第四章:青海亀の夢

「いいですね、先生」
ひょろりとした眼鏡の青年が、隣のパイプ椅子に座った女性に言った。
少し化粧が派手目だが、化粧映えのする顔をしている。
その女性の視線は、目の前で行なわれてる子供たちの演技に注がれている。
彼女の主催する劇団の定期講演の練習だったが、力のある俳優を養成するのに力をそそいでおり、その道ではわりと有名だった。
「当たり前でしょう?この配役は私が決めたのよ」
ぶっきらぼうに答えるが、決して不機嫌ではない。むしろ自慢気に聞こえる。
この女性は街を歩けば、おそらくすれ違った人の何人かはどこかで見た顔だと足を止めるだろう。
若い頃はむしろタレントとして売っていたが、30近くからその演技力も評価され始め、33の今ではなうての演技派女優としてむしろ有名だ。
しかしその態度は 傍若無人なため、最近はTVでは敬遠されむしろ活動の場を映画へと移している。
「ああいう明るい子に、あんな影のある役がつとまるなんて、さすが先生ですね」
青年の目は、演技をしている子供たちの中の一人の少女に注がれていた。
ショートヘアの、台詞は少なめだがその一言一言に重みのある演技の子だった。
女性は青年の言葉に答えない。じっと演技に目を注いでいる。青年は返事を期待するように続けた。
「始めての役だから心配したけど、あんなに演技力のある子とは思いませんでしたよ」
その言葉に女性は柳眉をひそめた。
「あなた、演出家止めたほうがいいわよ」
いきなりのきつい言葉に青年は唖然として振り向いた。
「あれを演技と思ってるんじゃあね」
今一青年は何のことか判らなかったが、いつものこの人の気まぐれな発言だろうととりあえず受け流すことにした。
「なんにしても素直で明るくて、いい子ですからね。これから伸びていってほしいですよ」
「仲元君、まるであの子に恋してるみたいね」からかい混じりに女性が言った。
青年は顔を真っ赤にする。
「な、何言ってるんです、相手は子供ですよ」
言葉と裏腹に耳まで真っ赤だ。
「冗談よ」笑いながら受け答える。「でも子供ったって高校生でしょう?やることはやってる年頃よ」
「まぁ、そうかもしれませんけどね…」いつものこととはいえ、ぶぜんとした態度にならざるをえない。「それにしても、この前来た先生のお友達、長瀬ヒロコさんでしたっけ?あの方政府の関係の方なんですよね?」
「友達じゃないわ、高校時代のクラスメートってだけよ!」嫌悪感をあらわにして吐き捨てる。その語気の荒さに一瞬びっくりして、子供たちの演技が止まった。
「何やってるの、続けて!」
劇団長の罵声に促され、演技が再開された。
「どうしてあの方、あの子を連れ出したんですかね?」
青年はおずおずと話を再開した。青年の視線は例の娘を指している。
「さぁ?なんでも誰かに似てるんですって、誰かは知らないけど」
「教えて貰わなかったんですか?」
意外そうに尋ねる。好奇心の強さではひけをとらないし、その強引さでも定評がある人なのに。
「あの女は昔っからそうよ。自分の用事だけさっさとこっちに押しつけて、自分のことには一切口を挟ませないのよ、まったく虫が好かないわ!」
脳裏に高校時代のことがよぎる。あまりいい思いで出はない。
一方青年の方はまるでこの劇団を主催してる誰かみたいだ、と思っていた。
女性は青年に冷たい流し目をくれた。
「そんなにあの子が気になるなら、さっさとやっちゃえば?」
「やるって…」吃り気味に答える。
「あの娘、まず間違いなく処女よ」
女性の小声の一言にまた仲元の顔が真っ赤になる。
「ぼ、僕はただ、あの子は人とのつき合いにもわけへだてのない、優しいいい子だから心配してるんですよ」
「わけへだてのない、ね」
女性は何か考え深げな表情を作った。
「先生、何か?」
青年が表情の変化を察して尋ねた。
「仲元君、誰にも平等、という意味がわかる?」
「意味って…?」
「何故誰にも分け隔てなくできるかって聞いてるの」
仲元の勘の悪さにイライラ気味だ。
「優しい子だからでしょう?」
何の迷いもなく答える。
「違うわ」けんもほろろに否定する。「彼女にとっての他人皆等価値だってことよ」
彼女の言葉が理解できず、青年はきょとんとしたままだ。
「つまり、彼女にとって誰も大事でないってことよ」
***
『…のため、現在非核爆弾の実験の、宇宙空間での実験を認める条項を盛り込んだ核及び非核爆弾の新しい禁止国際条約の協議が行なわれる国連前で、各国の反戦団体が激しい講義行動を起こしています。条約はアメリカが強行に採択を進めており、採択の可能性が強く、採択された場合は二年前に中断された三回目の宇宙空間での非核爆弾の実験がすぐにでも再開される見込み強い、と関係者はコメント…』

長瀬はラジオに手を伸ばし、スイッチをOFFにした。
「チルドレンの身柄捕捉後は、さすがにどこも活発になってますが、しかし今の所CIAに少し気になる動きがある以外は、特に目だった動きはありません」
「あそこも回収にやっきになってるわね…」黙って報告をきいていた長瀬が口を開いた。「ともかく、どこも私たちに先手をうたれて悔しがってるのは確かね」
「でも以前、モサドが元適格者の一人を拉致しようとして、未然に防がれてますからね。むこうもうかつなことはできないでしょう」
「油断はしないようになさい」
そう言って今度は別の男の方に向き直る。
「例の”チェシャキャット”についての検査結果は?」
デスクに座った長瀬が目の前の白衣の男に尋ねた。
長い髪をひっつめにし、薄く色のついた眼鏡をかけている。
「ATフィールドに酷似したパターンは検出されてますが、同定はされてません」
「使徒ではないと?」
「まだ解析が済んでませんので何とも。7割方といったところです」
「急がせなさい」
長瀬はあっさり言ってのける。
「しかし…資料が足りません」白衣の男が反論する。
「言い訳になりません。予定にかなり遅れてます。次回の報告には間に合わせなさい」
「でも…」反論しかけて、諦めたようなため息をついた。「わかりました。ベストを尽くします」
「当然ね」本当に当然、といったように言う。
その時ノックの音がした。
「誰?」デスクの上のインターホンに向けて話す。
「トード氏をお連れしました」
若い男の声がする。長瀬は短く、入れ、と命令を下した。
ドアが開き、黒いスーツ姿の男と、それに連れられた白いワイシャツにサスペンダーといったいで立ちの男が入ってきた。鼻に、斜めに大きな傷が走っている。
後者の方は堅苦しい建物ににつかわしくない雰囲気で、白衣の男も黒服の男も異物を見る目で男を見ている。
「ありがとう、席を外してちょうだい」長瀬が黒スーツの男に向かって言う。そして白衣の男にも退出するように命じた。

室内に長瀬とサスペンダーの男のみが残る。
「さて、」長瀬が切り出す前に男の方が声を出した。「座っていいかい?」
そう言って来客用のソファを指す。
「勝手になさい」長瀬は語気を乱さずに答えた。「さて、あなたの報告書だけど、ここに書かれてることは本当?」
「本当も嘘も、あの時のことは全部録音、録画されてるんだろう?勝手にそっちで調べろよ」ソファにねそべりながら答える。
「私はあなたに聞いているのです」
男は大げさに頭を掻くと、上半身を起こした。
「俺が嘘ついて何の徳がある?」
「嘘か本当かを聞いてます。Yes、Noで答えなさい」
「…本当だよ」
不機嫌そうに男が答える。
「確かに”チェシャキャット”はアダムと名乗ったのね?」
長瀬が念を押す。
「そうだよ」
そう言ってまた頭の上に手を組んでねそべる。
「あの少年の姿をしたものが最初の使徒、アダムだと?」
長瀬の問いに、肩をすくめて見せた。
「さあて、そんなことは知らんね。ただそう名乗ってたってだけだ」
「ネルフ本部地下で保管されていた第一使徒アダムは、摂収、解体されているのよ?それにあれの目的は一体何なの?」
「俺が知るわけないだろう?第一俺にはアンタ達の言う、使徒だとか、EVAだとかなんて何のことかさっぱりだし、興味もないね」
「じゃぁ、何故アナタはここにいるの?」
苛立ったような口調で長瀬が問う。
「じゃ、アンタ方の目的は?」
トードが切り返す。二人ともしばし沈黙した。
「いずれにしても。あれがまともなモノじゃないのはわかってるわ」
「だったらそれでいいだろう?使徒だろうが妖怪だろうが、たいした問題じゃない。要はバケモノなんだからな」
長瀬は鼻先で軽蔑の笑いをあげた。
「さすがにアレの恐怖を身をもって知ってる方の言葉は、重みが違うわね」
「アンタ方みたいに、実際闘う相手の恐さも知らないのに、安全な場所で声を荒げてる人間よりはマシさ」
平然とした様子で切り返す。
「流石、二度も逃げた方のお言葉らしいわ。今回と…」一度言葉を切り、そしてつぶやくように言う。「半年前と」
トードが眉をひそめる。握りしめた手のひらには汗がにじんでいた。
「死ぬよりはマシさ」
「そうね、その調子でせいぜい私たちのために頑張ってちょうだい」
「厭味を言いに呼んだのか?」
また長瀬が鼻先でせせら笑った。
「まさか、用件の一つはあなたの報告の確認。もう一つは護衛をお願いしたいの」
「護衛?」起き上がって長瀬の方を向く。「アンタのか?」
「違うわ」そう言うと長瀬は席から立ち上がった。「碇シンジのよ」
「碇って…この前のガキか」この前長瀬の護衛をした時に見た、少し気の弱そうな少年を思い出す。「別に俺である必要はないだろう?」
「あなたでない必要もね」
フン、と鼻先で笑った。「ごめんだね」
「でも、あなたの報告通り、”チェシャキャット”イコール”アダム”なら、あの少年と”チェシャキャット”は関係あることになるわ」
トードは長瀬を睨んで親指の爪を噛みはじめる。
「まじかよ…」
「おおマジよ」
冗談めかして答えるが、口調は真面目そのものだった。
「あのガキ、そんなに重要なのか?」
そうよ、と長瀬が答える。
「おまけにあんなガキがなんで銃なんか持ってたんだ?」
「ああ、あの銃?」長瀬がデスクの上の資料を取り寄せる。「鑑識結果は出てるわ。登録はネルフの作戦部、葛城ミサトでなされてるわね」
「葛城?」
「そうよ。元ネルフ作戦部長、総司令碇ゲンドウ、技術二課技術主任赤木リツコらと共にネルフ解体時に行方不明になったネルフの主要スタッフの一人ね」
「あぁ、資料に出てた女か…」
「あるいは形見分けかもね」
長瀬の無遠慮な言葉に一瞬沈黙する。
「アンタ方は、一体あのガキをつかって何をする気だ?」
「あなたには興味も関係もないことよ」
そう言ってひっつめにまとめた髪を解く。長い髪がエアコンの風にたなびきながらさぁ、と広がった。
その光景に、普段長瀬をいけすかなく感じていたトードも一瞬どきっとする。
「いずれにしてもロクなことじゃないわけだ」
己の動揺を隠すようにわざとぶっきらぼうに言った。
「他人を責める時はね、己の手の血の跡をしっかりと洗ってから責めるものよ」
長瀬がトードの方へと歩みより、その目をのぞき込むようにして言った。トードの目に映る長瀬の目はやや青身がかっていた。
「責める者の手も、決してきれいではあり得ないのだから、違う?人殺しさん?」
***
「誰も大事でない、ですか?」
仲元が団長の言葉を反芻する。
「そうよ」
「そんなバカな…」
「どうして?別に悪い子だって言ってる訳じゃないわ.。人間である限り完全な博愛は不可能よ。汝の隣人を愛せ、ったって、いけすかない奴はいけすかないものよ」
そりゃ先生だからでしょう、と言う言葉を仲元はかろうじて飲み込んだ。
「でも、いっつも笑顔で、先生のきつい指導にも不平の一つもこぼさずに…」
仲元の言葉に劇団長はむっとする。
「当たり前よ、苛めてるわけじゃないんだから。でも友達に不平をこぼしてるって話すらも聞かないわ」
「だからいい子なんですよ」
「でも本当に親しい相手には、本音を見せるものじゃないの?ご両親に聞いても、家でもそれらしいことはないと言ってるわ」
「じゃ、彼女は誰にも、両親にすらも心を開いてないと?」
「あるいは知らないのかもね、自分に開くべき心があることを」
その言葉に、仲元は何故か寒気を感じた。
「今はいいかもしれない、でもそのうち他人が自分と同じ心を持った人間だということを肌で理解しないと、彼女自滅するわよ」
「自滅…」仲元がその言葉を口の中で繰り返す。
「いつまでも、天使の軽さは維持できないもの」彼女はふと、目を細めた。
「彼女のいつも見せてる笑顔も、所詮演技、ということですか?」
彼女の視線は子供たちの演技に注がれたまま動かない。横顔からは心中でどのような感情が蠕いてるか、つかみかねた。
しばらくして、劇団長は話しだした。
「海亀は、産卵の時涙を流すけど、それは反射に過ぎないわ。悲しい訳じゃない」
「でも人間は悲しんで泣くことが出来ますよ」
「じゃ、海亀の涙が、悲しい時流す涙とどう違うの?悲しいとき涙を流すというのも、所詮は感情という情緒システムによる反射にすぎないわ。結局ね、我々も海亀に過ぎないのよ。感情が高次なものだという夢を見ている、ね」
「それじゃ、彼女に心はない、と?」
「あるいはただひたすらかたくなに閉じてるだけかもしれないけどね」
その言葉に仲元は沈黙した。反論したい。しかし反論の根拠は見つからなかった。
「君には、彼女の笑顔がどう見える?」
仲元には判らなかった。ただ、彼女の笑顔はただ空虚なだけでないのは確かだ。劇団長もそれを判っていて、それを言っているのだろうことは判った。
そして彼女が「演技でない」と言った意味もおぼろげに判った。普段の彼女こそがむしろ演技で、今演技してる彼女こそが…
その時、目前で行なわれていた演技が終った。
劇団長が椅子から立ち上がる。
「それじゃ、もう一度通しで、最初から。それからミキちゃん、ユリちゃんの演技にひきずられ過ぎよ。もう少し演技を押え目に。ユリちゃんはもっと台詞をはっきりいいなさい。発生練習ちゃんとしてるの!?じゃ、始めから!」
ぱん、と開始を知らせる手を叩く音が部屋に響いた。

***

Episode 4:Does The Celluloid Doll Dream A Blue Sea Turtle?

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