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2005年12月21日(水) 旧暦 [n年日記]

[マンガ][アニメ] 漫然と漫談

 サンデーで始まった「グランドライナー」。絵がこなれてるのはよろしいことなのですが、「世界には秘密が隠されている 気がする 」で家族を捨ててしまった父親ってのはどーよ? 「 気がする 」で家族を捨てられたんじゃ、世界にどんな秘密があろうが、そりゃ許せんわな……
 「堂士郎でござる」が次回最終回、とわりと突然な感じが。ほとんど超人な堂士郎より、ヘタレな普通の高校生が知恵と勇気をふりしぼってるのが結構好きだったんだけど。

 そういや、コミックボンボンでその他のインパクトが(ネタ的に)あまりに強かったのですっかり忘れてたが、いつの間にか石垣ゆうき氏も描いてたのね……MMR(マガジン・ミステリー・リサーチ)で(あまり良い意味ではなく)一時代を築いたが、やはり妙な印象が付きまくっちゃったんだろうなぁ。絵柄的には今でも受けの良さそうな絵なのに。

  ノエイン 。母親からは中学受験を強制されなくなったが、ユウは自分の意思で東京の進学校を受験する事を決意。ユウと離れ離れとなる事に少なからぬショックを受けたイサミと口論になってしまう。異世界のユウとイサミであるカラスとフクロウは一旦痛み分けするが、龍のトルクであるハルカを勝手に殺そうとしたコサギへの処分が先送りにされるほどの緊急事態が起こる。もはや龍のトルク奪取に一刻の猶予もなくなったフクロウは、進学について口論するユウとイサミを優しく見守る。そして同じく二人を見守っていたカラスと、親友同士としての最後の語らいをする。
 親友同志だからの諍いと和解。それと対照的に繰り広げられる、それぞれの義務のための別離の決意。ユウ・イサミとカラス・フクロウの対比が切ない。イサミの家の家庭事情が今回初めて明らかにされる。両親共に死亡(事故?)し、兄弟三人、祖母の家で暮らしている。熱血馬鹿っぽい兄貴がいいキャラクター。迷えるイサミにずばっとアドバイスを下す。もう一人、妹がいるらしいが、これも登場するのか?
 一方、ハルカの方も話が進んでいる。量子テレポーションの説明は冗長だが、行方不明の重要人物の黛博士が実はハルカの父親だということが判明。絶対臨界計画阻止委員会の内田は危険なプロジェクトの中止のために、ハルカを介して黛博士と接触しようとする。嵐の予感。かつ、すげーまっとうに面白い。

[その他] 「もし本当だとしたら」

 「本当だとしたら」ということで未確認情報で話をする事の責任を逃げている、という話があったので、自分の日記を「本当だとしたら」「本当なら」で検索してみる。前者は一件、後者は八件。ただし、後者は全然時事とかの感想じゃないのも含まれてる。基本的にそれで糾弾調にはなってはいないといえ、ちと反省するなぁ……
 最近強度偽造問題で個人の日記サイトで議員やら当事者やらのタレコミを受けて情報をのっけたとか騒がれてるけど、それって単純にそのサイトがその彼らに都合のよい情報を流す大衆扇動装置として機能してるってだけの話だよなぁ……しかもそのサイトは噂話レベルのことを「この話が本当だとしたら」と後に続け、その後に「こんなに酷い事が起こってるということになる」と提示、そして糾弾、ということをお決まりでいつも行っている。おいおい。お前はMMRか? というツッコミのひとつも入れたくなる。仮定で糾弾かよ。
 その手のサイトは「もし本当だとしたら」と危機感を扇動するが、「もし本当ではないとしたら」どうするつもりなのか。ってどうするつもりもないのはその手のサイトのその後の話題の取り上げ方(端的に言えばスルー)を見てればわかる。
 それで扇動する方も扇動する方だが、される方もねえ……

 それにしても天気予報でまた雪が降るっつってんですけど……


2005年12月22日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] なんだかようわからん

  社説:匿名発表 見識を疑います、猪口さん毎日 )。この問題は警察発表時に実名発表するか、原則実名発表で報道で実名にするかは書くマスコミに任せるか、という話かと思っていたが、 だからといってメディアが担ってきた実名か匿名かの判断を警察に委ねるのは危険極まる考え方だ。って、なんか既得権益の話みたいになってる。 従来のメディアのあり方に行き過ぎがあった面は否めず、メディアに反省すべき点は少なくないが、と問題点を認識しながら、その問題の改善策については触れてないのも……「これからは注意します。てへっ」ってのは、何の説明にもならない。
  万一弾圧的な捜査が行われても、匿名にされてはメディアが人権侵害を暴くことも困難になる。ということで、この辺はまだ説得力がないわけではないが(もっとも、報道被害による人権侵害は誰が暴くのか、ということになるが)、 真の被害者救済は、痛みと苦しみを共に生きる人々で分け合うことから始まる。って、そう決め付ける根拠は? 事件を世間に知ってほしいという被害者もいれば、そっとしておいて欲しいって人だっているだろうに。で、 匿名が原則になれば、実名を希望すること自体にエネルギーを要し、いきおい希望する人は減るって、実名希望する事にエネルギーを使わせないってことでしょうか? 実名匿名はマスコミ側で判断してあげますよ、と読めてしまうのですが……望ましいのは判断は被害者で、それをシステム的にきちんとできるかどうかってことだと思いますが……
 結局 メディアの良心と健全なメディアを支持する市民の良識とやらが信頼されていないから、この件が喧々囂々とされているわけで。
 警察とマスコミのどっちに信託するか、ということなら、それによる被害をどれだけ防げるか、知らせる権利、知らせない権利をどれだけきちんとできるか、というプレゼンをきちんと行うべきでしょ。どちらも。警察のも十分とは言えないが、マスコミの方はそもそも行っていないからなぁ……

  日本独自でハイテク宇宙服 技術力結集 重さ20キロ目標東京新聞 )という記事を見て、「スキンタイト宇宙服?」とか思ったら、 お膝元 で既に 同ネタ アンド ツッコミ が入ってました……やはりネタ争いは厳しい。

 それにしても今日もえらい雪ですな……日曜〜月曜もかなり積もったけど、今晩も下手するとそれ以上に積もりそう。名古屋でボタ雪より粉雪っぽいのがなお珍しい。


2005年12月23日(金) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 最近見てるけどあまり取り上げてない奴

  BLACK CAT 。東海地方では現在#8。原作とはかなり構成を変えていて、最初は主人公のはずのトレインが全然中心でなかったのでどうかと思ったけど、中盤に至ってこの構成にした効果が出てきてる。4クールくらいの作品ならともかく、1,2クールでは原作どおりではどうひっくり返っても話が展開しない。だから「黒猫の殺し屋時代」→「掃除屋時代」→「因縁の対決」とするのは、かなり上手いと思う。思い切って手を入れたなぁ……
 原作は「真似猫」とか揶揄もされていて、真似とまでは言わぬまでも他作品からの影響が強すぎた。それが悪いとは実は当時から思っていなかったが、全体的に作品が薄いのがむしろ気になっていた。が、ここまで切り詰めるのなら切り詰めた方がたしかに良いかもしれない。

  プリキュア 。まー、特にこともなく。戦闘シーンと日常シーンが乖離してる(ってか、カタルシス発生装置以上に融合させようという気が多分あまりない)けど、日常パートの出来は実はそんなに悪くない。良い、と誉めるようなこともしないけど。

  舞-乙HiME 。前作キャラを小出しにしつつ、アリカが学園生活になじんでいく様と、ちょっとした世界のほの暗さを匂わせている。前作の配役がちょっと意外なところで出てくるのは面白いが、まったくの新作として見てる人にはどう映るんだろう? それとちょっとスローテンポの気がしないでもない。キャラが前作に増して多いからなぁ……

  はっぴぃセブン 。「早々に切るんじゃない?」と言いつつ、実は見てました。はい。面白いかってえと、まあ、別に。ただ時々ローテーション的に頭使わずに流せるものが欲しくなるのよ。「ベタ」(あまり良い意味ではなく)ってのはこうやって構成するんだな、とか思いながら。でも、第一話見たとき予感したほどはメタメタな作りではない。

  ラムネ 。「早々に切るんじゃない?」と言いつつ以下略。これも軽く流すために、っていう部分が大きいのだけど、小品は小品なりに、実は結構手堅く上手いつくりをしている。原作がギャルゲだから複数ヒロインがいるのだけど、最初からメインヒロインと半ば公認カップル状態で、一人を除いて他のキャラは別に異性として(少なくとも恋人になろうというような)恋愛感情を持っているわけではない。つまり、くっつきそうでくっつかない二人を友人たちが見守ってるという、とてもオーソドックスなラブコメの構成をしている。主人公に恋しているもう一人のキャラも、ライバルキャラというより二人の仲を進展させるための役割といった位置付けだし。そのメインの流れの中で、各キャラが各回メインで事件(ってほどのことではないけど)が起こり、解決していく。子供時代の回想シーンの比重が大きいのはちとなんだけど、ギャルゲ原作をどうテレビシリーズにまとめるか、という一つの答にちゃんとなっている。

  かりん 。一応これも見ています。新キャラが出てくるまでは、新味はないけど原作の雰囲気をわりと上手くアニメにしてるな、と思ったけども、新キャラの位置がちょっと微妙。吸血鬼ハンターでかりんに一目惚れ、という設定だ。かりんって子は、可愛いけども美形家族の中では標準以下で、吸血鬼ではなく増血鬼であるとか、わりとドジで鈍感っぽいとか、あまりいいところのないけど頑張るいい子、というキャラ付けなので、一方的にベタ惚れで追い掛け回すキャラの存在は浮いてる気がするが……まだ新キャラ登場二回目なので、判断するには早すぎるけど。

 と、多分ここしばらく触れてなかったのはこれで全部か?
 それと、それとは関係ないけど、知人の製作物の宣伝。
  『アウトロウ』 。犯罪者と刑事の、カーチェイスの自主制作ムービーです。刑事ドラマ、車(特に警察車両とか)好きが講じてついには自分で作ってしまいました。予告ムービー見てると、本当に車をがっしゃんがっしゃんぶつけまくって壊してます。
 「ええ、いつかはやりそうな人だなと、前から思ってました……」(ニュースのインタビュアーに事件の犯人の人となりを聞かれた、近所の人風に)


2005年12月24日() 旧暦 [n年日記]

[その他] イブだから

 見栄張って「更新できません」とかやろうとかちらと思わないでもなかったけど、空しすぎるのでやめました。げしょ。
 一昨日の冬至には、かぼちゃ買ってきてちゃんと煮付けたんですけどね〜。たって、かぼちゃってつい煮崩しちゃうんですが。今回は面倒だったこともあって乱切りにした後電子レンジで火を通し、作り置きのだしを薄めて煮付けたら、上手くいった。そんなに煮込まなくてももともと旨みと甘味が強いし、だしの染み方も早いんだなぁ。
 昼過ぎまで野暮用にかかりっきりだったが、それが済んでから大須に出かけ、二、三買い物をする。で、その帰りがけに書店に寄ったんですが……そこで月刊マンガ誌のコーナーでキモイ会話を聞いてしまいまして……ああ、こりゃオタクって世間から白眼視されるわけだと思いましたよ。まあ、なんつーか……

 で、今日買ってきたもの。
 ・ 絶対少年 妖精たちの都市〜横浜/浜崎 達也
 ・ 絶対少年(5)
 ・ わかったつもり 読解力がつかない本当の原因/西林 克彦

 最初の二つは、お布施。小説は、ちょっとこれを改めて買うという意味があるかは不明。基本的に元シナリオをそのまま小説にしている。コレクターアイテム的な意味か。会話だらけだった最終話は、小説の体裁になると違和感ないなぁ。
 DVDは、今回から横浜編に。キャラクターが一新し、再びテンポはゆったりテンポに。
 「わかったつもり」は こちら で薦められていて、店頭で冒頭を読んだら面白げだったので。

 そういや一応見てるけど最近日記で取り上げてないアニメ、 ARIA があったっけ……忘れてた。


2005年12月25日() 旧暦 [n年日記]

[アニメ][特撮] 日曜のいつもの

  エウレカセブン 。話は唐突にレントンの姉、ダイアンのことに。何気にダイアンの顔出しは初めてか? なんつーか、いろいろ絡んでいるけど、非常に話の出し方が断片的というか。散発的に出してくるんだよなぁ。シリーズ構成にちと難が……レントンの姉とホランドが関係があることはわかってたけど、このタイミングで出されても……レントンが姉の靴を隠した時のデートの相手がホランドだったとか、ホランドがコーラリアンとの接触にこだわる理由とかがわかって面白くはあるんだけどねぇ。ホランドの家が結構いいところらしいとか、そういうのと絡めればもっとちゃんと話進められそうなのに。それに絡んでエウレカの初めてのお化粧。これまで人間性がほとんど欠如してたために戦闘での殺人にも無感動だったが、そうではなくなってきているし。顔の傷や眉毛は元に戻らないみたいだけど、化粧で元の顔に近づくのか。

  響鬼 。イブキが「斬鬼! 死亡確認!」と王大人並みのポカをやらかしたかと思いきや、ザンキはトドロキをフォローするために返魂の術を使い、動く死者と化していた。それを知ったトドロキは……一方、京介が陰陽環を使い復讐をしたのではないか、と疑う明日夢は京介を見張るが……
 「トドロキが師匠離れできないのと同様に、ザンキもまた弟子離れができない」という意見をどっかで見かけたけど、まったくその通りで。自らの身も省みずトドロキのためにすべてをなげうつザンキの姿を見て、トドロキは奮起。ついに本当に師匠離れすることに。
 京介は、腐っても鬼の弟子、ということで。「ついに人殺ししたか!」って先週の時点で書いてる人もいたけど、さすがにそれはないでしょうって……もっとも、人を助けるために、というより「人を助ける職業」にあこがれてるってところでしょうが。
 全般的にシチュエーション優先で構成や整合性に難があることは否定しませんが、それでも見せたい部分ってのがはっきりしてるつくりだと思います。良いものとは言わないし、評価はそれぞれでしょうが。
 そういや、「フィギュア王」に、未だ本編に登場してない関東の鬼四人が紹介されてたっけ。って、あれ? メインの三人に、弾鬼、裁鬼、鋭鬼、そしてその四人、って、一人足りない? 斬鬼は轟鬼に跡目を譲った形だし。あ、そういや名前だけの「凱鬼(カチドキ)」ってのがいたような。

  ゾイドG 。バイオラプターグイによる爆撃により、手ひどい被害を受けたズーリの町。復興に人々はいそしむが、再びの爆撃の影におびえる。グイ部隊をどうにかしないと、人々の安寧も対ディガルド戦も希望がない……ルージはある作戦を思いついていたが、その実行にためらいを見せていた。それを察したダ・ジンがルージにその作戦のことを訊ねるが、その作戦とは、ズーリの町を囮にすることが前提だった……
 バンブリアンかわいいよバンブリアン。手押し車ユニットを押して運ぶバンブリアンがラブリー。
 ルージはズーリの町が無事だったと見せかけ再度の爆撃を誘い、レッゲルがほとんど空になった帰還時を狙い、襲撃しようというもの。ダ・ジンの決意に応えるべく、作戦を絶対に成功させようとするルージたち。町が無事だったかに見せる偽装作業→ルージたち遊撃隊がグイ部隊の基地へ先回り→爆撃→帰還時を襲撃と、流れがとても良い。
 ゾイドGのシリーズは二次世界大戦時のエピソード等を元にしてると思われる部分が結構あるのだけど、今回発着場で動けない状態を狙う、というのもミッドウェイ海戦を連想する。ダ・ジンの決意や、新たに加わったゲリラたちの件も、これまでの話がきちんと生きてる。敵もマヌケではなく、「まさか」という作戦(流石に拠点をおとりにするなんて、普通は考えまい)だし、対応もちゃんと目はしくしている。フェルミみたいな存在に眉をしかめる軍人っぽさもよし。演出の上手さもさることながら、シリーズ構成がちゃんとできているのだな。個人的には爆撃におびえるソウタに、爆撃で燃えるズーリの町とグイ部隊を高台から睨みつけるダ・ジンがとても良かった。メカ戦も何気にランスタッグ、ソウルタイガーが久々の活躍。作画も何気に良作画の回でした。

  おねがいマイメロディ 。今回はクリスマス版。何気にいい話、に見せておいて「開け夢の扉!」で半裸のサンタを出したり、悪乗りするところはしっかり悪乗りしてる。てか、サンタが実在してても誰も驚かないのね……まあ、今更か。


2005年12月26日(月) 旧暦 [n年日記]

[必殺] すばらしい最終回

 新必殺仕置人のDVDが今月ですべてリリースされたわけなんですが、しばしば必殺仕置人の第40話「愛情無用」と第41話(最終回)「解散無用」を「すばらしい最終回」と人が評してるのを見て……なんというか、ちょっとちがうんじゃないかと。いや、面白いことは面白いんですよ。むちゃくちゃ面白い。でも、「すばらしい」と形容すると何か違う。で、個人的に必殺シリーズの最終回で、そのシリーズへの思い入れをできるだけ廃して「すばらしい最終回」と言えるものはなんだろうか、と考えて見ます。基本的に「うらごろし」以前の奴ね。

・Aクラス
 必殺仕業人(第28話)「あんた、この結果をどう思う」
 仕業人は暗いし地味だし、そのくせ中盤で中ダレしてるしといろいろあるんですが(でも最も好きなシリーズのひとつ)、この話はこれだけで江戸の闇社会、表社会とのつながり、そしてそこであがくように生きる者たちを描ききってしまった、すごい作品だと思う。仲間意識だとか、裏稼業の矜持、悪い奴らを殺すとか、そういう綺麗ごとでないところまで突き抜けてしまってる。
 必殺必中仕事屋稼業(第26話)「どたんば勝負」
 これも文句はないでしょう……裏稼業に博打感覚で飛び込んだ二人。いつしか二人はプロフェッショナルとなっており、それぞれにその因果を負った結末へと至る……元締・おせいが実の母と知らぬまま見知らぬ母の面影を重ね、そのために稼業に殉じる政吉、そして愛も何もかも捨て、みっともなく生きていくことを選んだ半兵衛。どっちもわりと地味なシリーズですね。
・Bクラス
 暗闇仕留人(第28話)「別れにて候」
 裏稼業の空しさをつのさせる糸井貢。主水は貢の開国の理想が理解はできないながらも、その空しさにはどこか共感するものを覚え、裏稼業を続ける意義を考える。そして、理想ゆえに散る貢の最期。時代が大きくうねり始める中で、主水は裏稼業の解散を宣言する。仕留人のテーマが結実した最終回。
 必殺からくり人(第13話)「終わりに殺陣をどうぞ」
 これは12話と込みで。老中水野、町奉行鳥居らの暗殺に失敗し、自害した時次郎。しかしそのことをネタに、仇敵・曇りが傘下に下るか全面対決するかを迫る。粗はあるが、必殺史上唯一の全滅という凄絶さはやはり強烈な印象を残す。
 必殺からくり人血風編(第11話)「夜明けに散った紅い命」
 いよいよ官軍が江戸に上り、からくり人たちの立場も大きく揺らぐ。官軍の理想がしょせん綺麗ごとであることを痛感した土左ヱ門は将来の約束された官軍を捨て市井でからくり人として生きることを決意し、逆に揺らぐ世情に不安を抱く直次郎は官軍の密告屋として働き出す。そのことは友情の芽生えたはずの二人に亀裂をもたらすことになる。つっこみどころはあるものの、これもまた見事な崩壊劇。
・Cクラス
 新必殺仕置人(第41話)「解散無用」
 これも第40話と込みでか。死神の裏切り、そしてその死を契機に、虎は寅の会の解散を告げる。寅の会の後釜をめぐる陰謀で巳代松は拷問を受け廃人になり、虎も身内の裏切りにより命を落とす。そして、危険人物として目をつけられた鉄もまた……廃人になった巳代松を大八車に乗せての仕置シーンと、鉄らしい、カッコ良い死に様が鮮烈な最終回。
 翔べ!必殺うらごろし(第22話)「悪用した催眠術!先生勝てるか」
 「おばさん」が記憶を取り戻し探し出した息子は悪人の陰謀に巻き込まれていた。息子とその里親を救うため、危険を顧みず悪人たちの懐に飛び込む「おばさん」だが、悪人たちの手によりあえなく散ることに。そして、その恨みの短刀を手に「先生」が翔ぶ。うらごろしの欠点であるチープさと悪人のうすっぺらさゆえに評価は低いが、おばさん役の市原悦子はじめキャストの演技が異様に力を放っている。

 Cクラスだから最低ってことではなく、また、書いてないものも面白い最終回はあるんですが、そこで描かれてるもの、を考慮し、またできるだけシリーズ全体への思い入れは排除して選んだのでこのようになりました。
 こうやって見てみると、自分がどのような点に注目して普遍的な価値があると考えるのか、がなんとなく見えてくるような……こういう駄話でも、書いてみるものだなぁ。

[その他] うざい

 ここんところ、Yahooのロボットがひっきりなしにアクセスしてくるんですが、うざいことうざいこと。ロボットによるURL総ざらえをするな、とは言いませんが、もうちょっと頻度を落としてもらいたいのだけどなぁ……

 巷で噂の まんがで読む防衛白書 を注文して、今日届きました。何が噂かは おふらいんver2 様の このエントリ を参照。と、こんなこと書くといまさらになるんで、ちょっと違う話を。実は平成17年度分だけではなく、平成16年度のも注文したんですよね。で、中をめくってみると、平成16年度のはまさしく公官庁のパンフレットという感じ。絵柄がどうこうということではなく、「まんがで読む」とあるものの、一般的なイメージにある「まんが」(漫画誌に載るような)とはちょっと違います。一方、平成17年度版は一般的な「まんが」のイメージに一致すると言っていいでしょう。
 つっても一部で流布している「萌え」とかとはちょっと違って、どちらかというと学研の「  のひみつ」シリーズみたいな感じ、という方が正しいと思います。「ぼうえいのひみつ」みたいな。「萌え」よりはそのノリで見ると楽しめるかも。

  体感治安:犯罪認知件数減っても…ジワリ悪化毎日 )。毎日も、どこぞの新聞並にアホになってくなぁ……「犯罪件数は減っているのに治安が悪化してるように感じる」って、そりゃ、マスコミが煽るからだろ。まさにこれのような記事で。自分は部外者のような顔をして世間を煽りまくる無神経さはいい加減なんとかならんものか。


2005年12月27日(火) 旧暦 [n年日記]

[特撮] メモ

  A Study around Super Heroes より、テレビ朝日にて1/2朝六時より仮面ライダー555劇場版パラダイスロストが放映予定。地域によって放映したりしなかったりみたいだけど、実家のあたりは放映予定。ったって、DVD持ってるんだけどね……

[その他][アニメ] イケメン東洋鬼?

  引っ張りだこの日本人俳優 テレビドラマに新風を吹き込む聖教新聞 )。聖教新聞って辺りがただでも微妙なネタなんですが、内容はさらに微妙、というか、判断に困る、というか、面白い、というか……中国で放送している抗日ドラマでの日本兵役の日本人俳優が人気という…… 矢野浩二氏 ってのが、その俳優さんのようですな。すぐこの手のネタに噛み付く人には「非国民!」とか言う人もいそうだけど、見方としてはもう少し面白い見方が出来る。娯楽の中で「日本鬼子」を既定事実としながらも、その中の悪役であるはずの日本人にファンが付くという現象の部分。まあ、今更言うまでもないのだけど、「そう言われている日本」と、「実感としての日本」が明らかに乖離してきているということだと思う。そりゃそうだわな。別に今更のことかもしれないけど、こういう形でも現れてきたのかなぁ。ま、素直な感想としては「面白いなぁ」です。

  乗客の消防士、自らも傷負いながら救護活動に没頭読売 )。この事故の詳細については検証待ちだけど、こういうプロの話を聞くと、単純に感動してしまう。
 もっとも「感動する」ということがどうかというのは微妙なところ。無論、この消防士の方自体は間違いなく立派な方だ。そうではなく、簡単に「感動した」などと落とし込んでしまえる自分自身の単純さが微妙、という意味。もっと言うべきことはないのか? 自分。

  ぱにぽにだっしゅ 最終回。まあ、なんというか。思いっきりサービスシーン回で終わってしまった。まあ、シリーズのコンセプト(さらにそのコンセプト自体を自己パロディ化してしまっている)を思えば、実にらしい、と言えるか。妙な地位で妙な作風を貫いた、面白い番組でした。


2005年12月28日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他][読書][アニメ] 地震ばっか

 なんかこの年の瀬になって地震が増えてきたなぁ……今日も感じただけでも二回。ちと怪しい情報を聞いてたりもして、妙に気になったり。
 ネットで注文していた 駿河城御前試合/南條範夫 がようやく届く。24時間配送のわりに時間がかかった。一部の人には言うまでもなく、この本はチャンピオンREDで連載中の「シグルイ」(山口貴由)の原作。江戸時代初期、松平忠長により行われた真剣での御前試合十一番を、それぞれ描く短編集。これの一本目「無明逆流れ」が原作になっている。つっても元は短編であり、コミックはそれを大幅に膨らませ脚色している。話の骨子は同じだが、どのように話を膨らませているか、が比べてみてよくわかる。一巻の頃から比べるとわかるが、山口氏は明らかに連載と共に化けてきている。いや、連載開始時も「蛮勇引力」の時から比べると化けてるなぁ、と思っていたのだけど。山口氏の作風はかなりマニアックというか、一般受けしにくい(残酷、グロ方面)なのだけど、シグルイの連載途中から明らかに単純にグロとかいうものではないものになってきている。作家が化けてくってのはこういうものなのか、という、一例。

 で、これをこないだの わかったつもり と一緒に読み進める。文章を読んで「わかった」というのはどういう状態か、本当に「わかった」とはどういうことか、を非常に平明かつ合理的に解説・レクチャーしていく。まだ第四章までだが、第一章ではに「わかった」と思ってる状態が実は多くが(一応文章は読めた、という程度の)「わかったつもり」であり、そこからより深く「わかった」になるためには何が必要かを説明していく。場合によりけりだが、もっとも低レベルの「わかったつもり」というのは文章が何を言ってるか(文脈)を「雰囲気」で掴み、文章の部分部分については情報を大して読み取らない、という状態。しかし部分部分の持つ情報は実は見逃している。そこから一歩踏み出し、文脈から部分部分で省略されている前提を直感あるいは推測し関連知識を引き出し(スキーマ)、当てはめ、その部分部分の意味するもの、部分同士や文脈との関係がより明晰になった状態、これを「よりわかった状態」としている。「わかったつもり」は確かに文章でわからない単語がない、など「わかった」状態の一つ(ただし、相対的に低レベル)であり、「わからない」という違和感がないため、その状態で安定して「よりわかった」に移行しようという動機付けが起こらない。「わかったつもり」はそこで安定してしまう。
 それとは別に文脈の誤読によるミスリーディングもある。これは文章のまずさや構成ミスにより文脈を取り違えてしまうのだ。
 結局文章から情報を文脈のスキーマを使いどこまで情報を読み取れるか、であり、「わかった」という状態は「わかったつもり」に過ぎない、と指摘している。
 で、この本は具体的に「文章に埋め込まれた情報」を正しく読み取るレクチャーにもなっており、論文などを読むときに経験則的に実行したことはあるが、これはきちんと理論に裏付けた「読む技術」として、それを紹介している。確かにこれはとても良い本だ。

  ノエイン 。カラスとフクロウがユウとイサミであることを知り、なんとか二人の戦いをやめさせたいハルカ。しかしカラスがハルカの家から姿を消し、函館の町を探しまわる。その途中で龍のトルクが発動し、ハルカは自分が父親の元にいたり、東京へ向かおうとユウと家出した幻視を見る。謎の老人はそれが「そうなったかもしれない可能性の世界」であると言い、龍のトルクであるハルカが見たものは現実として固定される、と示唆する。それを聞き、カラスとフクロウが相打ちになる幻覚を見たハルカは、その幻覚を現実にすまいとするのだが……
 カラスとフクロウの戦い、アトリの横槍、そしてその結末が描かれる。そこには仮面の存在「ノエイン」がやはり関わる。ノエインはラクリマ世界のようにハルカを奪取しようとするではなく、また奇妙な行動原理を持っている。ノエインってのは一体何者で、物語のどこに位置しているのだろう?
 また、アトリについていけなくなってきたトビがユウに接触。揺れる自分とトビを恐れないユウを比較し、何かを感じる。あと、コサギはやっぱりカラスに惚れていた模様。そのことが後々どう関わってくるのか……

 何気にテレビをつけっぱなしにしていたら、報道ステーションで自民党議員二十人を集めてのパネルだとか、渡辺恒雄氏のインタビューとかをやってたけど、その両方で「靖国参拝」云々という話を振っていた。パネルでは「結果ありき」の質問の仕方をしたりとかして、非常に悪質。後者はナベツネに「小泉総理は戦争を知らないから云々」と言わせていたが、その時出たテロップが「陸軍二等兵」。あ〜、そりゃ軍隊嫌いで当然だわ。つか、それ半ば以上私怨でしょ? 別にそれがいかんとは言わんし、軍隊賛美しろとも思わんけど、客観的に全体を見て「あの時の日本がどうおかしかったか」と言ってるわけじゃないでしょ? あと、「私の一つ上くらいの人たちは特攻に行って……」って、これも実感というより、やはり伝聞だろう。戦争に行ったにしてもいろんなことを見聞きし、感じ、考えた人がいる。戦争体験者でも意見の食い違いがある。「俺は戦争に行ったから」ってのは、ある部分では正しいが、全部丸々「だから言ってることが全部正しい」ということではない。当時の戦争を知らないわれわれにとって、検証抜きで情緒で流そうというこの手の構成は極めて害が多い。


2005年12月29日(木) 旧暦 [n年日記]

[読書] わかったつもり 読解力がつかない本当の原因/西林 克彦

 読了。 こちら で紹介していて、ほめているのだけど、どこがすごいのかわからなかったので店頭で最初をぱらぱらを読み、それで買った。で、ふたをあければこれは読めば読むほどたいした本だった。久々に手放しにほめることのできる新書だ。

 本の趣旨、構成については昨日の日記を参照してもらうとして、この本は「読む」とは「どういうことか」ということを追求している。それは文章を読むことに限らない。ありとあらゆるものの解釈の機構に適用できる。まず、「わからない」以外の状態(「わかった」状態ではないのは注意)とはどういうことであるかを読者自身を被験体として示し、その中の「わかったつもり」から「よりわかった」へ移行するにはどのような手順が必要か、例を示していく。「よりわかった」というのは文章の各部分同士および文脈との関連性が明確になり、以前よりより強く結びついていると理解した状態推移だ。

 少し良く考えてもらえればわかると思うが、「読み取る」という作業に究極的な状態はない。「全てを読み解いた」という状態はありえない。だから「わかった」状態というのはそこからさらに読み解いた状態から見れば「わかったつもり」にすぎないかもしれない、という立場であり、「わかった」ということがどういうことかは定義していない。「わかったつもり」からさらに読み解く「よりわかった」という状態推移を定義づけ、説明してるだけだ。

 「わかったつもり」の状態で終わらないために何をすべきか、という問題提起までしている。読み方、文脈の受け取り方は幾通りもあり、それが適切であるかのチェックも含め大変ではあるが、そこで終わってはいけない、ということである。
 もうちょっと卑近な例で言うと、この本はメディアリテラシーのテキストとして、最適でもある。この本では「文脈」の誤読により、文章に当てはめるべき前提情報(スキーマ)を誤り、文意を読み誤る場合があるという実例を示し、またそれに注意を促している。

 構成により惑わされる場合、たとえば最初の状態から文脈が微妙に変化し当てはめるべきスキーマも変化しているのに、それに気づかず最初のスキーマのままで文章を読み違える場合。逆に結果の文章のイメージが強いため、あいまいな記憶の中の途中の文章の意味を勝手に改変してしまう場合。「いろいろある」ということで、「いろいろ」の内容の追求を止めてしまい、文章の詳細にきちんとスキーマを当てはめない場合。
 読み手の最初から持ってるスキーマに惑わされる場合。一般的に「それが良いこと」とされているルールがあった場合、そのルールをスキーマとして(本文にはそんなことが書いてないのに)文章に当てはめて誤読する場合。あるいは無難なスキーマを用い、それで読み解くのを止めてしまう場合。
 これらの誤読のプロセスは、そのまま新聞記事やテレビのニュースにより扇動されるプロセスそのものでもある。

 先日おかしな記事とネットで揶揄された 社説:特急転覆 安全管理で浮ついてないか毎日 )の記事でもそれが例示できる。
 まず一段落目。事故がひどいもの、痛ましいということは確かにそうだ。しかし「取り組みの姿勢や関係者の意識を疑わずにはいられない」は果たして正しいだろうか? ここでは事故は通常では考えられないものだったのか、そうだったのか、また、安全対策が具体的にどうで、それをどう評価するのか、ということは一切言われていない。言われていないのにいきなり結論から言ってる。
 二段落目。「事故の予測と対策が不十分だ」と糾弾しているのだが、実はその具体的、合理的な考察は一切行われていない。「強風が原因だった」ということだけが事実(としても良いだろう)でそれがそれがどう想定されていたか、運行の規定はどうなっていたか、はまるで触れていない。「突風とは言いながら、風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ」は論外の理屈であることは言うまでもあるまい。「風の息づかい」とやらがあるのか、それを感じる技量とはどういうものなのか、まったく具体性を欠いているからだ。
 三段落目。ここでようやく運行規定の話が出てくる。が、ここで触れられているのは運行規定の客観的妥当性ではなく、先の「風の息づかいを感じるべき」という内容の繰り返しである。それがどういうことか、特殊例を挙げるだけでそれが一般例に適用されるべきか、また今回の場合適用できるかを度外視している。
 四、五段落目。二、三段落に基づく糾弾である。前提が正しいか、十分な判断材料が示されていないのに、この糾弾は論外であろう。
 六段落目。それらをコスト削減と結びつけて語っている。コストの話はそれまでまったく出てきていない。これは、尼崎の列車事故などでも広められた「コスト削減のため安全性を軽視している」というスキーマを当てはめることを期待しているのだろう。だが、この文章から「コスト削減のために不当に安全性が損なわれたのが原因で起こった事故か」はまったく示されていない。これもまたちゃんと読めば「おかしい文章」で、それを埋める具体的な情報(コスト削減のため、十分な危険性を認識しながら運行したか)がなければ、意味のない文章だ。

 これはまず最初に結論を持って来、また、「安全に十分注意すべきだ」という一般には否と言いにくいスキーマと、尼崎の事故が安全管理が十分でなかったという報道により周知されたスキーマを用い、本来言えるかどうかわからない方向に読者を誘導している。時事ネタでなんだけど、要は、この手の「ちゃんと読めば明らかにおかしい文章」というのは、報道にもあふれている、ということ。昨今の報道は過剰な演出と繰り返しと話題の切り替えの早さなどにより、熟読を許さないということもある。

 そういったものをちゃんと読み解く努力をしよう、ということをこの本は言っている。
 この本の言ってることって、非常に厳しいこと言ってるんですよ。だが、「むずかしい」「いろいろある」という諦めで終わらせてしまってはそこから進まない。「常に自分の解釈が不完全であると認識し、自分の過ちを見つけるよう努力することを怠るな」って言ってる。「よりわかった」になるためには文脈およびスキーマの意識的な頻繁なチェックが必要で、以前の自分の解釈を常にひっくり返さねばならない。

 これは、ともすれば当たり前のことを言ってるだけに思える事柄だが、合理的にある程度体系付け、実際に読者に体感させるという手法の巧みさだけでも、やはりすごい本だと思う。無論、本当にすごいのは著者がそれを実行し示しているということだが。
 また、文章を書く際に「どうすれば正しく理解される文章になるか」ということでもあり、本当に汎用性と適用範囲、応用範囲が広い本だ。


2005年12月31日() 旧暦 [n年日記]

[読書] 駿河城御前試合/南條範夫

 む〜ざんむ〜ざん、というわけで帰省途中の電車の中で読了。地元にゆかりのないわけでもないわけでもない話なので、ちょうど良いか。
 マンガ「 シグルイ/山口貴由 」の原作ということで読んでみたが、さすがにあれほどぶっとんだ話ではなく、一応普通の時代小説でした。ほっ。
 と言ってもちゃんと面白いです。
 「シグルイ」では伊良子清玄の野心と岩本虎眼の怪物ぶりにより登場人物たちの人生が狂っていく様がねっとりねっちりみちみちと描かれているが、原作では虎眼はマンガ版ほどイカレてはおらず、牛股も口裂けではないし、伊良子も失明するまでは野心家ではあるが女の色香に道をあやまらせた男という印象が強い。
 むしろ原作は駿河大納言忠長の暗愚振りにより試合に関わった者たちがことごとく破滅していく様が描かれている。各話、各組が何故真剣試合に臨むに至ったかの経緯と、その結末により構成される。特に最後の試合の「無残卜伝流」は一族が滅亡するに至っており、陰惨極まりない。十一試合の結果は、三試合が相打ち、二試合が試合直後に勝者が何らかの形で殺され、生存者は六名、それも無傷なのは三名のみ。他、試合中に二名、剣士外で死亡している。
 そして最後の章「剣士凡て斃る」ではその生存者も……
 まあ、そんなわけで後味はかなり悪め……かといえば、瞬間的な残酷性にすべてを注ぐような構成と描写は、逆にすがすがしくすらある。その暗愚さと残酷性の中心にいるのはやはり忠長であり、描写はあまりないが、彼がこの短編集の真の主役、と言っても間違いではないだろう。
 平田弘史氏もこの中の何本かを劇画化しているらしいが、「無明逆流れ」は描いていない。なんでも「美剣士が嫌い」というのと「あまり面白くないから」という理由らしい。それを山口貴由氏は選んでマンガ化したわけで……(たぶん全試合はマンガ化しないよなぁ)そのあたりは両者のアンテナがどう方向が違ってるかということでも面白いが、小説からは離れすぎるのでここでやめておく。
 しかし原作の藤木源之助の対逆流れ対策、いまいちアレからどうやって着想し、どう実現したかがようわからんなぁ……って、シグルイのあの背筋が伏線?

[アニメ][その他] ヤギアニメ

  あらしのよるに の映画化で、そういえば昔「狼に親を殺されたヤギが復讐を遂げるためにその狼に弟子入りして、その志を忘れると共にヤギとは思えない存在になっていくのだけど、ある日ヤギの群れを襲撃した際に昔のことを思い出し、師匠でもあるその狼と対決、倒すのだけど、自分はもはや化け物のような風貌になっていて、ヤギの群れに返ることもできず、去っていく」という絵本を子供の頃読んだなぁ、と思ったら、 夢の島から世界を眺めて さんの 12/29の日記 でその絵本のアニメ化映画「チリンの鈴」がBSで放映したことを知る。しまった! 見逃した! つか、 ぐぐって みたら 「チリンの鈴」って、やなせたかし作だったのか!  全然知らなかった……

 シグルイの、流れ星の握りはともかく、「流れ」の握り(柄の端の方を持って間合いを伸ばす)は元ネタがある、ということで検索すると、 破軍星 さんの 虎眼流流れ のページに、「八寸の延矩」という実際にある古武術の技を基にしているとか。
 ちなみに前に貸した小説を「外人の名前は誰が誰かわからんくなる」と言われた父親に、「駿河城御前試合」を貸してみた。さすがにシグルイは貸してもわからんだろうて……