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2005年07月11日(月) 旧暦 [n年日記]

[アニメ][特撮] 週末は出張

 だったりしたわけだけど、まあ色々。
  絶対少年 #8「伝承と記憶の狭間で」。わっくんと猫踊りの晩の約束をした歩は、田菜のこと、猫踊りのこと、そして頭屋の森のことについて聞いて回る。話的にはこれまでのメインキャラクターの立場と田菜についての設定のインプレッションなのだけど、なにげにこれまでのやりとりを伏線としてキャラクターたちと歩の関係を固める話にもなってる。おそらくこれから猫踊りにかけて前半のクライマックスに入るので親切。亮介は昔河童とオカカ婆の格闘を見たと話して馬鹿にされ、見返すためにオカカ婆を追いかけまわしている。拓馬は美紀と接近しているよそ者である歩を快く思っておらず、美紀は自分に用があって来たという歩に嬉しそう。須河原は世界のフロンティアを求めて田菜の秘密を明かそうとしている。潮音は自分の居場所を作るためにも拓馬の彼女になろうと必死で、歩のこともそのために利用しようとしていて、そのことを歩に見透かされてしまう。そして、昔「境界」を踏み越えようとした歩を助けたときのわっくんは、江戸時代の子供のような格好をしていた……美紀が語った天保の時代の踊る猫の伝承と微妙にオーバーラップするような。あと、庄屋の家系(守屋)ってどうなったんだ?
 今回は三回ぶりに望月監督絵コンテ。先までの川崎美羽さんの絵コンテも頑張ってたけど、やはりフェチ度が違うのは年期か? 省作画もそうだけど。
 次回は美紀と潮音がそれぞれ歩を猫踊りにさそうという、ラブでコメと錯覚しそうな展開。でも素直にそうなるとは思えないなぁ……

  エウレカセブン は、上っ滑りがなくなってるとも良くなってるとも言わないけど、レントンとドミニクの邂逅は今までとちょっと違った感じで面白いかも。ドミニク、こいつもなんか変だぞ。というか、軍人として確実に無能では?(真面目な無能?)

  マジレンジャー はやっとマジシャイン登場。ゴルフが入ったからなぁ。やはり前回登場した意味ありげなカエルがマジシャインでした。変身後はやけにおなかがぽっこりしてますが、中の人は岡本次郎氏(レンゲルの中の人。ベテランスーツアクター)らしい。同番組でブランケンを演じていたけど退場したので。変身前は次女といい感じ?

  響鬼 は、なんというか、明日夢のパートに非日常を絡めたくないってのとその意図はわかるのだけど、やはり二つのパートでバラバラになってる感はいなめない。三十分中で二つのリンクのない話を進めるから、結局ドラマが進展しない。もどかしいというより、引き込み不足。

  ゾイドジェネシス は、先週ディガルド帝国に占領された街ゼ・ルフトで帝国の工業力と機械力を目の当たりにし無邪気な憧れを見せていたルージだけども、それがどういった犠牲のもと成り立っているのかに気付かされ、さらに反抗を試みるゼ・ルフトの守備隊を救うことも戦火に逃げ惑う街の人たちを救うことも出来ず、目的のジェネレーター職人も帝国軍に殺されていたことがわかり、徹底的に無力感に打ちのめされる。さらにその上、来週は追撃を受けた上パーティがバラバラにはぐれてしまうらしい。
 色々突っ込み入れようと思えば入れられるんだけど、話自体は戦争に巻き込まれていく個人、という基本線にしっかり沿ってるので安心して見られる。

[その他] 違和感

 まずはロンドンテロの犠牲者に哀悼の意を表します。
 ネット界隈で今回のニュースやら雑感やらを見ていて、ある種の違和感を感じた。G8参加国首脳が対テロに断固とした決意を表明し、それに対して声明を行ったり、ということはまあ、この際話の対象にない。政治はいろんな要素が絡むものであり表に出す声明だけを鵜呑みに動機や利害を語るなんてのは笑止だから。気になるのはテロリストについての言及。テロを行ったグループがどんな性質のもので、どのような活動基盤を持ち、どのような構成員がいるのかという「組織」として見てるものが極端に少ないことだ。
 ほとんどの言及は「実態の把握」は二の次、というよりほとんど興味も持たず、自分のあらかじめ持っている文脈上に乗せようとしている気がする。「テロは許せない」「彼らはアメリカの覇権主義の犠牲者だ」云々。どっちも間違ってるとは言えない。けど、そういった言葉と実態はどういうふうにつながってる? つなげてる?
 「そう話しておけば、話はまとまる(ように見える)」というだけのことにすぎないようなコメントがやはり結構あるのだよなぁ。(いや、とりあえずこういっとけば話は終わるように見えるからと使うフレーズは私も結構使うけど) でも変な方向に誘導して投げっぱなしってのは、どんなものなんだろう。投げるならもっと早い段階で投げた方がマシなんじゃないかってこともあるのだが。


2005年07月12日(火) 旧暦 [n年日記]

[読書] トリポッド(4) 凱歌/ジョン・クリストファー

 異星人により人類が精神支配された未来、そこから逃れた主人公たちが地球を人類の手に取り戻す戦いもこの本で最後。前巻での異星人たちのドームの中への決死の進入により、彼らの弱点をつかみ一斉に反抗を試みる。
 極少数のレジスタンスが宇宙人の侵略に耐え、反撃するという王道ものなのだけど、反抗の過程が地道で堅実なのが好印象。子供向けでも子供だましではない恒例。この巻で結局多大な犠牲を払いながら異星人たちを撃退することに成功する。が、同時に異星人たちの精神支配下で保たれていた平和がなくなり、再び人間同士の諍いがはじまるという結末に。主人公が今度は人類同士のあらそいをなくすために立ち上がるところで話は終わる。
 レジスタンスを通して主人公や仲間たちが成長していく過程が描かれ、二巻(一巻は実は外伝的なもの)のときと比べるとまさに隔世の感がある。
 ただ、最後、解放された会合の場でヨーロッパ各国が主導権をめぐって諍いを始めるのを見てアメリカ代表と中国代表が呆れて席を立ってしまうというシーンは、現在の世界情勢を見るとちょっと苦笑してしまう。ジョン・クリストファーはイギリス人なのでヨーロッパ人としての視点から(しかも40年前の)描いたのではあろうが。
 ジュヴナイルとしてはもちろん、大人が読んでも楽しめるシリーズだった。そういえばあとがきに表紙をつなげて云々と書いてあったけど……やってみるか?
トリポッド表紙

[その他] スーパーのトウモロコシ

 こないだ実家から送ってもらったトウモロコシが美味かったのでスーパーで一本買ってきてまた蒸したのですが……あれ? 不味いわけじゃないけど……実家から送ってもらったのは、果物みたいな甘さがあったのだけど、これはそれほどじゃない……品種の違いなんだろうか?

 コンビニで金城一紀原作、秋重学作画「レボリューションNo.3」を眺める。って、これって同コンビの「フライ、ダディ、フライ」と話の構造ほとんど同じじゃん! でも、話のテーマが違うと、結構楽しむポイントも変わってくる。こういう方法もあるのだなぁ。

  「ミス・チベット」出場に待った=中国、呼称変更を要求時事通信 )。まったくこの国は……


2005年07月13日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] 両極端

 先の出張の移動中、どういう話の流れだったか忘れたが、現ボスが「日本は南京虐殺で云々」という話をしだす。いや、私の前でその話題は結構鬼門なんですけど。そんな餌に俺が釣られクマー! って感じで見事に釣り上げられる。もっとも気を遣ってソフトに「与太郎戦記」辺りの南京入場から二年後の南京の記述とかを中心に語ってみる。
 それでも納得いかないボス、「でも、こないだの中国のデモが云々」と言い出す。あの〜、ボス、ひょっとしてワザとヲイラを釣りまくりですか? 北京のアレは一部のアホ学生がやらかしたことで、そこらへんが一斉に取り締まりを受けたので今北京は別に危険ではないし、確かに日本人を毛嫌いする人もいるがそうでもない人もいて、実際は色々だ、ってなことを説明する。「まるで見てきたような事を言うねえ」と言うので、「北京のデモ直後に北京に行った人から直接聞いたんです」とトドメの一撃。うむ、勝利の朝だ。(夜だったけど)
 まあ、ボスの世代から言うとこの辺特に気にせず信じ込んでいても不思議はないのだけどね。
 ところが帰り、別の同伴者がまた南京虐殺の話をしだす。それも今度は「南京虐殺はなかった論」で。あんまり極端すぎる話もなあ、と思って聞いていたのだけど、ホロコースト否定論まで話を伸ばしてきた時点でヤバイと思い、確かに一部には犠牲の水増しや捏造がはっきりわかるものもあるけど、そうでないものもある、ってなことを比較的やわらかく。
 断っておきますが、ヲイラはこの件に関して一切話題を振っておりやせんぜ? なのになんで行き帰りで狙ったように話題が出るんだ。
 狂牛病の話題も出たけど、案外と正しい知識に興味がないというか、マスコミ鵜呑みというか……そんなものなのかねえ。

  【主張】朝日NHK問題 「頬かむり」は許されない産経 )。ちとしつこいかなーという気もしないでもないが、言ってることは正論。産経が誤報を行ったのも事実だがすぐに撤回と謝罪文を掲載したのも事実。朝日は「法的措置を検討している」と証拠の提示を拒んだ後、no reactionなのだものなぁ。確か訴訟の意思が確定していないのにそれをちらつかせて威圧を与えるのは脅迫罪に該当するんじゃなかったっけ? 別に社長辞めろとか当該記者くびにしろとかは言わないから、なんらかの形でけじめはつけては欲しい。

 なんだか最近ネットで「モヒカン族」なる言葉をよく見るようになって、なんだかなぁと思っていたのだが、どうやら技術的に正しい書式とかを口うるさく言う(と聞く側は思う)人のことを指すらしい。古くからネットにいるこの手の人と新参者との衝突ってのは昔からあったのだけど、その手の人を全面的に支持はしないものの、「モヒカン族」と名づけ揶揄する側は更に支持も共感もしない。「モヒカン族」という言葉には「時代遅れだ」との嘲笑の響きを感じる。まあ、実際は時代遅れなのかもしれない。だが、彼らを時代遅れと言うのならば、それを言う者は自身は無自覚に新天地と呼ぶ場所を蹂躙する征服者(レコンキスタ)であることを自覚すべきだ。数を頼みに、自己のスタイルへの自覚も根拠もなにもなく違うものをただ排除し続ける。いわゆる「モヒカン族」の対人能力の欠如とはまた別の意味で、それも醜くはた迷惑だ。
追加:このエントリに間違いがあるとの指摘があり、その訂正を含めて 翌日 に話題が続く。

[アニメ] 二話目を中心に

  奥さまは魔法少女 #2。浅羽旦那登場。って、のっけからただれてますがな。嬉子とは完全に別居状態でなおかつ別の女が出入りしている始末。とは言え、嬉子が作ったと思しきティッシュボックスカバーを使いつづけていたり、神楽青年が持ってきたのが嬉子のシチューと気付きながら平らげたりと、完全に気持ちの上では切れたわけでもなさそう。逆にわだかまりがないのかとも思うけども、公式サイトでは「熱血漢」とあるからその辺ストレートなのかもしれない。で、純文学作家の彼の元へ編集バイトとして出入りする神楽青年。故障のため気持ちをグラウンドに残したまま陸上を引退し、新天地で頑張ろうとするものの身が入りきらない。
 ってな一見深刻な設定の裏で繰り広げられる(元)魔法少女と(現)魔法少女のアホバトル。神楽青年の死角で平和な会話にカモフラージュしながら繰り広げられる世界をかけたくだらない戦い。嬉子の相談相手の一見貞淑な若奥様も、「もしかしたら、新しい管理者に男のいない世界に変えられてしまう可能性も……」との嬉子の一言に俄然嬉子を応援しだす。ア、アホだ。アホすぎる。
 なんとなく、嬉子の指輪の象徴するものも見えてきましたな。
 それはそうと、駆け出し作家ってやりかたによっては結構稼げるらしいです。まあ、聞いハナですが。

  ぱにぽにだっしゅ! #2。一話よりはマシ。以上。
 ってのもなんなのでもう少しだけ。OPは結構おもしろかったです。

  ムシキング #15。一同はソーマの生まれ故郷の村を訪れる。親のないソーマはこの村の人々に育てられたのだが、そのよそよそしいまでの優しさに逆に疎外感を感じ、村を飛び出していた。ソーマはそれが失踪した母親に原因があると、それを調べつづけていたのだ。昔と変わりなく温かくソーマと一同を迎える村人。居場所のなさを感じるソーマ。そんなソーマを気遣うポポたち。そして村を襲うチョーク。そのチョークに立ち向かうソーマに、チョークの記憶がフラッシュバックする。
 どうやらチョークはやはりソーマの××らしい。あの歳の○○がいてあの格好はどうかと。先日アダーから離反したパサーに替わり、仮面の男が敵に参加。って、これって多分……う〜ん、どうやら「親子」「世代」の話に収束しそうな予感。

  創聖のアクエリオン #15。これまでで一番楽しめたかも。まあ、ただ弾丸のように消費されていくエレメント候補生たちだとかもそうなんだけど、一番きっちりメインキャラの成長がわかりやすかったかも。熱血ってのは本来的には粘着性で陰性な部分もあるもの。あの司令みたいな熱血は私は凄い嫌いだ。ああいうのは「空しい熱血」だと思う。


2005年07月14日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] モヒカン族の続きと訂正

 昨日「モヒカン族」について書いたら「それ、間違ってますよ」と突っ込みメールが……「モヒカン族」ってのは「反モヒカン族」(?)側から言い出した言葉ではなく、どちらかといえば「モヒカン族」側の こちらこちらこちら で自嘲の響きをもって取り扱った喩が定着したらしい。ううむ。申し訳ありませんでした&突っ込みありがとうございます。
 上記のような事情が見えると俯瞰で見えるものもなんとなく違ってくる。自嘲ってのは一種の諦観と開き直りだから、コミュニケーション的な問題を感じつつも開き直ってる、ということになる。「モヒカン族以外」は「反モヒカン族」と「モヒカンではないが気にしない人」というのがいるわけで、後者はなんというか、まあ、良くも悪くもそういうものなんだろうな。
 昨日私が気炎を上げていたのは「反モヒカン族」グループ(ってほどまとまったものはないようだけど)で、揶揄として名づけた、というのは誤解だったわけだけども、要は「ウゼ〜」とかって話なんだろうな。でもその「ウゼ〜」と言ってる人たちも他の人から見て「ウゼ〜」と思われることがあるわけで(私みたいに)、それはただそれだけのこととも言えるけど気に入らない相手を「モヒカン族」と呼んで(気に入らないからそう呼ぶわけではない使い方もされてはいるみたいだけど)くくってしまうってのは、結局相対して自己と相手のスタイルの両方を認識するってことをサボってるんじゃないかと思える。「俺たちは当たり前。あいつらが異端」でも、当たり前ってなにさ? それって何も見てないし見えてないんじゃない? ってなところがどうも私の気持ちのささくれに妙に引っかかってしまう。
 もっとも「モヒカン族」側もその自嘲を芸としてる人もいるみたいだし、そういう状態にしているのはどっちもどっち、ってことなのか。

[その他] 時事っぽく

  「つくる会」関係者著作の図書館蔵書処分は違法 最高裁朝日 )。そら、司書が自分の思想と合わないからって勝手に本を排除したらいけませんわなぁ。とはいうものの、そういう「違法」でいいんだろうか? ってのがいまいちわからない。「作家が図書館に本を置いてもらう権利」ってのが存在するのかってことなんだけど……これって当該法律がないからしかたなく、って解釈でいいのかな? でないと図書の入れ替えとかの時に大変なんじゃないかと思うけど……

 国連人権委員担当がウトロ地区での差別が問題だ、と報告書出してネットの一部で叩かれまくってて( Irregular Expression 悪辣、国連人権委員会を利用した情報戦 参照)、個人的には「本当にしょーもねーなー、国連は」くらいのつもりだったのだけど、それで国連に電突した人がいて、 その際のやりとり 見て思いっきり吹いた。国連職員が「最初から中立ではない(から一方の話しか聞かない)」「(強制力はないので)苦情も反論も受け付けない」と明言している。ダメダメじゃん。「ロビー活動にどうぞご利用してください」ってなもんである。さらに国連の賄賂体質を考えれば、おそらく金で動いてるんだろうなあってことは想像に難くない。国連なんてろくでもないとは思っていたけど、ろくでもないにもほどがある。


[マンガ] あ、間違ってる

  読売新聞版逆境ナイン紹介ページ 、力入れてくださるのはファンとしてありがたい限りなんですが、 掲載誌が間違ってるんですけど…… GXコミックスで再版されたから「サンデー」と勘違いしてしまったんだろうか? 連載してたのは徳間書店の故・少年キャプテンです。


2005年07月15日(金) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] ゲゲゲの鬼太郎、桃太郎

  ぺとぺとさん #2。妖怪が「特定種族」として認知され、人間との共存を図ろうとしている世界。主人公シンゴのクラスに「ぺとぺとさん」の藤村鳩子(ぺと子)が転校してくる。ぺと子は好意を持ったものに触るとくっついてしまう妖怪。離れるには一度睡眠するしかない。シンゴはプールに落ちかけたペと子を助けようとした拍子にくっついて(ぺとって)しまう。しかたなく二人は早退してぺと子の家に泊まるのだが……
 まあ、別に苦情というんじゃないけど、最初にぐちっぽいことを。
 日本で妖怪を書く人って、どうしてこうも強くラバウルからの帰還兵に強く束縛されてるのかなぁ、と。いや、致し方ないんですけどね。影響力が広範で根強く強烈ですから。とはいえ、響鬼よりかは「わかってやってる」感じはするので、こちらの方が好意的に受け入れられる。響鬼の妖怪(魔化魍)は名前とデザインの特徴だけのうわっつらを持ってきてるだけの怪獣だものなぁ……
 「ぺどぺどさん」などという誰でも思いつきそうなネタはさておき、話自体は微エロだけどスローテンポでほのぼので、なかなかよろしいんじゃないかと思います。原作読んでないからこの後の展開知らないけど、人間と妖怪が混在しながらもその間にちょっとした軋轢があったり、というところもさりげなく描写してる。ふにゃふにゃした感じのOPも良い。しかし美少女ゲー的主人公の性格設定とか、クラスメイトの女性キャラがよくわからないまま主人公に好意なり持ってるっぽいところとか、ハーレムアニメなのですかね? 今のところのお気に入りは沙原と赤沢と守口(笑)。

  SHUFFLE! #1。ごめんなさい。これ最初の十分しか見てません。そこまでしか精神的にきつくて見れませんでした。これでも頑張ったんです。
 考えなしのギャルゲ設定を垂れ流されるのがこれほどきつくなってるとは……私もトシですかね?

  かみちゅ! #1。神様で中学生。だからかみちゅ。ある朝、いきなり神様になってしまった中学生、一ツ橋ゆりえ。でもなんの神様か、いったいどんな力を持ってるのかもわからず、親友の光恵に相談するがまともにとりあってもらえない。そこに口を挟んできたのはクラスメイトで神社の娘の三枝祀。強引な祀に「神様の特訓」を施されるのだが、全然神様らしいことは起こらない。しかし祀がゆりえに発破をかけるために話した言い伝えが、とんでもない事件を引き起こすことに……
 「なぜ神様になったのか」とかは一切説明なし。朝起きてたら虫になってたようなもの。気にしてはいけない。日常の中に非日常が入り込んできてなにかが起こり、それが神様(一神教的な神ではなく、日本の八百万の方)で、その神様と人間との距離感が結構面白く描けてる。で、神様なのにわりと話が町内会的というかたわいもないのは、前にも書いたけどこれは基本、魔法少女ものなのだからだろう。日本の土着の神様って、有効範囲はわりとそんなものだし。まあ、そんな感じなのでそんな感じでマターリ楽しむのがいいのではないかと思われる。(どんな感じだよ?)
 ところでやたらと表情とかのしぐさが細かかったけど(さすがに#3まではこのクォリティは続かないらしい)この手の芝居のつけ方って、元はどこらへんなんだろう? 自然な表情というより、やはり演劇的な気がするのだけど。

 ネットを巡回していると、知り合い等が「 電車男 を見た」とかって書いてるんだけど、ことごとく目にするのが本編無視でOPアニメの話題ばかりなのが笑った。いや、私もそうなんだけどさ。ん〜と、オタクっぽくってことなんだろうけど、元ネタになったDAICON FILMの時代と今の時代とは「オタク的」なものがかなり違うし、なにより元ネタより爽快感が劣ってるのが……製作はGONZOらしいけど、絵コンテは誰が切ったんだろう?
 本編の方は、大衆演劇的に落とし込むならこんなところでしょう、って感じ。ネットの表現とかが結構工夫しててわりと楽しかった。「わりと普通の人」のエルメスさんを「スーパー」に見せるためにオタク描写はやはり極端にしてるけど、けなそうとしてるってより(まあ、低く見せてはいるしその意図もあるんだけど)愉快な善意の変人さんたちな印象で、まあ、こんなものでしょう。エルメスさん側のドラマを実際の書き込みから結構補完して脚本にしてて、そこにむしろちょっと感心した。まあ、大衆演劇なんだけどね。

[その他] めがね?

  眼鏡着用義務のマラソン大会朝日 )。フレーム生産量日本一をアピールしよう、ということでのイベントらしいのだけど、 「レンズなしのフレームのみでも、顔に描いても可」と同協会ってオイ、そりゃいかんだろ! 度ナシは百歩譲ってOKとしても、顔に書いただけなんて言語道断! 主催団体の告知ページは こちら

 昨日話題にした つくる会メンバーの著作を勝手に廃棄したことを違法とする最高裁判決朝日 )の 判決文 。わりとアクロバティック的な法解釈な気もするけど、まあ、勝手に図書館の本を廃棄しても社会的な義務の遵守には関係ない、とするわけにもいかない、って感じでしょうかね。

  googleローカル 。ベータ版ながらかなり強力。マップとかも出て、これはかなり便利そう。

 先日CDとかをちょっと整理していたら、四年前名大学園祭で行われた島本和彦氏の講演の録音が出てきた(後輩が録音したものをコピーさせてもらった。録音はちゃんと実行委員の許可を取ってあります)ので思わずかけてみる。テーマは「人間の行動欲を掻き立てる」で、漫画家になったモチベーションのひとつが「さらば宇宙戦艦ヤマト」の初日公開を見に行った時にファンの列を横目に入場していく松本零士を見て「おいしいなぁ」と思ったというくだりで聞きながら大爆笑。なるほど、今回の「 逆境ナイン 」映画化で念願が叶ったわけか。
 他には質問コーナーで「どうしたらそんなに熱いマンガが描けるのか」との問いに「逆に熱くなくて面白いマンガを描く方法を教えて欲しい。その方が絶対に売れると思うんだけどなぁ」と実も蓋もないことを。その際、「この会場に漫画家の人、いませんよね?」と問いかけていて、もちろん誰も手を挙げなかったんですが、実はいたんです。後から知ったんですが、伊藤明弘氏が講演を聞きに来ていたらしいです。もっとも伊藤氏では、その逆質問の回答者としてさほど適切とは……<おいおい
 録音やビデオカメラも来ていたので島本氏は一応トーンは抑えてしゃべっていたはずなんだけど、それでもちとやばめかと思える話もあるので、無許可でテキスト起しして公開、ってわけにはいかんだろうなぁ。


2005年07月16日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 星雲賞速報

 日本長編部門:ARIEL/笹本祐一
 日本短編部門:象られた力/飛浩隆
 海外長編部門:万物理論/グレッグ・イーガン
 海外短編部門:ニュースの時間です/シオドア・スタージョーンズ
 メディア部門:プラネテス/谷口悟郎・サンライズ
 コミック部門:ブレーメンII/川原泉
 アート部門:新海誠
 ノンフィクション部門:前田建設ファンタジー営業部/前田建設ファンタジー営業部
 自由部門:ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展/国際交流基金

 速報なのでリンクはなし。

[その他] HAMACON2初日

 例年のごとくレポートです。今年は HAMACON2

入場:

 9時ごろ先行入場するため例のごとくH氏と朝一で移動。でも、なんやかやと途中で一旦H氏と別れて単独で会場を目指す。が……プログレスを見てもどこでなにに乗り換えればいいかさっぱりわからない。普通にJRを使ったら実は接続が悪くって異様に足止めを食らってしまった罠。ええ!? こういういかにもありがちなトラップも忠告してくれないの!? なんだか段々不安が募る。
 今回の大会は、あちこちから言われていたが企画が多いが企画の重複も多い。一般企画の時間が二日あわせて六つ分しかないからだ。で、合宿企画はといえば、多分あるのかもしれないが実行委員会でフォローし告知するということも特にしない。今回、マンパワーが不足しているからだ、ということを聞くが、しかしこういう部分にさほどマンパワーはいらないだろうに……あるいは、それも不足するほどマンパワーが足りないのだろうか?
 で、会場に着き、受付でZMさんと出くわす。軽く挨拶。なにやら事前入場チェックで手間取ってるよう。登録関連のミスだろうか? こちらは名簿ですんなり見つかり、何事もなく入場。受付でいつものセットを受け取ってH氏と落ち合うべくディーラーズルームへ。H氏と落ち合い、落ち着いて受け取ったプログラム等一式を確認するが……あれ? ない。いつもあるはずのあれがない。そう、タイムテーブル。企画紹介や一覧はあるものの、今回のように重複が多い大会では特にタイムテーブルは重要。それがないなんてことは……聞いてみれば、H氏のにもないらしい。挨拶に来てくれたU氏に聞いてもないという。う〜ん、これは……

日本SFファングループ連合会議総会第一部:

 時間が日本SFファングループ連合会議総会第一部の時間(10:00開催)になったので、会場へ移動。星雲賞の発表と、今回は亡くなられた矢野徹氏に「特別賞」と形で賞を贈りたいのだが、という議題が出る。ここで議論がやや荒れる。概ね、心情的にはあげたい、という意見が多いようだが、「SF大会参加者の投票で決める」と規約にある以上、果たして参加者の投票を経ずに総会だけで決定していいものか、という意見も出た。こちらも正論。矢野徹氏は単にSF作家というだけではなく、日本SFファンダムやSF大会の成り立ちにも深くかかわっているので、「単に亡くなったからあげる」というものでもないのだ。が、問題はその手続き。議論内容は省略するが、結局今回は総会の決議で決めることになり、再度の投票の結果、矢野氏への特別賞が決まる。ただし、今回は特例ということで以後このようなことがあった場合、どうするか、は午後に再度行われる総会第二部で話し合われることに。
 もうひとつ、ワールドコンを望んでゲストの取り扱いをどうするか、という問題提起がなされる。日本SF大会とワールドコンでは異なる部分があるのだ。
 ここ数年、総会を覗かせてもらっているが、論を戦わせながらも年々時間制限の中で効率的に議論を進める意識とスキルが成立している気がする。これはすばらしいことだと思う。

オープニング+星雲賞&柴野拓美賞発表授賞式:

 SF大会というと毎回なかなか評価が微妙なのがオープニングアニメなのだけど、今回はなんと公募。だけど二作しか応募作がなかったらしい。式の最中も何度もそれを自虐ネタにしてました。(笑)
 二作品中「鳥の街」がオープニングアニメになったのだけど、これまた別の意味で評価が分かれそうな感じ。ともすればお笑い系に走る歴代OPアニメとは違い、アート系のプライベートアニメ。が、同時に強烈にレトロ風のSFの匂いも感じる。つまり、人によっては「これ、SFとはちょっと違うんじゃない?」と思われかねないということ。実際、審査委員とゲスト・オブ・オナーのコメントも結構わかれていました。もう一本は特撮作品。「OPアニメ」なのに特撮ってどうよ? と思いますが……こちらは部分的に笑いは取っていたけど、大会のテーマとのつながりを感じず、残念。よく出来てはいたのですけどね。
 星雲賞等の発表授賞式は企画一コマ目と重なっていたので、オープニングが終わると大半の観客は移動。が、それでもかなりの人数が残っていた。ちなみにオープニングのアナウンスによればタイムテーブルはオープニング開始後、エントランスで配布しているのだそうな。なんなんだかなぁ。
 星雲賞の受賞作については上記の通り。メディア部門は私は「怪奇大家族」イチオシだったんだけどなぁ。深夜特撮番組だったから弱いのは仕方ないのだけど、あれは去年一番SFを感じた映像作品だったのに。副賞は輪島塗の盾でした。
 柴野拓美賞は、一応説明すると日本SFファンダムの古老にして重鎮である柴野拓美さんが、長年日の浴びない地道な、しかし実にSFファンダム界にとって有意義な活動をされている方を選別して贈る賞。今年はアメリカのビッグネーム・ファンで日本のワールドコン開催に向けて貴重なアドバイスを行ってくださってるペギーさん、SF大会で毎年警備に尽力し、大会の治安を守ってくださってる武田さん、連合会議中で様々な貴重なアドバイス等をおこなってくださるあべりょうぞうさん、そしてSFファンにして、SF大会に想を得てコミックマーケットを開催し、さらに特に大過なく運営し続ける米沢さんに贈られました。特に米沢氏には、あの巨大イベントを優秀なスタッフとの相互の信頼の下統率されていることにいたく感銘を受けたようで、米沢氏も「後ろにスタッフたちがいるつもりで受賞します」と受け取ってました。

スペースオペラの書き方講座ライブ:

 え〜、これ、タイトルに偽りありでした。すいません。って私が謝ることじゃなく、それにつまらなかったわけでもないのですけどね。事情は良くわからなかったのですが、急遽現在野田昌宏氏訳で刊行されているキャプテンフューチャー全集を中心に、キャプテンフューチャーについて、挿絵の鶴田氏と語ってもらおうということに。
 さすがに野田氏と鶴田氏の世代の違いがあって、というか野田氏は最初の刊行時にバリバリ業界に関与していたので視点が違ったのだけど、当時ファンがどのように楽しみに刊行を待っていたかから、出版の内幕などまで、かなり広範に語られ、これはこれで楽しい企画でした。ええ、全集買おっかな、と思えるくらいには。<おい、まだ買ってなかったんか

漫画とアニメの捉え方、日米対比:

 これもメインゲスト不在により、ちょっと趣旨の変わった企画。しかし、今「世界は日本アニメブーム」と言われているが、その実態はどうなのか、どういう経緯でそうなったのか、アメリカのアニメ・マンガファンとはどういう人たちなのか、ということが語れ、興味深い企画でした。
 まず、日本アニメブームと言われているけども、一般に支持を受けているものはポケモンなど少数で、その他は日本と同じようにオタクによって支えられているということ。特にマンガは最近ようやく日本と同じ体裁のものがかなり出版されはじめた状態で、市場としては日本とは比べ物にならないくらい小規模。しかし、日本マンガは確実に浸透しており、今後の展開の仕方も含めて期待できる、ということらしい。特に「少女マンガ」のようなジャンルはこれまでまったくアメリカには存在せず、マニア層を中心にかなり急速な広がりを見せているらしい。
 問題として、「面白い、一般受けする作品」が部分的に放映されているため、アニメやマンガの歴史観についてかなり欠如している部分がある、ということ。これは最近日本のオタクでもそういう傾向があるので、他人事ではないのだけど。でもこれって一気にSFが翻訳され始めた50年代の日本SF出版事情と似ており、これからその辺の啓蒙が行われることが期待できるとのこと。
 日本のアニメやマンガは買い叩かれて好き勝手に改ざんされることも多かったのだけど、最近は日本側の努力で(文化が浸透してきたおかげでもあるけど)そういったことが少なくなってきている。
 他にもいろいろデティールはあるのだけど、字数が多くなるのでこのくらいで。

 晩はドンブラコンに参加し損ねたので知人友人と一緒に、中華街で中華料理。大変おいしゅうございました。
 というわけで明日に続く。


2005年07月17日() 旧暦 [n年日記]

[その他] HAMACON2 二日目(1)

  HAMACON2 レポート続き。
 九時ちょいくらいに入場。ディーラーズのブースで時間を潰した後、最初の企画に……と思ったが、ディーラーズを通りかかったお客さんにトラップされる。新海誠氏の熱心なファンらしくその話をしばらくしたのだけど、熱心なのはいいのだけど、熱心にありがちな視野狭窄を起こし気味な気も……こちらはそういうことを言ってるわけではないのに全然別のことに解釈して話し出したりとか。まあ、SF大会ではよくあることです。

ライトノベル作家座談会 〜僕たちメッタ切りにされちゃいました:

 30分ほど遅れで入場。ゲストは水野良氏、浅井ラボ氏、賀東裕二氏、榊一郎氏、新城カズマ氏。ライトノベルっていうと幾つか流れがあって、その中のひとつのポイントになるのが水野良氏の「ロードス島戦記」になるのだけど(作品自体の評論はさておく)、連続的ではないけどもある程度ライトノベルのそれぞれの流れのポイントに位置する感じのゲスト。まあ、ゲーム系(TTRPG、メール系)出身が多いのは偏りではあるのだけど。
 私が入ったときにはアニメ化の話題辺りだったと思います。賀東氏の場合はかなりスタジオに頻繁に出入りして会議などにも参加しかなりしっかり話をつめた上でシナリオを書く、という、かなり綿密なコラボ体制。水野氏はもう完全にスタッフにお任せ状態らしい。ま、GAとか見るとそうだろうなぁ。榊氏は客から見て一番それらしい反応で、上がってきたシナリオやデザインを見て「これ、違うんじゃない?」と思ったりしたが、実際に出来上がってきた映像を見ると納得したという。この辺はスタジオにもよるし、作者の性格にもよるので一概にどう、というのはないらしい。
 途中からの入場で話の流れをつかみ損ね、全体の流れはよく覚えていないのだけど、他には挿絵の話だとか、時事の事件などは気にするのかとか、昔の作家と違うと思うところはどこか、とか。
 最初の挿絵の話はちょっとこの後行った企画に関連してる気も。割と世界観とかビジュアルとか、挿絵の人とどう意思疎通するか、ってので意図してない表現になることもあるとか。時事の事件は、おおむね皆気にしていないようだけども差別関連はやはり細かくチェックが入るらしい。現実のテロ関係で一番関係者が戦々恐々とするのは賀東氏らしい。さもありなん。昔の作家と違うところ、というのは、ゲーム出身のためキャラクターシートを想定してキャラ設定するとか、書くときにイメージするのが映画ではなくマンガやアニメだとか、まあ、そんな感じのところ。
 あ、それとラノベが滅びたとして、最後まで残るのはきっと富士見ファンタジアだろうというゲストの意見の一致をみる。あと、賀東氏がかなり渋めの声(見た目もわりと体育会系)なのは意外なような、腑に落ちたような。

ライトノベルの包み方:

 二コマ目は「ライトノベルの包み方」。 当初行こうと思っていた「宇宙開発の発射再開までの話を聞く」が急遽中止の告知がされ、これと「ひみつの植物とSFの世界」と迷ったのだけど、こちらに。
 「包み方」ってのは、要はカバーデザインなどの外側の装丁。ゲストは創元社の小浜編集長と、角川スニーカーの編集長の野崎氏。え? 小浜氏? ラノベじゃないじゃん。それに角川スニーカーだけ? と疑問に思ったが、ラノベ各編集長はわりとお互いライバル意識があるんだそうな。小浜氏の参加も、「普通の文芸書」(SFが普通の文芸書か、という突っ込みは無視する)の方法論とラノベの方法論との対比が明確になって、かなりナイスな組み合わせでした。
 まず、わかりやすいのがフォント。基本的に小説の表紙に使うのは明朝体、せいぜいゴシック体など数種類。それの大きさ、配置、あるいは斜体にしたり文字の色を変えたり、というくらい。しかし、ラノベは知ってのとおり、文字のデザインをかなり自由に変える。コミック的と言えばコミック的なのだけど、あまりコミック的になりすぎないように、ときには固い方面に振ったりときにはコミックよりに振ったりと、場合によって変えていくのだそうな。あと、タイトル、作者名のデザインは表紙イラストとのかね合いで変わる。どこに配置するか、どんな色にするか、など。特にライトノベルは表紙イラストの比重がかなり高いので、これをどう生かすかがデザインの腕の見せ所になる。
 ライトノベルの表紙イラストというと、やはりキャラクターが全面に押し出されるのだけどどれだけキャラクターを押し出すか、その断ち切り方などもデザインに含まれる。また、例として出された「涼宮ハルヒシリーズ」などのように、シリーズでわざと似たようなデザインにしたり(フォント、構図はもちろん、キャラのバックが白だとか、バックの「H」だとか)して、シリーズとしての統一感を出す。しかし途中でそれを変更したりしてシリーズが新展開になってきていることを示したり、マンネリ化を防いだり、ということもする。
 他にも特色(四色刷りでは出せない特殊な色味)を使ったりだとか、これまでの文庫本の方法論とは根本的に異なる方法論を駆使している。これはラノベに限らず、広告スペースのメインは実は書店の平積みの文庫一冊分だけ、表紙が商品アピールの重要なパッケージングである、という現実があるから。しかし、カバーをはぐと地の表紙はかなり地味で、これは一部を除いた書籍に共通する「カバーってのは基本的に埃避けのオマケにすぎない」という流れに乗っているということであり、これは指摘されればそうなのだけど、言われるまで気付かず、かなり意外な感じだった。

 まだ二日目の三コマめの企画とエンディング、大会全体の感想があるけども、流石にちょっと疲れたので残りはまた明日。


2005年07月18日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] HAMACON2 二日目(2)

  HAMACON2 二日目レポート続き。

狂乱酒場2ーハインラインと矢野徹氏を偲ぶ:

 二コマめが終わり、ディーラーズでまったりしていたところ、T氏が訪れる。T氏には前日に中華街を案内してもらっている。この後どこへ行くか、というので「狂乱酒場」でも行く? ということに。ただしディーラーズが15時で閉められるので、荷物の撤収に早めに引き上げなければいけないのだけど。
 たまたまやってきたU氏(U氏も前日の夕食のメンバー)もとっつかまえて、三人で狂乱酒場に。
 前日の狂乱酒場1は酒が入っての企画だったらしいけど、2はいたって真面目。元々企画主催者のハインラインファンでもある 西村屋 さんが日本のハインラインマスターである矢野徹氏とニフティで知り合い、いつかSF大会でハインラインの企画を行おうと話し合っており、矢野氏のご自宅も近いこのHAMACON2で、と言っていたところ、去年の訃報。だからこれはハインラインの企画でもあり、矢野氏の企画でもある。
 矢野氏がハインラインに深く傾倒しており、個人的な親交もあったのは有名な話だが、矢野氏とハインラインのなれそめからまずは紹介される。矢野氏は戦時中善通寺市騎兵連隊に所属、復員後、京都で通訳をしながら食いつないでいた。SFとの出会いは、まさしくこの時期。米軍司令部の入っていた建物の地下のボイラー室で、廃棄されボイラーの焚き付けにされるのを待つばかりだった数万冊のペーパーバックと出会う。矢野氏はそのペーパーバックを読み漁ることで海外SFというものを体験し、非常に衝撃を受ける。特に、L.A.ハインラインの作品に深く傾倒していった。氏によればペーパーバックを読みながら英語を覚えた、ということであり、翻訳業で生計が立つようになった氏はその意味でもハインラインに感謝していたようだ。また、この京都司令部にはハインラインの実兄であるハインライン中将も当時いた、ということであり、かなり因縁めいた話ではある。
 その後海外SF誌に自作のSFを投稿し、それがきっかけで海外の出版社から頻繁に本が送られて来るようになり、そして世界SFコンベンションであるワールドコンに招待される。ワールドコンと米国滞在中の海外のSFにすっかり浸った氏は、帰国後、日本SF大会の開催など、日本SF界に決定的な活動を数多くなす。
 ハインラインの三度の来日時にも三度とも個人的に面会しており、その関係はもはや単なる作家と翻訳者のそれを越えていた。
 そして1988年に肺気腫によりハインラインがこの世を去る。NASAで行われたハインラインの追悼記念に招かれ、SF関係者・著名人が追悼を述べる中、その締めとして矢野氏が追悼の言葉を述べている最中、ハインライン読者から受けたメッセージを紹介しているときに感極まり絶句し、「これ以上なにもしゃべれません」と壇上から降りた。聴衆からは感動の拍手が巻き起こったそうである。
 矢野氏は作品・人生共に非常にハインラインに影響を受けているが、矢野氏が最も好きな作品のひとつが「宇宙の戦士」だそうである。何故か。それは、この作品がすべての軍曹に捧げられた作品であるからだ、ということらしい。先にも書いた通り、矢野氏は従軍経験者で、戦車兵、しかも階級は軍曹だったそうである。ハインライン、特に「宇宙の戦士」は一時期一部で軍隊賛美とバッシングを受けたことがあり、矢野氏もその関係で右翼と叩かれたそうだが、矢野氏はそんな批判にもあえてなにも反論しなかったという。自分も最初「宇宙の戦士」を読んだときは軍隊賛美的だと感じたが、実際にはそんな単純なものではない、とある時期にようやくわかってきた。戦争賛美ではない。戦争批判でもない。そこにあるものは、従軍経験者でなければ完全に理解しきれない、人生そのものだ、ということだ。
 そのようなことも含めて、矢野氏は全身全霊人生の中でSFと向きあって来た。翻って自分たちはどうだろう、と思わざるを得なかった。そのような真面目に、真摯に向き合って人たちの影響は薄れ、やがて拡散しつつある。押し付けることはもちろん良くない。しかし、我々は(SFに限らないことだが)それを伝えるためのことをなにかしただろうか、あるいは十分にしただろうか、と恥ずかしく思えてきてしまった。
 知り合いが「今の子供がバカなのは、大人がバカだからだ」と言っていたが、結局SF界隈でもそれは真実なのだろう、と思った。そしてその「バカな大人」の中に自分も含まれている。
 ハインラインの主要作品紹介の部分で私は退席せざるを得なかったけども、この前半部分だけで私にとっては今回のSF大会に参加した意義の半分くらいは満たしてくれました。

マスカレード&クロージング:

 ディーラーズを引き上げ後、クロージング(閉会式)が行われる大ホールへ。「機動戦士ガンダム MS IGLOO 一年戦争秘録」の予定がずれ込んだため、その後の企画であるマスカレードもずれてしまっていた。人の入りは、1/5〜1/4かそれをちょっと下回るくらいか 。いや、マスカレードって見るための精神的閾値が結構高いんですよ。なぜかは、見たことがある人はわかると思いますが。(^^; おまけに機材のトラブルでBGMの準備に支障があり、進行が滞る。その救世主がステルヴィアのしーぽんのコスプレをしていた「司会のおねーさん」こと毛利摩生嬢。オープニングの司会等も勤めたのだが、進行が滞るたび、絶妙のフォローで会場を沸かせていた。今回もそのトーク術が炸裂! マスカレードそのものより面白かったかも……
 審査員は水野良氏・福井晴敏氏・野田昌宏氏のゲスト・オブ・オーナー御三方と大会実行委員長。が、水野氏と実行委員長はともかく、福井氏と野田氏はどう反応していいのか、という感じ。わかりますわかります。
 で、15分の討議時間兼休憩を挟んで結果発表ということに。その合間に、進行が押しているため「センス・オブ・ジェンダー賞」の発表&表彰。特別賞は川原泉「ブレーメンII」、大賞は粕谷知世「アマゾニア」。本当は特別賞には小谷真理氏の著作も挙げられていたらしいのだけど、ジェンダー研関係者ということで辞退。あまりこの賞自体は興味ないけど、受賞者のコメントはなかなか楽しかったです。あと、いきなりアマゾネスの格好でマツケンサンバIIはじめたのも……でも微妙に振り付け間違ってました。
 その後、マスカレードの受賞者発表&授賞式。受賞内容は、多分に大人の配慮が働いてました(笑)。また、ここでも野田大元帥の天然ボケ炸裂! いやぁ、やはりすごい人です。
 センス・オブ・ジェンダーとマスカレードの授賞式の最中に人もかなり集まり、クロージングが開幕。まずは「シール企画」「オールタイム地球海洋SF」「暗黒星雲賞」の発表&授賞式。「シール企画「地球海洋SF」は省略するとして、「暗黒星雲賞」。「 企画部門」は「タイムテーブル」。うわ、そう来たか。やっぱみんな引っかかってたんだなぁ。「ゲスト部門」は笹本祐一氏。え〜、ちなみに笹本氏、スペースシャトル打ち上げ遅延で結局大会には参加せず、「ARIEL」星雲賞受賞のコメントでは「SF大会よりスペースシャトル打ち上げを優先させるのがファンの期待する笹本祐一だと思いますので……」というステキコメントを出してました。「コスプレ部門」は、「司会のおねーさん」。受賞理由は「進行は最悪だったが司会で救われた」と、やはりあのフォロートーク術が大きかった模様。他には「太もも」とか……自分の名前が呼ばれた瞬間「え !?」と無茶素で声が裏返ってました。(^^; 自由部門はこれも「タイムテーブル」。もはやなにをかいわんや。「幸運部門」(投票者一人を無作為で抽選)は時刊新聞社のサイトウさん。受賞現場でも取材してました。(笑)
 その後、ついにクロージング本編。司会のおねーさんが「SF大会の参加は初めてだけど、こういう楽しいイベントだったらまたお手伝いしたい」と、うかつな事を。きっと会場の半分くらいは心の中で「志村、後ろ後ろ!」と思っていたことでしょう。そしてその予感は現実のものに……
 まずは来年の「ずんこん」と再来年の「WORLDCON NIPPON 2007」の実行委員会から挨拶。「ずんこん」のスタッフが挨拶終了間際に突然思いつき、司会のおねーさんの元に一枚の紙切れを持って近付く……そう、「スタッフ登録票」。いや、こうなる予感はしてました。そして閉会の挨拶。「家に帰るまでがイベントです」と送り出しの挨拶をする司会のおねーさんの背後から退場したはずの野田大元帥が「ぬっ」と現れ、おねーさんに握手を求める。司会のおねーさんと野田大元帥、おいしいなぁ。
 というわけでなんとか二日間の日程も無事終了。スタッフの皆様及び参加者の皆様、御疲れ様でした。


2005年07月19日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] HAMACON2 総括

  HAMACON2 の感想まとめ。
 う〜ん、なんと言えばいいのだろう。各所でグダグダだったが、楽しかったし、楽しかったが、グダグダだった、とも言える。ただ、SF大会未経験の人から参加について質問された時、素直に勧められなかったのも事実。やはり初心者には経験者が引っ張りまわして楽しみ方を伝える、というくらいしかないのかもしれない。SF大会の楽しみ方ってのは自由度が高く、要はどう楽しんでもいいのだが、いきなりそんな中に放り込まれても困るだろうし。
 一体何が原因だったのか、というのは、 ドンブラコン日記さん7/18 を見るとその一端が窺い知れる。どうやら連絡ミスが頻発したのがかなり大きいらしい。初日に書いた知人の入場時の引っかかっていたトラブルも、直接の原因は知人のミスらしいのだが、実行委員会側の告知が徹底していなかったことに起因するらしい。頻発する、ということはシステム的な問題があったのだろう。あるいは根本的な問題が。
 無論、スタッフの方々が頑張っておられたのは見ていたし知っている。個人的にはSF大会とは積極的に楽しむ努力をしなければならないものだと思っているので、個人的な楽しみということではその辺はそんなに大きな障害とはならない。しかし、2007年のワールドコン日本開催を前にしたテストケース、という面から考えると、楽しかったからいいや、で終わりにはできない。スタッフの方々は私などに言われるまでもなく、一番痛感されているだろうが。
 一つにはやはり人手の不足はかなり大きかったらしい。さらに個人的には、その人手不足の中かなりのリソースが「綺麗な箱を作ること」に裂かれた印象がある。リソースの確保と運用。これはノウハウそのものだが、毎年各地で持ち回りの性質上、これはなかなか育ちにくい。良かった探しではないが、やはり今回問題点が洗い出されたということは喜んでおいていいのではないかと思える。もちろん洗い出しただけではなく、対応もきちんとしなければならないのだが。オープニング&クロージングなど、司会のおねーさんにかなり救われたのは事実だが、一人にしわ寄せが行ってしまうということはやはり正しいことではない。無論、スタッフの皆様がサボっていたということではなく、むしろ逆なことは知っている。しかしSF大会というのはそういうものだと思っている我々に対してはともかく、福井氏など、いわば「身内外」のゲストにも結果的にそうせざるをえなくなってしまったことは真摯に考えねばならない。
 今回、いろいろばたついたことに批判的なレポートがやはり多いし、それは確かに良くないことなのだけど、結局ワールドコンでは「日本のSFファン皆がホスト」という意識が必要なのではないかとも思えた。ただ、ノウハウについてはこれは場数を経験するしかない。考えられるのは来年のずんこんでの研修などだが……
 ただ文句だけを言うのならば簡単だが、SFファンダムにぶら下がっている自覚があるのであれば、その問題は自分にも繋がっている、と考えることも必要かもしれない。
 ネット界隈での批判的なレポートを見て、へそ曲がりな自分は逆にそんなことを考えてしまった。


2005年07月20日(水) 旧暦 [n年日記]

[その他] 日記

 今日は日記の通常更新&もろもろをしようと思ってたら、急遽PCの復旧作業でその暇がなくなりました……きゅう。
 とりあえずこのニュースだけ。 ひまわり5号、運用を終了産経 )。十年もの間、関係者の方々ともどもご苦労様でした。