるままにガイアプログレッサーを融合。一歩遅れて亜樹子が駆けつけるが、亜樹子は脅されるままになり逆らいもしなかった透をスリッパで殴打。のみならず、勝ち誇る若菜まで引っぱたく。「若菜姫、あなたもよ! 本当の若菜姫はフィリップ君のことが好きで、風都のみんなに130%の元気をくれる若菜姫よ!」と……
 一瞬心を揺るがせる若菜だが、すぐに我に返り力を解放。それに巻き込まれた亜樹子は透に翔太郎たちを呼んでくるように言われ、危機を伝えようとするがいつも言いたいことを書き込んでいたスケッチブックを無くしてしまっていた。何が言いたいのかと詰め寄られた透は、追い詰められた挙句についに本心をはき出す。「いい加減にしてよ西村さん! 君は元気すぎるんだよ! ジェシカはもっとダークなイメージなんだ!」と……
 呆気にとられたあいは思わずつぶやく「そんな……ことなの? 私に言いたかったことって……」

 クレイドールがエクストリームの力を手に入れて巨大ボス化したりと話自体は結構ヤバイ展開なんだけど、亜樹子と透のせいで全然そんなふうに見えないw
 ナスカのメモリの力を手に入れた冴子に圧倒され、ミュージアムの新代表として姉を越えたという感触を踏みにじられた若菜は、琉兵衛からもらった力を取り込み、クレイドールエクストリームに進化。琉兵衛曰く、神に捧げた、地球の巫女にふさわしいメモリということで、どうも琉兵衛は最初から若菜を後継者に考えていたようなのだが、だとしたらフィリップや冴子は最初から捨て駒だったってことだろうか?
 しかもクレイドールがパワーアップしただけでなく、これまでフィリップにしかできなかった地球の本棚へのアクセスも可能になってしまった。今のところはまだ姿を現すしかできないみたいだけど、そうなるとフィリップの検索も思うように出来なくなるのか?
 冴子もこのままでは終わらない様子だけど、第三段階まで達したナスカが強力でも、このままだと蚊帳の外っぽいけど……
 あと、何気に今回の川相透は、初めて自分の意思でメモリを手放した人間なんだよな。破壊に特化したメモリでないとは言え、これって何かの伏線になるんだろうか?


2008年06月27日(金) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] ペルソナTS#25

  ペルソナTS #25「謂れなき喪失」。両親のペルソナを引き剥がそうとするアヤネのペルソナを攻撃し、逆に自分が両親を殺してしまったことを思い出した慎。兄の諒がそれらを全部一人で抱え込んでいたことを知り呆然とする彼を、仲間たちはなぐさめ、励ますが、慎はどう処理して良いのかわからない。そんなとき、回収された実験体が突如目覚め、ペルソナを発動させながら街を徘徊する。近づいた者たちがペルソナの影響で無気力症に陥る中、かろうじて抵抗力のあった戌井からの連絡でその事実を知る真田。だが街には無気力症だけではなく入れ替わりも起こり、破滅的な状況になりつつあった。
 しかし慎は、自分が両親を殺してしまわなければありえたかもしれない幸せな家族の幻想に浸り、海を見つめていた。

 ラストバトルまで淡々としてるなぁ。能力者自身を傷つけることなくペルソナだけを引きはがせる慎の能力。それはおそらく封印されていた記憶に起因するものらしいことが拓朗の台詞で示唆される。拓朗のきかん坊なペルソナは、実は人を恐れていた拓朗そのもので、恵の守るペルソナは贖罪のつもりで、しかし恵本来の性格から来る面倒見の良さから来ていた。だから、慎のは、両親を過って殺してしまったようなことがないよう、もう誰も傷つけないように強く望んだから発言した能力ということか。
 だが、アヤネはそんな慎に実験体に近づかないよう告げる。慎のペルソナを取り込んでしまえば、もはや世界は実験体の望むままに作り替えられてしまう。
 しかし、肝心の慎は立ち直るきっかけがつかめないまま、ありえた今を夢見てしまう。これで終わりなわけはないと思うけど、家族はみんな消えてしまったわけだからなぁ……
 あと、良く考えると慎が両親を殺してしまったと言うことは、慎のペルソナの中に両親のペルソナもいるということ?

[アニメ] マクロスF#12

  マクロスF #12「ファステスト・デリバリー」。惑星ガリア4のゼントラディ部隊に慰問にやってきたシェリルとアルト。だが、シェリルは無理を圧したせいで到着早々倒れてしまう。そもそもがこの慰問は隊の不穏分子が反乱の口実のために突きつけた無理難題だったため、それを良いことに不穏分子のリーダーは一斉に反乱を煽る。シェリルはもちろん、助けようとしたアルトも捉えられてしまう。
 ガリア4での反乱のニュースはフロンティアまで届き、SMS小隊の面々やランカたちを不安に陥れる。が、通信はできてもそこまでフォールドすることはできない。そんなとき、ルカが自分の実家の会社で開発した新装備を使うことを提案する。

 絶望した! どこかで見たガリア4の面々に絶望した!w
 もひとつ絶望した! 「萌え〜!」とか言い出しかねないゼントランの面々に絶望した! って、それは元のマクロスからずっとそうか。しかし、エキセドルもどきは「ランカたん!」と言い出しかねない勢いだったぞ。
 シェリルはアルトのために無理をしたことがうわごとではっきりしたのに、いいところはランカにかっさらわれるのが、なんだか立場が逆転してるなぁ……でもまだ折り返し地点なのにここまでランカを持ち上げるって事は、落とす気満々ってことだろうけど。
 カムジンもどきも何か意味ありげな事言ってたけど、単にカムジンの断末魔のパロだろうな。まあ、もどきの方は生きてるみたいですが。
 それよりも、この反乱を裏で扇動していたのはやはり腹黒マネージャーらしい。すっかり腹黒キャラが板に付いたなぁ、井上喜久子17歳。でも、シェリルのマネージャーについてるのは意図があってのことだろうに、そのシェリルを失う危険を冒してでもそんなことする意味があるんだろうか? って、最後に出てきたのは初代マクロス……やっぱり「ここが地球だったんだ!」とアルトが言うべきなんでしょうか?<猿の惑星じゃねえ
 まあ、どうもマネージャーの目的と、カムジンもどきの奥の手もこの初代マクロスの同型艦だったようだけど、これが一体どんな意味を持ってるんだろう?


2007年06月27日(水) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] ウエルベール#13

  ウエルベール #13「血戦の章」。ゲルニア王子に捕らえられ、結婚を迫られるリタ。リタはガラハドの語った聡明だった少年時代のゲルニアと今の連続婦女殺人鬼のゲルニアが同じ人物とは思えず、なぜ変わったのかを尋ねる。ゲルニアは幼いころ母の不義密通を目にしそれを許せず憎悪を募らせていたのだが、豹変したゲルニアの態度に罪の意識を募らせた母が自殺することで憎悪の矛先を失い、母と同じ青い目をした娘に歪んだ感情を持つに至ってしまったのだという。しかし、リタに対しては憎悪より愛情が勝ったと迫るゲルニア。ティナたちはリタを助けようとガラハドの手引きで奇襲をしかけるのだが……

 番組表によっては「最終回」だったり最終回じゃなかったりといろいろで「?」だったのだけど、「第一部完」かよ! ってもう第二部制作も決定してるらしいし……で、第一部最終回もそれを意識してか戦争は回避されるもののサンガトラスとの間に禍根を残すラスト。ゲルニアの告白を聞いてしまったガラハドが、恋人のジャミルをその歪んだ欲望の結果、自らの手で殺さざるをえない状況に追いやられたことに怒り、復讐をする。ゲルニアは情に訴えた卑怯な手でガラハドを返り討ちにしようとするのだが、ガラハドには通じず、剣で貫かれることに。それでも死にきらず、母の幻影とお茶を飲んでいるところをボルジュラックの砲撃で崩れた城の下敷きに。う〜ん、第二部はロボゲルニアになって再登場かと思ったのに。もちろん足はキャタピラ、腕はマニピュレーターとドリル。ウィーンドリドリドリ。
 かっぱらった大砲で装備したジンとボルジュラックにより主戦力を壊滅させられたサンガトラスはウエルベールと講和を結ぶ。うわ。サンガトラスが弱いのか、ジンとボルジュラックがリーサルウェポンなのか……
 しかし、書簡を届けるという目的がなくなって、第二部はどうするんだろう。って、これも二週間ばかりの話なんだよなぁ……その無理矢理感がなんとも変でたのしうございました。


2006年06月27日(火) 旧暦 [n年日記]

[マンガ] コミックアライブ創刊号

 掲載作ほぼ全てが学園モノというすさまじい状況になっている コミックアライブ 創刊号。やっぱ見てみると「全部学園モノ」というのは異様なのだけど、ただ、安定感自体は結構あったりして意外。

・近藤るるる「しはる・じぇねしす」:「やっぱ近藤るるるは上手いなぁ」としか言いようがない。アンゴルモア大王(=ルシファー)の生まれ変わりでありながらその自覚はない天然ボケな一女子中学生の不動詩遥(しはる)。ルシファーの転生をかぎつけて、かつての部下であるマルコシアスが学校に教師として赴任してくるのだけど……詩遥が無意識に力を使い、「学校サボリたいなぁ」と願うと些細なきっかけがどんどんでかくなってしまい、学校に戦闘機墜落、という大惨事に。なんだかそのどうしようもないシークエンスが面白い。でも友達の絵美歌がそのたびに時間を巻き戻して何事もなかったことに。多分詩遥を見張る天使なのだろうけど、日常サイズで宇宙規模のドタバタをどう描くのか、ってのが楽しみ。
・まだらさい「陰からマモル!」:フラッパーからの移籍なので、今更特に言うことナシ。作風的には既に安定しているしね。
・井ノ本リカ子「モモタノハナ」:作者は成人誌で活躍しており、一般向けはこれが多分初めてじゃないかと思う。巨乳の女の子が多いのだけど、絵柄的には清涼感があって結構好き。この人の描くツンツンしたお姉さんとかが特に好きなのだけど、今回はその手のキャラは出てきてない。ただ、よくよく考えるとストーリーものとしての連載作品ってそもそも今作が初めての気がして(オムニバス的なのはあるけど)、ちとヒキの弱さは気になってしまう。おそらくモモタのメル友の女の子(モモタを女の子と誤解してる)が委員長かウメのどちらかで、それがらみでの展開になっていくのだろうけど。女の子は魅力的なので、この辺のスキルがアップしてくれれば、化ける可能性は十分にアリ。
・新久保だいすけ「雲田場高校地球侵略部」:けっこうくだらなくて面白い。自称宇宙人の西園寺君(どうも本当に宇宙人らしいのだが)が個性の強い連中に逆に振り回される様が……主人公の幼馴染?の玉希がえげつない銭ゲバ巫女ぶりなのも○。
・浅見百合子「蟲と眼球とテディベア」:自社同名ライトノベルのコミック化。原作は未読なんですが、原作もこんな導入なんでしょうかね? でもケレンはあざとすぎるくらいにあるので、目は引く。続き見ないとなんとも言えないなぁ……
・須田さぎり「ハニーコスモス」:目つきと顔つきの悪い太神陽は転校初日からクラスメイトにドン引きされるが、実は彼は星を愛するメルヘンさん。目つきが悪いのも毎晩徹夜で観測をして寝不足なせい。正体を知られ天文部に引きずり込まれるのだけど、天文部は陽以上の変人揃い。なんだかヤバイくらいに電波全開な部員が面白い。
・望月奈々「ゼロの使い魔」:ラノベのコミック化。アニメ化もされるとのことなので、おそらく売りの一つではあるのだろう。平凡な高校生である才人は突然「使い魔」として異世界ハルキゲニアに召喚されてしまい……というもの。才人を召喚したルイズは魔法学園の生徒で、名門の家系にも関わらずおちこぼれで「ゼロのルイズ」などと揶揄されている。ついでにツンデレ。ただ、個人的にはピンと来なかったかな……わりとありがちな展開に思え、なんとも言えない。ところでハルキゲニアって、どうしてもカンブリア紀の不思議生物連想するんですが……
・ひな。「ぼくらのらぶたいP(ぷ)」:主人公の春汰は「正義の味方家系」で、他人の悪の思念を聞き取ったり抜き取ったりする能力がある。けど、そんなに才能があるわけでもなく、それでも家系で将来が決められてることに漠然とした不満を抱いている。そんなある日、痴漢から助けた須藤恵子が彼の能力を知り、春汰を巻き込み「なんでも解決同好会」を無理矢理に立ち上げる。「熊女」須藤恵子の強引っぷりとかが、却って胸がすく。結構気持ちよく読めた。
・いづなよしつね「ボーンクラッシャー」:スラップスティックスペオペ。やっぱ独特なデザインはこの作者ならではなのだけど、この作者の場合、いつまで連載が持続するかのほうが気になってしまうのだよなぁ……大丈夫か?
・遠藤海成「まりあ†ほりっく」:意外な拾い物、かも。高めの身長(173cm over)にコンプレックスを持ち、男子にからかわれた反動で男嫌いになってしまった転校生かなこ。転校初日にお嬢様然とした美少女・鞠也と出会い、悦ぶのだが実は鞠也は……男? 正体を知られ、かなこが男嫌いの反動で女の子好きだという秘密で口封じの脅しをかける鞠也。どう見ても幼女で何故かネコミミの寮長先生だとか、ひたすら口の悪い鞠也付きのメイド・茉莉花といい、主人公や鞠也含めて個性的でアタマおかしいキャラのドタバタがテンポ良い。
・國津武士「神ぷろ。」:意外な拾い物その2。学生神主・伊庭景綱の神社に突如現われた意味不明に偉そうな不審人物の少女。彼女は新しく赴任してきたこの神社に祭られる神様・戦神の刀鳴神(となりのかみ)だというのだが、この平和なご時世に戦勝祈願などあるわけがない。しかも周囲は幼稚園〜大学の女子校に囲まれた立地。景綱は、「これは恋愛成就の神社として売り出すしかない!」と刀鳴神をプロデュースしようとするのだが……戦勝祈願以外にはまるで神通力を持たない刀鳴神が全力で空回りしては落ち込んだり、それをまた景綱がなだめすかしてロクでもないプロデュースしようとするのが笑える。一般向けは初めての作者のはずだからあまり期待してなかったというのもあるのだけど、きちんと手堅くやってて意外で得した感じ。
・山本賢治「ガイスターバーン」:化物+ロボット。でも山賢にしてはグロ控えめかな……でもよく考えたらハラワタ出てたし、女の子キャラの四肢切断やったし、やっぱり山賢! という期待には一応こたえてるか。女の子(アンドロイド?)が外部に接続されてるデザインのロボットってのはちょっと面白い。様子見の部類かな?
・青本もあ「おまかせ精霊(スピリッツ)」:入学から数ヶ月、やる気なさげで、でも面白そうなことがないかと退屈していた任田君は、木に向かって話しかける天然不思議ちゃん系の美少女を見かける。彼女・ヨリは任田を才能がありそうな顔をしてる! と精霊同好会に誘う。 うにへえ の青本さんの連載デビュー作。ただ、やや危惧はしていたけど、やはりヒキとインパクト自体は弱めかな……妙なテンポは、ツボにはまると面白いんだけど。ただ、「他力本願な人間ほど精霊との相性がいい」って設定は面白い。特に、同好会会長見てると妙に納得。って、それって同好会の連中は基本的にみんなダメ人間ってことじゃん。ダメじゃん。「酸素作ってくれてありがとう!!」「ステキ光合成!!」ってフレーズは妙に笑える。あと、指先から精気を吸うフェチ描写もなかなか。
・龍炎狼牙「骸姫」:十年ぶりの一般誌連載、らしい(やっぱ初めてじゃなかったか。あまり記憶には残ってないけど)。やっぱ化物は手馴れてますわな。最近だとこの手の美少女退魔物はあふれかえってるので、それとどう差別化するかが鍵かな? 化物の右手が普段は封印されていて、木偶同然ってのはキャラが立ってる。
・kashmir「デイドリームネイション」:変態マンガ部学園マンガ。「百合星人ナオコサン」同様、くだらなくて下品でいいです。
・源ゆう「叶えてアイゼン」:あれ? この絵柄どこかで見覚えがあるんだけどなあ……思い出せない。絵柄的にはアピール力はバッチリ。話は割とフツーな気がするけど。

 だけど学園モノという制限上、出だしが「転校生がやってきて」というものが多くなってしまうのは、ちとどうにかならなかったんだろうか? 転校生ってよほど便利なガジェットなんだなぁ……


2005年06月27日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] タニマチ的というか

  愛・倉太の気ままな日記6/26 経由で 焚書官の日常 さんの ジャンルの歴史を学ばない若者にジャンルに詳しいとしよりが老婆心であれこれ言う、ことについて(2) を見てみる。以前、 内田樹氏のブログ の「SFファンダムの記録は誰も残していない」というくだりに対して基本的には口伝であり、また現在記録として残そうという動きもある、というようなことを書いた。まあ、多分この辺の「記録を残す(伝える)活動」「その需要」のあたりの話と言えばそんな気もする。
 もうひとつ、最近書いた「物語を楽しむためにはなにが必要か」ということにも関係してる気がする。てか、ある面では確実に関係してる。それが中心事象かはともかく。
 「文脈の断絶」というのは、たとえばオタク界隈でよく使われる「ツインテール」という髪型を指す言葉が、元は新マンの怪獣でグドンの餌でエビの味がする、だなんて話は、「ツインテール」という言葉を聞いたときにどういうニュアンスを感じるかには関わるが、それが必要かって言われるとなかなか返答に迷う。
 そもそも自分はスノッブ的な押し付けに我慢がならずに3日でSF研を飛び出した人間なのでそういう視点の押し付けは大嫌いなのだけど、全体としての文脈について無頓着でいいかというとむしろ逆で、ある程度までは(わかった気になるところまでは)遡りたがる性格でもあって、この手の話にはちょっと複雑な立場でもある。
 個人的にはマスの主義や哲学ってのは状況に付随するものにすぎないと考えてる。それが変化したってことは状況が変化したってことの反映にすぎない。じゃあ、どういうふうに変化したのか。娯楽が容易く手に入るようになった、ということじゃないかと思う。昔はSFだとかファンタジーの数ってのはそんなに多くなかった。ジャンルもそんなに多彩には存在しなかった。それはひとつのジャンルについて徹底的に探求しやすいってことでもあるけど、逆に娯楽への餓えを満たすには徹底的に追求する以外になかった、ということでもある。入手しやすさの問題もある。都市部育ちの人は流通には割と無頓着かもしれないが、地方、田舎になると本屋に行けばなんでも(ってのも語弊があるが)店頭に並んでるってわけじゃない。したがって集団化して情報や実物をシェアすることが重要になった。
 翻って現在はどうかと言うと、ライトノベルというジャンルに関して言えば無茶苦茶たくさん本が出ている。またその名の示す通り、「ライト」であることがモットーなので(無論何事にも例外はある)咀嚼するのに難解な知識や文脈といったものはほとんど意識しなくて済むようになっている(本当は文脈がないわけではないのだけど、刷り込み的に持っているものでまかなえるようにしてある)。おまけに、「ライトノベル」ってのは「SF」とか「ファンタジー」とかのような「ジャンル」ではない。ある種の書籍出版ジャンルを指す言葉で、その作品世界についてのジャンル分けではない。分野が広くて当たり前だ。これらは「ライトノベル」ってものが「そういうもの」という話である。良い、悪いとは関係無しに。
 で、「良い悪いに関係なく」と書いといてなんだけど、ライトノベル隆盛が招いてる事態が良いか悪いかと聞かれれば「悪い」と答える。
 誤解がないように言っておくが、これは「ライトノベルが悪い」ということでも「その読者が悪い」ということでもない。あえて言えばある読者層の無自覚が悪い、ということになるが、責める意図も(あまり)ない。この辺の話を突っ込んでするとなにがしか自分に跳ね返ってくるのでいやなのだけど、書き始めたから仕方ない。
 先にも書いたが、ライトノベルに過去作品からの文脈がないわけではない。ただ、対象読者層には意識せずに読めるようにしてあるだけだ。事例としては香港の武侠もの映画と、歌舞伎の話が対応できるのではないかと思う。
 B級香港アクション映画とかを見ると、よく「これなに?」と思うような技が出てくる。例えば剣を飛ばしてその上に乗って空を飛んだりとか、おかしな武器を使ったりとか。「カンフーハッスル」では琴を鳴らして亡霊や剣を現出化させる技、なんてのも出てきた。日本人から見れば突拍子もない発想に見えるが、これらはことごとく武侠小説や過去の武侠映画に元があるらしい。おそらく香港人は「なんとなく」普通に受け入れてしまっているだろう。
 歌舞伎の事例は、その物語世界について。歌舞伎の演目を見てみると源平合戦の頃の話なのに江戸時代の格好をしていたり、また時代もぜんぜん違うはずの登場人物が別の話に出てたりと、考証だのという話になるとてんでおかしいものがある。これは受けるものを模索していくうちにそうなってしまったのだが、多分江戸時代の人は(比較的)違和感なくすんなり受け取ったのだと思う。
 状況としてはこの辺とあまり変わらないと思うと、まあそれはそれで、という気もしないでもない。けど、そうじゃない部分もある。
 まあ、歌舞伎の場合には現代みたいな娯楽の飽食時代ではなかったし(と言っても当時の世界レベルではかなり高度だったけど)、家とか師弟という系譜が存在しているため、古いものも(比較的)新しいものも内包し、なおかつその流れというものがきっちりと把握されている。ライトノベルの場合には層ごとの積み重ねであり、もっぱら気にされるのは比較的近い層だけである。つまりプリミティブな部分からどれだけずれてるかというのがわかりにくい。ライトノベルの「お約束」は無自覚なだけにそうである。視覚的イメージに例えるならもうそろそろ限界近く積み上げられたジェンガや、乱雑に何段も積み重ねられた積み木、といった感じだろうか。
 おそらく、ライトノベルの隆盛にもいずれ終わりは来る。どのようにかは予言者ならぬ身にわかるはずもないが、帰納的に何事にも終焉は訪れる以上、ライトノベルもその例外にはならないだろうということが言えるのみである。
 なにごとにも終わりは来るが、問題は終わり方だ。先鋭化しなおかつ未分化、未整理で終焉を迎えたものは、おそらくほとんど霧散するように消失してしまうだろう。少数の研究者が整理を試みるかもしれないが、膨大なだけにその作業は困難を極めるだろうし、また同時代人でなくてはわかりえないことも多いはずだ。おそらく、ライトノベルの築いた多くはなににも受け継がれず消えてしまうだろう。歌舞伎が大衆娯楽から文化芸術に質的転換を遂げたような、あるいはその後活動写真から映画、テレビ時代劇へと受け継がれたようなことは、おそらく起こらない。
 なんだか話がやたらとでかくなってしまって、「そんなの個人には関係ない」と言われそうだけども、結局文化を支えるってのはそういうことなんじゃないだろうか? 文脈などどうでもいいということは、結局そういうことじゃないだろうか。それに無自覚にしろ自覚的なのにしろ、消費物として以上の還元をジャンルに与えない。「あとは野となれ山となれ」という感覚に近いだろう。無論、そういう読者ばかりではないことも承知してるつもりだが。
 で、困ったことにここらへんが「自分に跳ね返ってくること」だったりする。枠組をちょっとだけ変えてみると、社会へのなすべき還元をちゃんとやっておらず……あ〜、だからあまり言いたくなかったんだ。
 そんなマクロな話でなくミクロな話をするなら、そのことについて語るとき極めて自分内部限定の、しかも表層的な部分しかすくい取らない話しかできない。いや、そういうのもいいけど、そういうの だけ ってのは人間性が見えてしまって……あ〜、このへんも自分に跳ね返ってくることだわ。鬱氏。
(追加:自分がなにを面白いと思ってるか、どういうことを面白いと思うかってのは、ある種の自分自身との対面である。それをする必要性はない。だが、その対応により自分がどういう人間か、他人から見透かされるということは頭に入れておかねばならない。)
 まあ、近視眼的にそういった話を「うざったい」と切って捨てるか(話の振り方にもよるんだけど。私がSF研を飛び出したときみたいに。)、それともリスペクトを持つか、ってのは、(ただのつまらぬ自尊心だったとしても)文化の担い手の一部と自負するか否かの試金石だと思う。

[その他] 食いだめ

 自分には食いだめなんて出来ないと思ってたけど、やればできるもんですなぁ。
 昨日昼飯に食った「ぱせり」の味噌カツ丼(この店では普通サイズだが他所の店で換算すると特盛りサイズ)がまだ腹の中に溜まってまして、今日一日空腹感とは無縁でございましたわ。おほほほほ。食った固形物はと言えば蒸したトウモロコシ半分にイカ天半分だけ。それでも腹が苦しくなる……これで腹壊してたりってわけじゃないんだからああた。あと一日は固形物食わないで平気そうです。恐るべし、「ぱせり」のカツ。
 それはそうと週末に実家からトウモロコシを何本か送ってきたので職場におすそわけ。蒸し器で蒸して、お茶のみ場に置いといたわけです。
 そしたらそこを通りかかった一人目。「これ、なに?」
 トウモロコシ以外の何に見えると?
 「そうじゃなくって、誰がって……」
 気を取り直して通りすがり二人目。「これ、いったいなに?」
 だからトウモロコシ以外の何に見えると……
 どいつもこいつも日本語の使い方がおかしいですよ? せめて「これ、どうしたの?」くらい言おうよ。でも持ってったトウモロコシは無事売り切れました。めでたしめでたし。


2004年06月27日() 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 時代劇

 友人から関東ローカルの サムライチャンプルー を送ってもらって五話まで見る。う〜ん、なんというか、微妙。っつーか、ぶっちゃけ一話五話以外はマズイ出来。いや、作画動画が崩れるのとか、シナリオぐだぐだだとか、時代劇なのに現代風の眼鏡をかけてるとか、ヒップホップだとかスクラッチだとか、そんなのは別に鑑賞上フォローのしようがない致命的なまでの問題でもないんですよ。特に現代とのてきとうなちゃんぽんなんて、逆に時代劇じゃ珍しくもない。元々時代劇の源流のひとつは大衆剣劇芝居なので、大衆芝居的ないいかげんさ、おおらかさはむしろあって良いと考える。 *1
 いや、具体的に言うとですね……二本差しに向かって「渡世人」たぁどういうことで? なんで唐傘がワンタッチ傘の手つきで開くねん? いや、考証をしっかりしろって言ってるわけじゃないけど、なぜ時代劇にしたのかって肝心の部分の快楽がなく、見所もなんにもない演出見せられてもなぁ……
 「時代劇」は「時代小説」ではないのだから、考証だとか設定だとか、あまり細かい突っ込みはするつもりはない。むしろ五話目くらいのイイカゲンさぐあいが好い加減 *2 。この回は絵コンテも作画動画もいいんだけど。
 あ、ちなみにやや歌謡曲調のイントロから入るエンディングは大分イイカンジ。
*1: 源流を本当にきちんとたどるのは難しいのだが、チャンバラ映画の役者を見ると上方歌舞伎界と大衆演劇出身者が多く、その流れが濃いと見るのが妥当に思える。第一、歌舞伎も筋立てとか時代考証とか見るとわりと「いーかげん」な世界である。
*2: 菱川師宣は1618〜1694年で、真面目に考えると1930〜1940年くらいの時代設定と推測されるが、とてもそうは見えない。隠密回り同心もこんな役回りはしない。が、この回は面白いので「そんなこたどーでもいい」んである。

[マンガ] サラリーマン癒し系

 「わー太」打ち切りの話をしたとき、話の流れで友人が同バンチ連載の「リプレイJ」を出した。ので「ゴメン。実はボク、リーマン癒し系マンガってキライなんすよ」と言ったら「リーマン癒し系ってなに?」と返された。
 え? え〜っとですね、それはアレですよ。え〜っと。で、以下交わされた問答。
 「島耕作とか只野係長とか?」──そうそう、その辺。
 「クニミツの政は含まれる?」──いや、主人公も対象読者もサラリーマンじゃないし。
 「サラリーマン金太郎は?」──そのものズバリ。
 「恋風は?」──いや、そりゃ違うでしょ。
 「最近の星里もちるは全滅?」──微妙。
 「なぜか笑介」──ビンゴ!
 「つりバカ日誌」──ちょっと違うかなぁ。
 「流星課長」──それは多分チガウ。
 「じゃ、野崎修平とか嫌いなんだ」──いや、野崎修平は何故か好き。
 受け答えしてて自分でもなんだかよくわからなくなってきた。個人的には新田たつおとかがもう全然ダメなんですが。多分にご都合主義的かつ理不尽な理想主義のものはかなり生理的に受け付けないのだけども、でも予定調和があるものがダメかというとそういうわけでなく、いったいどこら辺がカンに触るんだろう? あ、でも「企業戦士YAMAZAKI」はイイと思います。

[その他] 韓国ブーム・その後

  あんた何様?日記(6/20) を見て、まずそのタイトル(「本屋の韓国俳優特集のコーナーで立ち止まっている人をみたことない。」)に笑ってしまった。いや、実際は立ち止まってるところは見るのだけど、設置されてるコーナーのものものしさに比べればささやかなものであり、実感としては同意である。
 とにかく目に触れされる、名前を連呼する、露出させる、芸能人の口から語らせる、は広報の基本で、規模こそ大きいがやってること自体は目新しくない。が、目や耳に入れるということは刺激で、人間は刺激に対し麻痺してしまう。結局、一過的にブームを立ち上げるには有効でも、ブームを持続させるには別の戦略が必要。それを怠ったのが昨今の音楽業界の不振だろう。個人的にはそんな宣伝に血道を上げてるくらいなら、面白いドラマを自分たちで作る努力をその十分の一でもしてみやがれ、と思う。しかし、費用対効果はかなり悪そうなのに、どうリターンを受ける仕組なんだろう?

[その他] デカ

 「刑事」(正確には私服警官)を「デカ」って呼ぶのって由来はなんだろう、とふと思って辞書で調べる。広辞苑によれば、「角袖( くそ )」の隠語らしい。もっと正しくは「角袖警官」の略語らしいが、「角袖」とか「角袖警官」とかってなんじゃ、と思ったら、「角袖」とは和服のこと、「角袖警官」ってのは、制服でなく職務上和服を着ていた警官のことらしい。つまり、私服警官。え〜っと、それを考えると、制服らしい服を着てる デカレンジャー って、デカじゃないんじゃん。


2002年06月27日(木) 旧暦 [n年日記]

トルコ、残念

 ブラジルとの実力差は出てた試合だったけど、でも良い試合でした。相手の選手が倒れたらほぼ必ず手を貸して起こそうとするし、試合中、ブラジルの選手とトルコの選手が笑いあったりして。サッカー楽しんでるって試合だった。
 でも、次の試合も残念なことになりそうです。三位決定戦の主審はスペイン韓国戦の副審、第一副審はポルトガル韓国戦で第一線審、その他の審判も経歴見ましたが、大舞台の経験のある審判ではないようです。……なんてこったい。

トルコ料理店に行って、トルコを応援しよう!

 とは思いませんが、29日のトルコの試合の昼には近所のトルコ料理店に行ってみようと思います。試合後では、なんとなく行きにくくなってしまう……今回のワールドカップで数少ない収穫のひとつは、トルコが日本に好感を抱いてくれてるって知ったことでした。日本トルコ戦の次の日のトルコの新聞の見出しは「泣くなサムライ、心はひとつ!」だったそうです。もっともトルコチームも内部に宗教対立の問題を抱えて、いろいろ複雑なようなんですが(宗教対立の問題があるのはトルコ自体がそうなんですが)。
 知り合いのサッカーファンは「サッカーそのものを楽しみたいのに、余計な雑音が多すぎる」って人が多かったです。知り合いじゃないけど 高千穂遙 氏の日記とかもそんな雰囲気を感じました。でも、試合見てて思ったことは、イデオロギー的な意味を除いても、国と国とのぶつかりあいだなぁ、と思ったことです。その国の国民気質、感情、抱える問題、そういったものが全部複雑に入り混じってる。自分の場合、サッカーそのものよりそれを楽しんだ気もします。楽しめなかった国もあったけど。
 雑音ついででもうひとつ。今回の韓国で一番最初に怒ったのは、前日練習時の「AGAIN 1966」の事件でした。怒った理由は、自分の出身地が静岡だからってのがあります。静岡ってえとサッカー王国と言われてますけど、別に県民のすみずみまでその意識があるかって言うとそんなこともなく、わりとのほほんと、「なんかサッカー強いらしいねえ」って感じで、一部地域を除いてはやっぱり人気があるのは野球の方、って感じでした。もう10年以上帰省以外で帰ってないので、今はどうか知りません。でも、まだうちらがいたころからワールドカップの会場誘致の話はあって「え?! こんな田舎に!? でも、実現したらいいよね」って雰囲気はなんとなくありました。実家に帰るたびに、電車の車窓から静岡スタジアムエコパが見えて、「おー、近づいてるんだな」って感じでした。まあ、内心子供みたいにわくわくしてたところもあったんだと思いますが、根がひねくれてるので世間の騒ぎに乗るのもイヤで、野球よりは好感があるものの、サッカーもそんなに好きというわけではなかったので最初は「日本代表、がんばってるなぁ」というくらいのものでした。で、その一方で海外のお客さんの良い評判も聞こえてくる。ちょっとは良い気分だったんですよね。ところがあの「AGAIN 1966」。ショックでした。その後出てくる、韓国戦の不自然な点、そして相手を貶める韓国のサポーター。日本が馬鹿にされようが一向に構わないんですよ。そんなの昔っからなんですから。でもみんなが盛り上がってる雰囲気を思いっきり台無しにされたことは怒ってます。楽しみにしていて、みんなが良い気持ちになってた祭の最中に酔っ払いが乗りこんで来てすべてを台無しにされた気分。それが今回の韓国の態度に対する感情でした。
 韓国そのものが嫌いになったわけではないと思います。圧力をかけろとか、排斥しようとかは思いません。すべきでありません。でも、たとえ素面に戻った相手でも、祭を壊されたことは相手の顔を見るたびにしばらく思い出すでしょう。今回のワールドカップにはマスコミへの怒りとか恐怖とかもありますが、それはちょっと別の話。


2001年06月27日(水) 旧暦 [n年日記]

オチョーシものの血脈

 なんか前にも書いた気がするが、ウチの家系はオチョーシものの血が流れてる。(気がする)
 研究者って言ったら無口で誠実でなんて一般的イメージがあるかもしれないが、そんなのは錯覚である。この世界を見て御覧なさい。誠実でない研究者なんてそれほど山のように…ごほごほ。それはともかく、時々オチョーシものの血が暴走して後悔するが、最近もまた自己嫌悪。きゅう。
 でも数日したら忘れるんだけどな。(学習能力がないことを開き直った人間は性質が悪い)
 昨日古巣からHELPの要請があって久々に前の研究室へ。使用してる測定装置の調子がおかしくなったらしい。動作チェック。あれれ? 動くじゃん。何度か立ち上げなおしてみてチェックするが、ちゃんと動作する。なんだか釈然としないが動いたので良しとする。ま、こういう時もあるよね。
 最近実験が上手く行かないので、現ボスからお小言。つってもはっきり言って不可抗力なんですけど〜。それとカッツの話と研究のサイクルが云々とはちと相反する部分があると思いますが。別にヲイラも実験サボってるわけじゃないんすよ〜。そりゃ経験則的な部分も大事なのは認めますが、なんか物理出身者的じゃないのよね、そういうのに依存が大きいのは。強制されてるわけではないのだからいいのだけど。
 っつーか、どうでもいいようなことでも議論したい〜。う〜。
 なんかそろそろ Mozilla の0.9.2が出るはず。ちと気にとめておこう。
 忘れた頃にやってきたのは メーカーズマークのサイト でやってた クイズ の商品のTシャツ。申し込めば当たる状態だと聞いていたが、本当だった。今日び衣服代も馬鹿にはならないのである。
 今ニュースを見たら トーベ・ヤンソン女史が死去 だそうで。ムーミンの生みの親が…ご冥福をお祈りします。
  16歳だと思ったら44歳だった ってアンタは火星人刑事か!