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2005年01月01日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 寝正月?

 あらためてあけましておめでとうございます。
 モチ食ってごろごろしてつまらない正月番組を見る以外は、父親用ノートPCのセットアップを行ってたわけで、なんだか結局普段と代わり映えしない気もする。
 今年のことを考えると頭の痛いことだらけだけども、年末にいろんな人に会えたおかげで半ばカラ元気でも元気にはなってきたし、気分がふさいでなにもできない、という最悪の状態ではなくなった。最高に良いことってのは難しいかもしれないけど、でも悪くない方向に転がすのは結局自分次第なのだよな。頑張らないと。
 実家の無線ルータがあまり電波が綺麗に拾えない件については、電波の弱さと、周囲の電波状況が関係しているらしい。外付けアンテナなどで若干の改善は期待できるが、それらはまた今度だな。
 明日からは通常営業。バリバリは個人的にはやっぱり無理そうなので、ボチボチ生きます。ボチボチ。


2005年01月02日() 旧暦 [n年日記]

[必殺] あんたこの連れ合いどう思う

 必殺仕業人 第十五話。 DVD上巻。
 渡り中間 *1 の岩松と瞽女 *2 のおふくの夫婦が江戸にやってくる。岩松は口ではおふくに江戸で一旗揚げると言っているが、その実はどうみてもただの紐。おふくの稼ぎにたかっては博打でみなすってしまう。主水たちは口先ばかり調子がいい岩松の小悪党ぶりを見て、おふくにあんな男とはさっさと別れた方がいいと忠告するがおふくは岩松にべた惚れで聞く耳を持たない。
 そんな夫婦に目を付けたのは公事師 *3 の早瀬。大店の大黒屋は後添えおはまとその連れ子吉之助の身持ちの悪さに辟易して早瀬に離婚訴訟を依頼していたのだが、実はおはま母子は早瀬とグル。身代目当てで後添えに潜りこんだはいいが、離縁されては目論見がはずれてしまう。そこで岩松に、おふくを大黒屋の後添えにすれば、主人の死後の身代は岩松のものとそそのかし、おふくを大黒屋主人にあてがうことを承諾させる。しかし当然それはでまかせで、不義密通を訴訟しておふくもろとも大黒屋を死罪に陥れるのが目的だった。 *4
 それを立ち話で聞いた岩松は……

 ベタ惚れされてるのをいいことに酌婦までさせて内縁の妻にたかる渡り中間岩松と、たかられる人のいい内縁の妻の瞽女・おふくというところで、普通なら岩松に騙されたおふくの恨みで岩松を仕置する、とでもなりそうだが、そうならないのが仕業人。ひたすら岩松に尽くすおふくはもちろんだが、舌先三寸でおふくを騙しては金を巻き上げ、博打ですってはまたたかる、という繰り返しをする岩松も、小悪党に違いないのだがその悪事は子供じみていて、どこか憎めない。
 自分でおふくを騙して大黒屋主人に抱かせようとしたのに、殺されるとわかると必死で助けに行く岩松という奇妙な男と、死んだ後も小悪党呼ばわりされる岩松を、むしろ母性愛的に溺愛する一途なおふくの夫婦がこの話の厚みを出している、と言える。
 おそらく岩松にとっておふくは甘える相手であり、おふくにとって岩松はその深い母性を無尽蔵に向けられる相手だったのだろう。そんな二人を演じるのは必殺常連の菅貫太郎と市原悦子。中期以前の菅貫太郎は被害者も悪党も両方演じていて、それもあって最後の最後までどちらになるのか展開が読めない。岩松が事切れた後の「うちのひとがころされたー!」と叫ぶおふくの姿も、市原悦子だからこその耳に残る響きになっている。
 こんな連れ合いも、ありなのかもしれない。
*1: 中間とは雑役に従事する武家の奉公人。渡り中間は一つの主家にとどまらずに雇用のある屋敷を渡り歩く中間。
*2: 東北地方の流しの三味線引き。盲目の女性がなることが多かった。
*3: 諸法度に精通し、訴訟などを代理で行う職業。今での弁護士や代書屋に近いか?
*4: 定法どおりなら不義密通は死罪。もっとも実際にそこまですることはあまりなく、大抵は示談で済んだ。

[その他][漫画] 今日の散財、その他

トライガン・マキシマム10/内藤泰弘
トライガン・マキシマム11/内藤泰弘
げこげこ/水上悟志
ふたりぼっち伝説(1)/佐藤ショウジ
西の善き魔女(1)/荻原規子
西の善き魔女(2)/荻原規子
幻のスーパーカー/福野礼一郎

 トライガン・マキシマムは言わずと知れた。ちと長くなりすぎで全体としてのバランスは悪くなってるとは思うけど、でもやっぱりウルフウッドの最期は泣けるのう。
 「げこげこ」「ふたりぼっち伝説」はそれぞれOURsの新人作家の単行本。「げこげこ」の水上氏は 散人左道 で連載もやったのだけど、決して下手と言うわけではないが、やっぱ初期の短編の方があちこちごつごつしていて、でも最近の作品は角が取れたけども癖になるようなクセも、はっとするような鮮烈さも薄れてしまってるなぁ、というか……OURs編集部って、新人を一から育てるのは、やっぱり上手くない。
 「ふたりぼっち伝説」は代理原稿(連載作品がなんらかの原因で休載したり、あるいは予定のページ数間に合わなかった場合にその不足したページ数を埋めるための急遽、あるいはあらかじめ用意しておいた原稿。主に新人や持込が登用され、登竜門となることもある)が溜まりに溜まって一冊の本になってしまったもの。ってお〜い。いや、まあ、作家さんもいろいろ苦悶して原稿を生み出すのはわかるんですけどね。単行本一冊分の代原って……せめて、きちんと前もってスケジュールをコントロールして新人さんを載せる余裕を設け、鍛えていかないといつまでたっても新人さんが育たないような……大変だとは思いますが。で、そんなOURsの救世主の佐藤さんガンバレってことで購入。いや、代原ばかり頑張んなきゃいけない状況ってのは間違ってるんですが。ちと重点的に、連載が持てるように力入れてあげてくださいよう。
 西の善き魔女は評判がかねがね良かったので。「幻のスーパーカー」は年末、知人に「デザインというものを知るのに良いものなので、福野氏の著作を読んどけ」と勧められたので、書店にあったものをとりあえず。

 年末最後の忘年会で「ナディア最終回改めて見て、やっぱりあちこちいろんなもののパクリ(オマージュ)と気づく(んだけど、やっぱり面白い)」と言ったら、「でも、元ネタを知らない人間にとってはそれがオリジナル」と反論された。それ、なんか違うんだよなぁ。私は「オマージュだから元ネタに劣ってる」と言ったわけでも、「パクリだからいけない」と言ったわけでもなく、そういうつもりもない。別に悪口として言ったわけでもない。それを言うと、そもそも「まったくのオリジナルってどこにあるの?」という問題に行き着く。なにか作品の源流をたどったことが一度でもあれば「オリジナルってどこまでたどらなきゃいけないんだ?」という感想を抱くはず。つまり「オリジナルであるか否か」は実は重要な評価基準とは限らず、逆にオリジナルだから偉いとは限らない。「知らない人にとってはオリジナル」という発言は、実はそれ自体では意味をなさない。
 なんにせよ、結局表現にすぎず、その表現に何が乗っているか、なのだ。先に例えた「器」「中身」にそれぞれ対応させることもできる。また、「換骨奪胎」という言葉もあれば「新しい酒を古い革袋に入れる」という言葉もある。既にあるものだからいいというわけではない。新しいものだからいいというわけでもない。きちんと中身が機能するかが重要だろう。
 「器」も重要だが、「器」に囚われすぎると「中身」を見過ごしがちになる。


2005年01月03日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他][読者] 恋せよアミーゴ、踊れセニョリータ

幻のスーパーカー/福野礼一郎 読み中。正直、車に詳しくない私には横文字がずらずら並ぶのは読みにくい。が、それ以上に面白い! 少しスーパーカー世代のピークとずれがあったこともあって、それほど強烈な憧れは持ってないし、車や機械のファクトリー的な部分というのはわからないのだけど、物理的な部分というのは流石になんとなくわかるし、空間的・質量的なもの、あと、材料的な感じもちょっとだけなんとなくわかる。最初三分の一読んで、一番興味を惹かれたのは「汝、Tを侮ることなかれ」だろうか。ポルシェ911Tという廉価版(?)の特性がどうしてそうなったのか、そしてそもそもそういう車が生まれた戦略、というのが明快に、まさしく快刀乱麻を断つという感じで書かれている。しかし、「幻のランボルギーニ」を読んだら、今ヤングジャンプで連載している梅沢春人氏「カウンタック」でのイオタの薀蓄がほとんどここからの出典なのに、ちと笑ってしまった。いや、決してバカにしてるわけではなく、ここに書いてある以上のものを書けと言われてもそう簡単には行かないのはわかるのだけど。 *1
  埼玉でコンビニ強盗 エアガン弾が肺を貫通、店員重傷産経 )。改造エアガンらしいけど、BB弾で肺貫通って、どんな改造だ? 古いエアガンとかだったら、そういう改造は比較的できなくないとも思うけども。
  李登輝氏、司馬遼太郎氏の墓前であいさつ 日本訪問終える産経 )。日本、台湾側の思惑についての分析部分は、通り一辺倒ながら、簡単な参考になるかも。

 紅白歌合戦でのマツケンサンバII(以下マツケンサンバ)を見て、他のTV出演時と比較していろいろいけない点を具体的に抜き出してみる。
 まず、ショートバージョンである(前奏が短い)こと。バックダンサーズ(別名、腰元ダンサーズ)の前振りの踊りが短く、マツケン登場までに「戸惑い→期待」と移行させる間がない。
 振り付けはすべてマツケンを引き立たせるためのもので、それ以外にカメラを振っていいタイミングと言うのは意外と限られている。特にキメポーズの時に他(特に審査員席)にカメラを振るなど言語道断。また、キメポーズでのカメラワークもマツケンを十二分に引き立たせるものでなくてはいけない。それもちゃんとできてない。(「恋せよアミーゴ、踊れセニョリータ」の部分で、きちんとカメラ目線になるように合わせなかったり)
 マツケン登場の舞台が高すぎて、階段の段が多すぎること。これではサンバのステップで降りてくることが出来ない。レコ大のも高すぎたが、あれは共用なので仕方ない。が、紅白のものは専用なので調整できたはず。
 これも仕方ない面があるが、観客のノリが(他のテレビ放映と比べて)悪い。レコ大等は若い客が多くて(しかもアリーナ席は立ち席)でノリが良かったが、いかにノリを演出するか。これがマツケンサンバの臨場感を伝えるのに重要。客席にバックダンサーを送り込んでノリノリにさせるのは、むしろマツケンサンバでこそすべきだった。実際、レコ大などではそうしていた。NHKのお偉いさんの頭が固いことの証明ですな。
 ってわけで、個人的には非常に不満の残る紅白出演でした。レコ大は、階段の段数が多すぎという欠点はあったものの、それでも十分に満足。
 そして 2005年にはマツケンサンバIIIがリリース予定サンスポ )。ちなみに、記事中で「北島三郎が楽しそうじゃない、と語った」と書いてあるけども、北島三郎は2004年前半に放送されたNHK歌謡コンサートの時に、すでにマツケンサンバを踊ってます。しかも、他の出演者よりも無茶苦茶ノリノリで。(って、よく考えたら、さぶちゃんは暴れん坊将軍以来確実に知己なんだから、絶対元々知ってるはずなんだよな。さぶちゃんも盛り上げに一役買ってる?)
*1: しかし、この章では最終的に次々に乗せ変えられた5リットルエンジンこそ実は真の「幻のカウンタック」というニュアンスでまとめられており、「(機械としての)車のheart(心臓、という意味でも中心、という意味でもいい)はエンジン」という基本的な見方(=哲学)を感じさせている。梅沢氏の連載ではそういう哲学をあまり感じないので、より薄い感じは否めない。


2005年01月04日(火) 旧暦 [n年日記]

[その他] 祭キター! と思ったら終わった〜

 某方面から昨日の 埼玉でコンビニ強盗 エアガン弾が肺を貫通、店員重傷産経 )についてツッコミがあって、 強盗が撃ったのは金属製のBB毎日 )とのこと。気になってあちこちの報道を調べてみるが、他の主要新聞社である 読売朝日日経 では材質について記述ナシ。金属製とプラスチック製と書いてあるのは毎日、プラスチック製というのは、産経(というか共同通信社配信記事)と時事通信社の配信記事でそう書かれている模様。金属製BBだということなら納得は行くのですが、念のため共同通信社にメールで問い合わせ中。市販のプラスチックBB弾で人体貫通だなんてまず不可能とは思うのだけども念のため念のため。
  アニメOP風の次郎長三国志Poo's World )。うわ、すげっ! 正直鳥肌が立った。フラッシュでもこれだけできるんだなぁ……(おっさん比率が異様に高すぎるので、実際に企画が出ても昨今ではまずなかなか通らないとは思うけど……)
 正月早々プチ祭りとしてネットのごく一部を騒がせていた すばらしき世界 が該当記事をまるごと削除という、ありうる対応の中で最悪の結末を。祭のあらましは 電脳遊星D さん(1/3以前)や カレーとご飯の神隠し:【論点】津波と自己責任論の論点 を参照のこと。つまり、「イラク人質が自己責任だって言うのなら、今回の津波の被害者だって自己責任だよね」(大意)と(どうもイラク人質批判への皮肉のつもりとして)書いたのがきっかけ。
イラクで誘拐され、人質となった日本人は、本質的に、今回のインド洋災害に遭った人たちと同じである。だから、今回の被災日本人が自己責任を追及されないのと同じレベルで、イラクでの被災日本人が自己責任と糾弾されたのはおかしい *1
などと言ってしまったためにコメント欄は総ツッコミ状態に。しかも本人は自分の言ってることの何がおかしいのかわからず自説を強弁したためますます事態はヒートアップ。いくつかの有名ブログや2chにまで飛び火して、IP晒しに実名晒しと、典型的な経緯の挙句、この結末に。実名晒しとかまではさすがにちとやりすぎとは思うけども(でも地方局記者という身分は自分で触れていたので、仕方ないと思うが)。
 しかしこの手の騒ぎを見ていつも思うのだけど、どうしてこの手の人たち(今回の場合midnightpax氏)ってこんなに撤退戦が下手なんだろう……自説の検証に難があるのは間違いないのだが、その前に自説を整理することの欠如と、異論が出された場合の思考の柔軟さ、つまりはディスカッション能力にそもそも難があるような気が。
  新・平々凡々【Umikaze WebSite Diary】 さん( 01/02 )のところで、 15歳Fカップグラビアアイドル なる、冗談みたいなものの存在を知る……自分が年をとったことを痛感しました。ご飯はまだかのう。ふごふご。それにしても引用されている2chの罵倒レス(に見せかけたベタ誉めレス)は笑った。
*1: この論は「人質になった日本人と津波の犠牲者は本質的に同じ」(大前提)→「津波の犠牲者は非難されてない」(小前提)→「よって人質が避難されるいわれはない」(結論)という三段論法だが、最初の段階がかなり変。「本質的」と書いてあるが「どの価値判断の視点において同じ」なのかが不明瞭にされている。多くの反論では、明確に危険が勧告されている場所に自由意志で行き勧告されていた被害に遭った場合と、(予測し得ない天災であるがゆえに)勧告されなかった被害に遭った場合とが「同じ」であるとするのはおかしいと指摘されたが、それに対し有効な返答がなされなかった。


2005年01月05日(水) 旧暦 [n年日記]

[必殺] あんたこの無法をどう思う

 必殺仕業人第十六話。 DVD上巻 。これで上巻は片付いた。さあ、残り十二話だ。
 捨三は夜鷹が殺されるところを見ていたという薄汚れた鳥追いの女おとくから二十両という大金と引き換えに夜鷹の仇を討ってくれと頼まれる。本当に二十両なんて大金を? といぶかしむ捨三たちに、小判を見せるおとく。しかし夜鷹の仇が赤鞘組と聞き、一同の顔が青くなった。赤鞘組は旗本子弟のごろつき集団で、腕っ節と権威を嵩に着てやりたい放題をしている、奉行所でも手がつけられない世間の鼻つまみ者。相手が悪すぎる。だがおとくは、断りを入れられても淡々とした様子で、殺された女郎とはまるっきり面識がなく、ただ可哀相に思ったから頼んでみただけ、二三日すれば忘れてしまう、と言って去ってしまう。終始死んだような女の表情に、主水たちは不思議そうに見送る。
 一方赤鞘組の非道はとどまることを知らず、やいとや又右衛門の得意先である船宿の女将も、赤鞘組の陣場に無理矢理手篭めにされた挙句に情婦にさせられていた。女将は船宿の船頭幸吉に惚れているのだが、それを見越した陣場は幸吉のすぐそばで女将を抱き、自分と別れ幸吉と所帯を持ちたければ店を売って手切れ金を用意しろ、と迫る。女将は幸吉と一緒になれるなら、と思いの丈を幸吉にぶつけるが、幸吉は「自分は死んだも同然の人間」と女将の気持ちに応えようとしない。幸吉は実は心中者の片割れで、自分だけが生き残ったことを悔い、この十年死んだように生きてきたのだ。
 仕業人たちが仔細ありげな幸吉の身元を探るうちに、実は幸吉の心中の相方は例の鳥追い女おとくであったことが判明。おとくも自分ひとりが生き残ったと思い、この十年を投げやりに生きてきたのだ。たまたま剣之介たちのところに転がり込んでいたおとくにそのことを確認し仕業人たちは謝礼金目当てに二人を引き合わせようと画策するが、船宿の女将がそれを聞いてしまう。
 女将は惚れた男のために身を引こうと店の身代をすべて幸吉たちに譲り、自分はけりをつけるため刺し違えるつもりで陣場の屋敷に乗り込む。それを知った幸吉は陣場の屋敷に乗り込み、女将を助けるが、自身は陣場たちに膾切りにされてしまう。
 そうとは知らず幸吉の到着を主水たちと待つおとくだったが、痺れを切らせ始めたときにやってきたのは、息も絶え絶えになりながらおとくの名を呼ぶ幸吉だった。

 仕業人、というより中期の仕置人的な話かも。死んだように無目的にずっと生きてきた二人がやっと添い遂げられる、というところで悪人により再び引き裂かれる。仕業人たちは(お歌以外は)みな謝礼目当てだが、おとくの胸の中で息絶えた幸吉と、その後を追ったおとくの亡骸を前に、一度は断った仕置を遂行する。
 単純明快に赤鞘組は外道の悪党で、彼らに踏みにじられる人々は貧しく、一途で、弱々しい。しかし、何事にも興味がないと言いながら見知らぬ夜鷹のために恨みを晴らしてくれと言ったおとくや、恩義と後悔の板ばさみになって酔って暴れる幸吉や、惚れた男のために身を捨てようとした女将だとか、仕業人としてはめずらしい繊細な人情の機微が織り込まれている回でもある。
 おとくが死んだ後、お歌が仕事に向かう剣之介の後をついていきながら、「あんたが死んだら、あたしも生きていないから」と幸吉・おとくの姿に自分たちを重ねるのは、やはり情愛の世界の仕業人。あと、赤鞘組に境内を荒らされて「商売にならん。水でも飲んで寝るしかないだろう」という剣之介も。(^^;
 他に準レギュラーの千歳先生は主水から新作の好色本を渡されてホクホク顔。ゲストで中村家の遠縁の娘お咲として西崎みどりが出演。主水に仲人を頼むが、主水が約束に遅れた上に、せんとりつの醜い仲たがいを見せられて怒って帰ってしまう。仕事が終わって家に帰った主水は半ばとばっちり。家を追い出されて役所に泊まるが、「日々是平安、これが一番です」と言う同僚の老同心島忠助に「こっちは日々是不安の連続だ」とぼやく。この飄々とした老同心、島忠助役の美川陽一郎氏はこの後体調を崩して降板、そして永眠。この話が最後の登場となった。
 しかし、第十五話「あんたこの連れ合いをどう思う」の菅貫太郎もそうだったが、この頃の時代劇は大部屋役者も鬼気迫る、肉厚の演技をしてるなぁ……こんなの見せられたんじゃ、今のドラマが薄く見えてしまう。 *1
*1: この話って仕置人でも置き換えられるよなぁと考えたが、一箇所、仕置人ではどう引っくり返っても置き換え不能なシーンがあった。おとくが赤鞘組につかまり、女かどうかを確かめられるのを剣之介たちが見守るシーン。これは、仕置人なら助けに入ろうとするだろう。表立たず、目立ってはいけない、仕業人だからこそのシーン。

[その他] 大谷昭宏センセイとかいう方

 奈良幼女誘拐殺人事件の容疑者が逮捕され(犠牲者の冥福をお祈りします)世間の注目を集めているわけですが、この事件に関連してまた別のところで注目を集めてる方が一人。それが「ジャーナリスト」の 大谷昭宏氏 なわけで。
 注目を集めてるといってもその対象は主にオタク方面で、しかも良い意味ではまったくなかったりする。大谷センセイはワイドショーにおいて 珍妙 独自のプロファイリングを展開し、 フィギュア萌え族 なる不思議ワードを用い、何故か牽強付会に秋葉原などでフィギュアを買い求める層(ま、大多数はオタクだわな)の批判に誘導するというアクロバットを見せた。無論、フィギュア萌え族なる意味不明の単語がオタク界隈の失笑を買ったのは言うまでもない。 *2
 容疑者が逮捕され、その言動や履歴から「オタクだとかフィギュアだとかとはあからさまに別のところに問題があるように見える」ことから、オタク界隈が大谷氏の「フィギュア萌え族」発言をせせら笑ったわけだけども、大谷氏は更に斜め上を行く。それが 日刊スポーツ・大阪エリア版「大谷昭宏フラッシュアップ」平成17年1月4日掲載記事「この欄でも私は事件について再々、怨恨などではなく、異常な少女性愛者による犯行ではないかと書いて、近ごろ特に目につくいわゆるフィギュアマニアや萌え族と言われる一部の人たちの嗜好に対して疑問を呈してきた。」とあるが、フィギュア愛好者とか萌え族(って何?)に疑問を呈するのは言論の自由だが、まったく根拠を提示せずに批判を展開されてもなぁ、としか思えない(というか、この文章ですら 「異常な少女性愛者による犯行ではないか」という前半と 「近ごろ特に目につくいわゆるフィギュアマニアや萌え族と言われる一部の人たちの嗜好に対して疑問を呈してきた」という後半に一体何の関連性があるのか、何度読んでもわからない。「取材した」とあるが、取材による情報はまったく提示されず、あるのは大谷センセイの偏見のみ)。またその他の部分も「本当に取材をしたのか」と思えるほど事実と異なることが多く、 こちら でその間違いを一々指摘されている。
 字数制限のあるコラムのことなので、このコラムの中で詳細な検討を展開しろ、と言っているわけではない。また、厳密に考察されたものでなければ書くな、ということでもない。
 たとえば、過日ちょっと取り上げた ミリタリー萌え という森永卓郎氏の連載記事だが、この連載記事の考察・分析は根本的に間違っている部分があるが、紹介してる事物については事実だし(付随する考察はずいぶん、というかかなり怪しい)、まず先に「硬派なはずのミリタリーと軟弱な萌えの同居」という違和感が実感としてあり、この記事を書いたのだろうことは読み取れる。
 他には、 内田樹氏のブログ(04/12/07)「この「恐るべき破壊力をもったモビルスーツ状のメカ」は日米安保条約によって駐留する在日米軍であり、それを「文民統制」している「無垢な少年」こそ日本のセルフイメージに他ならない。」というのは、恐らく日本には力と自我の二重性というのが(少なからず敗戦・戦後の影響を受け)存在し、その影響があることはあるだろうが、だったらフランスでのグレンダイザーの大ヒットやその他の国でのロボットもの日本アニメのヒットにもそういうセルフイメージがあるからなのかという素朴な疑問には答え得ない(個人的見解では同じ根から発生したものでそれゆえ似てはいるが別物だと思う)。
 しかしどちらにも共通して言えるのは、「間違っていても別に誰も困らない」という点。ひょっとしたらそれを真に受けた人がとうとうと薀蓄を垂れ流し「うへえ」となるかもしれないが、せいぜいその程度。
 大谷センセイの場合、困ったことに「間違った言説」控えめに見ても「間違った論の展開」で扇動的な言動を繰り返している。タイトルからして 「趣味と犯罪の境界 社会が決めるべき」とあからさまに圧力をかけている。問題はその圧力の方向性が妥当かなのだが、大谷センセイは自分の先入観を語るだけでその根拠を示さない。大谷センセイの頭の中では「小児性愛癖」=「ロリコンオタク」=「フィギュア萌え族(ってだから何?)」=「ピグマリオニズム」=「ネクロフィリズム」=「犯罪者予備軍」という、非常に大雑把で幸せな世界が築かれてはいるらしい。また、それに対する反論は「言論弾圧」の一言で切って捨てる。言論の自由というのは、反論されずに発言ができるという意味ではなかったはずだが。
 この行動パターンを見ていて、最近非常に見覚えがあることに気付いた。先日の すばらしき世界 の管理人氏と、行動だけ見るとそっくりだ。あくまで自説を強弁し、論理的な論の組み立てが出来ず、反論には言論弾圧との言葉で答える。そうなると、大谷センセイも撤退戦はきわめて下手だろう。オタクの社会的地位を考えると大谷センセイが孤立することはあるまいが、その程度の連中ときわめて程度の低い争いをしていることを世間に喧伝することになり、いずれにしろセンセイにはいい結果にはなるまい。
 撤退のタイミングと方法は誤るべきではない。 *3
 非常に余談だが、大谷氏が原作をつとめた「こちら大阪社会部」の作画担当大島やすいち氏(バツ&テリーとか言った方がわかるかも)は、 女子高生 の大島永遠氏と実の父娘。
*2: ピグマリオニズムのつもりだろうか? ピグマリオニズムとネクロフィリズム(死体愛好癖)とは異なるし、フィギュアを求めるオタクは既にあるキャラクターの投影、あるいは単にコレクターアイテムとしてこれらを求めているのであって、大多数はピグマリオニズムですらないだろう。別にそれが健全だと擁護してるわけではないが、変態のダメ人間だからと言って殺人者予備軍呼ばわりが不当なのは自明。
*3: どうでもいいが、この手の「オタクのことがまったくわからないのに無理矢理オタクのことを語ろうとする人」は、いい加減「萌え」はただの言葉、ジャーゴン、タームにしか過ぎないことを悟るべきだろう。コミュニケーションツールとしての言葉なので大事なのは定義ではなく、どのようなタイミングで使うか、使われるかというパターンに過ぎない。これは、「萌えってわからない」と言っているオタクにも言えるのだけど。


2005年01月06日(木) 旧暦 [n年日記]

[その他] 見なかったフリ見なかったフリ

 なんだかアクセスログを見ると、いろいろアレなことに……二箇所、ここなんぞよりずっと有名どころからリンクされた影響。無論悪意のものではないし、そもそもこっちも勝手にリンクしてたりする(相互にそういうものだと思ってる)し、一過的なものなのですが、「迂闊に書いた文章を迂闊に見られる可能性が高まる」と考えるとちとガクガクブルブルしたり。Trackback機能のある日記ツールの場合はアクセス稼ぎのため有名サイトに無意味にトラックバックを張っていく人もいるらしいが、ちとその神経はようわからん。有名サイトと比較されると考えるだけでも気が重くなるのに……それで仕事になるってんなら話は別ですが、この手のものは忘備録ともっぱら露悪趣味とつまらない自尊心の発散ですからね(無論、きちんとそれ以外の目的を持って運営している方もいますが)。必死にアクセス稼ぎするとそのみっともなさが際立ってしまう。(どっちにしろみっともないには違いないのだけど)
 まあ、アタクシは日々平穏、心穏やかに過ごしたいのでアクセスログは見なかったフリをしよう。

[その他] RSSに対応してみる

 と、言っても私にHNSを改造してRSS対応にする時間も技術も根性もあるわけないので(主に二番目と三番目)、 こちら などを参考に既に用意されているスクリプトを導入してみる。
 いや、元々「RSSって何?」という疑問はあって、ダイジェストの配信の仕組だという概要は言葉では知ってるけど、どういうものか、どう使うのかとかがいまいちピンと来ない。なら自分で導入してみれば感覚的にわかるだろう、ということで。
 導入は一からやるよりは全然楽なんですが、スクリプトや導入手順の解説に間違いがあったりして(上記サイトは間違ってない)、ちょっと思ったよりは時間を食ってしまった。で、URLは http://celts.sakura.ne.jp/diary/rss.cgi 。RSS対応ブラウザの方は、対応したのが見てわかると思いますが(たとえばFirefox1.0なら、右下にマークが出る)。ついでにFirefoxにも Sage をインストール。
 導入し、自分のサイトやら他のサイトやらのRSSを見てみてわかったことは、一つには発信者側の利点としてアンテナと違い配信するダイジェストをコントロールできること(その根性があればだけど)。見る側の利点としては、記事の一覧性が高いこと。アンテナも記事の一部、もしくは全体を抜き取ってくるものもあるが、記事の切り分けまでするわけではない(ひょっとしたらできるのもあるのかもしれないけど)。
 それと、この手のシステムは内容の記事性が高いものでないとあまりありがたみがないこと。私みたいにいろいろまとめてごちゃごちゃととりとめもなく書いてるようなのの場合、大して意味がないんですな。うう。
 まあ、RSSの記述法(xmlなんだけど)までわかったわけじゃないけど、大体の流れと利用方法はこれでつかめました。

[アニメ][漫画] 佐藤大輔のケツをなめろ!

  スターシップ・オペレーターズ #1。いかん、粗筋を説明する気力も無い……つかみの第一話というのに前半は延々緊張感のかけらもない密室での会話で終り、後半はやる気の無い戦闘シーン……このスタッフのやる気を疑うテンションはどうよ? しかも会話でそれっぽい雰囲気をかもし出そうとしてるのだけど、全然そんな雰囲気にならない。本当に戦争の雰囲気を出す気があるのかと小一時間問い詰めたい。それならいっそ、テレビ局がスポンサーについた反乱軍という方向できちんとまとめればまだ現実味がないながら面白くなったかもしれないのに。とりあえず、スタッフは佐藤大輔のケツをなめろ!
  魔法先生ネギま! #1。これもやっぱりやる気ナシ。最後の最後でちょっと盛り返したけど、それでも及第点には及ばず。確かに一話を敢えて布石にして、その後盛り上げに盛り上げた作品もありますよ? でも、原作物で展開がわかってるのに、これはちょっと……

  鉄鍋のジャン!(1)/西条真二 同二巻 がメディアファクトリー社から再販。それ自体はいいんですが、それだったら「地球防衛OLいちご」の完全版とか、葉雨たにし……もとい谷澤史紀作画「すいむ。」の単行本も出して欲しいなぁ……む、文句ばかりだ。しかし、最初のアニメ二作の不振っぷりは……


2005年01月08日() 旧暦 [n年日記]

[メモ] Text::Kakasi導入

 さくらインターネットの場合はそのままは導入不可。
 まず、 ここ からText::Kakasi2.04のパッケージを拾ってくる。(何故か文字コードがおかしい。)
 その後は Namazu正規版インストール覚え書き を参考にインストール。転載気味になってしまうけど、以下に手順を。
Makefile.PLの内容を変更
'INC' => '-I/usr/local/include','INC' => '-I/home/<<account>>/include',
'LIBS' => ['-L/usr/local/lib -lkakasi'],'LIBS' => ['-L/home/<<account>>/lib -lkakasi'],
#<<account>>は適宜登録されているuser名に変更。
 その後、
"perl Makefile.PL PREFIX=/home/<<account>>"
 生成されたMakeFileの内容を修整。これは先のページとは行番号等がちょっと異なる。
LineMakefileの内容を変更
77INSTALLPRIVLIB = $(PERLPREFIX)/lib/perl5/5.8.4INSTALLPRIVLIB = /home/<<account>>/lib/i386-freebsd
79INSTALLSITELIB = $(SITEPREFIX)/lib/perl5/site_perl/5.8.4INSTALLSITELIB = /home/<<account>>/lib
83INSTALLARCHLIB = $(PERLPREFIX)/lib/perl5/5.8.4/machINSTALLARCHLIB = /home/<<account>>/lib/i386-freebsd
85INSTALLSITEARCH = $(SITEPREFIX)/lib/perl5/site_perl/5.8.4/machINSTALLSITEARCH = /home/<<account>>/lib
103INSTALLMAN3DIR = $(PERLPREFIX)/lib/perl5/5.8.4/perl/man/man3INSTALLMAN3DIR = /home/<<account>>/man
165INST_AUTODIR = $(INST_LIB)/auto/$(FULLEXT)INST_AUTODIR = $(INST_LIB)/i386-freebsd/auto/$(FULLEXT)
166INST_ARCHAUTODIR = $(INST_ARCHLIB)/auto/$(FULLEXT)INST_ARCHAUTODIR = $(INST_ARCHLIB)/i386-freebsd/auto/$(FULLEXT)
278BSLOADLIBS =BSLOADLIBS = /home/<<account>>/lib
664write $(DESTINSTALLSITEARCH)/auto/$(FULLEXT)/.packlist \write $(DESTINSTALLSITEARCH)/i386-freebsd/auto/$(FULLEXT)/.packlist \
で、
"make"
"make install"
 "make install"前に"make test"するとエラーが幾つか出たが、動作には問題がなかった。他の環境でも同様かは不明。全ての作業は自己責任で。
 これらはNamazu for HNS導入のための手順の一部。gettextはさくらインターネット(レンタルサーバーサービス)の場合は既にインストールされているので、 Namazu はセキュリティホールがふさがれている 2.0.14 をインストールした方がよさそう(2.0.13以降はGNU gettextが必要)。Kakasi、Text::Kakasiは余裕と自信があれば。

[その他] 津波周辺関連

  「稲むらの火」外国首脳も知っていた…首相が逸話披露読売 )。『稲むらの火』については こちら 。私は全然知りませんでした。いや、見たことあるかもしれないけど忘れてた。小泉八雲によって紹介されたのを、日本向けにリライトしたんですな。しかもこの話のモデルになった濱口梧陵(第七代儀兵衛)氏は ヤマサ醤油の七代目 だそうで。ううむ。
  TSUNAMIは世界共通語産経 )。TSUNAMIが英語で通じるってのは知ってたけど、こういう経緯だったのか。
  津波被害の支援めぐり中国と覇権争い−日本政府ANN )。「中国と覇権争い」ってどこをどう争ってるんだか……こういうのを下衆の勘繰りって言うんですな。「 今回の支援表明は行きあたりばったりで」ってあるけど、どう行きあたりばったりなのかまったく理論だった記述がないし。しかも、「 また、日本には、最大の拠出国になることで、国連安保理の常任理事国入りをアピールする狙いもありました。しかし、そういった意図を感じ取ったドイツが、今回の会議の直前に、日本を上回る支援額を表明しました。」という部分について、ドイツ大使館に問い合わせた方がいるようで、 こちら 参照。常任理事増加枠がひとつ、という話は聞いたことがなく、日本とドイツが同時に入るか、あるいは入らないか(もしくは拒否権ありの常任理事か否か)という問題だと思っていたので、かなり首を傾げたのだけども、それに対するドイツ大使館の返答は
日本の安保理加盟を察知したドイツが日本を牽制する意味で日本を上回る
拠出を行ったとする報道について、それは論理的にありえないとのこと。
理由は以下の通り。

1.安保理加盟はドイツと日本のどちらか一方が加盟する可能性は低く、
  両国加盟か両国加盟できないかのどちらかだから。
2.ドイツ義捐金の拠出額は数年に渡る金額であり、日本政府が
  3月以降にさらに拠出することは目に見えているので、日本政府の拠出額
  がドイツのそれを上回ることは分かりきったことだから。
とまあ、1は予想通りの答。しかも、2については寡聞にして初耳で、確かにどれだけの期間で幾ら、という比較は出ておらず、言われてみればその辺抜きに「ドイツの義損金が日本を上回った」ってのは確実につまらない印象操作なのだなぁ。
 この問い合わせと返答が本当かどうかは大使館にでも確認しないとわからないのだけども、かなり理路整然としていて、朝日のニュースよりは信頼できるように見えます。
 こういう時にどういう報道するかってのは、報道社としてのイメージにかなり重要だと思 うのだけどなぁ。


2005年01月09日() 旧暦 [n年日記]

[その他] 不思議な文章

 はてなの質問で、気になった文章。
  嫌なら読まないでください。コンピュータ関連(趣味の領域で)の話題を質問にもってくるのと、ギャル文字で携帯でやり取りしているのとどこがどう違うのでしょう?
 質問の内容も意味が良くわからないがそれはさておき、「嫌なら読まないでください」とあるが、読む前にどうして嫌かどうか判断できるのだろうか? どちらかと言うと批難された場合に「嫌なら見なければいいって書いてあるじゃん」という逃げ口上用に書かれた断りのようにも思える(それもめちゃくちゃだが、元の理屈がめちゃくちゃだから仕方ない)。そんな用心をしなければならない文章には見えないけど……まあ、害があるわけでなし、なんにせよちょっと面白かった。
 不思議文章と言えば、米軍も今回の津波被害の救援に続々と向かっているわけですが、一部リベラル系blogで「人殺しの軍隊なんか送るな! 民間NGOにまかせとけ!」みたいな記述を幾つか見て、萎え。この手の人は、兵站の概念なんて永遠に理解できないんだろうなぁ……戦争は良いことではないけど、今度のような有意義な活動(政治的アピールとかそういった面はとりあえず置いておく)に対してまで反対のためだけの反対を行う不毛さは、救いがたい。まあ、わざわざそんなアホなこと書いてるところを見に行く私も救いがたいんですが。
  奈良女児誘拐殺人事件における、マスコミのオタクバッシングまとめサイト 経由で このような書き込み を見る。本当に性犯罪が倍増してるの? と検索。すると このようなグラフ が。一応、 警視庁 のサイトを調べてみる。 こちらの資料 の9ページ目(P43)にわいせつ罪の、8ページ目に強姦罪の平成10年から平成14年までの推移の統計情報が載ってました。十年前からどうかはよくわかりませんが、強制わいせつ罪は増加、強姦罪はほぼ横ばいの傾向というのはそうであるよう。ただ、これがネットの影響のせいなのかは、当然これだけではわかるわけもなく。この資料によると強盗事件もこの五年で倍近く増えているし、犯罪件数自体が増加してるんですよね。治安が悪化したのか、認知件数が他の理由で増えたのか、ともかく全体的な傾向であることはそうであるようで、特に強力な証拠も無いのにネットと結びつける根拠はやはりよくわかりません。「児童ポルノの先進国」発言も原典が不明。まあ、件の番組を見たわけではないので、実はその辺にも触れていた可能性はないではないですが、言いっぱなしだったら、やめて欲しいよなぁ……

[アニメ][その他] 年末もの

  ファンタジック・チルドレン は年末はベフォールの子供たちとヘルガの正体が明らかになり、今年最初の放映は総集編。これ見ると、これまでの判りにくさがいったいなんだったんだってくらいよくわかる。これだけ見ると、実はファンタジック・チルドレンって判りやすい話だったんだと勘違いするくらいに。<おいおい しかし、ファンタジック・チルドレンが(近)未来の話だって総集編見て初めて知った。だって、美術とかがレトロチックなもので、つい過去の話かと……
  舞-HiME は修羅場修羅場。つか、最近のアニメは問い詰めモードは標準装備なんですか? 関係ないけど、オフィシャルページの人気投票の動向がなんか変な感じ。
 メモ。 第5回 日本のアニメは米国でキラーコンテンツになれるのか?(前編)
 そして、アニメ関係ではないけど訃報。 映画評論家の小森和子さん死去朝日 )。ここ十年くらい、お仕事はされてなかったし、たまにテレビで見かけても車椅子で移動されていたりと、在りし日の元気な面影は潜めていたのですが……ご冥福を祈ります。


2005年01月10日(月) 旧暦 [n年日記]

[読書] 幻のスーパーカー/福野礼一郎

 少し前に読み終わっていたのだけど、今更に。
 正直、この本について云々吟味することは私にはできない。その技量も知識もない。なら語らなきゃいいじゃん、というのは正論だが、困ったことに読んだことの興奮はなにかを語りたくなってしまうのだ。ほんとにまったく。
 後書きによるとスーパーカーマニアのバイブル的な取り扱われ方も一部でされたみたいだけど、福野氏はそれを否定する。その前振りというか、理由はご丁寧に前文に記されている。
 そもそも物事を静かに深く考えるようなタイプの人間は雑誌のライターになれない。
 雑誌には締め切りがある。
(中略)
 世のなかの有様や社会のあり方に疑念や不満を持ったりするような人間もまた雑誌ライターには向いていない。
 雑誌には広告スポンサーがいるからである。(中略)生まれつき単純つとめて従順、不満だの疑問だの持ったりせずに物事おしなべて浅く軽く考え、右から左へ原稿を書いてウワサ話と流行に敏感になれば、それが雑誌ライターの鏡である。
「まえがきにかえて──スーパーカーの出発」P6から
 このことは決して謙遜でも卑下でもないだろう。この本にある記事は記念的集大成として入念に書かれたものではなく、雑誌記事の収録である。福野氏の言葉を借りれば「右から左へ」書かれた原稿で、その内容も雑誌掲載時から手を入れられていない。
 ならこの本の記事はいい加減なのか。とんでもない。だからこそ逆に、書いたの人間の物事の捉え方、常日頃もどうやって触れ、感じ取るようにしているか。そういったことがすべて反映されてしまう。そこに書かれている情報もさることながら、それ以上に福野氏という人間の面白み、すごさが刻み込まれている。記事の厚みはライターの人としての厚みの投影だ。
 テストドライブの体験記はあるいは官能的であり、透視の目を持って車の構造を分解する文章はエロティックですらある。そして機械を通し、その背後にいる人間を読み取ろうとする真剣勝負そのものの気迫。
 とてもそれらは私の言葉では伝えられず、ただ感想と称して書き連ねるしかできない。物事の姿勢、というか、あり方というのは、こういうことなのかと、楽しみながらも思わず居住まいを正してしまう。