Ikari Famiry Problem(B side) upbacknext
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アスカがバン、と思いっきり机を叩いた表拍子に弁当箱が小さく踊った。
「そうなのよ!もう変態も変態、ドヘンタイなのよ!!」
アスカの魂の叫びは昼休みの教室いっぱいに響き渡った。
「ア、アスカ、ショックだったのは判るけど、そんなに怒らなくても…ほら、男の子はみんなマザコンっていうし…」
すぐに親友の洞木ヒカリがフォローに入る。
「ヒカリは知らないからそんなこと言えるのよ!あれはもう、マザコンなんてレベルを越えてるわ、変質者よ!」
「まぁ、まぁ、落ち着きなさいよ。愛しのシンちゃんがマザコンでロリコンだったからってそんなに逆上するこたないわよ」
同じく同級生の葛城ミサトがビール片手にからかい調子でちゃちゃを入れた。
「だぁれが愛しのシンちゃんよ!あんなの幼馴みのよしみで一緒にいてやってるだけよ!でももう今度と言う今度こそ愛想が尽きたわ!」
「アスカ、そこまで言わなくても…」
いさめるヒカリの声もアスカには届かない。
「うるさいわね、もう決めたの!」
「幼馴みだったらノーマルに戻すべく努力してあげるのが本当じゃないの?」
ミサトがビールをあおりながら言う。
「愛想が尽きたって言ってるでしょ!」
「そんなこと言って、ほんとは自信がないんでしょ」
ミサトのぼそっとつぶやくような声にアスカがぴくっと反応する。
「…何ですって?」
「だぁかぁらぁ、シンちゃんの母親の綾波レイに女の魅力で勝つ自信がないからそんなこと言って逃げるんでしょ?」
「ちょっと、なんなのよそれ!」アスカがミサトにくってかかる。
「ほら、図星刺されたんで逆上した…」
「誰が逆上してるのよ!第一30近いあんたがなんでピチピチの14の私の同級生って設定なワケ?!納得いかないわよ!」
「仕方ないでしょ、キャストが足りないんだから。そんな細かいこと気にしてると小じわが増えるわよ…」
「お生憎様」アスカは勝ち誇った用に両手を腰に当ててふんぞりかえった。「私はどこかの年増と違ってそんなこと気にしなくちゃいけない必要ないもの」
ミサトの額に青筋が立つ。
「言ってくれるわね、この小娘が」
「第一何真昼間から堂々と学校でビールなんか飲んでるのよ!」
「やーねー、これノンアルコールビアーよ」ミサトは手の平をひらひらと動かして見せた。
「葛城さん、そういう問題でもないんじゃ…」ヒカリがおそるおそる声を掛ける、が、完全に無視された。
「ふん、何言ったってセーラー服の似合わないことに変わりはないわよ」
「そう?結構似合ってると思うんだけど?”月に代わっておしおきよ!”なんちて…」
ポーズをつけるミサトを横目にアスカが呆れたようにため息をつく。
「何バカやってるのよ」
「それはともかく、アスカが綾波レイに勝てないと思ってるんじゃ、まあしょうがないわね」ミサトがゆっくりと首を振る。
「ちょっと、何でそうなるのよ!」
「じゃあ一週間後のバレンタインでシンジ君のハートをゲットできるかしら?」
激昂したアスカが再び机をバン、と叩いた。
「ミサトにそこまで言われたんじゃ女の面子が立たないわ!私が女の意地にかけてバカシンジをまっとうな道に戻してみせるわよ、みてらっしゃい!!」
「ちょっと、アスカぁ落ち着きなさいよ。葛城さんもなんで火に油を注ぐようなこと言うんです!」
ミサトは悪戯な笑みを浮かべて答えた。
「あらー、だってその方が面白いじゃない」
ヒカリが教室中に響くような深いため息をついた。

君の家庭の
     事
     情

後編 決戦、聖バレンタイン

「で、ありまして、すなわちそれがジャイアントインパクト…」
教室につまらない教師の講義の声が響き渡る。もはやそれは催眠音波となって教室の大半を眠りへと誘ってしまっている。
起きているものもマンガを読んでいたり、早弁を食っていたりする。
そんな中でシンジは真面目にカリカリとノートを取っていた。
『なぁなぁ、碇』
後ろの席に座っていたケンスケがシンジの後ろ頭を鉛筆で突つき、小声で話し掛ける。
『ちょっと、今授業中だよ』
シンジがこれも小声で抗議の意を表す。
『なぁ、碇、あの噂、本当なのか?』
『噂?何の?』
『お前、マザコンのロリコンの近親相姦志願者なんだって?』
シンジが思いっきり頭を机にぶつける。教室中にその音が響き、皆がシンジの方を見る。
「あ、あ、なんでもないです!」
シンジは慌てて不信そうに見る教師に取り繕う。そしてまた小声でケンスケに話掛けた。
『な、なんだよ、その噂は!!』
『いやー、あの母親じゃ無理もないけどな。でも近親相姦はヤバイよ』
『ちょ、ちょっと待ってよ』
『あ、ワシも聞いたで、その噂』隣に座っているトウジが話に加わる。『母親を押し倒して胸まで揉んだっちゅうやないか』
『ちょっと!二人ともそんな話、どこで聞いたんだよ!』
『どこって、みんな知ってるよな…』ケンスケがトウジに視線を送る。
『…なぁ』トウジが相づちを打つ。
その時教室の扉ががらっと開き、少女の声が響き渡った。
「それはこの私が噂をばらまいたからよ!!
そこには一人の少女が仁王立ちでふんぞり返っていた。
「この惣流アスカ様がわざわざ幼馴染のために学校中に噂をばらまいてやったのよ!」
[ア、アスカ…」シンジが呆気に取られる。
「マザコンでロリコンで近親相姦志願の変態三重苦のアンタを社会復帰させるべく、心を鬼にして愛の鞭をふるってるのよ!!」
「あ、あのアスカ…」
「いくら鈍感のアンタでも、流石に周りの視線が痛いでしょ!その痛みが、アンタをまっとうな道へと引き戻すのよ!」
「それよりアスカ…」
「何よ、この幼馴染の思いやりになんか文句でもあるの?!」
「い、いや、そうじゃなくって…」シンジがたじろぎながら答える。
そのとき、ポンポンとアスカの肩を叩く者がいた。
「何よ、うるさいわね!今取り込み中よ!!」そう言いながらアスカが振り向く。
アスカの振り向いた先に立っていた老教師が恐る恐る話し掛けてきた。
「…あの、今授業中なんだが…続けていいかね?」

「おや、碇所長。お帰りですか?」
通りすがりの研究所員が碇ゲンドウに声をかける。
「うむ」短く答えながら帰宅の歩を続けるゲンドウ。そのゲンドウを物陰から見続ける影があった…。
「碇所長…」その人影は呟いた。「私がこんなに想ってるのにどうして気づいてはくださらないの?」
髪を金髪に染め、泣き黒子が印象的な白衣姿のその女性、人工進化研究所所員・赤木リツコはじっと食い入るようにゲンドウを見つめ続けた。
「カタブツ女と思われ続け十ウン年、この私があなたへの想いにこんなにも身を焦がしてるというのに…例え家庭もちでもいいわ。あなたとなら背徳の世界へでも愛の逃避行でもいくらでもご一緒するのに…でもあなたは愛のさめた家庭へと帰ってしまうのね…あぁ」
「あのー赤木先輩?」
後ろから急に声をかけられてリツコはびくっとした。
声をかけてきたのはショートの大人しそうな後輩研究所員、伊吹マヤだった。
「こんなとこで何なさってるんですか?」
「マヤちゃん…」
「は、はい…?」
急にアオリで迫ってきたリツコにマヤが脅える。
「今私が何か言ったか聞いたかしら?」
「え?…聞いたかしらって先輩、こんな大来で大声でしゃべってたじゃ…」
「な・に・か・き・い・た・か・し・ら?」
マヤが顔を真っ青にして首を振る。
「い、いえ、な、何も聞いてないです。ハ、ハイトクの世界だとか愛の逃避行だとか家庭もちでもいいとかなんてこれっっっぽっちも聞いてないですっっ!!!」
「そう、ならいいわ」
マヤが安堵のため息を漏らし話題を切り替える。
「そ、それにしても碇所長、今日もお早いですね」
リツコがふうっとため息をつく。
「そうよね、家に帰ったってトドのような中年ババァが待ってるだけだってのに…」
「あら、でも碇所長、愛妻家で有名なんですよ」
リツコの眉がぴくっと動く。
「…その話、本当?」
「え?先輩ご存知なかったんですか?」
「もっと詳しく聞きたいわね…」リツコの手がマヤの手首を掴む。
「わ、私もそんなに詳しくは知らないですから…」
マヤはすっかり脅えきっている。
「あら、こんなところにVXガ○のスプレーが…」
リツコは白衣のポケットから髑髏マークのついたスプレー缶を取り出した。
「…」
「なんかすっごくマヤちゃんの顔の前に吹き付けてみたくなったわ…ぷしゅっとね」
「い、言います言います、言っちゃいます!噂では見た目がすごく若くって出社前と帰宅の時にはキスなんかもしちゃってるらしいですよっっっ!!」
「キ、キス?!いい年してそんなことを!!」
「そ、そうですね」
「許せないわ!」
「そ、それじゃ私はこれで…」
そそくさと立ち去ろうとするマヤの襟首をぐいっと掴む。
「それで私とその奥さんとどっちが魅力的かしら?」
マヤが困った様子を見せる。
「そんな事言われたって、奥さん見たことないし、赤木先輩ももう三十の大台…」
「マヤちゃんはマスタ○ドガスがお好みかしら?それともサ○ン?テトロド○キシン?やっぱりボツ○ヌス菌の静脈注入かしら?」
「も〜〜〜っダンゼン赤木先輩っっっ!若さ、美貌、才能、閨技どれをとっても赤木先輩の勝ちっっっ!!!」
「あ〜ら、マヤちゃん、それはちょっと言い過ぎってものよ…ちょっとだけね。オ〜ッホッホッホ…」
高笑いを挙げるリツコの横でマヤが疲れきったため息をついた…。

「とは言えやっぱり気になるものは気になるわね」
残業を全て伊吹マヤに押し付けて、碇ゲンドウの跡をつけてきたリツコが呟いた。
駅前の商店街を歩くゲンドウを、電柱の影からじっと見守っている。
「ともかく所長の奥さんがどんなにみっともない若作りのババァか見届けなくては安心して愛の逃避行ができないわ」
「あら、ゲンちゃん。今お帰り?」
リツコが見守る中、ゲンドウに急に声をかけて来た少女がいた。手には買い物篭をぶらさげている。
「うむ、いまから帰るところだ」
(何かしら、あの娘?)リツコは疑問に思った。(娘さん…はいなかったはずだし、近所の娘かしら?)
なおも少女はゲンドウに話し掛け続ける。
「お仕事大変でしたでしょ?ゲンちゃん」
(いずれにしても馴れ馴れしい娘ね。私の碇所長に!)
「なに、君の笑顔を見れば疲れも吹き飛ぶさ…」
「いやねぇ、ゲンちゃんってば!」
そう言って笑いながら昇竜拳をゲンドウめがけ放つ。
(何?!あの小娘?!!碇所長にあんな色目を使うなんて!!)
リツコの殺気を含んだオーラに通りすがりの主婦たちはぎょっとした様子でリツコを見つめる。しかしそれでも二人はリツコに気づいた様子がない。
吹っ飛ばされたゲンドウは鼻血を垂らしながら眼鏡をずり上げ、平然とした様子を崩さずに聞いた。
「ところでシンジはもう帰ったのかね?」
「いえ、もうすぐ帰ってくると思いますけど…」
そこへジャージを着た少年、眼鏡を掛けた少年と共に大人しそうな少年が話をしながらリツコの脇を通り二人のいる方向へ歩いていった。
「あらぁ、シンちゃん」
少女が少年に声を掛ける。声の主に気づいた少年は嬉しそうな表情を見せる。
「あ、綾波!」そしてそのすぐ隣にいる人物に目を向け、表情を曇らせる。「なんだ、父さんも一緒か…」
(ふーん、あれが碇所長の息子さんね…)
リツコは少年に目を向ける。頼り甲斐の有りそうな(とリツコには映る)ゲンドウと違っていかにも頼りなさそうな少年だ。
「なんだはないでしょ、お父さんに向かって!」少女が少年を叱り付ける。「それに名字で私を呼ばずに、ちゃんと”お母さん”って呼びなさいっていつも言ってるでしょ!」
(○◆◎×▼〒μ□●△〜っっっ!!!)
リツコが必死で叫びそうになるのを押さえる。
(な、な、な、なんですって〜〜っっっ!)じっと少女の方を見る。どうみても少年と同い年以上には見えない。(じゃ、じゃ、あれが碇所長の奥さん?!)
リツコは必死で自分を落ち着かせようとする。しかし慌てるあまり、別の人影が自分と同じように彼らを物陰から見つめているのに気がつかなかった。
(れ、冷静になるのよ、リツコ!きっと後添いか何かだわ、そうに決まってるわ!)
「碇のおばさん、こんにちは〜!」シンジを押しのけて、ジャージ姿の少年、トウジが綾波に挨拶をする。
「あら、鈴原くん、でしたっけ?こんにちは」
「いや〜いつ見てもお若いですね」
脇からケンスケが口を挟む。
「あらやだ、相田くん、こんなおばちゃんに向かって」
「いえいえ、そんなことないですよ。人妻でなければ彼女にしたいくらいですよ」
ケンスケが怪しげに眼鏡を光らせて言う。
「せや、これでホンマにシンジの実のかぁちゃんとはとても思えへんで!」
「も〜二人とも上手なんだからぁ!」
綾波レイは照れながらも二人に百烈張り手を浴びせる。
しかしリツコにはすでにそんな光景は目に映ってなかった。
(そ、そんなバカな…理論上ありえないことだわ、あんな大きい息子の母親があんなに幼いなんて…いえ、それはともかく…)
すくっとリツコは拳を握り締めて立ち上がり、大声で叫んだ。
「許せないわ、私の碇所長にあんなにべたべたするなんて!」
「許せないわ、私のシンジにあんなにべたべたするなんて!」
リツコと同時に立ち上がったポリバケツの物陰の人影が叫んだ。
「あら?」リツコは声の方向を向いた。
「え?」声の主…惣流アスカもリツコの方を向いた。
「あなたひょっとして?」リツコが声をかける。
「もしかしたらあなたは…」アスカが答える。
二人の頭の中に瞬間的に女の打算が走る。
「私たち…」
「お友達になれそうね」
二人はしっかと手を握り合う。
(この小娘を利用して…)リツコが考える。
(この年増女を利用して…)アスカも考える。
(綾波レイを亡き者にすれば!)
「うふふふふ…」
「くっくっくっ」
商店街の衆人環視の中、二人の笑い声が響き渡った。

「で、具体的にどうするワケ?」
アスカとリツコの二人は意気投合し、喫茶店で具体的なプランを練っていた。
「そうね、とりあえずこれなんかどうかしら?」
そう言ってリツコはポケットから小さなカプセルを取り出した。
「なによ、これ?」
アスカがテーブルに置かれたカプセルを手に取る。
「これを綾波レイの食事の中に入れるのよ」
「入れるとどうなるの?」
アスカが聞き返す。
「そうね、ものの一秒といらないわね、ころっと逝っちゃうのに」
アスカが口に含んだコーヒーを吹き出す。
「ちょ、ちょっと…」むせ返りながらアスカが言う。
「耳掻き一杯で象だってイチコロよ」
「も、もうちょっと穏便な手はないかしら?」
リツコが意外そうな顔で聞き返す。
「あら、気に入らなかった?」
「当たり前よ!殺人犯にされてたまるかってのよ!」
「じゃ、綾波レイを拉致監禁してシャブ漬けにして香港辺りに売り飛ばすってのはどうかしら?」
アスカが絶句した。
「…もう少しだけ穏便な手は?」
「このプランも気に入らないの?我が侭な娘ね…」リツコが困った様に言う。「じゃぁ、取って置きのがあるわ」
そう言って今度は薬の小ビンを取り出した。
「まぁた毒薬じゃないでしょうね?」
アスカが恐る恐る聞く。
「いえ、今度のは違うわ。この薬は微量の経口投与により脳内のA10細胞に劇的に作用するという画期的な薬で、その作用は薬の作用後の視覚神経野や松果体との相互作用により特定の人物認識、刺激に対してのA10細胞のドーパミン活性を増幅させるというもので…」
「つまりなんなの?」アスカがいらついて尋ねる。
「つまり惚れ薬ね、極めて俗に言うならば」
「それよ!そんないいものがあるならさっさと出しなさいよ!」
ところがリツコは突然ためらいがちになった。
「いえ、ね、でもちょっとね…」
「なによ、まさかほんとは毒だってんじゃ…」
アスカが不安そうに聞く。
「いえ、生命に対する危険はないわ。それは保証するわ」
「効き目が薄いとか?」
「いえ、それもないわ。それを飲ませば90のじいさんだってビンビンよ」
「ビンビンって…まぁいいわ。それなら問題無いわ。これ、使わせてもらうわね」
嬉しそうに小ビンを手に取るアスカをリツコが複雑な気持ちで見つめていた。
(ま、問題無いってわけじゃないけど、私は彼女の結果を待ってから使えばいっか)
アスカはリツコの表情に気づかず、無邪気に喜んでいた。

「ごめんねヒカリ、こんなこと頼んじゃって」
高台にある洞木ヒカリの家を訪ねたアスカがヒカリに謝った。
「ううん、いいのよ。どうせコダマお姉ちゃんやノゾミの分も作らなきゃいけないんだし、手伝ってもらえるならありがたいわ」
「今年は手作りでいきたいし、シンジならこういうのも得意なんだけど…」
「まさか碇君にあげるチョコを碇君に手伝ってもらって作るわけにはいかないものね」
「でもやっぱあたしはお酒の方がうれしいと思うんだけどね…」
一緒についてきた葛城ミサトがぼそっと呟く。
「それはミサトが、でしょ?文句あるならついてこなくていいわよ!」
アスカが不機嫌そうに言う。
「そんなこといわずにぃ、こんな面白そうなことに混ぜてもらわないテはないじゃない?」
「いいじゃない、みんなで作った方が楽しいわよ、きっと」ヒカリが言う。いつもは三人の中で主導権を握ることが少ないので珍しい。「それに今年は私も…」
「私も?」アスカがじっとヒカリの顔を見詰める。
「え?いや、なんでもないわよ!」はっとしてヒカリが言う。
「それよりさっさとはじめましょうよ」ミサトが促す。
「そうね、まずチョコを溶かして」
「ほいな」ミサトが威勢良く答える。片手に鍋を握り、コンロに掛けようとする。
「ちょっと待って、葛城さん!」
急に不安な思いに駆られたヒカリはミサトを止め、鍋の中を覗き込む。鍋の中にそのままチョコが入ってるのを見て、思わずため息をつく。
「え?何?何か変?」ミサトがヒカリに聞く。
「あのね…」ヒカリが呆れたように口を開く。「チョコってのは普通湯せんにかけて溶かすの」

ほぼ三時間後、ミサトが足を引っ張りまくったが何とか形になったチョコが出来た。
「ま、苦労した甲斐はあったわね」ミサトがチョコで真っ黒になった手で額の汗を拭う。
「その不格好なチョコがぁ?」
アスカがからかう様にミサトの手の中のチョコとは思えない形の物体を見つめて言う。
「なによ、見てくれは悪くたって味は…」そう言ってチョコを一噛りする。とたんにむせ返った。「…ともかく、要は気持ちよ!」
「甘いわね、ミサト、そんな時代遅れの精神論じゃ今時男の心を掴むなんてできないわよ!」
「なによ、ずいぶんと自信ありげじゃない?」
ミサトが不服そうに言う。
「まぁ見てなさいって。二人にもいいものを後で分けてあげるから…」
アスカが満面の笑みを浮かべて言った…。

「おい、聞いたか?明日の話!」
ケンスケが教室に飛び込んできてシンジとトウジに向かって言った。
「明日の話って…なんや?」
トウジが怪訝そうに聞く。
「明日、校内で一斉に校門、及びその他出入り口からの不審者出入り取り締まり、及び持ち物検査だってさ!」
「なんやてぇ?!」
トウジが叫ぶ。それをきょとんとした様子でシンジが見つめる。
「それが、どうしたの?」
「それがどうしたやてぇ?」
「碇、明日が何の日か判ってないんじゃないのか?」
「明日?14日だろ?」
「バレンタインだよ!」
あぁ、とシンジが納得する。
「カーッ!ただでも男子校やっちゅうのに、向かいの女子校からの出入りもストップさせられたらこら絶望的やで!」
「最近、向かいの女子校から勝手にこっちに来る生徒が増えたから、それが職員会議で問題になったらしいんだ」暗にアスカのことを言ってるらしい。「あ〜あ、また今年も母ちゃんからの板チョコだけか」
「別にいいんじゃないの?」シンジがぽつりとつぶやく。
二人はじっとシンジを見た。
「そらお前のお袋さんは若くてベッピンやからええやろけどな」
「そうそう。ま、近親相姦志願者には所詮オレらの気持ちはわからないよ」
「なんだよそれ」シンジが膨れっ面になる。
「ま、下手に男子校でチョコなんか貰ったらひどい目に合うのは目に見えとるけどな」
「はは、そりゃそうだ」
シンジは笑ったが、彼は翌日自分の身に降りかかる惨劇にまだ気がついていなかった…。

「ちょっと、明日は校門の取り締まり一斉強化って何よ、それ!」
アスカがまた教室で吠えた。
「ちょっと、アタシに言わないでよ」
ミサトが耳を押さえて言った。ヒカリが後を続けた。
「なんでもね、最近こっちからの生徒の出入りが増えて問題になってたところへ最近授業中にまで乗り込んでった女生徒がいるらしくって、向うの学校の職員会議でそれが取りざたされたらしいのよ」
アスカの額に冷や汗が流れる。
「へ、へぇ、そんなのがいたんだ…」
ミサトがにやにやとアスカを見つめる。
「ホンット、どこのバカかしらねぇ」
「うるさいわね!それだったら登校前か、放課後に渡せば…」
「登校前は駄目なのよ」ヒカリが言った。「持ち物検査もするらしくって、見つかれば没収されちゃうのよ」
「じゃ、放課後…」
「ばかねぇ」ミサトが呟く。「アンタ、バレンタインを甘く見てるでしょ」
「何よ、それ!」
「チョコの受け渡し合戦ってのはそれはそれは熾烈なものなのよ。僅差で渡すタイミングの遅れが命取りになったカップルだってあるのよ」
「そ、そうなの?」アスカがぐっと身を引く。
ミサトの脅しは更に続く。
「シンジ君はわりとポイントたかいわよ〜。それに男子校だと思わぬ伏兵だっているしね」
「伏兵?何のこと?」
「馬鹿ねぇ、女の子が好きな男の子だけじゃなくって、男の子が好きな男の子だって世の中にはいるでしょ?シンジ君、そういうのに好かれる顔立ちしてるしね」
「ちょっと、脅さないでよ」
「冗談じゃないわよ。一度男子校で男子からラブレターやバレンタインのチョコを貰ったが最後、貰った当人はその気がなくても、周りがほっておかないわよ。ま、死刑宣告を受けたのとおなじね」
「そ、そんな…」アスカはくらくらと目眩を感じた。
「でも、ま、私たちが協力してあげるから大船に乗った気でいなさい」
ミサトがニヤリと笑った。

「と、いうわけで、生徒諸君、残念だが今日のチョコは諦めてくれ」
バレンタイン当日、シンジのクラスの担任の加持リョウジの声は、一斉のブーイングに半ばかき消されてしまった。
「そういうなよ、俺が決めたわけじゃないんだ。俺としても何とかしてやりたいんだが、こっちも雇われの身でね…じゃぁな」
そう言うと加持はそそくさと教室を出ていった。
「あ〜あ、今年も絶望的か…」
ケンスケがうなだれる。
「ま、どうせ貰えるあてなんぞあらへんから、悔しゅうなんかあらへんけどな」
トウジが負け惜しみを言い、そして自分の言葉に思わず肩を落す。
「いいよな〜シンジは、変態で」
「なんだよ、それ」シンジがむっとする。
「せや。意中の母ちゃんからチョコ貰えるんやからな。もっとも、おばさんの本命チョコはおまえんとこの親父さんだろうけどな…」
シンジが肩を落す。「そんなこと言わなくたっていいじゃないか…」

「だからぁ、ほんとに身内のものなんですってば…」
校門の前で教師と押し問答をしている少女の姿があった。
「君、つくならもうちょっとましな嘘をつきなさい。第一今日は平日だろう?学校はどうしたのかね?…」
「ですから2年A組の碇シンジの母ですってば…」
そう言って免許証を見せる。教師はそれを一瞥した後、げっという表情になる。
「…信じられん…」
「それじゃ失礼致します」
そう言って綾波レイはいそいそと校門の中に入っていく。
それを窓から見ていた生徒の一人が見つけた。
「あれ?誰?あの娘?」
「かっわい〜」
「よく校内に入れたな…」
「なんか2Aの碇の母ちゃんらしいぜ」
「げっマジかよ!」
学校中が蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
綾波はそんな騒ぎをよそに、つかつかとシンジの教室へと入っていく。
「シンちゃんいる〜?」
教室中がわーっと騒ぎ出す。
「ねえねえ、彼女、お茶しない?」
「旦那なんか捨てて僕とつき合おうよ〜」
「ちょっと待ってよ!」シンジが声をあらげる。「人んちの母さんに何やってるんだよ!」
その瞬間、教室中の嫉妬の視線がシンジに集中する。
「このマザコンが、いっちょまえに〜!!」
「お前んちの母ちゃん、おれんちのと取り替えろ〜!!!」
シンジにわっと人が群がる。
そんな中、つかつかと綾波がシンジに近寄るとさっと人の群が分かれ、道が出来る。さながらモーゼの十戒だ。
「シンちゃん、またお弁当忘れたわよ、はい」シンジに弁当の包みを渡す。「あ、それと、家に帰って来たらチョコレート用意してあるから楽しみにしててね」
そう言ってウィンクをして見せる。
「みなさんもウチのシンちゃんをよろしくお願いしますね」
「はーいっっ」
教室中が一斉に答える。シンジに群がった者は、みな不自然な作り笑顔でシンジの手を握ったり頭をなでたりしている。
綾波レイはそれを見て安心したのか、入ってきた時と同じようにつかつかと教室を出ていった。その瞬間…
「ちきしょー、碇ぃあんな可愛い娘にチョコが貰えるなんて!!」
「なんだ!こんな弁当なんか食ってやる!」
「ちょっと止めてよ!」止めよとするシンジを無数の手が押えつける。
「俺、このタコウィンナーもーらいっと」
「だったらワシはこの兎のリンゴや!」
「ちょっとやめてくれよ!」シンジは叫んだが、すぐにまた無数の手によって押え付けられた。
「それにつけてもいいよな〜、シンジは!」
「俺なんか母ちゃんからのチョコだけだぞ!!」
あれだって母さんだ、というシンジの抗議は首を締められてついに発せられることがなかった…。
そのニュースは瞬く間に学校中に広まった。
「なんだと?!碇の奴、変態のくせになまいきな…」
「なんでも惣流アスカってガールフレンドまでいるらしいぞ!」
「むむ…母親からのチョコは涙を飲んで我慢してやるとしても、あんな母親の胸をもんだ変態に人並の幸せを味あわせてはいかん!なんとしても阻止するんだ!」
チョコの貰えない暗い結束力によって全校生徒による「対惣流アスカ・碇シンジチョコ受け渡し阻止委員会」がたちまち結束された。

「ちょっと〜、なんか警戒が異常に厳しくない?」物陰からじっとシンジの学校の校門の様子を探っていたアスカがミサトに言った。
「なんか自警団紛いのやつらまで出てきてるみたいよ」
ミサトがけろっとした様子で言う。
「自警団?!」
「なんかアンタがシンジにチョコ渡すのを阻止しようってハラらしいわよ」
「…なんって暗い青春なの…」
「それじゃ、チョコなんて渡せないんじゃ…」
ヒカリが不安そうに言う。
「ま、作戦部長のアタシにまっかせっなさいっ!」
ミサトが胸を張って言う。
校門の辺りで動きがあった。見張りの教師に別の教師が話しかける。教師同士がわずかばかり話しをしたかと思うと、今まで見張りに立っていた教師は校舎の方へと戻っていった。
「チャンスよ」ミサトはつぶやき、校門の方へと近付いていく。
交替で見張りに立った加持リョウジは自分を小声で呼ぶ者がいるのに気付いた。
『加持、かーじってば!』
声の方向を見るとセーラー服姿の葛城ミサトが校門の脇で手招きしているのに気付いた。
「なんだ、葛城じゃないか。どうしたんだ?まだ授業中じゃないのか?」
『声が大きい!ちょっと頼みがあるんだけど…』
「悪いが、チョコの受渡しのことだったら俺は何も出来んぞ」加持がミサトに牽制を加える。「俺も一応教師なんでね」
『そんなこと言わずに、ね?』
「うーん、そう言われてもな…」加持が困った様な顔をする。
『こんどさ…』ミサトが加持の耳に口を近付け、何事かごにょごにょとつぶやく。『…ってなことしてあげるからどう?』
「いや、でもなぁ…」
いささか気持ちがぐらついてる様だが、まだ渋っている。
『だったら…』また加持の耳に何事か囁やく。『…ってなもんでどうかしら?』
「…よし、わかった。そこまで言われちゃ、な。じゃぁ俺の方は上手いことシンジ君を予定の場所へ送り込むから、そっちもうまくやれよ」
『OK、サンキュ、加持』ミサトはそう言って立ち去ろうとして、ふと思い出したようにまた加持の方へと戻った。『そうだ、コレ』
そう言ってミサトは小さな包みを加持に差し出す。
「ん?なんだ?」
加持が不審そうに包みをのぞき込む。
『こころばかりのお・れ・い。じゃぁね』
ミサトは加持の手に包みを押し込むと、逃げるように立ち去った。
「これで万事OKよん」
アスカとヒカリの元に戻ったミサトは指でOK、のマークをつくった。
「なるほどね、向うの教師を味方に丸め込むわけね」
アスカが感心したようにうなった。
「でも葛城さん、いつのまにここの先生と?」
ヒカリが疑問を素直に口にする。
「それはいいから、予定の場所へ移るわよ」ミサトは照れ笑いをした。

一方加持は、早速包みを開いていた。
「ん?チョコレートか…」
中から出てきたいびつなハート型のチョコを見てつぶやく。
「あいつも女の子らしいとこ、あるじゃないか…」そう言って一口分、口の中に放り込む。とたんに顔がしかめっ面になった。「…料理の腕は相変わらずだな」

「2年A組、碇シンジくん、碇シンジくん、加持先生の元へ、至急来て下さい…」
授業中、校内放送が響き渡る。
「なんだろ…?」
シンジが首をかしげる。
「なんや、シンジなんかやったんか?」
トウジの言葉に首を振って否定の意を示す。
「…至急来て下さい」
放送の声に促され、シンジは教室を出ていった。
その後ろ姿をケンスケの視線が怪しく追っていた。

「…よう、来たな」
職員室で机に足をのっけて加持がシンジを迎えた。
「なんなんですか?先生」
シンジが不安そうに聞く。
「驚かずに聞いて欲しい」加持がいつになく真面目な顔で言った。「実は君のお母さんが倒れられてな…」
「え…!?」シンジの顔が蒼白になる。
が、加持はそんなシンジを見てにやっと笑った。
「…と、いうのは冗談だが…」シンジの耳元で加持が囁やく。
「冗談?」シンジはほっとすると同時に不機嫌になる。「言っていい冗談と悪い冗談とが…」
「まぁまぁ」加持はそんなシンジをたしなめる。「たしかに悪かったが、君のお母さんが倒れたと言うことにしておいて、ちょっと行って欲しい所があるんだ」
「え?」

「あれぇ?あれ碇じゃないか?」窓から校外へ出ていくシンジを見て誰かが言った。「早引けか?」
「なんでも碇の母ちゃんが倒れて早退なんだと」
「ってことはあの母親の看病か?!うらやまし〜!」
嫉妬と羨望の声が響く中、ケンスケのメガネが怪しく光った。
「…怪しいな」
「え?」教室中がケンスケに注目する。
「よく考えてみろよ。朝に来た碇の母ちゃん、あれが倒れる病人の顔色かい?これには何か裏があると見た」
「裏って…なんや?」トウジが突っ込む。
「はっきりとはいえないけど、ひょっとしたらアスカがからんでるかも…」
教室中が騒然となる。
「っちゅうことは白昼堂々校外で逢引?!」
「許せん!断固阻止せねば!」
「おい!すぐに委員会に連絡だ!!」

シンジ校外脱出の報は瞬く間に学校中に広まった。
学校内の生徒殆んど全てがシンジとアスカの逢瀬を邪魔すべく、校門前に大挙した。
「こ、こら、お前ら!まだ授業中だぞ!」
押し寄せる生徒の群を押しとどめるべく、教師が必死の説得を試みた。
「うるさい!碇一人に良い目を見せてたまるか!」生徒の誰かが叫ぶ。
「お前ら、集団ボイコットするつもりか?!」
「教師になんか、俺たちの青春の叫びが判ってたまるか〜〜!!!」
駆けつけた教師たちの増援も虚しく、教師一同は野獣と化した生徒たちの群に校門ごと吹き飛ばされた。

わざと遅れて駆けつけた加持が校門前に来た時には、既に無惨な教師たちの姿と見る影もなく破壊された校門があるのみであった。
「ま、こんなことになるんじゃないかと思ったが、これも運命だ。シンジ君、頑張れよ」

加持が遠い空の下から無責任な声援を送っている時、シンジは一人公園への道をてくてくと歩いていた。
「…もう、加持先生ったら、自分で行けばいいのに、なんで僕に行かせるのかな…」
シンジはブツクサ言っていたが、それもそのはず、加持にはただ加持の用事で代わりに公園に行くように、と言われただけだった。もちろん公園で待っているのはアスカたちであるのだが、シンジはそんなこととはつゆ知らない。
「あ〜っと!碇発見!」後ろから急に声がした。
シンジが振り向くと血相を変えたケンスケが息を切らせて立っていた。
そのとなりにはトウジが立っていた。
「お〜い!シンジや、ここにおったで〜!!」
どこか遠くにいる誰かに呼びかけている。
「あれ、ケンスケ、トウジ、授業はどうしたの?」
あからさまに不審な二人の態度にもシンジは疑いを抱くことがない。
「よくもまぁぬけぬけとしらをきれるな!」トウジがにくにくしげに言う。
「ごまかすなよ、碇!ネタは割れてるんだ!!」
「ネタってなんの…」
シンジはまだ状況を掴めずに戸惑っている。
「じゃぁ聞くけど、こっちはお前の家の方向じゃないだろ?母ちゃんの看護はどうしたんだよ?」
「え?…そ、それは…」
ケンスケの追求にシンジは言葉を濁す。
シンジが慌てたのは単に加持に頼まれたとは言え嘘をついて授業をさぼったことが後ろめたかったからだけなのだが、疑いの目で見ているケンスケとトウジにはそれが決定的証拠に映った。
「やっぱりアスカと逢引だな?!」
「は?」シンジはあっけにとられる。
そのとき全校生徒で結成された「対アスカ・碇シンジチョコ受け渡し阻止委員会」が駆けつけた。
「おいっ!やっぱり碇はクロだったぞ!」
ケンスケが生徒達に向けて話す。
「碇シンジ許すまじ!」
「すまきにして河に放り込め!」
「いや、バラバラにして犬に食わせろ!」
「それより病気持ちの夜鷹抱かせて…」
尋常ならざる気配を感じ、シンジはたじろいだ。
「な、何なんだ?いったい…」
鈍いシンジもようやく身体の危機を感じ始めていた。
「とにかく、かかれ〜〜!!」
ケンスケの号令を合図に暴徒の群がシンジに襲いかかろうとしたいままさにその時、暴徒たちの真中から急に煙が立ち登り、彼らをたちまちに包み込んだ。
「なんだなんだ?!」
シンジはまた状況が掴めずに煙の傍らで呆然とする。そんなシンジの手をぐいっと引っ張る者がいた。
「ん?うわっ!」
シンジはその人物の方を見て叫び声をあげた。セーラー服を来た、ガスマスクをつけてセーラー服を来た人物がそこにたっていた。違和感のあることこのうえない。
「ごめんごめん、ちょっち驚かしちゃったかな?」
その人物はそう言ってガスマスクを外した。
「…ミサトさん!」
ガスマスクの下から現れた見覚えのある意外な人物の顔に驚嘆の声をあげた。
「ま、こんなことじゃないかと思って来てはみたけど、やっぱりね」ミサトは煙の中でむせかえる集団を一瞥した。
「ミサトさんがどうしてこんなところに?」
シンジが疑問を口にした。
「そんなことは後々。行くわよ、シンジ君」
「でも…」シンジは苦しそうに煙の中でむせかえる暴徒の方を見た。「大丈夫なんですか?」
「だぁいじょぶよ。ただの発煙筒だから。でもちょっち…」ミサトは指でちょこっと、というジェスチャーをした。「トウガラシの粉を混ぜてあるけどね」

ミサトに手を引かれ逃亡するシンジに、手製催涙弾からのがれた生徒たちがなおもシンジを追い続けた。
「ったくもう、しつこいわねぇ!」
ミサトがつぶやく。そんなこんな
している内に長い登り勾配にさしかかった。
「しめた!」暴徒のうちの一人が言った。「碇は体力がないから追いつくチャンスだぞ!」
事実、坂の半分ほどで碇は既に息も絶え絶えという感じになってしまった。
「ったくもう、体力ないわねぇ!」
「す、すいません。ハァハァ」
「しかたないわ」ミサトは坂の上の方に視線を向けた。「ヒカリ、トラップD−17作動!」
そう叫ぶとシンジをつれて道の脇へと寄った。
坂下の生徒たちはその様子を不審がったが、間もなくその行動の意味が判った。

ごろんごろん…

大きな音を立てて坂の上から無数のドラム缶が転がり落ちてきた。

「!!」
暴徒たちは驚く間こそあれ、次々転がり落ちるドラム缶の餌食になっていった。
「ほんとにいいんですか?こんなことして」
シンジがおそるおそるミサトに聞く。
「だいじょぶじょぶ。死にゃしないわよ、このくらいじゃ」
下手すりゃ死ぬよ、と思ったがその一言は結局言い出せなかった。
「ご、ごめんなさい。ほんとにごめんなさい…」
坂の上にくると、ドラム缶を落した帳本人のヒカリが必死で坂の上の暴徒に小声で謝っていた。
「ヒカリ、ぼさっとしない、さっさと行くわよ!」
ミサトはヒカリの襟をつかんでさらに逃亡行を続けた。

追手の群れはなおも執拗に続く。再び追跡者との距離は縮まっていった。
「仕方ない、一度やりすごすわよ!」
そう言ってミサトたちは裏路地に入り込み、じっと息を殺した。
息を潜める彼らの目の前をどたどたと生徒達の一行が駈け過ぎていく。
「ひとまず安心ね…」
完全にやり過ごした後、ミサトたちは安堵して表通りへと出ていった。
「変だぞ?」生徒達と一緒にシンジを追っていたケンスケが呟いた。「ミサトさんの匂いが消えたぞ…」
そう言って宙を嗅ぐ。
「しまった、やり過ごされた!戻るんだ!」
一心地ついているミサトたちは地響きのような異様な気配を感じた。
「何で?!見つかるにはまだ早いのに!」
取り敢えずシンジとヒカリの手を取ってミサトは追手と反対方向へ駆け出した。
「おおい!ミサトさんの匂いはこっちだぞ!!」
ケンスケが群集を指示する声が聞こえて来る。
「…犬か?!あいつは!」ミサトは息を切らせながら悪態をつく。
「あいつ、ミサトさんの隠れファンだから…」
シンジが苦しそうに言う。
「ともあれ、あれをなんとかしなくっちゃいけないみたいね」
ミサトは急に足を止め、くるりと群集の方へ体を向ける。
ポケットからごそごそと何かを取り出した。
やがてケンスケを戦闘にした追跡者の群れの姿が現れてくる。
「ミサトさん、危ないよ、早く!!」
シンジが急かすがミサトは直立不動の姿勢でじっと群集を睨む。
「相田くーん!」そう叫びながら右手を振り上げる。「うけとってー!!」と、同時に振り上げた手から小さな何かをケンスケめがけ投げる。
それはミサトの掛け声に”へっ?”という表情になったケンスケの額に一度跳ね返り、ケンスケの手の中にみごとナイスキャッチされた。
ケンスケは自分の手の中に飛び込んできたものをまじまじと見つめる。小さな包み紙。ウィスキーボンボンの包み紙だった。
「ミサトさんのチョコだぁ!」
ケンスケの顔ににやけ笑いが広がる、が、その瞬間ケンスケの背中に突っ込みの蹴りが入った。
「いってーな!何するんだよ!」地面に倒れたケンスケが文句を言う、が、背後の集団の嫉妬に狂った視線に気づくとたちまち萎縮してしまった。
「ケンスケ〜!このうらぎりもん〜!!」
「貴様も一緒に天誅だ!」
嫉妬に暴走したヤローどもの雄たけびに、ケンスケの悲鳴はかき消されてしまった。
「いいんですか?ミサトさん」
ヒカリとシンジが不安な目でミサトに訴える。
「いいのよ。人の恋路を邪魔するものは、EVAに食われて死んでしまえってね」

その後もなおも暴徒達は追いすがったが、途中あらかじめ仕掛けられていた落とし穴、有刺鉄線壁などにより大多数が脱落、かろうじて生き残った者もケンスケ潰しが効いたのかその目標捕捉能力は著しく減退し、ミサトたちにより難なく煙にまかれてしまった。

「やっと着いたわ」公演に着いたミサトがシンジに言う。「さ、早く行って」
「行くって、どこに?」
尋ねるシンジにミサトは黙ってある方向を指差す。その指の先にはアスカが立っていた。
「ちょっと、遅いじゃないの!」
アスカがプンスカと怒りながら言う。
「しゃぁないでしょ!こっちだって大変だったんだから!」ミサトが抗議する。「ともかく、さっさと用事済ませなさいよ」
「わ、判ったわよ…」そう言いながらもアスカはなおももじもじしている。
ミサトが不審そうな表情をするが、ヒカリが気を利かせてミサトの袖を引っ張る。
「邪魔しちゃ悪いから、行きましょ」
ヒカリが小声でミサトに囁く。急にミサトは合点がいった、にやけた表情になった。
「ハァン、そういう事。それじゃオジャマ虫は消えるから、うまくやるのよ、アスカ!」
「うるさいわね、バカミサト!」アスカが顔を赤らめて怒鳴る。
そんなアスカに、シンジがそろそろと近づいて行った。
「加持先生の用事って、アスカだったんだ。何の用なの?」
まだ状況が飲み込めてないシンジがアスカに言う。アスカの顔に落胆の表情、続いて憤怒の表情が浮かぶ。
「何馬鹿言ってるの!私が用事があるのはアンタによ!」
そう言いながらラッピングされた包みをシンジに突きつける。
きょとんとした表情でシンジはそれを見つめる。
「僕に?」
「そうよ!」アスカが苛ついて言う。「私の目の前でさっさと食べちゃってよ!」
アスカに脅されるようにしてシンジが包み紙を開ける。
「…今年は手作りなの?!」
出てきたハート型のチョコを見てシンジの顔に嬉しそうな表情が広がる。
「そうよ!だからさっさと食べなさい!」
「うん、今日、お弁当食べてなくっておなかペコペコなんだ!」
アスカがシンジがチョコを口に運ぶ瞬間を今か今かと待ち望んでいたその時、
『アスカ、アスカ』
少し二人から離れた公園の緑地の草むらからアスカを小声で呼ぶ声がした。
リツコが草むらから、アスカ達を覗き込んでいた。
『ちょっと、何なのよ!いいところだってのに!』
アスカが近寄って小声で言い返す。
『どう?薬の効き目は?シンジ君に変化はない?』
『変化なんて、まだ何もないわよ』
まだ食べてないんだから。そういうつもりで言ったが、アスカの言葉をリツコは何か誤解したようだった。
『そう、大丈夫だったの。なら安心ね。それじゃ』
こそこそと立ち去ろうとするリツコをアスカが捕まえる。
「ちょっと待ちなさい。『大丈夫』『なら安心』?それどうゆうこと?」
「え?どうゆうって…ちょっと副作用が気になったから追跡調査に…」
アスカに襟首をつかまれながらリツコが答える。
「副作用?!」
「動物実験ではあの薬、ドーパミンの過剰放出による強度の自家中毒の傾向が見られたの。それでまだ人体実験は行ってないのよ」
「自家中毒?どうゆうことよ、それ!」
「えーっとね」言いにくそうにリツコが言う。「つまり、へろっへろっのジャンキーになっちゃうのよ」
「ジャンキー!?」
アスカの剣幕に脅えたリツコが取り繕うように言う。
「でもね、絶対人体でもそうなるって決まってたわけではなかったし…いいじゃない、大丈夫だったんだし」
「成功はどの位の確立よ」
「そうね、0.000000001%くらいなものかしら…」
「シンジ!」アスカは掴んでいたリツコの襟首を突き放しシンジの方を向く。
シンジは今まさにチョコを口に運ぼうとしていた。
「ちょっとシンジ!」
アスカの叫びに驚き、チョコを口に運ぶ手を止め、シンジはアスカの方を向く。
「あ、すぐ食べるから安心して…」
「だめぇっっ!!!」
シンジに駆け寄ったアスカがシンジの手から勢いよくチョコをはたき落とす。チョコはゆっくりと宙を舞いながら、地面へと落ちる。
「あ、あ…」
シンジが呆然とチョコを眺める前で、アスカは地面に落ちたチョコを何度も踏みつけ、粉々に砕いていく。
「な、なんなんだよ、アスカ!食べろって言ったり、食べるなって言ったり!」
空腹で激昂したシンジが怒鳴った。が、アスカの顔を見てその怒りが驚愕に変わった。
アスカが泣いていたのだ。
「ごめんね、シンジ…」ぼろぼろと涙を流しながらシンジの首っ玉にかじりつく。「ホントにごめんね…」
「う、うん…」
何がどうなってるのかわからないまま、シンジは唖然として泣きじゃくるアスカを見つめていた。

「や、やっとついたで〜」
息を切らせながらトウジが、続いて見るもぼろぼろのケンスケが公園にたどり着いた。
「あ〜!」
ケンスケが叫び声を挙げた。彼らの目にはシンジに抱き着いて泣きすがるアスカの姿が見えていた。
「なんや、結局手後れか…ワシらの苦労はなんだったんや…」
トウジがその場にへたり込む。
「そうでもないわよ」
公園の入り口から、アスカとシンジの様子をうかがっていたミサトがトウジに言った。
「え?それってどういう…」
「さあ?」ミサトが肩をすくめる。「アタシにも何がどうなってるんだかさっぱり」
「鈴原」突然トウジを呼ぶ声がした。
「なんや…?」
トウジを呼ぶ声の主はヒカリだった。
「鈴原…くん、はい」視線をトウジから逸らしながら、ヒカリはきれいなラッピングをした包みを渡す。
「…これ、ワシにか…?」
トウジが呆然と聞き返す。
「べ、別に鈴原のために作ったってわけじゃないのよ、コダマお姉ちゃんとノゾミの分、作りすぎちゃって少し余っただけよ。べ、別に嫌ならいいのよ…!」
あわてて言い訳するヒカリの顔は、しかし言葉と裏腹に真っ赤だ。
「へ〜、ヒカリってばそういう趣味だったんだあ」
ミサトがにやけながらヒカリをからかう。
「ち、違うわよ、作りすぎただけだって…」
「…いや、ありがたくいただいとくで」
トウジがやさしげな笑顔を浮かべながら受け取る。
「う、うん…ありがと…」ヒカリはトウジに包みを渡すと、顔を真っ赤にしてどこかに駈けていってしまった。
「あの娘ってば、照れちゃってぇ…」
ミサトが後を追って行く。
「ワ、ワシにかぁ…」
トウジはチョコの包みを抱きしめ、ホワッと幸せそうな笑いを浮かべたが、その瞬間は遅れて到着した「チョコ受け渡し阻止委員会」によりケンスケと同じ目に遭うとは想像だにしていなかった…

「あ〜あ。結局何だったのかしら、私の苦労は」
帰宅の途中、アスカがぼやいた。
「それを言うのはこっちよ。さんざんおぜん立てしてあげたってのに」
ミサトがアスカに文句を言う。
「そうよ、何だってチョコをはたき落としたの?」
ヒカリが聞く。
そう言われ、アスカがはたと気がついたように慌てだした。
「そ、そうだ、アンタたちはどうだったの!?」
「なにがよ?」
「アンタたちに渡したあの薬よ!大変な事になるわ!」
アスカの顔面が蒼白になる。
「え?ああ、あの惚れ薬?」ミサトが思い出したように言う。「ばっかねぇ、あんなもの使う訳ないじゃない」
「へ?」
「だって手製の本命チョコの相手とは相思相愛だもの。今更惚れ薬なんか使ったってイミないでしょ?」
「手製の本命チョコ…ってまさかアンタ加持先生と!?」
「やぁねぇ、マジに気がつかなかったの?」
ミサトがからからと笑う。
「じゃ、じゃ、ヒカリは?!」アスカは今度はヒカリに聞いた。
「私もつかってないわよ」ヒカリは平然という。
「はぁ?」
「だってそんなもの使って相手に振り向いてもらったって、ちっとも嬉しくないじゃない」
ミサトがそんなヒカリをじっと見てからかう。
「鈴原くんに、よね?」
「ちょ、ちょっと、違うわよ!」
ヒカリが真っ赤になって否定した。
「あ〜あ、結局馬鹿をみたのは私一人か…」アスカがため息をつく。
「あら、アスカちゃん」突然アスカに声を掛けてきた人物がいた。
「…綾波…のおばさま…」アスカがその人物の名を呼ぶ。
「なんか元気ないわね。どうしたの?」
「別に何でもありません!」
アスカが不機嫌に答え、そっぽを向く。
「もう、シンちゃんにチョコは渡した?」
アスカの眉間にハの字のしわが寄る。
「そんなのおばさまに関係ないでしょ!」
「あら、まだなの?」
「アスカってば、自分でチョコを落っことしちゃったんですよ。バカですよね」
ミサトがからかい口調で言う。
「ちょっと、ミサト!余計な事言わないでよ!」
ミサトに怒鳴った瞬間、アスカの目の前に包み紙が差し出された。
「はい、アスカちゃん」綾波がアスカにチョコの包み紙を差し出している。
アスカは事情を掴めず、しばし包みとレイを交互に見比べた後、慌てて言った。
「ちょ、ちょっと何考えてるのよ!私はそんな趣味はないってば!」
「違うわよ」綾波が笑いながら言う。「シンちゃんに渡すチョコ、なくなっちゃったんでしょ?これを渡してあげて、ね?」
「え?え?でも…」アスカがためらう。
「でも?」
「これは私のチョコじゃないし…」アスカが俯き加減で言う。
「でも一生懸命作ったんでしょ?女の子が男の子に渡すのはチョコじゃないのよ」綾波はそう言って自分の胸に手を当てる。「女の子の気持ちなのよ」
「でも…」さらにためらうアスカの手に、綾波は無理矢理包みを押し込む。
「ほら」そう言って綾波が指差した先を見ると、全身包帯姿のケンスケ、トウジと共に帰宅するシンジが道の向かいから歩いてきていた。
アスカは地面を見つめ、暫くためらっていたが、やがてシンジの方へ駆け出していった…

「あ〜あ。結局何だったのかしら、私の苦労は」
リツコはどぶ川へチョコの包みを次々投げ捨てながら呟いた。
「人体実験によるデータがないと、さすがにあぶなっかしくって使えないわよね…」
そう言って深いため息をつく。
リツコはチョコをあらかた投げ捨てると、最後に残った包みを見つめた。
お世辞にも形が整ってるとは言いがたいのが包みの上からでも判る。
「薬が入ってないのはこれ一つだけど、試作で作ったチョコだし、こんな不格好なの、碇所長に渡せないわ…」
最後のチョコを投げ捨てようとしたその手を、後ろからつかむ者がいた。
「誰よ!……あ…碇所長…」
「どうしたのかね?こんな所で」
偶然通りかかったゲンドウがリツコに尋ねる。
「いえ、別に、なんでもありません」
リツコは視線をゲンドウから外し、チョコを後ろに隠そうとする。
が、ゲンドウの手がそれを許さなかった。
チョコのラッピングに”碇所長へ”と書いてあるのをゲンドウの目が目ざとく見つける。
「ん?私にかね?」
「所長、それは…!」
リツコが止めようとするまもなく、ゲンドウがリツコの手からチョコを奪う。
「ありがとう、リツコ君。ありがたく受け取っておくよ…」
「所長…」
止めようとするリツコにきびすを返し、ゲンドウは再び帰宅の途についた。
「あら、あなた」
十メートルも離れる前に、ゲンドウは綾波レイとばったりでくわした。
「レイか…ただいま」
「あら、あなた、それは?」
「うむ、研究所の女の子に貰った」
「あら、あなたってば、やっぱりもてるのね…」綾波の忍び笑いがする。
「からかうな…うん、形は悪いが、なかなかいける」
「それはきっと、女の子の愛情がこもってるからですわ」
リツコはそんなゲンドウとレイの会話を後ろから見守ってたが、やがて落胆するように肩を落とし、そして少し表情をやわらげた。
「…ま、いっか…」

「ねぇねぇ、綾波…じゃない、母さん、チョコは!?」
帰宅するなり、シンジの第一声はそれだった。
「え?」レイがシンジの方を向いた。「アスカちゃんから受け取ったでしょ、母さんの分は」
「え?…それじゃ、あれ、綾波のチョコだったの…?」
いつもの幼馴染のチョコだと思い、空腹にまかせて何の気無しに(シンジにとっての)本命チョコを貪り食ってしまったショックでシンジはその日寝込んでしまった…

次回…はないぞ!(多分)
あれ?でもこんなモノが…(笑)