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2001年02月21日(水) 旧暦 [n年日記]

しまった。

 ここの日記を アルファシステム のドメインから検索で飛んできた人がいました。何もないと思ってそのまま帰ってました。ちっ!
 やっぱゲーム大賞ノミネートがどう思われてるか、気になってるのね。
 一昨日昨日今日と、非常にオタクなネタで会話が盛り上がる。こちらにも事情というものがある為だが、しかしええんかという気にもなったりならなかったり。
 パヴァーヌの感想を書こうと思ったが、どうにも書きにくい。面白いことは間違いない。また、落ちを読むまで「SF?」と思う人もいると思う。ちょっと時間に余裕がある時だな。
 少し前の話だが、郵便局で窓口が一つ、係員が別の仕事を抱えて閉じていたのだが、何故閉じてるのかと怒り、その理由を説明されるとそれがわかるようになってないと怒ってるおじさんがいた。局員は決して暇なわけでなく、せわしく動いてるのは傍目に明らかであるのにだ。そうやっておじさんがうっぷんをぶつけてる分作業が遅れ、その窓口が再開するのが遅れるのにだ。
 先日は、エレベーターに乗っていたのだが、行き先階数ボタンパネルの近くにいたおじさんが誤ってインターホンのボタンを押したらしく、スピーカーで係員の人の「どうされました?」という声が何度か聞こえた。私が「すいません、間違いです」と答えるまで止まなかった。言った瞬間、満員に近いエレベーター内の人の視線が一斉に私の方を向いた。怪訝な色を浮かべてだ。
 無関心、というのならそれでもいい。しかし、何故こう世界に対し無駄に敵意を見せるのだろう? 男子ひとたび表に出れば七人の敵がいる、とはよく言われる。しかし、忙しいのでも没頭してるのでない状況で、外部の一つ一つの挙動を見て、その背後を推測するという当たり前の事が出来れば、敵意を見せる必要はないとわかるはずだ。自動的に外に対して興味をシャットアウトしてしまっている事に疑問を抱かない、自動的である事に任せて思考を停止させる、常識、普通というものにその一つ一つを検証するということすら思い及ばずそれに合わないものを排除しようとする。
 この人たちが親として、あるいは親になって子供に「人には親切にしなさい」とか「相手の事を思いやりなさい」などと言ってるかと思うとそら寒くなる。また、森首相の非常識を同じく自動的に責めるのを考えてもぞっとする。自動的であることで失った物は大きいというのに、まだそれがわからないのだ。
 時代を責める事勿れ。そういう時代を作ったのは他ならぬ我々なのだ!


2001年02月22日(木) 旧暦 [n年日記]

時代劇の時代

 いや、カラオケ行って「夢ん中」とか「負け犬の歌」とか探すってよくやるよね?<やらねーよ
#第一ないし。
 なんかテレビで「八丁堀の七人」とかいう時代劇をやってたので横目で眺める。なんつーか、ひでえっつーか、お約束もここまでお約束だけだと見難いし醜いという例だなぁ。
 火付けが起こった、下手人は誰だ、火事で儲けてるのは材木問屋らしいぞ、じゃ、そいつが怪しい…ってオイオイ。疑うのはいいが、それだけで既に下手人扱いするなよ。
 しかも旗本の次男坊に、お前が疑わしいから来いとか出し抜けに言ってるし、これ見て誰もおかしいとか思わないかなぁ。むちゃくちゃ笑える。
 出鱈目なら出鱈目でもいいけど、仕置人とかみたいに、確信犯的出鱈目さとかやってくれればいいのに。「時代劇はこういうものである」という規制概念が固まってしまった為に、視聴者も製作者も頭が硬くなってしまったのかなぁ。ちらっと人と話をして、大岡越前とかで、定番の三方一両損とか子供争いとか、いわゆる講談が元の定番ネタでも、昔作った物の方が面白い、ってことが話題に出たりもしたし。確かにヲイラも時代劇がつまらなくなって見なくなってしまって久しいけど、再放送の物はちらちらと見てたりするものなぁ。固定化することで新しい刺激を加える事が出来ず、それで変な受け狙いばかり入れて、様式の美ですら存在しない。時代劇やばいっすよ。鬼平とか、面白いのもあるのだろうけど。
 あ、ところでファーストコンタクト(異星人との初接触)シミュレーションコンベンション、「 コンタクトジャパン 」の日帰り企画(普通は数日かけて行うのだ)、「 Day CONTACT 1in Nagoya 」が行われます。私はまだ参加したことがないのだけど、レポートを見るだけで感じる濃密な合宿企画の楽しさを、1日でどれだけの要素が詰め込めるか、というのが大変楽しみです。これが上手く行けば、もっと気軽にこういう企画が行う事ができるわけですしね。


2001年02月23日(金) 旧暦 [n年日記]

TAXI DRIVER

 今日、ちょっとタクシードライバーのおじさんにタクシー業界のあれやこれやという話を聞く機会があった。大変面白い話でした。
 収入のシステム、なわばり、契約の形などなど、ちょっとしたトラブルの話とか、ちょいときれいでない話とかにも触れたり。全く知らない業界のお話というものはやはり面白いものです。
 やはり、比較的入りやすい業界ではあるけども、不安定かつ生活サイクルが定まらない世界ではあるようで、ご苦労は絶えないよう。
 話聞いて「タクシードライバー」とか「男たちの挽歌」を思い出し、ピンと来る所もあったり。
 知人の日記から「八月十五日の開戦」の感想の部分にリンクが貼られてたので、「こんなきたねえ文章、人様にホイホイ見せられねえ」(って見せてたじゃん)と、少し手直しするが、あまり飛んでこないようである。杞憂か。
 「ラピュタ」をやってたので見てみる。良く見れば突込みドコロ満載の映画だが、それと同じくらいかそれ以上に「面白い」ということが言える。欠点をなくすことが名作を作る条件ではなく、長所を伸ばす事が重要なのだという良い例だな。
 作品の欠点をあげつらうようなことばかりに陥らぬよう、気をつけねばなぁ。


2001年02月24日() 旧暦 [n年日記]

さすらいエマノン

 「おもいでエマノン」の続編「さすらいエマノン」が出てたので買う。買うのだが、どうにも違和感がつきまとう。今回に始まった事ではなく、「おもいで」の途中から既に感じていたことなのだが…
 この違和感の正体に途中で気付いたのだが、エマノンが観察者でなく、超能力を持った行使者になってしまっているということなのである。エマノンは、生命が生まれた時からその記憶をずっと蓄積しつづけている。母から娘へ、記憶だけが受け継がれ、エマノンの本体は肉体でなくその記憶であると言える。地球の生命の歴史を記憶して行く事。それがエマノンの存在意義の全てである。そのはずだった。しかしどうにも前作の途中から既に「おや?」と思うようになった。エマノンが、積極的に何か、進化の方向性に関わっている部分が多くなったからである。それでは記憶者でなく、先導者だ。それがいけないということではないが、一代毎にその生その生を精一杯生きてるはずのエマノンの魅力が削がれるような気がする。つまりは、視点がメタ生命な部分に移ってしまい、共感し難いということなのだが…ううむ。


2001年02月26日(月) 旧暦 [n年日記]

戦争と戦争

  20日の日記 に関して「それ、(その意図は無くても)戦争賛美にとられかねないよ」という指摘があり、読み返してみると確かに煽ろう煽ろうという書き方を意図して行ってるので、そう読まれて不思議はない事を認識。「あ、こりゃちとやばいなぁ」とは思ったものの、削ってしまうというのも何か違う気がするので、補足としてちと色々書いておきます。
 まず大前提として、日中戦争から太平洋戦争、もっと言えばそれ以前からその要因というのは積み重ねられて来てはいるのだが、それらは根本的に「間違い」であるということがある。「間違い」と言うと生温いかもしれない。もっぱら日本の判断、行動は「最低」であり、その結果は「最悪」であったという方がぴったり来るだろう。
 無論、日本が世界制服の野望を持って、という能天気で幸せな一方的な史観は正しいわけではない。ある意味、日本は追い詰められたというのも間違いとは言えない。しかし、追い詰められたのはもっぱら日本の内情と外交の失敗によるものであり、他国に行った行為の言い訳にはなんらならないのだ。
 日本の戦争参加者も被害者である、というのは正しい。しかし、同時に国全体として見れば積極的加害者であるという事実は、如何に言葉と証拠を重ねようと消えない。無制限な罪悪感を持つ必要はないと思う。しかし、過去をしっかりと認識し、それがどのようなことであったのか、どのような結果をもたらしたのかを把握することは、戦争を語るのであれば最低限必要な義務であろう。
 終戦後のソ連の侵攻についても、ソ連の横紙破りというニュアンスがあるととられかねない書き方をしたが、八月十五日のポツダム宣言受諾というのは停戦の日ではなく、停戦・講和のための全軍の武装解除を含めた前段階というのが正しい(補足:更に言えば、ソ連はポツダム宣言に連名してない)。したがって、一応名目上は日本が武装解除を拒否し積極的戦闘および侵攻の意図ありと見なされれば攻めることは必ずしも国際的非難を受けるようなことではない。もっともソ連はドイツのポーランド侵攻に乗じてポーランドに攻め込んだりとかなんだりとか、色々あれなんで、ソ連に否が無いってのは言えないと個人的には思うのだけど(国際法は破られやすいという実情はとりあえず置いといて)、日本にしたってそれまでしてきたことがしてきたことなので(一連の戦争全体で見れば)一方的に被害者面できないことは忘れてはいけない。戦中における外交、大局での戦略を欠いた行動については言うまでもなし。
 次に作戦全体の意義。実は件の小説のみを鵜呑みにするとあぶない部分があって、その一つがアメリカとの裏工作を指示した松岡洋右元外相なのだが、この人は日本を戦争に叩き込んだ外交上の失敗のかなりの部分の責任があるのである。残念ながら史実の「占守島攻防戦」における役割というのは資料が見つからず、まだ調べるのに時間がかかりそうなのだが、太平洋戦争前のハル・ノートに至るまでの外交の失敗の数々に加わってるのは確かである。松岡外相は主戦論派ではなく、むしろ米国との関係修復を望んでいたのは確かなのだが、却って関係の悪化を招いた強気の外交と、米国が破棄を求めていた三国同盟に非常に固執していたというのは間違いなく、結果から言えば全てとは言わないが少なくない部分は責任がある。そういった失敗や無責任の積み重ねは、松岡外相に限らず開戦前、開戦後と積み重ねられて、終戦時の事態を招いたのである。ソ連が攻め込んできたのだって、非常に見とおしが甘いソ連外交の結果であると言っても言い過ぎではない。従って、「横紙破りのソ連対国土防衛の日本」という、幸せな見方が出来るほど単純ではないし、そういう見方は間違っている。
 そしてもう一つ、敢えて言えば、占守島の攻防戦が行われなかったとしても、必ずしも北海道がソ連領になったとは限らない。個人的にはアメリカを始めとする欧米諸国はこれにかならず反対をしたと思う。無論、どう転ぶかは断定できないので無意味であったとは思わないし、北海道民が戦火を免れたというのもおそらく事実だ。
 私の見方では、「占守島攻防戦は日本国民にとって最悪の中の最悪の結果を防ぐ要因になったかもしれない」というのが偽らざるところである。しかし日本の行為そのものが最悪であったことは忘れてはいけない。ただ、この戦闘を含んだあの戦争が(他人事で無い意味で)悲劇であるとは思うし、そう思って欲しいし、何故起きたのか、今後起きない様にするにはどうすべきか、そのことに想いを馳せるきっかけになれば、とは想う。
 プロイセン参謀本部のシャルンホストだったか誰の言葉だったか、細かい事は失念したのだが、「最も輝かしい勝利であってなお、戦争は不幸である」というのがある。全くその通りだと想う。


2001年02月27日(火) 旧暦 [n年日記]

明日という字は明るい日

 忙しいという字は心を亡くすと書く。ので、心が死んでない限りは時間が少なくても疲れても忙しいのではないのだろう。だから多分私もまだ忙しいのではないのだろう。
 とは言え色々慌ててたことが原因で、昨日の日記に別方面からのツッコミを受ける。意図が良くわからない部分もあったけど、明かに意図が誤解された部分、こちらの書き方が明かに悪かった(あるいは間違ってた)部分があるので修正。誤解されるようなことを書くというのは、大抵はこちらに非がある場合である。まあ感情的部分と、史実の部分と全然分離されてない文章なので、それだけでも問題であるかもしれない。事実を挙げていき、冷静な判断を仰ぐというのは分量がかかるということもないではないが、やはり歴史、特に戦争を語ることは難しい。


2001年02月28日(水) 旧暦 [n年日記]

鬱だ

 久々に鬱っぽい。無理矢理ガンパレード状態にしようにも、ガス欠状態に等しい。こういう時は気分転換か大人しく引き篭もりにでもなるのが一番なのだが、どちらも許される状況ではない。
 笑っていても、なんか笑いが乾いてるのが自分でもわかるの。とかくこの世はままならぬ。トホホ。