第11章:父の祈りを

***

「全員無事!?」床に投げ出された長瀬がそう叫んだ。ざっと辺りを見回すと取り敢えず重傷者はいないようだった。
「おい、こっちでケガしてるやつがいるぞ」そう言ったのはトードだった。
日向マコトの額が割れて血が出ている。衝撃の際、計器の角に頭をぶつけたらしい。
トードは傷を見て言った。「たいしたことはないが、頭をうったからな、検査は受けた方が…」
「取り敢えず動けるなら問題ないわ。後回しになさい」長瀬が遮る。「それより現状報告を!」
青葉は長瀬を睨んだが、結局命令に従った。「通信、及び無人探査機からの映像回復してません。間もなく回復します」
その時別のオペレーターが叫んだ。「反応体、現在移動中!」
その声が終るが早いか、映像が映し出されていた。エヴァンゲリオンは前進し続けていた…殆んど無傷のまま。
「通信も回復します」
「巨人機につなげて」青葉の報告を受けてすぐさま命令を下した。「投下は行なったかどうかを聞きなさい」
間もなく通信が入った。しかし最初のうちはノイズがひどく、殆んど言っていることが聞きとれなかった。
「…は行なわず…りの投下は中止…」
ようやくそう繰り返す声が聞こえてきた。長瀬は安堵のため息を漏らす。
「落ち着いてばかりもいられまい。敵は未だに直進中…この調子では第二東京市に着くのだからな」
冬月の言葉に長瀬はうなずいた。「判ってます。全員撤退の準備を。それと救急班にケガ人の傷の手当をさせて。巨人機にはそのままもよりの基地に帰投、補給、整備をして待機するように伝えて」
「大変なのはこれからか…どうする?」トードが言った。
「どうするもこうするないわ。今のところ打つ手なし。完全にお手上げよ」長瀬は本当に手を上げてみせた。
「でもこれで諦めるタマじゃあるまい、アンタは」
「まあね…」長瀬がそう言いかけた時、女の通信オペレーターが声をあげた。
「長瀬三佐、内務省より通信が入ってますが」
「内務省?」長瀬は眉をひそめた。まっさきに国連がそれ見たことかと苦情、その他を言い立ててくると思っていたのだ。「何の用?」
「それが、長瀬三佐を訪ねて来られてる方がいると…」
オペレーターは戸惑いながら答えた。
長瀬は腹を立てるより呆れてしまった。
「今非常事態なのよ。たとえ総理大臣が来たってはいそうですかと会えるもんじゃないわ」
「それが…」彼女は一瞬言葉をつまらせながらも続けた。「その訪問者は『赤木リツコ』と名乗ってるそうです」

***

「で、その訪問者はどこ?」長瀬は内務省に駆けつけるや否やそう尋ねた。
事後処理は全て冬月に任せていた。
「応接室に通していますが、しかし本当に会われるのですか?」入口から急ぎ足で向かう長瀬の後を追ってエージェントが尋ねた。「十中八九かたりものではないかと…」
「そうかもね」長瀬はそう答えた。「でも違うかもしれない」
長瀬もこの前のトードの報告を聞いていなければそんな話は信用しなかっただろう。しかしもしトードの体験が事実ならば…
長瀬は乱暴に応接室の扉を開いた。
「やっと来たわね」ソファに座って出された飲みものを飲んでいたその女性は言った。「待っていたわ」
長瀬がその女に直接会うのは始めてだった。資料の上では何度も見ているし、写真、映像は幾つも見たが、その人物が実際に目の前で話し、動いているところをみるのはどこか妙な感じがした。
「始めまして。赤木リツコと言います」なきボクロの印象的なその女性はそう言って手を差し出した。
長瀬はじっと相手を見た。写真の印象というものはいくらでも変化する。しかし動いている人物は別だ。特になんでもないと本人が思ってる表情、身のこなし、喋り方の癖。それらは本人と偽物とを見分ける大きな鍵になる。長瀬は何度も行方不明の旧ネルフスタッフに関する映像などを見た。しかしそれでも目の前にいる人物を偽物とは断定できなかった。
一瞬躊躇した後、長瀬は相手の手を握った。「始めまして。赤木博士の御高名は常々承っておりましたわ」そして握手を終えてから言った。「でもあなたは生きてる方なのかしら?」
「大丈夫、脚はちゃんとあります」そういって。形のいい長い脚を組んで見せた。
「俺がこの前会った幽霊にもアンヨはあったぜ」そう言ったのは長瀬の後を追って応接室に入ってきたトードだった。
長瀬はトードのもの言いに一瞬ひやりとした。長瀬にとっては相手が幽霊だろうがなんだろうが関係なかった。しかしこの場が壊れて得られる情報が得られなくなるのは痛い。
しかしリツコはまるで機嫌を悪くした様子はなかった。「あぁ、ミサトね。彼女はこの前勝手なことをしたから、そう簡単には出して貰えなくなったわ…」
「『出して』?」長瀬はほっとしながらも問い返した。「どういうことかしら?彼女はどこかに監禁されてるの?」
「説明は面倒ね。ところで…」リツコはトードの方を向いた。「タバコは持ってないかしら?」
「悪いね」トードは首を振った。「禁煙中なんだ」
「メンソールでよければ私が持ってるわ」長瀬はハンドバッグからタバコの箱を取り出した。
「ありがとう。頂くわ」
そう言って取り出したタバコを一本くわえると、応接室に備え付けられていたライターで火をつけた。
「で、何の話だったかしら…私が何か、だったわね。私は『赤木リツコ』本人でもあるけどもそうでないとも言えるわ。つまり、なんて言ったらいいのかしら…」
「チェシャキャット…いや、アダムに取り込まれた人間、だろう?」
トードが自分の推測を言う。
「まあ、あけすけな言い方をすればそうね。でも自我がまるで以前の通りというわけではないの」
「正直あまりピンとこないわね」長瀬は話を止めて言った。「私はそれよりあなたの目的に興味があるわ。今の話から推察すると、あなたはアダムの代理人としてここに来たようだけど、そうなの?」
「ええ…まぁそうね」リツコは伏せ目がちに正面を見つめる。
「どういうつもり?…あなた自分の立場がわかってるのかしら?」
長瀬が手を上げると同時にトードがリツコの頭に銃口を押しあてる。
「無駄だと思うけど?」リツコはトードを一瞥し、そして再び正面の長瀬を見つめた。
「俺もそう思う」トードが少し肩をすくめて言った。
「それは私が決めます」長瀬はひるまずに答える。「それはともかく、どういうつもりかおっしゃってくださらないこと?敵中にのこのこ出てくるなんて?」
それを聞いてリツコが吹き出した。「敵?あなたたちが?」
「何がおかしいの」長瀬があからさまに不快な顔をした。
「ごめんなさい」リツコは笑うのをやめた。「アダムはあなたがたを驚異だなんて思ってないわよ」
トードが銃をさらにリツコに押しつけた。しかし長瀬がそれを目で合図して静止した。
「そうでしょうね」むすっとしたまま長瀬は答える。「我々にはアダムに対抗しうる手段を持ってないわ…」まだ、今のところはね、と心の中で付け加えた。
「でもエヴァンゲリオンもしくは通常の使徒に対してなら話は別…そうね?」
「それが目的なの?」やはり用件はエヴァンゲリオンに関してか、そう思いながらリツコの話を促した。
「あなたがたに現在接近中のエヴァンゲリオンを殲滅して欲しいの」
いきなりな発言に長瀬とトードは耳を疑った。
「どういうこと?」
「現在第二東京市に接近中のエヴァンゲリオンをあなたがたに殲滅していただきたいの」
長瀬は皮肉な笑みを浮かべた。「あなたがどういうつもりで言ってるのか知らないけど、あれは殲滅します。でもそれはあなたたちのためにじゃあないわ」
「でも殲滅のための手段はまだあるのかしら?」
「心配して頂く必要はないわ。まだロンギヌスの槍はこちらの手中だし、時間もあるもの」
「でも彼に有効な作戦があるかしら?」リツコは続けて冷たく切り返す。
「あなた、どういうつもり?」
リツコがふっと笑った。「協力しようというのよ、あなたたちに」
「お断りするわ」長瀬がきっぱりとはねのける。「動機の判らない申し出を受けるほど間抜けではないわ」
「動機なら簡単なことよ」リツコは答える。
「簡単?」
「そう、簡単な、生物としてならあまりに当然のこと。メスには常にオスを選ぶ権利があるの」
「メス…ってアダムのこと?」
「そうよ。全ての使徒の母たる存在、ね」
「俺には男に見えたがな…」トードが口を挟む。
「外見上の性別表現は重要ではないわ。要はその機能よ」リツコがトードに言う。「とにかくアダムにはまだサードインパクトは起こさせないわ」
リツコの言葉を聞いて、トードの心中に疑問が湧き起こった。どうして今じゃだめなんだ?こいつらは本当にアダムの意思でサードインパクトをとどめようとしてるのか?
しかしトードが考えてるうちにも話は進んでいた。
「あなたたちの言い分は判ったわ…」長瀬が言う。片手は相手に悟られないよう、机の下の緊急時の呼びだしスイッチに伸びていた。「でもやはりお断りするわ。得体のしれない相手とは組みたくないもの。それと、あなたの身柄は拘束させてもらうわ」
そう言い終ると同時に武装した情報部のエージェントたちが室内に押し入って来、ソファの上のリツコを取り囲み、銃口を向けた。配置が済むとトードは静かに輪から抜け出た。
「あなたもここへ来て、素直に帰れると思ってたの?」長瀬が見下す様に言う。
「無駄というのが判らないようね」リツコはため息をついた。「私は影にすぎないわ。空間に投影された赤木リツコという存在の影…」
「御託はもうたくさん。おとなしくしてもらうわ」
「これ以上ここにいてもしょうがないようね」リツコがすっと立ち上がる。周囲の銃口がリツコにぴたりと狙いを定めていた。「でももし私たちの協力が必要なら、いつでもするわよ」
長瀬が躊躇なく手を挙げ、攻撃の合図をした。一斉に銃声が鳴り響いた。
しばらくして長瀬が突然叫んだ。「止めなさい!撃ち方、止め!」
銃声にかき消されそうなその声に、銃撃がぴたりとやむ。
「なんなのよ、これは…」
長瀬は誰もいない正面のソファをみつめた。
「葛城ミサトの時と同じだな」
トードが長瀬と視線を合わせて言う。
「我々の手には本当におえないというの?彼らは」長瀬が小声でつぶやく。「でも引き返すわけにはいかないわ…すでに賽は投げられたのよ」

***

もはや殆んど人々のいなくなったはずの第二東京市を、あわただしく大型の車両が往来していた。
「一体今度は何をするつもりだ?」
外の車の流れを見ながらトードが長瀬に聞いた。
「陽電子砲による、長距離射撃よ」
「そんなものがあったのか?」トードはいささか拍子抜けした。「ならさっさと使えばよかったのに」
「問題が色々あったのよ」長瀬は右のこみかめを指で押えた。「戦自研からの許可、電力配給の関係、
その他もろもろね。こういう時には超法規特権のあったネルフが羨ましくなるわ」
ため息をつく長瀬になおもトードは話し続けた。
「でも、勝算はあるんだろう?」
「ゼロではない、という意味ならあるわ。私はね、ここと言う時に切札を出し惜しみするほど愚かではないの」長瀬が失敗に終った槍の投下のことを言ってるのは確実だった。
「おいおい、悲観的なもの言いするなよ」長瀬の言い方にひやっとするものを感じてトードが言う。
「ロンギヌスの槍と違って完全にATフィールドを無効化できるわけではないもの。確率は落ちるわ」
「でも取り敢えず必要電気量は集まるんだろう?」
「関東甲信越一帯の電源のみだけど、それでも計算上は目標のATフィールド突破に必要なエネルギー量の120%は集まるわ。でも…」
「でも?」
「いいえ、なんでもないわ」長瀬は一瞬だけ不安気な顔を見せたが、すぐに気をとり直した。「それと碇シンジ君の避難は?」
「ああ、さっき準備が出来て、今からヘリポートに向かうって報告があった」
「そう」長瀬はそれを聞いてまた書類に向かった。
「エヴァンゲリオンなんかないんだろ?だったらなんで小僧にそこまで拘るんだ?」
トードが長瀬の様子を見て尋ねた。
「今のところ彼の出番はないわ。でもこの局面を乗り切ったら、彼が必要になる」
「それはどういう…」
さらに問いただそうとするトードの言葉を、長瀬は遮った。
「とにかく今の状況のことだけを考えましょう。そうしなければ我々には先はないわ」
「我々?」怪訝そうにトードが再び問い返す。
「そうよ、私、じゃなくて我々。未確認情報だけど、国連軍は目標体に対する現有するN2兵器の一斉投下を検討してるらしいわ」
それを聞いてトードの顔が青ざめる。
「おいおい、一斉投下って…それじゃここは…」
「第二東京市だけじゃなく、おそらく日本全土が壊滅するわね。目標もろとも」
「冗談じゃないぜ…」トードが口元をおさえる。
「裏がちゃんと取れたわけじゃないわ。でも本当にやりかねないわよ。私たちの指揮権が剥奪されたらすぐにでも」
「正気じゃないぜ…まったく!」
「人間に期待し過ぎないことね。あなた、傭兵のわりにその辺が甘いようだけど」
トードが長瀬の言葉にむっとし、部屋の出入り口に向かった。
「どこへ?」長瀬がトードの背中に呼びかける。
「小僧の様子でも見てくる」
そう言って部屋から出ていった。
「入れ込みすぎね…何のつもりか知らないけど」トードが去った後、長瀬がつぶやいた。そしてため息をついた。「私も…かもね」

***

「よう、調子はいいかい?」
地下駐車場で、ヘリポートへ向かう車の前で待っている碇シンジに、突然トードが話しかけてきた。
急にトードが現れたことでシンジは少し驚いたが、少し考えて言った。
「はい、まあまあです」
いつも通りの、相手に迎合した答だったが少なくとも口調は明るかった。あまり顔色はいいとは言えないが、その言葉にトードは取り敢えず安心したようだった。
「そりゃよかった」そしてシンジの耳元に口をよせた。「で、どうするか決めたか?」
最初シンジはトードが何を言っているか判らなかった。しかし人目をはばかるような態度に、この前のことを言ってるのだと気がついた。
「まだ…判らないです」
「そうか…」トードは言った。「焦ることはない、まだな」
この前のトードの厳しい口調とは違って、優しげな口調なのにむしろ驚いた。煮え切らないところを見せるとトードが怒るのではと内心恐れていたのだが。
もっとも彼自身、いつの間にか自分で結論を考えようとしていることには気がついてなかった。思考は同じ事象の上をなぞらえるばかりだったが。
シンジがトードの態度のことを考えてる間、トードは別のことを考えていた。
長瀬はこいつに何かをさせようとしている。それが何かは判らないがあの女の今までの行動からして、こいつの為になることとは思えない。もしそうなったら自分はこの小僧を守るべきだろうか?
そこまで考えて自分の思考にふと疑問を持った。どうして自分はそこまでこいつのことを心配してるんだ?俺の目的はそうじゃなかったのに。
そしてじっとシンジを見た。
「どうしたんですか?トードさん?」
深刻そうなトードの表情を怪訝に思ったシンジがトードに尋ねたが、トードは質問が耳に入ってないかのように黙ったままだった。
ひょっとして、罪滅ぼしのつもりなのだろうか、自分の人生の。あるいは人殺しなんかしてなかった時の自分を勝手に相手に重ねてるだけなのだろうか?
「あの、トードさん…?」
シンジがもう一度トードに話しかけた時、内務省のエージェントがトードの肩を叩いた。
「ミスター、もう時間ですので、御遠慮願えますか?」
いつの間にかトードの背後に立っていたエージェントがそう言った。
「え?あ、ああ。すまない」
そう言ってトードは後ろに下がった。「あ、ちょっと待ってくれ」
車の後部座席に乗ろうとしてるシンジを呼び止めた。
「手短にお願いします」エージェントが渋い顔をして言った。
トードはうなずいて、シンジに近付いた。
「いいか、これからどうするにしても、取り敢えず生き残ることを考えろよ。いいな?」
シンジはトードの言葉をきょとんとした表情で聞いていた。そして少し吹き出した。
「…やだな、ただ避難するだけなのに、おおげさですよ」
「え?そうかな…?」トードはシンジの言葉に戸惑った。
「そうですよ、トードさん、今日何か変ですよ」
笑顔を見せてそう言うシンジに、トードはどこかしらほっとしていた。
「そうか、変か」
トードも微笑み返した。エージェントが時間を気にするように腕時計を見てからトードたちの方を見た。
それに気付いたシンジが、トードに言う。
「それじゃ、また」
「ああ、またな」
シンジが車に乗り込むと、車はエンジンをうならせて走り去っていった。
先のことがわからないのは、俺も同じか、トードは自嘲気味な笑みを浮かべてそう思った。

***

「全配備、指示位置につきました!」
第二東京市に戻ってきた識者の中で、頭に包帯を巻いた日向が状況報告をする。とりあえず検査の結果は問題がなく、本人の希望もあって今まで通り配備されている。
長瀬は日向の方をちらっとだけ見た。
「そう、目標が市内に侵入する前にけりをつけるわよ」そう言ってマイクを取ると、全部署につなげた。「もう一度作戦内容をおさらいします。第二東京市南約100KMの地点にて目標の敵性体の通過を待機敵性体目標地点通過時に北3.5KM離れた山中に偽装配備された自走陽電子砲による長距離射撃により敵性体を撃破します。自走陽電子砲は3回の連続射撃が可能、それ以降は長時間の冷却、電力のチャージが必要になります。初撃の着弾確認後、すみやかに第二撃を発射します。三撃目も同様。敵性体の機動力等をかんがみて、再チャージ後の作戦続行はありえないと思いなさい。以上!」
マイクのスイッチを切ると、長瀬はため息をついてパイプ椅子に座り込んだ。
「今度は…うまくいきますかね…」
日向がためらいがちに切り出した。隣の青葉は長瀬に話しかける日向を厳しい視線で制した。
「いくといいのだけどね」長瀬が珍しく本音を漏らす。「実際のところこんな頭の悪いネルフの作戦のマネみたいなことしたくないんだけど」
その言葉に日向がむっとした顔になった。長瀬自身にはまるっきり悪意はないのだが。
「おい、もう少し言うことを考えろよ」日向の様子に気がついたトードが長瀬に小声で言った。
「そうね、あからさまに不安を表したのはまずいかもね」長瀬はトードの言ってることとはまるで別のことを気にして言った。「でもね、この作戦は機動力のない第五使徒には確かに有効だったかもしれないけど、機動力が遥かに優れてる今回の敵性体にはそこまで有効ではないはずよ。しかもエヴァ抜きではすみやかな狙い修正などは不可能、連射可能と言う点が唯一の救いね」
流石に声はおさえてるがあけすけに言う。
「でも勝算はあるんだろう?敵に気付かれる前に終らせれば」
「だと思うけど」長瀬は口元を押えて考え込んだ。
その様子を見て、トードは何か不安なものを感じた。「何かまだ心配の種があるのか?」
「まあ杞憂で済むといいんだけど」
「何が心配というのだね?」冬月が長瀬に聞く。
「敵性体、目標地点到達予想時刻まであとワンミニッツ!」
通信オペレーターの一人が叫ぶ。
「ともかくやるしかないわね」
長瀬がそう言って話を切り上げる。
モニター上にエヴァの姿が映り、画面隅でデジタル表示の時間が目まぐるしく動いている。
エヴァは鼠色の巨体をひきずりながら、第二東京市に向かってそのまま北上していた。
別のモニターには山間から姿を表すエヴァが、仰観で映っていた。
見た目上にダメージは受けてるが、それはほとんど外装だけなのは見てとれる。本体はほとんど無傷だろう。
「来たわ…」長瀬がつぶやいた。


「来たな…」自走陽電子砲の付近に敷設された陣営で、双眼鏡でエヴァンゲリオンを確認している将校がつぶやいた。「自走陽電子砲、発射準備開始!」
命令一喝、オペレーターたちがパネル上をめまぐるしく操作し出す。
「砲身の冷却開始!」
「電力チャージ、99.7%!」
「敵性体、目標地点まであと50M!」
「総員、衝撃に備えろ!」将校が叫ぶ。
「目標地点まであと20M!10M!0M!!」
「ていっ!!」
そう命令が下った瞬間、はるか彼方めがけ光線が音もなく伸びていく。そして一拍送れて、陽電子線の熱により爆発的膨張をおこした熱風が陣営に叩きつけてきた。


それが到達する瞬間、"彼"は不覚にもそれに気がつかなかった。しかし彼にとって幸いなことに、照準が甘く、狙いが不正確だったため、それの熱が肩をかすったのみで致命傷には至らなかった。背後の地面に着弾した陽電子線のエネルギーが一気に熱エネルギーへと変換し、爆発を引き起こした時彼はようやく焼けた肩の痛みを感じた。
今まで味わったことのない苦痛に、彼は大声で叫んだ。


青葉がモニター上で悶えながらおたけびをあげるエヴァンゲリオンを見て興奮して喋った。
「陽電子線初弾、着弾を確認!弾道は敵性体の肩をかすめただけです、が、ATフィールドによる遮蔽は認められません!」
「では続いて第二撃発射準備!準備完了後すみやかに発射!」
長瀬が命令を発する。
初弾が外れたのは痛いが、ATフィールドを貫通している。続いて攻撃を加えれば大丈夫のはずだ。
そう、敵が学習しなければ。
「照準修正完了!発射準備完了!発射します!」
「発射!!」
長瀬の号令と共に、二発目が敵性体に放たれる。しかしその軌道はエヴァの手前500Mで途中鈍角に折れ曲がり、目標をそれた。
「なんですって!?」

***

真暗な中、ブリーフィングの会場になっている会議室の正面にプロジェクターでエヴァンゲリオンにより踏み潰される自走陽電子砲の図が大映しになった。
「全三発、発射するも全て致命傷には至らず、か」長瀬が映し出される映像につぶやく。「ぶざまなものね」
「これがアンタの杞憂のタネだったのかい?」トードが長瀬に話しかけた。「どうして失敗したんだ?俺にはさっぱり判らないんだが…」
それには長瀬が直接答えず、同席していた日向マコトが答えた。
「おそらく敵性体のATフィールドにより荷電粒子ビームの軌道が変えられたのだと…」
プロッジェクターがエヴァのかなり手前で折れ曲がる荷電粒子の軌跡を映し出す。
「でも一発目は効いたんだろ?どうして二発目以降急に?まさかこんな短時間で成長したとか?」
「中学生でも理解できる単純な物理学よ」長瀬がこみかめに指をあてて渋顔を作って答えた。「陽電子ビームの軌道から推測して、目標は自分の手前、およそ500mの地点に約87度の傾斜をつけてATフィールドを展開、それにより直進する粒子の軌道をそらしたのよ」
トードが呆れ顔になる。
「そんな単純なことで防げるのか?」
「十分よ。粒子の軌道に対して垂直に展開すれば100%の力積を受けるけど、傾斜をつければ話は別。子供にだって思いつく理屈よ」長瀬は一息に喋るとため息をついた。「それを考慮して、三発目は自走陽電子砲に急速接近する目標に対しての至近距離からの射撃をおこなったのだけど…」
長瀬の言葉に合わせ、映像が陽電子砲の正面に立つエヴァの真正面から射撃を行なう自走陽電子砲の像が表示される。陽電子の軌道は鋭い角度をもってエヴァの正面手前で折れ曲がり空へ伸びていた。
日向が説明をする。
「今度はATフィールドを二枚重ねて展開、一枚は粒子軌道に対し垂直に展開することで突破されつつも陽電子粒子の衝撃のほとんどを吸収、二枚目で完全に防御してます」
「まさかこんなことが可能だとはさすがに思いもしなかったわ」
長瀬がまたため息をつく。
「とにかく作戦は失敗、打つ手なし、というわけだ」冬月が皮肉まじりにまぜかえした。
「やはりATフィールドを完全に無効化する手段がなくては、仕止めるのは難しいわね」
「ロンギヌスの槍かね?」冬月が長瀬に言う。「しかし荷電粒子砲と異なり相手に察知されずに到達することが困難だぞ?どうするのかね?」
「相手が察知してもよけられない状況に追い込めればいいのですけどね…」
もう一度ため息をつく。
「政府の連中も海外へと逃げ支度だそうだ」冬月がなおも皮肉な口調で言う。「手はあるのかね?」
「全然」長瀬が素直に首を横に振る。「お手挙げですわ」

***

シンジは時々南の方角が少しざわついた様に感じたが、すぐに気のせいと思い忘れてしまった。
「あの、ヘリポートまでまだですか?」
大きく道をまわり道しだした車中でシンジが運転をしているエージェントに尋ねた。
「まだしばらくかかる。途中で車両が事故を起こしたので迂回しなければならなくなった」
事務的な答が帰ってくる。
しばらく窓の外を眺めていたが、体をもじもじとさせてもう一度口を開いた。
「テレビ、見ていいですか?」
「好きにすればいい」
返事はあくまでそっけない。シンジは諦めたように車載の液晶テレビのスイッチを入れた。
画面に第二東京市の光景が映し出された…

***

「ちょっと!報道規制はどうなってるの!」長瀬の怒鳴り声が響く。テレビに第二東京市の光景が映っている。その高い視点から、ヘリからの映像であることが判る。「今回の件に関する一切の報道はシャットアウトのはずよ!」
「はぁ、それが局の方に指導はしてあるはずなのですが…」
情報部員がしどろもどろに答える。
「ハズも何も現実問題として報道がなされてるでしょ!すぐにTV局に連絡して放送をやめさせなさい!これ以上の報道を許せばあなたの評価にもかかわりますよ!?」
「は、はい!」
長瀬の喝をうけて慌てて出ていく。
「まったく、どいつもこいつも無能なんだから…」
長瀬が眉を吊り上げてこぼした。
「おいおい、カリカリしなさんなって、それとももう更年期障害か?」
トードがそばから混ぜっ返す。長瀬がキッと睨み返した。
「セクハラで訴えられたくなかったら、その下品な口をつつしみなさい!」トードは黙って諦めた様に肩をすくめた。「まったく、程度が低過ぎるわ。エヴァが映ってないのがまだ唯一の救いね」
「肝心の作戦の方はどうなってる?」
トードが当たり触りのなさそうな話題を振る。
「今冬月氏を交えて解析結果から有効な手段を割り出そうとしてるけど、芳しくないわね。最初にケチがついたのが運のつきかもね」
「おいおい、あんたが諦めるなよ」
トードが呆れた様に言う。
「より有効な手が見つからないのよ。いざとなったら槍の盲投下だなんて、ネルフじゃあるまいし、頭悪過ぎるもの」
その時デスクの上の内線が鳴る。「はい、長瀬です」暫くして、受話器を取った長瀬の顔色が見る見る悪くなっていく。「なんですって!?」
長瀬が怒鳴ると同時に、割り込みでもう一本、内線が入ってきた。最初の内線の方に暫く待つように言うと、回線を切替える。「ちょっと何!?今大変なところなのよ。つまらないことなら覚悟しなさい!」
しかし内線の内容を聞いて、また長瀬の顔色が変わった。「本当に!?」
「おい、何だってんだ?」その様子をそばで見ていたトードがころころ変わる長瀬の様子を怪しんで言った。
「大ニュースが二本よ」長瀬が一時受話器を置いて答えた。「良いニュースと悪いニュースがあるわ。どっちが聞きたい?」
トードは少し考えるふりをする。
「そうだな、景気付けに良いニュースから聞かせてくれ」
「再度アダムからの接触があったわ。ひょっとしたら現状の打開につながるかもしれないということよ」
「見込みじゃたいして良いニュースとも思えないけどな」トードが感想を言う。「じゃ、悪い方は?」
「こっちは正真正銘、悪いニュースよ」長瀬が脅すように言った。「碇シンジが逃げたそうよ」

***

表を人の通る気配がする。碇シンジは息を殺して通り過ぎるのを待った。足音が遠ざかるのを待って、様子を伺いながら路地裏から表へ出る。
正直、シンジは自分がいきなりこんな大胆な行動に出たことに驚いていた。どこかで無謀だ、という冷静な声もあった。しかし自分がやらなければしょうがないと思った。
何気なく車内で見ていたテレビに一瞬だけ映った映像。あの場所に急がなければ、もう二度とチャンスはないかもしれない。
アスカを救えるのは自分しかいない、そう確信してシンジは歩き出した。

***

「おい、こんなことしてていいのかよ!?」情報解析室でトードが興奮したように言う。
「あなた一人があせったってサードチルドレンは出てきません」長瀬はいつも通り冷たくつっぱねる。「今捜索に全力を注いでます」
そして長瀬はデジタル解析班の責任者の方へ向き直った。
「アダムからの接触というのは?」
「はい、発信源不明のデータがネット経由で定期的にここに向けて発信されてます。こちらになります」
モニターに意味不明の記号の羅列が走る。
「これじゃ何かわからないわ」長瀬が言う。
「このままでは意味不明ですが、このデータを見てみると一定のパターンがあることがわかります。それであるパターンでデータを整形してやると、こうなります」
責任者がリターンキーを押すと、今度は音声が流れ出した。赤木リツコの声だった。
赤木リツコの声があるアルファベットと数字の組合せを、繰り返し話すだけだった。
「何のことなの?」
「おそらくこれはこの第二東京市の都市区画の座標を示してると思います。そうなるとこの座標に相当するのは」そう言いながら折り畳んである地図を取りだし、広げた。「ここです」
彼が指を指した場所は東京支庁舎だった。
「この場所に何が?」
「これ以上は我々ではわかりません」おとなしく首を振る。
「そう。では情報の発信源の特定は?」
「それも無理です。一定時間毎に通信経路がランダムで変わり、発信源の特定ができません」
「では引続きそのパターン解析を行なって頂戴」そう言って今度は内線の受話器を取る。「戦自の情報部につなげて」
暫くしてモニターに情報将校が出てきた。
「第二東京市庁舎の現在の映像、出せる?」
「出せますが、今無人機が殆んど出払ってますので暫くかかりますよ?」
「どのくらい?」
「およそ小一時間くらいは…」
長瀬がため息をついた。「もっと急がせられない?」
「無理ですよ、急な要請ですから、呼び寄せるにしても準備するにしても時間がかかります」
「そう、ならできるだけ急がせて頂戴」
長瀬は通信を切ってまたため息をつく。しかし間髪入れずに再び長瀬宛の通信が入って来た。
「部長、テレビ局の方ですが、今連絡しまして撮影ヘリを撤収させることを了承させました」
「そう、ごくろうさ…」言いかけて、長瀬が口を止める。ふと頭の中で閃いたことがあった。「待って!撤収させないで!」
「は?」受話器の向うから怪訝そうな声が返って来た。
「そのままヘリを支庁舎へ向かわせ、映像をこっちに回すように伝えなさい!」
「え?いや、しかし民間にそのようなことをさせるのは…」
「協力でも要請でも、なんなら脅しでもいいわ!今は有時なの!ぐだぐだ言ってないでさっさと言われた通りになさい!」
情報部員は納得のいかない顔で通信を切った。
長瀬は受話器を置くと、笑みを浮かべた。
「どうやら風向きはこちらに向いてきたようね」
「どうかな?小僧だってまだ見つからないんだろう?」
「そっちも今失踪前の行動や日常の行動範囲からの位置の割り出しを行なってるわ。時間の問題よ」
その時、情報解析室に別のエージェントが入って来た。
「長瀬さん!」
「何?」長瀬が振り返る。
「碇シンジが失踪直前に見ていたニュース番組ですが、こちらのビデオを見た結果、とんでもないものが映ってました?」
「ニュース?例の報道規制違反の?」長瀬が顔をしかめる。「何が映ってたの?」
「チェシャキャットです」エージェントがコードネームでアダムの名を告げる。「チェシャキャットがほんの小さくわずかな時間ですが、市庁舎のヘリポートにいるのが映ってるんです!」

***

少女はなぜ自分がそこにいるのか判らなかった。この視点は自分のものではない、誰かのものだったが疑問すら浮かばなかった。疑問を起こすべき違和感が麻痺しているようだった。そもそもそれをおかしく思うべきだが、疑問に思う能力が麻痺してるように、その疑問すら思い浮かばない。
高所に立つため、強い風がアスカの長い髪をなびかせる。いや、風を受けてるのはアスカの体ではない。だから髪がなびくわけがない。だからこれは錯覚なのだ。しかしそんなことはどうでもよかった。
どうして自分がここにいるかもどうでもよかった。
必要なのはここにいることを許容してくれる人々。
『あなたはここにいてもいいのよ』
『みんなあなたのことが好きよ』
『だからここにいてちょうだい』
言葉にはなっていないが、アスカの他にここにいる全員がそう思ってることがなんとなく伝わってくる。何よりも自分の存在を、この世界にいることを許容する世界の中心がいるのを感じた。温かい母の胎内に似た全体感。懐かしい誰かに抱きしめられている感覚。
全世界から自分が守られている。疎外感も、不安感も、不安も感じない。
しかし幸福感も感じない。
アスカは今、ゆるやかに奈落に落ちようとしていた。

***

「碇シンジは奴を見て奴を追っていったんだろう?だったら俺が市庁舎まで連れ戻しに行く」
そう言ったのはトードだった。しかし長瀬はすぐには首を縦に振らなかった。
「あなた、この前碇シンジに何て言ったか憶えてる?あなたを迎えに行かせるのは危険だと見るのは非常に妥当だと思うけど?」
「やっぱり盗聴してやがったか」トードは舌打ちした。しかし長瀬はトードの呟きが聞こえないふりをした。「馬鹿言うなよ。今の状況がヤバイなんてのは言われるまでもなく判ってる」
長瀬はトードを試すようにじっと眺めた。
「あなたが行く必要は必ずしもないと思うけど?罪滅ぼしのつもり?」
トードは肩をすくめる。
「別に。奴と…チェシャキャットと対峙した回数が一番多いのは俺だ。状況判断は俺が一番出来るだろう。こんな判断にまで私情を挟むつもりはねえ」そう言って丸い色つき眼鏡をかけた。「仕事だからな」
「判ったわ」長瀬がにやっと笑った。「報酬分の働きはしなさい」
「言われなくても」そう言ってトードは出ていった。
トードが出てくと長瀬は全館放送につなげた。
「これからゴルゴダの第二次作戦に入ります!総員、準備なさい!」

***

ブリーフィングにおける長瀬の作戦説明
「第二次のゴルゴダ作戦は基本的に最初のものと変わりません。前回はN2地雷により目標の動きを止めるものでしたが、今回は敵性体の目標が第二東京市支庁舎屋上ヘリポートにあります。従って敵性体は当然市庁舎を登り、目標への接触を試みるはずです。この間、移動スピード及び敵の機動力は極端に低下するものと思われます。従ってもっとも敵性体の機動性、および注意力の低下すると思われる目標との接触の瞬間を狙い、槍を投下します。以上質問は?」

質問者 冬月コウゾウ
「その作戦は敵性体の目標が動かないことを前提に行なうことになるが、その保証はあるのかね?」

回答者 長瀬
「この世界のどこにも100%の保証ができる事柄などはありえません。未確認ですが目標の意思が敵性体の殲滅にあるという情報もあり、他のリスクと比較した結果もっともリスクが低いと思われます」

質問者 青葉シゲル
「目標の移動がないにしても、この作戦はサードインパクトをおこす危険が高いのではないのですか?」



「それに関しては 」長瀬が答えた。「接触の瞬間を狙う以上、リスクはこの上なく高いです」
長瀬の言葉に場がざわめいた。
「しかし、国連軍は指揮権が我々から移った直後に、N2爆弾の無差別投下を行なうことを正式に決定しました」人々のざわめきは更に大きくなった。しかしひとまず場が静まるのを待って続けた。「最もリスクが高い作戦であるのも確かですが、成功率が最も高いのも事実です。All or Nothig、我々には成功する以外道がないのよ」言葉を切って長瀬は深呼吸をした。「最後に言っておきます。所詮自分を救うものは自分だけよ。エリ、エリ、レマ、サバクタニ。あの化け物に思い知らせてやりましょう。以上」
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