***

19日午前03時15分

「殺したんですか?」
シンジが突然にトードに言った。
「ん?何が?」
トードには何のことかわからず聞き返す。
「内務省の人たちです!僕たちを守ろうとした…」
「ああ、あいつらか」トードはやっと納得の行った顔をした。「大丈夫だ、多少怪我はしてるが、生きている。すぐに見つかって騒がれても困るんでちょっと山中に置きっぱなしにしてきたが、今ごろはお仲間に見つけられて無事保護されてるだろうよ」
シンジはほっとしながらも、どこまで本当か、信じていいのか分からない思いだった。
「でもトードさん、どうしてこんなことを…」
「こうするしかないからさ」
トードは武器を整理して収めていく。
「でも、アダムを倒したいだけだったらエヴァだって、国連だって内務省だって…」
「それじゃ駄目なんだ」トードはきっぱりと否定する。「人間ってのは集団になると『組織』という別の生き物になる。その中では個人の我は通らねえようになってるのさ」
そしてシンジの方をちらっと見た。
「しょうがねえのさ。これが俺の戦い方だからな」
その時突然どこかで爆発音がした。
「来やがった!」トードは立ち上がって叫ぶ。この周囲に張ったブービートラップに引っかかったのだ。しかしあるいは何らかの野生動物の仕業かもしれない。
トードはシンジとユリの手錠の鎖を引っ張りながら、別の部屋へと移動していく。
その部屋には幾つものモニターが床の上に置かれ、配線がヘビのように床の上をのたうちまわっていた。
「南東1.5kmか!」
モニターのひとつを見てそう言う。それにはアダムの姿が映っていた。
「いったいこれは…」
「ビンゴ!ってわけだ」
トードはにやっと笑った。そしてそのまま二人を引きずってロッジの外へ出て行く。一斉にうるさいくらいの虫の声が止んでいた。
「駄目です!勝てるわけありません!」
シンジはトードにそう言った。無駄とは思いつつも。
「大丈夫だ。勝算のない戦いはしねえ」そう言い、入り口前のやや開けた所へ出てくる。回りを見ると、車の通れる道が一本ふもとから走ってるだけで、それ以外は昔スキー場だったらしい比較的開けた斜面があるだけの場所。人家からはかなり離れてる。
トードはロッジの前庭に置かれてる布のかぶせられた何かに近づき、その布を取り払う。そこには巨大な、ライフルのお化けのような銃があった。
「最新の対戦車ライフルだ」トードは言った。「前に戦った時は携帯性を重視して威力が殺されてたが、こいつは違う。アンカーで地面に固定しとかないと、人間にゃ扱えない代物だ」
「こんなもので使徒に勝てると…」シンジは絶句した。いかに強力な武器だろうと、それはあくまで人間同士の戦争の中での話だ。使徒に効くわけがない。
「いいや、こいつでも効くとは思ってない」トードが意外にも素直に認める。「だからもう一枚の切り札があるのさ」
「え?」
意外な顔をするシンジを余所に、トードは赤外線スコープをつけて対戦車ライフルの横に寝そべり、スコープからさっきモニターに映ってた場所を覗き込む。
「いやがった」
にやっと笑いながら言う。スコープの中にはアダムの姿がはっきりと映っていた。
トードはそのまま弾帯をセットし、照準を相手に合わせる。
「ひゅっ!」
そう息が漏れるような声と共に、引き金を引いた。すさまじい発砲音をさせながら、弾丸が発射される。スコープの中では、弾丸はアダムに当たる前に何か固い壁に当たった様にはじかれる。
アダムは弾の来た方角を見るように、こちら側を眺めた。
「ようし、そうだ。こっちだ」そのまま彼らの方に向かってくるアダムを見て、トードはほくそえんだ。
「トードさん、早く逃げなきゃ…」
もう逃げよう、何度もそう思いながらもトードを見捨てる気にはならなかった。
「静かにしてろ!」トードが一喝する。シンジはびくっとして黙り込んでしまった。何より、嬉しそうなトードの顔にぞっとした。この人は楽しんでる。この戦いを。
トードは何発も、弾を撃つ。しかしそのことごとくがアダムのATフィールドに弾き返された。
「ちっ!劣化ウランの弾も形無しだな」トードはぼやく。
やがて肉眼で捕らえられる位置に現れた。そこでアダムはぴたっと立ち止まる。その視線はじっと碇シンジに注がれていた。碇シンジはヘビに見すくめられたカエルのように動けなかった。金縛りに遭ったようだった。
「俺は無視かよ、まあいいけどな」トードはそう言いながら手錠の鎖を引っ張る。
「きゃあ!」ユリが急に引っ張られて地面に倒れ込む。
「榊さん!」シンジははっとして叫んだ。「トードさん、何を…!」
「嬢ちゃん、奴をよく見ろ!」倒れたユリを抱きかかえるようにスコープに顔を押し付ける。「あんたなら奴のATフィールドを中和出来るはずだ!」
シンジはその言葉でやっと何故トードがシンジごとユリを連れてきたか気付いた。彼は病院での一件で、何が起こってたかに気付いてたのだ。トードの報告書にはユリとATフィールドに関する事は一切触れられてなかった。だからトードは気付いてないものだとてっきり思い込んでいたのだが…
あるいはこうするために、わざと報告しなかったのかもしれない。
「よく見ろ!」
トードが怒鳴る。ユリの心の中に恐怖が走った。アダムに対する恐怖、そして自分がアダムと同種の人間以外であるという恐怖。それはユリが最も恐れることだった。決して有り得ないと何度も否定した。榊ユリなら榊ユリ、綾波レイなら綾波レイ、人間としての自分を確かめたかったのだ。

バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ、バケモノ!

トードがアダムに対して言った言葉が、そのままユリに降りかかってくる。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」ユリが恐怖と錯乱で絶叫した。その時、キン、と澄んだ金属音の様な音がした。
「よし!」トードは確信して引き金を引く弾はアダムをかすっただけだったが、ATフィールドに阻止されずにアダムの背後に着弾した。
アダムは何が起こったかわからないと言う顔であっけに取られてた。
「よし!行ける!」トードは勝利を確信してもう一度、狙いをしっかりと定めライフルを撃った。
しかし今度も弾はアダムの背後に着弾しただけだった。
もう一度撃つ。しかし結果は同じだ。
おかしい。トードはようやく気づきはじめた。アダムのATフィールドは中和されてる。弾道はそれてないはずだ。なのに何故当たらないんだ!?
まるで弾がアダムの身体をすり抜けるように…その時トードははっとした。病院で、葛城ミサトを撃った時弾は彼女の身体をすり抜けて車の窓を貫いた。応接間で赤木リツコが現れた時も同様だ。
まさかあのアダムは…トードはスコープを見た。白い髪の少年の姿が映る。
まさかあのアダム「と思ってたもの」は…
突然トードの口から笑いが漏れた。シンジとユリがぎょっとしたような目で見る。自分でもなぜこんな状態の時に笑うのか、分からなかった。正常な神経がとんでしまったのかもしれない。
「行きな」トードが突然ユリを解放して言った。突然の事に二人はきょとんとする。「このロッジの裏口から出て、山の斜面を下ると車道に出る。そこまで行けば多分逃げられるはずだ」
「行けって…じゃ、トードさんは!?」シンジが尋ねる。
「俺はここで奴を足止めする」トードは事も無げに言った。「勝てはしないが、そのくらいはできるはずだ」
「それでは死んでしまうわ」ユリが言った。
「優しいんだな、嬢ちゃんは」トードは寂しげに笑いかえした。「俺のしたことだ。つけも俺が払うさ」
「駄目だよ!トードさんも一緒に…」シンジは叫んだ。これ以上誰も失いたくない!
「駄目だ」トードが言った。「三人じゃ逃げ切れない。俺が足止めすればあるいは…」
「でも…」
トードはなおもぐずるシンジとユリの手錠を外す。「さっきのモニターのあった部屋にビデオテープがあるから持ってけ。長瀬に渡せばなんらかの資料になるはずだ」
「トードさん!」
「さっさと行け!」トードが眉を逆立てて怒鳴った。「でないと俺がブチ殺すぞ!!」
シンジはトードの剣幕に一歩引いてしまった。ユリがシンジの袖をひっぱり首を振る。
「く!」シンジはユリの手を引っ張って駆け出した。
「ようやく行ったかよ」アダムも再びこちらに近付いてるようだった。トードはもう一度銃を撃つ。しかしユリのいない今、ATフィールドにはじかれるだけだった。
「ちっ!」トードは手榴弾を手にしてピンを外す。そしてアダムめがけ投げつけた。再び、爆音がした。ふもとから最初の爆音を聞きつけた消防車のサイレンがした。

「碇君!」ユリの手を引き、山の急斜面を駆け下りるシンジにユリが叫ぶ。シンジはその声が聞えないかのように走り続ける。と、木の根に足をとられ、転がるように倒れた。
「碇君、大丈夫!?」ユリが倒れたシンジの側にしゃがむ。
シンジの口からは鳴咽が漏れていた。
「碇、君?」
「僕は…」シンジは呟いた。「もう誰も失いたくなかったんだ。それなのに…」
また逃げ出したのだ。エヴァなくしてはひ弱な存在。そんな人間の運命を、何より自分自身を呪った。
「碇君、行きましょ」ユリはそれ以上何も言わずにシンジを立たせる。
ようやく車道へ出てくると、車のライトが二人の方へ近付いて来る。ユリが手を振って車を止めようとした、と、その軽自動車は二人の前でぴたりと止まる。
「碇君!」車から出てきたのは意外にも日向マコトだった。
「日向さん?」シンジは泣きはらした目で日向を見る。
「早く乗って!」
シンジとユリは促されるままに後部座席に乗り込んだ。泥だらけの服で、シートが汚れる。
「日向さんが、どうして…」シンジは一目散に車道を引き返す日向の車の中で言った。
「トードさんに呼ばれたんだ」日向はハンドルを両手でしっかり握ったまま答える。「自分のやったことのカタをつけろって」
「カタ?」ユリが繰り返す。
日向はしばし戸惑った。爪のあとが付きそうな程強くハンドルを握り締める。
「僕は…君に謝らなきゃいけない。君たちの所在を内務省に明かしたのは僕なんだ」日向は告白した。「シゲルも、あいつもマヤちゃんを盾にとられてまで責められたけど口を割らなかった。ばらしたのは僕なんだ」
シンジは無言で日向の告白を聞き続けていた。
「僕はすまないと思いつつ、恐くて誰にも言えなかった。ミサトさんもいないこの世界で、どうにでもなれ、って思ったんだ。何よりひょっとしたら君に嫉妬してたのかも…」
ひたすらにしゃべる日向を余所に、シンジは泣いていた。みんな傷ついているのだ。そう思いながらも。

***

19日午前04時03分

トードは息を殺してロッジ内で潜んでいた。奴は近い。サブマシンガンを構えつつ息を潜めていた。冷や汗が顔を伝い、首筋へ流れる。
これがラストチャンスのつもりだった。都合よく奴が来るとは限らなかった。奴は、緊迫した精神状態の場所に現れる。何故かはわからない。あるいはその状態が一番人間を取り込みやすいからかもしれない。碇シンジというファクターだけで来るという保証はなかったのだ。しかし奴は来た。
あるいはトードの追いつめられた精神状態に引かれて来たのかもしれない。トードはそう思い自嘲した。
自業自得だ。
そう思いまた考えた。自業自得?何の?彼の心の奥底から様々な罪業が思い浮かぶ。
しかしトードは頭を振ってそれらを追い出した。余計なことを考えると死ぬ。死はとっくに覚悟してるのに、いつもの習慣で精神のモードを切り替える。
廊下の向うから、人の近付いてくる気配がする。トードは煙幕弾の手榴弾のピンを抜き、すばやくドア越しに投げつける。バシュッと音がして廊下は煙に包まれた。トードは呼吸を整え、銃を構えて一気に廊下へと飛び出す。自動小銃の銃口を煙幕の中に向けた。
そして引き金を引こうとした時…
「!!」トードは絶句した。そこにいるのはいるはずのない人物、髪を短く刈り込んだ筋肉質の女だった。
「撃ちなよ」そいつは口を開いた。脳裏にあの時の事が蘇る。
彼は殺すつもりなんかなかった。最初彼女は別の男とからかわれた、からかわれないで喧嘩を始めていた。傭兵内で女がいるとよく起こることだ。しかしその時は少し様子が違った。前線が崩れ初め、自分たちのいる陣営にもいつ敵が来るか、皆空気をぴりぴりさせていた。いつもなら殴り合いで下手をしても骨の一、二本で済む所なのがどちらともなく抜いたナイフで収まりが付かなくなった。全員が熱狂したように無責任にはやし立てた。
その中でトード(その時は別の呼び名だったが)だけが喧嘩を止めようとして飛び出した。回りから罵声が浴びせられる。話し合いでなんとか事を収めようとしたのだ。しかし既に怒りで我を見失っていた彼女は今度はトードに飛び掛かり、もつれ合った拍子にトードの鼻にきりつけ…その後、顔面に焼けるような痛みを覚えたことしか記憶にない。
気がついたら何時の間にか彼女はナイフを腹に突き立てられ、地面の上をのた打ち回っていた。鼻に切り付けられた傷の痛みと妙に生々しい人を刺した感触の残る手。その直後彼は失血で気絶した。
再び気付いたのは病院のベッドの上。鼻の傷痕を下手な医者が手当てした所為で今でも潰れたようになってしまった。傷が癒えると彼はすぐに営倉送り、そして彼女がその傷がもとで破傷風で死んだと聞いたのもそこだった。
なぜあの時自分を制止できなかったのか、彼の心は後悔でいっぱいだった。殺すつもりなどなかった。しかしその記憶も時とともに風化していった…ように思えた。
実際には彼の奥底には責め立てる死者の声でいっぱいだった。
しかたがなかった、そう言う以外に何が言えるだろう?しかし死者にはいかなる言い訳も意味をなさない。ただ、彼の後悔のみがその存在の証となっていた。
「くそ!」
トードは頭を振って彼女めがけ銃を撃つ。全て奴の見せる幻覚だ!この女も、あの時殺したこいつも、避難壕ごとふきとばしたこの村人も、俺が置いてきぼりにした僚友も、目の前で地雷を踏んで吹き飛んだこいつもどいつもみんなみんな幻覚だ!
トードは周りの死者めがけて銃を撃ちまくった。と、誰かがそれを制止するように彼の額に触れた。白い髪の、少年。トードは銃を撃つのを止め、少年を見つめる。少年はアルカイックスマイルに似た笑みを浮かべていた。
「一人でかんけーないって面してるんじゃねーよ!」
トードは少年めがけ銃を撃つ。しかし弾は少年の身体をすり抜けていった。トードはそれでも銃を打ち続けた。泣きながら打ち続けた。やがて弾が空になった。トードはあわててマガジンを入れ替えようとする。予備のマガジンを自動小銃に入れ替えた瞬間少年が彼の左腕を掴んで自分の胸に押し当てる。トードの腕は少年の体の中へずぶり、と潜り込んで行った。もうどこまでが現実か判らなくなっていた。トードの頭の中に音楽が流れ込んで来る。不思議な不安感と高揚感がないまぜになった感覚。むかしだまされてLSDをきめた時に感じたのと同じ様な感覚、いやそれより遥かに唐突で生々しい。光が飛び跳ね、音が乱反射し、壁が溶けていく。
「ちくしょう!」
トードは涙声になりながら銃を少年に向ける。俺はいつまで正気を保てる?まだ正気なのか?しかしいくら撃っても結果が変わるわけはなかった。トードは撃つのを止めると、今度は少年に飲まれかけた左腕の付け根に銃口を向け、ためらいもせずに銃口を引く。
しかし銃弾は少年に撃ったのと同じようにすり抜けていく。
駄目だ、俺はもう殺されている。
トードは絶望した。一気に意識が飲まれていく。
「いい気になるな!」トードは自分が何を口走ってるのかわからなかった。「お前の不死の秘密はもう暴かれたんだ!お前はもう不死身でも無敵でもなんでもない!」表情を変えない少年に向かって言い続けながら、手榴弾のピンを抜く。今度のは煙幕弾などではない。「もうすぐ人間がお前を殺す!もうすぐお前を…」
山荘は爆発で燃え上がった。

***

??????

彼はふと列車の突然の揺れで目が覚めた。見上げると膝枕をしていた母が不思議そうな顔で見つめていた。
「どうしたの?」
見上げる?何か彼はおかしいと思ったが、何故かはわからなかった。
「もう少し寝ていなさい」父親が言った。「あと数時間で市内に付く。明日の朝にはもう日本だからな」
父親が広げてる英字の新聞を見る。日付は2000年だった。何故かそれを見て安心した。それも何故かはわからない。
再び彼は母の膝枕に抱かれる。
「ゆっくり休みなさい、タカシ」
今度は悪い夢を見そうになかった。

***

19日午前11時31分

現場検証に焼けこげた山荘に立ち入った長瀬は顔色ひとつ変えずに周りを見て歩く。山火事に類焼しそうだったが、必死の鎮火活動によりなんとか山の全焼は免れた。
偽装のため地元警察その他にも来てもらってはいるが、現場への立ち入りは許していない。先ほどもそのことで一悶着あったばかりだ。
「焼け跡からはトード氏のものらしき死体等は見つかってません」
エージェントが報告する。
「そう」長瀬は表情を見せずに答える。「碇シンジの持ってきたビデオは?」
碇シンジと榊ユリは今別の場所で事情聴取を受けていた。
「そちらは今解析中です」
長瀬はそう、と短く答えたのみだった。
焼け落ちた柱や壁が生々しい。もしかしたら爆発で跡形もなく吹き飛んだのかもしれない。
しかしいずれにしても許せなかった。彼女を裏切った行為と言うよりも、まるで自ら死を望むように突っ走って、そして消えた。それが許せなかった。
「死にたい奴は死ねばいいわ!」長瀬は炭化した壁の破片を踏み潰した。乾いた炭はばりんと音を立て潰れる。「死んだ奴は所詮負け犬よ!」
長瀬は鳴咽しそうな自分にそう吐き捨てた。

***

18日午前12時48分

「どうしてここに?」
シンジは長瀬に尋ねた。隣にはユリが立っていた。この前彼女の家に呼ばれてから、妙に意識してしまう。横目でちらちらと何度も見た。
ユリの方は、何を考えてるか判らない表情でじっと宙の一点を見つめている。こうしてると綾波レイ以外の何者でもないように見えた。
しかしその確証はない。
長瀬はジオフロントへ直通の列車の中で、シンジの向かいに座っていた。
「ここに来てもらったのは他でもない、あなたたちに見て欲しい物があるからなの」
「でも」シンジがまた聞き返す。「ジオフロントはもう廃墟なんでしょう?3年前から廃棄されてるって…」
「それはあなた自身の目で確かめて頂戴」長瀬はそう言ったきり、口を開こうとしなかった。
やがてトンネルを抜け、地下空洞へと突き抜ける。そこに広がってるのは彼の記憶の中のジオフロントとは似ても似つかない光景だった。わずかに地上から採光した光でそこそこの明るさをたもっているが、薄暗く鬱蒼とした雰囲気が漂っていた。第14使徒に破壊され、修復途中で放置されたピラミッド型の本部が痛々しい。
「こんなところに何があるんですか?」
シンジの問いに、長瀬がやっと口を開いた。「もうすぐよ」


停車した列車から降りると長瀬とシンジたちは自動通路に乗った。しかし壊れていて動かないので自分の足で歩くしかない。
長瀬は黙々と進んで行った。
格納庫へと続くエレベーターはかろうじて動いていて、長い下りを自分の足で降りなくてはならないはめにならなかったことにほっとした。やがて地下格納庫の一つを一望できる展望室に付いた。
「まず最初に見せたかったのはアメリカから先日到着したこれなの」
そう言って長瀬は格納庫の電源を入れる。格納庫の水銀灯に何かが浮かび上がる。しかし単色の灯かりではそれが何かは、すぐには判らなかった。
「ロボット…?」
ユリがわずかに目を細めて呟いた。
「え!?」
シンジの目の焦点がその言葉に反応し、像を紡ぎだしていく。
「これは…!」
それは紛れもなくエヴァンゲリオンだった。しかし零号機、初号機、弐号機、そしてこの前撃破した8号機のいずれでもない、まったく別のエヴァだった。
「安心していいわ。コアは抜いてあるから」長瀬は言葉を失ったシンジに言った。「この5号機は偶然稼動していない状態でブラジルで発見されたの。アメリカの議会がエヴァ建造を承認したのも、これが見つかったことが一番の理由よ」
「これが、見せたかったもの…?」
シンジは息を詰まらせそうになりながら尋ねる。
「これだけじゃないわ。槍も8号機もこのジオフロント内に保管されてる。でも一番見せたいのはこれじゃないの。こっちよ」
そう言ってまた長瀬は移動しだした。
長瀬は二人を連れて、ターミナルドグマへ通じるシャフトで、地下へと降りていった。
「あの、榊さん」シンジは途中でユリに話し掛けた。「ここ、見覚えある?」
以前リツコに連れられて、ここを降りていったことがある。もしユリが綾波なら、自分が生まれ育ったこの場所に何か反応があるかもしれない。
「わからない」ユリは小さい声で答える。「見覚えがあると言えば、そんな気もするし、気の所為な気もする」
「そう…」シンジもそれ以上追求しようとしなかった。しかし、ジオフロントの稼働率が予想以上にいい事にも、また内心驚いてもいた。
「現在稼働率は50%くらいかしら」長瀬がシンジの心の内を見透かしたように言う。「来週には松代からのマギの移設が始まるし、年内には80%以上は復旧する見通しよ」
どうして?とは聞かなかった。ここを蘇らせる理由など、一つしかない。
「着いたわ」ターミナルドグマの最下層に付くと、長瀬は再び通路を歩き出した。LCLプラントの前を通りかかるが、長瀬はそのまま通過する。てっきりそこが目的地だと思ったシンジに、長瀬が呼びかけた。
「そっちじゃないわ。こっちよ」
三人はさらに奥へと進んでいく。
「ここに見せたいものがあるわ」ただの廃棄された格納庫にしか見えない扉の前で、長瀬は言った。
長瀬がIDカードを切ると、LEDが点滅し、扉が開いていく。内部は薄暗い灯かりが照らしていた。
「ダンテが地獄の最下層で見たもの…神に逆らい、氷付けで眠り続ける堕天使…」長瀬が灯りのスイッチに手をかける。「これがダンテよ!」
灯りに照らし出されたのは、巨大な硬化ベークライト樹脂の塊、そしてその中で眠ったように沈黙した紫色の巨体…初号機だった。
長瀬は初号機を唖然と見上げるシンジたちになおも語り続けた。
「私たちが三年前、ただ一体だけ廃棄せずに隠し通し、この地下に氷付けの魔王さながらに眠らせておいたエヴァンゲリオン…そして今となっては唯一の希望よ」

***

19日午後07時36分

シンジはようやく尋問、検証から解放され、割り当てられた宿舎の一室に帰ってきた。だれもいない部屋で灯りをつける。ほとんど荷物のない、無愛想な内装が彼を迎えた。
あるものはパイプベッドと、テレビ、冷蔵庫と数冊の本。望むものがあれば何でも言うように、と言われたがそんな気分ではなかった。殺風景な部屋の中で、シンジは本を一冊手にとりベッドへと倒れ込む。しかし手に取った本を読もうとはせずにずっとうつ伏せている。
シンジは耳をふさぐように枕を、頭の上からかぶった。
その時、部屋をノックする音がした。何度目かのノックで、シンジは重たげな身体を引きずってベッドから降り、部屋の出入り口へと向かう。
扉を開けると、何度か顔を合わせたことのあるエージェントが大きな荷物を支えながら待っていた。
「碇シンジ君」彼は口を開いた。「荷物が届いてる」
荷物というのが彼の持つ大きな物体であることは疑いなかったが、シンジには覚えがなかった。
「何ですか?」
シンジは尋ねた。
「私には知らされてない。ただ長瀬部長が届けるように、と…」
「長瀬さんが?」シンジはあからさまに怪訝な顔をする。
「そうだ。だが送り主は別らしい」
そう言ってシンジに子供の身長ほどもある荷物を渡す。重さはある程度の重量はあるが、人一人で十分持てる重さだ。段ボールの梱包に、壊れ物注意のシールが貼ってある。
「あぁ、そうだ。中身はチェックはしてあるが、傷つけたりはしていないから」それだけ言うとすぐにエージェントは去っていった。
シンジは扉を閉め、荷物を持って部屋に戻ると、荷物を壁に立てかけてベッドに腰を下ろしじっと俯く。暫くの間俯いていたが、語り掛けるように自己の存在を主張する荷物へ視線を向けたかと思うと、ややして荷物へと手を伸ばした。
シンジはゆっくりと、何も期待せぬ手つきで梱包を開く。しかし中から現れたものにシンジは目を疑った。
チェロ、楽器のチェロがポリエチレンの梱包材に包まれて収まっていた。シンジはゆっくりとそれに手を伸ばし、なでるように上から触っていたが、一枚の便箋が一緒に入ってるのに気がついた。シンジは何気なくそれを手にし、開いてみた。
中には一言走り書きで「すまん」と書かれ、その片隅にトードの署名がしてあった。
シンジは何時の間にか鳴咽の声を殺し、泣いていた。いつまでもいつまでも泣いていた。

***
chapter 13: 35 hours and 33 minutes


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