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2012年05月29日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] 不正受給絡みで気になること

 いや、どういう流れでどうなったとか不明の部分もあるので河本氏本人についてはともかく、いろいろある擁護的意見の中で気になったのが「子供に迷惑掛けたくないという親心だろ」というもの。中には「貧乏芸人母子を社会的に抹殺するつもりか!」みたいな意見もあった。恥ずかしながらわりと身近ですが。
 それについては扶養により扶養する側も潰れるような負担で扶養しろとは誰も言ってないので、何かを勘違いしての意見としか思えないので割愛。
 問題は「親心として子供に負担をかけまいとするのは当然」みたいな方。いやまあ、どう思うか、ってのはひとそれぞれであって厳密な正解があるものじゃないんでなんとも言えないところはあるんですけどね。
 たとえば、子側の生活が破綻する、まで行かなくとも、子供の学費があって、みたいな場合、「そんなの学校やめさせて働かせろ!」とかは明らかに行き過ぎな意見だし「私立じゃなくて公立いれさせろ!」もわりと微妙なところ。個人的には後者もお金のかからないところに通わせるくらいはした方がいいんじゃないか、とは思うけど。親が整えた最良の環境じゃなければ勉強できない、ってのはぜいたく品の部類だと思うし。
 それはさておき、今回の場合、収入が変化して扶養が可能な域に達してた。それでも親として「不安定な職についた子の収入に頼るのは気が引ける」ってのはあるのはわかりはする。
 でも「だから公的な生活保護に頼ろう」ってのは、おかしいと思う。
  麻木なんとかって人が日本人の伝統的美徳が云々 って言ってたんだけど、むしろ日本人の伝統的美徳に近いのは「世間様に顔向けできない」じゃないかと。この場合母は子に頼るより世間様に頼ろうとしたし、子もそれを推奨した。
 犯罪を犯したわけじゃない、と擁護する人もいるのだけど、頼ることができる相手がいて、その相手も支えることが出来、でも世間のより困った人のための制度を使う、ってのは、「そんなことをしたら世間様に顔向けできない」って思うのが、「伝統的美徳」だと思うのですが。犯罪を犯したわけじゃない、と強弁するのは「伝統的美徳」には思えませんが、如何?
 世間より先に物理的に頼ることができる相手がいたのに世間に頼っていた。「親心」はあるかもしれないけど、「世間」に対しては「迷惑をかけてもいい」と思ってたということですよね。まあ、「世間」が反発するのは当然かと思います。「世間」からすれば「他にどうしようもなければ仕方ないけど」くらいでしょうね。
 キングコング梶原氏も同様にローン債務を理由に生活保護を受けさせてた件で、経済ジャーナリストの荻原さんという人が、「 (梶原は)ローンの返済額からみると、十分に母親を養う能力がある。母親に買ってあげたマンションを担保にローンを借り換えて繰り上げ返済し、母親に生活費を渡すなどの方法もあったのではないか」と指摘したスポニチ )とのことで、やりくりでどうにかできるのでは、という指摘をして、これは妥当だと思う。本人がわざと知ってて適正な努力もしないで受給をさせてた、というのは言わずもがな、知らなかった場合、吉本の法務関係ってどうなってるんだろうと思ってしまう。収入が不安定な芸人だからこそ、税金とか含めた収入絡みのことはきちんとすべきだと思うけど。今時、同人屋だって申告の適正化の啓蒙を行ってるんですが。
 吉本の法務関係がどうなってるのかという指摘がないことの方が不思議でならない。


2011年05月29日() 旧暦 [n年日記]

[特撮] ゴーカイジャー#15とオーズ#36

  海賊戦隊ゴーカイジャー #15「私掠船、現る」。またゴーカイジャー達の賞金額が上がり、ナビィもマーベラス達の危険を予知する。丁度、ザンギャックに認められ、ザンギャックの敵対勢力のみを襲う私掠船を操る、バスコという男が近づいてるという。しかもこのバスコという男、マーベラスと因縁を持つらしい……
 バスコはかつてマーベラスと同じ赤き海賊団の一員だったのだが、大いなる宝を独り占めするため、海賊団の頭領であるアカレッドを裏切り、ザンギャックに寝返ったのだ。
 そして今また、大いなる力をマーベラス達から奪うため、独自に集めたレンジャーキーで呼び出した戦士達にゴーカイジャーを襲わせる。

 ディケイドでのディエンドに当たる存在が登場。でもかつてマーベラス達を裏切ったりと極悪非道なので、戦隊的には仲間にならないような……でも、トランペットにレンジャーキーを刺して召還、って、ほんとディエンド……操る戦士も中盤登場の追加戦士で、実にそれっぽい。~   そして自分の手を汚さず多数でゴーカイジャーを圧倒するという手口に、マーベラスは手も足も出ない。ただでも追加戦士は基本スペック高めだし。
 そして、バスコの狙いはマーベラス自身ではなく仲間たち。多分、仲間と引き替えにレンジャーキーや大いなる力を寄越せ、って来るんだろうけど……
 ちなみに「アカレッド」なるキャラがでてましたが、これが初出ではなく戦隊30周年記念のVシネマに、歴代レッドの象徴的イメージキャラとして登場してる。歴代レッドに変身できるという設定だったので、ゴーカイジャーの設定の先駆けですな。(もしかしたらその能力がレンジャーキーによるものだと後付けされたのかも)


  仮面ライダーオーズ #36「壊れた夢と身体とグリード復活」。比奈に襲いかかったユニコーンヤミーだが、オーズとバースによって撃退される。比奈を心配する映司だが、比奈には怪我もダメージもなく、本人も大丈夫だと言う。心配ながら比奈が一瞬意識を回復しまた意識を失った兄・信吾を気遣うので、映司もまずは信吾を病院に連れて行くことにするのだが、その時に比奈がヤミーが取り出した服を気にせず踏むのを見て、違和感を覚える。
 病院によれば信吾は意識こそ戻ってないものの以前より回復してるという。喜ぶ比奈だが、学校をやめて付き添うと言いだし、映司ははっきりと異常を感じる。
 一方、伊達の身体のことを後藤が知り、伊達を止めようとするが「一億稼ぐまで」と伊達の決意は揺るがない。伊達の夢の為に必要、というのだが……
 一瞬とは言え信吾が意識を取り戻した影響か、信吾の身体に取り憑けなくなったアンク。しかも、ウヴァがメズールとガメルを復活させ、アンクからメダルを奪おうと襲いかかってくる。からがらのがれるアンクだが、身体のない不自由さを改めて思い知ることに……
 そして再びユニコーンヤミーが出現、絵を描いていた男を襲い、映司がそれを助けるが、ユニコーンヤミーに襲われた男はやはりそれまで打ち込んでた絵のことをまったく意に介さなくなってしまっていた。あのヤミーは人間から夢を奪う、とはっきり悟った映司。だが、夢を奪われた人間は一体どうなってしまうのか。映司の嫌な予感は具体的な形になって的中してしまう。

 メズール、ガメル復活。カザリに対抗するためにウヴァがカザリから奪ったメダルで復活させたのだが、ほくそ笑むウヴァと裏腹にカザリは考えがあってウヴァに好きにさせたよう。
 その目的は、最後の最後で明らかに。カザリとアンク(ロスト)に襲われるが、オーズとの戦いでダメージがある上、ウヴァがわざと力をつけさせないためにメダルを抜いて復活させたので、太刀打ちできない。その土壇場で、メズールはあっさりとウヴァを裏切り、ガメルと一緒にカザリの側へ。他のグリードたちに一斉に襲われ、哀れ、ウヴァは全部のメダルを奪われることに……でも、一枚だけ残ったメダルにウヴァの意識は残ってるようで、このまま退場、ということではないよう。
 そして、信吾の意識が戻ったタイミングで、比奈の夢が奪われるという事態に。夢を奪われた人間はどうなるのか。何をしたらいいかわからず、混乱に陥り、やがて昏睡状態になってしまう。次々と犠牲者が病院に運び込まれ、比奈もまた、大好きだったものが好きではなくなったことに混乱し、他の犠牲者たちと同様に意識を失ってしまう。
 ヤミーの親でもあり、比奈に嫉妬していた祥子はそんなことになってると知らず最初フランス留学も断り学校もやめるという比奈に怒りをぶつけに行くが、想像外の事態に呆然とし、敵わないで苦しむのなら最初から夢なんか見なければ良かった、と言い出す。
 そんな彼女を諭し、大きな夢ほど叶えるのに時間がかかる、と言ったのは、「夢のない男」であるはずの映司。その映司もまた、ユニコーンヤミーに夢を取り出され奪われそうになるのだが、夢のないはずの映司の夢とは、「地球」。あまりの巨大さにヤミーも取り出すのを諦めざるを得なくなる。映司って欲望や夢がなくなったんじゃなかったの??? 映司の夢って一体???
 ウヴァがメズールたちと一緒に襲いかかってきて乱戦になるのだけど、恐竜コアを制御できるようになってきた映司がプトティラコンボで一蹴。そしてメズールたち裏切りの流れへ。
 事態が変化していることを感じつつ、ひとまず信吾が目覚めるまでアンクが兄の身体に付いていることを比奈も認める。
 しかし次回はなんと夢の為に伊達が裏切り。でも、いくら夢の為と言ってもただ裏切るとは思えないのだけど……ついにバース装着者交代だろうか?


2008年05月29日(木) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 潜脳調査室#8

  潜脳調査室 #8「ノー・フレンド」。ミナモたちの学校では最近校内で幽霊を見る生徒がたくさんいるという噂が広まっていた。ミナモの友だちのユキノが忘れ物を取りに行った校舎で幽霊を見たと騒いだことから、ミナモは幽霊探索に乗り出す。

 今回の電脳ネタは分散コンピューティング。SETI@homeとかのアレ。ただし、提供するのは端末ではなく自分の電脳。アバター作成会社がより効率的なアバター制作のために生徒たちの脳を夜の間使わせて貰うというバイトを募集していたのが生徒たちに広がっていて、ユキノやサヤカも美味しいバイトと参加していた。という辺りで察しが付くけども、会社側に悪意はないのだけどそのデータが残存していたことで作成中のアバターの像が見えてしまって今回の幽霊騒ぎになっていた。だからユキノやサヤカには見えていたのに電脳化してないミナモには幽霊は見えなかったという落ち。
 けど、そんなことよりやはり衝撃なのはユキノの三段腹! 学校指定水着がセパレートタイプってのもなんだけど、それ以前に「むちむち」とかいうレベルじゃないよ! いいのか、こんなの流して!? ある意味かのこんより衝撃的!
 その他はサヤカがアバター会社の調査絡みで学校に来たソウタにデレったり、少佐似の教師が良かったり。
 あ、良く考えたら今回波留出てないじゃん。


2007年05月29日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] なにを連想するか

  仏師が手彫り 木製ガンダムITmedia )。普通、プラモ狂四郎の喪合(モアイ)を連想するよね! でも、手はゴム製じゃないけどな!
 でも、木彫りのガンダム、って、欲しいものなのかな……いい加減な木とか使ってると、歪んだり、下手するとひび割れそう。


  身辺雑記 の5/28。「 罷免しなかった首相の責任」。あ〜、こういうこと言う人は出てくると思ってましたけどね……まあ、なんてえのか。
 まっとうに言えば、大臣を辞めるという、風当たりを逃れる手段の一つが取れなかったのも理由のひとつでしょうね。その意味では、安倍首相にも責任はあるかもしれない。しかし、追い詰めたのはマスコミであったり、野党。「殺すまで追い詰められたのは首相の責任だ!」と追い詰めた側が言っても……では、その責任を取らねばならないかと言うと、そんなことはないと考える。どちらの側も。もしどちらか一方の責任を言うなら、もう一方の責任にも言及すべきだろう。「他人事のような顔をして」という言葉が何故マスコミにはかからないのか。他人事のような顔をしてるのはどちらなのか。
 マスコミや野党が、もしこの問題をさらに追求したいというなら、「死んだのは首相の責任」という、マスコミや野党の分担している責任は負わない、という論法ではなく、「政治的な間違いがあったのであれば、それを許した、あるいは糺さなかった首相の責任」という論法でしょう。
 政治的な責任と、一個人が死に追いやられた周辺の要因の追求を意識無意識で混同して、自分にある要因の存在は無視する。
 この態度が昨日書いた「他人の死を利用するな」ということなのだけどね。何か間違ってますかね、私。
P.S.「首相の責任」と糾弾してる側は、「首相の側が悪く、自分(を含む)側が正しい、という前提(以下うっかり脱落。後追加)が絶対に思える。
P.S.2いや、一応書いてるんですが……「マスコミや野党が、もしこの問題をさらに追求したいというなら、「死んだのは首相の責任」という、マスコミや野党の分担している責任は負わない、という論法ではなく、「政治的な間違いがあったのであれば、それを許した、あるいは糺さなかった首相の責任」という論法でしょう。」ということを。間違いがあれば情緒的に煽らず粛々と追求すればいいのです。
P.S.3ああ、あと、「では、その責任を取らねばならないかと言うと、そんなことはないと考える」の後の「どちらの側も」と書いてあるのを省くのは、ミスリードを誘うので出来ればやめていただきたいところ。


 そういえば、 毎日新聞の阿部内閣支持率世論調査 、他のマスコミの調査と比べて、明らかに数字が低いんですが……(他のマスコミでは40〜45%くらい) 無作為抽出かつ誘導質問無しで、ここまで数字のズレが出るものかなぁ。

[アニメ] 瀬戸の花嫁#9とXENOGLOSSIA

  瀬戸の花嫁 #9「バトルランナー」。体育館で体育の授業中、突然床を突き破って潜水艦が出現。中から現われた白い学生服姿の男が、永澄に、「瀬戸燦を返せ!」と日本刀を突きつけて迫る。彼は燦の幼なじみで、財閥の跡取り息子、三河海。一度は燦から、その金にものを言わせた考え方を指摘され引っ込むが、修行と称して磯野第八中学に転入。体育祭で燦をかけて永澄と対決することに……

 なにこの異様なハイテンション作画w 話的には先週の方がメインターゲットだろうに、もういろいろ無視してつぎ込みまくってますわ。
 三河海はどう見ても面堂終太郎なんだけど、面堂と逆に広くて明るいところが怖い……なんじゃそりゃw 有無を言わさず地下の秘密水路から潜水艦で地面や床を突き破って出てくるのでもう絵的に「いや、もう参りました」ですが。
 後半の体育祭はもうノンストップ。借り物競走でハーレム状態の永澄に、「ダンディ」な政さん、精一杯視聴者サービスしてるのに影の薄い委員長のやっぱり影の薄い見せ場w もうご都合主義のラストもなんでもアリですわ。
 で、次は「 鋼鉄の男 」。まんまシュワルツェネッガーですかい!


  アイドルマスターXENOGLOSSIA 。東海地方では最初フジ系の東海テレビでやる予定が急遽放送中止。何故か日テレ系の中京テレビで放送することになったという……しかも最新放送との放送時差を埋めるため、6/4まで毎週2〜3 話放送という……豪気なことですな。
 で、元々「元のゲームと全然違う」とか、「舞-HiMe第三弾?」とか言われてたわけですが、ホントそのまんま。いや、元のゲームは知りませんが、こういう話じゃないですよね?
 話は、月が崩壊し、地上も未曾有の災害に巻き込まれ、ようやく復興して日常を取り戻した未来。地方から東京にアイドルのオーディションに受かって上京した天海春香は、指定された寮に向かう途中、月の破片「こんぺいとう」が地球に落下するのを防ぐロボット「アイドル」同士の戦いに巻き込まれてしまう。しかし、オーディションの合格通知と共に入っていたアイテム「アイ」が反応、新たなアイドルが春香を守るかのように出現。春香は地球を守る「アイドル」の操縦者「アイドルマスター」となることに……というところ。
 なんでペンギンなんだろうとか、アイドルプロダクションのオーディションと学校の入学試験は間違えようがないだろう、とかいろいろ。舞ーHiMEを楽しめた人なら問題なく楽しめる、というのは確かにそうですな。まあ、自分は楽しめたので普通に楽しめそうです。
 しかし、声優も「舞-HiME」から継続の人が多いけど、オリジナルのゲームの方も同じキャストだったの?


2005年05月29日() 旧暦 [n年日記]

[その他] まだ途中

  戦争請負会社 はまだ読み中。いや、ヘヴィなんですよ。読み応えがあるって意味で。
 今のところまだ2/5を過ぎたあたりなんですが、これだけでもう普通の本の一冊分以上はあるんじゃないかって感じで。流れとしては傭兵の歴史を解説してるのだけど、実質戦争文化の歴史。のみならず、政治史・経済史としての戦争のあり方を傭兵に注目しながら解説していて、戦争と国家・政治・経済に対する、ヨーロッパの外の人間ではなかなかわかりにくい見方・哲学をエキサイティングに解説している。
 実は現代の経済用語には傭兵文化が元であるものが数多く(フリーランス、カンパニー=コン・パーニュ、など)、のみならず経済文化そのものに大きな影響を与えている。
 戦争が経済的なものだというのは少し軍事について調べればわかるのだけど、それが戦争以外の経済とも密接にかかわり、実は境界は曖昧だということが、特にPMCという民間の軍事力によって端的に示されていく。
 この流れは、ひょっとしたら思っている以上に大きなうねりであるのかもしれない。そうでないのかもしれない。

 最近近所のスーパーの肉の特売日に肉を買ってきて、味噌漬けにしておいていたり。
 こうすると日持ちはかなり良くなるし、調理のときの調味の手間も要らない。でも、味噌味だけなんだけど。

[アニメ][特撮] 日曜の

  エウレカセブン は今週はやや不調? つか、まあレントンがからかわれるだけの話で、小休止みたいなものだからなぁ……今回は今まで影のむちゃくちゃ薄かった「ムーンドギー」の紹介編も兼ねてるのかな? 訛りはかなりインパクトあった。(笑)

  マジレン は新キャラ登場。一回こっきりのゲストキャラかと思ったら、ここしばらくの展開のキーパーソンになりそう。新戦士登場にまでつながるのか?

  プリキュアMaxHeart は、地味に地道ないい話。最優秀賞とかわかりやすい派手さはないので、子供の受けはどうなんだろう?


2003年05月29日(木) 旧暦 [n年日記]

ご祝儀

 なんか「 俺フェチ 」の 作者 が友人の友達らしい(まあ、他人ではあるんだが)。我ながらよくわからん友人関係ではある。しかし、こういうとき(初単行本)は黙ってご祝儀として買うというのがオトコ(オタク)ってもんである(まあ、他人なんだけどね?)。ドラゴンに乗っているのは知っていたけど、ドラゴンとドラゴンJr.が合併してドラゴンエイジになり、ラゴウ伝とテスタロトが打ち切りになった瞬間から、最初からさして多くなかったドラゴンへの興味は加速度的に消えうせたので、正直目を通したことはあっても「不条理系ギャル漫画?」くらいの印象しかなかったりする。オイオイ。で、読んでみると、「あずまんが大王」や「ぱにぽに」などの「美少女漫画系不条理ギャグ」と分類することはできるのだけど、大きな違いは「美少女と不条理」ではなく、「美少女で不条理」になっていること。萌え系美少女を役者として使用してるのではなく、真正面から「萌え系美少女」を不条理の題材として取り扱ってる、と解説すればいいか。まあ、そういったギャグは小ネタとしてはギャグマンガで「お約束」をいじるネタとしてあるのだけど、ソレで全部作ってるってのはなかなか。ドラゴン誌上ではむずかしいかもしれないが、もう少し鋭角に切り込めば迷わず人にお薦めできるかも。今のままでも悪くはないけど。
  クライン孝子 女史の 日記 (2003/05/29)で、田中均外務審議官の行為について、かなり厳しい言葉が述べられている。日記で挙げられている外務省チャイナスクールの無茶苦茶っぷりを見るまでもなく、連中の常識は確かに我々の常識のはるか斜め上なわけなんですが。元北朝鮮工作員の青山某の難民認定についても、日記に掲載されているメールに頷く部分は多い。青山氏の発言の記事は過去幾度となく目を通しているが、どうにも信憑性がどうなのかと思わされる部分が多い。聞くところによれば、行政は逃亡してきた情報提供者に対してはかなり態度が厳しく、小遣い銭程度の補助金を出しているに過ぎないような印象を抱く。ともすれば、ウケの良い言葉を情報提供料として引き出すために言う可能性もないではない。外務省は虎の子のように青山氏を持ち出すが、果たしてその本当の価値はいかほどかと思う。
  ファイズ映画の粗筋 。いやぁ、これは流石にちょっとどうかと。いや、見てみないとわからんってのはそうなんですが……
 で、それと関連するのかどうかは知らないけど ファイズ新バイク 。これもロボに変形するらしい。のみならずファイズ、オートバジンの外骨格にもなるとか……バイクとしてどーよ? とかはともかく、わりとこういうインチキSF的デザインは好きである。
  トーゴービールなんてありません 。産経の社説で「トーゴービール」の話が載っていたので気になって調べたら、どうやら単に「admiral beer」という世界各国の提督をラベルにあしらったシリーズで東郷元帥があった、ということの模様。こういう都市伝説は気をつけねばならないのだなぁ、とあらためて自戒。
 なぜかCLAMPの新連載「ツバサ」で検索をかけてくる人が多いのだけど、こういう「スーパーCLAMP大戦」みたいのは、一概に否定はしない。けど、週刊少年誌でやるメリットってなにかなぁ、とは思う。それに頼っているのではないとすれば、ちと導入が弱い気はする。元々のメインフィールドであった女性マニア誌を飛び出し、青年誌、少年誌と新しいフィールドに挑むその姿勢は正直すごいと思う。が、こういう搦め手で勝負はちょっと、どうかと。
  ゲッターロボアーク2巻 を見る。新ゲッターチームの一人・カムイが爬虫人間とのハーフであり、その母親が実験のため攫われたと知り、主人公・拓馬の叫ぶ「勝手に拉致しておいて、子供とも会わせねえなんて!」という言葉、ふと、北朝鮮拉致被害者と重なった。「石川賢は何書いても同じ」と私自身言っているが、それは結末の向かう先においてであり、その過程は常にその時代時代の感覚を切り取っているのだなぁ、と、そんなことをふと思った。
 研究室に行く途中で「孤高の鷲」を読み進めようと思って、家に置いて来たことに気付く。うう。


2002年05月29日(水) 旧暦 [n年日記]

戦略変更

 「おれのサーキット」の件に関して、ほぼまったく反応がない(姉からはあったが、それは折込済み)のは、どうも「おれのサーキット」が地味でしかもマイナーな児童誌掲載という事情と、作品の性質上、存在と作品性を認識してない人が多いんではないかと思いはじめる。存在を知らなければ、復刊に賛成することはそりゃできないわなぁ。ってワケでちと戦略を変更して BSマンガ夜話 に作品リクエストをしてみる。取り上げてくれれば、認知率も高まるのだけど。
 なんで「おれのサーキット」をこれだけ評価してるかというと、こういったジャンルものに対して私が設けてる、一つの評価基準が関係あったりする。当然世の中にマンガは多く、その中でも「面白い」といえるマンガはそれなりにある。しかし、そんな中でもまったくの素人が読んで主人公のやってる{スポーツ|ゲーム|創作}が「楽しそう」と思える作品というのは、実はそんなに多くない。極端な例で説明すると、「アストロ球団」を読んで野球が楽しいと思えるか、ということである。スポーツそのものに入れ込んでなくてもスポーツを楽しむことはできる。たとえば、わかりやすいヒーローがいるとか。巨人ファンの多くは巨人ファンであって野球ファンではない、というのと同じだ。主人公の活躍がかっこいい、勝つのがいい、ではなく、主人公の光景を共有できるか。「おれのサーキット」はこの条件を満たしてる中でも、優れた作品のうちのひとつなんである。無論それだけでなく、成長物としても見事なのだけど。
 私はバイク乗りではないけども、このマンガを読む限り、バイクに乗るということはすばらしいことなのだろう。多分。
 少し前に、シリーズ構成・脚本メインの 吉岡たかを 氏は誉めたけど(いや、脚本家だけの力でなく、監督やプロデューサー、その他スタッフの実力で作品は作られるので、脚本家だけを誉めるのは必ずしも正しくはないのだけど)、作品自体の再評価は棚上げにしてた「 HAPPY☆LESSON 」だけども、どうも打率が3割以上は確実に超えそうな雰囲気なので、今期の中ではヒットに入ると認めざるをえなくなった。先日なくなったグールド博士の著書にも、四割打者が生物的に絶滅した理由が書いてあったし。いや、何の関係もないけど。そもそもがダメオタク向けの企画物なので、キャラとか設定のアホらしさ、オタクくささはしかたなく、そういったものが嫌いな人には勧めることはできないのだけど、きちんとスラップスティックとして成立して楽しめることは事実なので評価しなくてはならない。昨今のはやりはそうではなく、コメディ、作品としての楽しみを二の次にしてでもダメな願望の擬似充足や記号化したキャラクターのわかりやすい媚びの強調によりオタク層の支持を狙うのが多い。商売としては間違ってないが、「私は好きではない」。
 再評価というと、「あずまんが大王」も然り。第一話の時点で「テンポがおかしい」と言ったけど、間の使いかたが上手くなってきた。慣れただけかとも思ったけども、明らかに上手くなってる。間の笑い、ってのは、ある種の空白を作り、視聴者に反応に困るような緊張を生み出させ、緊張の緩和としての笑いを誘導しやすくする技術である。これは脚本だけで出せるものでなく、スタッフの連携が見事にかみあってるということでもある。最初の評価と不安を、謝罪しつつ撤回する。
 「ダークウィスパー」二巻と「 ピルグリム・イェーガー 」一巻を購入。独自のコマ割破壊とその他もろもろのせいで、ダークウィスパーは単行本でまとめて読まないとまったく話についていけないが、二巻だけ読んでもやっぱりついていけなかった。一巻と通しで読まないとなぁ。ピルグリムは、月刊で読むと良い情報量だけど、まとめて読むとネームとその中の情報量が多くてちと戸惑う。それはそうとして、アデールって実は半ケツ……じゃなかった、カバー下がまた何というか。国会図書館で閲覧した人はどう思うのだろう?(注:国会図書館では書籍はカバーをはずした状態で保管、閲覧もそのままである)


2001年05月29日(火) 旧暦 [n年日記]

ヴァギナ・デンタータ

 「ゴルディアス」の第三話が「ヴァギナ・デンタータ」というので、「歯の生えた膣? なんかの間違いか?」と思って調べたら、間違いではなかったみたいっす。「ヴァギナ・デンタータ」のより露骨な例としては、英雄が歯の生えた女陰に一物を噛み切られて死ぬというもの。そこまで露骨なものでなくとも、女色により死ぬ英雄というのは多く、そういう神話形態のことを指すらしい。ま、色々解釈はあるけど端的には「女は恐ろしい」ということで、なんでこんな題名がついたかというと、女学生の願懸けが元で何か変なものが現れてしまったということでタイトルにしたっぽい。こういうとこがカルトなのだな。
 「ヴァギナ・デンタータ」のもう一つの解釈というのは「黄泉への入り口としての女陰」というもので、形状の恐ろしさと、あと生に到る産道を遡るということは、つまりこの世ならざる道をたどるということであるということだろう。
 生と死の橋渡しをする巫覡が主人公であるマンガで「シャーマンキング」というのがあるのだけど、これが少年向けマンガらしくなく人が結構死ぬのである。最近のジャンプでは「HUNTER×HUNTER」といい「ワンピース」といい、案外と人が死ぬシーンが多いのだけど、シャーマンキングは最近のジャンプの死の取り扱いの傾向が極端な形であらわれてる。何の感慨もないのだ。
 昨夜の BSマンガ夜話 で往年のジャンプの大ヒット作「キン肉マン」を取り上げていた。否定的だったりファンだったり、いろんな意見があったのだけど、共通するのは「死ぬシーン」というのがかなり印象に残っている事だった。キン肉マンに代表される当時のジャンプ作品は、キャラを殺しては話を盛り上げ、そしてあっさりと復活するというパターンが横行し、「ジャンプパターン」と揶揄されてもいたのだけど、逆に言えばそれだけそのパターンが使いまわされたのは、キャラの死というものが確実に読者に訴え、また作り手もキャラの死を演出する技術を確立させていたということだ。
 ところが最近のジャンプでは反動でかつての「ジャンプパターン」をあえて避けようとしてる部分がある。それは別にかまわない。ところが、シャーマンキングの死の取り扱いはやけにあっさりしすぎてる。昔のジャンプパターンが読者にショックを与えたのに対し、逆にショックを与えないようにしてるようだ。それに対して主人公は「人を殺すというのは可能性を奪うことだ。だからいけない」と理屈で反発するが、それだけだ。「死」を目前にした、そういう理屈ではない衝撃というものはとことん省かれてる。逆に言えば可能性がなければ誰が死のうが構わないということになる。台詞では殺人を否定してるが、実は「死」に対してとことん冷淡・無関心なのだ。
 もう一つの問題は、巫覡が主人公なのだから、当然死者の霊魂とかが出てくる。しかし作中で死んだ人間の霊魂というのは全く出てこない。霊魂を呼び出して憑依させる、その霊は、はっきり言ってアイテムと同じ扱いである。霊魂がかつて体験した「死」と作中に出てくる「死」は明らかに切り離されており、死が身近にあるはずの巫覡なのに、かつてのジャンプパターンとは別の意味で、死は全くリアリティを持たない。もしその辺を突き詰めればゴルディアスとか諸星大二郎ばりのカルトな世界に突入するので、少年向けとしては正しいのかもしれない。(でも、諸星大二郎もジャンプ出身なんだぜ) しかし、現実感も感慨も剥離した死を見せつけるってのは、感動する死を見せつけるのと同じくらい危険なことだと思う。別に文句をいう筋合いでないのはわかるのだが、作者はわかって描いてるのだろうか?

 あ、BSマンガ夜話2日目に岡田斗司夫氏の着てる Tシャツ が…ひそかにディズニーのパクリに抗議してるようです。(^^;