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2001年02月11日() 旧暦 [n年日記]

公定歩合引き下げ

 って、金利を下げて借りやすくしても、実際に必要としてる人が借りられなきゃ意味がないと思うのだけど……
 街中を自転車で走るとよくわかる。空きテナントのなんと多いことか。別に人通りが少ないという事でもないのにである。古典的な経済理論を盲目的に信じ過ぎ、何の為にその行為をするのかを考えてないのではないだろうか、と思ってしまう。そらこっちは素人で向こうはプロだからどうこう言うのはお門違いってのはわかっているのだけど、現状を見るとなんともいやはやなのだ。
 例の宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」と米原潜の衝突事故は米原潜の緊急浮上訓練時に起きたものだとか。いずれにしても原潜側の不注意の誹りは免れえぬのだけど。
 あと、事故直後の救命活動についても、意見が別れてる。米原潜側は波が高くハッチがあけられなかった為救難者を艦内に入れる事が出来なかったというが、救難者側の証言ではそんなに高い波はなかったという。行方不明者捜索中の映像では、確かに海は非常に穏やかだったように見えたが……
 まあ、一報が入ってもまだゴルフしてた総理もいるんで、米原潜だけを云々いうつもりはないのだけどね。
 あ、来週の日曜洋画劇場は「シュリ」で再来週は「レオン」だ…

あ、「ゲーム批評」の間違い

 今売り中の「ゲーム批評」のGPM記事で間違い、あるいは意図的な嘘(ってほどのこともないけど)がある。公式掲示板で「士魂号」の由来が「士魂部隊」であることを指摘したのはライターの方ではなく、祖父が山砲兵として占守島攻防戦に参戦した方という、一般の方である。その話題に乗ってきたのが記事の中で触れられてるライターの方、という流れなのだ。まあ話をわかりやすくするためにはしょったのだろうけど、一応、補足って事で。


2001年02月12日(月) 旧暦 [n年日記]

名古屋市の記章って…

 丸に「八」なんだけど、なんか八百屋のマークみたいに一瞬見えた。だからなんだということはないけど。
  駅ホームからの転落者を救う勇気、全国に広がる だそうで……いや、転落者をたすける事は立派な事だと思いますよ、そりゃ。無論、「駅はそもそも危険な場所なんだから、そんな当たり前の事への認識不足がそもそも問題だ」なんて論調もいささか的をはずしてることもわかってますよ(携帯で話中に注意力散漫になって事故に遭ったって人もいるがそれは論外。携帯による注意力と、危険への対応速度の低下って案外と気にされてないのね。閑話休題)。ただ、こう無言の善意を祭り上げるような報道ってどうかなと思う。身を呈して他の人を守って名前も立ち去らずに去った。美談ですよ。確かに立派だと思う。でもさ、例えばホームに落ちた人を助けるってのは、それ自体が危険な行為なわけですよ。記事ではその辺の前後事情は書かれていない。確かに下りて助けなければ危険だったかもしれない。そうでなかったかもしれない。記事の断片から察するに、駅員にまず連絡して、その上で救助したようであるから多分最善の手だったのだろうと思う。しかし記事はそこを褒めてない。ヒロイズムを安易に褒めている。ヒロイズムの安易な賞賛は、安易なヒロイズムの模倣を招きかねない。その場合、危険なのは記事にのせられてしまった人だ。まずすべきなのは、当たり前の手順である。身を呈して助けるかどうかは、ぎりぎりの部分の判断だ。下手をすれば事故死者を自ら増やすことになるかもしれない。
 ヒロイズムの安易な取り上げは好きではないし、それ自身が危険性を孕んでいる。記者はその事に気付かないのだろうか?


2001年02月13日(火) 旧暦 [n年日記]

まーず・あ・たっく

 なんかこないだ入れたばっかの シマンテック のインターネットセキュリティがピコピコ警告出してたので、何かと思ったら「Hack 'A' Tac Trojanのアクセスを受けたけど、アクセス拒否の対象なので拒否しました〜」ということらしい。で、「Hack'A'Tacって何?」と思って検索かけたら見つかったのが こんなページ
 どうもremoteでWin9xにアクセスするツールらしい。で、トロイの木馬をし込んで云々すると、人のPCにあれこれできるらしい。つまり人のPCをクラックしようとしたってことかい!
 ワシのシマ荒すんは誰じゃ! とログのIP調べたら同じプロバイダからのアクセスという事がわかった。こっちには変なトロイの木馬は仕掛けられてなかったので被害は無いのだが、くそ、アクセス日時はわかってるからプロバイダに連絡してやろうか?
 Winのセキュリティは穴だらけだけに、やっぱり何らかの自己防衛策は必要だよなぁ。一応フリーでも前に紹介したものの他にも こういうところ でどこのどいつがしかけてきやがったか調べる事ができたり、 こういうWin用個人ファイヤーウォール があったりするわけで、面倒でも前もって注意しといた方が後悔は少ないかも。
 それと、展開に腹を立てつつやはりなんとなく見つづけてしまう「アルジュナ」。ひょっとしたら作り手の策中にはまっているのかもというかすかな不安もないではなし。それでも「ヒヲウ戦記」の方が数倍面白いのは間違いなかったり。しかし先週ほどではないにしても「なんだかなぁ」な展開には変わらず。教師がルーチンワーク化してるのが多いってのは否定はしないが、それでも思考錯誤してる人も多いわけで、それを無視してネガティブな材料だけ取り上げるってのも。それと、それなりに理想の人生ルートからはずれたって人間生きていけるわけで、何があれかっていうと「不良気取ってるくせに堅実な人生設計を崇め奉ってるんじゃねえよ」というところか。でも実際は不良とか族って結構そういう人間多いのだけどね〜。
 ついでにやっぱり Napster社不利 。まあそうだろうなぁ……

えひめ丸の事故とか

  連絡待ってただけだもん。間違ってないもん。な首相の言い訳 はなんだかなぁ、な感じ。釈明のタイミングからして、非常に言い訳くさい。何せ意識不明だった前首相の使命で後釜に座った人だから、そういう不思議な事もあるかもしれない。そのついでに もう三ホールばかりコースを回っても 問題はないのだよね。非常にわかりやすい人ではあるのだけどね。
 それもあれなのだけども 原潜側の救助対応に問題無し という声明はなんなんだか。どうも米国との云々ってのが透けて見えていやだ。


2001年02月14日(水) 旧暦 [n年日記]

えひめ丸とグリーンヴィル関連

  http://odin.prohosting.com/maneuver/special/greeneville/ とか。
 まあその話は取り敢えずいいや。
  アルファシステムの芝村氏インタビュー 。どの芝村氏かわからんし、写真も多分偽者だけどね。口調が芝村口調で無いってのはどうでもいいのだが。(でも話してる内容はまぎれもなく芝村ティックだなぁ)
 ヲイラが GPMキャンペーン とかやったり 星雲賞非公式ノミネートページ を引き継いだりしたかってのは、やっぱ何もやらずに後で「だからあの賞はダメなんだ」とか、グチグチ文句言うだけなんてのがイヤだから、というより「ミッシング・ゲイト」の一件でそんなのはもうまっぴらだと思ったから。誰かが得するとか損するとかじゃない。もし損得勘定でやるというのだったら、それは応援でなく投資だ。ファンの応援なんてのは自己満足だ。応援される側が望んでいるかさえ関係ない。そこら辺は、迷惑にならないよう注意しなければならないのだが…
  2ch でGPMキャンペーン取り上げた掲示板だけど、面白い事にGPMノミネート後、それを話題に取り上げたのはキャンペーンに否定的な意見が多い方だった。つまり、気にしてるのに最初から諦めて何もしない人が多いのだ。最初から大手の出来レースなんだからノミネートすらされることはないと。私はそんなことないと思ってるし、ないよと言いたい。それは伝わっただろうか?
 帰りに「ギャラクシークエスト」見てきたので、明日はその感想でも。


2001年02月15日(木) 旧暦 [n年日記]

まずは宣伝。

 知人の本の宣伝。広告スペースじゃないって? いいんだよ。ヲイラの書きたいように書くんだから。
 エンターブレイン社刊ファミ通文庫「GUNNER」5月19日発売。
 パイロット版はヲイラも読みましたが面白かったです。ってワケでよかったら買うように(言ってる事滅茶苦茶だな)。ただし「萌え〜」とかそういう方面の本ではないので予め悪しからず。
 次に昨日の反省。ヲイラはファンの代表でも指南役でもないんだから偉そうに説教するような真似をする資格なんざないのだよな。何もしなくて文句いうことに怒っても、そいつらに偉そうにああしろ、こうしろという権限などないのだ。敢えて言いたいのなら、「お願いですから文句言うくらい悔しいなら、まず行動を起こしてください」とお願いするしかないのだよな。なんかお願いしてる文章に見えないけど。
 で、やっと昨日の予告通り「 ギャラクシー・クエスト 」の感想。
 ジョンソン・ネズミズを始めとする5人は昔の人気SFテレビ番組「ギャラクシー・クエスト」のレギュラーメンバー。同番組は今も熱狂的なファンに支持され、番組の決め言葉「ネバーギブアップ・ネバーサレンダー!(諦めるな、降伏するな!)」が合言葉の大会が開催されるほど。ところがそんなファンの熱狂とはうらはらにメンバーは昔の番組に引っ張りまわされるのにうんざり。しかし他に仕事につこうにも番組の役のイメージが強過ぎて他の役が回ってこず、しかたなくファン集会やイベントに出て糊口を凌ぐのがやっと。メンバーの中で一番人気の司令官役のネズミズだけがいい気で人気者気取りだが、陰口を叩かれてるのを耳にしてすっかりしょげかえってしまう。そんなファンの中に自分たちの星に来て侵略者から守って欲しい、という変な連中がいた。ネズミズはイベントの仕事の話だと思って大乗り気で受けてしまうが、実は彼らは本物の宇宙人のネビュラ星人サーミアンで、本当の星間戦争の助っ人に地球で放送されていた“ドキュメンタリー番組”ギャラクシークエストの歴戦の勇士を頼ってきたのだ。番組に出てきた宇宙船までそっくり再生し、彼らに指揮を執って欲しいという。レギュラー+無理矢理ついてきた番組ではやられ役専門の役者の合計6人は地球で昔の栄光を引きずって冴えない毎日を過ごすよりは宇宙をまたにかける本物の勇者になった方がいいじゃないか、と開き直り、疑うと言う事を知らない純情な宇宙人たち相手にすっかり上機嫌。ところが腐っても本物の戦争。番組そっくりだと言ってももうそんなの昔の話。船の操縦もチームワークもてんでばらばら。一方的にやられた挙句に船の内部に乗り込まれ、自分たちを信頼していたサーミアンの前で自分たちは偽者だと吐露して命乞いまでしてしまう。しかし彼らが一方的に敵になぶられる姿を見て、メンバー達の中に番組を打ち切られて以来の闘志が燃え上がった…
 まず、この映画の中の番組「ギャラクシー・クエスト」はあからさまに実在の人気テレビ番組「 スタートレック 」のパロディ。同番組には「トレッキー」と呼ばれる熱烈なファンが今でも全米、全世界におり(日本にもいるのだ)、スペースシャトルのエンタープライズ号は同番組の宇宙船にちなんで名付けられたもの。続編として「ネクストジェネレーション」「ディープスペースナイン」「ボイジャー」が製作されて今でも放映されている。知らなくても笑えるが、知っているとなお笑える。昔の役に引っ張りまわされてうんざり顔の元メンバーたちや、そんな出演者達を尻目に異常とも思える熱狂振りを示してマニアがコンベンション(ファン集会)を開催するのは、全てスタートレックで実際に起こってることである。冒頭のファン集会のシーンだけで思わず笑ってしまったのは、流石に劇場でも私一人だったなぁ…(いや、SF大会と重なってしまって…)
 最初苦笑まじりに何から何までバカっぽいメンバーやファン達を冷ややかに見ている観客だが、見ているうちにそのバカバカしいテレビ番組とその出演者、ファン達がなんとなく可愛く、そして共感すら覚えてしまうのである。いや、ヲイラがオタクだからってことじゃなくって。でも、メンバー達も知らない宇宙船の構造を通信機経由で訊ねられ、「やっぱギャラクシークエストは本当だったんだ!」と叫んでしまうお馬鹿なマニアなど、苦笑をかみ殺しつつもファン冥利に尽きるだろうなぁと、マニア心をくすぐるところもあったりする。製作者は絶対トレッキーだ。
 昔テレビのヒーロー物とか見ていた頃の郷愁をさそい、なおかつ溜飲の下る、マニアにもそうでない人にもお薦めの快作。2点。
 ところで「西川魯介」とか「屈折リーベ」とかで検索して来る人、お願いだから 何が望みか言ってください 。出来るだけ善処しますので。


2001年02月16日(金) 旧暦 [n年日記]

御科学様萬々歳?

 アルジュナで何が一番むかつくのだろうと考えたが(この「むかつき」とは極めて私的なものなのであしからず)、どうもあからさまな「敵意ある科学(文明)反対主義」を隠してないところの気がする。
 え〜、科学者(よくよく考えたら定義が曖昧な言葉だ)とか研究者とかって科学万能主義の急先鋒みたいに思われるかもしれないが、実際はむしろ逆で、まっとうな研究者や科学者なら科学(この場合は自然科学だな)が万能でないことは嫌になるほど知っているはずである。何故なら、科学が既に万能なものだとするなら研究などする必要はないからである。その場合必要なのは解析の流れ作業だけだ。
 科学は万能になる かもしれない 。ならないかもしれない(こっちの方がありそうだが)。科学というのは言ってみれば手法に他ならない。ものごとを捉える一つのアプローチのし方、考え方だ。万能の道具がないように、科学もまた万能の道具ではありえない。必要に応じて道具を変え、あるいは新しい道具を作り出さねばならない。科学が万能だからそれに準じてるのではない。問題設定があり、それに対してどうアプローチするか。それだけの話であり、ある意味科学というものの曖昧な全体像を憎むのは、科学の恩恵を受けてるくせにという反論以前に非常に的外れである。
 自然は人知の及ばぬところがある。それは否定しない。むしろそれを知ってるのも(まっとうな)科学者のはずだ。だが、だからといって挑戦してはならないということにはならない。
 万能でないことを知ってるのなら、何故それに頼り続けるのか、という物分りの悪い人間もいるだろう。まず、第一には使い方によっては設定された問題の解決に有用である事がわかっていること。第二には、万能でないからと言って神秘主義者のように安易に他の万能の(に見える)ものにすがろうとしないだけである。
 無論驕りがないとは言わないが、神秘主義に傾倒して科学の有用性を否定するのもこの上なく愚かな驕りである。
 あ〜。すっきりした。
 まあ、こんな固い話ばかりでもなんなので、 こういうもの で気持ちを落ちつかせるのもいいかも。(要 ここのVB6ランタイム
 あ、それと Mozilla の新しいバージョン出ています。


2001年02月17日() 旧暦 [n年日記]

Quoth the Raven, "Nevermore!"

 ポオの出世作、「大鴉」が急に読みたくなったのだが、書店で収録してる作品集が見つからなかった。これは著作権も切れてることだし、ネットで探した方が早いか? と思ったのだが、なかなかどうして、これが見つからない。
  青空文庫 でもポオの作品は「アッシャー家の崩壊」くらいしかない。これは原文で探すしかないか、と思ってなんとかみつけたのが ここ
 この中の The Raven が邦訳では「大鴉」と訳されている物。なんのことはない、これを探してたのは最後に大鴉が叫ぶ言葉「Nevermore」までの流れを読みたかったからだけなのだが、短い散文とはいえ詩である上に、古語がまじってて結構読みにくい。英米文学の専門家などというものが世に必要なわけである。流石に全部まるまる読むのは結構時間がかかるので、検索サイトの excite翻訳サービス を使ってみた。結果は惨敗。やはり詩歌の一見非論理的文章構造というのは訳し難いらしい。ま、それでもなんとか読み取れないことはないのだけど、原文を見たほうがマシな個所もあるし。
 やっぱ世の中が便利になっても、人間の地道な努力という物が世界には必要なのである、という教訓。(なんて大袈裟な)


2001年02月18日() 旧暦 [n年日記]

雪の進軍氷を踏んで

 どうも、「プロジェクトX」より「その時、歴史が動いた」の方が面白いと感じる今日この頃。226事件のアレなんかは、世の中陰謀と策略と裏工作で動いているのだとわくわくしてしまうではないか。昨今の浅はかな政治家に見習わせたいものである。
 面白いといえば、クウガの後番として色々過剰な期待とかなんとかを背負って始まっている アギト だが、個人的にはクウガより面白い。無論、この面白さはクウガのお膳立てがあってこそ、という面があるのも否定はしないが。
 主演クラスの役者達の演技をどうこう言う人も多いけど、何故かワシの場合気にならない。多分演出とケレンの魅力が役者の未熟さを上回っているからだろう。
 クウガの時は変身ヒーローと警察のマッチングというアプローチに対して、主人公が戦う理由というのが腑に落ちない部分があったのだが(主人公ののーてんきさで演出的にはカバーできていたが)、アギトの場合、典型的石ノ森ヒーローの系譜を継いでいる。つまり、自己のアイデンティティ模索、人間(じんかん)にいながら本質的に世界の異邦者であるという矛盾、そういったものを抱えた主人公ということである。ダークサイドのヒーローであるギルスも救いの少ない展開になりそうで○。正直「三人のライダーが出る」と聞いた時には不安だったのだけど、この調子だと期待できそう。

 ディスカウント酒屋の「三祐」で平行輸入品のジャックダニエルを買ってくる。やはりこっちの方がサントリーのものよりずっと口当たりが良い。こういう珍しいものが置いてあるのは良いなぁ。ただしこの店、アイリッシュがブッシュしか置いてないのがちとタマに傷なのだけどね。


2001年02月19日(月) 旧暦 [n年日記]

非常識

 自分が非常識であることはわきまえてるつもりだけど、最近はどこが非常識かわからないけど非常識なはずだ、と思うようになってきた。ただの被害妄想ってこともあるかもしれないけど、あとから「あ、あの部分は非常識だったな」とか「自分はバカなことやってたな」と思うと言うのは昔から変わらない。そういうのは多分誰にでもある事なのだと思うけど、自分がその「誰にでもある」の誤差の範囲内にいるかどうかというのがわからない。
 もし、自分が誤差の範囲内にいると思ってしまうと、そのうち自分のすることに何の疑問も持たなくなってしまうかと恐くなる。逆に、気にしすぎてそれに振りまわされるのも恐い。ま、この状態が振りまわされてるのかもしれないけど。
 自己嫌悪に陥るのはたやすいのだけど、それより先に次の一歩を考えなければならない。
 多分読んでも何のことかわからないと思うけど、自分の考えを整理したかったので。


2001年02月20日(火) 旧暦 [n年日記]

勝利無き戦い

 昭和20年八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。7年にわたる戦争の終了である。しかし1ヶ月以上前にソ連は日本との不可侵条約を一方的に破棄していた。これは戦後の資本主義・社会主義の対立を見越して日本に資本主義への橋頭堡を築くべく、千島列島、北海道、対馬の占拠事実を作る為の布石だった。
 日本側もこの情報を事前に得、八月と予想されるソ連の本格的上陸を前にそれへの対策を練る。ソ連の北海道侵出が始まったら喉元にナイフをつきつけられる形になる敵国であるはずのアメリカにソ連侵攻の抑止を政治的に行ってもらう。その工作に必要な間、北海道にソ連軍が揚がって来る前に緒戦が開かれると予想される日ソの国境、南樺太と占守(シェムシュ)島で方面軍は物資も戦力も圧倒的に不足する状況下でソ連軍を食いとめねばならない。しかもソ連軍の勢いをおしとどめるほどの打撃を与えつつ、更になおやむを得ない防戦という形を取って……
 工作に必要になる最低期間と、兵站も戦力も不足する部隊による徹底抗戦の兼ね合いで出されたギリギリの線は、三日……この間にアメリカとの裏交渉をまとめ、なおかついかなる犠牲を払っても勝利せねばならない。さもなければソ連の侵略により北海道民は蹂躙され、敗戦後の日本はドイツのように分断されてしまう。
 誰もが起こらねばいいと思っていたその事態が、ポツダム宣言受諾三日後の八月十八日、ついに発生してしまう。ソ連は国際的な非難を敢えて覚悟し、和平勧告が行われるまでに占拠を既成事実としてしまうつもりなのだ!
 ソ連の上陸部隊の出鼻をくじきつつ、航空部隊が上陸前に出来るだけ敵戦力を反復攻撃により削ぐ。そして一旦退いて内陸に敵を誘い込み、唯一の戦車部隊、十一戦車連隊により叩く。
 有利な点、ソ連軍は上陸作戦に関しては錬度が低い事、不利な点、圧倒的な戦力差、物資の不足、自軍戦車の砲と装甲の弱さ、敵戦車の砲と装甲の強さ……何もかもが絶望を示す中で、生還さえも期されず、勝利などありえない事がわかっていながら、日本の最後の戦闘が幕を開けた。
 「八月十五日の開戦」で描かれるのはこの占守島攻防戦の三日間である。殆どの現代の日本人には知られることのない、しかし戦後日本をある意味で守った戦闘で、皆傷つき、死に、そしてそれでも前に進んでいく。戦争は賛美されるべきではないかもしれないし、私もすべきでないと思う。しかし、それでも戦う事により誰かが護られたという事実は残る。大事なのはその事実であり、また戦闘に意義があるとしたら、その事実が残る事だけである。
 戦闘前に、全ての兵士が連隊に残って戦うことを選んだその前で隊長が「これで諸君らは孫を膝に載せて自慢話をやることができるな。孫は退屈がるだろうが」と部下を笑わせるシーンは不覚にも涙が出てきた。この「孫」たちの内から、祖父の語った思い出を誇りとし、それをゲームに込めた人間が出てきたのだから。ゲームがどれだけ意味を持つのかはわからない。しかし少なくともその孫達には確かに何かが伝わったのだ。そして我々も彼らの流した血肉の結果を享受している。どう思うか、どう考えるかはともかく、それは忘れてはいけない。

 26日追加。 26日の日記 に補足を書いたので、出来れば併せて読んでください。