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「そう言えば、碇君風邪でお休みなんですってね」
 洞木ヒカリの第一声はそれだった。
「そう、そうなのよ!」アスカがバシバシと机を叩いて大笑いする。「馬鹿しか引かない夏風邪ひくなんて、やっぱり馬鹿なのよね〜!!」
 馬鹿笑いしているアスカを見て、ヒカリが困ったような表情を見せる。
「でもね」ヒカリはこの場にいないシンジを庇うように言った。「なんでも碇君の部屋に、この前強盗が入ったらしいのよ。いつの間にか硝子窓が破られてたらしくって」
 見悶えして笑うアスカが椅子からころげ落ちそうになる。そんなアスカの様子に気付かず、ヒカリはそのまま続けた。
「なんでも朝になって頭にコブを作って碇君が部屋の中で気絶してるのが発見されて、大騒ぎだったらしいわよ。部屋の中も荒されてたみたいだし。もっとも盗まれたものがなかったらしいのが不幸中の幸いよね」
「……」
 アスカの顔が笑って口を開けた表情のまま凍り付く。側で朝からすでに一杯引っかけているミサトが、ワンカップ大関片手にジト目でそんなアスカを見続けていた。
「なんでも当日、近所で高笑いして屋根の上を跳ね回るマスクをつけた女の子を見た人がいるらしくって、それが犯人じゃないかって探してるらしいわよ。アスカ、碇君ちの隣でしょ?何か見なかったの?」
 しかしアスカの返事はない。ミサトが人さし指でつんつん、とアスカをつつくがそれにも反応はなかった。アスカの体がバランスを崩し、そのままこてんと椅子ごと横倒しに倒れる。
「だーめだ、こりゃ」
 ミサトが一言、ぼそりと言った。

碇君の仮定の異常…もとい

碇君の家庭の事情


嘘と"お約束"

「えー!?二人とも一緒に来てくれないの!?」 アスカが下校途中に慌ててミサトとヒカリに言う。
「だってしょうがないでしょ?私とヒカリは用事があるんだから」
「でも…」アスカが困ったように言い返す。
「三馬鹿の内の二人はもうお見舞いしたから別に行かないみたいだし、仕方ないじゃないの。この際だから、シンちゃんと二人で思いっきり楽しんだら?」
「なななななななななななななに言ってるのよ!」アスカがいきなり慌て出す。「だったら私も行かない!」
「なーんて言っちゃって、本当はシンジ君と二人きりになれるって嬉しんでしょ、このこの!」
 ミサトが肘でアスカをつっつく。アスカの顔が真っ赤になった。
「ババババババババババババババババババババババババ…」
「ババンババンバンバン?」
 ミサトが真面目な顔で続ける。
「ハァビバノンノ…って、何よそれは!」
 アスカがわざわざ惚け返した後で聞き返す。
「ドリフよ。あんた『何それ』って言ってる割にちゃんとボケたわね」
 ミサトは感心したような呆れたような表情になる。
「じゃ、なくってぇ!私が言いたかったのは『バッカじゃないの!』ってことよ!!」
「なんで?」ミサトが聞き返す。
「ただのお見舞よ、お・み・ま・い!幼馴みのよしみと、ちょっとだけ悪いと思ってるから行くだけで…」
「アスカ」ミサトがぽん、とアスカの肩に手を置いた。「私は何にも言わない、言わないけど、親友としてただ一言だけ言っておくわ」
「何よ?」アスカが胡散臭そうな顔で聞き返す。
「ちゃんとゴムだけはつけさ…」
「ゴムなんかいらないわよ!」アスカが即座に怒鳴りかえす。「アンタのことだからだいたい言うのはそんなことだろうと思ったけどまさかなんのてらいも捻りもなく言うなんて…」
「アスカってば…成長したわね」ミサトが感慨にふける。「でも生出しはだめよ、生出しは!手っ取り早く男引っかけて永久就職するのにはいい手だけど、その年で人生捨てる様な…」
「だーかーらーそうじゃなくって!ゴムつける必要のあることなんかしないって言ってるのよ、私は!!」
 アスカが再び顔を真っ赤にして食ってかかる。
「やーねー、真っ昼間からゴム、ゴムなんて、お下品ですこと、アスカさんてば!」すっとぼけた顔でミサトが言う。気が付くと既に商店街にさしかかり、周りの買い物客の主婦がアスカを指してひそひそ話しをしていた。
「あーんーたーねー!!」
 アスカがミサトに掴みかかる。
「やーねー、冗談よ、冗談!」ミサトが笑って誤魔化そうとする。しかしアスカの額の血管は浮き出たままだ。ミサトの顔に冷や汗が流れる。「ね、ちょっとヒカリからもアスカに言って聞かせて…」
 そう言って振り向くと、さっきから沈黙したままのヒカリはうつむいてふるふると体を震わせていた。
「ちがうわ…」いきなりヒカリがぼそりと呟く。
「へ?」
 アスカとミサトが同時に聞き返した。
「『ハァビバノンノ』の『ァ』の音が半音高いわ…それじゃ全然駄目なのよ!」
「いや、あの駄目って…」
 いきなり叫ぶヒカリにアスカとミサトが冷や汗を流して聞き返す。
「いいこと!?あの歌はそもそも元は英六助作詞の草津温泉の御当地ソングだったのよ!?基本を知らずしてギャグは楽しめないわ!!」
「いや、あの、何もそんなマジになんなくても…」
 ミサトが逆にヒカリをなだめようとする。
「いいえ!ドリフと言えば歌!今では知る人が少ないドリフは元々コミックバンドだったという事実!ビートルズ来日の際に前座を務めたというその過去こそを、私たちは忘れてはいけないのだわ!」
「はぁ…」
 すっかりヒカリに気おされて、アスカもミサトも萎縮してしまっていた。
「それにドリフの歌と言えば忘れてはイケナイのがあの歌!『ナベチャンタラ、ギッチョンチョンデ、パイノパイノパイ』よ!ドリフ主演の映画にも使われたこの歌なくしてドリフは語れないわ!」
「いえ、別に語らなくてもいいんスけど…」
 うっかりそう言ってしまったミサトをヒカリがものすごい形相で睨み付ける。
「そんなことではダメ!ドリフこそ日本のコントの最高峰なのよ!そんな事を言ってるからドリフの新作コントが見られず、いかりや長介はドラマに走り、新井注は忘れ去られてしまうのよ!葛城さん!このまま帰ったらすぐに特訓よ!」
「え…?特訓って…?」
「『八時だよ全員集合!』特別編集版と私が選りすぐったドリフのコントを夜が明けるまでとくと見せてあげるわ!」
「夜が明けるまでって…それって、あの〜…一晩中っすか?」
 聞き返すミサトをうむを言わせずそのままずるずると引きずっていく。一人残されたアスカが、ようやく口を開いた。
「…まさかヒカリがドリフマニアだったとは…意外だわ」
 私も意外だ。


ちょっとやめてよ、綾波…じゃない、母さん!」
 シンジの声が部屋の外にまで響く。ドアを開けようとしたアスカの手がぴたっと止まった。
「やぁねー、シンちゃん。恥ずかしがらなくてもいいのよ」
 綾波レイの声が続いてした。
「やめてよ、僕たち親子なのに…うっ!」
 シンジの声が、息を荒げた苦しそうなものに変わる。口で息する呼吸音だ。
「そんなこと気にしなくていいのよ」
 それに対するレイの甘えた様な声。
「ちょっと、お願い、止め、止めて!無理矢理入れちゃだめ…くぅっ、はっ!」
 シンジの声を詰まらせた様なうめきが聞こえた時、アスカの頭の中の最後の理性が吹き飛んだ。
「ちょぉぉぉおっと!!アンタたち、何してんのよ!!!」
 アスカがドアを蹴破り中へ踊り込む。それをきょとんとした顔で見返すベッドの上のシンジと介護するレイ。レイの片手はおかゆの入った一人仕立ての土鍋を掴み、もう片手はシンジの口元へ匙を運んでいる。全く当たり前の介護風景だった。
「あらぁ、アスカちゃん、いらっしゃい」
 レイがいつも通りくったくのない笑顔で迎える。
「どうしたの、アスカ?」シンジが咳き込みながら、不思議そうに聞いた。
「え?どうしたのって…今の意味ありげな会話は、一体…なに?」
 アスカが外で聞いた会話と中の光景との落差に呆然としながら聞き返す。
「ああ、そうだ、ねえ、聞いてよ、アスカ!」シンジがくしゃみしてすぐ側のティッシュを取って鼻をかむ。「綾…母さんってばひどいんだよ!一人でちゃんと食事ぐらい出来るって言ってるのに無理矢理食べさせようと口に押し込んで…」
 そう言ってる端からくしゃみをする。
「何が大丈夫よ!まだ全然咳もくしゃみも止まらないじゃないの?」
 レイがあきれたように言う。
「い、いいよ、一人でお粥くらい…」鼻を詰まらせたシンジが苦しそうに口で息をしながら言う。
「別に遠慮しなくてもいいのよ、親子なんだから!なんだったら恋人に食べさせてもらってるつもりで…」
「さっきからそんなことばっかり…親子なんだから恋人と思えなんて、出来るわけないだろ!」
 シンジの顔が赤いが、それは熱の所為ばかりではない様だ。シンジが立て続けにくしゃみをした。
「は、はは、はははははは…」アスカが顔を引きつらせ乾いた笑い声をあげる。「そうよ、お約束なのよ、お約束なんだわ…」
 レイがぶつぶつと呟くアスカを見て、ぽん、と手をたたいてその手に土鍋と匙を押し込んだ。
「そうよね〜、やっぱ、偽者の恋人より、ホンモノよね〜」
 そういうレイに、シンジの顔が、はぁ?、となる。
「シンちゃんもやっぱりこんなオバサンより、若い娘の方がいいわよね〜」
 実際にはそう言ってる綾波レイの方がシンジ達よりいくつか若く見える。
「それじゃ、アスカちゃん、シンちゃんをよろしくね」
「え?よろしくって…」レイに言われて初めて正気づいたアスカが慌てて聞き返すが、レイはさっさと部屋の外へ出ていってしまった。
 二人きりで部屋に残され、何か気まずい雰囲気が二人の間に流れる。シンジがアスカの方をちらっちらっと横目で見る。
「あ、あのさ…」
 意を決してシンジが口を開きかけたところで再び急にドアがバタン,と開いた。
「あ、そうだ、シンちゃん」レイが急に顔を出した。シンジは何か悪い事をしてたわけでないのに飛び上がった。
「な、な、なに、綾波!?」
 何もやましいことはしていない、という作ったような笑顔で答える。
「いいこと?くれぐれも…」
「くれぐれも、何?」シンジは作り笑顔に冷や汗を浮ばせながらレイを急かす。
「くれぐれもゴムだけはつけるのよ!」
 シンジがベッドから転げ落ち、アスカが危うく土鍋をぶちまけそうになる。
「ななななななななななななにを言うんだよ!いきなり!!」
 シンジの剣幕にレイがたじろぐ。
「え、いえ、だって若い二人の過ちを止めるなんて母さんにはできないけど、やっぱりけじめというか、つけるものはつけとかないと…」
「そんなこと心配されなくてもしないよ!!」
 怒鳴るシンジの頭をアスカが匙を持った手でぽかっと殴った。
「い、いきなりなにをするんだよ!」
 シンジが頭を押さえながらアスカに言う。
「え、え〜っと、べつにぃ…」アスカが白々しくすっとぼけた。
「ともかく、女の子は初めては不安だからやさしくしてあげるのよ」
「もういいから早く出てってよ!」
 シンジの言葉に笑い声を上げながらレイが部屋から出ていく。
「もう、余計なことしか言わないんだから…」
 シンジは胸の動悸を押さえるように言って、アスカの方をちらっと見た。何故か心臓の鼓動が一段と早まる。
(綾波が変なこと言うから、妙に意識しちゃうじゃないか…)
 アスカもシンジの方をちらっと見る。すぐに顔をそらしうつむいてしまう。シンジはどきっとした。

 アスカの方は…アスカの方も必死に押さえようとしていた…顔がにやけそうになるのを。
『チャーンス』アスカは顔が笑いが込み上げてくるのを必死にこらえながら小声で呟く。『小母様は、私とシンジの仲が恋仲だと思ってるみたいで、それを容認してるみたいだし、いっくら強力なライバルでもあっちにその気なしじゃ、も〜勝負はついたも同然!所詮才色兼備のこのワタシに綾波レイなんてオバサンがかなうわけないのよ!!』
 しかし肉体年齢は向こうの方が(たぶん)若いぞ、アスカ?
 そんな事実などお構い無しのアスカは、ちらっとシンジの方を見る。シンジは戸惑い、何かを話し掛けようと口を動かすが、その前にアスカはまた顔をそらしてしまった。
『シンジの方もムードに乗ってるみたいだし!ここで一押しすれば!晴れてシンジはマザコン・ロリコン・近親相姦・ヤオイ脱出よ!』
 アスカはほくそえんで、笑いをこらえてもこらえきれず思わず身体が小刻みに震えてしまう。それをまたシンジが上手い具合に誤解してしまった。
(お、女の子だから、男と二人っきりじゃ、不安なんだな…やっぱり…)
 シンジは一つ、咳払いをする。むろん本物ではなく、わざとだった。
「あ、あのさ、アスカ…」
 シンジが話し掛ける。
(来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来た来たぁ〜〜〜っっ!!
 アスカは内心キタキタ踊りを踊りだしたいくらい浮かれまくっていたが、わざと落ち着いた様な声をつくる。
「何?シンジ…」
 脅えてるのかと思ったが、意外と落ち着いたアスカの声にシンジはちょっと予想を裏切られた気がした。しかし、アスカはきっと一生懸命こらえてなんでもない振りをしてるのだろうと考える事にした。アスカってなんて健気なんだろう。
 でもそれって男のエゴだよね。(笑)
「あのさ、こっち来てさ…」シンジは言ってからしまった、と思った。アスカの警戒心を煽りはしなかったか?「その、お粥…食べさせてくれ…ない、かな?」
 はいはいはいはいはいはいはい!アスカは餌に食らいついた獲物をすぐに釣り上げたかったが、そこではたと思いとどまった。ここでいきなりホイホイ飛んでったのでは向こうもこっちの意図を察してしまうかもしれない。今までの経験で判ったが追うから逃げていくのだ。だったら向こうから追わせればいい。
「その…冷めてるから、温めなおしてくる」
 そう言ってアスカは部屋から出ようとドアノブに手をかける。そして駄目押しにシンジの方を少しだけちらっと見る。そして一気にドアを開けようとした。
「待って、アスカ!…って、うわ!
 シンジがベッドから跳ね起き、アスカを追いかけようとするが熱で足元がおぼつかず、思わずよろけてしまう。
 シンジの叫び声にアスカが思わず振り向くと、シンジが丁度アスカを壁に押し付けるような格好でよろけてきた。避けるまもなく、アスカはドアに押し付けられる。
「ご…」ごめん、と言ってすぐに退こうとするがアスカの唇に視線が行き、思わず動きが止まる。柔らかそうな唇、アスカの心なしか潤んだ目が、シンジを射すくめていた。
 シンジは息を飲む。な、なんかアスカもシンジの次の行動を待ってる気がする。待ってるかもしれない。待ってるんじゃないかな?待ってるって思ってもいいかもしれない。きっと待ってるにちがいない…都合のいいリビドーの五段活用を根拠にシンジは少しずつ自分の顔をアスカの顔に近づけていく。
 アスカの目は確かに潤んでいた。
いいじゃないいいじゃないいいじゃな〜〜〜〜〜い!!!
 アスカは浮かれまくりの絶好調でもう泣き出したくなっていた。計算以上の期待通りの展開!!ふっふっふっ、いびられ専門の脇役とはこれでもうおさらば!美少女仮面ドイツナ・ソウリュウなんてバカなネタやった甲斐もあるってもんよ!
 シンジの唇があと8センチ、5センチ、2センチ…と近づいたところでふとアスカの表情が曇る。
 ちょっと待て、何か忘れてやしない?この話はラブコメ、そう、ギャグなのよ。こういう時、ギャグでは大抵邪魔者が入るって相場が決まってるのよ。まさかあのバカな作者でもここでもう一度綾波レイを出すなんてことはまさかあるまい。だとすればあとありうる邪魔者は…
 心当たりがありすぎる自分に、少し背筋が寒くなってきた。そう言えばさっきから誰かの視線を感じる気がする…
 この間の思考に要した時間、およそ0.04秒。シンジの唇まであと1センチだった。
 不安になったアスカはシンジの腕の間をするりと抜け出した。
「あ、あれ…アスカ…?」
 出鼻をくじかれたシンジがその姿勢のままアスカに呼びかけるがアスカは無視する。そして何処からか薙刀を取り出すと(何処から取り出したんだ?)するりと鞘をぬき払った。
「とぅぉぉぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!ソニックグレィブっっっ!!」
 天井と言わずクロゼットと言わずぶすぶすと刃を突き立てていく。天井と壁が穴だらけになると、アスカは息を切らせながら薙刀を放り出す。いや、でもまだ安心はできない。敵が近くに潜んでるとは限らないわ。最近は盗聴機なんて何処にでもしかけられる時代よ。そう何処にでも…
 アスカは再び何処からか破壊用の斧を取り出すと(本当にどこから取り出したんだ??)今度はもう部屋の中にあるもの全てを叩き壊し始めた。
「きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいっっっ!!スマッシュ・ホォォォォクッッ!!!」
 枕を、雑誌を、時計を、目に付く全てを叩き壊していくアスカをシンジは呆気に取られて見てるしかなかった。
「あ、あの…アス…カ…?」
 アスカはあらかた破壊し尽くすと、斧をぽい、と投げ捨てて再び顔をひくつかせてるシンジの腕の中に潜り込む。
「さ、続きよ!」アスカは命令口調でシンジに言う。
「いや、あの、続きって…」シンジは周りに目を遣り、アスカの破壊の後を見渡す。これ見た後でどうやってさっきの続きをやれって言うんだ?
「いいからさっさとやんなさい!!」
「は、はい!」アスカの額の青筋に、シンジはもう否応なく言う事を聞くしかなかった。もうムードもへったくれもない。既にポチと飼い主の関係以上の雰囲気はなかった。シンジなどは涙目だ。
 アスカの唇にシンジの震える唇が迫っていった。
(ああ、もうすぐなのね…)
 一人で勝手にロマンティックな雰囲気に酔いしれるアスカの、至福の時は迫っていた。


 同時刻、碇家近辺…
 急に『ガリッ』という音とともに受信機はノイズしか拾わなくなってしまった。あわてて受信波長を調整しようとつまみを捻るが、まったく無駄だった。
「ちっ!」
 彼女は舌打ちして立ち上がった。
「あの〜、先輩、もう諦めた方がいいんじゃないんですか?」
 隣にいたおとなしそうなショートヘアの女性が言う。
「ふ、まだまだこのくらいではあきらめなくてよ!」金髪の、泣きボクロの女性が言った。「こうなれば直接行くわ!」


…こちらも同時刻、碇家シンジの部屋、クロゼット内部…
『いや〜、時々あのコ、異様に勘が鋭くなるわね〜』
 葛城ミサトが奇妙な形に折れ曲がった格好で言った。
『は、は、はが、かす、かす、かす…』
 同じく奇妙な格好で逆さになったケンスケが涙目で何かを訴える。
『え?何?どうしたの?』
 ミサトが聞き返す。
『また、また、股の間を刃がかすった〜!!
『おっとこのこでしょ、がまんしなさい!』
 ミサトは叱り付けるがケンスケはなおも食い下がる。
『おっとこのこだからなおのことビビるんじゃないですか〜!!』
『あ、それもそうね』
 ミサトが妙に感心したように言う。
『せやけどミサトさん』同じくスキマに身体をなんとか詰め込んだトウジが口を出す。
『何?』
『ワシら4人もこない狭いとこにおって、よく全員無事で済みましたなぁ』
 ミサトは声を立てずに笑う。
『ま、なせばなるってやつよ』
 あるいは作者の御都合主義ね。
『こんなとこにいるより、家でドリフ見てた方が面白いのに…』そう言いながらもヒカリは外の様子を興味津々で見ていた。
『どおどお?外の様子は?』ミサトがヒカリに聞く。
『あ、今またさっきの続きから始めたとこ、いや!アスカってば碇君の背中に手なんか回してる!いやらしい!!』そう言いながら決して目を閉じようとしない。
『どおれどれ?』
 ミサトもクロゼットのドアのスキマに顔を寄せる。
『あ、ちょっと!待って、そんなに押さないで!』ヒカリがバランスを崩しそうになって慌てる。間一髪、なんとか態勢を持ちこたえた。
『はぁ、危なかった…』ヒカリはほっとため息をついた。
『ところでさ、今ふと思ったんだけど』
 いきなりケンスケが話しはじめる。
『「思ったんだけど」、何?』ミサトが聞き返す。
『うん。今の俺達の格好ってさ、なんかあれに似てない?』
『あれって?』
 今度はヒカリが聞き返す。
『よく田舎とか行ってさ、神社とか河原の木陰とかのじめじめしたとこ。そこの大きな石とか拾って、ひっくり返すと裏にうじゃうじゃいるじゃないか。ムカデやらナメクジやらが。思わずさっきそれ連想し…』
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 ケンスケが言いおわる前にヒカリの絶叫が走った。
『こら、いいんちょ!静かにせんかい!』
 もう手後れだというのにあわててトウジがヒカリの口をふさごうとする。と、そのとたん全員のバランスが崩れてどっとクロゼットの外に放り出された。
 キス直前のアスカが聞き覚えのある絶叫にはっとして振り向いたのと、ミサトたちが放り出されたのと同時だった。ミサトと目が合いアスカは思わず口をぱくぱくさせてしまう。
「あ、どうも〜、こんにちはぁ」
 ミサトが照れ笑いを浮かべながら手を上げた。
「あ、ども、お邪魔してます」
 ケンスケも折れ曲がったような格好のまま言った。
「だから嫌だったのよ、家でドリフ見てたかったのよ…」ヒカリは泣き出しそうだった。
「ドリフはもうええって…」トウジが呆れ顔で言った。
 アスカは頭を抱えてうずくまった。
「そうよ、お約束なのよ、お約束なんだわ、そうなんだわ…」悪夢にうなされるようにぶつぶつと繰り返す。
 そんな中でシンジだけがほっとした様な表情を浮かべていた。


「あら、みなさん、いついらしてたんですか?」部屋にお茶を持って入ってきたレイが荒れ放題の部屋できちんと鎮座ましてる一同を見て言った。それから自分の持ってるお盆に目を移す。「あら、これじゃ足りないわね」
「ほーんと、いついらしてたのかしら!!」アスカが額に血管を浮かべて怒鳴る。「おまけに何処から入ってきたのやら!」
「まぁまぁ、そう言わないで」ミサトが媚びたような笑顔でアスカを懐柔しようとする。「親友の身を心配すればこそじゃないの!」
「心配ってアンタたちいっつも邪魔ばっか…」
 言いかけてアスカがはっとする。ミサトは得たり、とばかりにやっとする。
「あら〜、アスカってばあのままシンちゃんと間違いを、起・こ・し・た・か・っ・た・の・か・なぁ〜?
「冗談!なんでワタシがバカシンジと…」
「でっしょ〜?私たちのおかげで間一髪助かったんだから、感謝しなさい!」
「くう〜〜…」ああ言ってしまった手前、もうミサト達を責めるわけにはいかない。アスカは今更ながら自分のバカさ加減を後悔した。
 肝心の碇のシンジ君は何とか形を保っているベッドの上で毛布をかぶって震えていた。しかし誰がこの話の主人公かすら、すでに忘れ去られてる様子だ。
(すまん、私も忘れてた。)
「じゃ、今足りない分のお茶を持ってきますから…」レイがお盆を持ったまま階下へ戻ろうとする。
「いや〜お嬢さん、すぐに帰りますから、気を使わないでいいっすよ…」ミサトがみのもんた口調で言う。
 『お嬢さん』という言葉に背を向けた綾波レイの耳がぴくっと反応する。
「ね、ね」レイがきびすを返してミサトの前にぴょこんと座る。「本当にお嬢さんに見えます?」
「はぁ?」ミサトは思わず聞き返す。見えるも何も、まんまやないかい!その言葉をかろうじて飲み込む。もっとも別にお嬢さんと言ったのは社交辞令以上の何物でもないのだが。そんなことお構い無しに綾波レイはまくしたてる。
「いえね、街中でよく、『お嬢さん』って声なんかかけられるんですけど、やっぱりお世辞じゃないかって不安になるんですの。中にはこんなオバサンをナンパしてくるコもいるもんですから、本当に私って若く見えるのかしら?ただ単にからかわれてるだけじゃないかしら?って不安で不安で…」
 ミサトは思わず同情したくなった…綾波レイをナンパしたヤローどもに。見た目子供で、中味は普通のオバサンってのはじっさい目にしてみるとなかなかエグイものがあるわ〜、と思わず実感してしまった。
「いや〜、実際お若く見えるっすよ。とても子供が一人いる方とは…」
 ミサトが冷や汗を流しながら答えてるのを横目で見て、アスカがけっと口の中で呟いた。若く見えるも何も、身体は実際に14歳じゃないの。何を今更言ってるのやら。
 レイはミサトの言葉を聞いて安心したように言った。
「あ〜、良かった!お世辞でもそう言って頂いて」だからお世辞でも何でもないんだって。(笑)「いえね、ゲンちゃんも、いえ、私ウチの人のこと、『ゲンちゃん』って呼んでるんですけどね、私がそう呼ぶと私の事、『レ〜イ』って仏頂面で応えてくれるんですの。その顔がまた可愛くって…ってやだ何を言わせるのよ、も〜!」
 言わせるも何も勝手に言ってるんですけど…ミサトは毒気に当てられながら自分の不用意な一言を後悔しはじめていた。
「でね、あの人、いっつも『いつまでも若々しくて可愛い君が好き』なんて、きゃぁー!!
 一人ではしゃぎまくってるレイを見ながら、シンジはぼーっとした頭でぼんやりと考えていた。そうか、そうだったのか、だから母さんをいつまでもこの年齢に止めておいてるんだな?あのロリコン親父!
「で、なんだったかしら?そうそう、お茶よね?皆さん何がいいかしら?」
 すっかり上機嫌のレイはオーダーを取り始めた。
「あ、僕レモンティー」と、ケンスケ。
「私も」ヒカリがそれに続く。
「ワシは昆布茶」トウジが言う。
「じじくさ〜!」一同が一斉に言う。
「じゃかしいわい、ほっとけ!」
「じゃね、じゃね、私は、っと…」ミサトが考え出す。「えーっと、アブサン…なんちゃって…」
 アスカが拳を振り上げて立ち上がろうとする。「あんたね〜!!」
「やぁね〜、なんちゃって、って言ってるでしょ、冗談よ冗談、第一そんなものある訳が…」
 ミサトが懸命に言い訳する。
「わかりましたわ。じゃ、みなさん、少し待っててくださいね」レイはこともなげに言って席を立つ。その姿をアスカとミサトが呆然と見送る。
「…おば様、アブサンって何か判ってるのかしら?」アスカが言う。
「さあ?まっさか本当にあるわけが…」
 数分後、ミサトの手の中にエメラルド色をした液体の入ったグラスが握られてた。
「……」ミサトはじっと沈黙してる。
「……」アスカもじっとそんなミサトを見ていた。
「まさか、本物、なわけないわよねぇ」
「本物なわけ、ない、と思うけど…」
 試しに水を一滴垂らしてみる。緑色した液体が、さぁっとミルク色に変わっていった。
「わあ、きれい!」何も知らないヒカリが言う。
「…」ミサトは冷や汗を流しながら、一口喉に流し込む。流し込んだとたんにミサトがうずくまる。
「何、どうしたの!?」
 ミサトが握りこぶしを握り締めて身体全体をふるふると震わせる。「くはぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!も〜、にせもんでもなんでもいいわ〜〜!!」
 もう内臓から沸き上がる快楽に完全に酔いしれている。完璧に酔っ払いモードだ。
「マジ?モノホン?」アスカが顔を引き攣らせながら言う。
「あぶさんなんて、水島伸司のマンガくらいしか知らないけど、飲み物なの?」
 ケンスケが言う。
「え〜、なんかおいしそう、私もたのもっかな…」ヒカリがぽつりと言った。
「だめ、だめ、ずぇ〜っったいにダメ!!」アスカが慌てて止める。
「え?何で?」なぜかが判らないヒカリが聞き返す。
「あんなものは人間止めたい人しか飲んじゃダメ!!」
 アスカがきつく言う。一方ミサトは、すっかり出来上がっていた。
「ひゃははははは、なんらせかいがまわっれる〜〜、あふかのらお、ぐにゃぐにゃれへんら〜うひゃひゃひゃひゃひゃのひゃ〜」
訳:ひゃははははは、なんか世界がまわってる〜〜、アスカの顔、ぐにゃぐにゃでへんだ〜うひゃひゃひゃひゃひゃのひゃ〜
 ヒカリはそんなミサトの様子を見て冷や汗を流しながらなんで飲んでは駄目なのかなんとなく理解していた。「…うん、やっぱりやめとく…」
「第一、なんでこんなとこにアブサンがあるのよ!」アスカが怒って怒鳴る。
「あるといけないの?」アブサンが何なのか知らないシンジが聞き返す。
(注:アブサンが何かを知らない人の為に…アブサンとはにがよもぎが主原料の非常に麻薬性の強いお酒です。製造も販売もとっくの昔に禁止されてます。間違っても手に入れられないです。もし間違って手に入れたら…私に一杯下さい。(笑))
「…」アスカはあきれてシンジの顔を見た。「ま、いいわ。アンタってそういう奴よね〜」
「?」シンジが不思議そうにアスカを見返す。
 そこにいきなりラリッたミサトが乱入してアスカに抱きつく。
「ひゃははははは、らにいっれんのろ〜、ほんろ〜はしんりゃんにべらほれのくれに〜〜!」
訳:ひゃははははは、なにいってんのよ〜、ほんと〜はシンちゃんにべたぼれのくせに〜〜!
 酒臭い息を吹きかけられながら言われ、アスカの顔が真っ赤になる。
「な、ななななななな、なに、なに、何言ってるのよ!この酔っ払い!」そう言ってから、シンジがじっと自分の方を見てるのに気が付いた。「や、や〜ね〜!こ、こ、こんな酔っ払いのた、たわ、戯言なんか信じちゃったの?バ、バカ、バカ、バッカじゃないの!?
 真っ赤になって否定するアスカを、シンジはきょとんとした顔で見ていた。
「ねえ、ミサトさん、なんて言ったの?ぜんぜんろれつが回ってないから聞き取れなくって…」
 アスカが三度、頭を抱えた。そうよ、これはお約束なんだわ、そうなんだわ。このパターンから永久に逃れられないんだわ…
 でも半分くらい君も悪いぞ、アスカ。
 その時、不意に玄関のチャイムの音がした。
「あら、誰かしら?」レイが立ち上がって玄関に降りていく。
「こんにちは、碇所長の奥様」玄関でレイの出迎えを待っていたのはどんよりとした表情の赤木リツコと、その手下一号。
「井吹マヤです!」
 はいはい、そうでしたね。それとあともう一人、絶対彼女らと一緒にはいまいという人物がいた。
「こんにちは、おば様」
 レイはじっとその人物の顔を見た。
「…えーっと、どなたでしたっけ?」
 その人物はレイのボケにも動じずに、ふっと哀しげな顔を見せた。
「いやだなぁ、ボクをお忘れですか?あなたの息子、碇シンジ君の心の友にして身体の伴侶、人呼んで愛を求めるさすらいの狩人…」
「ああ、そうそう!」レイは膝を叩いた。「えーっと確か名前は…」
「ふんふん、名前は?」
 レイに聞き返す。
「えーっと、名前は、と、覚えてるのよ、覚えてるんだけどちょっと度忘れしちゃって…」
 腕を組んで考え出した。首を捻る事しきり。
「…おばさん、忘れたのなら無理しなくていいんですよ…」彼は表情は変えずに額に大粒の冷や汗だけ流して言った。
 レイはごまかし笑いをする。「いえね、本当は覚えてるのよ。覚えてるんだけどたまたま忘れちゃって…」
「…もういいです。渚カヲルです」
 少年がそう言ってから、レイはやっと思い出したという様にぽんと両手を叩いた。
「そうそう、近藤二郎三郎丸君!
「…全然覚える気ないんですね、結局…」
「先輩、こんなの連れてきちゃってよかったんですか?」マヤがカヲルを指差しこんなの呼ばわりしながらひそひそとリツコに話し掛ける。
「だって仕方がないでしょう?たまたま路上で出くわして、『つれてってくれなきゃ、耳に息吹きかけるよ』なんて言うんだもの。私、耳は弱いのよ〜!!」
 リツコがげんなりした様子で言った。
「結局先輩、弱いとこだらけなんですね…」マヤがぼそりと言う。「それって30女の欲求不満…」
「なんか言った!?」リツコがキッと睨む。
「いえ、別に…」
「じゃ、上がらせてもらいますから」リツコ・伊吹の師弟漫才をよそに、カヲルは涼しい顔で勝手に上がっていった。
「あ、こら、ちょっと待ちなさい!抜け駆けは許さなくてよ!」あわててリツコが、その後をマヤが追いかける。
 カヲルが部屋に入るとシンジを除いた全員が"ゲッ"という顔をする。
「やあみんな、そんなに喜んでもらえて嬉しいな」
 カヲルは自己陶酔に浸りながら言う。
「これが喜んでる顔に見えるの?」
 一番嫌そうな顔をしているアスカが言った。
「ふふ…安心し給え、もはや君は僕の敵ではない。君のことは今やアウト・オブ・眼中だからね」
「なんか良く分からないけど、根拠のない自信なら止めた方がいいわよ」
 アスカはむっつりとして言う。
「ふーん?これを見てもそう言ってられるかな?」そう言うや否や、カヲルはいきなりポーズを取り始める。「今日のよき日をもっても、シンジ君の側に『アンタバカァ?』がいるなんて許せない!自由意志天使、ウェディング・タブリスはとってもご機嫌斜めだわ!」
 見栄を切りおわった瞬間、全員がしら〜っとする。
「ふ、どうだい?君のドイツナなんたらに優るとも劣らないだろう?」カヲルは自分のポーズに酔いしれている。
「ホンマ大丈夫かいな、この大将…」
 トウジがぼそっと呟く。
「あんたね〜、何のつもりか知らないけど」アスカが拳をわななかせて立ち上がる。「私はもう金輪際あんなマスクつけた恥ずかしい格好しないわよ!アンタと一緒にしないで頂戴!」
 ヒカリがしばらくその言葉を反芻してたが、やがてはたと気が付いて叫んだ。
「あ〜!!ひょっとして碇君が風邪ひいた時に屋根の上で跳ね回ってた変態って、アスカのことだったの〜!?」
 アスカの顔が、しまった〜、と言う後悔の顔になる。
「い、いやあれはほんの出来心というか、勢いというか、作者の陰謀というか…」アスカは咳払いをする。「ともかく、あのネタは金輪際やりません!」
「え?本当かい?」
 カヲルが残念そうに言う。
「やりません!」アスカが怒鳴りかえす。
「絶対に?」カヲルは念を押す。
「ずぇぇぇったいにやんない!」アスカが念を押し返した。
 でもまたネタが詰まった時にやらすかもね。
「だからやらすなっちゅーに!」
 アスカが作者に食ってかかってる間に、カヲルがよよと崩れ落ちた。
「そんな…せっかくあれに対抗するため、必死で特訓したというのに…」
「特訓ってどんな特訓よ、どんな!」アスカが思わず突っ込む。
 カヲルの顔に笑みが広がる。「聞きたいかい?」
 アスカは思いっきり躊躇した。「…やっぱいい。どんな特訓か知らないけど、私のいる半径300メートル以内ではぜっっっったいにやんないで頂戴!」
「それは残念」カヲルが本当に残念そうに言う。
「あら、すっかり和んでるわね」遅れて部屋に入ってきたリツコが部屋の様子を見て一言言う。
「ちょっとオバサン!この雰囲気のどこが和んでるっていうのよ!」
 怒鳴るアスカの口を、リツコの両手がむにゅっとつかむ。
オ・バ・サ・ン?さ〜て、何か意味不明の言葉が聞こえた様だけど、そんなイケナイことを言ったのはこの口かしら?」
 そう言ってアスカの口をぐいぐいと引っ張る。
「いひゃい、ごめんらはい、おふぁ…おれーひゃらぁ!」
訳:痛い、御免なさい、おば…おねーさまぁ!
「わかればよろしい!」
 そう言ってアスカの口をぱっと放す。アスカはほっぺを腫れ上がらせて、床に座り込んだ。「くっそ〜、覚えときなさいよ、クソババア!」
 小声でのアスカの呟きも、リツコは決して聞き逃さなかった。
「あ〜ら、まだ痛い目に会いたいのかしら?」リツコの切れ長の目がきらりと光る。
「いえいえ、めっそ〜もございません!!」
 アスカは卑屈になって言った。
「なんだ、意外とやるじゃないか」カヲルがアスカを手も無く捻ったリツコを見直すように言った。
「ふっ、女なんて生き物を30年もやってるのよ、なめないで頂戴」
「渚君、婚期を逃した三十女の迫力とフラストレーションを甘く見ちゃ…イタッ!」脇から出てきて解説するマヤの頭にリツコがひじを落とす。
「余計な事は言わなくていーの!」そう言ってふと床に転がってるグラスと、さっきまで葛城ミサトという名前だった正体が不明になってしまったものに目をやった。「あら?アルコール及びアルデヒド分解酵素異常代謝体質女、鉄の肝臓アイロンレバー、人呼んで天然グリコーゲンXのミサトがつぶれるなんてめずらしいわね」
 ひとしきりむちゃくちゃ言ってからグラスを拾い上げ、その中に残った残留物の匂いをくんくんと嗅ぐ。
「あらやだ。これ私が作った人工アブサンじゃない」
「人工アブサン?」全員が声を合わせる。
「ええ、以前商品化出来ないかと酒造会社から持ち掛けられて、試しに作ってみたんだけどやっぱり国内では販売出来なくってね。記念にと碇所長が試供品を持って帰ってたんだけど、まだ残ってたのね」
「じゃ、ホンモノじゃないの!?」アスカが驚いて言う。
「あたりまえじゃない。現在日本国内に本物のアブサンなんかあるわけないでしょ?」
 いいのか?言い切って?
「じゃ、飲んでも本当に大丈夫なんですか?」
 ヒカリが心配になって聞き返す。
「さあ…そんなに被験者がいるわけじゃないから…いくらかは闇ルートで流したけど、闇ルートだからねぇ…死んでも文句は言えないわけだし、実際文句はなかったから飲んだ人がみんな死んだか大丈夫だったかのどっちかね、多分」
「どっちかって、そんなアバウトな…」
「やあねえ、基本的に本物と同じはずだから多分死にはしないわよ。ただ酔い覚めが死ぬほど苦しいだけで…」急にミサトが苦しみ悶えだした。「あ、やっぱり死ぬかも…」
「ちょっと、葛城さん、大丈夫!?」ヒカリが必死で呼びかけるが、苦しそうなうんうんといううなり声が返ってくるだけだ。
「はよ救急車、救急車呼ばんと!」
 トウジが慌てて119番に電話した。


 救急車が碇家の前について、葛城ミサトとその付き添いたちが運び出されたあと、毛布をかぶったシンジと、リツコが玄関で救急車を見送っていた。
「大丈夫なんでしょうか、ミサトさん…」
 シンジが心配そうに言う。
「大丈夫に決まってるじゃない、あんなの」
 リツコがあまりにさらっと言うので、シンジは目を丸くした。
「え?だってさっきは死ぬかもって…」
「そんなあぶなっかしいもの、私が碇所長に持たすわけないでしょ?あんなのは言ってみればただのバッドトリップよ」
「バッドトリップぅ?」シンジでない、別の声が言う。
「そう、二三日すればけろっとした顔でまた出てくるわよ」
「ふーん、じゃあ、どうしてわざわざあんな大騒ぎしたんだい?」また別の声。
「そんなの決まってるじゃない。邪魔者を排して碇シンジ君と二人っきりになるため…って、え?」
 やっと誰か碇シンジ以外の人間がいるのに気付き、後ろを振り向く。アスカとカヲルがじっとリツコを見つめていた。
「やっぱりね、そんなことだと思ったわ」
 アスカが言う。
「ふ…愛の前にはいかなる策略も無力、そういうことか、リリン」浸り切って言うカヲルにアスカが掴みかかる。
「ちょっとぉ!変だって気付いたのは私でしょ!?アンタなんか酔っ払いと一緒に病院行ってついでに入院してくればいいのよ!」
「僕はどっちにしてもはじめからシンジ君の側を離れるつもりはなかったからね」
 カヲルがアスカに揺さぶられて首をがくがくさせながら言う。
「あ〜あ、よりにもよって、一番面倒くさい奴等が残っちゃった…」リツコがトホホ顔になる。
 しかし本当に一番トホホ顔になりたいのは当の碇シンジだった。


 シンジはベッドの上から部屋を見渡す。アスカと、カヲルとリツコが三人押し黙ったままじっとしている。空気が重い。この方がよっぽど健康に悪そうだった。
 シンジはこの構図を見て、何かに似てると思った。
 そうだ、三すくみだ、と思い当たる。カエルはヘビに脅え、ヘビはナメクジに脅え、ナメクジはカエルに脅えて動けなくなる。そう、例えるならカエルがカヲル、ヘビがアスカ、ナメクジがリツコだ。
 でも変だな?と思う。カヲルやアスカがシンジにからんでくるのはまだわかる。何故父の部下にしかすぎないリツコがこの三すくみに加わってるのだ?聞きたくてしょうがなかったが、シンジがこの中の誰かに発言するというのはすなわち、三すくみのバランスが崩れるという事だ。恐くてとても出来なかった。
 ひたすらじりじりとこのまま時が過ぎてくかと思われた時、一人の人物がその均衡を破った。
「先輩、出来ましたよ」
 マヤの声に、リツコがふっと勝ち誇った顔をする。カヲルとアスカがそんなリツコを胡散臭そうな顔で見た。
「悪いわね、あなたたち。勝負は私のものよ」
 勝負って何の勝負だ、と突っ込みたくなるが、シンジにはそんな気力はもはやない。寒気と悪寒でがたがたと震えるだけだ。
「何勝ち誇ってんのよ」アスカがジト目で睨みながら言う。
「私の最終兵器を見せて上げるわ」リツコがパチンと指を鳴らすと、マヤが何かを手に持って現れる。上から黒い布をかぶせてあり、何かは判らない。
「ふっふっふっ、聞いて驚きなさい見て驚きなさい、これが天才赤木リツコ特製、風邪撃退の特効薬よ!」
 そう言って上にかぶせてある布をさっと払う。と、そこに現れたのは…土鍋だ。
「なによ、お粥じゃない?そんなものえらそーに言う程のことないじゃないのよ」
 アスカが吐き捨てるように言う。
「その通り、真の特効薬は僕の愛だけさ。そうだろう、シンジ君?」
 そう言うカヲルをアスカが睨み付ける。
「アンタもいい加減寝ぼけんのはやめなさいよね!寝言は寝ていいなさい!!」
「シンジ君と一緒のベッドの上の寝言だったら何時でも」
 シンジは鼻を詰まらせ、苦しそうな呼吸をしながら、あー、もういつものパターンで主人公不在のストーリー展開になってるな…と諦めの境地だった。
 大丈夫。誰も君を主人公と思ってないから。(笑)
「あなたたちは何時までも二人で漫才をやってなさい」高笑いを上げながらリツコが勝ち誇る。「このお粥がただのお粥と思ったら大間違いよ!」
 そう言って蓋を取る。と同時に部屋一面に立ち込める異様な匂い。おもわずアスカもカヲルも顔をしかめる。鼻が詰まってるはずのシンジですら鼻を押さえた。
「ちょっと!これ何の匂いよ!!本当に食べ物の匂い!?」
 アスカがつかみ掛かろうとするが、リツコとマヤはいつのまにかちゃっかりガスマスクをつけていた。アスカはもう匂いだけで近づけない。
「これだからシロートはだめだというのよ。いいこと?この中には葛根、ウコン、その他多くの漢方成分にピリン系風邪薬等など西洋科学の成果、そしてイモリの黒焼き、コウモリの羽を煎じたものにベラドンナ、マンドラゴラの神秘科学の結晶を駄目押しに加えた正しく科学のお粥なのよ!!」
「この女、もはや科学者でもなんでもないわね…」
 アスカがげそっとして言う。
「ささ、シンジ君、これを食べれば風邪なんて一発で吹き飛ぶわよ!」
 嫌がるシンジの口に匙を無理矢理押し込もうとする。
「ん〜!ん〜〜〜!!!」
 生命の危機を本能的に察知し、シンジは必死の抵抗を試みるが鼻で呼吸が出来ない分、苦しくなって思わず口が開きかける。リツコがにんまりとしてその中に粥を流し込もうとした時…
「ふ〜…」
 リツコの耳にそっと息が吹きかけられる。
「きゃははははははっ!!!」
 弱点の耳を不意打ちされたリツコはくすぐったがりながら笑い転げて思わず粥の中味を自分にかけてしまう。
「あつっ、あつつっ!!!」リツコはたまらず飛び跳ねまくった。「ちょっと!いきなり何をするの!!こんなもの頭からかぶったら死んでしまうかも知れないじゃないの!!」
 リツコが耳にいきなり息を吹きかけたカヲルにくってかかる。
「そんなものを人に食べさせようとするんじゃないわよ…」アスカがぼそっと言った。
「ふ、科学に溺れ道を見失った者の末路は哀れだね」
 カヲルが涼しい顔で言う。
「科学の力をなめるんじゃありません!」リツコが次に注射器を取り出す。「たしかにこのお粥はちょっと失敗だったけど、でも次は完璧よ!」
「あ〜あ、また怪しげなことを…」
 もう何か投げた様な態度でアスカが言う。
「これさえなければ優秀な人なんですけどね〜…」
 マヤがいつのまにかアスカの側に来て言った。
「アンタもよくあんなキ○ガイ科学者に付き合ってられるわね〜」
「惣流さん、それってまた問題発言…」マヤが一応フォローをする。
「あ、そう言えば思い出した!」いきなりアスカがマヤに食ってかかる。「この前人の頭ぽんぽん叩いたのアンタでしょ!よっく考えればアンタ以外にいないもの!!」
「え、あら、やだ、憶えてらしたんですか?」マヤがおもわずたじろぐ。
「憶えてたのかって、憶えてるわよ!あの(ぴ〜)科学者始末したら次はアンタよ、憶えてなさい!!」
 そう言ってリツコの方を向いたアスカの背後に、すっと金槌を持ったマヤの手が伸びる。アスカがはっとして振り向くと、マヤの手もさっ、と引っ込んだ。
 アスカがじっとマヤを睨む。「…アンタ今、何かしようとしなかった?」
 マヤはぶんぶんと首を横に振る。「いいえ、とんでもありません!!」

「なんだい?その注射器は?」
 アスカとマヤを無視して、カヲルが聞く。とたんにリツコが得意げな顔になった。
「いいこと?現在この地上に癌と水虫と風邪の特効薬というものは存在しないの。今私が手に持ってるものを除いてね」
え!?それじゃ…水虫の薬?」アスカが眉をしかめる。
「違うわよ!!」リツコが血管を浮かべて怒鳴る。「これはレトロウィルスに風邪の抗体を運ばせる事により、風邪を一発で治すという世にもすばらしい大発明なのよ!」
「へ〜、じゃ、自分で注射してみたら?」
 カヲルが注射器を取り上げ、リツコに注射しようとする。リツコは急に悲鳴を上げてシンジに飛びついた。「ちょ、ちょっと!何するのよ!?あぶないでしょ!!」
「危ない?」シンジが聞き返す。
「やっぱりね」カヲルが勝ち誇った顔をする。
 リツコが言ってから、しまった!という顔をする。
「今度はなんなわけ!?」
 アスカがもう聞くのも疲れたという様子で言った。
「いえね、レトロウィルスって、寄生主に入り込んでその遺伝子と自分の遺伝子をやり取りするって性質を持ってるのよね。だからこのレトロウィルスが変な動物に入ってたりすると…」
「どうなるの?」
「上手くいけば『蝿男の恐怖』が実体験できるかな〜、なんて…」
 『ザ・フライ』と言わない辺りにマニアックさがにじみ出る発言をリツコがする。さすがにアスカがぶち切れた。
「だったらアンタが実体験してみなさいよ!それに何でここにいるの?アンタの狙いは碇のおじさまで、シンジじゃないでしょ!」
「そうよ」リツコはシンジから離れて答えた。「でもね、私は搦め手から行く事にしたの。ここで一発、シンジ君の看病をして母としても主婦としても優秀なところを見せておけば、碇所長のハートもイチコロに間違いなしってわけよ」
「な〜んかこの女の『有り得ない』とか『間違い無い』って当たった試しがない気がするのよね…」
「と、いうわけで次は僕の出番だね?」
 何の前振りもなく、渚カヲルがずいと前に出る。
「何が、『と、いうわけで』なのよ!!」
 アスカが吠えるがいつもの涼しい顔で無視をする。
「僕はそんな怪しげなものは使やしないさ。僕が使うのは日々の中で培われた生活の知恵、それこそまさしくリリンの文化の結晶、民間療法さ」
「民間療法〜〜!?」
 アスカとリツコが疑わしそうな声を上げる。
「ど〜もコイツが一番アヤシイのよね、この男が。第一、民間療法なんて科学的根拠の薄いおまじないみたいなものばっかじゃないの」
 しかしアスカの発言をリツコが否定する。
「いいえ、でも中には経験則から培われた科学的にも十分根拠のあるものもあるわ。経験則に基づいてるぶん、ある意味効き目は保証できるのかもね」
「そういうことさ」カヲルが肯定する。「そこでボクが使うのはこれだ」
 そう言ってカヲルは丸のままの葱を一本、取り出す。
「何よ、葱じゃない」アスカが奇妙な顔をして言う。
「良く分かったね。そう、葱だよ」カヲルが答える。
「そんなもの見れば判るわよ」アスカがむっとする。「葱なんかどうするの?」
「あ、なるほど」リツコがぽんと両手を叩いた。「葱には発汗作用がある事が知られているわ。実際風邪の時に葱を使った食事を出す事もあるしね。特に民間療法としてよく行われてるものは、葱味噌ね」
「葱味噌?」シンジが聞き返す。
「そう。微塵切りにした葱と味噌を混ぜて、ガーゼにくるんで喉にあてるのよ」
「へぇ〜」アスカが感心したように言う。「で、味噌はどこ?」
「ないよ。そんなもの」カヲルが当然の様に答える。
「…じゃ、ガーゼは?」アスカが妙なものを感じながら聞き返した。
「そんな込み入った道具なんか一切必要ないのさ。ボクの知ってる治療にはね」
 味噌やガーゼが込み入ってるか?
「じゃ、どうするの?」シンジが不思議そうに聞き返す。
「いいかい?」カヲルが得意そうな顔でシンジに近づいていった。「葱の発汗作用成分というのは、食したり、皮膚からの吸収でも取り込まれるけど、イチバン効果的なのは粘膜からの吸収なんだ」
 アスカは、『粘膜』という単語が出た時点で何か嫌な予感がしだしていた。
「人間の表皮にある粘膜と言えば、口腔から喉にかけてと、肛門から直腸にかけてだ。だけど風邪で喉が荒れてるところにこんなものつっこむわけには当然いかない。と、いうわけで…」カヲルがにこやかな顔でシンジに笑いかける。「覚悟はいいね、シンジ君?」
「え?」シンジはその笑いの意図を読み切れないまま、何か背筋に寒いものを感じて笑顔を凍り付かせる。
「大丈夫、痛くしないから…」そう言ってにこやかなままシンジのパジャマのズボンに手をかける。
「ちょ、ちょっと、カヲル君、まさかその葱をそのままお尻に……!?」
(注:この民間療法は実際にあります。試したければ止めません。私はやったこともやるつもりもないし、効果の程も保証できないけど。)
「うらまないでくれたまえ。これも全て君のため、愛こそがなせる技、さあ、痛いのは最初だけだから、勇気を出して…」
「や、やだ!やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ!!!
 シンジが必死に抵抗するが、まだシンジより体格の良いカヲルに、病身の身でかなうわけがない。ズボンがパンツごと剥ぎ取られようとした時…
 ぼかっ!
 ものすごい音と共にカヲルの頭にアスカの踵が落とされる。
「ちょっと、痛いじゃないか…」振り返ったカヲルも、当然アスカの妨害は予想していたが思わずそこに見たものに表情を凍り付かせてしまった。
「あぁぁんんんたぁぁたぁぁちぃぃねえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
 冗談抜きに血管の一本や二本がぶち切れてそうなアスカの憤怒の表情がそこにあった。
「い、いや、これは全てシンジ君のため…」カヲルの弁解など、既に聞こえてるわけがなかった。
「この部屋から、とっとと出てけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
 けたたましく硝子が割れる音と共に、カヲルは窓から蹴りだされていた。暴走状態に陥ったアスカは、そのまま眼前の光景に呆気に取られてるリツコとマヤの方をキッと睨み付ける。
「…あ、そうだ、私、用事を思い出したわ」
 白々しく言うとリツコはそそくさと部屋から出ていく。
「あ、ちょっと待って下さい!赤木センパイってばぁ!!」慌ててマヤが追いかけて部屋から出ていった。
 最後にアスカと二人っきり残されたシンジの方を、アスカがじろっと見る。シンジは脅えて身体をすくませるが、まさか逃げるわけにもいかない。どうしようか、もう四面楚歌の心境だった。
「シンジ…」いきなりアスカがシンジに呼びかける。シンジの身体がびくっと震えた。「私、料理も出来ないし、効果的な治療法なんて出来ないけど…」
 不意にアスカの顔が近づいてくる。シンジは思わずどきっとした。本当にアスカの目が潤んでいる。「ア、アスカ…」
 思わず息を飲む。
「せめて、私に風邪をうつして、よくなって…」
 アスカの表情は、どこか恥じらうような表情になっていた。
「え、いや、うつすって、ど、どうやって…」
 どぎまぎしたままシンジが聞き返す。とたんにアスカの顔が赤くなった。
「その…くち…で…」
 口の中で、呟くように言う。シンジの喉の音が鳴る。
 ミサト達は病院、リツコたちも帰り、カヲルは行方不明。もう邪魔者はどこにもいなかった。
 シンジの身体が震えるようにしていたが、やがてぎこちなくその手がアスカの肩に伸びる。そして少しずつアスカの唇に自分の唇を近づけていった。アスカの目が静かに閉じていく。

 が!

 この話で、そんなに上手くいくわけがない!急にぼろぼろになったドアが倒れて来て、ゲンドウとレイが倒れ込んでくる。
「あ…」思わずゲンドウと目が合ったシンジが口を開ける。ゲンドウの手にはホームビデオが握られていた。
「ちょっとちょっと、おじさん!はやくこっちこっち!」
 ケンスケがドアの外からすばやく入ってきてゲンドウとレイを部屋の外へ引っ張り出した。
「あ、じゃ、お気にせずに続きを…」
 ケンスケがそのままそそくさと出て行く。呆気に取られてその姿を見送り続けてるシンジとアスカの姿を、ドアの外から心配そうにケンスケ、トウジ、ヒカリの顔が覗く。
「あれ?続きはやらないの?」
「そんなもんできるか〜〜〜っっ!!!!」
 アスカがちゃぶ台をひっくり返そうかという勢いで叫ぶ。当然ちゃぶ台などはこの場に、ない。何故ちゃぶ台なのかは書いてる本人もわからない。
「な、な、なんでみんながここに…!?」
 動転しまくったシンジが、今の状況の訳の分からないまま口走る。
「そうよ!あんたたち、ミサトの付き添いで病院に行ったんじゃないの!?」
 ようやく多少なりとも平静を取り戻したアスカが言う。その声に応えるかの様に、地の底から沸き上がるような笑い声が聞こえてきた。
「な、なに?」シンジが言う。
「あ、なんか私、また嫌な予感がしてきたな…」
 アスカが諦観の表情で呟いた。
「ほのほ〜り!わらひれ〜ふ!!」
訳:そのと〜り!私で〜す!!
 床下から床板を跳ね除けてミサトがホームビデオ片手に現れた。
「ミミミミミミミミミミサトさん!!」
 いつまでたってもこの作風になじまないシンジ君が、わざわざ大仰に驚いてくれた。そんなだから君はいつまでたってもみんなにからかわれ続けるんだよ。
「アンタね〜〜!!ジャンキーになって入院したんじゃなかったの!?」
 アスカの怒りに、ミサトに代わってトウジが答えた。
「や〜、それがミサトさん、救急車の中で急に息吹き返して、こっちの方が絶対おもろいからすぐ引き返せ、ゆうてなあ…」
「ほ〜れ〜ふ!」ミサトが相変わらずろれつの回ってない舌で言った。「こんらおもひろひほろ…ららい、ひんゆ〜のいりらいり、らりっれろ〜ら、あふららはんりんりふえろ〜ら…はれ?あふら、あんらひふろらっはろ!?」
訳:そーでーす!こんな面白いこと…じゃない、親友の一大事、ラリッてよ〜がアスカが三人に増えよーが…あれ?アスカ、あんた三つ子だったの!?
 ミサトは身体全体をふらつかせたまま言う。はっきり言って目の焦点が合ってない。
「もーいやー!!なんでいつもいつもこーなるのよー!!」
 しかしアスカの悲痛な叫びは部屋の中の喧騒にかき消されてしまった。
「おじさん、体重かけすぎなんですよ。ちょっと太りぎみなんじゃないんですか?」とはケンスケ。
「私の体重が増えたとしたら、それはレイ、君のご飯がおいしいからだよ」眼鏡を中指で押し上げながらゲンドウが言う。
「も〜やだ!ゲンちゃんってば、みなさんのまえでぇ!!」レイがひたすら照れまくりながらゲンドウの背中を叩く。
「なんだ、もうおしまいなのね…家でドリフ見てた方がよかったな…」ヒカリが残念そうに言う。
「せやからもうドリフの話はええって。ワシはそれよか吉本新喜劇の方が好きなんや…」
 そういうトウジの胸座をヒカリがつかむ。「ドリフを馬鹿にするんじゃないわよ!鈴原!!」
 急にミサトがシンジに抱き着いてきた。
「はれ?しんりゃんほほりんいるぅぅぅ、あふらはんりんりゃひろりはまるはらひろりあらひらほらお〜っろ!!」
訳:あれ?シンちゃんも四人いるぅぅぅ、アスカ三人じゃ一人あまるから私がもらお〜っと!!

 ただアスカだけが部屋の隅で取り憑かれた様にぶつぶつと繰り返していた。
「お約束だわ、お約束なんだわ、お約束、お約束…」アスカの頭の血管が切れる、"ぷちっ"という音がした。「お約束はもういや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」