Episode 6:Silent Moon,Sinked Faith
「アスカ、元気かい?」
シンジの問いかけにアスカが微かにうなずいた気がした。
「それはよかった」
そう言って近くの椅子に座る。医者からは、アスカに兄だとか言わない様にと釘を刺されてる。
その代わり兄だということを積極的に否定もしない。徐々に現実を受け入れさせなさい、そう言っていた。それにはなんでもいい、話しかけ、触ってあげるように、とも言っていた。
話す内容はなんでもいい。一日にあったこと、噂話、TVのこと…そのうち、反応が起こることを期待するしかないのだ。
少し話題に迷ったあと、少し深呼吸をしてから話し出した。
「あのね…今日、トードさんって人に会ったんだ。ほら、こないだ会ったって言った、恐い顔の人。でもそんなに悪い人じゃないみたいなんだ」アスカの様子を伺うが、反応はない。「あの女の人、長瀬って人は、どこか信用できない。でもトードさんなら少しは信用していいんじゃないかと思うんだ。そのちょっとだけ…」
シンジは息を継いだ。
「加持さんに似てるし」
アスカの体が微かに振れる。ゆっくりとシンジの方を見た。加持さん、という言葉に反応したようだ。
シンジは勇んで話を続ける。
「でね、女の子にも会ったんだけど、その娘がそっくりなんだ。綾な…」
その時アスカがシンジの横のサイドテーブルの上のリンゴを指した。
「え?」シンジが聞き返すが、アスカはリンゴを指さしたままだ。
「食べたいの?」
アスカは答えない。何かシンジはこれがアスカの無言の抵抗の気がした。
リンゴを手に取り、果物ナイフを引き出しから取り出すと、黙ってリンゴを切りだした。
紙皿を取って、切り分けたりんごを並べていく。器用に皮にナイフを入れて、兎をつくっていった。
「はい」一個を手にとって、アスカに手渡す。アスカはそれを受けとったが、口には運ぼうとしなかった。
シンジは異様に淋しさを感じた。自分の回りに自分を知る人はアスカしかいない。他の人は偽りの身分を知るだけか、EVAパイロットを必要とするだけなのだ。
それなのに、アスカはこの状態だ。誰も僕を知らない中で、僕は本当に僕なんだろうか?
そう思った時、思わずアスカを抱きしめていた。
思わず抱きしめてしまったものの、シンジは己の行動にとまどってしまった。
無抵抗なまま、抱きしめられるアスカ。体は痩せている。それでも女らしさを保とうとするように微かに膨らむ胸が、シンジの胸に押しつけられていた。
「こ、これから…」シンジは息を飲みながら、言い訳するように言った。「これから何があるか判らないけど…」
アスカは無言のまま、ただ兎のリンゴを両手で持っている。
「でも守るから…」シンジは苦しそうに言った。「何があっても、絶対、僕がアスカを守るから…」
その時、病室の扉をノックする音がした。
シンジの返事を待たず、ドアを開け。ノックの主が入って来る。シンジはあわててアスカから離れた。
一瞬シンジはトードを期待したが、入ってきたのは別の、情報部の人間だった。
「碇シンジ君」男はシンジに呼びかけた。「長瀬部長がお呼びだ」
シンジはうなずいた。
「それじゃ、アスカ」
シンジは別れの言葉を告げると、病室を出ていった。
アスカの口が微かに動いていた。
「マモ、ル」微かに息が洩れるような声がした。「ボク、ガ、マモ、ル」アスカはずっとそれを繰り返した。
その声はシンジには届かなかった。

***
「つまり、N2爆弾の爆発力を利用して、ロンギヌスの槍を月衛星軌道上から地球に向けてはじき飛ばそうというわけか!」
冬月がうなった。
「N2爆弾を推進力とした外宇宙航行用の推進システムを開発する、なんて看板をかかげてるけどそれはもちろん嘘ッパチよ」冷たい視線で長瀬は言った。「ただ米国がロンギヌスの槍の相手として想定してるのは、チェシャキャットじゃなくエヴァですけどもね」
「エヴァを?」冬月が聞き返した。
「正確にはエヴァだったもの、ね」
「11体の、行方不明のエヴァ、か」
冬月のつぶやきに長瀬がうなずく。極秘裏に建造され、その後行方不明になった五号機以下11体のエヴァ、それをエヴァを知るものは恐れているのだ。
「チェシャキャットについて詳しく知ってるのは私達だけですから」長瀬が言った。「協力して頂けますか?」
突然冬月が笑い声を挙げた。一瞬部屋中の人間が呆気にとられた。
「だから何だというのだね?」冬月が笑いを止めて言う。「ならば彼らに任しておけばいい。今は気付かなくともチェシャキャットとやらも彼らが片付けてくれるだろうさ」
「御協力頂けませんか」
長瀬が冬月を見すえて言う。
「エヴァと使徒と、死海文書に関する全ては、君らには知る権利のないことだ。知る必要もな」
「そうですか」
その時机の上の内線が鳴った。長瀬が受話器を取り、しばらく言葉をやりとりした後、受話器を置いて冬月に笑いかけた。
「ならば知る権利のある人間をお呼びしますわ」
その長瀬の笑みに冬月は嫌なものを感じた。そしてトードも、また長瀬に嫌悪の目を向けていた。これから起こることを知っているわけではない。しかし直観的にろくでもないことをしでかそうとしてるのは判った。
やがて、尋問室にノックの音が響き渡る。
長瀬は冬月の顔を見て笑いながらドアの外に向かって言った。
「入りなさい」
その声に続き、ドアが開き、情報部員が入ってくる。そして一緒に入って来た人物を見て、冬月は驚愕の声を思わず挙げていた。
「碇…シンジ君」
「お連れしましたわ。全てを知る権利のある人間を」長瀬の口が大きく左右に広がった。
「副司…いや、冬月さん」シンジも驚いたような声を挙げる。「これはどういうことなんです?」
シンジはトードに視線を走らせる。しかしトードは顔を横にそむけた。
「冬月先生、彼に全てを知る権利がないとはおっしゃいませんよね?あなた方が真実も知らせず、3年前無理矢理に闘わせた子供達に」長瀬が冬月に残酷な笑みを向けた。「それこそぼろぼろになるまで!」
「子供をだしに使う気かね!」冬月が珍しく怒りに声を荒げる。
「冬月先生、偽善ですわよ!子供を無理矢理戦場に出させたあなた方がそんなことをいう権利があるとお思いですか?!」
つられて長瀬も声が大きくなる。怒ってるのか威圧するためなのか、その感情は相変わらず判らなかった。
「他人の偽善を責める者もまた偽善者なのだよ」
「何とでも。私の知りたいのは死海文書と人類補完計画に関する全て、それだけですから」
冬月が言葉につまる。そしてシンジを見る。シンジは状況を掴めずに不安そうに冬月を見ていた。
「…いいだろう」
冬月のその言葉を聞いて長瀬がにやっと笑った。
「全てを話そう。しかしそれを聞けば後悔すると思うがな」
「それほどやわな神経はしてませんわ」長瀬が言う。「まず、アダムのことをお聞かせ願いましょうか?」
「いいだろう」冬月は少し疲れたように椅子にグッタリともたれ、天井を仰いだ。「神の作りし最初の人類」
長瀬の眉がぴくり、とつり上がる。
「冬月先生?」
「全ての人間の父祖にして…」
「冬月先生!」
さらに苛ついて冬月を呼ぶ。
「至純の人間アダム・カドモン…」
「冬月先生!!」
もはや冬月を呼ぶ声は怒声になっていた。
「なにかね?」冬月は天井から長瀬に視線を移す。
「私は神話を聞きたいんじゃありません、事実を知りたいんです!」
「君こそ何を言ってるのかね?」冬月がとぼけた様に言う。「私はさっきから事実しか言っておらんよ…」

***

機上の話(その二)

「私は宗教談義をするつもりはないのだがね」
大滝がシンハの言葉をうけて言う。
「アダムは最初の人間です。それは間違いありません」
シンハは大滝の言葉を無視し、繰り返す。
「しかし我々はアダムの息子ではない。それも確かなのです」
「何を言ってるのかね?」
大滝が不審そうに彼を見る。
「アダムのことですよ、もちろん」
「どこのアダムだね?」
責めるような口調に、あくまでシンハは穏やかに答える
「もちろん先ほどまでの話のアダムです」
「シンハ君、失礼だが前言を撤回させてもらってかまわんかね?」大滝はシンハの目を見すえた。「やっぱり君はまともじゃないよ」
「そうくると思いました」シンハは淋しげに笑った。「私の話を聞くと、みなさんそう言います」
「つまりあれが聖書に出てくるアダムだと?」
いらつきを隠せずに大滝が問い詰めた。
「そうは言ってません」シンハは否定した。「しかし神によってつくられた最初の人間なのです」
***
「神、すなわち造物主ね」
長瀬の問いに冬月が肯く。
「笑わせないで」長瀬がこわばった笑いを見せて言う。「私たちも誰かにつくられた、と?」
「その通りだ」冬月が答えた。「もし我らが作られた物ではないとするなら、使徒と我々との遺伝情報の一致率の高さは、ミッシングリンクの謎は、人類という種の特殊性はどう説明するのだね?」
「ばかばかしいわ。説明の方法ならいくらでもあるわ」
「では、使徒はどうやって生まれたと思ってるのかね?地球上のいかなる生命ともまるで異なった、隔絶された種、使徒は?」
長瀬は沈黙した。
「我々の起源には目をつぶるとしても、使徒のことを考えれば、使徒を産んだ何かのことを考えざるを得まい?」
「では使徒は生まれた、のではなく誕生させられた、とおっしゃるわけですね?」
「で、なければロンギヌスの槍など存在するはずもあるまい」
言いながら冬月は新聞に目をやる。
「神、ここではそう呼ぼう。その神が何故使徒、ひいては人間を作ったかはわからん。しかしある程度の予測はできる」
長瀬が目で続きを促す。
「もし使徒と人間の間に共通の遺伝情報があるとするなら、どちらがどちらを真似したと思うかね?」
誰も答えなかった。重苦しい沈黙があたりを包む。
「アンタはさっき使徒を最初の人間、と言ったぜ」トードが口をだす。「兄貴が弟より後に生まれる訳はない、そうだろう?」
冬月が笑いかけてくる。
「その通りだよ。しかし弟が兄に似るのは、兄を真似したからではあるまい?」
トードが身を乗り出してきた。「あんたの言いたい事が少し分かってきたよ」
「私にも分かったわ」長瀬も腕を組んで言った。
シンジはただ彼らの顔を見回すだけだった。
「弟は兄に、兄は弟に似るんじゃない。父親に似るんだ」
トードが言う。
「その通りだよ」冬月が後を続けた。「父なる神に、ね」
「聖書に曰く、神は自分の姿を似せて人類を作り給うた…」トードが唱えるように呟く。
「おやめなさい」長瀬がトードに言う。そして冬月に再び話しかけた。「ずいぶんと科学的な神ですわね」
「言っているだろう?私の言ってるのは全て事実だと」肩をすくめてみせる。
「じゃあ何の為に人類を?!」
「それと使徒を、だろう?」トードが付け加える。
「さてね。仮説はあるが、どれも推測の域を出んよ。気まぐれの戯れ、オートマトン的兵器の実験、後継種の作成、中には神はウィルスタイプの生物で、母体をのっとりあやつるので、その体をつくるため、なんて説まであるよ。実際に神がどんな姿かは誰も知らんがね」
「冬月さん」いきなり今まで黙ってたシンジが話しかけてきた。冬月は驚いたようにシンジを見る。「それじゃ、やっぱり使徒は人間なんですか?」
「馬鹿は言わないで」長瀬がしかりつける。
「神の目から見れば、我々も、使徒も変わらんだろうな」長瀬を無視して冬月は言った。「我々と彼らとは根本的に性質が違う。我々と等価に見る事はできんが、それでも生きている生物には変わりはないよ」
ナイフのように冬月の言葉がシンジの胸に突き刺さる。
トードが冬月を睨んで言った。
「悪いが、小僧を外に出していいか?お子様には刺激のきつい話みたいなんでな」
「駄目よ」長瀬が拒絶する。
「いいんです」シンジもトードに言った。「僕も知りたいんです。僕が何をしたか、父さんが何をしたかを」
トードが寂しげな目つきでシンジを見た後、声を出した。
「死海文書ってのは何だ?」
「記録さ」冬月は答える。「神のね」
「その死海文書に書かれてたのね?南極に眠る使徒のことが」
長瀬が後を続ける。
「それだけではない、人類の事、そしてそれからのことも、だ」

***
「南極で磔にされていたアダムを発見したのは人間の観測隊でした」シンハが言った。「彼らは死海文書通り、南極の地下でアダムと、神のテクノロジーの一部を手にしました」
シンハはとうとうと語り続ける。
「しかしそれも全て神に計画されていたことだったのです。槍に貫かれ、行動不能になっていたはずのアダムは自らの分身を生み出しました。恐るべき死の天使に対し、人間はなおも調査を続け、そして運命の日を迎えたのです…」
「セカンド・インパクト…」大滝が呟いた。
シンハは黙って後を続けた。
「生まれ落ちたアダムの伴侶と、アダムとがおこした悲劇です。彼らの子孫を作る、行動が」
「何故そんなことがおこったのかね?神の計画とは何かね?」
大滝は声を押さえて言った。
「わかりません。しかし神は元々我々と彼らとを戦わせるつもりだったようです」
「何の為に?」
「それもわかりません。しかしこれだけは言えます」シンハは寂しげに天を仰いだ。「神は人間など愛してはいないのです」
***
「神は人間など愛してはいないのだよ」
冬月は言った。
「生殖行為が人類を滅ぼしかねん以上、人と使徒とは相容れない。どちらかが滅びるしかないのだよ」
「その審判が先の戦い、というわけね」長瀬はシンジをちらりと見る。シンジは反射的に目を避けてしまった。「だというのなら、人類補完計画とは何なの?」
「夢だよ」そう言う冬月はあくまで視線を合わせない。
「夢?」
「そう、3年前のあの日、君らも夢を見たはずだ。おそらく人類がはじめて同じ夢をね。それは人類の夢でもあったのだよ」
長瀬はぞっとし、鳥肌を立てた。脳裏になき叫ぶ子供の姿が浮かぶ。
「…あの夢が、あんなおぞましいものが人類が共に夢みる世界だと!?」
冬月は何も答えない。
「まぁいいですわ」長瀬は立ち上がった。「もし未来への道が神の屍の向こうにあるというのなら、乗り越えていくだけだわ」
そして再び窓側に寄り、ブラインドを開ける。既に月が空にこうこうと輝いていた。
「冬月先生」冬月ははっとしたように長瀬を見る。「月には叶えられることのない約束が眠るという話、ご存知ですか?」
そして冬月は月を見て目を見開いた。
長瀬は月を背後に、その様子を冷ややかに見つめていた。
「アダムと神との約定など、永遠に眠らせてやるわ、あの冷たい月に!」
「きれいごとは止めたまえ」冬月は睨み返して言った。「君らの目的は判ってるよ。旧NERVスタッフを集めていることは聞いてたしね」
長瀬の顔に冷ややかな笑みが広がっていく。
「君らが第二のNERV、いやゼーレになるつもりなのだろう?」
「そうかもしれませんわね」長瀬がにっと笑った。「ご想像にお任せしますわ」
それだけ言うと、背を向けて尋問室から出ていった。後から情報部員の一人が続く。
「今の会話、録音録画してるわね?」部屋を出た長瀬がその情報部員に言った。「大急ぎで解析に回しなさい。それと死海文書の洗い直し。月に関するキーワードを集中的にね」
言われた男は、はい、と短く答え、歩き去っていった。
月にアダムを倒すものがある、と言った時の冬月の顔色を長瀬は思い出していた。
長瀬はロンギヌスの槍を指してたつもりだったが、冬月は妙な慌て方をした。そして「月に眠る約束」の話をした時にも冬月の顔色が変わったのを見逃してなかった。
「月に何かあるというの?」長瀬は呟く。「何が眠っているの」

***
Chapter 6:Silent moon,sinked faith
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