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2014年02月05日(水) 旧暦 [n年日記]

[特撮] 獣電戦隊キョウリュウジャー#47と仮面ライダー鎧武#16

  獣電戦隊キョウリュウジャー #47「だいはんげき!さいだいさいごのブレイブ」。大地の闇から蘇るデーボモンスターたちはトリンのお陰で倒され続けているものの、デーボス神が復活したことでパワーアップしたゾーリ魔やカンブリ魔は人々を襲い続けている。しかし、反抗する人々の前に、ラミレスと鉄砕、スピリット戦士が助けに現れる。
 ラミレスたちはトリンと合流し、状況を支えるので必死の彼に加勢するという。その代わりに新たなグレイとシアンに選ばれたのは、鉄砕の子孫真也とノブハルの妹優子だった。博士も久々にパープルに変身してブラギオンで援護、新しい仲間も加わり、十大戦士の最後の戦いが始まる。

 最終決戦ラス一。全員で氷結城に乗り込むが、大量の敵にまずシアン、グレイ、シルバーが盾に。しかも悪のメロディの波動を浴びてしまい、変身が不可能になってしまう。しかし戦いを諦めず、空蝉丸、ノブハル、イアン、ソウジがダイゴに最後の希望を託して生身のまま後に残る。最終回間際の顔出し戦闘もお約束。
 そして最終決戦の中、空蝉丸とドゴルドの因縁にも決着が……エンドルフに命令されるがままに空蝉丸を攻撃するドゴルドは、空蝉丸を追い詰めるとエンドルフに渾身の怨みの力で空蝉丸を拘束するよう要求。その提案を受け入れ、空蝉丸の動きを止めるエンドルフだったが、空蝉丸に落ちるはずのドゴルドの刃はエンドルフに……以前の空蝉丸の言葉に心が響いたドゴルドは、密かに叛逆の機会をうかがっていたのだ。自分を縛り付けてたコントローラーを破壊すると、空蝉丸と二人でエンドルフを撃破、そのまま致命傷を負った身体で空蝉丸に挑み、武人としての誇りを全うさせて散っていく。しかし、ドゴルドを見とった空蝉丸も力尽き、その場で倒れこむ。
 次回、ついに氷結城内部にダイゴとアミイが乗り込むが、なんかダイゴがアミイを庇って城の外に押し出したりするシーンが出たり、かなり気になる。まさか「大空に笑顔でキメッ!」ラストじゃなかろうな。



  仮面ライダー鎧武 #16「新アームズ!ジンバーレモン誕生!」。ユグドラシルからの脱出中黒影部隊に追われる龍玄は、黒影が乗っていたダンデライナーを奪い辛くも逃れるが、監視カメラ越しに貴虎にその正体がばれてしまった。
 鎧武とバロンもバイクで黒影部隊を振り切るが、シドと燿子がそれを影から見送っていた。凄馬からの指示で彼らを逃した人物をあぶりだすために泳がせようというのだ。
 そうとは知らない紘汰はチーム鎧武の面々と合流、初瀬だったインベスに傷つけられたラットも無事だったことを喜ぶが、舞たちが他のチームにロックシードを使わないよう呼びかけてると知り、その身を心配する。
 舞は他のチームへの呼びかけが失敗したことに気落ちしながら帰途についていたが、その途中インベスが宝石店を襲撃しているところに遭遇。その後を追うと、そこにはチームレッドホットの面々が……そのインベスはリミッターオフの改造をしたロックシードで彼らが呼び出したインベスだったのだ。
 そんなことをしていれば街の人達からますます憎まれると言う舞に、チームレッドホットはどうせもうワルモノなら好きなことをする、と言い、インベスに舞を襲わせようとする。しかし、そんな彼女を救ったのは乱入してきた別のインベスだった。

 新装備登場、そいでもって光実との対立フラグが。なんとか逃れたものの、正体がバレた光実は兄に正義の為に戦うというのなら自分と共に戦え、という。これまでユグドラシルがしてきたことを見てきた光実はそれを断るが、自分の方に正義があると断言する貴虎は、ヘルヘイムの森である光景を見せる。それを見た光実は激しく驚愕し、「こんなの公表できるわけがない!」と怯える。光実が見たものって、アレか? 魔法少女が魔女化するみたいなアレか? 人間を養分にしてヘルヘイムの植物が生えてるとかそんなんなのかなぁ。実は未来の沢目市だ、とか?
 紘汰の方はラットの無事を喜びながらも舞から他チームが自分の欲望のためにインベスを使い街の混乱に拍車をかけていると知り、レッドホットの本拠地に押しかけるが、紘汰の説得は届かず、逆に手を組もうと提案される。もちろんそんな要求を紘汰が飲むわけがなく、リーダーの曽野村はシドからもらった上級ロックシードで上級インベスを呼び出す。しかし、無理な改造にロックシードが破損、コントロールの効かなくなったインベスは曽野村たちも遅い出し、それを見捨てられない紘汰は鎧武に変身して彼らを助ける。
 しかし暴走したかのようなインベスの強さに圧倒され、苦戦に陥る中、ユグドラシルで見つけたユニットとDJサガラから渡されたレモン型ロックシードを使おうとするが、何度試してもちゃんと支えない。しかし、攻撃の衝撃で戦極ドライバーのフェイスプレートが外れ中から結合部が覗いたことから一か八か戦極ドライバーと組み合わせて使い、ジンバーレモンアームに。紘汰の形状からアイテムの使い方を推測する能力、衰えず。
 エナジーロックシードを使う新世代ライダーと同等のパワーを持つらしく、武器も同じくソニックアロー。
 新たな力に戸惑う紘汰に、フルーツパーラー店長の阪東は「力は使い方次第で正義にも悪にもなる」と励ます。流石ゾルダの付き人で最後に代打でゾルダになったり、ワームになったり、さらに仮想世界の渋谷で前科のある少年たちを管理したりしてただけのことはある。重みがありますなぁ。ないか。


2012年02月05日() 旧暦 [n年日記]

[特撮] ゴーカイジャー#49とフォーゼ#21

  海賊戦隊ゴーカイジャー #49「宇宙最大のお宝」。ついに全ての戦隊の大いなる力が揃い、そのキーであるらしいナビィに扉を開けと迫るゴーカイジャーたち。ナビィはそんなの知らないと言いつつ、追い詰められて扉に。34のレンジャーキーでその扉を開け奥に向かうと、そこにはピラミッド型のオーパーツが。そのオーパーツを介して語りかけてきたのは地球の意思。34戦隊の大いなる力で得たお宝。それは宇宙を好きなように作り変えることが出来るものだった。それさえあれば、ザンギャックがなかったことにできた上、アカレッドも、シドも、ルカの妹も、ハカセの故郷も、アイムの国も、全て元に戻した世界を作ることが出来る。喜ぶゴーカイジャーたちだったが、その力の発動と引換に34戦隊の力は消滅してしまうという。それどころか、34戦隊そのものが存在しなかったことになってしまうという。力の発動をためらうゴーカイジャーたちだったが、起死回生をかけたインサーンが自ら開発した「グレートインサーン」で襲ってくる。

 初期幹部唯一の生き残り、インサーンの退場回であり、ついに宇宙最大のお宝が姿を表す。その力は、34戦隊の大いなる力により一回だけ好きなように宇宙を作り変えられるというもの。喜ぶマーベラス達だが、その引換に失われるものを知って愕然。前回まで想像してた「友情」とか「仲間」とかとは、全然違いましたな。
 そして空気を読まないインサーンの最後の襲撃だけど、意地を見せて食らいつくものの大いなる力を手にしたゴーカイジャーたちには太刀打ち出来ず、倒れる。でもインサーンは倒したものの、続けてザンギャックの主力艦隊が押し寄せ絶体絶命の危機に。
 次回予告では、地球の危機に歴代戦隊が自分たちが犠牲になってもいいから大いなる力を使うように迫ってるよう。使わないとは思うけど、使わないでどうやってザンギャックと戦うんだろう? 次回、元戦隊以外にもゴセイジャーの天地博士などが出てくるらしいけど、それが関係するのか?


  仮面ライダーフォーゼ #21「進・路・誤・導」。スコーピオンゾディアーツである園田紗理奈は度重なる失敗から罰としてダークネビュラに送られた。学園では「病気のため退職した」と伝えられ、真実を知らない弦太郎たちはショックを受ける。が、その園田の退職により宇津木という新任女性教師がやってくる。ところが、宇津木はまったくやる気のないダメ教師。弦太郎たちの進路指導もいい加減な空返事ばかり。弦太郎たちも調子が狂わされる。
 そんな時、あらたなゾディアーツ、ペガサスが現れ、格闘技の猛者に襲いかかるという事件が連続して起こった。仮面ライダー部では捜査を開始するが、実はペガサスはリブラである速水も正体を知らないゾディアーツ。生徒にスイッチを渡そうとしてる現場にフォーゼが現れ、落として紛失したスイッチだったのだ。
 ペガサスが接触しようとしていたリブラが逆に攻撃を受け、戦っているところにライダー部が駆けつけ、流星のメテオも含めて四つ巴の戦いに。しかし流星の不在を友子がいぶかしんだことからメテオは撤退、リブラも隙を見て撤収し、フォーゼと戦っていたペガサスもハイキックを浴びせた隙に逃走してしまった。
 ライダー部ではペガサスが落とした扇子を元に調査、それと同時にひたすら強い相手に襲いかかることから、大文字を囮にペガサスをおびき寄せるが、弦太郎はペガサスが落としたキックからペガサスの正体に心当たりを得る。

 今回のゲストは弦太郎たちの新担任、宇津木遥。演じるはハリケンブルーだった長澤奈央。Wでも「リリィ白銀」としてゲスト出演してましたが、キレのいいアクションができるようになってすっかりアクション女優の品格。
 でも演じる役柄は教育にやる気のまったくない新任教師。そもそも彼女はキックボクシング一筋で行きたかったものの、それだけで生活することができるわけがなく、仕方なく教師についたことでくさしていた。
 ペガサスが見せたハイキックが宇津木の見せたのとそっくりだったことから、弦太郎はペガサスの正体が宇津木ではないかと疑い、ジムでスパーリングをする宇津木の元に押しかけ「教師とだってダチ公になる!」と、彼女の本気を引き出そうとする。
 他にも進路指導で「将来の夢は宇宙飛行士です!」とそこそこまともな夢を語るユウキだけど、格好がどう見てもまともじゃなかったり、進路指導で指導を覚悟してた賢吾が思い切り肩透かし食らわされたり、進む道に「一直線」と書いた弦太郎が「そう、でも曲がり角には気をつけてね」と斜め上な返しをされたりと、なかなか高度なコントが連発してました。~   数回おきに地味に活躍を見せる大文字さんも今回美羽への未練とかキングの名に恥じる活躍だったりなんだり。そういえば大文字と美羽、早々に進路が決まってライダー部の活動には支障はなさそう。
 今回は「したい仕事じゃないけど仕方なくしている」という宇津木と弦太郎の絡みがメインだけど、ヴァルゴが本格的に絡みだしたり、そろそろ迫水校長が粛清されそうだったり、次のフェーズに移りそうな感じ。
 一度ホロスコープスになった者は救いがなさそうなので、宇津木先生はさすがに第五のホロスコープスにはならないと思ったら、なるのだったらサジタリウス?(聖闘士星矢の影響)
 あと、次回は弦太郎のとんがりリーゼントが崩れた顔が出てくるっぽい。中の子、普通にイケメンなんだよなぁ。


2011年02月05日() 旧暦 [n年日記]

[映画] トンマッコルへようこそ

 朝鮮戦争で仁川上陸作戦が決行され、韓国軍側による北朝鮮への大反撃に出た時代、二国の間の山中に、世間から隔絶されて戦争のことなど知りもしない集落「トンマッコル村」があった。だがある日、戦争とは無縁の村に三組の「お客」がやってくる。ひと組目は墜落した偵察機に乗っていた傷ついた米軍の飛行士、二組目は戦場から逃れてきた二人の韓国軍兵士、三組目は部隊が壊滅し、命からがら山を越えてきた三人の北朝鮮軍兵士。
 村で顔を見るなりいきなり村人たちを挟んで銃を突きつけ合う韓国軍兵士と北朝鮮軍兵士。しかし銃も手榴弾も知らない村人たちはおしっこに行ったり畑の心配をしたりとのほほんとしたもの。そんな緊迫感のない雰囲気の中で一昼夜にらみ合っていた二組だが、ちょっと頭の足りない村娘が何かもわからず手榴弾のピンを抜いてしまった上、疲労から取り落としてしまう。
 かろうじて誰も怪我をしなかったものの、村の冬の間の蓄えのあった納屋が吹き飛んでしまい、しかもそれを責めるでもなく歓待してくれる村人への罪悪感から、お互いを敵視しながらも畑仕事の手伝いをする。
 ことあるごとに衝突しかける彼らだが、村人が巨大イノシシに襲われる危機を、期せず協力して助けたことをきっかけに次第にうち溶け出す。村の「子どものように純真」という名の通り、何も無いながらも毎日を楽しむ村人たちを見て、戦争の傷も次第に癒えていく彼ら。
 しかし戦争はそんな彼らと無関係に激しさを増し、戦争とは無縁のはずだったこの村も飲み込もうとしていた。
 2006年国内公開で、2005年韓国内の興行収入トップだったらしい。もっと言えば、元は舞台劇だったらしい。( 2002年の舞台の感想があった
 公開当時は、韓国の戦争映画、特に南北ものにはちょっと良いイメージが無く、それもあってスルーしたのだけど、人から勧められて改めて鑑賞。
 冒頭、激しい戦闘シーンから入るのだけど、戦場から命からがら逃れた兵士たちがたどりついたのは、戦争のことなど信じられなくなるくらいの別天地。村人は戦争どころか武器すらも知らず、銃を突きつけられても「棒で突くのがあんたの挨拶か?」といぶかしがるばかり。
 そのあり得ないくらい純真な村人ばかりの村で彼らばかりが戦争気分でいがみ合うが、次第に打ち解けていく、というのはまあ、パターン。最初言葉が通じない村人の好奇の目に辟易していた米軍パイロットのスミスでさえも、一緒にイノシシを倒したことから村人に馴染んでいく。だけどその様が一々ギャグっぽく、感性に合うかは人次第だろうが、私はバカバカしいシーンに抱腹絶倒。しかし、そんな中でもところどころに戦争の傷跡は顔を見せる。韓国軍兵士のピョ少尉は、北朝鮮の侵攻を防ぐためにまだ避難民が大勢渡っている橋を爆破するように命令された過去を持ち、村での平和な生活の中で時々そのトラウマがフラッシュバックする。
 そして、夢のような村での生活は、無残にも終わりを迎えようとする。連合国軍の誤解から村が北朝鮮の拠点と思われ、爆撃の準備が進められていた。
 そして話はクライマックスに向かうのだけど、村を救うため犠牲になる覚悟で爆撃のことを黙ったまま去ろうとする彼らと、村人たちのやりとりがまた泣ける。憎まれ口ばかり叩いていたばあさんが「勝手な連中だね! 出てくんなら来なければ良かったのに!」とツンデレぶりを発揮したり、彼らが(間違って)食料庫を爆破してしまったことから敵意を持っていた者も、雪の中出発しようとする彼らに防寒靴を手渡す。
 そしてなかなかハードなラストの後に、スミスが録画した、村人たちと彼らが村祭で楽しむ映像がテロップに重なって流れる。
 「理想でしかあり得ない、絵空事でしょ」と言われればそうだけど、絵空事であっても見たいからこその理想。お伽噺のような、楽しく、淡い映画でした。


2009年02月05日(木) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] とらドラ#18

  とらドラ #18「もみの木の下で」。生徒会主催のクリスマスパーティが近づき準備も進むが、みのりは相変わらず竜児に距離を置いている。たまに話せば何かにおびえたような不審な挙動を取るみのりをそれでもパーティに誘う竜児だが、彼女はそれを拒み続ける。それを見ていた亜美も何か分かったような口ぶりの忠告めいたことも言うが、それもこれまでと違って竜児にそれとは別の何かを訴えかけるかのようで、何かがおかしい。少しずつ回りがぎくしゃくしていく中、竜児は木原摩耶から暗に北村と大河をくっつけようとする男子たちを妨害する作戦を相談しようという誘いを受けるが、大河の荷物持ちを口実にそれを断る。しかし無理矢理上がり込んだ大河の家にあった大量の荷物は郵便小包。それは大河からいろんな人へのプレゼントだった。そしてその中に大河の父親と再婚相手の名前を見て、竜児は表情を凍り付かせる。

 クリスマス編中編。みのりは相変わらず様子がおかしいが、パーティの準備でみんなを引っ張っている亜美も見た目はすっかり皆と打ち解け溌剌としたように見えて、竜児に「竜児と大河の関係はいびつだ」「(みのりを含めた三人で)家族ごっこをやってるよう」「こんなの長持ちしない」と、毒ではなく、何かを切実に訴えるような言葉をはき出す。そして、「一から全部やりなおそうよ」と言った後に、「今度は私も最初から入れて……」とつぶやく。が、その言葉は竜児には届かない。亜美の危険信号もそろそろ大詰めだなぁ。
 クリスマスにはしゃぐ大河の様子は相変わらずだが、あれだけ酷い目に遭わされた父親にまでプレゼントを贈ろうとするのに驚いた竜児に、クリスマスが好きな理由を語る。それはかつていたミッション校のボランティアで孤児たちに接した時から続けてるのだという。「誰にも必要とされてないと思ってる子たちに、あなたを見てる人はちゃんといるよって、必要とされてるよって。そうしたら、あたしも誰かに必要とされてる気がする」と、ただの自己満足だと自嘲する。そしてかつてサンタを見た、という話を竜児にするが、竜児はそれを笑うどころか何一つ言うことができない。
 そして、クリスマスの準備も進み、体育館に設置された特大のクリスマスツリーに、大河秘蔵のクリスタルガラスの星のオーナメントが飾られた直後、体育館の窓を破ってボールが飛び込み、ツリーを倒し、大河の星も微塵に砕けてしまう。そして謝罪の言葉と共に入ってきたのは、ユニフォーム姿のみのり。最初びくついていただけだったみのりも、自分が起こした惨状、そしてよりによって大河の大事なものを壊してしまったことに、嗚咽しながら砕けた星を接着剤で元に戻そうとする。
 他の人の手、特に竜児の手を借りることを拒んだみのりだが、大河に押し切られる形で竜児と星の修理をする。だが、「壊れたものはもう元に戻らない」と、いつものみのりらしからぬことを言う。それでも竜児は形だけは元通りに戻し、「壊れても、また、直せる。元通りじゃなくたって、輝いてる」と。優しい言葉に聞こえるけど、今のみのりには実は一番残酷な言葉なのだよなぁ。
 そして、「パーティには行けない」と竜児の誘いをなおも断るみのり。次回はクリスマスパーティ。どんどん鬱になってまいります。orz


2008年02月05日(火) 旧暦 [n年日記]

[アニメ] 俗絶望#5とデルトラ#57とみなおか#4

  俗・絶望先生 #5。前回は変な構成だったけど、今回は普通の構成だなあ。いや、構成が普通でも話が普通ではないのでアレなんですが。すべてのものを理系文系体育会系で分けるのは、普通にやって楽しそうだなぁ。残り物には福、は、確かにツッコミどころ満載。いや、でも絶望するような事じゃないけどさ。w 恩着せ話は、池波正太郎の「恩は着せるものではない。着るものだ」って台詞をなんとなく連想。しかし加賀愛が何故かツンデレキャラにw
 で、EDが変わってる今期はEDの方だったか!

  デルトラ #57「ひとりぼっちの憲兵団」。いや、なんつーか、リーフたちを見てると「ダメだこいつらなんとかしないと」という言葉が出てきて仕方がありません。特に今回は余計な手出しして悪い結果しか出してないし。いや、最後いい話で落としても誤魔化されないからね!

  みなみけおかわり #5「出した茶碗は引っ込められない」。いや、たしかにカナがいれば話は動かすの楽なのはわかるんだけど……延々とやると、カナのはた迷惑さがイヤな感じになってしまう。まあ、オリジナル展開だから模索してるのだろうということはわかるけど。あと、ハルカは怒ると怖いけど今シリーズの怒り方は何か違う気がする。全体的にキャラが粘着質になってるような。

ポルフィの長い旅#5

  ポルフィの長い旅 #5「ぼくたちのステーション」。父親がアテネから帰ってきていよいよ念願の修理工場が作られることになった。ポルフィは嬉しくてたまらず、学校がなければ手伝えるのにと思い、ずる休みしてしまう。親友のザイミスはそんなポルフィに注意するが聞こうとしない。
 不審がる父にポルフィは「先生が休みで学校が早く終わった」と嘘を吐くが、ザイミスが通りかかり、嘘がばれそうになる。しかしなぜかザイミスは調子を合わせ、結局嘘はばれなかった。ポルフィは後ろめたさもあいまってザイミスに話しかけづらくなってしまう。
 本当は仲直りがしたいのだが、言い出せないポルフィ。そんな中、修理工場がいよいよ出来るのだが、田舎の村のこと。村の中の顔なじみだけではあっという間に客はいなくなってしまう。ポルフィはとおりすがりの車に来てもらおうと客寄せをするのだが上手く行かない。そんなとき、やはりポルフィが気になって様子を見に来たザイミスが、あることのためにポルフィを家に呼ぶ。

 え〜、実は見ています。「レ・ミゼラブル」の後はずいぶん地味な原作を……ギリシアの田舎に住むわんぱくで素直だけど、まだちょっと考え足らずの少年ポルフィ。アテネの自動車修理工場で働いていた父親が帰ってきて念願の修理工場を開き、その中でのちょっとした騒動。
 本当は罪悪感を抱いているのだが、なかなか勇気が出せない。すっぱい葡萄理論でついザイミスの悪口まで……しかし、ポルフィが気にかかるザイミスは、家業の手伝いに苦心するポルフィを見て、道路沿いに大きな看板を作ることを考えつく。
 ザイミス、めっちゃ大人wwww
 ポルフィはまだこれから成長するので子供らしく意地を張るのは仕方ないのだけど、あまりにザイミスが大人すぎて泣ける。それが本当は謝りたかったポルフィにとってきっかけになり、嘘のことも父親に謝る。こういうきっかけがないと嘘を解放できないまま成長してしまうのかもしれない。ザイミスが大人なのは、ポルフィにとっては良かったことだろうなぁ。


2007年02月05日(月) 旧暦 [n年日記]

[その他] どうにもいかん

 知らずストレスがたまってるのか、気付くとけんか腰になってしまう。鏡見たら、前髪に白髪が交じってた。う〜ん。ここ半月、いろいろあったからなぁ。


  愛知県知事選挙は現職が三選朝日 )。いずれがマシか、という選択にならざるをえないのがアレ。あと、良く年齢を見ると現職が候補者で一番若いのね。なんなんだか。


 九州では野党支持候補が勝ち、愛知は自民支持候補が勝ったことで、「一勝一敗」ということで柳原厚労相の首はつながったとか。つか、こんなことで決めるってのもばかばかしい話だけど。 国民の税金から金取っておいて、くだらないことぐだぐだ言って勝手に休んでるんじゃねえや朝日 )。優先順位をはき違えまくり。つか、これが国民の選んだ政治なんだから仕方ないとも言える。
 そういや選挙に行って「これで政治に文句を言う権利が出来た」って人が散見されるけど、それもなんだかなぁ。いや、文句言うのは誰でも自由なんだけど、「まず有権者としての権利を行使しないで文句を言うのは順番が違うでしょ」というだけの話。まあ、いずれにせよ何を言ってもいいのだけど、あまり無責任なことを言うのはみっともないから注意はしないと、ね。


  橋下徹弁護士 「柳沢擁護」に熱弁J-CAST )。「 「全体の論調はごく普通の内容」と主張」って、そりゃそうだ。内容を知らなかったなら知らずに批判してたのかってことだし、知ってるなら、そんな当然の理屈も口にしたら差別 だ、ってなら、最初から少子化云々なんて言うな言わせるな。頭が悪いにもほどがある。


  中国、月探査を本格化へ福島民友 )。デブリもばらまいたし、いよいよMOONLIGHT MILEの世界が!? あとは金星に中国人民を投下させるだけだな(それは作品が違う)。


2006年02月05日() 旧暦 [n年日記]

[映画] 独立愚連隊

 毎朝新聞の従軍記者・荒木が八路軍と交戦しているある部隊へとやってきた。荒木はその部隊の最前線で橋頭堡である砦を守る独立第九〇歩哨小隊、別名独立愚連隊に強く興味を持つが、その動機は取材とは別のところにあった。荒木は実は脱走兵・大久保軍曹であり、独立愚連隊で死んだ弟の死の真相を探るために軍を抜け出し、新聞記者を装っていたのだ。
 しかし隊には大久保の正体を知る元従軍看護婦である慰安婦・トミもいた。大久保の入院した病院に勤務していたのだが大久保と深い仲になり、妊娠、流産し、その事実を知らぬまま弟の死の真相を探るため出奔した大久保を追って放浪、挙句今の境遇に身を落としていたのだった。
 大久保は途中であやしげな保安隊の首領と出会ったりしながら独立愚連隊に向かう。そこで弟である大久保見習下士官は戦闘中に女と心中したとされていた。そのこと自体は恥として伏せられていたが、たまたま巡視にやってきていた大隊の副隊長・藤岡中尉により、その責任として愚連隊は決死の防衛線を命じられていたのだ。
 心中であるということをいぶかしむ大久保は事件の第一発見者であり愚連隊の隊長である石井軍曹を疑うが、どうにもとらえどころがない。それどころか「余計な事を詮索しないほうが身のためだ」という、恫喝とも取れる忠告をされることに。果たして弟の死の真相は……?

 戦争映画だが、日本では珍しい戦争娯楽映画であり、しかもミステリー仕立てだったりとかなり盛りだくさんな内容。エンタテイメントに特化した続編「独立愚連隊西へ」やかなり高度に要素がこなれていた後年の「血と砂」と比べるとやや荒削りな感じはするが、西部劇の影響バリバリの作風も相まってハッタリの効いた台詞回し・映像と、はぐれ者である大久保軍曹と愚連隊の面々から見た戦争のバカらしさが嫌味なく描かれていく。
 ところどころで見られる観客の意表をつく映像構成、またクライマックスの怒涛のように押し寄せる中国軍といった映像センスは岡本喜八ならでは。本編自体も主人公の弟の死の謎と絶望的な状況で砦を守る独立愚連隊と(西部劇の砦モノそのまま)、二重構造になっていた飽きさせない。基本的には反戦、というか厭戦な岡本監督のスタンスが現れており、例えば大隊の隊長である児玉は城壁から落ちて頭がおかしくなっており、後方に移送されるのだがこの頭のおかしな隊長を三船敏郎が演じるという、こんな三船は他では見られないというあたり、中々強烈。だが、実はそれにもきちんと理由があり、ずるい軍人がいる一方で不正を見逃さない、部下を護ったり恩義をきちんと返す軍人が出たりと、単なる軍隊嫌いでは収まらないところも岡本喜八節。
 主演の佐藤允を始めとして出演者は皆曲者揃いなのだが、その味を殺すことなく上手く作品に調和させており、その辺のクセのある役者連中のイカス台詞回しなんかも見所の一つ。佐藤允のワイルドながらとぼけた味もいいが、石井軍曹を演じる中谷一郎(「助け人」の辻平内、「水戸黄門」の風車の弥七と言えばわかるか?)のとらえどころのない曲者っぷりも良い。
 DVD映像特典のインタビューによると、もともとのアイデアは古本屋で見かけた本にあった、「ブローニングは銃口を前から押さえつけると撃てなくなる」という記述から思いついたとか。その部分は序盤のシーンで出てくるのだが、アイデアってのはどこから出てくるかわからないものだなぁ。


2004年02月05日(木) 旧暦 [n年日記]

さすがにサビの部分は省略

 昨日放映のスターリングラード特集最終回。友軍の救出作戦もむなしく、孤立地帯に取り残されたドイツ軍の第六軍二十万人の兵士。ドイツ国内ではこの絶望的な戦況は徹底的に隠され、ヒットラーは失敗を認めようとせずにスターリングラード陥落に固執し、第六軍司令のパウルスは自己の責任追及を恐れ、ソ連軍の降伏勧告の受け入れをずるずると延ばし続けた。その間にも死者は増え続け、食料に窮したドイツ兵は馬、犬、猫と、そしてそれまでもいなくなると死人の肉にまで手を伸ばす者が出始めた。パウルスは本国から「自決せよ」と示唆されたにもかかわらず、結局一九四二年二月にソ連軍に降伏。二十万人だった第六軍のうち十万人弱が捕虜となった。しかし捕虜となった後も受難は続き、ソ連側の捕虜収容施設の劣悪な環境下で、多くのドイツ人捕虜が命を落とすことになった。結局、戦後生きて祖国に戻れたのはたった五千人ほどだったという。戦時の日本のインパール作戦やガダルカナル島作戦など、上部のおろかさによる無為無益な人命の損耗もこれに準ずるだろう。読み取れる教訓は主に二つあると思う。ひとつは、当然戦争の悲惨さで、もうひとつは徹底的(典型的→徹底的に修正(02/06))なプロジェクトの失敗の経緯だと思う。結果的な成功の場合、部分的な失敗はつい見逃されがちだが、これだけ徹底的な失敗だと、どこを見てもほとんど反省点しかない。ちょっと見渡しただけでも多くの問題点が見つかると思うのだが、逆にこれだけ徹底的な失敗だと、「ヒットラーが悪い」「ナチスが悪い」「ファシズムが悪い」と、そのあたりで思考停止してしまうことが多いのが……
  「政治が教育に介入するな」に対し「教育が政治に口を出すな」Yahoo!hl )。まあ、実際の発言は微妙にニュアンスは違うんですが、ここまで来ると子供の喧嘩ですな。どっちも。 政府の考えを教育現場に押し付けるな朝日 )って意見に関しても、若干思うところはあるにしてもこの意見はこの意見でまあ一応正統かな、とは思うんですが、 センター試験世界史Bに、従軍慰安婦に関する問題が出たり だとか(一応、リンク先のサイトの思想的な部分は取り除いて読んでください)を見ると「つまり、政治は思想に介入しちゃいけないけど、教育は生徒・受験生の思想に介入し放題ですか?」とも思いたくなります罠。
 そもそも、「派遣反対」という人の意見の足場がよくわからない。そりゃ、平和が一番ってのはわかってる。しかし、イラクという現状を見るに、なんらかの軍事力・警察力なしでは抑制がつかないのは事実。たとえば、イラクなんてどうでもいい、国内の問題を優先的に片付けろ、という意見なら、人でなしっぽいかもしれないけどもよくわかる。軍事力をまったく使わないで平和を実現できる、というなら、私にはちょっと方法が思いつかないけど、まあ、それが一番いい。アメリカが嫌いだ、反アメリカで行け、というのも、一ダースほど突っ込みどころはあるけどわからないではない。けど、実際はどうなの? わからない。だって「反対」ばかりで立脚点に触れる人は多くないのだもの(もちろん触れる人もいる)。言っておくけど、私は別に自衛隊派遣賛成じゃない。でも、派遣派に対しての批判で良く出る言葉、「米国追従」にしても「イラクの利権狙い」にしても、ある程度どうして派遣という意見になるのか、その利害関係は一応わかる。だが、反対派の道筋がよくわからない。わからないから、その意見に賛成も反対も言えない。上の件もどうして派遣がいけないか、ということになると思いきや、「若者の気持ちを傷つけた」とか「思想に介入するな」とかだから、馬鹿らしくなるなって方が無理。それに同じレベルで応じる総理も総理だけど。
 個人的には、(推測はできるにしても)よく必然性のわからないことで自衛隊員を危険にさらすのはやめてほしいが、行くからには最大限得られるものは得てほしいし、なにより無事で帰ってきてほしい、と思うのみである。
  自衛隊の無事を祈る「黄色いリボン」、平和団体が撤去要求朝日北海道 )。ん〜、確かに自治体が「しなければならない」って性質のものではないかもしれないけど、単に無事を祈ってるだけで、派遣に賛成とか反対とかとはまた別の話だと思うのだけど。首相の言うように「国民全員で喜んで送り出すべき」と強制するのもおかしいけど、無事を祈るのは派遣の賛成を促す、ってのも、なんか違うと思うんですけどねえ。
 なんか軍事方面に偏りすぎてるな。
  仮面ライダーダルダ 。仮面ライダーってより仮面天使ロゼッタだとか、ライダーで魔法少女かよ、とか突っ込みどころはいろいろあるけど、立体化だとか実写製作だとか声優募集だとか、とりあえず奴らは本気だ!(っぽい)
  冥土ライダースピリッツ 。エマがアマゾンかよ!?
  ジャンプリミックス ジョジョの奇妙な冒険Part1 ファントム・ブラッド書き下ろし表紙イラスト 。荒木氏がどこぞで「ジョナサンはもう描けない」と言っていたというけど、本当だったんだなぁ。まあ、第一部のディオも描けないのだろうけど。


2003年02月05日(水) 旧暦 [n年日記]

ТАТУ

  速水螺旋人 氏のとこの日記で TATU (ロシア語表記はТАТУらしい)とかいうロシアのアーティストの記述を見かけた矢先、 2ch でたまたまそのTATUの話題を見かける。って、制服でレズって……事実かどうかは知らないが、そういうことで売り出しているらしい(現役の音楽学院生というのは本当らしい)。事実かどうかは知らないのだが、ライブで こういうパフォーマンス があったりはするらしい。おまけに ファンサイト では こんなん とか、 こんなん とか こんなん とか こんなん とかが何故か多い。オタク向けデュエット? 日本での知名度はあまりないが、ロシアを中心にヨーロッパではかなり人気があるらしいのだが……
 家に帰り、なんとなくテレビをつけるとBSで「 靴をなくした天使 」(ビデオタイトル「ヒーロー/靴をなくした天使」)をやっていた。離婚係争中のつまらない小悪党風の男、バーニー(ダスティン・ホフマン)は息子と待ち合わせた夜、その徒路でたまたま旅客機の墜落現場に出くわす。口ではシニカルなことを言いながら、つい見逃せずに飛行機の中に閉じ込められた乗客を助けるが、その際、つまらない出来心から乗客の一人のハンドバッグを盗んでしまう。世間は乗客54人を助け、名前を名乗らずに靴を片方だけ忘れて去った「英雄」探しにやっきになるが、当のバーニーは離婚調停中ということもあり目立ちたくないとばかりに名乗りをあげずにいた。だが、テレビ局が「英雄」探しにかけた懸賞金百万ドルに目がくらみ名乗りをあげようとした矢先、窃盗の罪で逮捕されてしまう。そして代わりに名乗りをあげたのは、バーニーの手元に残った片方だけの靴をあげたホームレス、バーバー(アンディ・ガルシア)だった……
 ストーリーの幹はいいがどうもあちこちの枝葉のはり方がイマイチの部分もあるこの映画、実は個人的には劇場公開時に見て、シチュエーション的には無茶苦茶好みだったりする。 フル・モンティ と言い、どうにもこのパターンに弱いなぁ。とりあえず、「靴をなくした天使」の得点はトータルではこんなものだろうが、「フル・モンティ」に2点以下をつけた奴はそこに正座しろ! 小一時間説教してけつかる(いや、個人個人の趣味だからそれもどうかと)。とりあえず、「あの程度の芸で」とか言ってる奴は、まともに映画を見てないことがもろばれなんだけど(観客のほとんどは、(少なくとも最初は)まともなストリップを見に来てるんでなく、全部脱ぐとまで宣言したダメオヤジどもを物見遊山に見に来てた「はず」なのだが。)。
  ファイズの東映ページ を見ると、チョイ役だと思っていた二話に出てきた刑事二人( 沢村刑事添野刑事 )が メインキャストの紹介 に。久々に警察が絡んでくるんか。ってか、添野刑事の方はコロンボ警部の声の人デスカーーーー!? (声の人などいない)


2001年02月05日(月) 旧暦 [n年日記]

イメージ喰らい

 今日もバイト。生徒どもが「スカイラブハリケーン」だの「ジャミラってなんか液体に弱かったよな?」(バカモノ。ジャミラは灼熱の惑星に適応したから水を掛けられると崩れるのだ!)とか古過ぎるネタばかりを話してやがりました。ちなみにレッドキングの回に他に出てきた怪獣はチャンドラーマグラとピグモン。しかしチャンドラーマグラってピグモンより印象薄いよな。
 それはさておき、友人が「屈折リーベ」読んでの感想で、「眼鏡萌えは被対象者の側からしてみると狭い狭窄な見方で、残酷だってことなのかな?」という事を日記で書いていた。秘密日記なんで抜粋意訳のみにて御免。
 合ってるけど間違っている。それは眼鏡云々だけではなく、「萌え」と称する物全般に言えることなのである。
 ここで非オタクに説明。「萌え」というのはダメ用語で、まあニュアンス的には「(ある対象を)可愛いと思う状態」というところである。実際にはただ「可愛い」とかというのとはちょっと違って、多かれ少なかれ不純なニュアンスが含まれるのだが。
 その可愛い、というのも、どちらかというとあくまで愛玩対象物的な可愛い、である。つまり、対象の表層的なある要素を抜き出してその部分に対し「萌え」とか言ってるのである。
 問題は、「萌え」というのがその対象部分を中心にして、あるいはそれ以外は全く無視している状態が多い、ということである。
 GPMの来須(無口で優しい系。男)萌えな、戦記ライターでもある仲村明子さんという方は、「公式設定なんか関係ない、それがキャラ萌えだ!」とアルファシステムの社長に面と向かって喝破したらしいが、これは「萌え」というものを端的に表してると言える。
 もし創作、あるいは実在のキャラクターのごくごく一面のみを取りだし、さもそれがキャラの全て、中心であるかのように扱う時、その人にとってそのキャラはそういう「記号」となる。しかし実際には記号的人間などいない。人間とは複雑な物であり、幅広い要素、あるいは相対する要素ですらも含む物であり、単純に記号化できるものではない。また、その複雑性は対人関係の複雑さにそのまま反映される。
 むろん、例えば異性の好みなどとして「こういうのがタイプ」というのはあるだろう。しかし人間が他人と付き合い、人を好きになったりする時(異性に限らず)タイプでない部分、あるいは全く気に入らない部分という物とも同時に向かい合わねばならない。もしそういった部分を敢えて無視して他人を扱おうとするのなら、それはその人を一個の人間として認めていないということになる。
 はっきりいうと、私は「萌え」という言葉にある種の気味悪さ、気持ち悪さというのを多かれ少なかれ感じる。それは、つまりそういうことなのだ。人間を愛玩物のように、あるいは愛玩物を擬似人間のように扱っている、そういった居心地の悪さはいつでも感じる。
 無論、市販のアニメ、小説、マンガなどの商品の場合、キャラクターといえども「商品」である。記号化したイメージを商品として売り、あるいは消費する。そういう品物であり商売である、と言われればそれまでではある。所詮はホンモノの人間ではない。誰も傷つかない。また、人によっては濃厚な胃にもたれるフランス料理ばかり喰っていると疲れる。たまには軽く食べられるスナック菓子も悪くない、という人もいるだろう。別に否定はしない。ただ、それを自覚しているか、していないかというのは大きな違いであるように思う。世の中、短小軽薄の時代と呼ばれるようになって久しい。流行も生活スタイルも娯楽もめまぐるしく変わり、消費され、捨てられていく。その中で、擬似とは言え「人格」ですらそういった流れの中に乗ってしまうということは、人間の不可侵の部分であるはずの精神ですら、大量消費の対象と思われてしまうような、そんな危機感が若干の不快感とともに感じられる。
 「人はパンのみにて生きるにあらず。人間はイメージを食べている」ではイメージの暴飲暴食の行きつく先は?